
今季最後?の雪山鍛錬
今日は珍しく早朝家を出て列車に乗った。今月初めの山行と同じく、雪山での鍛錬や装備試験のためである。
場所は前回の雪不足を考慮して更なる北方を目指すことに。それは、福井県嶺北(東部域)南部の日野山(ひのさん。794.4m)であった。
日野山は高さこそ低いが、秀麗な山容で知られ「越前富士」とも呼ばれる地域のランドマーク的存在。また、古来より神宿る山として越前五山の1つにも数えられ、厚く尊崇されてきた霊山でもあった。
実は、以前から親類宅への往復等で車窓から眺める度に気になっていた山。普段の行動範囲から外れる遠地ではあったが、福井平野(武生盆地)の南縁にあって交通至便なこともあり、思い切って出かけることとした。
気象予報を分析すると、真冬並みに気温が下がるのは今朝が最後に思われた。恐らくは、今季の雪山鍛錬はこれが最後となるかもしれない。そんな事情も、今日の嶺北行とその決行を後押ししたのであった。
上掲写真: この時期(融雪期)特有の翡翠の水を湛える南越地区の主要河川・日野川と背後に霞む日野山(中央奥)。陽射しも春めいてきたか。

日野山山麓への出発地、JR北陸線・王子保(おうしお)駅
京都市街も今朝は氷点下近くまで気温が下がる寒い朝となったが、現地も-2℃辺りの予報が出ていた。
しかし、現地で午前9時半頃から行動を始めた頃には、防寒着が不要なくらいまで気温が上昇していた。予報では12度まで上るとのことであったが、急激に上昇しているようである。
列車が着いた北陸線・王子保駅の待合にはまだストーブが付けられていたが、防寒着を一旦片付け麓へと向かった。

王子保駅から登山口がある平吹(ひらぶき)集落までは徒歩30分以上の距離がある。その道中、駅前の街等を見るが、地面を覆う自然な姿の雪は見られなかった。2週間前見た全てが雪に覆われていた様子とは一変である。
写真は学校の駐車場脇にあった雪。除雪の際に積まれたものであろう。先月初旬の豪雪時はこの辺りも相当な積雪だった筈だが、さすがに今は名残りのこの姿である。しかし、今日の目当てである山の雪が心配になる。

日野山左肩(北側)の尾根終端部。山も低い場所には雪が見えない。山下には日野川が流れ、山裾に道路があるが、その隧道脇に工事で削られた大きな岩盤(右端)が見えた。山の地質を知る良い標識である。近くには砕石工場もありその関連が窺われる。ただダンプカーが頻繁に往来し、路上の粉塵を舞い上げるのが頂けない。生活や観光を害するものに思われた。

日野山登山口がある平吹の中核的な中平吹集落の家並と背後に聳える日野山。道奥に日野山信仰の主宰である日野神社がある
日野山麓の集落へは、最短距離で行けるよう集落の細路を辿るなどしたが、写真を撮るなどしたため、結局30分以上かかった。ただ、その分、速足を心掛けた筈なので、言われているより距離があるように感じられた。
王子保から日野神社までの所要時間は徒歩40分をみておいた方がいいだろう。足の遅い人や最短距離を採らない場合は更に時間がかかる場合もありそうなので、注意されたい。

福井藩主・越前松平家に崇敬されていた関係か、方々に葵紋が用いられた日野神社社殿。周囲にはまだ雪囲いらしきものが残っていた
山の神に幸先もらい登山開始
集落到着後、先ずはその奥にある山の神・日野神社に参拝。賽銭のお返し的に御神籤を引かせてもらうと、幸先の良い大吉が。気を良くしつつストック等の装備を準備し、神社脇にある登山口から出発した。

日野神社本殿横から続く日野山への登山道と登山口の石碑

近年の登山道と古い参詣路との分岐。木の根元には線画の仏像が彫られた古い道標(中央下)があった
暫くは林道的な土道を進むが、すぐに雪が現れたので滑り止めのチェーンスパイクを装着することに。これは今回初試験となる装備であった。
しかし、暫くは雪があったり無かったりの繰り返し。ただ、軽アイゼンと異なり、爪が短いチェーンスパイクは、雪のない場所や岩場でも歩き易かった。
そして、暫くすると写真の如き古道との分岐が現れた。どうやら、古くからの参詣道と近年の登山道が、分かれ、重なったりしながら続いているようである。

古道は基本的に確りとした窪みを擁して続いていたが、倒木や崩れが多く、荒れている感じであった。近年はあまり使われていないようである

古道沿いには所々地蔵らしき石佛がみられた。福井名産の笏谷石(しゃくだにいし)製とみられ、参詣用の標石を兼ねたものかと思われた

上昇するにつれ雪が多くなり、ストックとスパイクが役立つ。しかし、雪の表面が固まっていたため、ワカンまでは不要であった。
写真は、山頂までの中間点的場所にあった緩傾斜地「室堂平(むろどうだいら)」と休憩所等の建屋。

残雪ある日野山登山の難所「比丘尼転がし」
神社のため山を切り刻んだ林道
室堂を過ぎると傾斜が強くなった。山容的に山頂まで急傾斜が続く筈なので、そこに達したのである。ただ、陽当たりの良い斜面の為か、雪は比較的少なめであった。
ただ、頻繁に林道と交差するため、やや進路が取りづらかった。治水等のためには仕方ないのであろうが、麓の林道共々山の雰囲気を壊している。恐らく、昔はもっと神聖の気たるものが満ちていたのではなかろうか。
後で知ったが、山頂まで続く上手の林道は昭和56(1981)年の所謂「56豪雪」で倒壊した山頂の奥宮を再建するために造られたらしい。山を切り刻む林道が山を崇める神社のために用意されたとは残念至極な話である。県によるとそれが惹き起こす表土崩壊による環境影響も心配されるという。
さて、所々泥濘ある傾斜路を過ぎると、更に強い傾斜路が現れた。日野山登山の難所として知られる「比丘尼転がし」である。その名は、嘗て女人禁制を破った比丘尼が神罰によりこの坂を転げ落ちたことによるという。
ただ、底に滑りやすい岩盤ある難所ではあったが、雪があったため特に難儀することはなかった。

比丘尼転がしを過ぎると雪が深くなり、陽射しも眩しく、一気に山頂めいてきた

日野山山頂部にある日野神社奥宮。三角点のある山頂は上の社殿から南へ100m程行った場所にある
別格的積雪の山頂
そして、奥宮が見えてきた。なんと鳥居がまだ大半埋もれている。豪雪時は全て埋もれていたのであろうか。

奥宮の立派な社殿。素晴らしいものだが、それと引き換えに山の正面が林道で刻まれたかと思うと、少々遣る瀬ない

奥宮の横に立てられていた雪尺(ゆきじゃく)。積雪はなんと160cm。山頂は別格的に残雪が多いようである。

そして快晴のため、山頂部では素晴らしい眺望が得られた。右彼方の雪山が彼の霊峰白山(2702m)、左の少し手前に見える雪山が越前大野の南方に聳える部子山(へこさん。1464m)である

石川・岐阜両県に跨る大脈・白山連峰。主峰の御前峰は中央辺り。ここは、さすがにまだ途方もない残雪がありそうである

こちらは東南の景。左奥が福井・岐阜両県にまたがる越美山地の最高峰・能郷白山(のうごうはくさん。1617m)で、右側に冠山(中央の尖った峰。1256m)等が続く

北方は福井平野の景。本来なら日本海も見えるらしいが、今日は残念ながら空や山の色と馴染んで判別出来なかった

残雪をまとう日野山。帰路の北陸線車中より
色々と経験得て下山・帰京
このあと山頂にある休憩所にて昼食を摂り、元来た道を戻ることに。山頂付近の雪は深いが、やはり固まっていたため、ワカンは不要であった。
ただ、体温や気温が上っていたにもかかわらず足先が冷えたので、爪先用のカイロで対策した。やはり、雪上は保温靴が必要である。これが実感出来たのも収穫。また下りでもチェーンスパイクが十分有効であることがわかった。これはアイゼンとの使い分けを考慮する上での良き経験となる。
そして、無事日野神社へ下山。登りは暑さによる疲労と雪のため2時間程かかったが、下りは1時間程であった。その後、急ぎ装備を片し、駅へと急ぐ。14時半過ぎの列車まであと30分程しかないためである。
一時は乗り過ごしも覚悟したが、5分早めに勘違いしていたため間に合う。それにより、無事、陽のある内での帰宅が叶ったのであった。