
彼岸の午後、裏山視察へ
朝、彼岸の墓参等を済ませたあと、訓練がてら久々に山へ行くことにした。
とはいえ、時間も時間なので裏の大文字山にさっと行くくらいである。実は月初の台風21号の被害状況を確認したいという思惑もあった。
直後から気になっていたが、危険なため、そしてその後は長雨等により叶わなかった。しかし、朝のうちに出るつもりが、友人からの電話や聴き逃し難いラジオに接したため、結局は昼前の出発となった。
当初は自然林豊かな法然院から登る予定であったが、森への入口が立入禁止となっていた。境内の拝観は復旧していたが、写真の通り、未だ倒木が散乱する状況であった。
罹災より既に4週弱。想像以上の威力である。

仕方なく一路北方銀閣寺へと向かい、その裏手のメインルートを採ることにした。写真は登山道に続く林道から見た銀閣寺境内林の被災状況。
麓にあり、三方山に囲まれた恵まれた場所にもかかわらず、かなりの倒木がみられた。

根こそぎ、または幹から折れる大文字山尾根上の樹々
曇りではあったが夏日の暑さに疲労しながら急登をゆく。所々に倒木をみるが崩落等はない。ホルンフェルス(硬殻)地質故の賜物か。
しかし、五山送り火の「大」字を過ぎた尾根辺りから倒木被害が大きくなった。枯木は元より、強健な大木も根こそぎまたは幹から折れている。

しかし、それでも東山ハイキングの主路の所為か、写真の如く、道にかかる倒木は切断されたり、端に片付けられていた。

鹿ケ谷道(如意越)の凄まじい状況
時間も経っていることもあり、主路は大方安全なことが判った。よって、帰りはマイナールートである鹿ケ谷道を下ることにした。
大文字山山頂から続く東山稜線にあるその入口から荒れ風情であったが、やはり、写真の如き凄まじい倒木と遭遇した。台風通過時にこの谷に逃れれば、かなり危険な状況に晒されたであろうことが想われた。
谷川の流れが倒木や土砂で変わっている箇所や、それにより以前はなかった泥濘等も見られた。

そして、更に下った場所で写真の景と遭遇した。道は疎か、辺り一帯が全て倒木で埋め尽くされている。
写真では判り辛いが、この場所は平安期の寺跡と戦国期の城跡がある広い山中平地となっており、その殆どが埋め尽くされていた。まさに倒木による絨毯爆撃――。
先程の箇所とは異なり、ここは樹下を潜ることも出来ず、難儀して山際まで抜けて漸く通過出来た。
台風時、もしこの地形に安堵してここに居れば、誰一人命を保つことは出来なかったであろう。

山中平地の入口に立ちはだかる戦国期のものとされる土塁(中央)付近の状況

「楼門滝」直下の状況。急斜ながら殆ど被害はない
山中での風の怖さ実感し、良き教訓得る
凄まじい状況の山中平地を過ぎ、急斜が始まる「楼門滝」付近を下降するも意外と被害はなし。しかし、その後の谷道では、また多くの倒木が道を塞ぎ、道ごと斜面が崩落した場所も見られた。
そして、やがて麓着……。
短時間ながら、山中での強風被害を実見し、その恐ろしさを実感することが出来てよかった。
以上、参考までに。皆さんもくれぐれもお気を付けて……。