
またしても遠行?
因縁の槍ヶ岳へ
先々週の立山行の記事に続き、再度山の写真を掲げ申し訳ないが、これはまた違う場所。
菜園の事の他、日々様々な出来事があり記事の種は尽きないが、限られた時間で紹介するとなると、どうしても規模の大きな行事となってしまう。
そう、また大そうな山に出かけたのである。場所は立山と同じく北アルプス(飛騨山脈)の槍ヶ岳(3180m)。ただ、富山県にある立山より南の、岐阜・長野県境の山域となった。
槍ヶ岳は以前荒天辛苦の縦走を経て山頂直下(所謂「穂先」下。頂までの高低差100m)に至ったものの、事情により登れず仕舞いとなっていた山。
先々週、立山山上からその屹立を遠望した時、ふとそれを思い出し、時間がとり易く、また行動し易い夏装備で行ける今季最後のこの機の登頂を急遽思い立った。何やら山に呼ばれたとでも言えようか……。
また、先々週、高地での野営が中止となり、その収まりの悪さを解消したい思いもあった。一応、非公開で告知はしたが、混雑なく必ず登頂出来るよう、日時・天候を選んだので決定が直前となり、結果単独行となった。
まあ、元より、山会主宰が個人的に行う、高地登山と野営の鍛錬、または研修のようなつもりではあった。ただ、山麓までの遠路の運転や、安からぬ交通費が独力となったのは、個人的にかなりの負担となった。
上掲写真 槍ヶ岳への最短ルートとされる、岐阜県・新穂高温泉からの登山道途中の「チビ谷」から見えた、靄の中から姿を現す北アルプス山上。槍ヶ岳の南に連なる中岳(3084m)と、その西尾根辺りである。

日本各地の鑑札を付けた車で満車状態の新穂高温泉の駐車場(朝6時台)。数段ある駐車スペースの一部で、実際にはこの数倍の車が犇めく
長時車行の末のまさかの状況
天気と混雑を考慮して決定した日程は、今日・明日の2日間。但し、歩行時間や距離が長いため、出発は前夜となり、麓で車中泊することになった。登山開始は今朝からとし、槍ヶ岳山頂傍にある山小屋のテント場で1泊し、明朝下山を始め、その後、帰京する予定であった。
この2日を逃すと台風の関係もあり暫く晴天が望めず、また季節が本格的に秋へ進むため防寒着等の装備が増える恐れがあった。また秋の進展に因り高山では紅葉が始まるため、黄金週間的な大混雑も予想されたのである。つまり夏山条件最後の機会、正に外せない2日間を狙っての出発であった。
さて、前夜車を借りて京都市街の自宅を20時過ぎに出発。市内はその日も熱中症に注意が要る残暑日で、自身も影響されたが、途中休みつつ、安全運転で進んだ。
そして車行5時間、途中山間の暗さに幾度か進路に悩んだが、何とか麓の新穂高温泉に着くことが出来た。あとは車内で寝て空が白むのを待つだけだったが、何と駐車場に空きがない。しかも、まさかの雨さえ降っている。
乗っけからやる気を削がれる状況であったが、幸運にも最後と思しき空隙に停めることが叶い、無事就寝態勢に移れた。わざわざ平日を狙ったにもかかわらずこの盛況ぶり。さすがは全国著名の槍・穂高山地である。
もしここが不可なら数km戻って比高200m近い高原上の駐車場に停めるしかなく、登山口までの歩行時間・距離が増すところであった(京都市内で例えると、蹴上を起点とするのに東山山上の将軍塚に駐車し、そこから蹴上までの山道を徒歩で往復するような事態)。
ただ駐車は叶ったが雨の問題があった。しかも結構降っている。自然のこと故仕方なく、進退等の判断は夜明け後と決め一先ず休むことにした。駐車場の標高が1050mもあったにも拘らず温暖だったのは幸いであった。

駐車場を出て川沿いの森なかを進むと現れる「新穂高登山指導センター」(中央)。トイレや休憩所を備える、北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である。その手前下部の空地は夜間閉鎖される有料駐車場
睡眠約1時間
雨上がりの陰鬱に出発
真っ暗な駐車場で寝ようとするも慣れぬためか寝られず。外を見れば、夜中にもかかわらず、ヘッドライトを頭に付け、はや出発する人もいた。
恐らくは、夜中から一日歩き通して日帰りを試みる人かと思われた。夜明けまでの数時間、熊等の野獣も多い暗黒の深山を独り進まねばならない。事前情報で知っていたが、正に行う人を眼前で実見し、少々驚く。
結局、寝れたのは明け方に冷えを感じ寝袋に入った1時間程のみ。外が白み始め、目覚ましも鳴ったので起きざるを得なくなった。
雨は上がっていたが、霧が深く、いつまた降ってもおかしくない陰鬱とした気色。中止にすることも考えたが、予報を見るとやはり晴。車内で簡単な朝食を摂りつつ様子を探り、一先ず先へ進むこととした。
出発時間は予定の6時より遅れた7時前。前述の逡巡等がその因である。

新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの林道と霧多い右俣谷。登山指導センターから始まる槍ヶ岳への道程は、センター上手で分岐する右側の谷沿いの道を遡上する「右俣」のルートとなる

その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森。単調な砂利道を急ぎながらも、地元周辺山域との違い等を観察する

そして標高が1500mに達する頃には、この様に針葉樹が多い高地的植生となった。冷涼な北海道山間や北欧の森の如き姿で、地元周辺との大きな違いを実感

白出沢から歩き難い森の山道に
延々と続いた林道は、やがて水のない大きな支流沢に達し、そこで途切れた。写真がその場所で「白出沢(しらだしさわ)」と呼ばれる。穂高稜線が源頭の沢で、堰堤に幾つも岩が乗り、降雨時の恐ろしさが窺えた。
ここまでで槍ヶ岳までの全道程の2/5の距離を稼いだが、標高は1550m程なので、高低差的には2100mの内の1/4にも達しない500mであった。そう、ここから、高低差日本4位に相応しい、地獄の登りが始まるのである。

林道が終り、河原を渡ると本格的な山道となった。写真では判り難いが石が敷かれたような細道が山腹を巻くように延々と続く(中央の大木左)。
石畳程整ったものではなく、雨に濡れているため、滑り易く、神経を使う道程であった。ストック(山杖)で補助すべき条件だが、先を急ぐため、出さずに乗り切る。また、登坂角度も上がったが、構わず飛ばす。
森は天然で深く、トウヒやイチイ、サワラ(椹)等の針葉の大木が観察出来て、見応えがあった。

長い樹林の道を注意しつつ進むと、やがて写真の如き広い河原に出た。これも穂高方面に源頭を持つ支流沢で、「滝谷」という。
開けて心地よい場所であるが、水量の多い流れを角材2本を合わせた簡易橋で渡る場所があり、注意が必要であった。
予報通り、天気が回復してきたのは良いが、逆に強力な日射に晒されるようになる。

槍ヶ岳へと続く飛騨沢の広河原にある槍平小屋のテント場。なんと非山岳用のファミリーテントがある!?まあ、荒天の際は小屋に逃げられるし、ここを拠点に山頂を往復するなら問題ないか。因みに私も同品(ホームセンター購入¥2980)を持っているが、重く嵩張り小雨で盛大に漏れる(笑)
中間点「槍平小屋」
滝谷からまた樹林を進み、やがて槍平小屋に到着した。標高2000m弱の広い扇状地の林間にある小屋で、標高的にも時間的にも槍ヶ岳への中間点として登山者の拠点・休憩所となっていた。
登山開始から3時間程で到着したので、順調に進んだことが判明。小屋外のデッキに荷を置き少々休息するが、また先を急いだ。実は駐車場の混雑ぶりを見て、槍ヶ岳穂先の渋滞やテント場の満杯を心配していたのである。

槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高岳(3190m)・西穂高岳(2908m)間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左。3163m)」。先程近くをヘリが飛んでいたが、滑落でもあったのであろうか

不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場
登り本番で異状発生
しかし、槍平出発後暫くして異変が起こった。標高は2200mを超えた辺りか、息苦しさや暑さ、そして大きな疲労に襲われ、それまで通り進めなくなってしまった。気力はあるのだが、突如力が抜けたような不調である。
朝食も摂り、水分も切らさぬようにしていたが、京都での残暑疲れを抱えつつ不眠となったため、熱中症や高山病になったのか。後で知ったが、糖分切れのための症状とも似るという。
とまれ、それまで大して意識しなかった16kgを超す重荷や急登の道が途方もない負担と化した。これはマズい、登りはここから本場で、標準でもまだ4時間はかかる道程である。
あまりの苦痛のため道脇にヘタリこむ。幾ら深呼吸しても息が足りない。そして堪らなく暑い。無理して飛ばし過ぎたか……。嘗て三大急登の一つ信州燕(つばくろ。2763m)の合戦尾根を更なる高温と重荷で登った際もこんなことはなかった。唯一、猛暑日での比良山脈一日完走(全山縦走)中に同様に陥ったが、それ以来の事態である(比良は路上で眠り回復)。
思えば、これまで学生風の若者を含む20人程をごぼう抜きにしてきた。途中「大した速度ですな」等との掛け声も。独行だったので、知らずして無理な加速を続けていたのかもしれない。自動車は比較的安全運転で抜かれ放題だが、切符も切られぬ山では元来飛ばしてしまう質であった。
小屋まで引き返すことも考えたが、装備や天候に心配はないため様子を見ながら進むことにした。だが、大変苦しく、10m進む毎に岩上にへたり込む状況であった。そうこうする内、先に抜いた人達が現れ、恥ずかしながら事情を説明し、先へ進んでもらった。正に、兎と亀の童話状態か。

槍ヶ岳へ続く右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線。不調で路傍の岩上にへばりつつ撮る(笑)

千丈沢乗越分岐を左へ
体温上昇を避けるため、灌木の木陰で幾度も休憩をしつつ、やがて飛騨沢源頭部の圏谷(カール)に達した。その只中には写真の如く、標柱と救急箱が置かれた分岐があった。所謂「千丈沢乗越分岐」である。
どちらの道も槍ヶ岳へ通じるが、山上小屋に近い千丈沢乗越経由の道を進むこととした。圏谷を横断し、左(北)の稜線に上るルートである。
分岐の標高は2550m。知らぬ間に灌木は無くなり、森林限界に達していた。身を隠す場所は失せたが折しも生じたガスと高地の涼に助けられる。

千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)。近くに見えるが、疲弊した身には遥かなる高み……。実は槍平小屋から槍ヶ岳までは直線距離で2.5km、歩行距離は4km程しかないが、高低差が約1200mもあるため、時間のかかる難所となっている

千丈沢乗越直下の急登の道。吐き気こそ収まったが、限界近い辛さは変わらない。正に牛歩で進む。ただ、休憩しようにも落石に襲われそうなガレ場の急斜ばかりなので、気も遣う

「槍の肩」への最後の急登「西鎌尾根」
漸く千丈沢乗越がある稜線「西鎌尾根」に到着。標高は2720m。写真はそこから北の千丈沢を見たもの。即ち信州安曇野の源流奥高瀬方面である。

千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘(槍ヶ岳右下)。右端の峰は穂高への縦走路がある槍ヶ岳南の大喰岳(おおばみだけ。3101m)。その左の鞍部は千丈沢乗越分岐を真っすぐ進み飛騨沢を詰めた先にある日本最高所の峠とされる飛騨乗越(約3010m)

西鎌尾根の前述位置から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍。岐阜側からはあまり鋭く見えず印象とは異なるが、拡大すると山頂に人が多くおり、確かに頂であることが判る。左下の小槍は「アルプス1万尺」の童謡でお馴染みの場所だが、普通に登ることは出来ず、仮に頂部に達しても踊れるような場所ではないらしい

槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部
何とか到着「槍の肩」
そして、長く辛い山上直下のつづら道を這うように進み、何とか山上は「槍の肩」に上ることが出来た。時刻は14時45分頃。随分時間がかかったが、一応標準時間以内には収まったようである。
本来はその場に倒れ込んで休みたい気分だったが、野営場の確保をせねばならぬため身を引きずるように、テント場を管理する山荘へと向かった。

槍ヶ岳山荘でも、登記の文字が躍る程の疲労困憊ぶりであったが、何とか手続きを済ませ、早い者勝ちという、野営場に向かった。
日本最高所(3070m)とされる指定テント場は、山上南端の大喰岳を望む場所にあり、利用したことのある馴染みの場所だったが、到着が遅れたため、風を避けられる良所は埋まっていた。そう、稜線に着いてから風が強く、気温低下と相俟って、かなりの寒さとなっていたのである。
仕方なく、残っていた比較的マシな場所を選び設営した。ただ、身心共に不調のままで、何度かに分けて行う。写真は仮設営後の休息を経て撮影した槍ヶ岳の穂先。16時を過ぎた頃なので、暗い写真となってしまった。到着時は快晴だったので、その時撮れば良かったが、その余力はなかった。
当然肝心の穂先登頂は叶わず、今日は無理は控え明朝決めることとした。この段階でも不調が進めば小屋に相談する心積もりであった。

槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)。下界はどこも雲海に閉ざされていた
因みにここに持ち込んだテントはちゃんとした山岳用のもの。以前は同行者の劣化したツーリング用を用いたため、風雨で大変な目にあった。

落日と共に山上の日を終える
体調の回復は進まなかったが、18時に水の販売が終るので、17時半頃に山荘に出向く。すると、テント泊・小屋泊の多くの人達が戸外に出ているのを見た。それは、写真の如き、日没間際の夕陽を見る人出であった。

そして現れた、夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先。正にチャンスは一瞬であった。今日の登頂は叶わなかったが、それが補われる気にさせられた

落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢(上高地上部)及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面

槍の穂先も、やがてこの通りの淡色に

こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳

槍ヶ岳野営地付近から見た、東方の笠ヶ岳(中央手前)や白山(2702m。中央右奥)の傍に落ちる夕陽
喫茶・夕食で漸く一息
天の川美麗なるも……
そして陽が落ちる――。風は弱まらず上着のフードを被らねば外に居られないほどの寒さであったが、テントに戻り、火を点して夕食を摂る。先に飲んだ紅茶に続き、身心に良く効き、漸く一息つけた気がした。
手持ちの防寒着全てを着て寝ようとするも、近くで学生らしき一団がはしゃいで叶わず。外を見ると天の川が出て空が美麗であったが、注意することも星空鑑賞を続けることもまだ尚早であった。
やがて、トイレのついでに星を見るも、雲が現れ、その美観は失われていた。学生の声はその後も続いていたが、やがてそれが絶えると共に、こちらも眠りに入れたのである。
「槍ヶ岳単独鍛錬行」2日目の記事はこちら。
