2019年10月25日

留意字名

2010年7月15日の梅雨前線大雨により、濁流がたぎる京都・賀茂川

最新鉄路にあるまじき失態

先日、日本各地に大きな被害を与えた「令和元年台風19号」で被災した北陸新幹線が、今日全線再開したという。

実に13日ぶりの復旧といい、その大きな原因は、報道等で知られる通り、台風豪雨による車輌基地の水没であった。北陸新幹線の全車両の1/3である10編成が水没して使えなくなる事態となったのである。実は再開といっても当然車輌が足らず、期間未定の間引き運転が当面続くという。

この車輛基地「長野新幹線車両センター」は、長野県内の「赤沼」という地区に作られていた。傍を流れる千曲川が氾濫し赤茶けたその濁流が車輌基地を覆った映像・画像を見た人は多いと思うが、その有様は正に赤い沼そのものであった。

この赤沼という地区は、同じく千曲川沿いにある長沼という地区の端部にあたる場所。現在は家屋や耕地が広がる場所だが、元は千曲川の旧河道由来の湿地があった場所とされ、それが地名にも反映されているという。

両地区共、谷地中央の低地に存在し、以前から度々氾濫に晒された場所であった。また、千曲川と共に地区を挟む形で反対側を流れる「浅川」という小川も地元では暴れ川として著名という。即ち、この地区は危険な水害常襲地だったのである。

どうしてこの様な場所に重要な公共施設が造られたのか。この水没がなければ、今回のような長期混乱は避けられたように思われる。このことに関しては被災当初から非難の声が上がっていた。

鉄道側もある程度その危険を承知していたらしく、車輌基地の敷地全体が盛土で嵩上げされており、その様子は国土地理院の治水地形図にも「微高地」として窺える。

しかし、これは消極的といえる。何故なら、車輌基地すぐ傍の路上に、過去発生した浸水の水位標柱がある為である。その標柱に付けられた氾濫水位は実に見上げる程の高さに掲げられていた。しかも複数。これを見ると、「1000年に一度の洪水」だから想定外との言い訳も出来ない。

そして案の定、洪水を想定して構築されていたという本線高架まで水没している(基地傍で高さを減じている部分ではあるが……)。

ただ、近年作られた大規模施設のため、土地の確保が難しかったという事情は理解出来る。それなら、更なる嵩上げ対策や、せめて、車輌を高所に退避させることなどが出来た筈である。

何やら、21世紀の最新鉄路にあるまじき失態の様に思われたのは、私だけであろうか。

改めて注目する「地名」

さて、赤沼の例でも見た通り、地名に秘められた土地の履歴や危険性に改めて注目させられる。最近こそハザードマップが公開され、災害危険域の把握が容易くなったが、嘗てはこの地名解析もその大きな助けとなった。

その有用性は我々一般市民にとって今も価値を有している。それは単なる想定ではなく過去実際に存在した状況や発生した事象が記憶されている可能性が高いからである。即ち古い地名が秘める土地情報を得ることにより居住地や転居先等の土地性質や危険性を高精度で知ることが可能となる。

私の学問上の専門は、東アジア広域を扱う「東洋史学」だが、大陸の遺跡や交通路の解析を行う為に、発達した日本の歴史地理学を学び応用してきた。また個人的な趣味や依頼により日本の地域史等と絡めて研究を続けてきたので普通の人より地名や地形による過去や地域の分析に長けている。

そんな私が、関連する話の中でよく人に語るのが、「たとえ大昔の人であれ、決してデタラメ無益な地名は付けない」ということであった。もし、全く辻褄が合わない地名があるのなら、合併等の途中変更や文字使用の錯誤等を疑うべきである。

小地名「小字」の有用性

そこで、多くの人にも自分が関連する土地の名に着目してもらいたいと思う。その際は、なるべく狭い地域の地名、古い地名が参考になる。何故なら、広域に付けられた地名は合併や吸収等により、また近年付けられた地名も元の状況を反映しておらず、情報精度が下がるからである。

具体的には「小字(こあざ)」が最適である。小字は明治初頭に近代土地制度導入のために規定されたもので、その多くが近代以前の小地名を継承している。字(あざ)というと、地方の地名かと思われるかもしれないが、実は都市部にも継承されている。

例えば、京都市街の場合、「京都市左京区吉田泉殿町」なら、町名前半の「吉田」が旧吉田村村域を表わす大字(おおあざ)、後半の「泉殿」が小字に由来するものとなり、現住所にも整理・再利用されているのである。

上記の例の場合、泉殿とは鎌倉初期の嘉禄3(1227)年に賀茂川東岸近くに造られた貴族別邸を指し、「吉田泉」として『明月記』等の一次史料にも記載されている。それは、近年実際に遺跡として発掘もされている。

その名の通り、東山の扇状地(微高地)末端に湧く泉を取り込んで造られた避暑別邸で、即ち、ここから西は賀茂川の河原的場所、氾濫原となる。現在も一帯の地形は殆ど変わらず、もし賀茂川の氾濫を意識するなら、この町域より東に居を構えた方がいいこととなる。

実際、昭和初期の大水害では、嘗て私が住んでいた西側の町家が浸水した話を土地の古老から聞いた。また、明治中期から整備が始まった重要国家施設、旧京都帝大(現京都大学)の敷地大半が、この泉殿以東に造られていることも、無関係ではなかろう。

この様に町名に含まれた「泉殿」という僅か2字の地名からこれだけの情報や推察を得ることが出来る。勿論小字も合併や改廃があるため(泉殿町域も低地と微高地が混在)、精度を上げるには土地観察等の傍証も必要である。なお地元の法務局や自治体が所蔵する地籍図の古いもの(旧公図)を閲覧すると明治初年までの古い小字名やその範囲を調べることが出来る。

もし、上記の例と異なり、由緒や意味に乏しい地名なら、水に関する名や文字に注目しても有意義である。なかでも「滝」や「竜」「荒」等の激しい水流を思わせるものは要注意となる。また、「潰」等の名も洪水被災で耕作放棄地となった場所の可能性があるため注意が必要となる。

地名活用のすすめ

近年、国や自治体はダムや堤防等に頼るハード主体の治水の限界を明言し、人々へ自助・共助の行動を勧めている。自治体によるハザードマップの作成と公表義務化も、その流れに沿ったものである。ただ、先日の水害では浸水想定域外で犠牲者が出るなど、その不完全さも露呈した。

そうしたことからも、地名から自分の住む土地を知り、ハザードマップ等の情報と併せて、複合的に防災を考えることも有意義かと思われる。

古人が土地の性質や古の姿を籠めた地名――。

今回の水害を機に、未だ有益なその活用を勧めたいと思った。


上掲写真 梅雨前線豪雨の濁流たぎる京都賀茂川。2010年7月15日撮影。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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