2019年11月16日

錦秋八丁行

西日に染まる廃村八丁奥の天然林紅葉と、背後に聳える比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(1214m)

廃村八丁再び

今秋の山会開催地は、2年前にも行った京都北山奥地にある八丁(はっちょう)村跡とその周辺山地。

所謂「廃村八丁」として知られる、辺鄙と豪雪により昭和初期に廃れた奥山の村跡と、その付近に残る特有の自然林の観察が目的であった。

前回は緑濃い晩春の開催だったので、今回は紅葉が見られるという楽しみもあった。また、前回来た人への配慮等もあり、ルートを少し変えることとした。

所用との兼ね合いにより告知が遅れ以前より参加者は減ったが、日が短い秋故、少数精鋭となったことはかえって良かったかもしれない。

希望しながら日が合わず来られなかった人には申し訳ないが、ルートも多く、飽きない山域なので、また要望でも出してもらいたいと思う。


上掲写真 西日に染まる廃村八丁奥山の天然林紅葉と背後に聳える比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(1214m)。本日の帰路、品谷山東稜線より撮影。


錦秋の佐々里峠
錦秋の佐々里峠

佐々里峠の尾根南下し八丁北の稜線へ

前回は京都市左京区北部・広河原の菅原(標高約480m)という集落から西進して八丁に入ったが、今回は広河原北部の佐々里峠(ささりとうげ。同730m)に車輌を止め、そこから稜線伝いに八丁に入ることとした。標高が高く、長い林道歩きもない為、時間が短縮できるという見込みであった。

今朝は山間の温度が4度程と低く、午後も低めの予報であった。標高600m前後の八丁や山上は更に下がると思われたので上着等を着込み出発した。


佐々里峠から南へと続く尾根筋と紅葉ある天然林
佐々里峠から南へと続く尾根筋と、紅葉ある天然林

佐々里峠の脇からすぐ稜線に乗り、南へ向かう。「南下」とはいえ、標高は増加傾向なので登り道である。意外にも踏み跡の少ない侘びた風情が感じられるルートであった。

今回初めて通過したが、以前通った菅原上手のダンノ峠北の尾根道同様、天然林が広がる良き趣があった。そして所々に台杉などの巨木も現れる。近畿有数の原生林「京大演習林」から続く尾根らしい、予想通りの姿であった。


佐々里峠南側の尾根筋に現れた台杉の巨木
佐々里峠から南に続く尾根筋に現れた台杉の巨木。樹齢数百年か


佐々里峠南の尾根筋に現れた天然林紅葉と、色づく奥丹波の山々
同じく、佐々里峠南の尾根筋に現れた天然林紅葉と、色づく奥丹波の山々


ダンノ峠から品谷山に続く天然林稜線
ダンノ峠から品谷山に続く天然林稜線

やがて尾根道は一つの頂部に至り、前回通過したダンノ峠から品谷山(標高880m)に続く稜線とその上に続く道に合した。即ち、八丁と外界を区切る山稜のうち、北側のものである。

我々は前回同様、ここを西進し、品谷山西方の品谷峠から八丁村跡に下降する予定であった。前回とは季節が違うが、やはり自然の濃い、気持ちの良い稜線であった。


ダンノ峠から品谷山に続く稜線上に現れたブナの林
ダンノ峠から品谷山に続く稜線上に現れたブナの林。落葉が進み、冬枯れ風情が増している


品谷山山頂近くの稜線上にある幹が捻じれた落葉樹の大木
品谷山山頂近くの稜線上に現れた落葉樹の大木。強風の影響か、幹が捻じれている


品谷峠から南へと下降する八丁への谷道
品谷峠から南へ下降する八丁への谷道

品谷峠下り村跡へ

爽やかな佐々里分岐で休息したのち、品谷山頂を経て品谷峠(約790m)に達した。途中2度道を外したが、すぐに気づき正しい方向を得た。

これは大量の落ち葉のため踏み跡を見逃したことが原因。単純な稜線移動、また、以前来た道として地図での確認を怠ったことを反省する。

同じくこの時期にここを通る人は迷い込まないよう、注意されたい。

品谷峠からは、いよいよ八丁村跡に下るべく南の谷道(スモモ谷)を下降する。


廃村八丁へと続く品谷峠南のスモモ谷に現れた沢水
スモモ谷の下降を続けると、やがて沢水が現れた


廃村八丁へと続く品谷峠南のスモモ谷の沢淵
スモモ谷の沢淵。高所の渓流にありがちなアマゴ等のサケ科の魚ではなく、何故かコイ科のウグイらしき魚影が濃かった


品谷峠南のスモモ谷を下った先に現れた廃村八丁の中心地(右奥)と宅地(?)(左)の石積み
スモモ谷を下った先に現れた旧八丁村中心地(右奥)と宅地(? 左)の石積み

2年ぶり、紅葉の八丁

そして、スモモ谷を下りきり、石積みや里道が残る八丁へと到着した。倒木等によるスモモ谷の荒れ具合は以前と変わらず、心配していた昨年の台風21号の影響は殆どなかった。


廃村八丁の中心部と紅葉
廃村八丁の中心部と紅葉。左奥の三角小屋は昭和40年代に造られた山小屋

前回と同じく、明るく開けた旧八丁村の中心地で昼食休憩を行った。周辺は植林の針葉樹が多かったが、それでも幾らかの楓等があり、盛りの紅黄葉を楽しむことが出来た。


明るい紅葉落ち葉に埋もれる廃村八丁中心部を貫く里道や宅地跡
明るい紅葉落ち葉に埋もれる、廃村八丁中心部を貫く里道や宅地跡(石積み部分)


倒壊していた廃村八丁の八丁八幡宮

食後村跡を見学する。殆どの場所が前回と同様だったが、近くの山上の八丁八幡宮が写真の如く倒壊していた。恐らくは昨年の台風による罹災か。

明治15年の標識があり、長く村人の精神支柱であった筈。造りも簡素ながら良いものだったので、大変残念に思われた。まだ部材は腐っていないので、一先ず関係者の力でそれだけでも保護出来ないものか……。


廃村八丁の家屋跡に残る戦中のマンガン採掘者用の厠小屋
前回写真を撮りそびれた、戦中のマンガン採掘者用の厠とされる小屋。朝鮮人も従事したという事業のため、大陸風のその姿との関連が窺われた。明治期の地形図等によると、本来は廃村以前に民家があった場所とみられる。手前や背後の倒木は台風に因るものと思われた


廃村八丁から四郎五郎峠に続く支流谷の天然林と古道跡

八丁東の刑部谷から未踏の帰路へ

見学は更に八丁の南外れにある墓地にまで及び、その後中心部に戻り、東方は刑部谷(ぎょうぶだに)を進む帰路に就いた。八丁から狭い谷なかに続く古道は、やはり倒木の影響があり、方々で迂回を余儀なくされる。

更に、刑部谷の途中から支流沢に入り、前回通らなかった「四郎五郎峠」の道に進む予定が、前方に現れた手書きの注意書きに気を取られ、分岐まで100m強を戻る誤りを犯した。皆お疲れのところ申し訳ない限り。

写真は四郎五郎峠下の谷なかの平坦地。刑部谷を直進する道より、こちらの方が道幅が広く、本道のようにも思われた。なお、双方の道共々、その行先はダンノ峠、即ち広河原方面である。

この谷は然程荒れていなかったので、八丁休憩中に現れたパーティーから聞いた酷く荒れた場所は刑部谷を更に遡上した区間のことかと思われた。


四郎五郎峠へと続く急斜のつづら細道
四郎五郎峠へと続く急斜のつづら細道

やがて、道は渓流対岸の急斜をつづらで登る区間となった。道は細く、少々転落の危険さえ感じられた。道が細く、古さも感じられないので、比較的新しく付け直されたか、変更された道のように感じられた。


四郎五郎峠
四郎五郎峠

そして四郎五郎峠着。沢から100m弱を登ったか。ここで少し休み、いよいよ佐々里分岐に近い稜線まで道なき尾根筋を一気に登り返すこととなる。

ここも未知のルートだったが、佐々里分岐へ最短かつ、緩やかな登坂で戻れるため、事前の地形検討で選択していた。


四郎五郎峠から続く道なき尾根筋
四郎五郎峠から続く道なき尾根筋


四郎五郎峠から続く尾根筋上部に現れた藪
四郎五郎峠から続く尾根筋上部に現れた藪


四郎五郎峠北の稜線から見た、西日に浮かぶ八丁奥の紅葉
四郎五郎峠北の稜線から見た、西日に浮かぶ八丁奥の錦秋の山。即ち冒頭写真の広角景である

未知の行程終り安堵

四郎五郎峠から続く尾根筋の行程は1Km程に及んだ。見当通り、比較的なだらかで平易なルートだったが、その上部に至ると倒木や藪が多くなり、若干手間どることとなった。

そして、最後の藪を抜け、無事今朝通過した稜線と合した。未知の行程が終り、あとは既知の道を戻るだけとなったので、私としても安堵のひと時であった。


佐々里峠の紅葉夕景
佐々里峠の紅葉夕景

稜線で少し休んだあと、元来た道を下り佐々里峠に帰還した。時間は16時半。予定は16時までであったが、戻り道が生じたため、その分遅くなってしまった。

とまれ陽がある内に戻れて良かった。八丁周辺は距離や高低差の割に時間がかかり、その為か遭難も多い。今後も気を抜かないようにしたい。

そして、京都市街に戻り、喫茶と銭湯入浴にて身心一新して日を終えた。事情により打上げは、また後日に。皆さんお疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会
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