2019年12月14日

東山壊乱

大文字山南の東山稜線傍の材木置場

東山の自然・遺跡またも破壊

先月末、訓練がてら久々に入った京都市街東部の山域で衝撃の光景を目にした。古代や中世の寺や城塞の遺構が数多残る大文字山(如意ケ嶽)と安祥寺山を繋ぐ尾根や周辺山腹が道路工事で切り荒らされていたのである。

その際は時間が無かった為、改めて今日その詳細の視察と記録のため現地入りした。遺跡指定地にも拘わらず、近年大文字山南の稜線や山肌が林道により破壊された件を以前も報告したが、破壊はそれで終らなかったのである。しかも公有財産が守られるべき筈の国有林内であるにも拘わらず。

現地説明板によると、今回の施工は昨年の台風21号による風倒木の整理等が目的のようであった。自らもその被害の重大を実見し、新たな災害の種ともなる倒木撤去の重要性を感じていたが、その為に自然や歴史人跡が新たに破壊されるのは本末転倒であろう。

写真は、大文字山頂から南主稜線を暫く南に下った辺りに現れた作業場。市街・岡崎辺りから見える、標高400m強の東山稜線付近である。

以前紹介した、稜線直下に並走する新林道の脇で、週末にも拘わらず、木を掴む装置を備えた重機が整理作業中であった。時折トラックが来て材木を載せてゆくので、伐り出された材の集積場かと思われた。


東山稜線傍の林道と周辺から伐り出された材木
東山稜線傍の林道と周辺から伐り出された材木


東山稜線傍の作業場の木材整理用重機と運搬用車輌、そして古道の分岐部
東山稜線傍の作業場を西から見る。手前は大文字山と安祥寺山への尾根道、即ち古道の分岐部分。黄色い車輌は木材運搬用の無限軌道車


林道工事で破壊された東山の稜線古道と木材運搬用の無限軌道車
なんと、ここでも古道が切られていることを発見。新林道と今回新たに通された道とを結ぶためと思われるが、この程度の高さなら盛土で乗り越えれば破壊せずに済んだ筈である。これでは何の為に無限軌道車を使っているのか解らない


如意ケ嶽城(大文字山城)南部の稜線古道(上下)と、古代如意寺の連絡路または戦国期の「堀切」跡とみられる尾根の窪み(左右)
大文字山南部の稜線古道と、古代如意寺の連絡路または戦国期の如意ケ嶽城(大文字山城)の「堀切」跡とみられる尾根の窪み

作業場は遺跡指定地かつ歴史的要所付近

この作業場の辺りも、平安中期から戦国期頃まで山中に存在した天台寺門派の巨刹「如意寺」関連域として遺跡指定地となっている。そして、そのすぐ傍にも重要な場所があった。

それが写真に写る尾根上の窪みであった(後代に少し埋められたか)。ここは鹿ケ谷上部にあった如意寺の西部境内と大文字山南の中部境内を最短・高効率で結ぶ場所として要地であった可能性がある。

また、南禅寺・大日山城方面の尾根と山科・安祥寺山方面の尾根が合流する場所の為、如意ケ嶽城防衛の要としての堀切であった可能性も窺える。

因みに、写真はこちらに掲載したものの方が解り易い(ページ下部)。


大文字山南の古道峠或いは堀切跡の東に続く、古道または竪堀(たてぼり)跡
古道峠或いは堀切跡の東に続く、古道または竪堀(たてぼり)跡

この場所の重要性は、古い峠道或いは堀切跡の左右(東西)に、古道または山腹防御の施設「竪堀」が残っていることにも補強される。

しかし、その西側下部は新林道と今回の作業場により破壊・途絶させられてしまったのであった。


稜線西下に造られた新林道と作業場により破壊・途絶させられた大文字山南の古道または竪堀跡
稜線西下に造られた新林道と作業場により破壊・途絶された大文字山南の古道または竪堀遺構


古代・中世からの山容を保ってきた、京都東山遺跡地区の山肌に続く新造成の作業道
古代・中世からの山容を保ってきた、貴重な京都東山遺跡地区の山肌に続く新造成の作業道

安祥寺山北の惨状

新たに東山の主稜線及び古道を切って造成された作業道は、周囲の山肌を切り削って延々と続く。

写真では、道は右側に湾曲して左向こうの斜面へと下降しており、奥側の沿道は皆伐され、地表が荒れて恰もパミール高原の峠道のような惨状を呈している。

これでは、今後山体崩壊を誘発し、無傷の遺構は疎か方々に悪影響を及ぼすのではないか。この山域はホルンフェルスや古生層由来の硬い地質が長くその景観や遺跡を保持してきたが、その均衡が崩れることを危惧した。


西側面が重機で無残に切り削られた安祥寺山北尾根

自然や遺跡・景観への配慮を欠いた林野庁の施工状況に呆れつつ、尾根上の古道を安祥寺山側へ南下すると、写真の如く、その傍にも無残に重機で切られた山肌が続いていた。

本来は、本道から外れた静かな雑木林の道が続く実に良い場所だったが、残念な限りであると同時に怒りが込み上げる。


無残にも作業道に切り削られた安祥寺山北尾根

そして、先日発見して唖然とさせられた、安祥寺山北尾根の切断箇所に来た。写真は、そこから南、即ち安祥寺山方向を見たものである。

無残にも尾根と古道が切られた場所は、大文字山と安祥寺山を結ぶ唯一の尾根の、最も高度の低い鞍部にあった。

平安末期の遺構と推定されている安祥寺山西経塚から僅か50mの地点。安祥寺山中腹にある古代山岳寺院「安祥寺上寺」と如意ケ嶽・鹿ケ谷方面を直接結ぶ唯一の通路であったと思われる注目されるべき場所である。

怒りと共に悲しさを感じる状況であった。


尾根横を切り削りつつ安祥寺山北尾根の鞍部を断つ国有林作業道(北側大文字山方向を見る)
尾根の側面を切り削りつつ安祥寺山北の鞍部を断つ国有林作業道(北は大文字山方向を見る。右端は尾根上の古道)

なお、この鞍部付近は何故か遺跡指定から外れていた。京都市の文化財保護課が遺跡無しと判断した為か、今回はそこを衝かれた形となった。

実は、私は20年程前から、この鞍部のすぐ北側尾根上に古い人為平坦地を認めており、それを考察した小論を書いたことがあった。写真右の林がその場所で、右端に平坦地中心を貫く尾根上の古道が見える。

小論では、手前鞍部に堀切跡が見られなかったなどの為、古代安祥寺の北門か何かの跡ではないかとの推論を下したが、このことを市に知らせて保全処置をとってもらうべきであった。まさかこんな目に遭うとは……。

これでは、堀切の有無を考古学に確定させることも永遠に叶わなくなった。一応、平坦地自体の破壊は免れたが、西の側面が大きく削られたため、崩落の危険が生じた。なんとかせねばならない。

因みに安祥寺上寺は密教秘儀を修めた入唐大家の真言僧・恵運(空海の孫弟子)が開いた山岳寺院である。左右の尾根に守られ、それらの頂部3峰に経塚が築かれるなど、大変シンボリックで特異な寺域構造を有している。

それ故、如意や比叡山方面からの唯一の接続尾根上のこの場所には呪術的施設があった可能性も浮かぶなど、その重要性が感じられるのである。


山科川源流方向から安祥寺山北鞍部へ迫る作業道(左)により切断された山科・大文字山を結ぶ古道(右)
山科川源流方向から安祥寺山北鞍部へ迫る作業道(左)により途絶・破壊された山科と大文字山を結ぶ主古道(右)

この破壊された安祥寺山北鞍部には、別に山科方面の谷から続く古道が接続していた。最も平易に山科と大文字山を繋ぐ道のため山科駅方面からのハイキング主路ともなっていた道で、その条件故に古くから利用された可能性が高い道であった。

それが、今回鞍部を崩して通された作業道により破壊されたことも知った。痕跡は山上に僅かに残るのみで、下部は全く消失していたのである。

これも残念な限り。奥山の遊歩道として魅力や、古道を元にした歴史考察等の可能性が永遠に失われてしまった。

林野庁は、国有林において林業や治山だけではない「多様で豊かな」森林づくりを推進しているのではなかったのか。

これでは、古代からの安祥寺領山林を引き継いだ「安祥寺山国有林」という名の重みも解さない恥晒しである。


山科と大文字山を繋ぐ古道を破壊して下部へと続く作業道
山科と大文字山を繋ぐ古道を破壊して下部へと続く作業道

古代寺院の地脈切り更に山刻む作業道

安祥寺山北尾根を切った作業道は、更に先が見えないほど奥へと延長されていた。安祥寺山北の山腹を巻き削る状況である。

その先を視察すると、実に安祥寺山西端から東端まで延長されていた。


安祥寺山北の山腹を破壊する林野庁の作業道とその分岐に置かれた重機

それどころか、安祥寺山北に延長された作業道は、更に下部の谷底にも分岐延長されていた。写真は分岐部に置かれた重機。


安祥寺山北山腹の作業道分岐付近から谷底に見えた重機
そして、安祥寺山北山腹の作業道分岐付近から谷へ下る作業道を見ると、谷底に何かが見えた


安祥寺山北山腹の作業道分岐付近から見た、谷底に置かれた2台の重機と更に分岐造成された作業道

謎の平安初期の瓦散布地も破壊
豊かな自然・文化遺産を次代へ


何と、谷底に2台の重機があり、分岐の作業道が延ばされ、広範に破壊・改変されていたのであった。

この谷底は付近に建屋痕跡がないにも拘わらず、平安初期の瓦が散乱するという謎の場所で、れっきとした遺跡指定範囲であった。

それにも拘わらず、源流部の自然環境共々破壊されている。今日は何れの重機も稼働せず静置された状態だったが、更に破壊が進むかもしれない。

しかし、改めて大規模で酷い工事であることが判明した。京都市民、いや国民が知らない内に人知れぬ山中でこんなことが行われていたのである。

言うまでもなく、長く都が置かれた京都は日本文化の基幹であり、日本人の心の拠り所である。そんな場所の、古代から継承され、21世紀のつい先日まで残されていた自然と文化の痕跡をこんな乱雑に扱ってもいいのか。

今更、木馬(きんま・きうま。既存古道や木道を利用した動物による木材運搬)をやるべきとは言わないが、こんな大予算が付くくらいなら、今時、鋼索や簡易モノレール・ヘリ等の多様な方法が選べたのではないか。

何やら横着をしているようにしか思われない。都市直近にありながら、豊かな自然や歴史遺産に触れられる、魅力的で活きた教材でもあるこの様な場所を保全し、次代にちゃんと引き継ぐべきあろう。

こんな乱暴施工は昭和の時代で終ったと思っていたが、驚きの大落胆である。正に恥を知るべき行為で、即刻止めるべきである。

とまれ、早急にこの結果を関係機関に知らせなければならない。実は、前述の平坦地の他にも、まだ未知・未確認と思われる付近の遺構を幾つか認知していたのである。

腹立たしさや悲しさを抑え今日はこれにて調査を終えて引き上げることとした。関係機関への対処やそれらの挙動等はまた後日報告したいと思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究
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