
保護課、土器発見うけ
破壊箇所の調査決定!
昨年の12月14日と同29日に報告した、京都東山・安祥寺山(あんしょうじやま。大文字山南隣)における山体破壊の件。
今回の破壊箇所の一部で、その昔、私が独自に遺跡推定地とした尾根上平坦地脇で古代の土師器(はじき)片らしき遺物を先日発見した件を市の文化財保護課に画像付で連絡していたが、正月休み明けに返答があった。
平坦地を含む発見地付近が、古代から中世にかけての遺跡の宝庫である大文字山近辺でもノーマークの遺跡指定地外だったためか、「大変驚いた」と記され、早速調査に入りたいとあった。
更に、機材持ちで現場に入る際の効率的な路程教示も乞われたので、調査決定の礼と共に、車輌と徒歩双方による詳細な接近法を記して返信した。
その後返答はないが、一先ずは広くこの山域の歴史的重要性が認識され、保護区拡大の契機となる可能性が生じ、またそれに対する希望を得た。
今日は雪不足による雪山鍛錬行の代替としての運動がてら、発見地の保全監視のため再度現地に向かうことにした。
上掲写真 豊かで趣あった雑木林と、古代遺跡との関連深い安祥寺山の尾根を、乱暴に切り削って通された伐採作業道。

安祥寺山西部伐採地視察
出発地から約400mの高低差を登り、いつもの如く大文字山を経て北側から現地入りした。
先日発見した遺物等を確認し、撮影後、また北へ戻ろうとしたが、まだ良く確認していない、安祥寺山西側の破壊状況を視察することにした。
年始か週末の為かは知らないが、幸い今日は伐採等の作業は行われておらず、また特に規制等も設けられていなかったため、作業道を辿ってみた。
すると、早速、写真の如く、山肌を切り削る作業道の向こうに、皆伐された荒れた山肌が姿を現した。

安祥寺山西側の国有林内で行われている林野庁の皆伐作業により荒れた山肌と、そこを刻む作業道及びショベルカー(休止中)。中央左上の稜線から山腹途中まで伸びる不自然な窪みが見えるが、戦国期の竪堀(たてぼり)ではないか?しかし、これも作業道により切り削られている

下部を覗くと、伐採地一帯がかなり傾斜のある谷地であることが解る。そこに、写真の如く無理やり重機で道を切っている。こんな乱暴なやり方で、崩落は起らないのか。因みに下方に見えるのは防火用の貯水池。近年、昭和期の古い林道から延長された防災道に付属するものだが、作業道も正にその道から山上方々に延長されている

つづら折りで山肌を切り削り急斜を登るように付けられた作業道

応急的に浅く山肌を切る作業道分線を覗くと、それが横断する谷部分に水が溜まり、ぬかるんでいることを確認。これこそ正に崩落の種ではないか

同じくつづらで山肌を切り削る作業道と荒廃した山肌。しかし、道路施工の害は元より、森の土壌が残らない程の皆伐の仕方にも問題があるのではないか。古代、乱暴な伐採法により土壌が流出して荒廃した田上杣(たなかみそま。滋賀県南部の所謂「太神山地」)を想像させる光景である
あるまじきもの発見

先程の作業道分線には伐採木の枝等が集められていたが……

なんと、その中に真新しい吸い殻を発見。冬の柴山に煙草を投棄するとは大した度胸だが、場所と状況から、伐採関係者によるものとしか考えられなかった。防災道を利用しているのに大火でも起こした日には、笑い話にもなるまい。林野庁は本当にちゃんと施工の指導・監督しているのか

そしてまた一つ。今度は空缶投棄である。これも場所と状況から伐採関係者のものとしか思えなかった。実に呆れる状況である。投棄については警察に捜査でもしてもらわないと本当のことは判らないだろうが、一先ず、全体の状況を世に問うためにも、当該施工の目的や責任団体を以下に掲げる。全て山上のある場所に掲示された工事説明文に拠るものである。
事業名 安祥寺山国有林外森林整備事業
事業期間 令和元年5月24日〜令和2年2月14日
事業内容 全木伐倒、集造材・運材、被害木整理、植付、防護柵
発注者 京都大阪森林管理事務所(筆者注:林野庁森林管理局下部組織)
請負業者 株式会社 e・フォレスト
監督員 東山・木津森林事務所(同:上記森林管理事務所の出先事務所)

向こうをジグザグに、手前も重機で切られた安祥寺山西の谷地。実は写真に写っていない背後にも同じく山上からジグザグに下る道が切られている

そして先の写真の背後の作業道を上に進んで、先日紹介した貯木場に出た。今回は背後から撮影してみた。大量の伐採木が積まれているのが判る

山上の林道と貯木場により消失した戦国期の竪堀または古代・中世の古道跡(中央付近)。因みに、先程紹介した事業説明の掲示はここにある。つまり、標高約400mのここに来なければ何が行われているのか解らない

大文字・安祥寺山間に設けられた貯木場下の平坦地に伸びる盛土上の古道
破壊された古道の先探る
悔しさを抑えつつ、伐採木の束下を下り、古道を探る。実はこの区間はまだ確り踏査したことがなかった。すると、やはり束下のすぐ下方から真っ直ぐ伸びる古道を発見した。
それは、高さ50cm程の盛土状となっており、大きな平坦地の中心を貫く形となっていた。盛土の設えは後代のものかもしれないが、大きな施設との関連を想わせる、要路らしい姿が確認出来た。

大文字・安祥寺山間の古道を西へ下って見つけた平坦地下端部分。石積の設えらしきものを確認。谷を埋めて大規模に造成した痕跡か

貯木場下の大きな平坦地を下り、また谷なかの平坦地と出あう。古道が下り続くここも、未知の施設跡かと思われた。

切口を成して謎の平坦地を西へ下る大文字・安祥寺山間の古道

如意寺「宝厳院」跡と推定されている平坦地に盛土状で続く古道
歴史の森に易く触るべからず
そして道は地形図で事前に知っていた通り、宝厳院跡平坦地に出た。700年前の絵にも描かれた、幻の山岳寺院「如意寺」の西部施設の一つである。
古道はこの下の「熊野三所」跡辺りで沢水等の影響により途絶えたが、同寺の都側玄関口と難なく直結していることが証された。
このことからも、破壊された稜線付近や一帯の重要性が理解してもらえると思う。この山域は、まだまだ未知のことが多く、また、そのようなものが数多く埋もれている場所なので、安易に改変してはいけないのである。
森は植樹すればやがて回復するが、歴史遺産は一度破壊されると永遠に失われてしまうことを関係官庁・団体にもっと認識してもらいたいと思う。