2020年04月05日

近山探道其弐

平成30年の台風21号により倒された如意ケ嶽山中の植林地とその空隙から覗く、南方は山科・醍醐方面の市街や山並み

鍛錬兼ねた裏山古道探査再び

新型コロナウイルスの流行拡大により遠出の雪山鍛錬にも行けず、仕方なく鍛錬兼ねて先日行った、家裏は大文字山での古道探索

今日はその続きとして、前回倒木に阻まれ進めなくなった地区を反対側から踏査することにした。古道は、古代及び中世、山中に存在した天台寺門派の大寺「如意寺」の諸堂を繋ぎつつ京と近江を東西に繋いだ所謂「如意越」。つまり今回はその道跡の一部を東の近江側から探すという形に。

現在伝わる大文字山(如意ケ嶽)稜線付近を通る如意越古道とは異なる寺院経由の主路を探すのだが、そうすることで檜尾古寺(ひのおのふるてら)遺構の発見(比定)により宙に浮いた如意寺「大慈院」推定地の再設定や新遺構の発見、またそれらの破壊防止に資すという思惑があった。


上掲写真 平成30年台風21号により倒された如意ケ嶽山中の植林地とその空隙から覗く、南方は山科・醍醐方面の市街や山並み。


平成30年台風による凄まじい倒木で荒れる如意寺・深禅院推定地
平成30年台風による凄まじい倒木で荒れる如意寺・深禅院推定地

深禅院推定地の荒廃と意外な軟弱土

先ずはまた京都市街東端の鹿ケ谷(ししがたに)から山に入る。今日は前回不通の場所を探るため、一般的な縦走路、即ち現代の如意越古道を進み、当該地東部に入った。

そこには檜尾寺及び大慈院旧推定地から幻の古道で接続されていたとみられる深禅院という如意寺支院の推定地があった。ここを基準に京側(西)へ向かう古道を探しつつ前回見失った道跡を踏査する予定であった。

そして稜線道の傍にある雨神社という、これも如意寺・赤龍社跡とされる祠辺りから山林に分け入り、深禅院推定地に到着した。ところが、そこは以前訪れた時とは全く異なる状況となっていた。

平成30年台風で大規模な倒木が発生し、中に入ることも儘ならぬ荒れ様ったのである。


如意寺・深禅院推定地の一石五輪塔
辛うじて平坦地内部に入り発見した、以前も紹介した五輪塔。正に絨毯爆撃的な倒木被害のなかで、奇跡的に直撃を免れたようであった

深禅院推定地は、元々良好に平坦地や建屋基壇が残っていた大きな遺構であったが、今は平坦地であることすら判らない。また遺構面の土を掴んで根こそぎ倒れた木も多いため今後の被害拡大も懸念される。やはり遺跡への植林は何らかの規制を加えるべきであろう。


如意寺・深禅院推定地西の谷地で見た倒木の根に付く軟弱表土
深禅院推定地西の谷地で見た、倒木の根に付く軟弱表土

さて、深禅院推定地からの古道探しであるが、平坦地がある尾根の周囲はかなりの急斜となっており、その痕跡は全くなかった。それどころか、元より正面からこの平坦地に登る道すら曖昧なものであった。

私は、700年前の鎌倉末期に描かれたとされる如意寺の絵図にある深禅院の姿から、平坦地端の門から下る階段下に主道が接続していたと想定していたが、それも西側の地形が険しく想定し難かった。

平坦地西の土崖を再度覗き、また足を踏み入れてみるが、斜度が強く、また崩れやすい地質のため、やはり道の存在は想定し難い。崩れて廃滅してしまったのであろうか。

そういえば、ここの平坦地は檜尾古寺及び大慈院旧推定地とは異なり、尾根を奥深く掘って造成されている。その特異で人為的な逆凹字形の様は、1/25000という粗い地図上でもはっきり判る程である。元々崩れやすい地質の場所に大面積を得るために意識して造成されたのか。

しかし、東西一線に並ぶ如意寺諸堂の主要支院のため、必ず主路と接していた筈である。

無理やり西斜面上手から西方の谷に出て、更に西の尾根斜面で道跡を探すが無し。それどころか、ここも地質が軟弱で、元より道を維持出来るような場所とは想われなかった。


山科と如意ケ嶽の稜線を繋ぐ南北尾根上の道

仕方なく、一旦その西尾根上に登る。比較的地表が安定した尾根上なら、痕跡が残り易いことを期待したのである。

写真は西尾根上の道。南方は山科方面から如意ケ嶽稜線へ上る主要路の一つとなっている。無理やり這いあがってきた横斜面の崩れ易さとは別世界の安定ぶりであった。

東西古道が在ったとすれば、この道のどこかに交差痕跡がある筈なので、山上諸堂の平均的標高400m付近を重点的に探した。しかし、無し。この尾根にも少なからず倒木荒廃があったので、西斜面にも回り込んで調べたが、やはり地質が軟弱で道の痕跡は疎かその残存も無いように思われた。


南北の尾根道から深禅院推定地へと向かう古道跡
南北の尾根道から深禅院推定地へと向かう道跡

道は上方から

諦めて、尾根道を登り稜線道に出ようとした時、なんと東へ向かう道を発見した。道は交差ではなく尾根道から分岐する形であった。分岐部辺りの道幅は半間程あったので単なる仕事道ではないことは明白である。

元より、尾根道もこの付近より尾根から外れ稜線頂部下を西へ巻きつつ稜線道と接していたので、分岐側が主体であった可能性もある。


倒木に阻まれながらも深禅院推定地へと続く古道
倒木に阻まれながらも東へと続く分岐の道

分岐の道を辿るとやがて細くなったが谷を巻きつつ続いていた。そして、やはり深禅院推定地の西端に接していたのである。そこは平坦地の崖上だったが、西端もしくは西側小平坦地との間に緩やかに下ることが出来た。ここも倒木が多いが、地表を調べれば痕跡を確認出来るかもしれない。

ただ、台風以前の調査に基づく埋文研の図には記載がない未知の古道なので、やはり明瞭ではないかもしれない。

しかし意外にも古道は上方から深禅院推定地に接続されていたのであった。思えばこの辺りの稜線標高は420m程しかなく、主路古道の推定標高に近い。そのため迂回や軟弱地質を避け一旦稜線に上って東へ続くようにされたのか。これなら推定地から直行する道跡がないことも理解出来る。

「古道は稜線ではなく巻き道」との思い込みを反省したのであった。


深禅院推定地東の広谷にあった境界木らしき大木と古い境界石

思わぬ分岐道の発見により諦めかけた古道探しに光明を得たが、深禅院推定地から東への接続はどうであろうか。

先ず、その平坦地の急斜から下る場所が設定し辛い。正面の急斜を斜めに下る不明瞭な道が上方古道との接続が良く、最も合理的と思われたが、絵図に描かれた階段と干渉するため考え難く、後代のものかと思われた。さりとて平坦地東端やその付近の崖には一切痕跡はない。

「車道」としての機能は一旦ここで断絶していたのであろうか……。

それらの問題は一旦置き、深禅院推定地を下って東側の広谷等に道跡を探す。道は見当たらないが、写真の如く、道の推定地付近に境界石があったので、可能性は窺えた。


深禅院推定地東の尾根斜面に連なる台風倒木
次の尾根を巻く道も探してみるが、この通り、また倒木の連発である


深禅院推定地東の尾根上に現れた既知の遺構平坦地
それでも無理やり進むと尾根の突端に明らかな人工平坦地が現れた。ここは詳細不明ながら、埋文研の報告書にも図示された既知の遺構である


深禅院推定地東の尾根上平坦地で見つけた焼物らしい遺物
平坦地遺構にて足下を見ると、焼物らしき遺物を発見


深禅院推定地東の尾根上平坦地で見つけた、下駄の歯状の装飾ある須恵器らしい遺物
平坦地遺構で見つけた遺物を手に取って見る。焼きの甘い須恵器か。皿とも瓦ともつかない器胎の側面に下駄の歯状の装飾がみられた。中世以前のものに違いなく、如意寺との関連を窺わせた


深禅院推定地東の尾根上平坦地の下部の平坦地
深禅院推定地東の尾根上平坦地下には更に一回り小さな平坦地があった。これも既知のものだが、水平具合とそれが良く保たれていることに感心


深禅院推定地東の広谷から東に続く不自然な谷

深禅院推定地東の尾根上平坦地は道跡候補として期待したが、その東側には小さくも鋭い谷があり、道跡の推定はし難かった。元より、地形図を確認すると次に向かうべき本堂とは方角が逸れるため可能性はないと判断。

また深禅院推定地東の広谷に戻り周囲を観察すると、東の森なかに続く不自然な谷地形があることを発見。写真がそれで、人為地形と判断したが、今日は深禅院推定地の西の調査が目的であったため、次回の課題とした。


如意ケ嶽稜線付近に続く現在の如意越古道
如意ケ嶽稜線付近に続く現在の如意越古道

稜線道に接する道跡探す

次は深禅院推定地以西に戻り、今日得た知見に基づき、推定地への分岐道が接する稜線道の西に接続する道跡を探す。偶然にも、そこは前回手詰まりになった場所に近く、倒木地帯を避けて考察することが可能となった。

ただ、道跡らしきものは見つけられず、時間も遅くなってきたので、次回再調査することとして下山することにしたのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究
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