2020年04月19日

池岳周行

御池岳山上南東部・奥の平付近に広がるテーブルランド的広景

世情考慮しつつ再び御池岳へ

今日は今季初・今年初の山会(やまかい)開催日。場所は隣県滋賀東部に連なる鈴鹿山脈の最高峰「御池岳(おいけだけ。1247m)」であった。

御池岳での山会は去年6月にも開催していたが、荒天や準備不足で巡れなかった場所等があったため、要望により再実施することとなった。

存知の通り、新型肺炎の流行拡大が懸念され、更に感染急増都府県に出されていた緊急事態宣言が16日夜に全国へ拡大されることとなった。

本来なら京都か滋賀に対し宣言が出された際は中止するつもりだったが、京滋の状況が最初の宣言条件程悪化していなかったこと、極少人数参加で対策を徹底すること、公共交通や店等を使わず他人と接触しないこと等から、自粛対象外の散歩やジョギングに準じる行為として開催を決めた。

それでも他への影響(安易な真似や意識弛緩)を考えれば中止すべきだったかもしれないが、あまりに宣言拡大が唐突で、またこれからも起こり得るこうした事態に於ける健康維持行為の演習にしたいとの思いもあった。


上掲写真 テーブルランドの異名を持つ、御池岳山上の広景(南東部)。石灰質の痩せた土壌や岩石、そしてドリーネ(陥没孔)やウバーレ(陥没溝)等の特有地形を擁するが、意外と起伏や見通しの悪い森もあり、更に視界不良(ホワイトアウト)の発生も多く、注意が必要な場所でもある。


御池岳滋賀側登山口の駐車場から見た鞍掛トンネル入口
御池岳への登山口の一つと隣接する鞍掛トンネル滋賀側入口

鞍掛峠経てテーブルランドへ
春山何処?


朝、公共機関を使わず府県境近くの集合場所で落ち合い、滋賀の参加者提供の車輛にて出発。勿論、事前の打合せ通り、皆マスク着用で更に窓を開け飛沫と密室化を防いだ。

朝食・昼食も打合せ通り、事前に用意して途中の店等には一切寄らず、無人の公共トイレのみとした。地元に貢献しないことは心苦しいが、存知の通りの状況なので、今はただ諒解を願いたい。

そして、登山口がある鞍掛(くらかけ)峠に到着。前回は隧道を越えた三重側に車を停めて登ったが、今日は越境を憚り滋賀側の登山口に停めた。

滋賀側は登頂の時間が少し増すので元より利用者が少ないが、先着の車が数台あり、京都や名古屋のほか、九州の鑑札まで見る状況であった。

奥に登山口がある駐車場の標高は625m程。山頂はまだこの倍の標高があるが、風が強く、既に驚く寒さとなっていた。簡易計の値は実に5度。暖冬の果ての春風情を想像していたが、意外にもまだ冬であった。まあ、それに備えた用意はしてきたので不安はなかったが、他の参加者も驚いていた。


御池岳滋賀側登山口から鞍掛峠に向かい植林地内の急登を進む
各自防寒等の準備をし、登る。隧道真上にある峠まで上がるが、乗っけから植林地内の急登を進む。峠までのこの区間は山会未踏の道となる。


鞍掛隧道滋賀側登山道の途中に現れた炭焼窯廃墟とその石材
鞍掛隧道滋賀側登山道の途中に現れた炭焼窯廃墟。庶民の遺構ながら珍しく切石的な割石や大きな石が使われている。近くの沢にも多量の石材状の石があり、また大きな平坦地もあるので城塞址等の公儀廃物を転用したのか。古来より多賀大社や伊勢神宮への参詣路であり、かの豊臣秀次の軍勢が越えたとの伝承もある要衝なので可能性はあり得る。


鈴鹿山脈・鞍掛峠の標識や祠、そして御池岳へと続く稜線道
鞍掛峠の標識や祠、そして御池岳へと続く稜線道

そして間もなく鞍掛峠(標高約790m)に到着。急斜の登坂から途中で巻き道となり、横滑り的に達した。少々休息するが、更に風が強く、寒い。


鈴鹿山脈・鞍掛峠付近の尾根道から見えた員弁や伊勢湾
鞍掛峠付近の尾根道からの眺め。東方は三重員弁(いなべ)方面となるが、曇天ながら今回は僅かに伊勢湾の水面(中央右)を見ることが出来た


4月下旬ながら完全な冬枯れ風情を見せる鈴鹿山脈・御池岳付近の山肌
向かう御池岳方面の山肌は、この通り完全なる冬枯れ状態であった。まあ、麓の集落では未だ桜が盛んな状況だったので致し方あるまいか


未だ冬枯れの4月下旬の鈴鹿山脈稜線に芽吹くコバイケイソウ
足下の僅かなコバイケイソウの芽吹きのみが、未だ来ぬ春を想わせるのみ(但し毒草。笑)。この後馬酔木(あせび。これも有毒)らしき花も発見


厳しい環境に影響された植生が続く、鞍掛峠から御池岳へと続く鈴鹿山脈主稜線の道
厳しい環境に影響された植生が続く、鞍掛峠から御池岳へと続く鈴鹿山脈主稜線の道

鞍掛峠から続く尾根道を登る。御池岳から見ると支尾根だが、実は鈴鹿山脈の主稜線であり、滋賀と三重の県境ともなっている。

とまれ風が強く、枝のみの灌木が続く状況ではそれを和らぐ助けがない。巨大な近江盆地から太平洋へ抜ける気流の通り道であることを実感する。

気温は登山口と変わらないが、耳が切れそうな寒さのため皆フードや冬帽子で防御して進む。風速は10m程のため、恐らく体感温度は-5度程となっている。雪こそ無いが正に冬山の厳しさである。


鞍掛峠と御池岳を繋ぐ道上に現れる杉苔が多い広尾根

風の強さや寒さの他、天候も芳しくなかった。前回よりはマシだったが、それでも視界は不良で、いつ強雨が来てもおかしくない状態であった。

一応今日は回復基調にあるとの予報だったが……。もはや晴天への望みは無かったが、折角の再実施なので何とか雨だけは降らないことを願った。

写真は、標高1000m辺りから現れる、陽当たりが良いにもかかわらず杉苔が多い不思議な広尾根。この辺りから朝一番に登ったとみられる下山者とすれ違い始める。しかし、誰もマスクをしていない。

横流れの強風があるので危険性は少ないと思われたが、近くで挨拶を放たれるので、登坂中ながらマスクをずらせない有難迷惑な状況が連続する。

実は先程峠から三重側の登山口付近を見て驚いていた。それは、この世情にも拘わらず駐車場が一杯だったことである。恐らく滋賀側で見た中京ナンバーの車も、そこに停められず止む無く越境してきたのかと思われた。


厚い雲と強風により寒さ厳しい、4月下旬の鈴鹿山脈御池岳北縁の鈴北岳頂部

台地北縁から周回開始

そして、台地状の御池岳北縁となる鈴北岳(すずきただけ。標高1182m)に達した。テーブルランド到着である。

一本道で迷わぬ場所だったので、私独り先着して後続を待ったが、写真の通りの吹き曝しで、寒きこと限りなし……。

故に、手前にあった水無しのドリーネに入って暫し休んだ。本来は陥没の恐れもあり推奨出来ない方法だが、無用の窪地の意外な使い道となった。


鈴鹿山脈・御池岳山上に散る草原の羊のような石灰岩

後続と合流後、テーブルランドの奥へと進む。早速、写真の如き草原の羊のような石灰岩の点在に出迎えられる。んーん、雨は無いが、かなり天気が怪しい。何とか持ってくれ(笑)。


御池岳山上最大の池「元池」とそこへ続く道

台地内部では前回勘違いで見ることが叶わなかった「元池」と呼ばれる御池岳最大とみられる池に向かう。草原只中にある山頂へ向かう道との分岐部に標識があり、そこから枝道を進んで間もなく写真の池が見え始めた。


御池岳最大の池沼「元池」全景
元池全景。御池岳最大といっても、水深は浅く、その直径も20mは無いように感じられた

池探し。デジタル敗れたり!?

元池周辺もまだ春の気配は感じられなかったが、その水底には多くのイモリやオタマジャクシの生息が確認出来た。

実は見学時ここが元池であるとの確証が取れなかった。それは池辺に明確な標識がなく、また地形図にもその記載がなかったためである。

一応それを見越してスマートフォンのGPSアプリ(衛星測位地図ソフト)を稼働させていたが、何故か道と地名のみで地形が表示されない不具合が発生していた。そのため他に該当の池がないか調べる手間が生じた。

元池見学の後は、その外れにあるという「お花池」の見学も試みたが、そこに行く標識はなく、また道すらなかった。一応アプリには道と地名が示されていたが、元池の位置すらズレていたので当てにならなかった。

目星を付けて起伏ある森なかを進むも見つからず。元よりその場所自体が不明確で、地図も表示されない状況ではGPSという強力な工具も無力であった。致し方あるまい。今日は前回果たせなかった台地周回が大きな目的なので、その道筋から外れたお花池探しは諦め、台地西縁を目指した。


御池岳山上森なかで出会った「中池」らしき池沼
御池岳山上森なかで出会った池。「中池」と呼ばれるものか

台地西縁に向かい森を進むが、道は獣道程度で弱く、しかも途切れがちであった。大気も暗く霞んで見通しが悪く、進路取りに神経を遣わされる。ただ風が少ない場所のため、倒木を椅子に一旦昼食を摂ることにした。

しかし昼食後アプリの具合は更に悪化。地図が出ないことに痺れを切らし、別の地図アプリを開いた際、動かなくなってしまった。正にブラックアウト――。為に、機器の使用を止め、大型のオイルコンパスを取出し、紙の地図にて昔ながらの方法で進むこととした。

そして、方向感覚を奪う起伏の森を抜け、台地西縁に出ることが出来た。まだ森の中ではあるが、西側は深い急崖を成して落ちている。道は変わらず獣道状のものが続くか切れるかの状態だが、方角と地形のみを気にして構わず進む。西縁上の浅い斜面を、巻く形で南へと向かったのであった。

当初は簡易磁針やアプリに頼ったが、やはり横着は禁物である。こうして機器の不具合も生じ得る。また、結果的に昔のやり方の方が早く進むことが出来た。昨今、紙の地図や磁針を使う人を全くといっていいほど見なくなったが、皆機器頼りで大丈夫なのであろうか。

とはいえ、紙の地図の扱いにも知識や訓練が要る。以前要望も出ていたので、近々学ぶ機会でも設ければ有意義かもしれない。読図を学ぶことはデジタル時代にあっても、より山を知る為の助けとなるだろう。


御池岳南方の台地西縁付近の石灰岩

台地南部「奥の平」へ

台地西縁の森をコンパスと地形判断により抜けゆく。巨大な艦船状台地の中央にある、艦橋のような山頂山体の際を進む感じである。変わらず踏み跡は当てにならず、人より獣の通過の方が多いように思われた。

やがて森を抜け、曇天ながらも開けた場所が現れた。「奥の平」と呼ばれる台地南方域に達したのである。写真はその台地縁の石灰岩。見通しの悪い未知の森を経て今回の最終目的地に入れたので、安堵の思いであった。


「ボタンブチ」付近から見た曇天に霞む「天狗の鼻」の崖
御池岳西縁の崖「ボタンブチ」付近から見た曇天に霞む「天狗の鼻」の崖

台地南方に入ってからは、そのまま南端を目指し西縁沿いを南へと向かう。台地は北西から南東に傾いているのため、正確には南東へ進んだ。

途中、前回お馴染みの「天狗の鼻」や「ボタンブチ」の断崖を通過。雨こそないが、前回同様深く霞んで見通しが悪いため、怖さを感じることはなかった(但し私だけのようである。笑)。

さあ、前回はこの付近で山頂方面に引き返したので、ここから先はまた未踏の地となる。


御池岳南方西縁で遭遇した「幸助の池」とみられる池
御池岳南方西縁で遭遇した「幸助の池」とみられる池。場所か時間の所為か、あまり生き物の気配が感じられなかった


御池岳南方西縁で見た「まゆみ池」らしき池(中央)
同じく御池岳南方西縁で見た「まゆみ池」らしき池(中央)。小振りだが、比較的珍しいウバーレ由来の池かと思われた


御池岳南方西縁で見た「東池」らしき池
同じく「東池」らしき池。池の名は古くから麓に伝わるものと、近年愛好家が付けたものの2種あるらしいが、この池は後者のようである。また古い名でも名づけの池が変わっているらしく、正確なことは判らないという。この池は深いドリーネの底にあるが水深は浅い。イモリやオタマジャクシが沢山おり、また平地の池のように緑藻があったのが特徴的であった。少し高い位置に衛星的な小池があり、そちらには生き物は見られなかった


御池岳南西縁とT字尾根・御池川方面の道の出合箇所
御池岳南西縁とT字尾根・御池川方面の道の出合箇所。即ち御池岳西南の永源寺ダム上流に下降出来る場所。右下にその道が続くが一行は半信半疑。曰く「こんな崖を降りられる筈がない。獣道ではないか」。確かにその懸念通り、地図上では急崖に道が続いている。ただ危険との報告は聞かないので、何とか進めるようになっているのであろう。滋賀からの近道なので私も一度通ってみたい。「鹿が下れるなら人も通れる!」(源九郎。笑)


御池岳南端の石灰原と対面に続く、未だ冬枯れした鈴鹿山脈主稜線上の天狗岩や藤原岳

南端部での幸運

御池川分岐を過ぎ、更にもう一つの分岐付近を経て南端部に至った。結構な距離、そして意外な起伏の連続で皆疲れていたが、幸運にも俄に雲が払われ晴天と好眺望が現れた。

写真は南端部の石灰原と台地対面に続く鈴鹿山脈主稜線。中央の頂が天狗岩(標高1171m)、右端の頂は藤原岳(同1144m)である。それらの向こうには勿論海も見える。しかしここの山肌も全くの冬枯れ状態であった。


御池岳南端部から見た鈴鹿山脈主稜線と後方の養老山地
御池岳南端部から見た鈴鹿山脈主稜線と後方の養老山地。更にその奥には御嶽山やアルプス、そして白山等も見えた


厚い雲と石灰岩に覆われた御池岳山頂

事件発生

御池岳南端で眺望を楽しんだあと、最初の画像の草原や森を通りつつ今度は台地東端を北上する。空はまた雲に閉ざされ、道もまた辿り辛いものとなった。地図と磁針を用い慎重かつ大胆に進む(踏跡に惑わされない)。

そして、少々長い登坂を経て山頂に達した。その様子及び空模様は写真の通り。山頂は前回も訪れたので無駄な登りのように思われたが、山頂を含む中央山体が東寄りに位置するので致し方なかった。

まあ折角寄ったし、初登頂の参加者もいたので、少々休息することに。ところがここで事件発生。我々が到着して間もなく、山頂東下に続く三重側登山路より2人組が登ってきた。昨今流行りの半パン軽装の所謂「トレラン」組である。その内の一人が参加者に接近し撮影を頼んだのである。

参加者は気安く応じたが、マスクをしていない依頼者と近接し、しかも剥きだしのスマートフォンに触ることとなった。まさかのリスク発生。本来は私が止めるべきであったが、一瞬の事だったので防げなかった。万事注意を払っていたのに、思わず参加者を危険に曝すこととなってしまった。

この世情に於ける、しかも若くない依頼者の軽率に怒りを禁じ得ない。こんな無分別だと登山全てが禁止されかねないことが解らないのであろうか。思えば先月から近所の山で観察を続けてきたが、山に来ている人間は認識が甘すぎる者が多い。マスクの件は勿論、人間(じんかん)距離を無視したり(飛沫を吐きながら全速で隣をすれ違うトレランなどはその好例)、挙句の果ては車座になり大声放題の昼食に興じたりもしている。

街場でも甘い者がいるが、山はその割合が圧倒的に多いのではないか。これでは、本来健康的で感染の危険も少ない山行が危険な行為となってしまう。街場の様子を見て既に楽観出来なくなっていたが、郊外でのこの有様により、更に感染爆発の心配が増し、暗澹たる気分になってしまった。

同じく山に来ている身としては恥ずかしい限りだが、やはり登山は禁止すべきとの結論に至ってしまった。即刻駐車場を閉鎖して遠来の者を遮断し、散歩的に利用する地元の人間には対策の実施を警告すべきである。今ノーマスクのジョギングが問題視され始めているが、屋外行動での無責任や勘違いも正さねば情勢悪化は必至となろう。


鈴北岳から鞍掛峠へと下る尾根道

下りゆく尾根からの眺望

腹立ちと失望を抱え山頂を下る。すぐさま、かの浮かれた中年トレラン組が追尾してきたので先に行かせた。

その後また台地面を北上する。山頂から続く前回通った道筋である。途中、以前見た池の再観察や化石見学等をしつつ、台地での始点となった鈴北岳に戻った。そこからは、鞍掛峠に下る、元来た写真の尾根道を進む。


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た三重員弁の中里ダムと鈴養湖

鈴北岳から鞍掛峠への尾根道では、朝同様の曇天ながら時折視界が開けることがあり、下界や諸山の遠望が叶った。

写真は鈴鹿と養老の山に挟まれた三重員弁の地。中央に堤長が1km近くもある中里ダムにより成された「鈴養湖(れいようこ)」の水面が見える。ダム湖のすぐ後ろの森が揖斐川と員弁川の分水界となっている。


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た琵琶湖や多景島
三重側とは反対の左手(西)には琵琶湖の姿も。中央の細長い影はその無人島「多景島(たけしま)」


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た、㋃下旬ながら多くの雪纏う白山
そして北方彼方には彼の北陸の麗峰「白山(標高2702m)」も。暖冬・少雪の例外は無い筈だが未だ物凄い量の雪が見える。やはり別格の地なのか


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た木曽御嶽山
こちらは日本最西端の1万尺峰「御嶽山(標高3067m)」。どこにも依らない、孤高で雄々しい姿が認められる

下山。予定はこなせたものの……

さて、尾根道をひたに進み鞍掛峠に到着後、駐車場まで下り、山行を終了した。途中残念なことも目にしたが、ルートから外れた「お花池」以外はほぼ予定通り巡ることが出来た。

そもそも緊急宣言発令後の人気山岳の様子を観ることも個人的目的の一つであった。結果残念な結論を述べることとなったが一人ひとりが感染増加の社会的影響や医療崩壊等について考えるべき時なので致し方あるまい。

とまれ、皆さんお疲れ様でした、色々とご協力有難う……。

読者各位もどうかご健勝で。前述の通り、多くの軽率者の所為で山は危険な場所となっている。もし、健康維持等の目的で山に入られる場合は、くれぐれも油断なきよう!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会
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