2020年08月09日

入盆視察

2019年に林野庁の伐採作業に伴う作業道工事で破壊された大文字山中の西谷遺跡と安祥寺川源頭部

盆入り猛暑の裏山鍛錬&視察

8月も半ばに近づいてきた。

盛夏同月の中旬といえば、15日の敗戦記念日と、送り迎えの「盂蘭盆会(うらぼんえ。所謂「お盆」)」が思い起こされる。

盆といえば、全国的・一般的には同13日から始まり16日で終るが、伝統的な京都市域(近世以前からの旧市街)ではそれより早く、7日から10日までが盆入り期間となり、あとは他所と似て、16日の五山送り火を以て終る。

一言でいえば他より期間が長いのであるが、それは偏(ひとえ)に、京盆地の尋常ならざる盛夏の暑さの所為だと例年思わされる。

その暑さ故、最早仕事や勉学等々が儘ならぬ為、開き直って物故者供養を拡大し、休養や親族交流に当てたのではないか、との勘繰りである。

そして、今年も梅雨仕舞いの先月末以降、お約束の暑さが続く。

更に今月4日から市内で35度以上の猛暑気温が観測され、迎え盆後半の今日9日も、同じく36度の予報が出されていたのであった。

一応盆入りとなり、またこんな気候条件、新型肺炎警戒の時期なので、大人しく家に居るべき、とも思えたが、今日もまた裏山は大文字山系に少々出掛けることにした。

実は、昨年行えず、今秋予定していた北アルプス・剱岳(つるぎだけ。標高2999m)登頂の体力鍛錬を行いたかったのと、今年6月に市の文化財保護課担当氏や研究家氏らと踏査した同山系南部の「西谷遺跡(平安初期の遺物散布地)」の再視察をしたいとの思いがあった。

まあ、剱岳の方は、拠点となる山小屋のコロナ休業等々の事情故、実施は難しいので、未練がましいものであったが……。

然りながら、裏山での鍛錬とはいえ、最早無理がかなう暑さではないため(医学的には登山を含む激しい運動を気温31度以上で行うことは危険とされる)、朝出掛け、正午くらいに帰宅する短時間・抑制的なものとした。


上掲写真 昨年林野庁の伐採作業に伴う作業道工事により破壊された西谷遺跡と安祥寺川源頭部。沢筋が重機で削り埋められ、林道化されている。


泥濘化する、安祥寺川源頭及び大文字山西谷遺跡を埋めてつくられた林野庁の林道

朝とはいえ、既に30度前後の気温で、登山口までの短い街歩き、登坂も身を焼く道程となりながら山に入る。

そして、京盆地東縁となる東山の稜線を越え1時間程で西谷遺跡に到着した。その前に、前回同様、私が昔遺構に比定し去年遺物を発見して、今年晴れて古代遺跡と認められた山上平坦地付近を観察。

今回は特に新たな発見はなかった。

写真は前掲写真の奥側から逆向きに写したもの。即ち谷下から谷上を見たものであるが、路面がぬかるんでいることが判るであろうか。

水源である谷の源頭部を工事で単純に埋め立てたため、道ながら通行し難い場所と化しており、実際、写真奥に見えるように、歩行者は路肩歩きを余儀なくされている。

谷を埋める不都合は、今年3月に行った林野庁への陳情でも話し、溝切りで対処した旨の回答をもらっていたが、この通りの無施策であった。


林野庁の工事により安祥寺川源頭及び大文字山西谷遺跡に生じた水溜まりと水抜き溝
林道泥濘部分の下部には水溜まりがあった。右の斜面に分岐する道により谷が閉塞された為であるが、その路面及び下流に素掘りの溝があった。林野庁が説明した溝切りはこの部分のみの実施であり、山や沢を良く考慮して成されたものではないことが判明した


安祥寺山北の西谷遺跡で見つけた古代の灰釉陶器片

さて、古代遺跡でもあるこの谷地にて観察を行うが、共同踏査の時とは異なり、目についた遺物は写真の物のみ。幅2cm程の小さな陶片で、古代平安期の灰釉陶器の破片であった。

私が発見した遺構で先月見つけ紹介した緑釉陶器と灰釉陶は、色具合により見分けがつき難いとされ、精確な判断には化学分析が必要だが、今回のものは貫入(かんにゅう。釉薬のヒビ)があったためすぐに判断できた。

鉛釉を使い低火度で焼かれる古代の緑釉陶器より、高火度焼成の灰釉陶器の方がそれが起こり易い為である。


安祥寺川源頭及び大文字山西谷遺跡を埋めてつくられた林野庁の林道と谷を閉塞するような土塊

西谷遺跡での新たな発見

この様に、西谷遺跡では遺物は殆ど見られなかったが、現地を観察して新たな発見があった。それは遺物が比較的集中して出ている場所に閉塞土塁の痕跡のようなものを見つけたことである。

写真の中央左の土塊がそれで、埋められて林道と化した沢筋右側との接続も窺われた。ひょっとして、この谷の下流にある謎の閉塞遺構と関連するものであろうか。もしくは、この土手の上手に嘗て造成平坦地があり、その後浸食で下端の土留め部のみが残存した名残りであろうか……。

西谷遺跡は建屋跡が想定できない谷奥ながら平安前期の瓦や陶片等の遺物が数多く発見された謎の散布遺構である。今日の発見はこの謎に手掛りを与えるものとなるかもしれないが、尚更破壊を受けたことが悔やまれる。

そういえば、ここへの途中の古道破壊箇所に対して施された丸太階段に、ハイカーによるものと想われる礼を記した紙が貼られていたが、本来はそれより遥かに大きな損失を受けたことに皆着目してもらいたいと思う。勿論、人の配慮に対する純粋な気持ちを否定するものではないが……。

因みに、当初切りっぱなしであった古道への対策は、林野庁での陳情の際に私が依頼したもの。これまで通れた道が突然分断されていると怪我や遭難のもとになると意見した際、逆に対策を問われ階段等の誘導装置の設置を提案したのである(本来は切られた尾根等に丸木橋を渡して欲しかったが、作業規模が大きいことと既に工事が終っていたため言いそびれた)。


安祥寺川源頭及び大文字山西谷遺跡下端の斜面下部で拾った古い漆喰か瓦片とみられるもの
西谷遺跡下方で見つけた古い人造物破片。古い漆喰片かと思ったが、湾曲が見られたので、古代の瓦である可能性もある。ただ、布目等の決め手が無いため詳細は不明。工事破壊面より上にあったので、横の山上から落下してきた可能性がある。実はその山上も私が密かに遺跡であることを疑っている場所であった。但し、個別の遺構としては認識されていないが、一応如意寺遺跡の範囲内なので、急な破壊等の心配は少ない場所であった。


五山送り火の火床から見た火床の一部と京都市街

西谷遺跡を視察後、また稜線に登り返す。樹間から市街が望める山上は風もあり涼しかった。そこで休息兼ねて、山科北部安朱(あんしゅ)の知己Wさんに電話し、安朱の小字(こあざ)調査への協力を依頼した。それは、未だその跡が確定していない安祥寺下寺調査の下調べの為であった。

コロナ軽視に似非送り火、一般入山危うし!

休息後、また大文字山山頂を経て下山した。写真はその途上にある五山送り火の火床から見た火床の一部と京都市街。

既に広く知られている通り、今月16日の送り火は新型肺炎の影響により大幅に規模を縮小して行われるという。残念だが、致し方あるまい。

そして、山上や登山道で感染未対策の人が多いことは前回同様だが、これは仕方ないでは済まされない。

以前も記したが、大文字保存会はこのことを大変憂慮しており、また先日あろうことか、大がかりな照明仕掛けを以て勝手に「大」字の送り火が再現される事件があったため、更に危機感を煽る状況となった。

火床を含む大文字登山道の大半は保存会の私有地という。これまで好意で出入りさせてもらえたこの道が近々封鎖される危険も出てきたのである。

皆さん、くれぐれも横着・非礼はされませぬよう……。

さて、予定通り、正午頃には帰宅することが出来た。街は、予報通りの堪らぬ暑さの巷と化しつつあった。

今日の半日山行は、盛夏・運動での疲労に加え、様々な問題も見えたが、新たな発見もあるなど、まあ有意義に終えることが出来た。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究
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