
朝焼けの車行、何処へ
今日初めの画像は珍しく朝焼けの様子。
夜型の為、個人的に普段殆ど見ることのない光景であるが、今日は更に車中からの眺めであった。自宅がある京都市東縁の左京区南部から大原街道(国道367号)を北上し空が明るみ始めた頃の景色である。
今朝は、そのまま独り車行にて長躯富山まで向かうつもりでいた。同県深部にある「剱岳(つるぎだけ。標高2999m)」に登る為である。
昨秋の槍ヶ岳に続き今年も山会(やまかい)主宰の個人研修として北アルプス行を計画していたが、存知の通りコロナ混乱で一旦は中止していた。
しかし、昨今その小康を見、そして山中の道程安否等の情報も得られ、実施可能との判断を下した。本来は気候的にもう少し早めに行きたかったが、例の4連休の混乱や準備、そして天候等を考慮し今日の実施となった。
早月(はやつき)道と呼ばれる今回の登山路は、麓から頂までの高低差が2250mもある一般登山道としては日本最大とされる難所だが、夜中から登ると日帰りできるルートでもあった。しかし今回は救助や医療態勢への負荷を考慮し、無理せず山中で1泊し翌朝登頂・下山する2日行程とした。
余裕ある行程としたが、それでも各日の歩行時間は長く、今日も朝10時には登り始める必要があるため、まだ暗い内から家を出ることとなった。
前夜借りた車を少し離れた駐車場まで取りにいき、その後荷物を積んで出発。日の出は6時前と聞いていたが、写真の如く、それよりかなり早めから急激に夜が明け始めた。これも寝坊の身には新鮮に感じられた。
遠方・難儀な道程ながら僅か2日の山行。一応個人的な夏休み扱いの行動だったが、未知かつ油断ならぬ山域のため、期待と不安の両方を胸に一路北方は越中奥地へと向かった。

予報に反す雨と雲に後を案じる
京郊八瀬・大原から山中を抜け、途中越から琵琶湖西岸に出る。その後、湖岸のバイパスを北上し、福井の敦賀から高速路に入った。
初めから高速道を使えば良いようにも思われるが、湖東を遠回りするそれを使うのと時間的に変わらず、更に高速料がかからぬため、費用対効果に優れた道程であった。ただ、下道のため、若干疲れはするが……。
写真は、北陸道を長躯して富山東部の立山インターまで辿り、その後、県道等を経て達した富山東部山間の早月川・伊折橋からの眺めである。
本来なら、ここから氷河や残雪を宿して聳える剱岳の雄姿が拝める筈なのだが、見ての通りの曇天で全く見えない。実は予報に反し、石川辺りから結構な雨が降っており、この辺りもまた降り出しそうな状況であった。
夜半まで雨が残るのは承知のことであったが、その後急回復する予測だったので、少々行く末を案じる。
まあ元より山は天気が不安定なので致し方あるまい。広域的に回復基調であることには違いないので、少々の誤差は適宜対応しつつ進むしかない。

剱岳早月ルートの拠点、番場島の番場島荘の建屋と駐車場
そして登山口と駐車場がある番場島(ばんばじま)という県道終端地に至る。所要時間はソフトウエア地図の予想時間とほぼ同じ5時間弱であった。
前夜殆ど寝られなかったため休憩を多めにしたが、それがなければもう少し早く着いたかもしれない。長い時間ではあるが、富山東部で、しかもこんな山奥に5時間もかからず来られることに、現代の利便を感じた。
ただ、前泊などで夜ここへ来なくて良かったと痛感した。それは、途中に狭いつづらの峠道やガードレールの無い崖道等があった為である(またダンプカーとの離合も多かった)。初めて夜通る人は十分に注意を……。
なお、駐車場は予想に反して空いており、最も上方の番場島荘前に停めることが出来た。これも天候の所為か。しかし下方途中に何面も駐車場を見たので、時期とタイミングにより相当混む可能性があることも窺われた。

番場島より重荷の長大登坂へ
予定通り車行が終ったとはいえ、今日の本番はこれから。ここから長大・長時間の徒歩登坂が待っている。
しかも、途中の山小屋がコロナで休業しているため、食糧は疎か水も全て持参しなければならない。尾根道故に水の補給が出来ないのである。
その為、その全てを標高2200m超の野営地まで担ぎ上げることとなった。昼食用の軽食等を含めたその総重量は実に20kg超。考えるのも嫌な重さだが、安全登山の為には仕方ない。ただ、進むのみ、である。
写真は、用意して駐車場を後にし、登山口手前で出会ったと遭難慰霊祠(左)と「試練と憧れ」が刻まれた著名な石碑(右)。
剱岳は何れのルートも上級者向けとされるが、気象条件さえ良ければ高度な登攀(とうはん)技術や器具は不要なので、後者の語句は雪山登山や岩登り・沢登り等の非一般的な所謂バリエーション登山者向けと思われる。つまり、今日の自分には少々大袈裟というか、気恥かしく感じられた。
余談「つるぎ」の漢字表記
ところで、この剱岳の漢字表記であるが、地元上市町等では「剱」を正式採用している。ただ、これは他の漢字圏では通じない「異体字」の類で、正字の「劍」が無難な筈。事実、台湾の関連サイト等で「地元正式」の剱が入力・表示出来ないという困惑も見受けられた。
しかし、漢字本来の構成からすると「劍」も略字なので、本来は両刃が真っすぐ並ぶ「僉(せん)」と「刃」の組合せである「劔」か「劒」が相応しい筈。事実戦前の地図等はこれらで表記されている。常用漢字の問題もあるが、表記については今一度再考した方が良いのではなかろうか。因みに、このサイトの表題は海外からの閲覧等を考慮して「劍」を採用した。

さて、いよいよ登坂に入る。道は剱岳西正面の「早月尾根」上を行くものなので、尾根西端にある登山口からいきなり急登となった。
写真に見る通り、折々巨木が混じる自然林に囲まれる良い雰囲気だが、階段が設けられるほどの傾斜が続くため乗っけから疲労する。去年の槍ヶ岳での失敗を教訓に、今日は無理せずゆっくり進むことにした。
出発は予定の10時より15分近く遅れたが、余裕ある予定を組んでいるので、特段問題は無し。

松尾平に続く剱岳早月登山路と休憩用ベンチ(振り返って麓方向を見る)
序盤の平坦地「松尾平」
登山口から1時間程で休憩用の長椅子が置かれた平坦地に出た。「松尾平」と呼ばれる尾根上の台地で、長椅子傍の金属標識に番場島との距離1kmと標高1000mが記されていた。
かなりの急登だったので結構標高を稼げたかと思ったが、200m強しか上がっていない。これでは野営地まで7分の1(山頂まで10分の1)程度である。
先が思いやられるが、椅子上で少々休息し、すぐに出発。うーん、やはり荷物が重い!ただ、谷底特有の湿度高い状態から、少々空気が軽く感じられるようになったのは、幸いであった。

道標が記された立山杉の巨木。早月道はほぼ全程尾根上のため松尾平以外緩傾斜が少ないが、意外に巨樹が多い。この樹もその一つで、中には更に巨大なものも数多現れた。厳しい環境に守られたのか、立山中腹美女平に似た植生である。切り立つ尾根先諸共よく倒壊しないものだと感心した

楽だが高度が稼げぬ松尾平は数百m続き、やがて写真の如き急登が現れた。見上げるような傾斜で、山頂方向の東に向かい、ほぼ一直に続いている。
足下も悪くなり、重荷を負う状況下、木の根・岩石を避けつつの、困難な上昇を強いられることとなった。しかも、これが延々と続く……。
「全て投げ出し帰ろう」とか「こんな苦行を何故始めたのか」との思いも浮かぶが、まあ毎度の泣き言。時折岩に荷を預けつつ無心で進む。
気温は低めの筈だが、湿度の所為か、負荷の高い行動の所為か、シャツ1枚でも暑すぎる状態であった。ただ、晴天なら更に高温と陽射しに苦しめられ、水消費も増えた筈なので、その辺りは助けられたと言える。

時折樹々の間から尾根の外が見えたが、この通り深い霧で全く眺望は得られない。それどころか、時折雨滴すら落ち始める。天候の回復がかなり遅れているのか、または傾向自体が変わってしまったのか……。
天候回復せず?
昼食休憩も程々に先急ぐ
重荷に苦しみつつ標高1400mの標識がある場所まで上昇し、そこで正午も過ぎたので昼食を摂ることとした。然程広くない場所だが、切株の椅子が数個置かれた適地であった。
ただ、今日の目的地たる野営地まで、距離的・高度的にまだ半分にも達していない。予定に遅れた進行ではなかったが、雨の心配もあったため、早々に食事を済ませ、また辛い登坂に臨んだ。

1800mの標識を超した辺りから、写真の如く、白っぽい幹の樹々が目立つ森に変わってきた。高地・寒冷地の植生域に入ったようである。天候は見ての通り変わらず。長谷川等伯の松林図の如き曖昧模糊の幻想景が続く

そして現れた標高2000mの標識。松尾平から記述している標識は全てこの不銹鋼を使ったもので、高度200m毎に設置されていた。ただ、休憩適地を選んだためか、気圧計やGPSが示す高度とは少し低めの位置にあることとが多かった。つまり、あくまでも目安である

高度2000mといえば、野営地まで残す高さ200m程となるので、幾分気が楽になった。ただ、体力的には限界に近く、ただ気力のみで押し進むような有様となっていた。
写真は登山路横に現れた池塘。尾根上としては珍しいものだが、実はこの他にも幾つか同様をみた。情報では全く水がない、とのことであったが、煮沸や携帯濾過器を用いれば緊急的に飲用出来るかと思われた。
軽装登山への懸念
ところで、麓の駐車場が空いていただけにこれまで登山者をあまり見なかった。すれ違った下りの人は5名、登りは少し先をゆく1名のみであった。
下りの登山者に話を訊いたところ、皆日帰りで、中には天候不順のため途中で引き返した人もいた。ただ、先程すれ違ったおにいちゃんの話によれば、標高2600mから雲の上に出ることが出来、山頂は快晴だったという。
気になるのは登りの先行者。初老に見えたが、しぼんだザックに三脚のみを入れた軽装で、あの時間から登れば日帰りは不能どころか、最も険しい山頂付近で日が暮れてしまう。一体どんな行動予定なのであろうか。
軽装といえば、日帰り組も多くがそうであった。野営装備がなければ格段に荷物は減らせるが、相手は規模の大きな高山・奥山であり、山頂付近には危険な岩場の連続もある。防寒や緊急の備えは必須と思われた。
それどころか、中には上着どころか、少量の水しか負ってないような人も。地元で慣れているのかもしれないが、少々危険に感じられた。
そんな懸念を先のおにいちゃんに述べると、確かに前回自分も途中で水がなくなり大変な目にあったという。更に、水切れで救助要請を出す事態に陥った人がいたことも教えてくれた。やはり、懸念通りか……。
人それぞれの考えやスタイルもあろうが、色々と考えてしまう。自分も嘗てはヒップバック一つで富士山に登るような軽装派(無謀派?)であったが、一度下山直後の沢で身体を濡らし、着替えが無いため低体温症のような状態に陥ったことから、警戒・留意するようになった。
とまれ、気を直し、おにいちゃんの「小屋(野営地)まであともう少しです」との励ましを糧に、現れた風化花崗岩の路面悪しき急登に挑んだ。

鋭い尾根上の木立間に設けられた梯子場
何とか気力を奮い先に進むが、あと200mの高低差が絶望的に遠い。
それでも、徐々に景色は変わり、樹々の背丈は低まり、足下には小屋の尽力によるとみられる梯子や鎖場等の設置・整備が見られるようになった。

そして突如視界が開け、青空にはだかる紅葉の山肌とその頭上に聳える岩稜が現れた。今日初めて姿を現した剱岳山頂である

尾根上に少々残る霧なかに早月小屋と野営地の広場が見えた。遂に到着!

野営地・早月小屋着
誰もいない?
眺望が開けた場所から、距離100m程の最後の歩みを進め、今日の野営地・早月小屋に到着した。
時間は15時半。重荷に因り、無理せず終始遅めの歩みに徹したが、ほぼ標準所要時間(5時間10分。高低差1500m)で来ることが出来た。個人的には、無事、陽が有る内に到着出来たことに安堵する。
写真は早月小屋の主屋。コロナ休業のため無人で、厳重に戸締りが施されている。それにもかかわらず、離れのトイレの使用と、指定地での野営が許可されるという、有難い配慮がなされていた。
ただ、到着後すぐに気になったのは、他に誰もいないこと。つまり、私独りだけがここに野営する状況であった。日没までまだ時間があるので、後から人が来るかもしれないが、今日の雰囲気ではあまりその気配は感じられない。これも実に意外な状況であった。
無人の人工物はどこか廃墟を想わせて少々薄気味悪い。有難い配慮のなか失礼なことを言ってはいけないが、その感情に影響した前情報があった。実は、麓の番場島付近で春から危険な手負いの熊が逃げているらしい。
標高2200mのここは、まだ周囲を樹林に囲まれているため、大型の野獣が現れる可能性があったのである。せめて焚火が出来ればそんな懸念を抑えられるのだが、野営地内でそんな勝手は出来ない。
まあ、もはや、ここまで来てはどうしようもないので、明日の山頂往復に備え、幕営準備を急いだ。

幕営地から見た早月尾根の紅葉と小窓尾根の岩稜(左奥)。紅葉は始まったばかりか。標高的に9月中旬には見頃を迎える筈なので、やはり昨年同様、猛暑で遅れているようである

孤独ながらも便利な高地夕暮
テントを建て、明日の登頂荷物や夕食の準備などして漸く一息。勿論照明は有るが、こうした準備は暗くなるまでにやり終えた方が間違いがない。
そして、メールや電話の対応も始める。実は登坂中から頻繁に着信していることを知るも、先を急ぐため見ずにいた。尾根上の道のため、見通しが効き電波が入り易いのか。こんな高地辺境の野営地でも普通に電波を受信している。しかも、選りによって、こんな時に仕事の緊急連絡も……。
便利な世になったことを改めて感心するとともに少々忙しなさも感じた。
とまれ、連絡に対応しつつ一服する。写真は、やがて小屋裏に現れた雲海の日没。富山平野のほか、下界全てが雲の下となっていた。やはり天候の回復は相当遅れているようである。

夕陽に染まる、野営地北下「池ノ谷」対岸の小窓尾根の岩稜

暮れなずむ空と、早月尾根北西の池ノ谷及び早月川河谷を埋める雲海。標高2000m辺りから下が雲で覆われているようである。人界全てが異変に没し、ただ独り高地に難を逃れたかのような心地にさせられた

月に照らされる早月小屋野営地と僅か一張りの天幕
夜は気温低下と月明り
やがて夜に――。
陽が落ちてから一気に気温が下がり、もはや野外を楽しむ風情ではなくなった。衣服を防寒・就寝用に換える。昼間あれほど天幕に付いていた羽虫も忽ち死滅したかの如く姿を消した。そして物音は全く無し。
夕食はまだ明りある18時までに天幕内で済ませた。今は湯で割ったブランデーを飲みつつ寛ぐのみ。時折小用に出る際、外を観察する。残念ながら星は見え難いが、耿耿と月明りがあり、周囲への用心を助けてくれた。
そして、昨晩の不眠と今日の疲れを癒し、また、明日の早出に備え、20時過ぎには横になることにした。
「劍岳独錬行」2日目の記事はこちら。