2020年09月29日

続劍岳独錬行

朝焼けが射し始めた、早月小屋上手の森に続く剱岳山頂への道

暁の出発。早く寝たものの……

今日は剱岳個人鍛錬行の2日目。

昨日、麓の番場島(ばんばじま)から重い野営具や水・食糧を背負い標高2200m強の野営地まで進出。そしてその晩そこで1泊し、今朝いよいよ剱岳山頂を目指すこととなった。野営地を基地として必要最小限の装備で山頂を往復し、その後、撤収・下山するという「山頂アタック」方式である。

今朝はまだ暗い4時半に起床。「起床」とはいえ、正に寝床から起き上がったのみで結局一睡も出来なかった。出発前の不眠、そして長時間の車輌運転や重荷の登坂に疲れていた筈だったが、神経が張っていたようである。

野営地には誰も訪れず、独り奥山で過ごすこととなったが、事前情報で警戒していた手負いの熊等の出現はなかった。それらのことも珍しい不眠に影響したのか……。まあ、ここから山頂までの道程も未知であり、危険と聞く場所だったので、それに対する緊張も些かあったのかもしれない。

身心晴れぬなか、しかし、然程疲労は感じないという、一種不可思議な状態のまま朝食等の準備をする。小用のため天幕外に出ると、月が傾いた所為か、小さな星団が数多確認出来る程の星空が頭上に広がっていた。

出発前の5時過ぎ、熊鈴を鳴らしながら早い歩みで野営地傍の登頂路をゆく登山者を確認。夜中番場島を出て、一気に山頂までゆく日帰り登山者の先鋒である。ヘッドライトの明りを頼りに数時間かけて暗い森を抜けゆくスタイルだ。私も暗い内に出たかったが、未知の岩場でライト頼りに岩を掴みゆくことを避けたため、野営者としては遅めの行動となった。

その後、装備不調に因りまた少々遅れたが、5時半頃山頂へ向け出発した。昨日より遥かに軽いとはいえ、緊急用の備えの為そこそこの重さある小背嚢と共に、である。山頂まではまだ高度差800mもあり、道中の険しさを考えると、決して油断出来ぬ道程であった。

空は5時半前から急激に明るくなり始めた。一応岩場用ヘルメットにライトを装着していたが、もはや不要と化したのである。


上掲写真 野営地を出てすぐ入った稜線の森に続く山頂への道。つい先程まで照明が要る暗さだったのに、見ての通り忽ち不要の明るさとなった。


早月尾根の登山道から見た早月小屋と雲海
少々上がった場所の樹間から見えた早月小屋(左下赤い屋根)と雲海。彼方の雲間に富山の街が見え始めているので、天候回復の兆しかと思われた


早月小屋上方から見えた秋早朝の剱岳山頂
そして、間もなく剱岳山頂が確りとした姿で見え始めた。随分近づいたが、まだまだ遠い……


早朝、剱岳早月尾根の標高2400m辺りで見た、霜に覆われた草。2020年9月29日撮影
足下を見ると、霜に覆われた草や霜柱が随所に見られた。起床時の天幕内の温度は3.5度。恐らく、外は0度近い気温だったであろう。革手袋をした手もかじかんでいたが、これはやがて登坂の体温上昇により解消した


早月小屋出発後、最初に現れた鉄鎖ある岩場
野営地出発後、最初に現れた稜線上の岩場。険しそうに見えるが2本鉄鎖が提げてあり、足場も十分確保できるので、難なく通過出来た


早津尾根の標高2400m辺りでみた対岸・小窓尾根の岩稜
昨日と変わらず急な尾根道をゆく。暫くすると、昨日野営地で見上げた北対岸は小窓尾根の岩稜が眼下に収まりつつあった


剱岳早月尾根道の標高2600mの標識
やがて路傍の岩に標高2600mの標識が打たれた場所を通過。道を覆う樹々は減り、灌木ばかりの荒涼景となった。遂に森林限界に達したのである


森林限界辺りから険しく続く、剱岳早月尾根道「核心部」

早月尾根道「核心部」へ

森林限界からは、いよいよ早月ルートの核心部となる。写真に見える、山頂まで一線に続く不毛の稜線を見上げるが、その急峻ぶりに、本当に素手で登ることが出来るのか、との懸念が生じた。

とまれ、山杖(ストック)を仕舞い、慎重に進む。


剱岳早月尾根道の核心部に現れた、白山が見える窓地形

稜線は所々で切れ込みがある、対岸・小窓尾根の如き複雑な岩稜となった。写真はその切れ目から見た南方の景色。中央彼方に白山が見える。

こうした稜線の切れ目をこの山域では「窓」と表現する。


剱岳早月尾根道の核心部にある窓地形直下の目も眩む断崖
そして「窓」の足下には、正に目も眩むような千尋の谷があった。踏み外さぬよう、道を違えぬよう、慎重に進む


剱岳早月尾根・核心部から仰ぎ見る剱岳山頂
暫くすると、頭上に幾人かの声が聞こえ始めた。山頂が近づいてきたのである。見上げる先に目を凝らせば、蠢く人の姿も見えた。しかし、ここからが、まだ遠い


剱岳早月尾根道核心部の、岩稜の巻き道
稜線は益々険悪と化し、道はそれを避けこの様に側面を巻く箇所が幾つも現れた。岩に付けられた〇や矢印がそれを示すもので、鎖が渡されているのも見える。ただ、その下はこれまた千尋の谷であり、慎重に進む他なし


剱岳早月尾根・核心部の難所「カニのハサミ」
早月尾根道・核心部の難所として語られる鉄鎖の巻き道「カニのハサミ」

早月著名の難所「カニのハサミ」

写真では判り辛いが、矢印右下に鉄棒が1本打ちこまれている。即ち、その箇所に足がかりがないための措置であった。当然の如くここも、その下はそのまま切れ落ちた崖地形となっている。

なお、「カニのハサミ」とは、岩に貼り付く人の姿を形容した剱岳立山ルートの「カニのタテバイ・ヨコバイ」とは異なり、嘗て付近にあった鋏状の岩の名という。


深い池ノ谷に落ちる崖際にある、剱岳早月尾根核心部の道
落ちれば池ノ谷に真っ逆さまの、早月尾根核心部の道。もはや怪我で済むような場所ではないが、危険箇所はあくまで短時的かつ断続的で、天候さえ良ければ特に神経を減らすような道程ではなかった


剱岳早月尾根核心部に現れた、鉄鎖の岩登り道
巻いてばかりいても高度は上らないので、こんな登りの鎖場も現れる。ただ、ここも安定した足場を容易に選べるので、特に難は無し


剱岳早月尾根道の山頂直下
山頂の陰となる寒い岩稜を巻きつ登りつして進み、やがてこの様な明るくなだらかな場所に達した


剱岳山頂直下にある、別山尾根ルートと早月尾根ルートの分岐とその標識
少し進むと眺望が一気に広がり、分岐の道標が現れる。立山ルート(別山尾根道)との合流部である。陽を浴びて一気に身体が暑くなる


見え始めた剱岳山頂と、その祠の屋根
一面に転がる岩を踏みつつ更に進むと、遂に山頂の祠(屋根)が見えた


剱岳山頂と祠
剱岳山頂とその祠

剱岳山頂着

そして山頂に着いた。時間は8時過ぎなので、ちょうど2時間半。標準所要時間が3時間半とされるので、ゆっくり来たわりには早く着いた。まあこれも気象条件や荷物の量により大きく変動するのであろう。

とまれ今年も来ることが叶った1万尺の高地。剱山頂は2999mだが、自分の身長により頭は3000mを超すのでまあ到達といえようか(日本の1万尺は歴史的には主に2960mから3036m程とされる)。

写真は、ちょうど空いてた瞬間に撮ったものだが、実は登頂直後は多くの登山者がおり、祠前では撮影の順番待ちさえ出来ていた。これも意外に思ったが、聞いたところ立山ルート側最寄りの小屋での野営や予約無し宿泊が解禁されていたようである。

意外に広い山頂には、最高で数十人はいたと思うが、何れの人もマスクはなし。しかも密集気味で、撮影のため至近で話したり、電話の受け渡し等が行われていた。当然のように私も何人かに頼まれた。口を寄せて話す携帯電話は本来防疫的に大変危険な筈。当初は断るつもりだったが、持参した消毒剤を頼りに仕方なく応じた。

予測していたとはいえ、無責任なことは止めてもらいたい思う。結果荷物も増えるし迷惑千万である。撮影して欲しいのは解るが、それなら相応の備えで頼んで欲しい。これまた意外だったが、年齢層も高めだったので、猶のこと情けなく思われた。


剱岳山頂から見た早月尾根や番場島及び富山平野や富山湾

気を直し、休息がてら頂からの眺めを楽しむ。写真は、今登ってきた早月尾根(下部。右突端に早月小屋が見える)や麓の番場島、そして彼方の富山平野に富山湾を望む西方の眺めである。いつの間にか雲が晴れている。


剱岳山頂から見た別山尾根やその先の立山及び室堂平
こちらは南方の立山方面。左上の台形の山が立山三峰で、その右下の窪地がバスターミナルがある室堂平。実は拡大すると立山の上に槍ヶ岳の穂先が聳えている。去年その山頂からこちらを見た時は立山後方に剱岳山頂が見えたが、当たり前ながら今回はちょうどそれと逆になった。なお、右下から立山方面に続く尾根が別山尾根ルートで、山頂の多くの人はアクセス至便なこちらから登頂している。但し、難所がある険しい場所ではある


剱岳山頂から見た白馬方面
こちらは北方の白馬岳方面(中央)


剱岳山頂東直下の岩間に覗く剱沢雪渓
これは山頂東直下。氷河ではないが日本最大の多年性雪渓「剱沢雪渓」が岩間に覗く。因みに剱岳は日本では貴重な氷河の宝庫で、計3つが確認されており(2020年現在日本での確認氷河は7つ)、今回辿った早月尾根北下に沿う池ノ谷右俣にも存在する。気温の低さと世界有数の豪雪が成因という


IMGP8329.jpg

剱山頂より下山

剱岳山頂でゆっくり寛ぎ(30分強)、下山を開始した。岩場は下りの方が緊張する為あまり気乗りしないが、そこしか道がないので仕方ない。

写真は、早月尾根への分岐辺りから見た別山尾根ルート核心部。「平蔵の頭」と呼ばれる中央の岩山にL字状等の傷が見えるが、即ちそこに鎖が渡された登山路がある。目を凝らすとそこをゆく登山者の小さな姿が見えた。

有名な「カニのヨコバイ」と「カニのタテバイ」はその手前、即ち写真右下辺りにある。撮影を機に山頂で話した中年女性によると、何れも然程怖い場所ではなかったという。まあ、これも場合によろう。

因みに「平蔵の頭」の末尾を「かしら」や「あたま」と記述しているサイトがあるが、正確には地元の言葉で「へいぞうのずこ」と読むらしい。

戻れぬ人へ

早月尾根への道を少し進んだ辺りで停留していた年配の一団に「早月に降りるのか」と声をかけられた。「正しく」と答え、逆に立山から来たのかと問い返すと向こうも「正しく」と返してきた。ただ、少し早月側へ行くらしく、暫く私の後に続いてきた。

かなりの軽装のため意外に早く、先に行ってもらうことも考えたが、暫くして来なくなった。詳しくは見ていないが、谷の一つで何か物を落としているような音がする。そういば小さなアイスバックに果物等を入れていたので少々不可解に感じていたが、ひょっとしたら慰霊行事であろうか。そうでなければ、こんな崖場にわざわざ多勢で来るのはおかしい。

会話の最後に「そちらは帰りが楽で羨ましい」などと、呑気なことを言ったことを恥じ入る。そういえば、私も先程別山尾根の方に向いて黙礼をしたばかりであった。去年立山山上から眺めていた剱岳に同日登ったという、うら若き女子がその晩そこで亡くなった為である。帰宅後、偶然近くの山にいた人の受難を知り、哀れみを感じずにはいられなかった。

あの日は大変暑かったが、途方もなく天気が良い、正に山日和であった。立山・剱岳周辺は多くの登山者で賑わい、その殆どが良い思い出を胸に無事帰宅出来たのに……。只々残念でならない。そして更に、親族のSNSでの捜索や、発見後の出で立ち等の情報を基に、ネット上で被災者への非難中傷が渦巻いたことも、事故を一層心苦しく、印象的なものにさせた。

確かに山で短パンTシャツは感心されないが、尋常ならぬあの日の暑さではそうでもしないと、日帰り長躯の登山の場合、熱中症や脱水・高山病に陥る危険もあった。事実、私が行った立山でも同様の登山者を数多目撃し、私自身が3000mを超す高みでの暑さに参らされた。しかも、見つかった彼女の背嚢にはちゃんと防水・防寒着が用意されていたという。

死人(しびと)や最終的敗者(弱者)に対し敬意と慈悲を表するのが、日本人の美徳であり特徴であった筈。一体いつから、こんな浅ましい人間が増えたのであろう。情けなさを超して悲しいばかりである。本来は、そんな「二次災難」的悲惨に遭った彼女に対し、せめて花一輪でも献じたかったが、残念ながら道程が異なるため黙礼のみの不躾となった。

先のパーティー関係者共々、その冥福を祈るばかりである。


剱岳早月小屋辺りに突如現れた雲

稀少動物出現と達者への不安

その後、元来た道を辿り順調に高度を下げた。途中、ハイマツから飛び出た雷鳥の姿を見る。写真を撮ろうかと思ったが、すぐに隠れてしまった。

実は、往路、同様の場所でオコジョ(山鼬。やまいたち)らしき小動物と遭遇し撮影出来たが、少し遠すぎた。とまれ、貴重な雷鳥が現れると嬉しい反面、言い伝えられている通り天候が悪化するので少々気になった。

すると、何とあれほど晴れていたのに写真の如くまた急に雲が出始めた。やはり雷鳥予報は当たるのか。そういえば以前北アルプス燕岳(つばくろだけ)で雷鳥の親子が現れ喜んだが、その後荒天で苦労したことがある。

ところで、下り行程では、昨日と異なり、これから山頂を目指す多くの登山者とすれ違った。皆日帰り往復者で、その軽装がまた目に付いた。5時過ぎに野営地を通過した最初の往復者にも、登りの際(即ち彼の下山時)に早くもすれ違ったが、何とゾウリ履きの超軽装であった。

このルートを日帰りするのは相応の達者揃いかと思うが、やはり色々と考えさせられる。まあ、天候や日を選ぶなら、重荷を負うより故障や疲労に因る遭難のリスクを減らせるかもしれない。

と思いつつ、後ろから付き来る往復者に1度だけ道を譲った。彼もまた水だけ背負うトレラン体だが、実は後ろから石を落としながら追ってくるので危険を感じたのである。つまり、三点支持や岩側に身体を向けるという安全確保も全くなし。これなど見ると、やはり不安を感じざるを得ない。

横着して、いつか事故しませんように!


早月小屋上方の登山路際で見たナナカマドの紅葉
早月小屋上方の登山路際で見た紅葉。ナナカマドか


予報に反し雲に呑まれた、剱岳早月小屋とその野営地

雲に呑まれる野営地撤収し麓へ

そして、早月小屋野営地に帰還。帰りは山頂から2時間弱程の歩行となった。しかし、野営地は写真の如く、すっかり雲に呑まれていた。

今日は晴予報だったが、これでは昨夕に劣る状況。お蔭で夜半の小雨や夜露に濡れたテントが全く乾かず、水を含んだ面倒かつ重い撤収となった。

とまれ、野営地で軽い昼食を摂ったあと片付けを開始し、昼前には麓へ向け出発した。今は居られぬ早月小屋の皆さん、お世話様でした、有難う!


剱岳早月尾根の松尾平から見た、白萩川の谷や上空を覆う雲
松尾平から返り見た、白萩川の谷(中央奥。剱岳山頂北・大窓方面)や上空を覆う雲

気の抜けぬ樹林帯の急下降

荷物は水を主として5kg程減った筈だが、それでも重い。下りゆく急斜・狭隘の尾根道は登り以上にその凄みを感じさせる。転倒しないよう、負傷しないよう、慎重に進む。

核心部ではない樹林のこの区間を「危険なし」と紹介する人があるが、所々道の両脇に奈落の如き急崖が現れる。その大半が草木で覆われているため判り辛いが、落ちれば怪我では済まない場所である。特に下りで勢い余ったり、バランスを崩すと吸い込まれやすいように思われた。

皆さん、くれぐれも侮らず、気をつけられたし……。

荷が軽くなる分、登りより楽かと思われた下山行は、結局同様か、それ以上に辛いものとなった。あまりに長く急な下りに、足の方々が軋むように痛む。一応左右の山杖で補助していたが、手に豆が出来、そこも痛んだ。

要所要所で小休止しつつ、ただ辛抱を重ねて進む。途中登ってきたのは、私同様重荷を担いだ野営の若者1人と小屋で昼食を摂って帰るという人の計2人のみであった。

写真は、漸く辿り着き、最後の休息場となった松尾平のベンチ。すれ違った後者の人が教えてくれた通り、この付近は雲の下となり、視界が良くなっていた。とまれ、雨にやられなくて幸いである。

地元の達者に学ぶ

松尾平から最後の急斜を下る。もはや足が限界の状況であった。荷物や靴についてもう少し研究せねばならない。そんなことを考えていると、不意に後ろから挨拶をされる。山頂下降中にすれ違った日帰りの人である。

この男性も半パンの軽装で、登頂後駆け下ってきたようである。訊けば、朝5時に麓を発ったという。このままだと15時には下山出来る筈なので、ちょうど10時間での往復か。身軽とはいえかなりの速さである。持参水量が僅か1.5Lということにも驚かされた。

私も比較的飲まず食わずに強いが、高山という特異環境では自信がない。

感心したのはストックなしに登り降りしていたこと。本人曰く重荷なら耐え難いとのことだが、色々と参考にさせられた。後に駐車場で少し話したところ、北アルプス長野側麓の安曇野の人という。年は私より一世代下くらいか。信州人なのでやはり小時からの訓練が違うのであろうか……。

下山。さらば、遠く険しい剱岳

さて、先を行ったその人を追って私も無事登山口に帰着。時間は15時過ぎ。小屋から3時間15分程かかったが、標準所要時間は3時間半なので、少し早くついた。実は元来16時下山を予定していたので、結構短縮できた。膝から下が酷い状況になってはいたが、一先ず無事で何より。

あとは車で京都市街へ帰るのみ。高山行なので一応知らせておいた方々に下山連絡し、ネット提出した登山届にも通知した。これも時代の進化・利便向上か。ただ、これから5時間近い運転が残っていた。運転が苦手な私にとって、これも下山行同様の試練であった。やはり、剱は遠く険しい。

空気の良い番場島で休息したかったが山間の崖道等の険難を用心し、道具を片し次第出発。しかし、やはり途中で眠くなり、富山平野に下ったコンビニ駐車場で少し休んでから高速に入った。その後も無理せず幾度か休憩し、21時半京都市街に達して車を返し、22時半無事帰宅したのである。

これにて2日間の個人研修行と夏休みは終了。縁あった山よ人よ、有難う!


なお「劍岳独錬行」初日の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会
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