
砂煙る朝
先日5月7日金曜から同8日土曜にかけて大規模広範な黄砂予報が出ていたが、ここ京都市街では、それほどの状況にはならなかった。
実際その影響を感じたのは昨夕日没前後からで、意外にも今朝その飛来を強く感じる状況となった。
頗る空気が乾燥するも、透明感と明るさに欠け、そして、どこか埃っぽい――。気象庁の黄砂情報サイトを参照すると昨日程ではないが、まとまった黄砂の流れに市街が覆われており、それが昼頃まで続くという。
本来は洗濯干しのあと少々出掛ける予定だったが、仕方なく屋外干しは午後からにし、一先ず出かけた。
上掲写真 朝から黄砂に霞む、京都市街東郊の山麓や山腹の新緑。

裏山の新遺物再検
向かったのは、裏山の京都東山。緊急事態宣言の延長やらで遠出等の大層なことが出来ぬこともあり、鍛錬がてら山中の遺構確認に出向いた。
実は先般、山中の新たな場所でまた歴史遺物を数多発見しており、再度の位置確認や撮影を行うつもりでいたのである。
そうい訳で、早速山道に入り、登坂し、高度を上げた。写真は途中通過した、山上の谷地。3年前の台風21号による倒木で明るくなった場所の一つ。少々砂で霞むが、まずまずの晴天も現れた。

新発見の山中遺物。左の緑釉らしき皿と白っぽい皿(右)を主として、付近に比較的大きな陶器・土器の破片が散乱している。その他には少々造りが凝った大きな土器甕の口縁破片なども確認出来た。状況から、台風倒木の根と共に掘り出され、その後風雨により露出したものとみられる
一応、発見地は山中の広大な遺跡地区の範囲内に在ったが、特に建屋跡等としてマークされる場所ではなかった。指定遺跡に関わる未知の施設のものか。時代的にも、付近の遺構同様、中世以前のものかと思われた。

前掲右の皿裏面。右回転(和轆轤)の糸切跡(轆轤との密着を糸で外した跡)があり、糸切後に精巧な「輪高台」が付けられた大変丁寧な造りとなっている。内裏周辺で出土する儀礼用の特殊器物「白色土器」であろうか
奇しくも現る謎遺物
重要成果の前触れか
比較的遺物が大きく、量も多いことから、発見直後既に市の文化財保護課に連絡はしていたが、それは、ちょうど昨年度の遺跡調査報告書を会が頂いた返礼メールを記した際にであった。
実は、一昨年会が遺跡指定地外で古代遺物を発見し、その後遺跡認定された遺構が、「重要な成果があったもの」として、その経緯を含む詳細が報告書に記載された。その関係で、保護課担当氏から献本されたのである。
奇しくも、そんなタイミングで発見された謎の稀少遺物。これもまた、未知なる遺構が齎す、重要成果現出の前触れなのであろうか。

東山山中で見つけた新茶葉。遺物発見地と場所は異なるが、こうして無人の奥山に茶樹があること自体、嘗てそこに存在した人跡の確実性が窺える。勿論、近世以降の栽培遺存や近隣産地からの種子飛来の可能性もある

帰りに経由した大文字山火床から見た、黄砂の霞みに沈む京都市街北部
遺構再確認は叶ったが
さて、遺物の再確認や撮影後、下山した。時は午後になっていたが、気象庁の黄砂予測は外れ、朝にも増してその濃度が高まっていた。しかも、このあとまさかの雨も……。
無事、発見遺物の再確認は出来たが、残念ながら今日は洗濯日和ではなかったようである。