2021年08月14日

盆雨水難

2021年8月14日朝の豪雨で冠水した滋賀県大津市の道路と舟のように水を分けて行き交う自動車

盆覆う冷涼と長雨

8月に入り猛暑日もしくは、それに近い暑さが続いていたが、先日の9日を境に突如気温が下がった。

その原因は、大陸性高気圧と太平洋高気圧の接触に因る前線の発生と停滞、即ち天候悪化とその長期化にあった。

どうやら、例年9月頃に現れる秋雨前線の早出のようで、盛夏の象徴盆期間を覆う珍しい天候となった。お蔭で熱帯夜は止み昼の気温も38度から32度30度と下がり、一昨日・昨日なぞは26度しかない冷涼となったのである。

猛暑の気温に参っていた身としては一息つけたが、その分高湿の不快が現れ、また、大雨と長雨により各地で洪水や土石流の被害も発生した。

何事も丁度良い具合には、いかないものである。

そして個人的には昨日から今日にかけて、隣県は滋賀大津の琵琶湖畔に同県知人の好意により避暑がてらの滞在をしていたが、その効果も薄れた。

何せ、気温が下がる前日には38度の高温に喘いでいたのが、12度も下がったからである。正に、何事も上手くいかぬ――。そして、更に荒天のため、水浴や湖畔で寛ぐことも出来ず仕舞いとなった。

雨も昨夜から勢いを強め、明け方には危険な豪雨状況も現れた。地元京都を含む近隣一帯に続々と警報や避難指示が出され、公共交通の運行停止や道路通行止等も実施され始めた。

写真は、そんな朝、宿泊先から見た冠水する道路と、ボートの如くそこを行き交う自動車。朝9時頃にその姿を見、驚いて撮影したのである。

しかし、驚くのは、こればかりではなかった。

帰宅図るも……

早朝よりマシになったが、頻りに降る雨の中、帰宅しようと昼前JR大津駅に行くが、なんと地域の動脈・琵琶湖線(東海道線)が止まっている。

郊外の低湿地区間や長距離列車等ならいざ知らず、比較的安全なこの区間が全線休止していたのは意外であった。

駅員に訊けば、朝8時から休止しているという。実は朝から滞在先のテレビ等で情報を収集していたが、そんな情報はなかった。

大津駅前のタクシー乗場は既に長蛇の列で、しかも遅々として解消される気配もない。急遽、代替の京阪京津線やバス便を探すが、全て止まっており、また代替運行等もなかった。

JR線は「雨が弱まる」という夕方6時に再開予定とのことだったので、仕方なく市街に戻り、同じく帰れなくなった知人の滞在先で昼食を摂るなどして休ませてもらった。

しかし、それでも時間が余るので、雨が小康状態となった際、近くの名所や旧市街等を散策した。どのみち、京都の自宅も避難指示が出たままなので、仕方ないとういうか、最早避難の一環的気分であった。

そして、18時過ぎ。待ち望んだ運行再開に臨むべく駅に向かうが、何と、本日の運転は全て取り止めたとの貼紙があり、閑散とした大津駅前に立ち尽くすこととなった。

一応出発前にテレビ等で情報を確認したが、運休のことなど何処にもなかった。どうやら18時直前に報じられたようである。安全のため列車を止めるのは仕方あるまいが、直前に変更する無責任ぶりには怒りを感じた。

とはいえ、留まっていても仕方ないので、緊急手段として大津市隣で京都側の山科の親類に車の出動を依頼。しかし、一度承諾されたものの、その後「道路が渋滞して無理」との返答があった。

皆考えることは一緒である。京滋双方の帰宅困難者が身内を頼った結果、方々で大渋滞が生じていたのであった。

正に万事休す――。

これにて今日乗物で帰ることは不能となったので、最後の手段として、国道1号線の峠道を歩いて越え、山向こうの親類宅に宿ることを決断した。

この時間、雨は小康状態となっていたが、既に暗くなっていることもあり、知人は心配したが、仕方なく独り出発することとした。

雨中夜間の逢坂越え

渋滞で徐行する車の明りを背に受けながら国道の歩道を峠へと登りゆく。すると、同様の帰宅困難者らしき人達と遭遇。こうせざるを得ない人も少なくないであろう。

思えば、この逢坂山(おうさかやま)近辺の鉄道やバスが止まれば、北は日本海沿いか南は大和・伊賀高原経由という、途方もない迂回をしなければ京滋の連絡が叶わない。

奇しくも、今日の不便により、往古より東西交通の要であったこの地の重要性を改めて体感することが出来た。

さて、すっかり日が暮れた雨降る逢坂山中を進む。この後も豪雨への警戒と大雨警報が発せられていたので、急ぎ足にて、であった。

途中、山側から流れ来る沢の横を幾つか過ぎたが、朝の豪雨の所為か、暗がりのなか凄まじい水音がして恐ろしかった。そういえば数年前の豪雨時に、正にここからの土石流が道を塞ぎ、周辺の施設を破壊したのである。

警報下の行動反省

峠を越え、それらの沢を過ぎた辺りから雨脚が強くなった。風も強く、さしていた傘が一部壊れ、身体が濡れ始めた。幸いザック(背嚢)にはレインカバーが付いていた為、暫し高架下に宿り荷物を保護し直した。

ただ、その後は更に凄まじい豪雨の行軍となり、もはや傘や防水靴は役に立たず全身濡れることに。既に山科の市街に入っていたが、道路は無論、歩道も川のように水が溜まり流れ、歩くことさえ躊躇われる程となった。

車の運転さえ危うく思われ、勿論歩いている人など全くなし。こんな強い雨の中を歩くのは生まれて初めてのことかと思われた。仕方なく進んだが、本来なら止めるべき状況であろう。いつもは穏やかな小川・四ノ宮川が橋を渡るのも恐ろしい程の暴流と化していたことにも反省させられた。

そんな状況下、やっとのことで親類宅に到着。普通なら2時間近くかかる道程であったが、急いだため1時間強という短時間で着くことが出来た。

とまれ、ひと安堵――。

自宅の状況が気になったが、風呂を借り、着替えを済ませて一先ず落ち着くことが出来たのであった。

しかし、夜半の報道で衝撃的な事態を知る。何と、私が通過した約2時間後に逢坂山の件の沢が暴発し、土石が道を塞いだという。その為、当分の間、同区間の1号線は完全に通行不能となった。

間一髪で大津からの脱出が叶い、水難も避けることが出来たが、場合により夜間消息を絶つ犠牲者となるところであった。

やはり、かかる状況での行動は大変危険であること思い知らされた夜雨帰還行となったのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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