
奥黒部探訪へ
朝焼けの空に横たわる峨々(がが)たる連山――。
写真は、奥黒部・三俣山荘前広場より見た、早朝の北アルプス・槍穂高連峰。既に同じ北アルプスの高所にあるここ(2540m)から見た、1万尺(3000m前後)超の高嶺であった。
今朝は昨日入山した奥黒部行の2日目。今日は、ここの野営場を拠点(天幕や寝具等の滞在装備を置く「ベースキャンプ」)に、愈々(いよいよ)同じく付近の1万尺級の山々や、秘境・雲ノ平及び黒部川源流域を探訪する。
参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。

先ずは眼前麗しき鷲羽岳から
始めに、山荘直近にあり、今朝も麗しい写真の鷲羽岳(わしばだけ)から登頂開始。山荘で連泊の手続き等を行った関係で少々遅い6時前の出発となったが、元より暗中の行動を避けたので、まあこんなもの……。
しかし野営者の殆どは暗い内に出発していた。私は事故や遺失防止等の観点から、なるべく夜間行動は避けるべきだと思っている。また、朝3時以前からすぐ隣で遠慮なく天幕をはたきまくるなどして至極煩い撤収をする者がいたが、これも止めて欲しい(この野営者は4時以前に出発したが、その後2時間足らずで追い付いたので、まさにリスク・迷惑有って一利なし!)
さて、山荘と鷲羽岳山頂の高低差は400m、距離は1.6km程。山頂からこちらに伸びる稜線上に続く登山路を一直線に上がる。結局前夜眠れず(件の隣人の鼾も一因)、息苦しさもあり直ぐの登坂を案じるが、致し方なし。

鷲羽の稜線に取りつき高度を上げると左手(西)に黒部川源流の谷や黒部五郎岳(標高2839m。左奥)が見えてきた。森がある谷なかは噂通り黄葉している。午後、野営地への帰りに谷を横断する予定なので楽しみだが、同時に体調を案じる。まだ登り始めにもかかわらず、大変辛いからである

登坂早々から辛いと言いながら、山頂に近づくほど傾斜は増す。当然辛さは増すばかり。登山路はその急を避けるようにつづらと化し延々と続く

息切れに苦しみつつ約50分で山頂着。日本百名山の一つでもある(そういった分類には全く興味がないが)鷲羽岳山頂である。標高は2924m
見ての通り空は曇りがちだが、北アルプス全体の見通しは良く、富士山も遠望できた。小屋から抜きつ抜かれつ共にきた姉さんに写真を頼まれ、こちらも一応の証拠写真を頼む。
しかし、あまりの苦しさから「高山には向かないかも」との弱音を吐くこと頻り。これは、このあと方々で話した人に言いまくることになる(笑)。

ワリモ岳山頂付近の岩場。鷲羽山頂で少々休息し先へ進むが、稜線伝いにワリモ岳(2888m)を経て北上し次なる目的地・水晶岳(黒岳)を目指す

ワリモ岳を過ぎると稜線彼方に水晶岳が見えてきた(中央左上)。その別称通り、辺りの山とは異なる、黒い山頂である。それにしても、その手前にあるという水晶小屋の姿が見えないが、何処かの峰裏に隠れているのか

恐らくは、今の自分には優しからぬ、この登り返しの峰裏に小屋が潜んでいるのであろう

目論見通り、登り返しを越えれば、やはり水晶小屋があった。北アルプスの深部かつ標高約2900mの吹き曝しという、実に過酷な場所にある、絶海の孤島の如き施設である。但し、この写真はその裏を見たもの

水晶岳への稜線道より水晶小屋方面を見る。中央の小頂(赤岳)裏に隠れるようにして小屋があるのが判る。鷲羽から北のこの山域は北アルプス屈指の強風地帯とされ、事実、過去2度程この前身小屋が壊滅している。その為、安全が考慮され、ここと北方次の小屋にはテント場がない
北アルプスの中心かつ奥黒部最高峰へ
鷲羽山頂からの道程は比較的高低差が小さい稜線伝いとはいえ、空気が薄く、登り返しも辛かったが、先を急ぐため小屋を通過して目的の水晶岳へと進んだ。

水晶岳は赤岳から分岐した支尾根上にあり、そこへの稜線道を進むと遂に秘境・雲ノ平が見えてきた(中央右の稜線台地)。水晶岳を踏んだ後、また途中まで道を返し左の山稜伝いで入域する予定だが、まだまだ遠い……

水晶小屋・水晶岳間の稜線から4倍望遠(35mm換算112mm)で捉えた雲ノ平。中央右に雲ノ平山荘が見えるのだが、小さいか。また、鏡平同様、多くの池塘が存在する筈なのだが、ここからは見え難い

同じく水晶岳の稜線右(北)には黒部ダムが湛水する黒部湖に続く深い峡谷(東沢谷)が見えた。中央左の峰は彼の立山や剱岳等の1万尺高峰である

同じく水晶岳の稜線右に見える立山を4倍望遠にて。中央の最も高い山塊の内、左の尖峰が剱、右の台形峰が立山三峰である(実際は両峰前後数km離れている)。なお左手前には水晶岳北方に続く赤牛岳(2864m)が見える

水晶岳南のなだらかな稜線を暫し進むと、その山頂岩場が近づいてきた

山頂直下の岩場ではこの様に手を使う急峻な場所が多くなるので山杖(ストック)を畳んで進む。荷物自体を稜線上に放置する人や小屋から手ぶらで来る人もいたが、岩場で孤立する緊急時に備え、私はそのまま進む

水晶岳山頂下の岩場を進む途中、何やら反復横跳びで道を遮る者が……。その正体は山鼬(いたち)・オコジョであった。近づくと岩下からこちらを窺っている。個人的に珍しくはないが、逃げずにいるのは初めてであった。小さな体ながら3000m近い峻厳の高地で暮すことに感心するが、ひょっとして山のおばちゃん達に餌付けされたクレクレちゃんかもしれない(笑)

やがて水晶岳(黒岳)山頂着。息苦しさのあまり速度が出なかったが、小屋からは30分弱、三俣山荘からは2時間強で到着出来た
水晶岳の標高は2986m。奥黒部の最高峰であり百名山中最も歩行時間の長い最奥の山でもあった。個人的には、それより年1回1万尺の高地に至るという目標達成を喜ぶ。念のため岩場から甲帽(ヘルメット)を着けてきたが、今回の条件では必要性は低く、他に装着する人もいなかった。
やはり秋山適期の所為か、奥地にもかかわらず人は少なくなかったが、それでも狭い山頂で困るほどではなかった。

水晶岳山頂より見た三角点頂(2977m)越しの薬師岳(2926m)。雄大な山容を持つ奥黒部の重鎮である。水晶岳は北アルプス中央にあるため、その全てが望める好眺望の峰としても知られる。暫し四方を眺め休む

同じく水晶岳山頂より見た北方縦走路上の赤牛岳(中央)。その名の通り、赤茶けた色をした牛の背状のなだらかな山。水晶小屋からの続く道は、ここを経て黒部湖上流の登山口と接続する。所謂「読売新道」である

同じく水晶岳山頂より4倍望遠で捉えた、黒部湖及び黒部ダムや彼方の白馬連峰等。ダムの斜め左上山腹にはケーブルカー黒部平駅の建屋も見える

ポツポツと岩場・稜線を上ってくる人らとすれ違いながら水晶小屋に引き返し、そこで少々休息する。辛さの所為か結構水を飲んだので補給を試みるが、水場が無い場所のため買えず。故に次の雲ノ平で補給することにした。意外だったのは電波が入ったことで、入山後初の安全連絡が出来た。
写真は水晶小屋前から見えた、彼の有名な(?)野口五郎岳(一番高い台形の峰。2924m)。水晶小屋前に接続する尾根伝いにある山で、信州大町(高瀬ダム)と槍ヶ岳を結ぶ裏銀座ルートが通る。私も昨日の双六小屋からこの水晶小屋までそのルートを通過したことになる。

日本最高所の溶岩台地
秘境「雲ノ平」
水晶小屋を出て一旦裏銀座ルートを戻り、ワリモ岳北にある「ワリモ北分岐」から雲ノ平に続く西向きの支尾根に乗り、その道を西進した。
間もなく岩苔乗越(いわごけのっこし。2730m)なる鞍部に至ったが、そこが黒部本流の源頭であった。
写真は、そこから見た鞍部北方にある支流・岩苔小谷の谷景。奥に見える薬師岳と左の雲ノ平、そして右の水晶岳に挟まれた風光明媚な秘境であった。色づいた谷なかの紅葉・黄葉が実に美しい。
しかし、ここでカメラが完全に故障。それは「高画質コンパクト機」に分類される小型の物だったが、先程から調子が悪く、水晶岳手前から鏡筒が戻らぬままでいた。恐らくはセンサーかケーブル類の不具合と思われる。
また、水晶岳の岩場で革ケースのベルト鋲が破損しカメラが奈落に落ちかける危機もあったが、瞬時に手で掴み難を逃れた。こういった不具合は不思議と重なるもの。事前の点検等を含め、今後の教訓としたい。

という訳で、これから先は電話(スマートフォン)による撮影に。必要最低限の性能を有すものなので、画質の差は明白だがご諒解を……。これは岩苔乗越南の黒部川最源流部の谷景。左が鷲羽・ワリモ岳の斜面、右が祖父(じい)岳・雲ノ平の斜面で、奥が三俣山荘背後の三俣蓮華岳である
この峠直下で水を汲む人を見たが、それとは別に黒部川最初の一滴とされる水源はワリモ側の斜面にあるという(立入禁止)。

岩苔乗越からは、また登りとなり、一先ず祖父岳山頂を目指す。収まらぬ息苦しさ故、雲ノ平との間に開る(はだかる)その存在を疎んだが、実は溶岩台地・雲ノ平の成因となった生みの親的存在だという。
即ち、太古この山の噴火により雲ノ平が形成されたとのこと。写真に見る通り、その斜面には無数の溶岩が露出していた。

やがて祖父岳の山頂着(2825m)。平坦なそこには何故か無数のケルン(石積)があったが、荒天時の道迷い防止の為か。その背後には、先程登頂した水晶岳が見える。即ち、その間の谷を迂回して辿り着いたのである

祖父岳山頂から見た黒部川最源流の谷と三俣山荘がある鷲羽・三俣蓮華岳間の稜線(中央上)。あとでこの下を横断する予定だが、体調はもつであろうか……

祖父岳山頂から道は北西へと向きを変え、間もなく眼下に雲ノ平及び後背の薬師岳が見えた。溶岩散るこの斜面を下れば愈々最奥の秘境入りである

祖父岳中腹まで下り、そのまま雲ノ平に降りようとするも、通行止の警告標示が。なんでも、植生回復の為らしいが、標示の古さからかなりの年数止められている異状が窺えた

仕方なく、右手のハイマツ林内に続く木道の迂回路を進んだが、その後何故か台地縁の崖際も歩かされ、漸く雲ノ平特有の湿地が現れた

やがて道は湿地内に下り、溶岩と木道による延々たる平原路と化した。彼方に雲ノ平山荘が見え始めたが、意外と距離があり、中々着かない
ここにて高齢女性2人に追いつき離合困難な場所で道を譲られた為バランスを崩し左膝を痛める。泣きっ面に何やらの状態だが気力で進むほかなし。
雲ノ平の湿原は既に冬枯れの荒景となっており、また明瞭な水面も少なかったため、少々の期待外れを感じた。恐らくは草花盛んな盛夏に来るか、別所を巡ると良いのかもしれない。

そして水晶岳山頂から3時間弱にて雲ノ平の中心地・雲ノ平山荘に到着(標高2550m)。日本最高所にあるという溶岩台地上の山小屋である。季節柄、少々寒々しい場所に感じたが、近年建替えられたという小屋の姿はその評判に違わず。テント場も遠いので、雲ノ平に泊まるなら、是非ここに泊まってみたい(但し混雑時以外)
さて、丁度昼時となったので、山荘近くのベンチを借り、昼食を摂らせてもらった。山荘には前後から往来があるため、左露台(テラス)に席があるその食堂も忽ち賑わい始めた。

黒部川最源流部へ
昼食を食しながら雲ノ平を眺める。温暖で天気も悪くないが、やはり冬枯れの観は否めない。まあ一先ずは念願の秘境に来ることが叶い良かった。
食後はまた来た道を途中まで返し、祖父岳山頂下を巻きつつ黒部川源流に下降してそこを見学し、その後、三俣の野営地に帰る本日最後の行程に。
ただ、所要3時間の道程で、途中大きな登り返しがあるため水の残量が心配になった。それ故、途中の雲ノ平野営場の水場で補給することにした。実は雲ノ平山荘でも水が買えなかったのである(ここも天水利用)。
問題はその水場がルートから外れた往復1km程の場所にあり、下降と登り返しがあったこと。普段なら大した労力ではないが、息切れを患いつつ長躯した身には少々辛かった。更に先程の膝の負傷も――。ああ、これならさっきの岩苔乗越で補給すれば良かった……。
とまれ水切れを起こす訳には行かないので、分岐に荷を置き、仕方なく道を外れて水汲みに向かった。写真はテント場及び水場への分岐がある峠より見た下方のテント場(中央)とその上方に開(はだか)る祖父岳。
因みに、帰りはまた左のハイマツ林を大きく迂回して祖父岳山頂下(はげた場所が狭まる場所)まで登り返して右側に巻き進む。
水を汲み、そのまま旧道を真っすぐ上がれれば効率が良いのだが、何故いつまでも通行止なのであろう。見た所、旧路は元来の谷筋に当り、人が通らずとも荒廃を繰り返していた場所と思われる。その様な不安定な場所の植生保護の為に、通行者の安全と、長大な迂回路でハイマツ林を犠牲にする意味があるのであろうか。
ひょっとして、林野庁か環境庁等の公儀の言いがかりに因るものか。詳細は解らないが、雲ノ平山荘の当主氏は諸問題に対して意識の高い人と見受けられるので、一度話を聞いてみたいと思った。

擂鉢底状のテント場に下り、更に旧道の登坂口近くまで進んで漸く接した雲ノ平野営場の水場。簡素な造りながら噂通りの美味多量の名水であった

深いハイマツ林を切り続く雲ノ平東の迂回路を進み、また水晶岳との間にある岩苔小谷の崖際に至る。そこで見つけたのは本日唯一見た写真の花。
ヒナギクに似ているが、葉が柳葉に似て細長い。もう少し暑い時期に咲くというヤマハハコが、温暖の所為で今開花しているのであろうか。

そして祖父岳山頂下の分岐まで登り返し、そこから、なだらかな山腹のハイマツ林を進む

祖父岳山腹縁で遭遇した、広く窪んだ裸地。「雪田」と呼ばれる場所とみられるが、古い噴火口のように思われた。近くに同様がもう一つある
祖父岳下の巻道は眺望が素晴らしく思われたが、先程から雲が多くなり、残念ながら、そのコントラストは大きく低下した。

比較的楽な巻道を進むこと暫ししてやがて黒部川最源流の谷縁に達した。
写真は眼前に広がるその景色。右上の峰が今朝通過したワリモ岳、そこから続く左の鞍部が同じく昼前通った岩苔乗越、即ち黒部本流源頭である。
正に大河の源流を見る思いで感慨深い。
日本の川に「大河」を冠すのは仰々しく思われるかもしれないが、一応本場大陸の大河、長江・黄河・サルウィン・オビ等の源流域も見た身なのでご容赦を……。

こちらも祖父岳巻道縁から見た黒部川源流谷。少し下流(南)側で、対岸の鞍部上に今朝発った三俣山荘及びテント場がある。谷なかの黄葉が美麗
これより標高差200m以上を一気に下って黒部源流を渡り、あの森を登り返して野営地に帰還する。

その後、大きな浮き石が多く歩き辛い急斜面のつづら道を延々と下り黒部川源流に達した。一応ロープが渡してあるが、水量が少なく、滑り易い条件でもないため難なく渡れた。ただ、こんな源流でも雨に因り渡れなくなることがあるらしく、正に交通が途絶するという(雲ノ平と三俣方面の連絡には鷲羽岳を経る稜線道もあるが風雨が強い場合は両方通れなくなる)

黒部源流の流れを眺めつつ一服し、その後出発してすぐに見つけた黒部川源流の碑「黒部川水源地標」。立派な赤御影石製で新しいが、ヘリで空輸したのであろうか

黒部川源流碑付近から見た黒部源流の紅・黄葉。光の具合が良くないが、今回の山行で最も美麗であった。途中すれ違った2人組のお兄ちゃんら(雲ノ平に野営し丁度私の逆ルートで周遊しているとのこと)も、「めちゃくちゃ綺麗ですね!」と感動と興奮を伝える

同じく黒部川源流碑付近から見た黒部源流谷の黄・紅葉。今回は、いつにも増して体調的に苦しかったが、来て良かった。機会あれば、またここを訪れ、谷沿い等をゆっくり探索してみたい

谷なかの道は、やがてこの様な小さな渡渉を経て登り返しとなった(右端の石段道)。三俣山荘直下の場所故か、良く手入れされた緩やかで気持ちの良い林の道を登る

三俣山荘と夕方発生のガスに呑まれる鷲羽岳
野営地帰着で行動終了なるも……
そして高低差150m程を登りつつ小川沿いの道を詰めると、天幕を置く野営場に到着。黒部源流からの道が野営場に直結していたことに少々驚き、また、自分の天幕傍の流れが黒部源流の一つだったことに感じ入る。
帰着の時間は15時過ぎ。予定では1時間早く出ても16時半過ぎの着だったので、かなり早く戻れた。これにて今日の行動はお終い。早速珈琲を淹れ寛ぐが、何やら天気が怪しい……。
急速にガスが増え始め、視界が悪くなったのである。
昨日とは違い余力があったので、今日こそ小屋前の席で夕景の鷲羽を眺めつつ持参の洋酒を飲みたかったが、叶わなくなった。そして、昨夕より寒い。早々に天幕内での飲食に切り替えた。
その後、暗くなった18時過ぎから雨が降り始めた。予報では確率ゼロであったが、まあ高山のため致し方あるまい。しかし、すぐ止むかと思えば、そうはならず、結構な降り方で2時間程続いた。
防水着を出すのが面倒だったので小用を我慢していたが、雨音が止んだのを聞き、小屋の便所に向かう。だが、雨滴はないが、付近は身を濡らす雨霧に包まれていた。明朝は撤収だが、大丈夫であろうか……。
そして、小屋にて独り少々ストーブにあたり(別に寒いわけではなかったが……)、天幕に戻り就寝した。
「奥黒部独錬行」1日目の記事はこちら。
「奥黒部独錬行」3日目の記事はこちら。