2021年09月29日

奥黒部独錬行(下)

秋の朝、三俣峠から見上げた三俣蓮華岳山頂
【注意】山行2日目の水晶小屋通過後にカメラが故障したため、以降は電話(スマートフォン)による低画質撮影

稜線ルート採りつつ帰路に

今日は秘境・奥黒部山行の最終日。一応予備日含め4日を用意していたが、天候や体調も何とか持ち、欲張った当初の予定もこなすことが出来たので、3日目で下山となった。

しかし、結局前夜もよく眠れなかった。標高2550mの高地にある野営地の気温は最低2度まで下がったが、風を避けられる立地と、昼間が温暖な影響もあり、暑ささえ感じたのである。また、温度調整がし辛い、古い寝袋を使っている関係も考えられた。

初日同様ただ横になって休み、一応4時半頃起床して天幕内で朝食や整頓を済ます。しかし濡れたテントの片付けに手間どり出発は6時過ぎとなった。案じていた前夜の雨はあれで止んだが、結構降った為しっかり濡れていたのである。そのため、軽くなった筈の荷物が気分的にも重く感じられた。

野営者は殆ど出発していたが少なからぬ小屋泊の人らが登山道に続く。今日は初日の道を戻り麓に下る予定だが、往路巻道で省略した稜線路を進むことに。そこには三俣蓮華岳(2841m)と双六岳(2860m)という著名峰があり眺めも良いが、巻道より高度と時間が余分に増す遠回りであった。

昨日までは体調の関係で、巻道を行くつもりだったが、意外に上下があり足場も悪いあの道をまた辿ることを厭い、また、知らぬ場所観たさのため急遽変更することにした。

濡れたテントを含む全荷物を担いで早速登坂をゆくが、意外と息が続く。3日目にして高地に順応したのか、または体調が改善したのか……。

写真は野営地から高さ200m程登った場所にある三俣峠(2750m)から見上げた三俣蓮華山頂。巻道はここから左へ下るが、今回は山頂とその後方に続く稜線に挑む。


朝焼け残る三俣蓮華岳山頂とその標識
三俣峠から高度85m程の急登を上り、やがて山頂に到着


三俣蓮華岳山頂からみた、紅葉に色づく秋の装いの黒部五郎岳
三俣蓮華岳山頂からみた黒部五郎岳(2839m)。植生の濃さと火山地形らしき山容が特徴的である。深まりつつある秋の色合いも良い。ルートから外れているため今回は行かなかったが、機会あれば是非訪れたい山である。三俣蓮華山頂は個人的に黒部五郎の最良の観察場に思われた


三俣蓮華岳山頂より見た雲ノ平と背後の薬師岳
こちらも、同じく三俣蓮華岳山頂より見た雲ノ平(中央)と背後の薬師岳。さらば最奥の秘境。またいつの日にか、見(まみ)えん……


ピーク2854付近から見た双六岳山頂と稜線ルート
野営地からの出発が遅くなり、また、遠回りの道程を選んだため先を急ぐ。稜線とはいえ、道自体は上下左右しつつ続く。そして大きな登り返しを過ぎると、一先ず目指す双六岳山頂が見えてきた(写真中央上)


曇天の双六岳山頂とその標識
やがて双六岳山頂着。高度100m程の登り返しが負担だが、昨日のように止まることなく進めた


双六岳山頂直下の広尾根越しに見る槍穂高連峰を背景にした不思議な眺め
標高2800mを超す高所だと何処も眺めは良く、却って特色がなくなるが、双六岳の場合は山頂直下のこの広尾根に特色があった。見ての通り、槍ヶ岳を中心とする槍穂高連峰を目の前にした非常に印象的で不可思議ともいえる景色が現れた。今回同じ道程を辿り顔見知りとなった女子から後で聞いたところ、初日の鏡池同様の著名撮影地らしい。確かにフォトジェニック(写真映え対象)というか、異国的光景でさえあるように感じられた


双六岳の広尾根端から見た双六小屋
フォトジェニックな双六岳の広尾根は1km程も続き、やがて双六小屋がある鞍部(中央)へ向かう急下降の道程に。左下の緑ある台地は巻道ルートとの分岐箇所、右上の峰は槍ヶ岳と接続する樅沢岳(2755m)である


双六小屋・弓折乗越間の稜線路からみた、雲に呑まれる鏡平

帰りも辛い双六・弓折の稜線路

双六岳を下り、双六小屋を経て更に下山行を進める。余力があったため小屋では水補給のみ行い、最初の大休止は次の鏡平山荘ですることにした。

しかし、この双六小屋からの新たな稜線歩きがキツかった。全体的な高低差は100mもないのだが、数10m単位の上下が連続して50分程続く。この区間は行きも辛かったが、帰りも同じであった。

そういえば今日は朝から雲が多かったが、更に天気が悪くなり、周囲の山々が見えなくなった。稜線下に現れた鏡平も雲に呑まれて写真の通り。


北アルプスの峠・弓折乗越から見た、雲が晴れて現れた鏡平と紅葉する樹々
と思いきや、尾根道上の下降始点・弓折乗越(ゆみおれのっこし。2550m)に至ると、また雲が晴れて視界が開けてきた


雲間の槍ヶ岳を「逆さ槍」として映す鏡平の鏡池
そして弓折乗越から高度差300m近い下りを20分強で下り、槍ヶ岳が逆さに映るこの鏡池で著名な、鏡平に到達

女神降臨!

鏡平山荘では奥黒部で顔見知りになった女子と遇い、同じく稜線ルートで下った旨を聞く。行動が速い彼女は暗い内にテント場を出たらしく、私が6時過ぎに出た話を聞くと、歩くのが速いと言う。しかし身体的実情は情けない限りで、しかも出発の遅れを行動で取り返す悪例であると返した(笑)。

時間は10時過ぎ。長時間歩き、下りも急だったので、鏡池で休むつもりだったが、弓折乗越で少し休んだので、小休止のみで進むことに。しかし、ここで一大事発生。

昨夕野営地で洗い、背嚢上に括り乾かしていたシャツがなくなっていたのである。それは山用で、安い時にクーポン込で実験的に買ったものだが、まだそれ程使っておらず、根本高価なため買い直しも難しい物であった。

しかも、標高が下がり、陽も高くなって気温が上がってきたので、今着る羊毛シャツから着替えようとしていたところでもあった。軽量化のためそれ以外のシャツを持参しておらず、その点からも困ることになった。

こんな事にならぬよう、都度注意して進んできたが、樹林まで下降した油断の隙に灌木に引っかかったか……。いつもは首裏の輪等にカラビナ(連結具)通して対策するのだが、今回のシャツには通す場所がなかった。

仕方がないので、一先ず鏡池前の長椅子に荷を置き、空身で一路上手に向かう。山荘前を過ぎると弓折乗越で話した人が下ってきたため、訊いてみると、正しくシャツを見つけ対処に迷ったが、結局そのままにしたとの答えが。確かに安易に触れまい。場所を問うと、かなり上方だという。

数100mの急登を登り返しか……。その労力と共に、時間損失にも気が重くなった。下山予定時間は15時半過ぎ。しかも、それは5時出発の場合であった。実は、麓から車行2時間で達する自動車道が20時で施工封鎖されるため下山の遅れを心配していた。恐らく間に合うとは思うのだが……。

とにかくこのままだと山にゴミを残すことにもなるため、意を決して進むと、木道を進む一人の可憐な女子が。大きな荷を背負い、同じく急坂を下ってきたようで、浮かぬ顔の私に対し、にこやかに挨拶を掛けてきた。

奥山で遇う一輪の花の如きその様に慰めを感じつつ挨拶を返し、すれ違おうとした瞬間、なんと彼女の背嚢横に件のシャツが。訊くと、落とし物として途中で回収し小屋に預けようとしたとのこと。

一応洗ってあったが、他人には窺い知れない生乾きのシャツを、このコロナ禍の最中に拾い届けてくれる人がいるとは――。しかも、若い女子!

正に女神降臨であった。

厚く礼を述べシャツを受け取ると、先方も「早く持主に戻って良かった」と喜んでくれた。そして、山荘の露台で喫茶休憩を始めたので、お礼の飲料代を渡そうとした。しかし、頑なに受け取ってもらえない。

「良いことをした人は報われるべき」などと私が言うも、「山の人間同士ということで」などと返され、最終的に諦めることに。代わりに、次は私が山で良いことを行うと彼女に約束したのであった。

その遣り取り中に判明したが、実は彼女は雲ノ平で働く人で、三俣で一泊しつつ下山中とのことであった。なるほど、その公共心は職業柄ともいえるが、この時世に濡れた衣服を平然と回収出来るとは矢張り大した人に思われた。そしてそんな彼女が関わる雲ノ平に行けたことを嬉しく思った。

こうして、突如降臨した優しき山の美女・雲ノ平の雲子さん(お名前不詳故の仮敬称。失礼!)のお蔭で無事大事は解消されたのである。


鏡平からひたに続く下り道の途中見えた下丸山や中崎尾根、そして最奥の穂高連峰
鏡平からひたに続く下り道の途中見えた下丸山(中央の小山)や背後の中崎尾根、そして最奥の穂高連峰

鏡平からの大下りとワサビ平での一息

鏡平で休む雲子さんと別れ、下山を再開。順調に進むが、長時間の歩行と足下の悪い急な下りで足が痛んできた。特に昨日雲ノ平で負傷した膝が悪化しているようである。昨夕沢水でもっと患部を冷やすべきであった。


小池新道の起点となる左俣林道の橋の袂と鏡平方面の山々
そして、登山道(小池新道)の終点に至り、新穂高温泉へと続く林道に合流。振り返って山を見るも、もう奥黒部の山々は疎か、鏡平さえ見えなくなった。少々寂しい。しかし緊張を要す稜線や山岳路からは解放された

濃密なブナ林の中に続く林道を進み、15分程でワサビ平小屋に到着。ちょうど12時半頃だったので今日最初で最後の大休止かつ昼食時間をとった。

行きも紹介したワサビ平小屋は林道沿いながら、森に囲まれた好立地。小屋前の林道際には清冽かつ安全な小川もあり、冷たいその水で痛んだ足を冷やしつつ昼食を摂ることが出来た。

先程の大下りで話した一人は、私同様新穂高に車を置くも、下山後すぐの長時間運転は辛いので、ここで1泊して帰るという。確かに良い方策である。私も機会あればゆっくり訪れてみたい。


新穂高温泉の蒲田川橋上から見た、左俣の谷やその周囲の山々
新穂高温泉を貫く蒲田川の橋上から見た、下山ルートの左俣谷やその周囲の山々。また訪れることが出来るのは、いつの日か……

下山。諸々に感謝
また、いつの日か


ワサビ平で30分程寛ぎ、また林道を進む。延々と単調な砂利道が続く道程だが、仕方あるまい。それでも、ひたに歩みを進めたお蔭で、1時間かからず終点の「新穂高登山指導センター」に到着した。

時間は14時前。ペース配分や雲子さんのお蔭で予定より2時間近くも早く着くことが出来たのである。

センターにて下山通知や手洗いなどを済ませたあと、同じ道程を辿っていた女子とばったり再会。昼食を早く済ませたため鏡平を先に出たあとそのまま下山し、バス待ちの間に温泉に行こうとしたが遠いため引返したらしい。ここで油断して長く山の話をしたが、まあ、ご愛嬌(笑)。

その後、駐車場に下り、麓の店で試用機材を貸してくれた友人への土産を買って奥飛騨を後にし、下道と自動車道及び高速道を乗り継ぎ20時前に無事帰京出来たのであった。

アプリ記録によると、今回の総歩行距離は50km強で、行動時間は27時間強、累積登坂高度は4200m弱であった。本来なら4泊5日で巡るべき分量を2泊3日で済ませたが、まあこれは結果論。身体不調とは関係なく、もうこんな学生的無理は止めるべきと痛感(笑)。皆さんもどうか気をつけて……。

とまれ、今回も関わった山と人に感謝!


「奥黒部独錬行」1日目の記事はこちら
「奥黒部独錬行」2日目の記事はこちら


追記 山中で苛まれた息切れは結局帰宅後も長く続き、知人関係の同様症例等からワクチンの副反応と思われた。また、雲ノ平での膝の負傷は診察・画像診断の結果、経度の靭帯損傷とされ、最長6週の登山禁止を言い渡された。医療費等も考慮すると正に交通事故。山での道の譲り合いは場所を弁えて行って欲しい。以上、皆さんも同様に気をつけて……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 山会
この記事へのコメント
晴嵐さまこんにちは。突然のコメント失礼いたします。大木裕之と申します。
じつは、ちょうど20年前の2001年11月3日の朝、ランクルでゴルムドからラサへご一緒しました。
この時が私の人生初のチベット入りだった大事な日でして、さきほどその頃の自分の日記を読み返していると、晴嵐氏のことが記されていて、懐かしく記憶が蘇りました〔僕は映像をつくる人間でこの時も撮影もしていたのですが覚えていらっしゃらないでしょうね?)。で、あらためて検索してみて、ここのブログに辿り着きました。
すると、いきなり奥黒部の山行の記事。
1984年の夏にひと月ほど三俣山荘で住み込みのアルバイトをしてたので水晶や雲の平の
描写、写真も大変懐かしく親しみを感じ、ご縁も感じて、こうしてコメントしてしまいました・
初めてのチベットでは晴嵐さんに出会えて心強かった〜〜
お元気にされていそうでなによりです!!
Posted by 大木裕之 at 2021年11月03日 05:05
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