
またのお山で恐縮ながら……
今日は朝から友人の車に乗せてもらい、一路京都北の山間へと向かった。所謂「京都北山」と呼ばれる、丹波高地の一部域である。
そして車行1時間半程で到着したのが、写真の佐々里峠(ささりとうげ。標高730m)。その標高故かなり紅葉が進んでおり、路肩に多くの落ち葉が堆積していた。
山間とはいえ、結構な距離を北上したが、実はまだ京都市左京区の際。峠の向こう、即ち北側の日陰部分が旧京都府美山町で、現南丹市となる。
最近山の記事が続くが、今日は先週の野営会に来れなかった人の為の臨時的山会であり、自身の負傷再生の鍛錬でもあった。平にご容赦を……。

原生の秘境・演習林南縁をゆく
佐々里峠からは、以前廃村八丁を往復した道程とは異なり、峠北より始まる山道に入った。
今日は個人的に未踏の稜線であるこの京大演習林南縁高地を踏査し、八丁周辺同様の、原生林等との遭遇に期待した。
写真は佐々里峠から近い標高800m辺りの紅葉具合と尾根上に続く古道の堀込み。牛馬道と思われるが、灰野廃村方面との分岐で途切れたので、そこや演習林事務所、またはその北の若狭方面との交通路のように思われた。

稜線の道は灰野との分岐のあと不明瞭となった。踏み跡も薄いので、この先への入山自体が少ないように思われた。
それ故か、消防とライオンズクラブが立てた真新しい遭難防止の地点標が点在していたが、行先を示す文言は無いため自力での道程確認が必要に。
また、稜線路は灰野との分岐から東へ向きを変えた。上下が多いものの、然程高低差がないため疲労を感じる道程ではなかったが、距離が長い。
写真は途中現れた「雷杉」。落雷により幹が焼き貫かれた大木であった。

これも、同じく京大演習林南稜線に現れた大木。所謂根元で枝が分かれる「台杉」の類と思われる。北山深部らしい植生

そして緩やかに高度を上げつつ東行し、小野村割岳という山頂に達した。佐々里峠からの距離は5km程、標高は931mであった。変わった名の山だが、字面からすると、昔争論の末小野村に割譲された山なのであろうか

光砥山山頂
近畿の背骨
小野村割岳のあとは、1.2km程先の光砥山という山頂まで進む。標高は本日最高となる951m。
演習林南縁尾根はここで終り、境界稜線はまた北寄りに方角を変え二つの三国岳(南が旧山城・丹波・近江国界、北が丹波・若狭・近江国界、即ち現京都・福井・滋賀府県境)に接する。
因みにこの境界は北が由良川水系、南と東が淀川水系(桂川及び安曇川・琵琶湖上流)との分水界となる。即ち、日本海と太平洋の分水嶺、本州近畿部分の背骨的場所に当たる。

光砥山辺りで丁度昼時となったが、山頂が狭く眺めも良くなかったので、境界から外れた少し西のここにて本日初の休息と昼食を行うこととした

小野村割岳・光砥山南麓と広河原集落を結ぶ早稲谷川林道
道なきルート下り再度登坂へ
光砥山からは一旦下山することに。希望では最奥の地、三国岳へ行きたかったが、時間的・距離的に難しいので断念した。
本来北上を諦めた場合は元の道を返すつもりだったが、同行者が登山アプリ上の道程を勧めたので、そこから下山することに。だが、それは見通しが悪く踏み跡のない尾根渡りとなり、慣れぬ人には危ないものであった。
更に傾斜も強かったが、冷静に読図して(一応位置情報も稼働させていたが)写真の林道に出た。しかし登山アプリとはいえ、こういうルートを記載するのは事故の元。皆さんも、くれぐれも鵜呑みにしないよう……。

小野村割岳・光砥山を源流にもつ早稲谷川沿いの林道を下り、麓の広河原集落に出た。標高は450m程。山上とは違い、今が紅葉の盛りのようである

広河原からは、車を停めた佐々里峠へ帰還すべく、また山中に入る。車道を進むのはつまらないという同行者の発案で、以前広河原から廃村八丁に入ったのと同じ道程を採った。
そして、林道終点から高度200m程のキツい急斜を進み、写真のダンノ峠に到達。そこには、穏やかな、秋の奥山の夕景があった。

佐々里峠南の尾根道から見た、夕空下に続く丹波の山々
南稜線から佐々里峠へ
ダンノ峠からは、また稜線を上がり、八丁方面との分岐を経て佐々里峠南の稜線を進み、無事日暮れ前に峠に帰還。今回も緊急装備を揃えた重荷で臨んだが、以前負傷した膝への影響もなかったのである。
とまれ、お疲れ様でした。山や仲間に感謝!