
今年初の山行
今日は今年初の山行を実施。所謂「初登り」である。
朝早くから友人の車にて向かったのは、隣県滋賀北西のマキノ。琵琶湖西北端に近い、家族向けスキー場で知られる場所だが、今日はその背後にある赤坂山(標高約824m)に臨んだ。
赤坂山は福井県敦賀から滋賀北西に続く野坂山地の一部。低山の範疇ながら、北陸に近いため比較的積雪が多い山地であった。
以前より、北陸方面への旅途の列車窓から、雪深い禿げた稜線を見て気になっていたが、今日誘いを受け初めて足を踏み入れることとなった。
上掲写真 雪原に立つ赤坂山の山頂標識と、麓彼方に覗く湖西平野北部及び琵琶湖水面(丘や平野の上)。そういば、野坂山地は最近人気の「高島トレイル」の一部でもあった。

今朝、京都市街もかなり冷えたものの氷雪は全くなかったが、湖北・マキノまで来ると、さすがにこの通り。途中の滋賀でも北寄りの安曇川平野(高島市)まで平地に雪は無かったが、その後は湖岸に至るまで雪が覆う北国景となった。さすがは南北約60kmある琵琶湖の北端。時間もかかった分、最早北陸に達したと言って過言ではない

積雪に恵まれたマキノ高原スキー場。北地にあるものの、標高が低いため長く雪不足に悩まされていたが、今季は上々のようである。訪れる家族連れ等も多く、既に駐車場も下段まで賑わっていた。コロナ禍と雪不足に悩まされた昨年分まで頑張ってもらいたいところ。そして、我々はゲレンデを通り、右奥の尾根から山に入った

マキノ高原スキー場奥の尾根上に続く登山路
古の海道残る雪尾根をゆく
尾根上のルートには既に今日以前の踏み跡が多くあり、また昨昼の高気温で比較的雪が固まっていたため歩き易かった。勿論、積雪量があり、踏み抜きや滑りごけの恐れがあるためワカン(輪かんじき)を履いて進む。

赤坂山への道の途中にある東屋(あずまや)。よく積雪量の目安として写真が紹介される場所らしいので、敢えて皆とは違う角度から……
しかし天気が良すぎて暑いというか、こんなに雪だらけなのにプラス気温になっていた。
今日は京都市街で12度まで上がる予報が出ており、他所も上昇傾向だったので仕方あるまい。むしろ衣服調整すれば秋山同様の快適登行となる。
ただ、急激な温度上昇は雪崩の危険も高まる。しかし、事前に調べた地形・地貌等から、その可能性は極めて低いと判断。そして、そんな場所故か、意外にも登山者が多かった。

冬枯れの樹々と雪のみの野坂山地の山肌
赤坂山への道がある尾根上には半間程掘り込んで丁寧に造られた古道跡が現れ、登山路と重りつつ続いたが、この先の粟柄越(あわがらごえ)を経由して若狭湾に達する旧街道(海道)のものと思われた。

終始暑がり、時に止まって汗を拭う同行者に合わせてゆっくり進み、やがて主稜線(中央)との合流直下に達した。ところが、ここに来て急に雲がわき、風も強くなって、一気に寒くなった。私はそれを見越した服装の為そのまま進めたが、同行者はまた全てを着ることとなった。そして、麓を含めこれまで全く姿が見えなかった赤坂山が漸く現れた(中央右2峰のうち右奥)

主稜線合流部直下の後方には麓の雪原や琵琶湖(中央右端)が見え始めた

赤坂山山頂とその北方
そして主稜線の鞍部・粟柄越(中央)を経て、写真の山頂景を得た。天候は時折陽が射すものの、ほぼ曇ったまま。京都市街と同じく「冬は晴れても午前のみ」という、日本海側と太平洋側気候の境界地的気象条件か。
そして水分か光線の関係か、晴れた麓の先で青々と広がる筈の琵琶湖(左上)が判り辛い。これは、今日個人的に最も残念とするところとなった。

赤坂山山頂から北方は三国山(中央左。標高876m)や「明王の禿(右尾根上の岩場)」方面を見る。南北に続く主稜線は滋賀・福井の県境となっている。三国山は現在滋賀と福井美浜町・敦賀市の境界だが、かつては近江・若狭・越前の三国界であり、その名残りの名称。今は比較的簡単に来られるようになったが、やはりここは、本来我々山州(山城国)人にとって遠方・異域。それにしても、予報通りその先の北陸は更に雲が重く天気が悪い。行政界のみならず、正にこの辺りが気象境界ともいえるか。さて山頂では小休止のみとし、更にこの北方へと向かうことにした

赤坂山山頂北の雪原を下り、また少し上って明王の禿に到達。花崗岩の奇岩が多い場所で、東(右)の滋賀側は、それによる急峻な崖になっている。岩が陽の熱を伝えるのか、一部地面が露出していた

「明王の禿」より南は赤坂山(右上)方面を振り返る。ここに来る際、中央右の細尾根を一部通過したが、雪の状態や気象条件により注意が必要な場所であった。但し、右下に樹林経由の安全なルートもある

稜線南部・大谷山方面へ
明王の禿から更に三国山まで行くつもりだったが、止めて、粟柄越南の大谷山(標高813m)方面を目指すことにした。下山はその近くの寒風という小頂からの道を予定し、全体で輪を描くような道程を企図した。
途中、赤坂山山頂下の風を避けられる場所にて昼食をとり、その後、粟柄鞍部を越え、写真の如き雪の稜線を進む。数10mの上下が続くが、危険のない穏やかな稜線歩きで、スノーハイクには最適の場所に思われた。

赤坂山から南へ2km程進むと寒風の峰が近づいてきた(正面奥)。このルートは人も少なく雪も多いが、それでも先行者により踏み固められているため、歩行に難はなかった。勿論、ワカン履きの効能もあろうが……

寒風手前の鞍部では初めて日本海を見ることが出来た。中央奥が美浜湾と思われ、左の半島裏に、以前同じく冬探索した三方五湖がある筈。とはいえ、琵琶湖同様、空との境界は限りなく曖昧であった。寒風の名の通り、この辺りは一部地面が見えるほど風が強く寒かったが、美浜から続く大きな谷と接しているため、気流の通り道になっているようであった

寒風頂部東下の雪原。友人が標識を探すが、埋もれているのか、見当たらなかった。寒風は山の名を持たないが、標高は850mと、赤坂山より高い
寒風での決断
さて、寒風から大谷山までは1km程だったが、踏み跡がない歩き難さや既に15時前であったこととを考え、スキー場への道を下ることにした。ここから大谷山に入る人はあまりいないのであろうか。

寒風山頂東下辺りが今日最も展望が良い場所であった。この写真では判り辛いが、中央左の半島裏には琵琶湖に浮かぶ竹生島、同右には安曇川平野や比良山脈が見えた。ただ、見ての通り、下界晴天、此方曇天という、正に境界的光線条件ではあった

こちらも同じく寒風東下から北方を見たもの。中央彼方に白い赤坂山、その左奥に周辺の最高所となる三国山が見えた。こう見ると、かなりの距離を歩いたように感じられた

寒風からの急な雪道を延々と下り、やがてスキー場のゲレンデ上部に出た。あまり踏み固められていない所為か、歩き辛い道だったが、ワカンの所為で大いに助けられた。それまでは半ば不要だったと思いかけていたが、最後にその有難みを知ったのである

マキノ高原スキー場にある「マキノ高原温泉さらさ」
下山。身体暖め帰路へ
こうして、無事日没前の16時過ぎに麓に帰還した。その後は友人の誘いにより、スキー場内の温泉へ。そこで一日の疲れを流して身体を暖めたのち、マキノを後にしたのであった。
お疲れ様、諸々に感謝!