
オミクロン隆盛下の節分
新年1月が過ぎ、2月に入って程なくやって来るのが節分。
存知の通り、それは立春前日の画期。二十四節気上、または東亜気象上の、春到来の前夜祭・大晦日的祭日である。
事実、旧正月はこれに影響されて設定されている。聖誕節前の冬至辺りを春到来として祝う西洋暦とは異なる、正に東亜特有の節日といえよう。
とはいえ、節気的には「大寒」の後であり、春直前とはいえ寒さ厳しい頃。実際、今日も京都市街中心地では最低気温は0度近く、最高気温は10度に届かない程であった。
それでも、確実に日は長くなり、雲間から射す午後の陽にこれまでとは違う力を感じるなど、春の接近を感じさせる一日となった……。
と、ここまではめでたい話だったが、またしてもコロナ禍の再拡大。更に今回は感染力に長けたオミクロン株の流行により、ここ京都でも蔓延防止措置が再出されるなど、混乱と沈滞が再来してしまった。
不謹慎の物言いながら、流行前の去年末に「オミクロン祭は必至」と人に話していたが、残念ながらその通りになった。素人でも予見出来る事態が、また施策不備の所為で繰り返されてしまったのである。
結果、一日で10万人近い新規感染者を出すなど、海外の感染爆発を想わせる悪夢のような数字を日々見聞する状況に。そして、日々の重症者も1000人、同死者数も100人に迫るなど、被害も深刻化した。
そのため、本来なら本日各寺社で催される節分行事が中止されるなどの影響が出た。自宅近くの吉田神社でも進行等に影響が出たが、一応恒例著名な節分祭と火炉祭は行われることとなった。
故に、こちらも例年通り火炉祭で燃してもらう注連飾り等を預ける為に夕刻出掛けることにした。勿論、感染防止には十分留意の上である。
上掲写真 吉田社本殿前の舞殿内に特設された棚上に並べられる神饌等。古来、神祇の力共々、米や酒、榊等の見えざる力が期待されたように、なんとか疫病抑止の手法が出現して欲しいものである。

吉田社境内には吉田山(神楽岡)東裏から、ちょっとした峠越えをして入る。言わば裏口的道程だが、例年節分祭の時は往来が多くなる。しかし今日はこの通りの閑散。やはり皆オミクロンの猛威に恐れをなしたのか……

節分祭で特別公開される吉田神社大元宮と参拝者
意外の状況に危惧
そう思いきや、最初に現れる山上の大元宮には列を成す程の人出があった。近所ではない遠来の参拝者か。まあ吉田節分祭は市内では著名なので、他県・国外に限らず、周辺から多く人が集まるものではあるが……。

こちらは吉田社・大元宮から本殿地区に続く参道の様子。飲食を含めた露店が数多並び、多くの人が行き交っていた。マスクをしている人が殆どだが、店内座席でのマスク会食見られず、持込酒で宴会をしている外国人すら見られた。うーん、大丈夫なのであろうか……

そして様々な露店が続き賑わう境内路を下り、本殿地区に至る。最初に火炉の受付に注連縄等を渡し、本日の要件を済ませた。
例年、注連飾りはそのまま預かってもらえたが、今年は蜜柑を外すように言われる。残灰を引き取る京都市の意向と言うが、不燃物や有害物でもないのに、いったい何が不都合なのであろうか。
その後本殿に参拝しようとするも、人が多く、並ぶことに。写真は参拝後に撮った本殿前の様子だが、偶々一瞬空いた時のもので、実際はもっと人が多かった。一応手前の舞殿前に並ばず参拝出来る臨時参拝所が設けられていたが、案内はなく、気づいたのは本殿前まで来た時であった。
また列は懸賞付の福豆販売にも出来ており、何れも距離を開けるなどの指示は無し。今朝オミクロン株はサージカルマスクをしても50cmの距離で感染するとの報道を聞いたが、正にその様な危険に短時ならず身を置く結果となった。個人での注意は当然だが主催者も責任を果たすべきであろう。
後悔――。
注連縄を納めた後すぐに帰ればよかった。見回せば、近接しているのに話を止めない輩の他、何かと浮かれた者が多く、寒さとコロナで逼塞していた憂さ晴らしに方々から集まってきたように思われた。

吉田神社表参道(本殿地区西麓)の露店と人出は更に多かった。危険につき、これ以上近寄らず。恐らく、まだ夕方なので、夕食後辺りの時間からの更なる混雑が見込まれた
正月の飾り類を燃してくれる都市では貴重な「左義長どんど焼き」的な吉田節分祭及びその火炉祭。今年も無事参拝共々果たせて有難い限りなのだが、今後の状況を案じさせられるものともなったのである。