2022年02月12日
比良雪晴
久々の全日晴天
雪と湖の佳景求め
先週末の寒波が落ち着き、晴れの日も続いて麓の雪も消えた今週末。また近場の雪山へと向かう。オミクロン・コロナの大流行に因り、人とも会えず、街なか等にも出難いからである。
ただ、途中が冬装備のない車行ゆえ、気温が低く路面凍結の恐れがある朝を避け昼前から登ることにした。山での遅出は、基本控えるべき行動だが、無理せず行けるところまで進み、短時間で済ませるつもりであった。
向かったのは隣県滋賀西部の比良山脈は堂満岳(暮雪山。標高1057m)。今日は久々に全日晴天との予報を聞いたので、山脈から突き出たその山上から、青空下の雪の連山や横たわる琵琶湖等の眺めたかったのである。
上掲写真 比良山脈麓の比良川河岸辺りから見た、雪を戴く堂満岳。寒波が来る度に、山は疎か、この辺りの山麓平地も雪に埋もれ難儀するが、今日は見ての通りの無雪・温暖の眺めで、寒さも感じられなかった。
堂満岳の表登山路である東稜ルートの道。標高400m辺りまでは殆ど雪はなかった
温和な表登山路をゆく
開始は車道端付近の旧比良登山リフト乗場近くから。まばらに残雪のある土道を一旦下り、山裾の別荘街のようなところから山に入った。
途中、建屋傍で作業中の人に挨拶すると「良い天気で山上はさぞや良い眺めでは」とにこやかに声をかけられ、「確かに。ただその分、暑くなりそう」等と返す。
麓とはいえ標高250mの登山口で、誰もが温和を感じる珍しい冬日(とうじつ)といえた。そういえば、今日はまだ旧正月・松の内であった。
雪のない登山路を登り、やがて標高440m弱の場所にある山中の小池「ノタノホリ」を通過。水面が大半露出しており、雪で埋まっているのは奥側僅かな場所のみであった。春の兆しか。水生動植物の貴重な生息地であるノタノホリに古い人為痕跡があることは以前述べたが、その後の調べで、付近にあった戦国期城塞の飲用または防御施設である可能性が高まった
ノタノホリからは山腹の植林帯を巻く道となり、やがて谷を登る雪の急斜となった。その手前にてアイゼン(靴底氷雪爪)を装着。植林帯の標高500mを過ぎた辺りから雪が深くなったが、踏み跡で固められていたため、ワカン(輪かんじき)は付けず。しかし、この場合、1s近いその重荷をザック(背嚢)から降ろせないことにもなるが……
谷なかの急斜を登ると、やがて山頂に続く尾根上へ。ここはまだ緩やかだが、木立の背後に頂が現れ、これからの険しさと近からぬ距離を思い知る
緩やかな尾根から高低差230mを登り、山頂直下の急登下に至る。高さ100mの、見上げる程の斜面がはだかるが、今日の雪の状態ならピッケル(斧頭雪杖)無しでも危険なく登れそうである。ただ、見ての通りの晴天で、かなり暑い。手足がかじかまないのはよいが、雪崩を心配する
三拍子揃った好条件の山頂
山頂から人が降りてきたので、接触(相手もアイゼン装着の筈なので滑ってきたら危険)を避け、横に巻く踏み跡から側面に入るも、予想したつづらで登らず、浅いルンゼ(急斜溝)的急斜を直登していた。
一旦戻ろうかとも思ったが、面倒なのでそのまま進む。雪の状態と樹々により滑落の危険はなかったが、雪崩を恐れて早めに通過した。そして、山頂すぐ下にある写真の本道と合流し、ほどなく山頂に至ったのである。
堂満岳山頂から、南は琵琶湖南部方面(左)と比良山脈南部(右)を見る。麓で会った婦人の予想通りの好天で、寒くなく風もないという、正に三拍子揃った好条件であった。冬季ここでこれほどの条件に恵まれることは滅多にないことだろう
こちらは同じく堂満岳山頂より北は琵琶湖北部等を見たもの
同じく山頂から望遠撮影した湖北地方の名峰で名立たる豪雪地・伊吹山(標高1377m)
こちらも同じく山頂から望遠撮影した、湖北地方は鈴鹿山脈北端部の霊仙山(同1094m)。伊吹山と共に、著名の積雪地・関ヶ原を挟む山だけあって、その雪量は遠目にも多そうであった
これも山頂から望遠撮影した、鈴鹿山脈中北部の御池岳(同1247m)。ここも雪が多そうだが、霊仙山と比べると少し減るように見えた
同じく山頂から望遠撮影した、鈴鹿山脈中部の御在所岳(同1212m)。こちらはさすがに前者より南方だけあって、その雪量は少なく見えた(実際はそれでもかなり有るとは思うが……)
山頂裏から谷道で下山
山頂での昼食込みの長休憩のあと、下山行程へ。時間的に問題なさそうなため、帰りは更に進んだ谷から直に出発地へと下降することにした。
山頂西裏の写真の如き尾根を進み、一路、谷への下降始点である金糞(かなくそ)峠を目指す。この区間は雪が深いことで知られるが、今日は踏み跡と雪質に助けられワカン不要で通行出来た。
但し、踏み跡以外は踏み抜くことがあり、また大きな雪庇が残存していたため注意は必要であった。
堂満裏からは、完全な雪山景と化している比良山脈自体の様子も間近に観察出来た。右の高嶺は比良北東部の雄峰・釈迦岳(1060m)
峠名由来と広重取材説
やがて写真の金糞峠着。標高約880mのここから琵琶湖側に向かい一気に正面谷を下り、出発地まで下降する。
因みに「金糞」の名は、昔ここに製鉄で生じる鉄滓(カナクソ)に似た岩があったことが由来との話を、地元で取材・調査した山岳案内の記述で読んだことがある。その岩は昭和期に木材搬出のため爆破されたという。
また、歌川広重が(昔は安藤広重と習ったが)江戸後期にここの景色を浮世絵「近江八景・比良暮雪(縦版)」の題材にしたとの説がある。確かに一見似ているが、麓の左湖中に小山が迫り出すなど相違も多い。
金糞峠から麓まで続く雪深い正面谷と麓の近江舞子や琵琶湖・沖島等
無事短時終了果たすも……
金糞峠からは青ガレと呼ばれる谷なかの難所を越えつつ進む。傾斜が強く、雪も多いため滑り易かったが、雪でガレ場が埋没していたため、比較的早く通過することが出来た。
本来は落石多発地として知られる場所で、早く通過した方が良いため助かった。実は登山口手前でストック(山杖)の1本が故障し、バランスの悪い1本のみの使用で少々難儀したが、何とか遣り過せた。
そして、ひたすら雪の谷道を下り、出発地に到着。ここで故障したストックの先2段分を失くしたことに気づく。山頂で最後の修理を試みたが、それ以降の下山時に、振動で抜け落ちたとみられる。
長年の酷使により、内部のネジが劣化し、もはや使い物にならない状態だったが、山のゴミには出来ないので、近々回収に行かねばならない。
とまれ、休憩を覗き、3時間程で山行を終了させることが出来た。予定通り短時間で近場の雪山と稀少な晴天景を堪能することが出来たのである。
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