
月並ながらの?名所へ
出張仕事の予定が不意に旅行扱いとなった広島行の2日目。今日は朝から私が希望していた宮島へと向かった。
広島在住の友人にすれば、京都人が金閣寺に行くようなものなので、乗り気ではなかっただろうが、快く準備してくれていた。
上掲写真 広島市街を抜け、その西にある宮島口に向かう途中に現れた高楼彼方の山群。その鋭い山容や只ならぬ雰囲気に驚き、惹かれる。果たして、この山の正体は……。

広島西郊にある宮島への渡し場「宮島口」に到着すると、真新しい乗船施設に出迎えられた。友人も驚く最近落成の建屋のようで、付近ではまだ関連工事が続いてた。彼曰く、以前の昭和色は一掃されたようである(笑)

新しい宮島口港施設で待つこと暫して渡しのフェリーに乗船。元官営のJRと民営の2路線が盛んに船を往復させていたが、券売や乗場が微妙に異なるので解り辛い

宮島口出発直後のフェリーから見た、対岸は宮島の島影。陸では暑いくらいの陽気だったが、海風の所為もあり、船上は忽ち寒くなった。友人が半袖の無防備だったので、着ていた胴着(ベスト。絹製)を貸す(笑)

先程広島西郊から覗いた存在感ある山嶺は宮島の峰であった。そして彼の厳島神社は、この山々の麓にあった。恐らく、古代、神社はこの神々しい山々を意識して造られたに違いない。これは子供の時には気づかなかった発見であった。実は宮島には大昔修学旅行で来たことがあり、その時感銘を受けた神社周辺の清々しさが気になり、月並の名所ながら再訪を望んだが、往時は何かの理由でこの威容に気づかなかったようである

そして間もなく宮島の港に着き、懐かしい厳島神社へと歩き始める。途中、土産店街で友人から牡蠣カレーパンやアナゴ竹輪を馳走になったが、早速古来からの住民・鹿が現れ、無心を受けた。餌やりは禁止されているため無視するも、暫し付きまとい、余所見した瞬間、食べ物を持つ手を鼻で突かれたが、何とか防ぐ

明るい海辺の参道を歩くこと暫しして厳島神社前に到着。少時見た社前の干潟が時空を超えてそのままの姿で現れたが、残念ながらその先に聳える大鳥居は修理足場で覆われていた

そして入江側を見ると厳島社の社殿群が干潟奥に広がっていた。随分昔に訪れて以来、台風による大きな被害も受けたが、無事元の姿に戻り何より

厳島神社裏の新緑や青紅葉
時間の関係と友人の希望で厳島神社には寄らず、社殿裏を進む。本来は社殿に入り、稀少な水上回廊を巡りつつ参拝したかったが、既に時間も遅かったため、またの機会の朝訪れることを密かに決した(少時の思い出もあるが、実は先祖にここを厚く崇拝した平家方がいることも影響)。

厳島神社裏の新緑の森を暫し歩き、鋼索線(ロープウェイ)に乗る。友人の希望によるもので、これまで乗ったことがなかったらしい。勿論、私も乗ったことがないので、山上のことを含め、大いに興味をもった

「紅葉谷線」という鋼索線は10分程上昇した山上の「榧谷」という駅で終り、写真の「獅子岩線」の大型ゴンドラに乗り換えとなった

大型ゴンドラは対面の峰に向かって上昇し、5分程で獅子岩に終着。そこからは更に歩いて最高峰の弥山(みせん。標高535m)やその近くの大聖院伽藍に行けるが、時間の関係で獅子岩山頂から周囲を眺めるだけとした。写真は、北は来し方の榧谷駅がある稜線や、彼方の広島湾及び広島市街

同じく宮島・獅子岩山頂から見た、南は周防大島方面の安芸灘

またゆっくり再訪したい宮島
獅子岩山頂からまた鋼索線を伝い厳島神社裏に下る。山上もまた、改めてゆっくり再訪したい。その際は歩いて登るのも良いかもしれない。
神社帰着後は往路と異なり内陸から港に通じる写真の「町家通り」をゆく。その名の通り戦前築とみられる古い町並みが残る場所である。
そして、また連絡船に乗って島を後にし、広島市街に戻った。その後は新たな知人を加え市街中心にある名店にて広島焼を馳走になったのである。
同行の友人親子及びその知己に感謝!
「芸備新緑行」1日目(其壱)の記事はこちら。
「芸備新緑行」2日目(其弐)の記事はこちら。
「芸備新緑行」3日目(其参)の記事はこちら。
「芸備新緑行」4日目(其肆)の記事はこちら。