2022年04月22日
芸備新緑行(其肆)
最後は方々巡りつつ
今日は広島行4日目で、即ち最終日。
朝また友人宅付近を散策し、その後、子守の応援に来たお母さんや仕事へ向かう細君と別れ、友人と共にその車で広島をあとにした。
終日雨だった昨日と異なり、また暑さ感じる快晴のなか向かったのは、広島東南の呉であった。昨日もそこを少し歩いたが、今日は市街山手等も巡ってみることにした。
旧軍港の呉は戦前、海軍の発達や国際関係の変化により拡大を続けたため平坦地が枯渇し、周囲の山腹・崖上にまで住宅が犇めく特異な姿となった。そうした、呉市街の特質的箇所を踏査したのである。
写真は、正にそんな崖上・山腹に続く坂・石段の始点。呉の平地端には、こうした細坂が無数にあり、麓と上方を繋いでいる。
市街中心の商店街から近い、しかし怖い程急な石段を登ると市街の家並と共に港が見えてきた。今も自衛隊艦船等が停泊する軍港・呉の姿である
同じく崖上宅地から見た山腹住居。一部には車道が通されているが、殆どが徒歩でしか辿りつけない場所にある。建築資材をどうやって運んだのであろうか。因みに、そうした災害に弱い条件や、崩落の危険性から、撤去された空地への再建築を禁じる公示が方々で見られた
呉の崖上宅地の見所は、こうした戦前築らしき石垣・煉瓦壁や建屋が多く残っていること。険しいながらも、大きく立派な家も少なくなく、中には洋館部屋を備えたものも散見された。元海軍士官等の住居であろうか
こちらは崖下の古い住宅(町家)。市街平坦地にも空襲の難を逃れた意外の古民家が数多残っていた
呉の古街探索のあとは、休息を兼ね、B級グルメ賞味に。大通り沿いながら、これもまた戦前築を想わせる古い家屋を利用した地元著名のクレープ&お好み店だが、残念ながら午後休みで食べることは叶わなかった。代わりに、近くのこれまた地元人気店にて拉麺を馳走になる
その後、呉を離れ、東に進んで仁方という街に。ここも海辺だが、過密気味の呉とは対照的な開放感に満ちた良所であった。古い煉瓦煙突を擁する中央の屋敷は、その川辺にあった旧醤油蔵。仁方は鑢(やすり)製造の他、酒や醤油の醸造が盛んだったという
広島最後は三原にて
仁方の次はひたすら海岸や内陸を東行し、三原に。今日はここから新幹線で帰京する予定であった。
友人が途中の竹原の古い町並を案内してくれる予定だったが、三原と間違えたようで(笑)叶わなかった。しかし、途中の瀬戸内の眺めが素晴らしかったので満足であった。
写真は、彼の豊臣五大老・小早川隆景が整備した三原城の天守石垣。右上に新幹線ホームが乗るが(笑)、大和郡山城本丸同様の古式(石垣隅の傾斜角等)を伝える貴重な遺構であった。
三原駅構内に掲げられた近世の三原城古図や城の説明。駅構内から自由に天守台に上れるため、我々も暫し見学
その後、友人と別れ、17時半過ぎのこだま号に乗車した。そして程なく福山でのぞみ号に乗り換え、そこから1時間程で京都に着いた。行きの車行では時間がかかりその遠さを痛感したが、改めて近さも実感したのである。
結局自宅には京都駅からバスに乗り換えた後の、20時過ぎに帰着出来た。
写真は乗車前に友人が駅で買って持たせてくれた三原名物「たこめし」。乗車時間が短かったため結局家で食べることになったが、蛸が柔らかく、想像以上の美味であった。個人的に、福井の鯖寿司に並ぶ名駅弁か。
とまれ、終始お世話になった友人及び家族に感謝。良い旅を有難う!
「芸備新緑行」1日目(其壱)の記事はこちら。
「芸備新緑行」2日目(其弐)の記事はこちら。
「芸備新緑行」3日目(其参)の記事はこちら。
「芸備新緑行」4日目(其肆)の記事はこちら。
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