
戻り梅雨の投票日
今年近畿では(近畿だけではないが)先月末に信じられない早さで梅雨が終り、すぐさま39度に迫る猛暑日が現れた。
お蔭で、というか、油断・節約の所為もあり、方々で警告されていた熱中症的不調に見舞われてしまった。その影響は数日続き、個人的に、とんだ盛夏の幕開けとなった。
他にも個人的難事が重なり、身心共に参らされたが、なんとか乗り切るべく日々過ごしていた。そんな中で、いつしか正に盛夏月の7月に入り、早十日が経過。猛暑は台風と戻り梅雨のような気象により一旦落ち着いたが、その後、またそれに近い暑さが続き、今日も同様の予報であった。
しかし、本日は3年ぶりの参議院選投票日。
その為、日曜ながら熱中症を警戒して大人しくするつもりだったが、投票ついでの朝に、暫し方々散策してきた。
選挙に思う一大惨事
さて選挙といえば、一昨日8日昼前に、奈良にてその応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃され、夕刻死去するといういたましい事件が起こった。
私も昼のラジオ等でその速報を聞いて驚き、何とか助かるよう願ったが、叶わなかった。安倍氏の死去により、この地方的傷害事件は戦後空前の一大暗殺事件へと昇華・変貌した。
私が投票後当てどなく逍遥したのも、この事件と無関係ではなかった。
犯人は近くに住むという無職の青年で、その動機は、ある宗教団体によって家族が破産させられた恨みだという。安倍元首相がその団体と関連があると断定し、警戒厳しい団体幹部の代りにその命を狙ったらしい。
一宗教団体幹部より、一応、経済大国の元総理の方が狙いやすかったとは驚きであった。しかし、事実、当日の映像を見ると、演説場所選定の根本的失敗や警備の甘さが素人でも一目で判断出来た。
駅前ロータリー内のガードレールで囲まれた演説地なので、恐らくは凶器乱入や車輌突入くらいしか想定してなかったのではないか。実際、犯人は手製銃(砲?)という飛び道具でこの制限を克服し、加害を成功させた。
犯人制圧後、路上に落とされたその手製銃の大きさは、なんと1尺程しかない小型のものであった。小さければ運搬や隠匿に有利だが、銃身が短すぎるこの構造では命中率は望めない。
しかし、その口径は機関砲ともいえる大きさで、それが並行して2連装備されていた。元総理の傷や流れ弾の状況から、恐らくは短筒の欠点を補うべく、一発で同時に複数弾が放たれる散弾方式だったと思われ、更に失敗に備えて2発式にしたと考えられた。
一見拙い造りながら、実に恐るべき周到さ――。
しかし、それでも、かなり接近しなければ当てることは難しく、更に散弾という威力に劣る性質からも、ごく至近で使うことが必要であった。
つまり、通常の警備ではあり得ないこの成功条件が今回適ったことからも警備の問題が窺える。しかも1発目の距離10mのみならず、2発目の6、7m程まで接近を許したからである。元総理はこの2発目に被弾し致命傷を負ったことからも、あってはならない失態だったといえよう。
また加害半径の広い散弾にもかかわらず、元総理以外被弾しなかったことからも警備の手薄さが証明される。
あとは医療の問題。急所の直撃は免れていたらしいので、設備や搬送、医師の機転等の条件によれば助かっていた可能性も考えられる。実際、私はその一報と安倍氏の容態を聞いた際、恐らく止血が成功すれば助かると思っていた。だが、そうはならず、全てが最悪の方向へと進んでしまった。
こうして、元総理は様々な悪条件が重なり気の毒にも急逝を遂げられることになった。その不幸、無念には唯々お悔やみの意を表すばかりである。
安倍元総理急逝の損失
安倍氏の政権運営には毀誉褒貶があり、氏個人の疑惑も多かったが、私はその外交手腕に関しては戦後無二のものと評価していた。
それは、没後すぐに各国・各界の要人・団体から数多の哀悼表明や事績賛辞が寄せられたことからでも証されよう。
米国人は疎か、同じ共和党員でさえ扱いが難しいとされる彼のトランプ元大統領の懐に逸早く飛び込み、日本への圧力を緩和せたことは記憶に新しい氏の功績の一つである。また、米議会で自ら英語による長文演説を行い、感動と高評価を引き出したことも、印象深い無二の業績であった。
それだけに、今進行中の様々な対外難事に対しても更なる働きが期待できた。故に、氏の急逝は日本にとって大きな損失といえ、残念に思われた。
失われた30年の因果
この悲劇的事件を起こした犯人は、自衛隊経験者とは思えぬ華奢で大人し気な青年だったが、今時点の供述では元総理の政治思想への反感ではなく、あくまでも宗教絡みの恨みが動機だという。
どんな言い分も、この悲惨な結果の免責にはならないが、嘗て同じく宗教により一家離散を余儀なくされ、進学も叶わず十代から独り住み込みで働いていた友人のことを思い出した。それは、私に本銃撃犯の供述に対する少なからぬ信憑性と、その犯行論理に対する一定の理解を与えた。
勿論、それでもこんな凄惨な私刑(間接私刑?)は絶対許されず、平和的に争う場合でも、先ずは加害本人・組織と対峙すべきだと思う。
しかし、前述の友人の安否のこともあり思い至ったが、もし、この犯人青年が安定した職に就き、所帯でも持っていたら、果たしてこの惨劇は起こったでのあろうか、という、ある種不気味な疑問が浮かんだ。
人生のある時期まで資格取得を目指すなど、犯人青年も前向きに歩んでいたことが伝えられている。その真摯さが、延長を重ねた不況や改善進まぬ雇用環境等により深刻な影響を受けたのではないか。
奇しくも今回の選挙争点の一つに「失われた30年からの脱却」があった。90年代初頭のバブル崩壊から今に続く異様な経済停滞との決別である。
2000年頃に言われ始めた「失われた10年」は、その後20年目を過ぎても改善されず、気づけば30年もの長期に達していた。その間、賃金は上がらず、非正規という「二等国民(私もある意味同様)」が全労働者の半数程にまで膨れ上がったのは国民周知の事実である。
その30年のうち、大半の政権を担当した自民党も、それに対し、手をこまねいていた訳でなかったが、小泉改革を始めとする諸施策は失敗に終った。そして、その後継の安倍政権も、その後の約10年を担当したが、「アベノミクス」の喧伝とは裏腹に、根本的な改善は叶わなかった。
この安倍政権の経済施策が真に成功し「失われた20年」で停滞に終止符が打たれていれば、犯人青年は恨みを抱きつつも、身近な社会の為、妻子の為に怒りの矛を収め、結果元総理も路上に倒れずに済んだのではないか。
そう、正に元総理が掲げた「一億総活躍社会」の一員になれたなら……。
そんな、奇しくも二人を繋ぐ、宗教絡みではない、政治・経済絡みの想像が俄に生じ、頭から離れなくなった。
ひょっとして、この事件は、これから噴出する、長い停滞が育んだ凶事の一つに過ぎないのではないか――。
確かなことは言えないが、何となく嫌な予感がしてならない。
いたましき世相
悲惨、止むべし
そもそも、最近、戦争や虐殺に封鎖・暗殺等々、何やら20世紀初めに戻ったような世相で、いたましく、悲しい限りである。
とまれ、朝元気に出かけた人が、冷たい躯(むくろ)とされる惨劇が起きた。この悲惨に宰相も庶民も違いはない。しかも「明るく公正な」日本の選挙の最中に。絶対にあってはならないことである。
安倍晋三元総理のご冥福を切に祈りたい。
上掲写真 京都市街東部の某寺院塔頭の蓮の葉。本来は鮮やかな花を見せたかったが、安倍元総理の冥福を願い、しめやかなものに……。