2022年08月28日
処暑発現
多雨・猛暑経ての久々行
盆過ぎて早2週近く経っているにもかかわらず、暑い日が続く。それでも今日は若干マシとの予報もあり、雨の心配も無さそうだったので、久々に裏山に出掛けた。
その目的は鍛錬と発見遺構等の視察。いつもの夏なら比較的良く出向くのだが、今年は雨が多く、また早くから猛烈な暑さに見舞われ体調も損ねたため、控えざるを得なくなっていた。
しかし、気温はここ数日より低めとはいえ、30度まで上がる予定。そもそも、前夜もほぼ熱帯夜だったので、朝から既に暑く、また湿度も高かった。そんな日曜の昼前から久々の近隣山上を目指す。
上掲写真 蒸し暑い夏の午後に清澄冷涼な水を落とす、大文字山の銀閣寺登山口手前の中尾山湧水口。帰路の下山時に撮影。
そして、山に入って一気に稜線まで上がり、当該地に到着。
去年路上で発見し、踏まれないように退避させた、凝った造りの古代須恵器片を再確認し、以前それが土中から覗いていた元の場所を確認すると、なんと、同体品とみられる続きの破片が続々と見つかった。
7月から続く幾度かの強雨に因り、地表に露出したようである。最初に遺物が出た場所から少々離れた場所の稀少品で、また破壊・散逸の恐れがあったため、一先ず代理回収することにした。
大文字山中の別所にある古代寺院遺跡付近で発見した遺物共々、一昨年からそれら稀少遺物の扱いを京都市の文化財保護課の担当氏に連絡・相談していたが、全く返答がないままであった。
担当職務者として、大人として呆れるばかりの有様であったが、知らぬふりは出来ないため、不本意ながら緊急的に預かることにした。
雨後の成果
そして、周辺での新たな遺物探索のあと、そこから遠くない谷なかの遺跡を探査。なんと写真の大型遺物片をすぐに目にしたのである。
縦横10cm程の大片のそれは青海波文の如き圧痕ある須恵器であった。6世紀の古墳時代から類例が出土しているもので、大型の甕等が想定出来た。
こちらは前掲須恵器片の裏面。実はこれが表面で、前者が裏面。同心円模様の刻みを持つ当て木を裏面に当て、平行線状の刻みを持つ当て板で器胎を叩いて成形する大型陶器の成形技法痕跡であった。大型器胎は轆轤が使えないため、粘土紐で原形を作ったあと、このように成形するが、こうすることで、粘土が締まり、破裂等の焼成不良を回避したのである
こちらも同じく谷なかの遺跡にて発見。縄目を持つ小片で、意図した焼成に達しなかった「生焼け」的須恵器片のようにみられた
これも同じく谷なか遺跡にて発見。布目のようだが、かなり粗い圧痕を持つもの。土器のように見えるが、詳細は不明
こちらも谷なかにて。施釉された国産高級陶器の高台部分(こうだい。器体底)である。黄色っぽいが、以前この辺りで保護課が採取したもの同様の、古代緑釉陶器の一種か
こちらも谷なかだが、今回初めてその上流部で見つけたもの。独特の圧痕を持つ須恵器片とみられる。これまで何度確認しても谷なかの狭い範囲でしか遺物を見つけることが出来なかったので、非常に重要な発見となった。谷なかの遺跡を含め、ここは安祥寺川源頭に当り、稜線上の遺構と併せ、古代この一帯が何か重要な場所だった可能性を窺わせた
新たな遺物発見により今日の探査は予想以上の知見が得られた。やはり強雨により地表が洗われたことが効いたのか。同様に雨後が良いとされる、宝石採取を想わせる成果であった。
短時行なるも有意義に
じっくり遺構を探索したあと、大文字山頂経由で下山を開始。
写真はその途中通過した「五山送り火」の火床。先日の送り火の際に点火された「大」字を構成する一点である。大きく強い火炎で焼かれた石の赤さと、地面の墨色が、行事終了程ない痕跡を伝える。
火床から更に下る登山路脇に急降下してきた玉虫。久々に見たが、小時以来、何か特別感・幸運到来の如きを与えてくれる良き存在である
さて、送り火火床を経て更に大文字山の「表山路」を下り、銀閣寺側登山口に下り出た。
今回は僅か2時間半程の山行だったが、新たな知見を得られ、また久々に近山にも親しめたので、暑かったが有意義なひと時となったのである。
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