2022年09月27日
続駒嶽独錬行
残念ながら最終日に
甲斐駒ヶ岳独錬行2日目。
今日は標高2400mの野営地を早朝に出て山頂を往復し、その後、天幕等を片付け、麓駐車場まで下山して帰京する予定であった。
本来は山中で2泊してゆっくり高山風情を味わいたかったが、野営地と水場及び厠の距離が遠く険しくて居づらく、また、今晩から天候悪化が予想されため、残念ながら撤収することした。
前夜は20時頃から寝る態勢に入ったが、想定外の気温の高さ等により深夜まで寝られなかった。そして予定の4時半に起床し、炊飯して朝食を摂るなどの準備を始めた。
高地の秋の早朝なのに全く寒くないという不可思議な状況の天幕外には、早くも写真の如き朝焼けが現れ始めていた。
そして出発前の5時37分には、押し寄せる雲海の彼方にご来光が昇ってきた
野営地(標高2400m)〜八合目御来迎場(同2680m、積算距離約8.0km)
確り足下が明るくなり、最早ライトが不要な頃を見計らって山頂に出発。登山路周囲の山林は写真のように朝日を受けて夕景のような色合い・風情であった。
因みに野営地から2組程先に出たようだが、私は未知のルートは夜歩かないようにしている。況してここは修験の道。憚られる思いもあった。
朝日に赤らむ黒戸尾根上部。野営地と山頂の高低差は約567mで、未だ山頂は見えない
進む路傍には昨日同様に石碑・石仏が現れ、足下にもこのように埋もれた古い石材が現れた。ヘリや重機がなかった時代、背負子・草鞋履きでここまで背負ってきたのか……。古人の、恐るべき信仰の力を感じる
ひらすら尾根道を登ると、同じく朝日も高度を上げる。昨日同様、今朝も寒くはなく、暑ささえ予想されたため、始めから上着無しで進むも、全く問題なし。風もないため、相当条件が良いのであろう
そして出発30分程して八合目の「御来迎場」という場所に到達。標高は約2680m、山上を目の前にした聖地で、石碑等の設置があった。左右長さの違う2本の石柱は元鳥居だったらしく、近年倒壊したらしい
八合目御来迎場(標高2680m)〜甲斐駒山頂(同22967m、積算距離約8.8km)
御来迎場で小休止して先へ進む。山頂は未だ見えないが、山頂近くにある有名な剣2本が頂部に刺された烏帽子岩が見えてきた(写真中央)。
8合目付近から樹々は減り岩場が多くなってきた。この様な鎖場も幾つか現れたが、足場が付けられており、その高さも低いため難儀は感じなかった
野営地から山頂までで最も険しかったのは、この岩間の登りか。ただ、特段難しかったり、怖い場所ではなかった。天気や季節が違うと別だろうが
そして、いよいよ2本剣も見下ろす位置に達する。鳳凰三山越しに富士山が覗くこの景は、以前から甲斐駒の象徴のように多くの媒体で紹介されている。現れた風景に対する気持ちが似通うのか。ただ、珍しくはないとはいえ苦労して黒戸尾根を登らないと撮れない、価値ある一写・眺めではある
また、遂に山頂も見え始めた。山上に立つ駒ヶ岳社の祠が目印である。荒々しい印象に反して、意外と緑が多く、繊細な雰囲気に見受けられた
更に進むと、大国主命等の石柱(中央左)が林立し、石造りの小社殿がある駒ヶ岳神社本宮(中央右下)脇を通過
独占の甲斐駒山頂
そして山頂着。野営地を出て1時間半弱であった。標準時間は2時間半なので、ゆっくり来た割りに早く着いた。やはり重荷がないのが効いたか。
写真は扉に草鞋が奉納された山頂祠。因みに登山口からここまでの総距離は約8.8km、その高低差は約2200mに及んだ。正に、日本三大急登に相応しい量感である。
一先ず祠前で跪拝後、その裏へまわると山頂標識があった。先程1人先客がいたが、下ったようなので独占状態に。著名な山にしては中々珍しい。まだ7時過ぎなので七丈小屋以外から来るには早いのか。とまれ、先ずは小三脚を出して証拠の自分撮りを行い、その後四囲の記録撮影を行った
甲斐駒ヶ岳山頂から見た富士山。手前の鳳凰三山より高い場所に来たので、その全容が窺えた。それにしても美麗な山容である。やはり、これほど均整のとれた山は他にあるまい。唯一無二の、本邦一の麗峰である
こちらは同じく甲斐駒山頂から見えた、南方は南アルプス中心方面。北岳(最高標高3193m)等の3000m超の鋭い高峰が見える
こちらも同じく甲斐駒山頂から見えた、西南の仙丈ケ岳(標高3032m)。当初、甲斐駒との間にある鞍部・北沢峠付近に野営して登ろうとしていた山である。「南アルプスの女王」と呼ばれ、圏谷や高山植物で著名の人気高峰らしいが、今回の黒戸尾根経由だと遠いため、またの楽しみとした
こちらは甲斐駒山頂北東の雲海に浮く八ヶ岳連峰。右寄りの鋭い高峰が最高峰の赤岳(標高2899m)。遠いと思って一度も行ったことがないが、小淵沢を挟んだ甲斐駒対面に当るので、今回同様の車行で登れそうである
こちらは甲斐駒山頂の東北東に見えた、雲に浮く艦船の如き秩父山地(最高標高2601m)
こちらも甲斐駒山頂の北西に見えた、雲に浮く北アルプス。お馴染みの人気山域「槍穂高(最高標高3190m)」辺りである
これは北アルプス(飛騨山脈)南にある乗鞍山塊(標高3026m)
こちらは甲斐駒山頂の西方に見えた、木曽山脈北端部とその向こうに浮かぶ御嶽山(標高3067m)
山頂直下での長山話
野営地帰還そして下山へ
甲斐駒ヶ岳山頂での参拝・撮影後直ちに下山開始。
しかし山頂直下付近の分岐にいた先客女子に話しかけられて思わぬ山話に。私が辿った黒戸尾根とは逆の北沢峠の小屋を夜中出て、一番乗りで来たらしい。初心者というのに独り闇夜を進み来るとは中々の達者である。
眼下の副峰・摩利支天を眺めながら話が弾み、結果、吹き曝しのザレ場(花崗岩砂場)に1時間程居ることに。まあ、元々山頂で予定していた長休みを省き、あとは下山するのみだったので特に問題はなし。
そして、同じく今から登山口に下るという彼女と別れ、分岐裏にある駒ヶ岳社本宮に参って下山した。写真の通り本宮は真新しい立派な石造で、風を避けられ、右上に山頂祠が望める位置にあった。近年再建されたのか。
甲斐駒社本宮からは元来た道を一気に下り、1時間弱で野営地に帰着。すると、写真の如く、周囲にガスが生じて眺望がなくなる怪しい雰囲気となっていた。予報より天候悪化が早まったのか……。
野営地で急ぎ天幕の撤収と荷造りを行うが、上手く進まず。主な原因は、背嚢に入れるタイプの水袋(サーバー)の収納順序であった。
下りとはいえ、比較的高気温のなか、重荷で長大な険路を進まねばならぬため、ある程度の水を用意する必要がある。その為には七丈小屋の水場まで下り、そこで補給後に改めて荷詰めを完了させなければならない、という二度手間が生じたのである。
サーバーは収納後は楽だが、途中で補給する場合、他の荷を出して入れ直し、その後、各部を再調整するという面倒が生じるのであった。結局、1時間近く費やした10時半前に、完了・出発出来た。
下りでは当然登ってきた難所も下る。この様にそこを上から見ると、その険しさが良く解る。やはり荒天前に通過することにしたのは正解であった
甲斐駒信仰の象徴?
写真は下山路の黒戸尾根・屏風の頭(標高2250m)付近にあった「開力霊神」と彫られた石碑。
五合目小屋跡後方の岩山上部にあることから、「険難を越え霊力を得る」という、修験的超人思想を表したものか。駒ヶ岳信仰・黒戸尾根登拝を象徴するような古碑である
とまれ、ひたすら下りに下る。こうして斜度大きい険路を見下ろしつつ下ると、自身が如何に高い場所まで登っていたのかが、登坂時より良く解る
時折重荷を降ろして小休止しつつ、延々たる急下降を進み、漸く麓の竹宇(ちくう)駒ヶ岳神社まで下りきった。社殿脇のこの小道を進み神前に無事を報じる。一先ず、一安堵……
数十年来の雄姿再会経て帰京
そして程なく出発地で登山口の写真の駐車場に帰着した。時間はちょうど15時なので、4時間半の下り行であった。平日夕方というのに来た時より車が増えているのは、渓谷観光のためか……。
しかし、山での緊張は解けたが、まだ5時間以上かかる京都までの長い車行が残っていた。慌てず慎重に帰り支度を進め、駐車場を後にした。
楽しみしていた帰路小淵沢から見る甲斐駒との数十年来の再会は天候悪化で諦めていたが、意外にも曇天中にその姿を現していた(写真中央)。麓での買物後インターに向かう途中でそれを確認し、暫し車を停め眺めた。
山頂左から麓に下る今回の登山路・黒戸尾根はあれで、今朝まで天幕を張っていたのは山頂下急斜の途中辺りか――、等々を考えながら……。
その後、高速に入り、やがて暗くなった帰路を休息を挟みつつ進む。途中、幾度かの土砂降りや工事渋滞に難儀するも、無事、21時半頃、帰京することが出来たのである。
「駒嶽独錬行」1日目の記事はこちら。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189850303
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189850303
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック