2023年04月15日

信楽別働山行

飯道神社駐車場にある鳥居と神社参道石段登り口(飯道山登山口)

雨天中止の筈が別動隊出動!

今日は本来、春の山会の日であったが、生憎の雨天により中止・延期となった。

しかし、折角休みをとったので収まりがつかないらしい一部参加者から別の低山行を提案されたので、非正規・別働的に同行することにした。場所は、比較的少雨量が予報されていたという、滋賀南部は信楽高原北にある「飯道山(はんどうさん。標高664m)」。

最近は基本雨天は出動しないことにしていたが、信楽北部山地はこれまで未踏であり、同乗車行で中途の面倒もなかったので、急遽中止後決定した。勿論、無理せず、可能なところまで進む、という心積もりではいた。

写真は車行で信楽高原を縦断し辿り着いた、飯道(いいみち)神社参道石段下。それは、山上の神社奥にある飯道山への登山口でもあった。


飯道神社へと続く急登の花崗岩参道と雨に濡れそぼる熊笹

神社・寺跡・城跡経て飯道山頂へ

雨が止む筈の時間に合わせるよう故意に遅らせて来たが、残念ながら確りとした降雨があった。その為、久々に行動開始前から雨装備完備で登り始めた。

そぼ濡れる熊笹の急登参道を進むが、準備万端なため問題なし。加えて、足下が滑りやすい泥等ではなく、花崗岩質というのも幸いした。


飯道神社社殿地直下に現れた、古い石積と岩に囲まれた回廊的施設跡
森なかに続くつづらの急登参道を行くと、やがてこのような石垣や岩で囲まれた回廊的場所に出た。飯道神社の社殿地に着いたのである。駐車場が既に標高約400mだったため、高低差は200m程という足慣らし的登坂であった。回廊の石垣は前近代的な古いもので、出入り制御を兼ねた施設跡かと想われた


雨霧にけむる飯道神社本殿
回廊的石段を登りきり、飯道神社本殿前に出た。雨が降り続くが仕方なし


朱等の極彩や黒漆塗で装飾される飯道神社本殿内部
飯道神社は史料上、1100年程前に存在が確認される古社で、江戸初期再建のこの本殿は重要文化財に指定されている。内外の朱等の彩色や重厚な黒漆塗は桃山様式ともされ、昭和後期に解体修理されたらしい


雨で眺望のない、飯道神社本堂裏の行場「東のぞき」
飯道神社本殿裏手の行場「東のぞき」。本来は琵琶湖等が遠望できる眺望地らしいが、雨天に因り、この通り。好天なら良い休憩地か?


飯道神社社殿地となりの旧飯道寺跡地
飯道神社参拝・見学後は社殿地の際まで戻り、更に奥山へ続く道を進む。これは社殿地傍にあった旧飯道寺(はんどうじ)境内跡。林内に立派な古い石垣が多く残り嘗ての繁栄を伝えていた。飯道寺は飯道社を管掌した神宮寺で、修験道の一大拠点だったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈で廃されたという。現在、高原麓に名を継承した天台寺院があるが、山上には、かの高野山中興・木食応其(おうご)の墓があるので元は真言系だったか


飯道神社近くの林道際に現れた、飯道寺城のものとみられる堀切や古道跡
大規模に残る寺院跡を、道の左右に眺めつつ進むと、このような古い時代に断ち切られた尾根や古道も出現。それは、このあと飯道山山頂手前にも現れた。中世の城塞址に違いあるまい。後で知ったところ、やはり飯道寺城という城塞があったようである。『信長公記(しんちょうこうき)』にも、織田信長父子一行が安土から乱後の伊賀視察へ向かう途中、飯道寺に宿泊した記述があるが、寺と連動した大規模な山城であったことが窺える


風雨で熊笹騒めく、飯道神社と飯道山山頂と繋ぐ尾根道
麓へと下がり始めた林道状の進路から外れ、飯道山山頂へと続く尾根道を進む。折しも風雨が強くなり、足下の熊笹も激しく騒めく


雨で眺望のない飯道山山頂
尾根道を進むこと暫しして、飯道山山頂に到着。見ての通り、ここも眺望はなし。ちょうど昼時で風雨も弱まったため、昼食休憩を検討するが、同行者が小雨を避けられる場所を希望。しかし、この先適地はなく、天候も計り難いため、ここにて摂ることにした


飯道山山頂から続く鹿深奥駈道

鹿深奥駈道へ

昼食後、飯道山山頂から尾根道を北に下り、稜線を北西方向に進む進路を採った。地質や植生の所為か、山の雰囲気が変わる。

飯道山から先は、所謂「鹿深奥駈道」(鹿深は「かふか」。甲賀の古称)と呼ばれる修験みちで、古くからの行場でもあった。


鹿深奥駈道の古い峠「オシゲジゾウ」
稜線上ながら樹々により眺望のない道を上下左右しつつ進み、一つの鞍部・峠に達した。近くに提げられた古い札によると「オシゲジゾウ」の峠名が。古い林道により拡幅されていると思われたが、峠部分は(中央)更に古い造りに見えたので、それ以前の牛馬古道跡の可能性もあった。地理的には、次のアセボ峠同様、信楽高原と湖東平野を結ぶ要所である


鹿深奥駈道の一峰「白草山」山頂
オシゲジゾウ峠からまた尾根筋を登り、今日の目的地の一つ「白草山(標高約613m)」に到着。しかし、ここも展望はなし


鹿深奥駈道・白草山付近の急斜の登山道
白草山を過ぎた頃から道が険しくなり、修験の道らしい急斜の道が増す。同行者に初心者がおり、雨で足下も悪いので慎重に進んだ


鹿深奥駈道・白草山付近の急斜の樹間から見えた琵琶湖南湖や湖東平野
この頃雨が止み、急斜の樹間からは、遠く琵琶湖南部や湖東平野の姿が今日初めて認められた


鹿深奥駈道を府道が横切る場所「アセボ峠」
そして急斜を下り、次の峠「アセボ峠」に至る。標高は約470m、信楽と麓を結ぶ現代の要路で、交通量も多いので注意して渡る。なお、ここは安土から伊賀への近道に当るので、信長軍団も、ここか、先程のオシゲジゾウを経て飯道入りを果たしたのかもしれない


アセボ峠西山中の植林帯に続く鹿深奥駈道
アセボ峠からは、生い茂る笹を分けて再度山に取りつき、更に奥駈道を西行する。最初は見晴らしのよい湖南アルプス同様の花崗岩帯を進んだが、やがて深い植林地となった


鹿深奥駈道の一峰、ほうそ山山頂直下の巨石ある天然林
鹿深奥駈道の一峰「ほうそ山(標高548m)」の山頂直下部分。天然林に覆われた巨岩が数多ある、古風で趣ある山域であった


鹿深奥駈道の一峰「ののへら」「大納言」付近の植林帯の尾根筋
ほうそ山からまた鞍部に下り、再び植林帯の尾根筋を登り進む。山林作業用か、鞍部を含む周辺は奥山ながら重機に因り過剰な林道づけが行われており、自然・歴史遺産の破壊が懸念された


鹿深奥駈道の一峰「宮町」または「ののへら」
やがて目的山頂の一つ、宮町三角点山(標高583m)に到着。そこに三角点があることからの仮名らしいが、地元では「ののへら」という山名で呼ばれているとのこと


熊笹が盛大に繁茂する、鹿深奥駈道の一峰「大納言」へと続く尾根道

終点「大納言」いづこ?

「ののへら」からは、その近くにある、いよいよ本日最後の目的山頂「大納言(標高596m)」を目指す。

だが、写真の通り途中で熊笹が盛大に繁茂して通行困難に。そういえば、この山域は今時珍しく熊笹が多いが、食害犯の鹿が少ないのであろうか。


鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂横にある電波塔施設
構わず笹尾根を進むと、なんと電波施設に阻まれてしまった。確かに、地図にも山頂に電波塔が記されているが、削平されてしまったのか


鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂横にある電波塔施設へと続く、その保守用車道
大納言山頂を探すべく、一旦笹薮を戻り、並行する電波塔の保守車道に下り、そこから再度施設付近への接近を試みた


鉄塔裏の尾根の高まりにある、鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂
しかし、辿り着いた電波塔入口は鉄柵で閉鎖されており、そのなかにも山頂らしきものは無かった。だが、良く観察すると、保守路終点の藪奥から再び現れた尾根筋の鉄塔裏に、電波塔より高い場所を発見した


鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂にさげられた標識
鉄塔裏に上ってみると、やはり大納言山頂の標識があった。高度計的も間違い無し。スマートフォンのアプリ地図さえ間違えた場所を指していたので混乱したが、諦めなくてよかった

一筆書き山行終了

最終目的地に達したので、あとは下山。施設保守路をそのままアセボ峠下の県道まで下り、その後県道を下り、また途中から飯道神社駐車場まで上り、今日の山行を終了したのである。

最後の車道歩きが全行程の半分近くに達するなど、長歩きになったが、元来た道を帰らず出発的に戻れるという貴重な一筆書き山行となった。

結局雨は降ったり止んだりの繰り返し。ただ、大した雨量でなかったことには助けられた。初心者の人が無事歩き通せたことも。皆さんお疲れ様!

この後、知人お勧めの麓の温泉施設に寄ってから帰京したのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会
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