
今年も呉名物?堪能
広島出張3日目。
即ち最終日であったが、本来は15日からの4日間であったことは以前既述の通り。今日も作業合間の見聞を紹介したい。
今日の昼食も昨日と同じ趣向で、呉郊外の著名ラーメン店に連れて行ってもらった。昨日のうどん店と同じく暫し待たされたが、人気を得る質であることが理解出来た。そしてまた、お店の人の対応が素晴らしい。
忙しい人気店にもかかわらず、店主を始め、全ての従業者が、しっかり目をあわせて退店を見送ってくれるのである。料理の良さと相俟って、良い印象を与えてもらった。
流石はB級グルメの聖地(ここに「B級」は合わないかもしれないが……)呉の一店である。
さて、食後は呉市街に進み、友人がまだ入ったことがない変わった宅地を見学することとなった。急峻な斜面やその丘上まで家が犇めく住宅密集地で、呉空襲を免れた戦前築の古家が残る地域であった。
両城という地名に存在するそれは「階段住宅」との呼ばれていた。実は昨年その一部を友人の案内で訪れたことがあり、このサイトでも紹介した。
今回はその時の隣の丘を少々探索予定であったが、友人が間違えて昨年同じ丘を登ってしまい、頂部で気づいて引き返した。そして改めて向かったのが写真の丘・階段住宅であった。

友人が来たかった場所はここ。「両城の200階段」と呼ばれる、階段住宅を貫き、丘上に続く長い階段がある宅地であった。ここは、その登り口で、海保隊員をモデルにした映画で使われ観光地化しているため、その傍(左)には呉市による説明板もあった

「両城の200階段」は、登り口こそ狭い民家裏の石段状であったが、間もなく見上げる程のこんな急斜となった。その高度感に友人は恐れを感じるが、高山に慣れた私は特に問題なし

「両城の200階段」の途中から下を見ると、急段と共に麓の呉市街が見えた。通路両脇に切り立つ、階段住宅基壇の、石積みの高さ・急さにも注目

そして、丘上に上ると、昨年巡った両城のもう一つの丘の全貌が窺えた。あちらの階段は「両城の100階段」と呼ばれているという。後背山地との間に鞍部がある(左)その様は、どこか城塞のようである
未知の城址?
そういえば「両城」という変わった地名は、主にこちらとあちらの二つの丘で構成されている。ひょっとして、両方の丘にかつて城があり、その名が残ったものではなかろうか。
あとで調べると、こちら側の丘の隣の尾根先端に「有崎城」という城址があった。交通の要所を押さえたというその城に近く、それより高さがあり防御力があるこちらは詰の城だったのではないか。
広島県の遺跡地図に記載がないが、史料に残らず、戦前の宅地開発で早くに破壊された未知の遺構かもしれない。郭跡の平坦地が多くある城址なら、宅地開発にも役立った筈である。

両城の200階段上部からは、呉の象徴「呉港」も見えた。中央の赤い船は建造中の世界最大級のコンテナ船らしい

呉港奥には何艘もの軍船も。昨日海峡で見たものと同様の、海上自衛隊艦艇で、軍港のまち・呉らしい眺めであった
予定熟し出張終了
間一髪の混乱回避
城址なら本丸があった場所と思われる、丘上の両城中学から、つづらの谷道を下り、麓に。
その後、また友人宅に帰り作業を再開。変わらずの暑さのなか夕方までそれを行い、そのまま細君の夕食を馳走になり、帰京することとなった。
新幹線の発車時間が迫ってきたので、帰りは呉線ではなく、広島駅まで友人の車で送ってもらう。そして、また新幹線とバスを乗り継ぎ22時過ぎに無事帰宅することが出来た。
あとで知ったが、初日に乗車したあと新幹線が大雨で止まり、その後も昨晩まで混乱が続いたらしいので、ちょうど避けられて幸いであった。
今回はとにかく暑かったが、予定以上の作業が出来、また有意義な余暇見聞も得ることが出来た。
色々と気遣ってもらった友人には感謝。最後まで有難う!
「呉業務行」1日目(其壱)の記事はこちら。
「呉業務行」2日目(其弐)の記事はこちら。