2023年09月26日
'23奥黒部行(上)
恒例の高山行
今日は近年恒例化している秋の高山独錬初日。
9月下旬だというのに、まだまだ暑いが、10月に入ると山小屋が閉ったり急に寒くなったりするので、この辺りで実施することとした。
前夜京都市街から車で6時間かけて到着したのは、岐阜県北部で、富山県境に近い山奥。そこにある登山口の駐車場で車中泊して今朝出発となった。
向かったのは、2年前に別の登山口から巡った奥黒部。かの立山深部・黒部川の源流部で、日本最後の秘境と呼ばれる北アルプスの高山地帯である。
今回は前回巡れなかった、その西部の薬師岳(標高2926m)や高天原(たかまがはら)・黒部五郎岳(標高2839m)を周回する予定であった。
上掲写真 岐阜奥飛騨と越中富山の深部山地を結ぶ大規模林道・高山大山線(林道東谷線)の県境隧道・飛越トンネル傍の登山口から続く奥黒部への道上に現れた枯樹。登山開始早々の夜明け空を覆う重い雲が気になる。
参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。
登山口と駐車場がある飛越トンネルの岐阜側口。向こう口は有峰有料道路(林道東谷線)として富山山間に続くが、何故かこちら側は無料。ここは岐阜の深部として知られる神岡の奥地で、標高も1450m程もあるが、名の通り特別な林道らしく、2車線幅で夜も危険を感じることはなかった。ただ、途中路上に大きな猪を2頭も見て(車のライトを浴びても逃げず)、野獣の危険は感じた
厚い曇天のため、想定外に暗い、早朝の飛越新道登山口
入山は自分のみ!?
そして、ある程度時間が有ったにもかかわらず結局一睡も出来ずに出発の朝を迎える。
標高が高いにもかかわらず、気温が15度程もあり、車内が暑かったことにも因るが、休むことは出来たので、まあ、よいか……。
出発時の登山口の暗さ。ライトはあるが獣のことを考えると気分良からず。しかも、広い駐車場に自車以外2台しか車がなく(恐らく無人)、明け方山に入るのは私だけだと判明した。予定では5時出発だったが、この暗さの為に逡巡し、結局15分遅れで出ることに(笑)。想定外の厚い雲の所為か
熊鈴を鳴らしながら、また、時折手を叩いて音を発しながら、早速始まる未明の急登をゆく。暫くして振り返ると、この様に駐車場と周囲の山々が見えた。雲が厚いが、予報では好天が続く筈なので、山間のこと、一時のことかと思い、先を急ぐ……
やがて主尾根に上り、トンネル上の鞍部を通ってそのまま尾根道を東上すると、少し明るくなってきた。ただ空の重さは決定的となった。そして、遠くに只ならぬ姿の高山が見え始めた(中央奥)
その高山は今回の目的地の一つ、薬師岳であった。これは望遠撮影によるもの。今日はこの山腹鞍部にあるテント場にて野営し、明朝山頂まで往復する予定であった。しかし、遥か彼方の遠さである。3泊4日分の野営道具・水食料が肩・背中に重い。うーん、見なかったことにしよう(笑)
噂の泥道具合は?
そして、間もなく明るくなってきた。
「飛越新道(一部を除き「神岡新道」とも)」呼ばれる登山路は、尾根上にありながら泥濘で悪名高かったが、この様に丸太が埋められるなどの対策が随所で見られ、思った程の難儀はなかった。
ただ、今年は暑さと少雨の影響で偶然状態が良かっただけかもしれない。何れにせよ、登山口の標高の高さや駐車至便の割に人がいない。泥濘のほか、著名山頂や山小屋までの長い距離により敬遠されているのか。
もしくは、まだ何か理由が隠されているのか……。
長い尾根道には時折、このような広場が現れる。高層湿地の名残りらしく、「鏡池平」なる小池がある場所もあった。植生は登山口から既に標高が高く、緯度も高いので、大白檜曽(オオシラビソ)等の針葉樹が卓越する、近畿では見難い、北方的・亜高山的なものが続く
尾根上の道は一段急登を上がると似た様な標高が長く続き、中々高度が稼げぬものだったが、出発2時間強、距離は5km強を歩き、漸く標高2000mの大台に到達。この、寺地山(てらちやま。標高1996m)の三角点と山頂標識を過ぎた辺りである。しかし、何故すぐ傍の標高2000m超地点に三角点と山頂が設定されていないのかは謎であった
寺地山付近から南の岐阜・飛騨側斜面を覗くと、全く黄葉していない様子が見られた。北陸傍の山奥の、この標高地点での、この時期の眺めとしては異常に感じられた。まるで夏山風情である。やはり、ここにも猛暑の影響が及んでいるのか……
長き尾根道終了と避難小屋
寺地山から60m強下ってまた登るという、これまたあまり高度が稼げない尾根道を進むこと45分程で、奥黒部の主稜線直下で、それを見上げる場所に出た。
重い雲は相変わらずで、更にガスまで出てきた。直前の予報ではこの2日間の好天は間違いない筈だが、これからこの急登を上り、いよいよ森林限界を超える高所に入るため、少々気掛かりとなった。
主稜線下近くにはこの避難小屋があったので、休息がてら見に行った。途中の木道は崩壊気味だったが、小屋は傾きながらも修繕されており、利用可能な状態であった。また、情報通りその前には水量豊富な水場もあった。気温は高めだったが、曇天のため水の追加補給は不要であった。しかし、非常時や帰りのことを考え、小屋と水場の状況が知りたかった。主稜線上は南北どちらに行くにも補給や退避が困難なため、良い確認となった
避難小屋から本道に戻り、主稜線への登坂に入る。少し進んで振り返ると、池沼ある高原景が目に入った(通称「ガキの田」か?)。ここはちょうど立山で言うと、室堂のような場所。晴れていれば、または盛夏ならば、さぞや良い眺めであったろう
主稜線急登での難
人の通行が少ないためか、壊れた木道が多い荒れた登山道を登りゆく。木道がなくなる急斜では、この様な土道となったが、水が走って表土が流出し、底に大きな石ある道となり歩き難くなった。
それどころか、時折微かに降っていた雨が強くなってきた。最初は軽量傘を出して様子を見るが、風共々強くなってきたので、上の雨衣をはおり、背嚢に防水幕をかけた。
天気は全国的に安定している筈なので、これで遣り過せるかと思いきや、風雨が増々強くなったので、結局、上下雨衣や防水手套を着用する完全装備となった。急斜登坂中で、気温も高めのため、暑く、疲労が増す。
奥黒部主稜線への急斜の道はやがてハイマツとクマザサの密生に続く細道と化した。先程の人災的荒廃路とは異なり、ここは植物に道が飲まれかけており、左右から圧迫を受け歩き難い。これも通行者僅少の所為か。最近流行りの薄い2層式雨衣を使う場合は要注意かもしれない。しかし、登るにつれ天候や視界が悪化し気が重い。予報を信じ、一時の事と思い、進む
奥黒部外周着
そして、主稜線着。登山口から6時間強で到達。4日分の装備を担ぎ、雨支度に翻弄された割りに遅延は無し。風雨も小康化し一先ず安堵するが、眺望は全くなく、天候回復の兆しも見えない。
ここの標高は2630m強。奥黒部外周西部の山上なので、周囲の名立たる山峰や雲ノ平等の黒部源流高地が俯瞰出来る筈だが、残念だが全く見えず。
飛越・神岡新道と主稜線の接点背後を通る稜線道に合流し、一路北を目指す。高山の稜線とは思えない、なだらかな地面に続く道程で、途中昼食を摂るも、やはり眺望は無し。10度以上あった、高気温のみが救いか
主稜線北上中(標高的には下り)、ガスの合間から黒部源流方面の斜面が見えたが、黄葉が始まっていることが確認出来た。高山に囲まれた冷涼地のため、他より早いのか
主稜線を進むも、なだらかさは変わらず。そして雨は降ったり止んだりで雨装備も外せず。やがて現れた、太郎山(標高2373m)に続くこの高原に感心するも、想定外の天候を恨むばかり。帰路は通らないので残念無念である。因みに左端には富山の人造湖・有峰湖が見え、水不足の為か、かなり水面が低く見えた。この為にも雨は必要なのだが、何もこんな時に……
山小屋で知る一大事
そして、丘陵状の、これまたなだらかな太郎山を越えると、太郎平小屋が見えた。今日の野営地管理所である。到着は出発から8時間強の13時半で、予定通り。
ここで、手続きをするが、驚きの事実が判明。なんと、小屋内の天気掲示が今日から連日雨予報に。特に明日・明後日が本降りで、雨が弱まるのは山行最終日の明々後日のみであった。
綿密に天候計画を立ててきたのに、一変の事態、まさに一大事である。
期待を砕かれ、気を重くして野営場に向かう。煩わしい雨装備をまとって。テント場は太郎平小屋から20分程稜線を進んだ薬師峠内にあった。写真中央やや下に見えるハゲた場所で、薬師岳への登り口にあたる。小屋より30m程低い場所にあるので、そこへと下降した
標高2300m弱の場所にある野営地に着き天幕を設営。幸い雨は止んでいたが、天候悪化を考え、場所を熟考した。結果、水が流れる場所より風当りの強い場所に。どちらかしか選べなかった為だが、慎重な綱張りやペグ(掛け釘)への石載せ等で対策した。天候悪化のためか、先住者は数張のみ。ただ、ガスの合間から見えた黄葉の素晴らしさに少々慰められた
薬師岳へ
天幕設営後、不覚にも眠ってしまう。9時間近い歩行自体は意外と負荷は感じなかったが、やはり雨の所為で疲れが増したようである。
そして1時間程して目覚め、まだ雨が降っていないことに気づく。思えば、明日から本降りのため明朝未明の薬師岳登頂は困難に思われた。
ならば、今日登っておくべきではないか――。幸い雨はなく、日没までに山頂に立てる可能性があった。
よって、予定を変更し、急遽非常用荷物をまとめ登頂を開始した。テント場横からすぐ始まる写真の如き川跡に続く急登の登山路をひたに登る。
200m近く高度を上げると、この様な平原が現れる。「薬師平」と呼ばれる場所で、高層湿地となっている
薬師平を過ぎてからまた急登が始まり、荒れた尾根筋に出る。森林限界を超えた高所らしい地貌だが、着ていた雨衣が暑くなり、上下共々脱いだ
更に進むと、山頂直下にある最後の山小屋・薬師岳山荘が現れた。標高は2700m弱。テント場から約1時間で着いたが、ここに至り風雨が強くなってきた。山頂まであと少しなので、もう少しもって欲しい
薬師岳山荘前のベンチから見た、風雨で霞む薬師岳山頂方面
風雨のアタック
そろそろ夕食が始まりそうな気配が窓から見えた薬師岳山荘前で、また雨衣を着込み山頂を目指す。時間は16時半、暗くなるまであと1時間以上あるので、このペースならそれまでに登頂出来る筈。すれ違った人もなく、時間的・天候的に恐らく私が今日最後の登頂者となるだろう。
しかし、あろうことか、進むにつれ風雨は増すばかりで、遂には風速15m程の強風雨と化した。逃げ場のない稜線高所で、先程まで暑かった身体も一気に冷える。しかも、防水靴の片方と同手套の両方が故障浸水していたため、一層の悪条件となった。
それでも構わず登坂を続けるが、急に力が抜けてきた。そういえば、正午頃に軽い昼食を済ませて以来、何も食べていない。寒さと相俟って、熱量不足に陥ったか。
風雨に背を向け、寝そべるようにして一服し、非常食の一部を口にする。すると、忽ち効果が現れ、行動可能となった。しかし、風雨は更に強まり、ガスによる視界不良も著しくなった。
標高2870m超、山頂までの高低差は50m程まで接近したが、距離はまだ600m程あった。時折、手前の偽頂後方に聳える山頂の黒い影が見える。
たとえ視界が失われても現在地や地理を把握しており、また念のためGPS地図も稼働させているので道を外すことはないが、偽頂から上の細尾根で風が強まると退路を断たれる恐れがあった。また日没も近い。下山に備えライトを用意していたが、暗闇かつガスの濃い暴風雨中の行動は厳しい。
何より、どこか気味が悪い。進むにつれ阻まれ、まるで山が拒み、怒っているようである。
残念ながら、ここにて登頂を断念――。急ぎ下ることにした。どのみちこの状況では証拠写真を撮ることすら難しく、視界の件と相俟って、快い価値ある体験とはなるまい。
悔しくも……
さて、下りの逃げ足は速く、1時間程でテント場に戻った。最後はライトで足下を確認しつつ。そこも雨が本降りとなっていたが、山上とは別世界の穏やかさ。やはり山は奥深い。そして久々に山の怖さを感じさせられた。
盛大に濡れた装備を天幕内で拭いたりして明日に備える。装備浸水のこともあり、もはや連日の行動は難しく、眺望や温泉の楽しみも得難いため、山行継続を断念し、明日下山することを決める。
車行6時間、重荷負う歩行9時間も費やし(高速・燃料代も多大)ここまで来たので悔しい限りだが、天候を変えることは出来ぬため致し方なし。
「'23奥黒部行」2日目の記事はこちら。
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