2024年01月01日
特異歳初
令和六歳、特異な幕開け
令和6年、即ち西暦2024年の幕開け来る。
一先ずはめでたい元日ではあるが、朝から結構な雨が降っていた。ただ、比較的気温が高めで、時折陽が射し、その中で雨が頻りに降るなど、少々特異な天候、年明けとなった。
午前遅くに纏まった雨が収まったため、初詣に出掛ける。予報では、これから晴れ間が現れる筈であった。しかし、時折小雨が舞うなど安定せず。そのため、傘を忍ばせての参拝となった。
写真は、最初に向かった平安神宮の門前。帰途の昼前に、神宮正門の応天門から大鳥居方向を撮ったものである。新型肺炎5類化後初めての正月となったが、天候の割に先ずまずの人出が見られた。
こちらは平安神宮・外拝殿(模造大極殿)。本殿を礼拝するための施設で、入場待ちの列が出来ているが、以前に比してその数は少なめで、待ち時間も短かった。ただ、門外を含め、境内は朝の雨でかなり湿っており、歩行には注意が必要であった
深夜、京都市街上空で低く大きな唸り音をたて東北方向へ進む3つの光跡
更なる特異発生
さて、平安神宮を始めとして、馴染みの寺社の幾つかに詣でて撤収。予報に反し、奇妙な天気は終始変わらずじまいであったが、屋内では平和な日本の正月を楽しまんと、親族宅でおせちや一献を楽しんだ。
その後、珍しく観ていたテレビの登山特番に、けたたましく地震速報が割り込んだ。場所は石川で、彼の地で数年前から群発していた地震の一部かと、一寸緊張が解けたが、その後、大きな揺れがやってきた。
それは、長く、只ならぬもので、思わず、脱出口を確保せんと、窓や玄関戸を開けに走った程であった。外を見えれば、電線が大きく揺れ、付近の家からも驚いた人が出てきた。
漸く収まった揺れに警戒しつつ状況を確認。幸い何の被害もなく、近隣も同様であった。ただ、遠方のここでさえ只ならぬ揺れのため、震源近くは大変なことが起こったと直感した。
その予感通り、直後にテレビは石川能登地方での烈震発生を告げ、そこを中心とする広域での津波発生も報じた。以降テレビはどの局もその報道一色となり、徐々に被災情報が入った。
その後、明らかになった甚大な被害は周知の通り――。
めでたい筈の正月初日に、こんな大難に襲われるとは、被災地の人が気の毒でならない。どうか、1人でも多くの人が救われますよう。また、これ以上の揺れや津波が収まりますよう……。
夕方から夜半まで震災報道に釘付けとなり、また、夜合流した親族との関係もあり、就寝が遅くなる。その直前、既に日が変わって暫く経っていたが、外で大きな音するので見てみると、夜空に3点の灯りが。
京都市街東部上空で暫く留まって見えたそれは、恐らく大型の輸送ヘリで、やがて3機編隊で東北方向に飛び去った。奈良等の基地から石川へ派遣される自衛隊機であろうか。
星に対して行うように、その灯火に、一刻も早い、1人でも多くの人命救助を願った。
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