2024年09月27日
'24奥黒部行(四分之二)
迂遠の道へ
奥黒部周回行2日目。
今日は前夜野営した薬師峠のテント場から一旦黒部川上流渓谷に下って対岸の雲ノ平に登り、その北方の高天原にまた下る予定であった。
本来なら標高の高い雲ノ平に上らずに済む渓谷からの巻道を選べるが、荒れ気味との情報があり、また雲ノ平山荘の人に以前受けた便宜のお礼をせんと、敢て長く負荷高いこの迂遠路を選んだ。
上掲写真 薬師峠の野営場を出て暫くして見えた今日最初の目的地・雲ノ平(中央奥の台地)。これから手前の薬師沢に急下降して遠路その麓の黒部本流まで進み、その後急峻な台地端を登ってその上面に達する。
参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。
朝6時20分に野営場を出る。予定は6時だったが、また遅くなった。少し進んで振り返ると薬師岳の雄姿が。天気は曇りだが、その山頂(右端の白峰の左後ろの頂)ははっきりと見え、穏やかそうであった。時間があれば今難なく登れたと思うが、まあ仕方なし。またの楽しみに……
太郎平小屋の後ろにある分岐を来た道とは異なる左(東)に入り、急下降の道が始まる。なだらかな太郎兵衛平端面の下りである
急下降を経て沢筋に降りると、このような支流沢を渡る橋が幾つも現れる。鉄骨のもののあり、木柱のものもあった
黒部川本流と薬師沢小屋
沢沿いの道はかなりの高所を高巻く道があるなど予想外に多様であった。
最後に広い湿地に出たかと思えば、端部から細尾根の下降となり、写真の如く、その崖下に漸く澄んだ碧水を湛えた黒部本流が見えた。
そして、薬師沢小屋に下り着く。標高は1912m。同2350mの太郎兵衛平からの下降であった。下端に小屋がある細尾根は薬師沢と黒部本流の分岐・合流点となっていた
黒部本流に架かる薬師沢小屋前の吊り橋。足場が細く、乗ると揺れるので、苦手な人はここで進めなくなるかもしれない。それにしても、河水が別格的に美麗だ
溶岩台地・雲ノ平へ
さて、薬師沢小屋で約2時間の歩行の休息をとったのち、吊り橋向こうの雲ノ平への急登に挑む。黒部川対岸は即ちその台地の端部である。
慎重かつ素早く橋を渡り、非増水時の道である河原に降りて高天原への巻道である大東新道(だいとう・しんどう)の分岐から、この雲ノ平への急登を進んだ。
ここも評判の悪路で、丸く大きな溶岩が滑りやすい。天気が良くなり気温も上がったが、深い樹林のため助かった。
恐らく今回の行程で最も傾斜角が大きく、そして長い急斜道を小休止の繰り返しで一気に登り、上部の湿地面にでた。標高は2370m超。峡谷から500m弱上ったことになる。荷物が重く疲れたため、ここで大休止。とはいえ数分。急斜前半で後ろに続いていた数組の登山者とはその後会うことはなかった。皆、非初心者風だったので、それほど負荷の高い場所といえた
最初の湿地面からまた深い樹林に入り、先へ進む。基本足下が湿地の緩やかな登坂が続く。地形図による予習で傾斜については知っていたが、森林も含む多様な場所であることに少々驚く。雲ノ平といえばテーブルランド(卓状地)の印象があるが、実際には浸食等によりかなり複雑な地形・地貌となっている。さて、森を抜け幾つかの湿原を過ぎるも最初の目的地は遠し。祖母岳(ばあだけ。標高2560m、右の樹林山)が見えて初めてその左下に雲ノ平山荘が確認できた。写真では見難いが。とまれ、まだ遠い(笑)
祖母岳麓の緩い谷地や広がり始めた湿原を進み、やがて溶岩(噴石?)台地上にたつ雲ノ平山荘が現れた。今日最初の目的地である
雲ノ平山荘。標高2550m、3年ぶりの訪問である。野営場から約5時間の行程であった。背嚢等を小屋前に置き、左の階段から中に入った
雲ノ平山荘玄関内部。受付兼売店があり、中の姉さんに以前お世話になった人を問うと、今年は来ていないという。仕方なく、訪問の言付けを頼む。薬師岳登頂に続き、この訪問も昨年同様空振りとなった。薄謝代わりのお菓子を持参していたが、非常食にすることにした
箱も食事も良い雲ノ平山荘
ちょうど昼前だったので、靴を脱いで山荘の食堂に入り、昼食を摂ることにした。食料は完備していたので本来不要だったが、今回宿泊で山荘を利用できないためのお詫び的気持ちがあった。
山荘内部は玄関部以上にその造りの素晴らしさが実感できた。近年建て直したためだが、家具調度品に至るまで良材や好意匠が駆使されている。現当主氏のこだわりか。
更に特異なのは、本棚に山の本がなく工芸や建築関連の図録が並び、現代美術・陶芸の作品が置かれ、現代音楽まで流れていることであった。
まるで写真家か建築家の友人宅にいるような雰囲気。個人的に当主氏とは話が合いそうだが、他の登山者や従業員とはどうなのであろうか。
食堂の外にはこの様に好眺望のテラス席もあったが、雲が厚くなり寒かったため、内席にて名物らしきジャワ風カレーを食した。下界より少々値が張るが、よく煮込まれた具沢山のその味は素晴らしかった。これなら下界でも得な価格といえた。制約多い奥山における努力と工夫の賜物か
小屋の雰囲気や料理の美味しさに因りつい長居となった雲ノ平での昼休みを終え今日最後の目的地の高天原へと出発する。雲ノ平山荘下の湿地にまた下り、高天原への分岐路が続く向かいの丘に登る。丘上からはこのように山荘を中心とした雲ノ平全景が見渡せた。またいつの日にか……
山荘は見えなくなったが丘を越えても雲ノ平的湿原景は続く。少し雨が降ってきたが、なんとか高天原までもってほしい
やがて台地縁に達し、樹林の細尾根の急下降となった。午前あれだけ登ったのに、また下がるとは勿体ないが、仕方なし
急下降の途中、また広い湿原があり、そのなかで今回初めてのナナカマドの紅葉を目にした
湿原を挟み前後二つの急下降を経て高天原峠に着く。二つ目の急斜は梯子場が連続するなど、なかなかなもので、登りは大変に思われた。また、足下も薬師沢小屋からの急登に似た溶岩道で、滑りやすく思われた。さて、峠からは尾根を外れて右の谷へと下る
高天原峠からの下り道を進むと、やがて谷沿いの水気多い湿地が続くようになる。今は木道で整備されているが、それが無い時代の通行困難がしのばれた
沢沿いの湿地を抜け、渡渉箇所が現れた。水量が多くともこの様な橋があるため難なく渡れるが、更なる増水時は大変であろう。高天原山荘は対岸地帯にあり、孤立しそうだからである
橋を渡って樹林を進むが、なかなか山荘は見えない。もうそろそろの筈だが……。その代わりに、この様な大きく開けた湿地が現れた。中々良い場所。山荘への道はこの縁を大きく周りつつ続く
今日の宿泊地・高天原山荘
そして、湿地を過ぎて乗越し的微高地に差し掛かると、突然建屋が現れた。今日の最終目的地で宿泊地の高天原山荘である。
標高は2120m超、なんとか天気も回復し助かった。15時前だったので、出発が20分遅れ、更に雲ノ平に長居した割には予定の30分前に到着できた。
左奥に水晶岳聳える高天原山荘前のアルプス的好眺望
最奥温泉へ
ここは野営不可で小屋泊を予約していたため受付で手続きをし、2階大部屋の布団横に荷物を置き小屋前の露台で先着者らと談話する。
皆、大東新道等の近道で早く着き、温泉にも入ったようなので、私も遅くならないうちに入湯することにした。
温泉場は歩いて20分程先にあるため進むが、この通り、草履で行けるような状態ではなく、更には途中幾度か渡渉もあった。
ほぼ登山道といえる樹林の道をひたに進むも温泉はなし。道を間違えたとの疑念がいよいよ強まった頃、硫黄香る広谷に達し、その畔の温泉小屋が見えた。日本最奥温泉とされる、高天原温泉に遂に到着である
高天原温泉の混浴露天風呂と沢の対岸にある男湯小屋(左奥)と女湯小屋(右奥)。銭湯でお馴染みの湯桶があるのが面白い
こんな時に限り……
温泉到着時はちょうど先客が皆出たばかりだったので、囲いのない混浴に入ることとした。ところが、服を脱いで身体を洗い始めた途端に女湯から女子二人が出てきた。
慌てて岩陰に隠れつつ洗いを済まし、湯船に入る。私は気にしないつもりだったが、うら若い向こうにとっては見苦しいだろうとの思いである。
露天の湯は洗剤なしでも髪がほぐれる程の素晴らしい質で、湯温も良かったが、女子組が中々去らなかったため、湯船から出られず、湯当たりを起こしてしまった。しかも、こんな時に限って日射しも強力になっていた。
何事も中々上手くいかぬものである。女子組が去って無人になった温泉沢で少々朦朧となりつつ着替えを済まし、小屋に戻った。
夕刻、高天原山荘前に現れた水晶岳のアーベンロート(夕照)
温泉から帰っても暫く気分が優れなかったが、他客との談笑で徐々に回復する。先程の女子とも明日からの行程が同じということで仲良くなった。
そして日没前に露台の卓で調理をし、夕食を済ませた。小屋食をとる人の方が多かったが、私は用意してきたことと、節約のため自炊した。気候の温暖にも助けられ快適であった。
少し前まで3000円程だった素泊まりも、今や8000円以上となり、食事をつけると更に5000円も高くなる。ただ、食後聞いたところによると、小屋の夕食は頗る美味で、総合的に満足できるものだったという。「安かろう何かろう」の以前と異なり、質が上ったのであれば何よりである。
高天原山荘の窓辺を照らすランプ。この山荘は珍しく内燃発電機がなく館内の灯りをこれで賄う「ランプの宿」となっている。よって、静かで、宵以降、風情を増す
後悔抱え就寝
日没後、殆どの人が就寝したが、夜型の私が寝られる筈もなく(笑)、階下書棚前のランプ下で独り湯割りのウィスキーを飲む。
すると、1人の同宿年輩男性が合席許可を訊いてきた。ガイド付登山で訪れたというその人も寝られないらしく、ビール片手である。そして知らぬ者同士、暫し色々な話に興じることになった。
それは、ランプが消される訳ではないが、静かにする決まりの20時の消灯時間まで続き、その後、互いに床に入ることにした。
ただ一つ後悔したのが、「寝られない原因には心的なものがある」と告げられた時、とっさに「それは誰にでもある」と返したことである。
年輩者の深い事情に立入ることへの遠慮からであったが、知らぬ者へのこの場限りの吐露として聞くべきだったのではないかと悔やんだのである。
そんな思いも抱え、どうせ寝れまいと思いつつ床に入った。
「'24奥黒部行」1日目の記事はこちら。
「'24奥黒部行」3日目の記事はこちら。
「'24奥黒部行」4日目の記事はこちら。
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