
「町家の日」に
写真は格式ある格天井(ごうてんじょう)と、その中心よりさがる、どこかで見たような古式の硝子洋灯。はたして、ここは何処なのか……。

答えは、京都市街中心にある新町通沿いのこの仕舞屋(しもたや。非商家造)風の大型町家。呉服関係者の旧宅跡だが、今日のみ無料公開されていたので、小雨舞う午後から訪ねたのである

旧川崎家住宅「八竹庵(はちくあん)」の門脇にさげられた「町家の日」の幡(はた)
その町家が特別公開されていたのは今日3月8日が「町家の日」の為であった。英語の3月(March)と8(や)をかけた名らしいが、これまで知らず、催事関係者の知人の紹介により初めて知ったのである。

八竹庵の門を潜ると、町家では珍しく屋根のない通庭(とおりにわ)があり、その横にこの様な洋館が現れた。旧帝国ホテルと同じ常滑タイルの外壁は、小規模ながら正にこれが造られた大正期の最先端仕様であり、驚かされた。しかし、その前に破風小屋を置き、通りから見え難くしているところに、京都人の伝統的警戒心が感じられて面白かった(最近の調査でも最も資産を明かさない土地柄と判明。これも為政者等への警戒心か)

八竹庵の玄関(客用)は洋館後方にあり、誘導されて入るとすぐに洋館内のこの応接間が現れた。様々な豪華意匠・調度品があるなかで、最初に紹介した照明が先ず目についたが、正に当時物のアールデコ様式シャンデリア。精巧な造作からフランスのデザイナー、ルネ・ラリック(1860-1945)の作を想わされたが、もしそうなら、これだけでも相当な価値がある

洋館見学のあとは、その奥にあったここへ。寺社のものかと想わせるような立派な台目茶室であった。嘗ての繁華街にある町家がこの規模の茶室を持つこと自体珍しく思われた

茶室のあとは更に奥へ進み、和室大広間などを見学。それらに接す広縁からは、この様な広く立派な中庭も見えた。しかも両側に、である。豪壮な広間は無論、もはや通常の町家設えとは呼び難い規模で、これぞ正真正銘の市中山居か。当時の縁側硝子が完存していることも素晴らしい

こちらは2階の洋間サロン。1階の応接より内向きの設えながらも、その豪華さは劣らず。恰も華族屋敷の食堂のようである

これはこの町家の最も特徴的な部分。2階から続く洋館屋上への通路である。実は祇園祭の山鉾巡行を見物するための設えらしく、鉾町らしい特徴であった。今や通り向かいに覗くマンションの無粋が残念で悲しいが……

その後、これまた豪壮な蔵の内部などを見学後、八竹庵を後にし、暫し新町通を南下。そして四条通を横断し到着したのが、この船鉾町会所であった。祇園祭・船鉾巡行の拠点であるが、今日は町家の日の関連催事が開かれていた

船鉾町会所の2階でも行われていた「町家マルシェ」
雨やまぬも有意義に
催事の名は「町家マルシェ」。会所建屋内に雑貨や軽食の小店が集まり、小さな市を成していたのである。
今回は私の紹介で出店した友人の店があったため応援がてら覗いた。意外の一等地に陣取る友人に挨拶し、内部を見学。皆、唯一無二の個性的な店ばかりで興味深かった。
その後、閉館間近となったので、撤収。本来はもっと早い時間に訪れたかったが、前後に用があったため仕方なし。
それにしても、午後から晴れの筈が、結局帰りも小雨は止まず。しかし、有意義な時を過ごせたので、良しとしよう。