
神話・万葉の地「畝傍」へ
駅前の建屋群から頭を覗かせる紅葉の小山――。
写真の通り、小山ながら何処か無視できないその姿は、奈良盆地南部にある畝傍山(うねびやま。標高198.8m)であった。
所謂「大和三山(やまとさんざん)」のひとつで、記紀神話や万葉集を始め、古来多くの伝説や歌に記された歴史的名山である。

普段縁のないそこに今朝来たのは仕事の関係による。それは、その現場が写真の畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)最寄りの為であった。
奈良・大和地方特有の「大和棟」風の急斜屋根をもつ駅舎の向かいに上掲写真の駅前通りがあり、畝傍山が覗く。
やはり、駅自体が山を意識して造られていることは確実であった。それは一体如何なる理由であろうか。

御陵敷地内にある宮内庁書陵部事務所
初代帝陵初参拝
畝傍御陵前駅付近での仕事を済ませ帰路につく。しかし丁度昼時だったので、昼休みがてら駅と畝傍山に関する施設に寄ることにした。
それは、畝傍山麓にあり、仕事場近くにあった神武天皇陵。神武帝といえば我が国の初代天皇で、建国神話上の英雄。
伝説的人物とはいえ、日本人や国にとって重要な存在であるその人の陵墓がここにあることを、恥ずかしながら今日初めて知った。
記紀の記述によると神武帝は畝傍山麓で即位し、そしてその東北に葬られたという。つまり、御陵前駅はその伝説に基づいて後世整備された陵墓の参詣駅だったのである。

神武陵境内にある宮内庁書陵部事務所玄関。陵墓管理棟とみられ、重要陵墓に相応しい伝統的かつ品位ある建築。裏口的な道の途上にあったが、職員らしき人に「ここからでも参拝可能」との話を聞き陵前に進む

事務棟を過ぎると広大な前庭をもつ神武陵が現れた。表参道は鳥居の対面に続くので、ちょうど横から入った形である

初代帝陵で見た落差
そして、正面にて参拝。陵墓特有の神明鳥居向こうの環濠内の森なかにあるらしい方形土壇墓は元はミサンザイ古墳と呼ばれ、記紀の記述や小字(こあざ)地名等に依り幕末に治定されたという。
ただ、他の史料から、古代から神武陵はこの辺りにあったらしく、それはミサンザイの北に隣接する古い土壇「塚山(現第二代・綏靖天皇陵)」や畝傍山中の塚ではないかと推測されている。
ミサンザイや塚山が本格的に整備されたのは近代明治以降のこと。隣接する神武帝を祀る橿原神宮(かしはらじんぐう)の創建に合わせ、国民国家の象徴・国家神道の要所として拡張されたようである。
それにしても、私以外全く人がいない。周辺の緑地を含め、明治神宮の如き広大荘厳なその規模との落差を感じ得ない。
神武陵を訪れたことにより、駅が造られたことを含む戦前までの当地の隆盛が想像出来たが、逆に戦後の急変も思い知らされた。
国民から忘れられた初代国王墓の姿は、兎角極端に走った観のある日本の戦前・戦後を象徴するようにも思われたのである。

人のいない神武陵表参道
所思深き休息終え帰京
神武陵参拝を終え表参道から境内を抜ける。参道両脇には正に神宮内苑の如き厳かで深い森が続いていたが、やはりそこにも全く人が居なかった。
嘗ての戦前の日の如く、また京師の昨今の観光地の如く、再びここが隆盛を得る日は来るのであろうか。そんなことを考えつつ陵地を出た。
その後、近くに食事の場がないため、念のため持参した軽食を公園で食し、また畝傍御陵前駅から帰京した。
僅か30分足らずの休息見聞であったが、その思う処は深いものとなった。
