2026年01月01日

八歳初詣

元日の陽に映える平安神宮の正門・応天門

昭和満百歳の節目
諸難儀背負う門出


今年もまた年が明けた。令和八歳、即ち2026年の幕開けである。

2026年といえば、僅か7日しかなかった1926年末の昭和元年から数えて実質的な100年目。

つまり、満年齢的な昭和百歳の年であった。それに合わせ、政府主催の式典等も今年行われるという。

正に、政治や暮らしが激動し、未だ方々にその影響が残る時代を、公私共に改めて考えさせられる年になりそうである。

思えば、4年も前に始まった東欧の戦争は未だ終らず。そして、その他新たな火種も方々で燻り始めている。ここ京都での暮らしも、物価高等の難儀が止まることを見ず。

この様に、昭和とは異なる、また新たな難儀を背負う門出となったが、一先ずは身近な平穏を喜び、感謝したい。

皆さん、どうか本年も宜しく……。


上掲写真 元日の陽に映える平安神宮の正門「応天門(おうてんもん)」。


元日の参拝客で賑わう京都・平安神宮参道
さて、元日の今日は恒例の初詣に。午前の先発は京都市街東部にある平安神宮から。前日の大晦日に続き、今日も寒い朝であったが、応天門に続く神宮参道はこの通りの賑わいであった


平安神宮応天門横に置かれる最古の路面電車
応天門横の手水舎に向かうと、その奥にこれまでなかった建屋と展示物が。なんと、以前塀裏の神苑隅に置かれていた明治市電ではないか。当時は表から見えない場所で朽ちた姿で佇んでいたが、修繕されて陽の当たる場所に移されたようである。明治44(1911)年製造の現存最古の稀少路面電車だったので一安心。5年程前の重文指定を機に整備されたのか


平安神宮応天門後ろからみた拝殿と参拝客
そして応天門を潜ると、正面に本殿を拝むための拝殿(大極殿)が現れた。人は多いが、まだマシか


平安神宮拝殿前に並ぶ元日昼前の参拝客
しかし、拝殿前にはかなり人がおり、結局昇殿まで暫くここで待つこととなった。今年は拝殿内の参拝者がかなり減るまで昇殿を規制しているようである。並び方も含め、ここの人捌きは毎年変わるような気がする


元旦の陽に輝く平安神宮大極殿の金色の鴟尾
昇殿を待ちながら歳旦の陽に輝く拝殿屋根の鴟尾(しび)を見る。ん?、いつもより輝いている。金箔の貼り直しが行われたようである。そして、他の場所もよくみると、柱の朱や漆喰壁の白が大変美麗になっていた。調べると、創建130年事業により去年までに補修されたようである


下御霊神社の表門と中に並ぶ元日参りの参拝者
その後、平安神宮大極殿での参拝を済ませ、これまた恒例の京都市内中心部にある下御霊神社(しもごりょう)を参拝。表門近くまで本殿の鈴振りを待つ人がいたので、適当な場所から参拝と喜捨を済ませた


京都山科・毘沙門堂門跡の本堂前に並ぶ元日参拝客
下御霊社の次は、そこからかなり離れた市街東郊となるが、同じく恒例の毘沙門堂門跡を参拝。ここは更に混んでおり、門外の石段中程まで人が並んでいたが、今日最後の参拝地のため並ぶことにした。写真は漸く本堂前の小門前まで達したところ。かなり時間を費やした


京都山科・毘沙門堂の正月参りでの甘酒接待中止を告げる貼紙
毘沙門堂は市内とはいえ山中にあるのでかなり冷える。いつもは焚火と共に温かい甘酒が提供され助けられるのであるが、今年は珍しくなかった。貼紙によると、直前の事情により中止されたようであった


手作りの注連縄飾り
毘沙門堂を最後に親族宅に帰り、寛ぐ。今年、自宅には実験的に手製の注連縄を提げてみたが、如何せん初めてなので上手くいかず中途半端な状態となった。そのため後日詳しい友人の助言を受けて遣り直してみた。写真はその後のもの。藁や紙垂(かみしで)が草臥れているが、これが正に試行錯誤や遣り直しによる結果。方法やコツは判ったので、次はちゃんとしたものを作りたいと思い、細やかな新年の抱負としたのである

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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