2009年07月23日

日蝕深大

2009年7月23日11時5分過ぎに京都・賀茂川(鴨川)河岸の雲間に現れた半月状の日食太陽

光落ち、日食現る

前日までのような強い雨こそないが、今日も朝から空は晴れない。

午後からの外出先について、共に行く人からの相談を電話で受けるが、その内容はやはり雨が降るか否か。そうこうする内、部屋内に届く光が益々落ち、またも強雨襲来の情勢悪化が疑われた。

しかし、ここで気づいた。今日の暗さは雨ではない。前夜まで世間が騒いでいた「日食」に違いあるまい。今回の日食については、その中心舞台が九州・沖縄地方であった為、あまり興味をもっていなかった。しかし、直前に、京都でも8割以上の食が見られるとの情報を聞いた為、興味の割合が比較的上昇していたのである。

そして、受話器を置き、急ぎ賀茂河畔に出て目撃したのが、写真に見える半月様の太陽であった。厚い雲が空を覆っていた為、中々見え難かったが、こうして時折顔を出す瞬間を狙って捉えた。時は11時5分過ぎ。京都地方に於いて、食が最も進むとされる頃であった。

時折しか見えず、しかも雲による乱反射のせいか、光度もさほど落ちなかった為、正直感慨たるは薄かった。しかし、皆既地点の如く、全くの暗然が現れれば、どうだったであろう。


対岸や中洲に日食観察者が多数見える、2009年7月23日11時10分頃の賀茂川(鴨川)・高野川合流部分(出町柳)
同じく11時10分頃の賀茂・高野川合流部(出町柳)。対岸や中洲に、多くの日食観察者が見える。見ての通り、雲が厚い為、それに因り暗いのか、日食に因り暗いのか判じ難い

日食が示す「時の非情」「世の無常」

日食による暗然の様と言えば、思い出されるのは母が話していた体験談である。今から半世紀程前、九州南部で少女時代を過ごしていた母は、学校にてそれに遭遇したという。

調べてみると、所謂「皆既」ではなく、暗さに劣る「金環」であったが、本人の話では、白日が一転、夜の如く化したという。その異様さに恐怖を感じ、また、あって当たり前と思い込んでいたものが失せるという不可思議さも感じたようである。

その時、この機会を貴重な体験として授業を中止しての観察を許した教員が次のように言ったという。


「皆さん、これから起ることは大変珍しいことなのでよく見ておきましょう。未来ある皆さんなら、あと1度は見られるでしょうが、先生はもう2度と見ることは出来ません。」


日食という特異現象が教える、人生の有限――。

母は、その時示された「時の非情」たるものに、日食の特異さ以上の衝撃を受けたようである。

それから半世紀――。九州南部に次の金環食が出現する2012年まで残すところあと数年となった。しかし、「教壇の神」に約束された筈のその訪れを、母は見ることが出来ない。それは、彼女が、あの日恐れた「時」以上に容赦ない、世の無情(無常)により、早々に世を去った為である。

母があの時感じた「恐れ」は非情にも的中したのであった。

やるべきことに取り掛かろう

何か大事なことを後回しにしているようなことはないだろうか。他ならぬ自分の人生に於いて、やり遂げておくべきことを、である。

「老後の何とか」も否定しないが、世は見ての通りの無常である。なら、今すぐ取り掛かるべきではないか。これは読者への提言だけでなく、私自身への自戒でもある。

僅かな日食観察であったが、考えさせらることは深く、大きい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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