
南湖「古董灘」南辺調査
朝、甘粛省省都「蘭州」の名物でもある「牛肉面」を食したあと、宿付近の路地に窯を据える維吾爾(ウイグル)小店のナンと水等の非常食を仕入れタクシーに乗り込んだ。行先は昨日に続いて南湖古董灘。今日はその南方に残存するという、長城や烽燧(狼煙台)の探索である。
写真は、その最寄で、荒漠への出発地となる南湖集落南辺にある「渥わ(三水に土2つ)池」という用水池。古代、「渥わ水」と呼ばれた池沼があった場所とされ、天馬出現伝承も持つ。とまれ、満々と清水を湛える様は、荒漠地に於いては貴重な風景。

「渥わ池」北側、堤防下にある湿地。恐らくこちらの方が、古代「渥わ水」の原景に近いと思われる

「渥わ池」より、また独り荒漠に入る。タクシーの運転手は、敦煌への帰路を心配してくれたが、公共バスで帰ることを説明し、別れた
写真は流砂の丘陵を越えて発見した尾根状に続く土堆。高さ2m以上、幅数mで、数百m以上続いている。資料に記載されている、古代の長城跡と見られている「二道風墻」の規模・所在地とほぼ一致するが、断面を観察しても人工物かどうかの判別はつかない。勝手に発掘する訳にはいかないので、断面観察で判断がつかないと難儀である。とまれ、一応撮影や採寸等の記録は行う。

川底に少し水を有した西土溝を渡渉し、対岸地帯も探る。昨日紹介した場所より南、即ち上流方向である

西土溝上流からの眺め。即ち北、陽関博物館がある敦敦山(本来は敦に土扁が付く)方面である。地平線右に見える緑の帯が、南湖集落である。5km程進んだか

流砂に乗って一帯を俯瞰し、遺構を探す。少し前から強い風が出てきた。荷物を含め、砂まみれとなる。カメラの故障が心配である。というか、更に強くなり視界が悪化すると身も危険である。帰路である集落側の方向を、磁針で慎重に確認しつつ備える。かつて敦煌西郊で、1人荒漠に入った地質学者が、砂暴風に巻き込まれ行方不明になった事故を思い出した

流砂より顔を出す2条の石列
同様に、長城跡を想わせる砂尾根や、烽燧跡を想わせる小丘等を見かけたが、何れも判別が難しいものばかり。

すわ追放?無人の荒野に呼び人現る
遺構がありそうな場所の最も南側を調査後、一転して北方へ向かう。その途中、彼方の西土溝対岸に人影を発見した。確かに左右に揺れ動く1人の人間が見える。南方へ向かって進んでいるようなので、そうこうする内、北行する私とかなり近い距離となった。よく見れば、頻りにこちらの様子を窺っている。嫌な予感である。
官憲か軍人か、経験上この様な場合、尋問されて追い払われる可能性が高い。疾しいことは何も無いが、気分を害したくない為、無視して過ぎ去ることにした。だが、やはり対岸から声を掛けてきた。仕方なく振り向くと、何やら大声で訊ねている。風により聞こえ難い為、双方接近し河床にて落ち合う。大柄だが予想に反して線の細い若者。身なりは質素だが、今風に少々髪を染めていたりもする。
「あんたさっき山側にいただろう。俺んちの駱駝とか何とかがそっちの方へ行ったんだが、見なかったか?」
若者の用件は以上であった。安堵である。見なかった旨を答えると去りかけたが、こちらも二道風墻や烽燧について質問した。風墻は知らないが、烽燧なら北側2キロ程の場所にあることを教えてくれる。中々気立てのいいあんちゃんである。写真は、河岸を上り、去り行くその後姿。緊張は一転し、めでたく辺土の長閑と化したのである。

あんちゃんが教えてくれた烽燧。所謂、狼煙台跡である。その姿から、資料にある「西土溝南敦(本来は土扁付)」に違いない。ただ、記述の場所よりかなり北方にあった為、作成した遺跡図を修正しなければならない
日干し煉瓦数段毎に補強の葦束を入れる建築様式は、正に古代のもの。「漢代の烽燧である」との報告は間違いないようである。

烽燧の接写。日干し煉瓦の間に葦束が敷かれている。葦は2千年の時を経たものと思われるが、昨日刈り取ったかの如き姿を晒している。偏に、乾燥の恩恵か

烽燧周辺に散乱する土器片。幅広模様を有すこの種も、漢代に特徴的なものである

南湖集落へ向かう帰路より、南敦を返り見る。付近の戈壁には遺構めいた小丘が広範に見られた。因みに、烽燧の右横に見える2つの盛り土は、住人の墓所。少々陰惨な印象を与えられる地である
陽も傾いてきたので、本日はこれにて撤収である。

南湖集落の際にて遭遇した干し葡萄製造庫。風通しの良いこの中に収穫した葡萄を吊るし置く
車が無い!
さて、これでまた今日1日が終る筈であったが、とんだ番狂わせが起った。なんと、敦煌へ帰るバスがなくなっていたのである。バスが出る集落中心地に18時頃着いたが、昨日はそのころまで発車を待っていたバスが既に出てしまっていたのであった。他からの経由便やタクシー等を捜すが、待てど暮らせど来ない。そうこうする内、日は暮れ、辺りは暗くなってしまった。
砂漠気候特有の急激な気温低下。上着を足してもまだ寒いぐらいの状況となった。偶に見る車は皆街から帰って来るものばかり。辺りを見回せど、開き直って泊まる宿も見当たらない。思えば、明日早朝より遺構見学の為に車の予約もしていた。しかも、既に支払済みである。夜通し歩いて帰ることも考えたが、さすがに70kmは遠すぎ、到底間に合わない。さて、如何はせむ……。
考えていても埒が明かないので、蛍光灯光の漏れる一件の店を訪ねる。携帯電話店らしきその中には、既に閉店したのか、3人の若い男女がフロア中程のテーブルにて食事をする姿があった。早速、タクシーの有無を訊ねる。しかし、やはりないという。ただ、内の1人が、携帯電話を取り出し、連絡してくれるという。20代後半程、しゃがれ声に自然な笑みを絶やさない気さくな男子である彼は、早速ドライバーの友人に連絡し、料金の交渉と待合せの手筈を済ませてくれた。そして、暫しの休息と食事まで勧めてくれたのであった。
かの硬派ライダー出身俳優「Tひろし」似の彼は、食後、正にそのイメージ通りに単車を操り、私を後席に乗せ待合せ場所である自家まで連れ出した。彼の腰に掴まり暗闇の戈壁道を快走する。風圧と爆音、そして寒さに見舞われるが、痛快であった。思わぬ奇縁に、ひとりでに笑みまでこぼれる。そして彼の家でも、自家の如く寛ぐことを勧められた。ここで問われ、初めて日本人であることを明かす。少々驚きがあったが、その後も変わらず良く接してくれた。楊某と名乗る彼は、豪華なこの庭付き一戸建ての家で妻子と共に暮らしているようである。
やがて表にタクシーが到着し乗り込む。礼状用の住所問訊を照れながら断る楊氏に厚く礼を言い別れる。彼の友人であるドライバーも実に快い人物であった。
こうして、正に「好漢」の楊氏らに助けられ、無事敦煌の自室へ帰着出来たのであった。有難い限りである。感謝!
