2009年10月24日

さらば敦煌

中国西部敦煌市街の農産品市場

座席車移動の難に備えつつ準備

遂に敦煌を去る日がやって来た。朝から頼まれ物や土産等の買出しに行く。列車は今晩7時発なので時間には余裕があるが、その分、ゆっくりと事を行い、長時及ぶ座席車移動の難儀に備えることにした。宿の部屋はそのまま6時までの半日を押さえ、いつでも休息やメール・電話連絡が可能な状態にしたのであった。

先ずは市場へ行き、特産の干果や調味料、そしてその他の土産物等を仕入れる。写真はその市場の出入口である。簡体字で「無公害農産品市場」の文字が掲げられている。規模は大きくないが、特産品や旬物に満ちていて、見ているだけでも楽しい。因みに、ここを抜けると、土産店や屋台が並ぶ「倣古商業街」という繁華街に出る。観光客等で賑わう場所である。


中国西部敦煌市街の農産品市場で買った緑の葡萄
土産用ではなく、現地での食用として買った葡萄。今回色々とお世話になった、かの南湖産である。種無しであることは勿論、皮も剥かずに食することが出来、しかも大変な美味。本来は干果よりこれを土産にしてその旨さを伝えたかったが、税関で没収になるので、やむなく諦めた


中国西部敦煌市街で営むナン店にて、生地をこねるウイグル人店主氏
半ば「行き付け」化していたナン製造直売店の主人。正に小麦生地の仕込み中である。既に焼き上がったものを移動食用に幾つか買い込む

新疆風味ともお別れ

特徴的なつば無し帽で解る通り、主人は回教徒である。新疆自治区西部はクルジャ(伊寧)出身のウイグル(維)人で、この地に居を構えて5年目という。正に燻し銀の職人風体であったが、婦人や2人のお子さん共々、中々気さくな人でもあった。

実は今回の当地滞在では結構新疆料理を食べていた。否、意識してそればかりを探し、食していたともいえる。それは、これより東である内地には、当人達が作る「本物」のそれが、殆ど味わえなくなる為である。古くから漢人主体の街、敦煌。しかし、地理的にはかの塔里木盆地東端にあたる地でもあった。想えば、気候風土は新疆と同じ。風味も馴染んでいたような気がするのだが、さて如何……。


中国西部敦煌の市街中心に立つ「反弾琵琶」の像

T-Bone Walker of Dunhuang ?

市中心部に据えられている、敦煌の象徴的彫像、「反弾琵琶」。かの「莫高窟」の壁画に描かれた天女の姿を模したものだという。恥ずかしながら、背中で弦を弾く奏法の元祖は、アメリカのブルースマン「T-ボーン・ウォーカー(T-Bone Walker)」だと思い込んでいた。なんと、それより1000年以上も前に先人(先神?)がいたとは、思いも寄らぬ発見であった(笑)。


中国西部敦煌に新たに造られた敦煌新駅の駅舎正面
敦煌新駅駅頭にて。市街から遠い柳園駅利用の不便を緩和する為、数年前新線と共に造られたという。昨日は切符購入の際に撮影

またいつの日か

午後からは少し昼寝でもしようかとも思っていたが、何かと用はあるもので、結局それは叶わず、出発の時が訪れた。午後6時ちょうど、部屋を出てフロントで清算し、既に馴染となっていた服務員女史らと別れの挨拶を交す。そして、宿前に出てタクシーを呼ばんとすると、なんと、かの司機W氏が、件の自車にて現れた。タイミングの良さを互いに笑いつつ、渡りに船とばかりに乗り込む。

黄金色の陽を背に、我々を乗せた車は東郊の駅へと直走る。w氏は「これも縁。俺たちには縁がある」と頻りに言う。そういえば、初乗車の時、あの南湖寿昌城での貸切交渉の際にも発していた言葉であった。「そうだ、そうだ。全くその通り」と、笑って相槌を返す。和やかでいい空気が車内を満たすが、一抹の寂しさも。そして、車は駅へ到着し、互いに手を取り、かたい握手で分かれた。

再び相見える日なるは有りや――。

出立の人、送迎の人が行き交う夕照の新駅に、少々感傷の風が吹いた。

7時過ぎ、列車はゆるりと駅を離れた。東方への帰路、現実への帰程の開始である。古代の夢の跡、好漢たち、そしてかの恐るべき荒涼の大地――。皆全て、これにてお別れである。

さらば遥遠の地よ、またいつの日か見えん……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/33606616
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック