2009年10月25日
甘粛横断
車行14時間半、先ずは蘭州着
前夜乗車した、敦煌新駅発列車の座席車。出発早々満席で、棚上も荷物満載となった。しかも、足下に何やら巨大な幼児用三輪車まで置かれ、予想通りの窮屈状況が現出。しかし、窓際席の為、壁に凭れられ、しかも前に肘を置けるテーブルもあったので身体的にはかなり有利に。また周囲の人達もマナー(実はこれが一番のストレスになることが多い)が出来ていた為、さほど苦を感じることはなかった(三輪車は出発後すぐ他所へ撤去)。
しかし、治安の為か、夜は消灯せず、到着駅が近づくと容赦なく車掌が大声でそれを伝える為(乗り過しを防ぐ為、仕方なかろう)、やはり継続しては寝られない。また、乗客も開き直って夜通しトランプに興じたり、おしゃべりを続けていたり(これも許そう)、何故か夜中にヨーグルトを何度も売りに来たり(これは納得がいかない)もする。車輌や座席自体の質は以前と比べ随分良くなったが、寝られる場所でないことには変りはなかった。
それでも、乗車前から備えていた為か、比較的身体は楽で、空が明るくなり始めた頃から、早速何か面白いものはないか、と窓外を探索する余裕もあった。そして、まだ夜が明けぬ頃、砂漠地帯最後の都市「武威」を過ぎた列車は、黄河水系とそれを隔てる分水峠「鳥鞘嶺」を越え、朝9時過ぎに終着蘭州站に到着した。
甘粛省省都で省一の大市、蘭州。しかしながら、前後に山見える峡谷都市で、人も回教徒や蔵(チベット)系をよく目にするなど、よい意味で辺鄙風情を残す所である。市中を流れる黄河以外特に見るものは無い街であるが、大街ながらどこか長閑さを持つその風情には、以前より惹かれるところがあった。今日の目的地ではないが、乗換えついでに名物の麺食なぞ食しつつ少々散策しようかと思ったが、意外にも次の列車票が早くに買えた為、滞在30分程で去ることとなった。
甘粛省東端、天水へ
蘭州始発の次列車は、江南方面行きの長距離便ながら昨日とは打って変わった空きぶり。隣人のない席に座る身も緩やかに、窓外を流れる長閑な黄土地帯を眺めゆく。写真はその時の様子である。どこまでも耕された黄色い大地に、淡色の空気がかかる。我々日本人にとっては、豊かなのか不毛なのか判別つけ難い、実に不可思議な光景が続く。そして丘上に頻繁に現れる黄土造りの古城塞――。内地とはいえ、嘗ては常に辺境的性質を有したこの地の特殊性が、理解への道程を更に遠ざける。ただ、長い歴史の末に成り立った現在(いま)の姿が、21世紀の車窓を流れゆく。
そんな不可思議で夢の様な黄土地帯をゆくこと約4時間半。列車は天水駅に到達した。久々に会う旧友が待つ街である。敦煌から計19時間、約1500kmの移動である。敦煌が甘粛省西端であるのに対し、天水はその東端にあたる。つまり、未だ同じ省内であった。日本の県相当の行政区でありながら実に本州全長を凌ぐ規模。ここでもまた大陸の恐るべき広さを実感させられたのである。
切符は「無座」、待ち人会えず
天水到着後、友の住む旧市街へとすぐに移動したかったが、明日分の切符購入や、次に寄るの友へのメール連絡があったので暫し駅辺りに止まらざるを得なくなった。そして、切符売場の混雑と、乗車日を間違えられて3度も並び直したことに因り、結局そこにて数時間を費やし、移動は夜となってしまった。更に、馴染の筈だった街がかなり変化していた為、待合せ場所にも辿り着けず、友人とも会えずじまいに。よって再会は明日朝とし、今日は宿に入って休むことにした。列車移動での疲労は大してなかったが、長時に及ぶ切符購入にて疲れたのである。以前とは異なり列への割込み混乱等は殆どなかったが、窓口毎の融通性が改善されていなかった為でもあった。
否、実はそれ以外に大きな原因があった。なんと、次に移動する予定である一晩約600kmの行程が、寝台は疎か座席票も取れなかった為である。散々並んで手にした切符に「無座」の字1つ――。即ち1晩「立ち席」!嗚呼、また溜息1つの有様だったのである。
写真は、その晩宿近くで食した名物鍋料理「砂鍋」。海藻と春雨等のスープを基本として肉や野菜が入る。今回は骨付きの鶏肉ぶつ切りが入った「砂鍋鶏塊」。夜の冷え込みが増してきたこの時季には有難い食物である。本来は友と一緒の楽しい食事の筈だったが、仕方なく独りにて……。
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