2009年10月27日
新婚悪客
嗚呼、最悪の客
かの西域新疆や内蒙古・青海とも接する長大な内陸省「甘粛」東端の「天水」を発った列車は、夜中(やちゅう)東進を続ける。時は既に日を跨いだ夜半。場所は関中盆地辺りであろうか。歴朝の国都を育んだ、偉大なる古代東アジアの中心址である。
そんな関中の灯をカーテン隙間より独り眺める。乗車前のことが気になってか、寝台内に於いても寝つくことは出来なかった。実は着座すら困難な「無座票」しか持っていない筈であったが、乗車後すぐに車内にて寝台票を買うことが出来たのである。下車時刻が深夜2時半だったので、すぐに寝る準備が出来て有難かったが、結局はその幸運を活かしきることは出来なかった。
消灯された車内にて横たわること数時間。ある時は天井を見上げて思いに耽り、ある時は目を瞑り無心を求めた時が過ぎ、いよいよの下車を迎えた。関中を擁する陜西省の東隣である河南省は三門峡駅。次に訪ねるの友が住む街である。結局30分の遅れは解消されず、到着は3時過ぎとなった。
人も疎らな深夜の屋外改札に向かえば、ナトリウム灯照らすそこに懐かしい顔が。メールでの約束通り、友人夫妻が迎えに来てくれていたのである。賓館泊予定を斥け、自ら自宅に招いたとはいえ、時既に3時。しかも、夫君は朝から仕事があり、気温もかなりの冷え込みぶり。そんな中、長時間待っていてくれたらしい。更に、夫婦は今月初めに結婚したばかりという正に新婚家。
嗚呼、申し訳ない限り。図らずも新婚早々の「最悪の客」となってしまったようである。
上掲写真: 友人宅の窓硝子に貼られた剪紙(せんし。切り紙)。伝統的民間芸術・縁起物で、ハート型なのは新婚用の意味合いがあるのか、家中に見られた。写真のものは、私の寝室として用意された一室のもの。何やら、少々気恥ずかしい(笑)。
綺麗な厨房にて遅い朝食を
友人宅の厨房は、換気扇や電磁調理器、ガス台が完備されているという現代的なもの。元は違ったらしいが、築数十年の古い集合住宅内部を新築同様に改装した為だという。これには、内陸であるこの地にも波及している不動産高騰の影響があるとのこと。
とまれ、腰を屈めて粥を啜る。実に健康的な朝食――。新婚家にて新婦と2人にて、である。これまた何とも気恥ずかしい(笑)。
かく国墓博物館
朝食後、友人宅から歩いてすぐの場所にある「かく国墓博物館(「かく」の字は爪+手+虎)」に連れていってもらう。かく国とは、周代にあった国名。いわば古代の地方政権である。その王室の墳墓址が近年発見され、博物館として公開されているのである。写真は正にその玄関部分。
博物館内に展示された発掘品の中で特に気に入った「玉戈」。匕首状になった矛の、刃の部分にあたる。巨大な玉石から作られたもので、王室の財力と権威を想わせる
かく国墓博物館一番の見所である「車馬坑」。現物の馬や戦車が多く副葬されている。これも、周王朝の分家とされる、かく王室の力を見せつけるもの
昼食と三門峡市内巡り
博物館見物のあと、近くの食堂にて昼食を馳走に。写真はそこにて振舞われた揚豆腐の炒め料理。当地の豆腐は質が高い、との案内通り、実に美味なるものであった。因みに、ここでは、昼休みとなった夫君も合流。隣席にいた陽気な四川出身の飲ん兵衛さんらも交え、暫し楽しく会食。
街中の路地にひっそりと残る古い家屋。多分に漏れず再開発が続く市街地での一景。恐らくは、解放前に建てられたものであろう。扉の中は見えなかったが、「四合院」のような造りであろうか
友人宅の近くで見た古い鉄道駅跡。敷かれたレールは今は引込み線となっているが、元は隴海線の本線で、当地で最初の鉄路站だったという。即ち、開業当初である1920年代のものか
今日の三門峡市内巡りの「足」、スクーター。今この国で流行りの電動式ではなくガソリン式である。排気量49ccだが、車体が大きく、2人乗りが可能である。驚いたのは、50cc以下だと免許もナンバー登録も要らないことである。正に自転車同様の手軽さ
当然、外国人の私でも乗れるので後ほど少し運転してみた。中々のパワーである。ただ、ブレーキがあまいのと、有って無いような交通法規に拠った諸車で溢れる状況に危険を感じた(笑)。
800年の歴史を持つ宝輪寺塔と大陸西北部特有の淡い夕景
宝輪寺塔近くの公園にて。「竿受け」を用いた日本的なスタイルの釣り人を発見。奇しくも、この公園は日本の援助により成ったという。何か関係があるのであろうか
同じく先程の公園にて。広大な公園内に人家なぞ無い筈なのだが、何故か布団が天日干し。「もう夕方だよ!」の一言を付けたいユニークな光景である
古来よりこの地域の中心地であった、陜州古城の跡地にある「鐘鼓楼」。古いものには見えなかったが、元は唐代由来の建造物という
その後、スクーターの機動力を活かして黄河河岸まで行ったり、市中心広場やデパートを見学したりしたあと帰宅。夕食は、私が希望した料理をそこにて手作りしてもらい、頂いた。
結局最後まで……。平癒と安心あれ
食後、暫し団欒。そして、その途中不覚にも寝てしまい、そのまま寝かしてもらうこととなった。しかし、この濃密な日は、まだ終らなかった。そうである、今夜3時の列車でここを発たなければならなかったのである。為に、夜中2時頃起してもらい、わざわざ駅まで見送りを受けることとなった。
だが、駅に着くと、またしても到着遅れの案内が……。結局、4時前まで一緒に待ち、更にホームまで付き添ってもらっての別れとなった。いやはや、またしても申し訳ない限り。しかも、来てもらっていたのは新婦1人であった。夫君は朝早くからの仕事の為で来られず、元来新婦の方が古くからの友人だったので仕方ないが、こんな時間に、うら若い他家の新婦を連れ出すこととなった。
結局、最後まで「最悪の客」となってしまった。しかし、更に重要な問題があった。それは、友が身体を悪くしていることである。以前からの持病が悪化し、仕事も長く休んでいる状態であった。そんな状況にも拘らず、友は夜中からまた夜中まで私に付き合ってくれたのであった。嬉しくもあるが、その後の心配も尽きない。
どうか、友に平癒と安心の日々あらんことを――。
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