2010年01月01日

氷心在玉壺

京都市左京区にある吉田神社の本宮前に初詣に訪れる人々

未知なる年の始め。正月詣でへ

さて、また新たな歳旦を迎えることとなった。平成22年、西暦2010年の到来である。当たり前のことだが、世界の誰もが経験したことのない未知なる年の始まりである。

折角なので、気も新たに朝から初詣でなぞに行こうかと思ったが、前夜遅くまで続いた外での酒席が祟り、早くも「想い」崩れの年初となった。というより、実は寒さも大きくそれに加担した。近年珍しい、元日らしい冷え込みの所為である。また視覚的にもその感覚を倍加させるが如き陰鬱な曇天が、めでたい筈の街を覆っていたことも影響した。

そんな諸々に因り、結局午後も大いに過ぎた頃に参拝となった。場所は拙宅近所の吉田社である。古来有名な大社であるが、正月詣でに関しては、下鴨や平安神宮等の近隣大社に比して「地味」ともいえる落着きがあった。人が格段に少なく、地元社らしい静かな風情に満ちるからである。しかし、そんな一寸辺鄙ともいえる趣が好むところでもあった。

「負」を以て、新たなる「生(正)」を鼓舞

参拝後、実家へ向かう路上にて不意に脳裏に歌が過る。それは、1960年代後半に活躍したアメリカ西部出身のロックバンド、ドアーズの「ジ・エンド」(The Doors [The End])であった。


This is the end, beautiful friend.
This is the end, my only friend, the end.

Of our elaborate plans, the end.
Of everything that stands, the end.
No safety or surprise, the end.
I'll never look into your eyes again.

(これで終りだ、美しい友よ)
(これで終りだ、たった1人の友よ)

(我々の念入りな計画は終った)
(抵抗する全ても終りだ)
(安全も驚きもない終り)
(もはや君の瞳を覗き込むこともあるまい)

※ written by Jim Morrison. 冒頭部分のみ。()内の訳は適当な意訳。2次利用不適。


絶望の果てに訪れた終末の静けさ。渺茫たるその無機・無情の荒野には、死の薫りすら漂う――。全く以て、めでたい年初には似つかわしくない曲である。だが、こんな曲が頭に浮かんだのは強ち偶然でもなかった。無論、正月らしからぬ陰鬱な空気にも影響を受けたのは確かである。

この曲には陰鬱や混沌から立ち上る力強さや美しさと呼ぶべきものがある。それは、恰も暗闇に現れた明星の如く輝かしい。絶望の中の希望、死の彼岸にまた姿を現した「絶対的な生」が感じられるのである。私の年初の心は、正にここに感応したのであった。つまり、「負」を以て、新たなる「生(正)」を鼓舞したのである。

めでたい年初に態々その様な想いを巡らすことを奇怪に思う人も多かろう。誠に御尤もな考えである。ただ、かの一休禅師が髑髏を掲げ浮かれる正月巷間を練り歩いたとの伝承があったが、私のそれもその本意たるものに近いのではないかと勝手に感じている。無論、多衆への教化を意図した禅師の様な高尚さは微塵もないが……。

今年も自分らしく

思えば、逆説的ともいえるこんな鼓舞の仕方は十代以来あまり変わっていない。自分の歳を考えると少々複雑な気にならなくもないが、まあ致し方あるまい。今年も自分らしくやらせてもらうだけである。

新年元日、未知なる年に臨む。「一片の氷心(未だ)玉壺に在り」といったところであろうか。


京都市左京区にある吉田神社本宮前で初詣や御守り購入をする人々
同じく吉田社社頭にて。著名初詣で社の如き混乱とは無縁で、地元参拝者による落ち着いた年初風情が見られた

なお、上述の曲を聴きたい人はこちらへ。但し、このライブテイクには、有名な「放送禁止的」箇所が省略されている。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記
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