
墓所落成と納骨の式行わる
暖かささえ感じる陽射しを見た昨日までとは違い、重みある曇天と冬らしい寒さに覆われた今朝。京都市街にて、私が祭主となる神事が行われた。それは、私の墓所完成に伴って行われた納骨式であった。
私は地方から京都に来た両親を持つ為、本家とは別に墓を用意せねばならない分家2世に相当する。為に、この度、墓を建立することとなったのである。本来は母が亡くなった十数年前にそれを行うべきであったが、個人的都合や他の問題に因り、長らく叶わずにいた。それ故、今日は母と弟の納骨問題を含めたその懸案の一段落が、漸く実現するという記念すべき日でもあった。
先日、弟の遺骨を引き取りに宮崎まで行ったのも、正にこの為だったのである。
上掲写真: 神職主導による神式で執り行われる納骨式。本来、宗家は真言の檀徒であるが、当地での菩提寺を設定していなことと、神道思想への馴染、そして神職関係との縁により、神式を採用させて頂くこととなった。但し、適宜読経や焼香も可能な様に、融通性と設備は確保してある。(I氏撮影)

今日は生憎の曇り空だが、墓所は市中にありながら京都市街を一望出来るという貴重なところ。以前、散歩の際に見かけて以来、気になっていた場所で、地元知人の紹介を経て、晴れて小画を得ることとなった。(I氏撮影)

神道特有の八足(はっそく)台と、その上に飾られた大幣(おおぬさ。祓串)や供物。供物は、酒・塩・水に、米・野菜・果実等々、実に様々なものが揃えられていた。これらは、式の終了後「御下がり」として頂くこととなる。(I氏撮影)

式終了。生来の願望に変わりなし
そして、式の終了後、近くの料理旅館で食事となった。元皇族別邸を利用した、豪奢かつ風雅な建屋と庭を有した名店である。初めての利用であったが、素晴らしい料理を堪能出来た。ここも、地元知人の紹介であった。重ねて感謝したい。
こうして、長年の懸案ごとが無事終ったのである。だが、それが成されたことに因って始まる新たな問題もあったので、正直喜ぶばかりとはなれなかった。
ところで、墓でも建てて私も神妙になったのでは、と御考えの貴方。心配は無用である。墓が出来ようが何しようが、「畳の上で死にたくない」といった生来の願望に変わりはない。これも、「一片の氷心(依然)玉壺に在り」である(笑)。