2007年04月30日
江東鯰会
今年も皆が心待ちにした黄金週間がやってきた。休禄を賜る組織人ではなく、やらねばならぬ仕事もある私にとっては全くの無関係行事ではあるが、やはりこの期の気候には秀絶なものがある。そんなことで、「1日ぐらいは」と、友人らと野に出ることにした。
訪れたのは滋賀江東である。実は、予てから田植のこの期に溯上してくる鯰を捕獲して食そうという、仲間らとの計画があった。それを、この日実行することとなったのである。先ずは拠点となる仲間宅に集まり、学休の子供達共々、フィールドに出ることにした。
上掲写真は、仲間宅がある江東の古い集落景である。後方に控えるのは、かの近江冨士、「三上山」。
車で小1時間ばかり。着いたフィールドがここである。一面に田圃広がる、乾坤共に豪なる様は、かの大陸ではなく、正しく馴染みの滋賀近江の内である。実に清々しい、今や希少な景である。
まだ田植期の今に青々(せいせい)たる身を揺らす草々があるを見れば、麦であった。そういえば、江東の麦は国産最高質麦粉の材として珍重されていることを聞いたことがある。
降水に乏しい乾燥地帯に豊余と安定を齎した麦。世界最古の文明を生み育てた母なる食物でもある。その偉大な姿は、数多(あまた)の粘土板や帝宮の壁にも印された。しかし、それは果てなき諍いを招いた文明の原罪的存在でもあった。「人間なんぞ、古から何も変わらない―」。そんなことをいつも教示してくれる姿である。
田圃に命の水注す用水路。広景の内に主線・支線が縦横に走る。今日の作戦場は、琵琶湖と直接繋がるこの主線水路である。田植の影響で水濁るこの水路に先ずは鯰が上ってくるらしい。
先ずは水路内に手製の網を仕掛ける。泥底に棒を挿して施すのである。こうして、水路の一所を遮断し、離れた場所からそこに向かって魚を追い込んでゆく。皆で水に入り、水を掻きながらである。そして最後に網ですくい上げる。
漁獲は3匹。仲間が朝仕掛けた置針にも1匹かかっていたが、取込みの際、逃げられた。最大のものは、実に体長60センチを超えている(水槽長辺がちょうど60センチ)。
気の毒にも遷化されて、変化(へんげ)した鯰様である。調理は、別業に在りながら本職を凌ぐ腕を持つ仲間が担当した。川魚であることを考慮した香草使用のムニエルであったが、残念ながら少々臭みが残った。この後、拠点宅の奥方がカレー粉を使用した空揚げを成したが、そちらの方が若干結果が良好であった。やはり、昔から行われている調理法の方がよいのであろうか。この辺りは今後の研究課題であろう。
ところで、調理したのは結局小物2匹のみで、子持ちの大物は後日放すことにした。食が足りていたのと、子供達が助命を願ったこと、そして放った銛を弾いて既に助かっていたことと、その堂とした姿に躊躇させられたからである。正に、鯰にも「徳」有りといったところであろうか。
拠点宅の庭にて同時に行われた炭火焼。中央に見えるのは、仲間差入れの上質羊肉である。存知の通り、本日の大義は「鯰会」であったが、結局のところ、これが一番の美味であった。鯰様共々合掌である。
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