2010年07月04日
雲下展覧
盛り場の廃校へ
梅雨馴染の陰雨もなく、曇り乍らその中休み的休日となった今日。京都市街の中心的繁華街「河原町」のとある場所へ出向いた。その場所とは、我々大人にとっては少々縁遠い存在の小学校。だがそれは、その名に「元」がつくもの。即ち、子らの姿が失せてしまった廃校であった。
学校の名は立誠小学校。市内有数の盛り場内に位置する為、廃校前・廃校後と、その在り方を巡ってかなり物議を醸したこともあり、市内では結構知られた存在であった。今は市が保存と活用を決めたようであるが、今日はそこで開かれている知人の合同展覧会に顔を出したのである。
上掲写真: 廃校となって久しい立誠小の中庭にて。声のない空間、滞留する湿度、そして朽ち折れた雨浴器が、そこはかとない無常を醸す。
「元」立誠小の正面玄関。直線や対称形状を活かしたアールデコ的様式に、一部曲線を添加したファサード(正面外観)を持つ独特のもの。玄関庇には大きな硝子天窓が用意されるなど、先進性も窺える。築年は昭和3(1928)年頃という
趣ある教室での漆芸展
学校内では、建築密集地ながら意外と広い校舎と教室を贅沢に用いた展示が行われていた。写真は、1階にある展示室(旧教室)の1つ。無垢材の床や、押し開き式の窓など、建築当初の姿をほぼ保っていると思われた。実用本位の教室とは思い難い、実に趣のある空間。
因みに今回行われていたのは、京都市立芸大(京都芸大)の漆工科学生の作品展。即ち、漆芸作品が主体の展覧会であった。企画名は「きょうげいうるしてん」。
ディテール オブ 立誠小
教室の古い木製戸に付けられた磨硝子。その歪具合等から、これも建築当初のものと思われる。
上階に通じる階段の造りもこの通り。正に洋館仕立て。踊り場長窓から射す光線具合もいい
真鍮か銅製の支柱を持つこれらの電灯も、建築当初、即ち戦前ものの可能性が高いと思われる
各教室の入口の敷居には、このような銘木が。選ばれて用意された、見場のいい欅材である。恐らくは履物との接触により艶やかになることも計算済なのであろう。昔の日本人の、美意識、物づくりの思想が垣間見られるような存在
校舎内の壁には漆喰が用いられていたが、その細部の処理にも抜かりはなかった。
以前左官関係者から聞いたが、写真のように端部に襞を設ける様な施工は、高い技術を要し、大変手間が掛かるらしい。しかし、その見返りに、単調な壁面に美しい陰影と格調の如きが齎される。
廊下にあった手洗場。その造りから、戦後設置されたものと見られが、どこか潤いある質感と、角の立った人研ぎ(人造石研ぎ出し)仕上げが存在感を漂わす
これも左官仕事の範疇で、手間と技量を要する。昭和中頃までの建築によく見られるものだが、これには別格の仕上りが感じられた。きっと、腕のいい施工者が担当したのであろう。
黒板下に備えられた「五竕」容器。教授用と右書きで記されていることから、戦前製と見られる。白墨入れか。この年代の小物が平成初期の廃校段階まで使用されていたのは驚きである
用途不明、驚きの和室広間
最上階には何と和室の大広間が。「自彊室」とだけ記された用途不明の場所であるが、ここも展示場となっていた。巨大な床の間や書院、違い棚が設けられた様子は、どう見ても児童とは無関係に思われる。独裁校長や自治会長が「大政奉還」する場所か、などという冗談くらいしか浮かばない(笑)。
Western Electric Interphone
自彊室外の壁裏に取り付けられていた古い内線電話機。重厚な骨董的姿が白漆喰の壁と似合う。
電話機下部の銘板には「Western Electric Interphone. Made in USA」の文字が。名実共に舶来品の名が適う存在である。今の機器の基本形となった受話器と送信器が分離したタイプは1928年以降に出荷されたというので、旧式のこれは学校建造当初のものと考えられよう。いずれにせよ、当時はかなりの高級品だったとみられる。一体、当時幾らぐらいしたものであろうか。
自彊室は、洋風の建築様式と外観に配慮してか、外壁から隔離されて設けられていた。つまり、フロア内に「入れ子」にされているのである。因って、その周囲に空隙が存在するが、そこが廊下となっていた。写真は正にその部分で、最初の方で紹介した正面玄関写真の3階内側にあたる。露台部分にある、上部円形の窓が廊下左の窓である。やはり、廊下を含めたこのフロア全体が、何か特別な場所なのであろう。
とまれ、中々の雰囲気。和室の外柱を天井の木組で受けて洋式と接合させるという、造作の上手さにも感心。
賞賛はここまで。深刻な現況
さて、今日の目的である展覧会にはあまり触れず(合同展故、掲載許可を取り難いため致し方ない)、何やら建築案内と化してしまったが、実は褒めてばかりもいられなかった。
実はこの施設、素人目に見ても傷みが目につく。雨樋の損壊から外壁の劣化、雨漏り等々――。何れも今後の建屋存続に関わる重大なものばかりである。その極めつけが、写真に見える、地階の水没である。建屋の根幹がこのありさまとは正に信じ難い状況である。
どうも、ここは保存と活用のバランスがとれていない様に感じられてならない。管理者である京都市は一体何をしているのであろうか。このままでは、早晩行事運営にも深刻な影響が出よう。
階段室の窓から見た立誠小の旧運動場。建屋密集のこの地域では、広大ともいえる規模である。しかし、ここも廃校後そのまま、といった容相で、十分活用されているとは思われなかった。実に惜しい限り
さては先ずまずの1日。梅雨明け待ち遠し
展覧会観覧後の夕刻、賀茂河畔にて。
さて、釈然としないこともあったが、瑞々しい作品や良き造作の数々に出会えた先ずまずの1日であった。空を見れば、厚い雲を割って陽も出てきた。しかし、水気ある重い空気は変わらない。梅雨明けが待ち遠しい限りである。
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