
慌しい東京行
車中にて振り返る
昨日午後、急遽東京入りした。母方の伯母が一昨昨日(さきおとつい)夜に亡くなり、その通夜が行われた為である。そして葬儀が終った今日、滋賀経由で北陸へ帰るもう1人の伯母の付添いを兼ねつつ帰洛の途に就いた。
慌しく過ぎた2日間を、久方ぶりに乗る新幹線車中に振り返る。数十年という長期に渡り大病と対峙してきた伯母。数日置きの治療を欠けば生きられないという壮絶な半生ではあったが、親類中最も明るく、ユーモアに溢れる人であった。
また、好況に皆が浮かれたバブル時代、東京に初めて自分の住まいを構えようとした私に、「諸事勘案し千円でも安い物件を」と、固定経費の大事を諭すような人でもあった。それら、伯母との数々の思い出が1度に呼び起こされた2日間――。
気づけば、お返しどころか肝心な時に何の慰めにもならなかった愚鈍の身と、今日斎場にて伯母がこの世から滅却された事実だけが、確かに感じられたのであった。
これまでとは違う富士の印象深さ
昨夜良い部屋を用意してもらったにも拘らず、あまり寝られなかった為か、仮寝(うたたね)をする。やがて目覚めて洗面へ。隣では付添いの伯母が、自家への連絡途中か、携帯電話を手にしたまま同じく仮寝していた。
洗面室からの帰り、デッキの窓を見る。淡い夕景の中、雪を戴き屹立する富士山の姿が見られた。その頂部は小さいながらも確かな白雲で覆われている。それは、噴煙の如き様ではなく、山上で焚いた柴の煙が、静かに頂部を満たす様にも見えた。
我が国、中古文学の傑作『竹取物語』を思い出す。その最後段にある、帝が「かぐや姫」の書状を富士山上にて焼かせる場面である。帝は姫と2度と会えぬ空しさによりそれをさせたが、姫の在所である月に最も近い高峰富士で行うという未練の如きも窺わせる。
そういえば、今日の出棺前、伯母の棺に書状を供えた。伯母の1人娘である従姉妹や孫娘である従姉妹違いに誘われ、一筆認めた(したためた)ものである。それも、煙となり灰となってしまったであろう。所詮は残された者の未練・慰みに過ぎないとも言える儀礼だが、今日ばかりは少々感慨深い。
車窓の雄景を見て最後に思い出されたのが、奇しくも伯母の名に「ふじ」が含まれることであった。これまで実に様々な心地でこの車窓からの富士を見てきた。楽しい時も、またそうではない時も、である。今日見る神々しいその様は、またそれらとは違う印象深さを与えてくれるものとなったのである。
伯母さん、長い間お疲れ様でした。そして有難う。どうか安らかに……。