2012年11月11日
雨中巡里
曇天と雨予報
山会や如何に
秋11月の紅葉シーズン。今年も、山歩きと山の紅黄葉観賞を兼ねて奥山へと向かう。場所は、滋賀県湖西地方にある比良山。今回は、南北約30kmにわたって続く、その山塊の、北域に出かけることとなった。
しかし、今日は朝から生憎の曇天に、雨天予報。なんでも、大荒れになるらしく、大雨・突風・竜巻・雷等々、実に様々な危険気象に対する警告が報じられていた。その為、前夜に中止も協議したが、一先ずは現地まで向かって判断することにしたのであった。
上掲写真: 天気下降の朧げな空気のなか姿を現した本日の「山の起点」、「畑(はた)」集落(中央奥)。比良山脈が北方で2筋に分かれる、その股内にある鴨川谷地の更に奥に位置する、正に隠れ里。
京都市街から電車で約1時間、湖西地方北部にある近江高島駅で下車し、今日の登山起点である畑集落まで移動する。写真は、駅前からそこへ向かうバス車中の景。天候の為か、乗客は我々山会一行と、もう1つの登山グループのみであった。
バスの出発直前、共に列車で来た筈の1組が行方知れずになるという事件が起こったが、Yちゃんが機転を利かせて運転手氏に待ってくれるよう促した為、何とか連れ戻すことが出来た。
バスの本数が少ない為、予定が大きく崩れかねない事態であったが、何とか収まり、安堵。
バスは一先ず湖西北部最大の穀倉地帯、安曇川平野を進む。空には、変わらず重たげな雲が広がり、ただ天候を案じる。
畑集落遠景(中央奥)
やがて、バスは鴨川谷地へ入り、集落の姿が見え始めた。集落を囲む手前の山も奥の山も、共に比良山塊西部支脈のもの。集落への車道は、手前の山の谷筋に設けられた1本のみである。他の地域とは隔絶された畑の特異性が窺える。
隠れ里にて雨降る
車行約30分。バスはその終着地たる畑集落へ到着した。写真は、山懐斜面に広がる集落の、最下部に設けられた停留所からの景。色づいた樹々の姿が実に美麗。しかし、残念なことに、遂に雨が降り始めた。
畑停留所にて雨中行に備えて装備転換する山会一行。山里のものらしく、木を使い丁寧に造られた停留所建屋の姿が、立派かつ愛らしい。
現況や予報、そして雲の流れ等々、山の「気配」から、登頂は中止とした。代わりに、この特異で興味深い集落や、ここの名物とされる「棚田」を観察する、里巡りを行うこととなった。
しかし、先程のバスや列車には少なからぬ登山客を見かけ、実際バスのグループは主峰方面へ向かって行ったが、大丈夫であろうか。とまれ、かなりの危険が想定された為、うちは主稜線への接近を取りやめたのであった。
棚田と里巡り
先ずは扇型に広がる畑集落の東側より巡る。紅殻(ベンガラ・弁柄)塗りの古民家集まる場所を抜け、やがて地区外れの耕地に。写真の如く沢沿いの斜面に刻まれた棚田が現れた。箱庭の如き、人工美と自然美の合奏ともいえる、その柔らかな美しさに一同感心。
生憎の雨の中だが、傘を差しつつ、迷路の様な棚田の畔や農道をゆく。これもまた楽し。
小雨に煙る、棚田と里山、そして畑集落。
山際の休耕田には、熊用の罠が現れた。農作物被害への対策か。オーストリア人参加者のK女史も驚く。欧州とは違い、本州生息のツキノワグマに凶暴さは少ないことを説明し、安堵してもらう。
巨木の鎮守にて昼食
やがて地区東部から集落中心部へ至る。立派な古民家の幾つかが目につく。
その近くにあった森へ誘われれば、集落の鎮守「八幡宮」に導かれた。雨の中、休息適地との遭遇も難しい為、少々早いが、その軒を借りて昼食をとることとした。温かいものなど食べ、暫し雨滴を避け、休む。
お参りの地元の人に挨拶し、少々話すことも。境内に幾本も残る、巨大神木の威勢も見どころ。
「活きた棚田」広がる集落東部の景。背後に山の紅葉の秀色が迫る。
集落西部へ。自然の紅葉観賞
昼食後、今度は集落西部を巡る。東日(朝日)の恩恵が受けられる為か、東部とは異なり、かなり上手まで家屋が続いている。勿論、棚田も続く。但し家屋に近い為か、休耕田化していない「活きた」田圃が多い。収穫前は、さぞや豊かな景色が広がっているのではなかろうか。
そんな、想像の棚田景も楽しみつつ、一路集落縁に接する山の紅葉を目指すことにした。
不定形な棚田の畔道に翻弄され、中々森に近づけなかったが、声を掛けてくれた地元の人の助けもあり、何とか接する。寺社のそれとは、また趣が異なる、自然の色づき、風情を暫し皆で楽しんだ。
古さと厳しさ有する畑集落
強くはないが、変わらず雨は降り続く。気温も上昇しないので、少々皆の体調を心配する。
写真は、紅葉観賞の場所に近い、集落西部上方からの眺め。標高は実に400m近い。美しい眺めだが、冬の厳しさを伴うものであることを想い起す。
集落の詳細な歴史は定かではないようだが、近世初期には既に大溝藩領内の独立した村落として史料上に現れるので、古くから人の営みがあったと思われる。土地柄、石高は高くないが、鳴木焼なる特産陶器を産出し、昭和初期の人口も麓の鹿ヶ瀬村等を凌駕していたようである。
昔、地図上にて扇型のその不思議な存在を発見して以来、ここの歴史や文化に興味を抱いてきたが、機会あれば詳しく調べてみたいと思う。
正に現代の長城か、集落縁に延々と続く害獣防柵。電流が流れる仕組みらしく、「さわるな危険」の警告札も見られた。
さて、地区内を一通り巡ったので、畑集落をあとにすることとなった。しかし、元来た道を戻るのはつまらないので、別ルートから集落外、即ち麓に出ることに。しかし、集落への車道は元来たものの1本のみ。そこで、地形図検討し、独自の帰路を開拓することにした。
選んだのは、集落南西から鴨川支流に出るルート。途中、標高460m程の峠を越える緩やかな谷地で、図に記載はないものの、恐らくは古い交通路があるとみての選択であった。途中崩落等で途絶の可能性もあったが、時間も照明等の装備もあるので、危険は少ないと判断した。
だが、集落からその谷へゆく肝心の道が山際にて害獣用の防柵で塞がれていた。電流が流れる大規模なもので、その道どころか、集落の周囲全てに巡らされているようであった。正に、人と未開動物の間に設けられた「グレートウォール(長城)」である。
柵外の独自帰路をゆく
周囲を探るも、正に鼠一匹通さぬ(さすがに鼠はすり抜けられるだろうが)防備のため諦めかけたが、K君が大胆にも柵門に触れて無通電と無施錠を確認したので、開門しての越境が叶った。勿論、通過後は害獣侵入を防ぐ為、元通り閉門する。
しかし、柵外から集落を眺めつつ進むと、何やら、豊かな都市文明から疎外された塞外異民になったようで、少々複雑な気も(笑)。
谷への道は、はじめ舗装路であったが、やがて山林の土道に。最近の通過人跡はなく、場所によりかなり荒れてはいたが、やはり予想通り古道の痕跡が続いていた。
写真は、その道跡。昭和中期まで使っていたとみられる、朽ちかけた丸木橋の姿が見える。木材搬出の為に馬に橇を曳かせた「木馬(きんま)」用の施設か。
古い棚田か、施設平坦地用の法面保護とみられる石積跡
棚田か幻の寺跡か
大規模平坦地続く
古道は、畑集落南西の峠へと向かう、緩やかで広い谷地に続く。時折痕跡が途切れるが、図と現況地形を頼りに進んでいるのでルートを外すことはない。
谷を進むにつれ、そして登るにつれ、谷中の棚田跡が実に大規模なものであることに気づく。石積みの法面保護が至る所で見られ、中には高さ5mを超すような「高石垣」も見られた。今は植林の森と化しており、その古さも中々なものである。古道には敷石舗装の痕跡すら窺われた。
ここで、以前踏査した東山山中の、如意寺本堂跡遺構のことを想い起こす。規模や廃滅具合が似ている為である。ひょっとすると、ここも耕地ではなく、何かの施設の廃墟か……。叡山(延暦寺)の支院で、信長の焼き討ちまで栄えたという、幻の「比良三千坊」等を含め、様々な可能性が想起された。
遺跡地図にも記載がないので、詳細は解らないが、奇しくも、とても興味を惹かれる場所と出会えた心地となったのであった。
謎の平坦地群を進む中、山の片斜面に自然林が接している場所と遭遇する。ブナやホオノキ等が茂る明るい樹林で、実に比良らしい姿。折角なので、休憩を兼ね立ち寄ることにした。
写真は黄葉美しい、その様子。雨の湿気に煙ってはいるが、これもまた良し。主峰登山を中止した為、一度は諦めた眺めであったが、思わず見てもらうことが出来て、嬉しく感じられた。
自然林にて休息後、間もなく峠を通過。変わらず人跡と植林が続く地帯をゆく。道は益々荒れたが、特に問題となる事態がないことも、変わらず。
麓着。秋山堪能の1日終る
やがて峠下の林道に接し、それを下って麓の黒谷集落に達した。しかし、集落の口にて山会一行を待ち構えていたのは、前と同じく堅固な防柵――。
写真が、正にその様子であるが、これまた同じく扉を開閉して無事通過した。今度は逆に、文明社会入りを果たせた気分にさせられたのであった(笑)。
そして、黒谷の停留所からバスに乗り、帰路につく。京都市街到着後は、趣ある銭湯にて、雨で冷えた身体を十分温めてから打上げ食事会を行い、今日を締めくくったのであった。
生憎の雨で大きく予定が崩れたにも拘らず、意外にもしっかり秋山風情が味わえた1日となったのではなかろうか。皆さん、お疲れ様でした!
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