2007年11月25日

伯耆「長者伝説」調査行T

薄穂の果てに立つ大山山塊

車窓を流れ飛ぶ薄穂(すすきほ)の果てに立つ山塊。豊かな穂並を前にしての、白雪(はくせつ)の様には違和を感じるが、それもその筈、これは西国の大峰、大山(だいせん。1729m)の姿であった。よく見かける写真の姿と異なるのは、あまり馴染ない北方からの撮影の為。しかし、この姿の方が複式火山塊である大山の実体を良く知ることが出来るのではなかろうか。これまで大山を実見したことがなかった斯く言う私も、強くそれを実感させられたからである。

さて、今日はこの大山を正中に頂く伯耆地方にやってきた。出雲の地、島根東部に接する、鳥取県西域である。京都から遠く、個人的にも馴染のない地方であったが、知己のI氏がここの出身であった縁により初めて訪れることとなった。実は、I氏は紀氏後裔を称する「進氏」という、かつて西伯耆一帯に権益を有したという土豪宗家の出であった。伝承では平安期、史料では室町初頭に土着が確認される一族で、その豪富ぶりは地元で有名な「進の長者伝説」としても伝わっていた。

史的見地VS見在的見地。押し問答の末の調査行決定

以前I氏よりその話を聞いた際、「伝承以外にも、さぞや色んなものが伝わっているだろう」と私が言ったところ、I氏は「一度没落しているので、もはや何もない」と返答。私が「物はなくとも、継続居住しているのであれば、必ず土地に痕跡が残っている筈」と史的見地より返すと、氏は見在的見地から「そんなものはあり得ない」と返して、押し問答になってしまった。そこで、その決着の為、機会を見て2人で現地調査をすることとなったのである。

先ずは地元から資料を取り寄せてもらい、予備調査をしつつ2日に渡る調査日程を決定。更にI氏には、地元関係機関に連絡を入れてもらい、関連遺構等への案内も予約してもらって準備を整えた。こうして今日、未知なる伯耆へと旅立つこととなったのである。


伯耆一宮・倭文宮の大手水鉢

濃霧の丹波路を経て、伯耆一の宮へ

時間の有効利用為に明け方市内で集合し、I氏が操る車輌にて出発した。この時期特有の濃霧に沈む丹波路や鳥取砂丘等を経ること約4時間、最初の目的地、倭文(しどり)神社に到着した。倭文宮は、旧伯耆国内で最も社格が高い「一の宮」に当る。東伯耆にあるため進家とは直接関係しないが、I氏の母堂方一族の出身地なので寄ることとなった。そもそも、初日である今日は、御母堂側の関係地を巡ることにしていたのである。

写真は倭文宮の手水鉢。自然石を加工した巨大な硯の如き品である。社殿はその上奥に見えるが、前者の豪様に比して質素とも見える印象を受けるものであった。非礼ながら一の宮らしからぬと思われるその現況は、恐らく、かつての戦乱に因るものかと思われた。

因みに、I氏の母堂方旧地は門前にある「宮内」という集落内にあったという。倭文宮との関連を思わせるこの集落は、史書によると明治初年の神仏分離まで神社を管掌した「神宮寺」があった場所らしい。母堂家も明治半ばに他所へ転出してしまったが、ひょっとすると、神宮寺に何か関係していたのかもしれない。


倭文神社西方に広がる東郷池と東郷平野
倭文宮西方に広がる東郷池と東郷平野。温泉で知られた地であるが、実は中世史研究上に於いても著名な場所であった。それは、「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」という、750年前の荘園図にこの地が描かれている為である。

図名にある「下地中分(したじちゅうぶん)」とは、当時の領家(領主)と地頭が、土地を折半して権利争いの決着を図った方法。つまり、この図にはその折半の様子が描かれており、当時広く行われた下地中分の実態が窺える貴重史料となっているのである。またその他にも、当地に於ける当時の自然状況や交通路、地名等に関する貴重な情報を伝えてくれている。当時の東郷池が今より広かったことが知れるのもその一例である。


琴浦町生涯学習センター付属資料館での八橋古図閲覧

山陰の要衝「八橋」探索

東郷から更に西進して今日の宿泊地である八橋(やばせ)に到着した。時は、ちょうど正午。八橋はI氏御母堂実家の所在地で、宮内から移転以来の居住という。今は常住者されていないその実家には、進家からわざわざ御母堂が来られて昼食を馳走して頂いた。そして午後からは、八橋の町を探索することとなったのである。

先ずは最寄の「琴浦町生涯学習センター」付属資料館にて八橋古図を閲覧することとなった。I氏が事前連絡していた為、休館中であったがスムーズかつ丁重に対応頂いた。写真は、展示中であったその古図をわざわざ展開して見易くして頂いたところ。この図は天保15(弘化元。1844)年に鳥取藩が製作した「八橋郡菊里村岩本村田畠村地続全図」と呼ばれるもので、江戸後期の城下町八橋とその周辺の様子を知ることの出来る貴重な史料。特に指定して用意頂いた訳ではないが、八橋探索の始めに相応しい遭遇となった。


大黒天(大国主命)の顔が付く伯耆地方の瓦

さて、古図を脳裏に焼き、いよいよ八橋の街歩きを始めんとした時、早速気になるものが現れた。それが、写真に見える人面瓦である。この様な、陽に白光る素焼の顔がほぼ全ての甍に付いている。家屋は疎か、納屋や便所に至るまでである。しかも、その位置は棟端だけでなく、甍の全端面に及ぶ。

大黒天(大国主命)とみられるそれは、鬼瓦の一種かと思われるが、初めて見たその変りぶりには少々驚かされた。否、驚いたというより、屋根中・街中が「福笑い」に包まれる様に微笑ましささえ感じたのである。この「笑い瓦」。東伯耆の八橋は疎か、翌日訪れた西伯耆地方にも広く見られた。調べてみると、更に美作(岡山北部)や播磨(兵庫西部)にも類似品が存在するらしい。I氏もその由来を知らなかったが、中国地方に於ける出雲大社(大国主命)信仰と関係するものなのであろうか。


JR八橋駅前にある八橋城址
街の中心、八橋駅前にある八橋城址。後方を山陰線に削られ今は小さな丘一つとなってしまったが、かつては多くの郭や濠も備えた大山裾野台地突端を利用した城塞であった。裾野と海浜に挟まれた山陰道を押える要衝で、古より各勢力による争奪戦が行われた。初代城主である「行松氏」は、進氏本拠に本貫が近く、その関連が窺われる一族でもある。


伯耆八橋城址小丘下にある古い石垣
八橋城址小丘下にある古垣。野面(のづら)積みに近い施工状況から、かなりの古式である可能性がある。戦国末の毛利改変期から江戸初期頃か。石垣下を巡るコンクリの通路は、濠の埋め跡とみられる。未だ地下水が豊富なのか、近くにて電動ポンプによる水の汲み上げもみられた。


幕末の八橋古図の道幅や敷地形状が残る八橋の浜側集落と板壁住居

城址の改変ぶりに比して、古図の姿を濃厚に留めているのが街道沿いの町家域である。写真の浜側裏道も正に好例の一つで、道幅や路地位置は疎か、各戸の敷地形状もほぼ古図のままであった。

ところで、古い建屋の造りで気になったのは板壁の多用である。京町家等とは異なり、正面にまでそれが施されている。潮風への対策であろうか。その板面の様子と、そこはかとなく漂う香から、松材が使用されているように感じた。あくまでも推測だが、湿気への耐性を考えると、強ち外れていないような気がする。


八橋の町家域中心に残る旧山陰街道の遠見遮断
町家域中心を貫く旧山陰街道に残る「遠見遮断」。遠見遮断とは、街路をわざと屈曲させて見通しを遮ったもの。これも、古図の頃から変わらず残存していた。遠見遮断は一種の軍事設備で、敵の進軍を阻害し、迎撃を易くする狙いがあった。よく知られる「枡形」は、これを連続で設けて凹型にしたもの。これらは、古くから各地に見られるが、主要街道のものは江戸初期に幕府の意を受けて成されたものが多いようである。

因みに、鳥取に本城がある鳥取藩が「一国(藩)一城令」に反して八橋にも城を保持したのは、藩主池田氏が代々徳川と姻戚関係にあった為。つまり幕府の身内、親藩格として特例を認められていたのである。それを知ると、近世に於ける八橋城とこの遠見遮断の性質が明確になる。即ち、有事の際にはこれらは鳥取藩のみならず、幕軍の施設とも化す性質を有すものだったのである。その際の仮想敵は、西方に力を保持していた、毛利等の西国外様大名であることは言うまでもない。


八橋の町家域で街道沿いにある十字装飾ある古い病院跡
町家域、街道沿いにあった古い病院跡。窓の造り等からすると、昭和初期頃の築か。その職掌を暗示するような赤い壁色と、逆に白抜きを成す側塔部の十字装飾が面白い。

右側の建屋玄関に面して奥に続くのが旧山陰街道。上掲の遠見遮断とは逆方向の西向きを撮影した。病院側面に見えるアスファルトは城へと通じる道。つまり、ここは街道から城へ入る口に当り、古図に「追手(大手)」と記された表玄関であった。病院等の、周辺家屋の様子からは判じ難いが、やはりここも道の付き方等に古図との違いはみられない。敷地も同様なので、ひょっとすると病院も当時の大型商家等を改造して成している可能性がある。


伯耆行初日終了

意外にも、古の痕跡と数多く遭遇出来た八橋探索は、斜陽の訪れと共に終了した。今日はこのままI氏御母堂の実家泊となる。街道沿いの豪壮な造酒屋にて地酒を買い、食材を仕入れて夜宴となった。I氏がさばく近海魚の刺身や、御母堂差入れの蟹が旨い。今日や、明日の様々を語る話も尽きず、初めての伯耆夜は更けていった。明日は、いよいよ長者伝承の調査である。随分遅くなってしまったが、それに備えて漸く就寝したのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 調査・研究
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