2023年09月01日

十六夜避暑

京都市街・五条通上に現れた十六夜のブルームーン

9月に入るも……

秋9月となったのに、ここ京都市街では変わらず猛暑・熱帯夜が続く。

全くもって、うんざりの状況である。先週恒例の近場避暑泊を行ったばかりだが、こんな状況なので、今週末も一夜の避暑泊をすることとなった。

場所は自転車で行ける程の市街内ホテル。その経営に関係する知人の誘い・好意で一部屋提供してもらったのである。

街なかなら、家で空調に浸ればいいのではないか、と思われるかもしれないが、そこにはドリンクバーや大浴場等の特別な環境・設備があった。

何より、空調に閉じ込められ気味の毎日なので、少しでも気分が変えられることは有難い限りであった。

満月新称の由来と謎

写真は、そんな街なかの夜空に現れた十六夜(いざよい)の月。

昨日が満月(十五夜)だったので十六夜である。生憎の湿気や雲で霞み気味だが、まだ満月同様の光量と存在感を有していた。

そういえば、昨日の満月は「ブールムーン」と称して盛んに報道されていた。何でも、今年一番大きな満月だったらしい。

その名称は北米由来で、昔は一季に4回満月が現れる時の3番目の月、現在では各月のうち2回目に現れる満月を指すことが多く、共に2・3年に一度しか見られない珍しい存在だという。

しかし、青い訳ではないのにブルーとする由来は定かではないらしい。

「ピンクムーン」などのように、近年こうした意味の解り辛い海外由来の月名称がやたら紹介されている。それに反し、十六夜等の伝統的呼称ながらも論理的に名づけられた名称の廃れ様が著しい。

また「何とかデー」みたいに、海外習俗を無理やり移入し、何かを買わそうとしているのであろうか。

そんなことを考えると、なにやら面倒を感じ、また暑くなってきた。これも、猛暑の所為か。早く風呂にでも入り、涼むことにしたのであった。

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2023年08月15日

颶風映世

平成5年(2023年)8月15日の台風7号通過後の夕方の賀茂川の濁流

好機に台風
溜息隠せず


盆期間中に近畿を直撃することとなった台風7号。

強い勢力を保ちながら今日昼頃、ここ京都市街に最接近したが、少し西に逸れたためか、深刻な風水害は起こらなかった。

ただ、本来今朝に出発する筈であった広島への個人的出張は、新幹線が運休したため明日に延期に。珍しく、そして貴重な4日間の出張が1日短縮することとなった。

よりによって、こんな時機を狙うように直撃しなくてもよいのに――。

進むべき主案件が停滞するなかでの有難い仕事であったが、ため息を隠せず……。中々上手くいかないものである。

そして、暴風警報が解除され、雨も小康となった夕方、明日の手土産を求めに聖護院まで出掛けた。

自宅が奥まった場所にある所為か、風の凄みは然程感じなかったが、街なかでは方々で看板やベンチが転倒するなど、強風の痕跡が見られた。

台風直後に見る世相

そして、足止めの憂さ晴らしと鍛錬を兼ねて長く歩いて聖護院に着くも、当地の銘菓を扱う店は軒並み臨時休業していた。それどころか、スーパーやコンビニ等の殆どの店も休業していた。

一応、事前にネットで情報を探ってはいたが、曖昧な表現もあったため、駄目もとで来たが、やはり叶わなかった。

そりゃそうだろう。台風が京都真南の潮岬に上陸して北上し、「大雨洪水」や「暴風」などの警報が全て発令されていたのだから。

しかし、そうした状況というか、世相に、どこか納得できない心地もした。それは「雨が降ろうが槍が降ろうが、仕事に出るのが当たり前」とされた時代を経験したからであろう。

そして、その想いの根本には、自分自身、当時そうした風潮を理不尽だと感じ、反発していながら、そういう生命第一主義(主張?)が親兄弟を含めて理解されなかったことへの反感というか、怨嗟もあった。

少し時代が変われば、こうも変わるものなのか。何やら人世(じんせい)の軽薄を感じずにはおられず、また少々気分が悪くなった。

しかし、「働く人を(も?)守る」という、良い具合に、社会が変わったことは歓迎すべきことである。まあ、個人的には「漸く」の感じもしないではなく、このことにも少々複雑な気分にさせられたのだが……。

またしての予想外

聖護院まで足を延ばしたついでに、台風直後の賀茂川を見てみた。写真の如く濁流渦巻く状況であったが、堤防外郭まで溢水する程ではなかった。

ただ、そのあと傘も効かない土砂降りの雨が予想外に襲来し、全身かなり濡れることに。そういえば、まだ「大雨警報」が残っていたのであった。

嗚呼、何事も上手くいかぬものである。

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2023年06月13日

晩翔蛍光

琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍2匹の光跡

減少 or 晩期?

日没後の暗くなって間もない頃、京都東山(大文字山)山麓の琵琶湖疏水分線を覗いてみると、暗がりを飛ぶ蛍の姿があった。

その光点は幾つか見られたが、疏水縁の哲学の道横で話す欧米系の一団や私を追うように現れた日本人男女の大声により、忽ち隠れがちとなった。

京都市の天然記念物に指定されているここの源氏蛍は、以前に比して随分少なくなったが、やはり人出の多さや騒がしさが影響しているのか。

実際、ここの蛍は、よく飛ぶとされる宵の口より、人が少ない遅い時間に多く見られるようにもなっている。また、コロナ禍の人出減少時、目撃数が増えたことは以前記した通りである。

実は、今年は先月半ば過ぎから同所での蛍飛翔を確認していたが、その時はそこそこいた(カメラ不携帯のため撮影出来ず)。ひょっとして、その後新聞等で報じられ、人が増えたことも影響したのであろうか。

ただ、今日の少なさは、もうそろそろ飛翔の盛りが過ぎたということも考えられた。


上掲写真 琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍2匹の光跡(中央上部)。


琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍の光跡
同じく、琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍(中央)。背後光量はソフトウェアにて増量。今年の蛍も、そろそろ見納めか……

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2023年03月25日

霾下早桜

京都・銀閣寺道付近の琵琶湖疏水分線・哲学の道に植えられた満開の関雪桜と、黄砂に煙る大文字山

最早満開翌日

存知の通り、今年は3月の第1週を過ぎてから全国的に気温が急上昇した。

ここ京都市街でも同じ傾向どころか、25度程に達する日が2度も現れるなど、氷雪の冬から唐突に春もしくは初夏が来たような急変に見舞われた。

お蔭で、3月上旬に予定していた北陸の奥山行も、雪の状態悪化の危険に因り、中止せざるを得なくなった。

そして、その気候急変は、そのまま桜の開花記録の更新にも繋がった。

去る3月17日に、京都地方気象台が観測史上2番目に早い開花宣言を出して以来、市内各所で一気に咲き進み、昨24日に観測史上最早の満開が宣言されたのである。

春が来るのは悪いことではなく、多くの人が待ちわびることだが、これ程の急転回は、何やら気ぜわしく思われたのは私だけではあるまい。

しかし、とまれ花は咲き季節は進んだ。締めを欠いた冬山行への諦めと、その道具の仕舞いを想いつつ、近所の花具合でも観察することにした。

写真は、その際観歩いた銀閣寺参道下は琵琶湖疏水分線沿いの桜。所謂「哲学の道」とも呼ばれる土手沿いに植えられた、近代京都画壇の重鎮、橋本関雪が寄贈したとされる「関雪桜」の花並木である。

確かに、ここに限らず「哲学の道」の桜は満開といってよい咲き具合。しかし、曇天並びに濃い黄砂により、生憎の光線具合に。花の背後に霞む大文字山の姿にも、その異様が窺えるだろう。

降雨予報のない単なる曇天かと思い今朝洗濯をしたが、失敗であった。最近は黄砂より花粉ばかり報道されるので、確り報せて欲しいと思った。

内陸乾燥地で濃縮・堆積した農薬や化学肥料等を含む可能性がある黄砂も、花粉以上に、人体に影響を与える恐れがあるからである。


銀閣寺西橋から見た琵琶湖疏水分線・哲学の道の関雪桜
前掲とは逆側から撮った写真。3日前の夕方には大して花は無かったのに、今朝は驚きのこの咲きぶりであった。満開時期だけでなく、この急進捗も観測史上最早の事態かと思われた


京都・北野天満宮紅梅殿横の枝垂桜
さて、今日は週末ながら25日だったので、午後から毎月恒例の北野の天神市へと向かう。しかし気づいたのが遅く、出遅れた為、既に店じまいの露店も多く、目ぼしい物も見られなかった。仕方なく、天満宮の参拝ついでに境内の花等を観覧した


いつもより花見の集団が少ない、京都賀茂川(鴨川)・出町柳付近の桜並木
天満宮のあとは、また市街東の左京区方面に戻り、各所の桜を観る。これは出町柳(でまちやなぎ)駅付近の賀茂川(鴨川)の様子。対岸(西岸)に桜並木があるが、ここは市内屈指の花見繁盛地。しかし、今日は週末にもかかわらず、花見客らの集団が少ない。あまりに開花が早すぎて、新歓等を兼ねた学生や社会人たちが集まりにくいためか


京都賀茂川傍の川端通から見た、琵琶湖疏水と冷泉通の桜並木
出町柳からは賀茂河畔を南下し、川と琵琶湖疏水が接する場所へ。殆ど観光客が来ないここには、見応えあるこの長大な桜並木があった。例年見事な姿が見られるが、今日はまだ満開に届いていない雰囲気である。そういえば、賀茂河畔の桜もそうで、本来山際で開花が遅い「哲学の道」の方が早いという、珍しい逆転が生じていた


黄砂にけむる東山を背にして京都・岡崎地区を流れる琵琶湖疏水と桜並木
賀茂川を離れ疏水沿いをひたに東行し、やがて図書館や美術館等が連なる岡崎地区に達した。ここの桜もまだ満開に届かず。やはり今年の哲学の道辺りは特別なのか。それにしても黄砂が酷い。午後から益々濃くなったように感じられた。喉等の身体影響を案じつつ、一先ず帰宅することにした

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2023年02月03日

節分復鬼

火炉祭前の節分夕刻の京都・吉田神社境内と火炉

三年目の完全復活?

今日2月3日は節分。

存知の通り、それは「大寒」期間の最終日で、春の始まりとされる「立春」前日に当る。節分は、厳寒期の最後という、気候的に旧暦正月と関係が深い、東亜の国、日本にとって特別な日であった。

本来なら大晦日的なめでたい日だが、平日でもあり、個人的にも特に節分行事に出掛ける予定もなかった。しかし、注連縄等の正月飾りを燃してもらうために、今年も、夕方節分祭で賑わう吉田神社に出掛けた。


上掲写真 京都市街東部・神楽岡中腹にある吉田神社の本殿前広場。左に注連縄等が燃される火炉があり、右奥の鳥居向こうに本殿がある。


吉田神社節分祭の火炉
吉田社節分祭の最高潮的神事「火炉祭」に用いられる火炉。私が持参した正月飾りも、午後11時にこれと一緒に燃やされる


京都吉田神社大元宮前で行われる、福鬼一行による除災・福授けの節分祭行事
境内上手別所にある大元宮前等では昨日の追儺式(ついなしき)で懲らしめられ改心したという福鬼一行による除災・福授け催事が行われていた。昨年は見なかった気がするが、追儺式同様3年ぶりに復されたのであろうか


京都・吉田神社の節分祭に現れた、扇をあおぐ赤福鬼
本殿前で行われた除災・招福催事にて扇をあおぐ赤福鬼


京都・吉田神社大元宮下の参道に並ぶ節分祭の露店と大勢の参拝客
本殿と大元宮を繋ぐ境内参道に並ぶ露店と参拝客の賑わい。福鬼一行の通過時のもので、特に混んでいた時だが、それ以外でもコロナ前を彷彿させる人出があった。まだ流行は収まっていないが大丈夫なのか。ただ、状況が深刻だった昨年や一昨年よりマスク着用者は格段に増えたように感じられた。皆まだ警戒しているのか、それとも単にマスク慣れしただけなのか……。いささか不可解な現象に思われた


京都吉田神社節分祭で参道に並ぶ露店とその灯り
正月飾りを担当神職さんに預けて本殿を参拝し、少々縁起物を購入して帰路に就く。気づかぬうちに随分日が長くなったが、それでも急速に光度が落ちてきた。普段は寂しい山の参道に並ぶ露店の灯りがあたたかい

さて、コロナ禍三歳――。

ご近所馴染みの吉田節分祭も、鬼が現れ漸く完全復活か。福鬼の改心同様、コロナ禍もこのまま終ってくれることを願うばかりである。

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2023年01月25日

大寒深雪

令和5年の初天神の日、雪に埋もれる北野天満宮境内の「神使の牛」と白梅

大雪翌朝の京都市街

昨日午後から降り始めた雪は程なく止んだが、その後、夕方からまた降り始めた。

それは、京都市街であっても冬山の如き強烈な風雪で、忽ちにして外界一面を埋め尽くした。その最高値は13cmと発表されたが、土上や山手等では20cmを超すような深雪となった。

それに因り、JR線で今朝まで立往生が発生するなどの交通混乱が生じたのは、大々的な報道の通り。正に、急変の事態であった。

そんな一変の翌朝、用のついでに、市街各所の積雪具合を少々観ることにした。


上掲写真 雪に埋もれる北野天満宮境内の「神使の牛」と菅天神縁の梅樹。既に白梅の花が咲き始めているが、それにも着雪し、厳しい真冬の姿を見せていた。


雪に覆われる哲学の道及び琵琶湖疏水分線
先ずは、京都市街東部は東山麓にある哲学の道及び琵琶湖疏水分線。見ての通り、普通の靴では歩き難い程の多くの雪に覆われていた。早朝ならもう少しあったか


雪に覆われる京都・法然院の山門と額縁写真的雪景
続いて、同じく京都市街東部山際の古刹「法然院」。名物の茅葺山門屋根にも雪がつき、その下には本堂方面の雪景が額縁写真の如く覗いていた


法然院から見た雪に埋もれる神楽岡と左京区市街
山麓高台上の法然院から見た神楽岡と京都市東部市街。全てが雪に埋もれる、珍しき北国景と化している


雪に覆われる銀閣寺垣
こちらも同じく東山山麓の慈照寺門内。即ち銀閣寺拝観口に続く「銀閣寺垣」である。路上は除雪されているが、生垣には雪が付く稀少景に。これも早朝なら更に量があったか。それにしても、こんな交通や足下の悪い日にもかかわらず外人や修学旅行生等の拝観客が多いことに驚かされた


雪に覆われる銀閣寺門前下の琵琶湖疏水分線と大文字山
こちらは銀閣寺門前街下の琵琶湖疏水分線から見た雪の大文字山。市街より標高が高いこともあり、少しの雪でも「大」字の火床部分が白くなること自体は珍しくないが、遠く離れた麓まで雪に覆われるのは珍しい


雪に埋もれる、京都市上京区・白峰神宮や今出川通
京都市街東部から離れ、京都市バスに乗ると、上京区等の市中心部でも多くの積雪をみた。幹線大路の今出川通の路上ですらこの状態。これも珍しい光景で、もはや雪国同様の冬装備車輌以外は走行不能な状況。途中、不用意に因る衝突に所為か、車体前部が大きく壊れた自家用車も目撃した


残雪で足下が悪い、京都・北野天満宮門前と今出川通
そして今出川通西端近くの北野天満宮門前に至る。路上の雪は少し溶けているが、それでも通行危険な状況に変りなし。実は、今日1月25日は今年初めての天神市「初天神」が開かれる日だったので、久々に覗こうとした。しかし、例年とは異なり、鳥居脇に続く露店はなく、人も少ない


大雪のため、露店出店が殆どない初天神の北野天満宮境内
天満宮境内を更に進んで覗くも、出店は殆どなし。本来はこの通路両側に露店が並ぶのであるが、今日はこの通りの寂れぶりであった。正に空振り、無駄足か――。当然来る前に大雪の影響を考慮したが、地元FM局の放送で開催・出店の案内もあり、態々バスで来ることにした。極少数の出店者に忖度したのかもしれないが、実質的虚報はやめてもらいたい。こちらも困難な状況で出店する馴染店への応援の志もあって、敢て来たのに……


京都・北野天満宮三光門と舞う大寒の雪
こうして久々の天神市は空振りとなったが、折角北野まで来たので、天満宮で初詣して帰ることにした。そして、その本殿前のこの三光門を出ると、また雪が舞い始めた。幸い積雪を増すようような降雪にはならなかったが、その後も小雪を繰り返す、実に寒い一日となった。積雪の見た目的にも体感多大な、正に大寒節気最中(さなか)らしい、冬日であった

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2023年01月03日

兎社多勢

2023(令和5)年1月3日午後4時の京都・岡崎神社の賑わい

近隣の干支当り再び

新年3日。今年の干支は兎(うさぎ)のため、拙宅からも遠くない京都市街東部の岡崎神社にも人が押し寄せていた。

それは、そこが兎にまつわる神社だからである。同社は、平安京の東(卯方位)の鎮護とされたことや、裏の丘陵に昔兎が多く生息していたことにより、兎を神使としていた。

干支当りの混雑は、3年前に同じく市街東部の大豊神社の狛鼠参拝で実見済みなので想定していたが、改めて世間多勢の動きに驚かされた。

事態を予見し、年末、知人用の護符を買いに行った際に、境内に比較的新しい兎の石像を多々みたが、それも今年のための準備だったのかもしれない。とまれ、普段は閑散として社のため、その違和感は多大であった。


上掲写真 京都・岡崎神社門前の卯年・兎詣の賑わいと、それを誘導・警護する関係者。


歩道上に長蛇の列出来る、2023(令和5)年1月3日午後4時の京都・岡崎神社門前の賑わい
既に正月3日で更に夕方16時にもかかわらず、門前から溢れる参拝客に驚かされる。拡声器で案内する関係者の話では、参拝の列は社外の歩道上300mも続いており、所要待ち時間は2時間半という。更に社務所は17時で終るので、記念品・御朱印の購入も出来ないと案内されたにもかかわらず、それら多勢は動じることはなかった。しかもかなり寒い日にもかかわらず……

さて、年末のコロナ濃厚接触者騒動は、その警戒期間明けである昨日を過ぎて、検査・体調共に良好だったため、無事の終息をみることが出来た。

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2023年01月01日

新年好拝

2023(令和5)年元日午前の快晴の空の下に聳える朱色鮮やかな京都・平安神宮の応天門

珍しき快晴温暖の初詣

年末から寒い日が続いていたが、珍しく大晦日辺りから緩み始めた。そして、明けた新年元旦の今日、それに晴天も加わる佳日となった。

そういう好条件や、前夜然程夜更かししなかったこともあり、午前中に初詣へと向かった。

先ずの参拝先は恒例の平安神宮。昔、親が婚儀した家族縁の社である。


上掲写真 京都市街東部にある明治創建の新社「平安神宮」正門の応天門。旧平安京宮城正門を縮小復元したものである。


2023(令和5)年元日午前の京都・平安神宮応天門向こうに見える神宮本殿「大極殿」
平安神宮・応天門を潜ると、果てに本殿たる大極殿が見える。これも旧平安京正殿の縮小復元。門扉の鴨居に渡された注連縄が年初ならではの装飾


2023(令和5)年元日午前の快晴の空の下に聳える朱色鮮やかな京都・平安神宮本殿の大極殿前で参拝を待つ大勢の人々
本殿たる大極殿前にゆくとこの様な人だかりが……。昇殿口が中央一つに絞られているためだが、コロナ禍前よりマシで、すぐに進めて参拝出来た


2023(令和5)年元日午前の京都・下御霊神社の表門より参拝者で賑わう拝殿前等の境内をみる
恒例の平安神宮参拝後は、これまた家族縁の下御霊神社へ。ここも、昔亡き母親の薬を煎じる水を頂いていた縁ある社だったが、今年は何故か長蛇の参拝客があり、本殿に近づけなかった。故に、拝殿前で参拝を済ませた


2023(令和5)年元日昼頃の京都・毘沙門堂の境内と参拝客
下御霊社のあとは市街を東行し、北山科の山際にある毘沙門堂に参った。こちらも小時からの馴染みの初詣寺院。往時は大晦日から新年にかけ夜間参拝したものだが、今は新年の昼間に訪れている。また昔のように、夜間参拝してみたいものである。なお、写真では人が少ないが、このあと急に人が増え、忽ち長蛇の列となり、中央本殿への参拝に時間がかかることとなった。外国人はまだ見なかったが、他府県人が増えたのか

さて、これにて元日の初参詣は終了。皆さん、今年もどうぞ宜しく……。

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2022年12月31日

波乱年終

付け床下の置き床杉板に飾られる鏡餅や松榊南天に輪島重箱・朱椀・玉椀等

波乱の令和四歳最終日

今年も、はや最終日たる大晦日に。

数年来のコロナ禍に加え、まさかの欧州戦役勃発や円安・物価高等々の影響に翻弄されたが、なんとか越年準備を終えることが出来た。

数日前には遂に拙宅にもコロナ陽性者が来宅し、濃厚接触者となる危機があり幾度も検査を受けることにもなったが……。

来年は邪な者共の野望が完全に挫かれ、平穏な世界と新たな安全秩序が完成されますよう。世界の片隅のここ京盆地東辺にて願うばかりである。


上掲写真 今期もすなる「床の間」の正月飾り。このあと伏見人形等も飾るのだが、一先ず「一夜飾り」を回避して数日前に用意した状況にて。

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2022年11月08日

月星皆食

2022年11月8日18時、京都市左京区の大文字山から上ってきた半影食の満月

望月と惑星の同時皆既

比較的最近のことだが、今晩稀少な月食が見られるとの報道を聴いた。

それは惑星食(天王星)を伴う皆既月食で、戦国天正期以来442年ぶりとなり、更に天王星食に限定すると過去5000年例がないというものであった。また、次に起こる惑星食も322年後という、実に稀少な機会であった。

折角なので、ちょうど欠け始めのころ外にいる予定もあり、望遠レンズをつけたカメラを持参し、撮影することに。すると、東山連峰の黒塊から満月が顔を出し、写真の如き姿を見せた。

時は18時ちょうど。国立天文台によると食が始まるのは同9分からとのことだったが、左下が黒く、既に欠け始めているような様子である。

後に知ったところによると、これは「食」ではなく「影」で、部分食に先行して起こる「半影食」という現象だという。それは既に17時から始まるらしく、比較のため完全な満月を撮影しようとした試みは失敗に終った。というより、月の出や空の明るさとの関係から、元より無理であった。


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で始まった皆既月食に先行する部分食
そして18時9分、欠け始めである部分食の開始となった。確かに始まったか


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で進む、皆既月食に先行する部分食
続いて18時16分、確かな欠け・月食状態になってきた。なお、帰宅中に撮影したので前掲画と撮影場所は異なる


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で進行する皆既月食に先行する部分食
18時57分、部分どころか、闇夜に呑まれ、消えそうな状態である


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で進行する皆既月食
19時29分、同16分から始まった皆既状態が進行。明るさが極端に落ちたので手持ちで撮影出来ず、三脚撮りに切り替え。既に帰宅し、月の高度も上がったので自宅前で難なく撮影出来た


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で食の最大を迎えた皆既月食
そして19時59分、食の最大を迎える。赤黒い異様な望月が夜空に浮かぶ。これだけでも十分珍しい。ん?後ろから急にスマホのフラッシュ撮影するおばちゃん、やめてくれ(笑)。どうせ、そんなのでまともな写真は撮れまい


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空の皆既月食に食される瞬間の天王星

捕捉、天王星食

本来なら食の最大を捉えて撮影を終えるつもりだったが、今回の月食は惑星食あってこその稀少価値があったので、その機会に臨んだ。

そして20時31分、月の輪郭に接し、正にその陰に入らんとする天王星を捉えた(写真、月縁下部やや左の光点)。天王星があまりに小さく、ファインダーを覗いても判らないため、予告時間に合わせて複数写してなんとか押さえたのである。


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で皆既月食から部分食に変化した満月
20時42分に皆既月食が終り、また部分食と化した21時25分。4分前に食を終えた天王星が再び月の輪郭から現れる筈だが、相対的に月の明るさが増したためか、確認出来なかった


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で皆既月食から変化した部分食が終り、半影食に変わる直前の満月
21時49分、部分食が終る時間だが、まだ欠けているように見える


2022年11月8日夜、京都市左京区大文字山上空で皆既月食から変化した部分食が終り、半影食となった満月
そして22時4分、ほぼ通常の満月に近い姿となったが、半影食は続いており、それが終るのは22時57分とのことであった

双方終了

さて、後半は庭に三脚を立てていたので撮影や観賞は楽だったが、夜も更けてきたため双方これにて終了とした。思えば、これまでじっくりこうした観賞をしたことがなかったので、その意味からも貴重な体験が出来た。

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2022年08月15日

盆遊嵯峨

コロナ禍第7波最中の盆期間に嵐山渡月橋を渡るの観光車輌や人の賑わいと猛暑の夏空

熱闘盆案内!?

早6月に梅雨明けしたにもかかわらず、7月からまた雨天が続き、盛夏の候となっても、その状況が続いていた。

但し、その異状に猛暑の暑さが容赦なく加わった。上空に厚い雲があるので、それでもかなりマシなのであろうが、身心共に参らされることに変わりはない。

さて、個人的には盆までに進めねばならぬ仕事があり、避暑に行く時間もなかったが、何とか一段落出来たので、盆休みを得ることは叶った。

ところが、世はまた新型コロナの再襲来。

しかも世界最高という、不名誉で桁違いの感染者が生じる事態となった。それでも、死亡率の低下等の油断からか、人の動きは激しく、ここ京都市街周辺の交通でも久方ぶりに混雑の報せを聞くようになった。

これでは、避暑行どころか、近県に出掛けるのも憚られ、また厭うところとなった。ただ、北地の甥が大学見学等を名目にちょうどこちらへ来ることになったので、昨日から市街の案内をすることになった。

昨日は猛烈な湿暑と断続的強雨に見舞われる異状に苦しめられつつ、大学や伏見稲荷等を巡ったが、今日は写真の如く、渡月橋等で著名な嵐山や嵯峨野等を巡ることとなった。

今日も不安的な天候との予報が出ていたが、午後からは写真の如く夏の青空も見られた。ただ、同然ながら、こうなると暑さが増す(笑)。湿度も高いままなので正に二重苦の観光となった。

上流山手は、保津峡口辺りの大堰川(保津川・桂川)河岸の茶店でかき氷を食すなどして、休みつつ動いたのは昨日同様であった。


上掲写真 京都盆地北西端にある景勝地・嵐山にかかる渡月橋と、現れた猛暑の夏空。橋上を渡る多くの観光車輌や遊山者の姿も見える。


コロナ禍第7波最中の盆期間における嵐山・嵯峨野の竹林内の観光客らの賑わい
渡月橋の前には、甥の要望で嵯峨野観光ではお約束的なこんな竹林も巡った。ここも、コロナ禍以前程ではないが、十分人が多かった

そして、嵐山観覧後、京都市街中心に戻り、夜までお土産等の買物に付き合ったのであった。

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2022年07月24日

疏水雨跡

京都・岡崎蹴上にある琵琶湖疏水舟溜に出来た白川砂の砂州で微睡む二羽の鴨

雨後の長散策

今年は本州各地で記録的に梅雨明けが早かったが、宣言後の今月初旬から、また各地で雨天が続いたのも同様であった。

しかも、大雨が多く、自分が住む京都市街東部でも、先日5段階区分け中、2位という「避難指示」が出されるなどした。

梅雨末期に似た、それらの連続的強雨は金曜辺りで落ち着いたが、代わりに猛暑の暑さが戻ってきた。真夏なので仕方ないが、何事も良い塩梅とならないものである。

さて、先月の熱中症の件もあり、今夏は裏山での鍛錬を控えていたが、動かないのも良くないので、今日は比較的長程の散策を行うことに。それは、市街散策とはいえ、丘や山際を取り込んだ高低に富む道程であった。

開始は陽が傾き気温が落ち始めた夕方を狙ったがそれでも暑い。また、特有の湿気もあるため、街歩きとはいえ比較的負荷の高い行動に思われた。


上掲写真 夕方、白砂上で仲良く微睡む二羽の鴨。場所等は後述。


2022年7月の強雨後、琵琶湖疏水・南禅寺舟溜に流れ込んだ大量の白川砂

豪雨一過の跡

気温や日射を考慮し、最初は比較的涼しい山際を巡り、その後、市街中心方向へと進む。そして、蹴上(けあげ。京都・東山麓の地名)下の琵琶湖疏水にて、写真の光景を目にした。

疏水に流れ込む大量の土砂である。それは一部陸化して広い砂原さえ見せていた。最初に紹介した鴨は、この島状安全地に憩うていたのであった。

土砂は左奥の暗渠から流れ込む「白川」より運ばれた所謂白川砂である。見ての通り、この辺りの疏水はインクライン(舟搬軌道)下の旧舟溜(ふなだまり)のため広くなっているので、相当な量であることが判る。

私もこれ程の量を見るのは初めてであった。

恐らくは、これも大半が今月の雨の影響か……。とまれ、水道を始めとする水利(すいり)用の人工河川なので、早期の浚渫が必要かと思われた。確か、今春前に大規模な定例作業が入ったばかりではあるが……。


2022年7月の豪雨後、琵琶湖疏水に流れ込んだ大量の白川砂によって白濁する聖護院付近の疏水
その後、舟溜から疏水沿いを歩き下ったが、1km下流の聖護院付近でもその水は白濁していた。これも、未だ濁流状態の白川の影響で、舟溜合流部から続くものである。沈み難い粘土成分が流れを染めているのである(粘土は「顔料」なので正しくは「加飾」か)


京都・聖護院付近の徳成橋から見た、嵐山方面の夕焼けとそれを映す琵琶湖疏水
そして雨の影響に感じ入りながら疏水縁を西に進むと、彼方には夕焼けが。この後、賀茂川(鴨川)まで出て、そこで寛ぎ涼んで帰ったが、そこでちょっとした出会いと出来事が……。まあその話はまた機会あれば……

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2022年07月10日

故相受難

京都黒谷・金戒光明寺西雲院の蓮の葉とそこに載る水滴

戻り梅雨の投票日

今年近畿では(近畿だけではないが)先月末に信じられない早さで梅雨が終り、すぐさま39度に迫る猛暑日が現れた。

お蔭で、というか、油断・節約の所為もあり、方々で警告されていた熱中症的不調に見舞われてしまった。その影響は数日続き、個人的に、とんだ盛夏の幕開けとなった。

他にも個人的難事が重なり、身心共に参らされたが、なんとか乗り切るべく日々過ごしていた。そんな中で、いつしか正に盛夏月の7月に入り、早十日が経過。猛暑は台風と戻り梅雨のような気象により一旦落ち着いたが、その後、またそれに近い暑さが続き、今日も同様の予報であった。

しかし、本日は3年ぶりの参議院選投票日。

その為、日曜ながら熱中症を警戒して大人しくするつもりだったが、投票ついでの朝に、暫し方々散策してきた。

選挙に思う一大惨事

さて選挙といえば、一昨日8日昼前に、奈良にてその応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃され、夕刻死去するといういたましい事件が起こった。

私も昼のラジオ等でその速報を聞いて驚き、何とか助かるよう願ったが、叶わなかった。安倍氏の死去により、この地方的傷害事件は戦後空前の一大暗殺事件へと昇華・変貌した。

私が投票後当てどなく逍遥したのも、この事件と無関係ではなかった。

犯人は近くに住むという無職の青年で、その動機は、ある宗教団体によって家族が破産させられた恨みだという。安倍元首相がその団体と関連があると断定し、警戒厳しい団体幹部の代りにその命を狙ったらしい。

一宗教団体幹部より、一応、経済大国の元総理の方が狙いやすかったとは驚きであった。しかし、事実、当日の映像を見ると、演説場所選定の根本的失敗や警備の甘さが素人でも一目で判断出来た。

駅前ロータリー内のガードレールで囲まれた演説地なので、恐らくは凶器乱入や車輌突入くらいしか想定してなかったのではないか。実際、犯人は手製銃(砲?)という飛び道具でこの制限を克服し、加害を成功させた。

犯人制圧後、路上に落とされたその手製銃の大きさは、なんと1尺程しかない小型のものであった。小さければ運搬や隠匿に有利だが、銃身が短すぎるこの構造では命中率は望めない。

しかし、その口径は機関砲ともいえる大きさで、それが並行して2連装備されていた。元総理の傷や流れ弾の状況から、恐らくは短筒の欠点を補うべく、一発で同時に複数弾が放たれる散弾方式だったと思われ、更に失敗に備えて2発式にしたと考えられた。

一見拙い造りながら、実に恐るべき周到さ――。

しかし、それでも、かなり接近しなければ当てることは難しく、更に散弾という威力に劣る性質からも、ごく至近で使うことが必要であった。

つまり、通常の警備ではあり得ないこの成功条件が今回適ったことからも警備の問題が窺える。しかも1発目の距離10mのみならず、2発目の6、7m程まで接近を許したからである。元総理はこの2発目に被弾し致命傷を負ったことからも、あってはならない失態だったといえよう。

また加害半径の広い散弾にもかかわらず、元総理以外被弾しなかったことからも警備の手薄さが証明される。

あとは医療の問題。急所の直撃は免れていたらしいので、設備や搬送、医師の機転等の条件によれば助かっていた可能性も考えられる。実際、私はその一報と安倍氏の容態を聞いた際、恐らく止血が成功すれば助かると思っていた。だが、そうはならず、全てが最悪の方向へと進んでしまった。

こうして、元総理は様々な悪条件が重なり気の毒にも急逝を遂げられることになった。その不幸、無念には唯々お悔やみの意を表すばかりである。

安倍元総理急逝の損失

安倍氏の政権運営には毀誉褒貶があり、氏個人の疑惑も多かったが、私はその外交手腕に関しては戦後無二のものと評価していた。

それは、没後すぐに各国・各界の要人・団体から数多の哀悼表明や事績賛辞が寄せられたことからでも証されよう。

米国人は疎か、同じ共和党員でさえ扱いが難しいとされる彼のトランプ元大統領の懐に逸早く飛び込み、日本への圧力を緩和せたことは記憶に新しい氏の功績の一つである。また、米議会で自ら英語による長文演説を行い、感動と高評価を引き出したことも、印象深い無二の業績であった。

それだけに、今進行中の様々な対外難事に対しても更なる働きが期待できた。故に、氏の急逝は日本にとって大きな損失といえ、残念に思われた。

失われた30年の因果

この悲劇的事件を起こした犯人は、自衛隊経験者とは思えぬ華奢で大人し気な青年だったが、今時点の供述では元総理の政治思想への反感ではなく、あくまでも宗教絡みの恨みが動機だという。

どんな言い分も、この悲惨な結果の免責にはならないが、嘗て同じく宗教により一家離散を余儀なくされ、進学も叶わず十代から独り住み込みで働いていた友人のことを思い出した。それは、私に本銃撃犯の供述に対する少なからぬ信憑性と、その犯行論理に対する一定の理解を与えた。

勿論、それでもこんな凄惨な私刑(間接私刑?)は絶対許されず、平和的に争う場合でも、先ずは加害本人・組織と対峙すべきだと思う。

しかし、前述の友人の安否のこともあり思い至ったが、もし、この犯人青年が安定した職に就き、所帯でも持っていたら、果たしてこの惨劇は起こったでのあろうか、という、ある種不気味な疑問が浮かんだ。

人生のある時期まで資格取得を目指すなど、犯人青年も前向きに歩んでいたことが伝えられている。その真摯さが、延長を重ねた不況や改善進まぬ雇用環境等により深刻な影響を受けたのではないか。

奇しくも今回の選挙争点の一つに「失われた30年からの脱却」があった。90年代初頭のバブル崩壊から今に続く異様な経済停滞との決別である。

2000年頃に言われ始めた「失われた10年」は、その後20年目を過ぎても改善されず、気づけば30年もの長期に達していた。その間、賃金は上がらず、非正規という「二等国民(私もある意味同様)」が全労働者の半数程にまで膨れ上がったのは国民周知の事実である。

その30年のうち、大半の政権を担当した自民党も、それに対し、手をこまねいていた訳でなかったが、小泉改革を始めとする諸施策は失敗に終った。そして、その後継の安倍政権も、その後の約10年を担当したが、「アベノミクス」の喧伝とは裏腹に、根本的な改善は叶わなかった。

この安倍政権の経済施策が真に成功し「失われた20年」で停滞に終止符が打たれていれば、犯人青年は恨みを抱きつつも、身近な社会の為、妻子の為に怒りの矛を収め、結果元総理も路上に倒れずに済んだのではないか。

そう、正に元総理が掲げた「一億総活躍社会」の一員になれたなら……。

そんな、奇しくも二人を繋ぐ、宗教絡みではない、政治・経済絡みの想像が俄に生じ、頭から離れなくなった。

ひょっとして、この事件は、これから噴出する、長い停滞が育んだ凶事の一つに過ぎないのではないか――。

確かなことは言えないが、何となく嫌な予感がしてならない。

いたましき世相
悲惨、止むべし


そもそも、最近、戦争や虐殺に封鎖・暗殺等々、何やら20世紀初めに戻ったような世相で、いたましく、悲しい限りである。

とまれ、朝元気に出かけた人が、冷たい躯(むくろ)とされる惨劇が起きた。この悲惨に宰相も庶民も違いはない。しかも「明るく公正な」日本の選挙の最中に。絶対にあってはならないことである。

安倍晋三元総理のご冥福を切に祈りたい。


上掲写真 京都市街東部の某寺院塔頭の蓮の葉。本来は鮮やかな花を見せたかったが、安倍元総理の冥福を願い、しめやかなものに……。

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2022年06月01日

六月夏入

京都・真如堂境内の開き始めた白紫陽花

それでも進む

今年も早6月入り。
気づけばまた1年の半分に達した。

今年も引き続き新型肺炎に翻弄され、そして、あろうことか東欧で大きな戦争が始まり、長引いている。それらの影響による物価高は疎か、国際社会が大きく軋み、世界平和の先行きさえ見え難くなってきた。

それでも、今年も夏の始まりが訪れた。季節及び自然の営みはまた大きく進む。そして、我々人の営みも否応なしに続く。

何が有ろうと、起ころうとも……。

写真は京都市東部の古刹・真如堂の紫陽花(アジサイ)。雨の時季6月を象徴する花だが、5月中旬に梅雨入りした昨年とは異なり、今年は未だ乾燥の日々が続く。それでも、来るべき雨期に備えるよう花を開き始めていた。


京都・哲学の道(疏水分線)の暗がりに浮かぶ蛍の光跡
さて、夜、思い出したように「哲学の道」を覗くと、琵琶湖疏水分線の水面を舞う蛍の姿が見られた。これもまた、6月梅雨どきの自然の営み

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2022年04月10日

山路大桜

京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜の花弁。2022年4月10日撮影

外見平和、内実不穏の春
近山の桜大樹へ


一際寒く、また雪も多かった冬が終り、今年もまた京都市街に花の春がやってきた。

これだけなら、長閑で平和な季節変わりなのだが、コロナ禍や宇露戦争が終らない。また、新たにロシア軍による市民虐殺が発覚し、同国等への経済制裁並びに、その影響による物価高や不況の長期化が決定的になった。

現地の人々の災難は言うまでもなく、世界情勢的にも、とんでもないことをしてくれたものだと思う。

長引くコロナ禍の影響もあり、スリランカやペルーで物価高等に因る政情不安が生じており、今後、経済疲弊した他の国々にも連鎖し、全球規模の情勢不安を起こす恐れも出てきた。

そんな、不穏渦巻く状況で、正直気は晴れないが、一先ず日本、そしてここ京都では外見的ながら平和な春到来となった。

遣る瀬なさを抱えつつではあるが、折角の春なので運動がてら近山の桜を観に出掛ける。それは、ここ数年来気にしてきた山桜の大樹であった。


上掲写真 京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる山桜大樹の花弁。


京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜の花弁。2022年4月10日撮影
山の桜を観るといっても、事前にその咲き具合が判らなければ只の登山・または徒労となる。その為、麓が満開になってから折々東山向かいの丘上等から観察していた。写真は前日眺めた大文字山とその山肌に点在する桜花。夕陽に因り全体に赤味がかるが、明るい色で咲く山桜の様子が判ると思う。同様に、遠目ながら目当ての大桜の具合を観察し、満開を確認した


京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜。2022年4月10日撮影
4月7日の強風で一気に減ったものの、残り花を求める人で賑わう麓を過ぎ、山道に入る。そして、途中から殆ど人が通らぬ山中の古い車道(くるまみち)を登り進み、目当ての桜樹の前に到達した


京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜の花弁。2022年4月10日撮影
とはいえ、その花を観察出来るのは、前掲写真の位置が最良。それ以上近づくと他の樹に邪魔され、直近たる花の直下でもこの様な有様であった。元より山桜は高い位置に花をつけ、大樹であるほど地面から遠ざかるので仕方ない(その「欠点」を補うべく改良されたのが現在主流の染井吉野)


京都東山山中の古道脇に聳える山桜の大樹。2022年4月10日撮影
馴染みの山桜の根元や幹はこの通り。幹回りは大人二抱え程の太さがあり、外見での判断は難しいようだが、その樹齢は最長200年程とか思われた。とまれ、自分より遥かに年輩であることには違いない


京都東山山中に盛りの花を覗かせる大山桜。2022年4月10日撮影
古道を離れ、その対岸・谷向こうの樹間から覗き見えた桜大樹の花

永年の存在・営みに平穏みる

この様に、大樹と雖も山桜は一般的な花見に向かないが、それでも、今日はその姿を垣間見られて大変良かったと感じた。

それは、外見的な花の美しさだけでなく、齢数百年という永年の存在とその営みに山や私自身の平穏を見、その事を確認出来たからかもしれない。


京都東山・大文字山山麓の路上に散る桜の花弁と鮮やかな樹々の新緑。2022年4月10日撮影

花から新緑へ。変化する春

さて、目当ての大桜を観て別路にて山を下る。運動とするには時間・負荷共に軽いものとなったが、3回目のワクチン接種からまだ日が浅いため、無理せず引き返すことにした。

そして、麓の山際辺りでは、写真の如く、地に降る花弁とは対照的な、鮮やかな新緑が輝いていたのである。

こうして、漸く訪れた春もまた、はやくも変化してゆくのであった。


京都東山・大文字山山中の古道脇の樹に括られたウクライナカラーの目印。2022年4月10日撮影

末筆ながら

最後になったが、山中でまた偶然見つけた、写真のウクライナ・カラーの紹介を……。

今回も、本当に全く偶然路傍で発見したもの。道標というより、何かの目印か。とまれ、過酷な状況にある同国への共感を忘れないようにしたい。

ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年04月06日

岡崎夜宴

京都岡崎公園グランド横・平安神宮前の夜桜。2022年4月6日撮影

3度目翌宵ながら……

昨日、新肺炎抗原接種を受けた。所謂「コロナワクチン」で、昨秋以来の、計3回目の接種となった。

国からの接種券は先月届いていたが、感染増加が鈍り、重症化や死亡の率も少ないことや、昨秋の2回目の際に副反応が出たため、思案していた。

しかし、医療関係者への聞き取り等の情報や諸事情を考慮し、やはり打つべし、との判断に至った。

それでも、比較的副反応が強いとされるモデルナ製ワクチンは避けるつもりだったが、近所の行きつけ医院に相談すると、今回も使用はファイザー製で、予約も空いているとのことだったので、すぐに押さえたのである。

報道等の情報ではファイザー製に人気が偏り、その接種が困難だと聞いており、相当時間がかかるとみていたが、こうして労なく済ませることが出来た。医院の話では、高齢者以外の接種予約が進んでいないという。

先日、床屋の大将から3回目接種の副反応で体調不良に苦しんだ話も聞いたが、二の足を踏んでいる人が多いようである。特に、休業補償のない自営や非正規の人なら当然であろう。

とまれ、この様に個人的3回目接種はあっさり済んだが、前回僅かならぬ副反応が出たので、警戒していると、やはり翌朝、つまり今朝、熱が出た。

37.5度の微熱で、数日続いた前回とは異なり昼頃下がったが、その後も風邪のようなダルさが続いた。

実は、今夜友人とちょっとした夜桜宴の約束があった。体調が悪ければ中止してもらう段取りであったが、気温も高く、近所だったので、向かうことにした。何より、市街近辺の満開は今日辺りまでとういうこともあり、「今夜しかない」との思いもあった。

さて、少々揺れる身を運んだ先は写真の岡崎公園。5年前に同地で催した際は、桜の大樹が並ぶ琵琶湖疏水沿いで行ったが、今回は照明や厠等の関係で「内陸側」で行った。

予報通り、夜が更けても気温は下がらず、快適な夜宴・花見が出来た。そんな好条件にもかかわらず人が少ないことを意外に思ったが(去年の同時期はやたら人が多かった)、蔓防規制も明け、飲食店の夜間営業も復活したので、皆そちらに流れているのかもしれない。

結局、最後まで体調は変わらず、また事後も悪化せず、年に1度の夜桜宴を無事、そして楽しく終えることが出来たのであった。友人諸々に感謝!


上掲写真 京都岡崎公園の夜桜。フラッシュ(閃光灯)なしの長時露光なので、実際はこれほど明るくないが……。

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2022年04月04日

鴨東満花

東山山麓の桜の名所「哲学の道」の端点・若王子(にゃくおうじ)付近で咲き誇る雪柳や桜。2022年4月4日撮影

コロナ・戦争止まぬも花期来る

コロナ拡大阻止を図る「蔓防」規制も先月で明けたが、結局感染者数は下げ止まりとなり、そして現地及び世界に甚大な影響を与える戦争も続く。

それでも、季節は確実に変じ、温和な気候と共に花の時期がやってきた。

京都市街中心にある京都地方気象台が先月24日に開花を宣言し(平年比2日早)、その後、同30日には満開も発表された(同5日早)。

そして、自宅がある市街東部でも昨日辺りから満開直前を実感出来る状況となった。今日は珍しく朝早く動く機会があったので、そのついでに付近の名所(賀茂川〈鴨川〉以東)をさっと確認してみることにした。


上掲写真 東山山麓の桜の名所「哲学の道」の端点・若王子(にゃくおうじ)付近で咲き誇る雪柳や桜。本来、京都市街では雪柳が先に満開となるので、同時に咲き進むのは珍しく思われた。


哲学の道・疏水分線沿いの満開の桜並木
前掲写真と同じく、先ずは「哲学の道」の桜から。東側に大文字山系が迫るため朝は陰が多く、更にここは若木が多い場所だが、それでも、疏水分線の両岸に花の並木が続き、華やぐ。その咲き具合は、正しく「満開」


京都蹴上のインクライン土手上から歩道を包み込むように咲く満開の桜。2022年4月4日撮影
続いて哲学の道同様、琵琶湖疏水関連の施設「インクライン」の桜。地名から「蹴上(けあげ)の桜」とも呼ばれる。嘗て使われた舟運軌道(インクライン)の土手上に圧巻的桜並木がある。ここも満開だが、何故か花弁が萎れ気味であった。乾燥か朝の陽当たりの悪さ等が影響しているのか


インクラインの土手上に続く軌道と両側の桜並木及び大勢の観覧者。2022年4月4日撮影
インクラインの土手上に続く軌道と両側の桜並木。平日月曜の朝にもかかわらず、既に大勢の観覧者で賑わっていた。さすがは人気の名所。哲学の道も週末は凄い人出となるが、今朝はこちらの圧勝か


京都市岡崎地区を流れる琵琶湖疏水沿いの桜並木と観光用十石舟。2022年4月4日撮影
続いて、琵琶湖疏水本線の下流側となる岡崎地区の桜。此岸の歩道や対岸の動物園・美術館等の文化施設の敷地縁に多くの桜が植えられており、名所化している。ここもまた満開。水面に浮かぶのは出発を待つ観光用十石舟。花も天気も絶好の条件なので、乗船客はさぞや満悦であろう


京都市岡崎地区を流れる琵琶湖疏水沿いの桜並木と走り去る観光用十石舟。2022年4月4日撮影
同じく岡崎地区の疏水沿いの桜。文化施設側は比較的大樹が多く、見応えがある。十石舟はその下を走り抜けていく


京都賀茂川(鴨川)沿いの満開の桜並木。2022年4月4日撮影
最後は賀茂川(鴨川)の桜。土手上に断続的に並木が続くが、他所には無い上下左右の広大な空間が魅力である。勿論ここも満開


川風に花弁舞う京都賀茂川(鴨川)の桜。2022年4月4日撮影
同じく賀茂川の桜。少し成長が早かったのか、この様に川風に花弁が舞い始めていた。まあ、「満つれば欠く」の理(ことわり)通りか。少々寂しいが、これもまた致し方なし

禍事早滅!

以上、これにて今朝の個人的花確認は終了。読者皆さんに対しては、諸々の不穏が片付かぬ中の一服の清涼剤、花だよりまで。世の理通り、禍事(まがごと)も早く勢いを減じますよう……。

悪疫退散、ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年03月23日

宇領遠説

衆議院議員会館内の国際会議場のスクリーンに現れたゼレンスキー・ウクライナ大統領と演説を待つ国会関係者

史上初の戦地演説

今日夕方18時よりウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン国会演説が行われた。

その意図と内容は、先月24日から始まったプーチン・ロシアによる同国侵略に対する日本の支援や加害側制裁に対する謝意表明と、支援継続及び反権威主義暴力への連帯を求めるものであった。

日本の憲政史上初とされる、外国元首による即時遠隔演説。しかも、近くは僅か15kmに敵が迫り、市中への爆撃が続く中での、約12分に及ぶ濃密かつ切実な訴えであった。

日本に先立ち、欧米やイスラエル等の国々でも同様の演説が行われたが、何れも肯定的な評価を得ていた。私は日本での開催打診の段階から気になっており、今日、衆院サイトの中継を視聴することにしたのである。

そして、今回の演説も、これまで同様、相手国に合わせた真摯で良く出来た内容が述べられ、無事の終了をみた。同時通訳の難しさに因り、一部判り難い箇所もあったが、概ね、その趣旨は理解出来たのである。

何より、一月近く切迫状況が続き、大統領自身もプーチンの放つ汚い暗殺の手をかわし続ける戦地から、直にその窮状を聞くことが出来て良かった。それは、声だけでなく氏の緊張や疲労の姿を見ることでも窺われた。

2019年の就任直後から内外の難題と共にコロナ禍に呑み込まれ、その後こんな大侵略に遭うとは、大統領の個人的状況としても同情を禁じ得ない。

最近では、そのゼレンスキー氏以下、政府や自治体、そして軍民の尽力により敵の停滞が伝えられているが、人的・物的被害は連日膨らんでおり、未だ予断許される状況ではない。どうか一刻も早くプーチン・ロシアとその一味の野望が頓挫し、ウクライナの国難が取り去られますよう……。

とまれ、今日の演説が前例を超えて実現し、無事完了したことを喜ばしく思う。そして、オンラインという、新しい「直接手段」による歴史的瞬間に立ち会え、これからの政治課題を再認識することが出来てよかった。

演説決定前には「紛争国一方のみに加担するな」や「国民に諮らず勝手なことをさせるな」等の門違いな反対もあったが、武力侵攻は明白な国際法違反で、国民の代表が集う国会で先にプーチンの侵略を認定し、非難決議をした上での実施のため、問題はあるまい。

何より、状況は一刻を争う。戦乱を少しでも早く終らせるため、弁舌という平和的手段を用いた抵抗を支援することは、現代日本の政治・外交方針とも合致して好ましい。ともかく、事態を好転させるため、ウクライナや他の協調国共々あらゆる方法を探り、実行せねばならない。

公敵退散、ウクライナと自由に栄光あれ!


衆議院による演説全文の仮翻訳はこちら


上掲写真 衆議院議員会館・国際会議場のスクリーンに現れたゼレンスキー宇国大統領と、演説を待つ国会関係者。衆議院公式サイトの中継動画を筆者が画像変換・調整加工。因みに、今日の表題の「遠説」は誤字ではなく「遠隔演説」の略。即ち、全体で「宇国統領遠隔演説」の略となる。

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2022年03月03日

宇国被寇

ウクライナ国旗(Flag_of_Ukraine).jpg
インターネット・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「ウクライナの国旗」頁掲載の、ウクライナ政府規定の意匠・色により作成されたパブリックドメイン(著作権係争の生じない著作物)画像を縮小利用

まさかの欧州侵略戦勃発

このサイトでは異例な今日の画像は、ここ最近一気に日本及び世界で知名度を上げたウクライナ国旗。存知の通り、先月2月24日、ロシア軍による全面的奇襲侵攻を受けて防戦苦闘中の当事国である。

早くから大規模な露軍の国境集結と侵攻の危険が欧米諸国から警告されていたが、まさかの事態が起こってしまった。攻撃の言い分は両国の直接的問題ではない宇国東部のロシア系独立勢力の保護で、そして真の目的であろう同国の中立と非武装化(つまりNATO加盟封殺)が後付けされていた。

結果、ウクライナ全土の防衛施設にミサイルや航空機による先制攻撃がかけられ、三方位(進軍は主に四方面)からの地上軍進攻が始まるという、真の目的完遂をむき出しにした全面戦争となった。

全く以て酷い話である。

差し迫った問題ではない「危機」を理由に難癖をつけ、大軍を以て国毎ねじ伏せようとする、正に弱い者いじめで、さながら彼の旧ソ連の独裁者・スターリンが戦前フィンランドに仕掛けた冬戦争の如き暴挙である。

こんな前近代的国家悪が21世紀の欧州で具現化されるとは信じ難かった。しかし現実は冷酷で、開戦以降、破壊される施設や傷つく人々の話が連日報じられることとなった。

希望ある新生国家襲う悲劇

ソ連崩壊を機に悲願の独立を果たして以来、新しい国づくりに励んできたウクライナ。地中海とも繋がる黒海に面した好立地や豊かな農・鉱業資源に恵まれるも、度重なる政変等によりその道程は苦難の連続であった。

私はウクライナを訪れたことはないが、その昔、幾つかの旧ソ連系共和国には行ったことがある。

各地共通したソ連型の街並みが残るなか、どの国も経済等の多くの問題を抱えながら手探りで独自かつ新しい歩みを進めていた。

その進展は緩慢で現実は厳しく思われたが、それでも、暗いイデオロギーの重しが去った空の下、皆思いおもいに自由な暮しを楽しんでいた姿を目にし、希望を感じさせてもらったものである。

そんな国の一つで、怪しい親ロ政権を何度も国民自決で倒し、更に欧州の一員としての発展を目指していたウクライナに汚い干渉の暴力が襲い掛かった。結果、折角築いた皆の暮しが瞬時に滅茶苦茶にされてしまった。

断じて許し難い行為であり、只々悔しく、同国には衷心からの同情を禁じ得ない。

露見したプーチン・ロシアの陰謀

これも全てプーチン・ロシアの所為。ロシアでも反戦運動が起こり、同国全てが悪ではないので、責任主体の政権名としてこう呼ばせてもらう(勿論「一応の選挙」を経た政権なので国民全てに責任が無い訳ではない)。

しかし、当初は露軍の圧倒的武力により2日で決着がつくとされたこの侵略は、ゼレンスキー宇国大統領の下で団結した人々の懸命の抵抗で、1週間を経ても未だプーチンの勝ちをみていない。それどころか、早期終結していれば判らなかった事実が当事者ではない我々の目にも明らかになった。

その一つが、以前から報告されていたように、虚言や数々の陰謀実行である(そもそも侵攻直前まで「攻撃意図はない」と虚偽発信)。「ウクライナ東部の係争地に進駐する」と言いつつ全土を攻撃、「市民や一般施設は攻撃しない」と言いつつ無差別爆撃、要人暗殺や都市攪乱を狙うスパイや所属を隠した特殊部隊の投入、そしてサイバー攻撃である。

これらの嘘や陰謀はウクライナ各地から発信された映像を含む情報により確定された。侵攻前後の大規模なサイバー攻撃は、こうした陰謀露見を封じるために行われたと思われるが、幸いその意図は完遂されなかった。

全く以て汚い手段満載の、凡そ現代国家とは思えぬ野蛮手法である。さすがは元カーゲーヴェー(KGB)諜報員のプーチン。G7等の国際政治の表舞台に接近しつつ、裏で謀略の限りを尽くしていたのである。思えば、クリミアの併合や東部独立派の件も住民に扮した特殊部隊を送り込むなど、同じ手法がとられており、ウクライナの主張に分があったことが判明した。

暗殺に関しても彼のオレンジ革命の盟主・ユシチェンコ元宇国大統領のダイオキシン中毒事件への関与も濃厚であろうし、それどころか、ナワリヌイ氏等の国内反体制派に対する毒殺未遂事件への関与も疑いないであろう。正に旧ソ連さながらの政敵抹殺手法である。

これらは全てプーチンがロシアの国政を掌握した2000年から今に至るまでに起こった出来事である(それ以前の疑惑もあり)。そう考えると、当初はグルジア(現名ジョージア)が悪者にされた同国とロシアとの戦争(2008年)も、政治的背景や経緯が似ており(グルジアが国内独立派及びそれを支援するロシアと衝突)、プーチン政権の陰謀が濃厚となる。

サイバー攻撃についても、以前から欧米等に対するものが問題になっており、取締りを求めるも、白を切るばかりだったが、やはり相手国の情報を遮断・攪乱するための国家的犯罪・兵器であることが明白となった。

プーチンの最終目標

そして、それらの謀略を用いて達成されるべき、プーチン・ロシアの最終目標も露見した。それは、自国周辺の安全圏の構築と汎ロシア的民族(ロシア・白ロシア・ウクライナ)の統合である(プーチンはウクライナ東部の2地域に対する独立承認の際に、旧ソ連の共和国自治を批判し、ロシアとウクライナ等との領土同一を説く演説を行っている)。

その目的により、欧州最後の独裁者と呼ばれるルカシェンコが統治し、ロシア前衛地帯中央に位置するルカシェンコ・ベラルーシ(白ロシア)を生き永らえさせ、今前衛南部のウクライナの無力化を図っているのである。

そう考えると、次はロシア前衛北部に当たるバルト三国が危ない。

そして、最終的には前衛北端のフィンランドや、大油田とそのパイプラインがあり小アジアや中東との回廊となるグルジアとアゼルバイジャン、ロシア中央下部と長大な国境線で接するカザフスタン、シベリアの要衝イルクーツクと中国との緩衝地帯となるモンゴル等を押さえる筈である。

そういえば、2010年頃、フィンランドの隣国スウェーデンの友人が「近々ロシアが攻めてくるかもしれない」と話していたことを思い出した。

当時は他の友人共々杞憂に過ぎるのではないかと笑ったが、歴史的に周辺大国の動向に敏感な北欧ではプーチンの悪辣を見抜いていたのかもしれない。その後スウェーデンは一旦廃止していた徴兵制を復活させた。それには、友人が話した憂慮や、2014年のクリミア侵略が影響したとみられる。

北方領土交渉の無駄思い知る

今回の侵略で遂に馬脚を露したプーチン。

正に同様の利己的国土強大化を進めたスターリンの再来か(または自治否定なので旧ロシア皇帝の復活か)。思えば、プーチンの忠実な渉外担当ラブロフも、同じくスターリンに忠実だった旧ソ外相モロトフと似ている。

スターリン・モロトフコンビといえば、不可侵条約を破り、宣戦布告の連絡を妨害して満州・樺太等を奇襲し、結果20万人以上とされる邦人死亡者を生んだ惨事の首謀者である。ラブロフもまたプーチン同様、ウクライナ侵攻の前に世界を欺き、そして同じく核使用の脅しを発している。

こんな陰険侵略者コンビに対し、日本は長年多大な労力や費用をかけて北方領土交渉を行っていたのである。

私は当初から彼らが、大きな代償を得ずに島を返すつもりはないと確信していた。何故なら、交渉の度にラブロフが「四島占拠は大戦の結果であり、その事実を受け入れよ」と内外に発していたからである。

つまり「力で得たものは力でしか戻せない」という、日本側主張に対する明確な否定・拒否が一貫して主張されていたのである。

プーチンの「異常」と危険性
ウクライナに栄光あれ


しかし、この20年以上プーチン・ロシアが巧みに事を進めたにも関わらず、ここにきて全て露見させるとは稚拙を感じずにはいられない。彼らは今回の侵略で一線を越えたとされるが、更に核使用をほのめかして「二線」をも越すなどの粗雑ぶりも見せている。

予想外の長期戦や非難・制裁の嵐で焦っているのか。また、旧ロシア皇帝の金ぴか宮殿で長年ふんぞり返っているから勘違いでも起こし始めたか。

欧米の外交・軍事関係者らによると、近年プーチンの性格が変わり、精神異常の可能性も疑われているという。もしそれが本当なら、絶大な権限と大量の核兵器を握っているだけに大変危険な状況といえる。

だが、世界はこんな前時代的蛮行と妥協してはならない。安易な妥協が新たな侵略と被害を生むことはこれまでの歴史が証明済である。そして一刻も早くプーチンの野望が挫かれウクライナの状況が改善されますように。

コロナ等々で遠い極東に封じられ、実際的支援が出来ないのが至極悔しいが、この一文を以て細やかながら応援の意を表したい。どうか、現政体と共に、一人でも多くの人々が生きながらえますよう……。

ウクライナと自由に栄光あれ!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2022年02月03日

疫祭節分

吉田社本殿前の舞殿内に特設された棚上に並べられる神饌や榊等。2022年2月3日撮影

オミクロン隆盛下の節分

新年1月が過ぎ、2月に入って程なくやって来るのが節分。

存知の通り、それは立春前日の画期。二十四節気上、または東亜気象上の、春到来の前夜祭・大晦日的祭日である。

事実、旧正月はこれに影響されて設定されている。聖誕節前の冬至辺りを春到来として祝う西洋暦とは異なる、正に東亜特有の節日といえよう。

とはいえ、節気的には「大寒」の後であり、春直前とはいえ寒さ厳しい頃。実際、今日も京都市街中心地では最低気温は0度近く、最高気温は10度に届かない程であった。

それでも、確実に日は長くなり、雲間から射す午後の陽にこれまでとは違う力を感じるなど、春の接近を感じさせる一日となった……。

と、ここまではめでたい話だったが、またしてもコロナ禍の再拡大。更に今回は感染力に長けたオミクロン株の流行により、ここ京都でも蔓延防止措置が再出されるなど、混乱と沈滞が再来してしまった。

不謹慎の物言いながら、流行前の去年末に「オミクロン祭は必至」と人に話していたが、残念ながらその通りになった。素人でも予見出来る事態が、また施策不備の所為で繰り返されてしまったのである。

結果、一日で10万人近い新規感染者を出すなど、海外の感染爆発を想わせる悪夢のような数字を日々見聞する状況に。そして、日々の重症者も1000人、同死者数も100人に迫るなど、被害も深刻化した。

そのため、本来なら本日各寺社で催される節分行事が中止されるなどの影響が出た。自宅近くの吉田神社でも進行等に影響が出たが、一応恒例著名な節分祭と火炉祭は行われることとなった。

故に、こちらも例年通り火炉祭で燃してもらう注連飾り等を預ける為に夕刻出掛けることにした。勿論、感染防止には十分留意の上である。


上掲写真 吉田社本殿前の舞殿内に特設された棚上に並べられる神饌等。古来、神祇の力共々、米や酒、榊等の見えざる力が期待されたように、なんとか疫病抑止の手法が出現して欲しいものである。


吉田神社の節分祭・火炉祭当日ながら、人が少ない吉田山(神楽岡)東の「峠道」。2022年2月3日撮影
吉田社境内には吉田山(神楽岡)東裏から、ちょっとした峠越えをして入る。言わば裏口的道程だが、例年節分祭の時は往来が多くなる。しかし今日はこの通りの閑散。やはり皆オミクロンの猛威に恐れをなしたのか……


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず賑わう京都・吉田神社大元宮。2022年2月3日撮影
節分祭で特別公開される吉田神社大元宮と参拝者

意外の状況に危惧

そう思いきや、最初に現れる山上の大元宮には列を成す程の人出があった。近所ではない遠来の参拝者か。まあ吉田節分祭は市内では著名なので、他県・国外に限らず、周辺から多く人が集まるものではあるが……。


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず賑わう京都・吉田神社の大元宮・本殿間の露店。2022年2月3日撮影
こちらは吉田社・大元宮から本殿地区に続く参道の様子。飲食を含めた露店が数多並び、多くの人が行き交っていた。マスクをしている人が殆どだが、店内座席でのマスク会食見られず、持込酒で宴会をしている外国人すら見られた。うーん、大丈夫なのであろうか……


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず参拝者で賑わう京都・吉田神社本殿前。2022年2月3日撮影

そして様々な露店が続き賑わう境内路を下り、本殿地区に至る。最初に火炉の受付に注連縄等を渡し、本日の要件を済ませた。

例年、注連飾りはそのまま預かってもらえたが、今年は蜜柑を外すように言われる。残灰を引き取る京都市の意向と言うが、不燃物や有害物でもないのに、いったい何が不都合なのであろうか。

その後本殿に参拝しようとするも、人が多く、並ぶことに。写真は参拝後に撮った本殿前の様子だが、偶々一瞬空いた時のもので、実際はもっと人が多かった。一応手前の舞殿前に並ばず参拝出来る臨時参拝所が設けられていたが、案内はなく、気づいたのは本殿前まで来た時であった。

また列は懸賞付の福豆販売にも出来ており、何れも距離を開けるなどの指示は無し。今朝オミクロン株はサージカルマスクをしても50cmの距離で感染するとの報道を聞いたが、正にその様な危険に短時ならず身を置く結果となった。個人での注意は当然だが主催者も責任を果たすべきであろう。

後悔――。

注連縄を納めた後すぐに帰ればよかった。見回せば、近接しているのに話を止めない輩の他、何かと浮かれた者が多く、寒さとコロナで逼塞していた憂さ晴らしに方々から集まってきたように思われた。


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず参拝者で賑わう京都・吉田神社鳥居と犇めく節分祭の露店。2022年2月3日撮影
吉田神社表参道(本殿地区西麓)の露店と人出は更に多かった。危険につき、これ以上近寄らず。恐らく、まだ夕方なので、夕食後辺りの時間からの更なる混雑が見込まれた

正月の飾り類を燃してくれる都市では貴重な「左義長どんど焼き」的な吉田節分祭及びその火炉祭。今年も無事参拝共々果たせて有難い限りなのだが、今後の状況を案じさせられるものともなったのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記