2020年02月03日

還寒節分

吉田神社節分祭(火炉祭)の火炉に集められた古札類

節分らしい寒さのなか吉田社へ

先月末から漸くこの時期らしい寒さが戻った京都市街。

その雰囲気のまま、今日の節分を迎えることとなった。例年大寒過ぎのこの日は最も寒さが厳しい頃と重なり、小雪が舞うことも少なくない。

今年は、その様な厳寒とまでは言えない状況ではあったが、十分寒さを感じる、真冬らしい気候となっていた。

節分といえば、拙宅付近の左京区南部では、吉田神社の節分祭が思い起こされる。同社の大祭としても有名なのだが、近隣に住む者としては、そこで行われる火炉祭が重要であった。

それは、節分の晩に境内で古札や注連飾等を燃してくれる所謂「どんど焼き」の類であった。無下に捨てられぬそれらを神域で処分してくれる火炉祭は、近隣住民とって欠かせない貴重な行事となっていた。

その為、この付近では正月の注連飾りを節分まで飾る家も多く、私もいつしかそれに倣うようになっていた。

その様な訳で、夕方早めに仕事を中断し、吉田社へと向かったのである。


上掲写真 吉田神社節分祭の火炉に集められた古札類。


吉田神社本殿と大元宮を繋ぐ参道に連なる露店と参拝者

マスク持参。例年より人少ない?

知っての通り、武漢肺炎の拡大を受け、今月1日に武漢がある湖北省滞在者の入国が禁じられ、一気に国内でもそれへの危機意識が高まった。

その為、観光客が多く、既に感染が発生した京都でも人ごみへ出掛けることが憚られるようになったが、前述通り、拝観にまして重要な用があったので、マスク持参で出かけた。

写真は本殿と大元宮(だいげんぐう)を繋ぐ参道に連なる露店と参拝者。平日で、しかも少々早い時間のためか、例年に比して人出が少ないようにも感じられたが、肺炎の明確な影響は感じられなかった。

ただ、やはりマスク掛けの人は例年より多いように感じられた。そして、近年増えていた観光客、特にアジア系外国人が少ない。


吉田節分祭「火炉祭」の火炉
火炉祭の火炉。吉田節分祭2日目の3日夜11時に点火され、燃やされる。灰の処理問題で平成27(2015)年以降中止されたが、平成29年から元に復された。実用的観点からも、地元民には有難い限り催事である


吉田神社本殿前広場と節分参拝者
吉田神社本殿前広場と節分参拝者

共々平安となりますよう……

火炉前の受付で注連飾類を無事神職に預け、本殿に参拝したあと、帰路に就いた。その途中、境内外れの神楽岡山上にて特別公開中の大元宮にも立ち寄り参拝。これも例年通り。そして帰宅したのである。

未だ全貌がよく解らない肺炎の影響はまだ限定的に感じられたが、今後どうなることやら……。


吉田神社大元宮と節分参拝者
吉田神社大元宮と節分参拝者。とまれ、新肺炎流行の彼の地共々、平安となりますよう……。

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2020年02月01日

遠雪蝋梅

京都市街東部の街なかに咲いた蝋梅の花。2020年2月1日撮影

怪しい?初雪宣言翌日

昨日の1月31日、遅れに遅れた初雪宣言が漸く出された。

実に、昨年より53日、平年より47日も遅い観測といい、明治前期の19世紀後半に観測を初めて以来の遅さという。

ただ、京都市街中心部・中京の気象台で出されたこの宣言。自分やその周囲では怪しまれていた。それは、当日皆雪を目にしなかったからである。

私は、31日午前9時半頃、仕事の準備中に聴いていたラジオの速報で知ったが、市街中心にあり、窓がある放送室でも確認出来なかった旨を聞いた。また、親類等からも雪なぞ見なかった旨の話を聞いていたのである。

つまり、自分やその周囲にとっては幻の初雪に思えたのである。

そういう訳で、あまり納得のゆかない、すっきりしない初雪到来となったが、気温は確かに格段下がったことは実感出来た。


上掲写真 本日出先で出会った蝋梅の花弁。139年以上なかった暖冬であっても変わらず花を咲かせる姿に感心させられる。特に好みの花なので、何やら安堵する思いにもさせられた。


京都市左京区南東部から見た北方の市街と北山山地
京都市左京区東南の市街と北方の北山山地(中央奥)

昨日の来客から、京都駅辺りで京盆地北縁山地の冠雪を見た、という話を聞いたが、今日は如何であろうか。


初雪宣言翌日でも冠雪していた京都北山の一峰・天狗杉
京盆地北縁・北山山地の一峰・天狗杉(標高837m)

高台から北山を良くみると、やはり冠雪していた。量は少なさそうだが、個人的には1月5日以来の確認であった。

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2020年01月05日

暖冬寒日

銀閣寺道交差点から見た、上部に雪を纏い京都市街彼方にはだかる愛宕山

未だ街なかで雪を見ず

今年・令和2年の正月は、朝晩こそ寒いが昼は気温が10度を超すなど、比較的温和な日が続く。

この傾向は昨年末から続き、今季の暖冬ぶりをより印象づけた。ただ、今日は天気が悪く昼の気温も10度に届かないこの時期らしい寒日となった。

気象の記録では、早朝に霙(みぞれ)が降ったとの記載があったが、私が知るところ、降っていたのは冷たい雨ばかりであった。

そういば、今季はまだ降雪を見ていない。暖冬故遅れているのかと思ったが、どうやら、ここ京都の50km近隣の大阪で今日初雪が観測されたという。昨冬より8日、平年より14日も遅い観測らしい。

臨海の大阪に降り、北部内陸の京都に雪が降らないとは珍しい。

しかし、雨が上がった夕方に外出した際、京盆地を囲む三方の山が冠雪しているのを発見した。北山の奥や、叡山・愛宕山等の峰々の、恐らく標高700mを超す高所付近である。

やはり、寒さが弱く、低地にまで到らないのか……。個人的には冬山鍛錬のこともあり降雪を待ち望んでいるが、そうは思わない人、困る人もいるので、善悪つけ難い。

そういえば、雪に依存するスキー場等の施設も苦境にあるという。今後の予報でも、近日中の寒波到来は無さそうである。このまま初雪の遅れは続き、暖冬のまま冬も終るのであろうか……。

しかし、当初雪が少ないとされながら2月に近畿・北陸で大雪が降った一昨年(平成30(2018)年豪雪)の例もあるので油断は禁物である。

とまれ、雪はさておき、正月に寒さがないと何処か締まらなく感じるのは、私の我儘、または寒さ好きの所為であろうか……。


上掲写真 上部に雪を纏い京都市街彼方にはだかる愛宕山(924m)。市街東部で今出川通が白川通と交わる銀閣寺道交差点より今夕撮影。

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2020年01月01日

令和二歳初

人出少ない、令和二年元旦午前の平安神宮「大極殿」と、そこへ向かう参拝者

令和二年元旦来る

平成31年及び令和元年も早過ぎ去り、令和2年の年明けとなった。

旧年の末は、本格的な寒さが感じられない日が続いていたが、元日の今日は良く冷えた朝となった。また、天気も曇りがちで、感覚的も真冬を思わせる、漸くの冬日となった。

折角なので朝から親族と初詣に出掛けたが、やはり寒い。空模様の所為で尚更それを感じる、少々初詣には合わぬ様子であった。その為か、初詣の人気施設・平安神宮(京都市街東部)の参拝者も一際少なく感じられた。

まあ、本来、京都人は大晦日から徹夜で飲み語らうので、午後からしか出てこないが、それにしても少ない人出であった。

因みに、漢語表題の「令和二歳初」の読みは、「れいわに、さいしょ」でも「れいわにさい、はじめ」でも、お好きな方で……。


上掲写真 平安神宮本殿前にある参拝施設「大極殿」と、そこへ向かう参拝者。本来なら、ここが人で犇めき、順番待ちが出来るのだが、今日は天候の所為か何の困難もない、正に拍子抜けの状況であった。


長蛇の列を成す大豊神社の参拝客
長蛇の列を成す大豊神社の参拝客

閑暇あれば盛況あり

意外の閑暇の平安神宮に比して、大いに盛況だったのが、同じく京都市街東部にある大豊神社であった。昼前に寄った時には既に参拝の長蛇の列が出来ており、初めて見るその様に大いに驚かさせた。

どうやら、干支の鼠に関わる社を持つため、テレビ等で知った人々が殺到しているようであった。中にはツアー団体が幾つも見え、正に全国から人を集めた観となっていた。

いつもは静かな社なので、色んな意味で賑わうのは喜ばしいが、結局我々地元民が初詣出来る状況ではなかった。


参道前の鳥居を越え、遥か疏水縁・哲学の道までのびる大豊神社参拝の列
参道前の鳥居を越え、遥か疏水縁・哲学の道までのびる大豊神社参拝の列

想定外の凄まじい状況に呆れつつ、大豊神社の参拝は諦め、一先ず帰宅。

その後はまた親族との合流予定があったので、年末出来なかった家事等をこなしつつ午後を過ごした。

末筆となったが、とまれ皆さん今年もどうぞ宜しく……。

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2019年11月26日

紅葉如何

京都・真如堂本堂脇の鮮やかな紅葉

今年の紅黄葉は如何に

今年も時季が来たので拙宅近くの京都市左京区南部の紅葉紹介を……。

今年は夏の暑さが長く続き、紅葉の盛りも遅くなるかと思われたが、意外にも11月に入ってから急進することとなった。

当然樹々によってバラつきはあるが、一応今日辺りを盛りとして紹介したい。去年は12月初めが盛りだったので、やはり若干早めか。


上掲写真 京都市街東部の神楽岡近くにある真如堂本堂脇の紅葉。


真如堂本堂裏境内の楓紅葉の林
真如堂本堂裏境内の楓紅葉の林

隠れた名所でなくなる?真如堂

先ずは丘上の名所・真如堂の様子から。丘上とはいえ、市街只中の温暖に在るので、色づきは少し遅れているかと思ったが、結構な状況であった。


真如堂本堂横(南)の楓紅葉の林
真如堂本堂横(南)の楓紅葉の林

真如堂は市街只中に在りながら、大型バスが接近できず、比較的知名度も低いので、あまり混雑しない隠れた名所であったが、今年はかなり人が多いような気がする。

しかし、意外にも外国人は少なく、日本人、しかも関西訛りの近隣客が多いように感じられた。


境内一の色づきかと思われた、真如堂本堂前・石段下の楓紅葉
境内一の色づきかと思われた、真如堂本堂前・石段下の楓紅葉。多くの人が集まっていたので、一瞬の空きを狙い、撮影(笑)


真如堂境内裏の木立から覗く大文字山の紅黄葉
真如堂境内裏の木立から覗く大文字山の紅黄葉。近隣低山の天然林紅葉も盛りを迎えたようである


紅葉の名所・永観堂南門の楓紅葉
紅葉の名所・永観堂南門の楓紅葉

やはり極楽浄土か永観堂

真如堂の次は、丘を下り白川を渡ってまた少々登った東山山麓にある永観堂へ。言わずと知れた、京都市街屈指の紅葉名所である。


永観堂総門(表門)内の人出と鮮やかな紅黄葉
永観堂総門(表門)内の人出と鮮やかな紅黄葉

紅葉で著名な永観堂は元より人の多い場所であったが、近年それに外国人が加わり、一層混雑するようになった。

今日も、庭園拝観の入場に長蛇の列ができ、危険回避のため総門前での写真撮影が禁じられるほどであった。

しかし、その紅葉の様は、やはり見事なものであった。その量も、名所の名に恥じない他を圧倒するものであった。


真如堂庭園内の紅黄葉
真如堂庭園内の紅黄葉。まさに山内燃えるような有様

なお、庭園内は有料拝観域となっているが、混雑と過去に何度も拝観したことがあるため、外からの見学に止めた。


永観堂図書館前にあった鮮やかな紅葉小樹(ベニシダレ?)
永観堂図書館前にあった、鮮やかな紅葉小樹。ベニシダレか


放生池越しに見た永観堂庭園内の紅葉
放生池越しに見た永観堂庭園内の紅葉。正に極楽浄土の眺め


東山高校の銀杏黄葉や楓紅葉
東山高校の銀杏黄葉や楓紅葉

沿道の紅黄葉も

永観堂の次は門前の道を南下して南禅寺方面へ。その途中の東山高校付近でも樹々の色づきを楽しむ。


東山高校の塀脇の犬走に続くドウダンツツジの紅葉と人力車
東山高校の塀脇の犬走に続くドウダンツツジの紅葉と人力車


南禅寺三門裏の紅葉の様子
南禅寺三門裏の紅葉の様子

場所により違いある南禅寺

そして南禅寺着。こちらは谷の冷涼を受ける為か、比較的紅葉の進みが早い場所であるため、若干落葉が進んだ印象を受けた。


南禅寺境内の鮮やかな黄葉
南禅寺境内の鮮やかな黄葉


南禅寺境内の石碑に寄りそう楓紅葉
南禅寺境内の石碑に寄りそう楓紅葉


南禅寺境内の紅葉の楓葉
同じく南禅寺境内の楓紅葉

同じ南禅寺境内でも谷筋から外れた木は見頃だったので、場所による違いがあるように感じられた。

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2019年11月15日

携宝来友

写真展「恒河少年」のメイン作品、高潔(GAO.J)作、ガンジスに飛び込む少年

志追う大陸の友との嬉しい再会

今週月曜に上海の友人から連絡があった。近々仕事で京都に来るらしく、週末の夜にでも久しぶりに会おうという内容であった。

そして、山会開催日の明日土曜は避け、今晩近くの居酒屋にて落ちあうことに。友人の名は上海漢人のG君。昔彼が京大の留学生だった頃に知りあい、交流を重ねた仲であった。8年前2年前の来京の際も会ったが、また時を経た再会だったので、嬉しく思われた。

本人の希望もあり店は騒がしい場所を避け、以前案内した地元左京区の良店を選んだ。大路から外れながら、その味や価格・個性が評判の店で、それ故に最近入店が難しくなっていたが、予約を入れたので問題なかった。

今回は、上海でギャラリー(画廊)を運営するG君の仕事仲間計4人との会食となった。勿論、事前に相席の可否を問う連絡があり承諾していたが、「美術関係者」という固そうな感じのない、気さくで気品ある人たちばかりであった。良い仲間に恵まれて何より。彼の元気な顔を見れたことにも増して嬉しい見聞となった。

ギャラリーを始めたことは前回聞いていたが、最近2店目も始めたという。同席の画家Z氏によると、それはとても大きな店とのこと。G君の店は中国で有りがちな著名芸術家の作品を投機的に扱う店ではなく、実力ある若手の活躍の場、新しい業態を目指している。そのため経営的には悪戦苦闘の日々らしいが、その様にも成長と逞しさが感じられて嬉しかった。

ちなみにZ氏も彼のギャラリーで個展を開いたという関係作家。既に無名の人ではないらしいが、見せてもらったその作品は凄いものであった。現在の作風は、擬人化された動物を主体とする優しい水彩画であるが、その中には中国伝統の南画や文人画、そして日本の漫画や欧州のナイーブ・アート(素朴画)等の様々が感じられる、正にこれからの美術表現であった。

縁深い作品との嬉しくも不思議な再会

Z氏の感性・力量に感服すると共に、元は文系学生だったG君の眼力や嗅覚にも改めて感心させられ、嬉しく思われた。そして、更に嬉しいことが待っていた。店で着座すると共に、G君から贈物を頂いたのである。それは、京大在学中に私が協力・監修して開いた、彼の写真展「恒河少年」のメイン作品を精巧にガラス表装したものであった。

今日の表題下に掲げた写真が正にその作品。アルミで下打ちされた重く大きなこれを、わざわざ上海で仕立て、遥々ここまで運んでくれたのである。実に感謝感激。彼は、個展の際、記念に私が買った別作品が火災で失われたことを気にかけてくれ、代品として用意してくれたのであった。

実は、彼から連絡がある数日前に、個展時にこの作品を欲しながら叶わなかった知人から久しぶりの間接連絡があり、この作品のことを思い出したばかりであった。その際、私がこの作品を買い取れなかったことを改めて悔いたが、奇遇にもこうして目の前に届けられる形となった。

縁深い作品との不思議な再会、そして実に嬉しい再会となったのである。今度は罹災しないよう、大切な記念品、宝物として大事にしたと思う。


京都市左京区のバーのカウンターに置かれた上海の美術関係者、C女史愛用のライカQ

嬉しき語らい深夜まで

G君とその良き仲間たちと共に左京区内の良店で語らい、そして美味の飲食を存分に楽しみ店を出た。ここでZ氏ともう一人の女史と別れたが、まだ時間も早いのでG君とC女史と共に拙宅近くのバーに移動することとなった。

その店もまた、地元の常連しか知らない、来ない店なので、土地を深く感じたいG君とC女史は共々喜んでくれた。

写真はその店のカウンター上に置かれたC女史愛用のドイツの名門ライカ社のデジタルカメラ。もはや21世紀の高級電子機器という意味合いも大きな光学製品ながら、物づくりの本質を感じさせる重厚感を備えた逸品であった。ただ、価格も新車(軽自動車)1台相当という超級品でもある。

実に羨ましく思われたが、そんな高級機を嫌味なく操るC女史もまた、カメラに負けぬ洗練された人であった。

バーを出たあとは、折角なので拙宅に寄り、お茶でも飲んで休んでもらうことに。日本の民家に馴染みないC女史にはここでも感心してもらった。

そして、話が尽きないなか、既に午前様にもなっていたので、お開きとすることとした。二人とも私の明朝の山行を案じること頻り(笑)。しかし、折角なので街なかのホテルまで歩いて帰るという二人を大通りまで送り、そこで感謝を述べ別れた。

G君、素敵な贈物と良き出会い、時間を有難う、感謝!

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2019年10月25日

留意字名

2010年7月15日の梅雨前線大雨により、濁流がたぎる京都・賀茂川

最新鉄路にあるまじき失態

先日、日本各地に大きな被害を与えた「令和元年台風19号」で被災した北陸新幹線が、今日全線再開したという。

実に13日ぶりの復旧といい、その大きな原因は、報道等で知られる通り、台風豪雨による車輌基地の水没であった。北陸新幹線の全車両の1/3である10編成が水没して使えなくなる事態となったのである。実は再開といっても当然車輌が足らず、期間未定の間引き運転が当面続くという。

この車輛基地「長野新幹線車両センター」は、長野県内の「赤沼」という地区に作られていた。傍を流れる千曲川が氾濫し赤茶けたその濁流が車輌基地を覆った映像・画像を見た人は多いと思うが、その有様は正に赤い沼そのものであった。

この赤沼という地区は、同じく千曲川沿いにある長沼という地区の端部にあたる場所。現在は家屋や耕地が広がる場所だが、元は千曲川の旧河道由来の湿地があった場所とされ、それが地名にも反映されているという。

両地区共、谷地中央の低地に存在し、以前から度々氾濫に晒された場所であった。また、千曲川と共に地区を挟む形で反対側を流れる「浅川」という小川も地元では暴れ川として著名という。即ち、この地区は危険な水害常襲地だったのである。

どうしてこの様な場所に重要な公共施設が造られたのか。この水没がなければ、今回のような長期混乱は避けられたように思われる。このことに関しては被災当初から非難の声が上がっていた。

鉄道側もある程度その危険を承知していたらしく、車輌基地の敷地全体が盛土で嵩上げされており、その様子は国土地理院の治水地形図にも「微高地」として窺える。

しかし、これは消極的といえる。何故なら、車輌基地すぐ傍の路上に、過去発生した浸水の水位標柱がある為である。その標柱に付けられた氾濫水位は実に見上げる程の高さに掲げられていた。しかも複数。これを見ると、「1000年に一度の洪水」だから想定外との言い訳も出来ない。

そして案の定、洪水を想定して構築されていたという本線高架まで水没している(基地傍で高さを減じている部分ではあるが……)。

ただ、近年作られた大規模施設のため、土地の確保が難しかったという事情は理解出来る。それなら、更なる嵩上げ対策や、せめて、車輌を高所に退避させることなどが出来た筈である。

何やら、21世紀の最新鉄路にあるまじき失態の様に思われたのは、私だけであろうか。

改めて注目する「地名」

さて、赤沼の例でも見た通り、地名に秘められた土地の履歴や危険性に改めて注目させられる。最近こそハザードマップが公開され、災害危険域の把握が容易くなったが、嘗てはこの地名解析もその大きな助けとなった。

その有用性は我々一般市民にとって今も価値を有している。それは単なる想定ではなく過去実際に存在した状況や発生した事象が記憶されている可能性が高いからである。即ち古い地名が秘める土地情報を得ることにより居住地や転居先等の土地性質や危険性を高精度で知ることが可能となる。

私の学問上の専門は、東アジア広域を扱う「東洋史学」だが、大陸の遺跡や交通路の解析を行う為に、発達した日本の歴史地理学を学び応用してきた。また個人的な趣味や依頼により日本の地域史等と絡めて研究を続けてきたので普通の人より地名や地形による過去や地域の分析に長けている。

そんな私が、関連する話の中でよく人に語るのが、「たとえ大昔の人であれ、決してデタラメ無益な地名は付けない」ということであった。もし、全く辻褄が合わない地名があるのなら、合併等の途中変更や文字使用の錯誤等を疑うべきである。

小地名「小字」の有用性

そこで、多くの人にも自分が関連する土地の名に着目してもらいたいと思う。その際は、なるべく狭い地域の地名、古い地名が参考になる。何故なら、広域に付けられた地名は合併や吸収等により、また近年付けられた地名も元の状況を反映しておらず、情報精度が下がるからである。

具体的には「小字(こあざ)」が最適である。小字は明治初頭に近代土地制度導入のために規定されたもので、その多くが近代以前の小地名を継承している。字(あざ)というと、地方の地名かと思われるかもしれないが、実は都市部にも継承されている。

例えば、京都市街の場合、「京都市左京区吉田泉殿町」なら、町名前半の「吉田」が旧吉田村村域を表わす大字(おおあざ)、後半の「泉殿」が小字に由来するものとなり、現住所にも整理・再利用されているのである。

上記の例の場合、泉殿とは鎌倉初期の嘉禄3(1227)年に賀茂川東岸近くに造られた貴族別邸を指し、「吉田泉」として『明月記』等の一次史料にも記載されている。それは、近年実際に遺跡として発掘もされている。

その名の通り、東山の扇状地(微高地)末端に湧く泉を取り込んで造られた避暑別邸で、即ち、ここから西は賀茂川の河原的場所、氾濫原となる。現在も一帯の地形は殆ど変わらず、もし賀茂川の氾濫を意識するなら、この町域より東に居を構えた方がいいこととなる。

実際、昭和初期の大水害では、嘗て私が住んでいた西側の町家が浸水した話を土地の古老から聞いた。また、明治中期から整備が始まった重要国家施設、旧京都帝大(現京都大学)の敷地大半が、この泉殿以東に造られていることも、無関係ではなかろう。

この様に町名に含まれた「泉殿」という僅か2字の地名からこれだけの情報や推察を得ることが出来る。勿論小字も合併や改廃があるため(泉殿町域も低地と微高地が混在)、精度を上げるには土地観察等の傍証も必要である。なお地元の法務局や自治体が所蔵する地籍図の古いもの(旧公図)を閲覧すると明治初年までの古い小字名やその範囲を調べることが出来る。

もし、上記の例と異なり、由緒や意味に乏しい地名なら、水に関する名や文字に注目しても有意義である。なかでも「滝」や「竜」「荒」等の激しい水流を思わせるものは要注意となる。また、「潰」等の名も洪水被災で耕作放棄地となった場所の可能性があるため注意が必要である。

地名活用のすすめ

近年、国や自治体はダムや堤防等に頼るハード主体の治水の限界を明言し、人々へ自助・共助の行動を勧めている。自治体によるハザードマップの作成と公表義務化も、その流れに沿ったものである。ただ、先日の水害では浸水想定域外で犠牲者が出るなど、その不完全さも露呈した。

そうしたことからも、地名から自分の住む土地を知り、ハザードマップ等の情報と併せて、複合的に防災を考えることも有意義かと思われる。

古人が土地の性質や古の姿を籠めた地名――。

今回の水害を機に、未だ有益なその活用を勧めたいと思った。


上掲写真 梅雨前線豪雨の濁流たぎる京都賀茂川。2010年7月15日撮影。

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2019年09月30日

逃税慌買

2019年9月30日の消費税値上前のレシート

混み合うレジ
今日は特別廉売日か?


夕方、液晶画面で疲れた目の為に目薬を買いに近くの薬店に向かう。そこは、近年出来た大型店で、所謂「ドラッグストア」という場所であった。

知っての通り、このドラッグストアとは「薬(ドラッグ)」の名を掲げながら、化粧品や衛生用品のほか、様々な日用品や食品まで売る、コンビニエンスストア(長時営業万屋)やホームセンター(住居用品並び生活雑貨店)的存在である。

そんな、何でも屋的、かつ広い店内に入るが、何故か買物客で混んでいる。立地を誤った中途半端な存在の所為か、いつもは空いているので意外であった。偶々夕方の買物ピークと重なったかと思い、先に別所での用を済ませて戻ると、やはり混んでいる。いや、更に混雑が増幅され数台のレジには長い列さえ出来ていた。

諦めて後日出直すことも考えたが、目薬の欠乏を長く我慢していたこともあり、仕方なく並ぶ。ところが、人が多いだけでなく、一人当たりの購入数が異常に多く、先に進まない。その買い様は、カートに小物を積み上げ、更に巻紙等の大型品を籠や手持ちで提げる程であった。

今日は何か特別なセール(廉売)、店仕舞いの日なのか……。

キーワードは「マネー」「タックスマン」

漸く回ってきた精算の際、店員に訊くと、消費税値上前の買いだめとのこと。なるほど、今日で9月は終り、明日の10月から新税率が適用されるのであった。道理で、朝からピンクフロイドのマネーやビートルズのタックスマンがラジオでよくかかっていた訳である(笑)。

勿論、増税については報道等で知ってはいたが、高価な贅沢品を買う予定も余裕なかったので、特に気にしていなかった。そういえば、近くのスーパーも何時もより混んでいる様が店外からさえ窺われた。

昨日までどこも空いていたのに、どうしてこんな直前になって買いだめするのであろう。正に「駆け込み」の右往左往である。たかが2%、されど2%の増税であるが、皆買っているものは衛生用品や日用雑貨類で、普段から特売の可能性があるものばかりである。

また、前回の増税時やエゴポイント(もといエコポイント。笑)みたいに、増税後またはポイント終了後の方が逆に物価が下がったという逆接的教訓を忘れたのであろうか。何かの還元を狙ってカード払いの人間が目立ったが、それなら、増税後のキャッシュレス還元の方が大きい筈である。

そんな強い疑問がレジで瞬時に噴出し、思わず口を衝いて出たのが、「ケチ臭い」の一言であった。

随分傲慢な物言いのように感じられるかもしれないが、2%の増税が最も身に堪える零細無援の私が感じたことなので、少しは許してもらえよう。要は、自分の時間や労力を多大に投じ、また他人も巻き込んで本当に得となるのか、という素朴な疑問である。

今時カード還元を狙う器量があるなら、家に居ながら不用品をネットオークション等で処分する方が遥かに得するのではないか。また、ネット通販で最安値を探し、送料が免除になるくらい買いだめするのも効果絶大である。もし現代的システムを駆使する器量が無ければ、内職等の古典的手段を考えるのも、健全で建設的に感じられる。

たかが今日1日のみの騒動ではあったが、何やら将来を案じてしまう。この先日本人は大丈夫なのであろうか。決して増税に賛成している訳ではないが、それより別のことで暗い気にさせられた秋一日の仕舞いとなった。


上掲写真 消費税値上前の令和元年9月30日のレシート。198円の目薬を1個買うのに混雑に巻き込まれた際のものである。今回の記事は決してその憂さ晴らしではない。真剣に現代日本人の思考を憂いているのである。

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2019年08月16日

過颶終盆

お盆最終日午前の京都・真如堂(真正極楽寺)本堂の北側面

台風来たりて雨降るも……

昨日西日本に最接近した台風10号は恵の雨をもたらし、猛暑日の気温を下げてくれたが、それでも35度近い最高気温が続く。また、湿度も頗る高く、暑さ・不快さから解放してくれるものではなかった。

そんな中で迎えた、お盆最終日の今日8月16日。曇り空を衝いて墓参に出かけたが、結局日射を受け、難儀なものとなった。

盆初日にも午前であることに油断し半時程の掃除で暑さにやられ気分が悪くなったが、今日もその二の舞的なものとなった。猛暑が早く始まった去年よりマシとはいえ、そろそろの一段落を待望するばかりである。

ただ、この暑さの所為か、蚊や油虫が減っていることだけは、不幸中の幸いか。一見暑さに強そうな、それら夏虫も、さすがに猛暑日の気温や30度近い熱帯夜は耐え難いのであろうか。

写真は、墓参途中に寄った真如堂(真正極楽寺)本堂北側面の縁側。京都市街東部にある神楽岡(吉田山)から続く丘上にある天台古寺で、檀信徒ではないが、本堂にあがり、参拝させてもらった。

写真の如く方々の扉が開かれ、巨大な木造建築による洞窟的効果もあり、比較的涼しく、熱暑の徒歩行の良き小休となった。


楓の青葉が見た目に涼しい、京都・真如堂本堂北の庭
真如堂本堂北の庭。楓の青葉が醸す見た目の涼しさを知る


京都・真如堂本堂裏の境内から見える、大文字山中腹の五山送り火の火床面
真如堂本堂裏の境内から見える、大文字山と中腹の火床面。ご存じ、五山送り火の「大」字が灯される場所である

そういえば、今晩は京の終盆を飾る五山送り火が行われる予定であった。真如堂境内から見上げた大字の火床にも準備のテントが見えた。

きっと山上では、酷暑のなか、雨後再開された支度に追われていることであろう。台風が1日早かったため、今年も何とか実施が叶いそうである。

そして、その夜、京盆地から離れた外出先で送り火を見る。地元放送局によるその中継は、奇しくも真如堂書院(有料区域)を中心に行われたのであった。

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2019年08月03日

熱害棄巣

38度超の猛暑日にウィンドエアコンの排熱と西日の挟撃を受け蜂がいなくなった、京都の町家窓柵にあるヤマトアシナガバチの巣

閲覧注意!下段に蜂画像あり

猛暑日の空調傍で起った異変

先月下旬から猛暑日の連続が始まり、今年も遂に夏本番となった。

昨年より遅く、比較的当初は身体的にマシだったとはいえ、さすがに方々熱が回ってきたのか、耐え難いものとなった。

殆ど出番がなかった書斎の小エアコンも遂に稼働することとなったが、陽が陰る夕方に停め、外の水撒きをしようとして、ある異変に気づいた。

それは、エアコン対面の窓柵にあった蜂の巣である。5月末頃から存在を確認していたもので、小規模ながら数匹のアシナガバチが活動し、この時間には帰巣する筈が、皆外を飛び回っていたのである。

異変に気づき、柵横から巣を覗くと、やはり1匹もおらず、下のコンクリ床に幼虫が落ちていた。ここで漸く事を悟る。エアコンの排熱が巣に影響したのである。

空調の稼働は最も暑い時の2時間程であったが、西日も加わり相当な温度となったため、たまらず逃げ出し、幼虫も落ちたのであろう。

実は事前にその危険を想い、エアコンの移動か、蜂の留守中に巣を移動することを考えていたが、あまりの暑さに失念していた。


上掲写真: 38度超の猛暑日に小エアコンの排熱と西日の挟撃を受け蜂がいなくなった、アシナガバチの巣。


たった1匹で柵裏の巣作りを続ける、ヤマトアシナガバチの女王(2019年6月2日撮影)
たった1匹で柵裏の巣作りを続けるアシナガバチの女王(2019年6月2日撮影)

水撒きを終え、暫くして巣を観察すると蜂が数匹戻っていることを確認し少々安堵したが、外が暗くなった頃、バリバリと噛み砕く音が聞こえた。

それは、アシナガバチの天敵・ヒメスズメバチによる巣の破壊音に似ていたが、暗いため、また危険なため確認出来なかった。


猛暑日に西日とエアコンの排熱を浴び異変が起きた蜂の巣の下に落ちていたヤマトアシナガバチの死骸
猛暑日に西日とエアコンの排熱を浴び異変が起きた巣の下に落ちていたヤマトアシナガバチの死骸。ただ、背中(腹部)の縦2線模様の上部片側に「外払え」がないので、類似種キアシナガバチとの折衷的な様子も伺える

そして、翌朝である今日確認すると、巣に蜂は1匹も居らず、地上の死骸も増えていた。なかには成虫や羽化直前の蜂も……。

初めはヒメスズメバチの攻撃を疑ったが、死骸に食痕がなく、巣も大きく壊された跡がないので、アシナガバチ自身による所業かと思われた。調べてみると、生きる見込のない幼虫等を自ら捨てる習性があるという。

そしてこれを境に蜂は戻ることはなかった。やはり、高温により幼虫等が弱り、またその立地の危険を悟り、巣を放棄したようである。

うーん残念、申し訳ない限り。春に女王蜂1匹が健気に巣作りを始め、小さい巣ながらも順調に仲間が増えていたのに……。

絶滅危惧種?

ただ巣のみが残された残念なこの出来事のあと、以前から気になっていた、この巣の特異性に改めて思い至った。それはこの巣が比較的小型なことやその形状、そして巣穴の蓋が美麗な黄緑色をしていることであった。

調べてみると、そうして特徴のある巣を作る蜂は、キボシアシナガバチとヤマトアシナガバチらしく、その内、写真の死骸の如く、背中(腹部)に縦2線の模様があるものは後者となる。

縦2線模様はキアシナガバチにもあるが、棒上部に外払いがないこと、つまり逆「八」の字にならないことで区別可能という。元より、キアシナガバチの巣に黄緑の蓋はないので、この巣はヤマトアシナガバチのものに違いないと思われた。

しかし、このヤマトアシナガバチ。その名の通り、日本に馴染み深い蜂ではあるが、全国的に数が減っており、絶滅が危惧されているという。ただでさえ、各種アシナガバチの減少が危惧されている昨今、改めて残念なこと、申し訳ないことをしてしまったと感じた。

ただ、活動期間的に、これまで何匹かの成虫がここで育ったことはせめてもの救いであった。稀少な存在であると共に、菜園の害虫駆除に活躍する大事な共存者なので、これからも見守っていきたいと思う。


猛暑日に西日とエアコンの排熱を浴びて異変が起きた巣の下に落ちていた羽化直前のヤマトアシナガバチの死骸
猛暑日に西日とエアコン排熱を浴びて異変が起きた巣の下に落ちていたヤマトアシナガバチの死骸。羽化直前のものとみられ、こちらは上掲の成虫とは異なり、縦2線模様の両方上部に「外払え」の特徴を完備している

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2019年07月14日

高楼雨祭

雨の夕方に淡く提灯が光る、京都・四条烏丸西の祇園祭の山鉾「函谷鉾」と両側のビル

雨中ひなかの山鉾見物へ

今年も祇園祭が始まった。

7月10日開始の山鉾設置作業「鉾建て・山建て」を経て、試運転的な「曳き初め」も終った今日夕方から、その様子を覗きに行ってみた。

拙宅から京都市街中心の鉾町までは距離があるが、梅雨で叶わぬ山行鍛錬の代わりを兼ね、歩いて行くこととした。雨は初めなく、その後断続的に降り始める。

写真は、そうしてゆっくり1時間程かけて到着した、鉾町中心辺りの函谷鉾(かんこぼこ)。大路・四条通に置かれる、大型の鉾櫓である。

思えば、夕方ながら、陽が有る内に山鉾を見ることは珍しい。しかし、その分、夜だと気づかないことも多い。写真両側にも写る高楼(たかどの。ビル)などである。


京都・祇園祭の山鉾「函谷鉾」西側の四条通にある雨下の山鉾「月鉾」と背後のビル
函谷鉾の西にあり、同じく四条通に建てられた「月鉾」。月鉾は祇園祭の全山鉾中、最大のものとして知られるが、それでも今は見ての通り、ビルに見おろされる有様である


京都・四条室町にある雨下の祇園祭の山鉾「鶏鉾」と、統一感なく意匠もおかしい背後のビル
ビルが多いのは四条通という繁華街のため仕方がない、との声が聞こえそうだが、小路に入った鶏鉾でもこの通り。しかも、統一感なく、意匠的なおかしさも目立つ


高層マンションに挟まれ「肩身が狭くなった」、京都・祇園祭の山鉾「山伏山」の会所(山伏山町家)と2階の御神体
鶏鉾付近の室町通は拡幅されて広い方なので、こちらはどうであろう。室町通北寄りにある「山伏山町家」である。山の部材や飾り物の懸装品(けそうひん)を収納・展示する「会所(かいしょ)」で、2階には巡行時山に載せられる御神体の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)像の安置も窺われる。古式が残る良い会所ではるが、背後には見ての通りの高層マンション。数百年来地区の中心であった会所も、最早肩身の狭い存在と化してている


ビルの壁に圧せられる、京都市街・新釜座町南側の膏薬辻子
こちは鉾町ではないが、それらの間にある細い路地で、新釜座町を貫き四条と綾小路を繋ぐ「膏薬辻子(こうやくのずし)」の南側。右の重要文化財町家「杉本家住宅」や奥に古い町家が残る風情ある路地だが、昼間見ると、やはりビルの壁に圧せられている


格式ある提灯飾りが印象的な、京都・祇園祭の山鉾「太子山」の飾り場「秦家住宅」と、その趣を害する乱雑な電線や電柱
こちらは、四条油小路を南へ下った、太子山の飾り場所「秦家住宅」前。趣あるその明治町家の店構えや、御神体・聖徳太子像の安置を窺わせる、格式ある提灯飾り等が印象的だが、表の乱雑な電線や電柱が目立つ。ビルとは異なるが、これも景観公害の一種と言えるのではなかろうか


ビルの谷底、車輌の川中にある、京都・祇園祭山鉾巡行の主役的山鉾「長刀鉾」
最後は祇園祭山鉾巡行の主役ながら、雨で鉾先の刃の光も鈍りがちな「長刀鉾(なぎなたぼこ)」。最初に紹介した月鉾等と同じく四条通に建てられるので、当然ビルの谷底、車輌の川中にある

雨の前祭宵宵々山観覧終了
白日に晒された問題点みる


さて、今置かれている「前祭(さきまつり)」の山鉾を大方巡り、長刀鉾を最後に鉾町を後にした。折しも雨脚も強くなってきた。

今日はまだ巡行3日前の宵々山前夜(宵宵々山?)で、しかも雨天ながらかなりの人出であった。やはりそれだけ祇園祭は人気が高いということか。

日本を代表するような祭なので、当然とも言えるが、変わらぬ趣や奥深さの傍で進行する由々しき変容や問題点も窺われた。

今回は、そうした、正に「(昼の)白日に晒された」問題に着目したため、少々批判的内容となった。しかし、こういう視点も重要で、また広く内外の人に知らせる必要もあると思うので、何卒諒解頂きたいと思う。

前祭の巡行は今月17日。その後、別の山鉾群による同様の後祭が始まる。

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2019年07月01日

悼惜無線親知

ステレオコンポの表示部に浮かぶ、佐藤弘樹氏担当番組「α-MORNING KYOTO(アルファモーニング京都)」とその放送局「FM-KYOTO,α-STATION(アルファステーション)」の周波数「89.4MHz」

当たり前の朝の突如終焉
身近な存在喪失の悲しみ


既に先月のこととなったが、先々週の月曜17日にある人の訃報を知った。

その人の名は、佐藤弘樹(さとう・ひろき)さん。地元京都のFM局「α-STATION(アルファステーション)」の朝の番組を長年担当してきた人で、FM京都の「朝の顔(声)」ともいえる存在であった。

京都及び近県に在住の人なら、低音ながら美しいその独特の声を一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

佐藤氏が担当したのは、週末土日以外の毎日朝7時から同10時まで放送された「α-MORNING KYOTO(アルファモーニング京都)」という番組。大人を意識した新旧の軽音楽やジャズを流すことを主とし、合間にニュースや時事問題の解説等をコラム的に氏が語るという内容であった。

なかでも、氏の専門英語の講座「ワンポイントイングリッシュ」というコーナーは、わかりやすく、語学に感心のない人にも興味深い内容だったため人気を博していた。またその他のコーナーでも、読書家・努力家の氏の広い知識と、深い考察に支えられた興味深い語りが展開されていた。しかし、あくまでもその口調は軽妙であり、洒脱を感じさせるものであった。

テレビを捨てて久しい私は、そんな佐藤弘樹氏の番組の面白さに気づいた10年程前から愛聴していた。それは、正に番組の宣伝文句であった「毎日の朝刊代りにどうぞ」の言葉通り、ほぼ習慣化していたのである。

そんな当り前の朝の習慣は突如終ることとなった。5月22日から俄に氏が番組を病欠し、6月3日に急逝されたからである。享年62歳、まだまだ早い出立であった。局にそのことが知らされ番組で発表されたのは同17日の番組終了間際のこと。病欠が長引き心配していたが、その日流れた氏の担当宣伝の声が差し替えられたことに異変を感じ、それが的中することなった。

「ラジオの可能性」「言葉の力」証明

番組関係者や聴取者、そして「生涯DJ」を標榜していた氏自身が番組への復帰を願っていたが、無情にも叶わなくなった。只々、残念でならない――。面識のない人ながら、毎朝語りかけてくれた「身近な存在」が突如いなくなった喪失感は実に大きい。また、個人的にその見識や人柄に感じ入っていたことも、なおさらそれを深くさせた。

訃報発表後、番組には氏への哀悼と、私同様の喪失や悲しみを訴える声が連日数多(あまた)寄せられているという。

こうした、ラジオという場所で高められた氏の存在を惜しむ多くの声こそ、氏が生涯を通し求めた音声放送の可能性や言葉の力を証明したものと言えまいか。FM京都が開局して間もない頃から25年以上も続いたという佐藤氏の番組。悲しく、残念な結末となったが、個人的にはその一部でも聴かせてもらうことが出来て幸いであった。

押さず、飾らず、あくまでも謙虚で穏やかに――。

そして常に笑みを感じさせる口調とユーモアも交え語る――。ともかく良く出来た人であった。また大変美しい声を持つ人でもあった。そんな氏の番組は必然FM京都の看板番組となったが、逆に方々の期待が大きくなり、氏に無理をさせたのかもしれない。氏は各校での英語教師等の仕事もしつつ、土日以外は盆暮れ正月関係無しにマイクを前にしていたからである。

しかし、氏は毎日暗い内から準備するその生活への愚痴を言わず、常に快活を保ち、心底楽しんでおられるように感じられた。それは、正に水を得た魚、天職に興じる人の姿そのものであった。

「最後までマイクの前に」
大業成し、本望遂ぐか


実は、去年か一昨年のある日、氏の異変に気づいた。それは、ある朝氏の声が僅かに歪んでいることを察知したことである。初めは音響機器の不調を疑ったが、諸々との比較により、やがてそれが間違いないことを確信した。そして、本人による多量・長年の喫煙をあっさりやめたとの告白――。そのため今年4月にリフレッシュ等の名目で2週間の初休暇をとられた時は、手術等の止まれぬ健康事情があったのではないかと感じていた。

亡くなられてから公表された死因は、やはり肺癌。当然氏も病状はご存じで、そのことは公にせず「最後までマイクの前に」という方針で日々臨まれていたという。私も親を癌で亡くし、友人父君の肺癌苦難等でその難儀を知っているが、氏は少々の気掛かりを感じさせたくらいで、最後まで平常を貫かれた。

正にプロフェッショナル、準公人としての鑑であり、このことを以ても、実に偉大な人であった。それらを思うと、早くに亡くなられたが、大きな仕事を成し、本望を遂げられたようにも思われた。

とまれ、その死が悔やまれてならない。同じく声が低いことにより、よく声真似などしていた浅薄無礼な一聴取者ながら、ここに生前頂いたものへの御礼と哀悼を表したいと思う。


有徳の人、佐藤弘樹師
無線以ちて平成の世に
斯く語りき、斯く戦えり――


どうぞ、安らかに……。


上掲写真 私が無線(電波)越しに日々DJ佐藤弘樹氏と接していた、ステレオコンポの表示部に浮かぶ、氏の担当番組「α-MORNING KYOTO」と、その放送局「FM-KYOTO,α-STATION」の周波数「89.4MHz」。

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2019年05月13日

大店破却

京都寺町の鳩居堂工房ビルと本店の解体現場

古き繁華街に異変みる

夕方、京都市街の古い繁華街「三条」界隈に用があり、住地の東山麓から自転車でそこへと下った。

他に、銀行や買物等の次いでも済ませ、裏道を北上して帰ろうとした時、並走する寺町京極(旧平安京「東京極」に因む商店街名)に変わった形のビルが聳えていることに気づいた。

市内有数の繁華街ながら高い建屋が少ない場所なので目についたが、和風を意識したとみられる鶯色のその高楼下に、更に目を惹く光景があった。

それは、古民家2階の内壁が露出し、円く大きな天井梁の切断面が並ぶものであった。古い町家の解体である。しかもそれは、通常の町家・商家に比して頗る規模の大きなものであった。


上掲写真 和風の三角屋根を備えた鶯色のビル(中央奥)と、その手前の大型町家の解体現場。


鳩居堂京都本店の取り壊し現場

貴重な大店全壊

帰宅後更に出かける用があったが、気になって道を戻り、解体現場に立ち寄った。

写真はその南西角から北西方向を見た現場全景。敷地としてもかなりの広さ。ここで気づいたのは、この廃墟が、香道・書道具の老舗・鳩居堂(きゅうきょどう)の本店であったこと。

既に奥(写真左側)の接待所らしき建屋以外は破壊されている。近くの関係者に尋ねると、100年以上前の大正期に建造された本店を含む全てを壊して建て替えるための工事中で、保存されるのは一部の瓦と柱のみという。

良く手入れされ、何ら不便を感じない解体直前の姿も見ていたが、この様な破却を行う必要はあったのか。他人の財産ながら、再現困難な豪奢な大店(おおだな)建築、そして歴史景観の喪失に無念を感じざるを得ない。

色々な事情や考えがあるのは承知している。しかし、100年の景観がこの21世紀に、しかも京都という歴史都市で、皆が窺い知れぬ間に抹消されるということに強い違和感を感じた。

ここはやはり所有者・個人より「公」の責任を思わざるを得ない。しかし、現状は中途半端な保全政策しかなく、京都最古級の町家とされる川井家住宅が去年破壊されるという一大事にも至った。

このサイトでも似た様なことを見聞する度に苦言を呈してきたが、事態が改善されるどころか、観光開発の影響もあり日々酷くなっているように思われる。世界承知の文化都市・京都がこんなことで良いのであろうか。

鳩居堂さんの解体が例となり申し訳ないが、これが今京都の方々で起っていることの一部であることを市外多くの人にも知ってもらいたいと思う。


貴方が嘗てこの街の方々で感じた「暮しに息づく古都」は急速に変容していることを――。


解体中の大正期鳩居堂京都本社の2階正面屋内側
僅かに残っていた大正期築・鳩居堂本社の2階正面部分(屋内側)。最初に目についた円い梁の切断面が見える。1本向こうの小路(距離約60m)からも目立ったので、相当な直径とみられる。大寺の庫裡(くり。台所)のように、弾性に優れた曲がった松の大材を使う伝統工法の採用か――。各階の天井高も規格外の高さ。現代でも十分使えるような気がするのだが……


鳩居堂京都本店前に建てられた平屋仮店舗と後方の工房ビル
鳩居堂が面する寺町通向かいに新築されていた同社の仮店舗。因みに、最初に目についた奥の鶯色のビルも同社の工房で、平成7(1995)年築という

街の顔、社会の公器たるも……

こんな立派な仮店舗(しかも平屋!)等を用意できる敷地・余力がありながら、貴重な本店が壊されたことに尚更遺憾を感じた。品揃えのセンスも良く、高質の製品を扱う良店で、個人的に好感を抱く数少ない老舗のため、あまり物言いは付けたくないのであるが……。

新たな施設の姿から、「街の顔」「社会の公器」としての役割は十分意識されているとは思ったが、やはり残念と言わざるを得ない状況であった。もし、深刻な事情等があったのであれば、どうかお許しを……。

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2019年04月13日

洛東桜状

京都岡崎の琵琶湖疏水の桜と十石舟

遅れ馳せながらの桜紹介

漸く訪れた春、折角の花の時季ながら、このところ寒々しい雪山の写真ばかり紹介していた。先週で晴れて今季の雪山鍛錬も終了となったので、今日あたり罪滅ぼし的に近所の花の状況でも紹介したいと思う。

場所は、京都市街北寄りで賀茂川(鴨川)より東の地域。旧市街である洛中(洛陽)東の「洛東」と呼ばれる地で、現在は同市左京区南部と同東山区北部を巡った様子。今の桜の盛りは、遅咲きの枝垂桜であったが、一応、町桜の主役的な染井吉野に絞って紹介したい。

先発は、上掲の疏水の桜。平安神宮を中心とした文教地区「岡崎」の南を画する琵琶湖疏水沿岸の桜である。東方上手の蹴上・インクライン(舟積軌道)共々、名所として知られる場所で、この時期は桜下を進む観光用の十石舟も運航されている。

花は盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ健在。先日の強風と雨に因る壊滅も想われたが、意外と持ち堪えていた。やはり中途の寒さが影響したのであろうか。花の下ゆく十石舟の参観者も、さぞやご満悦であろう。


京都岡崎の琵琶湖疏水の桜と神宮道の赤い橋
同じく岡崎の疏水と桜。手前の桜なぞは満開に近い状態を保っている。奥の赤い橋は平安神宮の参道である神宮道の橋。多くの観光客の姿が見える


京都・粟田の桜
岡崎から南下して三条通を越え東山区に入る。これは祇園北の粟田地区の桜。観光ルートから外れ、密かに花を広げる。これも盛りは過ぎた様子


京都・知恩院三門前の桜
更に南下して知恩院前に。小樹ながら、三門両脇の桜が門幕等の飾り共々、春の華やぎを演出


京都・円山公園の桜
そして知恩院南の祇園円山公園へ。知られた花見名所とあって人は多いが、花はかなり量を減らしている様子


京都白川の柳の新緑と輝く水面
次は喧噪の祇園を離れ、白川を北上。この辺りに桜は少ないが、乾燥した天候の所為か、柳の緑と水の色、川面の光が美麗であった


京都・白川畔の桜
白川を北上し、また岡崎に接する辺りの桜。観光地至近に在りながら人通りが少ない川沿いの小道は、桜があってもなくてもお勧めの散策路。今回は桜も良く残り、特に素晴らしかった


京都・白川畔の桜と光る川面
同じく白川畔の桜。逆光でのその姿も、また悪しからず


京都・聖護院地区の琵琶湖疏水の桜と熊野橋
そして岡崎から疏水沿いを西に下り、聖護院(しょうごいん)辺りに。この辺りの桜も結構残存。奥の写真は熊野神社に繋がる「熊野橋」


京都・琵琶湖疏水の夷川ダム舟溜まりの桜
同じく聖護院地区の夷川ダム旧舟溜まり角の桜。一際目につき、行き交う人の撮影を誘う


京都・賀茂川(鴨川)荒神橋付近の桜
疏水沿いを西行し、やがて賀茂川に。その河畔の桜も盛りを過ぎながらも、意外と残っていた


ほぼ満開の京都・賀茂川(鴨川)河畔の桜
賀茂河畔の桜。樹によれば、ほぼ満開のものもあった。川風の影響で開花の進展にムラが生じ易いのであろうか


荒神橋から見た、いつもより水が澄む京都・賀茂川(鴨川)
荒神橋より眺めた賀茂川の水面。澄んだ水が青みを帯びて清々しい。光の加減か栄養度の所為か、普段とは異なる美麗さであった


桜がかなり散った、京都賀茂川(鴨川)・出町柳の桜
賀茂河畔を北上して出町柳に至る。ここは学生等で賑わう地元の花見名所。ただ、他に先んじる条件の所為か、人の多さの割に花は少なかった


京都・出町柳付近の高野川の桜
対して、東から賀茂川に合する高野川(たかのがわ)には多くの桜花が残存していた。これも、こちら側の冷涼等が影響したのであろうか


散り始める、京都・銀閣寺道の桜
最後はまた東に戻り、山手の疏水分線へ。蹴上から分かれて北行する疏水分流の河畔に続く、これまた著名の桜並木である。写真のここは銀閣寺参道下の所謂「銀閣寺道」交差点の桜。比較的早く開花する場所なので、既にかなり花を減じていたが、それでもまだ参観する価値は残っていた

賀茂川のあと一旦友人と会い、その後撮影が夕方になり空が曇ったので、画の雰囲気が変わったが、どうかご諒解を……。


京都・銀閣寺道近くの琵琶湖疏水分線の満開の桜
疏水分線の桜。樹によれば満開に近いものもまだあった


京都・哲学の道の桜と緑の下草
疏水分線を遡上し、東山山麓域に入る。所謂「哲学の道」である。そこの桜もまた盛りは過ぎていたが、写真の通り華やかは残っていた。また、他の花や草の緑も現れ、新たな春の装いを見せていた

ソメイはあと暫く枝垂はこれからか

これにて洛東の桜紹介は終了。明日はまとまった雨が降るので更に花は減じるであろうが、樹によれば今暫く楽しめそうである。また、先に記した通り、遅咲きの枝垂桜が盛りになるので、それにも期待できる。

皆さんも機会あれば、この時期のみの春景を是非お楽しみあれ……。

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2019年02月03日

雨下節分

京都・吉田神社の石段下を上る傘さす参拝者と、鳥居外側に続く節分祭の露店

雨下夕刻の恒例行事

新年1月が過ぎ、はや2月に入った。2月初旬と言えば節分。旧正月とも関わりある行事で、年中で最も寒い時期に当たる。

ただ、今年はその前の大寒辺りから厳寒の気はなかった。そのため、今日は節分にありがちな小雪に代わり、冷たい雨となっていた。

所用を済ませた雨下の夕方、京都市街東部に在り、家からも近い吉田社に寄る。正月の注連縄等の飾り物を、今夜境内で行われる節分の一祭事「火炉祭」で焼いてもらうためである。

これも、左京区に住み始めてから10数年来続く個人的恒例行事であった。


上掲写真 吉田神社石段を上る傘さす参拝者と、鳥居外側に続く祭露店。


京都・吉田神社節分祭「火炉祭」の主役「火炉」
吉田神社節分祭の主役(?)「火炉」

露天が賑やかな参道石段下に着くと、先に手水脇にある元住地の産土「今宮社」を参拝。社頭で傘を置く僅かな合間にも結構濡れる程の雨が続く。ここは参拝用の小屋根が欲しいところであった。

そして、石段を上がり本殿前の広場に出て、写真の火炉と対面。点火は23時であるが、既に多くの飾り物が詰められていた。受付の神職の人と挨拶を交わし、無事、注連縄等を託した。

あとはそのまま社殿を参拝。本殿前にはさすがにテント式の小屋根が設けられていて不便は感じなかった。


京都・吉田神社本殿前の鳥居
吉田社本殿前の鳥居。奥に社殿が見えるが、雨の所為か、いつもより参拝者が少なく感じられた


京都・吉田神社節分祭の火炉近景
近くにて吉田社節分祭の火炉を見る。蜜柑のついた注連飾や破魔矢等の各種飾り物が確認出来る。蜜柑については私も毎年迷うところであったが、捨てる訳にも食べる訳にもゆかず、結局同様にそのまま託した

以前は各々自由に積み上げる方式であったため、神事と関係ないゴミを捨てる輩もいたが、一度中止になって復活後の一昨年からは、この様に純粋関連物の処分機会となった。


節分祭で特別公開される、京都・吉田神社の大元宮

山上の大元宮も傘参拝
今後厳冬は有りや無しや


本殿を後にし、賑やかな裏参道の露店を抜け、吉田山山上に在る吉田社摂社の「大元宮(だいげんぐう。正式には濁らず読む)」を参拝。

大元宮は元は吉田神道の中心地で、未だ境内でも特別な場所。普段は非公開だが、節分祭の時期だけは珍しい八角形の社殿に接することが出来る。

しかしながら、生憎の雨により、社殿前には「傘参拝」の列が続く。

さて、明日4日は春の始まりとされる「立春」。そして翌5日は旧元旦であった。正に初春直前。このまま雪の少ない比較的温暖な冬が過ぎ去るのであろうか。

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2019年01月01日

苟且慶祝

京都市街東部・北山科にある双林院(山科聖天)境内の鏡餅と南天の実

諸々棚上げで迎春祝う

はや2018年、即ち平成30年が過ぎ、新年は2019年及び同31年を迎えた。

書きたい愚痴や弱音の類は色々あるが、ここは抑えて、めでたく歳初を祝いたい。

皆さん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しく……。

昨年は方々で災害が多く、自身でも台風の猛威に驚嘆させられた年であった。また、外交や経済の面でも波乱が多く、今もその余波が続いている。

そして、改元に増税――。今年は一体どうなることやら……。

弱音は書かぬとしながらも、結局それらしくなってきたので、もう止めよう。とにかく、何はなくとも迎春はめでたいのである。

めでたい気持ちでまた諸々を仕切り直す――。これぞ新年、歳旦の心構えであろう。

皆さんも、どうかめでたい正月が過ごせますよう……。


上掲写真: 京都市東郊は山科北部にある山寺、双林院(山科聖天)境内の鏡餅。南天の赤と共に清々しいめでたさを感じさせる。翌1月2日撮影。


京都の自宅町家の釣床下の置床上の鏡餅と正月飾り(松飾・重箱・朱皿・色絵陶器)
ついでながら、我が家の鏡餅も。簡易な飾りではあるが……

因みに、表題の「苟且(こうしょ)」とは、一先ずの意。

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2018年12月14日

喜悦贈物

色とりどりの干菓子で溢れる、友よりの贈物の一部

申し訳なくも、嬉しき礼物頂く

今日、友人と会食した際、贈物をもらった。先日、祝いの品を贈ったことへの返礼であった。

こちらが贈ったのは細やかな物であり、また親しい仲なので、事前に辞退する旨を伝えるべきであったが、失念し、結果、気を遣ってもらうこととなった。実に申し訳ない限り。

今となっては、もはや致し方ないので、有難く頂くことにした。


上掲写真: 色とりどりの内容物で溢れる、友よりの贈物の一部。果たして、その全容や如何……。


松葉柄の熨斗と紅白の紐が添えられた干菓子杉箱
包を解いて現れた友の礼物。おめでたく、松葉柄の熨斗と紅白の紐(一度触って崩れているが)が添えられている。本体の箱は、なんと本物の杉箱であった


京都の老舗和菓子店、亀末廣の和干菓子詰合せ「京のよすが」

「和菓子宇宙」に顔綻ぶ

今頃見ない杉箱、しかも木質も上等のそれに興奮しつつ、開けてみたのが、写真の景。

中身は素晴らしい和菓子の詰め合わせであった。四畳半の畳敷きを模した区切りの内には、好物の干菓子を主とした様々な上質菓子が詰まっていた。しかも二段で!これは凄い、正に和菓子宇宙か――。

友の解説と添え紙によると、「亀末廣 (かめすえひろ)」という京都市内の老舗の手になる「京のよすが」という著名製品であった。

しかし、友は本質主義の人なので、こちらの好みと物の良さや値打ちを吟味して選んでくれたものである。同店の菓子は、これまで茶席で幾つか食したことはあるが、詰め合わせは初めてであった。

いやぁ、嬉しい限り。申し訳ないと詫びつつも、恥ずかしながら顔は綻ぶばかりであった。

無理させて本当に申し訳ない。そして有難う。師走の日々の楽しみに、美味しく、有難く頂きます!

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2018年12月01日

漸盛紅葉

京都市街東部にある真如堂の参道坂下の紅葉

京都市街の紅葉漸く盛りか

今年も近所(京都市左京区南部市街地)の紅葉が最盛期になってきた。内外の友人・知人らへの報告も兼ね、一応紹介しておきたい。近々、京都を訪問する人なども、現地情報としてご参照あれ……。

左京区は京都市街でも山手なので、市の中心より少々遅れ気味の筈だが、それでも12月。温暖な気候の所為か、今年も全市的に遅延しているようである。


上掲写真: 真如堂参道坂下の紅葉。京都市左京区南部の丘陵上。


京都市街東部にある永観堂の紅葉と参観者の賑わい
夜間のライトアップでも人気沸騰の、永観堂(えいかんんどう)の紅葉と参観者の賑わい


京都市街東部にある永観堂境内の燃える紅葉
同じく永観堂境内の紅葉。空は曇り始めたが、鮮やかな紅や黄の葉が眩いばかりに広い庭を照らす。恰も、極楽浄土が現出した観である(永観堂の宗旨も正に浄土教)


京都市街東部にある真如堂の本堂裏の紅葉
永観堂の次は紫雲山(しうんざん)の丘を上がり真如堂(しんにょどう)へ。東裏の崖道から入り本堂裏の庭に達したところ。こちらも紅葉最盛期。但し、交通や認知度の関係で、比較的人が少なく、見易い


京都市街東部にある真如堂の三重塔西側の紅葉
同じく真如堂の紅葉。同寺三重塔の南裏の参道から。ここは地面に落ちた葉が綺麗な処でもある

交通状況に留意し有意義な参観を

以上、外出ついでに近所の紅葉名所を観察してみた。参観希望の人はご参考あれ。

但し、車やバスは夜に至るまで混雑が酷いのでご注意あれ。左京区内は自転車や徒歩が動きやすい。

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2018年09月23日

山中颶跡

平成30年台風21号による京都・法然院境内の倒木

彼岸の午後、裏山視察へ

朝、彼岸の墓参等を済ませたあと、訓練がてら久々に山へ行くことにした。

とはいえ、時間も時間なので裏の大文字山にさっと行くくらいである。実は月初の台風21号の被害状況を確認したいという思惑もあった。

直後から気になっていたが、危険なため、そしてその後は長雨等により叶わなかった。しかし、朝のうちに出るつもりが、友人からの電話や聴き逃し難いラジオに接したため、結局は昼前の出発となった。

当初は自然林豊かな法然院から登る予定であったが、森への入口が立入禁止となっていた。境内の拝観は復旧していたが、写真の通り、未だ倒木が散乱する状況であった。

罹災より既に4週弱。想像以上の威力である。


平成30年台風21号による京都・銀閣寺境内林の倒木被害

仕方なく一路北方銀閣寺へと向かい、その裏手のメインルートを採ることにした。写真は登山道に続く林道から見た銀閣寺境内林の被災状況。

麓にあり、三方山に囲まれた恵まれた場所にもかかわらず、かなりの倒木がみられた。


平成30年台風21号により、根こそぎ、または幹から折れる京都・大文字山の樹々
根こそぎ、または幹から折れる大文字山尾根上の樹々

曇りではあったが夏日の暑さに疲労しながら急登をゆく。所々に倒木をみるが崩落等はない。ホルンフェルス(硬殻)地質故の賜物か。

しかし、五山送り火の「大」字を過ぎた尾根辺りから倒木被害が大きくなった。枯木は元より、強健な大木も根こそぎまたは幹から折れている。


平成30年台風21号による京都・大文字山登山道の倒木の切断箇所

しかし、それでも東山ハイキングの主路の所為か、写真の如く、道にかかる倒木は切断されたり、端に片付けられていた。


平成30年台風21号による、京都・大文字山傍の鹿ケ谷道(如意越)の倒木

鹿ケ谷道(如意越)の凄まじい状況

時間も経っていることもあり、主路は大方安全なことが判った。よって、帰りはマイナールートである鹿ケ谷道を下ることにした。

大文字山山頂から続く東山稜線にあるその入口から荒れ風情であったが、やはり、写真の如き凄まじい倒木と遭遇した。台風通過時にこの谷に逃れれば、かなり危険な状況に晒されたであろうことが想われた。

谷川の流れが倒木や土砂で変わっている箇所や、それにより以前はなかった泥濘等も見られた。


京都・大文字山中の如意越道で遭遇した、平成30年台風21号の倒木による「絨毯爆撃」

そして、更に下った場所で写真の景と遭遇した。道は疎か、辺り一帯が全て倒木で埋め尽くされている。

写真では判り辛いが、この場所は平安期の寺跡と戦国期の城跡がある広い山中平地となっており、その殆どが埋め尽くされていた。まさに倒木による絨毯爆撃――。

先程の箇所とは異なり、ここは樹下を潜ることも出来ず、難儀して山際まで抜けて漸く通過出来た。

台風時、もしこの地形に安堵してここに居れば、誰一人命を保つことは出来なかったであろう。


京都・大文字山中にある如意越途中の戦国土塁付近の平成30年台風21号による被害状況
山中平地の入口に立ちはだかる戦国期のものとされる土塁(中央)付近の状況


平成30年台風21号罹災後の、京都・鹿ケ谷山中の「楼門滝」直下の状況
「楼門滝」直下の状況。急斜ながら殆ど被害はない

山中での風の怖さ実感し、良き教訓得る

凄まじい状況の山中平地を過ぎ、急斜が始まる「楼門滝」付近を下降するも意外と被害はなし。しかし、その後の谷道では、また多くの倒木が道を塞ぎ、道ごと斜面が崩落した場所も見られた。

そして、やがて麓着……。

短時間ながら、山中での強風被害を実見し、その恐ろしさを実感することが出来てよかった。

以上、参考までに。皆さんもくれぐれもお気を付けて……。

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2018年09月04日

強颶一過

平成30年台風21号により折れた京都「哲学の道」の桜と倒れたベンチ

命の危機感じる台風襲来

今日午後、台風が通過した。ご存じ、関西では戦後最強ともされる台風21号である。

それは突然やってきた。午前中は曇りではあったが雨もなく、自転車等で出かけられるほどの状況だったが、午後から一転し、突如強い風雨が吹き荒れた。

予報通りであったものの、やはりその凄さには驚かされた。外に出ることはおろか、窓のその外を見ることも危険な状態であった。今までに経験したことのない強風。

比較的風の来ない奥まった地に家があるのだが、それでも倒壊しそうなほどの揺れとなり、命の危険を感じた。

しかし、これも予報通り、台風自体の動きも速かったため、比較的短時間に小康を得られた。そして、十分安全な状況となった夕方、外に出て周囲を確認した。

支えをして備えていた自転車が倒れ、シート等が遠くまで飛ばされていたが、幸い建屋等に目立つ被害はなかった。ただ、トタンや木片、枝葉等の飛来物が多いため、掃除に手間取りそうである。

そして隣家を見ると、なんと飛来した多くの瓦が壁を直撃し窓を割っていた。その跡は恰も市街戦の跡のようであった。窓の内側は無人だったようだが、あと数mズレれていれば、うちが同様になっているところであった。

全く以て危険な限り。襲来時、自転車を直しに外へ出なくて良かった。

来るべきもの来たる
今後の教訓に


今回の台風では京都市街でも風速40m近くを記録したとのこと。戦前家屋倒壊等で多くの犠牲者出した、かの室戸台風に次ぐ強さである。

歴史的見地から、京都での大風の危険性は予てから指摘していたが、やはり来るべきものが来た観が強い。

「京都は盆地なので風害はない」「雨戸は不要」等の根拠不明の言説を弄する「専門家」が多く見受けられたが、今日が良い教訓となったのではなかろうか。

今回は交通機関や公共施設の事前休止等が功を奏したのか、京都では死者が出なかったが、今後は十分注意せねばなるまい。


上掲写真: 台風21号により倒された銀閣寺前の桜とベンチ。台風通過後の本日夕刻撮影。本来は人家等にもっと酷い被害があったが、プライバシー保護のため紹介を止めた。


平成30年台風21号による倒木のある京都・法然院の門前
東山山麓の名刹・法然院門前も、倒れた大木が処理されていた。境内も倒木が多く危険なため、立ち入りが制限されていた(翌5日撮影)


平成30年台風21号の風で木根が揺れ、崩れかけた京都・法然院の石垣
法然院敷地際の石垣も崩れかけていた。風で木が根ごと揺れたためであろう(翌5日撮影)


平成30年台風21号の風で折れ倒れた枝が寄りかかる京都・法然院横の電線
折れ倒れた枝が寄りかかる法然院横の電線。幸い切れなかったようだが、同様が原因で停電になった場所も多かった(翌5日撮影)


平成30年台風21号の風で根こそぎ倒された京都「哲学の道(琵琶湖疏水分線)」の桜
台風21号の風で根こそぎ倒された哲学の道の桜(当日確認、撮影翌5日)。その他、至る所で倒木が見られ、東山などは、方々に折れた幹も見え、山の形が変わる程であった

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