2019年07月14日

高楼雨祭

雨の夕方に淡く提灯が光る、京都・四条烏丸西の祇園祭「函谷鉾」と両側のビル

雨中ひなかの山鉾見物へ

今年も祇園祭が始まった。

7月10日開始の山鉾設置作業「鉾建て・山建て」を経て、試運転的な「曳き初め」も終った今日夕方から、その様子を覗きに行ってみた。

拙宅から京都市街中心の鉾町までは距離があるが、梅雨で叶わぬ山行鍛錬の代わりを兼ね、歩いて行くこととした。雨は初めなく、その後断続的に降り始める。

写真は、そうしてゆっくり1時間程かけて到着した、鉾町中心辺りの函谷鉾(かんこぼこ)。大路・四条通に置かれる、大型の鉾櫓である。

思えば、夕方ながら、陽が有る内に山鉾を見ることは珍しい。しかし、その分、夜だと気づかないことも多い。写真両側にも写る高楼(たかどの。ビル)などである。


函谷鉾の西側の四条通にある雨下の「月鉾」と背後のビル
函谷鉾の西にあり、同じく四条通に建てられた「月鉾」。月鉾は祇園祭の全山鉾中、最大のものとして知られるが、それでも今は見ての通り、ビルに見おろされる有様である


京都・四条室町にある雨下の鶏鉾と、統一感なく意匠もおかしい背後のビル
ビルが多いのは四条通という繁華街のため仕方がない、との声が聞こえそうだが、小路に入った鶏鉾でもこの通り。しかも、統一感なく、意匠的なおかしさも目立つ


高層マンションに挟まれ「肩身が狭くなった」、山伏山の会所(山伏山町家)と2階の御神体
鶏鉾付近の室町通は拡幅されて広い方なので、こちらはどうであろう。室町通北寄りにある「山伏山町家」である。山の部材や飾り物の懸装品(けそうひん)を収納・展示する「会所(かいしょ)」で、2階には巡行時山に載せられる御神体の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)像の安置も窺われる。古式が残る良い会所ではるが、背後には見ての通りの高層マンション。数百年来地区の中心であった会所も、最早肩身の狭い存在と化してている


ビルの壁に圧せられる、京都市街・新釜座町南側の膏薬辻子
こちは鉾町ではないが、それらの間にある細い路地で、新釜座町を貫き四条と綾小路を繋ぐ「膏薬辻子(こうやくのずし)」の南側。右の重要文化財町家「杉本家住宅」や奥に古い町家が残る風情ある路地だが、昼間見ると、やはりビルの壁に圧せられている


格式ある提灯飾りが印象的な京都祇園祭・太子山の飾り場「秦家住宅」と、その趣を害する乱雑な電線や電柱
こちらは、四条油小路を南へ下った、太子山の飾り場所「秦家住宅」前。趣あるその明治町家の店構えや、御神体・聖徳太子像の安置を窺わせる、格式ある提灯飾り等が印象的だが、表の乱雑な電線や電柱が目立つ。ビルとは異なるが、これも景観公害の一種と言えるのではなかろうか


ビルの谷底、車輌の川中にある、京都・祇園祭山鉾巡行の主役的存在「長刀鉾」
最後は祇園祭山鉾巡行の主役ながら、雨で鉾先の刃の光も鈍りがちな「長刀鉾(なぎなたぼこ)」。最初に紹介した月鉾等と同じく四条通に建てられるので、当然ビルの谷底、車輌の川中にある

雨の前祭宵宵々山観覧終了
白日に晒された問題点みる


さて、今置かれている「前祭(さきまつり)」の山鉾を大方巡り、長刀鉾を最後に鉾町を後にした。折しも雨脚も強くなってきた。

今日はまだ巡行3日前の宵々山前夜(宵宵々山?)で、しかも雨天ながらかなりの人出であった。やはりそれだけ祇園祭は人気が高いということか。

日本を代表するような祭なので、当然とも言えるが、変わらぬ趣や奥深さの傍で進行する由々しき変容や問題点も窺われた。

今回は、そうした、正に「(昼の)白日に晒された」問題に着目したため、少々批判的内容となった。しかし、こういう視点も重要で、また広く内外の人に知らせる必要もあると思うので、何卒諒解頂きたいと思う。

前祭の巡行は今月17日。その後、別の山鉾群による同様の後祭が始まる。

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2019年07月01日

悼惜無線親知

ステレオコンポの表示部に浮かぶ、佐藤弘樹氏担当番組「α-MORNING KYOTO(アルファモーニング京都)」とその放送局「FM-KYOTO,α-STATION(アルファステーション)」の周波数「89.4MHz」

当たり前の朝の突如終焉
身近な存在喪失の悲しみ


既に先月のこととなったが、先々週の月曜17日にある人の訃報を知った。

その人の名は、佐藤弘樹(さとう・ひろき)さん。地元京都のFM局「α-STATION(アルファステーション)」の朝の番組を長年担当してきた人で、FM京都の「朝の顔(声)」ともいえる存在であった。

京都及び近県に在住の人なら、低音ながら美しいその独特の声を一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

佐藤氏が担当したのは、週末土日以外の毎日朝7時から同10時まで放送された「α-MORNING KYOTO(アルファモーニング京都)」という番組。大人を意識した新旧の軽音楽やジャズを流すことを主とし、合間にニュースや時事問題の解説等をコラム的に氏が語るという内容であった。

なかでも、氏の専門英語の講座「ワンポイントイングリッシュ」というコーナーは、わかりやすく、語学に感心のない人にも興味深い内容だったため人気を博していた。またその他のコーナーでも、読書家・努力家の氏の広い知識と、深い考察に支えられた興味深い語りが展開されていた。しかし、あくまでもその口調は軽妙であり、洒脱を感じさせるものであった。

テレビを捨てて久しい私は、そんな佐藤弘樹氏の番組の面白さに気づいた10年程前から愛聴していた。それは、正に番組の宣伝文句であった「毎日の朝刊代りにどうぞ」の言葉通り、ほぼ習慣化していたのである。

そんな当り前の朝の習慣は突如終ることとなった。5月22日から俄に氏が番組を病欠し、6月3日に急逝されたからである。享年62歳、まだまだ早い出立であった。局にそのことが知らされ番組で発表されたのは同17日の番組終了間際のこと。病欠が長引き心配していたが、その日流れた氏の担当宣伝の声が差し替えられたことに異変を感じ、それが的中することなった。

「ラジオの可能性」「言葉の力」証明

番組関係者や聴取者、そして「生涯DJ」を標榜していた氏自身が番組への復帰を願っていたが、無情にも叶わなくなった。只々、残念でならない――。面識のない人ながら、毎朝語りかけてくれた「身近な存在」が突如いなくなった喪失感は実に大きい。また、個人的にその見識や人柄に感じ入っていたことも、なおさらそれを深くさせた。

訃報発表後、番組には氏への哀悼と、私同様の喪失や悲しみを訴える声が連日数多(あまた)寄せられているという。

こうした、ラジオという場所で高められた氏の存在を惜しむ多くの声こそ、氏が生涯を通し求めた音声放送の可能性や言葉の力を証明したものと言えまいか。FM京都が開局して間もない頃から25年以上も続いたという佐藤氏の番組。悲しく、残念な結末となったが、個人的にはその一部でも聴かせてもらうことが出来て幸いであった。

押さず、飾らず、あくまでも謙虚で穏やかに――。

そして常に笑みを感じさせる口調とユーモアも交え語る――。ともかく良く出来た人であった。また大変美しい声を持つ人でもあった。そんな氏の番組は必然FM京都の看板番組となったが、逆に方々の期待が大きくなり、氏に無理をさせたのかもしれない。氏は各校での英語教師等の仕事もしつつ、土日以外は盆暮れ正月関係無しにマイクを前にしていたからである。

しかし、氏は毎日暗い内から準備するその生活への愚痴を言わず、常に快活を保ち、心底楽しんでおられるように感じられた。それは、正に水を得た魚、天職に興じる人の姿そのものであった。

「最後までマイクの前に」
大業成し、本望遂ぐか


実は、去年か一昨年のある日、氏の異変に気づいた。それは、ある朝氏の声が僅かに歪んでいることを察知したことである。初めは音響機器の不調を疑ったが、諸々との比較により、やがてそれが間違いないことを確信した。そして、本人による多量・長年の喫煙をあっさりやめたとの告白――。そのため今年4月にリフレッシュ等の名目で2週間の初休暇をとられた時は、手術等の止まれぬ健康事情があったのではないかと感じていた。

亡くなられてから公表された死因は、やはり肺癌。当然氏も病状はご存じで、そのことは公にせず「最後までマイクの前に」という方針で日々臨まれていたという。私も親を癌で亡くし、友人父君の肺癌苦難等でその難儀を知っているが、氏は少々の気掛かりを感じさせたくらいで、最後まで平常を貫かれた。

正にプロフェッショナル、準公人としての鑑であり、このことを以ても、実に偉大な人であった。それらを思うと、早くに亡くなられたが、大きな仕事を成し、本望を遂げられたようにも思われた。

とまれ、その死が悔やまれてならない。同じく声が低いことにより、よく声真似などしていた浅薄無礼な一聴取者ながら、ここに生前頂いたものへの御礼と哀悼を表したいと思う。


有徳の人、佐藤弘樹師
無線以ちて平成の世に
斯く語りき、斯く戦えり――


どうぞ、安らかに……。


上掲写真 私が無線(電波)越しに日々DJ佐藤弘樹氏と接していた、ステレオコンポの表示部に浮かぶ、氏の担当番組「α-MORNING KYOTO」と、その放送局「FM-KYOTO,α-STATION」の周波数「89.4MHz」。

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2019年05月13日

大店破却

京都寺町の鳩居堂工房ビルと本店の解体現場

古き繁華街に異変みる

夕方、京都市街の古い繁華街「三条」界隈に用があり、住地の東山麓から自転車でそこへと下った。

他に、銀行や買物等の次いでも済ませ、裏道を北上して帰ろうとした時、並走する寺町京極(旧平安京「東京極」に因む商店街名)に変わった形のビルが聳えていることに気づいた。

市内有数の繁華街ながら高い建屋が少ない場所なので目についたが、和風を意識したとみられる鶯色のその高楼下に、更に目を惹く光景があった。

それは、古民家2階の内壁が露出し、円く大きな天井梁の切断面が並ぶものであった。古い町家の解体である。しかもそれは、通常の町家・商家に比して頗る規模の大きなものであった。


上掲写真 和風の三角屋根を備えた鶯色のビル(中央奥)と、その手前の大型町家の解体現場。


鳩居堂京都本店の取り壊し現場

貴重な大店全壊

帰宅後更に出かける用があったが、気になって道を戻り、解体現場に立ち寄った。

写真はその南西角から北西方向を見た現場全景。敷地としてもかなりの広さ。ここで気づいたのは、この廃墟が、香道・書道具の老舗・鳩居堂(きゅうきょどう)の本店であったこと。

既に奥(写真左側)の接待所らしき建屋以外は破壊されている。近くの関係者に尋ねると、100年以上前の大正期に建造された本店を含む全てを壊して建て替えるための工事中で、保存されるのは一部の瓦と柱のみという。

良く手入れされ、何ら不便を感じない解体直前の姿も見ていたが、この様な破却を行う必要はあったのか。他人の財産ながら、再現困難な豪奢な大店(おおだな)建築、そして歴史景観の喪失に無念を感じざるを得ない。

色々な事情や考えがあるのは承知している。しかし、100年の景観がこの21世紀に、しかも京都という歴史都市で、皆が窺い知れぬ間に抹消されるということに強い違和感を感じた。

ここはやはり所有者・個人より「公」の責任を思わざるを得ない。しかし、現状は中途半端な保全政策しかなく、京都最古級の町家とされる川井家住宅が去年破壊されるという一大事にも至った。

このサイトでも似た様なことを見聞する度に苦言を呈してきたが、事態が改善されるどころか、観光開発の影響もあり日々酷くなっているように思われる。世界承知の文化都市・京都がこんなことで良いのであろうか。

鳩居堂さんの解体が例となり申し訳ないが、これが今京都の方々で起っていることの一部であることを市外多くの人にも知ってもらいたいと思う。


貴方が嘗てこの街の方々で感じた「暮しに息づく古都」は急速に変容していることを――。


解体中の大正期鳩居堂京都本社の2階正面屋内側
僅かに残っていた大正期築・鳩居堂本社の2階正面部分(屋内側)。最初に目についた円い梁の切断面が見える。1本向こうの小路(距離約60m)からも目立ったので、相当な直径とみられる。大寺の庫裡(くり。台所)のように、弾性に優れた曲がった松の大材を使う伝統工法の採用か――。各階の天井高も規格外の高さ。現代でも十分使えるような気がするのだが……


鳩居堂京都本店前に建てられた平屋仮店舗と後方の工房ビル
鳩居堂が面する寺町通向かいに新築されていた同社の仮店舗。因みに、最初に目についた奥の鶯色のビルも同社の工房で、平成7(1995)年築という

街の顔、社会の公器たるも……

こんな立派な仮店舗(しかも平屋!)等を用意できる敷地・余力がありながら、貴重な本店が壊されたことに尚更遺憾を感じた。品揃えのセンスも良く、高質の製品を扱う良店で、個人的に好感を抱く数少ない老舗のため、あまり物言いは付けたくないのであるが……。

新たな施設の姿から、「街の顔」「社会の公器」としての役割は十分意識されているとは思ったが、やはり残念と言わざるを得ない状況であった。もし、深刻な事情等があったのであれば、どうかお許しを……。

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2019年04月13日

洛東桜状

京都岡崎の琵琶湖疏水の桜と十石舟

遅れ馳せながらの桜紹介

漸く訪れた春、折角の花の時季ながら、このところ寒々しい雪山の写真ばかり紹介していた。先週で晴れて今季の雪山鍛錬も終了となったので、今日あたり罪滅ぼし的に近所の花の状況でも紹介したいと思う。

場所は、京都市街北寄りで賀茂川(鴨川)より東の地域。旧市街である洛中(洛陽)東の「洛東」と呼ばれる地で、現在は同市左京区南部と同東山区北部を巡った様子。今の桜の盛りは、遅咲きの枝垂桜であったが、一応、町桜の主役的な染井吉野に絞って紹介したい。

先発は、上掲の疏水の桜。平安神宮を中心とした文教地区「岡崎」の南を画する琵琶湖疏水沿岸の桜である。東方上手の蹴上・インクライン(舟積軌道)共々、名所として知られる場所で、この時期は桜下を進む観光用の十石舟も運航されている。

花は盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ健在。先日の強風と雨に因る壊滅も想われたが、意外と持ち堪えていた。やはり中途の寒さが影響したのであろうか。花の下ゆく十石舟の参観者も、さぞやご満悦であろう。


岡崎の琵琶湖疏水の桜と神宮道の赤い橋
同じく岡崎の疏水と桜。手前の桜なぞは満開に近い状態を保っている。奥の赤い橋は平安神宮の参道である神宮道の橋。多くの観光客の姿が見える


京都粟田の桜
岡崎から南下して三条通を越え東山区に入る。これは祇園北の粟田地区の桜。観光ルートから外れ、密かに花を広げる。これも盛りは過ぎた様子


知恩院三門前の桜
更に南下して知恩院前に。小樹ながら、三門両脇の桜が門幕等の飾り共々、春の華やぎを演出


円山公園の桜
そして知恩院南の祇園円山公園へ。知られた花見名所とあって人は多いが、花はかなり量を減らしている様子


京都白川の柳の新緑と輝く水面
次は喧噪の祇園を離れ、白川を北上。この辺りに桜は少ないが、乾燥した天候の所為か、柳の緑と水の色、川面の光が美麗であった


京都白川畔の桜
白川を北上し、また岡崎に接する辺りの桜。観光地至近に在りながら人通りが少ない川沿いの小道は、桜があってもなくてもお勧めの散策路。今回は桜も良く残り、特に素晴らしかった


京都白川畔の桜と光る川面
同じく白川畔の桜。逆光でのその姿も、また悪しからず


聖護院地区の琵琶湖疏水の桜と熊野橋
そして岡崎から疏水沿いを西に下り、聖護院(しょうごいん)辺りに。この辺りの桜も結構残存。奥の写真は熊野神社に繋がる「熊野橋」


夷川ダム舟溜まりの桜
同じく聖護院地区の夷川ダム旧舟溜まり角の桜。一際目につき、行き交う人の撮影を誘う


賀茂川荒神橋付近の桜
疏水沿いを西行し、やがて賀茂川に。その河畔の桜も盛りを過ぎながらも、意外と残っていた


ほぼ満開の賀茂川河畔の桜
賀茂河畔の桜。樹によれば、ほぼ満開のものもあった。川風の影響で開花の進展にムラが生じ易いのであろうか


荒神橋から見た、いつもより水が澄む賀茂川
荒神橋より眺めた賀茂川の水面。澄んだ水が青みを帯びて清々しい。光の加減か栄養度の所為か、普段とは異なる美麗さであった


桜がかなり散った賀茂川・出町柳の桜
賀茂河畔を北上して出町柳に至る。ここは学生等で賑わう地元の花見名所。ただ、他に先んじる条件の所為か、人の多さの割に花は少なかった


京都出町柳付近の高野川の桜
対して、東から賀茂川に合する高野川(たかのがわ)には多くの桜花が残存していた。これも、こちら側の冷涼等が影響したのであろうか


散り始める銀閣寺道の桜
最後はまた東に戻り、山手の疏水分線へ。蹴上から分かれて北行する疏水分流の河畔に続く、これまた著名の桜並木である。写真のここは銀閣寺参道下の所謂「銀閣寺道」交差点の桜。比較的早く開花する場所なので、既にかなり花を減じていたが、それでもまだ参観する価値は残っていた

賀茂川のあと一旦友人と会い、その後撮影が夕方になり空が曇ったので、画の雰囲気が変わったが、どうかご諒解を……。


銀閣寺道近くの疏水分線の満開の桜
疏水分線の桜。樹によれば満開に近いものもまだあった


哲学の道の桜と緑の下草
疏水分線を遡上し、東山山麓域に入る。所謂「哲学の道」である。そこの桜もまた盛りは過ぎていたが、写真の通り華やかは残っていた。また、他の花や草の緑も現れ、新たな春の装いを見せていた

ソメイはあと暫く枝垂はこれからか

これにて洛東の桜紹介は終了。明日はまとまった雨が降るので更に花は減じるであろうが、樹によれば今暫く楽しめそうである。また、先に記した通り、遅咲きの枝垂桜が盛りになるので、それにも期待できる。

皆さんも機会あれば、この時期のみの春景を是非お楽しみあれ……。

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2019年02月03日

雨下節分

吉田神社石段下を上る傘さす参拝者と鳥居外側に続く節分祭の露店

雨下夕刻の恒例行事

新年1月が過ぎ、はや2月に入った。2月初旬と言えば節分。旧正月とも関わりある行事で、年中で最も寒い時期に当たる。

ただ、今年はその前の大寒辺りから厳寒の気はなかった。そのため、今日は節分にありがちな小雪に代わり、冷たい雨となっていた。

所用を済ませた雨下の夕方、京都市街東部に在り、家からも近い吉田社に寄る。正月の注連縄等の飾り物を、今夜境内で行われる節分の一祭事「火炉祭」で焼いてもらうためである。

これも、左京区に住み始めてから10数年来続く個人的恒例行事であった。


上掲写真 吉田神社石段を上る傘さす参拝者と、鳥居外側に続く祭露店。


吉田神社節分祭の主役の火炉
吉田神社節分祭の主役(?)「火炉」

露天が賑やかな参道石段下に着くと、先に手水脇にある元住地の産土「今宮社」を参拝。社頭で傘を置く僅かな合間にも結構濡れる程の雨が続く。ここは参拝用の小屋根が欲しいところであった。

そして、石段を上がり本殿前の広場に出て、写真の火炉と対面。点火は23時であるが、既に多くの飾り物が詰められていた。受付の神職の人と挨拶を交わし、無事、注連縄等を託した。

あとはそのまま社殿を参拝。本殿前にはさすがにテント式の小屋根が設けられていて不便は感じなかった。


吉田神社本殿前の鳥居
吉田社本殿前の鳥居。奥に社殿が見えるが、雨の所為か、いつもより参拝者が少なく感じられた


吉田神社節分祭の火炉近景
近くにて吉田社節分祭の火炉を見る。蜜柑のついた注連飾や破魔矢等の各種飾り物が確認出来る。蜜柑については私も毎年迷うところであったが、捨てる訳にも食べる訳にもゆかず、結局同様にそのまま託した

以前は各々自由に積み上げる方式であったため、神事と関係ないゴミを捨てる輩もいたが、一度中止になって復活後の一昨年からは、この様に純粋関連物の処分機会となった。


節分祭で特別公開される吉田神社の大元宮

山上の大元宮も傘参拝
今後厳冬は有りや無しや


本殿を後にし、賑やかな裏参道の露店を抜け、吉田山山上に在る吉田社摂社の「大元宮(だいげんぐう。正式には濁らず読む)」を参拝。

大元宮は元は吉田神道の中心地で、未だ境内でも特別な場所。普段は非公開だが、節分祭の時期だけは珍しい八角形の社殿に接することが出来る。

しかしながら、生憎の雨により、社殿前には「傘参拝」の列が続く。

さて、明日4日は春の始まりとされる「立春」。そして翌5日は旧元旦であった。正に初春直前。このまま雪の少ない比較的温暖な冬が過ぎ去るのであろうか。

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2019年01月01日

苟且慶祝

双林院(山科聖天)境内の鏡餅と南天の実

諸々棚上げで迎春祝う

はや2018年、即ち平成30年が過ぎ、新年は2019年及び同31年を迎えた。

書きたい愚痴や弱音の類は色々あるが、ここは抑えて、めでたく歳初を祝いたい。

皆さん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しく……。

昨年は方々で災害が多く、自身でも台風の猛威に驚嘆させられた年であった。また、外交や経済の面でも波乱が多く、今もその余波が続いている。

そして、改元に増税――。今年は一体どうなることやら……。

弱音は書かぬとしながらも、結局それらしくなってきたので、もう止めよう。とにかく、何はなくとも迎春はめでたいのである。

めでたい気持ちでまた諸々を仕切り直す――。これぞ新年、歳旦の心構えであろう。

皆さんも、どうかめでたい正月が過ごせますよう……。


上掲写真: 京都市東郊は山科北部にある山寺、双林院(山科聖天)境内の鏡餅。南天の赤と共に清々しいめでたさを感じさせる。翌1月2日撮影。


釣床の下・置床上の鏡餅と正月飾り(松飾・重箱・朱皿・色絵陶器)
ついでながら、我が家の鏡餅も。簡易な飾りではあるが……

因みに、表題の「苟且(こうしょ)」とは、一先ずの意。

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2018年12月14日

喜悦贈物

色とりどりの干菓子で溢れる、友よりの贈物の一部

申し訳なくも、嬉しき礼物頂く

今日、友人と会食した際、贈物をもらった。先日、祝いの品を贈ったことへの返礼であった。

こちらが贈ったのは細やかな物であり、また親しい仲なので、事前に辞退する旨を伝えるべきであったが、失念し、結果、気を遣ってもらうこととなった。実に申し訳ない限り。

今となっては、もはや致し方ないので、有難く頂くことにした。


上掲写真: 色とりどりの内容物で溢れる、友よりの贈物の一部。果たして、その全容や如何……。


松葉柄の熨斗と紅白の紐が添えられた干菓子杉箱
包を解いて現れた友の礼物。おめでたく、松葉柄の熨斗と紅白の紐(一度触って崩れているが)が添えられている。本体の箱は、なんと本物の杉箱であった


京都の老舗和菓子店、亀末廣の「京のよすが」

「和菓子宇宙」に顔綻ぶ

今頃見ない杉箱、しかも木質も上等のそれに興奮しつつ、開けてみたのが、写真の景。

中身は素晴らしい和菓子の詰め合わせであった。四畳半の畳敷きを模した区切りの内には、好物の干菓子を主とした様々な上質菓子が詰まっていた。しかも二段で!これは凄い、正に和菓子宇宙か――。

友の解説と添え紙によると、「亀末廣 (かめすえひろ)」という京都市内の老舗の手になる「京のよすが」という著名製品であった。

しかし、友は本質主義の人なので、こちらの好みと物の良さや値打ちを吟味して選んでくれたものである。同店の菓子は、これまで茶席で幾つか食したことはあるが、詰め合わせは初めてであった。

いやぁ、嬉しい限り。申し訳ないと詫びつつも、恥ずかしながら顔は綻ぶばかりであった。

無理させて本当に申し訳ない。そして有難う。師走の日々の楽しみに、美味しく、有難く頂きます!

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2018年12月01日

漸盛紅葉

真如堂参道坂下の紅葉。京都市左京区

京都市街の紅葉漸く盛りか

今年も近所(京都市左京区南部市街地)の紅葉が最盛期になってきた。内外の友人・知人らへの報告も兼ね、一応紹介しておきたい。近々、京都を訪問する人なども、現地情報としてご参照あれ……。

左京区は京都市街でも山手なので、市の中心より少々遅れ気味の筈だが、それでも12月。温暖な気候の所為か、今年も全市的に遅延しているようである。


上掲写真: 真如堂参道坂下の紅葉。京都市左京区南部の丘陵上。


永観堂の紅葉と参観者の賑わい
夜間のライトアップでも人気沸騰の、永観堂(えいかんんどう)の紅葉と参観者の賑わい


永観堂境内の燃える紅葉
同じく永観堂境内の紅葉。空は曇り始めたが、鮮やかな紅や黄の葉が眩いばかりに広い庭を照らす。恰も、極楽浄土が現出した観である(永観堂の宗旨も正に浄土教)


真如堂本堂裏の紅葉
永観堂の次は紫雲山(しうんざん)の丘を上がり真如堂(しんにょどう)へ。東裏の崖道から入り本堂裏の庭に達したところ。こちらも紅葉最盛期。但し、交通や認知度の関係で、比較的人が少なく、見易い


真如堂三重塔西側の紅葉
同じく真如堂の紅葉。同寺三重塔の南裏の参道から。ここは地面に落ちた葉が綺麗な処でもある

交通状況に留意し有意義な参観を

以上、外出ついでに近所の紅葉名所を観察してみた。参観希望の人はご参考あれ。

但し、車やバスは夜に至るまで混雑が酷いのでご注意あれ。左京区内は自転車や徒歩が動きやすい。

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2018年09月23日

山中颶跡

台風21号による法然院境内の倒木

彼岸の午後、裏山視察へ

朝、彼岸の墓参等を済ませたあと、訓練がてら久々に山へ行くことにした。

とはいえ、時間も時間なので裏の大文字山にさっと行くくらいである。実は月初の台風21号の被害状況を確認したいという思惑もあった。

直後から気になっていたが、危険なため、そしてその後は長雨等により叶わなかった。しかし、朝のうちに出るつもりが、友人からの電話や聴き逃し難いラジオに接したため、結局は昼前の出発となった。

当初は自然林豊かな法然院から登る予定であったが、森への入口が立入禁止となっていた。境内の拝観は復旧していたが、写真の通り、未だ倒木が散乱する状況であった。

罹災より既に4週弱。想像以上の威力である。


台風21号による銀閣寺境内林の倒木被害

仕方なく一路北方銀閣寺へと向かい、その裏手のメインルートを採ることにした。写真は登山道に続く林道から見た銀閣寺境内林の被災状況。

麓にあり、三方山に囲まれた恵まれた場所にもかかわらず、かなりの倒木がみられた。


台風21号により、根こそぎ、または幹から折れる大文字山の樹々
根こそぎ、または幹から折れる大文字山尾根上の樹々

曇りではあったが夏日の暑さに疲労しながら急登をゆく。所々に倒木をみるが崩落等はない。ホルンフェルス(硬殻)地質故の賜物か。

しかし、五山送り火の「大」字を過ぎた尾根辺りから倒木被害が大きくなった。枯木は元より、強健な大木も根こそぎまたは幹から折れている。


台風21号による大文字山登山道の倒木の切断箇所

しかし、それでも東山ハイキングの主路の所為か、写真の如く、道にかかる倒木は切断されたり、端に片付けられていた。


大文字山傍の鹿ケ谷道(如意越)の倒木

鹿ケ谷道(如意越)の凄まじい状況

時間も経っていることもあり、主路は大方安全なことが判った。よって、帰りはマイナールートである鹿ケ谷道を下ることにした。

大文字山山頂から続く東山稜線にあるその入口から荒れ風情であったが、やはり、写真の如き凄まじい倒木と遭遇した。台風通過時にこの谷に逃れれば、かなり危険な状況に晒されたであろうことが想われた。

谷川の流れが倒木や土砂で変わっている箇所や、それにより以前はなかった泥濘等も見られた。


如意越道で遭遇した台風21号の倒木による「絨毯爆撃」

そして、更に下った場所で写真の景と遭遇した。道は疎か、辺り一帯が全て倒木で埋め尽くされている。

写真では判り辛いが、この場所は平安期の寺跡と戦国期の城跡がある広い山中平地となっており、その殆どが埋め尽くされていた。まさに倒木による絨毯爆撃――。

先程の箇所とは異なり、ここは樹下を潜ることも出来ず、難儀して山際まで抜けて漸く通過出来た。

台風時、もしこの地形に安堵してここに居れば、誰一人命を保つことは出来なかったであろう。


如意越にある戦国土塁付近の台風21号による被害状況
山中平地の入口に立ちはだかる戦国期のものとされる土塁(中央)付近の状況


台風21号罹災後の「楼門滝」直下の状況
「楼門滝」直下の状況。急斜ながら殆ど被害はない

山中での風の怖さ実感し、良き教訓得る

凄まじい状況の山中平地を過ぎ、急斜が始まる「楼門滝」付近を下降するも意外と被害はなし。しかし、その後の谷道では、また多くの倒木が道を塞ぎ、道ごと斜面が崩落した場所も見られた。

そして、やがて麓着……。

短時間ながら、山中での強風被害を実見し、その恐ろしさを実感することが出来てよかった。

以上、参考までに。皆さんもくれぐれもお気を付けて……。

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2018年09月04日

強颶一過

哲学の道の折れた桜と倒れたベンチ

命の危機感じる台風襲来

今日午後、台風が通過した。ご存じ、関西では戦後最強ともされる台風21号である。

それは突然やってきた。午前中は曇りではあったが雨もなく、自転車等で出かけられるほどの状況だったが、午後から一転し、突如強い風雨が吹き荒れた。

予報通りであったものの、やはりその凄さには驚かされた。外に出ることはおろか、窓のその外を見ることも危険な状態であった。今までに経験したことのない強風。

比較的風の来ない奥まった地に家があるのだが、それでも倒壊しそうなほどの揺れとなり、命の危険を感じた。

しかし、これも予報通り、台風自体の動きも速かったため、比較的短時間に小康を得られた。そして、十分安全な状況となった夕方、外に出て周囲を確認した。

支えをして備えていた自転車が倒れ、シート等が遠くまで飛ばされていたが、幸い建屋等に目立つ被害はなかった。ただ、トタンや木片、枝葉等の飛来物が多いため、掃除に手間取りそうである。

そして隣家を見ると、なんと飛来した多くの瓦が壁を直撃し窓を割っていた。その跡は恰も市街戦の跡のようであった。窓の内側は無人だったようだが、あと数mズレれていれば、うちが同様になっているところであった。

全く以て危険な限り。襲来時、自転車を直しに外へ出なくて良かった。

来るべきもの来たる
今後の教訓に


今回の台風では京都市街でも風速40m近くを記録したとのこと。戦前家屋倒壊等で多くの犠牲者出した、かの室戸台風に次ぐ強さである。

歴史的見地から、京都での大風の危険性は予てから指摘していたが、やはり来るべきものが来た観が強い。

「京都は盆地なので風害はない」「雨戸は不要」等の根拠不明の言説を弄する「専門家」が多く見受けられたが、今日が良い教訓となったのではなかろうか。

今回は交通機関や公共施設の事前休止等が功を奏したのか、京都では死者が出なかったが、今後は十分注意せねばなるまい。


上掲写真: 台風21号により倒された銀閣寺前の桜とベンチ。台風通過後の本日夕刻撮影。本来は人家等にもっと酷い被害があったが、プライバシー保護のため紹介を止めた。


台風21号による倒木のある法然院門前
東山山麓の名刹・法然院門前も、倒れた大木が処理されていた。境内も倒木が多く危険なため、立ち入りが制限されていた(翌5日撮影)


台風21号の風で木根が揺れ、崩れかけた法然院の石垣
法然院敷地際の石垣も崩れかけていた。風で木が根ごと揺れたためであろう(翌5日撮影)


台風21号の風で折れ倒れた枝が寄りかかる法然院横の電線
折れ倒れた枝が寄りかかる法然院横の電線。幸い切れなかったようだが、同様が原因で停電になった場所も多かった(翌5日撮影)


台風21号の風で根こそぎ倒された哲学の道の桜
台風21号の風で根こそぎ倒された哲学の道の桜(当日確認、撮影翌5日)。その他、至る所で倒木が見られ、東山などは、方々に折れた幹も見え、山の形が変わる程であった

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2018年07月23日

祭夜拝神

役行者山と夏の半月

そういえば……

夕方の来客を送り、その後21時過ぎまで仕事資料の調査を続けていたが、ふと明日が7月24日であることに気づく。

7月24日は、祇園祭(後祭)の山鉾巡行日であった。祭に関わり、また個人的にもお世話になっている大工さんから粽(ちまき。玄関魔除け)を頂いている関係もあり、授与元の山鉾へお礼参りへ行くべきことを思い出す。

授与元で、御神体が祀られている会所(かいしょ)が公開されているのは今晩まで。先日友人らと会食兼ねて訪れたが公開前日で叶わず、その後の都合や連日38度超えの記録的猛暑により行けず仕舞いになりかけていた。

宵山は特別な山鉾を除き、22時くらいまで仕舞いとなる筈なので、時間的に厳しかったが、自転車を飛ばすと10分程で近づけるので、一先ず向かうことにした。


上掲写真: 祇園祭宵山(巡行前夜祭)での役行者山(えんのぎょうじゃやま)と夏夜の半月


鯉山と提灯

鯉山参拝

急ぎ到着したのが、写真の鯉山(こいやま)。前掲で紹介した役行者山と同じ室町通にあり、黒主山(くろぬしやま)を挟んだ役行者山の南側に設置。

最近、方々の山鉾で一時置き換えられていたビニール提灯が昔ながらの紙製に戻されていることに気づき、嬉しく思った。やはり、灯りの具合、趣の良さが格段に上る。


鯉山の会所入口
昔ながらの町家風情が残る鯉山の会所入口

鯉山では早速会所に入る。入口から人が並んでおり、順次奥へと通された。まだどこも人が多く、賑やかなお囃子も聞こえ、祭夜の盛況が感じられた。なんとか間に合ったようで、良かった。

会所は、各山鉾を担当する町毎に存在する祭用の共有地・家屋である。巡行前はここに御神体や懸装品(けそうひん。絨毯等の飾り物)が安置・公開されたり、粽や縁起物の販売が行われる。


鯉山のご神体の朱塗りの鳥居と祠、伝左甚五郎作の鯉、ベルギー製タペストリー
鯉山の三大宝物、ベルギー製タペストリー、伝左甚五郎作の鯉の彫像、御神体の祠(撮影許可確認済)

会所奥のお社や御神体を参拝後、御神体を含む鯉山の三大宝物を鑑賞。いずれも巡行時に山の上に飾られるもので、これまで何度も見ていたが、やはり良いものであった。

「登竜門」の故事に因むという鯉の彫像は、江戸初期の名工・左甚五郎の作ではないとする話も聞いたことがあるが、豪快な名作であることには変わりなかった。

タペストリーは16世紀後半から17世紀初期にベルギーで作られたもので、重要文化財に指定されている世界的宝物。

また、祠に祀られている御神体は(鯉の彫像も御神体だが……)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)であった。

そして、細やかな支援がてら、手拭を買うなどして念願のお礼参りを終えた。


宵山での北観音山
煌びやかに飾られた北観音山の威容

本来の祭風情と町衆の熱意みる

鯉山参拝後、折角なので、少し近所を見つつ戻ることにした。後祭は出店が規制され、人も少なめで見易い。地元の人による地元の祭であった本来の姿を垣間見れるような風情も良かった。


鷹山の日和神楽
200年ぶりの復活目指し力強く鉾町を進む鷹山の日和神楽

祭場を離れる間際、見慣れぬ山の名を掲げた行列と遭遇した。史料上500年もの歴史が知られるも、約200年前の江戸後期以降「休み山」となった「鷹山(たかやま)」の日和神楽(ひよりかぐら)である。

水災及びその後の火災で山を失ったが、4年前から復興が具体化し、昨年、巡行の晴天を願って鉾町と御旅所を往復するこの日和神楽が復活した。眼前に現れたのは、正にその晴れやかな姿だったのである。

嘗ては北観音山同様の豪壮な姿であったという山本体も復元し巡行復帰を目指すという。それには多大な費用等の困難を伴うらしいが、古の町衆の如き不撓不屈の精神で力強く歩みを進める姿がこの行列に感じられた。

皆さん、どうかお見知りおきを……。

そして、気温もさることながら、色々とあつい鉾町を後にしたのであった。

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2018年07月08日

長雨一過

流されてきた自転車が覗く濁流の賀茂川

豪雨漸く収まる

梅雨の長雨が漸く収まった。ただ、今日も大方曇りで、近隣でひと雨ふた雨降ったところもある。

長い雨というより、激しい雨であった。今月2日から昨日7日までの間、強弱はあったが、世のなか全てが水浸しになるように感じられた。

その為、同じ状況に見舞われた西日本各地で人命を伴う大きな被害が出た。京都市街では昨日に雨の勢いが落ちたが、当初の予報通り今日まで激しさが続いていれば、大変なことが起きていたと思う。

因みに、山から少し離れた拙宅ですら、「緊急」が括弧付けされた避難指示が長時間出された。結果的に現在のところ表立った被害はなかったが、底知れぬ自然の威力に色々と考えさせられた。

今回は長時間・大量に降水があったため、洪水と土砂崩れ両方の危険があった。つまり、低地も山手も共に危険となったのである。ただ、洪水は河川水位が随時確認出来るが、土砂災害は必ず起こるものでもなく、発生の条件も複雑なため対応の判断が難しい。

激しい雨の最中、山手に住む小さな子のいる友人から電話で相談されたが、結局最新のハザードマップで友人宅の危険度を確認し、判断材料にしてもらった。勿論、過信は禁物だが、専門的調査の上にこうしたものが近年作成・公開されていることは良いことに思われた。

ただ、どれだけの人がこれを参考にしているのかは、少々疑わしい。よって、更なる広報や啓発が必要なのではないかと思われた。


上掲写真: 流されてきた自転車が浅瀬に覗く賀茂川。8日夕方だが、未だ激しい濁流が残る。冷泉(れいせん)通横の堰堤にて。


三条大橋下流・歌舞練場横の賀茂川護岸破損箇所

ちょうど四条南辺りに用があったので、そのまま河岸を下ると、三条大橋下流・歌舞練場横の護岸破損箇所と遭遇した。全国ニュースでも報道されたもので、京都市街での今回の豪雨痕跡を象徴するようなもの。

振り返れば、橋上や両岸から多くの人が撮影する様が見られた。


護岸破損箇所と賀茂川の奔流
護岸の破損箇所拡大。手前には未だ堰堤下で波立つ恐ろしい奔流があった。豪雨時に水が巻く堰堤下は破堤し易い場所。この上流近くにも近年直したばかりの跡が見られた。水流を弱める工夫で対処できないのであろうか。流体力学的計算・応用は近年発達している筈なのだが……


点々と賀茂川の護岸路上に続く流木
そして護岸の歩道上には流木等の塊が点々と続いていた。降雨の盛時、ここも奔流に洗われていたのであろう。道に上る際に気づいたが、護岸の高さが低いこの辺りは未だ立ち入りが禁止されていた。上流山間にはまだ黒い雨雲も見える。油断を反省し、帰路は堤防上の歩道を辿ったのであった。

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2018年04月03日

落花移季

民家の古い石垣下に吹き寄せられた桜の花びら

染井散り始める

桜の花だよりが聞かれるようになった先月下旬から、拙宅付近の京都市街東郊も観光客が増加してきた。

そして3月28日に満開を迎えると、その数は極みに達した。哲学の道なぞは、つい半月前まで平日殆ど人を見なかったが、今では前後それぞれ1000人は居そうな勢いである。

今年は開花後に雨がなく比較的満開状態が長く続いたが、さすがに宣言から1週間も経つと、散る花が多くなってきた。ただ、染井以外の枝垂桜や八重桜等の品種では、これから見頃を迎える樹もあった。

満開もいいが、散った際に現れる非日常的な状景もまた好むところ。今日は、外出ついでに見た、そんな桜の散り際を少々紹介したい。


上掲写真: 民家の古い石垣下に吹き寄せられた桜の花びら。京都市左京区東郊の鹿ケ谷地区にて。


哲学の道沿いの疏水分線の水面を流れゆく桜の花びら

とはいえ、紹介するのは琵琶湖疏水の分線に沿った所謂「哲学の道」のみで、今頃の花の様子は写真の如きが代表的か。

かなり花を落として疎らになってはいるが、まだまだ花風情を保っている。注目すべきは、大量の花びらが疏水の水面に乗り流れていくこと。

その為か、いつもは暗い下部も、上方共々、明るく華やかに感じられた。これなぞは、正にこの時期ならでは風情であろう。


桜の花弁積る疏水分線の小道
水面(みなも)だけでなく、併走する路上(「哲学の道」対岸側)もこの通り。大量の花弁が降り積もり、いつになく明るく、艶やかな印象を与えている


「哲学の道」際の疏水分線沿いにある満開の枝垂桜
「哲学の道」際の疏水分線沿いにある満開の枝垂桜

「哲学の道」辺りでは、今は枝垂桜が盛りとなっていた。写真の樹などは、染井の満開を逃した見物客の寵を受け、観覧や撮影で周囲大賑わいであった。


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疏水分線沿いの小道(「哲学の道」対岸側)の雪柳(左下の白い花)と新緑(上)

今年も季節動き始める

桜が盛りを過ぎると同時に、急速に樹々が芽吹いてきた。人の気を春に変える桜花は、恰もその他の樹々にも春到来を伝える機縁のようである。

世の方々に長く滞留していた冬模様は刻一刻と払拭されていくことであろう。今年も季節が大きく動き始めた。

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2018年03月28日

俄然開桜

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開花翌日に早くも満開風情に

このサイトでも3月半ばまで雪の記事が多かったが、それだけ今期の冬は寒さが印象的であった。

しかし、3月半ばから一転して平年より温暖な日が多くなった。そして、今月22日には平年より6日早い、京都市内での桜の開花宣言が出た。去年より9日も早い開花だという。今年は蝋梅すらかなり遅れて満開となり、梅も同様に最近慌てて咲いた観があったので、実に意外の展開である。

ただ、拙宅がある市街東辺の山際では一昨日までは大半の樹が蕾のままであった。ところが、昨日突然一斉に咲きだし、今日などはいきなりの満開風情となったのである。花が咲き、春が来るのはめでたいが、これではあまりに急な気がしないでもない。

個人的には、もう少し冬の余韻に浸りたかったのであるが、まあ致し方ないか……。


上掲写真: 朝からの快晴に満身の花で応える「哲学の道」の桜(京都市左京区)。東山に近いここは朝逆光となるので、あまり美麗には写らないが……。しかし、僅か2日でここまで咲くとは、少々驚きの事態であった。


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急に桜が満開風情と化した哲学の道。朝日の逆光、ご諒解を


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同じく哲学の道。先日までの冬枯れの様が、突如楽園化したか。遅れていた雪柳(右下の白い花)も一気に開花


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こちらは哲学の道沿いにある大豊神社(おおとよじんじゃ)前の桜。一昨日はこれのみ咲いていた。ソメイかと思ったが、ひょっとして別種なのか……

そして夕方ニュースで知ったが、やはり京都市内に今日満開宣言が出たとのこと。とまれ、花見・遊山等の参考までに……。

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2018年02月17日

美神旧地

京都市内の柳宗悦縁の地

美の巨人旧址訪ねる

夕方、京都市街某所で人と待ち合わせ、とある路地を訪ねた。

荒れた路面に戦前の面影残るそこも、同じく京都市街。大正期、彼の民藝運動の主導者・柳宗悦(やなぎ・むねよし)が住んでいたとされる地であった。

今日は知人らと、そこに残る柳の旧邸を訪ねた。昨年末、柳の事績に興味があり、その自伝制作をあたためているというTさんと知り合い、旧居の場所を知る私がそこへの案内を頼まれたのである。

参加はTさんと私と、Tさんの友人で京都にも住まいをもつ神戸のNさん。民藝に関心を寄せるNさんは自らも家業で工芸に携わり、Tさんの呼びかけに応じ急遽参加したのであった。

互いに挨拶を交わし、早速徒歩で現場に向かうと、そう遠くない路地中で旧邸と出会った。偶然私が知った10年程前は庭・建屋共々荒れていたが、今は新たな家主の手入れにより往時を損なうことなく整えられていた。

一時は取り壊しも危惧されたが、理解ある奇特な人に救われて何より。私邸のため、家前のみを見学させてもらうしかないが、比較的小さな敷地ながら、保全・継承に対する多大な尽力は一目瞭然であった。

そして、前庭の設え等に柳の非凡な感性を窺わせる様々が残されていた。静かな住宅地、私邸前なので、3者興奮を抑えつつ、暫し諸々を談議。近くには古代から続く歴史的一族の墓所もあり、話は尽きない。

すると、後方より話しかける人が……。

気前よく墓所等の事情を説明してくれたのは、なんと以前、講演会でお世話になった人であった。その人はここの土地人であり、正に絶好の機会となった。柳邸は早い時期に人手に渡ったようだが、古い持ち主の事や周辺の様々な話等を数多聞くことが出来たのである。

これは柳か民藝、はたまた土地神の導きか――(笑。墓所の一族は土地神に仕える神職家)。

なお、柳は大正12(1923)年の関東大震災で東京の自宅が被災し、翌年ここに転居してきたという。同14年や昭和4(1929)年にも市内別所に転居し、昭和8(1933)年に東京へ帰還するまでの間、京都を拠点とした。

さて、興奮冷めやらぬ現場を離れる時には身を切る吹雪に見舞われることとなったが、一同は良き出会い、収穫を喜びながら、夜の宴席へと流れ進んだのであった。


上掲写真: 荒れた路面に戦前の面影残す京都市内の路地。かつては花崗岩の縁石が整い、その美観に資していたと思われる。これも、柳や彼を訪ねた河井寛次郎等の民藝仲間が歩いた、「民藝遺址」なのであろうか。

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2018年02月12日

近山風氷

氷の中の紅葉。鹿ケ谷奥の楼門の滝にて

連休最終日。

とはいえ、あくまでも世間での話で、自分が連休だと気づいたのは比較的最近のことであった(笑)。

今日も仕事やら何やらで昼過ぎまで過ごす。その後、友人の個展取材等を予定していたが、個展が意外の休廊で叶わずとなったので、一先ず近所の山にひと登りすることとなった。

場所は拙宅裏山の大文字山。毎度変わらずで恐縮だが、思い立って行けるのが便利なため、致し方ない。しかも、既に午後も遅かったので、行ける場所も限られていた。

気温は低いが陽も射してきたので、ひと登りして気分転換・体力保持を図ったのである。


上掲写真: 大文字山に登るには様々なルートがあるが、今日は南裏の鹿ケ谷から登った。写真は中腹の「楼門の滝」下でみた岩上の氷。紅葉が封入されており、厳しいながらも風情あり。


一部に氷柱のついた楼門の滝
古代如意寺跡や近世名所図会等でお馴染みの「楼門の滝」

陽のある下界は少し温暖を感じられたが、陰多い山中は別であった。雪こそないが、地面至る所に霜柱で凍てつく様がみられた。

滝の飛沫が氷柱や氷塊を成していたのもまた然り。


大文字山山頂よりみた西南方面の眺め
大文字山山頂より西南方向をみる。左が山科盆地、中央が淀・大阪方面、そして右が京都市街

冷気籠る鹿ケ谷を登り詰め、尾根伝いに大文字山山頂(465m)に到着。途中撮影等したが、独りでさっと進んだので、然程時間はかからず。

しかし、風が強く、谷とは違う寒さに襲われる。冬の山風である。上着を足し、耳や手を隠して冷えを防いだ。


大文字山火床より見た京都市街北部の眺め

山頂から尾根を下り、五山送り火の「大」字の火床に出る。写真はその最頂部からみた京都市街北部。陽が当たり山頂よりマシだが、やはり寒さはあり。


大文字山火床よりみた雪積る京都北山の眺め
同じく火床より。岩倉地区の背後に広がる北山山地。中央の雪ある峰が以前紹介した天狗杉(837m)。

火床からは先年12月と同じく法然院の森を下るコースで下山した。この後、知人の論文図作成支援を予定していたが、先方の都合で無くなり、一先ず帰宅して寛ぐことが出来た。

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2018年02月06日

窓外一変

元妙満寺遺跡改め京都市役所新分庁舎建設現場

一昨年見た窓外の変わり様

今日、京都市役所に寄る用があり、その廊下窓から気になる景色を見つけた。

それは、写真にあるとおり、大規模な工事現場であった。

大きなクレーン車やダンプカーが入場し、深く掘られた地下には強固な鉄骨組みが張り渡されている。実は、一昨年、同じ場所から眺めた景色を記録・紹介していた。

そう、ここは平安京東傍跡であり、豊臣秀吉が建設させた「寺町」のうちの1寺「妙満寺」跡でもあった。一昨年はそれらの発掘調査が大規模に行われていたが、今回はそこに建てられる市役所分庁舎の工事が行われていたのである。

「歴史都市」京都の現実

見ての通り、地下深くまで掘り下げられており、当時見られた石組等の遺構の姿はない。分庁舎の地下建設のために全て破壊・破棄されたのである(一部の小物ぐらいは収蔵されたであろうが)。

場所がなく苦慮していることは解る。また、公の施設であることも。しかし、「歴史都市」内でこんな工事をいつまでも続けていいのであろうか。

実は、大半の遺跡が発見・調査後に破壊されている事情を多くの人は知らない。たとえ、古の都、未来に伝えるべき京都であっても……。

残念ながら、これが京都の現実である。

「市民の誇りとなる市庁舎の実現を目指した整備基本計画」の一環らしいが、他にやりようがないのであろうか。言うまでもなく、一度壊されたものは2度と復元できない。後で見たい、調べたいは出来ないのである。

どうせ大金を使っても100年持つ建物なぞ出来ないのではないか。そして、そのことが「誇り」となるのであろうか。

左京区岡崎で運動場と駐車場工事により、1400年間存在し畏怖されてきた「鵺塚(ぬえづか)」が消滅したことを思い出した。たかが、野球場・駐車場拡張のためにである。

「昨日まで有ったが今日無くなった」的なことが21世紀の今も続けられている。その後は、無いものを有るかのように喧伝する「羊頭狗肉」の有様か……。

どこか、純真な観光客を歴史ロマンで釣り、紛い物を与えるような方向に陥っているように感じられてならない。

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2018年01月31日

月蝕宴夜

2018年1月31日の皆既月食

今晩は、仕事で忙しく年末年始に会えなかった友人らと遅い新年会を行った。

こちらも月末で色々忙しかったため一度は他日を願ったが、何とかやりくりして可能となった。場所は市街の気さくなお好み店。久しぶりの彼らとの積もる話の花も咲き、閉店の11時半まで語り過ごしたのであった。

そして店を出て広々とした寺前の駐車場まで来ると、おぼろ夜空に銀月ひとつ――。

今日は満月の筈だが上部が欠けている……。そうであった、今日は皆既月蝕の日である。既に皆既食は終り、部分食となっていたが、皆で暫し夜空を見上げたのであった。

何やら遅い新年会への差入れというか、余興めいて有難い限り。皆さん、明日からもお気張りやす!

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2018年01月29日

疎水修岸

「哲学の道」沿いの疎水中の重機

夕方、外出の際に近所の「哲学の道」の小橋を渡ると、何やら違和感が。

道に沿う疎水分線内に重機が進入していたからである。傍を見れば護岸に作業の跡。どうやら工事中のようであった。折しも冬の水位低下で水も少なく、狭い場所故に重機を入れて作業し易くしているのであろうか。

普段目にしない「乗物」が水面に現れたので、かつて疎水が有していた舟運による交通の役割を思い起こさせてもらった。


上掲写真: 疎水分線内に仲良く並ぶショベルカーと運搬車。護岸工事で落ちた土砂等を浚うための待機であろうか。


「哲学の道」沿いの疎水の石積み工事
疎水分線での護岸工事

護岸工事は旧来の護岸の上部のみを補強・積み増ししているようである。石積み式での補修には賛成だが、少々雑な仕上がりに感じられた。

昔と違い今はコンクリで適当に留めれば出来上がるからであろうか。切石の向き・大きさを慎重に読み、丁寧に積まれた旧来のものとの違いは歴然である。

そういえば、開通当初からのものと見られる古い石積みも少なくなってきた。ここは京都有数の観光地であり、ゲンジボタルの貴重な生息地。

石に番号付けて管理するベニスまでとは言わないが、もう少し奮発してくださいな、京都市さん。

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2018年01月21日

寒夕掃墓

墓所お供えのピンクの薔薇と菊

大寒2日目の恒例墓参

二十四節気で冬の寒さが極まる頃とされる「大寒(だいかん)」。

期間的には、今年はそれが昨日1月20日から始まったので、今日はその2日目である。昔から変わらぬ設定通り、今日も寒さ感じる一日となった。

今日21日は、京都市街南部にある東寺の「初弘法(はつこうぼう)」。弘法大師空海の命日と月命日に合せて開かれる市で、命日に当たる今日は年始初回を兼ねた一際賑やかな開催となっていた。

後学習得も兼ね、骨董でも覗きに行くべきであったが、珍しく昼まで寝ることとなったため、叶わなかった。昨夜、久々に近所で独りで飲んでいると、他所で出来上がっていた友人らにつかまり、急遽別所で新年会となった。それが明け方まで続いた為である。

まあ、新しい友人との出会いもあり、楽しく過ごせたので何ら不満はない。ただ、恒例の墓参が夕方となってしまった。今日は母親の命日でもあった為である。

とまれ、時折小雨降る、時雨空(しぐれぞら)の下を渡り、墓所に出向いた。身を切るような寒水で墓を拭い、供え物の水を換え、香火(こうか)を添える。管理所でも寒さへの労いをもらったが、巡り来る毎度のことなので致し方あるまい。

そういえば、冬に限らず季節が極まる頃は物故が多いように見受けられるが、病床に弱った母も、正に星の運行・季の巡りに曳かれた観があった(時間的には月の運行・潮汐も)。母と同じく、まだ老境とは言い難い大師の今際(いまわ)も同様だったのであろうか……。


上掲写真: 寒中の墓所に供えられた色鮮やかな薔薇と菊。


冬の京都盆地の夕景
西山へ向かい急ぎ沈みゆく夕陽に染まる京都市街。花の写真に少々赤味があるのはこの為であった


墓地お供えのカーネーションや菊等
こちらはカーネーション等々。前者共々私が用意したものではないが……


墓参
市街中央に立つ京都タワー(中央)と時雨の夕空。後方に雨の幕が見える

様々呼び覚ます「寒の作用」

早くも母が去り20数年を経た。

もう随分前から、私にとってその存在は「残像」の如きものでしかなくなっているが、寒中こうして接していると、当時の様々なことが感覚的に呼び覚まされる気がする。

これも、極まった季節が人に成す、作用の一つなのであろうか。

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