2022年07月24日

疏水雨跡

京都・岡崎蹴上にある琵琶湖疏水舟溜に出来た白川砂の砂州で微睡む二羽の鴨

雨後の長散策

今年は本州各地で記録的に梅雨明けが早かったが、宣言後の今月初旬から、また各地で雨天が続いたのも同様であった。

しかも、大雨が多く、自分が住む京都市街東部でも、先日5段階区分け中、2位という「避難指示」が出されるなどした。

梅雨末期に似た、それらの連続的強雨は金曜辺りで落ち着いたが、代わりに猛暑の暑さが戻ってきた。真夏なので仕方ないが、何事も良い塩梅とならないものである。

さて、先月の熱中症の件もあり、今夏は裏山での鍛錬を控えていたが、動かないのも良くないので、今日は比較的長程の散策を行うことに。それは、市街散策とはいえ、丘や山際を取り込んだ高低に富む道程であった。

開始は陽が傾き気温が落ち始めた夕方を狙ったがそれでも暑い。また、特有の湿気もあるため、街歩きとはいえ比較的負荷の高い行動に思われた。


上掲写真 夕方、白砂上で仲良く微睡む二羽の鴨。場所等は後述。


2022年7月の強雨後、琵琶湖疏水・南禅寺舟溜に流れ込んだ大量の白川砂

豪雨一過の跡

気温や日射を考慮し、最初は比較的涼しい山際を巡り、その後、市街中心方向へと進む。そして、蹴上(けあげ。京都・東山麓の地名)下の琵琶湖疏水にて、写真の光景を目にした。

疏水に流れ込む大量の土砂である。それは一部陸化して広い砂原さえ見せていた。最初に紹介した鴨は、この島状安全地に憩うていたのであった。

土砂は左奥の暗渠から流れ込む「白川」より運ばれた所謂白川砂である。見ての通り、この辺りの疏水はインクライン(舟搬軌道)下の旧舟溜(ふなだまり)のため広くなっているので、相当な量であることが判る。

私もこれ程の量を見るのは初めてであった。

恐らくは、これも大半が今月の雨の影響か……。とまれ、水道を始めとする水利(すいり)用の人工河川なので、早期の浚渫が必要かと思われた。確か、今春前に大規模な定例作業が入ったばかりではあるが……。


2022年7月の豪雨後、琵琶湖疏水に流れ込んだ大量の白川砂によって白濁する聖護院付近の疏水
その後、舟溜から疏水沿いを歩き下ったが、1km下流の聖護院付近でもその水は白濁していた。これも、未だ濁流状態の白川の影響で、舟溜合流部から続くものである。沈み難い粘土成分が流れを染めているのである(粘土は「顔料」なので正しくは「加飾」か)


京都・聖護院付近の徳成橋から見た、嵐山方面の夕焼けとそれを映す琵琶湖疏水
そして雨の影響に感じ入りながら疏水縁を西に進むと、彼方には夕焼けが。この後、賀茂川(鴨川)まで出て、そこで寛ぎ涼んで帰ったが、そこでちょっとした出会いと出来事が……。まあその話はまた機会あれば……

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2022年07月10日

故相受難

京都黒谷・金戒光明寺西雲院の蓮の葉とそこに載る水滴

戻り梅雨の投票日

今年近畿では(近畿だけではないが)先月末に信じられない早さで梅雨が終り、すぐさま39度に迫る猛暑日が現れた。

お蔭で、というか、油断・節約の所為もあり、方々で警告されていた熱中症的不調に見舞われてしまった。その影響は数日続き、個人的に、とんだ盛夏の幕開けとなった。

他にも個人的難事が重なり、身心共に参らされたが、なんとか乗り切るべく日々過ごしていた。そんな中で、いつしか正に盛夏月の7月に入り、早十日が経過。猛暑は台風と戻り梅雨のような気象により一旦落ち着いたが、その後、またそれに近い暑さが続き、今日も同様の予報であった。

しかし、本日は3年ぶりの参議院選投票日。

その為、日曜ながら熱中症を警戒して大人しくするつもりだったが、投票ついでの朝に、暫し方々散策してきた。

選挙に思う一大惨事

さて選挙といえば、一昨日8日昼前に、奈良にてその応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃され、夕刻死去するといういたましい事件が起こった。

私も昼のラジオ等でその速報を聞いて驚き、何とか助かるよう願ったが、叶わなかった。安倍氏の死去により、この地方的傷害事件は戦後空前の一大暗殺事件へと昇華・変貌した。

私が投票後当てどなく逍遥したのも、この事件と無関係ではなかった。

犯人は近くに住むという無職の青年で、その動機は、ある宗教団体によって家族が破産させられた恨みだという。安倍元首相がその団体と関連があると断定し、警戒厳しい団体幹部の代りにその命を狙ったらしい。

一宗教団体幹部より、一応、経済大国の元総理の方が狙いやすかったとは驚きであった。しかし、事実、当日の映像を見ると、演説場所選定の根本的失敗や警備の甘さが素人でも一目で判断出来た。

駅前ロータリー内のガードレールで囲まれた演説地なので、恐らくは凶器乱入や車輌突入くらいしか想定してなかったのではないか。実際、犯人は手製銃(砲?)という飛び道具でこの制限を克服し、加害を成功させた。

犯人制圧後、路上に落とされたその手製銃の大きさは、なんと1尺程しかない小型のものであった。小さければ運搬や隠匿に有利だが、銃身が短すぎるこの構造では命中率は望めない。

しかし、その口径は機関砲ともいえる大きさで、それが並行して2連装備されていた。元総理の傷や流れ弾の状況から、恐らくは短筒の欠点を補うべく、一発で同時に複数弾が放たれる散弾方式だったと思われ、更に失敗に備えて2発式にしたと考えられた。

一見拙い造りながら、実に恐るべき周到さ――。

しかし、それでも、かなり接近しなければ当てることは難しく、更に散弾という威力に劣る性質からも、ごく至近で使うことが必要であった。

つまり、通常の警備ではあり得ないこの成功条件が今回適ったことからも警備の問題が窺える。しかも1発目の距離10mのみならず、2発目の6、7m程まで接近を許したからである。元総理はこの2発目に被弾し致命傷を負ったことからも、あってはならない失態だったといえよう。

また加害半径の広い散弾にもかかわらず、元総理以外被弾しなかったことからも警備の手薄さが証明される。

あとは医療の問題。急所の直撃は免れていたらしいので、設備や搬送、医師の機転等の条件によれば助かっていた可能性も考えられる。実際、私はその一報と安倍氏の容態を聞いた際、恐らく止血が成功すれば助かると思っていた。だが、そうはならず、全てが最悪の方向へと進んでしまった。

こうして、元総理は様々な悪条件が重なり気の毒にも急逝を遂げられることになった。その不幸、無念には唯々お悔やみの意を表すばかりである。

安倍元総理急逝の損失

安倍氏の政権運営には毀誉褒貶があり、氏個人の疑惑も多かったが、私はその外交手腕に関しては戦後無二のものと評価していた。

それは、没後すぐに各国・各界の要人・団体から数多の哀悼表明や事績賛辞が寄せられたことからでも証されよう。

米国人は疎か、同じ共和党員でさえ扱いが難しいとされる彼のトランプ元大統領の懐に逸早く飛び込み、日本への圧力を緩和せたことは記憶に新しい氏の功績の一つである。また、米議会で自ら英語による長文演説を行い、感動と高評価を引き出したことも、印象深い無二の業績であった。

それだけに、今進行中の様々な対外難事に対しても更なる働きが期待できた。故に、氏の急逝は日本にとって大きな損失といえ、残念に思われた。

失われた30年の因果

この悲劇的事件を起こした犯人は、自衛隊経験者とは思えぬ華奢で大人し気な青年だったが、今時点の供述では元総理の政治思想への反感ではなく、あくまでも宗教絡みの恨みが動機だという。

どんな言い分も、この悲惨な結果の免責にはならないが、嘗て同じく宗教により一家離散を余儀なくされ、進学も叶わず十代から独り住み込みで働いていた友人のことを思い出した。それは、私に本銃撃犯の供述に対する少なからぬ信憑性と、その犯行論理に対する一定の理解を与えた。

勿論、それでもこんな凄惨な私刑(間接私刑?)は絶対許されず、平和的に争う場合でも、先ずは加害本人・組織と対峙すべきだと思う。

しかし、前述の友人の安否のこともあり思い至ったが、もし、この犯人青年が安定した職に就き、所帯でも持っていたら、果たしてこの惨劇は起こったでのあろうか、という、ある種不気味な疑問が浮かんだ。

人生のある時期まで資格取得を目指すなど、犯人青年も前向きに歩んでいたことが伝えられている。その真摯さが、延長を重ねた不況や改善進まぬ雇用環境等により深刻な影響を受けたのではないか。

奇しくも今回の選挙争点の一つに「失われた30年からの脱却」があった。90年代初頭のバブル崩壊から今に続く異様な経済停滞との決別である。

2000年頃に言われ始めた「失われた10年」は、その後20年目を過ぎても改善されず、気づけば30年もの長期に達していた。その間、賃金は上がらず、非正規という「二等国民(私もある意味同様)」が全労働者の半数程にまで膨れ上がったのは国民周知の事実である。

その30年のうち、大半の政権を担当した自民党も、それに対し、手をこまねいていた訳でなかったが、小泉改革を始めとする諸施策は失敗に終った。そして、その後継の安倍政権も、その後の約10年を担当したが、「アベノミクス」の喧伝とは裏腹に、根本的な改善は叶わなかった。

この安倍政権の経済施策が真に成功し「失われた20年」で停滞に終止符が打たれていれば、犯人青年は恨みを抱きつつも、身近な社会の為、妻子の為に怒りの矛を収め、結果元総理も路上に倒れずに済んだのではないか。

そう、正に元総理が掲げた「一億総活躍社会」の一員になれたなら……。

そんな、奇しくも二人を繋ぐ、宗教絡みではない、政治・経済絡みの想像が俄に生じ、頭から離れなくなった。

ひょっとして、この事件は、これから噴出する、長い停滞が育んだ凶事の一つに過ぎないのではないか――。

確かなことは言えないが、何となく嫌な予感がしてならない。

いたましき世相
悲惨、止むべし


そもそも、最近、戦争や虐殺に封鎖・暗殺等々、何やら20世紀初めに戻ったような世相で、いたましく、悲しい限りである。

とまれ、朝元気に出かけた人が、冷たい躯(むくろ)とされる惨劇が起きた。この悲惨に宰相も庶民も違いはない。しかも「明るく公正な」日本の選挙の最中に。絶対にあってはならないことである。

安倍晋三元総理のご冥福を切に祈りたい。


上掲写真 京都市街東部の某寺院塔頭の蓮の葉。本来は鮮やかな花を見せたかったが、安倍元総理の冥福を願い、しめやかなものに……。

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2022年06月01日

六月夏入

京都・真如堂境内の開き始めた白紫陽花

それでも進む

今年も早6月入り。
気づけばまた1年の半分に達した。

今年も引き続き新型肺炎に翻弄され、そして、あろうことか東欧で大きな戦争が始まり、長引いている。それらの影響による物価高は疎か、国際社会が大きく軋み、世界平和の先行きさえ見え難くなってきた。

それでも、今年も夏の始まりが訪れた。季節及び自然の営みはまた大きく進む。そして、我々人の営みも否応なしに続く。

何が有ろうと、起ころうとも……。

写真は京都市東部の古刹・真如堂の紫陽花(アジサイ)。雨の時季6月を象徴する花だが、5月中旬に梅雨入りした昨年とは異なり、今年は未だ乾燥の日々が続く。それでも、来るべき雨期に備えるよう花を開き始めていた。


京都・哲学の道(疏水分線)の暗がりに浮かぶ蛍の光跡
さて、夜、思い出したように「哲学の道」を覗くと、琵琶湖疏水分線の水面を舞う蛍の姿が見られた。これもまた、6月梅雨どきの自然の営み

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2022年04月10日

山路大桜

京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜の花弁。2022年4月10日撮影

外見平和、内実不穏の春
近山の桜大樹へ


一際寒く、また雪も多かった冬が終り、今年もまた京都市街に花の春がやってきた。

これだけなら、長閑で平和な季節変わりなのだが、コロナ禍や宇露戦争が終らない。また、新たにロシア軍による市民虐殺が発覚し、同国等への経済制裁並びに、その影響による物価高や不況の長期化が決定的になった。

現地の人々の災難は言うまでもなく、世界情勢的にも、とんでもないことをしてくれたものだと思う。

長引くコロナ禍の影響もあり、スリランカやペルーで物価高等に因る政情不安が生じており、今後、経済疲弊した他の国々にも連鎖し、全球規模の情勢不安を起こす恐れも出てきた。

そんな、不穏渦巻く状況で、正直気は晴れないが、一先ず日本、そしてここ京都では外見的ながら平和な春到来となった。

遣る瀬なさを抱えつつではあるが、折角の春なので運動がてら近山の桜を観に出掛ける。それは、ここ数年来気にしてきた山桜の大樹であった。


上掲写真 京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる山桜大樹の花弁。


京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜の花弁。2022年4月10日撮影
山の桜を観るといっても、事前にその咲き具合が判らなければ只の登山・または徒労となる。その為、麓が満開になってから折々東山向かいの丘上等から観察していた。写真は前日眺めた大文字山とその山肌に点在する桜花。夕陽に因り全体に赤味がかるが、明るい色で咲く山桜の様子が判ると思う。同様に、遠目ながら目当ての大桜の具合を観察し、満開を確認した


京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜。2022年4月10日撮影
4月7日の強風で一気に減ったものの、残り花を求める人で賑わう麓を過ぎ、山道に入る。そして、途中から殆ど人が通らぬ山中の古い車道(くるまみち)を登り進み、目当ての桜樹の前に到達した


京都東山山中の古道上に盛りの花を覗かせる大山桜の花弁。2022年4月10日撮影
とはいえ、その花を観察出来るのは、前掲写真の位置が最良。それ以上近づくと他の樹に邪魔され、直近たる花の直下でもこの様な有様であった。元より山桜は高い位置に花をつけ、大樹であるほど地面から遠ざかるので仕方ない(その「欠点」を補うべく改良されたのが現在主流の染井吉野)


京都東山山中の古道脇に聳える山桜の大樹。2022年4月10日撮影
馴染みの山桜の根元や幹はこの通り。幹回りは大人二抱え程の太さがあり、外見での判断は難しいようだが、その樹齢は最長200年程とか思われた。とまれ、自分より遥かに年輩であることには違いない


京都東山山中に盛りの花を覗かせる大山桜。2022年4月10日撮影
古道を離れ、その対岸・谷向こうの樹間から覗き見えた桜大樹の花

永年の存在・営みに平穏みる

この様に、大樹と雖も山桜は一般的な花見に向かないが、それでも、今日はその姿を垣間見られて大変良かったと感じた。

それは、外見的な花の美しさだけでなく、齢数百年という永年の存在とその営みに山や私自身の平穏を見、その事を確認出来たからかもしれない。


京都東山・大文字山山麓の路上に散る桜の花弁と鮮やかな樹々の新緑。2022年4月10日撮影

花から新緑へ。変化する春

さて、目当ての大桜を観て別路にて山を下る。運動とするには時間・負荷共に軽いものとなったが、3回目のワクチン接種からまだ日が浅いため、無理せず引き返すことにした。

そして、麓の山際辺りでは、写真の如く、地に降る花弁とは対照的な、鮮やかな新緑が輝いていたのである。

こうして、漸く訪れた春もまた、はやくも変化してゆくのであった。


京都東山・大文字山山中の古道脇の樹に括られたウクライナカラーの目印。2022年4月10日撮影

末筆ながら

最後になったが、山中でまた偶然見つけた、写真のウクライナ・カラーの紹介を……。

今回も、本当に全く偶然路傍で発見したもの。道標というより、何かの目印か。とまれ、過酷な状況にある同国への共感を忘れないようにしたい。

ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年04月06日

岡崎夜宴

京都岡崎公園グランド横・平安神宮前の夜桜。2022年4月6日撮影

3度目翌宵ながら……

昨日、新肺炎抗原接種を受けた。所謂「コロナワクチン」で、昨秋以来の、計3回目の接種となった。

国からの接種券は先月届いていたが、感染増加が鈍り、重症化や死亡の率も少ないことや、昨秋の2回目の際に副反応が出たため、思案していた。

しかし、医療関係者への聞き取り等の情報や諸事情を考慮し、やはり打つべし、との判断に至った。

それでも、比較的副反応が強いとされるモデルナ製ワクチンは避けるつもりだったが、近所の行きつけ医院に相談すると、今回も使用はファイザー製で、予約も空いているとのことだったので、すぐに押さえたのである。

報道等の情報ではファイザー製に人気が偏り、その接種が困難だと聞いており、相当時間がかかるとみていたが、こうして労なく済ませることが出来た。医院の話では、高齢者以外の接種予約が進んでいないという。

先日、床屋の大将から3回目接種の副反応で体調不良に苦しんだ話も聞いたが、二の足を踏んでいる人が多いようである。特に、休業補償のない自営や非正規の人なら当然であろう。

とまれ、この様に個人的3回目接種はあっさり済んだが、前回僅かならぬ副反応が出たので、警戒していると、やはり翌朝、つまり今朝、熱が出た。

37.5度の微熱で、数日続いた前回とは異なり昼頃下がったが、その後も風邪のようなダルさが続いた。

実は、今夜友人とちょっとした夜桜宴の約束があった。体調が悪ければ中止してもらう段取りであったが、気温も高く、近所だったので、向かうことにした。何より、市街近辺の満開は今日辺りまでとういうこともあり、「今夜しかない」との思いもあった。

さて、少々揺れる身を運んだ先は写真の岡崎公園。5年前に同地で催した際は、桜の大樹が並ぶ琵琶湖疏水沿いで行ったが、今回は照明や厠等の関係で「内陸側」で行った。

予報通り、夜が更けても気温は下がらず、快適な夜宴・花見が出来た。そんな好条件にもかかわらず人が少ないことを意外に思ったが(去年の同時期はやたら人が多かった)、蔓防規制も明け、飲食店の夜間営業も復活したので、皆そちらに流れているのかもしれない。

結局、最後まで体調は変わらず、また事後も悪化せず、年に1度の夜桜宴を無事、そして楽しく終えることが出来たのであった。友人諸々に感謝!


上掲写真 京都岡崎公園の夜桜。フラッシュ(閃光灯)なしの長時露光なので、実際はこれほど明るくないが……。

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2022年04月04日

鴨東満花

東山山麓の桜の名所「哲学の道」の端点・若王子(にゃくおうじ)付近で咲き誇る雪柳や桜。2022年4月4日撮影

コロナ・戦争止まぬも花期来る

コロナ拡大阻止を図る「蔓防」規制も先月で明けたが、結局感染者数は下げ止まりとなり、そして現地及び世界に甚大な影響を与える戦争も続く。

それでも、季節は確実に変じ、温和な気候と共に花の時期がやってきた。

京都市街中心にある京都地方気象台が先月24日に開花を宣言し(平年比2日早)、その後、同30日には満開も発表された(同5日早)。

そして、自宅がある市街東部でも昨日辺りから満開直前を実感出来る状況となった。今日は珍しく朝早く動く機会があったので、そのついでに付近の名所(賀茂川〈鴨川〉以東)をさっと確認してみることにした。


上掲写真 東山山麓の桜の名所「哲学の道」の端点・若王子(にゃくおうじ)付近で咲き誇る雪柳や桜。本来、京都市街では雪柳が先に満開となるので、同時に咲き進むのは珍しく思われた。


哲学の道・疏水分線沿いの満開の桜並木
前掲写真と同じく、先ずは「哲学の道」の桜から。東側に大文字山系が迫るため朝は陰が多く、更にここは若木が多い場所だが、それでも、疏水分線の両岸に花の並木が続き、華やぐ。その咲き具合は、正しく「満開」


京都蹴上のインクライン土手上から歩道を包み込むように咲く満開の桜。2022年4月4日撮影
続いて哲学の道同様、琵琶湖疏水関連の施設「インクライン」の桜。地名から「蹴上(けあげ)の桜」とも呼ばれる。嘗て使われた舟運軌道(インクライン)の土手上に圧巻的桜並木がある。ここも満開だが、何故か花弁が萎れ気味であった。乾燥か朝の陽当たりの悪さ等が影響しているのか


インクラインの土手上に続く軌道と両側の桜並木及び大勢の観覧者。2022年4月4日撮影
インクラインの土手上に続く軌道と両側の桜並木。平日月曜の朝にもかかわらず、既に大勢の観覧者で賑わっていた。さすがは人気の名所。哲学の道も週末は凄い人出となるが、今朝はこちらの圧勝か


京都市岡崎地区を流れる琵琶湖疏水沿いの桜並木と観光用十石舟。2022年4月4日撮影
続いて、琵琶湖疏水本線の下流側となる岡崎地区の桜。此岸の歩道や対岸の動物園・美術館等の文化施設の敷地縁に多くの桜が植えられており、名所化している。ここもまた満開。水面に浮かぶのは出発を待つ観光用十石舟。花も天気も絶好の条件なので、乗船客はさぞや満悦であろう


京都市岡崎地区を流れる琵琶湖疏水沿いの桜並木と走り去る観光用十石舟。2022年4月4日撮影
同じく岡崎地区の疏水沿いの桜。文化施設側は比較的大樹が多く、見応えがある。十石舟はその下を走り抜けていく


京都賀茂川(鴨川)沿いの満開の桜並木。2022年4月4日撮影
最後は賀茂川(鴨川)の桜。土手上に断続的に並木が続くが、他所には無い上下左右の広大な空間が魅力である。勿論ここも満開


川風に花弁舞う京都賀茂川(鴨川)の桜。2022年4月4日撮影
同じく賀茂川の桜。少し成長が早かったのか、この様に川風に花弁が舞い始めていた。まあ、「満つれば欠く」の理(ことわり)通りか。少々寂しいが、これもまた致し方なし

禍事早滅!

以上、これにて今朝の個人的花確認は終了。読者皆さんに対しては、諸々の不穏が片付かぬ中の一服の清涼剤、花だよりまで。世の理通り、禍事(まがごと)も早く勢いを減じますよう……。

悪疫退散、ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年03月23日

宇領遠説

衆議院議員会館内の国際会議場のスクリーンに現れたゼレンスキー・ウクライナ大統領と演説を待つ国会関係者

史上初の戦地演説

今日夕方18時よりウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン国会演説が行われた。

その意図と内容は、先月24日から始まったプーチン・ロシアによる同国侵略に対する日本の支援や加害側制裁に対する謝意表明と、支援継続及び反権威主義暴力への連帯を求めるものであった。

日本の憲政史上初とされる、外国元首による即時遠隔演説。しかも、近くは僅か15kmに敵が迫り、市中への爆撃が続く中での、約12分に及ぶ濃密かつ切実な訴えであった。

日本に先立ち、欧米やイスラエル等の国々でも同様の演説が行われたが、何れも肯定的な評価を得ていた。私は日本での開催打診の段階から気になっており、今日、衆院サイトの中継を視聴することにしたのである。

そして、今回の演説も、これまで同様、相手国に合わせた真摯で良く出来た内容が述べられ、無事の終了をみた。同時通訳の難しさに因り、一部判り難い箇所もあったが、概ね、その趣旨は理解出来たのである。

何より、一月近く切迫状況が続き、大統領自身もプーチンの放つ汚い暗殺の手をかわし続ける戦地から、直にその窮状を聞くことが出来て良かった。それは、声だけでなく氏の緊張や疲労の姿を見ることでも窺われた。

2019年の就任直後から内外の難題と共にコロナ禍に呑み込まれ、その後こんな大侵略に遭うとは、大統領の個人的状況としても同情を禁じ得ない。

最近では、そのゼレンスキー氏以下、政府や自治体、そして軍民の尽力により敵の停滞が伝えられているが、人的・物的被害は連日膨らんでおり、未だ予断許される状況ではない。どうか一刻も早くプーチン・ロシアとその一味の野望が頓挫し、ウクライナの国難が取り去られますよう……。

とまれ、今日の演説が前例を超えて実現し、無事完了したことを喜ばしく思う。そして、オンラインという、新しい「直接手段」による歴史的瞬間に立ち会え、これからの政治課題を再認識することが出来てよかった。

演説決定前には「紛争国一方のみに加担するな」や「国民に諮らず勝手なことをさせるな」等の門違いな反対もあったが、武力侵攻は明白な国際法違反で、国民の代表が集う国会で先にプーチンの侵略を認定し、非難決議をした上での実施のため、問題はあるまい。

何より、状況は一刻を争う。戦乱を少しでも早く終らせるため、弁舌という平和的手段を用いた抵抗を支援することは、現代日本の政治・外交方針とも合致して好ましい。ともかく、事態を好転させるため、ウクライナや他の協調国共々あらゆる方法を探り、実行せねばならない。

公敵退散、ウクライナと自由に栄光あれ!


衆議院による演説全文の仮翻訳はこちら


上掲写真 衆議院議員会館・国際会議場のスクリーンに現れたゼレンスキー宇国大統領と、演説を待つ国会関係者。衆議院公式サイトの中継動画を筆者が画像変換・調整加工。因みに、今日の表題の「遠説」は誤字ではなく「遠隔演説」の略。即ち、全体で「宇国統領遠隔演説」の略となる。

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2022年03月03日

宇国被寇

ウクライナ国旗(Flag_of_Ukraine).jpg
インターネット・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「ウクライナの国旗」頁掲載の、ウクライナ政府規定の意匠・色により作成されたパブリックドメイン(著作権係争の生じない著作物)画像を縮小利用

まさかの欧州侵略戦勃発

このサイトでは異例な今日の画像は、ここ最近一気に日本及び世界で知名度を上げたウクライナ国旗。存知の通り、先月2月24日、ロシア軍による全面的奇襲侵攻を受けて防戦苦闘中の当事国である。

早くから大規模な露軍の国境集結と侵攻の危険が欧米諸国から警告されていたが、まさかの事態が起こってしまった。攻撃の言い分は両国の直接的問題ではない宇国東部のロシア系独立勢力の保護で、そして真の目的であろう同国の中立と非武装化(つまりNATO加盟封殺)が後付けされていた。

結果、ウクライナ全土の防衛施設にミサイルや航空機による先制攻撃がかけられ、三方位(進軍は主に四方面)からの地上軍進攻が始まるという、真の目的完遂をむき出しにした全面戦争となった。

全く以て酷い話である。

差し迫った問題ではない「危機」を理由に難癖をつけ、大軍を以て国毎ねじ伏せようとする、正に弱い者いじめで、さながら彼の旧ソ連の独裁者・スターリンが戦前フィンランドに仕掛けた冬戦争の如き暴挙である。

こんな前近代的国家悪が21世紀の欧州で具現化されるとは信じ難かった。しかし現実は冷酷で、開戦以降、破壊される施設や傷つく人々の話が連日報じられることとなった。

希望ある新生国家襲う悲劇

ソ連崩壊を機に悲願の独立を果たして以来、新しい国づくりに励んできたウクライナ。地中海とも繋がる黒海に面した好立地や豊かな農・鉱業資源に恵まれるも、度重なる政変等によりその道程は苦難の連続であった。

私はウクライナを訪れたことはないが、その昔、幾つかの旧ソ連系共和国には行ったことがある。

各地共通したソ連型の街並みが残るなか、どの国も経済等の多くの問題を抱えながら手探りで独自かつ新しい歩みを進めていた。

その進展は緩慢で現実は厳しく思われたが、それでも、暗いイデオロギーの重しが去った空の下、皆思いおもいに自由な暮しを楽しんでいた姿を目にし、希望を感じさせてもらったものである。

そんな国の一つで、怪しい親ロ政権を何度も国民自決で倒し、更に欧州の一員としての発展を目指していたウクライナに汚い干渉の暴力が襲い掛かった。結果、折角築いた皆の暮しが瞬時に滅茶苦茶にされてしまった。

断じて許し難い行為であり、只々悔しく、同国には衷心からの同情を禁じ得ない。

露見したプーチン・ロシアの陰謀

これも全てプーチン・ロシアの所為。ロシアでも反戦運動が起こり、同国全てが悪ではないので、責任主体の政権名としてこう呼ばせてもらう(勿論「一応の選挙」を経た政権なので国民全てに責任が無い訳ではない)。

しかし、当初は露軍の圧倒的武力により2日で決着がつくとされたこの侵略は、ゼレンスキー宇国大統領の下で団結した人々の懸命の抵抗で、1週間を経ても未だプーチンの勝ちをみていない。それどころか、早期終結していれば判らなかった事実が当事者ではない我々の目にも明らかになった。

その一つが、以前から報告されていたように、虚言や数々の陰謀実行である(そもそも侵攻直前まで「攻撃意図はない」と虚偽発信)。「ウクライナ東部の係争地に進駐する」と言いつつ全土を攻撃、「市民や一般施設は攻撃しない」と言いつつ無差別爆撃、要人暗殺や都市攪乱を狙うスパイや所属を隠した特殊部隊の投入、そしてサイバー攻撃である。

これらの嘘や陰謀はウクライナ各地から発信された映像を含む情報により確定された。侵攻前後の大規模なサイバー攻撃は、こうした陰謀露見を封じるために行われたと思われるが、幸いその意図は完遂されなかった。

全く以て汚い手段満載の、凡そ現代国家とは思えぬ野蛮手法である。さすがは元カーゲーヴェー(KGB)諜報員のプーチン。G7等の国際政治の表舞台に接近しつつ、裏で謀略の限りを尽くしていたのである。思えば、クリミアの併合や東部独立派の件も住民に扮した特殊部隊を送り込むなど、同じ手法がとられており、ウクライナの主張に分があったことが判明した。

暗殺に関しても彼のオレンジ革命の盟主・ユシチェンコ元宇国大統領のダイオキシン中毒事件への関与も濃厚であろうし、それどころか、ナワリヌイ氏等の国内反体制派に対する毒殺未遂事件への関与も疑いないであろう。正に旧ソ連さながらの政敵抹殺手法である。

これらは全てプーチンがロシアの国政を掌握した2000年から今に至るまでに起こった出来事である(それ以前の疑惑もあり)。そう考えると、当初はグルジア(現名ジョージア)が悪者にされた同国とロシアとの戦争(2008年)も、政治的背景や経緯が似ており(グルジアが国内独立派及びそれを支援するロシアと衝突)、プーチン政権の陰謀が濃厚となる。

サイバー攻撃についても、以前から欧米等に対するものが問題になっており、取締りを求めるも、白を切るばかりだったが、やはり相手国の情報を遮断・攪乱するための国家的犯罪・兵器であることが明白となった。

プーチンの最終目標

そして、それらの謀略を用いて達成されるべき、プーチン・ロシアの最終目標も露見した。それは、自国周辺の安全圏の構築と汎ロシア的民族(ロシア・白ロシア・ウクライナ)の統合である(プーチンはウクライナ東部の2地域に対する独立承認の際に、旧ソ連の共和国自治を批判し、ロシアとウクライナ等との領土同一を説く演説を行っている)。

その目的により、欧州最後の独裁者と呼ばれるルカシェンコが統治し、ロシア前衛地帯中央に位置するルカシェンコ・ベラルーシ(白ロシア)を生き永らえさせ、今前衛南部のウクライナの無力化を図っているのである。

そう考えると、次はロシア前衛北部に当たるバルト三国が危ない。

そして、最終的には前衛北端のフィンランドや、大油田とそのパイプラインがあり小アジアや中東との回廊となるグルジアとアゼルバイジャン、ロシア中央下部と長大な国境線で接するカザフスタン、シベリアの要衝イルクーツクと中国との緩衝地帯となるモンゴル等を押さえる筈である。

そういえば、2010年頃、フィンランドの隣国スウェーデンの友人が「近々ロシアが攻めてくるかもしれない」と話していたことを思い出した。

当時は他の友人共々杞憂に過ぎるのではないかと笑ったが、歴史的に周辺大国の動向に敏感な北欧ではプーチンの悪辣を見抜いていたのかもしれない。その後スウェーデンは一旦廃止していた徴兵制を復活させた。それには、友人が話した憂慮や、2014年のクリミア侵略が影響したとみられる。

北方領土交渉の無駄思い知る

今回の侵略で遂に馬脚を露したプーチン。

正に同様の利己的国土強大化を進めたスターリンの再来か(または自治否定なので旧ロシア皇帝の復活か)。思えば、プーチンの忠実な渉外担当ラブロフも、同じくスターリンに忠実だった旧ソ外相モロトフと似ている。

スターリン・モロトフコンビといえば、不可侵条約を破り、宣戦布告の連絡を妨害して満州・樺太等を奇襲し、結果20万人以上とされる邦人死亡者を生んだ惨事の首謀者である。ラブロフもまたプーチン同様、ウクライナ侵攻の前に世界を欺き、そして同じく核使用の脅しを発している。

こんな陰険侵略者コンビに対し、日本は長年多大な労力や費用をかけて北方領土交渉を行っていたのである。

私は当初から彼らが、大きな代償を得ずに島を返すつもりはないと確信していた。何故なら、交渉の度にラブロフが「四島占拠は大戦の結果であり、その事実を受け入れよ」と内外に発していたからである。

つまり「力で得たものは力でしか戻せない」という、日本側主張に対する明確な否定・拒否が一貫して主張されていたのである。

プーチンの「異常」と危険性
ウクライナに栄光あれ


しかし、この20年以上プーチン・ロシアが巧みに事を進めたにも関わらず、ここにきて全て露見させるとは稚拙を感じずにはいられない。彼らは今回の侵略で一線を越えたとされるが、更に核使用をほのめかして「二線」をも越すなどの粗雑ぶりも見せている。

予想外の長期戦や非難・制裁の嵐で焦っているのか。また、旧ロシア皇帝の金ぴか宮殿で長年ふんぞり返っているから勘違いでも起こし始めたか。

欧米の外交・軍事関係者らによると、近年プーチンの性格が変わり、精神異常の可能性も疑われているという。もしそれが本当なら、絶大な権限と大量の核兵器を握っているだけに大変危険な状況といえる。

だが、世界はこんな前時代的蛮行と妥協してはならない。安易な妥協が新たな侵略と被害を生むことはこれまでの歴史が証明済である。そして一刻も早くプーチンの野望が挫かれウクライナの状況が改善されますように。

コロナ等々で遠い極東に封じられ、実際的支援が出来ないのが至極悔しいが、この一文を以て細やかながら応援の意を表したい。どうか、現政体と共に、一人でも多くの人々が生きながらえますよう……。

ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年02月03日

疫祭節分

吉田社本殿前の舞殿内に特設された棚上に並べられる神饌や榊等。2022年2月3日撮影

オミクロン隆盛下の節分

新年1月が過ぎ、2月に入って程なくやって来るのが節分。

存知の通り、それは立春前日の画期。二十四節気上、または東亜気象上の、春到来の前夜祭・大晦日的祭日である。

事実、旧正月はこれに影響されて設定されている。聖誕節前の冬至辺りを春到来として祝う西洋暦とは異なる、正に東亜特有の節日といえよう。

とはいえ、節気的には「大寒」の後であり、春直前とはいえ寒さ厳しい頃。実際、今日も京都市街中心地では最低気温は0度近く、最高気温は10度に届かない程であった。

それでも、確実に日は長くなり、雲間から射す午後の陽にこれまでとは違う力を感じるなど、春の接近を感じさせる一日となった……。

と、ここまではめでたい話だったが、またしてもコロナ禍の再拡大。更に今回は感染力に長けたオミクロン株の流行により、ここ京都でも蔓延防止措置が再出されるなど、混乱と沈滞が再来してしまった。

不謹慎の物言いながら、流行前の去年末に「オミクロン祭は必至」と人に話していたが、残念ながらその通りになった。素人でも予見出来る事態が、また施策不備の所為で繰り返されてしまったのである。

結果、一日で10万人近い新規感染者を出すなど、海外の感染爆発を想わせる悪夢のような数字を日々見聞する状況に。そして、日々の重症者も1000人、同死者数も100人に迫るなど、被害も深刻化した。

そのため、本来なら本日各寺社で催される節分行事が中止されるなどの影響が出た。自宅近くの吉田神社でも進行等に影響が出たが、一応恒例著名な節分祭と火炉祭は行われることとなった。

故に、こちらも例年通り火炉祭で燃してもらう注連飾り等を預ける為に夕刻出掛けることにした。勿論、感染防止には十分留意の上である。


上掲写真 吉田社本殿前の舞殿内に特設された棚上に並べられる神饌等。古来、神祇の力共々、米や酒、榊等の見えざる力が期待されたように、なんとか疫病抑止の手法が出現して欲しいものである。


吉田神社の節分祭・火炉祭当日ながら、人が少ない吉田山(神楽岡)東の「峠道」。2022年2月3日撮影
吉田社境内には吉田山(神楽岡)東裏から、ちょっとした峠越えをして入る。言わば裏口的道程だが、例年節分祭の時は往来が多くなる。しかし今日はこの通りの閑散。やはり皆オミクロンの猛威に恐れをなしたのか……


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず賑わう京都・吉田神社大元宮。2022年2月3日撮影
節分祭で特別公開される吉田神社大元宮と参拝者

意外の状況に危惧

そう思いきや、最初に現れる山上の大元宮には列を成す程の人出があった。近所ではない遠来の参拝者か。まあ吉田節分祭は市内では著名なので、他県・国外に限らず、周辺から多く人が集まるものではあるが……。


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず賑わう京都・吉田神社の大元宮・本殿間の露店。2022年2月3日撮影
こちらは吉田社・大元宮から本殿地区に続く参道の様子。飲食を含めた露店が数多並び、多くの人が行き交っていた。マスクをしている人が殆どだが、店内座席でのマスク会食見られず、持込酒で宴会をしている外国人すら見られた。うーん、大丈夫なのであろうか……


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず参拝者で賑わう京都・吉田神社本殿前。2022年2月3日撮影

そして様々な露店が続き賑わう境内路を下り、本殿地区に至る。最初に火炉の受付に注連縄等を渡し、本日の要件を済ませた。

例年、注連飾りはそのまま預かってもらえたが、今年は蜜柑を外すように言われる。残灰を引き取る京都市の意向と言うが、不燃物や有害物でもないのに、いったい何が不都合なのであろうか。

その後本殿に参拝しようとするも、人が多く、並ぶことに。写真は参拝後に撮った本殿前の様子だが、偶々一瞬空いた時のもので、実際はもっと人が多かった。一応手前の舞殿前に並ばず参拝出来る臨時参拝所が設けられていたが、案内はなく、気づいたのは本殿前まで来た時であった。

また列は懸賞付の福豆販売にも出来ており、何れも距離を開けるなどの指示は無し。今朝オミクロン株はサージカルマスクをしても50cmの距離で感染するとの報道を聞いたが、正にその様な危険に短時ならず身を置く結果となった。個人での注意は当然だが主催者も責任を果たすべきであろう。

後悔――。

注連縄を納めた後すぐに帰ればよかった。見回せば、近接しているのに話を止めない輩の他、何かと浮かれた者が多く、寒さとコロナで逼塞していた憂さ晴らしに方々から集まってきたように思われた。


オミクロン・コロナの流行にもかかわらず参拝者で賑わう京都・吉田神社鳥居と犇めく節分祭の露店。2022年2月3日撮影
吉田神社表参道(本殿地区西麓)の露店と人出は更に多かった。危険につき、これ以上近寄らず。恐らく、まだ夕方なので、夕食後辺りの時間からの更なる混雑が見込まれた

正月の飾り類を燃してくれる都市では貴重な「左義長どんど焼き」的な吉田節分祭及びその火炉祭。今年も無事参拝共々果たせて有難い限りなのだが、今後の状況を案じさせられるものともなったのである。

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2022年01月21日

大寒雪後

雪の重みで竹垣に倒れかかる庭の南天。雪が止み、少し積雪が融けた2022年1月21日午前10時半頃撮影

不意の大雪

前夜、特段冷えると思えば、深夜から雪が積もり始めた。

本来なら暗闇に沈む庭底が白光する様に感じ入ったが、夜のみの奇特かと思い特に気に留めなかった。ここ京都市街では、雪が積もっても、すぐに消え去ることが多いためである。

しかし、今朝は違った。明るくなり始めた朝7時過ぎには更に雪が厚くなっており、剰(あまつさ)え、大粒の雪さえ降り続いていたのである。

目測ではその積雪は15cm程もあった。北国や山間の人にとっては大した量ではないが、ここでは「大雪」とされる状況である。

先週も降雪の注意が報じられたあと雪が積もったが、その時は市東部の自宅辺りでは薄っすら程度しかなかった(市中心部は8cmを計測)。

今回はあまり大雪への警戒を聞かなかったので、何やら不意を喰らった気分となったのである。


上掲写真 雪の重みで竹垣に倒れかかる庭の南天。降雪が止み、少し雪が融けた午前10時半頃撮影。それでも、ここら辺では多量といえた。


火床が雪で白くなった大文字山や屋根に雪載る麓の家々。2022年1月21日午後撮影

寒さの底「大寒」らしき一日

報道によると、今朝8時前に大雪警報が出されたらしい。夜中からかなり降っていた筈なので、これでは後出しじゃんけんのようである。

朝目覚めて忽然と大雪状況が現れたなら、通勤・通学の人らもさぞや混乱したであろう。気象台や報道も、もう少し早く、そして精度よく知らせてほしいものである。

とまれ、今回は積雪14cmと発表され、5年ぶりの10cm超の「大雪」となった。ちょうど暦の上(二十四節気)では昨日20日は年中で最も寒いとされる「大寒」であり、それを裏付けるような状況となったのである。

まあ、「今季は寒く、雪も多い」とした、昨秋の長期予報が当ったともいえるが……。

折角なので、諸々の区切りがついた午後、近所の丘上から5年ぶりの大雪の様子を見ることにした。しかし、完全に出遅れてしまった。なんと、昼までほぼ残っていた雪が、正午過ぎから一気に融け始めた為である。

気温は結局このあと6度までしか上がらず、すぐに融ける状況ではなかったが、やはり、これも京盆地特有の事情によるのか……。

写真は大文字山及びその山麓の様子。家々の屋根の上に雪が載り、五山送り火の火床(山の中央上部、三角に禿げた場所)に白く雪がついているが、今朝は更に有ったとみられる。


真如堂裏の高台から見た雪の京都左京市街。2022年1月21日撮影
こちらは高台より北方を見たもの。未だ多量の雪を擁す筈の奥の北山(丹波高地)は、未だ雪が降っているのか、白けて全く見えなかった


雪を戴く京都真如堂・三重塔。2022年1月21日撮影
高台上に立つ真如堂(真正極楽寺)の三重塔もこの通り

寒さの底、大寒――。

大雪はすぐに減じたとはいえ、今日は、久々に本来的な京の冬風情を感じた一日となった。

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2022年01月01日

続防護詣

平安神宮・外拝殿(大極殿)前庭に置かれたスクリーンに映し出された感染防止の案内やマスク姿の参拝客。2022年1月1日午後撮影

今年もまた……

はや令和四年の歳が明ける。ワクチン接種の進展により旧年中にコロナ禍も収まることが期待されたが、結局、一旦小康を得たものの、世界が振り回される状況が、あろうことか、また新年にまで持ち越された。

幸い日本では感染拡大が突如秋に減退し、今のところ制限の少ない状況が続いているが、海外での再拡大や変異株上陸により予断許さぬ状況となっている。また、年末の人出に見る通り、人々の気の緩みも案じられた。

一個人、一庶民としてはどうしようもないが、とまれ元日の今日午後、恒例の平安神宮初詣に向かう。感染力が高いというオミクロン株が懸念されるが、午前の報道では比較的空いていたように見えた。果たして……。


上掲写真 平安神宮外拝殿(大極殿)前に置かれたモニターに映し出される感染防止の案内やマスク姿の参拝客。コロナ禍三歳の年初風景である。


平安神宮前の参道越しに見える雪を纏う比叡山。2022年1月1日午後撮影
令和四年の元日は最高気温5度という実に正月らしい寒さとなった。空模様も重く、今にも雪が舞いそうな程で、平安神宮前の参道越しに珍しく叡山(比叡山)の白い姿が見られた。それにしても、既にこの辺りで人が多い


両側に露店並ぶ平安神宮応天門前参道の大勢の参拝客。2022年1月1日撮影
両側に露店並ぶ平安神宮応天門前の参道に入ると、この通りの人出であった。行き交う人も多いが露店に並ぶ人も、また数知れず。最近流行っているのか、昔懐かしいベビーカステラには100m程もの列さえ出来ていた


平安神宮・応天門から見た外拝殿(大極殿)等の境内と大勢の参拝客。2022年1月1日午後撮影
そして平安神宮正門の応天門をくぐって境内に入ると、やはり人が多かった。昨年とは大きな違いである


平安神宮・外拝殿(大極殿)内の混雑と、その下で待たされる大勢の参拝客。2022年1月1日午後撮影
更に進んで外拝殿前の状況。賽銭桶がある拝殿内に人が溢れているため拝殿下の列が進まず混み合う。一応、皆マスクはしているが、こうなればソーシャルディスタンス(人間距離)も何もあったものではない。コロナ前と比べても酷く、寒中の待機に耐えられず参拝を諦める人の姿も見られた。警備員の数や誘導の少なさも、この混乱に影響していると思われた


寒空の下、平安神宮・外拝殿(大極殿)下で待たされる参拝客の密集具合。2022年1月1日午後撮影
寒空の下、平安神宮外拝殿(大極殿)下で待たされる参拝客の密集のさま

NO MORE 緊急事態!

このように、今年の平安神宮は昨年正月に比べ大幅に人が増えていた。

ワクチン接種前、かつ第2回緊急事態宣言の前夜的状況であった前回に比して状況は悪しからず、また全員マスクを着用するなど対策も浸透していたが、さすがに良い状況とは思えないものがあった。

個人的には、今日もしくは午後の参拝を中止すべきだったと後悔した。この様な状況は神社に限らず、今日一日、初売会場等の全国様々な場所で生じたであろう。年初に不穏を記したくないが、やはり先を案じてしまう。

今年こそは、また緊急事態の繰り返しになりませんように!

とまれ、そんなこんなで今年も遺憾ながら昨年同様の調子となったが、皆さん、どうぞ宜しく……。

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2021年11月19日

稀少月食

京都東山の大文字山上空で鈍く光る、深い部分月食中の赤黒い満月。

闇に現る無情の異形

今日夕方――、といっても、この時季は夜同様に暗いが、書斎で作業中に少々外が騒がしいことに気づいた。

遮光幕がある窓越しなので見た訳ではないが、どうやら向かいの家の露台でその家の子供が外を眺めているようである。

日没後は気温も下がり、窓を開けて外を観る状況ではなかったが、何事であろう。そんな、いつもと異なる動きに怪訝を感じながら、程なく……。

そう、今日は珍しい月食が観られる日であった――。

こうして、特別な天文現象の事を漸く思い出したが、時は既に18時20分。食の最大は18時3分なので、かなり過ぎてしまった。

それでも、すぐにカメラを持ち、外にて撮影したのが、上掲の京都東山、即ち大文字山山上で鈍く光る異形の満月であった。

前情報通り、それは大半を地球の影に覆われた赤黒い月であったが、食を受けない場所が膨張して見えるため、意外と食の最大状態と変わらないように感じられた。

なお、今日の月食は、所謂皆既ではなく、部分月食。ただ、97.8%が影に入るという、「ほぼ皆既」の部分食で、天文界では「大変深い」と表現される珍しい月食であった。

意外にもそうした深い部分月食は皆既月食より稀少で、国立天文台によると、皆既月食が今年5月と来年5月にあるよう数年毎に現れるのに対し、深い部分月食(全国で最大食が観られる条件)は、前回なら140年前の明治14(1881)年、次回なら65年後の2086年になるという低頻度であった。

そうなると、年齢的に私は次のそれを観ることはほぼ不可能となる(まあ今回も結局最大食は見逃したが……)。そんな、人の一生と天体現象との関わりについては以前日食の際にここでも記したが、やはり、なにか時の無情や人世(じんせい)の儚さの如きを感じずにはいられない。


天候の関係で西日本では比較的良く観察出来たというこの稀少月食。観察が叶った皆さんは、果たしてどの様に感じられたであろうか。


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2021年11月14日

小康婚儀

京都市街の教会玄関

コロナ小康の秋
漸く開かれた慶事


夏の終りに突如勢いを失くし、小康の秋を迎えたコロナ禍。原因も判らず所謂「ピークアウト」したので、制限緩和後すぐに第6波が来ると思われたが、意外とその小寧が継続していた。

まあ、抗原接種の先進地・欧州等でまた感染が急増してきたので、日本だけこのまま終るとは思い難く、近々また第6波に見舞われるであろうが、一先ずは喜ばしい。

そんな、まだ気を抜けぬが、比較的人心平穏となった秋一日(いちじつ)の今日。京都市街某所で友人の婚儀が行われ、臨席することとなった。


上掲写真 友人の婚儀「人前式」が行われた京都市街某所の教会。


京都の教会中庭でフラワーシャワーの祝福をうける新郎新婦
教会内での人前式のあと、中庭で参列者からフラワーシャワーと呼ばれる祝福の生花弁を受ける新郎新婦(即ち友人夫妻)

本来は、こうした既製式典への出席はしないのであるが、新郎友人たっての要望もあり臨席することに。また、その友人自体が元来式典にこだわらず、招待者も厳選した等の事情も影響した。

元より、夫妻共々、我が平会(ひらかい)湖会(うみかい)野営会等の常連で、交際当初から懇意にしており(新郎とは交友15年)、近年では新居の古民家改装を支援するという仲でもあった。

しかし、実は本来この婚儀は今春予定されていたもの。コロナ感染拡大による緊急事態宣言の再発出により2度の延期を経て漸くの開催となった。

また、延期中も様々な難儀があり、一時は二人ともかなり参っていた様子だったが、何とか年内の開催が実現出来て何よりであった。

一先ずは喜ばしい限り――。

そして待望のその式は午前に教会内で行われたが、牧師が立ち会うものではなく参列者に婚姻とその永続を誓う「人前式」という形式で行われた。

個人的に初めて見た形式だが、宗教性を排したものらしく、21世紀の今、令和の日本らしい礼式と感じられた。長く人類にお決まりだった神佛の類を持ち出さなくとも婚儀の体裁が整うことを示す、画期的な形式である。


披露宴会場のテーブルに並ぶ食器類と、除菌ティッシュやアルコールスプレー等のコロナ対策品

コロナ厳戒の披露宴

式のあとは中庭にて記念撮影等が行われ、その後、近くの披露宴会場に案内されて飲食を伴う宴席となった。コロナ禍に於いては最も危惧される場面で、感染拡大中はこれを憚り、式自体が延期された観があった。

だが、今回は幸い感染小康の時期で、制限も解かれたという好機。しかしながら、当然警戒はすべきなので、会場の様々な場所や場面で感染対策の用意・実施がみられた。

例えば、写真にある会場の卓。私の名が付された招待席だが、除菌ティッシュ(左端)やマスクケース(中央上の横長の紙)にアルコールスプレー(奥の黒いボトル)等が用意され、隣席との間には透明板の仕切りも設置されていた。

また、行動的対策としては、シャンパン乾杯の際に全員マスクを外し黙って乾杯することが案内されるなどした。準備側も参列者も面倒だが、安全に式を行うためには致し方あるまい。


友人披露宴で出されたデザートのケーキやアイスクリーム
友人披露宴で供されたデザートのケーキやアイスクリーム。この後、珈琲及び紅茶を再度頂き、本日の婚儀は全て終了に

手作り感ある良き婚儀
感謝、そして祝福!


披露宴にも当然進行があり、ケーキ入刀やビデオ上映等の余興も行われたが、その間隙を利用して新郎新婦と挨拶を交わす。二人共非常に喜んでくれたので(本来現れないような者が来たためか。笑)、少しは役に立てたように感じられ、何よりに思った。

また、婚儀自体も基本既製に則したものではあったが、その中にも、二人の意思や好み反映した手作り感が随所に添えられた良い集いだと感じられた。勿論、山海の幸を用いた数々の料理や飲料も美味しく頂けた。

とまれ、お二人共々おめでとう、そしてお疲れ様でした。良き慶事へのご招待に感謝。どうか、お幸せに!

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2021年10月20日

猟夫名月

南禅寺境内の樹々の間から覗く、2021年10月20日の満月

名の無き名月

陽が沈み、辺りがすっかり暗くなった頃、用のため自転車で出掛けた。

暗い南禅寺境内に続く公道を抜けゆくと、寺の要部と外を隔てる中門前にて東山山上に現れた月を目にした。

そう、今日は満月であった。ひとけのない境内只中で独り立ち止まり、暫し眺める。写真の通り雲が多いが、冷涼・澄んだ秋の気に映えて美しい。

そういえば、この頃の満月には何故か名前がない。先月の「十五夜」に対する名称のことである。丁度、今年の今日は旧暦9月15日なので、秋二度目の「後十五夜」等としても良さそうであるが……。

ただ、2日前の旧13日は、所謂「十三夜」として、昔から「栗名月」や「豆名月」等と呼ばれ尊重されている。満月でもないにも拘らず不思議な気もするが、元来農事に由来することらしいので仕方あるまいか。

しかし、北米でこの満月を「ハンターズムーン」と呼ぶことを最近諸媒体で紹介されるようになった。なんでも、この頃を肥え太った秋の獣を狩る適期とした先住民文化が由来という。ひょっとすると、そんな好機で夜も明るい為、夜行性動物を狩り易いという意味もあるかもしれない。

とまれ、そのカナ名は「十五夜」等とは語感も地理も遠く隔たる異郷の名称。昔から自然現象に敏感な日本に名が無いのは至極残念に思われた。

目立つ存在で、まだ月見には良い季節なので、恐らくは古い時代や地方には名があったと思われるのだが、如何であろうか。

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2021年10月17日

神苑夕虹

平安神宮・神楽殿前の白砂上に長く伸びる撮影者の陰

突然の季節画期

10月中旬というのに連日30度前後の夏日・真夏日が続いていた京都市街。

ところが、今日いきなり昼でも20度に届かない寒気に呑まれることとなった。先月末行った高地行の気分も抜けず、まだまだ夏山的高山行も可能な気すらしていたが、遂に気温低下、即ち秋到来を実感することとなった。

そんな、季節の画期となった今夕。高地行で壊れたカメラの代品試験を兼ねて自宅近隣を歩いた。劇場や美術館等がある文化地区・岡崎(左京区。市街東部)では、久々の参拝増加に誘われ、平安神宮にも立ち寄る。

写真は、そこでの一写。本殿横の殿舎等を試験撮影していたら、自分の陰が途轍もなく伸びていることに気づき、面白味を感じて撮った。

これも、諸物密集気味で狭い京都市街に於いて、例外的に空隙広い境内を持つ平安神宮ならではのことか……。


平安神宮・神楽殿の緑の鴟尾上にかかる虹
などと思いながら、美麗な緑釉鴟尾(しび)を見上げると、上空に微かな虹を見つけた。そういえば、寒気の所為か、先程から雲間の日射と微雨が混在する複雑な天候が続いており、それが虹の出現を促したようである


2021年10月17日夕方に撮影した平安神宮・神楽殿上の巨大な虹
初め微かだった虹は、見る間に明瞭かつ長大となり、この通り境内を跨ぐ光輪の如き姿となった。それに気づいた他の参拝客らも、歓声と共に次々撮影等に興じる

大虹や過去との奇遇に感じ入る

あとで知ったところ、この虹は境内の規模を遥かに超え、京盆地東の市街を南北に跨ぐ巨大なものだったという。その特異さから、地元紙・京都新聞も本社屋上からその姿を撮影し記事にして紹介した。

また、これもあとで知ったことによる余談だが、虹下の殿舎「神楽殿」は結婚式場となっているらしく、以前から同じ役割だとすると、その昔、両親が挙式した場所となる。

即ち、既に母の胎内にいたという自分も関係した場所であった。虹のことは偶然にしろ、その美しさ・珍しさ共々、生まれ育った地元ならではの奇遇に、少なからず感じ入ることとなった。

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2021年09月19日

続漸受抗原

北アルプス鏡平付近の1/25000地形図上に置かれた副反応熱37.5度を示す体温計

ワクチン接種完了翌日

先月28日に不意に受けることが叶ったコロナワクチン。その時記した通り、紆余曲折あった末で、特に熱望した訳でもなく、懸念もあったが、無事1回目を済ますことが出来た。

そして昨日、その3週後に行われる2回目、つまり接種完了の注射を受けた。前回と同じく、馴染みの近隣医院にて、これまた馴染みの病院長氏により実施された。

結果は、前回あれほど痛かった接種が嘘のように、何事でもない一瞬に終った。やはり、前回周囲の人らが指摘したように、1回目の痛さは、院長氏の腕前に因るのか(笑)。

更に前回注射直後に感じた、薬液が接種部に染み渡るような感覚もなかった。ただ、接種直後から微かに息切れというか、ダルさを感じた。

それでも思考や行動に問題はないので、待機時間後の問診に異常なしと答え、許可を得て帰宅した。

その後、一応、今日一日の安静を言い渡されていたので、近隣以外は出かけることはなかったが、家では結構忙しく用をこなすなどして過ごした。

そうして、当初感じ、その後も続いていた微かな息切れやダルさのことは、いつしか気にならない(敢えて気にしない)ようになっていた。

ところが……。


まさかの事と予定頓挫

接種翌日の今朝、不調を感じて額に手を当てると、何やら熱い。念のため温度計で計測すると、何と37度以上の熱があった。

いつもは寝つきが良い方であるが、前夜何故か寝難かったという理由が判明した。どうやら、ワクチンの副反応が出たようである。

前回全く問題が無く、ワクチン種も比較的副反応が少ないファイザー製だったため、高を括るっていたが、見事当ってしまったようであった。

参った。実は今日山行に出掛けようと思っていたのである。山入りは明朝で、今日は麓で前泊する予定だったが、中止せざるを得なくなった。

折角準備を重ね、シルバーウイークの混雑期をぬった、絶好の日取りと天候だったのに……。残念この上ない。

家事が出来るくらいの軽症ではあったが、「激しい運動」とされる登山は憚られるため中止とし、仕方なく関係者への連絡を済ませた。

親類・知人らには、元々接種直後の行動計画に呆れられ、自分の前調査でも一週程は大人しくした方が良いとは知っていたが、前回影響がなかったことと、ワクチンの説明書自体に、激しい運動を控えるのは当日のみ、とあったことから、2日後なら問題ないと踏んでいたのであった。

そうした事情もあり、まさかの副反応に驚いたが、何より、夏休みを兼ねた年一回の演習行が潰えたことに落胆した。

本来は時期的に接種前に行きたかったが、荒天が続き、また下山遅延等による接種不能を恐れて今日に設定していた。正に、ここでもコロナに振り回される有様となった。

致し方ないこととはいえ、丁度観られた筈の、高地の名月や好天の絶景等々を想い、恨み言の尽きない一日となった(何やら、大昔流行った「夏をあきらめて」という歌謡の歌詞を地で行くような心地か……自嘲)。


上掲写真 中止となった山行用の1/25000地形図上に放ち置かれた、副反応熱37.5度を示す体温計。


接種2日後追記

翌日、即ち接種後2日経った朝、熱は下がったが、やはり微かな息切れやダルさが続く。医療関係の知人などからも昨日程度の状態なら翌日には良くなるとの助言を聞いたが、熱だけが下がったような状態であった。

仕方なく、今日も一日大人しく過ごすこととする。そして、その不調を裏付けるかの如く、夜からまた37度を超す熱が出た。結果的に、油断せず、静かにしておいて正解であった。

接種3日後追記

接種3日後の朝にはまた熱が下がっていたが、昨日同様、若干の不調を保ったままであった。何か、数字的な熱はないが、身体の深部にそれが潜んでいる感じである。

そういえば、接種1日後辺りからあった、腿のリンパ節の微かな違和感も時折感じられた。そして夕方、37度弱までだが、また熱が上昇した。

接種4日後&5日後追記

両日とも全日熱はなかったが、いまいちすっきりしない感じであった。無理すると、何かが起こるような予感さえする状況である。

しかし、軽微とはいえこんなに後を引くとは中々の困り物である。ファイザー製を含む現在日本で主流のワクチンは、伝統的な生体利用ではなく人工合成された新薬なので、身体がその未知に迷っているのであろうか。


そして、結局、接種後6日目で漸く元の体調に復した。それまでにも、一応普段の生活が出来たとはいえ、こんなに長く影響が出るとは予想外であり、少々驚かされた。

やはり1週間は安静にすべきとの噂(シンガポール等では政府が推奨しているとのこと)は本当だったのか。それなら、配布されているワクチンの説明書をそう改めるべきであり、接種当日以外の安静期間中に仕事や運動で死んだり治療したりした人に対して補償を行うべきであろう。

ともあれ、私自身に関しては、これにて落着し、以後何も起こらないことを願うばかり……。

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2021年09月05日

暑秋水夢

飛石上から撮影した2021年9月5日夕方の賀茂川(鴨川)の流れ

雨後の、らしからぬ秋空

京都市街では9月に入ってまた天気が悪い日が続き、5日目となった今日、漸く晴れ間を見た。

とはいえ、写真の如く、夕方になっても雲が多めで、すっきりとした天候回復を感じるにはまだ時間がかかりそうな気配である。しかも、気温だけまた真夏日に戻り、秋を感じることも儘ならぬ状況であった。

まあ、天気が悪いのは秋雨時期故に仕方ないが、せめて気温だけでも下がって欲しいものである。などと思いつつ、夕方涼を求め賀茂河畔を歩く。

新型肺炎の流行第5波に因り遠出が憚られる所為か、写真では判り難いが、河畔には実に多くの人の姿があった。なかには、人が集中しがちな橋のたもとや飛石辺りで、家族連れなどが「密」になるような様子も見られた。

外故に、暑さ故に油断し易いのか……。

そこには、水着姿の子供の姿さえ。同情はするが、時期が時期だけに、また、遊泳に適した水質が保証された場ではないため、少々憂慮を感じた。


上掲写真 夕方の京都市街只中を滔々と流れゆく賀茂川(鴨川)の水。川面を横切る飛石上より上流を向き撮影。上空には秋らしい鱗雲(鰯雲・羊雲)が見えるが、今日の最高気温は真夏日気温の32度。湿度もあり、夕方でもかなりの暑さを維持していたため、見た目との相違が感じられた。


賀茂川河岸の白川放水路の暗渠から吐き出された大量の白川砂

賀茂川に銘砂の浜?

しかし、今年の夏も暑かったが、それ以上に、よく雨が降ったという印象の強い時季であった。そんなことを考えつつ上流に向かい歩いていると、ふと対岸の「浜辺」が目に入った。

それは、写真の如く、河岸の暗渠から吐き出された大量の白砂であった。実は、この暗渠は自宅近くの京都市街東部を南流する「白川」の洪水を防ぐために銀閣寺西麓付近の同川から地下経由で通された放水路であった。

白川は、元来その南部で琵琶湖疏水と混ざりつつ賀茂川にも放たれるが、この放水路は増水時に山から近い場所で逸早く一部の水を賀茂川に自動放流し、下流の溢水を防ぐ役割を有していた。

完成は平成20(2008)年で、当初からその存在を知っていたが、これほどの土砂堆積は見たことがなかった。それほど、今夏は雨が降り、また洪水の危機があった、ということなのか……。


賀茂川河岸に口を開ける白川放水路付近に形成された白川砂の長浜
賀茂川河岸に口を開ける白川放水路付近に形成された白川砂の浜

今夏の多雨で賀茂川に堆積した大量の白砂。撤去が必要な邪魔者に感じられるかもしれないが、実はその正体は、彼の天下の花崗岩銘石「白川石」に関連する「白川砂」であった。

白川石の細片たる白川砂は、同石と同じく白川上流の山間に産する特産品で、古来より京文化を支えた重要な産物である。つまり、京都の著名社寺の敷石や枯山水庭園等に使われる、あの白砂そのものであった。

しかし、そんな伝統文化と関係深い存在ながら、現在では白川石同様現地での採取が禁じられているため、大変貴重な存在でもあった。

賀茂川水浴場化計画

本来なら庭砂に持って帰りたいくらいだが、奇しくもこんな貴重で清げな浜が出現したのなら、これを活かせば良いのではないかと思った。

子供を始めとする、市民のための公認水遊び場として、である。実は15年程前から賀茂川の水浴地化を考えていた。水質を水浴場並に改良し、水泳を含む水遊びや避暑のための場を河川全体に創出するのである。

即ち、現状殆ど眺め憩うだけの存在から、その流れ自体を積極的に使う、河川利用の転換であった。

それは、高温が問題になる昨今の状況への対策にもなろうし、燃料・電力を使って遠出することも減らせよう。何より、毎年街なかに水浴場(場所により水泳場)が開かれるのは、想像するだけでも楽し気である。

また、150万都市の只中を流れる川で安心して水浴が出来れば、世界的にも珍しく、京都の魅力・評判を更に向上させるものになるのではないか。

実現は難しいように思われるかもしれないが、この辺りを含む賀茂川北部流域では下水道普及がかなり進んでおり、例えば「丸太町通以北」等の指定地を決め、その区間の整備を強化すれば比較的迅速・低予算で水浴場水質を確保できると思われる(今後の雨水分離施工の進展等も追い風に)。

付属施設等も同様で、指定区間に脱衣所付トイレを少し増やしたり、既存トイレに脱衣所を足すなどすれば良いと思われる。また、毎朝水質・水量・天候等を確認し、現地には旗や電光掲示、遠方にはインターネット上で水浴の可不可や注意を示すなど、その運営も比較的簡易に行えよう。

しかし一番の問題は賀茂川を取り巻く二重行政かもしれない(笑)。実は、賀茂川は河川敷を京都府、堤上の道路やトイレを京都市が管理しているからである(一級河川なので場合により国が絡む「多重行政」の可能性も)。

とまれ、自分が生きている間に何とか実現して欲しいと思う試みである。

以上、眼前に突如現れた異状に対し何やら色々と記したが、これも季節外れの暑さ故と思って頂ければ、是幸い……(但し水浴場計画は真剣)。

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2021年09月03日

変局謎演

耿耿と照明に照らされた京都・平安神宮の応天門と境内のライブ会場から放たれるサーチライト光線群

謎めいた神域夜演

今夕、というか夜の始まり頃、用があり平安神宮前を通ると、何やら騒がしい音が……。

それは、大音量のバンド演奏であり、神宮正門の応天門前も、いつもと異なり耿耿(こうこう)たる照明が点されていた。

門は閉じられていたが、境内から放たれたサーチライトの光線さえ宙を乱舞している。ここ京都市街でも先月から続く緊急事態宣言下、随分派手な催事が行われていることに、先ずは驚いた。

知人に訊いた(知人が調べた)ところ、某テレビタレントの恒例ライブだという。しかも、3日間!どうやら、今日はその初日らしかった。

日々、地元・国内・世界の報道に接しているが、このイベントについては全く情報を得ていなかった。先日東海で強行されたライブイベントがコロナ対策を怠り激しい非難にされされていたが、ひょっとしてその現況等を考慮し「報道封鎖」したのであろうか。そういえば、出演タレントは、何かと噂される某大手有力芸能事務所の所属であった。

門扉の隙間から篝火等は見えたが、根本、中の様子は見えないので詳細は不明だが、客席の反応は拍手のみで比較的物静かに行われているようであった。また、こうした催事にしては珍しく、20時過ぎには音が止んだので主催側も気を遣っているように感じられた。

個人的には、感染対策が確かなら、ライブを行っても良いのではないかと考えている。対策が出来ない、やろうとしない主催者がいるから、問題になるのであろう、とも。

ただ、今回は、帰路、門から出てきた観客の集団と遭遇したので、若干緊張を強いられた。各地から様々な人が集まっている可能性が高いからである。そういった意味では、明確に地元に告知しておいて欲しかった。

散歩で通る程の場所なので、知っていれば避けたからである。

催事は厳格な対策で

その後、結局この催事はこの規模のイベントなら必ずと言ってよいほど取り上げる筈の地元新聞社も報じなかった。事後も特に問題はなかったようだが、黙殺されるが如きその点がやはり謎であり、不可解に感じられた。

とまれ、地元としては、ライブをやるなら、広報を含め徹底的な現場対策をお願いしたい。希望としては、会場及び近隣での違反行為に厳格に対処する検非違使(けびいし。古代の都城警察)か、犬神人(いぬじにん・つるめそ。中世の祭事警護)のような組織動員もお願いしたいと思う(笑)。


上掲写真 耿耿と照明に照らされた、京都・平安神宮の応天門と、境内のライブ会場から放たれるサーチライト光線群。

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2021年08月28日

漸受抗原

新型コロナウイルスワクチン接種券に貼られたファイザーワクチンのシール

コロナ緊急事態4回目

1年以上を経て収まるどころか、記録を塗り替えながら続くコロナ禍。ここ京都市街も感染急拡大で、先週20日から緊急事態宣言適用地となった。

昨年春の初宣言以来、実に4回目の緊急事態宣言。3回目が6月21日で解除された後、下位の「蔓延防止措置」が7月11日まで続き、その後同30日からまた措置が再発出され、そのまま今回の宣言が出される事態となった。

7月半ばの蔓防措置の間隙も各種自粛要請が続いた為、実質非常時が続き、あろうことか、その効なく過去最悪の感染拡大を見ることになった。

東京では5000人、身近な関西・大阪でも2000人を連日超えるなど、全国的動向となり、京都府も過去最高の500人超えが続いている……。

本当に、もういい加減にして欲しい――。

こんな嘆息は私のほか多くの人が発しているに違いない。こんな事態になったのも詰まるところ場当り的な公儀の施策が主因と言わざるを得ない。

特に、変異株の危険が早くから警告されるも、それを防げなかった責任は重い。せめて「笊」と言われる水際対策だけでも強化されていれば結果は変わっていた筈である。

他の大陸国家等とは異なり、比較的入境管理がし易い島嶼国家(しかも一応医療・科学「先進国」で「経済大国」)として情けない限りであろう。

あとは国内対策。都市封鎖という極端を採らなくても、「お願い」ばかりで事実上野放しの現状よりマシな「中間策」がもっと探れる筈である。

今後もこのまま、宣言や措置という名のお願いだけが続くのであれば、コロナ3年目突入は必至であり、更なる経済・人的損失に繋がるであろう。

ワクチン圧力強まる

さて、その様にまた緊迫し始めた情勢下、親類・周囲から抗原接種の問合せ・促しが多くなった。即ち、感染・重症化予防のワクチン接種である。

実は未だそれを済ませていなかった(とはいえ同様の人も相当多かろう)。接種券自体は既に7月初旬に得ていたが、「中途半端」な年齢と世に役立たぬ人種故、その機会から遠ざけられていた。

しかし、リスク群への接種が進んだ結果、いつしか重症化または死亡する高確率群入りしたため、周囲から身の安全が危惧され始めたのである。

それ故、周囲のため、自身のために、当初はもう暫く様子見するつもりであった接種を考えるようになった。しかし、政府の杜撰なワクチンばら撒きに因る供給停滞等の影響を受け、その予約も難しくなっていた。

自治体の集団接種は未定、日頃行く近所の医院でも9月中旬以降の予約再開という有様である。友人が大阪での集団接種を教えてくれたが、人の多い遠方に行くこと自体感染リスクがあり、また副反応のことも考え避けた。

そんな中、こんな身でも予約可能な新会場が京都駅前に開かれ、17日から接種可能という知らせを受けた。よって受付開始の10日朝に予約することにしたが、間違えて主催の京都府ではなく京都市のサイトで別枠を予約してしまい、気づいて電話し直すも幾らかけても繋がらずじまいとなった。後で知ったところ、850人分の予約が、何と開始4分で完了したという。

自分の錯誤もあるが、これぞ、正に「二重行政の弊害」か……。

というより、接種が始まり既に日を経て経験を得ているにもかかわらず、相変わらずの窓口分散や早い者勝ち等の野暮な手法に呆れるばかり。これでは、まるで昭和のコンサートチケット争奪戦ではないか。

一応市の予約は出来たが(但し日時未定!)、あまりの腹立ちに接種自体を諦めることに傾き始めた。恐らくこの状況では年内の接種完了は無理であろう。こうなりゃ開き直って感染防御を強化し、米国の如く公儀から「1万円出すので頼むから打って」と言われるまで待とうとさえ思った(笑)。

そもそも、公儀は「基本かかりつけ医での接種を」などと言うが、持病等で通院する人以外に対する「かかりつけ医」の定義も曖昧であった。偶に行く近隣医院をそう呼ぶべきか躊躇する人は多いと思われ、私もその一人である。また、病院の方もその線引きに困惑しているのではなかろうか。

実際かかりつけと思っていた医院に予約を渋られ、その後も面倒を強いられたという高齢の親類もいた。また馴染みの医院で接種が行われているとの情報も全く無く、私自身、諦め半分で直接訊いて漸く実施を知ったほどであった。その辺りが明解であれば皆もっと早く接種出来たに違いない。

急転直下

とまれ、今朝の出来事で腹を据えかね不接種抗戦に入ろうとした時、突如電話が鳴った。

それは、正に近所の馴染みの医院からで、「28日の接種が可能になったが如何」との連絡であった。実は盆前に別件で診察を受けた際、接種について訊いていたのである。ただ、前記の通り、実施日時が選べない9月中旬以降との回答を得ていたが、それでも一応頼んでおいたのであった。

何事も試みておくべきものである。勿論、実施日が週末で、諸事都合も良かったため、承諾を即答した。

こうして、急転直下、最早諦めていたワクチン接種の予約が突如叶うこととなった。ただ、最後に一つ問題があった。

それは接種のリスク、即ち世にいう「副反応」のことであった。今のところ日本ではファイザー社製とモデルナ社製の2種のコロンワクチンが使われていたが、どうやら今回は前者が当たりそうな気配となったのである。

接種との因果関係が不明ということで殆ど報道されていないが、これまで国内でワクチン接種後に1000人程の死亡者が発生している。100万人当りのその内訳は、ファイザー製が20人弱、モデルナ制が1人強といい、圧倒的に前者で多く報告されている。ただ、周囲の状況では、休暇が必要な程の発熱や体調不良の事例はモデルナ製が多かった。

実は、私は昔ある薬剤で1万人に1人とかいわれた危険なショック症状を起こしたことがあった。直接ワクチンとは関係ない薬で、食物アレルギーや花粉症等とも無縁な基本強健な身であったが、そんな経験と特異(?)体質のこともあり、重篤な副反応を警戒していたのである。

因って、本来ならモデルナ使用が知らされていた自治体接種を強く希望していた。しかし、それが叶わなかったことは前記の通りである。

周囲の殆どが「かなり辛い」と言う、数日寝込む可能性の高いモデルナか、それより楽だが、死ぬかもしれないファイザーか……。

そんな究極的選択ながらも、やはり命には代えられないので、かかりつけ接種を断ることも一瞬過ったが、これを逃すと、それこそ年内接種が叶わぬことになりかねず、その間コロナで死ぬ可能性も高まるので諦めた。

また、コロナ禍長期化により世界中で接種を3回まで拡大する動きがあり、ただでさえ足りていないワクチンの争奪戦が激化しそうなことも恐れた。

1回目接種所感

そうして今日、接種の時を迎えた。前日あった確認の電話での案内通り、指定された時間の少し前に病院入りして時間通り接種を終えた。

応援の看護師か、いつもより職員が多かったが、実際に注射を打ったのは馴染みの病院長であった。平時の施療時間ではなかったため、接種用の時間を特別に設けていたようである。

一応事前に過去の薬害(当該医院が確認を怠ったため敢えてこう呼ぶ)について相談したが、ワクチンの成分的に問題なし、とされた。

接種の感想は、一瞬ではあったが、接種そのものが、かなり痛かった。それは、成人してから打った注射類のなかで最もと思われる程であり、小学生以下の子供には耐え難いないではないか、とさえ感じられた。

後で親類・知人にその話を言うと、皆が医師の技量問題を指摘した(笑)。まあ、院長氏は普段あまり自身では打たなさそうだから、その辺はある意味仕方あるまいかとも思った……。

さて、接種後、待合室で帰宅の許可が出るまで待つ。過去の副反応について報告していた所為か、同時に接種した人達より少し遅めで許可が出た。

こうして、紆余曲折はあったが無事(漸く?)自身のコロナワクチン1回目接種を終えた。今のところ体調に異変はない。敢えて言えば打った場所に少し痛みが残るくらいか。今後どうなったのかは、また逐次報告したい。


上掲写真 新型コロナウイルスワクチン接種券の1回目欄に貼られた、ファイザー製ワクチンのシール。


接種1日後追記

接種後まる一日経ったが、意外に異変は無し。強いて言えば、打たれた箇所が腫れて、少し痛むくらいか。とはいえ、触らなければそれを感じることはない程度である。

接種2日後追記

接種後まる2日後も特に異変は無し。昨日同様、注射箇所を触れば腫れと痛みを少々感じる程度。多くの例から、一応2日経って何もなければ、ほぼ大丈夫といえるだろう。

とはいえ、まだ2回目接種が終っていないので、油断禁物ではあるが……。

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2021年08月16日

盆火又縮

京都黒谷・金戒光明寺塔頭西雲院の蓮の花

蔓防最中の盆最終日

先ずは盂蘭盆会(うらぼんえ。お盆)期間に相応しい画像を――。

佛事にお馴染みの、また盛夏にお馴染みの蓮の花である。一眼レフなどの特別な機材ではなく、普段持ちの小型機にて撮影したが、近くに寄れたので案外綺麗に撮れた。

場所は自宅近くの黒谷(京都市街東部「岡崎」付近)にて。寺の境内参道に並べられた甕うちで丁寧に育てられたものを撮らせて頂いた。

思った通りのコロナ禍再拡大で遠出も叶わず(蔓延防止等重点措置適用中)、毎度近場の紹介ばかりで恐縮ではあるが……。


五山送り火の縮小開催準備中の当日夕方の大文字山火床

縮小でも有難い恒例行事

さて、盆期間とはいえ、今日16日はその最終日。

盆の最終日といえば、ここ京都市街では五山送り火の開催日。存知の通り、盆で帰還したお精霊(おしょうらい・おしょらい)さんをまた彼岸に送るため周囲の山腹に篝火(かがりび)を灯す信仰行事である。

ところが、この著名伝統行事も今年はコロナ禍の影響で縮小されることに。これは昨年と同様で、2年連続で異常事態が続くこととなった。

縮小の内容は、文字や絵を表現するために使われる多くの篝火を極端に減らし、それに関わる人も減らして感染防止を図るというものである。

具体的には、主体の「大」は中央と端部の6点のみを点火し、鳥居形は2点、その他は1点のみを点火するという形態で、これも昨年同様であった。

写真は、夕方「大」字の火床部分を遠望したもの。コロナ禍以前なら準備する大勢の人の姿が麓からも確認出来たが、今回は殆ど見えなかった。

それでも、開催してくれるだけ有難かった。他の多くの京都市民もそう思っているであろう。送り火がないと盆が終った気にならない、区切りがつかないからである。それほど、地域の暮しに溶け込んだ行事であった。

先日も報告した通り、ここのところ季節外れの秋雨停滞に因り荒天が続いている。見ての通り今日も微妙な天候だったが、幸い開催時間の20時台前後は降らないとの予報だったので確実な開催が見込まれた(過去土砂降りでも行われたことがあり、その実行力(点火力?)には定評あり)。


京都黒谷・金戒光明寺塔頭西雲院の百日紅の花
同じく黒谷の寺院内に咲く盛夏の代表的庭木花「百日紅(サルスベリ)」

特異な送り火観覧
世の平穏回復願う


本来はその点火の様を掲げたかったが、諸方からの要請通り観覧は断念し、親類宅のテレビ中継にて点火とその終焉を見守った。

仕方ないとはいえ、これもまた読者には申し訳ない限り(特に送り火に馴染みがなく、その様子を知りたい遠方の人)……。

さて、天候もまだ油断出来ないが、変異種拡大中のコロナ禍は更に危うく、予断を許さない状況にある。

一先ずは盆の終焉と共に、早期の平穏回復を願うばかりである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記