2025年02月08日

立春雪寒

>雪かぶる哲学の道

10年一度の寒波来る

今月8日から10年に一度などと言われる寒波に、ここ京都市街も見舞われることとなった。そして、今日がその最も厳しいとされる日。

今朝の最低気温は-4前後まで下がり、積雪を見るなど、予報通りの朝を迎えた。折角なので午前遅くからだったが、近場の様子を見ることにした。


上掲写真 雪被る哲学の道。近年珍しい冬風情。


冷泉天皇・櫻本陵と大文字前山(善気山・多頂山)の雪景色
冷泉天皇・櫻本陵と大文字前山(善気山・多頂山)の雪景色。また盛んに雪が舞い、墨絵的世界に


茅葺山門共々雪被る法然院
大文字・善気山麓の隠れた名刹・法然院の名物・茅葺山門もこの通り


山門からみた法然院境内庭の雪景色
法然院山門越しに見える額縁的庭景も雪景色


既に雪が落ちた昼前の銀閣寺垣
一番見たかったこの銀閣寺垣(銀閣寺拝観口前)の雪(生垣のもの)は、残念ながら既に落ちていた。元々早い時間でないと見れないので、そのつもりで早出を考えていたが、明け方に雪がなかったことに油断して見逃した。今日は日の出後に急に積ったようである


積雪で珍しく車ない銀閣寺観光駐車場
結局、気象台発表の今日の積雪量は8cmとのこと。それでも、ここ京都市街ではまあまあの量ではある。その証拠に、いつもは車が多い、観光駐車場も、この通りの空きぶりであった

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2025年01月01日

好天歳初

晴れ空の下、京都市街東部、平安神宮の正門「応天門」をくぐる参拝客 

一先ず平安を

令和七歳元日。即ち西暦2025年の幕開け。

今朝はこの時期らしい冷えもあったが、基本、歳初に相応しい、良く晴れた好日となった。

午前遅くから初詣に出たが、気温も上昇し、温暖で条件良い参拝日に。各所の戦争は未だ終らず、トランプ政権再始動等々、波乱尽くしの新年となるが、一先ずは平安を祈念。


上掲写真 晴れ空の下、京都市街東部、平安神宮の正門「応天門」をくぐる参拝客。


初詣客が集まる平安神宮境内と正面が足場に覆われる外拝殿(大極殿)
正面が足場に覆われる平安神宮・外拝殿(大極殿)。「百三十年祭記念事業」と記されており、修繕か何かが行われるようである。好天の所為か、人出はそこそこと感じられた。午後からは更に増すであろう


元日の下御霊神社鳥居と正門
京都市街・旧洛中にある下御霊神社


下御霊神社境内の、拝殿を巻くように並ぶ参拝者の列
下御霊神社境内の、拝殿を巻くように並ぶ参拝者の列。近年いつも行列が出来ており、参拝しづらい。以前は空いていたのだが……。何か特別のご利益でも喧伝されたのであろうか


元日の晴天に翻る、京都毘沙門堂の佛旗や幟
山間の毘沙門堂でさえこの晴れ空。今日の好天の盤石さが窺えた


元日の京都・毘沙門堂境内と、本堂参拝を待つ人の列
毘沙門堂境内と本堂参拝を待つ人の列。ここも昔より人が増えたが、コロナ以前に見られた外人は何故かいなくなった。少々不可思議な現象である

末筆となったが、皆さん、今年もどうぞ宜しく……。

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2024年12月09日

北山冠雪

京都左京区ないから見えた、京都北山・天狗杉の初冠雪

季節の賜物現る

遅くまで続いた酷暑が漸く終るも、その後も続く温暖により永遠に冬が来ないようにさえ感じられた今秋。

しかし、今月に入ってから、ここ京都市街でも急に朝晩5度を切るような寒さがやってきた。

そうなると皆現金なもので、あれほど暑さを厭うていたのに、急に寒さへの心配や嫌悪を言い始めた。まあ、私もそれに共感出来なくはなかったが、冬は嫌いではなく、それを楽しむべく気持ちを切り替えた。

写真は今日午後市街東部から見えた京都北山の冠雪。かの鞍馬奥にある天狗杉(標高837m)という峰辺りで、管見では初冠雪だと思うが、如何に。

とまれ、個人的には本格的な冬の到来と、近場での雪遊びが可能になったことを告げる、ある種喜ばしい季節の賜物でもあった。

正に「今年は暑いが、冬になれば寒く、雪も多い」という予報通りで、諸々期待させられた。

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2024年11月28日

漸始錦秋

南禅寺・天授庵の土塀からのぞく紅葉

師走直前
市街紅葉期入り


あまりの暑さとその余波で今年はもう無いようにも思われた紅葉が、ここ京都市街でも漸く始まった。

気づけば、もう師走12月目前。実はまだ気温は平年より高めなのだが、それでも季節の変化が感じられることに安堵させられた。

折角なので、休息時にさっと巡った名所の紅葉具合を、少々紹介したい。


上掲写真 南禅寺某塔頭の土塀から覗く、色づく楓。


楓が赤く色づく京都・永観堂門前
先ずは天下の名所・永観堂。今月中旬辺りからちょいちょい覗いていたが、漸く赤味が卓越した感じ。平日なので人は少なめだが、庭園内は多く、門前にも団体客の列があった


楓が赤く色づく京都・永観堂の庭園
同じく永観堂。塀越しに庭園内の紅葉が覗くが、全て赤い訳ではなかった。今週末辺りから寒気が強まるらしいので、最盛期はそれ以降か


楓が赤・気に色づく京都・南禅寺境内
こちらは永観堂隣の南禅寺。例年色づきが早い境内端の楓紅葉。黄味が混じるが、これはこれで美しい


楓が赤・気に色づく京都・南禅寺境内
これも同じく南禅寺。三門前の紅葉で、これも黄味混じりだが、更にそれが強く、始まって程ない観があった。内外の観光客が多い


京都・南禅寺塔頭「天授庵」の紅葉
これも南禅寺で、表題画像と同一の楓。個人的な観察では、南禅寺山内で最も早く色づく樹であった。こうしてみると、各所華やかに色づいてはいるが、ここ京都市街東部では、まだ色づきの初期といえようか


無着色の棕櫚縄で製作した、室内用の関守石

錦秋の催事に備え

さて、紅葉とは別に、昨夜製した関守石(せきもりいし)も記念撮影。明日からの催事で使うもので、室内用に材料を工夫して作ってみた。

なお、関守石とは庭園の小径や建屋口等に置く通行停止の標石である。石は近所の山で借りてきた白川石。一応、天下の銘石とされるもの。

石の個性に合わせ棕櫚縄の掛け方を変えたので、完成品自体にも強い個性が出た。恰も、女雛と男雛、右大臣と左大臣のような風情である。

前の玉杯は、これらの石と山中で特別な出会いを果たしたので、水を献じたため。明日からの催事が上手くいきますように、との想いも。

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2024年09月18日

堂上躊夜

京都左京区真如堂本堂上に現れた十六夜の月

躊躇う満月

昨夜は中秋、即ち秋の名月の宵であった。而(しか)して今日は更に月齢高い十六夜(いざよい)、つまり満月の日である。

少なからぬ人が存知だと思うが、名月と満月が軌を一にするとは限らない。今年の中秋はまさにその好例のような機会であった。よって、月輪がより美麗な今宵の月も愛でることとした。

とはいえ、いつもの夕刻散歩のついでなのであるが、今日は月の出に合わせ遅めに出掛けた。そして、京都市街東部丘上の真如堂上に現れたのが、写真の十六夜月。

いざよう「(出現を)ためらう」の原義の如く、昨日の月の出より遅めのお出ましとなった。十六夜の月がいざようことを忘れていたため、名づけの古人の如く、正にそれを実感することとなった(つまり待たされた)。


京都左京区真如堂本堂上で虹色の月暈を伴う十六夜の月
堂上の月はその後、虹色の月暈(げつうん・つきがさ)を伴うこの様な姿となった。秋らしからぬ高気温と高湿の所為であろうか。珍しいものが観れたが、未だ止まぬ尋常ならぬこの暑さも早く収まって欲しいと切に思う

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2024年06月11日

未雨飛蛍

哲学の道沿いの琵琶湖疏水分線上を飛ぶ蛍

今年もまた……
しかし、違いも


先月末のある夜、暗闇に包まれた南禅寺境内を通過していると(公道的通路がある)、浮遊する小さな光が……。

それは、蛍であった――。

今年は近年珍しく梅雨入りが遅れているが、知らぬ間にそんな時期になっていたのか。毎年のことながら、しみじみと感じざるを得ない。そして、その後移動した哲学の道沿いの疏水分線では盛大な飛翔が見られた。

かなり遅い時間だったが、やはり都市の蛍は人同様、夜更かしなのか。というか、通常の飛翔時間である8時過ぎではまだ人の活動が多すぎて、それを嫌っているのかもしれない。

そう思うと、ここの蛍も賢いというか、環境によく適応していると感心。その時はカメラを持っていなかったので、改めて今日覗いて上掲の写真を撮ったが、過日に比してかなり数を減じていた。

既に2週間程経過しているので、盛時を過ぎてしまったのか。若しくは、その後新聞等で紹介されて人が増えたため隠れてしまったのか……。

コロナ禍時の人の途絶と、それに反して蛍が著しく増えた頃を、少々懐かしく思い出した。

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2024年04月18日

白霾蔽街

賀茂川・今出川橋上から見た黄砂に霞む比叡山等

曇天続きの花季
次に現るは……


先月末からの気温上昇により、遅れていた桜の開花が進み、一気に季節が進んだような観があった、ここ京都市街。

だが、そんな花の繚乱や、はや夏と見まがう温暖に反し、長い時間晴天が続いた日はあまりなかった。雨天は除いても、殆どが曇りや薄曇りが多かったのである。

ただ、京都市街東部では、主役桜花の染井吉野の満開が、比較的長時間、晴れ間があった4月7日(日曜)と重なったのは幸いに思われた。

ところが、今朝は、雨がないのに写真の通り。賀茂川に架かる今出川橋から見た比叡山(中央奥)方面の眺めだが、朝だというのに薄暗く、そして霞んでいる。

その正体は砂塵で、即ち黄砂の飛来であった。実は昨日から霞み始めていたので、今日は二日目だったが、程度が酷く、マスクをしないと喉をやられそうな状況であった。

強い風に運ばれた白っぽい砂は、大陸西方深部のタリムやジュンガリア等の中亜盆地の砂漠のものか。


今出川橋上から見た、賀茂川と河原の菜の花や、黄砂に霞む比叡山等
こちらは夕方の賀茂川や比叡山等。元々の曇天が去った影響か、明るくはなったが、砂の濃度は増しているように感じられた。河原には菜の花が咲き始めているが、少々残念な眺めに


賀茂川・今出川橋上から見た黄砂に霞む大文字山
比叡山より近くの大文字山も、この通り


愛宕山の肩に沈む黄砂で霞む白い夕陽
そして、奇妙な太陽が現れた。黄砂で煙り、白光りする夕陽である。夕陽は通常周辺を含め赤くなるので、その出現に少々驚く


愛宕山の肩に沈む、黄砂で霞む白い夕陽
京盆地西北縁にある愛宕山(山頂は左端の凸部)の肩に沈む、黄砂で霞む白い夕陽


黒谷の丘辺りから見た、黄砂に煙る、京都市美術館や平安神宮大鳥居に、彼方の京都タワーや京都駅
黒谷の丘辺りから見た、手前の京都市美術館や平安神宮大鳥居(下側左右)に、彼方の京都タワーや京都駅(上側の尖塔と背後の横長建造物)。京都駅から奥の市街や建屋は全く見えず。撮影地から駅までは直線5kmも無いので、恐らく今の視程は、それくらいまで落ちていると思われた

日没となっても風が強く、これからまだ荒れそうである。予報では明日収束するらしいが、この状況ではある程度の影響は必至かと思われた。

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2024年04月02日

京桜漸始

京都市街東部・琵琶湖疏水分線際の哲学の道沿いで咲き始めた桜

意外の遅咲き

この冬は記録的暖冬とされるも、3月に入ってから意外の寒さが続いた。

ここ京都でも、先週まで北縁の山に雪が見えるほどであったが、3月末から漸く気温が上がり始めた。

そして、桜の開花――。

京都地方気象台の開花発表は3月29日で、今年は平年に比して3日、去年に比して12日も遅く、前倒し気味だった近年では意外の遅咲きとなった。

今日はそれからまた数日経ったが、身近に見た開花状況を報告したい。


上掲写真 京都市街東部・琵琶湖疏水分線際に続く「哲学の道」の桜。多くの花ある枝を狙ったが、殆どはまだ始まったばかり。


京都市街東部・琵琶湖疏水分線際の「哲学の道」に続く咲き始めた桜並木と外人観光客
同じく琵琶湖疏水分線際の桜。ここも咲き始めたばかりで花は少なかった。著名観光地・銀閣寺門前でもあるので、朝から観光客が多い。平日の所為か、その殆どが外人であった


京都市街東部・琵琶湖疏水分線際で咲き始めた桜の花
前出の写真では少なく見えるが、人の多さに辟易して、少し離れた分線際の桜を狙う。見ての通り、こちらの方が花が多いのに人がいない。観光客の流れが固定化されているようである。彼らにとっても、勿体ない限り


咲き始めたばかりの、京都・賀茂川(鴨川)堰堤上の桜
こちらは京都市街中心東を流れる賀茂川(鴨川)堰堤の桜。毎年多くの花見宴が見られるこちらも、まだ咲いたばかり


京都御所内に咲く枝垂等々の桜
こちらは昼食後に視察した京都御所の桜。枝垂を中心に、幾つかの品種があるが、早咲きの枝垂れは無論、市街中心の温暖の所為か、その進行は早めであった。ただ、昼から空が厚く曇ってしまったのが残念


昼の高気温で朝より開花が進んだ出町柳付近の賀茂川の桜
これは、夕方に再度見た賀茂河岸。昼の気温が20度を超えたためか、朝より開花が進んでいるのが遠目にも確認できた

満開は週末か

このように折角咲き始めた京都の桜だが、明日は一日雨になるという。しかも、結構な強雨とのこと。

だが、経験上、満開前の桜花は、かなり風雨に強いので、なんとか持ち堪えるであろう。

よって、恐らく満開は、ちょうど今週末辺りになりそうか……。

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2024年03月21日

季末寒波

3月下旬の寒波で麓まで冠雪し、山上も吹雪く比叡山

まさかの再来

3月下旬に入ったが、なんと、また寒波が訪れた。

10日に行った近山冬山行以来の今月3度目で、観測史上2番目という暖冬においての、まさかの再来であった。

写真は今朝賀茂川辺りから比叡山を撮ったものだが、珍しく山麓まで雪で覆われ、更に未だ山上が吹雪いているのさえ見える。

寒波が来ると、京盆地北の山が冠雪することは多いが、それよりかなり東南に位置する、半ば独立した比叡山(標高848m)は中々それが起こらないので、相当の寒さを示すものと言える。


3月下旬の寒波で冠雪する天狗杉や杉峠等の京都北山
こちらは、夕方高台から見た京都北山の様子。中央の天狗杉(山名。標高837m)のほか、京盆地北縁の城丹尾根の山々が皆冠雪している。山裏の高所集落では朝の段階で25cmの積雪があったとのことなので、経験上、山上はその倍は積ったとみられる。更に、今日は、昼間京都市街でも、みぞれや小雪に何度も見舞われたので、山上の雪も更に厚みを増したと思われた


3月下旬の寒波で冠雪する愛宕山
こちらも夕方眺めた愛宕山(標高924m)。比叡山の対面となる京都北山西南に位置する山で、こちらもかなり下まで冠雪している。北山の次に雪が載りやすく、戦前は山上にスキー場もあった


京都・真如堂の遅咲きの八重梅らしき花
京都市街東部にある寺院の梅。遅咲きの八重梅とみられるもので、先月半ばにその蕾を紹介したが、漸く咲いたようである。これも3月寒波の影響か

今度こそ最後とみるも……

10日が最後の寒波かと思ったが、今回こそが最後か。

そういえば京都北山では前回より積雪が多く、先日やり損ねたワカン(輪かんじき)履きの雪山鍛錬ができるのではないか、性懲りもなく思う(笑)。

しかも、明日は寒さを保ったままの晴天らしく、絶好の雪山日和。それ以降は、予報によると極端に気温が上がり、愈々春本番となりそうである。

まさに、今季最後の近山雪山行の機会か――。

勿論、荒天直後の道路事情により車輌での接近が難しいので、公共バス利用となるだろうが。しかし、残念ながら、明日は仕事で動けず!

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2024年03月13日

柳湯始毀

解体が始まった三条北・柳湯の番台口から覗く瓦礫越しのタイル画や石貼り内装等

嗚呼、文化財的銭湯!

昨日、京都市街中心地で働く親族から衝撃的な話を知らされた。

それは、三条北の小路沿いにある古式ゆかしい銭湯「柳湯」で解体工事が始まったということである。

柳湯といえば、銭湯好き、古建築好きには知られた名店。その外観・内観は元より、柳籠まで完璧に残り、私の知る限り、京都市街で最も創建当初の姿を保つ銭湯の一つであった。

そのため、急遽、今日の外出ついでに確かめることにした。


上掲写真 出格子も古式ゆかしい番台口から覗く、柳湯内部。今や再現不能なあのタイル画も壊されてしまうのか……。


解体作業に備え足場で囲まれる三条北の柳湯

現場に到着すると、やはり情報通り、そして写真の通り、柳湯には解体を思わせる足場囲いが巡らされていた。

開いていた入口奥には、剥がされたものか、板材等の瓦礫が積まれ、その奥にはまだ壊されていないタイル画等の浴場内装が見えた。

「解体ではなく、どうか改装であって欲しい」と願うも、作業の人に訊いた答えは、やはり解体という。

うーん、残念無念。角地でもある柳湯は、寺社に次ぐ、この辺り旧市街の顔的存在でもあるのに……。


解体足場に囲まれた三条北・孫橋通沿いの「柳湯」正面
解体足場に囲まれた三条北・孫橋通沿いの「柳湯」正面。その様式から、恐らくは昭和初年築だと思うが、町家を超えた、正に寺社に次ぐ、文化財的重建築(寺社を「重」とすると「中」とも)

愚かな破壊いつまで続く

恐らくは、近年付近で流行している建築価値の無い小宿に建替えられるのであろう。皮肉にも観光需要が観光資源を破壊してゆく。なんという愚かさ、残念でならない(京都を愛す他所人よ、宜しくこれを知られよ)。

保護の枠から漏れやすい、しかし、旧市街の風情・景観に多大の貢献を果たす、こういう民間建築こそ残さなければならないのに、お上は一体何をしているのやら。いつになれば本気で民間古建築の保存に乗り出すのか。

一応、個人の財産でもあり、私独りで何も出来ないので、せめて、文化財指定の可能性を考慮し、無許可破壊とならぬよう、市の保護課に連絡することにした。勿論、無指定であっても、苦言を呈すつもりではある。

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2024年01月08日

小寒初物

京都市街東部で紅白の実をつけるセンリョウとマンリョウ

漸く現れ、すぐ消える?

朝7時頃、窓の光がいつもより明るく感じたため外を見ると、薄っすら雪が積もっている。その厚さは1、2cm程度だが、今季初のもので、まさに「初雪」であった。

気象台によると、去年より半月程遅く、平年より一月程も遅いという。まあ、以前にも年明け以降の初雪はあったが、これも温暖化の影響なのか。

因みに、今季の初氷は去年や平年とほぼ変わらないという。温暖化と言われても、色々と解らない、解りにくいことも多い。

さて、折角の初雪だったが、愛でる前、撮影する前に早々に溶けてしまった。ただ、これは当地や個人的な風情の問題で、年初から続く能登の震災被災地のことを考えると望ましい。

被災から8日経っているのに未だ当初のままの混乱が続き、安寧が得られない彼の地の人々。比べられる程のものではないが、かつて同じく冬期に罹災した経験を持つ身として、案じるばかりである。


上掲写真 午後、外出のついでに立ち寄った、京都市街のとある場所にて見かけた、赤白(黄)の実をつける千両と万両。正月らしい、めでたい姿だが、今年は震災等のこともあり、気分的には……。


高台から眺めた、京都市街東部背後の北山や比叡山等の北方の山々
市街の雪はすぐに消えたので、山に残るものを確認せんと高台に寄り、市街北方を眺める


P1088679.jpg
やはり比叡山(標高848m)には雪が残っていた。あまり雪が着かない場所なので、そこそこの降雪があったと思われる


高台から見た京都市街北方背後の北山の山々とその初冠雪
続いて真北の北山諸山。京盆地北縁の山々で、こちらは一旦降ると多くなる場所。中央の天狗杉(山名。標高837m)の伐採地には多量の雪が見える。あとで調べたところ、山裏の花脊別所集落で20cm弱(標高600m弱地点)の積雪だったらしいので、経験上、山上はその倍程積ったとみられる


京都市街初雪の午後、山上に雪が見える愛宕山
別の場所から西北の愛宕山(標高924m)も観察。雲で判りづらいが、やはり山上には雪がみられた。細かく他日等を観察していないが、市街の初雪と共に、周辺山地も今日が初冠雪となったか……


京都市街東部の高台に咲いた蝋梅の花
高台に咲いた蝋梅の花。個人的好みの花で、良い香りに誘われ一写。気づけば、もう蝋梅咲く季節となった

来る「大寒」に用心

新暦正月、即ち節気でいう「小寒」を過ぎれば、間もなく「大寒」の時季に。いくら暖冬予報とはいえ、初雪・初冠雪が到来し、そして最寒期を迎える。

被災地は勿論、その他の皆さんも、どうか寒さに気をつけて……。

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2024年01月02日

特異筆始

筆始祭・天満書が行われる正月2日の北野天満宮鳥居前の賑わい

初めての書初詣

正月2日の今日、親族に頼まれ、京都市街北西にある北野天満宮へ同行する。目的は受験生親族の為の、合格護符入手。

日本最強の学問神で同社祭神の、菅公こと菅原道真公の神徳にあやかり、外野ながら、受験生を応援せんとするものであった。

北野天満宮で正月2日というと、毎年の報道で著名な、書き初め催事「天満書(てんまがき)」の日。本殿での「筆始祭」神事のあと、筆自慢の子供たちが同社絵馬所に集い、その書き初め作品を奉納するものである。

これまで、それを見るどころか、当日に参拝したことがなかったので、個人的にも興味があった。

さて、地下鉄やバスを乗り継いで到着した北野天神。写真の如くその参道口は多くの参拝者で賑わっていたが、境内の様子や如何(いかん)……。


北野天満宮境内の三光門前で、警察により本殿前への入場を待たされる多くの参拝者
北野天満宮本殿口の三光門前で、警察により入場を制限され待たされる数多の参拝者

意外の混雑と連続災厄

北野天神の鳥居をくぐり露店並ぶ賑やかな参道に入ったが、間もなく人で渋滞し、進まなくなった。本殿までまだかなりの距離があり、同行者もその混雑を嫌ったので、脇に逸れ脱出した。

そして、花街で知られる上七軒(かみしちけん)側の東口から境内に入り、本殿を目指すことになった。東口は驚くほど空いており、難なく境内に入れたのは、まさに地元・常連の強み。

だた、本殿前を囲う回廊内は正面の三光門のみ入場を許されていたため、先程の人混みに並ばざるを得ぬ状況となった。しかし、回廊外の境内には幾つかの授与所があり、無事、受験護符を買うことは出来た。

状況により、本殿参拝や書初め見学は諦めたが、梅園等の境内を案内し、甘酒を飲むなどして撤収した。いやはや、既に午後遅いのに、参拝が出来ぬ程混雑しているとは、全くもって思いもしなかった……。

その後、親族宅に帰還し、またおせちで一献となったが、今度は羽田空港の事故が……。正月早々、連続で大災害・大事故の特異を目にするとは、これまた全くもって遣り切れない限り……。

多大な犠牲者が出た双方の、鎮魂と早期救命を願うばかりであった。

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2024年01月01日

特異歳初

応天門から大鳥居間の平安神宮参道に犇めく、参拝者や露店

令和六歳、特異な幕開け

令和6年、即ち西暦2024年の幕開け来る。

一先ずはめでたい元日ではあるが、朝から結構な雨が降っていた。ただ、比較的気温が高めで、時折陽が射し、その中で雨が頻りに降るなど、少々特異な天候、年明けとなった。

午前遅くに纏まった雨が収まったため、初詣に出掛ける。予報では、これから晴れ間が現れる筈であった。しかし、時折小雨が舞うなど安定せず。そのため、傘を忍ばせての参拝となった。

写真は、最初に向かった平安神宮の門前。帰途の昼前に、神宮正門の応天門から大鳥居方向を撮ったものである。新型肺炎5類化後初めての正月となったが、天候の割に先ずまずの人出が見られた。


令和6年元日昼前の平安神宮大極殿と参拝者の列
こちらは平安神宮・外拝殿(模造大極殿)。本殿を礼拝するための施設で、入場待ちの列が出来ているが、以前に比してその数は少なめで、待ち時間も短かった。ただ、門外を含め、境内は朝の雨でかなり湿っており、歩行には注意が必要であった


深夜、京都市街東部上空で低く大きな唸り音をたて東北方向へ進む、軍用ヘリらしき3つの光跡
深夜、京都市街上空で低く大きな唸り音をたて東北方向へ進む3つの光跡

更なる特異発生

さて、平安神宮を始めとして、馴染みの寺社の幾つかに詣でて撤収。予報に反し、奇妙な天気は終始変わらずじまいであったが、屋内では平和な日本の正月を楽しまんと、親族宅でおせちや一献を楽しんだ。

その後、珍しく観ていたテレビの登山特番に、けたたましく地震速報が割り込んだ。場所は石川で、彼の地で数年前から群発していた地震の一部かと、一寸緊張が解けたが、その後、大きな揺れがやってきた。

それは、長く、只ならぬもので、思わず、脱出口を確保せんと、窓や玄関戸を開けに走った程であった。外を見えれば、電線が大きく揺れ、付近の家からも驚いた人が出てきた。

漸く収まった揺れに警戒しつつ状況を確認。幸い何の被害もなく、近隣も同様であった。ただ、遠方のここでさえ只ならぬ揺れのため、震源近くは大変なことが起こったと直感した。

その予感通り、直後にテレビは石川能登地方での烈震発生を告げ、そこを中心とする広域での津波発生も報じた。以降テレビはどの局もその報道一色となり、徐々に被災情報が入った。

その後、明らかになった甚大な被害は周知の通り――。

めでたい筈の正月初日に、こんな大難に襲われるとは、被災地の人が気の毒でならない。どうか、1人でも多くの人が救われますよう。また、これ以上の揺れや津波が収まりますよう……。

夕方から夜半まで震災報道に釘付けとなり、また、夜合流した親族との関係もあり、就寝が遅くなる。その直前、既に日が変わって暫く経っていたが、外で大きな音するので見てみると、夜空に3点の灯りが。

京都市街東部上空で暫く留まって見えたそれは、恐らく大型の輸送ヘリで、やがて3機編隊で東北方向に飛び去った。奈良等の基地から石川へ派遣される自衛隊機であろうか。

星に対して行うように、その灯火に、一刻も早い、1人でも多くの人命救助を願った。

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2023年12月31日

晦日祈願

菜切包丁等を用いた簡易な手打蕎麦器具と、作られた年越用生蕎麦

来年こそは

さして忙しくはない筈だったが、少々の波乱もあり、結局今日昼過ぎまで残務を行う。

そう、今日は大晦日ーー。

幸い掃除等の雑務は合間を見計らい行ったのでほぼ終っていたが、思ったほど年末の時間を稼げなかった。割り切り、諦め尽くしの年の瀬である。

遅い昼食後、簡易な蕎麦打ちを行い、越年宵の外出に備える。そして、夕方のまだ陽があるうちに家を後にした。

先日、久々に忘年会を行ったが、コロナでもインフルでもない流感患者が2人生じた。

一応警戒して今年の山会参加者や近所の人間のみに限定した極少人数制としたが、甘かった。幸い自身に問題はないのだが、暫くの行動注意を余儀なくされた。

そんな一件により、感染症騒動が未だ収まっていないことを思い知らされた。そういえば、去年始まった欧州の戦争も終らず、更に中東で新たに始まったことも周知のとおり。

そして、戦争による物価高や新型コロナ騒動の影響による、多くの人の経済苦境もまた周知の通り。まさに、それらが原因の職場喪失の影響で、忘年会に来られなかった参加者もいた。

そんな仲間への心配もあるが、私自身も何とか年を越えられそうな状態だったので身につまされる。来年こそは、内外の問題が終息し、諸々の状況が改善されることを切に願いたい。

そう、来年こそは……。


上掲写真 菜切包丁等の家庭調理器具を使った簡易な手打蕎麦道具と、出来上がった越年生蕎麦。

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2023年12月07日

残秋豆香

京都・黒住神社参道の石畳に積る鮮やかな紅葉落ち葉

名残りの紅葉。友来る

ここ京都市街も晩秋紅葉時期から、遂に師走12月に突入。

とはいえ、昼はまだ温暖で天気にも恵まれていた。そんな師走初旬、大陸から友人が遊びに来たので共に名残りの紅葉を観つつ街を散策した。

紅葉に合わせた市内各寺社の特別公開もそろそろ終りとなっていたが、今年は猛暑延長の所為か、見頃が長く続いていたのは幸いであった。

写真は京都市街東部・神楽岡山上にある黒住神社参道。散ったばかりの鮮やかな落葉紅葉も、また美し。


京都・真如堂本堂裏の紅葉と落ち葉毛氈
こちらも神楽岡(正確には「中山」か)山上にある真如堂の紅葉。樹上の紅葉も美麗だが、ここも落ち葉が素晴らしく、この時機のみの光景・風情があった。正に、落ち葉の絨毯か


京都・黒住神社境内で散る紅葉に混じる、盛りへと向かう若い紅葉
今年の特殊な天候の所為か、散る紅葉もあれば、この様に、これから盛りへ向かう「若い紅葉」もあった。黒住神社境内だが、散る樹や盛りの樹と共に並んでいたのが興味深い



こちらは神楽岡の頂部で、自然林に覆われた箇所の天然林紅葉。別名・吉田山とも呼ばれる緑地内である


渇水した賀茂川の堰堤中央でエスプレッソコーヒーを準備

川なかで珈琲?

友人を案内しつつ京都市街中心方向へ向かう。彼縁の学生街の食堂で昼食を摂ったり、方々を眺めつつ、話しつつして辿り着いたのは、賀茂川(鴨川)であった。

そして、彼の発案・希望で、秋雨・台風不足で渇水気味の堰堤中央で珈琲を飲むことに。写真はその為に堰堤上に道具類を店開きした様子。

正に河流中央で、普段なら堰堤を越す水のため近づけない場所であった。珈琲の器具類は、元々どこか外で飲むつもりで用意していたのである。


渇水中の賀茂川堰堤上でエスプレッソコーヒーを淹れる
そして持参した電動ミルで豆を挽き、器具に設置して加圧珈琲(エスプレッソ)を淹れる。その後は牛乳を温めカフェラテにもするといった凝りようであった。珈琲豆や専用器具は友人が土産として持参してくれたもの。皆上質なもので、彼の地でも今は京都以上に良い珈琲が楽しめることを教えてくれた


河流中央からみた堰堤越しの賀茂川の眺め
河流中央からみた堰堤越しの賀茂川の眺め。中々見られない眺めか?

懸案落着

無事、川なかの珈琲を楽しんだあと、共に帰宅し、長く預かっていた趣味品の海外発送準備をする。オンライン・デジタルの時代なのに、その手続きが未だアナログ的で、煩瑣極まりないことに驚く。

まあ、それでもなんとか準備して夜の集荷に間に合わせた。長き懸案落着である。そして、友も安堵して一先ず宿に帰っていったのであった。

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2023年11月23日

紅黄近寺近山

2023年11月23日祝日の、若王子付近の哲学の道の楓紅葉

ついでながらの
近寺・近山 紅葉観察


今日は祝日・勤労感謝の日。

そうとは知らず、朝、受診の予定を入れていたが、準備中に気づき、取り止めた。そういえば、週末は寒気で荒れそうなので、代わりに、近山で少々また登山靴の慣らしをすることにしたのである。

そして、そのついでに、ついに盛期と化した麓や山の紅葉具合も観察。写真は、その最初の楓。京都市街東縁を流れる琵琶湖疏水分線に沿う、所謂「哲学の道」の一樹であった。

内外数多(あまた)の観光客が行き交う哲学の道では、大半の樹がまだ盛りに達していなかったが、なかには、この様に、真紅のものも見られた。


永観堂門前の紅葉と多くの参観者

天下の名所・永観堂

哲学の道の次は、その南隣の永観堂へ。言わずと知れた天下の紅葉名所である。写真は、その門前の様子。まだ色づきが浅い樹も多いが、全体的にはかなり赤らんできた。

それにしても、寺の内外人が多い。まあ、この時期は仕方ないが……。


永観堂南門内から見た
同じく永観堂の紅葉。南門内から苑池(放生池)方面を見る。かなり鮮やかだが、残念ながら曇天で光は良からず


2023年11月23日の勤労感謝の日に特別公開されていた東山高校の屋上と京都市街の眺め

絶景!東山高の厚情

永観堂を過ぎ、寺に隣接する東山高の門前を通れば、何やらその教員や生徒らが集い、道行く人を誘っている。

どうやら、今日のみ屋上を一般公開しているようである。折角なので見せてもらったが、最初に通されたのが、写真の屋上。誘い口上通り、京都市街が一望できる好眺望所であった。


2023年11月23日の勤労感謝の日に特別公開されていた東山高校の校舎上から見えた紅葉に燃える永観堂境内の眺め
そして、次に通されたのは、校舎窓から見えた圧巻のこの眺め。なんと、永観堂境内の紅葉がほぼ全て見えるという贅沢さであった。しかも無料(永観堂境内は大半が有料)。永観堂との関係を少々心配したが、休日返上の関係者皆さんの厚情を、対面で、または胸で謝し、退出した


2023年11月23日の勤労感謝の日の京都・南禅寺境内の紅葉

人を避けつつ南禅寺

東山高校の次は、これまたそれに隣接する著名大寺・南禅寺。写真はその境内端の紅葉だが、全体的に永観堂より進みが早く感じられた。標高等の環境立地は同様の筈だが、背後の山谷の冷風の所為か。

とまれ、ここも観光客で溢れているため、人が写り込まぬようにするのが大変であった。


2023年11月23日の勤労感謝の日の京都・南禅寺境内の黄葉
これも同じく南禅寺境内の黄葉。最奥にある最勝院への案内が立つ場所である。それより、かの「水路閣」入口と言った方が解りやすいだろうか


南禅寺最勝院奥から山科へと続く古道跡山道

山道から北山科へ

水路閣を潜り、境内最奥の最勝院を抜けて山に入る。最勝院の奥之院で行場である「駒ヶ滝」を越えると、道は写真の様に完全なる山道と化した。

但し、古くから京・山科を結ぶルートのため、確りした古道が随所に残る場所でもあった。


京都北山科山中に現れた山科聖天の紅葉の輝き

意外の一番・山科聖天

山道はやがて東山の鞍部を越え、京盆地東隣りの山科へと下る道と化した。そして、また尾根を越す小さな切通し峠を越え、谷の森を下ると舗装路と出合い、突如写真の如き、光輝く場所が現れた。


京都北山科山中にある山科聖天・双林院の鳥居越しの鮮やかな紅葉
北山科山中で光を放っていたのは、鳥居に歓喜天の扁額かかる、山寺・山科聖天(双林院)であった。ちょうど紅葉盛期で、意外にも今季一番の素晴らしさであった。しかも、境内に人は数人のみの、空きぶり


京都北山科山中にある毘沙門堂・勅使門坂の紅葉

陽当たりの関係?
毘沙門堂門跡


感動的な山科聖天の紅葉を堪能した後、すぐ下方にある毘沙門堂へ。東山(大文字山地)への出入口に当る山科毘沙門堂も近年著名な紅葉名所で、静かな双林院とは別世界の賑わいぶりであった。

ただ、よく報道等で紹介される勅使門坂の紅葉具合は写真の如く、少し精彩を欠くように感じられた。


山科・毘沙門堂門跡の本殿・仁王門下の鮮やかな紅葉
同じく山科・毘沙門堂門跡にて。今回は、本殿・仁王門下のこの紅葉の方が鮮やかに思われた。陽の当たり具合の関係もあるかもしれないが……


京都北山科の谷に続く林道と大文字山の紅葉
京都・北山科の谷奥に続く大文字山への道

大文字山の天然林紅葉

今日の折り返し地点としていた毘沙門堂からまた山中に入る。山域の主峰・大文字山山頂(標高465m)を経て京都市街に戻るためである。


京都北山科の谷上に覗く、大文字山の紅葉
北は大文字山方向に続く谷上に覗く、大文字山・如意ケ嶽山上の天然林紅葉も美麗


午後2時頃にもかかわらず、夕方の如き光線が射す大文字山山頂
そして、谷道を詰め、東山稜線に上り、大文字山頂着。然程遅い時間ではないが、晩秋なので既に夕方の光線具合。思えば、山科に入った頃から、予報に反し陽が出てきた。ただ、山頂からの眺めは霞多くして、良からず


大文字山火床から見た周囲の紅葉や京都市街
大文字山頂からの眺めとは対照的だったのは、山頂から下った中腹にある「五山送り火」の火床部分。その脇や周辺の山々の紅葉が美しい


大文字山火床面に繁茂して黄金色を成して揺れるススキ
大文字中腹でのもう一つの意外は、火床面に繁茂する、このススキ。黄金色に揺れ、実に美麗であった。ススキといえば、9月末の印象が強いが、紅葉とセットになったので、より、感慨深いものとなった


大文字山火床下の紅葉

市街帰還
今年は山中が当り?


火床から更に下った山中の紅葉も写真の如く美麗であった。今年は街の紅葉は猛暑等の影響か今一つに見えたが、山のものは当りのように感じた。

そして、麓の銀閣寺に下り、山を出た。肝心の靴の具合は悪しからず。前回靴擦れが起こった場所も今回は問題なかった。

不具合発生を機に皮膚が厚くなったのか。まあ、距離や高低差、荷物負荷が少なかったことも関係しているのかもしれないが。

とまれ、今日はこれまで。そして、以上、一先ず京都市街東部の紅葉具合の参考まで……。

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2023年10月18日

四日月宵

日没直後、京都市街東部の空に現れた三日月(四日月)

三日月ならぬ宵に想う

夕方、出先で空を見上げると綺麗な三日月が。

今日10月18日は陰暦9月4日なので、正確には「四日月」となるが、秋の澄んだ空気の所為か、他に劣らぬ清澄な美しさがあった。

狭義の三日月日で、月が隠れる新月から最初に可視状態となる昨日なら、更に繊細美麗な姿だったかもしれないが、見逃してしまった。

まあ、これも一つの縁というか、機会。今日の良き遭遇を愛でたい。

三日月といえば、回教国の紋章が思い出されるが、その採用理由が少し納得出来たような気がした。

しかし、回教徒といえば昨今の中東情勢。昨年の東欧に次いで始まった大規模な戦闘が早く終わり、清澄静寂の月宵が彼の地に戻りますよう……。


京盆地西縁・嵐山上空に現れた、鮮やかな秋の夕焼け
京盆地西縁を染める夕焼け空も実に美麗。これも秋の気の所為か、いつもより赤味が鮮麗で、深い。そして、改めて西方彼方の両戦役収束を願う

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2023年09月01日

十六夜避暑

京都市街・五条通上に現れた十六夜のブルームーン

9月に入るも……

秋9月となったのに、ここ京都市街では変わらず猛暑・熱帯夜が続く。

全くもって、うんざりの状況である。先週恒例の近場避暑泊を行ったばかりだが、こんな状況なので、今週末も一夜の避暑泊をすることとなった。

場所は自転車で行ける程の市街内ホテル。その経営に関係する知人の誘い・好意で一部屋提供してもらったのである。

街なかなら、家で空調に浸ればいいのではないか、と思われるかもしれないが、そこにはドリンクバーや大浴場等の特別な環境・設備があった。

何より、空調に閉じ込められ気味の毎日なので、少しでも気分が変えられることは有難い限りであった。

満月新称の由来と謎

写真は、そんな街なかの夜空に現れた十六夜(いざよい)の月。

昨日が満月(十五夜)だったので十六夜である。生憎の湿気や雲で霞み気味だが、まだ満月同様の光量と存在感を有していた。

そういえば、昨日の満月は「ブールムーン」と称して盛んに報道されていた。何でも、今年一番大きな満月だったらしい。

その名称は北米由来で、昔は一季に4回満月が現れる時の3番目の月、現在では各月のうち2回目に現れる満月を指すことが多く、共に2・3年に一度しか見られない珍しい存在だという。

しかし、青い訳ではないのにブルーとする由来は定かではないらしい。

「ピンクムーン」などのように、近年こうした意味の解り辛い海外由来の月名称がやたら紹介されている。それに反し、十六夜等の伝統的呼称ながらも論理的に名づけられた名称の廃れ様が著しい。

また「何とかデー」みたいに、海外習俗を無理やり移入し、何かを買わそうとしているのであろうか。

そんなことを考えると、なにやら面倒を感じ、また暑くなってきた。これも、猛暑の所為か。早く風呂にでも入り、涼むことにしたのであった。

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2023年08月15日

颶風映世

平成5年(2023年)8月15日の台風7号通過後の夕方の賀茂川の濁流

好機に台風
溜息隠せず


盆期間中に近畿を直撃することとなった台風7号。

強い勢力を保ちながら今日昼頃、ここ京都市街に最接近したが、少し西に逸れたためか、深刻な風水害は起こらなかった。

ただ、本来今朝に出発する筈であった広島への個人的出張は、新幹線が運休したため明日に延期に。珍しく、そして貴重な4日間の出張が1日短縮することとなった。

よりによって、こんな時機を狙うように直撃しなくてもよいのに――。

進むべき主案件が停滞するなかでの有難い仕事であったが、ため息を隠せず……。中々上手くいかないものである。

そして、暴風警報が解除され、雨も小康となった夕方、明日の手土産を求めに聖護院まで出掛けた。

自宅が奥まった場所にある所為か、風の凄みは然程感じなかったが、街なかでは方々で看板やベンチが転倒するなど、強風の痕跡が見られた。

台風直後に見る世相

そして、足止めの憂さ晴らしと鍛錬を兼ねて長く歩いて聖護院に着くも、当地の銘菓を扱う店は軒並み臨時休業していた。それどころか、スーパーやコンビニ等の殆どの店も休業していた。

一応、事前にネットで情報を探ってはいたが、曖昧な表現もあったため、駄目もとで来たが、やはり叶わなかった。

そりゃそうだろう。台風が京都真南の潮岬に上陸して北上し、「大雨洪水」や「暴風」などの警報が全て発令されていたのだから。

しかし、そうした状況というか、世相に、どこか納得できない心地もした。それは「雨が降ろうが槍が降ろうが、仕事に出るのが当たり前」とされた時代を経験したからであろう。

そして、その想いの根本には、自分自身、当時そうした風潮を理不尽だと感じ、反発していながら、そういう生命第一主義(主張?)が親兄弟を含めて理解されなかったことへの反感というか、怨嗟もあった。

少し時代が変われば、こうも変わるものなのか。何やら人世(じんせい)の軽薄を感じずにはおられず、また少々気分が悪くなった。

しかし、「働く人を(も?)守る」という、良い具合に、社会が変わったことは歓迎すべきことである。まあ、個人的には「漸く」の感じもしないではなく、このことにも少々複雑な気分にさせられたのだが……。

またしての予想外

聖護院まで足を延ばしたついでに、台風直後の賀茂川を見てみた。写真の如く濁流渦巻く状況であったが、堤防外郭まで溢水する程ではなかった。

ただ、そのあと傘も効かない土砂降りの雨が予想外に襲来し、全身かなり濡れることに。そういえば、まだ「大雨警報」が残っていたのであった。

嗚呼、何事も上手くいかぬものである。

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2023年06月13日

晩翔蛍光

琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍2匹の光跡

減少 or 晩期?

日没後の暗くなって間もない頃、京都東山(大文字山)山麓の琵琶湖疏水分線を覗いてみると、暗がりを飛ぶ蛍の姿があった。

その光点は幾つか見られたが、疏水縁の哲学の道横で話す欧米系の一団や私を追うように現れた日本人男女の大声により、忽ち隠れがちとなった。

京都市の天然記念物に指定されているここの源氏蛍は、以前に比して随分少なくなったが、やはり人出の多さや騒がしさが影響しているのか。

実際、ここの蛍は、よく飛ぶとされる宵の口より、人が少ない遅い時間に多く見られるようにもなっている。また、コロナ禍の人出減少時、目撃数が増えたことは以前記した通りである。

実は、今年は先月半ば過ぎから同所での蛍飛翔を確認していたが、その時はそこそこいた(カメラ不携帯のため撮影出来ず)。ひょっとして、その後新聞等で報じられ、人が増えたことも影響したのであろうか。

ただ、今日の少なさは、もうそろそろ飛翔の盛りが過ぎたということも考えられた。


上掲写真 琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍2匹の光跡(中央上部)。


琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍の光跡
同じく、琵琶湖疏水分線上を飛翔する蛍(中央)。背後光量はソフトウェアにて増量。今年の蛍も、そろそろ見納めか……

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