2008年10月25日

佛下夜奏

逍遥雑記「西方寺,嵯峨治彦氏 馬頭琴」

「吉田AP」緊急出動、その結果は……

突如、我がライブユニット「吉田エアプレイン」が出動することとなった。とはいっても、都合上、私1人だけの演奏である。

場所は京都市街西郊の右京区常盤にある西方寺という寺院。夜ここの本堂で札幌在住の馬頭琴奏者嵯峨治彦氏の演奏会が開かれたが、そのオープニングゲストとして出演したのである。蒙古の伝統楽器馬頭琴のライブに何故私が、と思われるかもしれないが、蒙古に近い内陸アジアを扱った「胡羌鬲絶展」での演奏ぶりに関連を見出した人から依頼を受けたという訳があった。

しかし、その依頼があったのは3日前。殆ど準備出来ない為、当初は断ることも考えたが、依頼の人には色々と世話になっていた為、受けることとなった。だが、やはり結果は散々なものとなってしまった。元より電気ギターでの弾き語りという奇異なスタイルで驚かせたであろう多くの観客や、前座を汚すこととなった主演の嵯峨氏には、この場を借りて重ねてお詫びしたい。

「外人」馬頭琴奏者、嵯峨氏の名演

さて、そんな私の拙劣ぶりはさておき、主演の嵯峨氏の演奏は期待以上に素晴らしいものがあった。馬頭琴や、それと同時に歌われるホーミー(喉歌)の上手さは勿論、表現者としての存在感とパワー(但し、彼らしい静謐な)に満ちたものだったからである。日本古来の楽器ならいざ知らず、馬頭琴やホーミーにとって氏はあくまで近年門戸を開いた「外人」の筈である。そんな条件下に於いてこれほどの表現力を発揮出来るのは誠に稀有なことと言えよう。

正に感服至極、バックステージで氏から直接CDを譲って頂いたということからも、その感服ぶりがお察し頂けよう。氏は北海道に限らず全国で活躍されているので、今回見逃した人も、また近くで演奏会が行われる機会があれば、是非参加されることをお勧めしたい。

やはり感謝

以上の様に、自分の拙劣さに頭を打つ結果となったが、素晴らしい演奏と奏者に出会えた夜ともなった。やはりここは感謝しなくてはならないところだろう。何より、普通の人は入れない佛殿内陣は阿弥陀佛足下という特別な場所で演奏させてもらうという貴重な機会も得た。実は寺社という特別な雰囲気を持つ場所で演奏するということは、かつて音楽を志していた時の願望であった。それが十数年ぶりの今日、奇しくも叶ったのである。

打上げの宴席中、かつて共にその夢を語った友のことが浮かぶ。志半ばで病に倒れた美しい人である。実に感慨深い限り……。スタッフ並びに西方寺の皆さん、どうも有難う。


上掲写真:佛殿内陣に於ける愛器一式。かつての志への供養の様にも……。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:11 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年10月13日

続湖南山会U

逍遥雑記「秋の山会,太神,堂山,湖南アルプス,不動寺,鎧ダム,天神川」

秋天好日の山会2日目

前夜山中にて終った山会は、明けて2日目である13日を迎えた。昨日とは違い、この日は朝から快晴。気温も午後を待たずに上昇し、まさに秋天好日の様相を呈した。

7時過ぎ、真っ先に目覚めたH家幼姉弟の声を目覚ましに、皆順次テントより身を出(いだ)す。防寒に努めた甲斐あって、全員よく眠ることが出来たのは何よりであった。早速、飲料と食事の準備をする。昨夜の焚火跡に残る炭を竈に移して火を熾す。初日と違い、種炭のお蔭ですぐにそれが叶う。差入れのバンや焼りんご、コーヒー等を共々調理して朝食とした。

新参加者合流と水晶拾い

食後、再びK君と4度目の下山往復を行う。今回は2日目合流組の出迎えである。無事新参加者と合流して帰着後は、子供ら共々近くの沢にて水晶拾いに興じた。折しも、陽射しは夏同様と化していたので、水遊びも兼ねるような形となったのである。大人も子供も裾を捲って、倦むことなく水底を探る。果たしてその結果は……。まあ、ぼちぼちといったところである(笑)。

スリリングな源流探査

水晶拾いの後、つくね汁と白飯等を用意する昼食となった。その後は、子供とその保護者を残し、野営地沢の源流探査に向かった。沢を遡上し、道なき森を進んで源頭の尾根に出る。別水系と接する分水界である。そしてまた森を抜け野営地に戻った。1時間程の行程であったが、見通しが利かず、コースアウトも生じたスリリングなものであった。

撤収下山。満腹閉会!

探査後は遂に撤収。火の始末は勿論、野営の痕跡すら残さないよう徹底して原状回復に努めた。後は、また皆で麓まで下るのである。食料消費のため荷が減ったとはいえ、油断は禁物。荷を分担し、子を庇いつつ慎重に下る。そして、無事日没までに山を後にすることが出来た。

京都に戻ってからは、自家用車組とバス組が再び合流することとなった。仕事で参加出来なかったH氏により、入浴と食事会が供された為である。ただただ感謝するばかり。

こうして、2日間に及んだ秋の山会は有難くも無事満腹に終ることが出来たのである(笑)。皆さんお疲れ様!


逍遥雑記「秋の山会,太神,堂山,湖南アルプス,不動寺,鎧ダム,天神川」

午後の野営地一景

昨夜の寒を幻の如く想わす、真夏さながらの陽射しが辺りを焼く。恐るべき寒暖の差。


逍遥雑記「秋の山会,太神,堂山,湖南アルプス,不動寺,鎧ダム,天神川」

下山中の参加者

子を庇い、慎重に進む。想定外の体力消費・気遣いをさせて申し訳ない限り……。次回からは状況説明をしっかり行いたい。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年10月12日

湖南山会U

逍遥雑記「秋の山会,太神,堂山,湖南アルプス,不動寺,鎧ダム,天神川」

贅沢な山会決行!

秋の行楽シーズン、中でも全国的に祭礼・催事が集中する10月12、13両日に山会を行った。今回は現地山中に野営して2日間に渡り山を楽しむという贅沢なもの。さすがに行事集中期とあって、参加辞退も相次いだが、それでも総数11人の参加者を得た。

絶好の行楽日との予報に反して少々雲かかる日ではあったが、乾燥して雨の気配はないため憂いはない。先ずまずの日和といえよう。自家用車組・バス行組共々、昼過ぎに集合する。川遊びのメッカたる集合場所の「天神川」には、既に数多くの行楽客で賑わっていた。

行楽客賑わう谷から山中へ

行楽客は皆日帰りのバーベキュー目的らしく、川走る谷あいは炭火焼の香で充満している。我々もここで野営をすれば楽なのであるが、車輌を置き、荷を担いで更に山中を目指す。

支流を遡ること約500m、高低差100m程を登る。災害回避や治安上の処置なのだが、急段や渡渉があり、慣れない女性や幼児にはきつかった。私には10分程の道であるが、1時間近く掛かってしまったのである。ここは、行程見積もりの甘さと、説明不足をお詫びする処である。

野営開始と月下での初日終了

さて、野営地に到着して早速準備を始める。昨今は日の入りが早い為、明るい内にそれを済まさねばならないからである。手分けして、テント設営や竈作り・薪拾い等を行った。

そうこうする内、遅参の人をバス停まで迎えに行く時間に。K君と共に急ぎ下山し、車輌にて迎え、麓まで連れ帰る。そして、運び残した荷と共にまた登る。幼児連れの為、皆神経と腕力をつかいつつ約40分で到着。申し訳ない限りである。

そして今度は、野営辞退組を補佐して1人で下る。辞退組をバス停まで送って再び登坂に入る頃には既に林間は暗然の様。ヘッドライトを灯し急ぎ登った。結局今日はこの道を3往復。暗林に明かり浮く野営地に到着すると、既に食事準備が始まっていた。

久々の薪料理は白飯と鶏鍋。荷を担ぎ上げる山地の野営らしく、シンプルな献立とした。その後は、炭火下で焼いた芋をおやつ、網上の干物やソーセージを肴として茶や酒を楽しむ。

日没より下がり続けた気温は、語る息を白くさせるまでに至る。上着を着込み、暖房用の焚火を用意。折よく季秋名月前に達した大きな月が頭上にかかる。その銀光が、流れる秋雲と河原の白砂を照らす。中々得られない眺めである。「銀月夜」とでも形容出来ようか。そして午前1時頃、最後まで起きていた人の就寝と共に初日が終了したのである。


上掲写真:スローシャッターによる暖房用焚火と火の粉光跡。


逍遥雑記「秋の山会,太神,堂山,湖南アルプス,不動寺,鎧ダム,天神川」

野営地全景。「Kテラス(Kは人名の略、テラスは段地)」と命名。


逍遥雑記「秋の山会,太神,堂山,湖南アルプス,不動寺,鎧ダム,天神川」

月下、炎の辺での語らい。
夜が更けるにつれ寒さが増したが、得難い雰囲気であった。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年09月26日

秋雨一過

逍遥雑記「賀茂川(鴨川),秋雨,豪雨,中洲,彼岸花」

夕刻、原稿作業が一段落したので賀茂河畔に休息に出た。待ちわびた涼気に包まれた悪くない気候だが、どこか空模様が怪しい。

河畔に至って広天を得れば、やはり厚い雲塊が隙なく覆うのが見えた。今朝の激しい雨が上がりかなりの時間が経つが、未だその再来を警戒させられる。しかし、それら頭上の重厚に対し、意外な軽容を晒していたのが、足下の河景であった。

よく見れば、中洲にあった一面の草叢が消失している。否、存在はしているが、皆高さなく倒れている。そんな中洲の様と、夏刈りされた岸の姿が相俟って、雲下の軽容を成していたのである。草叢は今朝の雨か、先日の強雨で倒されたのであろうか。そういえば、先日上流の花背峠で記録的な降雨があったことを聞いたばかりであった。恐らくは中洲を呑みこむ奔流が生じたのであろう。

また自然(じねん)の凄みを見せられ、そしてまた考えさせられた次第である。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),秋雨,豪雨,中洲,彼岸花」

しかし、圧倒的な奔流に倒されながらも、未だ天に花を立てる草木も……。人も、その志もこの様にありたいものである。時折雨交じる陰雲の夕景(せっけい)に一陣の清風が渡る。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),秋雨,豪雨,中洲,彼岸花」

そして、鮮やかで確かな秋到来も見つけた。

秋の山会近し

現在、10月12日・13日辺りでの山会(野営会同時開催予定)調整中。希望の人はご準備を……。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年09月20日

甘旨到来


逍遥雑記「北海道,道東,湧別産,スイートコーン,玉蜀黍,とうもろこし」

昼からの外出仕事の準備中に宅配便がきた。

受け取った冷やかな発泡箱を急ぎ開けると、堂とした緑塊がしっかり詰まっている。緑塊の一つ一つの先端より伸びる黄毛と、身を覆う幾重もの皮の姿から、前日のメール文面が呼び起こされた。そうである、北海道の妹より送られた玉蜀黍(とうもろこし)であった。

なんでも、出荷用ではなく義母手ずからの自家栽培品とのこと。以前にも調理済の美味しいものを送ってもらっていたが、今回は初めての「生」であった。新鮮なそれは生食可能である、とは以前より聞いていたが、今回は初めて自らそれを試すこととなった。早速、夜調理前に一部を分けて試してみたが、やはりそれは事実、しかも頗る美味であった。

そもそも、味は勿論、こんな大粒で身が詰まったものは中々お目にかかれないであろう。いやあ、実に有難い限り。


表題の「甘旨(かんし)」とは「甘いもの」の意。つまり、全体では「あまいものが来た」の意となる。有難い、「旬の逸品」到来への喜びを託した。


逍遥雑記「北海道,道東,湧別産,スイートコーン,玉蜀黍,とうもろこし」

ひとつ接写にて……。勿論、調理前の「生」である。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年09月09日

俄然登岳


逍遥雑記「比叡山,延暦寺,叡岳,四明岳 西塔,浄土院」

突如叡岳へ

突然だが、前夜に誘いをうけ、山へ行くこととなった。

あまりない状況だが、ちょうど予定が空いていた午前中までに終る近場行だったことと、夏前以来の久方ぶりだった為、急遽参加することとなった。場所は東山北嶺は比叡山(848m)。京都盆地東辺に住む者にとっては、大文字山同様、身近で目につく存在である。

朝7時頃、登山口である修学院は音羽川畔を出発し、古の延暦寺参道「雲母坂(きららざか。雲母越)」とされる登山道を上った。快晴だが、樹林と秋らしい乾燥のお蔭で順調に進む。時折樹間から見える市街・緑林の眺めも、また中々なものであった。

客なき静けさ。西塔そして浄土院

そして1時間程して山頂直下のケーブル駅に到着した。今日はここから延暦寺の西塔(さいとう)地区へ向かう。にない堂や転法輪堂(釈迦堂)等の諸堂が樹間に現れる。初めての訪問ではないが、他客を見ない朝の静けさが新鮮である。

写真は、その中で特に印象深かった「浄土院」の前庭。宗祖最澄の廟所という山内でも特別な場所であるそこへの感想は、正に「清浄」の一言。塵芥・雑物が無きことは勿論、門扉・外塀に至るまで注がれた繊細な美意識が、その印象を揺るぎないものとしている。

この内奥では、今も12年籠山の修業僧が生者への奉仕の如く、宗祖に対する食物(じきもつ)供奉(きょうほう)を続けているという。前庭の白洲には、その、静謐かつ連綿たる営みを象徴するかのような、大いなる深淵の如き渦紋(かもん)がしるされていた。


そして、また来し道を戻り山を下った。時間や行程的には実に淡然たる山行であったが、前とは違った趣や感慨が得られた。元より、朝が苦手なので独行ではまず行わない時間設定である。声をかけてくれた人には重ねて感謝したい。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年08月28日

気概好日


逍遥雑記「来田猛,白子勝之,写真&漆.展覧会,線という形 闇という色,西行庵,皆如庵」

「線という形 闇という色」展

夕刻、家での仕事を一区切りつけ、予て招待されていた友人の展覧会に出掛けた。

友人は写真家の来田猛(ころだ・たける)君。今日28日と明日29日の2日間、漆芸家の白子勝之氏と共に「線という形 闇という色」というコラボレート展を開催したのである。場所は東山区円山公園南隣にある西行庵。その建屋に内包されている「皆如庵」という古い茶室にて行われた。


線と漆黒で数百年の伝統に対峙

通常の白箱式ギャラリーとは異なり、内装そのもの、建屋全てが強い存在感を持つ茶室。そのような「圧力」に満ちた空間に、果敢に挑んだ2人の力作があった。

彼らがその圧力に抗する為に用いた手段は、茶室のそれを上回る簡素さや重み。即ち、自然さを保ちながら同時に力も有した「線」と、同じく何物をも凌ぐ深い重みを有した黒漆の「闇」であった。それは恰も、「線という剣」、「漆黒という盾」を以て数百年の伝統文化に対峙した趣さえ感じられたのである。

いや、中々いいものを見せてもらった。予報により天候不順も想定されたが、それが覆ったのも、気概あるこの展示のお蔭かと思われるほどであった。もはや29日、1日しかないが、是非皆さんにもお勧めしたい。


上掲写真 西行庵東角にある「皆如庵」入口。かの戦国武将、宇喜多秀家の息女が輿入れの際に持参したものを移築改修したとの伝承をもつ。普段公開されていない、この茶室を見るだけでも価値がある。


逍遥雑記「来田猛,白子勝之,写真&漆.展覧会,線という形 闇という色,西行庵,皆如庵」

西行庵夜景。左側の障子部屋が「皆如庵」。

電灯のあかりで見る作品も、また自然光とは違う趣があっていい。来田君の勧めもあり、日没までの1時間程居て、光の具合や周辺雰囲気の変化を楽しんだのである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 22:59 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年08月16日

お盆東西


逍遥雑記「洛西,大原野,勝持寺,大原野神社,百日紅,鞍馬石,大文字,五山送り火,お盆」

市街を横断、洛西大原野へ

お盆真っ盛りというか、その最終日である8月16日、京都市西郊は大原野を訪れた。先日、同北郊で行った取材の続きである。朝、家がある東郊より車輌にて出発し、市街を横断し洛西丘陵を上って西山山麓に至る。そして、取材当該地区であるそこにて遭遇したのが写真の景であった。

市内ではもはや珍しくなった一面の水田地帯―。遠出という程の距離ではないが、どこか旅情を誘う、心洗われる眺めである。そういえば、遠く市街を見下ろす土地柄故か、暑さも幾分穏やかに感じられたりもする。「実は取材と称して涼みに行っているのではないか」との疑いを受けそうだが、まあ、ここはひとつ御手柔らかに…(笑)。


逍遥雑記「洛西,大原野,勝持寺,大原野神社,百日紅,鞍馬石,大文字,五山送り火,お盆」

「百日紅」床しい勝持寺

田園を越え、更に上って、もはや道が途絶える場所に取材対象地「勝持寺(しょうじじ)」はあった。写真はその門前際の参道である。折しも満開に達した、美しい百日紅(さるすべり)の薄紅が床しく迎えてくれた。因みに、この花木の裏に、間近に開(はだか)る西山の姿がある。

勝持寺は、白鳳期(7世紀後半)に役小角(えんのおづの。役行者)が開いたとされる古刹。後に伝教大師最澄が再建し、かの西行法師が得度した場所としても知られる。


逍遥雑記「洛西,大原野,勝持寺,大原野神社,百日紅,鞍馬石,大文字,五山送り火,お盆」

西郊で知る盂蘭盆クライマックス

重厚で力強い姿の茅葺き屋根を持つ勝持寺の庫裡。山里である大原野の原初の姿を想わせる。

取材物は収蔵庫にあったのだが、そこに行くには本堂である阿弥陀堂を通らねばならない。折しもその堂内では、僧俗満ちて盆行事の最中であった。ここにきて、初めて今日が盂蘭盆会(うらぼんえ)クライマックスたる16日であったことを実感する。

熱心に経を聞く大勢の地元信者の姿に、また市街との違いを感じる。こんな特別な日に物見に現れた、他所人に対する訝しげな様にも…。


逍遥雑記「洛西,大原野,勝持寺,大原野神社,百日紅,鞍馬石,大文字,五山送り火,お盆」

巨大鞍馬石

意外と広い庭の、奥にあった建屋前にて見事な鞍馬石を発見。長さは子供の背丈程もある。人工と天然の際にあるような造形がいい。地味物ながら、これも稀少なものであろう。

さて、午前中には取材を終え、大原野をあとにした。午後からは家で色々とすることがあったのだが、どうした訳か進まない。体の倦怠感が酷いのである。どうやら連日の暑さによる疲れが極みに達したようである。夕方からは夜の来訪者の為に色々準備もしなくてはならないのだが…。仕方なく諸々を諦め、暫し身体を休めることにした。しかし、そうしていても暑いのだが…。


逍遥雑記「洛西,大原野,勝持寺,大原野神社,百日紅,鞍馬石,大文字,五山送り火,お盆」

西から東で盆終る

昼間休んだお蔭でなんとか夕方には動けるようになった。そして、夜8時丁度。来訪者達と共に16日恒例の、五山送り火「大文字」を見物した。今年もまた盆が終った。あとは、のちに合流した人達も含め、うちで酒食のもてなし。

こうして、朝西郊で始まった私の盆最終日は、深夜の東郊自宅にて終ったのであった。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年08月14日

京郊涼気


逍遥雑記「高山寺,漆喰,鳥獣戯画,明恵,茶,周山街道」

久々に北方の郊外へ

記事用取材の為、久々に京都市街北方の郊外へと出掛けた。場所は右京区山中を貫く清滝川中流にある古刹「高山寺」。鎌倉期の中興開山、明恵上人による日本最古の茶園や、かの「鳥獣人物戯画」で著名な寺である。

市と丹波京北地方を結ぶ山間路、周山街道沿いの駐車場から続く「裏参道」より境内入りする。そして、細く急な石段を上りきったところに現れたのが、目も覚めるばかりの写真の白壁であった。まだ補修されてから日が浅いものであろう。不備なく立つ角の様も、その新色と相俟って実に清々しい。

気になる始末

面白いのは、石垣の窪みに構わず壁の面位置が保たれていること。その為、窪み部分は、恰も白壁が迫り出すような姿となっている。これは、かなりの技量が要求されるところではなかろうか。よく見れば、作業が難しそうな迫出し下部も、抜かりなく巧みに始末されている。詳細は解らないが、今日最も気になったところである。

因みに、この壁は中興期建造の唯一の現存施設「石水院」外周の守り。写真にも見える、そこからの排水管に対する漆喰始末の仕様も面白い。


逍遥雑記「高山寺,漆喰,鳥獣戯画,明恵,茶,周山街道」

裏参道沿いの境内にある東屋(あずまや)。

市街よりひと峠離れた山中なので、さすがに涼感を得られた。先月よりの高温に音を上げていた身としては実に有難く、羨ましい限り。昨今続く夏毎の異常な暑さに対しては、そろそろ何か対策を講じなくてはなるまい。


逍遥雑記「高山寺,漆喰,鳥獣戯画,明恵,茶,周山街道」

国宝石水院の縁側に腰掛け、涼気にまた一息。庭越しに見える北山うえの夏空も幾分穏やかに感じられる。縁側そばに咲く花と共に撮ってみた。空の青をおさめる為、敢えて花の明度は犠牲にしてある。

例によって植物の名は詳しくないので、ご存知の方がおられれば、ご一報頂けると幸いである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年08月05日

個展観覧&撤収支援


逍遥雑記「林雅彦,masahiko hayashi deka,.la galerie,百花,cafe moka」

趣あるギャラリー。個展の主催者は彼……

夜、友人の個展観覧と、その撤収支援に出掛けることとなった。場所は大阪府北部、茨木にある「la galerie(ラ・ガルリ)」というギャラリー。丁寧に改装された重厚な古民家内に、デザイン事務所・カフェと共に併設されている実に趣あるところ。

友人である個展作家は、画家・イラストレーターの林雅彦氏。春から続けている私のイベント「胡羌鬲絶展」のライブで、エレクトリック・ベースを担当してもらった人である。即ち、特別ユニット「吉田エアプレイン」の一員でもあったのである。

そんな、芸達者で気心の知れた彼の仕事の観覧とその援助に向かったのである。つまり今日は林個展の最終日。本来は、別に日をとってゆっくりと観覧したかったが、自分のイベントとも重なっていた為、叶わなかった。林氏と「ラ・ガルリ」のKさんにはこの場を借りてお詫びしたい。

展示に感銘。暑くも充実した1日の終り

さて、林氏と共に撤収用の車輌にてギャラリー入りし、作業前のひと時に観覧させて頂いた。搬入時にも一部手伝ったので、出展作自体については知っていたのだが、やはり展示として完成された姿を見るのはまた迫力が違う。今回は特に大型絵画や林風の描き味を存分に活かした切絵作品が導入された、個人的に注目していた展示だったので、加えて深い感銘を頂けたのであった。来年予定されているという、京都での個展が一層楽しみとなった次第である。

そして、感銘の余韻に浸りつつ約2時間の撤収作業を終えて帰路についた。断続的に降っていた激しい雷雨は知らぬ間にあがり、また眠り浅い夏の夜が辺りを覆う……。

実に、暑くも充実した1日の終りとなった。


上掲写真:ギャラリー「la galerie」の入口部に飾られた林作品と、その個展案内状。


逍遥雑記「林雅彦,masahiko hayashi deka,.la galerie,百花,cafe moka」

個展撤去前に作品に見入る作家、林雅彦氏。お疲れ様…。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年06月08日

湖南山会


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

奇跡の予報逆転、山会決行!

前日まで高確率の雨予報、しかも実際前夜から強雨も降り始めてほぼ絶望的だった山会。しかし奇跡が起こった。雨は明け方までに止み、陽も見え始めて雨予報が消えたのである。確認の為に電話してきたK君の「藤氏さんの普段の行いがいいから…」の言を、諸々の後ろめたさから瞬時に打ち消し(笑)、開催を決定・発表した。

こうして、予定通り山会が開かれることとなったのである。写真は最初の到達目標「堂山」(384m)頂部である。途中の尾根上から望遠撮影した。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

今回行ったのは滋賀県南東部にある太神山系。通称「湖南アルプス」の名で多くのハイカーに親しまれてきた近郊の名所である。

前回紹介した比良山系に比して、標高は主峰「太神山(たなかみやま)」の約600mを最高とする程の穏やかさだが、変化に富んだコースや眺望により、独特の魅力を備えている。個人的にも大変好きな場所で、かつて山行・読図鍛錬に足繁く通った。

写真は、最寄のバス停「アルプス登山口」から林道を進む参加者。石山駅集合組に現地集合の1組が加わった。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

沢道・急登に挑み、頂きを目指す

堂山へ向かう急な沢道を登る参加者。雨のせいか、水量が多く、登山道に入る手前の天神川渡渉にて早くも靴が濡れる難に遭遇。距離や標高は大したものではないのだが、意外な状況や地貌に声を上げる人も……。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

堂山頂上直下の急登。剥き出しの花崗岩面に砂利が乗る足元の危うい場所。渡渉や沢道に次いで「第3の難所」と名付けた。意外と大人より子供達の方が快調。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

堂山山頂での昼食

バス停より約2時間弱、堂山山頂に到達した。折しも正午前。眺望が素晴らしいここにて昼食をとることとした。

奇跡の晴天から注ぐ日射が肌を刺す。湿度も高く、かなりの高気温である。それでも不快な盛夏より過ごし易い。潅木の木陰に入り、談笑しながらの楽しい休息となった。

写真はその山頂より西方を眺めたもの。直下に広がる田上盆地向こうの緑地は瀬田丘陵。更にその向こうには大津市街と琵琶湖が見える。最奥の山並中央の高まりは叡岳、即ち比叡山である。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

稜線を東へ

昼食後、堂山稜線を更に奥(東)へと進む。写真の如く、ちょっとした岩登りの箇所も現れた。即ち「第4の難所」。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

2座ある堂山頂部の東側より、西側を撮る。即ち先程食事をとっていた場所である。「アルプス」の名付けのもとになった奇岩景が見える。最も長大なものを勝手に「モアイ岩」と呼ぶ。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

途中、尾根道上に現れた落差数十メートルの大きなコル(鞍部)を通過。写真でいう、向かいの頂部と手前側頂部の間にある谷地である。

登山初心者で初参加のI氏曰く、「折角稼いだ高度を一旦下げるとは、何ともったいなく不合理な……」。しかし何事も単純にいく筈はあるまい。山は人生に似ているのである(笑)。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

風雅なアルプス景観の訳

花崗岩質の痩せた山肌に、樹々疎らに茂る典型的な湖南アルプスの眺め。稜線左の高みが堂山山頂である。尾根行く人も、画中人物の如く見え、あたかも「箱庭」の趣すら感じられる。雪舟等楊の山水画題にも使えそうな景である。

しかし、この風景はそんな風雅さとは程遠い事情により形成されたという。太古、この山域は檜の巨木林であったが、相次ぐ伐採や、戦火により失われた。痩せた山肌は、それにより土壌流出が起き、地表が荒廃した為に形成されたものだという。

いわば「人災景観」だったのである。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

クリスタルラッシュ発生

途中、私が水晶屑を拾ったことから始まった「ゴールドラッシュ」ならぬ「クリスタルラッシュ」。田上(太神)は古来より水晶やトパーズの著名産地であった。暫し、皆で宝探しに挑戦。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

鎧ダムの土砂河原で長休み

荒廃した山から出る土砂を食い止める為の砂防堰堤。明治中期にオランダより治水技師を招いて造られた所謂「オランダ堰堤」である。通称「鎧ダム」。

その鎧ダムによる堆積で形成された土砂河原にて沢水を湧かし飲んだりして長休みをとった。広々とした白砂上を幾筋もの清水が流れる心地よい場所である。


逍遥雑記「湖南山会,江東,湖南アルプス,太神山,田上,天神川,堂山,石山,里,第2名神」

山行終了。「晴嵐」での打上げ

そして天神川の谷筋に下り、山行を終了した。本来はここから更に主峰「太神山」を目指す予定であったが、時間と皆の体力を考慮して切り上げとなった。

バス停で現地集合組と別れ、18時前に石山駅に着く。そして駅近くの銭湯にて入浴後、同じく付近の中華食堂にて打上げ夕食会を行った。予想外に暑く、喉が渇いたので、皆最初のビール一口に表情が綻ぶ。因みに、銭湯も中華屋も偶然私の名と同じ「晴嵐」という土地上にあった為、何となくめでたく感じられた。

今日は予定行程の半分で終ってしまったが、その分色んな楽しみが味わえた。こんな余裕ある「寄り道的山行」もまたいいものである。皆さんお疲れ様、ご参加有難う……。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:14 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年06月03日

神宮幽明


逍遥雑記「第59回京都薪能,平安神宮,葵上,六条御息所,狂言」

夕刻、京都市東部は岡崎の地にある平安神宮を訪れた。普段は18時で閉門となるその境内只中に広がっていたのは、照明が仕込まれた大舞台と、その周囲に着座した観衆の群であった。

久方振りの「薪能」

今日は毎年この時期に行われる「京都薪能」の日で、前後2日ある内の2日目。本来なら前日は6月2日に行われる予定であったが、生憎の雨で順延となったのである。薪能とは、簡単にいえば夕刻から屋外で行われる能や狂言の催しのこと。本来は興福寺の行事名であったが、今はこの意で使われることが多い。

刻々と変化する空色や外気が醸す特有の緊張感に惹かれ、以前より方々のそれへ出掛けていたのだが、演者や場所が別格のここでのそれを最上としていた。有難いことに、うちから自転車で行ける至便地でもある。しかし、ここ数年行くことが出来なかったので久方振りの観劇となった。

人の怨情を扱う「葵上」、世の表裏を現出する能楽

雨天順延の為に予定が崩れ中途観劇することとなったが仕方あるまい。本日の「取り」演目であり、未だ見たことがなかった「葵上(あおいのうえ)」には間に合ったのでよしとしよう。

『源氏物語』に取材した「葵上」は、生きた人間を生霊・鬼にも変えさせる「怨情」を扱った作品。シンプルな装置や所作で形に成し難い人情の機微を表す、能という表現手法に極めて相応しいと思われた演目であった。鬼面を付けて乱れ舞う六条御息所(後シテ)より、普段と変わらぬ生霊(前シテ)姿で静かに恨みを述べるそれの方に凄みを感じたのは私だけであろうか。


表題の「幽明」とは、幽界と顕界(げんかい)のこと。つまり世の表裏である。能楽によって現出されるそれを表した。


上掲写真: 平安神宮境内に設けられた能舞台と、開演を待つ観衆。後方に浮かぶ本殿が鏡板(かがみいた。後背飾板)代りとなっている。舞台両傍で焚かれる薪の松煙が夕風にかおる。見上げれば、天蓋を覆う密雲が残照に波立つ……。何かが始まる予感。芸能の原点。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:14 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年05月29日

好物到来


逍遥雑記「日向夏,夏みかん,夏蜜柑」

念願の好物が漸く手に入った。宮崎産の「日向夏」(ひゅうがなつ)である。

日向夏は、宮崎が原産である「みかん」の一種。文旦(ぶんたん)と柚(ゆず)の交雑種とみられるもので、江戸後期に発見された。昨今の園芸果実の濃厚な風味とは趣を異にする、古種らしい自然な甘さと清爽な香に惹かれ、毎年その旬を心待ちにしている。

しかし、何故か今年は旬である連休頃を過ぎても目にすることが出来なかった。為に、遅れ馳せながら1箱注文することにしたのである。写真は届けられたその5キロ入りの小箱。箱のデザインもその風味同様、どこか控え目なのがいい。

父祖地へ繋ぐ「味の奇縁」

この果実と出会ったのは、昔東京に住んでいた頃のこと。父方の実家と同じ、宮崎出身の人から偶然振舞われたことが最初であった。それまで存在を知らなかったその美味に驚くと共に、時空を超えて父祖地へ繋ぐ「味の奇縁」に、感慨深くさせられたのである。


逍遥雑記「日向夏,夏みかん,夏蜜柑」

外皮を刃物で剥いてから食すという独特の方法が要る為、それを説明した紙が入っていた。知らない人の為に説明すると、日向夏は、白いワタ部分を含めた外皮以下の全てを食べることが出来る。実はこの独特の食感も、好みの理由になっている。


逍遥雑記「日向夏,夏みかん,夏蜜柑」

町家・古家に相応しい色調

味と食感、そして実はもう1つ好みの理由がある。それは、その色調である。

レモン等の外産果実の色とはひと味違ったその黄色は、漆器等の伝統食器や家具との相性がいい。つまり、古家に飾れば実に「様になる」果実なのである。どちらかといえば暗色多いその中にあっても違和感なく、それどことか、恰も初夏の陽気が訪れた気分にすらさせられる。日向夏は、私にとって正に町家・古家に相応しい果実の1つなのである。


逍遥雑記「日向夏,夏みかん,夏蜜柑」

古い水屋棚の中でもこの通りの役者ぶり。「セザンヌな果実」達ではこうはゆくまい(笑)。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:14 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年05月04日

江東鯰会U


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

今年も、人々の期待を裏切ることなく清爽の日が供された黄金週間。去年に続き鯰会が開かれることとなった。私の主催と言う訳でなく、参加の予定はなかったが、新座(しんざ)の人の為の連絡係として参加することとなった。いわば「つなぎ粉」である。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

今回は前回来られなかった人や、新たに興味を持った知人らも加わった為、賑やかな集いとなった。幼児を含めたその数は18人。拠点となる知人宅での待機者を含めると実に20人の大所帯となった。広々とした田圃の中、青々とした爽空の下で大人も子供も皆一緒に休日を楽しむ。

何かと忙しい時代、忙しい世代の知己たちが、多く集えて共に楽しめるのは、めでたい限り。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

鯰の捕獲法も前回と同じく網への追込み。子供より大人が水に入って懸命に獲物を追う様が面白い。因みに、私は今回それを行うつもりはなく、その用意もしなかったため水には入らなかった。あくまでも「つなぎ粉」、水につかれば役に立たなくなるのである。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

主線水路にて置き仕掛け調査や、魚影探索を行う参加者と、彼方まで広がる「麦畑」。驚くべきことに今年は水田が著しく減って麦畑が増大している。早くも、小麦高騰の世界潮流を見越した転作が行われたのであろうか。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

水田減少のせいか、鯰の姿が見えない。子供らが行う「ざりがに」や「おたまじゃくし」等の小物獲りは好調のようだが……。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

鯰は獲れないが、蛇は早々2匹目をみた。さすがは沖縄原生林「ヤンバル」帰りのK君(笑)。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

転作のせいか、日が悪かったのか、2時間程挑んだが結局捕獲は果たせなかった。唯一、置き仕掛けの1つに掛かっていたが、去年と同じく針が外れて逃げられてしまったのである。一同やむなく拠点宅へと引き返したが、そこには主宰氏が念のため用意していた鯰の姿があった。なんでも、この様な事態を想定して1週間程前に捕獲しておいたものだという。体長は40センチ程か。


逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

という訳で、あわれにもその鯰が犠牲となることとなった。今回は、1週間の飼育を経て臭みが抜けたのではないかとの推察のもと、ぶつ切りの炭焼にされた。結果は知る由もない。つなぎ粉の私は、皆に供する手打ち蕎麦作りに勤しんでいたからである。

去年の参加者で、今回中心になって焼さ作業をしていたH氏に聞くと、強い臭いが去年の味を髣髴させた為、食せなかったという。やはり、つなぎ粉として蕎麦つなぎに徹したのは正解だったようである。まあ、K君を始めとする新座の人には満更悪いものではなかったようであるが……。

ともかく、去年の様な捕獲の面白さはなかったが、皆が集えた楽しいイベントとなった。犠牲になられた鯰様には、その冥福を祈るばかりである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:16 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年04月30日

艶地余香


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

巡回の可能性もあるが一先ずは一段落した「胡羌鬲絶展」の翌週、京都南郊にある、とある古街を訪ねた。

イベント成功の高揚と、終竟(しゅうきょう)の脱力という、相反する心地を抱きつつ向かったのは「橋本」という街道集落(街村)。1956(昭和31)年に売春防止法が施行されるまで、所謂「赤線地帯」であった旧遊郭街である。

今から20年程前、写真をやっていた友人から、その独特の風情について聞かされて以来気になっていた場所であったが、これまで訪問する機会がなかった。それが今日、友人一家の同行という形で不意に実現することとなったのである。

実に20年来の念願達成、相反の思いに揺れる心にも適う、妙なる地への逍遥行であった。


上掲写真 橋本駅駅前の旧妓楼。2階部分に1間を4枚引戸にした計3室の客室跡が見える。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

橋本は、その名が示す通り、かつて淀川に架けられていた「山崎橋」の袂の地。大阪との府境辺り、男山山塊が淀川に迫る狭隘地にある交通の要衝である。その様な場所であった為、また男山石清水八幡宮参拝の人気にも絡み、古くから宿場が営まれ、遊郭街へと発展したようである。

京都市東部と大阪中心を結ぶ明治末期開通の京阪本線も、この街の賑わいに貢献した。写真の現橋本駅は当時設置されたものの後裔。拙宅とは電車1本で繋がる意外の至便地であった。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

旧京街道(大坂街道)沿いに残る妓楼建築。今は普通の住宅街になっているので極力静かに巡った。新しい住居も少なくない為か、意外と車輌の通行も多いので注意は怠れない。しかしながら、間口4間、即ち4室幅もある大型建築の迫力には圧せられた。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

橋本の建築については既に多くの所で紹介されているので、ここでは個人的に気になったそのディテール(細部)に迫り、かつての「余香」たるものを感じてみることにしたい。

先ずは、白薔薇を幾何学表現したような2階の欄間飾りから。白いガラスを木枠に嵌め込んで成されているようである。単純ながら、センスの良さたるを感ぜずにはいられないもの。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

これはある建屋の1階窓上にあった欄間彫刻。勿論手作りで、間口を埋めるように何枚も取り付けられている。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

某建屋2階側面に見えた「分銅形」の窓。小屋根下に格式高い格天井(ごうてんじょう)を更に設けている。賓客用の部屋であろうか。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

「分銅窓の建屋」の1階側面屋根部分。雨樋の造作も抜かりない。銅材による凝った作りで、古さによらず傷みが見られないことから、その厚みや表面処理の特殊さが窺われる。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

同じく「分銅窓建屋」1階側面。勝手口か。地味な装いだが、よく見ると恐るべき拘りが投じられている。銅葺きの円形「変り屋根」に、和船(淀川三十石舟?)舟板を用いた照明、そして銘木一枚板の扉と花崗岩製(白川石?)の欄干付き石橋である。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

今回唯一目にすることが出来たステンドグラス。戦前建築を象徴するかの如き貴重なものである。窓自体の形状も珍しく、また好感がもてる。

右手の空き地は隣接の妓楼が撤去されて出来たと思われるもの。奥の水路側に残る堅固な石組土台がその想像を補強している。緑の草地は水路向こうの淀川堤防。そして、その奥に霞むのは淀川対岸にあるかの天王山である。橋本には赤線廃止頃まで、そことを繋ぐ渡船湊もあった。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

橋本見学所感に於ける個人的な橋本の象徴、タイル。各戸の床や壁面に多用されている。写真はその中で最も気に入ったもの。土壁とを仕切る様に、白地に緑の帯模様が入れられている。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

軒下の電燈金具に残っていた古布。戦時中の灯火管制の遮光布ではないかと予想したが、正しくそうであった。隣家の婦人が現れ、友人に対する私の言を支持したからである。63年以上前の急難対処が未だに残っていたのである。戦時中も営業していたのであろうか。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

奥に中庭と「離れ」を持つ、大型商家に匹敵する妓楼の奥行。隣の建屋が解体された為、それが窺えるようになったが、至る所で同様が見られた。古屋の残存を感じた反面、やはり消失の進行も見せつけられた。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

駅前通りにたつ妓楼の側面2階にあった色硝子(ガラス)の窓。戦前製の可能性が高い、緑のダイヤガラスである。西日を受けたその内側には如何なる世界が広がっているのであろうか。


逍遥雑記「橋本,遊郭,京阪本線,八幡市,樟葉,山崎橋,渡し場,男山,ステンドグラス,色硝子,型板硝子,欄間,タイル」

同じく駅前通りにて。今度は青のダイヤガラスが正面2階の全面に使われている。何とも不可思議な光景だが、なぜか嫌味は感じない。


さて、西日が川辺の古街を艶色に照らす頃、見学を終えた。じっくりと巡り、20年来の念願を果したのである。時間が経ち過ぎていたため、実は既に風情が失われたと思って期待していなかったが、思った以上見るべきものに出会えた。

正しくの五月晴れの下であったが、「相反の心地」と相俟って、艶地の余香に少々酔気を受けたかの如き1日となった。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:16 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年03月11日

冬姿春暖


逍遥雑記「疏水,減水,鴨,夷川ダム,石垣,煉瓦」

所用の折に渡った疏水の橋上で、気になる景が目に入ったので、思わず画に撮ってみた。それは、見ての通り、減水した疏水の様であった。

減水自体は、水需要が落ちる冬に清掃や補修を兼ねて行われるものなので毎年見るものではあるが、これ程の陽気の中で見ることは珍しい。正に表題が示す通り、春暖の中に冬の姿を見る趣であった。そして、逆に春暖というスポットを浴びたが故に、平時との違いがよく感じられ、それへの強い感心が生じたのであった。

場所は、岡崎の熊野橋から東方を見たもの。手前の橋は東大路の徳成橋である。平時の疏水について知らない人は、去年4月にこのサイトで、同じ場所からの眺めを紹介しているので、見比べて頂ければ、その違いを了得頂けるであろう。水量や桜花の華やかさ等との違いは勿論だが、今回右護岸の一部が白化していること、即ちそこが補修されたということが判ることも面白いのではなかろうか。


逍遥雑記「疏水,減水,鴨,夷川ダム,石垣,煉瓦」

平時とは異なる清流の趣

水面に浮く鴨も、清流に遊ぶそれのようで、やはり平時とは大いに異なる風情を醸している。水が綺麗に見えるのは、水深が浅いことによるものだけではないように思われる。恐らくは、途中で流入する「白川」等の河川水や、谷水の混合比率が高い為ではなかろうか。


逍遥雑記「疏水,減水,鴨,夷川ダム,石垣,煉瓦」

満水時の対容量割合判明

眺めを西方に転じて現れた「夷川ダム」の船溜りもこの通り。水深は精々10数センチ程といったところであろうか。因みに、右手に見える護岸の明色部分が満水時に水があるところである。溢水位置までの約8分目までを占めるようである。こうしたことも、底が見えてこそ判ることであろう。去年紹介した同所の写真とも見比べて頂くとまた面白いと思われる。


逍遥雑記「疏水,減水,鴨,夷川ダム,石垣,煉瓦」

水底から現れた謎の河口跡と古式の石組み

夷川ダムの船溜り北岸に露出した「旧河口」跡。河口とするより排水口と呼ぶべきものかもしれないが、流れの口であったことには違いあるまい。コンクリートを使わず、煉瓦で塞がれていることから、かなり古い時代のものとみられる。同様の煉瓦姿が残る夷川ダムの建造時辺りのものであろうか。そうだとすると、大正3(1914)年程まで遡れそうである。

また、この周囲の石組みも城郭のそれを思わせる古式が窺われて興味深い。船溜り全景写真の石組みがどちらかというと洋風なのに対し、和様が感じられるからである。ともかく、違う様式、年式らしき箇所は他にも見られたが、この辺りのものが一番古そうであった。

たかが、水路の減水、そして春暖の現れ程度といえども、色々と発見があって面白い。潤いがなくとも、花がなくとも楽しみはあるものである。

さて、間もなくこの疏水にも水が戻るであろう。花瀾漫と化す、本当の春の訪れである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 11:57 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年03月08日

道花天神


逍遥雑記「北野天満宮,天神さん,神使,牛,梅」

そんな場合ではなかったのであるが、ついのぞいてしまった。北野の天満宮をである。こうも暖かくなってきたので、梅花の咲き具合が気になったのである。先月末、天神市に出掛けた友人から、寒さにより遅れているのではないかとの話を聞いて以来気になっていた。元々、他に先駆け寒を割って潔い様を見せるそれが好みで、待っていたということもあった。

写真は参道最初の門である楼門を入って初めに現れる石造牛、「神使の牛」(しんしのうし)。今は、撮影機を手にした観覧・参拝客らの人気者と化している。赤く造られた眼が、ただならぬ存在であることを知らしめているようである。


逍遥雑記「北野天満宮,天神さん,神使,牛,梅」

梅花の効果もあり、北野天神は最も賑わう時期となっていた。本殿中央の賽銭箱前には、鈴を鳴らす人達の行列も出来ている。


逍遥雑記「北野天満宮,天神さん,神使,牛,梅」

本殿を側面より見る。かくも艶やかな色使い、造作であったことを今更にして知らされた。


逍遥雑記「北野天満宮,天神さん,神使,牛,梅」

肝心梅花であるが、境内各樹の咲き様は5分以上7分未満といったところであろうか。十分観賞を楽しめる状態である。そして、境内は疎か、その近隣にまで漂う清い香も実に心地よかった。


逍遥雑記「北野天満宮,天神さん,神使,牛,梅」

梅花の背後で蒼空に陽を反す宝物殿の大屋根と唐破風。天満宮の神紋、「梅鉢」の黄金飾が梅花と呼応して華々しい。

さて、今回の表題であるが、「道花」は「みちばな」と読んで頂きたい。漢語様の四字表題としてはかなり違和感ある「訓読み」採用であるが、「道草」からの転用なので致し方ない。つまり、花にかこつけてサボタージュしたことを自白したまでのものであった。

どこぞやの、別社のことかと思われた御仁には、平にご容赦願う次第である。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 11:57 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年03月07日

茅家脩正


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),丸太町橋,山紫水明処,頼山陽,茅葺屋根修繕」

はや春を思わせるような日中(ひなか)に於ける所用の途上、賀茂の河岸で茅葺屋根の修繕作業と出会った。

場所は、丸太町橋上(北)の西岸、建屋は江戸後期の文人、頼山陽の書斎「山紫水明処」である。よく知られたものなので、わざわざ解説する必要はないだろうが、以前は手前の樹々が鬱蒼としていて河岸からはあまり見えなかったような記憶がある。最近は庭木共々、今日の様によく手入れされているようである。ともかく、貴重な遺構を心配していた身にとっては一安心である。

表題の「脩正」とは「修正」とほぼ同じ熟語として扱われるもの。今回は、それが有す「容を整える」という意で用いた。


逍遥雑記「賀茂川(鴨川),丸太町橋,山紫水明処,頼山陽,茅葺屋根修繕」

旧跡に迫る巨大マンション

切妻方向を枇杷葉を掠めてもう一枚。職人さんが日溜りで精を出す、実に長閑な眺めであるが、背後に迫る巨大なマンションの姿も気になる。恐らく、この場所も同様と化す危険がこれまで幾度もあったのであろう。公儀には、是非総合的な文化政策の遂行を望むばかりである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 11:57 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年02月24日

氷寒奇芸


逍遥雑記「古家,左京,氷柱.つらら,ツララ,積雪」

明らかにいつもとは違う冷え―。古家であるが故に部屋内に在ってもそれは歴然であった。曇天にも拘わらず異様な光度で目覚めを照らす朝の窓。そして、寒気を払い、磨玻璃の戸を引くと目を細めるばかりの白色世界が現れた。我が家のみならず、町全体が雪に覆われていたのである。どうやら、夜半知らぬ間に降った雪が積もったようである。

久し振りの「つらら」出現

そのような朝、我が庭先に現れたのが写真の景であった。天地・水平の感覚を狂わす不可解な姿であるが、正しく「つらら」である。トタン庇の積雪下端に出来たそれが、雪の下降と共に軒下部分に下ってきたのである。普段見慣れた姿と少し状態が変わるだけで、随分造形的面白さが出たように思われるのだが如何であろうか。個人的には、食虫植物の触手に通じる、何か有機的な印象を得た。

それにしても、この京都で「つらら」なぞを見るのは実に久し振りのことである。恐らくは子供の時以来ではないか。思えば、今年は既に何度か見ている。巷の説では、このまま温暖化が進行してこの様なものはもはや見れなくなる筈であったが、どう説明されるのであろう。「今年は特別寒かった」とでもするのであろうか。それならば逆に、「この数十年特別暑かった」ということも言えそうな気もするのだが…。まあ、庭先の雪程度を見て述べる話題ではないのでこれくらいにしておこう。

ともかく、最近思うのは、不便はあるが、こうした季節のデメリットも、暮しに変化がつくということでは、決して悪いばかりのものともいえないということである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 11:57 | TrackBack(0) | 逍遥雑記

2008年02月19日

仮泊探酒


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,,鴨川」

実は今月免許を失効してしまい、再発行の手続きをすることとなった。恥ずかしながら、すっかり更新するのを忘れていたのである。

再発行といっても、その手続き自体は更新とさほど変わらないが、問題なのが、自動車類の運転が一切出来ないことであった。京都市街に在住している人、またはかつてしていた人なら知っていると思うが、管轄の免許試験場は、郊外の交通不便地にある。よって、自分の車輌でそこへ辿り着けないとなると、時間や労力負担が著しく増すことになるのであった。証書更新の如き作業が、1日仕事と化す恐れすらあったのである。そんな訳で少々気を重くしていたのであるが、有難いことにそれを知った友人が好意で送迎してくれることとなった。

免許が導く酒の縁?

早くに出た甲斐あって、無事手続きを済ませ、午前中に再交付の免許を得た。そして、近くにて社用を済ませた友人の車に再び乗せてもらい、市街へ戻ることとなった。その途上食事をし、食後レストラン付近を少し探索したのが写真の場所であった。漆喰明るい土蔵造の甍から古式の煙突のぞくのは、ご存知酒蔵である。ここは下鳥羽、酒どころ伏見の西郊に当る場所であった。

実は友人が贔屓にしている「にごり酒」の蔵元がここで、1度訪れてみたかったらしい。よって近くに来たついでに寄ってみることにした。先程「探索」と記したのはその為であった。免許とは相容れないもののへの話題推移となったが、飲む訳ではないのでご安心を。否、それより酒蔵が存続するような郊外彼方に試験場を置き続けていること自体が相容れないのではないかと、開き直りたくなったりもする(笑)。


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,,賀茂川,鴨川」

酒蔵自体はすぐに見つかったのであるが、店舗が見当たらない。友人は折角なので1本買っていきたいと願っているのであるが、作業場や事務房の入口しか見ないのである。穏やかな冬日を受けつつ、暫し2人で蔵付近を往復する。


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,賀茂川,鴨川」

酒蔵の裏手(西側)。実は酒蔵は賀茂川の堤防も兼ねた旧街道上にある。よってそのすぐ裏手は河川低地となっている。現在は更にその外側にある堤防で川とは隔てられているが、写真で見るように高さ数メートルの高低差は残っている。古はここから船で酒米等が運ばれたのであろう。船に代わったトラックの出入口が、またそこに設けられているのが面白い。

因みに表題の「仮泊」とは船旅での臨時停泊のことである。我々の蔵元立寄りと、古の舟運をかけたのである。


逍遥雑記「伏見,酒蔵,月の桂,にごり酒,下鳥羽,,賀茂川,鴨川」

結局、小売店舗は酒蔵向かいにあるこの建屋内にあった。酒蔵に負けぬ実に豪壮な古建築である。建造年は定かではないらしいが、鳥羽伏見戦役で罹災したらしいので、明治初年頃の再建と思われる。ともかく、友人も無事、愛飲の品を入手することが出来た。

ハプニングを機に、また1つ地場の面白さを発見

そして、午後からの仕事を済ませたその日の夜、友人宅にてその酒を頂くこととなった。「にごり酒」なら既に幾つか優れた銘柄を知っていたが、これには驚かされた。別格の味だった為である。あとで調べて判ったのが、あの蔵元「月の桂」(増田徳兵衛商店)が、全国に先駆けて古の風味、「にごり酒」を復活させた栄えある蔵だったことである。郊外にて密やかに物づくりをしながらも、凄いところが存在するものである。試験場はいただけないが、これには脱帽させられたのであった。

とまれ、免許失効というハプニングを機に、また1つ地場の面白さを発見出来た1日となった。友人には感謝するばかりである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:06 | TrackBack(0) | 逍遥雑記