2021年06月20日

嵐峡解厳前

大堰川(保津川)の水面に浮く嵐山の屋形船

戻り梅雨翌日の景勝地にて

戻ってきた梅雨の雨も昨夜までに止み、またその中休みが続きそうな形勢となった。

ただ、昨日は京都市街で23度程しか気温が上らず過ごし易かったが、今日は真夏日の暑さとなる予報が出された。

何かを得ると別の何かを失う典型のような状況だが、まだ猛暑日とはならない分、マシといえた。

とまれ、そのような今日日曜午前、屋形船浮く涼し気な写真の地を訪れた。ご存じ、京都市街西北郊の景勝地・嵐山である。


朝の曇天と冷ややかな湿気に包まれる嵐山・保津峡の水面や樹々とコロナ休業中の茶店
朝の曇天と冷ややかな湿気に包まれる嵐山・保津峡の水面や樹々。右岸にはコロナ休業中の茶店がみえる。そう、今日は緊急事態最終日であった

涼しい嵐山での目的

嵐山には朝の10時台に着いたが、その時はまだ曇っており、雨が降る様な気配さえ感じられた。

ただ、そのお蔭や、昨日の雨の水気の所為か、比較的冷やかな温度に感じられた。

実は、今日ここへ来たのは嵐山散策が目的ではなく、河畔背後にある亀山(小倉山)でちょっとした初心者登山試行をするため。それ故、予報に反したこうした冷涼な気候は、好ましい状況であった。


嵐山公園亀山地区上部の展望所からみた保津峡景や大悲閣・星のや等

人の空いた午前の嵐山河畔から早速河崖の石段を登り、山裾の嵐山公園(亀山地区)に至る。その後、公園内の遊歩道を更に上がり、公園最上部付近の展望所から見たのが、写真の保津峡景。

渡月橋上流1km程の場所で、丹波・亀岡方面から山中を貫き東流する保津川(大堰川・桂川)の流れや、樹々繁る山肌が壮観を見せていた。そして、折しも陽が射し始める。

この画像では判り難いが、中央左岸に旅館・旧嵐峡館(らんきょうかん)を改めた高級旅館「星のや」や、その背後の山腹に、近世保津峡舟運を開いた角倉了以創建の大悲閣が見える。また、右岸には旧山陰線路線を流用した観光トロッコ線も見えたが、折悪しく列車が来る時間ではなかった。


コロナ緊急事態宣言下、嵐山公園亀山地区上部の展望所から見た多くの客を乗せ保津川を進む保津川下りの舟
しかし、トロッコに代わり、折よく保津川下りの舟は現れ、眼下にその様子を望むことが出来た。それは、続くように2艘現れ、共に意外の盛況が窺えた。1列4人掛けの椅子がほぼ埋まっているように見えたのである。皆マスクはしていたが、距離がとれない状況なのは如何なものか……


嵐山亀山公園外の展望所より眺めた嵯峨野平野や最奥に聳える比叡山
公園外の展望所より眺めた嵯峨野平野や最奥に聳える比叡山等。かの広沢池(中央上右)や大沢池(同左。大覚寺境内)、嵯峨釈迦堂(中央やや右。清涼寺)等も一望

公園外の山域へ

公園上部の展望所から更に上へ進み、やがて公園地区を抜け更に上へと向かう。道はもはや完全な山道となり道標もほぼ消失。公園外上部の山中は、地図や山になれた登山者の領域と化したのである。

陽が出て気温も上昇してきたので、初心者に配慮して休みつつ進む。写真は標高220m辺りに現れた展望地での休憩の際見た嵯峨野。


展望のない小倉山(亀山)山頂
「展望台」と記された標示に反し、眺望のない小倉山(亀山)山頂

ひたに急坂の尾根道を進み、やがて緩傾斜地に達する。亀山の別名通り、小倉山は亀のような山容をしており、その上部は台地状の比較的平坦な場所が広がっている。即ち、亀の背中に達したのである。

本来はこの亀の背に達した時に目的を終えるつもりであったが、同行初心者に余力も窺えたので、最高所の山頂まで向かうこととした。

ただ山頂は台地後方にあり、また林道や柵に制限されるため近道が採れず、比較的長い距離を経て達した。

山頂の標高は296m。麓の河岸は同50m程なので、250m程高度を稼げたか。初心者の試行と靴等の装備試験には丁度良い行動量であろう。

なお、山頂の様子は写真の通り。展望台と大書された札が樹に付けられているが、全く遠望が利かぬ状況であった。

亀の背辺りまでは過去何度も来たことがあるが、ここに来た記憶を呼び出せない。山頂は主道の外れにあるため、寄らずに過ぎたのか……。

山頂からはそのまま来た道を返し下山した。中途に休息を挟みつつ、である。下りは急で滑り易い場所が続き、慣れない人には少々辛い道程だったが、幸い事故や故障なく下ることが出来た。

下山後の驚きと懸念

下山後は折角なので少々麓を見歩いたが、暑さと急増した人出に驚かされる。やはり、事前に緊急事態宣言を解除する旨を発表したことは間違ったメッセージの発出となったのではなかろうか。

五輪開催まで約一月――。

無事個人的試行は終えたが、感染者下げ止まりの傾向と共に、諸々案じざるを得ない気にさせられた宣言解除前日となった。

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2021年05月04日

続2021春野営会

滋賀湖南アルプス山中に於ける野営会テント場

予想外の寝難い夜を経て

コロナ禍での実験的野営会2日目。

今日も朝から良く晴れた山日和となったが、意外にも前夜から未明にかけて低気温となり、皆寝難い一夜となった。

昨晩は0時半頃寝たが、その時点での簡易計の値は5度を切る寒さであった。後に知った京都市街の今朝の最低気温は10度程。滋賀南部にあり市街地にも近い標高300m程度のここでそんな低温となったことに少々驚く。

秋は気温のバラつきが大きいため、かなり寒い日に当たることもあったが、春にここまで低下するのは初めてであった。何事も油断禁物である。

また、春にはあまり生じない夜露・朝露が多かったことも異例であった。それは、正に天幕等の全てが雨に濡れる如き量があり、その湿度も寒さを助長したように思われた。

ただ、それ程の寒さも水分も、日の出と共に急速に減少し、はや朝の内に幻と化す程、昨日同様の温暖・乾燥に復したのであった。


「2021春野営会」初日の記事はこちら


上掲写真 滋賀湖南アルプス山中に於ける野営会天幕場。恒例の場所と異なり、湿地や藪に阻まれ平地に乏しいため各テントは比較的近接する形となった。私も、前夜、当然寒さに圧せられながら寝たが、それよりも、この状況に因り他者の鼾(いびき)を回避できぬことに難儀した(笑)。


吉祥川と天神川の分水嶺とその上に続く古い踏み跡道

分水界と水源探査

今朝は朝食を済ませてから少し余興を行った。野営地裏手の尾根から道のない斜面を登り、その少し上部に続く分水嶺を観察しつつ野営地の沢の源流を探索したのである。勿論、昨日同様マスク着用である。

野営地からは、いずれの沢もその源流が近く、観察に適していたため、随分前にも参加者の一部と探索をしたことがあったが、今日はまた別の参加者の希望により再案内することになった。

ただ、前回は沢を遡上したが、今回は尾根から。沢が大きく屈曲しつつ奥まで続いているため、早く到達できる分水界を先にし、その後源流から野営地まで下ることとした。

道なき場所とはいえ、鹿の食害の所為か、山腹に藪は少なく、高低差も数十m程度なので、難なく稜線に出られた。しかし、ここからが少々難しいところ。一帯は比較的なだらかな地形だが樹々により見通しが悪く、かつ支尾根が錯綜しているからである。

一応こんな時の為に紙の地図も持参していたので、それを参照して尾根を辿り沢の源頭を目指す。写真はその稜線の道。そうとは見え難いが、一応流れ下りる集落も異なる、歴とした川の分水界でもあった。

稜線上には薄く踏み跡の如きものが窺われるが、基本、廃道風情であり、地図を持ち、それを正しく利用出来なければ正確に辿ることは難しい。


吉祥川と天神川の分水嶺下に続く源頭の窪み

途中、古い巻き道などに誘引されるも、主稜線上を進み、やがて写真の河川源頭部に出た。上部奥が分水界の頂部で、そこから下に向かって続く、極浅い窪みが谷の始まりである。

見たところ、水気もなく、水源とは言い難いが、間違いなく沢の最上流部であった。


湖南アルプス山中の水源小湿地

そして乾燥した源頭の窪みを下ると、間もなく写真中央に見える更なる窪みが現れた。周囲から滑り落ちてきた枝等が溜まるその下には水があり、右側から僅かに流れが始まっていた。

即ち、これが野営地で我々が利用する沢水の源であった。小さな湿地状で沢が始まるのは、地形がなだらかなこの山域に共通する特徴でもある。

正に、老耼(ろうたん。老子)いうところの、人知れずひたすら恵を産む「玄牝之門(げんびんのもん。『道徳経』)」か……。


湖南アルプス山中の水源から黄色い頭を出す冠茸(カンムリタケ)
水源近くで発見した水中から黄色い頭を伸ばす植物。控えめで可憐な姿のそれは「冠茸(カンムリタケ)」とみられる。水中の落ち葉や朽木を養分として育つ変わったキノコらしい。ちょうど盛りなのか、広範にみられた


湖南アルプス山中の古い石積堰堤とその上部にあるコンクリ護岸
沢の水量が少し増すと、石組みの堰堤が現れた。この山域に多い花崗岩を用いる砂防堤である。恐らくは戦前の物とみられる。湖南アルプスは淀川治水の要として明治期から砂防工事が続けられている。都城や寺社造営用の木材伐採により古くから山が荒廃したためである。痩せた山林、野営に適した砂場の存在は皆その影響であった。堰堤上部に戦後のコンクリ護岸があるのも興味深い


源流のか細い流れが、やがて確りとした沢と化した、湖南アルプス山中の沢

当初はか細い流れであった源流の水も、やがて写真の如く確りとした沢となった。そして、程なく元の野営地に帰還。約1時間の小冒険の終りである。希望者共々、皆楽しんでもらって何よりであった。


湖南アルプス山中の野営地傍に放置された無数のトイレットペーパー

下山時の残念

その後、野営地にて参加者の個人的試みである手作り麺麭(パン)を賞味させてもらったりしつつ、昼食等を済ませた。

本来は初参加者がいたので、近くの名所(小峰)も案内したかったが、欲張らずにゆるりと過ごしつつ、撤収の準備に入った。

そして、全てを片付け、忘れ物や消火、ゴミの確認を抜かりなく行い下山した。昨日先客に占められ、今は無人と化した、いつもの野営地も通過したが、そこで、写真に見える残念な光景が目に入った。

見ての通りの、トイレ紙の散乱である。ハイカーの通路、またはテント場の直近でのこの有様。しかも、写真のものだけでなく、近くにもまた別の同様があった。

これを残したのは昨日の先客らか、大人数の日帰りハイカーかと思われる。先ずは場所をもっと奥にするべきだが、靴先で簡単に穴が掘れる場所なのに、せめて埋められなかったのであろうか。次にここへ来る人がこんな光景を見せられてどういう思いになるのか想像できないのか。

また、コロナ禍の状況下では、防疫的にも大問題の行為である。

全くもって情けない限り。これらは年端もゆかぬ若者ではなく、親子連れや中高年の団体の所業なので尚更である。これでは山に入る資格は無い。

こんなことではハイカーやキャンパーの評判を落とし、入山自体を禁止されかねないので、厳に慎んでもらいたい。

無事試行終了

さて、最後に良からぬものを見て、愚痴めいてしまったが、野営会自体は無事下山出来、帰宅も叶った。

今回の「試行」の課題としては、生野菜の扱いがあげられるか。野外での防疫の限界から、やはりそれは止めるべきかと思われた。もしくは個人で用意すべきかとも……。

とまれ、皆さんお疲れ様でした。色々とご協力有難う、またよろしくお願いします!


「2021春野営会」1日目の記事はこちら

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2021年05月03日

2021春野営会

滋賀県南部・太神山中の沢や山林

緊急宣言再出下
野営の厳重試行


案の定の、新型コロナ緊急事態宣言の再発出。これで3度目となるが、2度目が解除されてから僅か一月余の事態であった。

前回の宣言は感染者が減りきらない時点で解除が行われ、方々から懸念の声が上がったが、やはりそれが的中することとなった。大いに人が動く花見期を前に、脈絡に乏しい宣言解除が齎した報いは実に素早かった。

しかも、今回は全国で大阪が最も感染が多い場所となり、これまでの東京を中心とした拡散重心が関西にも分派するという新たな状況となった。

そういう訳で、今年も4月末から5月初旬の間、即ち「黄金週間」は、昨年に続き自粛が呼びかけられるようになった。

非強権体制下で早くに事態を鎮めた国や地域もあるのに、1年以上経って同様の繰り返しとは失政と言うほかなく情けない限り。春の内で最も良い気候のこの時期にまた不自由を強いられるなど実に迷惑千万な事態である。

故に、逼迫する医療態勢等にも鑑み、予定していた野営会を延期することも考えたが、参加者が極めて少ないこと、自家用車を活用した近隣間の「ドアツーフィールド」で殆ど他人と接しないこと、フィールド内でも感染対策を徹底できることなどから、予定通り実施することとした。

この調子では、まだまだコロナ騒動も収まりそうにない。また、収まっても類似の出来事がまた起こり得るだろう。今回の野営会は、そんな状況下でも安全に実施でき、身心の健康等にも益する為の試行ともなった。

但し、本来は連休前半を予定していたが、荒天と友人婚儀の延期により(これも気の毒な「コロナ鎮静失敗被害」)、急遽今日の決行となった。


上掲写真 前日までの荒天が改まり、申し分ない天候となった、滋賀県南部・湖南アルプス山中の沢や山林。人界の憂いや騒動を他所に、いつもと変わらぬ新緑の爽景を見せていた。


緊急事態宣言下にも拘らずレジャー客の車で埋る湖南アルプス麓の林道
緊急事態宣言下にも拘らず遊山車輌で埋る湖南アルプス麓の林道

初めて見る盛況
良からぬ予感も


非常時のため公共機関を使わず、滋賀県在住者の車の迎えを受けて出発し、程なく現地山麓に着いた。いつもより早めに出て時間的にもかなり早く着いたが、驚くことに麓の駐車余地が全て埋まっていた。

川沿いの林道たるそこは例年バーベキュー場所として混む場所ではあったが、空がないほどの状況は初めてであった。仕方なく駐車場を探すことに暫し時間を費やし、その後偶々空いた場所に何とか停めることが出来た。

緊急事態宣言により、近場に人出が集中したのであろうか。暫く荒天が続いた後の久々の晴天ということもあろう。しかし、よく見ると、車の鑑札には大阪等の他府県も多く、中には関東ナンバーも幾つかみられた。

こうなると自分達の緊張感も揺らぎ、自粛の効果にも疑いを感じざるを得なくなる。また、まだ気温が上っていないのに早くも堰堤で泳ぐ家族やそのテント傍の落ち葉上に放置された焚火、ネットで得た低解像度の地図を示しながら現在地を訊いてくるハイカー等に、懸念や危険を感じた。

特に最後の例は2組もあり、安全が危惧された。基本的に、場所の特定が容易な車道で現在地を訊いてくるような人は山に入ってはいけない。都市に近く、低山とされるここでも、行方不明や遭難死は珍しくないのである。

これも、コロナ禍が引き寄せた事象か。賑やかなのは結構だが、何やら嫌な予感がしてきた……。


湖南アルプスの野営地に構築した竈

初の別所設営

麓での予感は山上にて的中することとなった。途中の登山路は然程人は多くなかったが、いつもの野営地に2組も先客がいたのである。

ゴールデンウイークとはいえ、これまで他人と被ったことがなく、同じ場所で長く続けてきて初めてのことであった。これもコロナ禍の影響か。以前我々が野営していたのを目撃し、真似たのかもしれない。

地下に埋めていた炉が掘り返され、妙な改変を受けていたことは気になったが、自分の土地でもないため、仕方なく別の場所を探すことにした。

写真は、その新天地で新たに構築した炉。調理用の竃であるが、今回は縄張(凡その規模や通気の方向)だけ私が決め、製作はI氏に担当してもらった。結果は、底に助燃用の空隙を備えた中々良い炉となった。

その他、平地が少ないため、テント場の整地等に手間取ったが、なんとか他の設備も整え新野営地を完成させた。一段落後、少量持ち込んだビールで一応祝杯。勿論屋外とはいえ会話はマスク着用、離れての賞味である。また、荷物になったが、除菌スプレーも備えて都度の消毒も心掛けた。


野営地の炉の上に設けたストックとシートやロープを使った夜露・朝露除けの屋根

夜の食事・晩酌も問題なく

その後、写真の如く炉の上に夜露・朝露除けの屋根を設けるなどし、夕食の支度に入った。調理前に消毒し、マスクのまま準備をして調理を完了。

献立は、鮟鱇(あんこう)と鶏その他の鍋と、焼肉・焼野菜に白飯であった。勿論、食す際は、遠く離れて立ち食いか、「あっち向いてホイ」の余所見食いである(笑)。

夜は差入れの稀少焼酎等で晩酌もしたが、皆の理解と協力もあり、防疫的に何ら問題なく楽しむことが出来た。


「2021春野営会」2日目の記事はこちら

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2021年02月20日

比良軟雪行

JR湖西線の列車車窓に現れた冠雪する比良山脈南端部の権現山やホッケ山

今季最後(?)の近場雪山行

先々週の山行で、今季の雪と冬の早々たる終焉を感じさせられたが、意外にも寒波が再来した。

今週半ばからがその時機であったが、先週末に京都市街でも20度程まで上がった気温が一転し朝は-2度、午後も5度程までしか上がらない日も現れた。隣県滋賀北部では80cmを超す積雪が復活し、雪山の回復が窺われた。

ただ、今日午後から気温が高まり、明日以降また20度予報が出るなどの急転回も迫っていた。因って、近場の雪山に親しめるのは、今日が最後との危機感を感じ、予定を圧縮・調整してサッと出かけることにした。

朝早めに出発し、午前中に終えて帰宅する予定であったが、何と突然の車輌不具合により叶わず、急遽列車を使うこととなった。


上掲写真 JR湖西線の列車車窓に現れた冠雪する比良山脈南端部。思惑通りかなりの積雪回復が窺われた。因みに、中央左の鈍い峰はお馴染み権現山(標高996m)で、同右の鋭角峰はホッケ山(標高1050m)である。車輌不具合がなければ、山脈裏から権現山左のアラキ峠(雪の少ない場所と多い場所の境付近の鞍部)に出て稜線を北上(右行)する予定であった。


JR志賀駅のホームや田畑等に残る雪と彼方まで続く背後の比良山脈
JR志賀駅のホームや田畑等に残る雪と彼方まで続く背後の比良山脈

志賀木戸から打見・蓬莱山へ

移動手段は変わっても比良山脈に行くことは変わらなかったが、駅や登山口の関係で目的峰やルートの変更は強いられた。時間も遅くなったので今回は乗車時間が短く、かつ駅・登山口間の距離も近い志賀駅で下車。

そして、登山口から向かう峰は打見山(標高1108m)と蓬莱山(同1173.9m)とした。その進路は、東麓から西上して稜線に達し、その後南行するといった、いつもとは全てが逆のものであった。


志賀駅近くの木戸集落の田や屋根に残る雪と、その向こうに覗く琵琶湖
志賀駅最寄りの木戸集落の田や屋根に残る雪と、その向こうで陽に煌めく琵琶湖。雪は昨日辺りから融け始めたようだが、麓でも相当降ったようである。ただ、今日は既に午前から気温が高かったので、これも今日までの眺めか。山上へも急がねばならない


古い家屋が残る木戸集落から見上げた比良・蓬莱山
古い家屋が残る木戸集落から見上げた比良・蓬莱山。近くに雪山が聳える北国的な景観・風情である。因みに比良と琵琶湖狭間のこの地域は古来交通の要所であり、かの織田信長と浅井・朝倉連合軍との最前線と化したこともある。木戸城と呼ばれた城塞があり、明智光秀らと対峙し、その後湖上の信長との挟撃に因り落城したという


少々雪残る、登山路「キタダカ道」と重なる林道
山麓の歴史集落・木戸を抜け近年通された自動車道を潜り、登山口たる山裾の林道に入る。路上に雪が現れたが、まだ大した量ではないため足下の対策はなしで進む。上昇する気温の所為で、樹上で融けた雪が雨の如く降り、また時折雪塊も落ちて冷たい。道は平坦に見えるが、集落に入って以降、かなりの傾斜が続いており、林道もまた然り。比良の東(湖西)側は湖岸から立ち上がる急峻な地形の為そうなっている。一説には、意味不明な「ひら」の名はアイヌ語で急崖を意味する「ピラ」が源という


雪に埋まりつつU字状で続く、湖西・木戸集落と山上を結ぶ牛車古道で登山路の「キタダカ道」
林道が終ると本格的な山道となり雪が増えてきた。山道とはいえ、U字の溝状に続く古の牛車道で、折り返しを繰り返す「つづら」で急斜の山肌に続いている。山腹や山上には名産の花崗岩「木戸石」の石切場があり、嘗てはそれや炭等の物資が運ばれた古道であった。登山図等には「キタダカ道」と記されるが、その意味や由来等の詳細は不明


雪の比良・キタダカ道に現れた天狗杉
つづらの連続を進んで徐々に高度を上げ、キタダカ道の主たる天狗杉も出現。久々に訪れたが、付近には平成30(2018)年21号台風によるとみられる倒木被害が見られ、天狗杉向かいの聖地跡(祠跡?)らしき平坦地等も判り難くなっていた。積雪も増え始め、ワカン(輪かんじき。雪上歩行具)の装着も考えたが、確かな先達の踏み跡があったため、そのまま進む


積雪あるも融け始めた比良・キタダカ道の稜線付近
親の仇の如く続くつづらの登りに疲れ・呆れつすること約1時間で漸く稜線に出た。積雪は3、40cm程となったが、表面が融け始めて心地良からず。特に先行者が踏んだ底部は、みぞれ状となって足を滑らせ疲労させられた


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なだらかな稜線道を進み、木戸峠方面即ち山脈横断古道と打見山への分岐たる花崗岩露頭地「クロトノハゲ」からまた上昇。見上げた頭上に打見山山頂に建つスキー場施設も見えたが、それはまだかなりの高みにあった


雪の比良キタダカ道途上にある壊れた小鳥居ある礼拝所と眼下の琵琶湖
稜線の急登を進むとこのような聖地も現れた。修験行者の礼拝所か。静謐で清々しい場所だったが、突如大きな機械音が響いた。それは、恰もかのB29爆撃機の排気タービンの如き轟音であった。先を見ると空中に幾本ものワイヤーが渡され、山麓と山上を結ぶ巨大なゴンドラ(ロープウェイ)が通過していた。現代に於いては修行も中々成し難いか……


キタダカ道上部の巻き道から見た完全冬山風情の蓬莱山
道はやがて打見山山頂下を巻き始め、蓬莱山やそのスキー場を望むことが叶った。こう見ると完璧なまでの雪山状態。しかし足下は更に融解が進み歩き辛さが増すばかりであった。アイゼン(靴底氷雪爪)を履くべき条件だったが、山頂が近く、またザックを雪上に置き難い状態だったので、我慢することとした


急速に雪が融ける、比良・打見山山上の平坦地「寺屋敷」
見る間に軟化する雪に苦闘しつつ、やがて打見山山頂直下にある平坦地「寺屋敷」に到達。その昔、寺があったとされる場所で、鳥居が見える場所には貴重な水場もあった


比良・打見山山上のスキー客と雪の蓬莱山
そして打見山山頂着。見ての通りの、スキー場内で、山頂の趣はない。実は寺屋敷からここまでの僅かな急登が最も登り難かった。写真左に水滴が写っているのもその影響。標高が高い山上とはいえ、日射の強さに大きく影響されたようである。なお、スキー場はこの写真の状況以上に多くの人で賑わっていた。雪質に障るが、この陽気なら活動し易そうで何より


比良山脈・打見山山頂からみた完全冬山風情の同山最高峰の武奈ヶ岳
打見山北方には山脈最高峰・武奈ヶ岳(中央奥。標高1214m)も見えた。温暖ながら、こちらもまだ完全冬山風情。本来は今日ここへ行ってもよかったのだが、車輌がないと時間的に厳しいため断念!


雪が融けて歩き辛い比良・打見山直下の巻き道とびわ湖バレイのゴンドラリフトの支柱
雪が融けて歩き辛い打見山直下の巻き道とゴンドラリフトの支柱(右)

益々腐る雪道厭い下山

山頂脇の静かな展望所で琵琶湖を眺めつつ本日唯一の休息をとり、養分及び水分を補給した。気温が高いことと足下の悪さは疲労を大きくさせた。元より標高89mの駅から丸々1km以上の高さを登ってきたことも影響した。

しかし、皮肉にも展望所に座った途端、冷たい強風が吹き荒れ寒くなった。上着のフードを被らねば居られない程である。遮る物がない稜線地形と、気温は上れど未だ大量に雪残る地表条件に因るのか……。

休息後、元来た道を辿る下山を開始。蓬莱山行きは、後の用や人多いゲレンデを歩くこと等を考え断念した。雪質は僅か30分程で更に変化し、一層歩き辛いものに。急斜では、底の踏み跡に水が流れる酷さであった。

転倒の危険を避け、下りはアイゼン装着で臨んだが、雪底の石に刃や雪除けのプレートが当たることが多く、心地良いものではなかった。


比良・打見山からの下山後、大幅に雪が減じた木戸の耕地や集落と彼方の琵琶湖

くすぶるばかりの帰路行

そして下山。駅から往復4時間半程の山行が終ったのである。写真の如く、空はいつしか曇ってきたが、麓の雪はすっかり減じていたのであった。

うーん、確かに雪はあり、良い体力鍛錬にはなったが、どこか雪山・冬山とは言い難い山行となった。これを今季最後として良いのやら……。

何やら、思いきって決行しながら、思いきれない結果となった。そんな思いにくすぶるばかりの帰路列車行となったのである。

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2021年02月07日

比良融雪

雪が融け、杉の葉散らばる旧花折峠道。滋賀県葛川平の比良山中

残念は承知の上で……

今週末も冬山鍛錬へ。向かうは、前回同様最寄の多雪地・比良山脈南部。

ただ、あれから気温が高かったり、雪が降る条件が殆ど無かったため、残念ながら雪が少ない状況となっていた。

往復の車行で路面に気を遣う必要が無いのは良かったが、正直気が進まない。だが、とにかく出掛けることにした。

今回は凍結の恐れもないため前回より早めに家を出て、9時半頃麓に到着。準備して10時前頃から山に入った。

なお、前日の山上スキー場の積雪が、50cmの人工雪のみとあったので、ワカン(輪かんじき。雪上歩行具)は端から持参しないことにした。


上掲写真 雪が融け、ただ杉の葉散らばる旧花折(はなおれ)峠道。登山路に入る手前の旧道で、前回はここに雪があり、その下が凍って危険な場所となっていた。やはり山肌や側溝からの水が凍結していたようである。


2月初旬にもかかわらず全く雪の無い、比良山脈南部のアラキ峠
雪の無い旧道を少し登り登山路の急登を上がって辿り着いた、稜線鞍部「アラキ峠」。標高766m、元々風が抜ける場所のため積雪は少ないが、今日は微塵も雪は無し。登坂行動による暑さも、いつになく増し、辛い。


2月初旬にもかかわらず全く雪の無い、比良山脈南部の権現山山頂
アラキ峠から森なかの急登の稜線を進み、やがて権現山山頂に至る。標高は996mに上昇したが、やはり全くといってよいほど雪は無し。やる気が失せてきたが、体力づくりの基礎鍛錬として、気を直し先へ進むこととした


2月初旬にもかかわらず雪の無い、比良山脈南部の縦走路とホッケ山山頂
権現山から北上する山脈縦走路も、この通り雪は無し。いつもなら雪が増してくる場所であるが、彼方のホッケ山山頂下に僅かな雪庇跡の雪を見るのみ(中央)。前回同じ場所から撮影した時との違いを嘆じざるを得ない


2月初旬にもかかわらず雪の無い、比良山脈南部のホッケ山山頂や彼方の蓬莱山
そして稜線上の一峰「ホッケ山(標高1050m)」着。ここも、元来、風により雪の少ない場所であったが、今日は、もはや春山の様な状況であった。山上標識向こうには、更に北上、高度を増して続く稜線の山々が見えるが、もはや絶望的ともいえる無雪ぶりであった


比良山脈南部のホッケ山山頂から見た、2月初旬にもかかわらず雪が無い丹波高地
ホッケ山山頂から西は丹波高地方面を見る(右手前とその他奥の山々)。同山地は比良より標高が低く、雪も少なめなので全く雪は見られなかった


2月初旬にもかかわらず雪が無い、比良山脈南部の高峰「蓬莱山」山頂に続く笹原の道と頂上のスキー施設
蓬莱山山頂に続く笹原の道と頂上のスキー施設

今日は更に足を延ばし……

本来ならホッケ山から少し進んだ小女郎ヶ池(こじょろがいけ)辺りで折り返すのだが、今日は更に縦走路を北上し、比良山脈第3位の高峰「蓬莱山(1173.9m)」を目指すこととした。

それには、山脈南部の高峰の積雪具合を見たいとの思いもあった。それにしても、雪解けの泥濘で足が汚れるだけの半ば空しい冬山行が続くが、まあ致し方あるまい。

そして、何やら雲行きが怪しくなってきた。


2月初旬にもかかわらず雪が無い、比良山脈南部の蓬莱山山頂の方位盤や石塔及び南方はホッケ山・権現山の眺め
蓬莱山山頂に置かれた方位盤や石塔及び南方はホッケ・権現山等の眺め

見通しの良い笹原の登坂を終え、やがて蓬莱山山頂に到着。スキー施設から流れる音楽が賑やかで、リフトから降りくるスキーヤーの出で立ちも華やかであった。

ここに至り、今日初めての休息と栄養・水分補給を行う。そのお蔭で午前中に着くことが出来たが、俄に風が強まり寒くなり、石積の陰で暫し過ごすこととなった。

しかし、辺りにやはり雪は無し。スキー場のゲレンデこそ人工雪が敷かれていたが、その他は見ての通りの季節感の無さである。

写真は、南方は来た道のホッケ山や権現山方面であるが、それらの北面に僅かに残る雪が、冬の景であることを証してくれた。


蓬莱山及び奥の打見山に連なるびわ湖バレイのスキーゲレンデやリフト
蓬莱山及び奥に連なる打見山のスキーゲレンデやリフト。画像では判じ難いが打見山側の斜面やリフトの向こう側の斜面には多くのスキーヤーの姿があった。皆雪の少なさや雪質の事は承知の上で、今しか出来ない活動に興じているのであろう。スキーをやらぬ身ながら、大いに共感させられた


雪が無いなかでも氷雪に閉ざされる小女郎ヶ池
意外に氷雪に閉ざされていた小女郎ヶ池。ここだけ釧路湿原の様な姿か(笑)。道東の親類によると、先般流氷が来てから-20度近い気温に曝されていたらしいが、何やら別世界・別時代の話のように思われた

記録的暖冬の去年に劣るか

寒く、天候も怪しくなったので、食後早々に蓬莱山頂から撤収した。元来た道を辿り帰るのである。そういえば、予報では午後から降水確率が上るので、急ぎ下るのが賢明と思われた。下山後も山間の車行が待っている。

帰路途中、縦走路から少し外れた小女郎ヶ池を覗く。標高の高さと囲まれた地形故か、意外にも池面の融解は無かった。とはいえ、みぞれ塊のような状態ではあったが……。

池からは、前回同様、道なき近道を行く。雪が有った時も足を取られて難儀したが、今回はその代わり笹原が障害となった。まあ、丈が低いため然程のものではなかったのではあるが……。

因みに20年以上前は蓬莱山手前やその他比良南部稜線の笹原は今と比べとても深かった。確か見通しがきかぬ程だったと思う。それが、竹同様の60年に一回という一斉枯死を経て、漸くここまで再生してきたのである。

まあ、近道と称して戯れられるのも、今のうちであろう。

そして、ホッケ・権現・アラキ峠と逆巻きして難なく下山出来た。帰りの車行も雨に遭うことなくあっさり帰宅出来たのであった。

麓からの往復距離はちょうど10kmで、積算上昇高度は950m強、時間は3時間強の行程となった。雪が無く残念な山行となったが、重荷や登高により10kmジョギングしたより遥かに良い運動・鍛錬になったので良しとした。

しかし、今年は普通に寒く、雪も降るという予報だったのに、厳冬期の今がこの様では怪しい限りである。これでは、記録的暖冬とされる去年に劣る状況である。

これも全球温暖傾向の流れなのか。とまれ、なんとか雪山ハイクやスキー等の、冬特有の活動がもう少し楽しめるよう、願うばかりである。

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2021年01月11日

年初探雪

比良山脈南端の権現山山頂付近の樹枝に付く樹氷(海老の尻尾)

今年初の雪山行

正月松の内はまだ明けていないが、祭日を利用して今年初の雪山鍛錬に出た。場所は前回同様、隣県滋賀西部の比良山脈南部。

家がある京都市街東部の左京区南部からは、大原経由で北上すると、車行1時間もかからない近場である。ただ、途中2所の峠があり、気温が低い場合は冬タイヤの装備がないと凍結等の危険に遭う恐れがあった。

その為、わざと朝遅めに出発。本来は隣県の比良ではなく、距離的に近い京盆地北縁の北山(きたやま)は雲取山(標高911m)に行きたかったが、そこへと向かう峠道が昨夏崩れて以来通行止めとなっているため諦めた。

異例の復旧遅延。これも、新型コロナの影響か……。

そもそも、気温が低い日が続いた割には降雪が少なかったので、より北方で、標高の高いこちらを選ばざるを得なかった、という事情もあった。


上掲写真 比良山脈南端は権現山(標高996m)山頂付近の樹枝に付く樹氷(海老の尻尾)。厳しい姿だが、白氷が青空に映えて美しい。


葛川平集落外れの積雪状況と、国道を横切る旧花折峠道

トンネルを抜けるとそこは……

目論見通り、山間や峠の雪や凍結は消失していたが、最後の隧道を越えた山麓では国道の路面以外全て氷雪で閉ざされている状況であった。

尤も、標高500m近い北向き谷あいの集落のため致し方ないが、正にぎりぎりの条件であった。更に到着時は天候が怪しく、小雪も舞い始めていたので、状況悪化で帰れなくなる心配も生じた。

その様な状況下、なんとか駐車地を確保して登坂の準備をする。写真は山麓集落外れの旧道口。国道以外皆雪で閉ざされている様が良く判るであろう。実は本来この対面山地の皆子山(みなごやま。971m。京都市左京区)に行きたかったが、里道に入れず登山口に接近し難かったため断念した。

なお、撮影場所から2車線の国道で一旦分断されつつ左上方に続くのが、隧道が出来る前の峠道。比良山上への登山口はそこを暫く進んだ先にあるので、一先ずはそこを進んだ。

ところが、旧道に入った途端、大変滑り易く危険なことに気づいた。旧道も舗装されているが、雪の下が凍結していたのである。正月に降った雪が融解し、また凍ったのか。

大層な物ではないが、一応氷雪対策のされた冬靴を履いているので、そのまま慎重に進んだ。


雪が積る、葛川平・アラキ峠間にある比良山山腹の天然林

道の有難み

凍結で危うい旧道を進む。どうやら、路肩の土崖や側溝から出た水が路面を凍らせているようである。標高的には先程通過した隧道付近の方が高いので、本来は車行も出来ない地であることを知る。

図らずも、道やその保守の重要性・偉大さを再認識させられた。実は、ここ最近、古代の交通について集中的に再学習しているが、その影響から、「道は国家なり」との感慨が、均衡をとりつつ進む頭に浮かんだ。

写真は、旧道と別れ、登山道を進んだ先にある山腹天然林の積雪状況。その深さは10cm以上か。谷なかを進む場所では沢水が凍結して大変滑り易い場所も現れたが、そのまま慎重に通過した。


比良山脈南部・アラキ峠手前の雪の巻き道。
比良山脈南部稜線の一つ、アラキ峠手前の道。積雪は20cm程となったが、主路ということもあり、踏み跡が多く、特段難なく進むことが出来た


風で雪が飛ばされた、比良山脈南部のアラキ峠
そしてアラキ峠着。標高は766mあるが、風が抜ける場所の所為か、その積雪は極めて薄かった

主稜線近くの意外

なお、本来は皆ここでアイゼン(靴底氷雪爪)やワカン(輪かんじき。雪上歩行器)を装着するが、今日はまだ雪は少ないとみて、主稜線である権現山山頂までそのまま進むことにした。


比良山脈南部のアラキ峠と権現山間の急登の雪道
アラキ峠から続く権現山への雪道。峠・山頂間のこの急登も踏み跡によりワカンは不要だったが、七合目辺りから意外に雪が深くなり、滑り易くなった。ただ、滑落等の危険はないため、山頂までアイゼン装着を我慢した


比良山脈南部・権現山山頂近くの雪原と樹氷ある樹々
権現山山頂近くの雪原や樹林。今日は比較的暖かくなるとの予報だったが、山上ではまだ樹氷が見られる寒さであった


比良山脈南部・権現山山頂の積雪と琵琶湖南部
そして雪の権現山山頂着。標高は996m。ここも風のため雪は少なめだが、それでもしっかり載っている。彼方に見える細長い水面は、琵琶湖の南部、即ち「南湖」である


権現山山頂から北へ続く雪の比良山脈縦走路と蓬莱山や琵琶湖北部(北湖)
権現山山頂から北へ続く雪の縦走路と蓬莱山(左・標高1173m)や琵琶湖北部(右。所謂「北湖」部分)

雪ありハゲあり

アイゼンを装着し、縦走路を北上。積雪は30cm程だが、途中の鞍部では、やはり風の影響か、地面の露出も見られた。


比良山脈南部のホッケ山とその山頂際の雪庇や山上の登山者
縦走路を北上して現れたホッケ山(標高1050m)とその山頂際の雪庇や山上の登山者。年末と比べるとやはり雪は多い


比良山脈南部のホッケ山山頂と雪の丹波高地
雪の坂道を登り、間もなくホッケ山山頂に着いた。ここも強風の所為か地面が露出している。なお、後方彼方の山々は丹波高地で、ここより標高が低い割には結構積雪している様子が窺えた

「緊急事態宣言」関西再発出前夜
理解欠く山の大人たち


さて、ホッケ山山頂には先行のパーティーや独行者が集っていたが、新型コロナ急拡大の時勢にも拘らず、マスクなしで密集し、大声で話している。中にはわざわざこちらに最接近したところで挨拶を放つ者もいた。

正に迷惑千万。しかも、皆、中高年以上のいい歳をした大人であった。

思えば今日遭遇した少なからぬ登山者の殆どが同様であった。時は緊急事態宣言・関西再発出前夜。全く状況や対策を理解していないようである。危惧通り事態が長期化・悪化し、また緊急事態宣言により再び不自由・不景気を被るのも、この様な人々が一因であると言わざるを得ない。

本来罰則化には反対であったが、こうなった以上、早急に罰則で掣肘を加えるべきであろう。


比良山脈南部・ホッケ山山頂の雪庇越しに見た樹氷林と琵琶湖北湖や沖島
ホッケ山山頂の雪庇越しに見た、樹氷林や琵琶湖「北湖」の眺め。空がまた曇ってきたが、樹氷の梢が湖(うみ)に映えて美しい。湖中左には陸から僅かに離れて見える、世界稀有な湖中有人島「沖島」の姿も窺えた(大小二つに見えるが、町がある低地で繋がっている)


比良山脈南部の峰「ホッケ山」から北へ続く雪庇ある雪の稜線道と蓬莱山
ホッケ山から北へ続く雪庇ある雪の稜線道と蓬莱山(中央右上)

更に雪増すホッケ山以北の道

この辺りから雪が増し歩き難くなった。積雪は40cm程。標高が上り、更に北へ進んだ為か。ただ、踏み跡を辿ればワカンなしでもなんとか進めた。


雪の小女郎峠
やがて天険小女郎峠(こじょろとうげ。中央左下鞍部)着。標高は1076m。ホッケ山から蓬莱山に向かい徐々に標高が上る稜線途中にある


小女郎峠から小女郎ヶ池への雪道
小女郎峠から小女郎ヶ池への雪道

今日は小女郎峠から稜線を少々西北に外れた山間の小女郎ヶ池を目指し、そこを折り返し点とする。写真は峠から池までの雪原と雪に埋もれたそのルート。池は右奥の小峰下にある。

ここも著名な場所で、稜線からも近いので踏み跡はあるが、雪質が良い(?)ため、ワカンがないと踏み抜くことが多く、歩き辛い。とはいえ、大した距離や傾斜はないので、特に労なく進めた。


IMGP0206.jpg
そして小女郎ヶ池着。広がる雪原の中央に水面があるのだが、見ての通り全て埋没。因みに、反対側からの撮影だが、秋の池畔はこの様な姿

雪に埋もれる静かな池畔が……

少々遅い昼時ながら、丁度人もいなかったので、池畔で今日初めての休息がてら、僅かな昼食を摂った。別に摂らなくても問題はなかったが、朝、山に登る前に身体が冷えたので、それへの対処ともしたのである。

食後、静かな雪原を独り眺めていると、突如賑やかな一団が現れた。ホッケ山で抜いた中高年パーティーが随分早く現れたかと思ったが違い、蓬莱山方面からの別パーティーであった。

30代程の青年男女が6人程。本当はここに池がある旨等を大声で話しているが、この一団もノーマスク。一応それらを想定し、道から離れた高所にいたが、何やら1人が近づいてくる。と思えば、手前の窪地で小便を始めた。男とはいえ人前、しかもそこは池から谷へと水が流れ出す水源であった。

注意しようかと思ったが、例によってマスク無しの唾(つばき)を喰らう危険もあったので、かまわぬことにした。諸々残念至極の有様である。


比良山脈南部・小女郎ヶ池の雪上にてアイゼンとワカンを装着しフル装備となった足下
アイゼンとワカンを装着しフル装備となった雪上の足下

道なき雪原へ

さて、神秘の池畔も騒がしくなったので帰路に就くことにしたが、折角なのでワカンも装着し、歩行鍛錬や道具の点検を行うこととした。


小女郎ヶ池池畔から続く登坂の雪原
ワカン装着で挑むのは池畔から続くこの登坂雪原。全く道のない場所であるが、帰路の近道となることを地形図で確認していたので躊躇なく進んだ


小女郎ヶ池南の山上で雪に埋もれるワカン履きの足
結果はこの通りの埋もれぶり。積雪50cmを超すかと思われる新雪同様の雪に容赦なく足をとられる。ワカンをしてもこの有様なので、無ければ進み難きこと必定である

ラッセル訓練成就と意外の難所

やがて、目論見通りホッケ山手前の稜線道に出たが、僅か距離数百m、高低差30m程の歩行で足腰の負荷をかなり感じることとなった。正にラッセル(深雪作路移動)である。

このラッセル状態での身体負荷や移動距離の鈍化を再認識することは重要であった。さもなくば、人の少ない奥山や雪深い高地での行動計画を誤る危険がある。僅かだが、今日その訓練が出来て良かった。

さて、その後は来た道を辿り、無事下山出来たのであった。ただ、横着をしてアラキ峠でアイゼンも外したため、そこから麓までの凍結路で痛い目に遭うこととなった。そう、往路危険を感じた場所である。その際は登りだったので、遣り過せたが、下りは制動が難しいため難儀した。

実は今日は山上よりここが一番の難所とった。場所により舗装があるような箇所にも拘らず。皆さんも、どうかご注意あれ……(特に高齢の人)。

そして、夕方前には無事帰宅することが出来たのであった。

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2020年12月27日

冬山試行

比良山脈・権現山山頂付近の倒木雪原

今冬初の雪山試験行

昨冬と異なり、今冬は普通に寒く、積雪にも注意する旨が長期予報で述べられていた。

ところが、意外に暖かい秋が長く続き、その所為か京都市街の紅葉も色づきが乱れ、その色合いも鈍さ目立つこととなった。

まあ、それでも秋は終り、やはり寒気感じる冬が来た。京都市内では平年より6日遅いながらも今月15日未明に初雪が見られ、同16日から17日にかけては少量ながら積雪も生じたのである。

知人からも市街北部の山地「北山(丹波高地)」における多雪の状況が伝えられ始めたため、冬山装備の点検や身心の慣らしを兼ね、近所の雪山に出掛けることとした。

行先は毎冬お馴染みの、市街北部・貴船奥地の北山は「雲取山(標高911m)」。ただ、貴船から先が倒木工事で通行止となっていたため、急遽北山東部の皆子山(標高971m)に変更した。

路面凍結を警戒して朝遅くに車輌で家を出たが、行先変更の所為もあり、皆子山麓に着いたのは正午となった。気温は出立してから上がり続け、もはや凍結の心配はなかったが、北山の峰々に雪が見えない。

これでは何のために来たのか判らなくなるので、確実に冠雪が見られた、河谷を挟んだ東側の比良山脈南部に登ることとした。


上掲写真 滋賀県西部に連なる比良山脈の南部にある権現山山頂(標高約996m)付近の積雪。大きな起伏があるのは、未整理の台風倒木の所為。


旧花折峠道の葛川側平集落近くの残雪

他季との違い感じる今季初登行

山麓の集落、葛川平(かつらがわ・だいら。出発点標高470m)から旧車道の花折峠(はなおれとうげ)道を辿り、途中から登山路に入る。

麓に雪は無いが、山上での遭遇に備えアイゼン(靴底氷雪爪)やワカン(輪かんじき。雪上歩行器)等の金具を背負っているため、無雪期の装備に比して重い。

そのような状況に慣れる為の今日の試行でもあるが、やはり違和感を禁じ得ない。まあ、履いている靴や下着等も異なるので仕方あるまいか……。

写真は旧国道路盤の上手に現れた雪。先週は麓に至るまで積ったが、その後、寒の緩みで融けたようである。


比良山脈南部・アラキ峠の残雪
出発後30分弱で比良山脈の南部稜線であるアラキ峠(標高約760m)に到着。途中雪が増え始めていたが、まだこんな少なさであった


比良山脈南部・権現山山頂
比良山脈南部の一峰・権現山山頂

期待の本番稜線へ

そしてアラキ峠から急登を上ること約20分で比良稜線路の本番たる権現山に到着した。標高1000m近い場所なので、さすがに雪が増えたが、それでも陽当たりの良い場所などは広く地面が露出していた


比良山脈南部・権現山山頂から北へ続く雪の稜線道
権現山山頂から北へと続く雪の稜線道。そこそこ積ってはいるが、最近の温暖による融解や先行者の踏み固めにより難儀を感じることはなかった。つまり、ワカン・アイゼンは必要なしで、重荷となったまま(笑)。また、陽射しが強く、寒さを全く感じなかった


比良山脈南部・権現山山頂から稜線を北上して現れた雪被るホッケ山
稜線を北へ進むと間もなく次の山頂・ホッケ山(標高1050m)が見えてきた。標高が一段上るので雪が増えそうだが、どうか……


比良山脈南部・ホッケ山山頂際の雪庇
ホッケ山山頂際には立派な雪庇が出来ていた。その厚さは1m程か。降雪時は横殴りとなる厳しい場所なのであろう


雪が融け地面が露出した比良山脈ホッケ山の山頂

ホッケ山着。諦めの撤収

そしてホッケ山山頂着。権現山から18分程。標高1000mを超えたものの結局雪は少なかった。仕方なく軽食休憩をとりその後撤収することにした。


ホッケ山山頂から見た雪の蓬莱山
ホッケ山山頂から見た北方は蓬莱山(標高1173m。右奥)方面。放送や人の声が聞こえるので、同所のスキー場が開かれているようであった


比良山脈ホッケ山山頂から見た比叡山・京都北山及び大原・京都市街方面
こちらは南方の大原・京都市街方面。比叡山や北山等の山々が連なり、集落や市街は、その懐や彼方で家屋等を煌めかせている


比良山脈ホッケ山山頂から見た雲取山・皆子山・峰床山等の京都北山・丹波高地の山々
これは西方に広がる丹波高地。手前中央左に皆子山、右に峰床山、そして左奥に雲取山が見える


比良山脈ホッケ山山頂から見た琵琶湖や沖島及び湖東平野
こちらはホッケ山北東側の景。つまり雪庇上からの眺め。眼下に琵琶湖と、そこに浮かぶ沖島や彼方の湖東平野及び鈴鹿山脈等が見える

雪多き次回に期待

さて、この様に計2時間半程、金具を担ぐだけの冬山行となったが致し方あるまい。今年は順当に雪が降り積もるとのことなので次回に期待したい。

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2020年11月01日

続2020秋野営会

滋賀湖南アルプスの山間野営地に訪れた朝と寒さと夜露を防いだテント

夜半の寒に耐え野営の朝来る

コロナ騒動で春の開催が中止になり、実に1年以上ぶりに再開された恒例の野営会。今時珍しい、現地の水や薪を利用する原初的キャンプの集いだが、今日はその2日目・最終日となった。

前日共々天気は良かったが、夜半かなり気温が下がり、持参の装備では、なんとか寝られたという限界的状況となった。昨晩1時頃の天幕内温度は5度強。恐らく、明け方は更に冷えたのではないかと思われた。

他の参加者も起床後口々に寒さを訴えたが、まあこれも経験であろう。元来10度は切らないと告げていたので申し訳なかったが、この程度までの寒さは春秋有り得るので、これを機に各自対策を探ってもらいたいと思う。


上掲写真 滋賀県東南「湖南アルプス」の山間野営地に訪れた朝と、夜の寒さと夜露を防いだ天幕。


野営の朝食「焼肉マフィン」とウイグルナイフ

朝食マフィンと維吾爾刀の関係

さて、起床後はいつもの如く、竈の火熾しと朝食作り。写真はその様子。

昨年偶々安く買えたマフィン(円形白パン)に野菜やソーセージを挟んだものが好評だったので、今回も同様を試みた。

但し、今回肉は豚の厚切り肉。言わば「焼肉マフィン」「焼肉バーガー」であった。なお、レタスは参加者持参の自家製。

肉切り用に置かれた煌びやかな小刀は、私が四半世紀愛用するウイグルナイフ(維吾爾刀・ピチャック。著名産地イェンギサール(英吉沙)製)。

羊を常食しつつ野菜や果物も多用する中央アジア・オアシス定住民の、繊細かつ頑強な刃物は、同様の調理や作業を要する野営にも適している。


野営地の竃と薪を覆う天幕
昨年から採用している竈と薪用の覆い天幕。横着して下部のロープを切らず左右連続した1本で済ませたため、綺麗に張れていないが……

コロナ下の野営終了
得た経験と課題


朝食後は、また寝る人や、新たな副食作りに挑戦する人も。私もまたギターを弾いたり、お茶で寛いだり……。

そして、少し遅めの昼食のあと徐々に片付けを始め、16時過ぎに下山したのであった。

今回はコロナ警戒下という特異な状況での開催となり、少人数ながら色々とデーターというか経験を得た。

一例を記すと、野営地内でのマスク着用やこまめな手洗いに非協力的な参加者がおり、そのため加熱完了後の食材に接近させないようにし、会話時もなるべくこちらから離れる対策をした。

本人が言うように外なので神経質になる必要はないかもしれないが、飛沫は間違いない感染源である。常時の着用が嫌なら話す時だけ口を覆えばいいだけのこと。次回からは、より強力に要請・注意するつもりである。

また、最も基本的な装備である便所紙を忘れて用便に窮していた参加者がいたが、これも防疫的観点から貸し借りは避けるべきなので、注意してもらいたい。特にこの参加者の場合はこれで3度目となるので、以後は何らかのペナルティーを考慮せざるを得ない。

あと、防疫とは関係ないが、風が強まった際、個人で管理すべき火から離れ、無関心でいた参加者がいた。事前に山火事の危険性や怖さを教示していたが、結果他の参加者や環境を危うくする状況を見せられた。以後は指導を強くし、場合によっては火を触らせないことも検討せざるを得ない。

以上、最後に少々厳しい指摘をしたが、非常時に於ける開催、また息の長い開催が続けるられるよう、協力を願いたいと思う。

それでは皆さん、色々と有難う、お疲れ様でした!


なお「2020秋野営会」初日の記事はこちら

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2020年10月31日

2020秋野営会

JR琵琶湖線瀬田駅の跨線橋上から見た、北上する鉄路と果てに聳える三上山(近江富士)

コロナ第3波到来の予兆下、野営会再開

未だ収まらないどころか、危惧通り第3波到来の兆しすら見え始めた新型肺炎騒動――。

恒例の野営会も、春は緊急事態宣言による外出自粛要請により中止したが、今秋はその要請もなく、また危険度も下がる屋外行事のため、感染に留意して開催することとした。

とはいえ、やはり参加者する人は少なく、また世帯内の誤連絡により更に減ったこともあり、いつにも増して細やかな規模となった。しかし、主宰として、野営好きの身としては実に喜ばしい再開となった。

そんな細やかなながら意気軒昂として迎えた開催初日の今日。重荷にマスクや消毒剤を追加した、いつにない装備で家を後にした。


上掲写真 野営会の待ち合せ場所となったJR琵琶湖線瀬田駅(旧東海道線。滋賀県東南)の跨線橋上から見た、北上する鉄路と果てに聳える三上山(標高432m)。今日訪れる場所ではないが「近江富士」の別称を持つ湖東著名の標識的・象徴的低山である。


秋の湖南アルプスの樹々と沢

参加者提供の支援車輌と待ち合せるため朝JR瀬田駅に集合したが、知らせていたにもかかわらず、いつも通りバス始発駅に間違って下車した人も。

仕方なく再度列車に乗ってもらったが、まあ近いため然程の影響は出ず。

そして車輌にて野営地最寄りの小売店に着き、そこで食材等の買出しを済ませ登山口に至った。写真はその付近の様子。

恒例の場所、湖南アルプス特有の灌木景である。低山の所為か、まだ紅葉の秋という雰囲気ではなかったが、冷ややかな山の気に包まれていた。

実は、本来は今月7日(土)・8日(日)に開催する予定だったが、台風接近とその警報発令により中止していた。代替日の今日は見ての通りの秋晴れとなり、めでたい限り。


野営での余興用に持参したパーラーギター(ミニアコースティックギター)

復活した余興道具持ち山道へ

さて登山口から徒歩で山を登るが、今日はいつにも増して荷物があった。

それは、写真に見えるギターである。所謂「生ギター」のアコースティックギターで、普通のものより小さいが、それでもケース等込みで5kg近い重さとなった。

金物等の野営具を満載した大型背嚢は20s弱あったので、合わせると結構な負荷に。それより、身体の前にギターを固定しつつ、急で足下の悪い山道を進むのが難儀であった。まあ、先月行った剱岳等と比べると遥かに距離や高低差は小さいのであるが……。

アコギを持参するのは10年ぶりくらいか。その時持参したのはこれよりもっと小さく軽い物で、罹災時に失われ、その後長く所有しなかったが、去年思い切って別物を買って復活させたのであった。

今日は人数が少ないながら、一応改元記念で昭和・平成歌謡の弾き語りをやると告知していたので、持参したのである。ただ、その運搬の難儀に少々後悔させられた。


焚火で沸かしたお湯を注ぐ前の三泡台(八宝茶)

有難く嬉しい野営地での諸々

初持参の少々大きなギターの運搬に難儀しつつ、やがて野営地に到着。ちょうど正午過ぎとなったので休息がてら各自持参した食品で昼食を摂る。

その後、天幕を設営し手分けして竈や水場等の整備を行ったのはいつもの通り。慣れたことだが、こうしてまた取り組めることが有難く、嬉しい。

写真は諸々の準備が終ったあとに振舞った大陸西方名物「三泡台(さんぽうたい)」。別名「八宝茶」とも呼ばれる、茶葉に枸杞や龍眼等の果実・氷砂糖を加えた甘茶で、まさに回教風味・シルクロード風味であった。

外国の珍奇な飲料を何故わざわざこんなところで振舞うのかというと、実は乾燥して寒暖の差大きい今時分の気候が、常飲現地の気候と似ているため。つまり、いつになくそれが美味く感じられ、疲労にも効く為である。


小さなキャンプファイヤーと炉端で過ごす野営地の夜

冷えた満月の夜

そして日没。いつものように、鍋を主として炊飯や焼物等を行う夕食を楽しむ。ただ、10月末とあって、かなり冷えてきた。

皆衣服を足すが、もはや調理用の竃では暖を稼げないので、参加者が個別に用意したキャンプファイヤーの火に頼った。

切り出した倒木太木の赤松から上がる炎が、暖かく、頼もしい。


地面に石を組んで作られた炉で火柱を上げるキャンプファイヤー
地面に石を組んで作られた簡素な炉で火柱を上げるキャンプファイヤー。寒さのため、これにあたりながら弾き語りを行うも、指のかじかみと煤に因る喉の不調で上手くいかず。昼間少しやった時の方が盛り上がったか


野営地の夜空に現れた大きく明るい満月
弾き語り以前には、夜空に大きな月も現れた。今日は丁度満月の日だったのである。夜が更けるほど辺りを明るく照らすそれは野営には有難い存在


月光に照らされる湖南アルプスの山間
月光に照らされる山間

冷えと夜露の夜更け

仲間との色々な話は尽きないが、夜もかなり更けてきたので、やがて火を鎮め、お開きとした。

冷えもさることながら、夜露が驚くほど生じ、地表にあるもの全てを濡らしている。竈や集めた薪の上に天幕を掛けて正解であった。これで明朝の火熾しも楽であろう。

では、今日はお疲れ様のお休み様……。


「2020秋野営会」2日目の記事はこちら

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2020年09月29日

続劍岳独錬行

朝焼けが射し始めた、早月小屋上手の森に続く剱岳山頂への道

暁の出発。早く寝たものの……

今日は剱岳個人鍛錬行の2日目。

昨日、麓の番場島(ばんばじま)から重い野営具や水・食糧を背負い標高2200m強の野営地まで進出。そしてその晩そこで1泊し、今朝いよいよ剱岳山頂を目指すこととなった。野営地を基地として必要最小限の装備で山頂を往復し、その後、撤収・下山するという「山頂アタック」方式である。

今朝はまだ暗い4時半に起床。「起床」とはいえ、正に寝床から起き上がったのみで結局一睡も出来なかった。出発前の不眠、そして長時間の車輌運転や重荷の登坂に疲れていた筈だったが、神経が張っていたようである。

野営地には誰も訪れず、独り奥山で過ごすこととなったが、事前情報で警戒していた手負いの熊等の出現はなかった。それらのことも珍しい不眠に影響したのか……。まあ、ここから山頂までの道程も未知であり、危険と聞く場所だったので、それに対する緊張も些かあったのかもしれない。

身心晴れぬなか、しかし、然程疲労は感じないという、一種不可思議な状態のまま朝食等の準備をする。小用のため天幕外に出ると、月が傾いた所為か、小さな星団が数多確認出来る程の星空が頭上に広がっていた。

出発前の5時過ぎ、熊鈴を鳴らしながら早い歩みで野営地傍の登頂路をゆく登山者を確認。夜中番場島を出て、一気に山頂までゆく日帰り登山者の先鋒である。ヘッドライトの明りを頼りに数時間かけて暗い森を抜けゆくスタイルだ。私も暗い内に出たかったが、未知の岩場でライト頼りに岩を掴みゆくことを避けたため、野営者としては遅めの行動となった。

その後、装備不調に因りまた少々遅れたが、5時半頃山頂へ向け出発した。昨日より遥かに軽いとはいえ、緊急用の備えの為そこそこの重さある小背嚢と共に、である。山頂まではまだ高度差800mもあり、道中の険しさを考えると、決して油断出来ぬ道程であった。

空は5時半前から急激に明るくなり始めた。一応岩場用ヘルメットにライトを装着していたが、もはや不要と化したのである。


上掲写真 野営地を出てすぐ入った稜線の森に続く山頂への道。つい先程まで照明が要る暗さだったのに、見ての通り忽ち不要の明るさとなった。


早月尾根の登山道から見た早月小屋と雲海
少々上がった場所の樹間から見えた早月小屋(左下赤い屋根)と雲海。彼方の雲間に富山の街が見え始めているので、天候回復の兆しかと思われた


早月小屋上方から見えた秋早朝の剱岳山頂
そして、間もなく剱岳山頂が確りとした姿で見え始めた。随分近づいたが、まだまだ遠い……


早朝、剱岳早月尾根の標高2400m辺りで見た、霜に覆われた草。2020年9月29日撮影
足下を見ると、霜に覆われた草や霜柱が随所に見られた。起床時の天幕内の温度は3.5度。恐らく、外は0度近い気温だったであろう。革手袋をした手もかじかんでいたが、これはやがて登坂の体温上昇により解消した


早月小屋出発後、最初に現れた鉄鎖ある岩場
野営地出発後、最初に現れた稜線上の岩場。険しそうに見えるが2本鉄鎖が提げてあり、足場も十分確保できるので、難なく通過出来た


早津尾根の標高2400m辺りでみた対岸・小窓尾根の岩稜
昨日と変わらず急な尾根道をゆく。暫くすると、昨日野営地で見上げた北対岸は小窓尾根の岩稜が眼下に収まりつつあった


剱岳早月尾根道の標高2600mの標識
やがて路傍の岩に標高2600mの標識が打たれた場所を通過。道を覆う樹々は減り、灌木ばかりの荒涼景となった。遂に森林限界に達したのである


森林限界辺りから険しく続く、剱岳早月尾根道「核心部」

早月尾根道「核心部」へ

森林限界からは、いよいよ早月ルートの核心部となる。写真に見える、山頂まで一線に続く不毛の稜線を見上げるが、その急峻ぶりに、本当に素手で登ることが出来るのか、との懸念が生じた。

とまれ、山杖(ストック)を仕舞い、慎重に進む。


剱岳早月尾根道の核心部に現れた、白山が見える窓地形

稜線は所々で切れ込みがある、対岸・小窓尾根の如き複雑な岩稜となった。写真はその切れ目から見た南方の景色。中央彼方に白山が見える。

こうした稜線の切れ目をこの山域では「窓」と表現する。


剱岳早月尾根道の核心部にある窓地形直下の目も眩む断崖
そして「窓」の足下には、正に目も眩むような千尋の谷があった。踏み外さぬよう、道を違えぬよう、慎重に進む


剱岳早月尾根・核心部から仰ぎ見る剱岳山頂
暫くすると、頭上に幾人かの声が聞こえ始めた。山頂が近づいてきたのである。見上げる先に目を凝らせば、蠢く人の姿も見えた。しかし、ここからが、まだ遠い


剱岳早月尾根道核心部の、岩稜の巻き道
稜線は益々険悪と化し、道はそれを避けこの様に側面を巻く箇所が幾つも現れた。岩に付けられた〇や矢印がそれを示すもので、鎖が渡されているのも見える。ただ、その下はこれまた千尋の谷であり、慎重に進む他なし


剱岳早月尾根・核心部の難所「カニのハサミ」
早月尾根道・核心部の難所として語られる鉄鎖の巻き道「カニのハサミ」

早月著名の難所「カニのハサミ」

写真では判り辛いが、矢印右下に鉄棒が1本打ちこまれている。即ち、その箇所に足がかりがないための措置であった。当然の如くここも、その下はそのまま切れ落ちた崖地形となっている。

なお、「カニのハサミ」とは、岩に貼り付く人の姿を形容した剱岳立山ルートの「カニのタテバイ・ヨコバイ」とは異なり、嘗て付近にあった鋏状の岩の名という。


深い池ノ谷に落ちる崖際にある、剱岳早月尾根核心部の道
落ちれば池ノ谷に真っ逆さまの、早月尾根核心部の道。もはや怪我で済むような場所ではないが、危険箇所はあくまで短時的かつ断続的で、天候さえ良ければ特に神経を減らすような道程ではなかった


剱岳早月尾根核心部に現れた、鉄鎖の岩登り道
巻いてばかりいても高度は上らないので、こんな登りの鎖場も現れる。ただ、ここも安定した足場を容易に選べるので、特に難は無し


剱岳早月尾根道の山頂直下
山頂の陰となる寒い岩稜を巻きつ登りつして進み、やがてこの様な明るくなだらかな場所に達した


剱岳山頂直下にある、別山尾根ルートと早月尾根ルートの分岐とその標識
少し進むと眺望が一気に広がり、分岐の道標が現れる。立山ルート(別山尾根道)との合流部である。陽を浴びて一気に身体が暑くなる


見え始めた剱岳山頂と、その祠の屋根
一面に転がる岩を踏みつつ更に進むと、遂に山頂の祠(屋根)が見えた


剱岳山頂と祠
剱岳山頂とその祠

剱岳山頂着

そして山頂に着いた。時間は8時過ぎなので、ちょうど2時間半。標準所要時間が3時間半とされるので、ゆっくり来たわりには早く着いた。まあこれも気象条件や荷物の量により大きく変動するのであろう。

とまれ今年も来ることが叶った1万尺の高地。剱山頂は2999mだが、自分の身長により頭は3000mを超すのでまあ到達といえようか(日本の1万尺は歴史的には主に2960mから3036m程とされる)。

写真は、ちょうど空いてた瞬間に撮ったものだが、実は登頂直後は多くの登山者がおり、祠前では撮影の順番待ちさえ出来ていた。これも意外に思ったが、聞いたところ立山ルート側最寄りの小屋での野営や予約無し宿泊が解禁されていたようである。

意外に広い山頂には、最高で数十人はいたと思うが、何れの人もマスクはなし。しかも密集気味で、撮影のため至近で話したり、電話の受け渡し等が行われていた。当然のように私も何人かに頼まれた。口を寄せて話す携帯電話は本来防疫的に大変危険な筈。当初は断るつもりだったが、持参した消毒剤を頼りに仕方なく応じた。

予測していたとはいえ、無責任なことは止めてもらいたい思う。結果荷物も増えるし迷惑千万である。撮影して欲しいのは解るが、それなら相応の備えで頼んで欲しい。これまた意外だったが、年齢層も高めだったので、猶のこと情けなく思われた。


剱岳山頂から見た早月尾根や番場島及び富山平野や富山湾

気を直し、休息がてら頂からの眺めを楽しむ。写真は、今登ってきた早月尾根(下部。右突端に早月小屋が見える)や麓の番場島、そして彼方の富山平野に富山湾を望む西方の眺めである。いつの間にか雲が晴れている。


剱岳山頂から見た別山尾根やその先の立山及び室堂平
こちらは南方の立山方面。左上の台形の山が立山三峰で、その右下の窪地がバスターミナルがある室堂平。実は拡大すると立山の上に槍ヶ岳の穂先が聳えている。去年その山頂からこちらを見た時は立山後方に剱岳山頂が見えたが、当たり前ながら今回はちょうどそれと逆になった。なお、右下から立山方面に続く尾根が別山尾根ルートで、山頂の多くの人はアクセス至便なこちらから登頂している。但し、難所がある険しい場所ではある


剱岳山頂から見た白馬方面
こちらは北方の白馬岳方面(中央)


剱岳山頂東直下の岩間に覗く剱沢雪渓
これは山頂東直下。氷河ではないが日本最大の多年性雪渓「剱沢雪渓」が岩間に覗く。因みに剱岳は日本では貴重な氷河の宝庫で、計3つが確認されており(2020年現在日本での確認氷河は7つ)、今回辿った早月尾根北下に沿う池ノ谷右俣にも存在する。気温の低さと世界有数の豪雪が成因という


IMGP8329.jpg

剱山頂より下山

剱岳山頂でゆっくり寛ぎ(30分強)、下山を開始した。岩場は下りの方が緊張する為あまり気乗りしないが、そこしか道がないので仕方ない。

写真は、早月尾根への分岐辺りから見た別山尾根ルート核心部。「平蔵の頭」と呼ばれる中央の岩山にL字状等の傷が見えるが、即ちそこに鎖が渡された登山路がある。目を凝らすとそこをゆく登山者の小さな姿が見えた。

有名な「カニのヨコバイ」と「カニのタテバイ」はその手前、即ち写真右下辺りにある。撮影を機に山頂で話した中年女性によると、何れも然程怖い場所ではなかったという。まあ、これも場合によろう。

因みに「平蔵の頭」の末尾を「かしら」や「あたま」と記述しているサイトがあるが、正確には地元の言葉で「へいぞうのずこ」と読むらしい。

戻れぬ人へ

早月尾根への道を少し進んだ辺りで停留していた年配の一団に「早月に降りるのか」と声をかけられた。「正しく」と答え、逆に立山から来たのかと問い返すと向こうも「正しく」と返してきた。ただ、少し早月側へ行くらしく、暫く私の後に続いてきた。

かなりの軽装のため意外に早く、先に行ってもらうことも考えたが、暫くして来なくなった。詳しくは見ていないが、谷の一つで何か物を落としているような音がする。そういば小さなアイスバックに果物等を入れていたので少々不可解に感じていたが、ひょっとしたら慰霊行事であろうか。そうでなければ、こんな崖場にわざわざ多勢で来るのはおかしい。

会話の最後に「そちらは帰りが楽で羨ましい」などと、呑気なことを言ったことを恥じ入る。そういえば、私も先程別山尾根の方に向いて黙礼をしたばかりであった。去年立山山上から眺めていた剱岳に同日登ったという、うら若き女子がその晩そこで亡くなった為である。帰宅後、偶然近くの山にいた人の受難を知り、哀れみを感じずにはいられなかった。

あの日は大変暑かったが、途方もなく天気が良い、正に山日和であった。立山・剱岳周辺は多くの登山者で賑わい、その殆どが良い思い出を胸に無事帰宅出来たのに……。只々残念でならない。そして更に、親族のSNSでの捜索や、発見後の出で立ち等の情報を基に、ネット上で被災者への非難中傷が渦巻いたことも、事故を一層心苦しく、印象的なものにさせた。

確かに山で短パンTシャツは感心されないが、尋常ならぬあの日の暑さではそうでもしないと、日帰り長躯の登山の場合、熱中症や脱水・高山病に陥る危険もあった。事実、私が行った立山でも同様の登山者を数多目撃し、私自身が3000mを超す高みでの暑さに参らされた。しかも、見つかった彼女の背嚢にはちゃんと防水・防寒着が用意されていたという。

死人(しびと)や最終的敗者(弱者)に対し敬意と慈悲を表するのが、日本人の美徳であり特徴であった筈。一体いつから、こんな浅ましい人間が増えたのであろう。情けなさを超して悲しいばかりである。本来は、そんな「二次災難」的悲惨に遭った彼女に対し、せめて花一輪でも献じたかったが、残念ながら道程が異なるため黙礼のみの不躾となった。

先のパーティー関係者共々、その冥福を祈るばかりである。


剱岳早月小屋辺りに突如現れた雲

稀少動物出現と達者への不安

その後、元来た道を辿り順調に高度を下げた。途中、ハイマツから飛び出た雷鳥の姿を見る。写真を撮ろうかと思ったが、すぐに隠れてしまった。

実は、往路、同様の場所でオコジョ(山鼬。やまいたち)らしき小動物と遭遇し撮影出来たが、少し遠すぎた。とまれ、貴重な雷鳥が現れると嬉しい反面、言い伝えられている通り天候が悪化するので少々気になった。

すると、何とあれほど晴れていたのに写真の如くまた急に雲が出始めた。やはり雷鳥予報は当たるのか。そういえば以前北アルプス燕岳(つばくろだけ)で雷鳥の親子が現れ喜んだが、その後荒天で苦労したことがある。

ところで、下り行程では、昨日と異なり、これから山頂を目指す多くの登山者とすれ違った。皆日帰り往復者で、その軽装がまた目に付いた。5時過ぎに野営地を通過した最初の往復者にも、登りの際(即ち彼の下山時)に早くもすれ違ったが、何とゾウリ履きの超軽装であった。

このルートを日帰りするのは相応の達者揃いかと思うが、やはり色々と考えさせられる。まあ、天候や日を選ぶなら、重荷を負うより故障や疲労に因る遭難のリスクを減らせるかもしれない。

と思いつつ、後ろから付き来る往復者に1度だけ道を譲った。彼もまた水だけ背負うトレラン体だが、実は後ろから石を落としながら追ってくるので危険を感じたのである。つまり、三点支持や岩側に身体を向けるという安全確保も全くなし。これなど見ると、やはり不安を感じざるを得ない。

横着して、いつか事故しませんように!


早月小屋上方の登山路際で見たナナカマドの紅葉
早月小屋上方の登山路際で見た紅葉。ナナカマドか


予報に反し雲に呑まれた、剱岳早月小屋とその野営地

雲に呑まれる野営地撤収し麓へ

そして、早月小屋野営地に帰還。帰りは山頂から2時間弱程の歩行となった。しかし、野営地は写真の如く、すっかり雲に呑まれていた。

今日は晴予報だったが、これでは昨夕に劣る状況。お蔭で夜半の小雨や夜露に濡れたテントが全く乾かず、水を含んだ面倒かつ重い撤収となった。

とまれ、野営地で軽い昼食を摂ったあと片付けを開始し、昼前には麓へ向け出発した。今は居られぬ早月小屋の皆さん、お世話様でした、有難う!


剱岳早月尾根の松尾平から見た、白萩川の谷や上空を覆う雲
松尾平から返り見た、白萩川の谷(中央奥。剱岳山頂北・大窓方面)や上空を覆う雲

気の抜けぬ樹林帯の急下降

荷物は水を主として5kg程減った筈だが、それでも重い。下りゆく急斜・狭隘の尾根道は登り以上にその凄みを感じさせる。転倒しないよう、負傷しないよう、慎重に進む。

核心部ではない樹林のこの区間を「危険なし」と紹介する人があるが、所々道の両脇に奈落の如き急崖が現れる。その大半が草木で覆われているため判り辛いが、落ちれば怪我では済まない場所である。特に下りで勢い余ったり、バランスを崩すと吸い込まれやすいように思われた。

皆さん、くれぐれも侮らず、気をつけられたし……。

荷が軽くなる分、登りより楽かと思われた下山行は、結局同様か、それ以上に辛いものとなった。あまりに長く急な下りに、足の方々が軋むように痛む。一応左右の山杖で補助していたが、手に豆が出来、そこも痛んだ。

要所要所で小休止しつつ、ただ辛抱を重ねて進む。途中登ってきたのは、私同様重荷を担いだ野営の若者1人と小屋で昼食を摂って帰るという人の計2人のみであった。

写真は、漸く辿り着き、最後の休息場となった松尾平のベンチ。すれ違った後者の人が教えてくれた通り、この付近は雲の下となり、視界が良くなっていた。とまれ、雨にやられなくて幸いである。

地元の達者に学ぶ

松尾平から最後の急斜を下る。もはや足が限界の状況であった。荷物や靴についてもう少し研究せねばならない。そんなことを考えていると、不意に後ろから挨拶をされる。山頂下降中にすれ違った日帰りの人である。

この男性も半パンの軽装で、登頂後駆け下ってきたようである。訊けば、朝5時に麓を発ったという。このままだと15時には下山出来る筈なので、ちょうど10時間での往復か。身軽とはいえかなりの速さである。持参水量が僅か1.5Lということにも驚かされた。

私も比較的飲まず食わずに強いが、高山という特異環境では自信がない。

感心したのはストックなしに登り降りしていたこと。本人曰く重荷なら耐え難いとのことだが、色々と参考にさせられた。後に駐車場で少し話したところ、北アルプス長野側麓の安曇野の人という。年は私より一世代下くらいか。信州人なのでやはり小時からの訓練が違うのであろうか……。

下山。さらば、遠く険しい剱岳

さて、先を行ったその人を追って私も無事登山口に帰着。時間は15時過ぎ。小屋から3時間15分程かかったが、標準所要時間は3時間半なので、少し早くついた。実は元来16時下山を予定していたので、結構短縮できた。膝から下が酷い状況になってはいたが、一先ず無事で何より。

あとは車で京都市街へ帰るのみ。高山行なので一応知らせておいた方々に下山連絡し、ネット提出した登山届にも通知した。これも時代の進化・利便向上か。ただ、これから5時間近い運転が残っていた。運転が苦手な私にとって、これも下山行同様の試練であった。やはり、剱は遠く険しい。

空気の良い番場島で休息したかったが山間の崖道等の険難を用心し、道具を片し次第出発。しかし、やはり途中で眠くなり、富山平野に下ったコンビニ駐車場で少し休んでから高速に入った。その後も無理せず幾度か休憩し、21時半京都市街に達して車を返し、22時半無事帰宅したのである。

これにて2日間の個人研修行と夏休みは終了。縁あった山よ人よ、有難う!


なお「劍岳独錬行」初日の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年09月28日

劍岳独錬行

京都大原近くの国道367号上に現れた秋の朝焼け

朝焼けの車行、何処へ

今日初めの画像は珍しく朝焼けの様子。

夜型の為、個人的に普段殆ど見ることのない光景であるが、今日は更に車中からの眺めであった。自宅がある京都市東縁の左京区南部から大原街道(国道367号)を北上し空が明るみ始めた頃の景色である。

今朝は、そのまま独り車行にて長躯富山まで向かうつもりでいた。同県深部にある「剱岳(つるぎだけ。標高2999m)」に登る為である。

昨秋の槍ヶ岳に続き今年も山会(やまかい)主宰の個人研修として北アルプス行を計画していたが、存知の通りコロナ混乱で一旦は中止していた。

しかし、昨今その小康を見、そして山中の道程安否等の情報も得られ、実施可能との判断を下した。本来は気候的にもう少し早めに行きたかったが、例の4連休の混乱や準備、そして天候等を考慮し今日の実施となった。

早月(はやつき)道と呼ばれる今回の登山路は、麓から頂までの高低差が2250mもある一般登山道としては日本最大とされる難所だが、夜中から登ると日帰りできるルートでもあった。しかし今回は救助や医療態勢への負荷を考慮し、無理せず山中で1泊し翌朝登頂・下山する2日行程とした。

余裕ある行程としたが、それでも各日の歩行時間は長く、今日も朝10時には登り始める必要があるため、まだ暗い内から家を出ることとなった。

前夜借りた車を少し離れた駐車場まで取りにいき、その後荷物を積んで出発。日の出は6時前と聞いていたが、写真の如く、それよりかなり早めから急激に夜が明け始めた。これも寝坊の身には新鮮に感じられた。

遠方・難儀な道程ながら僅か2日の山行。一応個人的な夏休み扱いの行動だったが、未知かつ油断ならぬ山域のため、期待と不安の両方を胸に一路北方は越中奥地へと向かった。


早月川の伊折橋から見た、厚い雲で隠された剱岳

予報に反す雨と雲に後を案じる

京郊八瀬・大原から山中を抜け、途中越から琵琶湖西岸に出る。その後、湖岸のバイパスを北上し、福井の敦賀から高速路に入った。

初めから高速道を使えば良いようにも思われるが、湖東を遠回りするそれを使うのと時間的に変わらず、更に高速料がかからぬため、費用対効果に優れた道程であった。ただ、下道のため、若干疲れはするが……。

写真は、北陸道を長躯して富山東部の立山インターまで辿り、その後、県道等を経て達した富山東部山間の早月川・伊折橋からの眺めである。

本来なら、ここから氷河や残雪を宿して聳える剱岳の雄姿が拝める筈なのだが、見ての通りの曇天で全く見えない。実は予報に反し、石川辺りから結構な雨が降っており、この辺りもまた降り出しそうな状況であった。

夜半まで雨が残るのは承知のことであったが、その後急回復する予測だったので、少々行く末を案じる。

まあ元より山は天気が不安定なので致し方あるまい。広域的に回復基調であることには違いないので、少々の誤差は適宜対応しつつ進むしかない。


剱岳早月ルートの拠点、番場島の番場島荘の建屋と駐車場
剱岳早月ルートの拠点、番場島の番場島荘の建屋と駐車場

そして登山口と駐車場がある番場島(ばんばじま)という県道終端地に至る。所要時間はソフトウエア地図の予想時間とほぼ同じ5時間弱であった。

前夜殆ど寝られなかったため休憩を多めにしたが、それがなければもう少し早く着いたかもしれない。長い時間ではあるが、富山東部で、しかもこんな山奥に5時間もかからず来られることに、現代の利便を感じた。

ただ、前泊などで夜ここへ来なくて良かったと痛感した。それは、途中に狭いつづらの峠道やガードレールの無い崖道等があった為である(またダンプカーとの離合も多かった)。初めて夜通る人は十分に注意を……。

なお、駐車場は予想に反して空いており、最も上方の番場島荘前に停めることが出来た。これも天候の所為か。しかし下方途中に何面も駐車場を見たので、時期とタイミングにより相当混む可能性があることも窺われた。


剱岳番場島登山口手前の遭難慰霊祠と「試練と憧れ」の石碑

番場島より重荷の長大登坂へ

予定通り車行が終ったとはいえ、今日の本番はこれから。ここから長大・長時間の徒歩登坂が待っている。

しかも、途中の山小屋がコロナで休業しているため、食糧は疎か水も全て持参しなければならない。尾根道故に水の補給が出来ないのである。

その為、その全てを標高2200m超の野営地まで担ぎ上げることとなった。昼食用の軽食等を含めたその総重量は実に20kg超。考えるのも嫌な重さだが、安全登山の為には仕方ない。ただ、進むのみ、である。

写真は、用意して駐車場を後にし、登山口手前で出会ったと遭難慰霊祠(左)と「試練と憧れ」が刻まれた著名な石碑(右)。

剱岳は何れのルートも上級者向けとされるが、気象条件さえ良ければ高度な登攀(とうはん)技術や器具は不要なので、後者の語句は雪山登山や岩登り・沢登り等の非一般的な所謂バリエーション登山者向けと思われる。つまり、今日の自分には少々大袈裟というか、気恥かしく感じられた。

余談「つるぎ」の漢字表記

ところで、この剱岳の漢字表記であるが、地元上市町等では「剱」を正式採用している。ただ、これは他の漢字圏では通じない「異体字」の類で、正字の「劍」が無難な筈。事実、台湾の関連サイト等で「地元正式」の剱が入力・表示出来ないという困惑も見受けられた。

しかし、漢字本来の構成からすると「劍」も略字なので、本来は両刃が真っすぐ並ぶ「僉(せん)」と「刃」の組合せである「劔」か「劒」が相応しい筈。事実戦前の地図等はこれらで表記されている。常用漢字の問題もあるが、表記については今一度再考した方が良いのではなかろうか。因みに、このサイトの表題は海外からの閲覧等を考慮して「劍」を採用した。


巨木が混じる自然林に囲まれた早月尾根西端の登坂路

さて、いよいよ登坂に入る。道は剱岳西正面の「早月尾根」上を行くものなので、尾根西端にある登山口からいきなり急登となった。

写真に見る通り、折々巨木が混じる自然林に囲まれる良い雰囲気だが、階段が設けられるほどの傾斜が続くため乗っけから疲労する。去年の槍ヶ岳での失敗を教訓に、今日は無理せずゆっくり進むことにした。

出発は予定の10時より15分近く遅れたが、余裕ある予定を組んでいるので、特段問題は無し。


松尾平に続く剱岳早月登山路と休憩用ベンチ
松尾平に続く剱岳早月登山路と休憩用ベンチ(振り返って麓方向を見る)

序盤の平坦地「松尾平」

登山口から1時間程で休憩用の長椅子が置かれた平坦地に出た。「松尾平」と呼ばれる尾根上の台地で、長椅子傍の金属標識に番場島との距離1kmと標高1000mが記されていた。

かなりの急登だったので結構標高を稼げたかと思ったが、200m強しか上がっていない。これでは野営地まで7分の1(山頂まで10分の1)程度である。

先が思いやられるが、椅子上で少々休息し、すぐに出発。うーん、やはり荷物が重い!ただ、谷底特有の湿度高い状態から、少々空気が軽く感じられるようになったのは、幸いであった。


道標が記された早月尾根上の立山杉の巨木
道標が記された立山杉の巨木。早月道はほぼ全程尾根上のため松尾平以外緩傾斜が少ないが、意外に巨樹が多い。この樹もその一つで、中には更に巨大なものも数多現れた。厳しい環境に守られたのか、立山中腹美女平に似た植生である。切り立つ尾根先諸共よく倒壊しないものだと感心した


剱岳早月尾根道で松尾平を過ぎてから始まる本格的な急登の道

楽だが高度が稼げぬ松尾平は数百m続き、やがて写真の如き急登が現れた。見上げるような傾斜で、山頂方向の東に向かい、ほぼ一直に続いている。

足下も悪くなり、重荷を負う状況下、木の根・岩石を避けつつの、困難な上昇を強いられることとなった。しかも、これが延々と続く……。

「全て投げ出し帰ろう」とか「こんな苦行を何故始めたのか」との思いも浮かぶが、まあ毎度の泣き言。時折岩に荷を預けつつ無心で進む。

気温は低めの筈だが、湿度の所為か、負荷の高い行動の所為か、シャツ1枚でも暑すぎる状態であった。ただ、晴天なら更に高温と陽射しに苦しめられ、水消費も増えた筈なので、その辺りは助けられたと言える。


剱岳早月道途中の樹々の間から覗く、霧による視界不良
時折樹々の間から尾根の外が見えたが、この通り深い霧で全く眺望は得られない。それどころか、時折雨滴すら落ち始める。天候の回復がかなり遅れているのか、または傾向自体が変わってしまったのか……。

天候回復せず?
昼食休憩も程々に先急ぐ


重荷に苦しみつつ標高1400mの標識がある場所まで上昇し、そこで正午も過ぎたので昼食を摂ることとした。然程広くない場所だが、切株の椅子が数個置かれた適地であった。

ただ、今日の目的地たる野営地まで、距離的・高度的にまだ半分にも達していない。予定に遅れた進行ではなかったが、雨の心配もあったため、早々に食事を済ませ、また辛い登坂に臨んだ。


剱岳早月道の標高1800mを過ぎた辺りに現れた、高地・寒冷地的植生の森

1800mの標識を超した辺りから、写真の如く、白っぽい幹の樹々が目立つ森に変わってきた。高地・寒冷地の植生域に入ったようである。天候は見ての通り変わらず。長谷川等伯の松林図の如き曖昧模糊の幻想景が続く


剱岳早月道の標高2000mの標識
そして現れた標高2000mの標識。松尾平から記述している標識は全てこの不銹鋼を使ったもので、高度200m毎に設置されていた。ただ、休憩適地を選んだためか、気圧計やGPSが示す高度とは少し低めの位置にあることとが多かった。つまり、あくまでも目安である


剱岳早月道上に現れた池塘

高度2000mといえば、野営地まで残す高さ200m程となるので、幾分気が楽になった。ただ、体力的には限界に近く、ただ気力のみで押し進むような有様となっていた。

写真は登山路横に現れた池塘。尾根上としては珍しいものだが、実はこの他にも幾つか同様をみた。情報では全く水がない、とのことであったが、煮沸や携帯濾過器を用いれば緊急的に飲用出来るかと思われた。

軽装登山への懸念

ところで、麓の駐車場が空いていただけにこれまで登山者をあまり見なかった。すれ違った下りの人は5名、登りは少し先をゆく1名のみであった。

下りの登山者に話を訊いたところ、皆日帰りで、中には天候不順のため途中で引き返した人もいた。ただ、先程すれ違ったおにいちゃんの話によれば、標高2600mから雲の上に出ることが出来、山頂は快晴だったという。

気になるのは登りの先行者。初老に見えたが、しぼんだザックに三脚のみを入れた軽装で、あの時間から登れば日帰りは不能どころか、最も険しい山頂付近で日が暮れてしまう。一体どんな行動予定なのであろうか。

軽装といえば、日帰り組も多くがそうであった。野営装備がなければ格段に荷物は減らせるが、相手は規模の大きな高山・奥山であり、山頂付近には危険な岩場の連続もある。防寒や緊急の備えは必須と思われた。

それどころか、中には上着どころか、少量の水しか負ってないような人も。地元で慣れているのかもしれないが、少々危険に感じられた。

そんな懸念を先のおにいちゃんに述べると、確かに前回自分も途中で水がなくなり大変な目にあったという。更に、水切れで救助要請を出す事態に陥った人がいたことも教えてくれた。やはり、懸念通りか……。

人それぞれの考えやスタイルもあろうが、色々と考えてしまう。自分も嘗てはヒップバック一つで富士山に登るような軽装派(無謀派?)であったが、一度下山直後の沢で身体を濡らし、着替えが無いため低体温症のような状態に陥ったことから、警戒・留意するようになった。

とまれ、気を直し、おにいちゃんの「小屋(野営地)まであともう少しです」との励ましを糧に、現れた風化花崗岩の路面悪しき急登に挑んだ。


剱岳早月道の早月小屋手前に設けられた梯子場と尾根上の樹々
鋭い尾根上の木立間に設けられた梯子場

何とか気力を奮い先に進むが、あと200mの高低差が絶望的に遠い。

それでも、徐々に景色は変わり、樹々の背丈は低まり、足下には小屋の尽力によるとみられる梯子や鎖場等の設置・整備が見られるようになった。


早月小屋手前から見た、青空にはだかる紅葉の山肌とその後方に聳える剱岳
そして突如視界が開け、青空にはだかる紅葉の山肌とその頭上に聳える岩稜が現れた。今日初めて姿を現した剱岳山頂である


剱岳早月尾根に少し残る霧の中に佇む早月小屋と野営地広場
尾根上に少々残る霧なかに早月小屋と野営地の広場が見えた。遂に到着!


IMGP8246.jpg

野営地・早月小屋着
誰もいない?


眺望が開けた場所から、距離100m程の最後の歩みを進め、今日の野営地・早月小屋に到着した。

時間は15時半。重荷に因り、無理せず終始遅めの歩みに徹したが、ほぼ標準所要時間(5時間10分。高低差1500m)で来ることが出来た。個人的には、無事、陽が有る内に到着出来たことに安堵する。

写真は早月小屋の主屋。コロナ休業のため無人で、厳重に戸締りが施されている。それにもかかわらず、離れのトイレの使用と、指定地での野営が許可されるという、有難い配慮がなされていた。

ただ、到着後すぐに気になったのは、他に誰もいないこと。つまり、私独りだけがここに野営する状況であった。日没までまだ時間があるので、後から人が来るかもしれないが、今日の雰囲気ではあまりその気配は感じられない。これも実に意外な状況であった。

無人の人工物はどこか廃墟を想わせて少々薄気味悪い。有難い配慮のなか失礼なことを言ってはいけないが、その感情に影響した前情報があった。実は、麓の番場島付近で春から危険な手負いの熊が逃げているらしい。

標高2200mのここは、まだ周囲を樹林に囲まれているため、大型の野獣が現れる可能性があったのである。せめて焚火が出来ればそんな懸念を抑えられるのだが、野営地内でそんな勝手は出来ない。

まあ、もはや、ここまで来てはどうしようもないので、明日の山頂往復に備え、幕営準備を急いだ。


幕営地から見た早月尾根の紅葉と小窓尾根の岩稜
幕営地から見た早月尾根の紅葉と小窓尾根の岩稜(左奥)。紅葉は始まったばかりか。標高的に9月中旬には見頃を迎える筈なので、やはり昨年同様、猛暑で遅れているようである


剱岳早月小屋裏から見た雲海に沈む夕陽

孤独ながらも便利な高地夕暮

テントを建て、明日の登頂荷物や夕食の準備などして漸く一息。勿論照明は有るが、こうした準備は暗くなるまでにやり終えた方が間違いがない。

そして、メールや電話の対応も始める。実は登坂中から頻繁に着信していることを知るも、先を急ぐため見ずにいた。尾根上の道のため、見通しが効き電波が入り易いのか。こんな高地辺境の野営地でも普通に電波を受信している。しかも、選りによって、こんな時に仕事の緊急連絡も……。

便利な世になったことを改めて感心するとともに少々忙しなさも感じた。

とまれ、連絡に対応しつつ一服する。写真は、やがて小屋裏に現れた雲海の日没。富山平野のほか、下界全てが雲の下となっていた。やはり天候の回復は相当遅れているようである。


夕陽に染まる、早月小屋対岸の小窓尾根の岩稜
夕陽に染まる、野営地北下「池ノ谷」対岸の小窓尾根の岩稜


暮れなずむ早月尾根北西の池ノ谷及び早月川を埋める雲海
暮れなずむ空と、早月尾根北西の池ノ谷及び早月川河谷を埋める雲海。標高2000m辺りから下が雲で覆われているようである。人界全てが異変に没し、ただ独り高地に難を逃れたかのような心地にさせられた


月に照らされる剱岳早月小屋野営地と一張りの天幕
月に照らされる早月小屋野営地と僅か一張りの天幕

夜は気温低下と月明り

やがて夜に――。

陽が落ちてから一気に気温が下がり、もはや野外を楽しむ風情ではなくなった。衣服を防寒・就寝用に換える。昼間あれほど天幕に付いていた羽虫も忽ち死滅したかの如く姿を消した。そして物音は全く無し。

夕食はまだ明りある18時までに天幕内で済ませた。今は湯で割ったブランデーを飲みつつ寛ぐのみ。時折小用に出る際、外を観察する。残念ながら星は見え難いが、耿耿と月明りがあり、周囲への用心を助けてくれた。

そして、昨晩の不眠と今日の疲れを癒し、また、明日の早出に備え、20時過ぎには横になることにした。


「劍岳独錬行」2日目の記事はこちら

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2020年05月03日

連休急務

新緑の季節を迎えた、5月初旬の京都雲取山の天然林斜面

未曾有の自粛連休
警戒厚くし近山往復


4月に至って見舞われた予想外の低温気候も漸く去り、平年通りの温暖、またはそれ以上の気温を維持しつつ5月に入った。

5月初旬といえば黄金週間――。

早い人なら先月29日辺りから始まったようであるが、個人的には通常暦通りに動いているため、あまり有難みは感じない。ただ、年中で最も過ごし易い時季の一つであるため、やはり特別な時期に感じてしまう。

しかし、今年は存知の通り新型肺炎騒動とそれに連動して発令された緊急事態宣言により、その華やぎや特別感は大きく減じられることとなった。

全土に対して観光や帰省のための移動は疎か、近場の外出さえ自粛が呼びかけられたため、それまでの通勤・通学の中止や諸営業・諸行事の自粛の動きに加え、更なる閉塞感が国中に充つ観となった。市井の人間として感じたそれは、恰も地域という籠に閉じ込められたような感覚であった。

そのため恒例の春の野営会も中止せざるを得なくなった。自粛の趣旨に適う形で独り行うことも考えたが、適地が他県や遠隔地にあるためそれも難しくなった。ただ、どうしても京都市内の山に短時間行かざるを得ない用があり、今日時間が取れたので、それを以て気を宥めることとした。

山での用とは、以前から機会を窺っていた、この冬失くしたザック(背嚢)の部品を探しに行くこと。軽微なものだが再入手が叶わないもので、風雨日射で傷む恐れがあり、また現地が間もなく山蛭の巣窟となるため、どうしても今行く必要があった。

ただ、私にとっては急務であったが、客観的には不要不急の外出ともいえるため、先月の山行同様、感染対策は勿論、道中人と接しないことや、短時行ながら救難装備を完備するなどして万全の対策で臨んだのである。


上掲写真 京都市街近辺の山々に遅れること暫し、漸く新緑の季節を迎えた京都北山の天然林斜面。


京都市北部の山上集落・芹生の奥で満開を迎える5月の桜

向かったのは京盆地北縁にはだかる北山山地。その中の雲取山(911m)であった。京都市外の人には、かの貴船の奥といえば解り易いであろうか。

このサイトでもお馴染みの山上集落「芹生(せりょう・せりう)」の近くで、個人的な冬の鍛錬地夏の避暑地でもあった。

公共交通を使わず、自宅から空いた道を車輌で北上し30分強にて集落に達したが、なんと、写真の如く、まだ桜が満開であった。

標高は620m程。自宅からこれ程近いにも拘わらず、一気に北日本まで飛び至ったかのような錯覚を覚えたのである。


IMGP6943.jpg

非常時の奥地にて

芹生集落からは、その奥の未舗装路を慎重に進み、支流谷の分岐付近にて下車した。道は雲取山山体による行き止まりまで更に続くが、倒木や路盤流失のため、その辺りが車輌進入の限界地となっている。

貴船から先は対向車に遇わず、人も殆ど見なかったが、写真の如く、何とこんな奥地に家族連れがおり、車が停められていた。平時でも時折車輌を見る場所ではあるが(恐らく釣り人)、時節柄少々驚かされた。

一家は水槽のようなものを手に路上の水溜まりを探っているので、水生昆虫か何かの採取であろうか。そして車の鑑札は所謂「他府県ナンバー」。1台は隣県、もう1台は比較的遠方かつ感染が活発な地域であった。

誰もマスクを用意していないので、非常時という意識は無いのであろう。今、他府県車輌への批判的実力行使が問題化しているが、やはり目立つ存在であることは留意した方が良いように感じられた。

特に、郊外・地方では猶のこと……。


京都・雲取山の南尾根へ続く急斜の尾根

失せ物探し山へ

さて、下車地にて、素早く準備して山に入る。3月とは全く異なる温暖のため、泥濘近く等での足下を警戒しつつ……。

乗っけに挑む写真の急斜尾根は3月試みた雲取山南尾根への非正規ルート。背嚢部品を失くした場所は定かではなかったが、恐らくは道なき行程で物が引っかかる藪も多かったここの可能性が高いと判断していたのである。

そして、早くも最初の小頂を越えた岩下にて、失せ物を見つけることが出来た。早々に目論見が当たり、喜び安堵したが、引っかかるべき藪のない場所であったことは意外であった。

しかし見つかった部品は細かく切れて散乱しており再使用が叶うものではなかった。2カ月の風雨で劣化したかと思ったが、素材自体は元の強靭を保っており、獣か何かに食い千切られたような観があった。食べ物は疎か人の匂いも付き得ない外装品のため不可解を感じ、また不気味さも感じた。

こうして、探し物は早々に見つかったものの、使えない状態と化す残念な結果とったが、ゴミとならずに回収出来たことは良かった。また、気持ち的にも諦めをつけることが出来た。


誰もいない緊急事態宣言下の京都・雲取山山頂

目的果たし短時観覧

失せ物捜査の目的はすぐに果たせたが、折角なのでそのまま山頂等の様子を見ることに。どのみち平時でもまず人と会わない山でもあるので……。

ただ、今日は午後から雨予報で、既に空も曇っていたので、短時間で撤収する予定に変わりはなかった。

写真は南尾根を登り達した雲取山山頂。本日最も人と出会う可能性がある場所であったが、見ての通り、誰も居らず、通らず。


樹々の枝先に漸く新緑が芽吹く、京都・雲取山山上の自然林。2020年5月3日撮影
雲取山山頂北の天然林。雲取山山上一帯は意外にもまだ冬枯れが優勢で、樹々の枝先に漸く新緑が芽吹いたばかりの状況であった


緊急事態宣言下の京都・雲取山北峰山頂。2020年5月3日撮影
雲取山山頂から更に進んで達した、雲取山北峰山頂。曇天のため、あまり遠望はきかない。いつもはここで食事を摂ることが多いが、今日は水分補給のみで、すぐに引き返す


京都・雲取山の二ノ谷の新緑と立命館大学ワンゲル部の山小屋施設。2020年5月3日撮影

北峰から雲取山山頂に戻り、谷道では最短の復路となる二ノ谷道を下る。写真は標高約760m辺りまで下降して現れ始めた新緑の天然林。

因みに、中央の建屋は立命館大学ワンゲル部の山小屋施設。当然ながら人影は無く、短い学生生活の貴重な1年、最良の時季にこんな事態となり、実に気の毒に思われた。


京都雲取山・二ノ谷の沢辺に散る山桜の花弁
京都雲取山・二ノ谷の沢辺に散る山桜の花弁。因みに、表題画像もこの付近にて撮影


緊急事態宣言下の貴船神社奥宮の新緑と多くの参観車輌

急務果たし無事帰るも……

そして二ノ谷の終端まで下り、更に本流の灰屋川(大堰川・桂川水系)を下ること程なくして下車地に帰還した。その後は往路と同じく貴船を経て、無事京都市街の自宅へと帰ったのである。

写真は、芹生峠の車道を下り達した貴船神社奥宮(標高340m前後)。ここも新緑が鮮やかだが、何と、朝より参観車輌が増えている。満車までには至らないようであったが、それに近い状況である。

さすがにこれは不要不急の誹りは免れまい。しかもこんなに沢山。思えば、芹生の桜を撮影していた時、連休を利用して来たとみられる旧住民もしくは新住民(現住人によると近年大阪等の人間が家屋の権利を手に入れ別荘的に使用)とみられる家族連れに接近された。

大人6、7人の多勢で、誰もマスクは無し。そのまま通り過ぎてくれればまだしも、わざわざ最接近して燥ぎ(はしゃぎ)喋りながら同様に写真を撮り始めた。因みに、桜は私の位置以外の方々で撮影可能である。

どうしてこんなに無思慮の人が多いのであろう。基本的にテレビを見ない私でさえ、他媒体のニュース等でソーシャルディスタンス(人間距離)の重要性や医療現場の逼迫、新型肺炎の儘ならぬ性質について認識している。これらの人々は、皆大半の情報をテレビに頼るごく普通の人々とみられるので、私以上に事態の深刻さに触れている筈であろう。

「戸外だから大丈夫」「山だから問題ない」という話ではないことは自明の筈である。仮に外出の必要があり、また欲求があったとしても(但し近場・安全が条件)、対策は何ら難しいものではない。マスクがない(または嫌)なら他者から離れればいいだけのこと。そんな簡単なこと、僅かなことが実行出来ないのか。いやはや、この先大丈夫なのであろうか……。

うーん、折角個人的急務を果たし、山の自然も紹介出来たのに、何やら世間への懸念が増し、愚痴めいた報告となってしまった。えい、致し方あるまい、これも非常時の一端を記録するものとして掲げることにしたい。

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2020年04月19日

池岳周行

御池岳山上南東部・奥の平付近に広がるテーブルランド的広景

世情考慮しつつ再び御池岳へ

今日は今季初・今年初の山会(やまかい)開催日。場所は隣県滋賀東部に連なる鈴鹿山脈の最高峰「御池岳(おいけだけ。1247m)」であった。

御池岳での山会は去年6月にも開催していたが、荒天や準備不足で巡れなかった場所等があったため、要望により再実施することとなった。

存知の通り、新型肺炎の流行拡大が懸念され、更に感染急増都府県に出されていた緊急事態宣言が16日夜に全国へ拡大されることとなった。

本来なら京都か滋賀に対し宣言が出された際は中止するつもりだったが、京滋の状況が最初の宣言条件程悪化していなかったこと、極少人数参加で対策を徹底すること、公共交通や店等を使わず他人と接触しないこと等から、自粛対象外の散歩やジョギングに準じる行為として開催を決めた。

それでも他への影響(安易な真似や意識弛緩)を考えれば中止すべきだったかもしれないが、あまりに宣言拡大が唐突で、またこれからも起こり得るこうした事態に於ける健康維持行為の演習にしたいとの思いもあった。


上掲写真 テーブルランドの異名を持つ、御池岳山上の広景(南東部)。石灰質の痩せた土壌や岩石、そしてドリーネ(陥没孔)やウバーレ(陥没溝)等の特有地形を擁するが、意外と起伏や見通しの悪い森もあり、更に視界不良(ホワイトアウト)の発生も多く、注意が必要な場所でもある。


御池岳滋賀側登山口の駐車場から見た鞍掛トンネル入口
御池岳への登山口の一つと隣接する鞍掛トンネル滋賀側入口

鞍掛峠経てテーブルランドへ
春山何処?


朝、公共機関を使わず府県境近くの集合場所で落ち合い、滋賀の参加者提供の車輛にて出発。勿論、事前の打合せ通り、皆マスク着用で更に窓を開け飛沫と密室化を防いだ。

朝食・昼食も打合せ通り、事前に用意して途中の店等には一切寄らず、無人の公共トイレのみとした。地元に貢献しないことは心苦しいが、存知の通りの状況なので、今はただ諒解を願いたい。

そして、登山口がある鞍掛(くらかけ)峠に到着。前回は隧道を越えた三重側に車を停めて登ったが、今日は越境を憚り滋賀側の登山口に停めた。

滋賀側は登頂の時間が少し増すので元より利用者が少ないが、先着の車が数台あり、京都や名古屋のほか、九州の鑑札まで見る状況であった。

奥に登山口がある駐車場の標高は625m程。山頂はまだこの倍の標高があるが、風が強く、既に驚く寒さとなっていた。簡易計の値は実に5度。暖冬の果ての春風情を想像していたが、意外にもまだ冬であった。まあ、それに備えた用意はしてきたので不安はなかったが、他の参加者も驚いていた。


御池岳滋賀側登山口から鞍掛峠に向かい植林地内の急登を進む
各自防寒等の準備をし、登る。隧道真上にある峠まで上がるが、乗っけから植林地内の急登を進む。峠までのこの区間は山会未踏の道となる。


鞍掛隧道滋賀側登山道の途中に現れた炭焼窯廃墟とその石材
鞍掛隧道滋賀側登山道の途中に現れた炭焼窯廃墟。庶民の遺構ながら珍しく切石的な割石や大きな石が使われている。近くの沢にも多量の石材状の石があり、また大きな平坦地もあるので城塞址等の公儀廃物を転用したのか。古来より多賀大社や伊勢神宮への参詣路であり、かの豊臣秀次の軍勢が越えたとの伝承もある要衝なので可能性はあり得る。


鈴鹿山脈・鞍掛峠の標識や祠、そして御池岳へと続く稜線道
鞍掛峠の標識や祠、そして御池岳へと続く稜線道

そして間もなく鞍掛峠(標高約790m)に到着。急斜の登坂から途中で巻き道となり、横滑り的に達した。少々休息するが、更に風が強く、寒い。


鈴鹿山脈・鞍掛峠付近の尾根道から見えた員弁や伊勢湾
鞍掛峠付近の尾根道からの眺め。東方は三重員弁(いなべ)方面となるが、曇天ながら今回は僅かに伊勢湾の水面(中央右)を見ることが出来た


4月下旬ながら完全な冬枯れ風情を見せる鈴鹿山脈・御池岳付近の山肌
向かう御池岳方面の山肌は、この通り完全なる冬枯れ状態であった。まあ、麓の集落では未だ桜が盛んな状況だったので致し方あるまいか


未だ冬枯れの4月下旬の鈴鹿山脈稜線に芽吹くコバイケイソウ
足下の僅かなコバイケイソウの芽吹きのみが、未だ来ぬ春を想わせるのみ(但し毒草。笑)。この後馬酔木(あせび。これも有毒)らしき花も発見


厳しい環境に影響された植生が続く、鞍掛峠から御池岳へと続く鈴鹿山脈主稜線の道
厳しい環境に影響された植生が続く、鞍掛峠から御池岳へと続く鈴鹿山脈主稜線の道

鞍掛峠から続く尾根道を登る。御池岳から見ると支尾根だが、実は鈴鹿山脈の主稜線であり、滋賀と三重の県境ともなっている。

とまれ風が強く、枝のみの灌木が続く状況ではそれを和らぐ助けがない。巨大な近江盆地から太平洋へ抜ける気流の通り道であることを実感する。

気温は登山口と変わらないが、耳が切れそうな寒さのため皆フードや冬帽子で防御して進む。風速は10m程のため、恐らく体感温度は-5度程となっている。雪こそ無いが正に冬山の厳しさである。


鞍掛峠と御池岳を繋ぐ道上に現れる杉苔が多い広尾根

風の強さや寒さの他、天候も芳しくなかった。前回よりはマシだったが、それでも視界は不良で、いつ強雨が来てもおかしくない状態であった。

一応今日は回復基調にあるとの予報だったが……。もはや晴天への望みは無かったが、折角の再実施なので何とか雨だけは降らないことを願った。

写真は、標高1000m辺りから現れる、陽当たりが良いにもかかわらず杉苔が多い不思議な広尾根。この辺りから朝一番に登ったとみられる下山者とすれ違い始める。しかし、誰もマスクをしていない。

横流れの強風があるので危険性は少ないと思われたが、近くで挨拶を放たれるので、登坂中ながらマスクをずらせない有難迷惑な状況が連続する。

実は先程峠から三重側の登山口付近を見て驚いていた。それは、この世情にも拘わらず駐車場が一杯だったことである。恐らく滋賀側で見た中京ナンバーの車も、そこに停められず止む無く越境してきたのかと思われた。


厚い雲と強風により寒さ厳しい、4月下旬の鈴鹿山脈御池岳北縁の鈴北岳頂部

台地北縁から周回開始

そして、台地状の御池岳北縁となる鈴北岳(すずきただけ。標高1182m)に達した。テーブルランド到着である。

一本道で迷わぬ場所だったので、私独り先着して後続を待ったが、写真の通りの吹き曝しで、寒きこと限りなし……。

故に、手前にあった水無しのドリーネに入って暫し休んだ。本来は陥没の恐れもあり推奨出来ない方法だが、無用の窪地の意外な使い道となった。


鈴鹿山脈・御池岳山上に散る草原の羊のような石灰岩

後続と合流後、テーブルランドの奥へと進む。早速、写真の如き草原の羊のような石灰岩の点在に出迎えられる。んーん、雨は無いが、かなり天気が怪しい。何とか持ってくれ(笑)。


御池岳山上最大の池「元池」とそこへ続く道

台地内部では前回勘違いで見ることが叶わなかった「元池」と呼ばれる御池岳最大とみられる池に向かう。草原只中にある山頂へ向かう道との分岐部に標識があり、そこから枝道を進んで間もなく写真の池が見え始めた。


御池岳最大の池沼「元池」全景
元池全景。御池岳最大といっても、水深は浅く、その直径も20mは無いように感じられた

池探し。デジタル敗れたり!?

元池周辺もまだ春の気配は感じられなかったが、その水底には多くのイモリやオタマジャクシの生息が確認出来た。

実は見学時ここが元池であるとの確証が取れなかった。それは池辺に明確な標識がなく、また地形図にもその記載がなかったためである。

一応それを見越してスマートフォンのGPSアプリ(衛星測位地図ソフト)を稼働させていたが、何故か道と地名のみで地形が表示されない不具合が発生していた。そのため他に該当の池がないか調べる手間が生じた。

元池見学の後は、その外れにあるという「お花池」の見学も試みたが、そこに行く標識はなく、また道すらなかった。一応アプリには道と地名が示されていたが、元池の位置すらズレていたので当てにならなかった。

目星を付けて起伏ある森なかを進むも見つからず。元よりその場所自体が不明確で、地図も表示されない状況ではGPSという強力な工具も無力であった。致し方あるまい。今日は前回果たせなかった台地周回が大きな目的なので、その道筋から外れたお花池探しは諦め、台地西縁を目指した。


御池岳山上森なかで出会った「中池」らしき池沼
御池岳山上森なかで出会った池。「中池」と呼ばれるものか

台地西縁に向かい森を進むが、道は獣道程度で弱く、しかも途切れがちであった。大気も暗く霞んで見通しが悪く、進路取りに神経を遣わされる。ただ風が少ない場所のため、倒木を椅子に一旦昼食を摂ることにした。

しかし昼食後アプリの具合は更に悪化。地図が出ないことに痺れを切らし、別の地図アプリを開いた際、動かなくなってしまった。正にブラックアウト――。為に、機器の使用を止め、大型のオイルコンパスを取出し、紙の地図にて昔ながらの方法で進むこととした。

そして、方向感覚を奪う起伏の森を抜け、台地西縁に出ることが出来た。まだ森の中ではあるが、西側は深い急崖を成して落ちている。道は変わらず獣道状のものが続くか切れるかの状態だが、方角と地形のみを気にして構わず進む。西縁上の浅い斜面を、巻く形で南へと向かったのであった。

当初は簡易磁針やアプリに頼ったが、やはり横着は禁物である。こうして機器の不具合も生じ得る。また、結果的に昔のやり方の方が早く進むことが出来た。昨今、紙の地図や磁針を使う人を全くといっていいほど見なくなったが、皆機器頼りで大丈夫なのであろうか。

とはいえ、紙の地図の扱いにも知識や訓練が要る。以前要望も出ていたので、近々学ぶ機会でも設ければ有意義かもしれない。読図を学ぶことはデジタル時代にあっても、より山を知る為の助けとなるだろう。


御池岳南方の台地西縁付近の石灰岩

台地南部「奥の平」へ

台地西縁の森をコンパスと地形判断により抜けゆく。巨大な艦船状台地の中央にある、艦橋のような山頂山体の際を進む感じである。変わらず踏み跡は当てにならず、人より獣の通過の方が多いように思われた。

やがて森を抜け、曇天ながらも開けた場所が現れた。「奥の平」と呼ばれる台地南方域に達したのである。写真はその台地縁の石灰岩。見通しの悪い未知の森を経て今回の最終目的地に入れたので、安堵の思いであった。


「ボタンブチ」付近から見た曇天に霞む「天狗の鼻」の崖
御池岳西縁の崖「ボタンブチ」付近から見た曇天に霞む「天狗の鼻」の崖

台地南方に入ってからは、そのまま南端を目指し西縁沿いを南へと向かう。台地は北西から南東に傾いているのため、正確には南東へ進んだ。

途中、前回お馴染みの「天狗の鼻」や「ボタンブチ」の断崖を通過。雨こそないが、前回同様深く霞んで見通しが悪いため、怖さを感じることはなかった(但し私だけのようである。笑)。

さあ、前回はこの付近で山頂方面に引き返したので、ここから先はまた未踏の地となる。


御池岳南方西縁で遭遇した「幸助の池」とみられる池
御池岳南方西縁で遭遇した「幸助の池」とみられる池。場所か時間の所為か、あまり生き物の気配が感じられなかった


御池岳南方西縁で見た「まゆみ池」らしき池(中央)
同じく御池岳南方西縁で見た「まゆみ池」らしき池(中央)。小振りだが、比較的珍しいウバーレ由来の池かと思われた


御池岳南方西縁で見た「東池」らしき池
同じく「東池」らしき池。池の名は古くから麓に伝わるものと、近年愛好家が付けたものの2種あるらしいが、この池は後者のようである。また古い名でも名づけの池が変わっているらしく、正確なことは判らないという。この池は深いドリーネの底にあるが水深は浅い。イモリやオタマジャクシが沢山おり、また平地の池のように緑藻があったのが特徴的であった。少し高い位置に衛星的な小池があり、そちらには生き物は見られなかった


御池岳南西縁とT字尾根・御池川方面の道の出合箇所
御池岳南西縁とT字尾根・御池川方面の道の出合箇所。即ち御池岳西南の永源寺ダム上流に下降出来る場所。右下にその道が続くが一行は半信半疑。曰く「こんな崖を降りられる筈がない。獣道ではないか」。確かにその懸念通り、地図上では急崖に道が続いている。ただ危険との報告は聞かないので、何とか進めるようになっているのであろう。滋賀からの近道なので私も一度通ってみたい。「鹿が下れるなら人も通れる!」(源九郎。笑)


御池岳南端の石灰原と対面に続く、未だ冬枯れした鈴鹿山脈主稜線上の天狗岩や藤原岳

南端部での幸運

御池川分岐を過ぎ、更にもう一つの分岐付近を経て南端部に至った。結構な距離、そして意外な起伏の連続で皆疲れていたが、幸運にも俄に雲が払われ晴天と好眺望が現れた。

写真は南端部の石灰原と台地対面に続く鈴鹿山脈主稜線。中央の頂が天狗岩(標高1171m)、右端の頂は藤原岳(同1144m)である。それらの向こうには勿論海も見える。しかしここの山肌も全くの冬枯れ状態であった。


御池岳南端部から見た鈴鹿山脈主稜線と後方の養老山地
御池岳南端部から見た鈴鹿山脈主稜線と後方の養老山地。更にその奥には御嶽山やアルプス、そして白山等も見えた


厚い雲と石灰岩に覆われた御池岳山頂

事件発生

御池岳南端で眺望を楽しんだあと、最初の画像の草原や森を通りつつ今度は台地東端を北上する。空はまた雲に閉ざされ、道もまた辿り辛いものとなった。地図と磁針を用い慎重かつ大胆に進む(踏跡に惑わされない)。

そして、少々長い登坂を経て山頂に達した。その様子及び空模様は写真の通り。山頂は前回も訪れたので無駄な登りのように思われたが、山頂を含む中央山体が東寄りに位置するので致し方なかった。

まあ折角寄ったし、初登頂の参加者もいたので、少々休息することに。ところがここで事件発生。我々が到着して間もなく、山頂東下に続く三重側登山路より2人組が登ってきた。昨今流行りの半パン軽装の所謂「トレラン」組である。その内の一人が参加者に接近し撮影を頼んだのである。

参加者は気安く応じたが、マスクをしていない依頼者と近接し、しかも剥きだしのスマートフォンに触ることとなった。まさかのリスク発生。本来は私が止めるべきであったが、一瞬の事だったので防げなかった。万事注意を払っていたのに、思わず参加者を危険に曝すこととなってしまった。

この世情に於ける、しかも若くない依頼者の軽率に怒りを禁じ得ない。こんな無分別だと登山全てが禁止されかねないことが解らないのであろうか。思えば先月から近所の山で観察を続けてきたが、山に来ている人間は認識が甘すぎる者が多い。マスクの件は勿論、人間(じんかん)距離を無視したり(飛沫を吐きながら全速で隣をすれ違うトレランなどはその好例)、挙句の果ては車座になり大声放題の昼食に興じたりもしている。

街場でも甘い者がいるが、山はその割合が圧倒的に多いのではないか。これでは、本来健康的で感染の危険も少ない山行が危険な行為となってしまう。街場の様子を見て既に楽観出来なくなっていたが、郊外でのこの有様により、更に感染爆発の心配が増し、暗澹たる気分になってしまった。

同じく山に来ている身としては恥ずかしい限りだが、やはり登山は禁止すべきとの結論に至ってしまった。即刻駐車場を閉鎖して遠来の者を遮断し、散歩的に利用する地元の人間には対策の実施を警告すべきである。今ノーマスクのジョギングが問題視され始めているが、屋外行動での無責任や勘違いも正さねば情勢悪化は必至となろう。


鈴北岳から鞍掛峠へと下る尾根道

下りゆく尾根からの眺望

腹立ちと失望を抱え山頂を下る。すぐさま、かの浮かれた中年トレラン組が追尾してきたので先に行かせた。

その後また台地面を北上する。山頂から続く前回通った道筋である。途中、以前見た池の再観察や化石見学等をしつつ、台地での始点となった鈴北岳に戻った。そこからは、鞍掛峠に下る、元来た写真の尾根道を進む。


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た三重員弁の中里ダムと鈴養湖

鈴北岳から鞍掛峠への尾根道では、朝同様の曇天ながら時折視界が開けることがあり、下界や諸山の遠望が叶った。

写真は鈴鹿と養老の山に挟まれた三重員弁の地。中央に堤長が1km近くもある中里ダムにより成された「鈴養湖(れいようこ)」の水面が見える。ダム湖のすぐ後ろの森が揖斐川と員弁川の分水界となっている。


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た琵琶湖や多景島
三重側とは反対の左手(西)には琵琶湖の姿も。中央の細長い影はその無人島「多景島(たけしま)」


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た、㋃下旬ながら多くの雪纏う白山
そして北方彼方には彼の北陸の麗峰「白山(標高2702m)」も。暖冬・少雪の例外は無い筈だが未だ物凄い量の雪が見える。やはり別格の地なのか


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た木曽御嶽山
こちらは日本最西端の1万尺峰「御嶽山(標高3067m)」。どこにも依らない、孤高で雄々しい姿が認められる

下山。予定はこなせたものの……

さて、尾根道をひたに進み鞍掛峠に到着後、駐車場まで下り、山行を終了した。途中残念なことも目にしたが、ルートから外れた「お花池」以外はほぼ予定通り巡ることが出来た。

そもそも緊急宣言発令後の人気山岳の様子を観ることも個人的目的の一つであった。結果残念な結論を述べることとなったが一人ひとりが感染増加の社会的影響や医療崩壊等について考えるべき時なので致し方あるまい。

とまれ、皆さんお疲れ様でした、色々とご協力有難う……。

読者各位もどうかご健勝で。前述の通り、多くの軽率者の所為で山は危険な場所となっている。もし、健康維持等の目的で山に入られる場合は、くれぐれも油断なきよう!

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2020年03月07日

雲取検雪

京都・雲取山山中の、大木下に下がる氷柱

3月初旬、近山の雪如何

性懲りもなくまた京都北山の雲取山(標高911m)へ鍛錬に出る。既に3月初旬も過ぎつつあるが、ここ最近の低温を当てにして雪を求めて訪れた。

ただ、雨となる条件が続き、多量の積雪は望むべくもなかった。せめて季節終了前に本格的な訓練のため北国の高地に行きたかったが、存知の通りのコロナ騒動。自粛せざるを得ない状況となっていた。

仕方なく、気分を切り替え、雪にはあまり期待せず、体力的訓練に重点を置くことにしていた。


上掲写真 京都・雲取山山中の大木下の氷柱。今朝は京都市街でも1度台の低温。標高1000m近い山中では氷点下を大きく下回ったとみられる。


日陰に僅かに雪のこる3月初旬の京都・芹生峠
車行にて先ずはお馴染み芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)へ。日陰の斜面に僅かに雪を見るだけで、やはり殆どその姿はなかった


雪が失せた3月初旬の京都市北部の芹生集落
芹生峠の北裏にある芹生集落もこの通り


僅かに雪残る、京都・雲取山麓の三ノ谷分岐
三ノ谷分岐

そして集落奥の林道を進み、雲取山麓の大堰川(桂川)水系・灰屋川上流の三ノ谷分岐に到着。路上に雪はなく、少々の泥濘以外、特に困難なく到達した。

今日は、三ノ谷の林道を進む、いつものルートとは異なり、ここから直接山に取りつく。


京都・雲取山南尾根の道なきルート
雲取山南尾根の道なきルート

雲取山南尾根道

三ノ谷分岐から道なき斜面を登る。そこは雲取山山頂から続く南尾根の末端に当たり、以前から気になっていたルートであった。

地形図では最初こそ急登があるが、その後比較的早くに尾根に乗り、緩やかな稜線を経て山頂に達する最短ルートであった。


境界木らしき雲取山南尾根上の大木
境界木らしき雲取山南尾根上の大木

木の根を掴み進む急登から始まり、一旦岩峰を下り、また急登をゆく。慣れない人や荒天時は下山に使わない方が良いルートかと思われた。

効率の良いルートに思われたが、意外に人跡に乏しく、新旧含め道跡は見られなかった。


3月初旬の京都・雲取山南尾根の残雪
そして雲取山南尾根の稜線に出る。少し雪が多くなってきたが、5cm程度の積雪が不連続にあるのみ


3月初旬の京都・雲取山南尾根の残雪に沈む足と山杖
このように一部雪の深い場所もあったが、極めて限定的であった


IMGP5126.jpg
やがて山頂着。雪は無いに等しい。南尾根の道程は、最初こそ急であったが、稜線以降はなだらかなため、労少なく到着した。初め楽で最後に急登となる三ノ谷ルートの真逆である。

ただ、藪と倒木が少々難儀であった。草木茂る春以降は通行出来ないかもしれない。


京都・雲取山山頂北裏の斜面に残る疎らな残雪
いつも付近で最も雪の多い雲取山山頂北裏の斜面にも積雪が見られたが、やはり薄く、疎らなものであった


京都・雲取山北峰山頂から眺めた3月初旬の雪のない北山や比良の山々
そして雲取山北の雲取山北峰(標高約915m)に到着。やはり雪は無し。足下の負荷がないため、あっという間に到達した気分である

そういえば、北峰下で珍しく他の登山者と出会った。単独・熟練者っぽいその人も、名残りの雪を愛でていたのであろうか


京都・雲取山北峰から見えた、残雪に白む、滋賀比良山脈の武奈ヶ岳
雲取山北峰山頂から見た(北方)、滋賀西部・比良山脈の主峰「武奈ヶ岳(ぶながたけ。標高1214m)」。そこそこ雪が見えたので、今日は向こうに行った方が良かったのか(後に大して雪が無かったことが判明)

このまま時季終了か
如何せむべき


いつもの如く北峰で昼食休憩後、雲取山山頂まで戻った。

途中、物足りないので、明治中期の「点の記」に記載された山頂北を通る芹生と花脊別所集落を結ぶ古道を探索。

しかし、山頂西北にある尾根のそこも倒木と藪が多く、道の痕跡を見つけることは出来なかった。よって、途中から三ノ谷支流谷に下降して三ノ谷ルートに合し、出発点の分岐まで戻った。

今日は行き帰りに探索等を混ざたので、そこそこの運動にはなったが、このまま本格的な雪山を得ぬままシーズンが終ってしまうのであろうか。

さて、如何はせむ……。

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2020年02月15日

雲取融雪

溶け残る雪に印されたワカン(かんじき)歩行の跡(京都・雲取山山中)

またも気温上昇
先日の深雪如何?


待望の寒波到来と降雪により、先日水曜に急遽貴船奥は雲取山で行った近隣雪山鍛錬。

目論見通り良い訓練となったが、その後また気温が上り、なんと昨日は京都市街で20度を超す高温となった。夜も10度弱程までしか下がらず、また雪の存続が危ぶまれることとなった。

実は、先の寒波を受け、明日知人と滋賀県西部の比良山脈辺りに雪山登山する予定であった。しかし、高温と全日降雨の予報により中止となった。

よって、その代替として、また近山の雪の具合を視察せんと、今日また個人で雲取山へ行くこととした。今回は予め雪が少ないことを承知の上で行う、気候と雪山の関係を知る学習・鍛錬ともしたのである。


上掲写真 京都北山・芹生(せりょう)の雲取山(標高911m)麓の林道に続く謎の残雪模様。その正体はまた後ほど……。


僅か3日で多くの雪が消えた2月半ばの芹生峠
いつもの如く京都市街東部の拙宅から車行数十分で辿り着いた芹生峠(標高約700m)。先日は雪が多く、この先は車行出来ない状態であったが、この通り。橋上等に残る若干の雪さえ気をつければ、夏同様に走行出来た


僅か3日で多くの雪が消えた2月半ばの芹生集落
芹生峠北向こうの芹生集落もこの通り雪が激減。その里道も難なく車行することが出来た


若干雪が残る芹生集落から雲取山方面へと続く林道
芹生奥の林道には雪が残っていたが、作業車等の轍により地面が露出していたため、慎重な運転をすれば通行限界点付近まで車行することが出来た


大堰川(桂川)水系の灰屋川源流部にある三ノ谷分岐の積雪
大堰川水系、即ち桂川上流の灰屋川源流部にある三ノ谷分岐の積雪。結構雪が有るように見えるが、溶けかけた薄いものである

適当な場所で下車し、徒歩で進む。すぐに雲取山山頂方面への入口となる三ノ谷分岐に到着。僅か3日前は芹生峠から雪道を延々3kmも歩いて辿り着いたので、改めてその違いを実感。


雲取山山頂下へと続く三ノ谷の支流沢の入口部分
雲取山山頂へと続く三ノ谷支流沢の入口。3日前は道を塞ぐ中央の倒木上には厚さ30cm以上の雪が載っていたが、今はこの通り。なお、最初の画像はこの分岐手前で見つけた、3日前の私のワカン(かんじき)跡である


僅か3日で雪が激減した雲取山山頂下に続く三ノ谷の支流沢
三ノ谷の支流沢に入り、その雪の無さに驚く。もはや如何なる雪上装備も不要であった


僅か3日で雪が激減した京都・雲取山山頂直下の急斜面
それでも高度を上げると少しは雪が残っているかと思ったが、頂上直下の急斜面ですらこの状態


僅か3日で大量の雪が消えた2月末の京都・雲取山山頂
そして頂上も驚きのこの景色。全く雪がなく、恰も晩秋か初春の風情であった。昨年等は平地で気温が上っても山上には多くの雪が残り逆に驚かされたものであるが、今季の温暖は格別なのか……


僅か3日で雪が激減した京都・雲取山の山頂北面

雪による身体への負担もないため、山頂で休息することもなく北へと進む。写真は、通常最も雪が多い雲取山山頂北面であるが、他のハイカーの足跡が地に着く程しか残っていなかった。


僅か3日で雪が消えた2月半ばの京都・雲取山北峰の山頂
雲取山山頂から北に進み、間もなく達した雲取山北峰(標高約915m)の頂もこの通り。雪で大きく膨張していた山頂が痩せたかのように感じられた


京都・雲取山北峰山頂から見た、僅か3日で雪山風情が失せた京都北山(丹波高地)や滋賀比良(中央奥)の山々
雲取山北峰山頂より見た京都北山(丹波高地)や滋賀比良山脈(中央奥)の眺め。先日、折角戻ったそれらの雪山風情もまた失せてしまった


京都・雲取山北峰山頂より見た、2月半ばにもかかわらず雪が激減し山上地面の露出も観察された比良山脈
雲取山北峰山頂より見た比良山脈。付近名立たる多雪地であるその最高峰・武奈ヶ岳(左奥。標高1214m)や蓬莱山(右奥。1174m)も雪が減り、山頂付近での消失すら確認出来た。明日あそこで予定していた山行は雨予報で中止したが、この状態なら元より雪山ハイクが出来ないので、結果的に良い気象時機となった


京都・雲取山北峰山頂から見た、2月半ばにもかかわらず雪が消えた鈴鹿山脈
同じく雲取山北峰頂より見た滋賀県東部に連なる鈴鹿山脈(奥)。ここも雪が多い場所で知られるが、見る限り冠雪している様子は窺えない

意外の融雪
また山や自然学ぶ


雲取山北峰山頂で昼食後、雲取山頂に戻り、山頂南に下る二ノ谷の道から帰還した。

しかし、ある程度予想していたが、これほど雪が無いとは思わなかった。あれほど有った雪は一体何処へ行ったのであろう。沢にもそれほどの増水は見られなかった。

雪が融けたのは、やはり、昨日の20度以上の気温が効いたのか。山上はそれほど上がらなかったとは思うが、夜も含めて気温が高めだったので、短期間でもこの様な状態になったのかもしれない。

また山の奥深さ、自然の不可思議を学び、山を後にしたのであった。

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2020年02月12日

雲取深雪

芹生の里道に佇む雪を戴くカーブミラー

今季最後の機会?

先日の日曜、寒気と降雪により待望の近隣雪山鍛錬が出来ると期待して貴船奥の雲取山に出掛けたが、雪が多すぎ麓に近づくことが出来なかった。

替わりに帰路寄った比叡山で実施したが、そこそこの雪歩きが行えたものの、根本雪が少ない場所のため雪山装備を用いた鍛錬は叶わなかった。

ただ、今ならまだ雲取山にも多くの雪が残り訓練には最適である。予報では明日から気温が上り雨も降る。今年の暖冬傾向から、恐らく今日が最後の機会とみられた為、急遽予定を調整して出かけることにした。

本来は昨日が天候・積雪量共に最適であったが、都合により致し方ない。


上掲写真 貴船奥の峠を越した場所にある高位集落「芹生(せりょう)」の里道に佇む、雪を戴くカーブミラー。


周囲を雪に覆われる芹生峠と北山の青空
周囲を雪に覆われる芹生峠(標高約700m)と北山の青空

いつも通り、山際の貴船の料理街と神社を経て芹生峠に達する。道中少々雪が残っていたが、日曜と比すべくものではなく、なんとかその手前まで車行が叶った。

しかし、ここから先は積雪があり危険なため、徒歩にて雲取山を目指すことに。後方から女史が運転する1台の大型スクーターが現れたが、暫く躊躇したあと、そのまま先へ進んでしまった。

恐らくは私同様、非冬用タイヤと見えたので、少々心配に思った。


雪が載って危険な芹生峠北側の道
そう、芹生峠は裏は実にこんな感じだったのである。ノーマルタイヤにとっては、もはやスケートリンク、歩くことすら危ない(笑)


雪に埋もれる芹生集落
雪に埋もれる芹生集落。轍からすると、先の女史は何とかこの先を下っていたったようであった


積雪多い大堰川(桂川)水系・灰屋川上流の三ノ谷分岐
積雪多い大堰川(桂川)水系・灰屋川上流で、雲取山麓の三ノ谷分岐

芹生峠から雪の車道・林道を延々3km歩いて三ノ谷分岐に到着。全く雪が無く、この手前まで楽に車行出来た時との違いを感じざるを得ない。

しかし、目論見通り雪は実に豊富であった。良い鍛錬となりそうである。


芹生三ノ谷雪上でのワカン装着
三ノ谷に入って間もなくワカンを装着。山頂下の石沢を過ぎるまで我慢するつもりであったが、雪質が新雪気味で、深く進み辛いため用意した


芹生三ノ谷から山頂下の支流谷に入る道を塞ぐ倒木とその上に載る深雪
三ノ谷から山頂下の支流谷に入る道を塞ぐ倒木とその上に載る深雪。樹上の積雪は30cm以上か。雪が無かった1月18日の同所と比べて欲しい


雪に埋もれた芹生三ノ谷の支流沢ルート
雪に埋もれた支流谷のルート。ここから急登が始まるが雪が深く登り難い


雪に埋もれた芹生三ノ谷支流沢の炭焼窯遺構
石積でU字に造られた炭焼窯遺構も、雪に埋もれてこの通り


芹生三ノ谷支流沢に雪崩れる雪の急斜面
三ノ谷支流沢の急斜面では既に雪崩れたような跡も見られた。降雪が多く、かつ急だった所為か


雲取山山頂直下の急登雪原
雲取山山頂直下の急登雪原

山頂直下の最後の急登では更に歩行困難に。ピッケルの良い訓練場となったのに持参しなかったのは失敗であった。


雲取山山頂下の急斜面に生じた雪玉(スノーボール)
雲取山山頂下の急斜面に生じた雪玉(スノーボール)。大きい物で直径50cm程


雪深い京都・雲取山山頂

そして雲取山山頂(標高910m)着。そこは写真の通り見事に雪深かった。

ここにて荷を置き一旦小休止。無雪時には通過点に過ぎなくなる場所だが、雪の状態により体力や時間が大きく奪われることを再認識した。

これも、重要な鍛錬である。


雲取山山頂北から見た雲取山北峰の雪景色
雲取山山頂北から見た雲取山北峰(標高約915m)もこの通り完全な雪山景


積雪が多い雲取山山頂北でワカン履きながら深く雪に沈む足
積雪が最も多い雲取山山頂北ではワカン履きでもこんなに深く足が沈む


深く雪載る雲取山北峰の山頂から見た京都北山や比良山脈の冬景色

小休止後、雲取山山頂から更に雪深い稜線を進み、雲取山北峰に達した。頂の様子は写真の通り。漸く本来の冬の北山と再会出来た気分となった。


深い積雪を想わせる滋賀県西部比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳
滋賀県西部に連なる比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(1214m)。ここなぞは更に雪深いか……

有難い近場鍛錬
再度叶うや否や


いつも通り雲取山北峰で昼食休息をとり、その後、芹生峠までの約5kmの雪道を戻った。

ピッケルを忘れたのは残念だったが、今日は狙い通りの鍛錬が出来て良かった。身体・時間負荷は大きいものとなったが、やはり近場で鍛錬出来ることは有難い限りである。

さて、今季はまた同様が叶うや否や……。

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2020年02月09日

叡岳雪記

音羽川河畔から見た、雪を纏い、雪に煙る比叡山

寒さ厳しい日曜に

先月末から冬の寒さが戻ったような日が続いていたが、それでも昼間の気温は二桁台に達した。ところが、この週末から更に気温が下がり、昼間も一桁台となる本格的な寒さとなった。

そして、今日9日も市街でも雪が舞う厳しい気候に。朝遅い時間でも気温は1度しかなく、雪が本降りになれば積りそうな状況であった。

今日はいつもの如く近場での雪山鍛錬に出る予定だったが、道の凍結を警戒して遅くに出発せざるを得なくなった。

場所は、前回同様、京盆地北縁の北山山地(丹波高地)・雲取山。かの貴船奥の山域である。ところが、京都市街岩倉まで順調に車行出来たが、貴船谷に入ると一変して雪が増え、やがて路上を覆い、貴船社にも達せぬ内に進めなくなった。

残念。折角良い鍛錬が期待できる状況だったのに、さすがにそこから歩いて山上を往復するのは遠かったため、やむなく撤収することにした。

更に残念だったのは、美しく珍しい貴船の雪景色を撮影出来なかったこと。積雪のため路肩に退避するのも憚られたためである。こちらも絶好の機会を逃した。

時折降る雪から逃れるように戻ったが、前夜から準備した赤飯握り等のことも考え、帰路寄れる近場の比叡山に登ることとした。

叡山の麓に着くと写真の如く、雪纏う姿が見られた。普段あまり雪の載らない山であるが、今も降り続く今日ばかりは少々期待出来そうであった。

というか、時間的にも今日はここで鍛錬する他なかったのである。


つづらの崖道が続く比叡山・雲母坂の入口部分

早速準備して登る。ルートや状況的にワカン(かんじき)は雪装備に加えず、アイゼンのみ保険的に加え、持参した。

ルートは京都側から登るのに一般的な雲母越(きららごえ)。市街東北の修学院から入山する道で、古来都と山上の延暦寺を結ぶ主路であった。

写真は、登り始めに現れた、つづらの道が続く崖。上部の古い石積の向こうへと道が続く。見ての通り、この辺りにはまだ雪はない。


雲母坂城址の郭跡に通された登山道と積雪
崖道を過ぎると雪が現れ始めた。本来、道は風化花崗岩質を薬研状に深く穿った場所「雲母坂」を通るが、何故か通行止めになっており、その脇上に誘導されるようになっていた。そこは薬研底に矢や礫を浴びせかけるための中世城塞の郭跡とされているが、その遺構面が傷むことを危惧した


比叡山雲母越の登山道と厚い積雪
更に高度を上げると、この通り、道は完全に雪に埋もれた。時折晴れ、時折吹雪くという天候が終始に続く


ケーブル比叡駅付近の積雪と冬景色
そして標高700m弱のケーブル比叡駅に達するとこの通り。積雪は20cm程か。ワカンは不要だが、足の負担が増す。気温は-6度程、以降も休息適地はないため、冬季閉鎖中のケーブル駅の軒を借りて昼食を済ませた


降雪のため一時的にその姿を蘇らせた旧比叡山人工スキー場のゲレンデ
降雪のため一時的にその姿を蘇らせた旧比叡山人工スキー場のゲレンデ

ケーブル駅からは基本林道歩きとなる。スキー場跡を過ぎ、二つある山頂のうちの一つで遊園地となっている四明岳(しめいがたけ)下やドライブウェイ駐車場等を、雪を踏みつつ進む。


雪に埋もれる叡山最高峰・大比叡山頂(標高848m)
周辺の樹々共々雪に埋もれる叡山の最高峰・大比叡山頂(標高848m)

油断禁物。人気ない山中に……

そして、山頂の三角点がある大比叡山頂に到着。その後は更に東に進み、延暦寺東塔(とうとう)方面に下る。

車道以外誰とも合わない静かな山歩きを満喫していたが、突如雪道を軽装で登ってきた若者と遭遇する。しかも2人連続。身形などから外国人らしかったが、マスクはしていなかった。当然こちらも想定外の為していない。

こんな時季に地元文化に接してくれる彼らに恨みはないが、例の肺炎騒動に対する政府の対応が甘いため、少々緊張を感じざるを得なかった。


雪化粧した比叡山延暦寺東塔の伽藍
雪化粧した比叡山延暦寺東塔の伽藍

つづらの急坂を東塔の伽藍面まで下ると、なんとまた別の外人が現れ道を尋ねられた。拙いながらも日本語で話す姿勢に感心しながら、その訛り、顔立ち等から大陸客と判じてとその言語で訊くと、韓国人だと返された。

しかし、彼が返した「han guo」という語は正に大陸人の言葉であり、複雑な気にさせられた。まあ、時勢柄、正直に明かして不利益を被ることを恐れたことは理解できるが、少々残念に思われた。

気を直して、延暦寺の西塔(さいとう)の存在や場所を教える。帰りのバスを心配しつつ礼を言い先を急ぐ彼とは、私も西塔に向かったため、すぐ再会することとなった。

西塔の主要地までまだ距離があるのかと訊かれて、近くだと答え共に向かおうとしたが、彼は雪が載る長い石段に怖気づき意欲を失ってしまった。

冬の山上を全く考慮しない装備では難しかろう。お勧めの場所を見てもらえなくて残念だが、致し方あるまい。


深い雪と静けさに包まれる比叡山延暦寺西塔・浄土院
深い雪と静けさに包まれる比叡山延暦寺西塔「浄土院」

西塔の深雪

そして、私独り石段を下って先ず浄土院を訪れた。宗祖・伝教大師を祀る山内で最も神聖な場所である。私はここに来たかったため、西塔まで足を伸ばした。

雪のない時期も極めて静かな場所だが、深いそれに閉ざされた今日は更にその静けさを増しているように感じられた。いつも通り堂奥から読経が聞こえる。未だ生けるものとして大師に使える番僧の声かと思われた。


雪に包まれる比叡山延暦寺西塔・常行堂
雪に包まれる比叡山延暦寺西塔・常行堂

浄土院の後は、「にない堂」の俗称で知られる常行堂や、西塔の本堂・釈迦堂(転法輪堂)を参拝してケーブル駅方面への帰路に就いた。


西塔とケーブル駅を結ぶ林道から見えた雪積る大原集落
西塔とケーブル駅を結ぶ林道から見えた雪積る大原集落


ケーブル叡山駅横の展望所から見た寒日の京都市街と夕陽
ケーブル叡山駅横の展望所から見た寒日の京都市街と夕陽

どうか無事で

意外に距離と高低差のある雪深い道を辿り、やがてケーブル駅に着いた。山上西半分を一周した形である。

しかし、ここからは叡山登山に於ける本番的山道を下らなければならない。欲張って山上を巡ったため既に時間は17時前になっていた。

まあ、日も長くなったので、暗くなるまでには下りられるであろう。

そして順調に下ったのであるが、中間点辺りで奇妙なことに遭遇した。なんと、こんな時間から雪の山道を妙齢の女子が独り登ってきたのである。

怪しい雰囲気はなかったが、黒っぽい街歩き風の出で立ちで、なんと肌が見える切り込みのあるズボンを履くという軽装ぶりであった。

急の意外に驚き、挨拶を交わしただけで通り過ぎたが、直に日は暮れるし、山上は昼でも氷点を切っており、雪も深く腰を下ろして休む場所もない。また未だ天候も不順で、いつまた吹雪くか判らない状況であった。

一体何が目的で独り登ってきたのであろうか。謎は深まるばかりであった。せめて電灯の有無や目的を訊ねておくべきであったと後悔した。

実は、驚いたのは急に彼女が現れただけではなかった。それは、昔山上であった事件のことを、昼間ふと思い出していたからである。

故に大変心配にもなった。もし事情を知る人や本人がこの記事を読んでいたら、どうか、その後の無事を知らせてもらいたいと思う。

さて、奇遇の人への心配を他所に私自身は暗くなるまでに無事下山することが出来た。今日は雪諸々に因り意外と身心に負荷を得た山行となった。

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2020年02月02日

雲取雪見

左右の斜面にしか雪がない冬の芹生峠

初雪後早速山へ

先月31日に漸く出された京都での初雪宣言から間もない今日、鍛錬がてら山の様子を見に出かけた。

場所はお馴染み京都・貴船奥の雲取山(北峰の場合標高915m前後)。京盆地北縁山地の最高峰である。

初雪宣言と共に寒気が強まったため、道の凍結を警戒し午前遅くに車行で向かう。峠下の細く険しい道を経るが、市街から1時間足らずで麓高地に着く近さであった。

写真は、その途中通過した芹生峠(標高約700m)。初雪宣言から雪があまり降らなかったためか、例年見られる路上積雪はなかった。


2月初めながら雪が少ない芹生集落
京盆地北縁高地にある芹生集落(標高約600m)

芹生峠をそのまま車行で越え、峠裏の芹生集落に下る。ここは更に雪が少なく、例年との違いを感じざるを得ず。


京都・雲取山中の三ノ谷林道に積る雪
三ノ谷の林道に積る雪

芹生集落を過ぎて林道に入るも路上に雪がないため、そのまま車行を続け、雪がなかった前回同様、三ノ谷分岐近くまで遡行することが出来た。

そして、徒歩にて三ノ谷を進む。標高も上がってきた為、さすがに路上に雪が現れたが、特段の対策を必要としない程度のものであった。


雪はあるが少ない、2月初めの京都・雲取山の三ノ谷奥
三ノ谷から分かれた支流谷も雪はあるが少ない


2月初めながら積雪が少なめの京都・雲取山山頂直下の急登道
雲取山頂上直下の急登ではさすがに雪が多くなり、アイゼン等の入用を感じた。深いところで積雪15cmくらいか


2月初めながら雪の少ない京都・雲取山山頂と三角点標石
京都・雲取山山頂と三角点標石

そして山頂に着くとまた雪が少なくなった。風で飛ばされたように見えたが、それでも全く雪がなかった異状の前回とは違う冬山景が戻っていた。


京都・雲取山山頂北側の、例年より少ない積雪
雲取山山頂北側は、例年最も雪の深い場所であったが、それでも20cm程。それも、恐らく風で集められたもので、倒木上の積雪からすると、実際は10cmから15cmくらいとみられる


雲取北峰頂からみた丹波高地や比良山脈の雪景色
そのまま歩き通して雲取山北峰の頂を踏む。雪は少ないながらも、山上からの眺めは完全に冬景色と化していた。雪がないまま春になるのかと危惧していたので、少々安堵の気分となった


雲取山北峰からみた冠雪した山々と武奈ヶ岳
雲取山北峰からみた滋賀県西部に連なる比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。中央奥。標高1214m)。こちらには相当雪がありそうである。先週視察した比良山脈手前の京都府最高峰・皆子山(同971m)にも雪が戻っているかもしれない


2月初めながら雪の少ない雲取峠
雲取峠(中央下に標識)

未踏の一ノ谷道へ

いつもの如く、雲取山北峰で独り食事をしつつ冬風情を楽しんだあと、北に進んで雲取峠(標高約870m)に出た。以前雲取四箇峰を巡った際にも通過した、府大小屋があるなだらかな峠である。

今日はここから未踏の一ノ谷を探索しつつ三ノ谷分岐に戻ることした。


雲取峠から南の一ノ谷に下る道の入口部分
雲取峠から南の一ノ谷に下る道の入口部分


雲取峠下の急な下りを経て現れた、植林地内に続く緩やかな道
雲取峠下の急な下りを経て現れた、植林地内に続く緩やかな道


京都・雲取山一ノ谷の谷なかに現れた雲取山荘
谷なかに現れた山荘。アルミサッシや雨戸等を備えた立派なもので、「雲取山荘」との表示があったが所有者は判らず。社会人同好会等のものか


京都・雲取山の一ノ谷から寺山峠へと続く支流谷と、その傍に続く道
一ノ谷から寺山峠へと続く支流谷と、その傍に続く道

一ノ谷の中ほどでは分岐路も現れた。鞍馬奥の花脊別所(はなせべっしょ)集落と芹生集落を結ぶ寺山峠への分岐路で、花脊までバスや車を利用する多くの人が利用する雲取山の主路である。


京都・雲取山の一ノ谷にある、並木状の大木に擁護された道
一ノ谷の谷なかにある、並木状の大木に擁護された道

一ノ谷の道をそのまま下るが、谷なかの低地を這う沢を幾度も渡る湿地的な道程であった。

そんな場所にも植林が続くが、途中幾度もその大木を並木にしたような場所を抜けた。水蝕から道の破壊を防ぐ為に敢えて残したものであろうか。


京都・雲取山の一ノ谷の沢に散らばるチャートらしき岩石
一ノ谷の沢に散らばるチャートらしき岩石

一ノ谷は天然林が少ないことや庭石的な岩が見られないため、二ノ谷や三ノ谷より風情に欠けるように感じられたが、そもそも地質も異なるようであった。

二ノ谷・三ノ谷では石灰岩らしき岩が多かったが、ここでは硬い堆積岩「チャート」が多いことに気づいた。


京都・雲取山の三ノ谷分岐付近の斜面にあった桂の木らしき大木
三ノ谷分岐付近の斜面にあった桂の木らしき大木。前回紹介した樹とは異なる個体である

雪は少なし今後に期待?

そして、三ノ谷分岐に達し、山行を終了した。

雪はあるにはあったが、まだ少ないものであった。この先増えるかどうか……。出来れば遠出することなく、ここで雪中鍛錬したいのであるが、まあ様子を見るほかあるまい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年01月26日

皆子探雪

葛川平集落外れにある皆子山東尾根登山口

雪求め北山奥峰へ

厳冬期でありながら、未だ京都市街に初雪がないままの異常が続く。

先週、京都盆地北縁奥(北山山地・丹波高地)で雪を探ったが、いつもは多い山上にも全くなし。その為、今日は別所を視察することにした。

場所は先週山上からの観察で冠雪が確認出来た皆子山(標高971m)。同じ北山山地の北東にある京都府最高峰である。

先週同様、車輌にて現地に向かう。かの大原を越え滋賀県内に入り、更に北上して安曇川(あどがわ)水系上流の葛川平(かつらがわ・だいら)集落に達した。

今日も朝から気温が高く、難なく峠道を通過。そして、平集落外れにある、写真の東尾根登山口から皆子山山上を目指した。


皆子山東尾根で最初に現れる急登の道
先ずは皆子山東尾根で最初に現れる高低差300m弱の急登の道を進む。雪は全くないが、まあこの辺りについては想定内であった


雪が全くない厳冬期の皆子山東尾根南部
次に東尾根の上部に達するも、やはり雪は無し。まだ標高的に見えないだけかもしれない


皆子山東尾根から見た、厳冬期にもかかわらず全く雪がない比良山脈南部
ところが、対面に現れた比良山塊の姿に驚く。皆子より標高が高く、付近名立たる多雪地の比良山上にも全く雪が見えないのである


厳冬期にもかかわらず全く雪がない比良山脈の蓬莱山
比良山脈南部の雄峰・蓬莱山(中央。標高1172m)もこの通り。先週雲取山から見えた雪は溶けたのか。これでは山上にあるスキー場も営業出来まい。これまで数十年見てきたが、こんなことは初めてのような気がする


厳冬期にもかかわらず全く雪がない京都北山の峰床山
皆子山の更に北にある北山の著名峰・峰床山(標高969m)もこの通り


厳冬期にもかかわらず僅かしかない皆子山東尾根上の雪
東尾根上の道を進み徐々に高度を上げるが、見かけた雪はこの様に微々たるもののみ


厳冬期にもかかわらず山上に雪が見えない、比良山脈南端向こうに浮かぶ鈴鹿山脈
比良山脈南端の向こうに浮かぶ、1000m級の多雪地・鈴鹿山脈(中央奥)にも雪は見えず


厳冬期にもかかわらず全く雪がない皆子山山頂
そして、やがて到達した皆子山山頂にも全く雪がなかった。比良でさえ雪が無ければ当たり前ともいえたが、残念に思われた


皆子山からみた、厳冬期にもかかわらず冬枯れの姿のみで、全く雪がない比良山脈最高峰・武奈ヶ岳
比良山脈最高峰の武奈ヶ岳(1214m)も冬枯れのみの姿。あまりの異様ぶりに、少々恐ろしくさえ感じられた


厳冬期にもかかわらず、皆子山山頂付近に僅かしかない雪
皆子山山頂付近に僅かに残る雪


皆子山山上から見えた、唯一冠雪する三重嶽
ただ、唯一滋賀県北西の三重嶽(さんじょうだけ。標高973m)のみ冠雪が見られた。しかし、彼の山地は訓練地とするには少々遠い


皆子山山上からみた、滋賀県南部の琵琶湖や平野
皆子山山上からみた、滋賀県南部の琵琶湖や平野

残念無念、山の温暖無雪
だがこれは温暖化の証か?


皆子山上にて昼食を摂り、その後元来た道を下り京都市街へと帰還した。

さて、近場に雪がなく、雪上鍛錬の場所がないことに困らされた。このまま春となってしまうのか……。

ところで、最近こうした状況を以て温暖化増悪説を唱えることが世を席捲しているが、少々危惧を感じざるを得ない。勿論、温室効果ガスの物理特性は事実であろうし、元より自然変動に相乗する危険があるその削減をすべきなのは言うまでもない。

ただ、一つの現象で何かを言い切る安易な風潮を案じているのである。例えば、雪といえば今年は無いが、一昨年には北近畿や北陸で記録的大雪になったこともあった。

最近の豪雨や暖冬などで体感的・感情的に流されることも理解できるが、もう少し冷静になった方がいいのでないかと、雪のない山を見て改めて思った。

大雨やその反対の日照りは昔からあったのである。要は両方に備えることこそ肝要と思われる。

ただ、やはり雪上鍛錬が出来ない、雪山風情が楽しめないことは残念無念である。さて、如何(いかが)はせむ……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年01月18日

雲取無雪

京都・雲取山山上の樹幹に残る、風雪の名残り

大寒直前なお雪なし
京都北郊雪状視察へ


月半ばの小正月も終り1月も後半に入ったが、京都市街では未だ雪を見ず。

年中で最も寒いとされる「大寒」直前の時期ながら、日中は10度を超える日が多い異状が続く。

本来なら、ここ数年来恒例の雪山鍛錬を北方近山で行うのであるが、遠望する北山の峰々にも雪がない。いつもは、それが少ない年でも山上には驚くほどの雪があるので、一先ず、様子見がてら出かけることにした。


上掲写真 京都北山(丹波山地)山上の樹幹に残る、風雪の名残り。京都盆地北の旧国界山地最高峰・雲取山(北峰の場合標高915m前後。旧丹波国、その後京北町を経て右京区)にて撮影。


1月なのに雪が全くない芹生峠
車行にて貴船経由で先ずは芹生峠(せりょう・せりう。標高約700m)に到達。本来ならこの時期は積雪のため峠以北は通常装備では進めないが、今年はこの通りで何の障害もなし。因みに去年の状況は次の通り2019年1月13日2019年1月23日


積雪のない1月の芹生峠の道脇にわずかにあった雪
芹生峠の道脇に見つけた僅かな雪。積雪が少なかった去年と比べても明らかな異状


1月にも拘わらず雪のない芹生集落
昨年は雪のため徒歩で進んだ峠北の道を難なく車行し、やがて芹生集落に到着したが、この通り。まるで4月か11月のようである


1月にも拘わらず雪のない芹生の林道奥
芹生集落から林道を進み、倒木で阻まれる奥地まで進んだが、この通り。昨年ならワカン(かんじき)を欲する程の雪深い場所であったが、僅かに倒木上に雪が残る程度であった


1月にもかかわらず雪のない、雲取山山上への経路、三ノ谷林道のゲート
雲取山山上への経路の一つ、三ノ谷の林道ゲート。いつもはここでワカンを装着するのであるが……


京都・雲取山の山頂へと続く三ノ谷の支流分岐部に薄っすら積る雪

雲取山山上へ

雪の無い林道を歩き、漸く雲取山山頂へと続く支流谷の分岐部で、薄っすら積る雪と遭遇した。

ただ、昨年の2019年2月17日には、写真奥にある倒木上に7、80cmもの積雪があったので、異状は歴然である。


1月にもかかわらず雪のない、京都・雲取山山頂に続く支流谷
林道から外れ支流谷を進むが、やはり谷なかにも雪はなかった


僅かに雪が載る、雲取山山上へと続く支流谷最高所の炭焼窯遺構
支流谷最後の炭焼窯遺構には僅かに雪があったが、圧倒的に少ないため、石積のその姿がよく観察できた


1月にもかかわらず積雪といえるものがない、雲取山山上下の支流谷
支流谷を更に進むが、積雪といえるものはない。雪崩に警戒しながら進んだ去年との違いを強く感じる


1月にもかかわらず積雪のない、京都・雲取山山頂直下の急傾斜
そして谷に水気がなくなり最後の急傾斜地となったが、ここも積雪はなし。ただ、全体的に地面がぬかるんでおり、滑って登り難かった


1月にもかかわらず積雪がなく、三角点の標石も露出した京都・雲取山山頂
滑り易い急斜を詰めて間もなく雲取山山頂に出たが、やはりこの通り。いつもは雪に埋もれがちな三角点の標石も露出している


1月にもかかわらず積雪が少ない、京都・雲取山山頂の北面
雲取山山頂からそのまま北峰へと進んで現れた雪面。最も雪深い山頂北裏辺りだが、それでも2、3cm程の量しかない


雲取山山頂北からみた、1月にもかかわらず殆ど雪のない雲取山北峰
雲取山山頂北から見えた雲取山北峰も、殆ど雪がないように思われた


1月にもかかわらず積雪のない京都・雲取山北峰
間もなく雲取山北峰山頂に到着したが、やはり少々の雪は見れど積雪はなし


1月にもかかわらず雪景色のない雲取山北峰からの眺め
北に開けた雲取山北峰からの眺め。本来は全山雪景色の筈だが、この通り。まあ無いものを嘆いても仕方ないので、これを見つつ食事休憩をとることとした。雪はなくとも山上は風が強く寒い。簡易計の値は-1度程であった


雲取山北峰から見えた、冠雪した比良山脈の武奈ヶ岳や蓬莱山
雲取山北峰から見えた滋賀県西部に連なる比良山脈(奥)。最高峰の武奈ヶ岳(1214m。左)と南部高所の蓬莱山(1172m。右)を中心に冠雪している。彼の地も今年は雪が少ないらしいが、例年2m近く積る場所なので、まだマシなのであろうか。北山(丹波高地)側は、府県境の途中峠(大原の最上流部)から北の山上に雪が見えた


霰吹雪により曇り始めた雲取山北峰からの眺め
雲取山北峰に到着して間もなく霰(あられ)が降り始め、景色も一気に曇り始めた。風に乗り吹雪くような具合である


雲取山北峰から見た、霰吹雪に霞む北山の峰
霰吹雪に霞む北山の峰


霰吹雪の後に急に晴れコントラストが高くなった、雲取山北峰から見た北山の眺め
しかし、天候が悪化したかと思えば、突如晴れて、俄にコントラストの高い眺めともなった


雲取山主峰頂部から南に下る二ノ谷登山路
雲取山主峰頂部から南に下る二ノ谷登山路(中央)

二ノ谷探索

雪はなくとも変わらず静かで落ち着いた雰囲気の雲取山北峰での食事後、雲取山主峰に戻り往路とは異なる、二ノ谷経由の下山路を採った。

車輌を止めた三ノ谷ゲート付近に然程無駄なく帰還できるルートであったが、自身では未踏であった。そこで雪が無いことを逆手にとり、倒木等の路状を探るべく、進むことにしたのである。


1月にもかかわらず雪のない、京都・雲取山山頂直下、二ノ谷側の森
ところが、晴れてきたこともあるが、南面する二ノ谷に入ったとたん、大変な温暖となった。稜線上ではまだ風が唸っているのが聞こえるが、僅かに下がったここは別世界であった。気温も一気にプラス数度と化す


京都・雲取山の二ノ谷上部を下り、間もなく現れた谷なかの水無し滝
二ノ谷上部を下り、間もなく現れた谷なかの崖。今は殆ど水が無いが、増水時は滝と化すことが想像された。そういえば、芹生峠下の沢も雪不足のためか水が少なく、去年見られた渓流魚の豊富な姿も見ることはなかった。暖冬は沢の生態系にも影響するかもしれない


春の雪解け時のような、京都・雲取山の二ノ谷ルート
春の雪解け時のような、雲取山二ノ谷ルート


京都・雲取山二ノ谷上部を下って現れた人口建造物
二ノ谷上部を更に下ると、やがて人口建造物が現れた


京都・雲取山二ノ谷にある、立命館大学ワンダーフォーゲル部の山小屋と付属施設
それは、立命館大学ワンダーフォーゲル部の山小屋であった

上部の青く四角い小屋はトイレらしく、一般にも開放されていたが、マナーが悪いので閉鎖も検討しているとの旨が大書されていた。

試しに覗くと、いきなり土足禁止の床に付けられた泥靴の跡が見られた。これでは怒るのも仕方ない。トイレは環境に配慮したバイオ式らしく、一般家屋同様にクッションフロアが貼られた美麗の内装であった。

その横には着脱面倒な登山靴に配慮してビニール袋も備えられていたが、それらの好意を含め、一切を無視した挑戦的な汚し様であった。同じハイカーとしては情けない限り、管理諸氏への同情頻りの心情であった。


立命館雲取小屋下流の二ノ谷沿いに残る炭焼窯の遺構

立命小屋下の合流部から、いよいよ二ノ谷本流に入り、水が豊富となった沢沿いを更に下る。

その途中、写真の如き石積の炭焼窯遺構に次々と遭遇した。恐らく、三ノ谷とは異なり、林道で破壊されていないため残存しているのであろう


京都・雲取山の二ノ谷を飾る、雑木と岩が織りなす庭園風情
二ノ谷には雑木と石灰岩らしき岩が織りなす庭園的眺めが続いていた。自動車林道が大規模造成される昭和後期以前の古き良き北山風情を残す場所に感じられ、大変好ましく思われた。立命小屋はこれを知ってこの地を選んだのか。今や稀有となった京郊谷での贅沢な環境を羨ましく思った


針葉植樹の大径木の並木に守られた、京都・雲取山二ノ谷の古道
あと、二ノ谷で気になったのは、この様に針葉大径木に守られた古道である。狭いながらもまるで街道並木のようであった。このような場所が方々にあり、沢際であっても残存していたので、道の流出を防ぐ施策とも思われた。樹齢換算によると明治以前からのものと見たが、如何であろうか


京都・雲取山の二ノ谷と三ノ谷の間にある林道崩壊部分

そして、意外の北山風情溢れる二ノ谷を出て、林道ある本流ルートと合した。その後はすぐに車輌に戻らず、本流上手の一ノ谷方面にある花脊集落への峠道分岐等を視察した。

写真は二ノ谷・三ノ谷間にある林道崩壊部分。水流により路盤が流され導水管が露出している。浅薄な人智を一蹴するような光景であった。


京都・雲取山の二ノ谷・三ノ谷間の林道脇にあった桂と思われる大木
同じく二ノ谷・三ノ谷間の林道脇にあった大木。桂の木か

近場の雪山鍛錬叶わず

その後、車輌に戻り、無事市街へと帰還した。

一応装備は持参したものの、この様に今日は雪山鍛錬は叶わなかった。残念だが、これも自然のこと故、致し方あるまい。

暫く様子を見、方策を検討したいと思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会