2026年01月18日

三境尋雪

滋賀最西部・生杉集落の地名木札杉林や茅葺民家

今季初の雪山へ

1月も半ばが過ぎ、はや厳冬期の「大寒」直前となった今日。漸く今季初の雪山へゆくこととなった。

この冬は雪の降り始めが遅かったことや、熊への警戒から未だ出動を果たせていなかった。しかし、友人から雪歩き目的の誘いがあったので、今日向かうことになったのである。

場所は、京都府東北部と滋賀県最西部、そして福井県東南部に跨る三国岳(標高775m)。かの秘境・芦生(あしゅう)原生林に接する京都北山(丹波高地)最奥の地である。

以前、下見で麓まで車行したことがあるが、歩くのは初めて。よって楽しみにしていたが、ここ数日季節外れの温暖が続いていたので、肝心の雪は期待し難い状況であった。

朝待ち合せた友人とも「今日は普通のハイキングで終るか」と、半ば諦め気味で話していが、果たして結果や如何に。


上掲写真 三国岳の登り口となる、滋賀最西部集落・生杉(おいすぎ)の地名板と背後の杉林や茅葺民家。


季節外れの温暖な冬の日にもかかわらず車道以外雪に埋もれる滋賀・生杉集落

諦めが驚きに!?

出発地の京都市街東部から、ひたに北上して大原を過ぎ、琵琶湖水系の葛川(かつらがわ。安曇川)谷に入る。

そして進路を西寄りに変えて京都市最北の地・久多集落手前から滋賀最西部の山間を北上し登山口の生杉に至った。その様子は写真の通り。

車道以外は雪に埋もれる驚くべき光景が広がっていた。恰(あたか)も突如東北の山村にでも到達した気分である。

途中、多雪地の比良山脈も見えたが、殆ど雪を見ず、完全に諦めていたので、その感慨も一入(ひとしお)であった。

まあ、京都より北で、標高も高い場所ではあったが、近場ながら、まだまだ予想外の景色や状況が存在するものである。


滋賀朽木・生杉の外れ除雪が途絶え通行不能となった地蔵峠・芦生演習林への道
さて、集落を抜け、更に道を進むも、この様に雪で行き止まりとなった。本来は府県境に向け未だまだ道は続くが、除雪はここまでのようである。同乗してきた友人の車は冬用の護謨輪(タイヤ)を履いていたが、さすがに除雪がなければ進めない。空気の如く意識せずにいた社会基盤の恩恵を不意に感じる。まあ登山口まではもう遠くないので、緊急車等の邪魔にならないように駐車して入山の準備を始めた


除雪終了点から雪に覆われて続く芦生演習林・地蔵峠への車道
暫くは車道歩きとなるが、この様にしっかり雪があるため、温暖日としては珍しく最初からワカン(輪かんじき)履きで出発


生杉・芦生演習林間の車道脇に現れた三国岳の登山口と木製の登山届箱
途中、友人が外手袋を忘れ、引き返す事もあったが、程なく登山口に到着。車道脇に地元の針葉樹らしき木材を使用した立派な入山届箱もあった


生杉から芦生演習林に続く道端に現れた三国岳登山口の標柱と入山届箱
登山口標柱の場所から車道を離れ沢筋の林間を進む。雪の量が増し、足をとられることも多くなる。当初ワカンなぞ不要かと思い、置いてくることも考えたが、結果、持ってきて助かった。やはり、山は油断禁物である


谷の斜面を巻き進む若丹江・三国岳への雪道
林間の道では途中まで昨日辺りの先行者の足跡があったが、やがて消えた。そもそも入山者の少ない、雪に覆われた場所なので道は自分で探る他なし。やがて谷が狭まり、この様な斜面を巻く進路を採ったが、所々崩れた夏道の跡らしく、急な場所や進み難い場所も少なくなかった


滝が集まる急な渓谷を高巻きする、生杉からナベクボ(クチクボ)峠への登山道
やがて、周囲に滝が見える急な渓谷を高巻きする。先程から道が険しくなったのは、沢沿いに通行出来ないここを遣り過すためだったとみられた。対岸にはブナ等の天然林も現れた


ナベクボ(クチクボ)峠の下に続く雪に覆われた古道らしき道跡
険路を越えると、緩やかで幅の広い道に。峠に接する古道跡か


雪の少ないナベクボ(クチクボ)峠

江若国界踏み山頂へ

そして、ナベクボ(クチクボ)峠(標高約620m)着。旧江若国界、即ち近江・滋賀と若狭・福井の県境尾根である。写真は福井側からそこを撮影。

風が抜け寒い場所だったが、なぜか雪は少なかった。風か、晴れた日の陽当たりの所為であろうか。


ナベクボ(クチクボ)峠から三国岳へと続く雪の稜線道
そして、峠からは、その南に続くこの稜線坂を登り、その頂部にある三国岳を目指す


ナベクボ(クチクボ)峠から三国岳へと続く雪の稜線道
稜線坂はやがて天然林となり、雪の量も増えた。峠下では見なかった、下りのスノーシュー(西洋かんじき)足跡が一人分続く


ナベクボ(クチクボ)峠から三国岳へと続く雪の稜線道
雪の急登を進み、偽頂を二つ越え、漸く山頂が見えた(中央奥の雑木山)


雪に覆われる江若丹国界の山・三国岳の北面
稜線から外れる山頂の小峰に右から回り込み、その斜面に取りつく。すぐそこに頂が見えているが、意外の急斜のため、つづらで登る


雪に覆われる江若丹国界の山・三国岳山頂

「秘境」の隅・三国岳

程なく山頂着。江若に加え、南の丹波を加えた正に三国国界の頂である。但し旧国界を踏襲したとみられる府県境は、一つ手前の偽頂にある。

丹波(京都)側は近畿の秘境・芦生原生林の東北隅となる。正に秘境の奥で、山頂には演習林事務所の入山規制の看板が掲げられていた。

この先の西南方向は演習林深部に下ることが出来るが、事前許可を得ない者は入ることが禁じられているのである。


江若丹国界の山・三国岳山頂と百里ヶ岳方面の眺め
江若丹・三国岳の山頂から見えた周辺景。中央奥の峰は同じく旧江若国界にたつ百里ヶ岳(標高931m)か。三国岳山頂は樹々の為あまり眺望は良くなかったが、風も無く明るい場所だったので昼休憩には良い場所となった


江若丹国界の山・三国岳山頂からみた、雪に覆われる生杉集落やその耕地
こちらは山頂の樹間から見えた、雪に覆われる生杉集落やその耕地。奥地でありながら、かなりの平地をもつ豊かな土地であることが窺えた


雪上にスノーシュー跡が続く、江若丹・三国岳南東尾根

原生林経る下山路

三国岳山頂での昼食後、下山路に就く。山頂から近道的に偽頂側に下り、旧丹江国界(京都・滋賀府県境)の尾根に乗る。

雪深いが晴れて穏やかな尾根筋にはスノーシューの跡が続く。先程足跡を見た独行者は、我々とは逆に、こちら側から上がってきたようである。


江若丹・三国岳南東尾根から見えた、比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳
そして、山頂より開けた尾根筋からは、比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)も見えた。往路その下を通るも姿を見ることは出来ないが、意外に山上はそこそこ積雪しているようである


雪残る生杉ブナ原生林の中腹部

やがて、国界尾根から滋賀側の支尾根に入り、その側面を下る。急な下りで雪も少なく難儀するが、写真の如くブナ等の大樹多い、見応えある天然林となった。

所謂「生杉ブナ原生林」と呼ばれる場所で、県の自然公園となっている貴重な森。急斜で、遠回りともなるが、これが目当てで経由したのである。

因みに、スノーシュー跡はそのまま支尾根に続いていたので、緩傾斜かつ里からの近道を採ったとみられた。非正規的道だが特に難はなさそうか。


生杉ブナ原生林内から見えた、雪に埋もれる芦生演習林への車道
下り難い、しかし正規の登山・散策路でもある原生林道を下降すると、やがて雪に埋もれる車道や厠等の公園建屋が見えてきた。よく見ると、車道には斜面から盛大に流れた雪崩跡も(中央)。先週末の寒波来襲時に相当降ったとみられる。もし先週来ていたら、雪が多すぎて山歩きは疎か集落にさえ来られなかったかもしれない


所々雪が剥げた、生杉ブナ原生林下から集落へと続く車道
原生林口の車道に下ると、後は駐車地点までひたすら車道を下るのみ。森下は温暖で、車道にも雪の禿げた場所があったため、友人は早速ワカンを外すが、進むにつれまた雪が増えたので、改めて付け直した


雪に埋もれる生杉集落奥の沢沿い林地内にあった熊檻らしきもの
雪に埋もれる沢沿いの林内にあった熊檻らしきもの(中央)

山行終了
確りした雪歩きに感謝


そして、雪を踏みながら車道を進むこと1時間強。無事駐車地点に到達した。最後はU字の車道を渡渉で短絡したが、そこに熊檻(罠)らしきものの設置がみられた。

奥山なので以前から熊の多い場所ではあるが、改めてそれへの警戒を意識(一応、毎回事前の出没情報調査や鈴等で対策)。

その後、集落を離れ、朽木の温泉に寄って帰京したのである。季節の為か、時間の所為か、生杉の地産店が閉っていたのは残念だが、まあ、また今度……。

今日は短距離ながら予想外に確りと今季初の雪歩きが出来てよかった。友人に感謝。お疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年12月14日

若丹捜茸

雨に濡れた美山町田歌集落に佇む、美山の名物的な茅葺民家

京都北山最奥へ

今朝は珍しく早起きし、まだ暗い内に出先から帰宅。そして、7時過ぎに友人が迎えに現れ、その車輌に同乗して一路北へと向かった。

行先は京都北山・丹波高地最奥の地、美山。現京都府と福井県の府県境で、旧丹波と若狭の国界に当る山域であった。今日は友人に誘われ、珍しくそこを歩くこととなったのである。

若丹国界の稜線は、かの近畿最後の秘境・芦生(あしゅう)演習林に隣接する山域で、個人的な未踏地であった。

以前より行きたいと思っていたが、交通不便のため叶わず、今回友人の茸探しに同行する形で、初めて入山することとなったのである。

生憎朝まで雨が残る天候であったが、その後あがるとの予報を頼りに、約2時間の車行を始めた。果たして無事入山は叶うや否や。


上掲写真 美山町田歌(たうた)集落に佇む、今や美山の名物的な茅葺民家。雨は止んだが、周囲の山や耕地共々濡れそぼり、初冬らしからぬ量感ある姿を見せていた。


雨に溶けた佐々里峠北の路上積雪

さて、出発後、市街を抜け、京盆地北の貴船口・鞍馬を経て城丹尾根の峠を越える。

それは盆地北縁の稜線で、その後その北裏の花脊(はなせ)や広河原地区の各山間集落を抜け、美山との境にある佐々里峠(標高735m)に至った。

途中雪はなかったが、写真の如く、この峠の北裏には路面に少し雪が現れ、車輌が滑った跡も見られた。幸い同乗車の護謨輪(タイヤ)は既に冬用に変えているらしく、難なく通行。

未明の雨でかなり融けたようだが、油断ならぬ場所であった。因みに、明日15日から春の任意日まで、豪雪地のこの峠は通行止めとなるので、正にギリギリの通り抜けであった。

京都市街東部から芦生方面に行くにはこの道程が一番の近道なので助かった。ここが閉鎖されると、遥々右京区方面から回り込まなければならない(但しそこの方が道が良いので条件により時間差は少なくなる)。


落葉散る雨上がりの五波峠
落葉散る雨上がりの五波峠。右端の路端に峠名を記した石碑がある

五波峠より境界尾根歩く

佐々里峠を下り、同名集落を過ぎて由良川(ゆらがわ)畔の芦生に入る。

これまでは大阪湾、即ち太平洋に下る大堰川(桂川)水系だったが日本海水系へと変わり、奥地に来たことを実感。

そして、美山町に入り、田歌集落から峠道を進み、写真の五波峠(ごなみとうげ)に達した。稜線とは見え難いなだらかな場所だが、下る向こう側はもう旧若狭国名田庄(なたしょう)、即ち福井県嶺南地区であった。


五波峠から八ヶ峰まで稜線道から見えた雨で溶けつつある冠雪の跡

五波峠で下車して稜線道を歩く。気温は6度程、写真の如く北斜面等には薄っすら雪も残っていた。情報では、先週既に冠雪していたらしいので、その名残りか。

標高600mの峠から、その西方にある八ヶ峰(はちがみね)という同800mの山頂を目指す。距離は3km程、高低差も小さいので穏やかな登行である。

ただ、天気が怪しく、今にも降り出しそうな空模様であった。一応雨装備は完備していたが、気温が低いので降り出すと少々辛い条件となる。

また一面の濡れ落葉を進むので滑り易く、足下が悪いのも難点であった。


朽ちた倒木のなかで育つヒラタケ

不毛の冬枯れにて

足下に気をつけながら山道を進むと茸(きのこ)に詳しい友人が早速可食のものを見つけた。ただ、それは小さく数も僅かであった。

既に雪が降ったこともあり、見渡せば山中は完全な冬枯れ状態。個人的には不毛の様に見えたが、その後、友人が朽ちかけた倒木の中から、写真の平茸(ヒラタケ)を発見した。


朽ちた倒木裏で大量に育っていた大型のヒラタケ
そして倒木を裏返すと、なんと子供の掌程もある大型の平茸が大量に。表面には先行者に採られた跡もあったが、その後育ったものや、見つからなかった場所のものが数多く見られた


五波峠から八ヶ峰の間で見つけた木耳の仲間
友人曰く、これは木耳(きくらげ)の仲間だという


五波峠から八ヶ峰の間の登山道上で見つけたクリタケ
これは栗茸(くりたけ)とのこと。人為的に置かれた登山道の階(きざはし)の木材に生えたもの。よく踏まれずに残ったものである


天候回復し陽が入り始めた、五波峠から八ヶ峰間の天然林や残雪

経験者も違う偽頂を越え

1時間程進むと空が晴れてきた。一気に森も明るくなったが、写真の通り冬枯れの様子は変わらず。


八ヶ峰手前の峰へ続く間の尾根の急登
栗茸があった坂の次にまた少々急な登坂が現れ、その頂に達す。すると、この道の経験者たる友人が「やれ、到着」との声を発したので、すぐさま否定し、先へ進む。そこは八ヶ峰南東手前の一頂であり、所謂「偽頂(偽ピーク)」だった為である。まあ、偽頂は皆間違え易いので仕方なし


八ヶ峰山頂手前の登坂と山頂の松樹
正解の頂は、次の登坂後のここである。頂部の松の木が目印で、先に遠方から観察し、図上で特定していた


松の木が植わり見晴らし良い八ヶ峰山頂

八ヶ峰山頂

そして、登坂を上りきり、八ヶ峰山頂に着いた。積雪多い北地の高所に松が植わる珍しい峰である。

眺望も良く、ほぼ全周が見渡せた。流石は美山五山で、関西百名山(毎度記すがこういう区分けに興味は無いが……)の一つ。


八ヶ峰山頂標識と頂からの眺め
八ヶ峰山頂標識と頂からの眺め。丁度山頂手前から空も晴れて何より


八ヶ峰山頂から見えた高浜方面の青葉山や原発電力線鉄塔
八ヶ峰山頂からは日本海・若狭湾方面も見えた。これは北西方向の高浜方面。中央に舞鶴と高浜に跨る名峰・青葉山(あおばさん・若狭富士。標高693m)が双耳峰の姿を見せていた。その左手前に続く紅白の鉄塔は写真右奥の小浜湾・大飯原発からの電力線支柱と見られた


京都北山山中の温泉施設
京都北山山中の温泉施設

森なかでの昼食と帰路の寄り道

丁度昼時となったので、陽が差し見晴らしも良い八ヶ峰頂で昼食にしたかったが、風が強く寒いため、偽頂方面に下った森なかで休むことにした。

食後は来た道を戻り、五波峠まで帰還。午後からまた曇天となったが、結局懸念された雨に遭うこともなく無事下山出来た。

その後、帰路回り道をして美山の道の駅に寄り、次いで友人が知る山中の温泉施設に寄って入浴した。冷えた身体には有り難い限り。

そして、また京北の道の駅に寄ったりしつつ京盆地に帰還したのである。

お疲れ様、茸知識含め、色々と有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年11月23日

音羽懐古

秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝

紅葉の牛尾・音羽山へ

今日はまた先月に続き小山会(しょう・やまかい)へ。

今回もまた参加者の希望を容れて行ったが、場所は京都市東部の音羽山に行くこととなった。

それは、先月行った逢坂山の南隣にある京滋府県境の山で、標高は600m弱。少々体力度が上る山だったが、初心者である希望者の意見を訊きながら、先月同様、逢坂峠傍の大谷駅に集合して登ることとなった。

数多有る登山道の中でこの道程を選んだ理由は、山頂までの距離と高低差が少ないこと。その分、急登になるので、警告はしたが、ゆっくり進むということで一先ず行ってみることにした。


上掲写真 秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝。


旧東海道であり、現国道1号線上の逢坂峠付近に渡される東海自然歩道の陸橋
今日も同行者の仕事の都合で午前遅くの集合となり、大谷駅を出発。その前に同行者が前夜の問題で足止めとなり心配したが、程なくして進むことが叶った。そして、旧東海道址で現国道1号の道上に架けられた、この東海自然歩道の陸橋を渡り、登山道に入った


逢坂峠付近の音羽山登山道・東海自然歩道
逢坂峠近くに続く林間の音羽山登山道(東海自然歩道)

急登そしてなだらかな牛の背道

陸橋を渡った国道擁壁上からすぐに山道となり、進む。

音羽山といえば、京都市東部に住む人々には「牛尾山(うしおざん)」と呼ばれ親しまれる山。個人的にも懐かしく、随分久しい再訪となった。


逢坂峠から音羽山山頂へ続く東海自然歩道の石段急斜
音羽山への登山路は東海自然歩道を兼ねているので、手摺や石・木の段がよく整備されているが、その内傾斜が増してきた。そう、「牛尾(牛形)」の山容なので、なだらかな山上に比し、縁は傾斜がきついのである


逢坂峠から音羽山山頂へ続く東海自然歩道のなだらかな落ち葉道
道はその後更につづらの急登となったが、同行者は一度の休息だけで登りきることが出来た。以前他の人を何度か引率した経験から、この区間は慣れない人にかなり高負荷の場所だと思っていたが、それ程でもなかったか。まあ、気象条件等の差もあるかもしれない。急登の次は写真の如く落ち葉のなかを進むなだらかな、正に牛の背の道と化す


落ち葉に埋もれる音羽山路傍休憩地
山中の尾根筋としては珍しい、便所のある音羽山路傍休憩地。主路から200m程外れた場所にあるが、同行者が見たいということで寄る。標高532m、記憶では眺望はなく、トイレ以外に寄る価値に乏しい場所と先に断っておいたが、結局今もその通りであった


音羽山山頂からみた、高圧線越しの如意ケ嶽や叡山・比良山に琵琶湖等の眺め
音羽山山頂より見えた高圧線越しの北方景

音羽(牛尾)頂

そして山頂着。標高は593m、大谷駅は同161mなので430m程登ったことになる。同行者の体力具合からすると意外に難なく着けた。

山頂には鉄塔があるので高圧線越しとなるが、北は如意ケ嶽(大文字山。写真中央左下)や叡山(同中央)・比良山脈(同中央右上)に琵琶湖(同中央右下)等が良く見渡せた。

難点は人が多かったことで、昼時の所為もあるが、禁じられている筈のマウンテンバイク集団が場所をとっていたこともあり落ち着けなかった。


音羽山山頂から伊吹山地越しに見えた雪を戴く白山
音羽山山頂から目を凝らすと、なんと彼方の雪山も見えた(中央奥)。滋賀北奥に続く伊吹山地から顔を出すそれは、北陸の名峰・白山(2702m)であった。ここより数十km北の比良山地でも中々見えないのに、ここで見えるのは珍しく、個人的に初めてであった


音羽山山頂からみた瀬田・石山市街と瀬田川等
少し場所を変えると滋賀南部の市街地も。中央左から右へと水の帯が通るが、それは琵琶湖唯一の流出河川・瀬田川で、それを渡る鉄道や高速道の橋も見える。昔も今も交通要衝たる瀬田・石山の眺めである


音羽山山頂から醍醐方面に続く明るい黄葉の尾根道
山頂での昼食込みの長休み後、先へ進む。当初は滋賀の膳所側(大津)に下る案もあったが、駅まで遠いことや東斜面に因り午後は暗くなることから、西の山科側へ下ることとなった。ただ、それは少々山中を遠回りする、牛尾観音なる山寺経由の道であった。暫くはその分岐がある南方は醍醐方面へと続く明るい黄葉の尾根道をゆく


牛尾山法厳寺の土壇下に聳えたつ天狗杉と崩れある法面

懐かしき山寺

やがて尾根の分岐に達し、そこから支尾根を下り牛尾観音の境内に入った。その手前では寺の土壇下にある名物巨樹・天狗杉が出迎えた(写真中央)。

樹齢800年という、これにも久方ぶりの再会。法面の石積等に崩れがあり、樹勢も弱まったように見えたので心配する。


牛尾山法厳寺(牛尾観音)の本堂
牛尾観音、正式名は牛尾山法厳寺の本堂。標高約360mの山腹にある。近世の再建とみられるが、奈良期創建の由緒ある山寺。以前はかなり傷んでいたが、少し持ち直したようで安堵


牛尾観音・牛尾山法厳寺の本堂裏手にある名水「金生水」
本堂を参拝後、裏手の湧水「金生水(読み方不明。寺院内なので呉音の「こんしょうすい」か)」にも寄る。あまり知られていないが隠れた名水で個人的好みの水。同じく山上の谷を埋めて整地された同様の寺地にある、彼の上醍醐の名水「醍醐水」に勝るとも劣らないもの


牛尾山法厳寺(牛尾観音)の本堂左裏の便所や物置・歴代住持墓と樹々の黄・紅葉
こちらは本堂左裏の景。鮮やかな黄葉・紅葉の下、物置や歴代住持の墓所が続く。本来は倍くらい地面幅があったが近年の大雨で崩落したという

昔日を想い、過ぎた時を知る

話しかけられた寺の人と色んな話をするうちに、以前ここで知り合った住職のことを訊く。すると、既に亡くなられたため息子さんで継承者の現住職を紹介してもらった。

庫裏前で護摩木作りをしていた現住職さんに挨拶し、先代住職との関わり等を語った。先代さんが亡くなられたのは残念だが、こうして継承者やその仲間の人達により寺が守られていることは何よりに思えた。

暫し昔のことを思い出す。山上からの下山時に独り立ち寄った際、誰もいないと思っていた境内から、不意に「あんた、さっきお賽銭入れたやろ。若いのに偉い」と先代翁に話しかけられ、お茶を頂き長話したこと等々。

寺の再興や人々との関わりに志を抱いていた先代翁と交流を深めんと、その後も暫し訪ねたが、留守が多く、そのうち私も左京に越してしまったので疎遠となってしまった。

図らずも、過ぎ去った長い時間(とき)を思い知らされる。また改めて先代翁の墓参に来たいと思った。


大雨被害から修復された、牛尾山法厳寺(牛尾観音)の黒門(冠木門)と石段
現住職やお仲間に挨拶し、そして勧められ鐘撞きを行い、寺をあとにした。気づかずに車道を下ったが、本来の参道はこの黒門の段であった。ここも大雨で被害を受けたらしく、冠木門共々近年再整備されたようである


音羽川の傍にある「笹音の細滝」

音羽川渓谷の名所

小時からの馴染の地ながら昔とは様子が変わった山中の広河原「桜馬場」を過ぎ、音羽川(山科川)沿いに続く舗装路を下る。連休の所為か所々にバーベキュー客も。

そして路傍には草が払われ銘板が掲げられた写真の如き滝が方々に現れた。岩筋を流下するような目立たぬ見所を紹介するものか。


音羽川傍の「笹音の細滝」下の鹿威しや水車
「笹音の細滝」と記された上掲の滝下には、この様に可動する鹿威しや水車も作られていた。草刈りなども含め結構な労力である。これも、寺や地域を盛り上げようとした先代翁の志の結実か


音羽川本流にある音羽の滝
こちらは音羽川本流にある古来有名な「音羽滝」。思えば音羽川の渓谷は小時遠足で通った時等とは随分違う印象に。まあ、当時は未舗装の林道で、上流に焼却灰処分場もなく、水も頗る美麗だったので、仕方あるまいか


しずく谷不動尊の石室と湧水
これも古来有名なしずく谷の水。石段奥の積石室(むろ)に不動尊が祀られており、その下の方々から水が出ている。水源は音羽川南岸の行者ヶ森(山名。標高440m)。昔から水を汲みに来る人が多かったが、手前に樹脂管が設けられ汲み易くなっていた


音羽山の十字刻印石
これはかなり山麓近くまで下った処で見た十字刻印石。画像では見難いが、右端上に「十」が彫られている。付近の遺物の関係から桃山期に伏見や淀・大坂に運ばれた城石関連とみられる。ひょっとして耶蘇大名・高山右近由来か。とまれ、これも近くに銘板があったため気づくことが出来た


音羽川の沢なかにある地元有名な蛙岩
更に下った集落縁の渓谷内で見たこれは、地元で古来有名な蛙岩。蛙に似た沢なかの大岩だが、豪雨の奔流で手脚部分が削られたのか、昔より類似度合が減じたように思われた


山科小山集落からみた夕陽に燃える紅葉の音羽山

下山。再訪の機会に感謝

そして下山。下り出た麓の小山(こやま)集落からは、写真の如く夕陽を照り返す紅葉の音羽山が見えた。

その後市街を最寄駅に向かい移動。名神高速のインターがある関係で迂回を余儀なくされ漸く着いたが、同行者が駅での小打上を提案したので売店がある始発駅まで移動。そこで無事の完了を祝い、解散したのであった。

お疲れ様。懐かしい山への再訪の機会を有難う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年11月04日

紅黄燦然

比良山脈最高峰・武奈ヶ岳の登山道の一つ「西南稜道」の登り口がある山脈西麓の坊村集落の美麗な白壁蔵

恒例の近山紅葉視察へ

今日は連休明けの初日だが時間がとれたので、隣県滋賀西部の比良山地の紅葉具合を視察。場所はその最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)。

本来は昨日早朝行くつもりだったが、雨のため断念していた。毎年この時期に見に行くので恒例的といえたが、果たして猛暑及び夏延長の今年の紅葉具合や如何(いかん)。


上掲写真 比良山脈最高峰・武奈ヶ岳の登山道の一つ「西南稜道」の登り口がある山脈西麓の坊村(ぼうむら)集落。近くに在る古刹・葛川明王院(かつらがわ・みょうおういん)に因む名だが、現代では登山口の他、名料亭があることでも著名。最近補修されたのか、蔵等の居住いが良い。集落自体が引き締まる感じがして、伝統継承の意志が感じられた。


武奈ヶ岳・西南稜登山口近くの地主神社と始まったばかりの黄葉
武奈ヶ岳西南稜登山口近くの地主神社。戦国前期の社殿を残す貴重かつ清浄な社だが、黄葉具合はこの通り。標高300mを超す場所だが、始まったばかりのように感じられた


武奈ヶ岳西南稜ルートの始まり辺りの山腹で見た京都北山の紅葉
地主神社前を過ぎ、朱色欄干ある橋を渡り明王院前を通って山の登坂に入る。紅葉が始まっていない、または始まったばかりなのは明王院も同様であった。針葉樹林の急斜を進むと、この様に向かいの丹波高地(京都北山)が見えた。曇天で解り辛いが、あちらは紅葉しているようである


武奈ヶ岳・西南稜ルート、夏道ルート上の紅・黄葉
更に登って雑木林ある稜線に出ると、間もなくこの様な紅・黄葉が現れた。そして、少々陽が出てきた


武奈ヶ岳・西南稜ルート途中にある浅い谷なかの黄葉
奥山の静かな緩谷に差し掛かると、この様な黄葉景が。例年見所となる場所である。ただ、日射が続かず、撮影には少々苦労。この辺りまで上空に回転翼機(ヘリ)の音が頻りに聞こえていた。前にすれ違った人の話では稜線上に怪我人がいるらしい。無事収容できたのか


御殿山から見た武奈ヶ岳山頂と周辺の紅葉
浅い谷を越えまた雑木ある稜線道をゆく。やがて御殿山(標高1097m)に到着。武奈ヶ岳山頂に対面するような場所にある頂で、展望所・休憩所となっている。ここで漸く武奈ヶ岳山頂(中央奥)の姿が見えるが、また曇ってしまい、その色づきもくすんで見えた


わさび峠から武奈ヶ岳山頂へと続く尾根上の灌木の紅葉
御殿山を下り、わさび峠という鞍部からまた登り返すように稜線の道をゆく。もはや高木はなく、森林限界的景観が続く。途中にはこの様に灌木の紅葉が現れたが、やはり空模様の為その彩度は減じられていた


武奈ヶ岳西南稜ルートの最終版で見えた武奈ヶ岳山頂とその標識等

失敗の山頂?

そして山頂の標識が見えた。途中何組も下山者とすれ違ったが山頂には誰もいなかった。実は今日は昼前から登り始めたので、殿(しんがり)となったか。

朝気温が低かったのと熊の活動時間を避けた為だが、久々の晴天予報日だったので結構人がいるかと思ったが、やはり連休明けの平日がそれを減じたか。まあ、それでも昼過ぎ、その内誰か上ってくるかもしれない。


武奈ヶ岳山頂から見た紅葉するコヤマノ岳
山頂でも空は雲ったままであった。よって、見える紅葉もこの通りのくすみ気味。コヤマノ岳(標高1181m)の様子だが、本来はもっと美麗な筈。来る途中に予報との違いを感じ、一時は引き返すことも考えたが、途中で晴れたため最後まで登ったのは、失敗だったか


武奈ヶ岳山頂から見た、晴れた丹波高地
こちらは西方の丹波高地。何故か向こうは晴れており、ここのみ曇っていた。しかも風が強く寒い。簡易計気温7度程で風速10m程と思われたので、体感氷点下か。当初不要かと思われた厚めの上着を持ってきてよかった


武奈ヶ岳山頂からみた北方は蛇谷ヶ峰や広谷、そして彼方の安曇川平野や琵琶湖北部
同じく武奈ヶ岳山頂から見た北方は北琵琶湖方面。手前の広谷等も紅葉しているが、やはり映えるものではなかった。山頂下の窪みで風を避けつつ昼食を摂ったが、とにかく寒い。チャックを閉めフードを被り耐える。本来は穏やかな秋の陽を浴びつつ観賞昼食するつもりだったが、これも誤算。また、往路上着を脱ぐために足を止めたのみで休憩しなかったのに2時間もかかったことに落胆させられた。猛暑で鍛錬が出来ず身体が鈍ったか


陽が射して山の紅葉が輝く、比良山脈・武奈ヶ岳山頂付近からみた、口の深谷や蓬莱山方面

ところが……

あまりの寒さにより、食後の余韻もなく早々に下山開始。ところが、山頂を離れて程なくして空が晴れ始めた。時は13時半頃。

眼前の紅葉景は俄然輝き始め、写真のような黄金景と化した。やはり陽が入るとこんな違うのか、と改めて実感。

そして、不思議なことに猛暑の有る無しにかかわらず、ここの紅葉は、この連休付近が凡その見頃であることが確認できた。


武奈ヶ岳山頂付近からみた、口の深谷の紅葉
上の写真を望遠拡大。口の深谷と呼ばれる谷で、色づく天然林が実に美麗


武奈ヶ岳山頂付近からみた、山頂西斜面の紅葉林
これは山頂西斜面、即ち丹波高地側。その鮮やかさに改めて気づく


武奈ヶ岳山頂付近から見た紅葉するコヤマノ岳
先程観察したコヤマノ岳もこの通り、彩度・赤味が増す


武奈ヶ岳山頂付近からみた西南稜ルートの紅葉
下る尾根筋もこの通り


武奈ヶ岳山頂付近からみた西南稜ルートの美麗な黄葉・紅葉
往路この中を通った筈だが、こんなに美麗だとは気付かなかった。正に光のお蔭か

ひと時の幸運に感じ入る

結局誰も来なかった山頂付近に現れた紅葉景にみとれること暫しして下山の歩みを進める。ただ、陽光はこの時のみで、程なくしてまた厚い雲に阻まれ、二度と現れることはなかった。

一時は落胆していたが、結局運が良かった。前日までの雨の影響で足下が悪かったにもかかわらず無事下山できたことも含め、これも、登る前に参拝した思古淵さん(しこぶち。地主社祭神)の加護なのか……。

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2025年10月19日

逢坂小会

逢坂山山中に聳え立つ高圧線鉄塔

私的小山会開催

今日は午後から小山会(しょう・やまかい)の日。

友人の要望により実施する近所の低山行で、最近体力低下が著しいという本人曰く再生訓練的なものであり、軽山会とも呼べるものであった。

そんな私的な性質もあり、極少人数に声をかけたのみでの実行。場所は京滋境界辺りに位置する逢坂山。百人一首・蝉丸等の歌で知られる関所・峠傍の一峰である。


上掲写真 逢坂山山中に聳え立つ高圧線鉄塔。古来からの交通の要衝らしく、付近には近畿北部と南部を結ぶ電力線も複数通過している。なお、今日はカメラを忘れたため非力な電話機能により撮影を代替。因って色や焦点に問題ある画像も見られるが、何卒ご諒解を。


山科・近江盆地を繋ぐ地峡的交通要衝にある京阪大谷駅
正午に峠近くの京阪大谷駅に集合。京津線という支線で、元は路面電車が走ったが、現在では途中の京都市地下鉄との共用区間の関係で長い編成の車輌が走っている。地名が示す通り大谷は京都市東郊の山科盆地から近江盆地に抜ける地峡的な場所。山間の狭小地にこの複線の他、国道1号線・旧東海道・名神高速道路が併走している。正に現代に続く交通の要衝である


大谷駅下側の国道1号線と京阪京津線
前の写真では判り辛いが、線路の南(画像左)に交通量の多い国道1号線が2車線で併走している。旧東海道は北(画像右)にあるのだが、その道は下部で京阪線により途切れるため一旦踏切を渡り国道沿いを下る。これは、少し下方から山に入るため。駅前にある名物料理屋の鰻の香りを抜けて


逢坂峠西下の大谷の歩道上に展示される前近代の敷石軌道・車石
国道1号線の歩道脇にはこの様に「車石」の展示があった。江戸期に三条から大津までの東海道に敷かれた荷車用の敷石である。石の真ん中にあるU字型の深い溝が車輪の軌道となる。当時日本の大動脈であり陸送が集中したこの区間の輸送を援ける為の先進的設備。史料によるとこの区間は湖西の木戸石(比良産)が用いられた筈


京阪京津線の踏切と名神高速道路の下を潜る道
暫し国道沿いを下り、また踏切を渡り、今度は名神高速路の下を潜る


大谷下の名神高速道路と逢坂山に挟まれた未舗装路
高速の下を潜るとこの様な未舗装の側道めいたものが。付近には野生の茶樹があり、鉄道や車道等の近代施設が押し寄せる前の茶園の跡を思わせた


逢坂山山中に続く鉄塔保守路

乗っけの変更

本来は側道奥にある谷から逢坂山山頂に直接登る最短路を辿るつもりだったが、以前とは異なり、柵で塞がれていたため横の尾根から山頂へ続く稜線に上ることにした。

鉄塔の保守路らしい、落ち葉に埋もれた写真の道跡をゆく。そして、粘土質で滑りやすいそこを辿り、60m程の上部にある鉄塔下に出たが、そこから稜線までの道がなく、茨の藪となっていたため中止して下り、別路をゆくことにした。

稜線まであと300m程だったので私独りなら強行出来たが、既に足下の悪い登坂に参っていた友人には過酷なので取りやめた。また、前方の様子見の際に二頭の小さからぬ鹿と遭遇したことも判断に影響した。

殆ど人が入らず、かつ木の実等の餌が豊富な場所での熊との遭遇も考えたのである。乗っけから道程変更となったが、安全のため仕方なし。


名神高速道路裏の逢坂山山麓の谷なかにある大谷の墓地
また大谷駅に戻りそこから別路を採ることにしたが、折角なので途中の脇道も視察。これは先程と同じく高速裏の谷中で、大谷集落の墓地があった。そして付近にはまた野生化した茶樹が。嘗ての東海道沿い民家裏の畑地と接していたとみられる。貴重な原風景残る場所か


旧東海道本線逢坂山隧道西口跡と記念石碑

大谷に点在する近代・前近代の跡

大谷駅に戻り北に進む。遠回りにはなるが、友人の要望を容れ傾斜角の小さい道程を採ったためである。

途中、路傍に写真の如き石碑が。旧東海道本線逢坂山隧道西口跡である。名神建設により埋められた隧道口上部の石材が石碑下に見えていた。

この辺りの東海道本線は明治11年から建設が始まったが、隧道西側の跡地は大半が名神道と重なっているため、付近の前近代的景観は既にその頃大きく改変されたことになる。


陸軍射撃場跡地の大谷乗馬場
大谷駅北に伸びる隠れ里のような山間宅地を北上し、その北辺に達すると、この様なグランドが現れた。大谷乗馬場で、話には聞いていたが、初めて接した。細長い住宅地共々、元は明治初期に開かれた歩兵第9連隊の射撃場跡で、戦後乗馬場となった特異な場所。ちょうど一組が一頭の馬の傍にいる横を過ぎ、道奥へ進んだ


前近代的景観の痕跡残る大谷乗馬場裏側
乗馬場横の道は登坂となり山へと続く。古い官舎風の乗馬場建屋の後方にはこの様に小屋や段畑跡ある景観が現れた。恐らくは射撃場以前の前近代的原風景を残すものかと思われた


路傍に茶樹ある大谷乗馬場北の山道
乗馬場横の道は未舗装となり、やがて山道と化した。路傍にはまた野生化した茶樹が見られた


逢坂山山頂と大谷・大津への十字路峠

静かで興味深い尾根道

程なくして峠に到着。逢坂山山頂に続く尾根道と大津市街へと下る道等の十字路である。

市街近くで、しかも日曜にもかかわらず誰も居らず(結局この日山中ですれ違ったのはこの先で会った一組二人のみ)。


大津・大谷から逢坂山山頂へと続く山道
十字路峠から山頂への登り道を進む。古くからの間道風情のある確りした山道であった。現れる様々な雑木や茸の様子も興味深い


逢坂山山頂南の尾根上から見えた山科盆地
山頂への尾根道は一旦西へ向かい、その後北上するので、西側の樹間には京都側の山科盆地が見える場所も現れた。天気が良くないが、降らないだけマシなので、良しとした


逢坂山山頂近くの登山路と雑木林
方向を北に変え逢坂山山頂へ続く尾根道。傾斜の緩い雑木林となっている


逢坂山山頂の三角点

意外の山頂

そして山頂着。

昔縦走で通過したことがあるが、その時と同じく、三角点があるだけの、なだらかで見晴らしのない頂であった。


木が切られ丸太ベンチ等が置かれて整備された逢坂山山頂近くの展望所
ところが、近くに意外の明るい場所があった


逢坂山山頂近くの展望所からの琵琶湖や市街・山々等の好眺望
そこに立ち寄ると、琵琶湖は疎か近江盆地を一望できるような好眺望が開けていた。付近の樹々が伐採され、展望所として整備されたようである。ご丁寧に丸太の長椅子まであったので暫し休憩させてもらうことにした


大津城攻めの砲台跡とみられる逢坂山山腹の平坦地

推定戦国攻城台場

山頂の展望所で友人と景色を論じ合うなどして長く滞在し、その後、元来た道を下る。

写真の雑木林は登りの際に気になっていた道脇の大きな平坦頂。十字路峠の傍にあり、古い人為跡が疑われた。場所的に関ヶ原前哨戦の大津攻めに用いられた大筒の台場ではないかと、思われた。


大津城攻城用の砲台跡とみられる逢坂山山腹の平坦地北の急傾斜と兜大明神境内
平坦地の北を覗くとこの様に急段となっており、平坦地の要害性が窺われた。なお下の施設は兜大明神という神社で、周囲はその境内となっている


大谷から関寺・上栄町に続く逢坂山山中の山道

例の野獣出没?

推定西軍砲台跡を見学後、大谷には戻らず大津市街に下ることを決め、十字路峠からそこへの道を進む。

既にかなり市街寄りの筈だが、写真の通りまだ山中風情。


大津市街に近い逢坂山山裾に設置されていた熊檻
市街への急斜の道を下ると、途中の平場でこの様な物を目撃。なんと、熊檻である。自治体が設置したようで、遠隔監視しており、また危険なため接近禁止の旨が記されていた。山会前に公開出没図を調べ付近の未出没を確認していたが、状況が変わったのであろうか


逢坂山・関寺の裏手と鯉泳ぐ池

謎の古関有力地・関寺

その後、山腹を巻く細い舗装路に下り、それを横断して石段の小径を下ると池に鯉泳ぐこの様な場所が。

古代著名の関門で、未だその場所が不明な逢坂関の最有力候補地とされる関寺(長安寺)である。未だ来たことがなかったので、是非見学したく思い、下山路をここに採った。


関寺境内より見えた大津市街
関寺境内より見えた大津市街。この様に、寺は逢坂山山裾の急斜上に在る


美麗に整備された関寺境内と本堂
綺麗に整備された関寺境内を下方へと抜けゆく


傾斜地にある関寺境内とその下部に佇む牛塔
関寺境内から市街に下り切る手前にはこの様な巨大な石塔も。牛塔(ぎゅうとう)と呼ばれる鎌倉期の石造宝塔で、高さ3.3mもあり、重要文化財に指定されている。まだまだ知らない宝物が近くにあるものである


関寺参道横から続く京阪・上栄町駅へ小道
関寺参道横から続く京阪京津線・上栄町駅へ小道

いきなり終着・急解散するも充実山行に

関寺の最後の石段を下ると、往路に利用した京阪線の踏切に出、最終目的地の上栄町駅も見えた。山からいきなり寺に入り、そして終着の駅に着くとは、中々珍しい立地・道程である。

そして、その駅にて解散となった。駅到着後すぐに列車が来たので最後は少々慌ただしくなったが、短時間ながら中々中身の濃い山行となったのは何より。

皆さん、お疲れ様でした!

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2025年10月12日

続2025秋季野営会

予報された雨が降らなかった太神山地の朝の野営地とテント

まさかの……

秋季野営会2日目。即ち最終日の朝来る。

昨夕の雨予報が外れたのに続き、今朝の雨予報も外れた。これで、温暖で曇りのまま都合良く日を終えられそうになった。

そういえば、結局今朝まで上着が必要ない異例の温暖となった。寒さもなく、昼の強力な日射も無いとなると、正に野外活動には好都合で、良い撤収日となることが予想されたのである。


上掲写真 予報された雨が降らなかった朝の野営地と参加者の天幕。


太神山地の野営地上の、曇り予報の空に現れた青空
再度、炉(竃)の火を熾して先ずは珈琲を飲み、その後麺麭等の朝食に。空には青空さえ見えてきたが、どうか、このまま暑くならずに終われますよう……


太神山地の野営地で、炉と薪を雨や夜露から保護すべく張った天幕上に付く雨粒
炉と薪を雨や夜露から保護すべく張った天幕上に付く無数の雨粒

雨来る

ところが、その後空模様は予報に反して重くなり遂には雨が降り始めた。それは段々と強くなり、土砂降りとなって野営地を襲ったのである。

全く予報外の出来事で、しかも長く続くこととなった。山中なのである程度の波乱は覚悟していたが、市街地に近い低標高地故に極端に外れることは無いと思っていたため、まさに「まさか」の事態となった。

南海を通過する筈の台風が進路を変えたのか。幸い風は無く、炉や薪も天幕で保護していたので煮炊きは続けられたが、暫く天幕下から出られない事態となった。


雨に因り復活した、太神山地の野営地奥の水源下の水流
その後、雨は午後遅くまで続き、昼食の片付けを始められた15時頃に漸く止んだ。これは雨に因り復活した水源の泉下の水流。強雨の所為か、一気に20m程の流れが出来ており、その後も伸び続けていた。ただ、元の沢水を復活させる程の力はなさそうで、如何に今夏の雨が少なかったということを改めて知らされた


日暮れにより暗くなる太神山地の沢筋
そして撤収。雨等の所為で片付けに時間がかかり、進む山間は薄暗くなっていたが、なんとか照明をつける前に下山することが出来た。お疲れ様、ご協力有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年10月11日

2025秋季野営会

清冽な沢水を見せるが、いつもより水量が少ない太神山地の沢

いつもの場所に異状?

今日は恒例の秋の野営会実施日。

10月の異動等で中核参加者が来れなくなり、少人数となったが、希望者がいる限り開催する趣旨のため決行した。

場所は、いつもの滋賀南部・太神山地。朝、麓で食材等を買出した後、野営地まで山を登るが、その途上、異状に気づく。それは、沢の水が少ないことである。

長期猛暑による近海の海水温上昇で台風が近づけず、また梅雨も早く明けたことに因るのか。まあ、これまでも水が少ないことはあったので、この時点では特に気にせずにいた。


上掲写真 清冽な水を見せるが、いつもより量が少ない太神山地の沢。


全く水が無くなっていた太神山地の沢筋
水流が消えた砂上の沢跡

そして、山上にある野営地に達すると意外の光景に驚かされた。いつもは2筋以上ある砂上の水流が全く無いのである。これでは水が使えず、野営が出来ない。

とりあえず荷を置き、代替とすべく露天井を掘ってみるが全く出ず。いつもなら中洲のような高い場所でもすぐに水が湧くのであるが、今回は沢筋の低地を掘っても叶わなかった。

仕方なく上流奥地を探せば、そう遠くない堰堤下に僅かな湧水を見つけたので、それに頼って野営することにしたが、面倒は免れなくなった。

こんなことは、ここを見てきた数十年で初めてのことであったが、今は仕方なし。そして、その割には上空の空模様も少々怪し気であった。


野営地の竃での焚火湯沸かしと準備完了の祝杯のビールとカップ
夕方に少し雨が降る予報だったため、先に天幕を張り、その後、竃等の施設を整えた。そして、それら全てが完了したところで、個人的恒例の炉開きの一杯(祝杯)を行った。本来は周囲の人にもお裾分けするのであるが、偶々撮影時に傍に人がいないため、一先ず独りにて……


太神山地の野営地に現れた夕焼雲
炉辺で長らく語らったあと夕刻に。急ぎ夕食等の準備を行う


森なかの古い堰堤下の泉

野営会「命の泉」

陽が傾いてからの紹介となったが、写真は今回の「命の泉」たる、森なかの古い堰堤下の泉。落ち葉等の沈殿はあるが、湧水なので水質は良い。

野菜等の洗い場はこの下流側に溝を掘って水を導く形で設けた。離れているが故の面倒はあったが、一先ず水場問題を解決出来た有難き場所・存在となった。


太神山地の野営地上空に現れた美麗な夕焼け空
更に日暮れが進むと、この様な美麗な夕焼け空が現れた。夕方降る筈の雨は幸い無かったが、後の事象を暗示するものとなったことには、この時は気づけなかった


太神山地の野営での夜の焚火調理
そして夜に。焚火調理をしつつ夕食を摂り、また語らう。夜が更けても上着不要の気温だったことも特筆すべき事象となった

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2025年07月27日

奥飛騨避暑(下)

乗鞍岳山麓の平湯キャンプ場の森に現れた、森の湿気を映す幻想的な朝の木漏れ日

名残り惜しき避暑地

奥飛騨避暑3日目、即ち最終日――。

今日は京都へ帰還する日だが、早く帰ってもまた猛暑気温に辟易させられるだけなので、なるべく涼むべく、昼前まで野営地で寛ぐことにした。


上掲写真 乗鞍岳山麓の野営地に現れた、森の湿気を映す幻想的な朝の木漏れ日。


乗鞍山麓にある平湯キャンプ場の天然林内にある野営地と天幕等
乗鞍山麓の天然林内にある野営地と天幕等

野営地でのゆったりとした朝食を終え、その後、昨日の豪雨で汚れた道具等の仮洗い等を行う。日曜とあってか、新しく来る人は少なく、同様に撤収する家族連れ等が目についた。

一通り片付けを終えたあと、野営地を散策。自然の森や地形を利用した中々興味深い造りである。そして広大であった。何より、この森の涼しさは他の野営場には無いように思われた。

豪雨の害もあったが、結果的にここに拠点を置いて正解であった。実はオートキャンプは初めてで、そもそもあまり乗り気ではなかったが、この場所や運営皆さんのお蔭で非常な満足を得ることが出来た。

有難う、またいつか!


奥飛騨山里の名店ジビエカレー定食の夏限定版

奥飛騨最後の寄り道

昼前に野営場を後にし、温泉街中央の土産屋に寄ったあと奥飛騨最後の寄り道へ。それは、また別の峠を越えた奥地にある一軒の食堂であった。

そこは去年秋の奥黒部山行の帰りに寄った良店。今回どうしてもそこで昼食を摂りたかったため、大きく北へ遠回りして寄ったのである。

結果、去年と同じ、写真のジビエカレー定食を頂くことが出来た。しかも、この時期限定の当地名産のトマトやトウモロコシの冷汁付きの特別版。肉種も去年と変り、カレーが熊肉、汁が猪肉であった。勿論、付け合わせの野菜も当地産の手作り。

正に地産地消の鑑的料理。同行者もその味と良心的価格に感心すること頻り。食後話したお店の人も我々の遠路寄道に驚き、そして喜んでくれた。


奥飛騨・山之村の峠道傍に湧く美味しい岩清水
奥飛騨の峠道傍に湧く、美味しい岩清水。帰路用に汲んでいく

名店での食後、去年同様、道中食の手作りパンを買い込み帰途へ。幾つもの峠を越えて高速路に辿り着き、車行を続ける。そして、滋賀県内での事故渋滞で日が暮れたものの、無事帰京で来た。

最後のさいごで

ところが、最後のさいごで失敗。車を置いた先からの深夜の帰路、自転車で転倒し軽からぬ負傷してしまった。原因は旅行の疲労等ではなく、単純に運転錯誤と経験・技量不足。

長い下りでバランスを崩した際に片ブレーキをかけたため後輪がロックして路傍の板に衝突し、地面に投げ出されたのである。殆ど減速出来ずに突っ込み暫く起き上がれなかったので、骨折等の大けがを負ったと断じた。

それでも救急車を呼ばず何とか帰宅し、その晩は家で休むことにした。登山でもよく下山が核心というが、旅行も正にその通りで油断禁物。怪我の具合や今後の生活等を案じつつ明朝の病院行きを待つことにした。

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2025年07月26日

奥飛騨避暑(中)

平湯キャンプ場内の大ねずこへの道標と説明板

避暑地近場巡り

奥飛騨避暑2日目。

乗鞍岳麓の野営地は夜半気温が10度台まで下がったようで、久々に寒さを感じながら朝を迎えることとなった。まあ、京都の熱帯夜よりマシで、こいねがった状況であった。

今日は拠点をここに置いたまま、信州側の名湯や奥飛騨北部等を覗くつもりだったが、温泉は昨晩入った近くの湯で十分満足し、また涼しい森なかでゆったりと朝を過ごしたかったため近場巡りに変更した。

よって、先ずは昼前に近くの名木探訪を行った。写真はそこへの登り口となる場所で、説明板があった。


平湯大ねずこへの登坂道が続く天然林
名木への道。山の斜面に樺等が生育する天然林が続く。近畿では珍しい涼やかな森。まあ、つまり今日も朝から軽登山となった。基本的に歩きが苦手な同行者から苦言が漏れる(笑)


平湯大ねずこ
山道を登ること30分程、地元で必見とされる名木に到着。樹齢一千年という大ねずこ(黒檜)で、明らかに周囲の樹々とは異なる迫力があった


迫力ある平湯大ねずこの接写
見ればみるほど迫力ある大ねずこ。周囲は屋久杉のように保護柵や木道があり、樹に配慮しつつ観察出来るように整備されていた


突然の強雨に煙る平湯大滝

今日も午後から急変、しかし麓が……

大ねずこの次はこれまた近く大滝へ。ねずこの登り口近くから歩いてゆくことも出来たが、同行者が足の不調を訴えたため午後から車で向かうことにした。

写真は駐車場近くからみえた滝。昨日行った乗鞍山上から流れ来る水を集めた落差64mの名瀑である。残念ながら到着寸前に強雨が降ってきたため青空のない姿となった。


降りしきる雨粒写る平湯大滝の望遠画像
大滝を望遠撮影。雨粒も写っているが、これでも小康時に撮った。当初は歩いて行きたかったが、結果、土砂降りに濡れず、正解となった

この後、近くの温泉街中心部に行き、土産店の視察等をしたが、その際更なる豪雨が来襲。結果、野営地に戻ると、激しい降雨による泥跳ね等のため、屋根下の物を含め、様々なものが濡れ汚れるといった事態に。

その為、遅い昼食後に方々の水洗いや管理棟洗濯場での洗濯等に追われた。特に薪や新聞が湿気ってしまったのは痛かったが、今は仕方なし。

その後、また夕食の買出しに行き、早めに温泉に入り夕食の準備を開始。ただ、焚火場地面も豪雨に見舞われ、森の湿気も凄かったため焚火が出来ず、結局ガス調理に切り替え、地元料理の朴葉味噌等を味わった。

今日も昨日と同じ予報だったので同様の天候かと思っていたが、意外にも今日は麓が酷かった。まあ、これも山中のことゆえ致し方なく、それでも涼しいことの方が有難かった(夜間見た国道気温は17度!)。

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2025年07月25日

奥飛騨避暑(上)

乗鞍スカイライン路上からみた槍穂高山塊の威容

猛暑を逃れ

何処かの高原道路の先にはだかる峩々(がが)たる山塊。普段は猛暑続く京都市街に在る身だが、一体ここは何処であろうか……。

実は、そこは標高2600m程の高所。森林限界を超えた高山地帯で、前に聳える只ならぬ山群は、彼の有名な北アルプス・槍穂高 山塊(最高所標高3190m)であった。

今朝から乗鞍岳山上を目指したが、その帰路のバス車内からの撮影。道路は一般車輌通行禁止の乗鞍スカイラインである。それは、普通車が登れる車道としては日本で最も標高の高い路線でもあった。


乗鞍スカイラインのバスへの乗換地で、自家用車駐車地となるほおのき平スキー場及びその駐車場
乗鞍山上への往復バスの乗換地で、自家用車駐車地となる中腹のスキー場及び駐車場。この駐車場の一角に登山バスの発着場と関連施設がある

避暑行初日の登山

さて、今日の乗鞍行は連日のあまりの暑さに計画した週末利用の奥飛騨避暑の一環。

本来は北アルプスでの野営登山を含む予定だったが、暑さと同行初心者を考慮し、登山は初心者向け高山の乗鞍日帰りにすることとした。あとは麓のオートキャンプ場に2泊して周辺の温泉や高地を巡る予定であった。

避暑といっても、有料道の割引や車中泊・オートキャンプを組み合わせた節約型。前夜京都を出て、途中の高地で車中泊し、良い場所の確保のため朝一に野営場に入って設営を済ませてから、ここにやってきた。

ただ、途中の紛らわしい案内板に因り旧道峠を越えることとなり時間と燃料を無駄にした。このことが、後の予定にも影響する。


乗鞍スカイラインのバス車窓よりみえた亜高山帯的植生
登山バス乗場で山上までの往復券を買い山上に出発。それは予約が要らず、30分程おきに出発していたので便利であった。バスは一旦国道に下り、その後旧道を進み、峠からスカイラインへと入った。駐車場の標高が既に1230m程の高所だったので、車窓からの景色はすぐに亜高山帯的植生ある涼し気なものとなった。駐車場は意外に暑かったが山上は如何に


乗鞍スカイラインのバス車窓に現れた笠ヶ岳
慣れぬ車中泊の影響か、少し眠くなったが頑張って車窓を観察。つづらの登りで高度を上げる車窓からは、北アルプスの名峰・笠ヶ岳(標高2897m)が現れた。実は当初、キツさで知られるその直登路からそこに上り、肩のテント場に野営する予定であった。こんなに暑いのにまだ残雪が見える


乗鞍スカイラインのバス車窓に現れた槍穂高山塊
そして、槍穂高の威容も。左端の小さな尖りが槍ヶ岳(標高3180m)、中央右の高所が奥穂高岳(同3190m)である


乗鞍スカイラインのバス車窓からみた猛暑日続く高山市街と残雪目立つ白山
今朝通過した高山(たかやま)市街や、その背後彼方の白山(標高2702m)も。標高650mで京都より涼しい筈の高山も最近猛暑日が続いているらしく、今日もその予報であった。正に異常気象か。それにしても、槍穂より標高の低い白山の方が残雪が多いことに驚く。冬に多雪だった影響か


バス車窓からみた、乗鞍スカイラインと森林限界手前の沿道の低木林
バスは更に高度を上げる。周囲は針葉樹の高木が減り、低木の林となりつつあった。通行が許されているためか、時折自転車が現れることに驚く。崖際のカーブ等でバスと対面するので少々危険を感じた


バス車窓からみた、乗鞍スカイラインと山上の森林限界の緑地
そして山上のなだらかな緑地が見えてきた。もはやハイマツか草しか生育出来ない森林限界に達したようである


バス車窓からみた、乗鞍スカイラインと森林限界上のつづらの登坂と山腹の溶岩
森林限界に達したとはいえ、まだつづらの登りは終わらない。そして、山肌の荒々しい溶岩の姿が車窓に接近


バス車窓からみた、乗鞍スカイライン沿いの山上景と残雪
山上の草地に上がると、少ないながら、残雪も現れた


乗鞍スカイライン畳平バスターミナル
そして終点のバスターミナル着。所要時間は50分程。東麓、即ち信州側からの道との合流点で、日本最高所の停留所であった


乗鞍岳畳平の看板とその下の草地に続く剣ヶ峰登山道

剣ヶ峰へ

バスターミナルの休憩室で身支度を整え、いよいよ乗鞍山頂へと向かう。

一旦ターミナル下の窪地に下り、そこに続く登山道をゆくのである。看板に記された出発地標高は2702m。白山山頂と同じ高さながら残雪は僅かであった。

それにしても天気が良い。今日は午後から雨予報だったので明日に替えることも考えたが、似た天候のため決行。今のところ正解か。


乗鞍岳畳平下のお花畑
ターミナル下の窪地にある「お花畑」。登山道横の分岐路が湿地上で輪を成して高山植物を観察出来るようになっているが、路傍の咲き具合とあまり変わらなく見えたので、寄らずに先を急ぐことにした


窪地縁の登坂から振り返ってみたお花畑と残雪、そして背後の乗鞍畳平バスターミナルと噴火口
窪地縁の登坂から振り返ってみたお花畑と残雪、そして背後のバスターミナル。ターミナルが大きな噴火口の傍にあることに驚かされる


残雪と池水の色具合が美しい乗鞍山上の「不消ヶ池」
窪地縁の登坂を終えると、夏でも雪が消えず、残雪と池水の色具合が美しいことで知られる「不消ヶ池」が現れた。正に氷河湖的な鮮やかな色合いだが、実際、乗鞍唯一の氷河由来地形という。但しその土手は天然のモレーンではなく、人工的積まれ、整形されたものに見えた。現在、山上施設の水源となっている為か。それ故、接近は禁止されている


乗鞍岳山上の路傍に咲くイワツメクサ
路傍にはこの時期らしいこの様な花々が。高山植物のイワツメクサである


乗鞍岳山上の路傍に咲くコマクサ
こちらは、著名な高山植物の女王・コマクサ。厳しい不毛の高山地表に逞しく繁茂する様に改めて感心させられる


肩の小屋への未舗装路から見えた乗鞍岳主峰・剣ヶ峰
不消ヶ池横上の道は奥の山小屋や観測施設の為の未舗装車道となっており、山頂への道程もそれを辿る。そして摩利支天という支峰の山腹を巻くように進むと、やがて乗鞍主峰・剣ヶ峰(右奥。標高3026m)が現れた


肩の小屋への未舗装路から見えた乗鞍岳主峰・剣ヶ峰山頂と頂上の祠
剣ヶ峰山頂を望遠撮影。本邦3000m超山岳に相応しい、厳然たる姿。頂上には祠の姿も確認できた


乗鞍大雪渓とそこでの夏山スキーに興じる人々
山腹下方の大きな雪渓、所謂「乗鞍大雪渓」に何やら人がいると思えば、スノーボード等のスキー客であった。東北の山等での夏スキーは聞いたことがあるが、中部地方では聞いたこと無し。というか、そもそも初めての実見であった。しかし、陽射しが強く、半袖でも平気な陽気だったので、雪質については案じられた


乗鞍岳・剣ヶ峰口と、背後に聳える朝日岳・蚕玉岳・剣ヶ峰
宿泊可能な最後の山小屋「肩の小屋」前で車道と別れ、山道に戻る。そこは、山頂までの急登の始点でもあり、「剣ヶ峰口」との標柱が立っていた


乗鞍岳剣ヶ峰の急登道を行く多くの登山者と頭上を行き交う救難ヘリ
乗鞍岳・剣ヶ峰への急登道を行く多くの登山者と頭上を行き交う救難ヘリ

大小の石により足下の良くない登坂を進む。同行初心者を待ちつつである。天気が良いのは有難いが暑いくらいの登山道を、老若男女の登山者が数多行き交う。さすがは3000m級登山の入門地かつ百名山の一つ。

ただ、その所為かマナーは悪く、登り優先等の基本ルールの無知は疎か、グループが横一列で下り突っ込んでくることも珍しくない状況であった。

そうした登山路の上空に救難ヘリが何度も現れたが、訓練かと思っていたその活動はのちに遭難者の収容だったと知る。この様に、高山では容易く思われる場所でも命の危険が潜んでいる。皆、心してもらいたい。


雷雲が接近する乗鞍剣ヶ峰と直下の蚕玉岳
休みやすみ急登を進む同行者を見守りつつ進んでいると突如山上に雲が沸き起こり、雷鳴が聞こえだした。そして剣ヶ峰直下の稜線小頂のこの蚕玉岳(こだまだけ)に着いた辺りから雨もパラつき始めた。まずい、これでは山頂に着くまでに中止撤退に追い込まれてしまう。故に単身急いで山頂まで行くことにした


雷雨襲来直前に乗鞍頂上小屋
間もなく頂上小屋到着。飲料による休憩と記念品販売を目的とした小屋らしいが、こうした天候変化の時には心強い存在。本来はゆっくり中を覗かせてもらいたかったが、今は先を急いだ


乗鞍岳最高峰・剣ヶ峰山頂と乗鞍本宮の祠
やがて、剣ヶ峰山頂着。頂上小屋から50m程の高さを登ったところである。立派な祠に先ずは参拝。幸い先程の雷雲は逸れたようで、少し青空も見えてきたので、遅れていた同行者初心者の登頂を待つことにした


剣ヶ峰直下にある権現池と遭難者収容活動中の救難ヘリ
剣ヶ峰直下にある権現池。山頂下は巨大な噴火口跡で、山頂や稜線はその外縁であることがよく観察できた。因みに、権現池は国内火山湖としては御嶽山(標高3067m)の二ノ池に次ぐ高所にあるという


乗鞍・剣ヶ峰山頂の祠裏から見た、登り来た登山道や稜線続きにある小頂・朝日岳
乗鞍・剣ヶ峰山頂の祠裏から見た、登り来た登山道や稜線続きにある小頂・朝日岳(中央左上。標高2975m)。まだ天気は怪しいが、祠や小屋等の退避場もあったので、同行者の到着後、共に山上で軽食を摂った


霰(あられ)混じりの雨が降る乗鞍・剣ヶ峰山頂
霰(あられ)混じりの雨が降る乗鞍・剣ヶ峰山頂

予報早まる

ところが、食後また急に天気が悪くなり本降りの雨が始まった。予報では15時頃からだったので大丈夫かと思ったが、早まったようである。

おかしな道路標識惑わされず1本前のバスに乗れれば、晴天の山頂を踏め、今頃安全な剣ヶ峰口まで下がっていたのに、と後悔するも仕方なし。

一先ず祠の庇下に数組の登山者と共に退避。体感温度も急激に下がり、雨衣を着つつ濡れと寒さの対策を実施。そして雷鳴。雨も強く、落雷の危険もあったので、暫し祠に閉じ込められることとなった。

退避者の中には雨具がなく、しかも観光姿で身を濡らした若者がおり、寒さで震えていた。気の毒だが山の脅威を知る貴重な経験になったと思う。


雷雨に濡れた乗鞍剣ヶ峰からの下り道
雷雨に濡れた乗鞍剣ヶ峰からの下り道

結局1時間程の足止めの後、小康を得たので足下に気をつけつつ下山することにした。本降りの雨と雷鳴の所為か、あれほどいた登山者の姿は殆ど見えなくなっていた。

ただ、また観光姿のずぶ濡れで登ってくる若者がおり、案じられた。登りは身体が熱くなっているので耐えられるだろうが、山頂以降は急に冷えるので危険な為である。

確か先程の晴天時でも気温自体は12,3度の筈なので、更に気温低下が進んだ可能性もあった。そうなると、平地の冬同等の過酷さとなる。


肩の小屋から振り返りみた雲に呑まれる乗鞍・剣ヶ峰
やがて剣ヶ峰口まで下降し、高山歩行に慣れない同行者共々、肩の小屋で休憩させてもらった。振り返ればまた雲に呑まれる剣ヶ峰が見える。今日はもう晴天は望めなさそうである


雨霧に霞む乗鞍・鶴ヶ池と恵比寿岳火口や畳平バスターミナル

既に盛り過ぎる?

帰りはお花畑の窪地は通らず、その隣にあるこの鶴ヶ池の縁を通る道程からバスターミナルに戻った。


乗鞍岳・鶴ヶ池周辺に咲くイワギキョウ
鶴ヶ池付近の路傍で名残りの高山植物観察を行う。これはイワギキョウ


乗鞍岳・鶴ヶ池周辺に咲くウサギギク
これはウサギギク。この他チングルマ等もあったが割愛

改めて最後によく観察してみると、どの花もどこか元気がない。コマクサやイワギキョウは萎れ気味で、このウサギギクも花弁が欠けている。

そもそも高山植物の盛期の筈なのに期待した程の数がないように感じられた。ひょっとして、早くに気温が上ったため、既に盛りを過ぎたのか。その裏付けか、チングルマは既に花が無く、全て綿毛になっていた。


登りより迫力ある、乗鞍スカイラインのバス車窓からの眺め
登りより迫力ある、乗鞍スカイラインの下りバスからの眺め。正に天空路で、少々怖い

バスターミナルに帰着後は雨具を片付け下山バスに乗車。小雨だが雨は降り続いていたので、野営地の天幕等を心配する。そして、登りより迫力ある車窓景を眺めつつ麓まで下った。


奥飛騨の野営地での夕食準備(炊飯と湯沸かし)
奥飛騨の野営地での夕食準備(炊飯と湯沸かし)

避暑初日は成功に

麓のターミナルで車に乗り換え野営地に。そこには意外と雨の痕跡はなく、不都合はなかった。麓の予報も同じく午後から雨であったが、山上のみ強く、長かったようである。

その後、最寄りのスーパーまで買出しに行き、夜は野営地近くの名湯で往路及び山の疲れを癒し、焚火による飯盒炊爨夕食を実施。地元名産の飛騨牛等がお値打ちかつ美味であった。

そして夜分は寒いくらいの気候となった。元より昼でも涼しい高所・林間ではあったが、今日も猛暑・熱帯夜の京都とは比べ物にならない快適さ。

山上での急変等もあったが、一先ず避暑初日は無事予定をこなせ、涼も得られて、成功裡に終えられたのである。

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2025年06月21日

志賀古跡行

滋賀県大津市南西部にある大津宮遺跡と志賀宮址碑

初見未踏の城址・古寺址へ

今日は朝から隣県滋賀へ。

大津市西部のそこは京都・左京区と背中合わせの場所で交通の便も良い。

琵琶湖南西岸で「西大津」とも呼ばれるそこで、今日は未だ訪れたことがなかった戦国城址や古代廃寺等の山岳遺跡を友人共々巡ることとなった。

なお、記事分類は「紀行」とも言えたが、山歩きが主体となったので「山会(やまかい)」とした。


上掲写真 山に取りつく道すがら立ち寄った古代・大津宮跡(668-672年頃)。「志賀宮址碑」と記された古い顕彰碑文があった。この遺跡はこのあと巡る場所とも関連する。


大津宮遺跡の遺跡公園
大津宮遺跡は国史跡で重要遺構のためか、主要な建屋跡等はこの様に遺跡公園化されていた


大津宮遺跡案内板の宮の中枢復原図
大津宮遺址の案内板より。下部に見える内裏南門の右端が上掲の志賀宮址碑辺りなので、その写真左下に見える旧道が宮の主路・正中線を継承していることがわかる。但し、現道路は起伏を無視し緩傾斜となるように掘り落されているので、宮道やそこの遺構は破壊されている。後代主路となった湖岸の西近江路は古代琵琶湖の水面下にあったため、8世紀・律令期頃に通された、現奈良街道・小関越から続く古北陸道であった可能性がある。そう考えると、破壊痕跡とはいえ、要注意の存在といえる


白砂清冽な流れをもつ柳川

戦国城址「宇佐山」へ

大津宮の主路跡旧道は、やがて写真の柳川対岸から近江神宮の神苑を東に下り巻くが、我々は川沿いの宇佐八幡の参道を西に上る。今日最初の目標・宇佐山城址を目指すためである。

柳川は山上に城跡をもつ宇佐山の南を限るため、その外堀的役割が想像された。しかし市街地近くながら白砂清冽なその流れに少々驚く。朝から暑い日だったので、尚更清涼に感じられた。


宇佐山登山口でもある宇佐八幡宮の入口
そして程なく宇佐八幡宮の入口に至る。それは宇佐山登山口でもあった


宇佐八幡宮下の平坦地にある金殿井
森なかに続く整備された登坂を進むと泉水ある祠が現れた。金殿井と呼ばれる由緒あるものだが、付近は人為的平坦地が広がるため、往時における、平時駐屯地・生活空間のように思われた


小規模ながら清浄な気をもつ滋賀・宇佐八幡宮
金殿井からまた斜面の参道を登ると、やがて宇佐八幡宮本殿に。規模は然程ないが、清浄の気ある立派な御社であった


宇佐八幡宮裏の登山路途上の樹間に覗く宇佐山城址の本丸石垣
宇佐宮裏からは、いよいよ本格的登山路となり、急斜面上方に忽然として古い石積が現れた。ついに城址遺構の出現か


宇佐山城址の本丸石垣
そして石積まで登りきると、崩壊している場所もあるが、正しく歴史的古垣であることが確認できた。


宇佐山城址に貼られる縄張図
石積付近にはこの様な城址の図解(縄張図)も貼られていた


宇佐山城址・本丸跡にたつ通信施設
石積上は残念ながらこの様な通信施設がたっていた。石積を破壊している訳ではないが、微妙な状況で、土圧等による今後の遺構破壊も案じられた


敷石か石段用の石材が散る宇佐山城・本丸跡南の鞍部
敷石か石段用の石材が散る宇佐山城・本丸跡南の鞍部。侵入遮断設備である虎口の内部的場所にみえた


宇佐山城三ノ丸跡と西大津市街及び琵琶湖の眺望
そしてまた本丸口に戻り、その右(北)にある三ノ丸跡に行く。高さは本丸跡と変わらないように見えたが、山麓方面の好眺望があった


宇佐山城・三ノ丸跡から見えた大津市街と琵琶湖岸を塞ぐ高層マンション群
三ノ丸跡から見えた大津市街と琵琶湖南岸。夏の花火大会ではさぞや良い眺めだろうと語り合うも、同時に湖岸を塞ぐ高層マンションの害を感じた


本丸跡より広い宇佐山城・三ノ丸跡平坦地
本丸より広い三ノ丸跡平坦地。ちょうど展望ある場所に丸太椅子の設えもあったので暫し休息することに。空は曇り始めたが、強烈な暑さで飲水量も増す


宇佐山城北曲輪(郭・出城)へ下る急な尾根道
宇佐山城三ノ丸から北曲輪(郭・出城)へ下る急な尾根道

宇佐山城三ノ丸で休息後、北曲輪へ向かうが、意外の急峻・脆弱路であった。見学路とは言い難い状態だが、来訪者への配慮か虎ロープの設置はあった。ここで友人が難儀。風化花崗岩の所謂「真砂土」地表故、滑り易い為である。これは、往時城塞の防御機能として有効だったと思われた


宇佐山城北曲輪下の補助曲輪跡らしき小平坦地
そして北曲輪着。三ノ丸程整備されておらず、尾根上の林そのものであったが、頂部の平坦地や、この通りその下部の補助曲輪等も確認出来た

初期織豊系城塞・宇佐山城

宇佐山城は戦国末期、織田信長配下の森可成(もりよしなり)が京江(京滋)を結ぶ志賀越道を叡山や浅井・朝倉等の反信長勢から守護するために1570年頃建造したとされる。

同年、征西中の信長の留守を衝いて反信長勢の大軍に攻められるも、その維持に成功し、その後破却されたという。即ち、初期織豊系城郭の残骸が往時のまま残る貴重な遺跡であった。

織豊系城郭は、この後、湖岸の坂本・安土城の如く、大規模な水堀を持つ、平城・平山城が主流の時代となる。


宇佐山城北曲輪先の道なき下降ルート
宇佐山城北曲輪跡からは全く道が無くなったため、予定通り、尾根傍の斜面から志賀越道への自由下降を始める。しかし、ここも急峻・脆弱斜面のため、友人を気遣い、なるべく降り易いルートを選定しつつ下った



一先ず何とか沢筋まで下ると、目論見通り廃材で出来た板橋を発見。ここで街道側への渡渉が叶ったが、その後ろで撮影していた友人が行方不明になるという事件が起きた。幸い暫くして電話連絡が通じ合流出来たが、奥山なら危険なところであった。地理不明な人は絶対勝手に進まないように


茶樹の先に伸びる新茶葉「一芯二葉」。宇佐山城北の廃茶園にて
茶樹の先に伸びる新茶葉「一芯二葉(中央右)」

宇佐山城の北堀の役割をもったと思われる沢近くでは放置茶園を発見。実は今回裏山の野生茶で気になっていた関連茶樹の調査も目論んでいた。

ただ、ここは明らかに近年放棄された茶園跡なので古代茶との関連は薄いと思われた。しかし、他でも茶園跡がみられたので、茶生育に適した場所であることが確認出来たことは収穫であった。


志賀越道から崇福寺への近道古道を進む途上の真砂崖上に現れた鹿

古代廃寺・崇福寺跡へ

宇佐山北麓から現代の志賀越道に出て、そこから次の目的地・崇福寺跡への近道峠へと進むが、道の荒廃と危険性、そして同行者の気力・装備的問題により、一旦市街まで下ることとなった。

写真は当初の近道途上で出会った野性鹿(中央)。宇佐山対面のこの山域も風化花崗岩質の脆い地質となっており、近道峠への道も正にこのような崖際を進むこととなっていたので、中止したのである。

私独りの偵察では進むことは可能に見えたが、落ちれば危険な場所があったため決断した。主な判断点は友人の靴底劣化。予想以上の擦り減りで全く踏ん張りが効かないためであった。

時間はいつの間にか正午頃に。宇佐山下降で予想外に時間をとられたため予定を押してしまった。中断した古道上に木陰があり、琵琶湖も眺められたため、車道に戻る前に一先ずここで昼食休息をとることとした。

市街は猛暑に近い暑さと思われ、ここも日射しが強かったが、涼風があり、かなりマシに感じられた。


志賀越古道沿いの農家と、後方の現役茶園やソーラーパネルに覆われた廃茶園
休息後、車道を下り、途中から古道に入って市街へと下る。これは、その途上の志賀越古道沿いの農家と、後方の現役茶園や発電板に覆われた廃茶園。この付近には貴重な前近代的風情が残っていた


崇福寺跡麓の旧見世集落
市街際の車道まで下り、山裾を北上。そして崇福寺麓の見世(現滋賀里)集落に至った。扇状地上にある長閑な場所である


滋賀里の古仏跡「見世行者堂」
見世集落の道の分岐にはこの様な古跡も。傍に「見世行者堂」と記されている。花崗岩で造られた岩室に石佛収まる姿は、大文字山麓の類似施設との関連を窺わせる。双方花崗岩山地で、志賀越(山中越)道で繋がる故の文化的近似か。共に清浄で清々しいな雰囲気


崇福寺跡麓の林間に石室を露出する百穴古墳の古墳
寺跡への坂道を更に進むと、周囲は林間となり、その中にこの様な石室の露出が数多ある場所が現れた。6世紀後半・古墳時代後期の古墳群で「百穴古墳」と呼ばれるものである。持ち送り積みの天井や玩具的副葬品の存在から渡来系集団のものの可能性が指摘されている


崇福寺跡麓の林間に佇む志賀の大仏

志賀の大仏と志賀越北路

林間の道を更に進むと、この様な小さな佛堂に大きな石佛を収めた「志賀の大仏」が現れた。素朴な石佛の姿は中世・鎌倉期の作とされ、土地のものらしき花崗岩で造られている。

崇福寺とは直接関係ないと思われるが、実は志賀越道はこの先で見世に下るこの道と宇佐山北に下る道に分岐するため、ここは近江側出入口の一つとなる要所であった。

京都側の出入口にも大きな石佛があるので、双方、道祖神的な役割・結界的役割があったのかもしれない。


志賀の大仏の後ろ姿と志賀越分岐見世(北)側の道
志賀の大仏と志賀越分岐見世(北)側の道。後方・山手から見たものだが、自然石を利用した大仏の様子がよく解る


崇福寺下の未舗装路
崇福寺への道は志賀の大仏から未舗装となり、幾つかに分岐して山に続く。志賀越道からは外れたが、よくある林道とは異なる趣あり


崇福寺遺跡の斜面中腹にある平坦地
そして未舗装路から山道の登坂に入る。斜面方々に古跡らしい平坦地が現れる


崇福寺南尾根遺跡の大平坦地と礎石・基壇跡

古代廃寺・梵釈寺及び崇福寺古跡

そして登坂を上りきると、写真のような大平坦地が現れた。国指定史跡・崇福寺跡への到達である。

先ずは古代の大規模な土木工事に感心すること頻り。


崇福寺遺址平坦地に残る礎石や金堂基壇跡に立つ「崇福寺舊(旧)址」碑
崇福寺遺址平坦地に残る礎石や金堂基壇跡に立つ「崇福寺舊(旧)址」碑。遺跡中最も広い平坦地ながら、実はここは崇福寺跡ではなく、平安初期に造られた隣接寺院・梵釈寺跡との説が有力という。その根拠は、三つある尾根上の遺構のうち、この南尾根のみ崇福寺創建時の白鳳期遺物が出ないためである。確かに、平安以降の山岳寺院の発達を考えると、ここが一番規模が大きいことは、それらの状況と符合する


崇福寺南尾根遺跡に残る、中央に突起を持つ大きな古代の礎石
崇福寺南尾根遺跡に残る大きな礎石。中央に突起をもつ古代のもので、大変丁寧に造られているのが判る。しかし、数多ある礎石のなかで、何故か金堂跡東隅の2点しかない。後代に持ちさられたのか


崇福寺遺跡・中央尾根上の小金堂跡と塔跡
休息を兼ねて暫し南尾根遺跡を見学後、一旦谷に下り、中尾根の遺構面に上る。南尾根より古い、即ち真の崇福寺跡とされる場所である。ここにも基壇跡があり、礎石が並んでいた。手前が小金堂、奥が塔跡らしい


崇福寺遺跡中尾根の塔基壇跡に並ぶ礎石
塔跡基壇上面。狭い場所に大きな礎石が犇めく。建屋重量や真砂地質への対策か。なお、右奥にある4つの礎石の中心が心柱が立つ塔心礎の場所で、戦前の調査で有名な国宝舎利容器一式が出土した。心礎は地下式という


崇福寺遺跡中尾根の塔基壇跡周辺に散る古代瓦
塔基壇周辺には無数の焼物片が散乱していた。塔の瓦と見られ、布目が残る古式であった。崇福寺創建同期の白鳳瓦の出土は少ないため、殆どが奈良・平安期のものとみられるが、市街近くでこれほど大量の古代瓦が残存するのは珍しく思われた


崇福寺遺跡中尾根から金仙滝に下る道
中尾根遺構見学後、最後の北尾根遺構に向かう。同じく、一旦谷に下りまた上るが、暑さと長時歩行で疲労が限界に達した友人はここで待つこととなった。よって、独りで下る


崇福寺遺跡付近の谷なかにある霊窟と金仙滝
谷底の道に下ると「金仙滝」の標識と共に、この様な滝と岩窟が現れた。それを友人に知らせると、見たい場所だったらしく、ここを最後と、踏ん張って降りてきた。この人為めいた謎の岩窟は天智天皇の霊夢により発見されたとの伝承があり、その縁によりここに崇福寺が建てられたという。一応中を覗いてみたが何もなく、通常の聖地とは異なる様に意外を感じた


崇福寺遺跡北尾根の弥勒堂基壇跡と巨大礎石

謎めく密教以前の山岳寺院

金仙滝に友人を置き、その裏から北尾根遺構に上る。何とでもない登りで、あっという間の到着であった。その遺構面にはまた基壇跡と巨大な礎石の整列があった。

弥勒堂跡とされるもので、その向こう側などにも別の建屋跡があるらしい。ただ弥勒堂の規模、寺の中心施設の割に土地が狭小だと感じられた。

解説板の平面図には基壇の一部が後方斜面からの土砂で埋まっている様子が描かれているため、土地の埋没や崩落が想定された。それでも、不安定な山中に1300年以上前の遺構が残ることの凄みを感じさせられる。

崇福寺は668年に建設が始まり、その3年後もしくは10年以上後に完成したとされる。建設の動機は諸説あり定かではないが、密教流行以前に難儀な山地施工されたことや、至近に梵釈寺が造られたことなど、謎が多い。

一方、僅か5年で廃れた大津宮と異なり、その後も隆盛を誇り、平安期中はここで機能したとされる。


崇福寺北尾根遺構横の大規模崩落跡
崇福寺北尾根遺構見学後、谷なかの道を下る。本来はこの道を遡上し、標高400m超の壺笠山に登って反信長方城址を見学後、麓に下る予定だったが、時間が押したことと友人の不調により断念した。まあ、近場なので、またいずれ……。これは谷道に現れた近年の大規模崩落跡。やはり真砂地質が最近の豪雨に耐えられなかったのか。因みにこの中腹左は北尾根遺構の真横のため、関連する平坦地にも影響があったと思われた。近年増々激しくなる異常気象に古代遺構存続の危機を感じる


崇福寺麓の滋賀里地区より見えた琵琶湖南湖と対岸
崇福寺遺跡麓の滋賀里地区とその向こうに覗く琵琶湖南湖やその東岸

意外の清浄地。古跡集中の鍵か

崇福寺跡の山林麓に下ると、滋賀里の市街地を通りつつ今朝の出発地・大津京駅まで進んだ。

途中、白鳳時代の遺構で国史跡に指定されている南滋賀廃寺跡も視認。偶然進んだ道は何と戦前近江神宮創建で分断された大津宮中心路であった。

後で調べたところ、明治初期の村絵図に正に「北陸道」「脇往還」の文字があり、やはり古代官道との関連が深まった。

そして、近江神宮境内を横切り、大津宮中心路を南下して大津京駅に帰還し、友人の車輌にて無事帰京した。

身近な場所ながら初めて巡った志賀の地。古代滋賀郡の発祥的場所らしい様々な発見があった。特に山地と麓が白砂清浄の地で、清冽な沢水に恵まれた地であったことは意外であった。

それは、この北にある古大社・日吉山王社(ひえいさんのうしゃ)を凌ぐ程に感じられた。信長とその反対勢力による城塞址はともかく、その特別な雰囲気は、数多の古墳や寺院、大津宮等の古跡がここに集中する謎を解く鍵のように思われたのである。

今日は猛暑直近の暑さに苛まれたが(但し山中は涼しく、随分助けられた)、有意義な探訪となり何より。協力してくれた友人に感謝したい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年05月05日

山而蜘蛛

新緑や花が鮮やかな春山への道

またしても山、そして……

昨日野営会を終えたばかりだったが、今朝また山に行くこととなった。それは、初心者の知人に以前から頼まれていた裏山への同行であった。

野営道具の片付けがあったため遅くなったが、一先ず出発。


上掲写真 新緑や花が鮮やかな春山へと続く道。

注意!下段に小動物画像あり。

この時期らしい爽やかな、京都東山山中の森なかの滝
山中の滝。この時期らしい、乾燥した爽やかな森をゆく。初心者に合わせ、ゆるりと進んで先に頂を踏んでから、更に奥にも縦走し、下山した。


夜分、突如居間に現れた絶滅危惧動物・ヒトエグモ
夜分、突如居間に現れた謎の動体

不意の出現に奥深さ感じる

下山後は野営会の片付けをまた再開しつつ山中で採取した野生茶の新芽処理も行った。即ち、手揉み新茶作りである。

ところが、その途中、畳上に動くものが……。

最初はうちによくいるアシダカグモの子かと思ったが、何か違う。身体が異様に平たく、足が長いのである。

平たいといえば、昔大陸の砂漠でたかられた踏んでも死なないマダニを思い出し、一気に警戒し早急な退治を思ったが、やはり蜘蛛的な個体のため一先ず止めた(蜘蛛は害虫駆除の同盟者として普段から保護している)。

因って、一先ず気を落ち着かせ調べてみると、なんど、京都府のレッドデータブックに記載されている絶滅危惧種のヒトエグモという蜘蛛であることが判明した。

しかも、京都市東部(正に此処)を中心として生息する貴重種ともあった。なんでも、古い家や大木などに巣くうらしく、捕獲例が極めて少ないという。

退治しなくてよかった。うちの環境でどう生き永らえてきたか解らないが、変哲ない郊外町家の価値が増したように感じられた。

なお、山に住むという報告はないので、当初想像した茶葉に紛れてやってきた可能性はないと思われた。

とまれ、塵取りに移動してもらい、またの再会を期待して庭口近くに放した。たとえ見慣れた家のなかと雖も、油断していると色々なものと遭遇するものである。

出来上がったばかりの新茶を味わいつつ世の奥深さを感じたのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年05月04日

続2025春季野営会

雑木と砂地からなる、滋賀湖南山中の野営地の朝と雲ある空

二日目は暑い朝から

令和7年春季野営会2日目。

昨晩、予報通り低気圧が来たが、パラパラと降っただけの軽微なものに終った。そのため、問題なく焚火を囲み遅くまで語らうことが出来た。差入れの、美味しい洋酒と共に……。

今朝は比較的遅くまで寝たが、それでも陽の暑さにより途中で目を覚まさせられた。昨晩は温暖な気温予報だったが、夜半寒くなり、上着を足したのとは対照的な朝であった。


上掲写真 雑木と砂地からなる野営地の朝。明け方から快晴になる予報だったが、実際は昨日より雲が多い日となった。


砂上を緩やかに水が流れる、滋賀湖南山中の沢
砂上を緩やかに水が流れる山中の沢

朝食は参加者の意見を採り入れ、バゲット(仏蘭西麺麭)に腸詰や目玉焼・野菜等を挟む方式に。

残念ながら、食べ難いものになったが、味は良いので、更なる工夫に期待したいと思った。

怪しい野営者

ところで、午前遅く成人女子二人組と、そのあとから彼女らの両親と思われる初老二人組が現れ、野営地すぐ後ろで滞留を始めた。

居場所は幾らでもある広い地だったので怪訝に思うと、今度は我々の天幕や竃傍等を徘徊し始めた。挨拶も語りかけも何もなく……。

道筋ではない私的な場所をジロジロ見廻る様に、不気味さというか、無神経さを覚え怒りさえ感じた。皆の貴重品等もあった為である。

コロナ禍期に一時おかしな入山者が増え、その後いなくなったので、安堵していたが、まだいたのか。

便所紙や汚物を巻き散らされた往時を思い出し嫌な気分になったが、こちらの警戒を察したのか、その後来なくなったので構わないことにした。

その後、我々の昼食中に荷を纏めて彼方に去り、そこで野営準備をするのが見えた。どうやら近接と徘徊で圧力をかけつつ我々が退くのを待っていたようだが、諦めたらしい。

こんな無礼者に山や自然への配慮出来る訳がないので、事後を案じたが、今は仕方なし。


野営地を撤収して下山する野営会一行
野営地を撤収して下山する野営会一行。荷を一部前付けして足下が見えずに難儀する初心者がいるが、途中で後方への装着を手伝い、解決

朝昼ゆったり過ごし撤収

朝食後は参加者各々ゆったりと過ごし、その後、昼食に。昨日の鍋や白飯の残りを主として、食材の余りを減らす具材豊富な食事となった。

そして、その後もまたゆったり過ごしたのちに撤収作業を始め、夕方無事下山したのである。

皆さん、お疲れ様でした。今春も楽しい場を有難う!


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2025年05月03日

2025春季野営会

滋賀・湖南山中の岩々の先に覗く清冽な沢水

人減るも天気好転

黄金週間後半初日の今日、また恒例の野営会を開催。

希望していた東京組やちびっ子組が来られなくなり残念だったが、微妙だった天気予報も直前に好転し、良い開催日となった。

場所は、いつもの隣県滋賀南部。当地は、夜遅く低気圧が通過するとの予報があったが、対策すれば問題ないと思われた。


上掲写真 湖南山中の岩々の先に覗く清冽な沢水。


滋賀湖南山中の野営地に並ぶテント
駅や麓で合流し、食材を調達して野営地着。先ずは天幕を張った。一つ張れていないものがあるが、これは支柱忘れのため。以前も別の参加者で同様があったが、まあこれも経験。この絶望を次に活かしてもらいた(笑)。


滋賀南部山中での野営用、竃開きと祝杯用ビール
天幕張りの次は手分けしてインフラ整備。そして、ほぼ最後に竃が整うと、設営完了を独りビールで祝った(私個人の儀式的なもののため)


滋賀南部山中の野営地の日暮れ
その後、色々語り合ったりしていると日没に。焚火での食事と語らいの時間の始まりであった


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2025年04月29日

奥山観桜(三)

雲取山三ノ谷の沢うちの岩肌につく無数の桜の花弁

雨後の再観桜

今日は火曜ながら祝日。そう旧天長節、昭和の日である。先日、近山奥の桜花を堪能したが、今日は人を案内して再度観桜に行くこととなった。

実は先日、私が桜や奥山の話をした麓集落の知人に、機会あれば来年にでも連れて行って欲しいと頼まれたが、折角なので、花がある早めに行くこととしたのである。

本来は好天続きの日曜辺りが良かったが、連絡がつかず今日となった。残念ながらその後纏まった雨があったが、果たして花具合は如何(いかん)。


上掲写真 谷川うちの岩肌につく無数の桜の花弁。帰路の沢筋にて。


まとまった雨で一気に新緑が進む京都雲取山下の灰屋川渓谷
待ち合せ場所で知人と合流後、登山地点に進み、徒歩行を始める。雨の所為か、前回から3日しか経っていないにもかかわらず、山中では一気に新緑度合が進んでいた


葉桜と化した京都北山南部奥に佇む桜大樹
そして、大桜。一見花があるようにも見えるが……


葉桜と化した京都北山南部奥に佇む桜大樹
大桜の梢を見ると、やはり花は殆ど無くなり葉桜となっていた。本降り的雨ではあったが、これほど急に散るのは、やはり先日が満開だった証左とも思われた


桜に代り見頃を迎えていた京都北山南部奥のヤマツツジ
桜に代り、見頃を迎えていたヤマツツジ。花は残念だったが、その場所や谷なかの貴重な天然林を知人に紹介することが出来た。知人は地元の人ながら、これまで奥山に入ったことがなかったらしい。これを機に古里の自然・地理への理解を深めてもらいたいと切に思った


京都北山雲取北峰からみた地蔵杉山を始めとする丹波高地の山々や比良山脈等
そして、折角なので、山上の眺望も体験してもらう。生憎の曇天で、風もあり寒かったが、一先ず知ってもらえて良かった


岩上に根を張り花を咲かせる、京都雲取山麓の桜
これは下山中の一景。沢沿いの岩上に桜樹が根を張り花を咲かせている。先日新発見した満開の桜樹は雨で散っていたが、これはまだ少し花を保っていた。最初の写真はこの樹が散らした花である。花台に載ったような珍しい桜の姿に、知人も感心


京都北山の集落の知人に頂いた筍御飯
そして、下山。知人及びその家の人とまた麓集落にて長く四方山話に。その際、案内の御礼的に筍御飯を頂いた。有難い山の幸に感謝

花無くも有意義に

残念ながら桜の盛りには間に合わなかったが、一先ずは、知人に身近な山を知ってもらう有意義な山行となった。

皆さんのご協力に感謝、お疲れ様でした!

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2025年04月26日

奥山観桜(二)

新緑眩しい貴船神社石段下の鳥居口

今日こそは

先週、空振りに終った奥山の観桜。その山桜大樹の開花と満開時期を特定すべく、今日も奥貴船に出掛けてみた。

京都市街では桜諸種の花期も終いとなったが、果たして山上は如何(いか)に。


上掲写真 新緑眩しい貴船神社石段下の鳥居口。途中に立ち寄り一写。


青空に満開の花が映える芹生集落の桜
時折落石散る峠道を車輌にて慎重に上り、山上の集落に至る。そこでは青空に咲く満開の桜に迎えられた。幸先良く、気分も高まる


芹生集落奥の会社施設内に咲く、満開の染井吉野
集落外れに植えられた桜も満開に。先程の山桜系とは異なり、これは街場で馴染深い染井吉野かと思うが、高所の環境を思うと貴重である。しかし、北海道中部の札幌での桜満開(蝦夷山桜)が2日前の発表だったので、近場のここの方が遅いとは驚きであった。近山山中のここは家の北方僅か十数キロ、かたや札幌は一千キロ以上離れた遠隔北地のためである


枝先の芽吹きが始まった京都北山・芹生奥の落葉樹
さて、山に入ると他の樹々の芽吹きも確認された。やはり桜開花は平地同様、春のトリガー(引き金)なのか


京都北山南部山中の桜巨樹
そして、目当ての桜大樹はこの通り。遂に開花確認。月初の視察を含めると、正に三度目の正直となった。ただ、その割合は満開的なものには見えなかった。まだその途上か、または既に散り始めたか……


京都北山南部山中の桜巨樹の花
しかし、樹下に花弁はなかったので、満開への途上のように感じられた。ただ、樹の大きさに比して花弁が小さかったので、既にこれで満開との可能性も生じた。何れにせよ、開花期は特定出来たので、来年以降は容易に観察できそうである


京都北山南部山中の巨木桜の花弁部を望遠撮影し更に拡大した画像
桜大樹の花弁を望遠撮影し、更に拡大したもの。やはり葉が多く、大きさも大きいので、咲き具合としてはかなり進行している可能性が高まった。機会あれば来年また観察し解明を図りたい。とまれ、誰もいない奥山で暫し稀少な桜花を眺めた


京都北山南部山中で開花するスモモの樹
桜の近くにはこんな樹の開花も


京都北山南部山中で開花する李樹の花
恐らくは李(すもも)だと思うのだが、如何に。その後、近くの小屋に人がいたので桜大樹の開花時期や咲き具合を尋ねると、やはり今頃が時期だと言い、咲き具合もあれくらいで満開ではないかと言う。これまで盛大に咲いた様を見たことがないらしく、やはりあれが盛りなのかと思った


薄っすらとした新芽の緑が現れた、京都・雲取山山頂下のブナやクリの林
折角なので、今回もまた山上に上る。高所である稜線下の橅(ぶな)や栗の林にも、遂に薄っすらとした新芽の緑が現れていた。漸く奥山にも春来る、という様か


京都北山・雲取北峰山頂からみた春の北山や比良山地
そしてまた、山上から更に見晴らしの良い峰まで移動


京都北山・雲取北峰山頂からみた滝谷山北山腹の桜
近くの山の高所にも満開らしき桜の姿が見られた(中央下)


P4266652.jpg
更に山上では、馬酔木(アセビ)の花も確かな春到来をしらせていた。彼方に見える比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(中央上。標高1214m)にも、もう残雪は視認出来なかった


京都北山南部の奥山で出会った満開の桜
山上にて軽食休憩後、下山開始。その途上、樹々の狭間からこれまで気付かなかった桜樹を発見。これも花期ならではの出会い。土崖伝いに近づいてみると、中々の樹勢を誇る壮木であった


京都北山・雲取山山中の満開の山桜の花
人知れず咲く桜の、対面急斜に倒木が成した露台地より、正面から花を観察。正に満開に違いない状況で、暫し贅沢な観桜をすることが出来た。十分花見に耐えうる量感で、先程の大樹とは樹種が異なるように思われた。あちらの方はかなり珍しい種か個体かもしれない

下山後は、また麓集落の知人宅に寄り、長らくの四方山話に。そして、市街に帰還したのである。

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2025年04月19日

奥山観桜(一)

4月中旬過ぎながら、いまだ冬枯れする奥貴船・京都北山の渓谷

奥山の花そろそろか

京都市街での桜満開宣言が出されて2週間。

宣言1週後の先週、裏山の山桜が満開になったのを確認したが、もう一つの気になる山桜大樹を確認せんと、貴船奥の京都北山へ向かった。

ちょうど満開日となった月初5日の午後にもそこに行ったが、奥山の所為か、樹種の所為か、冬芽が付くばかりの状態だった為である。

あれから2週間。そろそろ咲いてくれていると良いが……。

しかし、山に入ると、写真のような2週前と変わらぬ荒景が広がっていた。樹々の芽吹きさえなく、冬枯れのままである。

少々不安になったが、今回は開花時期を確定する為なので仕方なし。


奥貴船・京都北山の沢筋に現れた沢蟹
諦めの思いで沢筋を進むと、足下に光沢あるものが……。大きな沢蟹である。植物は大半まだ仮死的状態だが、意外にも小動物に春の動きがあった


奥貴船・京都北山山中の冬枯れの森に佇む山桜の大樹
そして、大桜。前回より枝先に量感があるが、やはりまだ咲いていないようである


京都北山南部の山中に佇む桜大樹の開花前に茂る葉
枝先を見ると、なんと、葉が先に茂っている。葉が先に出る桜の種は殆どなく、しかも、高木にならない筈なので、少々混乱


4月中旬過ぎに冬枯れを保つ雲取山山頂下のブナやクリの林
気になる桜大樹の開花が空振りしたが、折角なのでまた山頂を踏んで帰ることにした。山頂下の栗や橅の林もこの通り、まだ雪解け直後の風情


4月中旬過ぎの、京都北山・雲取北峰の山頂と標識
間もなく稜線に出て、更に奥の見晴らしの良い場所まで進出


4月中旬過ぎの、京都北山・雲取北峰の山頂からみた比良山脈・武奈ヶ岳山頂にある残雪
山頂北方に見える、滋賀西部・比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(中央。標高1214m)辺りにはまだ残雪が見えた。こちら側は標高的には負けるが、同じく雪が多い寒冷地なので、やはり開花の遅さに影響か


4月中旬過ぎの、京都北山・雲取北峰の山頂からみた冬枯れ状態を維持する天然林
近くの天然林もこの通り冬枯れのまま。今日は平地で30度近くまで上がった一際暑い日だったので、少々信じ難い光景であった


4月中旬過ぎの、京都北山・雲取北峰の山頂からみた、滝谷山北の山腹で花を咲かせる桜樹
ただ、標高の低い山腹に所々桜が咲く様子が遠望できた(中央下)。これも、人知れず咲く大樹かもしれない。機会あれば訪れてみたい

山頂で軽食を摂り、その後、麓集落の知人宅に寄って長く語らったのち、市街に帰還したのである。

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2025年04月12日

裏山満開

麓からみた大文字山の山桜と新緑

裏山の春

京都市街の桜満開が宣言されて早1週間――。

風に散るものも増えてきたが、未だ花も人も多く、その華やぎは続く。見上げれば、近所の山肌にも花の色が目立つようになり、日々それが山上を指して増していくのも確認できた。

温暖な麓から山桜の開花も始まり、順次高所へと進行している――。

実は、先週からその動きに気づき、山中の桜巨樹のことを思い出していた。先日行った北山のものではなく、ごく近くの樹のことで、このサイトでも何度か紹介したことがあるもの。

先日その場所を遠望すれば、まさに色づき始めたことがわかったので、満開となったと思われた今日、軽い運動がてら観に行ってみることにした。


上掲写真 麓から見える山中の桜。但し今回の桜とは別の場所である。思えば新緑も急速に山を覆い始めていた。遂に山にも春がきたのであった。


大文字山中、鹿ヶ谷奥の満開の山桜
山に入り、誰もいない山道を進むこと暫しして目当ての山桜花覗く場所に


大文字山中、鹿ヶ谷奥の満開の山桜
目論見通り、まさしく満開であった。但し、染井吉野のように改変していない山桜なので花の場所は非常に高く、一般的な花見には適さない


大文字山の急斜に自生する山桜の巨木
山桜の幹。急斜に在りながら、樹高数十メートル、重さ数十トンの巨体を、複雑・複数の根で巧みに支える。樹齢は2、300年程か。しかし、その幹の色艶は良く、若々しくみえた。今季も元気そうで何より


大文字山山頂からみた山科盆地や京都盆地に大坂方面
誰も来ない場所で、満開の桜を長く眺める贅沢な時を過ごし、更に奥へと進む。そして、折角なので、そのまま山頂まで進み、少し休んだ。これはそこから見た山科盆地と京都盆地、そして彼方の大阪方面である


大文字山山頂からみた近くの山桜と彼方の音羽山山肌に点々と見える桜
山頂近くにも桜があり、彼方の山肌にも点々とそれが見えた。山の確かな春到来を見る思い


大文字山火床からみた京都市街と山腹の新緑
そして山頂を下り、京都市街が一望できる「送り火」の火床に。ここにも新緑の波が寄せ来る


大文字山火床横の桜
火床横にもこの通り桜が

麓から1週遅れの満開か

その後、火床から更に山を下り、無事下山した。今日は気になる裏山桜の満開が見られて良かった。また、麓の満開宣言からちょうど1週間でそれに至ることが判ったのも有意義であった。


大文字山山中で発見した中世の備前甕らしき考古遺物

考古遺物発見とその後日談

以上で、めでたしと終ると思いきや、なんと下山途中に写真の様な考古遺物を発見。常滑系の中世焼締陶(b器・stoneware)の口縁部で、その下に埋まる内容物などの存在も窺えた。恐らくは戦国期の備前甕か何かか。

帰宅後、文化財保護課に連絡すると、「遺存状態のよい貴重な発見の可能性がある」との回答をもらい、後日調査が入ることになった。

こうして、ただ山桜を観に行っただけでも歴史遺物と遭遇する油断ならぬ裏山であることに、改めて驚かされたのであった。

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2025年04月05日

開花融雪

ほぼ満開の様相を呈す、京都・銀閣寺下の疏水分線沿いの関雪桜

春めきと花、一気に

京都市街は3月下旬まで断続的に寒波に見舞われたが、遂に同月22日から20度を超える日が続くようになり一気に春めいてきた。

同27日には桜の開花宣言も出、その他遅れていた花も待ちわびたように咲き誇る百花繚乱の様相に。

梅の開花がひと月遅れ、その後を追う河津桜やハクモクレン・雪柳等が、桜と同時に一気に咲いたような感じである。

なにやら目まぐるしいというか、気分も切り替わり難いが、今朝、近所の花の様子でも見てみた。


上掲写真 銀閣寺参道下の琵琶湖疏水分線に咲く桜。所謂関雪桜で、既に多くの遊山客の姿があった。平日は殆ど外国客が占めるが、今日は週末なので国内客も混ざり大盛況である。ここは並木全体が撮りやすい人気の場所だが、長時間おかしなポーズをとって画角を占有する中国人が多く、他客の失笑を買っていた。配慮と謙譲は将来の不利益を避ける賢策だろう。


2025年4月5日午前の、銀閣寺下・疏水沿いのほぼ満開の桜と大文字山
同じく疏水分線を下流側から。背後に頭を出すのは、「大」字の火床を見せる、かの大文字山


2025年4月5日午前の、銀閣寺参道下・哲学の道のほぼ満開の桜と多くの観光客
因みに、銀閣寺参道下の様子。遊山者で溢れるが、歩行者天国が実施されている訳ではない、三叉路の只中である


奥山に春めいた陽射し届く、京都北山・雲取山麓の森と林道
朝からの人の多さに辟易気味の桜下から一転、午後からは全く人のいない場所に至った。先月まで通っていた奥貴船の山中である。前回林道さえ深く埋めていた雪は消え、奥山にも春めいた陽射しが届いていた


春の煌めきを放つ、京都北山・雲取山二ノ谷の沢
氷雪から解き放たれ、完全に露出する沢水も春の煌めきを放つ


雪解けが完了したばかりの風情をかもす、京都北山・雲取山二ノ谷の沢
奥貴船(京都北山)深部の谷なか。まさに雪解けが完了したばかりの風情で、下草もまだ雪の重みで寝たままであった


京都北山・雲取山の山桜の大木

奥山の開花確認に

雪のないここに今日来たのは、写真の樹が見たかったから。奥山の桜の大樹で、樹齢2、300年程とみられる。恐らくは寒冷地に自生するオオヤマザクラかと思われるが、以前見つけて以来、その花期を気にしていた。

去年一緒にここにきた海外の友人から先日偶然問合せがあったため思い出し、確認に来たのであった。本来は今日別の友人と湖北の雪山に行く予定だったが、それが中止となったため、替りに来ることが出来た。

ただ午後から曇る予定だったので、近所の花見を優先し後回しとなった。


京都北山・雲取山の山桜大樹の梢の冬芽
しかし、残念ながら大桜の花はまだであった。梢を見ると、いまだ冬芽しかなかったのである。やはり京都市内とはいえ、北陸的寒冷傾向がある特異な山中のため花期は遅めなのか


すっかり雪がなくなった、京都北山・雲取山山頂
大桜確認後、折角なので、標高1000m弱の山頂まで上がったが、やはり、ここにももう雪は無かった


京都北山・雲取山山頂付近からみたほとんど雪が消えた比良山脈・蓬莱山
山頂付近から更に北の比良山脈を見る。先週登ったその最高峰より南の峰だが、スキー場で知られるこの蓬莱山(標高1174m)もこの通り山頂の谷筋に僅かに雪をみる程度であった。やはり、方々春到来は確かである


雪が消えた京都北山・雲取山の急斜の登山ルート
もはや一片の氷雪もなくなった奥山の斜面を下り、麓に戻る。同じ場所で雪に足をとられたことが幻のようである

春到来ならではの早さで

それにしても、林道含め、雪がないとこんなに早く移動できることに改めて驚かされた。

そして、麓集落の知人に手土産持参での挨拶を済ませ、難なく15時過ぎには帰宅出来た。これも、無雪期入り、春到来ならでは早さであった。

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2025年03月22日

比良終雪

2025年3月下旬寒波後に一部雪が融けた比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂

北陸行に代り隣県雪見

まさかの3月下旬寒波到来から数日後の週末の今日。空いた時間を使い、隣県滋賀は比良山地の雪具合を見てみることにした。

そこは近畿中部としては多雪で知られる山域ながら、今季は何故か比較的少ない筈の京都北山より奮わない印象のため殆ど出向かなかったが、入山容易なこの時期の寒波を好機とみて覗いてみることにした。

実は、本来今日北陸の奥山に登るつもりでいたが、想定外の寒波の強さにより途中の交通困難が予想されたため断念した。

年一回の貴重な機会だったので残念だったが、元より今季は近場で存分に雪が楽しめたので、また雪を欠く年にでも行くかと気持ちを切り替えた。


上掲写真 今季初めて登頂した京都市北部東隣の比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂(標高1214m)。山頂標識付近は一見雪が無いようみえるが……。


早くも3月下旬寒波による雪が消えた比良山脈の難所・青ガレ
さて、比良の登山口までは一切雪がなく、一昨日の北山のことを幻の如く感じつつ登行開始。比良最深部・武奈ヶ岳への湖西側最短路となる正面谷を進むもやはり少なく、峠鞍部への急登始点の難所として知られるガレ場(というか中部・北陸方言での「ゴーロ」に相当か)「青ガレ」もこの通り


比良山脈・金糞峠下の雪渓
青ガレを越え、ひたに急登を進んで辿り着いた峠下の雪渓。陽当たりの所為か、降ってから日が浅いにもかかわらず、この道程の雪は急速に融けている観があった。やはり厳冬期とは異なり陽の力が強いのか。脇のルンゼ(細く急な枯谷)からの土石流跡や落石の音もしたため、注意しつつ登る


3月下旬寒波後に早くも雪た消えた比良山脈・金糞峠
程なく金糞峠(標高約880m)着。ここも標高の割に雪は無し。ひょっとして北山の同様域も急速に融けているのであろうか。少々思考の混乱を来す


春めく雪解けの金糞峠から見た、麓に広がる琵琶湖
金糞峠から見た来し側と麓に広がる琵琶湖。予想外の春めき


金糞峠裏から突然復活した深い雪原
ところが、峠がある主稜線裏にはこれまた意外の雪原が広がっていた。深く、滑りやすいので本日初めてアイゼン(靴底氷雪爪)を装着して進む


金糞峠裏の雪深い森なかの難儀な渡渉箇所
峠裏の森なかの道程には、この様に沢を渡る急な場所もあった。積雪は1m程もあり、前爪があるアイゼンでないと登り難い状態であった


比良山脈・金糞峠裏の沢からコヤマノ岳への急登へ続く大樹と雪ある斜面
沢に続く森なかの道程が終り、やがて武奈ヶ岳等がある後方山脈に続く急登となる。大樹の根元に厚く雪がある様子に先程の正面谷との違いを感じ、山の手強さを感じさせられた


比良山脈・コヤマノ岳山頂近くの雪原と足跡
延々と続く急登を進み漸く山上の雪原に至る。途中すれ違った人から踏み抜きの凄さを警告されていたが、多くの先行者で固められた踏み跡や体重の軽さからか(冬用の荷物は重いが)、ワカン(輪かんじき)を使うこともなく通過できた。ただ、ワカンより浮力が大きいスノーシュー(西洋かんじき)ごと盛大に踏み抜いた跡も見たので、人により要注意か(笑)


雪に覆われた比良山脈・コヤマノ岳山頂と彼方の琵琶湖や沖島
間もなく、武奈ヶ岳手前のコヤマノ岳着(標高1181m)。天気に恵まれ、眺望も良い


コヤマノ岳を少し下った鞍部から見えた、冠雪する比良山脈最高峰の武奈ヶ岳山頂
コヤマノ岳を少し下った鞍部から見えた武奈ヶ岳山頂。あともう少し。元より高めの気温が更に上がってきたため暑く、雪も湿りはじめて歩き辛くなってきた。実は麓から既に暑く、上着無しで登行していたが、それでも暑かった。後で知ったところによると、今日の京都市街は23度近くまで気温が上ったという。なるほど、雪の山上でも暑い筈である


コヤマノ岳を少し下った鞍部から見た、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山上の巨大な雪庇
しかし、武奈ヶ岳山上にはこの暑さにもかかわらず、盛大に成長した雪庇の姿が見えた。今日はカメラを忘れて電話で撮ったのであまり精細ではないが……


冠雪する高気温の急登を経て見えてきた、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂
武奈ヶ岳山頂への最後の急登を詰める。完全な雪山景だが気温が高い、という矛盾した状況に少々呆れつつ……


冠雪する比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂からみた3月下旬の雪山景と霞む琵琶湖等
そして、山頂着。黄砂等で若干霞んではいるが、晴れて眺望よし。ただ、さすがに昼食時は雪の冷たさや風により上着を足すこととなった


冠雪する比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂からみた3月下旬の雪山景(蛇谷ヶ峰・野坂山地方面)
同じく武奈ヶ岳山頂より北方は蛇谷ヶ峰(中央やや右)や野坂山地(中央奥)をみる。最初の写真の如く山頂標裏のこの辺りは広く雪が融けていた

今日こそ冬仕舞いか

昼食休憩後、来た道を戻る。上部に所々雪渓がある峠下の道に難儀したが、横着をせずアイゼンの脱着を繰り返し無事下山したのであった。

今日こそ、今季最後の雪山となろう。予想より雪は少なく、雪質も微妙だったが、冬仕舞いの山行を堪能することができた。自然よ、有難う!

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