2022年05月05日

続2022春野営会

滋賀・湖南アルプス山中の新緑の森と、快晴の朝空を横切る飛行機雲

またの快晴の下
珈琲容器にピザやら啄木鳥やら……


恒例の春の野営会2日目。

昨日の初日同様、朝から快晴となった。気温も昨夜夜中や明け方こそ寒さを感じたが、日の出以降急速に上昇し、朝8時頃には暑い程となった。


上掲写真 滋賀・湖南アルプス山中の新緑の森と、快晴の朝空を横切る飛行機雲。


滋賀・湖南アルプス山中の野営での窮余の合作のペットボトル・コーヒードリッパーとアルミ缶サーバー

朝食はフランスパンを鉄板焼きして生野菜やベーコンを挟んだものを用意。飲み物は友人差入れの珈琲だが、ドリッパーを忘れたらしく、本人が写真の如くペットボトルを加工して用意した。

ただ、そのままでは径が細く自立しないので、私がアルミ缶を加工して下にサーバーを追加。まあ、窮余の合作で見てくれも悪いが(笑)、無事美味しい珈琲を淹れることは出来た。皆さんも今後の参考に……。


滋賀・湖南アルプス山中の野営地近くの枯木に現れた啄木鳥(きつつき)

朝食後、友人が昨秋の野営会で試みたピザ作りに挑む。前回同様、生地発酵から行う本格的なものだが、やはり上面の加熱に課題が残った。

写真は野営地での寛ぎ時に近くの枯木に現れた啄木鳥(きつつき)。最初こそ警戒していたが、やがて我々を気にせず軽快なドラミング(打撃音)を聞かせ始めた。こんな近くでその姿と活動を見たのは初めてであった。

最後のお騒がせ

そして、昨夜の残りものの昼食を何とか平らげ、やがて撤収作業に。ゆっくり行ったが、手際や装備を研究していたため比較的早く終え、下山することが出来た。

ところが、折角早く下山して帰宅出来たのに、家の手前で鍵がないことに気づく。野営地を出る際は財布や電話と共に重要物品として確認をし、皆にも促すのだが、麓で油断し、友人の車の荷台に落としたのである。

駅等で落とさず、すぐに見つかり不幸中の幸いとなったが、家に入れないので、一先ず荷を置き引取りに出掛けた。友人が車で届けることを提案してくれたが、連休最後の渋滞や疲れの危険を考え、自ら列車で往復した。

ああ、最後に失敗――。

物理的・心理的にどっと疲れた。駅まで鍵を届けに来てくれた友人には申し訳ない限り。

こうして、最後は油断による失敗があったが、大きな事故もなく、一先ず安全に会を終えることが出来た。

皆さん有難う、そして最後に騒がせてごめんなさい!


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2022年05月04日

2022春野営会

滋賀県南部「湖南アルプス」山中で陽を浴びる沢沿いの蕨(わらび)

今年の人出は

今日は恒例の春の野営会。

先週まで連休中は雨予報が多かったが、直前になって好転し、無事快晴のなか開催することが出来た。

昨年はコロナ禍制限の影響やキャンプブームもあり、基本密やかな野営地も人が多く、隠しておいた常設の炉(竃)も他人に取られ、初めて場所を変えたが、今年は如何であろうか。


上掲写真 恒例の野営開催地・滋賀県南部「湖南アルプス」山中で陽を浴びる沢沿いの蕨(わらび)。


風化花崗岩質の山肌に清澄な水が流れる滋賀・湖南アルプスの沢
風化花崗岩質の山肌に清澄な水が流れる湖南アルプスの沢

麓で買出し等の準備を済ませ野営地に入ると、麓にはバーベキュー客らが多く駐車も多かったにもかかわらず、意外に野営者は居らず。

3年ぶりに緊急宣言のない連休となったので帰省や遠出に流れたか。または、噂通り、急速にキャンプブームが衰退したのか……。

とまれ、安堵して準備に掛かろうとすると……。


滋賀・湖南アルプス山中の野営適地に散乱する便所紙

配慮なき者来るべからず

やはり昨年同様、悪しき野営者の痕跡があった。炉や天幕場近くでの便所紙の散乱である。判り辛いが、写真内だけでも3箇所の捨て場があり、他にも多くの同様があった。

そして、埋めた跡がないので、当然糞便の露出も。紙の新しさから、この連休後半の仕業に違いなし。先程我々と入れ違いに野営装備の家族4人とすれ違ったが、彼らの可能性もある。山に不慣れな感じはなくゴミも片していたが、せめて埋めるくらいのことは出来なかったのであろうか。

こんなことが続けば色んな意味で早晩野営が出来なくなってしまう。以前からゴミの残置はあったが、これ程酷いのはコロナ禍以降のことである。また、炉も不必要な高温に晒され損壊を受けていた。環境保全や防火はマナー以前の問題。大人として最低の配慮も出来ない者はもう山に来るな。


滋賀・湖南アルプス山中での直火焚火
気を直して設営を続ける。そして炉に火を入れ、一先ず完了となった。今日は直前に1人が仕事の事情で来られなくなったので、荷運びや構築の負担が増したが、以前から軽量化や装備進化を図っていたので、難なく済ますことが出来た。とまれ、持ち込んだ麦酒で一息……


夜、石で作った竃の中で燃える薪。滋賀・湖南アルプス山中にて

北斗七星と共に

そして夕方から夕飯の準備にかかり、やがて焚火明りの夜に。献立は蕪豚汁に牛肉や鰆(さわら)・野菜等の焼物。勿論、薪炊きの白飯付である。

予報通り、昨晩に比して格段に気温が高く、過ごし易い夜となったが、それでも就寝前には8度程まで下がった。

夕食後、頭上の北斗七星を眺めながら飲み語らうこと暫し。その後、野営初日を終えたのであった。


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2022年03月12日

伊吹雪登

春めく麓の奥に聳える雪を戴く伊吹山。2022年3月12日撮影

今冬最後?の気になる雄峰行

先月2月の末辺りから、ここ京都市街でも昼の気温が15度を超える日が出てきたが、朝晩はまだ冬の寒さであった。

しかし、今月10日に17度という最高気温が現れると漸く最低気温も上昇し始めた。そして、今日はなんど9度超えという春日になった。最高気温の予報も20度超となっており、この先もその傾向が続くとされた。

遂に冬の瓦解が始まったようである。

勿論、近辺の山々での雪解けは既に始まっていたが、朝晩の低温に守られていた根雪が融け始めるという、積雪期(厳冬期)から残雪期への変化の潮目が感じられた。

故に今日は、今季連続して続けていた雪山行の締め括りとして、隣県滋賀の最高峰・伊吹山(標高1377m)に登ることにした。本来は北陸の山や山陰の大山等にも行きたかったが、コロナ再拡大等の関係で控えた。

そもそも伊吹山は長らく「気になっていた山」。

富士山同様、列車や高速路で東方との往復をする際に必ず目にする雄峰だが、無雪期を含め今まで行ったことがなかった(何故か富士とこの山の傍を通ると、どんな時間・状況でも気づくという、個人的に「強い気配を感じる山」)。故に、今日は初めての機会となったのである。


上掲写真 春めく麓の果てに聳える、雪の雄峰伊吹。帰路の車中より。


冬期ながら8時台で既に満車状態の伊吹登山口。2022年3月12日撮影

泥濘越え雪原へ

前夜借りた車にて朝出発し、約3時間弱で登山口前の駐車場に到着。節約のため下道で来たが、週末の朝の割に交通量が多かった。

また、噂通り駐車場も既に混んでいたが、ちょうど手前に1台分の空き(空いたばかり?)があったので、すぐ停めることが出来た。

まあ、登山口から離れれば他にもあるのだが、幸いであった。そして、準備して9時過ぎに駐車場奥の山林から山に入った。


伊吹登山口から1号目まで続く泥濘の道。2022年3月12日撮影
登山口からは、すぐに「悪名高い」泥の登山路が始まる。昔施された石敷きの道が荒れて水が滞留し、多くの場所で泥濘を成しているのである。滑って転倒しないよう、気をつけて進む


伊吹山登山路1合目にある旧伊吹山スキー場のゲレンデと雪。2022年3月12日撮影
山林内に続く泥濘の悪路を抜けると「1合目」の標識と共に、建屋ある開けた場所が現れた。旧伊吹山スキー場跡である。ここから雪が現れたが、山頂へのルートはこのゲレンデ跡に続くので、それを踏みつつ進む


旧伊吹山スキー場のゲレンデの雪上に続く伊吹山登山ルートの踏み跡。2022年3月12日撮影
ゲレンデ跡を登りゆくと程なくして一面の雪景色となった。積雪は50cm以上あるが、先行者が多いためその踏み跡をゆく限りはワカン(輪かんじき)やアイゼンは不要であった。しかし暑い。防寒グローブ(手袋)無しの素手でも可能なくらいで、Tシャツ1枚のみの登山者も幾人か見られた


旧伊吹山スキー場のゲレンデ上に現れた雪を戴く伊吹山頂と、そこへと向かう大勢の登山者。2022年3月12日撮影
何面かのゲレンデ跡を登り越えると漸く伊吹山頂の姿が現れた。それにしても人が多い。まるで春山のようである。さすがは著名人気の百名山・伊吹(私はこういう格付けに関心ないが)。冬でもこんなに人が多いのか。関西・中部・北陸の交点で交通至便なことも影響しているのだろうか


旧伊吹山スキー場のゲレンデから望遠撮影した、6合目から伊吹山頂まで点々と雪面に連なる登山者の姿。2022年3月12日撮影
山頂直下の登頂ルートを望遠撮影すると左下の6合目避難小屋から点々と雪面に連なる登山者の姿が見えた。やはり冬山にしては恐るべき人出である


伊吹山6合目避難小屋の脇から山頂へと続く、雪の登頂ルート。2022年3月12日撮影
そして6合目避難小屋着。これまでも傾斜が強い場所があったが、ここからは最も強い「核心部」となるので、アイゼン(靴底氷雪爪)を装着した


伊吹山6合目避難小屋の上に続く雪の急登。2022年3月12日撮影
6合目の小屋を出て急登に挑む。速度が落ちるためか人の密度も増す。ヘルメットにピッケル(斧頭雪杖)持ちの完全装備の人も多いが、チェーンアイゼン(滑止靴底鎖)に軽装という人も少なくない。大丈夫であろうか


伊吹山7合目付近の雪の急斜上から見た、下方や彼方の湖北平野と琵琶湖。2022年3月12日撮影

急斜只中にて

写真は6合目上の急斜(7合目?)から振り返って見た下方や彼方の湖北平野・琵琶湖(右上)。今日は基本曇り予報だったが、霞はあるものの何故か晴れたままであった。

ただ、ここまで高度を上げるとさすがに肌寒くなった。雪崩等に備えて上着(中間着)や防水グローブは付けていたので問題はないが、何故か倦怠や息切れ・腹痛が襲ってきた。

思えば3時間弱の車行と2時間の山行でまだ休憩をとっていなかったが(更に前夜睡眠4時間!)、その所為か。

これはまずい、急傾斜の只中なのに……。

これまで比較的快調であった進行速度は落ち、止まっては進むの繰り返しとなった。そして、一度踏み跡横の、僅かに傾斜が緩い場所に退避し、立ったまま数分休んだ。

すると体調がマシになり、また進むことが出来た。一時はどうなることかと思ったが、雪崩危険もあるため早く動けてよかった


伊吹山8合目付近の雪の急斜。2022年3月12日撮影
無理せず、しかし早く危険な急斜を脱すべく登坂を続け、やがて8合目辺りの最も急な場所に来た。先行者の姿(先頭)で判る通り、手をつく程の急斜である。今日は雪が緩んでいたのと踏み跡が段状になっていたのでストック(山杖)のまま進むことが出来たが、新雪や凍結の際は滑落防止のピッケル使用は必須に思われた


伊吹山8合目付近の雪の急斜。2022年3月12日撮影
仰角の画像では傾斜が判り難いが、断面的な横側を撮ってみるとその急斜ぶりがわかるか……(水準器搭載カメラにて)


なだらかな伊吹山山上の雪原。2022年3月12日撮影
やがて急斜を脱し山上へ。先程の険しさからは信じがたいが、伊吹山上はなだらかなテーブルランド(卓状地)となっており、山頂は緩やかな登りの先にあった。以前登った、同じく石灰岩質の鈴鹿山脈・御池岳に似るか


雪上にたつ伊吹山山頂の山頂標識と日本武尊像。2022年3月12日撮影
そして、程なくして山頂着。山頂標識(左)と伊吹山上の象徴的存在「日本武尊像」(右)が出迎え、それを証する。いずれも厳冬期は着雪・着氷してその姿が判り難くなるらしいが、今はプラス7度の気温のためこの通り。ただ、登坂時とは打って変わって風が物凄く、居られない寒さであった。なかなか丁度良い塩梅とはならないようである


伊吹山山頂から見た伊吹山地北方の雪山。2022年3月12日撮影
伊吹山頂からみた伊吹山地北方。左奥に滋賀県第2位の高さを誇る金糞岳(かなくそだけ。標高1317m)が微かに見えるが、何れもここ以上の冬山ぶりであった。まあ、有数の豪雪地帯なので当たり前ではあるが……


伊吹山山頂から見た南方は滋賀側山麓や鈴鹿山脈。2022年3月12日撮影
こちらは伊吹山頂からみた南方は滋賀側山麓や鈴鹿山脈。南北どちらも霞んでいるが、南の方が少々強めか


伊吹山山頂から見た南方は滋賀側山麓や鈴鹿山脈。2022年3月12日撮影

山上の休息

山上は広くなだらかで、長椅子などの設置もあったが強風により休めないので、登山者は皆冬季休業中の小屋の間にて昼食をとっていた。

私はせせこましい場所が嫌いなので別を探したが、無かったため、結局少し外れた建屋陰で昼食兼休息をとった。

屋根まで雪が迫るこれらの小屋は登山用というよりは遊山向け。実は、伊吹山には山頂裏までドライブウェイが通されているため無雪期には労せず遊びに来られる。

昔から気になりながら未踏だったのは、そういった遊園地的雰囲気を忌避したためである。よって、環境は厳しいが今回のように俗気がないのは本望であった。ただ、名物の稀少植物を見れないことは少々残念に思われた


伊吹山上から旧スキー場へと落ち込む急斜の雪面とそこを下る登山者。2022年3月12日撮影
伊吹山上から旧スキー場へと落ち込む急斜の雪面と慎重に下りゆく登山者

早く終えるも……

昼食後、すぐに下山を開始。

下りは6合目までの急斜でピッケルを使用したが雪質的にアイゼンがよく効き、安全かつ素早く下降出来た。ただ、陽射しと気温の所為か、最上部付近で小規模な雪崩発生を目撃したので、周囲への警戒に努めた。

そして、14時過ぎに駐車場着。休息を除くと4時間程の山行となり、途中難儀した割に早く終えることが出来た。麓の三之宮神社にも無事を謝す。

その後、神社前の洗い場にて最後の泥道で汚れた靴等を洗い、水分と栄養を補給して帰路に就いた。ところが……。

その先の至る所で渋滞に見舞われ、折角早く下山出来たのに結局18時頃の帰宅となった。まだ観光時期ではないが、急に暖かくなったので皆の外出が集中したからであろうか。

本来はこれを避けるためにも列車で行きたかったが、週末は登山口までのバスが無かったのである。

とまれ、山行及び苦手で慣れない車行を無事完了出来て何より。積雪期というより、雪質や気温条件的に既には残雪期の趣であったが、念願の伊吹登頂とその雪景堪能を果たせた。

また、飲水量の急増や体温調整の難しさなど、季節の変わり目特有の課題を改めて認識することも出来たのである。

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2022年03月05日

雲取難雪

京都北山・芹生奥の林道脇の樹に付けられたウクライナカラーの道標。2022年3月5日撮影

山には無関係ながら……

今日も先日に続きウクライナ・カラーを。

今日の記事とは直接関係のないことだが、孤立無援の現場で悪辣な利己主義暴力との戦いを強いられている彼の国の人々への連帯の意を込めて。

実は、この画像は特にその為に用意したものではなく、今回本当に道中偶然見つけたもの。山中の林道脇に付けられた古い目印であった。個人か何かの団体が取り付けた私的な道標とみられる。

奇しくも、そして折よく、こんな無縁の山中で繋がったウクライナ。こうしている間にも、現地では正に死闘を余儀なくされている。

そんな彼らへの支援と関心を忘れないようにしたい。これは彼らのみならず、我々の自由や平和のための戦いである。不正義を見逃し、社会を100年後退させるようなことを断じて許してはならない。


両脇に雪が多く残る京都北山・芹生峠。2022年3月5日撮影

一月振りの雲取山

さて、今日は一月振りに近場は京都北山の雲取山群(最高標高920m弱)へ雪中鍛錬に向かった。

市街から見る北山の雪も、ここ最近の温暖で殆ど消えていたが、彼の貴船の奥で京盆地北縁にある芹生峠(せりょう・せりうとうげ。標高約700m)には、写真に見る如く、意外にもこんなに雪が残っていた。ただ、路面には無いのでそのままノーマルタイヤの車輌で進めるかと思いきや……。


ノーマルタイヤ車輌の進入を未だ阻む、京都北山・芹生峠北裏のアイスバーン。2022年3月5日撮影
うーん、芹生峠の北裏からは、なんとアイスバーン状態となり、進めなくなってしまった。仕方なくここからまた歩いて山へと向かうこととした。前回よりまだ近い場所とはいえ、長い車道歩きをまた強いられることとなったのである。麓は春めいているというのに、やはり恐るべし京都北山!


50cmを超える雪で埋もれる、京都北山・芹生集落の旧芹生小中学校前の橋。2022年3月5日撮影
転倒に気をつけつつ府道を歩き、やがて芹生集落に着くとやはり雪が……。旧芹生小中学校前の橋には未だ50cm以上の雪が通行を阻害していた。勿論今日は雪目当てで来たが、集落に於ける雪の多さは意外であった


20cm程の雪で埋もれる、京都北山・芹生集落奥の林道。2022年3月5日撮影
その後、芹生集落奥の林道へと進むが、除雪範囲外のため、すぐに多量の雪に足を取られることとなった。まともな積雪は山頂直下辺りからと予想していたので、これも意外であった。林道の雪は厚さ20cm程だったが、融解の所為か、新雪の如く沈み易く、歩き難かった


京都北山・雲取山山中の三ノ谷分岐と残雪。2022年3月5日撮影
ワカン(輪かんじき)を履くのを我慢して歩き難い林道を進み、山頂下の登山口に続く三ノ谷分岐に到着。見ての通り、地面が露出した場所もあるが、この先、装備転換の適地がないため、ここにてワカンを装着した


京都北山・雲取山の三ノ谷と山頂直下へ続く谷との分岐部分と積雪。2022年3月5日撮影
分岐から三ノ谷の林道を北上するが、ワカンを履いてもあまり疲労は変わらず。やはり浮力を得難い雪質のようである。そして林道から別れ、いよいよ山頂直下に至る谷の入口となるこの分岐に到着。やはり雪が多い。一月前の自分の痕跡は疎か、ここ最近人が入った痕跡は全く見られなかった


京都北山・雲取山三ノ谷ルート上の山頂直下の雪の急斜。2022年3月5日撮影
気温が高めなため雪崩に気を遣いつつ谷を詰め、やがて山頂直下の急斜下に。林道から変わらぬ浮力のない雪に足を取られつつ進む。危険性を考えると早く抜けるべき場所だが、雪と急斜の所為で速度が出ない


京都北山・雲取山山頂と積雪。2022年3月5日撮影
そして、山頂着。見ての通りツリーホール(樹周穴)も見られたが、基本的には厚く雪が残っていた。また山上は風があり気温の割に寒かった。峠から2時間強かかったが、その内約三分の二が府道&林道歩き。雪が締まって楽にこれるかと思ったが、予想外に体力と時間を費やした。やはり山は侮り難い。まあ色々と対策や心積もりはしていたのではあるが……


京都北山・雲取北峰山頂と積雪。2022年3月5日撮影
雲取山山頂では休まず、そのまま稜線を北に進み雲取北峰(標高約915m)山頂まで移動した。ここも豊富に雪があり、未だ冬の姿そのものであった


雲取北峰山頂から見た、雪に覆われた比良山脈最高峰の武奈ヶ岳。2022年3月5日撮影
雲取北峰山頂から見た、雪を纏う比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。中央奥の鋭角の峰。標高約1214m。滋賀県西部)

難儀も鍛錬・経験
そして……


雲取北峰の風裏にて遅い昼食をとり、また元来た道を帰った。今日はワカンが効き辛い予想外の雪質に難儀したが、これも鍛錬のうち。結果、また山の奥深さを再認識する良い経験ともなった。

また、雲取山以北の山々も未だ完全な雪山景だったことも意外であった。

さて、今回も冒頭に関連し、以下を記して閉めたい。

ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年02月27日

雪中捜検

比良川河岸付近の山麓よりみた、山上に雪を戴く堂満岳と比良山脈の山々。2022年2月27日撮影

雪山の落とし物探し

今日も朝から雪山へ向かったが、今回は登山が目的ではなかった。

先月初めに隣県滋賀西部にある比良山脈の堂満岳(暮雪山。標高1057m)山行の帰路にストック(山杖・トレッキングポール)の一部を失くしたが、その回収に出向いたのである。

まあ、過日記した通り、恐らくは回復不能な故障があったので、回収しても使えない可能性が高かったが、放置して山のゴミにするわけにもいかず、早期の回収を試みることにした。

さて、ここ数日温暖な日が続き、今日も冬装備の無い車輌で麓まで急行できたが、平地より気温が低く、あの後また積雪が数度あった山中の様子は不明であった。

果たして、上手く回収できるや否や……。


上掲写真 比良川河岸付近の山麓よりみた比良山脈と堂満岳(中央の鋭角の峰)。今日は前回とは逆コースとなる、山頂右の正面谷から登って山脈鞍部の金糞峠に至り、そこから稜線を左に進んで山頂に至る道をゆく。即ち、前回落とし物をした下山区間を辿り、その探索を行う。


積雪ある比良山脈・正面谷駐車場上の林道。2022年2月27日撮影
前回同様、峠の凍結を警戒して朝遅めの時間に麓に着き、山に入る。この様に駐車場のすぐ上から積雪が始まるのは前回同様で、同じく途中で一部禿げた区間が現れ、それが終る辺りでアイゼンを装着して進んだ。


比良山脈・正面谷上部の青ガレ下部の雪原。2022年2月27日撮影
砂防ダム脇に付けられた林道が終ると、いよいよ見上げるような急登に。前回と雪の量は変わらず、踏み跡を辿る限りワカン(輪かんじき)が不要なのも同様であった。ただ、気温が高めのため、雪崩を警戒し、上方の異変や音に気を配りつつ進む(この日、近江西部に雪崩注意報は無し)


雪に覆われる比良山脈・金糞峠。2022年2月27日撮影
正面谷の急登を詰め、やがて金糞峠(かなくそとうげ。標高約880m)に到着。ここも、雪の量や質に変化なし。前回以降に降った雪は融け、前回同様、根雪部分が残ったのか。ただ、よく見ると若干新雪が覆っているようにも思われた


比良山脈・堂満岳山頂裏の雪の尾根や雪庇。2022年2月27日撮影
金糞峠西南の堂満岳山頂裏の尾根もこの通り。多くの雪や雪庇が健在。しかし、左右に注意しながら進むも遺失物は見つからず


雪で覆われる比良山脈・堂満岳山頂。2022年2月27日撮影
そして、間もなく山頂に到着するも、結局探し物は見つからず。雪に埋もれてしまったのか。それとも、そこそこ大きさがあり、目立つものなので、誰かが拾ったのか。麓のレスキュー小屋にでも問い合わせるか。仮に、誰かが収得し活用していても、ゴミになるより良いのだが……


吹雪に見舞われる、比良山脈・堂満岳山頂裏の雪の尾根。2022年2月27日撮影
山頂で昼食を済ませ下山を始める。本来は別路を採りたかったが、再度探すため同じ道を下ることに。ところが、山頂に着いた辺りから風が強くなり、帰路にはこの様に吹雪まで発生した。稜線付近の気温は-2度程だったが、身体を煽られるほどの風を伴ったので、忽ち手足が寒さで痺れだした。やはり、山は侮り難し


金糞峠下部、正面谷上部の青ガレ付近より見えた琵琶湖や沖島等。2022年2月27日撮影
金糞峠下部のガレ場「青ガレ」付近から見えた琵琶湖や沖島(左上)等

風と雪は収まるも

強風と吹雪の寒さに耐えつつ金糞峠から正面谷に入ると嘘の様に風と雪が静まった。その後、また雪崩を警戒しつつ麓まで下るも、結局、目当ての探し物を見つけることは出来なかった。

こうして昼食を覗く約3時間の雪中捜査は終了。仕方ない、成果はなかったが、鍛錬でもしたことにしよう。もし、小屋等への問い合わせが不調に終われば、雪解け後にでもまた再捜索したいと思う。

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2022年02月18日

山南深雪

樹々や路上共々多くの雪に覆われる比良山脈南端部の霊仙山・権現山登山口付近。2022年2月18日撮影

雪を求め、雪に阻まれる?

今日は友人と約束していた雪山日。

向かったのは京都市左京区北部に隣接する滋賀西部の比良山脈。当初は滋賀北部と福井若狭の境にある大御影山辺りを予定していたが、前日からの寒波と降雪で麓に辿り着くことすら困難に思われたため急遽変更した。

朝、京都市街から友人の車で出発するも、やはり、危惧通り市街地を抜け八瀬・大原の谷あいに入った途端に一面の雪景色となり、路上にも積雪を見る危うい状況となった。

乗せてもらった車は四駆に冬タイヤ装備なので、慎重に進めば問題なかったが、途中の峠や坂道で走行不能となった普通車やトラックによる小渋滞に遭遇し、所謂「雪中の立往生」の始まりを体験することとなった。

幸い停滞開始直後だったのでなんとか追い抜き脱出したが、こんな条件・場所での、備えを欠いた運転は、諸方危険なため止めてほしいと思った。

そんな状況のため、府県境の途中峠より更に北の標高の高い峠越えは断念し、比良山脈でも南端の、権現山辺りを目指すこととした。

なお、比良・権現山付近はこれまで多く紹介しているが、今回はいつもと異なり、比較的麓に雪の少ない東側から登ることとした。


上掲写真 麓にもかかわらず多くの雪に覆われる、比良山脈南端域の登山口付近。


多くの雪に覆われる比良山脈南端部の霊仙山・権現山登山口。2022年2月18日撮影

麓から雪深い比良南端へ

峠や坂道での雪の混乱を越え、比良南麓に達する。

栗原という集落から林道に入ったが、普段雪が無いことが多い路上に20cm程の積雪があり、白い水路を舟で進むように車で雪を分けて進み、写真の登山口で下車した。

登山口からも、まだ林道は続くが、雪が深いため最初からワカン(輪かんじき)を履いて出発。


多くの雪に覆われる比良山脈南端の権現山登山路(林道)と、その左横に残る古道。2022年2月18日撮影

途中の砂防堤辺りまでと思った林道は、意外と長くそして高所まで続く。林道とはいえ、雪が深く前夜の新雪も載っているため体力負荷が高い。

ただ、先行者が一人あったため少しはマシか。しかし、その踏み跡にはワカン等の装着を見ず、かなりの苦行を強いられている様に思われた。

写真の如く、進む林道(右)には所々山肌に深く掘られた古道(左)が併走していた。最近適当に通されたと思われた林道は、どうやらこの古道を踏襲して造られたものであることが判明した。

即ち、林道が古道と重なる区間を主に、かなりの部分の古道が破壊されたのである。地域の交通・交流史を知る上で貴重な手がかりとなるものなので、これ以上の破壊は止めてほしい。


多くの雪に覆われる比良山脈南端のズコノバン手前の権現山登山路。2022年2月18日撮影
古道を踏襲した林道は結局山頂直下の急坂始点「ズコノバン(標高約726m)」という鞍部まで続いていた。写真はその手前辺りの、道が尾根を巻き進む場所。完全な厳冬期風情で、氷点下数度の温度に風も生じて寒い


多くの雪に覆われ、吹雪さえ見える、比良山脈南部の権現山山頂。2022年2月18日撮影

ラッセル&吹雪の縦走路

ズコノバンからは高低差300m強の急登の尾根道を登り、権現山山頂(標高996m)に着いた。ここから主稜線をゆく山脈縦走路になるが、写真の通り天気が悪く、吹雪さえ観察できた。

今日の目標はこの先の稜線上の風雪退避地「小女郎ヶ池(こじょろがいけ)」だったので、アイゼン(靴底氷雪爪)やハードシェル(防風防水外套)を身に着け、とりあえず進むことに。


多量の雪と吹雪に霞む比良山脈南部・ホッケ山山頂。2022年2月18日撮影
進むのはいいが、権現山から北の稜線上には全く踏み跡がなく、正に「ラッセル(深雪作路移動)」を強いられることに。強い風雪の彼方に、権現山と小女郎ヶ池の間にあるホッケ山(標高約1050m)が見えたが、恰も北海道の山を見るが如き光景であった


いつになく巨大化した比良山脈南部・ホッケ山山頂際の雪庇。2022年2月18日撮影
ホッケ山山頂縁には名物の雪庇、しかも、ここ最近見たことが無いような巨大なものがあった。山頂へ行くにはこの際を通るので、注意して進む


比良山脈南部・ホッケ山山頂と吹雪に霞む権現山。2022年2月18日撮影
そしてホッケ山着。無雪期なら権現山から10分程で来れるのに深い雪の所為で40分もかかってしまった。風雪の彼方に見えるのは先程通過した権現山山頂(左奥)。しかし、風が強く、熱吸収の良い黒土に覆われたこの山頂には、やはり積雪は少なかった。雪庇形成との関係が興味深い。さて、同行者がこれ以上進めなくなったので、今日はここで引き返すことにした


比良山脈南部・権現山下から見えた、琵琶湖や雪の霊仙山。2022年2月18日撮影

霊仙山への寄り道下山

ホッケ山頂から元来た道を戻り、風雪を避けられる同山下の鞍部樹林にて昼食休憩をとり、下山を続ける。

終始天候が悪かったが、ズコノバン近くまで下ると、写真の様に晴れ間も見え始めた。そして同所からは元の道を下らず、右奥に聳える三角の山「霊仙山(標高750m)」を経て下山することにした。

一応、疲れ気味の友人の了解を確認したが、結構な登り返しとなりそうである。


比良山脈南部・霊仙山山頂直下の深雪の急登。2022年2月18日撮影
霊仙山はズコノバンから続く稜線上にあったが、最後はやはりこの様な急登となった。しかも標高の割に雪が深く、倒木等もあって登坂に難儀した


雪に覆われた比良山脈南部・霊仙山山頂。2022年2月18日撮影
そして霊仙山山頂着。ついでに登る程度かと思えば、意外と手強く、先月行った京都北山の地蔵杉山を想わせた。


比良山脈南部・霊仙山山頂からみた琵琶湖や沖島。2022年2月18日撮影
霊仙山山頂では一寸の雲(またはガス)の晴れ間から琵琶湖と、そこに浮く世界希少の湖沼定住島「沖島(中央大小の島。両島は低地て連繋)」も見えた。友人はもっと開けた眺望を期待したが、まあ仕方なし……


比良山脈南端部の霊仙山山頂からみた、吹雪に覆われる権現山とホッケ山。2022年2月18日撮影
比良山脈南端部の霊仙山山頂からみた、吹雪に覆われる権現山(左峰)とホッケ山(右峰)

最後はラッセル&雪の読図で

霊仙山山頂からは車を置いた登山口まで下る。ズコノバンから霊仙山までと同様、踏み跡はなく、またラッセルとなり、加えて微小な尾根を渡りゆくコース取りが難しい道となったため慎重に進んだ。

そして、読図通り、意図した位置の林道に下り、無事車まで帰れた。僅か一日の寒波再来で山や麓の様相が一変したのには驚いたが、有意義な山行・鍛錬をすることが出来たのである。

友人を始め、関係全てに感謝!

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2022年02月12日

比良雪晴

比良山脈麓の比良川河岸辺りから見た、雪を戴く堂満岳。2022年2月12日撮影

久々の全日晴天
雪と湖の佳景求め


先週末の寒波が落ち着き、晴れの日も続いて麓の雪も消えた今週末。また近場の雪山へと向かう。オミクロン・コロナの大流行に因り、人とも会えず、街なか等にも出難いからである。

ただ、途中が冬装備のない車行ゆえ、気温が低く路面凍結の恐れがある朝を避け昼前から登ることにした。山での遅出は、基本控えるべき行動だが、無理せず行けるところまで進み、短時間で済ませるつもりであった。

向かったのは隣県滋賀西部の比良山脈は堂満岳(暮雪山。標高1057m)。今日は久々に全日晴天との予報を聞いたので、山脈から突き出たその山上から、青空下の雪の連山や横たわる琵琶湖等の眺めたかったのである。


上掲写真 比良山脈麓の比良川河岸辺りから見た、雪を戴く堂満岳。寒波が来る度に、山は疎か、この辺りの山麓平地も雪に埋もれ難儀するが、今日は見ての通りの無雪・温暖の眺めで、寒さも感じられなかった。


まだほとんど雪がない堂満岳の表登山路・東稜道の標高400m以下の地点。2022年2月12日撮影
堂満岳の表登山路である東稜ルートの道。標高400m辺りまでは殆ど雪はなかった

温和な表登山路をゆく

開始は車道端付近の旧比良登山リフト乗場近くから。まばらに残雪のある土道を一旦下り、山裾の別荘街のようなところから山に入った。

途中、建屋傍で作業中の人に挨拶すると「良い天気で山上はさぞや良い眺めでは」とにこやかに声をかけられ、「確かに。ただその分、暑くなりそう」等と返す。

麓とはいえ標高250mの登山口で、誰もが温和を感じる珍しい冬日(とうじつ)といえた。そういえば、今日はまだ旧正月・松の内であった。


奥側が少し雪に埋もれる、堂満岳・東稜道の小池・ノタノホリ。2022年2月12日撮影
雪のない登山路を登り、やがて標高440m弱の場所にある山中の小池「ノタノホリ」を通過。水面が大半露出しており、雪で埋まっているのは奥側僅かな場所のみであった。春の兆しか。水生動植物の貴重な生息地であるノタノホリに古い人為痕跡があることは以前述べたが、その後の調べで、付近にあった戦国期城塞の飲用または防御施設である可能性が高まった


堂満岳・東稜道の標高530m辺りから始まる、雪の谷道。2022年2月12日撮影
ノタノホリからは山腹の植林帯を巻く道となり、やがて谷を登る雪の急斜となった。その手前にてアイゼン(靴底氷雪爪)を装着。植林帯の標高500mを過ぎた辺りから雪が深くなったが、踏み跡で固められていたため、ワカン(輪かんじき)は付けず。しかし、この場合、1s近いその重荷をザック(背嚢)から降ろせないことにもなるが……


堂満岳・東稜道の雪の尾根上から見えた山頂。2022年2月12日撮影
谷なかの急斜を登ると、やがて山頂に続く尾根上へ。ここはまだ緩やかだが、木立の背後に頂が現れ、これからの険しさと近からぬ距離を思い知る


堂満岳・東稜道の山頂直下の雪の急登。2022年2月12日撮影
緩やかな尾根から高低差230mを登り、山頂直下の急登下に至る。高さ100mの、見上げる程の斜面がはだかるが、今日の雪の状態ならピッケル(斧頭雪杖)無しでも危険なく登れそうである。ただ、見ての通りの晴天で、かなり暑い。手足がかじかまないのはよいが、雪崩を心配する


堂満岳・東稜道の積雪期の山頂下。2022年2月12日撮影

三拍子揃った好条件の山頂

山頂から人が降りてきたので、接触(相手もアイゼン装着の筈なので滑ってきたら危険)を避け、横に巻く踏み跡から側面に入るも、予想したつづらで登らず、浅いルンゼ(急斜溝)的急斜を直登していた。

一旦戻ろうかとも思ったが、面倒なのでそのまま進む。雪の状態と樹々により滑落の危険はなかったが、雪崩を恐れて早めに通過した。そして、山頂すぐ下にある写真の本道と合流し、ほどなく山頂に至ったのである。


冬晴れの堂満岳山頂からみた琵琶湖南部や比良山脈南部。2022年2月12日撮影
堂満岳山頂から、南は琵琶湖南部方面(左)と比良山脈南部(右)を見る。麓で会った婦人の予想通りの好天で、寒くなく風もないという、正に三拍子揃った好条件であった。冬季ここでこれほどの条件に恵まれることは滅多にないことだろう


冬晴れの堂満岳山頂からみた琵琶湖北部等の眺め。2022年2月12日撮影
こちらは同じく堂満岳山頂より北は琵琶湖北部等を見たもの


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く伊吹山。2022年2月12日撮影
同じく山頂から望遠撮影した湖北地方の名峰で名立たる豪雪地・伊吹山(標高1377m)


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く霊仙山。2022年2月12日撮影
こちらも同じく山頂から望遠撮影した、湖北地方は鈴鹿山脈北端部の霊仙山(同1094m)。伊吹山と共に、著名の積雪地・関ヶ原を挟む山だけあって、その雪量は遠目にも多そうであった


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く御池岳。2022年2月12日撮影
これも山頂から望遠撮影した、鈴鹿山脈中北部の御池岳(同1247m)。ここも雪が多そうだが、霊仙山と比べると少し減るように見えた


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く御在所岳。2022年2月12日撮影
同じく山頂から望遠撮影した、鈴鹿山脈中部の御在所岳(同1212m)。こちらはさすがに前者より南方だけあって、その雪量は少なく見えた(実際はそれでもかなり有るとは思うが……)


冬晴れの堂満岳山頂裏の雪の尾根道。2022年2月12日撮影

山頂裏から谷道で下山

山頂での昼食込みの長休憩のあと、下山行程へ。時間的に問題なさそうなため、帰りは更に進んだ谷から直に出発地へと下降することにした。

山頂西裏の写真の如き尾根を進み、一路、谷への下降始点である金糞(かなくそ)峠を目指す。この区間は雪が深いことで知られるが、今日は踏み跡と雪質に助けられワカン不要で通行出来た。

但し、踏み跡以外は踏み抜くことがあり、また大きな雪庇が残存していたため注意は必要であった。


冬晴れの堂満岳山頂裏からみた、完全な雪山景と化す釈迦岳等。2022年2月12日撮影
堂満裏からは、完全な雪山景と化している比良山脈自体の様子も間近に観察出来た。右の高嶺は比良北東部の雄峰・釈迦岳(1060m)


比良山脈の雪の金糞峠と彼方の琵琶湖。2022年2月12日撮影

峠名由来と広重取材説

やがて写真の金糞峠着。標高約880mのここから琵琶湖側に向かい一気に正面谷を下り、出発地まで下降する。

因みに「金糞」の名は、昔ここに製鉄で生じる鉄滓(カナクソ)に似た岩があったことが由来との話を、地元で取材・調査した山岳案内の記述で読んだことがある。その岩は昭和期に木材搬出のため爆破されたという。

また、歌川広重が(昔は安藤広重と習ったが)江戸後期にここの景色を浮世絵「近江八景・比良暮雪(縦版)」の題材にしたとの説がある。確かに一見似ているが、麓の左湖中に小山が迫り出すなど相違も多い。


雪深い比良山脈の正面谷と麓の近江舞子や琵琶湖・沖島・湖東平野等。2022年2月12日撮影
金糞峠から麓まで続く雪深い正面谷と麓の近江舞子や琵琶湖・沖島等

無事短時終了果たすも……

金糞峠からは青ガレと呼ばれる谷なかの難所を越えつつ進む。傾斜が強く、雪も多いため滑り易かったが、雪でガレ場が埋没していたため、比較的早く通過することが出来た。

本来は落石多発地として知られる場所で、早く通過した方が良いため助かった。実は登山口手前でストック(山杖)の1本が故障し、バランスの悪い1本のみの使用で少々難儀したが、何とか遣り過せた。

そして、ひたすら雪の谷道を下り、出発地に到着。ここで故障したストックの先2段分を失くしたことに気づく。山頂で最後の修理を試みたが、それ以降の下山時に、振動で抜け落ちたとみられる。

長年の酷使により、内部のネジが劣化し、もはや使い物にならない状態だったが、山のゴミには出来ないので、近々回収に行かねばならない。

とまれ、休憩を覗き、3時間程で山行を終了させることが出来た。予定通り短時間で近場の雪山と稀少な晴天景を堪能することが出来たのである。

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2022年02月05日

立春雪行

芹生峠下(南。貴船側)の雪の峠道。2022年2月5日撮影

新年初の貴船奥

オミクロン・コロナの大流行が続き逼塞を強いられるが、運動がてら、また鍛錬がてらまた近場の雪山へ向かう。

良からぬ世情が続くが、今年は寒さのお蔭で雪だけは豊富。まあ、本来これが普通なのであろうが、寒くもなく雪もない近年の冬とは異なる、個人的幸運であった。

向かったのは貴船奥の芹生(せりょう・せりう)雲取山群(最高標高920m弱)。昨年12月19日にそこで今季初の雪歩きをしたが、その後、雪の多さで、麓の貴船にすら車輌進入が叶わぬままでいた。因って、今日は気になっていた「ホーム雪山」への本年初の再訪となった。

しかし、先月下旬の大寒夜から明朝にかけての大雪以降は市街にほぼ降雪は無く、ここ数日比較的温暖な日も続いたので、車行でかなり接近可能と思いきや、何と残雪により峠下かなり手前で進出不能となってしまった。

恐るべし、京都北山。自宅から直線僅か10数キロしかないにもかかわらず、これ程世界が変わるとは……。

写真は峠への道。府道なので一応除雪されているが、見ての通りの雪国景。傾斜もかなり急なので、もはやスタッドレスタイヤでも走行は難しいかと思われた。

事実、途中1台車が通過したが、程なく慎重に後退りしつつ下ってきた。その上方にはやはりスタックした跡があり、登坂不能となったようである。

とまれ、そんな訳で、結局また、山にとりつく彼方から、ひたすら雪の車道を歩き、山へ向かうこととなった(笑)。


雪深い京都貴船奥の芹生峠。2022年2月5日撮影

滑り易き府道・雪深い林道延々と

転倒に気を付けつつ雪と氷の急坂を登り芹生峠(標高約700m)に至ると、写真の通り更に雪が深くなった。我が京都市左京区と同右京区の境、または古の山城・丹波国の国界だが、同じ京都市内とは思えぬ光景であった。


雪に埋もれる芹生集落。2022年2月5日撮影
芹生峠からも、同じく圧雪と新雪混ざる雪道を慎重に北へ下り、やがて芹生集落(標高約620m)に。ここもまた屋根上に50cm程雪が載る状況で、そして少々吹雪いてきた。上空の寒気の所為か、気温は-5度程。まだ雲取山の麓とはいえ、標高の高さと付近を覆う雪によりかなりの寒さを感じたのであった


芹生奥の雪の林道。2022年2月5日撮影
芹生集落奥から林道を進むと、すぐに20cm以上の積雪に見舞われ歩き辛くなった。ワカン(輪かんじき)が欲しいところだが、我慢して進む。踏み跡は古いものが薄く残るのみで、ここ数日以上通行は無いように思われた


京都北山・雲取山直下の支流谷への三ノ谷からの入口を塞ぐ倒木と深雪。2022年2月5日撮影

山頂下谷での装備訓練

そして、更に雪が深くなる三ノ谷手前にてワカンを装着し、三ノ谷林道を北上して雲取山頂直下の谷下に至る。漸く、登山口到達である。ここまで延々2時間近くかかった。

更に、早速写真の様な倒木とその上の厚い雪に阻まれ、先ずはその雪をかき落とすことから始める必要もあった。


京都北山・雲取山直下の支流谷の深雪。2022年2月5日撮影
雪を分け三ノ谷横の支流谷に入ると、今度はワカンを外してアイゼン(靴底氷雪爪)に、ストック(山杖)をピッケル(斧頭雪杖)に換えた。この様に雪深い谷の急斜面を巻き進むための装備で、訓練を兼ねたのである。気温はまた1段下がって-7度程となった。時折強い風が吹きおろし、寒い


強い風で雪が舞う京都北山・雲取山の山頂。2022年2月5日撮影
強い風で雪が舞う京都北山・雲取山山頂

上空の寒気と山頂

谷を詰めるにつれ、雪と傾斜が増し、動き難くなった。鍛錬のためワカンを外し、また三ノ谷以降は雪質が新雪化したこともあり、「1歩進んで半歩滑り落ちる」といった、苦行めいた歩みの末、漸く雲取山山頂に至った。

谷なかで想像出来たように、頂は強い風があり、時折雪も吹き付けた。気温も更に-9度程まで低下。今週末に南下した寒気は上空1500m付近で-9度との情報を報道で得ていたが、正にその通りの寒さであった。


雪深い京都北山・雲取山山頂の稜線。2022年2月5日撮影
昼時を過ぎていたが、寒風に因り休息出来ないため、更に北の雲取北峰まで進むことにした。その途中の広尾根では、この通りの雪深さが見られた


京都北山・雲取北峰山頂から見た雪山景。2022年2月5日撮影
そして比較的緩い起伏を進み、間もなく行きつけの休息場で、好みの頂の雲取北峰に到達

ここで遠くまで広がる雪景色を見つつ、今日最初で最後の休息・昼食をとった。時折、吹雪が襲うが、先程よりマシで、更に頂を少し下った場所に退避して寛いだ。

しかし寒い――。

器具の試験がてら調理して温かいものを食したが、その効果は待ち時間の冷えを解消出来るものではなかった。まあ、横着して上着を出さず、中着(撥水防風)と下着の二枚のみでいたので、仕方ないともえいるが……。


天候が回復し、陽が射し始めた、京都北山・芹生集落。2022年2月5日午後撮影
天候が回復し陽が射し始めるも、朝同様の積雪を保つ芹生集落

疫期究極の活動終了!

雲取北峰からは、また元来た道を辿り、高度を下げる。下りはワカンとストックのままで装備転換せず、瞬く間に林道まで下ることが出来た。

独り身に不安を煽る吹雪の音は止み、温度も上がって、弛緩と静寂の世界に変わったが、貴船近くまでの延々たる車道歩きが残っていた。まあ、それも仕方なし。その分、他人のいない静けさが得られるか……。

そして、芹生集落まで戻ると、陽が照り始めた。ただそれは、雪を融かす程のものではなく、朝と変わらぬ路上の難儀が待っていた。

その後、峠を越え、漸く出発点に戻ったが、やはり路面状況は変わらず。午後の融解を当てにして奥へ進まなくて良かった。帰りは急な下りとなるため、更にスリップや転倒等の危険が増すからである。

結局、最初に引き返してきた車以外、今日一日、山で人と遇わなかった。正に、感染力の強いオミクロン・コロナ流行期における、究極の「非接触アクティビティ(保健活動)」といえまいか(笑)。

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2022年01月28日

奧比良雪行

深い雪に覆われる蛇谷ヶ峰南西尾根。2022年1月28日撮影

蔓防の市街避け
また近郊雪中へ


大寒過ぎの寒さが続く日々ながら、雪の画像、温暖ならぬ話題が続き恐縮だが、今日また友人に誘われ山へ行った。

場所は、隣県滋賀西部の比良山脈北西部。近年、所謂「奥比良」と呼ばれる場所で(昔はそんな呼び方はしなかった筈)、その山域で最も標高の高い蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね。標高901m)であった。

隣県奥地とはいえ、我々京都左京区の住民なら、大原経由で北上すれば比較的近い場所。

存知の通り京都もオミクロン・コロナの流行により昨日から蔓防期間に逆戻り。前回同様行き場のない状況での体力づくり、鍛錬目的でもあった。

まあ、本来個人的には更に積雪や山体規模に勝る北陸の山や、山陰は大山等に小遠征したかったが、世情や諸々の事情により、お預けとなった。


上掲写真 深い雪に覆われる蛇谷ヶ峰南西尾根。雪のお蔭でルートではないこんな雪の尾根歩きも楽しめそうだが、雪庇の踏み抜き等には注意。


申し分ない雪に恵まれた朽木スキー場のゲレンデ。2022年1月28日撮影

朝、左京市街から車で北上し、大原を抜けて滋賀山間に入ってやがて旧朽木村域に入る。そこから比良山脈北西部を横断する入部谷林道という峠道を登り、写真の朽木スキー場に着いた。

ここの駐車場で車を停め、準備してゲレンデ脇から登山路にとりつく。駐車場の標高は既に440m。本来は麓近くから登りたかったが、ここ数日の好天で雪が無いことを考え、出発時から確り雪が載るここを選んだ。

登り始めに雪がないと、途中でワカン(輪かんじき)等を着脱せねばならず、面倒かつ余分な時間を費やす恐れがあったからである。

ところで、このスキー場。確か以前一旦廃業したような……。ところが今は比較的新しい施設や機材を擁していた。合併により朽木村から高島市に移管され、予算づけと共に改装復活したのであろうか。


朽木スキー場ゲレンデ脇から入る、雪の急斜の登山ルート。2022年1月28日撮影
さて、ゲレンデ脇を進み、その半ばから小さな谷に入り樹林の斜面を登る。積雪は申し分ないが、ここ暫くの高気温と踏み跡により雪が締まっていたため、急斜ながら難なく進めた。勿論、ワカン有ってこそ、ではある


小雪に霞む、比良山脈・蛇谷ヶ峰山頂北東の雪の尾根。2022年1月28日撮影
急斜を詰め尾根上に出ると、視界が悪くなってきた。というか、小雪が降り始めた。一応午前中に少し降る可能性があることを予報で知っていたので、気にせず進むが、気温がプラスの所為か、身が濡れ始めたのでハードシェル(防水上着)を着用した


小雪で視界が悪い蛇谷ヶ峰山頂と雪に埋もれる標識。2022年1月28日撮影
そして、山頂着。変わらず天候が悪く、ある筈の眺望も無し。また、少し風も出始めた。その所為で寒いのかと思えば、温度計が-5度程に。先程温度確認した尾根とは標高差は少ない筈だが、雪が寒気を連れてきたのか


小雪により殆ど視界が利かない蛇谷ヶ峰山頂。2022年1月28日撮影

荒天の頂から更に南へ

夏山と変わらぬ時間で山頂に着いたが、昼食には早く、また寒さで休息もとり難いため、更に縦走路を進んだ「滝谷ノ頭」という小頂まで行くことにした。

写真は蛇谷ヶ峰山頂付近から見た南縦走路方向。本来、方向の目安となる山脈本体は疎か、近くの地形すら判らない状態。スマートフォンアプリやGPSが無かった時代はルートロスが多発したであろう状況である。

とまれ、機器に頼らず、人に頼らず(踏み跡やテープ貼り等)、ただ磁針と地図を使い、確信を得つつ進む。これも鍛錬のうち。読図は語学と一緒で、常に行わないと鈍ってしまうのである。


蛇谷ヶ峰と滝谷ノ頭間に続く先行者の足跡ある雪の縦走路。2022年1月28日撮影
蛇谷ヶ峰山頂から変則的に支尾根を下り、主稜線の縦走路に出た。標高を下げた所為か、陽当たりに因るのか、積雪の割に雪が締まって歩き易かった。勿論、これも先行者の踏み跡及びワカンの効力が有っての話である


蛇谷ヶ峰と滝谷ノ頭間の稜線から見た、近江高島の平野と鴨川が成す白蛇のような眺め。2022年1月28日撮影

初耳・都市伝説?
蛇谷ヶ峰の新たな由来


主稜線を南下するうちに付近の視界が利き始めてきたことに気づく。いつの間にか、雪雲が去ったようである。

暫くして、友人が「白蛇が出た」と若干興奮気味に麓を撮影し始めた。それが、写真の景。確かに手前の雪原が逆さになった蛇の頭に見え、そこから上方は琵琶湖に向け蛇行する川(鴨川)がその胴体のようにも見える。

友人はこれが蛇谷ヶ峰の名の由来と聞いた旨を語ったが、個人的には初耳であった。本来同山の由来はその頂付近を源頭とする「蛇谷」とされており、その流れは蛇の頭に達する前に滝谷川という鴨川支流に合している。

もしこの由来が正しければ、蛇体を成す鴨川自体が蛇に由来する河川名とされる筈だが、聞いたことがない。確かに写真映えする光景だが、最近誰かが実しやかに語り始めた戯言・都市伝説のような気がしてならない。

近年、日本史学等で「わかり易いことには嘘がある」という戒めが発せられているが、これもその類か。

眼の前の風景に対して、どう感じ、何を言おうが自由だが、わかり易さ故に「事実化」し易いこうした「伝説」の安易な流布は、地域の文化や歴史の保全の為にも慎むべきだと思う。

特に影響力が大きな、自治体・企業の観光部署や山岳ガイド等が広めることを危惧する。

勿論「蛇谷ヶ峰に登ると蛇が見えて面白い」「夏の青蛇、冬の白蛇を観に行きたい」などと楽しむだけなら問題はない。むしろ、そこは地元の観光振興に役立ててもいいのかもしれない。

だが、そこから「これは蛇谷の神だ」とか、適当な由来を語る(騙る)などして、勝手な権威を付けしたがる輩が往々にして現れるのが、厄介といえよう(笑)。


蛇谷ヶ峰南にある雪に埋もれた滝谷ノ頭の山頂。2022年1月28日撮影
さて、縦走路を南へ進み、やがて滝谷ノ頭に到着。標高701mのなだらかな頂で、友人が標識を探すも無し。読図のみで特定したが、友人によるアプリ特定とも違いはなかった。元より地形図にないマイナーな山なので無い可能性がある。もしくは、背の低いものが雪に埋もれているのか。因みに、この山名は蛇谷ヶ峰と同じく、滝谷の源頭に当たるためとみられる


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粘り勝ちの好眺望

滝谷ノ頭は眺望がなく、風もあったので、蛇谷ヶ峰へ戻りつつ昼食場を探すが、結局天候が回復した山頂でとることとなった。

往復3km、高低差200mを経て戻ったが、見ての通り、嘘の様に眺望が回復しており、彼の「白蛇」の姿も難なく観られた。

先程テント泊装備の縦走者とすれ違ったのを最後に人と会わなかったので、著名な眺望が独占状態に。往路山頂に着いた際は何人かと遭遇したが、皆、荒天を悟り、早々に下山してしまった。

正に粘り勝ちか。少し進んで様子を見て正解であった。


蛇谷ヶ峰山頂から見た、頂部を雲に覆われる武奈ヶ岳。2022年1月28日撮影
蛇谷ヶ峰山頂から見た比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。標高1214m。中央奥)。頂部が執拗に雲(吹雪?)に覆われていたが、このあと少し顔を出した。こちらも、眺望や休息を諦めた人が多かったであろう

蛇谷ヶ峰山頂にてゆっくり昼食を摂り、その後元来た道を下山した。そして下山後は麓の温泉で冷えた体を温め、京都市街へと帰還したのである。

今日もまた良き雪景色を楽しむことが出来た。友人他、諸々に感謝!

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2022年01月15日

花脊塗雪

出発地・花脊峠への帰り途中に天狗杉付近で見た風紋ある雪原越しの夕空や京都市街。2022年1月15日撮影

コロナ避け寒さ活用

皆さん存知の通り今年は寒い。

とはいえ、これが本来の冬の姿なのだが、またしてもコロナ再拡大が始まり、一層逼塞を強いられる状況となった。

因って、仕方なく、という訳ではないが、今週末もまた人との接触が少ない雪山へ向かうことになった。ただ、今回はそうした状況や積雪の増加を考慮し、最寄りの花脊(はなせ。京都市街北郊)を選んだ。

時間的には隣県滋賀西部の比良山地でも大差なかったが、逆に雪が多すぎて中途撤収の可能性が高かったため避けたのである。


上掲写真 出発地・花脊峠への帰り途中に天狗杉(山名。標高837m)付近で見た風紋ある雪原越しの夕空や京都市街。写真では判り辛いが、中央上部に、市街に浮かぶ船岡山や彼方の男山・天王山に生駒山等が見えている。ここは京都盆地北縁の山上・尾根。言わば京都の屋根・梁であった。


雪に塗れ-2度の低温が表示される花脊峠。2022年1月15日朝9時台撮影
出発は彼の鞍馬最奥の花脊峠から。京都市街に近いながらも標高759mという近畿有数の高さを誇るだけあり、麓は雪が無いのに、この姿。市街から10数kmしか離れていないのに既に北国風情である。ただ、今日は比較的気温が高めで、本来は-7度程を覚悟していたが、同2度の穏やかさ?であった


花脊峠横の植林地から旧花脊峠に続く雪の登山ルート。2022年1月15日撮影
北山杉の植林地内に続く花脊峠横の登山路と先行者の踏み跡

雪の尾根踏み北方奥地へ

細く険しい峠道を冬タイヤ装備の友人車輌で恐々と登坂して峠に着いたが、そこからワカン(輪かんじき)等の雪道装備を身に着け徒歩行を開始した。目指すは尾根伝いの北方奥地。途中から未踏の場所となるため楽しみであった


花脊峠横の雪の広尾根から見た天狗杉山頂。2022年1月15日撮影
花脊峠横の広尾根から見た天狗杉山頂。山道に入ってすぐ雪が深くなり、しかも先日まで降っていた雪が融けていなかった為ほぼ新雪状態だったが、先行者がいたお蔭で比較的楽に進むことが出来た。標高はすぐに800mを超えたが、寒からず暑からずの良い塩梅。ただ、見ての通り天気が冴えない。午後から晴れ予報だったので、荒天にはならぬとは思うが……


天狗杉付近の広尾根樹間から見えた、白く雪を戴く比良山脈主峰・武奈ヶ岳。2022年1月15日撮影
天狗杉付近の樹間からは今日の候補地であった比良山脈の主峰・武奈ヶ岳(標高1214m)も見えた。付近屈指の多雪地、ここでこの雪量なら苦労すること必定か


厚く雪積る京都北山・天狗杉の山頂。2022年1月15日撮影
また登坂して、間もなく天狗杉山頂着。若い雑木林が広がるなだらかな場所。その名の通り、かつて天狗が宿りそうな大杉があり、その樹共々一帯が焼亡したのか……。由来を存知の人があれば、是非ご教示願いたい


雪に塗れる旧花脊峠の祠と大杉。2022年1月15日撮影
天狗杉山頂を過ぎてまた下り、やがて旧花脊峠(標高750m強)に到着。南の鞍馬山方面へと下る先行者の足跡とはここでお別れ。恐らくは、バスで花脊峠に入り、鞍馬駅から市街に帰還するのであろう。そういえば、峠の祠の覆いが新調もしくは修繕されている。打ち捨てられるものが多いなか、大事にされて何より


京都北山の花脊峠西の尾根上に続く半間程の窪み状の古道。2022年1月15日撮影
尾根上に続く半間程の窪み状の古道

尾根上に続く古道と新林道

旧花脊峠からは、祠裏の尾根上に続く半間程の窪み状の古道を進む。西にある高地集落「芹生(せりょう・せりう)」に向かう旧路と思われるもので、以前も紹介したが、我々はその途中から北に振る主尾根を進む。


旧花脊峠から北西に続く尾根上古道の新雪に沈むワカン履きの足。2022年1月15日撮影
旧峠からの旧路は当然ながら踏み跡がなく、深い新雪を進む重い足取りとなった。この通り、ワカンを履いていないかのように、しばしば足が沈む。場所により、その積雪は60cm以上か


京都北山の寺山付近の尾根の雑木林に続く雪に埋もれた林道とスノーシューハイカーの跡。2022年1月15日撮影
旧路は、やがて尾根下を巻いて併走していた林道と合した。近年造られた地図にない道で、尾根の頂を巻きつつ、またはそれを踏みつつ目的地方向の北へと続く。勿論、林道が避けた場所は古道が続いていたが、雪の深さと先の長さを考え、今日は労力が少ない林道を進むことにした。写真は広くなった尾根上の雑木林に続く雪に埋もれた林道と先行者の踏み跡。先行者は独りらしく、一応スノシュ―を履いていたが、その足労が偲ばれた


雪に埋もれる京都北山の寺山山頂。2022年1月15日撮影
山上の林道を進み、広尾根の雑木林の中に逸れて寺山の山頂(標高862m)に至った。頂といっても見ての通りの平坦で、その中で微高地を見つけ、樹に貼られたテープの書き込みを確認し、確定した。登山アプリのみを使う友人は、画面上の山頂とのズレを指摘するが、GPSの誤差範囲であろう。因みに寺山は花脊峠を越えた北にある別所集落の西にある山で、つまり、我々は集落西の稜線を北に向かって進んでいる形となる


雪に埋もれる京都北山の寺山峠。2022年1月15日撮影
寺山山頂からまた林道に戻って北上を再開し、やがて寺山峠(標高約807m)に到着。別所と西方、即ち雲取山塊や芹生集落を結ぶ道との交点である。先行者の足跡は我々の予定と同じく峠の更に北へと続いていた。しかし、思えば出発地から大して高低差がない楽な道程にもかかわらず、雪に足がとられ、思った以上の時間と労力を消費している


寺山峠北の林道上に開けた場所から見た花脊峠や天狗杉・寺山の山並みと麓の別所集落等。2022年1月15日撮影
寺山峠北の林道上に開けた場所から見た、来し方。奥の稜線の左低部が出発地の花脊峠、その右の高所が天狗杉である。我々は、それや右のなだらかな寺山の上を進んでここまで来た。時間は昼過ぎ。出発が遅れたので仕方ないが、4kmの距離に3時間もかかっている。今日の目的地はこの先の地蔵杉山(標高899m)だが、果たして行けるや否や……


京都北山の寺山峠から地蔵杉山方面に続く雪の林道。2022年1月15日撮影
京都北山の寺山峠から地蔵杉山方面に続く雪の林道

踏み跡なきラッセルに

同じく地蔵杉山に向かうとみた先行者は開けた場所で引き返し、そこから先は踏み跡の無い所謂「ノートレース」となった。

即ち、ラッセル(深雪作路移動)である。友人は浮力に勝るスノーシューを履いていたが、体力や時間を考慮し私が先行して進んだ。

変わらず林道が利用できたが、道が西へ振り始め日陰となったので、新雪の深さや沈みこみが増す。先行者の有難みを想ったのは言うまでもない。


京都北山の地蔵杉山山頂直下の雪深い樹林の急登。2022年1月15日撮影
地蔵杉山山頂直下の雪深い樹林の急斜

その後、林道が雪崩で埋まった区間等を慎重に、そして素早く過ぎ、地蔵杉山の北東背後に至る。

林道はその手前で突如途絶していたが、地図を読み道なき樹林をラッセルで巻いて山頂直下に取りついた。そこからは益々新雪が増し、急登と倒木にも難儀したが、貴重な近場の深雪を楽しみつつ進んだ。


雪に埋もれた京都北山の地蔵杉山山頂。2022年1月15日撮影
雪の急登を進み、間もなく地蔵杉山山頂に到着。見ての通り、見通しは全くなく、ただ樹に小さなテープ貼りがあるのみの山頂であった。本来はここで食事休息をとりたかったが、寒く、場所も狭い為、少し下った他所を探ることにした


雪に埋もれた京都北山の雲取山後峰の山頂。2022年1月15日撮影

雲取峠より帰路に

地蔵杉山からは友人の希望で更に西方の雲取峠(標高約877m)経由で雲取一ノ谷に下り、その途中から寺山峠に上って元来た道を帰還するルートを採ることにした。

写真は雲取峠手前で通過した雲取山塊900m超4峰の内、最北にある雲取山後峰(個人的呼称)の頂。ここから先は来たことがあるが、それまでは読図による進路判断が必要な場所であった。

紛らわしい尾根が多いので、慣れない人は遭難注意。


雲取山後峰辺りから見た地蔵杉山。2022年1月15日撮影
雲取山後峰辺りから見た地蔵杉山。梢と雪で見難いが、以前雲取山北峰から見た姿はこの通り。右手前の尖った山がそれである。


雪に埋もれた京都北山の雲取峠。2022年1月15日撮影
そして、雲取山後峰を下るとすぐに雲取峠に着いた。今日の山行で最遠・最後の目的地。遅くなったが風も穏やかなここで漸く昼食に。ただ、雪が深くマット敷でも沈むので立ったままの休息となった。最近新古購入した機器の試用を兼ねて湯を沸かしカップ麺を食べる。普段食べぬものだが、冷えた奥山では有難い熱源(カロリー)・温源(手先等の温め)となった


雪に埋もれた京都北山の雲取山山中の一ノ谷。2022年1月15日撮影
雪の雲取一ノ谷。雲取峠からは、所々沢水で地面が露出するという、また違った歩き辛さが加わる一ノ谷に下り、その中途からまた寺山峠に上った


京都北山・天狗杉山頂近くの雪の雑木林から見えた夕陽。2022年1月15日撮影
帰路の天狗杉山頂手前(西)で現れた雪原彼方の夕陽

日没の危機

寺山峠からはまた元来た道を戻る。全体的に下りだったことと、我々他の踏み跡により往路より速く進むことが出来た。

ただ、時間的に日没は避けられぬと判断し、先にヘッドライトを用意することにしたが、友人の不携帯が判明。ただでさえ眼が悪いのに、これでは準遭難判定である。雪の有る無し、季節気候の如何にかかわらず、忘れず照明を持参するよう。

因って、旧花脊峠から迂遠ながら夜目が利く車道に出ることも考えたが、なんとか間に合いそうになったので、往路と同じく天狗杉経由で花脊峠まで戻ることにした。


日没後急速に暗くなった、気温-2度標示のある雪の花脊峠。2022年1月15日撮影
日没後急速に暗くなった、-2度標示のある花脊峠

終了。多量の新雪に満足

そして、目論見通り、暗くなる前になんとか出発地の花脊峠に戻れたのであった。峠の温度計は朝と同じく-2度。昼間はもう少し上ったであろうが、著しく雪を融かす程ではなかったようである。

その後、朝よりかなり氷雪の減った峠道を車輌にて下り、京都市街へ帰還した。今日は思いのほか時間がかかったが、十分過ぎる量の新雪行を味わえて良かった。お疲れ様でした、諸々の人よ自然よ、有難う!

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2022年01月09日

湖北初登

雪原に立つ赤坂山山頂標識と、麓彼方に覗く湖西平野北部及び琵琶湖

今年初の山行

今日は今年初の山行を実施。所謂「初登り」である。

朝早くから友人の車にて向かったのは、隣県滋賀北西のマキノ。琵琶湖西北端に近い、家族向けスキー場で知られる場所だが、今日はその背後にある赤坂山(標高約824m)に臨んだ。

赤坂山は福井県敦賀から滋賀北西に続く野坂山地の一部。低山の範疇ながら、北陸に近いため比較的積雪が多い山地であった。

以前より、北陸方面への旅途の列車窓から、雪深い禿げた稜線を見て気になっていたが、今日誘いを受け初めて足を踏み入れることとなった。


上掲写真 雪原に立つ赤坂山の山頂標識と、麓彼方に覗く湖西平野北部及び琵琶湖水面(丘や平野の上)。そういば、野坂山地は最近人気の「高島トレイル」の一部でもあった。


マキノスキー場下から見た山や平野の雪景色
今朝、京都市街もかなり冷えたものの氷雪は全くなかったが、湖北・マキノまで来ると、さすがにこの通り。途中の滋賀でも北寄りの安曇川平野(高島市)まで平地に雪は無かったが、その後は湖岸に至るまで雪が覆う北国景となった。さすがは南北約60kmある琵琶湖の北端。時間もかかった分、最早北陸に達したと言って過言ではない


積雪に恵まれたマキノ高原スキー場。2022年1月9日撮影
積雪に恵まれたマキノ高原スキー場。北地にあるものの、標高が低いため長く雪不足に悩まされていたが、今季は上々のようである。訪れる家族連れ等も多く、既に駐車場も下段まで賑わっていた。コロナ禍と雪不足に悩まされた昨年分まで頑張ってもらいたいところ。そして、我々はゲレンデを通り、右奥の尾根から山に入った


マキノ高原スキー場奥の尾根上に続く踏み跡多い雪の登山路
マキノ高原スキー場奥の尾根上に続く登山路

古の海道残る雪尾根をゆく

尾根上のルートには既に今日以前の踏み跡が多くあり、また昨昼の高気温で比較的雪が固まっていたため歩き易かった。勿論、積雪量があり、踏み抜きや滑りごけの恐れがあるためワカン(輪かんじき)を履いて進む。


赤坂山への道の途中にある東屋。2022年1月9日撮影
赤坂山への道の途中にある東屋(あずまや)。よく積雪量の目安として写真が紹介される場所らしいので、敢えて皆とは違う角度から……

しかし天気が良すぎて暑いというか、こんなに雪だらけなのにプラス気温になっていた。

今日は京都市街で12度まで上がる予報が出ており、他所も上昇傾向だったので仕方あるまい。むしろ衣服調整すれば秋山同様の快適登行となる。

ただ、急激な温度上昇は雪崩の危険も高まる。しかし、事前に調べた地形・地貌等から、その可能性は極めて低いと判断。そして、そんな場所故か、意外にも登山者が多かった。


冬枯れの樹と雪のみの野坂山地の山肌。赤坂山への途上にて。2022年1月9日撮影
冬枯れの樹々と雪のみの野坂山地の山肌

赤坂山への道がある尾根上には半間程掘り込んで丁寧に造られた古道跡が現れ、登山路と重りつつ続いたが、この先の粟柄越(あわがらごえ)を経由して若狭湾に達する旧街道(海道)のものと思われた。


マキノ高原スキー場からの尾根道の果てに現れた雪深い赤坂山山頂。2022年1月9日撮影
終始暑がり、時に止まって汗を拭う同行者に合わせてゆっくり進み、やがて主稜線(中央)との合流直下に達した。ところが、ここに来て急に雲がわき、風も強くなって、一気に寒くなった。私はそれを見越した服装の為そのまま進めたが、同行者はまた全てを着ることとなった。そして、麓を含めこれまで全く姿が見えなかった赤坂山が漸く現れた(中央右2峰のうち右奥)


マキノ高原スキー場からの尾根道の果てから見えた山麓の平地や琵琶湖。2022年1月9日撮影
主稜線合流部直下の後方には麓の雪原や琵琶湖(中央右端)が見え始めた


赤坂山山頂から見た粟柄越等の県境稜線と麓の海津等の琵琶湖岸の雪景色。2022年1月9日撮影

赤坂山山頂とその北方

そして主稜線の鞍部・粟柄越(中央)を経て、写真の山頂景を得た。天候は時折陽が射すものの、ほぼ曇ったまま。京都市街と同じく「冬は晴れても午前のみ」という、日本海側と太平洋側気候の境界地的気象条件か。

そして水分か光線の関係か、晴れた麓の先で青々と広がる筈の琵琶湖(左上)が判り辛い。これは、今日個人的に最も残念とするところとなった。


赤坂山山頂から見た北方の三国山や明王の禿等の雪景
赤坂山山頂から北方は三国山(中央左。標高876m)や「明王の禿(右尾根上の岩場)」方面を見る。南北に続く主稜線は滋賀・福井の県境となっている。三国山は現在滋賀と福井美浜町・敦賀市の境界だが、かつては近江・若狭・越前の三国界であり、その名残りの名称。今は比較的簡単に来られるようになったが、やはりここは、本来我々山州(山城国)人にとって遠方・異域。それにしても、予報通りその先の北陸は更に雲が重く天気が悪い。行政界のみならず、正にこの辺りが気象境界ともいえるか。さて山頂では小休止のみとし、更にこの北方へと向かうことにした


野坂山地主稜線上にある「明王の禿」の奇岩と周囲の雪景色
赤坂山山頂北の雪原を下り、また少し上って明王の禿に到達。花崗岩の奇岩が多い場所で、東(右)の滋賀側は、それによる急峻な崖になっている。岩が陽の熱を伝えるのか、一部地面が露出していた


明王の禿から見た、南の細尾根や彼方の赤坂山等の雪景色
「明王の禿」より南は赤坂山(右上)方面を振り返る。ここに来る際、中央右の細尾根を一部通過したが、雪の状態や気象条件により注意が必要な場所であった。但し、右下に樹林経由の安全なルートもある


野坂山地・粟柄越南のなだらかな雪の稜線道

稜線南部・大谷山方面へ

明王の禿から更に三国山まで行くつもりだったが、止めて、粟柄越南の大谷山(標高813m)方面を目指すことにした。下山はその近くの寒風という小頂からの道を予定し、全体で輪を描くような道程を企図した。

途中、赤坂山山頂下の風を避けられる場所にて昼食をとり、その後、粟柄鞍部を越え、写真の如き雪の稜線を進む。数10mの上下が続くが、危険のない穏やかな稜線歩きで、スノーハイクには最適の場所に思われた。


野坂山地主稜線上の「オモテ」付近から見た「寒風」のピーク
赤坂山から南へ2km程進むと寒風の峰が近づいてきた(正面奥)。このルートは人も少なく雪も多いが、それでも先行者により踏み固められているため、歩行に難はなかった。勿論、ワカン履きの効能もあろうが……


野坂山地・寒風手前の雪の鞍部から見えた美浜湾と日本海
寒風手前の鞍部では初めて日本海を見ることが出来た。中央奥が美浜湾と思われ、左の半島裏に、以前同じく冬探索した三方五湖がある筈。とはいえ、琵琶湖同様、空との境界は限りなく曖昧であった。寒風の名の通り、この辺りは一部地面が見えるほど風が強く寒かったが、美浜から続く大きな谷と接しているため、気流の通り道になっているようであった


野坂山地主稜線上の小頂「寒風」東の雪原
寒風頂部東下の雪原。友人が標識を探すが、埋もれているのか、見当たらなかった。寒風は山の名を持たないが、標高は850mと、赤坂山より高い

寒風での決断

さて、寒風から大谷山までは1km程だったが、踏み跡がない歩き難さや既に15時前であったこととを考え、スキー場への道を下ることにした。ここから大谷山に入る人はあまりいないのであろうか。


野坂山地主稜線上の小頂「寒風」の東から見た湖西平野や琵琶湖・竹生島・安曇川平野・比良山脈等
寒風山頂東下辺りが今日最も展望が良い場所であった。この写真では判り辛いが、中央左の半島裏には琵琶湖に浮かぶ竹生島、同右には安曇川平野や比良山脈が見えた。ただ、見ての通り、下界晴天、此方曇天という、正に境界的光線条件ではあった


野坂山地稜線上の小頂「寒風」の東から見た、雪に覆われる北方の赤坂山や三国山等々
こちらも同じく寒風東下から北方を見たもの。中央彼方に白い赤坂山、その左奥に周辺の最高所となる三国山が見えた。こう見ると、かなりの距離を歩いたように感じられた


野坂山地主稜線上の小頂「寒風」からの分岐路を経て辿り着いたマキノ高原スキー場のゲレンデ
寒風からの急な雪道を延々と下り、やがてスキー場のゲレンデ上部に出た。あまり踏み固められていない所為か、歩き辛い道だったが、ワカンの所為で大いに助けられた。それまでは半ば不要だったと思いかけていたが、最後にその有難みを知ったのである


マキノ高原スキー場にある「マキノ高原温泉さらさ」
マキノ高原スキー場にある「マキノ高原温泉さらさ」

下山。身体暖め帰路へ

こうして、無事日没前の16時過ぎに麓に帰還した。その後は友人の誘いにより、スキー場内の温泉へ。そこで一日の疲れを流して身体を暖めたのち、マキノを後にしたのであった。

お疲れ様、諸々に感謝!

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2021年12月19日

雲取新雪

京都北山(丹波高地)・雲取山下の林道上に崩れ落ちる北山杉の積雪。令和3(2021)年12月19日撮影

京都初積雪翌朝

京都地方気象台によると、ここ京都市街で初雪が観測されたのは今月1日夜。平年より10日、昨年より14日早いという、19年ぶりの早さであった。

そして、昨日18日の朝、南下してきた寒波の所為で市内各所で降雪が確認された。市街東部の自宅ではその前夜に積雪を確認出来たが、夜の内に融け、付近の山々にその白さが残った。

今年の初雪は12月1日だったが、同17・18日は今季初の積雪「初積雪」とすべきか……。

とまれ、予てより近場での雪山個人鍛錬の再開の機会を窺っていたが、遂にその時がきた。ただ、昨日は時折雨が降るなど天候が悪かったため中止し、今朝向かうことにした。


上掲写真 貴船奥地・京都北山(丹波高地)の林道上に落ちる、北山杉梢の積雪。陽が出て穏やかな天候だったが、山中は昼でも氷点下の寒さのため落雪も水に成らず粉雪の状態であった。そして、それが更に陽光を受けて風に舞うと、恰も「ダイヤモンドダスト」の如き美しい姿となった。


雪の芹生峠。令和3(2021)年12月19日撮影

雪の北山へ

さて、向かったのは京都市街北部に連なる北山山地。早朝は市街でも凍結の恐れがあったので、明るくなってから車輌で進んだが、それでも岩倉等の北郊路上には若干氷雪が見られるなどした為、慎重に進んだ。

そして、賀茂川(鴨川)源流域の一つ「貴船」を経て峠道に進む。しかし、早くも路面が危うくなり、峠下のかなりの地点で車行を断念せざるを得なくなった。

まあ、貴船の麓でも氷点下の気温だったので、ここまでこれただけマシか。そして、その後、路面の雪を避けつつ、歩いて奥へと進んだ。

やがて辿り着いたのが写真の芹生峠(せりょう・せりう。標高約700m)。京盆地北縁の一部で、旧山城・丹波国界となる「城丹尾根」上にある丹波山地の入口であった。

なお、市街側となる表側(南)の路面積雪は少ないが、裏側(北)はスケート場の如き様が続いていたのは、いつもの通り……。


雪に覆われる芹生集落。令和3(2021)年12月19日朝撮影
そして峠から慎重に歩みを進めること約1kmにて芹生集落着(標高約620m〜)。周囲の山々共々すっかり雪に埋もれている。この集落入口の舗装路上にて派手に転倒。前もってストック(山杖)2本を用意し、滑り止めを備えた雪靴を履いていたにも拘らず。しかも全くの平坦地。山道でもまず転ぶことはないが、簡易計が-5度を切っていたので、低温と関連か。因みに、かなり警戒して臨んだ帰路も、やはり中央の古民家付近で転倒(笑)


雪に埋もれる旧芹生小中学分校跡地と旧校舎。令和3(2021)年12月19日朝撮影
芹生集落上手にある旧芹生小中学分校もこの通り。積雪は15cm程か


雪に埋もれる芹生から雲取山方面に続く林道とその上に続く獣の足跡。令和3(2021)年12月19日朝撮影
芹生集落を過ぎ、林道化した道を更に北の奥地へと向かうが、間もなく車の轍も消え、先行するのは獣の足跡のみとなった。積雪は少しづつ増す


雲取山三ノ谷から山頂に至る分岐部の積雪。令和3(2021)年12月19日朝撮影
更に進み、ここで林道と別れ、道なき雪の山中に入った。人は無論、もはや獣の跡も無し


京都・雲取山山頂と三ノ谷間の30cm程の積雪に沈む足。令和3(2021)年12月19日朝撮影
道なき山中では更に雪が増え、積雪は30cm程に。ただ、根雪のない新雪により底つきして比較的歩き易いため、ワカン(かんじき)は付けず


京都・雲取山山頂と三ノ谷間にある雪の沢沿いルート。令和3(2021)年12月19日朝撮影
山頂へと向かい傾斜が強まり、また沢上の斜面を巻くためアイゼン(靴底氷雪爪)を装着。危険な場所はないが、ピッケル(斧頭雪杖)が欲しい場面があったので、訓練兼ねて持参すればよかった、と後悔


京都・雲取山山頂と三ノ谷間にある、山頂直下の雪の急傾斜地。令和3(2021)年12月19日朝撮影
やがて山頂直下の急斜に至る。左側に以前無かった倒木群があり、上部からの流下が窺われた。しかし、日陰の為ひたすら寒い。いつもなら途中で外す羊毛帽も気にならぬ程。簡易計をみると-7度辺りを示している。ただ身体から近い場所に提げているので実際はもう少し低いか。纏いつく雪もその所為で身を濡らすことはなかった。近畿では珍しい優良な雪質である


新雪に覆われた京都・雲取山山頂。令和3(2021)年12月19日朝撮影

意外の山頂

急な雪面を、時に自在に、時に夏道の跡を辿りつつ登り、やがて陽当たりの良い写真の山頂に到着。京盆地北方・城丹尾根付近の最高峰「雲取山(911m。但し雲取北峰の方が少し高い可能性あり)」である。

このサイトではお馴染みの場所であるが、やはり、時季の最初はここに来たかった。しかし、芹生峠下での歩行開始から人は疎か車にも遭遇しなかったが、意外にも山頂には先着パーティーがいた。

恐らくは、麓までバス便があり登山口からの時間も少ない花脊別所(はなせべっしょ。鞍馬の北奥)からの往復であろう。一番乗りにはならず残念だが、片道6kmの長程歩行となったため仕方あるまい。

なお、山頂付近の積雪は40cm程。経験的にこの北が更に雪深くなることを知っていたが、今日は既にここまで来るのに時間を費やした為これ以上の進出は控えた。


京都・雲取山山頂直下から見た京都北山・丹波高地の雪景色。令和3(2021)年12月19日朝撮影
京都・雲取山山頂直下から見た京都北山・丹波高地の雪景色

山頂にて貰い物の苺大福と茶で小休止し、元来た道を戻る。本来はもっと早くに下山して当初誘われていた友人一家の外出に合流するつもりだったが、前述の道路事情等の所為で所要時間が増し、叶わなかった。

一応、それが予想可能となった貴船にて先に電話を入れて説明していたが、残念なこととなった。その代わりと言うのもなんだが、今季初の記念的新雪行を済ますことが出来たのは、個人的に一先ずの幸いであった。

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2021年12月12日

醐山子供会

醍醐寺の総門から東西に伸びる境内主路「桜馬場」の果てに建つ西大門(仁王門)の背後に覗く醍醐山。

初の子供山会開催

今日は朝から子供山会の引率で醍醐(だいご)へ。

醍醐は京都市東部の山科盆地南にある場所で、地下鉄も通っているので、京都市街中心からも比較的近場といえる。

醍醐といえば、その由来となった醍醐寺。今回はその背後にある醍醐山(454m)に登る。「山」といっても、山上に醍醐寺の飛地伽藍「上醍醐」があるので、ほぼその参道を上りゆくような道程である。

今回はいつもの山会(やまかい)ではなく子供主体の山行。以前から子連れ可能な企画の要望があったが、今日初めて実験的に行うこととなった。

参加者は3世帯で、1歳半弱の幼児から小学1年まで3人の児童を含む。整備された参道をゆく低山行とはいえ、果たして上手くいくのやら……。


上掲写真 醍醐寺(下醍醐)の総門から東西に伸びる境内主路「桜馬場」の果てに建つ西大門(仁王門)と、その背後に覗く醍醐山。


京都・醍醐寺・女人堂手前の紅葉。2021年12月12日撮影

朝、地下鉄駅で集合し、同醍醐駅に到着。そこから下醍醐の伽藍を経て上醍醐への登り口に向かう。

その距離は2km程なので、子供らの具合を見ながらゆっくり進む。一応小学生以外には背負子の用意があったが、興奮の為か、意外と乗らず(笑)。

以前は、この時期(拝観閑散期)なら西大門から真っすぐ境内を抜ける近道が採れたが、今は通年有料化したため境内を迂回する形で進む。しかし、写真の通り、そこで見た紅葉は意外と美麗なものであった。


京都・醍醐寺奥、上醍醐への入口となる女人堂と門前の紅葉。2021年12月12日撮影
下醍醐境内脇を山側の奥へ進むと、やがて上醍醐への入口となる寺院「女人堂」が現れた。ここで入山料を払い(小学生以下無料)、いよいよ山間に入る。上醍醐入山も以前は無料だったが、変更されたようである。女人堂は上醍醐女人禁制時代の名残り。往時は女人の結界であったが、今は無賃入山者の関門的存在となっていた


京都・醍醐寺奥から上醍醐へと続く山間参道。2021年12月12日撮影
女人堂から上醍醐へと続く参道。上醍醐への山間路は最初比較的傾斜の緩い道が1km程続くため、子供も特段文句を言わず


京都・醍醐寺奥から上醍醐へと続く参道途中に現れた旧行場らしき「不動の滝」。2021年12月12日撮影
しかし、修験時代の行場とみられるこの「不動の滝」を境に、道は無数のつづらを成して一気に高度を上げる。その前に、皆に休息を促しそれに備えてもらう。付近には丁度椅子のある小屋などがあり、正に適地であった


京都・醍醐寺奥から上醍醐へと続く参道途中のつづらの急坂に挑む、子連れ・背負いの山会参加者。2021年12月12日撮影
休憩後は一同つづらの急登に挑む。1歳児を背負うお父さんも頑張りどころ。まあ、そこまで幼い子は背負わざるを得ないが、その他の子は意外と頑張っている。実は今回最大の難所のここでむずかり進退窮まることを危惧していたが、杞憂に終った


京都・醍醐寺奥の山上にある上醍醐伽藍へと続く参道と上醍醐寺務所の門。2021年12月12日撮影
上醍醐伽藍域へ続く参道と上醍醐寺務所の門

上醍醐到達

高低差100m以上のつづらの急登を越すと比較的なだらかで真っすぐな登りとなり、やがて標高約400mの峠を越えて上醍醐伽藍に入った。


京都・醍醐寺奥の上醍醐境内の「醍醐水」の祠。2021年12月12日撮影
国宝の中世建築「清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿」等を観覧しつつ、小休止がてら、この名水「醍醐水」の祠へ立ち寄る。醍醐水は醍醐寺を開いた理源大師聖宝が発見した霊泉で、大師が最初に庵を営んだ場所という


京都・醍醐寺奥の上醍醐境内の「醍醐水」の祠で名水を汲む山会参加者。2021年12月12日撮影
醍醐水の祠傍には取水用の蛇口があり、補給用等の水を頂く。皆、入山料とは別にお賽銭を入れるなど、中々殊勝な心掛け……


京都・醍醐寺奥の上醍醐境内の「准胝観音堂」跡の傍に佇む微笑ましい姿の子育地蔵尊。2021年12月12日撮影
醍醐水脇の石段を上った先には、近年落雷で焼けた「准胝(じゅんてい)観音堂」跡の開けた場所があり、その脇には、子育地蔵尊なる微笑ましい姿の石佛があった。子供らもその姿に感じ入ったのか、自発的に手を合わせ始めるが、神道風の柏手になっていたのはご愛敬(笑)


京都・醍醐寺奥の上醍醐境内に残る平安建築「薬師堂」。2021年12月12日撮影
空地での昼食を済ませたあと、一先ず上醍醐の他の伽藍も参観。これは平安末期築の上醍醐最古の佛堂で、国宝の「薬師堂」。大陸風の剛健を感じさせる貴重な佇まいである


京都・醍醐寺奥の上醍醐境内にある「五大堂」。2021年12月12日撮影
薬師堂の次は豊臣秀頼再建の重要文化財「開山堂」等を経てこの「五大堂」へ。昭和の再建らしいが、中の佛画等が平安密教の雰囲気を良く伝えていた。毎年2月23日に行われ、大鏡餅の持ち上げ大会で著名な「五大力さん」法要と関連する佛堂だが、催事は主に下醍醐の金堂で行われている


京都・醍醐寺奥の上醍醐境内にある「五大堂」前の自然苔の上で寝そべる子供。2021年12月12日撮影
五大堂前の苔上(自然発生のもので立入制限のない場所)に寝そべる子ら

山頂代替で無事終了

本来は五大堂脇から近くの醍醐山山頂への登頂を予定していたが、倒木伐採を理由に道が封鎖されていたため叶わなかった。

かなり以前から伐採中のままになっているらしく、また五大堂裏からの道も全て柵等で塞がれているので、他の山域とも繋がる山頂自体への出入りを寺が望んでいないように思われた。

これも以前は問題なく山伝いにこれた筈。真意は不明だが残念な限り。せめて昼だけでも通行可能にしてもらいたいと思った。

仕方なく、今回はこの五大堂参観を以て登頂の代替とすることにした。ここの標高は445m程なので、醍醐山山頂に比して僅か10m程の不足となる。

さて、五大堂からは元来た道を下山。下りも特に問題なし。今日は温暖で、12月ながら比較的快適に過ごすことが出来た。

子らの頑張りや皆さんの努力・協力に感謝!

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2021年11月13日

市北奥山行

佐々里峠の紅葉・黄葉

またのお山で恐縮ながら……

今日は朝から友人の車に乗せてもらい、一路京都北の山間へと向かった。所謂「京都北山」と呼ばれる、丹波高地の一部域である。

そして車行1時間半程で到着したのが、写真の佐々里峠(ささりとうげ。標高730m)。その標高故かなり紅葉が進んでおり、路肩に多くの落ち葉が堆積していた。

山間とはいえ、結構な距離を北上したが、実はまだ京都市左京区の際。峠の向こう、即ち北側の日陰部分が旧京都府美山町で、現南丹市となる。

最近山の記事が続くが、今日は先週の野営会に来れなかった人の為の臨時的山会であり、自身の負傷再生の鍛錬でもあった。平にご容赦を……。


佐々里峠の北から灰野方面へと続く古道址の窪み

原生の秘境・演習林南縁をゆく

佐々里峠からは、以前廃村八丁を往復した道程とは異なり、峠北より始まる山道に入った。

今日は個人的に未踏の稜線であるこの京大演習林南縁高地を踏査し、八丁周辺同様の、原生林等との遭遇に期待した。

写真は佐々里峠から近い標高800m辺りの紅葉具合と尾根上に続く古道の堀込み。牛馬道と思われるが、灰野廃村方面との分岐で途切れたので、そこや演習林事務所、またはその北の若狭方面との交通路のように思われた。


佐々里峠と小野村割岳を結ぶ京大演習林南縁尾根上にある雷杉

稜線の道は灰野との分岐のあと不明瞭となった。踏み跡も薄いので、この先への入山自体が少ないように思われた。

それ故か、消防とライオンズクラブが立てた真新しい遭難防止の地点標が点在していたが、行先を示す文言は無いため自力での道程確認が必要に。

また、稜線路は灰野との分岐から東へ向きを変えた。上下が多いものの、然程高低差がないため疲労を感じる道程ではなかったが、距離が長い。

写真は途中現れた「雷杉」。落雷により幹が焼き貫かれた大木であった。


京大演習林南縁尾根の台杉の大木
これも、同じく京大演習林南稜線に現れた大木。所謂根元で枝が分かれる「台杉」の類と思われる。北山深部らしい植生


小野村割岳山頂と三角点
そして緩やかに高度を上げつつ東行し、小野村割岳という山頂に達した。佐々里峠からの距離は5km程、標高は931mであった。変わった名の山だが、字面からすると、昔争論の末小野村に割譲された山なのであろうか


光砥山山頂
光砥山山頂

近畿の背骨

小野村割岳のあとは、1.2km程先の光砥山という山頂まで進む。標高は本日最高となる951m。

演習林南縁尾根はここで終り、境界稜線はまた北寄りに方角を変え二つの三国岳(南が旧山城・丹波・近江国界、北が丹波・若狭・近江国界、即ち現京都・福井・滋賀府県境)に接する。

因みにこの境界は北が由良川水系、南と東が淀川水系(桂川及び安曇川・琵琶湖上流)との分水界となる。即ち、日本海と太平洋の分水嶺、本州近畿部分の背骨的場所に当たる。


光砥山山頂西の開けた休憩場所
光砥山辺りで丁度昼時となったが、山頂が狭く眺めも良くなかったので、境界から外れた少し西のここにて本日初の休息と昼食を行うこととした


小野村割岳・光砥山を源流にもつ早稲谷川沿いの林道
小野村割岳・光砥山南麓と広河原集落を結ぶ早稲谷川林道

道なきルート下り再度登坂へ

光砥山からは一旦下山することに。希望では最奥の地、三国岳へ行きたかったが、時間的・距離的に難しいので断念した。

本来北上を諦めた場合は元の道を返すつもりだったが、同行者が登山アプリ上の道程を勧めたので、そこから下山することに。だが、それは見通しが悪く踏み跡のない尾根渡りとなり、慣れぬ人には危ないものであった。

更に傾斜も強かったが、冷静に読図して(一応位置情報も稼働させていたが)写真の林道に出た。しかし登山アプリとはいえ、こういうルートを記載するのは事故の元。皆さんも、くれぐれも鵜呑みにしないよう……。


広河原の集落と紅葉
小野村割岳・光砥山を源流にもつ早稲谷川沿いの林道を下り、麓の広河原集落に出た。標高は450m程。山上とは違い、今が紅葉の盛りのようである


廃村八丁の東玄関・ダンノ峠の秋の夕景

広河原からは、車を停めた佐々里峠へ帰還すべく、また山中に入る。車道を進むのはつまらないという同行者の発案で、以前広河原から廃村八丁に入ったのと同じ道程を採った。

そして、林道終点から高度200m程のキツい急斜を進み、写真のダンノ峠に到達。そこには、穏やかな、秋の奥山の夕景があった。


佐々里峠南の尾根上から見た夕空下に続く丹波の山々
佐々里峠南の尾根道から見た、夕空下に続く丹波の山々

南稜線から佐々里峠へ

ダンノ峠からは、また稜線を上がり、八丁方面との分岐を経て佐々里峠南の稜線を進み、無事日暮れ前に峠に帰還。今回も緊急装備を揃えた重荷で臨んだが、以前負傷した膝への影響もなかったのである。

とまれ、お疲れ様でした。山や仲間に感謝!

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2021年11月07日

続2021秋野営会

太神山中の野営地付近の沢や樹々

意外の晴天と温暖

野営会2日目。

温度計の確認を忘れたが、前夜かなり気温が下がり、また参加者の鼾(いびき)で殆ど眠れず、朝方漸く少し眠れたため起床が遅くなった。

そして、天幕の外に出ると、意外の快晴が。昨夕から雲が多くなり明日月曜に向かい天気は下降する筈だったが、遅れ始めたようである。

お蔭で、その後気温も急上昇し、11月の山中とは思えぬ温暖となった。


上掲写真 太神山中の野営地付近の沢や樹々。


掘った翌朝の、澄み渡った太神山中の沢の露店井戸
さて、初日掘った井戸は如何。目論見通り、澄んだ水を湛えていたため、早速汲んで朝食の料とした。良く見ると水面に黒点があるが、恥ずかしながら、これは焚火ケトル(薬缶)で直に水を汲んだため器体の煤が浮いたもの。横着せず、杓で掬うべきと反省!


野営でのパン生地作り

挑戦!粉もの焚火調理

朝食後、参加者の友人が、何やら写真の粉ものをこしらえ、寝かせる。

しかし、気温が低いため発酵し難いと言うので、朝日の下を勧めれば、良い膨らみを得ることが出来た。


焚火で調理される手作りピザ
友が作りたかったのは、この手作りピザであった。持参のフライパンに乗せ、焚火の高火力で美味しく焼き上げようとする試みである。結果は成功で、大変美味しく頂けた。自家製のバジルやコリアンダー等の薬味もいい。特に生地の仕上りが秀逸で、強いて言えば、熱が回り辛い上部の加熱が課題となった。昔行った七輪ピザのように網だけなら上部にも良く熱を回せるが、焚火は煤防止のため、どうしても鉄板越しとなるためである


秋の淡い夕陽を受けて白光りする太神山中の沢
秋の淡い夕陽を受けて白光りする太神山中の沢

季節進むも有意義に

試みのピザを食し、また別の昼食も平らげて野営会は終盤に。人手も少ないため、すぐに片付けに入り、いつも通り完全に痕跡を消して撤収したのであった。

今回は延期により遅めの開催となり夜の寒さも増したが、有意義に終えることが出来た。関係皆さんに感謝!


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2021年11月06日

2021秋野営会

太神山中の好天の陽に照らされる滝水

霜月代替野営

例年10月半ばに行う秋の野営会。今年も先月半ばを予定していたが、荒天のため延期に。そして、今日がその代替日となった。

気温の関係から11月の開催を案じていたが、幸い今日は季節外れの温暖に恵まれる好日となった。

丁度、新型コロナ感染が激減した砌(みぎり)とはいえ、その継続や都合により参加者は少なくなったが、良い開催日を迎えることが出来た。


上掲写真 恒例の野営会開催地・太神山中の好天の陽に照らされる沢水。


太神山中の野営地に張ったテント
朝最寄り駅で集合し、麓の店で食材買出しを行い山に登り、野営施設を設営。予報通り、陽が高くなると共に気温も上昇し10月同様の陽気となった


太神山中の野営地傍の河原に掘りつくった井戸
いつもと変わらず竃や洗い場等の施設を構築するが、今回はその他この様な井戸を設けた。近くの沢の中洲に掘ったもので、飲料水を汲む為のもの

いつもは沢水を汲み沸かしているが、生水を飲む人や子に与える参加者もいるため、安全のため実験的に設けた。元来沢水は野獣糞尿による感染症の危険があり、また近年温暖化による寄生虫生息圏の拡大問題もあるため、以前から試したかったのである。

また、前回見たように、マナーの悪い野営者が増えているので、その影響を警戒した、という事情もあった。

井戸を掘った直後は濁りが酷かったが根気よく汲みだして水を入替え、やがて清水が溜まるようになった。明朝辺りには実用的水質となるか……。


太神山中での焚火により調理中の野営地の竃
前回新参野営者に破壊されたと思った炉(竃)は、ほぼ無傷で残存していたので、比較的容易に再構築することが出来た。正に不幸中の幸い。今回来れなかったが、以前共にこの炉を改修した友も喜ぶであろう


夜の太神山中の焚火
そして夜の寛ぎ時間。夕食後に於ける、焚火を囲みながらの、晩酌・談話のひと時である


太神山中の野営地付近の夜景
夕方から少し雲が出て、夜更に増えたが、予報通り、天候の大きな崩れはなさそうであった


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2021年11月03日

紅葉試登

比良山地・武奈ヶ岳の登山口となる、葛川明王院の参道に散り積る黄葉

紅葉の山へ試験登行

今年も、はや11月に入った。

先月10月23日に近畿地方で木枯らし1号が吹き、もはや同月前半のような30度前後の夏日は失せたが、それでも比較的温暖な日が続いていた。

祭日の今日も、そんな好日が期待出来そうなため、奥黒部での怪我で医師から止められていた山行の再開日とすることとした。

向かったのは、隣県滋賀西部の比良山脈最高峰「武奈ヶ岳(ぶながたけ。1214m)」。当初は雷注意報と午後からの一時荒天予報もあったため近場の大文字山等にしかけたが、丁度1000m級の山の紅葉時期でもあるので、その具合確認のためにも変更した。

勿論、そんな怪しい空模様等のため、低山とはいえ装備は日帰り用のフルセットで出動。ただ、怪我明けで、午後から来客やその後の約束もあったので、短時間にとどめるつもりではいた。言わば、リハビリ明けの試験登行といったところか。因って、独りで、さっと往復することにした。


上掲写真 比良山系の主峰・武奈ヶ岳の登山口となる、葛川(かつらがわ)明王院の参道に散り積る黄葉。


葛川明王院前の明王谷にかかる三宝橋と黄葉
武奈ヶ岳麓の坊村集落からこの赤い三宝橋渡って明王院境内を抜け、10時半頃より登り始める。この道程は所謂「西南稜ルート」と呼ばれる主路で、昔山会で通った道だが、いきなり急登で始まりそれが延々と続く。ところが、乗っけにストック(山杖)を忘れ、取りに戻ったため、いきなり10分程のロスを出す失態を犯す。まあ、気付くのが早かっただけマシか。とまれ、麓の紅葉はまだ始まったばかりのように思われた


比良山脈・武奈ヶ岳西南稜ルートの標高850m付近の尾根の黄葉
足下の悪いキツい傾斜が容赦なく続くが、休まず高度を上げ尾根上に出ると、この様な秋風情が。標高は850m程。三宝橋が同300m程なので40分程で550mを稼いだか


比良山脈・武奈ヶ岳西南稜ルート
そして更に進み、麓から80分程で標高1120m程の灌木の稜線に出ると更に鮮やかな紅葉が現れた。ただ、見ての通り雲が多く、タイミングにより光量不足となった


武奈ヶ岳山頂の標識と寛ぐ登山者
そして山頂着。麓から丁度1時間半程かかり、900m以上の標高を稼いだが(積算標高は1035m程)、その時点では膝に支障はなかった。それにしても人が多い。昼時とはいえ、かなりの多さである。写真は少ない時を狙って撮ったが、本来は撮影待ちが出来る程であった。そういえば、登りの最中も最初から最後まで多くの個人・ペア・パーティーがあり、50人以上に道を譲ってもらったような気がした


武奈ヶ岳山頂から見た、東方の広谷の天然林や釈迦岳等の紅葉と背後の琵琶湖

山頂にて初めて休み、水を口にした。そして、昼食がてら山上の紅葉を暫し観賞。写真は、山頂東の、広谷の天然林(標高950m前後。左)や釈迦岳(同1060m。左奥)等の色づきと後背の琵琶湖。美麗だが、標高1000mを超える場所は既に冬枯れが進んでいるようであった。


武奈ヶ岳山頂から見た、東方は広谷の天然林の紅葉・黄葉
同じく、広谷部分を拡大。広谷も以前山会で通過したことのある良地。広葉樹と台杉の程よい混合ぶりが特徴的で、魅力でもある。また時間をとって、じっくり散策してみたい


武奈ヶ岳山頂付近から見た、西方は丹波高地の紅葉・黄葉
こちらは同じく武奈ヶ岳山頂付近から見た西方は丹波高地の紅葉具合。標高が1000mに満たないので、天然林がある場所は良さげに思われた

試験終了。治癒経過は

さて、30分程にて武奈ヶ岳山頂を後にした。途中、また写真や動画を撮ったりしたが、無事1時間強で下山することが出来た。

肝心の膝の具合だが、さすがにツェルト(携帯テント)等の非常装備を含む重荷だったので下りでは少し負荷を感じた。しかし、あと少しの期間養生を心がければ完治するように思われたのである。

こうして試験山行は終了し、その結果、治癒具合は良好との判断を得た。

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2021年09月29日

奥黒部独錬行(下)

秋の朝、三俣峠から見上げた三俣蓮華岳山頂
【注意】山行2日目の水晶小屋通過後にカメラが故障したため、以降は電話(スマートフォン)による低画質撮影

稜線ルート採りつつ帰路に

今日は秘境・奥黒部山行の最終日。一応予備日含め4日を用意していたが、天候や体調も何とか持ち、欲張った当初の予定もこなすことが出来たので、3日目で下山となった。

しかし、結局前夜もよく眠れなかった。標高2550mの高地にある野営地の気温は最低2度まで下がったが、風を避けられる立地と、昼間が温暖な影響もあり、暑ささえ感じたのである。また、温度調整がし辛い、古い寝袋を使っている関係も考えられた。

初日同様ただ横になって休み、一応4時半頃起床して天幕内で朝食や整頓を済ます。しかし濡れたテントの片付けに手間どり出発は6時過ぎとなった。案じていた前夜の雨はあれで止んだが、結構降った為しっかり濡れていたのである。そのため、軽くなった筈の荷物が気分的にも重く感じられた。

野営者は殆ど出発していたが少なからぬ小屋泊の人らが登山道に続く。今日は初日の道を戻り麓に下る予定だが、往路巻道で省略した稜線路を進むことに。そこには三俣蓮華岳(2841m)と双六岳(2860m)という著名峰があり眺めも良いが、巻道より高度と時間が余分に増す遠回りであった。

昨日までは体調の関係で、巻道を行くつもりだったが、意外に上下があり足場も悪いあの道をまた辿ることを厭い、また、知らぬ場所観たさのため急遽変更することにした。

濡れたテントを含む全荷物を担いで早速登坂をゆくが、意外と息が続く。3日目にして高地に順応したのか、または体調が改善したのか……。

写真は野営地から高さ200m程登った場所にある三俣峠(2750m)から見上げた三俣蓮華山頂。巻道はここから左へ下るが、今回は山頂とその後方に続く稜線に挑む。


朝焼け残る三俣蓮華岳山頂とその標識
三俣峠から高度85m程の急登を上り、やがて山頂に到着


三俣蓮華岳山頂からみた、紅葉に色づく秋の装いの黒部五郎岳
三俣蓮華岳山頂からみた黒部五郎岳(2839m)。植生の濃さと火山地形らしき山容が特徴的である。深まりつつある秋の色合いも良い。ルートから外れているため今回は行かなかったが、機会あれば是非訪れたい山である。三俣蓮華山頂は個人的に黒部五郎の最良の観察場に思われた


三俣蓮華岳山頂より見た雲ノ平と背後の薬師岳
こちらも、同じく三俣蓮華岳山頂より見た雲ノ平(中央)と背後の薬師岳。さらば最奥の秘境。またいつの日にか、見(まみ)えん……


ピーク2854付近から見た双六岳山頂と稜線ルート
野営地からの出発が遅くなり、また、遠回りの道程を選んだため先を急ぐ。稜線とはいえ、道自体は上下左右しつつ続く。そして大きな登り返しを過ぎると、一先ず目指す双六岳山頂が見えてきた(写真中央上)


曇天の双六岳山頂とその標識
やがて双六岳山頂着。高度100m程の登り返しが負担だが、昨日のように止まることなく進めた


双六岳山頂直下の広尾根越しに見る槍穂高連峰を背景にした不思議な眺め
標高2800mを超す高所だと何処も眺めは良く、却って特色がなくなるが、双六岳の場合は山頂直下のこの広尾根に特色があった。見ての通り、槍ヶ岳を中心とする槍穂高連峰を目の前にした非常に印象的で不可思議ともいえる景色が現れた。今回同じ道程を辿り顔見知りとなった女子から後で聞いたところ、初日の鏡池同様の著名撮影地らしい。確かにフォトジェニック(写真映え対象)というか、異国的光景でさえあるように感じられた


双六岳の広尾根端から見た双六小屋
フォトジェニックな双六岳の広尾根は1km程も続き、やがて双六小屋がある鞍部(中央)へ向かう急下降の道程に。左下の緑ある台地は巻道ルートとの分岐箇所、右上の峰は槍ヶ岳と接続する樅沢岳(2755m)である


双六小屋・弓折乗越間の稜線路からみた、雲に呑まれる鏡平

帰りも辛い双六・弓折の稜線路

双六岳を下り、双六小屋を経て更に下山行を進める。余力があったため小屋では水補給のみ行い、最初の大休止は次の鏡平山荘ですることにした。

しかし、この双六小屋からの新たな稜線歩きがキツかった。全体的な高低差は100mもないのだが、数10m単位の上下が連続して50分程続く。この区間は行きも辛かったが、帰りも同じであった。

そういえば今日は朝から雲が多かったが、更に天気が悪くなり、周囲の山々が見えなくなった。稜線下に現れた鏡平も雲に呑まれて写真の通り。


北アルプスの峠・弓折乗越から見た、雲が晴れて現れた鏡平と紅葉する樹々
と思いきや、尾根道上の下降始点・弓折乗越(ゆみおれのっこし。2550m)に至ると、また雲が晴れて視界が開けてきた


雲間の槍ヶ岳を「逆さ槍」として映す鏡平の鏡池
そして弓折乗越から高度差300m近い下りを20分強で下り、槍ヶ岳が逆さに映るこの鏡池で著名な、鏡平に到達

女神降臨!

鏡平山荘では奥黒部で顔見知りになった女子と遇い、同じく稜線ルートで下った旨を聞く。行動が速い彼女は暗い内にテント場を出たらしく、私が6時過ぎに出た話を聞くと、歩くのが速いと言う。しかし身体的実情は情けない限りで、しかも出発の遅れを行動で取り返す悪例であると返した(笑)。

時間は10時過ぎ。長時間歩き、下りも急だったので、鏡池で休むつもりだったが、弓折乗越で少し休んだので、小休止のみで進むことに。しかし、ここで一大事発生。

昨夕野営地で洗い、背嚢上に括り乾かしていたシャツがなくなっていたのである。それは山用で、安い時にクーポン込で実験的に買ったものだが、まだそれ程使っておらず、根本高価なため買い直しも難しい物であった。

しかも、標高が下がり、陽も高くなって気温が上がってきたので、今着る羊毛シャツから着替えようとしていたところでもあった。軽量化のためそれ以外のシャツを持参しておらず、その点からも困ることになった。

こんな事にならぬよう、都度注意して進んできたが、樹林まで下降した油断の隙に灌木に引っかかったか……。いつもは首裏の輪等にカラビナ(連結具)通して対策するのだが、今回のシャツには通す場所がなかった。

仕方がないので、一先ず鏡池前の長椅子に荷を置き、空身で一路上手に向かう。山荘前を過ぎると弓折乗越で話した人が下ってきたため、訊いてみると、正しくシャツを見つけ対処に迷ったが、結局そのままにしたとの答えが。確かに安易に触れまい。場所を問うと、かなり上方だという。

数100mの急登を登り返しか……。その労力と共に、時間損失にも気が重くなった。下山予定時間は15時半過ぎ。しかも、それは5時出発の場合であった。実は、麓から車行2時間で達する自動車道が20時で施工封鎖されるため下山の遅れを心配していた。恐らく間に合うとは思うのだが……。

とにかくこのままだと山にゴミを残すことにもなるため、意を決して進むと、木道を進む一人の可憐な女子が。大きな荷を背負い、同じく急坂を下ってきたようで、浮かぬ顔の私に対し、にこやかに挨拶を掛けてきた。

奥山で遇う一輪の花の如きその様に慰めを感じつつ挨拶を返し、すれ違おうとした瞬間、なんと彼女の背嚢横に件のシャツが。訊くと、落とし物として途中で回収し小屋に預けようとしたとのこと。

一応洗ってあったが、他人には窺い知れない生乾きのシャツを、このコロナ禍の最中に拾い届けてくれる人がいるとは――。しかも、若い女子!

正に女神降臨であった。

厚く礼を述べシャツを受け取ると、先方も「早く持主に戻って良かった」と喜んでくれた。そして、山荘の露台で喫茶休憩を始めたので、お礼の飲料代を渡そうとした。しかし、頑なに受け取ってもらえない。

「良いことをした人は報われるべき」などと私が言うも、「山の人間同士ということで」などと返され、最終的に諦めることに。代わりに、次は私が山で良いことを行うと彼女に約束したのであった。

その遣り取り中に判明したが、実は彼女は雲ノ平で働く人で、三俣で一泊しつつ下山中とのことであった。なるほど、その公共心は職業柄ともいえるが、この時世に濡れた衣服を平然と回収出来るとは矢張り大した人に思われた。そしてそんな彼女が関わる雲ノ平に行けたことを嬉しく思った。

こうして、突如降臨した優しき山の美女・雲ノ平の雲子さん(お名前不詳故の仮敬称。失礼!)のお蔭で無事大事は解消されたのである。


鏡平からひたに続く下り道の途中見えた下丸山や中崎尾根、そして最奥の穂高連峰
鏡平からひたに続く下り道の途中見えた下丸山(中央の小山)や背後の中崎尾根、そして最奥の穂高連峰

鏡平からの大下りとワサビ平での一息

鏡平で休む雲子さんと別れ、下山を再開。順調に進むが、長時間の歩行と足下の悪い急な下りで足が痛んできた。特に昨日雲ノ平で負傷した膝が悪化しているようである。昨夕沢水でもっと患部を冷やすべきであった。


小池新道の起点となる左俣林道の橋の袂と鏡平方面の山々
そして、登山道(小池新道)の終点に至り、新穂高温泉へと続く林道に合流。振り返って山を見るも、もう奥黒部の山々は疎か、鏡平さえ見えなくなった。少々寂しい。しかし緊張を要す稜線や山岳路からは解放された

濃密なブナ林の中に続く林道を進み、15分程でワサビ平小屋に到着。ちょうど12時半頃だったので今日最初で最後の大休止かつ昼食時間をとった。

行きも紹介したワサビ平小屋は林道沿いながら、森に囲まれた好立地。小屋前の林道際には清冽かつ安全な小川もあり、冷たいその水で痛んだ足を冷やしつつ昼食を摂ることが出来た。

先程の大下りで話した一人は、私同様新穂高に車を置くも、下山後すぐの長時間運転は辛いので、ここで1泊して帰るという。確かに良い方策である。私も機会あればゆっくり訪れてみたい。


新穂高温泉の蒲田川橋上から見た、左俣の谷やその周囲の山々
新穂高温泉を貫く蒲田川の橋上から見た、下山ルートの左俣谷やその周囲の山々。また訪れることが出来るのは、いつの日か……

下山。諸々に感謝
また、いつの日か


ワサビ平で30分程寛ぎ、また林道を進む。延々と単調な砂利道が続く道程だが、仕方あるまい。それでも、ひたに歩みを進めたお蔭で、1時間かからず終点の「新穂高登山指導センター」に到着した。

時間は14時前。ペース配分や雲子さんのお蔭で予定より2時間近くも早く着くことが出来たのである。

センターにて下山通知や手洗いなどを済ませたあと、同じ道程を辿っていた女子とばったり再会。昼食を早く済ませたため鏡平を先に出たあとそのまま下山し、バス待ちの間に温泉に行こうとしたが遠いため引返したらしい。ここで油断して長く山の話をしたが、まあ、ご愛嬌(笑)。

その後、駐車場に下り、麓の店で試用機材を貸してくれた友人への土産を買って奥飛騨を後にし、下道と自動車道及び高速道を乗り継ぎ20時前に無事帰京出来たのであった。

アプリ記録によると、今回の総歩行距離は50km強で、行動時間は27時間強、累積登坂高度は4200m弱であった。本来なら4泊5日で巡るべき分量を2泊3日で済ませたが、まあこれは結果論。身体不調とは関係なく、もうこんな学生的無理は止めるべきと痛感(笑)。皆さんもどうか気をつけて……。

とまれ、今回も関わった山と人に感謝!


「奥黒部独錬行」1日目の記事はこちら
「奥黒部独錬行」2日目の記事はこちら


追記 山中で苛まれた息切れは結局帰宅後も長く続き、知人関係の同様症例等からワクチンの副反応と思われた。また、雲ノ平での膝の負傷は診察・画像診断の結果、経度の靭帯損傷とされ、最長6週の登山禁止を言い渡された。医療費等も考慮すると正に交通事故。山での道の譲り合いは場所を弁えて行って欲しい。以上、皆さんも同様に気をつけて……。

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2021年09月28日

奥黒部独錬行(中)

奥黒部・三俣山荘前広場より見た、早朝の北アルプス・槍穂高連峰

奥黒部探訪へ

朝焼けの空に横たわる峨々(がが)たる連山――。

写真は、奥黒部・三俣山荘前広場より見た、早朝の北アルプス・槍穂高連峰。既に同じ北アルプスの高所にあるここ(2540m)から見た、1万尺(3000m前後)超の高嶺であった。

今朝は昨日入山した奥黒部行の2日目。今日は、ここの野営場を拠点(天幕や寝具等の滞在装備を置く「ベースキャンプ」)に、愈々(いよいよ)同じく付近の1万尺級の山々や、秘境・雲ノ平及び黒部川源流域を探訪する。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


三俣山荘からみた奥黒部の秀峰・鷲羽岳と山頂に続く登山道

先ずは眼前麗しき鷲羽岳から

始めに、山荘直近にあり、今朝も麗しい写真の鷲羽岳(わしばだけ)から登頂開始。山荘で連泊の手続き等を行った関係で少々遅い6時前の出発となったが、元より暗中の行動を避けたので、まあこんなもの……。

しかし野営者の殆どは暗い内に出発していた。私は事故や遺失防止等の観点から、なるべく夜間行動は避けるべきだと思っている。また、朝3時以前からすぐ隣で遠慮なく天幕をはたきまくるなどして至極煩い撤収をする者がいたが、これも止めて欲しい(この野営者は4時以前に出発したが、その後2時間足らずで追い付いたので、まさにリスク・迷惑有って一利なし!)

さて、山荘と鷲羽岳山頂の高低差は400m、距離は1.6km程。山頂からこちらに伸びる稜線上に続く登山路を一直線に上がる。結局前夜眠れず(件の隣人の鼾も一因)、息苦しさもあり直ぐの登坂を案じるが、致し方なし。


鷲羽岳稜線上からみた黒部川源流谷や黒部五郎岳等
鷲羽の稜線に取りつき高度を上げると左手(西)に黒部川源流の谷や黒部五郎岳(標高2839m。左奥)が見えてきた。森がある谷なかは噂通り黄葉している。午後、野営地への帰りに谷を横断する予定なので楽しみだが、同時に体調を案じる。まだ登り始めにもかかわらず、大変辛いからである


三俣山荘から鷲羽岳山頂への急登
登坂早々から辛いと言いながら、山頂に近づくほど傾斜は増す。当然辛さは増すばかり。登山路はその急を避けるようにつづらと化し延々と続く


奥黒部の秀峰・鷲羽岳山頂
息切れに苦しみつつ約50分で山頂着。日本百名山の一つでもある(そういった分類には全く興味がないが)鷲羽岳山頂である。標高は2924m

見ての通り空は曇りがちだが、北アルプス全体の見通しは良く、富士山も遠望できた。小屋から抜きつ抜かれつ共にきた姉さんに写真を頼まれ、こちらも一応の証拠写真を頼む。

しかし、あまりの苦しさから「高山には向かないかも」との弱音を吐くこと頻り。これは、このあと方々で話した人に言いまくることになる(笑)。


奥黒部・裏銀座の稜線にあるワリモ岳山頂付近の岩場
ワリモ岳山頂付近の岩場。鷲羽山頂で少々休息し先へ進むが、稜線伝いにワリモ岳(2888m)を経て北上し次なる目的地・水晶岳(黒岳)を目指す


奥黒部・ワリモ岳付近からみた稜線彼方の水晶岳(黒岳)
ワリモ岳を過ぎると稜線彼方に水晶岳が見えてきた(中央左上)。その別称通り、辺りの山とは異なる、黒い山頂である。それにしても、その手前にあるという水晶小屋の姿が見えないが、何処かの峰裏に隠れているのか


奥黒部・水晶小屋南裏の登り返し稜線に続く裏銀座登山路
恐らくは、今の自分には優しからぬ、この登り返しの峰裏に小屋が潜んでいるのであろう


奥黒部・裏銀座の高所にある、水晶小屋
目論見通り、登り返しを越えれば、やはり水晶小屋があった。北アルプスの深部かつ標高約2900mの吹き曝しという、実に過酷な場所にある、絶海の孤島の如き施設である。但し、この写真はその裏を見たもの


水晶岳へ続く登山道からみた水晶小屋と北アルプスの山々
水晶岳への稜線道より水晶小屋方面を見る。中央の小頂(赤岳)裏に隠れるようにして小屋があるのが判る。鷲羽から北のこの山域は北アルプス屈指の強風地帯とされ、事実、過去2度程この前身小屋が壊滅している。その為、安全が考慮され、ここと北方次の小屋にはテント場がない

北アルプスの中心かつ奥黒部最高峰へ

鷲羽山頂からの道程は比較的高低差が小さい稜線伝いとはいえ、空気が薄く、登り返しも辛かったが、先を急ぐため小屋を通過して目的の水晶岳へと進んだ。


水晶小屋・水晶岳間の尾根から見た雲ノ平と奥黒部の山々
水晶岳は赤岳から分岐した支尾根上にあり、そこへの稜線道を進むと遂に秘境・雲ノ平が見えてきた(中央右の稜線台地)。水晶岳を踏んだ後、また途中まで道を返し左の山稜伝いで入域する予定だが、まだまだ遠い……


水晶小屋・水晶岳間の稜線から112mm望遠で撮影した雲ノ平
水晶小屋・水晶岳間の稜線から4倍望遠(35mm換算112mm)で捉えた雲ノ平。中央右に雲ノ平山荘が見えるのだが、小さいか。また、鏡平同様、多くの池塘が存在する筈なのだが、ここからは見え難い


水晶岳の稜線右(北)に見える黒部湖に続く峡谷(東沢谷)や立山
同じく水晶岳の稜線右(北)には黒部ダムが湛水する黒部湖に続く深い峡谷(東沢谷)が見えた。中央左の峰は彼の立山剱岳等の1万尺高峰である


水晶岳南の稜線から4倍望遠にて撮影した赤牛岳や剱岳・立山等の高山
同じく水晶岳の稜線右に見える立山を4倍望遠にて。中央の最も高い山塊の内、左の尖峰が剱、右の台形峰が立山三峰である(実際は両峰前後数km離れている)。なお左手前には水晶岳北方に続く赤牛岳(2864m)が見える


水晶小屋北方の稜線からみた奥黒部最高峰・水晶岳
水晶岳南のなだらかな稜線を暫し進むと、その山頂岩場が近づいてきた


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂直下の岩場の道
山頂直下の岩場ではこの様に手を使う急峻な場所が多くなるので山杖(ストック)を畳んで進む。荷物自体を稜線上に放置する人や小屋から手ぶらで来る人もいたが、岩場で孤立する緊急時に備え、私はそのまま進む


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂下の岩場に現れた夏毛のオコジョ
水晶岳山頂下の岩場を進む途中、何やら反復横跳びで道を遮る者が……。その正体は山鼬(いたち)・オコジョであった。近づくと岩下からこちらを窺っている。個人的に珍しくはないが、逃げずにいるのは初めてであった。小さな体ながら3000m近い峻厳の高地で暮すことに感心するが、ひょっとして山のおばちゃん達に餌付けされたクレクレちゃんかもしれない(笑)


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂とその標識
やがて水晶岳(黒岳)山頂着。息苦しさのあまり速度が出なかったが、小屋からは30分弱、三俣山荘からは2時間強で到着出来た

水晶岳の標高は2986m。奥黒部の最高峰であり百名山中最も歩行時間の長い最奥の山でもあった。個人的には、それより年1回1万尺の高地に至るという目標達成を喜ぶ。念のため岩場から甲帽(ヘルメット)を着けてきたが、今回の条件では必要性は低く、他に装着する人もいなかった。

やはり秋山適期の所為か、奥地にもかかわらず人は少なくなかったが、それでも狭い山頂で困るほどではなかった。


奥黒部・水晶岳山頂から見た、黒岳三角点頂越しの薬師岳
水晶岳山頂より見た三角点頂(2977m)越しの薬師岳(2926m)。雄大な山容を持つ奥黒部の重鎮である。水晶岳は北アルプス中央にあるため、その全てが望める好眺望の峰としても知られる。暫し四方を眺め休む


奥黒部最高峰・水晶岳(黒岳)山頂から見た赤牛岳と読売新道ルート
同じく水晶岳山頂より見た北方縦走路上の赤牛岳(中央)。その名の通り、赤茶けた色をした牛の背状のなだらかな山。水晶小屋からの続く道は、ここを経て黒部湖上流の登山口と接続する。所謂「読売新道」である


奥黒部・水晶岳(黒岳)山頂より4倍望遠で捉えた、黒部湖及び黒部ダムや最奥彼方の白馬連峰等
同じく水晶岳山頂より4倍望遠で捉えた、黒部湖及び黒部ダムや彼方の白馬連峰等。ダムの斜め左上山腹にはケーブルカー黒部平駅の建屋も見える


奥黒部の水晶小屋より見た野口五郎岳と裏銀座ルートの稜線

ポツポツと岩場・稜線を上ってくる人らとすれ違いながら水晶小屋に引き返し、そこで少々休息する。辛さの所為か結構水を飲んだので補給を試みるが、水場が無い場所のため買えず。故に次の雲ノ平で補給することにした。意外だったのは電波が入ったことで、入山後初の安全連絡が出来た。

写真は水晶小屋前から見えた、彼の有名な(?)野口五郎岳(一番高い台形の峰。2924m)。水晶小屋前に接続する尾根伝いにある山で、信州大町(高瀬ダム)と槍ヶ岳を結ぶ裏銀座ルートが通る。私も昨日の双六小屋からこの水晶小屋までそのルートを通過したことになる。


黒部川源頭・岩苔乗越から見た黒部川支流の岩苔小谷や薬師岳

日本最高所の溶岩台地
秘境「雲ノ平」


水晶小屋を出て一旦裏銀座ルートを戻り、ワリモ岳北にある「ワリモ北分岐」から雲ノ平に続く西向きの支尾根に乗り、その道を西進した。

間もなく岩苔乗越(いわごけのっこし。2730m)なる鞍部に至ったが、そこが黒部本流の源頭であった。

写真は、そこから見た鞍部北方にある支流・岩苔小谷の谷景。奥に見える薬師岳と左の雲ノ平、そして右の水晶岳に挟まれた風光明媚な秘境であった。色づいた谷なかの紅葉・黄葉が実に美しい。

しかし、ここでカメラが完全に故障。それは「高画質コンパクト機」に分類される小型の物だったが、先程から調子が悪く、水晶岳手前から鏡筒が戻らぬままでいた。恐らくはセンサーかケーブル類の不具合と思われる。

また、水晶岳の岩場で革ケースのベルト鋲が破損しカメラが奈落に落ちかける危機もあったが、瞬時に手で掴み難を逃れた。こういった不具合は不思議と重なるもの。事前の点検等を含め、今後の教訓としたい。


岩苔乗越南の黒部川最源流部の谷景
という訳で、これから先は電話(スマートフォン)による撮影に。必要最低限の性能を有すものなので、画質の差は明白だがご諒解を……。これは岩苔乗越南の黒部川最源流部の谷景。左が鷲羽・ワリモ岳の斜面、右が祖父(じい)岳・雲ノ平の斜面で、奥が三俣山荘背後の三俣蓮華岳である

この峠直下で水を汲む人を見たが、それとは別に黒部川最初の一滴とされる水源はワリモ側の斜面にあるという(立入禁止)。


雲ノ平の付け根であり生みの親である祖父岳斜面の溶岩

岩苔乗越からは、また登りとなり、一先ず祖父岳山頂を目指す。収まらぬ息苦しさ故、雲ノ平との間に開る(はだかる)その存在を疎んだが、実は溶岩台地・雲ノ平の成因となった生みの親的存在だという。

即ち、太古この山の噴火により雲ノ平が形成されたとのこと。写真に見る通り、その斜面には無数の溶岩が露出していた。


奥黒部・祖父岳山頂のケルンと背後の水晶岳
やがて祖父岳の山頂着(2825m)。平坦なそこには何故か無数のケルン(石積)があったが、荒天時の道迷い防止の為か。その背後には、先程登頂した水晶岳が見える。即ち、その間の谷を迂回して辿り着いたのである


祖父岳山頂から見た、黒部川最源流の谷と三俣山荘がある鷲羽・三俣蓮華岳間の稜線
祖父岳山頂から見た黒部川最源流の谷と三俣山荘がある鷲羽・三俣蓮華岳間の稜線(中央上)。あとでこの下を横断する予定だが、体調はもつであろうか……


祖父岳山頂から北西から見た雲ノ平と後背の薬師岳
祖父岳山頂から道は北西へと向きを変え、間もなく眼下に雲ノ平及び後背の薬師岳が見えた。溶岩散るこの斜面を下れば愈々最奥の秘境入りである


祖父岳中腹にある雲ノ平旧道分岐の通行止標示
祖父岳中腹まで下り、そのまま雲ノ平に降りようとするも、通行止の警告標示が。なんでも、植生回復の為らしいが、標示の古さからかなりの年数止められている異状が窺えた


祖父岳麓のハイマツ林越しに見た雲ノ平の湿地「スイス庭園」
仕方なく、右手のハイマツ林内に続く木道の迂回路を進んだが、その後何故か台地縁の崖際も歩かされ、漸く雲ノ平特有の湿地が現れた


冬枯れた雲ノ平の湿原と木道彼方の雲ノ平山荘
やがて道は湿地内に下り、溶岩と木道による延々たる平原路と化した。彼方に雲ノ平山荘が見え始めたが、意外と距離があり、中々着かない

ここにて高齢女性2人に追いつき離合困難な場所で道を譲られた為バランスを崩し左膝を痛める。泣きっ面に何やらの状態だが気力で進むほかなし。

雲ノ平の湿原は既に冬枯れの荒景となっており、また明瞭水面も少なかったため、少々の期待外れを感じた。恐らくは草花盛んな盛夏に来るか、別所を巡ると良いのかもしれない。


「晩秋」の雲ノ平山荘
そして水晶岳山頂から3時間弱にて雲ノ平の中心地・雲ノ平山荘に到着(標高2550m)。日本最高所にあるという溶岩台地上の山小屋である。季節柄、少々寒々しい場所に感じたが、近年建替えられたという小屋の姿はその評判に違わず。テント場も遠いので、雲ノ平に泊まるなら、是非ここに泊まってみたい(但し混雑時以外)

さて、丁度昼時となったので、山荘近くのベンチを借り、昼食を摂らせてもらった。山荘には前後から往来があるため、左露台(テラス)に席があるその食堂も忽ち賑わい始めた。


雲ノ平のテント場及び水場がある窪地と背後に聳える祖父岳

黒部川最源流部へ

昼食を食しながら雲ノ平を眺める。温暖で天気も悪くないが、やはり冬枯れの観は否めない。まあ一先ずは念願の秘境に来ることが叶い良かった。

食後はまた来た道を途中まで返し、祖父岳山頂下を巻きつつ黒部川源流に下降してそこを見学し、その後、三俣の野営地に帰る本日最後の行程に。

ただ、所要3時間の道程で、途中大きな登り返しがあるため水の残量が心配になった。それ故、途中の雲ノ平野営場の水場で補給することにした。実は雲ノ平山荘でも水が買えなかったのである(ここも天水利用)。

問題はその水場がルートから外れた往復1km程の場所にあり、下降と登り返しがあったこと。普段なら大した労力ではないが、息切れを患いつつ長躯した身には少々辛かった。更に先程の膝の負傷も――。ああ、これならさっきの岩苔乗越で補給すれば良かった……。

とまれ水切れを起こす訳には行かないので、分岐に荷を置き、仕方なく道を外れて水汲みに向かった。写真はテント場及び水場への分岐がある峠より見た下方のテント場(中央)とその上方に開(はだか)る祖父岳。

因みに、帰りはまた左のハイマツ林を大きく迂回して祖父岳山頂下(はげた場所が狭まる場所)まで登り返して右側に巻き進む。

水を汲み、そのまま旧道を真っすぐ上がれれば効率が良いのだが、何故いつまでも通行止なのであろう。見た所、旧路は元来の谷筋に当り、人が通らずとも荒廃を繰り返していた場所と思われる。その様な不安定な場所の植生保護の為に、通行者の安全と、長大な迂回路でハイマツ林を犠牲にする意味があるのであろうか。

ひょっとして、林野庁か環境庁等の公儀の言いがかりに因るものか。詳細は解らないが、雲ノ平山荘の当主氏は諸問題に対して意識の高い人と見受けられるので、一度話を聞いてみたいと思った。


岩間より美味の水湧く雲ノ平野営場の水場
擂鉢底状のテント場に下り、更に旧道の登坂口近くまで進んで漸く接した雲ノ平野営場の水場。簡素な造りながら噂通りの美味多量の名水であった


雲ノ平東の崖道で見つけたヤマハハコらしき植物の花

深いハイマツ林を切り続く雲ノ平東の迂回路を進み、また水晶岳との間にある岩苔小谷の崖際に至る。そこで見つけたのは本日唯一見た写真の花。

ヒナギクに似ているが、葉が柳葉に似て細長い。もう少し暑い時期に咲くというヤマハハコが、温暖の所為で今開花しているのであろうか。


祖父岳山頂下の分岐から続く黒部川源流と三俣山荘への巻道
そして祖父岳山頂下の分岐まで登り返し、そこから、なだらかな山腹のハイマツ林を進む


雲ノ平・祖父岳山腹にある謎の窪地「雪田」
祖父岳山腹縁で遭遇した、広く窪んだ裸地。「雪田」と呼ばれる場所とみられるが、古い噴火口のように思われた。近くに同様がもう一つある

祖父岳下の巻道は眺望が素晴らしく思われたが、先程から雲が多くなり、残念ながら、そのコントラストは大きく低下した。


祖父岳巻道端から見た黒部川源頭と最源流の谷

比較的楽な巻道を進むこと暫ししてやがて黒部川最源流の谷縁に達した。

写真は眼前に広がるその景色。右上の峰が今朝通過したワリモ岳、そこから続く左の鞍部が同じく昼前通った岩苔乗越、即ち黒部本流源頭である。

正に大河の源流を見る思いで感慨深い。

日本の川に「大河」を冠すのは仰々しく思われるかもしれないが、一応本場大陸の大河、長江・黄河・サルウィン・オビ等の源流域も見た身なのでご容赦を……。


祖父岳巻道縁から見た、三俣山荘方面の黒部川源流谷の黄葉
こちらも祖父岳巻道縁から見た黒部川源流谷。少し下流(南)側で、対岸の鞍部上に今朝発った三俣山荘及びテント場がある。谷なかの黄葉が美麗

これより標高差200m以上を一気に下って黒部源流を渡り、あの森を登り返して野営地に帰還する。


雲ノ平と三俣山荘を結ぶ道上にある黒部川源流の渡渉地点
その後、大きな浮き石が多く歩き辛い急斜面のつづら道を延々と下り黒部川源流に達した。一応ロープが渡してあるが、水量が少なく、滑り易い条件でもないため難なく渡れた。ただ、こんな源流でも雨に因り渡れなくなることがあるらしく、正に交通が途絶するという(雲ノ平と三俣方面の連絡には鷲羽岳を経る稜線道もあるが風雨が強い場合は両方通れなくなる)


赤い御影石でできた真新しい黒部川源流の碑「黒部川水源地標」
黒部源流の流れを眺めつつ一服し、その後出発してすぐに見つけた黒部川源流の碑「黒部川水源地標」。立派な赤御影石製で新しいが、ヘリで空輸したのであろうか


黒部川源流碑付近から見た黒部源流の紅黄葉
黒部川源流碑付近から見た黒部源流の紅・黄葉。光の具合が良くないが、今回の山行で最も美麗であった。途中すれ違った2人組のお兄ちゃんら(雲ノ平に野営し丁度私の逆ルートで周遊しているとのこと)も、「めちゃくちゃ綺麗ですね!」と感動と興奮を伝える


黒部川源流碑付近から見た黒部源流谷の紅・紅葉
同じく黒部川源流碑付近から見た黒部源流谷の黄・紅葉。今回は、いつにも増して体調的に苦しかったが、来て良かった。機会あれば、またここを訪れ、谷沿い等をゆっくり探索してみたい


黒部川源流谷から三俣山荘への登り返しの道と渡渉地点
谷なかの道は、やがてこの様な小さな渡渉を経て登り返しとなった(右端の石段道)。三俣山荘直下の場所故か、良く手入れされた緩やかで気持ちの良い林の道を登る


三俣山荘と夕方生じたガスに呑まれる鷲羽岳
三俣山荘と夕方発生のガスに呑まれる鷲羽岳

野営地帰着で行動終了なるも……

そして高低差150m程を登りつつ小川沿いの道を詰めると、天幕を置く野営場に到着。黒部源流からの道が野営場に直結していたことに少々驚き、また、自分の天幕傍の流れが黒部源流の一つだったことに感じ入る。

帰着の時間は15時過ぎ。予定では1時間早く出ても16時半過ぎの着だったので、かなり早く戻れた。これにて今日の行動はお終い。早速珈琲を淹れ寛ぐが、何やら天気が怪しい……。

急速にガスが増え始め、視界が悪くなったのである。

昨日とは違い余力があったので、今日こそ小屋前の席で夕景の鷲羽を眺めつつ持参の洋酒を飲みたかったが、叶わなくなった。そして、昨夕より寒い。早々に天幕内での飲食に切り替えた。

その後、暗くなった18時過ぎから雨が降り始めた。予報では確率ゼロであったが、まあ高山のため致し方あるまい。しかし、すぐ止むかと思えば、そうはならず、結構な降り方で2時間程続いた。

防水着を出すのが面倒だったので小用を我慢していたが、雨音が止んだのを聞き、小屋の便所に向かう。だが、雨滴はないが、付近は身を濡らす雨霧に包まれていた。明朝は撤収だが、大丈夫であろうか……。

そして、小屋にて独り少々ストーブにあたり(別に寒いわけではなかったが……)、天幕に戻り就寝した。


「奥黒部独錬行」1日目の記事はこちら
「奥黒部独錬行」3日目の記事はこちら

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2021年09月27日

奥黒部独錬行(上)

奥黒部の最深部、水晶岳傍の標高2900m超の尾根上で見つけた、色鮮やかなウラシマツツジの紅葉

副反応経て十年来の願望実行

新型コロナワクチン2回目接種2日後に企てた山行が、まさかの副反応で中止となって1週余。

懲りずに日程等を再調整し、実行することとなった。副反応といっても微熱程度であったが、接種後5日で漸く小康を得たのは先日記した通り。本来なら気温低下を避けるため少しでも早く行きたかったが、こればかりは致し方あるまい。

まあ、どのみち先週末などはテント泊ですら混雑のため予約が取れず、接種後1週間以内に「激しい運動」とされる登山をすることに身内から批判も出ていたので、丁度良い遅延となった。また、慌て気味だった装備等の準備も、改めて完備・完了させることが出来た。

それでも、無理はしないつもりだったので、出発前には検温するなどして体調の監視を続け、入山前にも再度検温し平熱や体調を確認した(入山前の体調・体温の確認は、現在、奥黒部入域のルールにもなっている)。

さて、改めて実施した山行は、ここ数年恒例化している高山独錬行。3000m級の山々で行う個人鍛錬・研修的山行で、世情的・経済的に遠出し難い身の、細やかな夏季休暇も兼ねたものであった。場所は前年同様本邦有数の高山帯・北アルプス。その中でも、今回は奥黒部を目的地とした。

奥黒部は、かの黒部峡谷や黒部ダムを擁する、越中(富山県)奥地を貫く黒部川の源流域である。交通の発達した現代でも、そこへ到達するのに歩いて2日以上かかるため、日本で最も時間距離の遠い地とされ、「最後の秘境」とも呼ばれる。そこを探訪することは私の十年来の願望でもあった。


上掲写真 登行開始の翌日、奥山の厳しい稜線上で見つけた、色鮮やかなウラシマツツジの紅葉。初め、地を覆う草が黄葉ではなく紅葉しているのに驚いたが、名の通りツツジ科の樹木であった。地を這う茎を持つらしく、その樹高は極めて低い。これも極地に生きる知恵なのか。因みにその漢字名は竜宮城の浦島ではなく、葉裏の縞に由来する「裏縞」であった。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


新穂高温泉中崎の橋上から見た蒲田川の分岐部とその奥で明るみ始める北アルプス山々

意外の温暖・空車の麓発つ

麓へ出発したのは昨日のこと。シルバーウイークは今日で明けるがそれ以前もかなりの人出で登山口最寄りの無料駐車場が混雑していたとの情報を得ていたので念のため前日から車を借りて夕方到着し、車中泊していた。

駐車場の場所は、2年前に槍ヶ岳登山で利用した岐阜県北部飛騨地方奥の新穂高温泉。車道の果ての温泉地であるが、槍穂高や奥黒部等の登山口最寄りとなる、上高地と並ぶ北アルプス登山の一大拠点であった。

車中泊は結局大して眠れずに起床予定の夜明け前を迎えた。寒かった前回とは異なり、今回は暑かったという事情も。まあ、日没前に夕食を済ませ、それからずっと横になっていたので、深夜着きの前回とは違い大いに休むことは出来た。

しかし、前回は9月19日だったが、それより1週以上遅い今日が暑いとは、まさに意外であった。駐車場は既に標高1000m強という高所にあり、その上手にあり各方面の出発拠点となる「新穂高登山指導センター」に置かれた温度計の値は朝5時過ぎで13度もあったのである。

このような温暖で恵まれた気候条件にもかかわらず、意外にも駐車場には空きが目立った。予想では、前回同様、夜間車が増えて朝には満車になっていると思ったが、当たらなかった。

車内で朝食等の準備をし、いよいよ出発。まだ少し暗く、センターまでは林間の細道があるのでヘッドライトを付けたが、センターでトイレ等を済ませると明るくなったので片付けた。センターからは槍ヶ岳方面とは異なる左(西)の谷を進むため、橋を渡り川の左岸を北上した。

写真は、その橋上から見た蒲田川の分岐部とその奥で明るみ始める北アルプス山々。目指す奥黒部の山々はその彼方にあり、まだまだその姿を見ることは叶わない。


新穂高温泉左俣林道の車止めと、2021年9月21日の地震影響への注意を促す看板

登山路兼用の車道を進むと、程なく車止めと登山者用の標識等が現れた。そこには、写真に見える通り、19日に発生した地震についての注意が大書されていた。

報道されたので存知の人も多いと思うが、本来私が入山しようとしていた前日夕方に一帯で地震があり、落石や救助要請が相次いだのであった。

その震度は強く、2年前お世話になった槍ヶ岳山頂直下の槍ヶ岳山荘で震度5弱が観測されたという。当日入山していた人らの情報によるとその後も余震が続き、その轟音や落石で一晩中山々が鳴動する状況だったとのこと。

地震の影響で、槍ヶ岳山荘を交点とする東西の鎌尾根を始め、登山道の崩落も発生し、最寄りの山小屋人員が各所の安全確認を行うまで長時間の足止めが続いていたという。

つまり、副反応がなくても私は20日の朝その混乱に巻き込まれ、情報待ちの待機を強いられて計画通り奥黒部に行けなくなった可能性が高く、2万円程の路銀も無駄にするところであった。正に、不幸中の幸いか……。


新穂高温泉左俣林道に残る2021年9月19日地震に因るものとみられる土砂崩れ跡
未舗装の林道化した車道を進むと、早速路端に崩落跡が現れた。それは数箇所あったが、全て片付けられていた。地震直後にこの林道にも土砂が入り、翌20日に片付けられたとの情報を得ていたが、上部への不安もあり、なるべく山際を避けて歩いた(谷側も崖なので注意が必要だが)。


出水や老朽化で劣化したとみられる新穂高左俣林道の「通行自己責任橋」とその注意標示
これは今回の地震に関係なく増水や老朽化で劣化したとみられる林道橋とその注意標示。林道は各山小屋の物資を運ぶ補給車道ともなっているが、自己責任通行とは随分な状況である。奥山へのルート整備を担う小屋の役割や主要登山路としての観光価値等は考慮されないのであろうか


新穂高・左俣林道脇の山小屋・ワサビ平小屋
林道をひたに進むこと約1時間にてワサビ平小屋通過。林道脇ながら、深いブナ林に囲まれつつ小川等の水にも恵まれた好立地の山小屋。朝早いのでまだ外に向けた営業は行われていないが、冷たい果物等を浮かべる水槽や「ソーメン」と記された布が備えられるなど、立地を活かしたサービスが窺える。とまれ、未だ夏真っ盛りな様子


橋により左俣谷の東岸へと渡る林道と朝日を浴びる標高2500m超の稜線
橋により左俣東岸へと渡る林道と朝日を浴びる標高2500m超の稜線(西鎌尾根・樅沢岳から笠ヶ岳へ至る飛騨山脈・北アルプス支脈)

長い林道歩き終え登山路へ

ワサビ平小屋から15分程で、橋にて東岸に渡る林道と別れ、西岸を進む野道の入口が現れた。鏡平を経て北アルプス稜線上の双六小屋まで続く「小池新道」の入口であり、奥黒部入域の登山口の一つでもあった。


登山口付近の小池新道
鏡平・双六小屋へと続く小池新道。随所で石が人為的に再配置され、大変良く整備されていた


小池新道入口近くから見えた槍ヶ岳の大槍・小槍と朝日を反射する槍ヶ岳山荘の小屋

小池新道の入口付近は標高1500m程となり、周囲も開けてきたので、右手上部に北アルプスの主稜線が見え始めた。

写真中央の尖りが槍ヶ岳の主峰部「槍の穂先(標高3180m。大槍)」で、その左の小さな尖りが彼のアルプス一万尺の歌で有名な小槍。因みに、大槍の右で朝日を反して光るのは「槍の肩」部分にある槍ヶ岳山荘の施設。


北アルプス・小池新道が横断する荒々しい岩石河原
小池新道は基本的に山腹を巻きつつ高度を上げ稜線に出る道程となっている。そのため、この様な沢を幾つも横切る。今は穏やかだが、増水時等に急崖から押し出してきたとみられる無数の岩石が厳めしい

荒々しい沢の狭間の樹林を進む途中、上方彼方に砲着弾のような大音と崩落の轟音を聞き思わず身を竦(すく)める。地震の影響か。陽が登り、気温が上るなどの僅かな変化により崩れたのか。何かあれば人なんぞ一溜りもないことや、そうした「激動の地」にある登山道整備の苦労を想った。


北アルプス・小池新道の途上から見えた左俣谷彼方の焼岳や乗鞍
山腹を巻きつつ高度を上げる小池新道から来し方の左俣を見る。遠く焼岳(標高2455m。中央左の峰)や乗鞍(同右の峰。3025m)も見えてきた


小池新道から見た、草木色づく北アルプスの秋景色
高度が上がると草木も秋めいてきた。本来なら麓を含め紅葉が進んでいる頃だが、高気温の所為か、季節の進みが遅れているように思われた


槍穂高連峰を池面に映す鏡平の鏡池
巻道はやがて溶岩らしき岩が多く散る急登に変わり、そのあと尾根上の平坦地に出た。槍穂高連峰を映すこの鏡池が代表する鏡平である

天空の景勝地「鏡平」

鏡平へは小池新道登山口から2時間半程費やした。鏡平は稜線にある弓折岳(2592m)中腹から分岐した標高2300m前後の尾根上にある高層湿地で、豊富な植生と多くの池塘を擁する景勝地。特に鏡池に映る槍ヶ岳(写真左の峰)の姿「逆さ槍」で著名である。


鏡平からみた槍ヶ岳の拡大画像
陽も高くなり槍ヶ岳の姿も明瞭となってきた。4倍望遠(35mm換算112mm相当)にて撮影


鏡平山荘と樅沢岳等の稜線の山々
鏡平の山小屋「鏡平山荘」と稜線の山々。中央の台形の峰は槍ヶ岳へと続く「裏銀座」西鎌尾根の起点、樅沢岳(2755m)。小屋の正面を撮った写真もあるのだが、敢えて背景込みのものを。因みに、この小屋はかき氷が名物らしく、小屋前の席で大きなそれを賞味する人も見た。そういえば、こんな高所で、しかも10月目前の朝というのに全く寒くないということに改めて驚く。人界同様、高地もまだ夏なのか


鏡平上方の稜線へと続く巻道状の小池新道
鏡平上方の急登を超え、稜線へと続く樹木乏しい小池新道の巻道

再登坂からの不調

これまで結構な登坂を超え、駐車場から順調に1300m程の高度を稼いだが、鏡平を出た再登坂で急に息苦しさが増してきた。槍ヶ岳行の際も標高2000mを超えて急に辛くなったが、あれは色々と無理をした結果。

特に今回は副反応明けで、無理をしないと決めたので、ペースや栄養補給に気を遣ったが何故なのか。一種の高山病か、それともまさかの副反応継続か……。思うように進めず悔しいが、休みやすみ進むことにした。

今回は研究・工夫を進め背嚢の初期重量(3日以上の食糧込)を13s程としたが、それでも辛く、重いことに違いはなかった。理想は10kg以下とすべきか。不可能ではないが、装備を大幅に買替えなければならない。

とまれ、自ら始めた苦行に矛盾や後悔を感じたり、果ては全てを捨てて帰りたくなったが、まあ、これは毎度のこと(笑)。今は進むほか無し。


弓折乗越からみた、頭を雲に隠す槍穂高連峰
そして鏡平から約1時間で漸く稜線上の弓折乗越(ゆみおりのっこし)に出た。標高は2550m。頭が雲に隠れたが、先程まで見上げる角度だった向かいの槍穂高が水平近くになってきた

ここでハイドレーション(背嚢収納型飲水袋)の水が切れたかと思い少々焦ったが、ホースに空気がかんだだけで1.5Lのうち0.5L程の残量があった。ただ尾根道により次の小屋まで補給不能なので留意することにした。


弓折乗越すぐ北に続く急登の小池新道
乗越に着けばあとは稜線歩きで比較的楽になるかと思えば、いきなりこの様な急登が。そして、その後も頻繁に上下を繰り返す辛い道程が続く


弓折乗越北の稜線頂からみた箱庭のような鏡平全景
稜線道から下方を見れば、既に遥か眼下となった鏡平が見えた。箱庭的その全容が良く把握できるか。鏡平にテント場はないので、一度小屋泊でゆっくり散策してみたいものである


弓折乗越と双六小屋間の稜線上の小池新道から見えた奥黒部、水晶岳と鷲羽岳
重荷に喘ぎながら稜線道を進むと、やがて彼方に目的地の奥黒部の山が見えた。中央奥の白っぽい山塊がそれで、それぞれ百名山の一つにも数えられる、水晶岳(黒岳。2986m)と鷲羽岳(2924m)である。今日の野営地は、その手前側の鷲羽岳麓を予定していたが、未だ遥か彼方であった


双六小屋へと下り始める小池新道と彼方の鷲羽・水晶岳
弓折乗越から歩行1時間弱で漸く次の小屋、双六小屋が見えた(中央鞍部の赤い建屋)。息苦しく、重荷が辛い!


双六小屋下流谷の黄葉
小屋まで辛抱と決めた辛い歩行のさなか、小屋下の谷に美麗な黄葉が現れた。少々癒されるが、苦しいことに変わりなし(笑)


奥黒部への近道となる巻道ルートと双六岳山頂との分岐付近から見た奥黒部の方面の山々

本来的野営地から更なる奥地へ

鏡平から1時間強で双六小屋に到着。ちょうど昼時になったので、小屋前で持参した昼食を摂った。この時、何故か空が暗くなり風も強くなった。周囲の人同様、上着を出し、その寒さを凌いだ。

出発から6時間超。本来なら労力配分的にこの双六小屋で宿るべきだが、休息後まだ頑張れそうだったので、当初の予定というか希望通り、奥黒部の入口である次の三俣山荘まで向かうこととした。

今回の希望行動日数は3日。しかし、ここで宿ると、自動的に5日以上費やさないと予定の山域を周れなくなってしまう。予備日含め最長4日しか予定していなかったので、ここは少々頑張る必要があった。

さて、双六小屋では水の汲み直しやトイレ等で手間取り、1時間近い長休みとなった。一先ず先を急ぐが、これまた息が足らず非常な苦しさが……。

写真は、双六小屋脇から双六岳(2860m)方面へと続く辛い急登の中腹分岐部より見た奥黒部の山々。中央の鞍部に今日の野営地「三俣山荘」がある筈だが、未だ遠くしてその姿も見えず、先が思いやられた。


三俣山荘方面への近道「巻道ルート」から見た紅葉や黄葉と背後の北鎌尾根や硫黄尾根等
三俣山荘方面への近道「巻道ルート」を進む途中に見た奥山の色づき。森林限界に達しているため灌木のみだが、独特で美しい。あと10日程経つと見頃に達するか。中央奥に先日の地震でヘリ救助の模様が報道された槍ヶ岳の最難関ルート「北鎌尾根」が見える(日影の尾根背後の明るい岩峰)


双六・三俣間の巻道ルート上に現れた三俣蓮華岳とそこに向かい登坂するルート

双六小屋から三俣山荘へ向かうには、小屋の西側にある双六岳(2860m)とその北奥の三俣蓮華岳(2841m)を経る稜線ルートが本来的だが、かなり高度を上げねばならず、時間もかかることから、帰路通る予定でいた。そのため、双六岳中腹の分岐から「巻道ルート」なる短絡路を進んだ。

しかし、これが意外に上下があり、また足場の悪い場所もあり、辛い。本日最後となる、両小屋間の所要3時間の道程は比較的楽が出来、時間も短縮出来るのではないかと思ったが、大間違いであった。

小休止を繰り返しつつなんとか進んだが、やがて目の前の景色が白化するなどの異状も現れた。こんなことは、昔、炎天下の中央アジアの街を長く歩いたあとに生じて以来である(日射病か、その直後に飲んだ偽物ビール?の所為とも)。そして、幾ら息を吸えども全く足りない……。

只々、最後の一踏ん張りと思い、微速の前進を続ける。

そして漸く巻道ルートの終点となる三俣蓮華岳(写真中央)が見える写真の場所まできたが、なんと道は山頂直下まで長い登りとなっていた。実状にそぐわない「巻道」という名を恨みつつ(整備した人、失礼!)、半ばやけ気味に喘ぎ進んだ。


三俣峠からみた奥黒部の山々(祖父岳・水晶岳・ワリモ岳・鷲羽岳)
なんとか山頂下の三俣峠(標高2750m)に着くと眼前に奥黒部の重鎮達が出迎えてくれた。左から祖父岳(じいだけ。2825m)・水晶岳(黒岳。2986m)・ワリモ岳(2888m)・鷲羽岳(わしばだけ。2924m)の4峰である

三俣峠背後の三俣蓮華岳は、岐阜・富山・長野の県界となっており、その北に広がるこれらの山域は富山県最奥(東南)の地に当たる。遂に、黒部川水系、即ち奥黒部に達したのである。


奥黒部の秀峰・鷲羽岳とその稜線麓に建つ三俣山荘

秀峰に迎えられ奥黒部玄関着

さあ、三俣峠からは山荘まで下るだけである、と思い、休息を我慢して進むと、意外にこれが遠い。それどころか、道はすぐ高山特有の低木・ハイマツの林に入り、小屋の姿は疎か、山の姿さえ見えなくなった。

それもその筈、峠から山荘までは距離1km、高度差200m以上を下らなければならない。写真は、道を違えたかと思い始めて漸く現れた、奥黒部の秀峰・鷲羽岳とその稜線麓に建つ三俣山荘(中央)。小屋(稜線)の左側(西)が黒部川水系、右側(東)が信濃川水系となる分水界でもある。

聞きしに勝る絶景の好立地。限界に近い疲労が報われた気がした。苦労して来て良かったと素直に思う。


奥黒部の南玄関であり、各方面への拠点ともなる三俣山荘(玄関部分)
奥黒部の南玄関であり、各方面への拠点ともなる三俣山荘

結局、三俣山荘には15時過ぎに着いた。休憩を抜いた歩行時間は9時間半程か。予定では15時半着(但し5時丁度出発の場合)だったので、苦しんだ割りに早く着いた。


陽が落ちて寝支度に入る三俣山荘のテント場と、暗いなかでも麗しい姿を保つ鷲羽岳
陽が落ちて寝支度に入る三俣山荘のテント場と、暗いなかでも麗しい姿を保つ鷲羽岳

テン泊値上げの怪と不調で迎えた高地の宵

山荘で早速野営の申し込みと手続きを済ませ、100m程道を戻ったテント場に天幕を設営した。既に多くの人とテントがあり、ハイシーズン扱いの先週程ではなかろうが、人出の多さを感じた。

ところで、野営料金が従来の1泊1000円から2000円に値上げされていた。小屋泊も3割程値上げされていたが、それはコロナ感染防止の人数制限の為と理解できる。しかし制限不要なテント泊の倍額値上げは納得し難い。

しかも、これまで含まれていたトイレ使用料も毎回200円(HP上。現地では「100円か200円の寄付を」との婉曲表現)が要求されるようになったので実質それ以上の値上げとなる。何故そんな急な値上げが行われたのか。

ひょっとして昨年の営業不振分を転嫁しているのか。山小屋運営の厳しさは知っており気持ちは判るが、客に責任はないため、社会通念的・商業倫理上通らない話である。小屋組合の取決めらしいが、同じくコロナの影響を受ける一零細自営の身として、納得いく説明をしてもらいたいと思う。

小屋側からは「日本の登山文化継承のため」との申し開きもされているが、費用増大(特に学生)や装備肥大(小銭の量・重さ等)に因り、正に我が国登山文化の一つである長期縦走が蒙る打撃は多大であろう。

さて、天幕設営後、持参の珈琲を淹れ、寛ぎ休む。空気が薄い所為か、息苦しさが癒えることはなかった。そして、明るい内に夕食を済ませる。

本来ならその後、小屋前の席で鷲羽岳の夕景を眺めながら持参の洋酒を楽しむつもりだったが、不調のため叶わず。折角素晴らしい眺めなのに、残念無念。また、日没後急速に気温も下がったので天幕内に退避した。

そして、19時半頃就寝。かなり早いが、明日も長時間の奥黒部周回行が待っている為である。ただ、疲労の割に眠れない。到着後はすぐ眠くなったが、辛抱して夕食などをこなしていると目がさえてしまった。まあ、前夜の車中泊同様、横になって静かに休むほかあるまい。


「奥黒部独錬行」2日目の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会