2023年02月25日

雲取終雪

京都奥貴船にある旧芹生小中学校の校舎屋根に載る雪と氷柱

今季最後の近場雪?

今日は月初以来の、近場の雪山行また鍛錬行の今季第二弾を行う。

前回のあと、一旦暖かくなり、また寒冷化するという日々を繰り返し、また降雪と寒冷の機会がきた。

しかし、今日は昨日山上でもまとまった雨が降ったあと、という悪条件に。ただ、近山での雪山行は、今後の予報から、今回が今季最後になると想われたので決行することとした(低温は明日まで続くが荒天で除外)。


上掲写真 所謂「奥貴船」にある京都北山・芹生集落の旧芹生小中学校の校舎屋根に載る雪とそこから下がる氷柱(つらら)。下山中の午後に里道から望遠撮影。平地市街が温暖化しても、高所・山間はまだまだ寒い。


薄く雪残る京都北山奥貴船にある芹生峠
昨日の5度以上という程ではなかったが、今朝の京都市街の最低気温も2度程という比較的高めであった。これだと、麓までは凍結を恐れずに車行出来る。その予想通り、貴船も安全に通過でき、京盆地北縁の芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)の距離約0.6km、高低差約85m下まで進出できた。その後、徒歩にて車道に薄く雪残る、この芹生峠を通過


前日の雨で車道の雪が溶けた2月末の芹生集落
そして芹生峠を北に下り、芹生集落に達する。昨日の雨の所為か、道上の雪は溶けていたので、厳冬期のように滑ることもなく歩き易かった


芹生集落外れの林道上に続くノートレースの雪
しかし、基本除雪が一切されない集落外れの林道に入った途端、深さ30cm程の積雪となった。まだ道上とはいえ、誰かが通行した踏み跡(トレース)もないため、終始足を取られて歩き難いが、そのまま進む


雪に覆われる京都・雲取山三ノ谷分岐
ノートレースの雪道に足を取られつつ、淀川水系・桂川(大堰川)上流の灰屋川源流部・三ノ谷分岐に到達。花脊(はなせ)大布施(おおふせ)と同別所集落方面との分岐地ながら、相変わらず踏み跡を見ず。これより先は更に雪が増すため、ここにてワカン(輪かんじき。雪上歩行器)装着


雪に覆われる京都・雲取山と三ノ谷の分岐部

馴染みの山上へ

ワカン履きで三ノ谷沿いの林道を遡上し、やがて写真の雲取山頂へと続く谷との分岐に。ここからは道なき急斜となるためアイゼン(靴底氷雪爪)も装着。

そう、今日は久々に、馴染みのマイナールートで雲取山を目指す。


雲取山三ノ谷ルート上の雪崩跡(デブリ痕跡)
狭い谷に入り、斜面を巻くように進む。勿論、踏み跡はなく、自分で進路を選びつつ、踏み跡を刻んでゆく。対面の斜面にはこのような、雪崩跡も多くみられたので、進路の状態や上方の異変に気をつけつつ進んだ


雪に覆われる、京都・雲取山三ノ谷ルート最後の有水分岐
やがて水がある谷としては最後の分岐に至る。厳冬期よりマシだが普通に寒い。長く雪を保持する谷や標高の高さに因り、冷蔵庫化しているのか


雪に覆われる、京都・雲取山三ノ谷ルート最後の急斜
最後の分岐前同様の狭い谷の斜面を進み、雲取山山頂直下の急斜面に到達。手掛りとして一部ピッケル(斧頭雪杖)が欲しい場所ではあるが、無くても大事には至らない条件のため、そのまま登る


雪に覆われる、京都・雲取山山頂

油断ならぬ山上の寒さ

そして、雲取山(標高911m)山頂着。

ここはバス道から続く別路があるため比較的人と会いやすいが、今日は写真の通り、人影はおろか、踏み跡さえ無し。


雪に覆われる、京都・雲取北峰山頂と手前の地蔵杉山等
折角なので、更に足をのばし、北方は雲取北峰山頂(標高約915m)まで進出した。時折舞っていた小雪が、本降り的になってきた


京都・雲取北峰から見た、地蔵杉山越しに見えた雪の皆子山や比良山脈
今日随一の眺望地・雲取北峰に来たが、生憎の天候により、手前の地蔵杉山等以外の見通しは悪かった。ただ、この様に一瞬背後が見えることがあり、皆子山(左奥。標高971m)や比良山脈(右奥。最高標高1214m)の雪景が望めた


雪に覆われる京都・雲取北峰山頂で生じる地吹雪の雪

雲取北峰にて今日唯一の休憩兼昼食をとる。雪を一尺程掘りこみ、座る場所と湯沸かし場を作り、即席麺を食した。ただ、途中風が強くなり、写真のように地吹雪的風雪に見舞われることに。

場所の選定を誤ったと思ったが、我慢して過ごす。ただ、やはり寒い。湯を出したあとのポットの水分も忽ち凍りついた。

今日は市街でも8度弱の低気温であったが、ここでは更に-4度という低さであった。久々に指がかじかむ。近くの低山、または厳冬期を過ぎたとはいえ、油断禁物との思いを新たにする。


昨日の雨の所為か、沢が露出した谷斜面に続く自身の踏み跡を辿る、京都・雲取山三ノ谷ルートの下山路
昨日の雨の所為か、沢が露出した谷斜面に続く自身の踏み跡を辿る下山路

自身の踏み跡辿り下山
近山の雪は今季最後か


昼食後は、また雲取山頂を経て、元来た道を戻る。帰りは下りで、更に自分の踏み跡が続いているので歩き易かった。ただ、その後の林道及び峠道の歩行は、延々として遠し。

結局、前回のバス行より早く帰れたが、それでも車道歩きが長かった為、帰宅は夕方となったのである。


京都奥貴船・芹生集落の奥にて、午後の陽射しを反射する樹間の小雪
午後の日射しを反射する樹間の小雪。寒いが、春の兆しとも感じられた。やはり、この辺りでまとまった雪を踏むのも今季最後となりそうか……

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2023年02月05日

北山初雪行

立春翌朝の出町柳駅バス乗場に現れた、京都北郊山地へ向かう、京都バスの広河原行車輌

珍しきバス便での北山行

今日は珍しく朝早くバスに乗り、出町柳駅へと向かう。

それは、京都市街東部、賀茂川沿いの私鉄線ターミナルであった。ただ、そこから列車には乗らず、違うバスに乗り換え、市街北郊へと向かった。

向かったのは、鞍馬奥の花脊集落。一応出町柳や拙宅等とも同じ左京区内であるが、京盆地北辺裏の高所にあった。

今日は、そこから周辺の山を巡る今季初の冬山行を実施することとなった。例年なら既に前年末から始め、1月が盛期となるが、今年は年末年始に傷病者支援等があり、立春過ぎの今日となった。


上掲写真 立春翌朝の出町柳駅バス乗場に現れた、京都北郊山地へと向かう、京都バス・広河原行車輌。


鞍馬石の上に雪積る、京都北郊・鞍馬集落

驚くべき違い

バスは阪神地区とも結ばれる出町柳がある京都市街北部と京都北山(丹波高地)を結ぶ著名便で、紅葉時期等は混雑するが、今朝は出発10分前でも誰もおらず、一番乗りになった。

それでも、その後、人が集まり、少なからぬ乗客を乗せて出発した。そして、途中地下鉄駅等を経由しつつ更に客を乗せ、そこそこの乗車率で北郊山間に入った。

写真は、かの鞍馬での車窓景。赤茶けた名産の鞍馬石に雪が載っており、なんと小雪も降っている。市街は今朝昨日より暖かかったが、それでもこの違いであった。因みに雪は既に鞍馬下手の貴船口手前から降っていた。


京都バス広河原行の車窓からみた、京都北郊花脊峠下の雪深い山林
鞍馬から更に進み、峠道を登り始めると、完全な雪景となった。雪があるのは知っていたが、近隣市街との違いの大きさに改めて驚かされた


氷雪に覆われる京都奥鞍馬の花脊峠
そして、京盆地北縁高所に開く花脊(はなせ)峠に着いた。標高約760m、氷雪に覆われる、これまた信じ難い光景。路肩の気温表示は-2度だったが、昨日は麓でもそれくらいだったので、更なる厳寒だったと想像された


雪に覆われる花脊別所集落。花脊高原前停留付近にて

峠裏の雪域に

バスは花脊峠を越え、慎重に花脊別所集落に下る。路上は除雪されているが圧雪や凍結が多い為である。

そして、茅葺の形状を残す古民家が点在する集落内を下り、間もなく旧花脊スキー場最寄りの花脊高原前停留にて停車。私は、ここにて降車した。

私以外の数人の登山客は全員峠で下車していたので、私1人の下車に。細雪降る薄暗い深雪の集落に独り降りる私に、雪道対策と思われる年輩補助乗員が「えっ独り?大丈夫?帰りの便に乗る?」と不安げに声を掛ける。

非常装備を含め準備は万端のため一瞬面倒を感じたが、この状況、または職責上仕方ないと思い、「慣れているので問題なく、帰りの便も遅いので(18時以降に1本のみ)、自力で鞍馬駅まで戻る」と説明して別れた。

まあ、色々と事故も多いので、謙虚に疑念に答え、気遣いに感謝すべきであろう。

それにしても、集落下部とはいえ、写真の通りの深雪景。標高約570mのこの辺りで、積雪50cm前後か。先週、集落下部で積雪1mを記録したらしいが、未だそれを彷彿とさせる光景、正に雪国景であった。


雪に覆われる花脊別所集落奥の林道
雪が舞うバス停脇で準備し、西方の山塊へと向かう。暫くはこの様に雪積る林道を進み、その後、山道に入った。ほぼ埋もれるも人の踏み跡が続いていたため、ワカン(輪かんじき)は着けずに進めた。そして、早朝か昨日のものと思われる先行者の足跡も一つ……


雪に覆われる京都北山・花脊の寺山峠
そして、時間にして40分、高低差250mを登り、稜線の寺山峠(標高807m)に出た。雪は多いが麓とは然程違いは感じられなかった。陽当たりが良いので溶けやすいのか


京都北山・花脊の寺山峠から北に続く雪に埋もれた林道と古い踏み跡

花脊別所西稜線を北へ

寺山峠からは稜線直下に沿う林道を通り北を目指すことにしたが、写真の通り、埋もれた古い踏み跡のみで、近日の人跡はなかった。

それどころか、南方は花脊峠方面からの人跡もなかった。先行の足跡も峠で絶えたので、引き返したようである。

花脊峠からの登山者が先に通過しているかと思ったが、未着か別路を採ったか。私は鞍馬駅までの帰路の長歩きを考え、極力北に進出せんと、登りを厭わず高原前停留で降りたが……。


雪に覆われる京都北山・花脊の寺山峠付近で輪かんじき(ワカン)を装着
まあ、構わず峠から北を目指し歩き始めたが、ほぼ踏み跡のない新雪路で歩き辛くなったので、ワカンを装着して進む


京都北山・地蔵杉山近く山上で雪にまみれる林道や樹々
峠から1km程進んだところで要注意箇所を通過。中央に林道が通っているのだが、半ば埋もれて判り辛くなっている。恐らくは雪崩の所為と思われる。特に雪が多いここは斜面傾斜が大きく、樹々疎らな悪条件となっていた。実際、デブリ(崩雪堆積)も目撃し、昨年も危険を感じた場所であった。慎重に、そして素早く通過。気温が低い午前なので大丈夫だろうが、多量の積雪があった直後や雪が緩む午後は通らない方がよい場所であろう


京都北山・地蔵杉山近くの斜面に続く半ば埋もれた古い踏み跡
要注意箇所を過ぎると林道が途絶し道なき道を進むことに。向かうべき稜線上に進む、埋もれた踏み跡が続くが、ワカンを履き、読図で場所や進路も把握しているので、有っても無くても特に影響せず


京都北山・地蔵杉山裏辺りの、多量の雪が付着した北山杉
林道を離れ旧来の尾根筋に乗って進むが、やはり雪が多い。特産の北山杉も、このように多くの雪が付着する姿と化していた。ひょっとして、先週の大雪直後は「スノーモンスター」の如き姿だったのかもしれない


京都北山・ハタカリ峠近くのノートレースの雪深い稜線

奥山を旋回し山域最高所巡る

地蔵杉山(標高899m)の裏を過ぎて稜線を進む。去年登り、眺望も無かったため今回は同山に登らず。そして、北から西、更に南に向くよう、奥山の稜線を旋回する。

本日の最北端かつ奥山なので雪が多い。大雪から一週間以上経ったとは信じ難い状況であった。気象条件も厳しいのか、写真の通りトレース(踏み跡)も消え失せた。この山域に入る人はご注意を……。


雪まみれの雲取後峰から樹林越しに見えた雲取北峰
南へ向き始めれば樹林の彼方に今日の目的地の一つ、雲取北峰(標高約915m)が見えてきた


深雪・ノートレースの京都北山・雲取峠
その後、深雪の稜線を下り、雲取峠(標高約870m)に到達。意外にもトレースが全くない、完全な平滑雪原状態であった


京都北山・雲取峠付近で新雪に沈むワカン履
雪は更に深く、新雪的雪質も高まったように感じられた。ワカンを履いても、この通り平気で30cm以上沈むことも、しばしば……


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人けのない雲取峠を通過し、隣の雲取北峰に上る。やがて、灌木の果てになだらかな山頂が見えたが、またしても、トレースは見られなかった


京都北山・雲取北峰山頂からみた地蔵杉山等の山々の雪景色
雲取北峰山頂から見た、北山杉の植林が美麗な地蔵杉山(中央)等の京都北山の峰々。つまり、先程この山頂裏辺りを右から左へ移動しつつ、ここまで周り込んできたのであった


京都北山・雲取山付近で見た、狸か狐の足跡らしき雪上痕
雲取北峰付近の雪上ではこの様な足跡も目撃。イヌ科らしき様から、狸か狐のものであろうか。一見不毛に見える雪山でも、この様な野獣痕跡は少なくない。加えて、雌鹿や雌雄の雉等の、鳥獣自体も目撃した


珍しく、雪面にトレースのない京都北山・雲取山山頂
これまた人けのない雲取北峰で昼食後、南西に連なる雲取山主峰(標高911m)にも寄る。この山域の最高所を巡るためである。しかし、その山頂もこのようにノートレースの無人雪域となっていた。これは大変珍しい。まだ正午頃だったので単なる一番乗りなだけか。それとも雪の多さで麓に近寄り難いための閑散か……。実は、私自身、本来は昨朝貴船経由の車行予定だったが、路面の凍結等で貴船より先に進めず断念していたのである


急に晴天となった京都北山・雲取峠の雪原
午後から眩いばかりの雪原に急変した雲取峠

別路の谷と尾根筋経る帰路へ

雲取山を覗いたあとは、谷への下降路を採るため、自分のトレースを踏み、また雲取峠まで戻った。すると、先程までの降雪天気が嘘の様に失せ、眩いばかりの雪景と化した。

あと、先程は無かったトレースが一筋、自分のトレースに交差しており、別人が現れたことを知る。近くの大学小屋の入口に人が見えたので、関係者が様子を見にきたのであろうか。


京都北山・雲取峠下の谷沿い雪面の急下降
雲取峠からは、この様な谷沿いの急斜を下り、また寺山峠を目指す。今日の最終進出地は北周りでの雲取山。即ち、これより帰路で、寺山峠には谷なかの近道をゆく。午後を過ぎ、更に晴れてきたので、みるみる雪が緩み始めるのを感じる。別人のトレースを足下に見つつ、気をつけて進む


雪にまみれる、京都北山・雲取峠下の灰屋川源流谷と正体不明の山小屋
雲取峠下の桂川水系・灰屋川の源流谷もこの通りの多雪ぶり。右上小屋の正体は不明だが、どこかの大学山岳部の関係か……


晴れて雰囲気が一変した雪の寺山峠
灰屋川源流谷を下り、その支谷からまた少々登って再度寺谷峠に着く。明るい陽射しに包まれ、今朝とは別の場所、別時期のように感じられた。そういえば、谷なかの分岐にて初めて人とすれ違ったが、沢の渡渉に迷っていたようであった。私が下流を渡ったのを見て近づき挨拶したが、比較的若めの男女二人組で軽装かつ慣れない雰囲気。しかも時間は13時前。恐らくは雲取山に向かっているとみえたが、大丈夫であろうか。バス停近くにも警察による遭難多発の注意喚起が掲示されていたことが気になった


京都北山・寺山峠の南へ続く古いトレースのある雪の林道
さて、寺山峠からは往路の斜面を下らず、尾根沿いの林道を南へと進む。南彼方の鞍馬駅に向かうためである。ところが、見ての通りその道上には埋もれた古いトレースしかなかった。雲取峠に続く別人のそれは寺山峠下の花脊集落からのものと思われた。結局南の花脊峠方面からは誰も来ず、今日は私独りでラッセル(深雪作路移動)となりそうである


京都北山・寺山峠と旧花脊峠間を結ぶ林道上からみた、丹波高地越しに連なる雪の比良山脈と蓬莱山
陽射しと午後の気温上昇をうけて急激に雪が重くなり、少々進み難い。しかし、晴れ渡った尾根近くの路上からは今朝見られなかった遠望が叶った。写真は東北方面に見えた丹波高地越しに連なる雪の比良山脈。滋賀県西部に連なる連峰で、中央にはその南部を代表する蓬莱山(中央奥。標高1174m)が見えた。彼の地もかなり雪が有りそうである


トレースの無い、京都北山・寺山峠と旧花脊峠間を結ぶ雪の林道、
林道を進むと、やがて古いトレースすら消失。林道というより、単なる雪尾根の如き風情。日向は重い融雪、日陰は深く沈む新雪という、両極端な高負荷歩行が続く


雪積る京都北山・寺山山頂と私製標識
寺山峠から1km強進んで寺山(標高862m)に到達。林道脇の林間にこの山頂があるが折角なので寄る。付近は広い平坦地となっているので、地元の寺跡伝承と関連があるのかもしれない。そういえば寺山峠と寺山の間に標識の無い廃れた峠があるが、寺山峠の名はそこが適地のような気がする。それが花脊西隣の芹生集落と花脊別所集落を結ぶ最短路上にあり、かつ寺山のすぐ北にあるからである。誤伝等に因り名づけが混乱しているのか


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寺山からまた1km強進み旧花脊峠に近づいてきたところで、漸く路上にトレースが現れた。最近流行りの浮力の大きいスノーシューのもので、同峠から来てここで引き返したらしい。スノーシューハイクか機材の試用か


京都北山・寺山尾根から見えた雪の比良山脈・武奈ヶ岳
今度は比良山脈主峰・武奈ヶ岳(中央奥。標高1214m)が見えてきた。こちらも、さぞや雪深いであろう


京都北山・寺山尾根からみた雪山風情の天狗杉
そして新旧の花脊峠を隔てる天狗杉(山名、中央奥。標高837m)も現れ、程なくして旧花脊峠に到着した。今朝バスで越えた京盆地北縁に戻ってきたのである。ただ、何故か付近に改造四駆車が数多集合して、写真を撮れる状況にはなかった。こんな雪深い旧道に何の用で集まったのか。各車エンジンをかけっぱなしで下車し、煙草を吹かして、たむろするなど雰囲気も悪い。そして、何故か私が旧道を下方へ進むと、大きな車音を立てついてきた。怪訝に思ったが、途中の柵に阻まれ、やがて引き返していった


旧花脊峠下の旧道跡地から見上げた天狗杉南面雪原

旧路での近道やめ登り返す

旧花脊峠からは鞍馬尾根伝いに貴船口駅まで山中を南下したかったが、近年鞍馬寺が通行を禁じたので旧道を下り最短路で国道へ出ようした。だが途中から荒れており、また、緩んだ雪の急下降を避け峠に引き返した。

以前倒木に苦労しつつ下から通過したことがある谷筋だが、近況がわからないということもあった。三分の一程下降したが「急がば回れ」ということにした。

写真は旧峠への登り返しの途中に見上げた天狗杉南面。京都市街、特に左京市街から望める北山縁の伐採雪原である。


雪ある旧花脊峠と異様な四駆車軍団の轍
廃滅旧道を登り返し、再度辿り着いた旧花脊峠(奥の祠辺り。標高750m強)。先程の四駆車軍団は深い轍のみを残し、全車去っていた


京都北山・天狗杉山頂と雪上から覗く三角点
登り返した旧花脊峠からは、避けたかった天狗杉への高さ100m弱の登坂と新峠までの縦走を行うことに。写真は仕方なく登り着いた天狗杉山頂


旧花脊峠ち花脊峠を結ぶ天狗杉の縦走路上の雪面に続く登山者のトレース
天狗杉山頂から続く縦走路。京都北山山中の著名交通路なので、さすがに幾つもトレースが着いており、比較的歩き易かった


京都北山・天狗杉付近から見えた京都市街及び大阪・奈良方面や金剛山
天狗杉縦走路から見えた京都市街及び大阪・奈良方面。中央奥に阪奈境界の名峰・金剛山(標高1125m)が見える


京都北山・天狗杉付近から見えた、冠雪する鈴鹿山脈最高峰の御池岳
更に今回は東方に鈴鹿山脈の最高峰・御池岳(標高1247m。中央奥)が見えた。天候の所為かこれまで何度も通った場所だが、初めての目撃。とまれ、彼の山も多くの雪を戴いている


京都北山・天狗杉付近から見えた、冠雪する鈴鹿山脈の雨乞岳付近や湖東平野及び琵琶湖
こちらも天狗杉縦走路から見えた東南は鈴鹿山脈・雨乞岳(標高1237m。中央右奥)や湖東平野に琵琶湖(左下水面)。鈴鹿南部も雪が多いか


雪の山中を貫く国道477号線がある京都北山・花脊峠

延々たる最後の国道下り

そして、間もなく天狗杉の縦走路から国道貫く花脊峠に下降。

ここにてワカン等の山中装備を解除。峠の電光板には気温1度の文字が浮かんでいた。時は15時半前、今朝バスで通過した時より3度の上昇。


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峠からは車道を延々と下る。唯一の帰路便バスが18時半前まで来ないため仕方なし。駅がある鞍馬までは下りだが、6km以上あるため大変である。速足で進むが何時まで経っても山間から出られない。これを短縮するために先程旧道を試みたが残念であった。そして、時折樹々の上から大量の雪が落ち驚かされる。注意して進み、漸く斜陽さす鞍馬の里に入った


冬の鞍馬寺門前
ご存じ鞍馬寺門前も通過。急いだ甲斐があってか、結局、距離6.2km、高低差526mを1時間で歩けた。鞍馬からの便も、折よく出発10分を切るバスがあったので、それに乗ることができたのである


京都市街北部・国際会館駅前ターミナルに停車する鞍馬からのバスと夕暮空に立つ天狗杉山とその南面雪原
京都市街北部のバスターミナル「国際会館駅前」に停車する鞍馬発着のバスと、夕暮空に立つ天狗杉山とその南面雪原(中央奥)

天狗杉見上げ帰宅

鞍馬からバスにて京都市街北部は岩倉地区にある国際会館駅前に移動し、そこから別のバスに乗り換え無事帰宅した。

今日は、全山中行程の約5分の2が国道歩きとなる一風変わった山行となったが、一先ずは今季初の雪山に親しむことが出来てよかった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年01月10日

車窓探雪

新幹線車窓からみた多量の雪に覆われる伊吹山

超特急車窓の雪峰探し

正月休み及び連休明け早々ながら、珍しく新幹線に乗る機会を得た。

その車窓から景色を観ていたが、気になるのは、やはり山。しかも時節柄雪山で、つい遠望してまで、その存在を探してしまう。

そう、今季はまだ雪山に入っていない、ということもあった。昨年12月はまだ近隣の山に雪が少なく、また今日のように遠方への所用のため年初も行けずじまいだったのである。

富士山や、僅かに覗く南アルプスの雪峰に次いで、確かな冠雪の姿を見せたのは、写真の伊吹山(標高1377m)であった。

さすがは、安定確実の豪雪山地。滋賀・岐阜県境の市街地近くにありながら、3000m超の上記2山に劣らぬ雪を戴いている。そういえば、昨年3月に個人的初登頂を果たしたばかりの山であった。


新幹線車窓からみた冠雪する湖北西部の赤坂山
こちらは、同じく新幹線車窓よりみた滋賀県北西・野坂山地(高島トレイル)の雪山、赤坂山(同824m)。北陸福井との県境にある為ここも降雪が多く、麓にはスキー場もある。ここも、昨年初めに雪歩きを楽しんだ


新幹線車窓からみた冠雪する滋賀西部・比良山脈中核部の堂満岳や武奈ヶ岳等
続いて見えたのはこのサイトでもお馴染みの滋賀西部・比良山脈の雪峰群。山脈中核部分で、中央左に尖った堂満岳(標高1057m)、同右に最高峰の武奈ヶ岳(同1214m)が見える。ここも、非高山ながら、安定の雪量。なお、雪の堂満岳には、昨年2月に2度出かけている


新幹線車窓よりみた、京都市街の果てに薄っすら雪を被って聳える比叡山
こちらは、比良山脈南に聳える比叡山(標高848m)だが、京盆地に入ってからの姿。あまり雪が載らない山だが、今日は珍しく薄っすら冠雪している。どうやら朝方に、市内共々少々降雪したようである。雪の叡山といえば、2020年2月の厳寒時に登った時のことが思い出される


新幹線車窓よりみた、京都北山の天狗杉や杉峠等の奥鞍馬の雪峰
こちらは、個人的鍛錬場として馴染みの、我が左京区の京都北山(城丹尾根・丹波高地)の天狗杉や杉峠等の山。いわば「奥鞍馬」に相当する場所で、多量の積雪が確認できる。かなり期待出来そうである。ここも去年1月の多雪時に行った、天狗杉・寺山・地蔵杉山等への山行が懐かしい


京都市バス車窓よりみた、寒々しい冬曇り下の三条大橋や賀茂川(鴨川)
こちらは新幹線ではなく、下車後に乗った市バス車内より。かの三条大橋と賀茂川(鴨川)の景である。市中に雪はないが、この時期らしい空模様で、寒々しく、また実際に厳しい寒さとなっていた

さて、間もなく帰宅。新年もまた隙をみて雪峰を歩きたいと思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2022年11月27日

近山晩秋

観光客の頭上に楓紅葉の落葉が降りかかる、京都・真如堂境内

晩秋の京都市街東部

京都市街東部の左京区南部辺りでは、今週半ばを頂点に紅葉時季が終りに向かい始めたことを感じるようになった。

名所・真如堂(真正極楽寺)でも、盛りの美麗さはあるが、同時に写真の如く、参観者の頭上に楓紅葉の落葉が降りかかる晩秋の姿が見てとれた。

来週は、いよいよ年末12月。秋が終り冬が始まる。今日は近隣の名残りの紅葉を楽しみつつ、同様に美麗な近山も散策してみた。


総門を潜り現れた真如堂の諸堂と、境内を彩る鮮やかな紅葉
正門たる総門を潜り、現れた真如堂の諸堂と境内を彩る鮮やかな紅葉。いつもより人が多いが、観光バスが入れない丘上のここは穴場的名所である


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こちらも真如堂。書院と本堂(右)を繋ぐ回廊前後で鮮やかな色を放つ楓紅葉


神楽岡墓地から見た天然林紅葉が鮮やかな瓜生山と双耳峰姿の比叡山

紅葉美麗な瓜生山へ

市街東部の紅葉名所・永観堂(萎れ始め)や真如堂を観たあと、近山に向かう。

それは、真如堂がある丘(中山?)の南部から見た写真の瓜生山(うりゅうやま。標高301m)であった。美麗な天然林紅葉ある手前の山の中央がその頂で、背後の陰になった峰は比叡山である。

叡山はここからみると真の姿である双耳峰であることが判る。即ち左が四明岳(標高838m)、右が大比叡(標高848m)の二頂構造。瓜生山は、古来その二つの峰の裏にある延暦寺や東麓の近江滋賀への通路でもあった。


京都市左京区別当町のバプテスト病院の擁壁下の瓜生山登山口
真如堂の丘を下り、瓜生山の麓へ。ここが代表的な登山口だが、開発が際まで迫り味気ない。登山道は中央の車道ではなく、左の病院擁壁下に続く沢に沿っている。必要な施設だが、もう少し遣りようはなかったのであろうか。瓜生山も、大文字山と劣らぬ歴史遺産に彩られた山域なのに


北白川別当町の瓜生山登山口奥の沢と落ち葉や白川石の散乱
擁壁の奥はいきなりこの様な山中となる。少し進み、登山口側を振り返った景。右下には京の銘石・白川石の産地らしい、加工石材の散乱も見える


瓜生山の尾根道に残る瓜生山城の郭跡と、落ち葉ある明るい秋山の雰囲気
沢の途中にある大山祇神社を過ぎ、尾根道を進む。頂部が広く削平されているが、実はこれは戦国時代の山城の郭(くるわ。防御陣地)跡。山頂に武家の守護神的存在・将軍地蔵を祀った瓜生山は、嘗て足利将軍の拠点にもなった付近屈指の城郭であった。そんな歴史を秘めつつ、落ち葉散る明るい秋山の風情も良し


瓜生山の尾根道に残る瓜生山城の郭跡と、黄葉ある明るい秋山の雰囲気
緩やかな尾根道から急登に入り、更に進む。麓の町名由来となったとされる小頂・茶山を過ぎ、山頂までの中段的尾根に出ると、また人為痕跡がある郭跡が現れた。黄葉が近くに迫り、更に秋の風情が濃くなる


落ち葉散る瓜生山山頂平坦地と幸龍権現の祠
そして最後の急登を上り、瓜生山山頂着。広い平坦地になっているが、これも人為とされ、瓜生山城(将軍地蔵山城)の本丸跡とされる。奥の祠は、別の登山口にある狸谷不動尊の奥の院である幸龍大権現、その裏には今は麓で祀られる将軍地蔵が収められていた石室(いしむろ)がある


瓜生山山頂からみた、南方は東山連峰の紅葉と大文字山
瓜生山山頂からみた、南方は東山連峰の紅葉と大文字山(奥の峰)


瓜生山山頂北の尾根上から見た比叡山とそこに続く山肌の紅葉
時間的・距離的に大した疲労はなかったが、折角なので、山頂で暫く寛いだあと、別路で下山する。城跡を濃厚に窺わせる地貌を辿りつつ、尾根上から見えた、比叡山とそこに続く山肌の紅葉。この、瓜生山山頂北の道は比叡山への古道とも重なる


明るい紅葉の秋風情に包まれる、比叡山への古道及び戦国城塞の軍道、瓜生山山頂北の尾根道
比叡山への古道で、戦国城塞の軍道でもある、瓜生山山頂北の尾根道にも、こんな良き秋風情があった


瓜生山山頂北から続く谷道の紅葉ある秋風情

近場侮り難し

間もなく瓜生山山頂北の尾根道を逸れて下降し、谷道を進む。写真で見るように、誰にも遇わないここにも静かな秋風情があった。そして、また元来た登山口へと下ったのである。

僅か1時間くらいの、軽く汗かく程度の山行だったが、意外と秋の風情が豊かで、印象深いものとなった。今季色々行ったなかでは、最も良かったかもしれないとすら思わされた。

やはり、近場も侮り難し――。

そんな思いに改めてさせられた、晩秋の京都近山行であった。

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2022年11月12日

比良紅葉検行後記

比良山脈・蓬莱山山頂スキー場の芝生と木道彼方の琵琶湖

比良南部での秋探索

芝生彼方の水面に続く滑走路の如き木道――。

ここは滋賀県西部・比良山脈の一峰、蓬莱山(ほうらいさん。標高1173.9m)山頂。雪のないスキー場から琵琶湖方面を見た眺めである。

今日は先週に続き山鍛錬を兼ね同山脈の紅葉具合を観にきた。ただ、前回や前々回は紅葉の進みが早く既に盛りだったため、その南部を訪ねた。


比良山脈・権現山山頂近くの唐松らしき樹々の見事な黄葉
車輌でさっと山脈西麓の平(だいら)集落に向かい、そこからすぐに入山し、ひたすら急登を上り50分程で権現山(標高996m)に接近。山頂手前では、この様に唐松が見事な黄葉を見せていた(樹種同定は推測。自生西限を超えている筈だが、人為的に植えられたのか)


比良山脈・権現山山頂からみた、霞んだ南の景色
比良主稜線最南部といえる(これ以南は標高が急降下)権現山山頂からの南の眺め。左手前の峰が今年2月に雪と倒木で難儀した霊仙山(標高750m)、左奥が琵琶湖南湖、中央奥の峰が比叡山(同848m)、その右の谷が大原・八瀬方面で、その彼方に来し方の京都市街がある。前回等と異なり、空は晴れているが、かなり霞んでいる。明日天気が崩れる影響か


比良山脈南部・権現山から北はホッケ山や蓬莱山に続く稜線路
権現山からそのまま稜線路北へ進む。ホッケ山(標高約1050m。中央奥)や蓬莱山山頂(右奥)が現れるが、その間の樹林は既に冬枯れしていた


比良山脈南部のホッケ山・小女郎峠間で見た中腹の紅葉や眼下の琵琶湖.jpg
一旦下り、また登り返してホッケ山を越える。眼下には近くなった琵琶湖湖岸が現れた。紅葉の盛りは、もはや中腹辺りまで下がったようである


比良山脈南部の小女郎峠から蓬莱山に続く、熊笹のなかに続く天上の稜線路
北上を続け、稜線上の十字路・小女郎峠(標高1076m)に接近。左下の峠から右奥の蓬莱山までの熊笹の原に続く、天上の道を進む


IMGP0653e.jpg
そして、今日の折り返し点の、比良南部の最高峰・蓬莱山山頂に到着。麓からの時間は1時間50分弱であった。居並ぶ石仏の彼方に、来し方の縦走路や叡山、琵琶湖が見えるが、相変わらず空は霞んだまま……


比良山脈蓬莱山山頂からみた武奈ヶ岳・堂満岳方面の冬枯れが進んだ山上の天然林
蓬莱山山頂で今日初めての休息に。軽食を摂りながら北方を眺めると、この様に山上の天然林の広がりが。前々回登った武奈ヶ岳(中央やや左奥)や前回登った堂満岳(右奥)等がある比良山脈中部の山上景であった。明るく軽やかな眺めだが、やはり冬枯れが進行していた


IMGP0696.jpg
昼食後、暫し山頂の四方を眺めて、下山開始。元来た道をひたに進んだが、折角なので、小女郎峠奥の小女郎ヶ池に立ち寄った。標高1050mを超えるここも、既に晩秋の雰囲気であった

静かに進む山の冬支度

そして、蓬莱山山頂から1時間20分程で下山し、京都市街へ帰着した。

厳冬期・積雪期となる12月末まであと一月強。

今日は京都市街の気温が20度を超え、山上も先週より暑く感じられたが、比良山上では静かに冬支度が進んでいるようであった。

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2022年11月06日

続比良紅葉検行

滋賀湖西に連なる比良山脈の秀峰・堂満岳と山上及びその周辺の紅葉

比良紅葉検分東面編

日曜午前、今日も前夜就寝が遅かったため遅れたが、先週同様、京都市街隣県の滋賀西部は比良山脈へ。

今回は前回の西麓とは違い東麓から。即ち琵琶湖側から登った。目的は西面より陽当たりが良く紅葉の美麗が期待出来た東面の確認や鍛錬、そして年初の積雪期に堂満岳で失くしたストック(山杖)先端の探索であった。


上掲写真 滋賀湖西に連なる比良山脈の秀峰・堂満岳(標高1057m。中央)と、色づく山上及びその周辺の紅葉。


滋賀県西部・比良山脈の金糞峠下の谷なかでみた美麗な紅黄葉

車輌を標高300m超の公園付近に置き、金糞峠(かなくそとうげ)までの急な谷道を進む。今日は、年初にストックの先を落としたことが確実な堂満岳(標高1057m)までの道を往復する予定であった。

比良著名な落石地「青ガレ」を急ぎ通過し、やがて谷なかのガレ場で写真の紅黄葉と出会った。樹々の色づきは麓の公園から見られたが、やはり山上のブナ等のそれは格別であった。


滋賀県西部・比良山脈の堂満岳後方尾根からみた釈迦岳周辺の見事な紅黄葉
やがて金糞峠峠を通過し堂満岳裏の尾根登坂路へ。その樹間から、北方は釈迦岳(標高1060m)周辺の、この見事な紅葉が見えた。やはり目論見通り、今日が盛りだったようである。空も快晴で、言うことなし


滋賀県西部・比良山脈堂満岳の秋快晴下の山頂
そして堂満岳山頂着。出発してから撮影以外止まらず、約1時間半で到着。久々に見た無雪期の堂満山頂は、2月の積雪時より山頂が狭く感じられた


滋賀県西部・比良山脈堂満岳山頂からみた山脈の紅葉と琵琶湖北湖
軽食を食しながら暫し山頂からの眺めを堪能。これは北東は琵琶湖北湖側


滋賀県西部・比良山脈堂満岳山頂からみた琵琶湖北湖対岸の伊吹山とその左奥に見える御嶽山
こちらは同じく北東は北湖対岸の伊吹山(標高1377m)の望遠撮影。その左奥に薄っすらと本邦最西端の3000m峰・御嶽山(標高3067m)が見える


滋賀県西部・比良山脈堂満岳山頂からみた琵琶湖南湖や琵琶湖大橋
こちらは南西は琵琶湖南湖側。左の橋梁は湖のくびれ部分で東西両岸を繋ぐ琵琶湖大橋


滋賀県西部・比良山脈麓の琵琶湖岸「松ノ浦」の浜
比良山脈麓・琵琶湖岸の白砂の浜(志賀松ノ浦)

計4度捜索の結果

あまりに天気が良く、風もない温暖だったので山頂で昼寝でもして帰りたかったが、色々やることもあり、結局滞在20分強で撤収。その後また来た道を下り、1時間弱で下山した。

肝心のストック先端は見つからず。2月末に同じ道程を捜索したが、これで2往復・計4回確認したにもかかわらず発見できなかった。山のゴミと化すのは心苦しい限りだが、これにて諸方お許し頂き、捜索終了としたい。

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2022年10月30日

比良紅葉検行

比良山脈主峰・武奈ヶ岳山頂直下の広尾根の道と、彼方に広がる京都府側の丹波高地

近山の紅葉如何

10月も明日で終りの日曜今朝。

隣県滋賀西部の比良山脈に、紅葉具合の検分と鍛錬兼ねて短時独行した。登ったのは、山脈中、紅葉進度が最も早い、最高峰の武奈ヶ岳(ぶながたけ。標高1214m)。


上掲写真 比良山脈主峰・武奈ヶ岳山頂直下の広尾根の道と、彼方に広がる京都府側・丹波高地の山々。


10月末で未だ紅葉していない、武奈ヶ岳登山口の比良西麓葛川坊村・明王院境内

登行前の後悔?

比良山上の紅葉盛期は例年11月初旬だが、その頃に武奈ヶ岳に登ると冬枯れが多く、少々不満だった。よって、今回少し早めに来たが、通り道の大原・叡山等を含め、麓には紅葉の気配は乏しかった。

少々早まったか……。

そんな気もして後悔し始めたが、仕方なく登ることにした。写真は登山口の比良西麓・葛川坊村(かつらがわ・ぼうむら)集落にある密教寺院・明王院境内(標高310m強)。これを見ても夏山と変わらない様子がわかる。


比良山脈・武奈ヶ岳西南稜ルートの標高690m地点の、まだ紅葉が進まない天然林
乗っけから急登の道を30分程上った標高690mの天然林でも、この様子


比良山脈・武奈ヶ岳西南稜ルートの標高900m地点の天然林の紅黄葉
だが、登山口から1時間弱、標高900mまで上がると、美麗な紅葉が現れた。ただ、盛りにはもう少々足りないようにも思われた


比良山脈・武奈ヶ岳西南稜ルートの御殿山手前尾根の紅葉
更に登山路を進み、途中通過する御殿山(標高1097m)の手前ではかなり進んだ具合に


比良山脈・武奈ヶ岳西南稜ルートの御殿山北からみた、武奈ヶ岳山頂や標高1100m以上の天然林を彩る紅黄葉
やがて御殿山を過ぎ、現れた武奈ヶ岳山頂(左峰の奥側)及びその周辺の標高1100m以上の天然林は、この様な状況に


比良山脈・武奈ヶ岳山頂からみた、同山脈コヤマノ岳周辺の紅黄葉
武奈ヶ岳山頂から見たコヤマノ岳(標高1181m)周辺の天然林黄葉

意外な山頂

そして山頂着。麓の状況から期待していなかったが、意外にも紅葉(ブナが主なので黄葉か)具合は写真の通り、盛りといえるものであった。

しかし、それでも既に葉の落ちた冬枯れも目立った。恐らくは落葉の時期が早い種があるのか。まあ少々のことは致し方あるまい。

さて、比較的遅くに登り始めたが、休憩せずに1時間40分程で登ってきたため、ちょうど昼時となった。大勢の人で賑わう山頂の縁にて軽食を摂り、また一気に下山したのである。


比良山脈西麓・安曇川水系葛川沿いのススキや紅葉
比良山脈西麓・安曇川水系葛川沿いのススキや紅葉。帰路にて

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2022年10月09日

続2022秋私野営会

滋賀湖南アルプスの野営地の天幕に守られた焚火式竈や薪

予報覆らぬも

私的野営会2日目。

昨晩、空が晴れ渡り十三夜の満月観賞が叶ったが、朝にはまた曇り空と化していた。しかもそれは、昨日より重い、如何にも危うげな姿であった。

やはり、予報は覆ることなく、午後早くに雨が降りそうである――。

さて、そんな天候下、夜露や想定外に早まる雨を警戒し、写真の通り竃に天幕を張り備えたが、高さがある為か、はたまた風の所為か、竃内もある程度の湿気に晒され、朝本格的に火が熾るのに少々時間がかかった。

これも、下り坂の天候故か……。

その後、朝食を食し、また午後には昼食を摂って早めの片付けに。撤収後半に雨が降り始めたが、濡れると厄介なテントはその前に片付けたので、問題なし。そして、無事本降り前に下山し、帰路に就けたのであった。


2022年秋私野営会1日目はこちら

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2022年10月08日

2022秋私野営会

天幕に覆われた焚火式の竃(炉)や薪が用意された野営会恒例の調理場

「私」付野営開かれる

秋行楽時の三連休。

いつもなら恒例の秋季野営会(やえいかい)の時期であるが、今年は幹事の「休息したい」との申し出から休止とした。



それなら、どうして表題画像がいつもの竃周辺のものになっているのか。しかも、多量の薪や露除けの天幕まであって用意万端ではないか……。

実は、いつものような予告・声掛けは無しで、今日、私的・臨時的に実行したのである。それは、以前から野営をしてみたい、との申し出があった、初心者のための非公式的開催であった。

よって、今回は表題に「私」の字を入れたのである。もし告知等を待っていた人があれば、ご諒解を。ただ、元来自主性を重んじる会なので、希望する人は連絡が無くとも能動的・積極的に申し出てもらいたい。


焚火式の竃(炉)にかけられた、やかんや鍋等々

今回の三連休も前回・前々回同様に晴天予報はなかった。この前日も終日かなりの降雨があり、今朝まで小雨が残っていた程であった。

ただ、中日の今日は貴重な曇り日で、明日午後からまた雨が降り始める予報だったので、その合間を狙った開催となった。故に、比較的早い時間に野営地入りするなどして、その機会の有効活用に努めた。

今日は雨こそなかったが、終始曇りの怪しい空模様。ただ、気温は丁度良く、いつもの様に強力な陽射しや地面の照り返しがなく、快適であった。

写真は夜の竃の様子。さすがに夜は気温が落ちたが、それでも比較的温暖で、過ごし易い焚火夜となった。


滋賀湖南アルプスの野営地上空に現れた十三夜の満月
今日は十三夜の満月日。天候具合から当初その観賞を諦めていたが、なんと、夜になると空が晴れ渡り始め、奇跡的に観ることが出来た


2022年秋私野営会2日目はこちら

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2022年09月27日

続駒嶽独錬行

甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上にある七丈小屋のテント場東空に現れた早朝の朝焼け

残念ながら最終日に

甲斐駒ヶ岳独錬行2日目。

今日は標高2400mの野営地を早朝に出て山頂を往復し、その後、天幕等を片付け、麓駐車場まで下山して帰京する予定であった。

本来は山中で2泊してゆっくり高山風情を味わいたかったが、野営地と水場及び厠の距離が遠く険しくて居づらく、また、今晩から天候悪化が予想されため、残念ながら撤収することした。

前夜は20時頃から寝る態勢に入ったが、想定外の気温の高さ等により深夜まで寝られなかった。そして予定の4時半に起床し、炊飯して朝食を摂るなどの準備を始めた。

高地の秋の早朝なのに全く寒くないという不可思議な状況の天幕外には、早くも写真の如き朝焼けが現れ始めていた。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上にある七丈小屋テント場の東空に現れた雲海上のご来光
そして出発前の5時37分には、押し寄せる雲海の彼方にご来光が昇ってきた


朝日に赤らむ、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根七丈小屋テント場上の林

野営地(標高2400m)〜八合目御来迎場(同2680m、積算距離約8.0km)

確り足下が明るくなり、最早ライトが不要な頃を見計らって山頂に出発。登山路周囲の山林は写真のように朝日を受けて夕景のような色合い・風情であった。

因みに野営地から2組程先に出たようだが、私は未知のルートは夜歩かないようにしている。況してここは修験の道。憚られる思いもあった。


朝日に赤らむ甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上部
朝日に赤らむ黒戸尾根上部。野営地と山頂の高低差は約567mで、未だ山頂は見えない


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根七合目付近の足下に現れた古い石材
進む路傍には昨日同様に石碑・石仏が現れ、足下にもこのように埋もれた古い石材が現れた。ヘリや重機がなかった時代、背負子・草鞋履きでここまで背負ってきたのか……。古人の、恐るべき信仰の力を感じる


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上部の七合目辺りからみた秩父山地方面の雲海や朝日
ひらすら尾根道を登ると、同じく朝日も高度を上げる。昨日同様、今朝も寒くはなく、暑ささえ予想されたため、始めから上着無しで進むも、全く問題なし。風もないため、相当条件が良いのであろう


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根八合目にある御来迎場と鳥居跡の2本の石柱
そして出発30分程して八合目の「御来迎場」という場所に到達。標高は約2680m、山上を目の前にした聖地で、石碑等の設置があった。左右長さの違う2本の石柱は元鳥居だったらしく、近年倒壊したらしい


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上部にある、剣2本が刺された烏帽子岩

八合目御来迎場(標高2680m)〜甲斐駒山頂(同22967m、積算距離約8.8km)

御来迎場で小休止して先へ進む。山頂は未だ見えないが、山頂近くにある有名な剣2本が頂部に刺された烏帽子岩が見えてきた(写真中央)。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根八合目付近の岩場鎖場
8合目付近から樹々は減り岩場が多くなってきた。この様な鎖場も幾つか現れたが、足場が付けられており、その高さも低いため難儀は感じなかった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根八合目上にある岩間の崖道
野営地から山頂までで最も険しかったのは、この岩間の登りか。ただ、特段難しかったり、怖い場所ではなかった。天気や季節が違うと別だろうが


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根9合目付近から見た2本剣ある烏帽子岩た彼方の鳳凰三山、そしてその背後の富士山
そして、いよいよ2本剣も見下ろす位置に達する。鳳凰三山越しに富士山が覗くこの景は、以前から甲斐駒の象徴のように多くの媒体で紹介されている。現れた風景に対する気持ちが似通うのか。ただ、珍しくはないとはいえ苦労して黒戸尾根を登らないと撮れない、価値ある一写・眺めではある


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根9合目付近から見えた山頂とその上に立つ祠
また、遂に山頂も見え始めた。山上に立つ駒ヶ岳社の祠が目印である。荒々しい印象に反して、意外と緑が多く、繊細な雰囲気に見受けられた


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根最上部付近の小頂上に林立する石碑や石造の駒ヶ岳神社本宮
更に進むと、大国主命等の石柱(中央左)が林立し、石造りの小社殿がある駒ヶ岳神社本宮(中央右下)脇を通過


青空の甲斐駒ヶ岳山頂に立つ祠

独占の甲斐駒山頂

そして山頂着。野営地を出て1時間半弱であった。標準時間は2時間半なので、ゆっくり来た割りに早く着いた。やはり重荷がないのが効いたか。

写真は扉に草鞋が奉納された山頂祠。因みに登山口からここまでの総距離は約8.8km、その高低差は約2200mに及んだ。正に、日本三大急登に相応しい量感である。


甲斐駒ヶ岳山頂とその標識
一先ず祠前で跪拝後、その裏へまわると山頂標識があった。先程1人先客がいたが、下ったようなので独占状態に。著名な山にしては中々珍しい。まだ7時過ぎなので七丈小屋以外から来るには早いのか。とまれ、先ずは小三脚を出して証拠の自分撮りを行い、その後四囲の記録撮影を行った


甲斐駒ヶ岳山頂からみた、朝日に輝く鳳凰三山越しの富士山
甲斐駒ヶ岳山頂から見た富士山。手前の鳳凰三山より高い場所に来たので、その全容が窺えた。それにしても美麗な山容である。やはり、これほど均整のとれた山は他にあるまい。唯一無二の、本邦一の麗峰である


甲斐駒山頂から見えた、南方は北岳等の南アルプス中心方面
こちらは同じく甲斐駒山頂から見えた、南方は南アルプス中心方面。北岳(最高標高3193m)等の3000m超の鋭い高峰が見える


甲斐駒山頂から見えた、西南の仙丈ケ岳
こちらも同じく甲斐駒山頂から見えた、西南の仙丈ケ岳(標高3032m)。当初、甲斐駒との間にある鞍部・北沢峠付近に野営して登ろうとしていた山である。「南アルプスの女王」と呼ばれ、圏谷や高山植物で著名の人気高峰らしいが、今回の黒戸尾根経由だと遠いため、またの楽しみとした


甲斐駒山頂から見えた、北東の雲海に浮く八ヶ岳連峰
こちらは甲斐駒山頂北東の雲海に浮く八ヶ岳連峰。右寄りの鋭い高峰が最高峰の赤岳(標高2899m)。遠いと思って一度も行ったことがないが、小淵沢を挟んだ甲斐駒対面に当るので、今回同様の車行で登れそうである


甲斐駒山頂から見えた、東北東の雲海に浮く秩父山地
こちらは甲斐駒山頂の東北東に見えた、雲に浮く艦船の如き秩父山地(最高標高2601m)


甲斐駒山頂から見えた、北西の雲海に浮く北アルプス
こちらも甲斐駒山頂の北西に見えた、雲に浮く北アルプス。お馴染みの人気山域「槍穂高(最高標高3190m)」辺りである


甲斐駒山頂から見えた、北西の雲海に浮く乗鞍岳
これは北アルプス(飛騨山脈)南にある乗鞍山塊(標高3026m)


甲斐駒山頂から見えた、西方の木曽山脈とその彼方の御嶽山
こちらは甲斐駒山頂の西方に見えた、木曽山脈北端部とその向こうに浮かぶ御嶽山(標高3067m)


右上に甲斐駒ヶ岳山頂の祠が望める真新しい石造の駒ヶ岳神社本宮

山頂直下での長山話
野営地帰還そして下山へ


甲斐駒ヶ岳山頂での参拝・撮影後直ちに下山開始。

しかし山頂直下付近の分岐にいた先客女子に話しかけられて思わぬ山話に。私が辿った黒戸尾根とは逆の北沢峠の小屋を夜中出て、一番乗りで来たらしい。初心者というのに独り闇夜を進み来るとは中々の達者である。

眼下の副峰・摩利支天を眺めながら話が弾み、結果、吹き曝しのザレ場(花崗岩砂場)に1時間程居ることに。まあ、元々山頂で予定していた長休みを省き、あとは下山するのみだったので特に問題はなし。

そして、同じく今から登山口に下るという彼女と別れ、分岐裏にある駒ヶ岳社本宮に参って下山した。写真の通り本宮は真新しい立派な石造で、風を避けられ、右上に山頂祠が望める位置にあった。近年再建されたのか。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上にある七丈小屋テント場からみたガスで遮られた眺望

甲斐駒社本宮からは元来た道を一気に下り、1時間弱で野営地に帰着。すると、写真の如く、周囲にガスが生じて眺望がなくなる怪しい雰囲気となっていた。予報より天候悪化が早まったのか……。

野営地で急ぎ天幕の撤収と荷造りを行うが、上手く進まず。主な原因は、背嚢に入れるタイプの水袋(サーバー)の収納順序であった。

下りとはいえ、比較的高気温のなか、重荷で長大な険路を進まねばならぬため、ある程度の水を用意する必要がある。その為には七丈小屋の水場まで下り、そこで補給後に改めて荷詰めを完了させなければならない、という二度手間が生じたのである。

サーバーは収納後は楽だが、途中で補給する場合、他の荷を出して入れ直し、その後、各部を再調整するという面倒が生じるのであった。結局、1時間近く費やした10時半前に、完了・出発出来た。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根にある梯子場の崖道
下りでは当然登ってきた難所も下る。この様にそこを上から見ると、その険しさが良く解る。やはり荒天前に通過することにしたのは正解であった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上の標高2250m付近の小頂裏に立つ「開力霊神」石碑

甲斐駒信仰の象徴?

写真は下山路の黒戸尾根・屏風の頭(標高2250m)付近にあった「開力霊神」と彫られた石碑。

五合目小屋跡後方の岩山上部にあることから、「険難を越え霊力を得る」という、修験的超人思想を表したものか。駒ヶ岳信仰・黒戸尾根登拝を象徴するような古碑である


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上の急な下り坂登山路
とまれ、ひたすら下りに下る。こうして斜度大きい険路を見下ろしつつ下ると、自身が如何に高い場所まで登っていたのかが、登坂時より良く解る


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根の出発地である竹宇駒ヶ岳神社の社殿とその脇を通る参道兼登山道
時折重荷を降ろして小休止しつつ、延々たる急下降を進み、漸く麓の竹宇(ちくう)駒ヶ岳神社まで下りきった。社殿脇のこの小道を進み神前に無事を報じる。一先ず、一安堵……


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの登山口でもある尾白川渓谷駐車場

数十年来の雄姿再会経て帰京

そして程なく出発地で登山口の写真の駐車場に帰着した。時間はちょうど15時なので、4時間半の下り行であった。平日夕方というのに来た時より車が増えているのは、渓谷観光のためか……。

しかし、山での緊張は解けたが、まだ5時間以上かかる京都までの長い車行が残っていた。慌てず慎重に帰り支度を進め、駐車場を後にした。


小淵沢インター付近から見えた曇天中の甲斐駒ヶ岳の威容

楽しみしていた帰路小淵沢から見る甲斐駒との数十年来の再会は天候悪化で諦めていたが、意外にも曇天中にその姿を現していた(写真中央)。麓での買物後インターに向かう途中でそれを確認し、暫し車を停め眺めた。

山頂左から麓に下る今回の登山路・黒戸尾根はあれで、今朝まで天幕を張っていたのは山頂下急斜の途中辺りか――、等々を考えながら……。

その後、高速に入り、やがて暗くなった帰路を休息を挟みつつ進む。途中、幾度かの土砂降りや工事渋滞に難儀するも、無事、21時半頃、帰京することが出来たのである。


「駒嶽独錬行」1日目の記事はこちら

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2022年09月26日

駒嶽独錬行

黒戸尾根の登り返し付近からみた甲斐駒ヶ岳山頂に続く高嶺

「特別気になる」存在へ

今年もはや9月に。

さすがに猛暑の暑さは一段落したものの、夏の暑さは続いており、その間を縫うように台風とその影響による風雨が続いた。

そんな9月下旬の今日、我が国中央高地の1万尺(標高3000m前後)高峰を目指す、恒例の独錬山行に出掛けた。行先は信州長野と甲州山梨の境に聳える駒ヶ岳(2967m)。所謂「甲斐駒ヶ岳」である。

その昔、独り旅の途中で下車した、麓の小淵沢からみた雪峰輝くその威容に感心して以来、ずっと気になっていた山であった。

そのため、今日は伊吹山孝霊山日野山等と同じく、その姿を見て「気になっていた山」探査の一環ともなった。なかでも、甲斐駒は個人的に初めて高山と、その厳しさを意識させられた山で、特別な存在であった。


上掲写真 長大な急坂で知られる甲斐駒ヶ岳の主要登山路・黒戸尾根上からみた甲斐駒頂上方面。登山路は最奥の峰に続くが、標高2150m程のここからはまだ頂上は見えない。それは、未だ遥かに遠く、高所にあった。


シルバーウイーク明けで車の少ない、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの起点・登山口の尾白川渓谷駐車場

麓の小淵沢には前夜21時過ぎに到着。真っ暗な駐車場には連休最終日の所為か数台の車しかなく、今朝少し増えたが写真の如き空きぶりであった。

この時季、北アルプスの駐車場なら平日でも混雑するが、やはり日本三大急登の一つとされる厳しいルートのため、人気がないのか。

私も当初は山裏の北沢峠(標高2032m)を拠点に、駒ヶ岳と峠反対側の仙丈ケ岳(同3033m)を1日ずつ登る比較的楽な行程を組んでいたが、記念すべき南アルプス初入山であり、嘗て感銘を受けた側で古くからの登拝路であることから、この厳しくも興味深い長大坂での甲斐駒往復に変更した。


尾白川渓谷駐車場の隅に開く、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの登山口

登山口(標高約770m)〜笹ノ平分岐(同1470m、距離約2.85km)

甲信を結ぶ高原回廊のまち・小淵沢らしく、駐車場は標高770mの高所にあったが、前夜から温暖であった。そのためか、車中では短時間しか寝られず、出発の6時を迎えた。

先行者は3組程で、中には日帰りとみられる夜明け前出発も。登山口は駐車場隅の写真の場所で、計画書投函箱等の備えがあった。


甲斐駒ヶ岳登山口と竹宇駒ヶ岳神社を結ぶ土道
登山口からは暫く土道が続き……


甲斐駒ヶ岳の麓にあり、駒ヶ岳信仰の拠点の一つ竹宇駒ヶ岳神社
程なくして駒ヶ岳信仰の拠点の一つ、駒ヶ岳神社境内に入り、入山の参拝を行う。道なりに参拝出来、その後は社殿横からそのまま登山路を進めるという、至便な社である。竹宇(ちくう)という集落の里宮なので、「竹宇駒ヶ岳神社」と呼ばれることもあるらしい


甲斐駒ヶ岳の麓、竹宇駒ヶ岳神社の傍にある吊り橋
駒ヶ岳社境内に接する吊り橋。近年補修された観があるが、一度に渡れるのは5人までという制限があった。実際、渡ると独りでも良く揺れる。とまれ、ここが実質的な登山口か


甲斐駒ヶ岳の麓の吊り橋下を流れる尾白川の清流
吊り橋下には名水百選に指定されているという、尾白川(おじろがわ)の流れがあった。夜明け直後で暗く解り辛いが、確かに花崗岩を洗い下る水は清冽であった。この渓谷は清涼飲料水のCMにも使われた名勝らしい


甲斐駒ヶ岳の麓の尾白川渓谷からすぐに始まる急登の登山道
そして、吊り橋を渡ってすぐに、急斜の山肌につづらで続く急登が、いきなり始まる


栗多い甲斐駒ヶ岳の巻道登山道
高低差200m程の急斜を登ったあとは、このような巻道に。地形図によると、ここから黒戸尾根の稜線に向かうようである。本来は初めから尾根上を進む方が効率が良いので、後世付け替えられたのか。植生は里山風情で、立派な栗の木が多く、その実が方々に散っている。その数は膨大で、人独りの年間必要熱量なぞ簡単に賄えそうであった。基本野栗だが、なかには売り物同様の大物もあったため、「野営地で栗ご飯に」とも思ったが、先が長いので観るだけに止める。時折、近くにイガや硬い実が落下してくるので要注意。また、熊などの獣にも注意が必要な場所にも思われた


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根の稜線上に現れた、人為的に掘り切られた古い道跡
黒戸尾根の稜線に達すると、尾根の頂部を割るように続く人為的な道と遭遇した。所により深さ5m程も掘り込んだ箇所もあり、公的な土木工事が想像された。極力つづらで登るように造られているため、古い牛馬道や荷車道の可能性が高い。このルートは外部との交通に適さないので、林業か鉱業用であろうか。登山路は時にそれを辿りつつ、また時に外れて続いてた


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの登山路脇の古い祠
そして、駒ヶ岳信仰関連のものとみられる古い祠も現れた。掘込道横の登山路脇にあったので、やはり堀込道が近世後期の登拝流行とは無関係に造られた可能性が窺われ、また、それより古いものである可能性も浮上した


ブナやクマザサ等が生える、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの標高1500m付近の森
標高1500m近くに達すると、このように植生が変わり、冷涼または高所の景観となった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道の樹間から見えた頂上方面
尾根上のルートとはいえ樹林のため周囲の眺望は無し。ただ、時折樹間からこのように頂上方面が見えた。未だ、遥か彼方・高所である。しかし、木陰の所為で、陽射しの害は避けられた。山中・早朝にもかかわらず、15度以上の気温があり、直射が加われば暑さで参る恐れがあった為である


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道上にある、竹宇と横手両駒ヶ岳神社の参道が合わさる笹ノ平分岐
そして、8時前に横手集落にあるもう一つの駒ヶ岳神社から伸びる参道との交点・笹ノ平分岐を通過。その名の通り傾斜が緩やかで笹が多い森である


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道脇に現れた注連縄が張られた龍神石碑

笹ノ平分岐(標高約1470m)〜刃渡り(同1960m、積算距離約4.95km)

写真は笹ノ平分岐を過ぎた駒ヶ岳登山路兼参道脇に現れた石碑。龍神を祀ったもので、注連縄が張られた神道系の信仰設備である。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道脇に現れた、嘉永三年の紀年がある石像
こちらも道端に現れた石像。その姿から佛教系の吉祥天等かと思われたが、前者の龍神碑と併せて、神仏習合の度合いが濃い、古の山岳信仰を実感させられた。因みに石像には嘉永三年(1850年)の紀年が。それは、彼のペリー来航3年前の江戸後期の年号で、日本が一気に近代という新気圏に突入するために生じた大摩擦「幕末動乱」直前の時期であった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道の標高1900m弱の地点の、苔ある庭園の様な森
そして標高1800mを超えると、この様に苔多い庭園回遊路的道となった。それにつれ、森の姿はより寒冷地らしい植生となった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道の名所「刃渡り」
程なく標高2000mを超えると、黒戸尾根道の名物的存在である「刃渡り」が現れた。鋭角の岩尾根上を通る難所だが、場所自体の幅があり、手がかり・足がかりも確りしているため、特に難儀や恐怖は感じなかった。とはいえ、縁下に落ちれば只では済まない場所なので、注意すべきと思われた


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道に現れた急斜に付けられた梯子桟道

刃渡り(標高約1960m)〜五合目小屋跡(同2130m、積算距離約6.55km)

少々拍子抜けとなった刃渡りを通過して間もなく、これまた有名な桟道が現れた。

急崖に横づけされた梯子の巻き道である。写真では大した難所には見えないが、右側が奈落となっている危険箇所である。山側(左)に渡されたロープを掴みつつ慎重に通過。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道に現れた急斜に付けられた梯子桟道下の急崖
梯子桟道より急崖下を覗く。これまた樹々の所為で然程危険な場所に見えないが、実際にはこうしてカメラ向けるのも緊張するような斜面であった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根の黒戸山手前の梯子道
横に移動したあとは縦に上る。難しい場所ではないが、油断禁物の崖道


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道の黒戸山手前に現れた刀利天の祠
少々緊張した崖道上の尾根上には、刀利天(とうりてん)が祀られた祠があった。この世ではないが浄土でもないというその存在は、険難を超えた山上にありながら、未だ頂ではないという、浄土教的信仰を物語るものか。そういえば、山頂に祀られている大己貴命(おおむちのみこと)の本地佛は、浄土への救済者・阿弥陀如来であった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根道の黒戸山の巻道の先の下り
刀利天からまた険しい尾根道を登り、やがて森なかの長い巻道に出る。その後、道はこの様に急に下降を始めた。折角標高2200mを超えたのに、また100m程減ってしまったのである


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート上に現れた五合目小屋跡の鞍部と祠ある岩山
そして下った先にはこの様な平坦鞍部があった。左側の斜面には昔投棄されたとみられるゴミが散乱している。五合目小屋跡と呼ばれる、嘗て山小屋があった場所であった。駐車場からここまでの距離は6.5km、時間は5時間半を消費。比較的体調は良かったが、標高2000mを過ぎた頃から背嚢の重さによる疲れで動きが鈍っていたので、ここで若干長めの休息とった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの五合目小屋跡向こうの岩山横に現れた梯子場

五合目小屋跡(標高約2130m)〜七丈小屋(同2360m、積算距離約7.25km)

道は小屋跡鞍部向こうの岩山で途絶したように感じたが、岩下の祠右横に何やら白木の構築物が見えたので行くと、このような梯子場があった。

強力な登り返しの始まりである。疲れた身に堪えるが、進むしかない。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの五合目小屋跡の岩山横の危険な梯子場
上部から覗いた岩山横の梯子場。これも樹々と影で判り辛いが、梯子下段下は奈落になっており、二本梁の柵を越えて落ちると、まず助からない急崖であった。柵は事故の影響か、最近取り付けられたような観があった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの五合目小屋跡の岩山横の鎖場や梯子場
急な梯子を登っても、また鎖場や梯子ある急な岩場が連続する


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの五合目小屋跡の岩山上に続く登山路兼参詣路
そして油断ならぬ岩場を越え、岩山頂部に続く道をゆく。重荷の疲労で極端に速度が落ち、幾度か小休止を繰り返しながら、である


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの五合目小屋跡と七丈小屋間にある鞍部と梯子橋
岩山頂部の道は暫くすると下り始め、また鞍部が現れた。そこには、切れ込みの深さ故か、写真の様な梯子橋が架けられていた。これが微妙に怖い


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの五合目小屋跡と七丈小屋間にある梯子橋とその下
梯子橋の真下は然程高さはなく、左に張られたロープを掴めば難なく通過できるが、何かの拍子で落ちそうな危険を感じる場所であった。因みに、私もこの写真を撮ろうとして均衡を崩しかけるという危うい目をみた


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの七丈小屋手前にある梯子場の急崖
そして、また下ったので、当然登り返しが待っており、それもまた急峻であった。この様に梯子場等の急崖の登りが続く


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの七丈小屋手前にある急崖上の危うい桟道
また、崩れれば一巻の終わりであろう、こんな桟道も出現。よくこんな場所に取り付けられたものだと感心しつつ、下を見ないようにして通過


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの七丈小屋手前にある急崖上の鎖場
そして極めつけに、こんな鎖&ロープ場が現れた。岩に付けられた窪みに足を乗せつつ攀じ登る。その距離は短いが、途中横に移動する箇所があり、右足を置く足場に気づかず少々難儀した。しかし、事前に調べたが、こんなに危険個所が現れるとは思わなかった。10時過ぎから下りの人達とすれ違い始めたが、甲帽(メット)装着の人が少なからずいたことに納得がいった。荒天時は通りたくない場所であり、また子供も適さないルートだと思った。個人的には、彼の剱早月の道より危なく感じられた


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋(第一小屋)
険難の次はまた山上の道に出る。とにかく荷が辛いので、道際の石上にそれを預けるようにして座り休んだ。位置的に本日最後の休みかと思い出発すると、すぐに今日の進出点で野営地でもある七丈小屋の三角屋根が現れた。少々拍子抜けするも、安堵。時はちょうど13時なので、出発から7時間経っていた。一応、標準所要時間内に収まったが、最後の1/4で失速したことは不満であった。この夏は天候が悪く、そして猛暑続きのため殆ど鍛錬が出来なかったからか。または荷が重すぎるのか……


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋のトイレ

七丈小屋(標高約2360m)〜野営地(同2400m、積算距離約7.4km)

尾根脇の僅かな空隙に埋め込まれるように建つ七丈小屋で野営の手続きを済ませる。

小屋前で掛け流されている冷たい飲用水や厠が使い放題なのは有り難い。ただ、野営指定地が小屋から5分程離れた場所にあるという。崖上に張り出すこの厠棟に寄りつつ、早速上手のそこを目指す。

厠は崖下の黄色いタンクに屎尿を集め、ヘリで麓まで運ぶようだが、道しか平地がないここで、どうやって発着しているのであろうか。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋の第二小屋建屋とテント場及び山頂へと続く登山道の梯子
厠の傍には七丈小屋の別棟・第二小屋があった。片流れの屋根と赤い壁が特徴的な建屋で、比較的新しい建築に見えた。そして、小屋裏にある右の梯子は、野営地及び駒ヶ岳山頂への登山路であった


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋の第二小屋前のデッキ向こうにのぞく送水管らしき設備
第二小屋前のテラス向こうには森なかを通す送水管らしき設備が観察出来た(中央右)。やはり、剱の早月小屋同様、尾根上に水源がないため近くの谷から引いているようである。大変な労力である。しかし、有難い限り


誰もいない、甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋のテント場

標高2400m、未だ夏風情の野営地

さて、第二小屋裏の梯子を上って野営地への尾根道を進むが、これが意外と険しい。

というか、結構な登りで坂で、道上を横切る樹に頭をぶつけたりもする。サンダル履きや、鍋に水を入れ片手通行するのは難しいだろう。

そして、到着した標高2400mの野営地は写真の通り誰もおらず。連休明けの今日は人が少ないらしいので、好きな場所に設営してもよい、ということだったので、好みの場所を選ばせてもらった。


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋のテント場から見えた、鳳凰三山越しの富士山
重荷を下ろし、天幕を張って寛ぐ。正午過ぎには小屋近くまで達し、道も険しかったため延期した昼食も遅ればせながら摂る。尾根脇に造られ、向かいに高山を臨むのは剱早月とそっくりな立地。向かいの鳳凰三山脇にはこの様に富士山の姿も比較的近くに見えた。遥々山梨まで来たことを実感


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルートの山小屋・七丈小屋のテント場からみた9月末ながら紅葉が殆どない山肌
しかし、標高2400mの高地に達しながらも、未だに暑い。設営場所も日向を避けたくらいである。周囲の山々を見回しても紅葉は殆どみられぬ、未だ夏山の風情であった。北アルプスなら今時分、麓から紅葉が始まっている筈。やはり「南」アルプスである分、季節の進みが遅いのか


甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根ルート唯一の山小屋・七丈小屋のテント場からみた星空や甲府市街の街灯り
標高2400mのテント場からみた星空と甲府市街の街灯り

昼食後、周囲を少し散策しつつ撮影したり、横になり休んだりして過ごす。やがて夕方となり、18時過ぎに夕食を摂り、明朝の登頂に備え20時までには就寝態勢に入った。

すっかり暗くなった天幕外には、好天の所為か、天の川が見えるほどの星空が。気温はさすがに下がったが、それでも全く寒からず、山の夏宵ともいえる陽気であった。


「駒嶽独錬行」2日目の記事はこちら

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2022年05月05日

続2022春野営会

滋賀・湖南アルプス山中の新緑の森と、快晴の朝空を横切る飛行機雲

またの快晴の下
珈琲容器にピザやら啄木鳥やら……


恒例の春の野営会2日目。

昨日の初日同様、朝から快晴となった。気温も昨夜夜中や明け方こそ寒さを感じたが、日の出以降急速に上昇し、朝8時頃には暑い程となった。


上掲写真 滋賀・湖南アルプス山中の新緑の森と、快晴の朝空を横切る飛行機雲。


滋賀・湖南アルプス山中の野営での窮余の合作のペットボトル・コーヒードリッパーとアルミ缶サーバー

朝食はフランスパンを鉄板焼きして生野菜やベーコンを挟んだものを用意。飲み物は友人差入れの珈琲だが、ドリッパーを忘れたらしく、本人が写真の如くペットボトルを加工して用意した。

ただ、そのままでは径が細く自立しないので、私がアルミ缶を加工して下にサーバーを追加。まあ、窮余の合作で見てくれも悪いが(笑)、無事美味しい珈琲を淹れることは出来た。皆さんも今後の参考に……。


滋賀・湖南アルプス山中の野営地近くの枯木に現れた啄木鳥(きつつき)

朝食後、友人が昨秋の野営会で試みたピザ作りに挑む。前回同様、生地発酵から行う本格的なものだが、やはり上面の加熱に課題が残った。

写真は野営地での寛ぎ時に近くの枯木に現れた啄木鳥(きつつき)。最初こそ警戒していたが、やがて我々を気にせず軽快なドラミング(打撃音)を聞かせ始めた。こんな近くでその姿と活動を見たのは初めてであった。

最後のお騒がせ

そして、昨夜の残りものの昼食を何とか平らげ、やがて撤収作業に。ゆっくり行ったが、手際や装備を研究していたため比較的早く終え、下山することが出来た。

ところが、折角早く下山して帰宅出来たのに、家の手前で鍵がないことに気づく。野営地を出る際は財布や電話と共に重要物品として確認をし、皆にも促すのだが、麓で油断し、友人の車の荷台に落としたのである。

駅等で落とさず、すぐに見つかり不幸中の幸いとなったが、家に入れないので、一先ず荷を置き引取りに出掛けた。友人が車で届けることを提案してくれたが、連休最後の渋滞や疲れの危険を考え、自ら列車で往復した。

ああ、最後に失敗――。

物理的・心理的にどっと疲れた。駅まで鍵を届けに来てくれた友人には申し訳ない限り。

こうして、最後は油断による失敗があったが、大きな事故もなく、一先ず安全に会を終えることが出来た。

皆さん有難う、そして最後に騒がせてごめんなさい!


2022年春野営会1日目はこちら

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2022年05月04日

2022春野営会

滋賀県南部「湖南アルプス」山中で陽を浴びる沢沿いの蕨(わらび)

今年の人出は

今日は恒例の春の野営会。

先週まで連休中は雨予報が多かったが、直前になって好転し、無事快晴のなか開催することが出来た。

昨年はコロナ禍制限の影響やキャンプブームもあり、基本密やかな野営地も人が多く、隠しておいた常設の炉(竃)も他人に取られ、初めて場所を変えたが、今年は如何であろうか。


上掲写真 恒例の野営開催地・滋賀県南部「湖南アルプス」山中で陽を浴びる沢沿いの蕨(わらび)。


風化花崗岩質の山肌に清澄な水が流れる滋賀・湖南アルプスの沢
風化花崗岩質の山肌に清澄な水が流れる湖南アルプスの沢

麓で買出し等の準備を済ませ野営地に入ると、麓にはバーベキュー客らが多く駐車も多かったにもかかわらず、意外に野営者は居らず。

3年ぶりに緊急宣言のない連休となったので帰省や遠出に流れたか。または、噂通り、急速にキャンプブームが衰退したのか……。

とまれ、安堵して準備に掛かろうとすると……。


滋賀・湖南アルプス山中の野営適地に散乱する便所紙

配慮なき者来るべからず

やはり昨年同様、悪しき野営者の痕跡があった。炉や天幕場近くでの便所紙の散乱である。判り辛いが、写真内だけでも3箇所の捨て場があり、他にも多くの同様があった。

そして、埋めた跡がないので、当然糞便の露出も。紙の新しさから、この連休後半の仕業に違いなし。先程我々と入れ違いに野営装備の家族4人とすれ違ったが、彼らの可能性もある。山に不慣れな感じはなくゴミも片していたが、せめて埋めるくらいのことは出来なかったのであろうか。

こんなことが続けば色んな意味で早晩野営が出来なくなってしまう。以前からゴミの残置はあったが、これ程酷いのはコロナ禍以降のことである。また、炉も不必要な高温に晒され損壊を受けていた。環境保全や防火はマナー以前の問題。大人として最低の配慮も出来ない者はもう山に来るな。


滋賀・湖南アルプス山中での直火焚火
気を直して設営を続ける。そして炉に火を入れ、一先ず完了となった。今日は直前に1人が仕事の事情で来られなくなったので、荷運びや構築の負担が増したが、以前から軽量化や装備進化を図っていたので、難なく済ますことが出来た。とまれ、持ち込んだ麦酒で一息……


夜、石で作った竃の中で燃える薪。滋賀・湖南アルプス山中にて

北斗七星と共に

そして夕方から夕飯の準備にかかり、やがて焚火明りの夜に。献立は蕪豚汁に牛肉や鰆(さわら)・野菜等の焼物。勿論、薪炊きの白飯付である。

予報通り、昨晩に比して格段に気温が高く、過ごし易い夜となったが、それでも就寝前には8度程まで下がった。

夕食後、頭上の北斗七星を眺めながら飲み語らうこと暫し。その後、野営初日を終えたのであった。


2022年春野営会2日目はこちら

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2022年03月12日

伊吹雪登

春めく麓の奥に聳える雪を戴く伊吹山。2022年3月12日撮影

今冬最後?の気になる雄峰行

先月2月の末辺りから、ここ京都市街でも昼の気温が15度を超える日が出てきたが、朝晩はまだ冬の寒さであった。

しかし、今月10日に17度という最高気温が現れると漸く最低気温も上昇し始めた。そして、今日はなんど9度超えという春日になった。最高気温の予報も20度超となっており、この先もその傾向が続くとされた。

遂に冬の瓦解が始まったようである。

勿論、近辺の山々での雪解けは既に始まっていたが、朝晩の低温に守られていた根雪が融け始めるという、積雪期(厳冬期)から残雪期への変化の潮目が感じられた。

故に今日は、今季連続して続けていた雪山行の締め括りとして、隣県滋賀の最高峰・伊吹山(標高1377m)に登ることにした。本来は北陸の山や山陰の大山等にも行きたかったが、コロナ再拡大等の関係で控えた。

そもそも伊吹山は長らく「気になっていた山」。

富士山同様、列車や高速路で東方との往復をする際に必ず目にする雄峰だが、無雪期を含め今まで行ったことがなかった(何故か富士とこの山の傍を通ると、どんな時間・状況でも気づくという、個人的に「強い気配を感じる山」)。故に、今日は初めての機会となったのである。


上掲写真 春めく麓の果てに聳える、雪の雄峰伊吹。帰路の車中より。


冬期ながら8時台で既に満車状態の伊吹登山口。2022年3月12日撮影

泥濘越え雪原へ

前夜借りた車にて朝出発し、約3時間弱で登山口前の駐車場に到着。節約のため下道で来たが、週末の朝の割に交通量が多かった。

また、噂通り駐車場も既に混んでいたが、ちょうど手前に1台分の空き(空いたばかり?)があったので、すぐ停めることが出来た。

まあ、登山口から離れれば他にもあるのだが、幸いであった。そして、準備して9時過ぎに駐車場奥の山林から山に入った。


伊吹登山口から1号目まで続く泥濘の道。2022年3月12日撮影
登山口からは、すぐに「悪名高い」泥の登山路が始まる。昔施された石敷きの道が荒れて水が滞留し、多くの場所で泥濘を成しているのである。滑って転倒しないよう、気をつけて進む


伊吹山登山路1合目にある旧伊吹山スキー場のゲレンデと雪。2022年3月12日撮影
山林内に続く泥濘の悪路を抜けると「1合目」の標識と共に、建屋ある開けた場所が現れた。旧伊吹山スキー場跡である。ここから雪が現れたが、山頂へのルートはこのゲレンデ跡に続くので、それを踏みつつ進む


旧伊吹山スキー場のゲレンデの雪上に続く伊吹山登山ルートの踏み跡。2022年3月12日撮影
ゲレンデ跡を登りゆくと程なくして一面の雪景色となった。積雪は50cm以上あるが、先行者が多いためその踏み跡をゆく限りはワカン(輪かんじき)やアイゼンは不要であった。しかし暑い。防寒グローブ(手袋)無しの素手でも可能なくらいで、Tシャツ1枚のみの登山者も幾人か見られた


旧伊吹山スキー場のゲレンデ上に現れた雪を戴く伊吹山頂と、そこへと向かう大勢の登山者。2022年3月12日撮影
何面かのゲレンデ跡を登り越えると漸く伊吹山頂の姿が現れた。それにしても人が多い。まるで春山のようである。さすがは著名人気の百名山・伊吹(私はこういう格付けに関心ないが)。冬でもこんなに人が多いのか。関西・中部・北陸の交点で交通至便なことも影響しているのだろうか


旧伊吹山スキー場のゲレンデから望遠撮影した、6合目から伊吹山頂まで点々と雪面に連なる登山者の姿。2022年3月12日撮影
山頂直下の登頂ルートを望遠撮影すると左下の6合目避難小屋から点々と雪面に連なる登山者の姿が見えた。やはり冬山にしては恐るべき人出である


伊吹山6合目避難小屋の脇から山頂へと続く、雪の登頂ルート。2022年3月12日撮影
そして6合目避難小屋着。これまでも傾斜が強い場所があったが、ここからは最も強い「核心部」となるので、アイゼン(靴底氷雪爪)を装着した


伊吹山6合目避難小屋の上に続く雪の急登。2022年3月12日撮影
6合目の小屋を出て急登に挑む。速度が落ちるためか人の密度も増す。ヘルメットにピッケル(斧頭雪杖)持ちの完全装備の人も多いが、チェーンアイゼン(滑止靴底鎖)に軽装という人も少なくない。大丈夫であろうか


伊吹山7合目付近の雪の急斜上から見た、下方や彼方の湖北平野と琵琶湖。2022年3月12日撮影

急斜只中にて

写真は6合目上の急斜(7合目?)から振り返って見た下方や彼方の湖北平野・琵琶湖(右上)。今日は基本曇り予報だったが、霞はあるものの何故か晴れたままであった。

ただ、ここまで高度を上げるとさすがに肌寒くなった。雪崩等に備えて上着(中間着)や防水グローブは付けていたので問題はないが、何故か倦怠や息切れ・腹痛が襲ってきた。

思えば3時間弱の車行と2時間の山行でまだ休憩をとっていなかったが(更に前夜睡眠4時間!)、その所為か。

これはまずい、急傾斜の只中なのに……。

これまで比較的快調であった進行速度は落ち、止まっては進むの繰り返しとなった。そして、一度踏み跡横の、僅かに傾斜が緩い場所に退避し、立ったまま数分休んだ。

すると体調がマシになり、また進むことが出来た。一時はどうなることかと思ったが、雪崩危険もあるため早く動けてよかった


伊吹山8合目付近の雪の急斜。2022年3月12日撮影
無理せず、しかし早く危険な急斜を脱すべく登坂を続け、やがて8合目辺りの最も急な場所に来た。先行者の姿(先頭)で判る通り、手をつく程の急斜である。今日は雪が緩んでいたのと踏み跡が段状になっていたのでストック(山杖)のまま進むことが出来たが、新雪や凍結の際は滑落防止のピッケル使用は必須に思われた


伊吹山8合目付近の雪の急斜。2022年3月12日撮影
仰角の画像では傾斜が判り難いが、断面的な横側を撮ってみるとその急斜ぶりがわかるか……(水準器搭載カメラにて)


なだらかな伊吹山山上の雪原。2022年3月12日撮影
やがて急斜を脱し山上へ。先程の険しさからは信じがたいが、伊吹山上はなだらかなテーブルランド(卓状地)となっており、山頂は緩やかな登りの先にあった。以前登った、同じく石灰岩質の鈴鹿山脈・御池岳に似るか


雪上にたつ伊吹山山頂の山頂標識と日本武尊像。2022年3月12日撮影
そして、程なくして山頂着。山頂標識(左)と伊吹山上の象徴的存在「日本武尊像」(右)が出迎え、それを証する。いずれも厳冬期は着雪・着氷してその姿が判り難くなるらしいが、今はプラス7度の気温のためこの通り。ただ、登坂時とは打って変わって風が物凄く、居られない寒さであった。なかなか丁度良い塩梅とはならないようである


伊吹山山頂から見た伊吹山地北方の雪山。2022年3月12日撮影
伊吹山頂からみた伊吹山地北方。左奥に滋賀県第2位の高さを誇る金糞岳(かなくそだけ。標高1317m)が微かに見えるが、何れもここ以上の冬山ぶりであった。まあ、有数の豪雪地帯なので当たり前ではあるが……


伊吹山山頂から見た南方は滋賀側山麓や鈴鹿山脈。2022年3月12日撮影
こちらは伊吹山頂からみた南方は滋賀側山麓や鈴鹿山脈。南北どちらも霞んでいるが、南の方が少々強めか


伊吹山山頂から見た南方は滋賀側山麓や鈴鹿山脈。2022年3月12日撮影

山上の休息

山上は広くなだらかで、長椅子などの設置もあったが強風により休めないので、登山者は皆冬季休業中の小屋の間にて昼食をとっていた。

私はせせこましい場所が嫌いなので別を探したが、無かったため、結局少し外れた建屋陰で昼食兼休息をとった。

屋根まで雪が迫るこれらの小屋は登山用というよりは遊山向け。実は、伊吹山には山頂裏までドライブウェイが通されているため無雪期には労せず遊びに来られる。

昔から気になりながら未踏だったのは、そういった遊園地的雰囲気を忌避したためである。よって、環境は厳しいが今回のように俗気がないのは本望であった。ただ、名物の稀少植物を見れないことは少々残念に思われた


伊吹山上から旧スキー場へと落ち込む急斜の雪面とそこを下る登山者。2022年3月12日撮影
伊吹山上から旧スキー場へと落ち込む急斜の雪面と慎重に下りゆく登山者

早く終えるも……

昼食後、すぐに下山を開始。

下りは6合目までの急斜でピッケルを使用したが雪質的にアイゼンがよく効き、安全かつ素早く下降出来た。ただ、陽射しと気温の所為か、最上部付近で小規模な雪崩発生を目撃したので、周囲への警戒に努めた。

そして、14時過ぎに駐車場着。休息を除くと4時間程の山行となり、途中難儀した割に早く終えることが出来た。麓の三之宮神社にも無事を謝す。

その後、神社前の洗い場にて最後の泥道で汚れた靴等を洗い、水分と栄養を補給して帰路に就いた。ところが……。

その先の至る所で渋滞に見舞われ、折角早く下山出来たのに結局18時頃の帰宅となった。まだ観光時期ではないが、急に暖かくなったので皆の外出が集中したからであろうか。

本来はこれを避けるためにも列車で行きたかったが、週末は登山口までのバスが無かったのである。

とまれ、山行及び苦手で慣れない車行を無事完了出来て何より。積雪期というより、雪質や気温条件的に既には残雪期の趣であったが、念願の伊吹登頂とその雪景堪能を果たせた。

また、飲水量の急増や体温調整の難しさなど、季節の変わり目特有の課題を改めて認識することも出来たのである。

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2022年03月05日

雲取難雪

京都北山・芹生奥の林道脇の樹に付けられたウクライナカラーの道標。2022年3月5日撮影

山には無関係ながら……

今日も先日に続きウクライナ・カラーを。

今日の記事とは直接関係のないことだが、孤立無援の現場で悪辣な利己主義暴力との戦いを強いられている彼の国の人々への連帯の意を込めて。

実は、この画像は特にその為に用意したものではなく、今回本当に道中偶然見つけたもの。山中の林道脇に付けられた古い目印であった。個人か何かの団体が取り付けた私的な道標とみられる。

奇しくも、そして折よく、こんな無縁の山中で繋がったウクライナ。こうしている間にも、現地では正に死闘を余儀なくされている。

そんな彼らへの支援と関心を忘れないようにしたい。これは彼らのみならず、我々の自由や平和のための戦いである。不正義を見逃し、社会を100年後退させるようなことを断じて許してはならない。


両脇に雪が多く残る京都北山・芹生峠。2022年3月5日撮影

一月振りの雲取山

さて、今日は一月振りに近場は京都北山の雲取山群(最高標高920m弱)へ雪中鍛錬に向かった。

市街から見る北山の雪も、ここ最近の温暖で殆ど消えていたが、彼の貴船の奥で京盆地北縁にある芹生峠(せりょう・せりうとうげ。標高約700m)には、写真に見る如く、意外にもこんなに雪が残っていた。ただ、路面には無いのでそのままノーマルタイヤの車輌で進めるかと思いきや……。


ノーマルタイヤ車輌の進入を未だ阻む、京都北山・芹生峠北裏のアイスバーン。2022年3月5日撮影
うーん、芹生峠の北裏からは、なんとアイスバーン状態となり、進めなくなってしまった。仕方なくここからまた歩いて山へと向かうこととした。前回よりまだ近い場所とはいえ、長い車道歩きをまた強いられることとなったのである。麓は春めいているというのに、やはり恐るべし京都北山!


50cmを超える雪で埋もれる、京都北山・芹生集落の旧芹生小中学校前の橋。2022年3月5日撮影
転倒に気をつけつつ府道を歩き、やがて芹生集落に着くとやはり雪が……。旧芹生小中学校前の橋には未だ50cm以上の雪が通行を阻害していた。勿論今日は雪目当てで来たが、集落に於ける雪の多さは意外であった


20cm程の雪で埋もれる、京都北山・芹生集落奥の林道。2022年3月5日撮影
その後、芹生集落奥の林道へと進むが、除雪範囲外のため、すぐに多量の雪に足を取られることとなった。まともな積雪は山頂直下辺りからと予想していたので、これも意外であった。林道の雪は厚さ20cm程だったが、融解の所為か、新雪の如く沈み易く、歩き難かった


京都北山・雲取山山中の三ノ谷分岐と残雪。2022年3月5日撮影
ワカン(輪かんじき)を履くのを我慢して歩き難い林道を進み、山頂下の登山口に続く三ノ谷分岐に到着。見ての通り、地面が露出した場所もあるが、この先、装備転換の適地がないため、ここにてワカンを装着した


京都北山・雲取山の三ノ谷と山頂直下へ続く谷との分岐部分と積雪。2022年3月5日撮影
分岐から三ノ谷の林道を北上するが、ワカンを履いてもあまり疲労は変わらず。やはり浮力を得難い雪質のようである。そして林道から別れ、いよいよ山頂直下に至る谷の入口となるこの分岐に到着。やはり雪が多い。一月前の自分の痕跡は疎か、ここ最近人が入った痕跡は全く見られなかった


京都北山・雲取山三ノ谷ルート上の山頂直下の雪の急斜。2022年3月5日撮影
気温が高めなため雪崩に気を遣いつつ谷を詰め、やがて山頂直下の急斜下に。林道から変わらぬ浮力のない雪に足を取られつつ進む。危険性を考えると早く抜けるべき場所だが、雪と急斜の所為で速度が出ない


京都北山・雲取山山頂と積雪。2022年3月5日撮影
そして、山頂着。見ての通りツリーホール(樹周穴)も見られたが、基本的には厚く雪が残っていた。また山上は風があり気温の割に寒かった。峠から2時間強かかったが、その内約三分の二が府道&林道歩き。雪が締まって楽にこれるかと思ったが、予想外に体力と時間を費やした。やはり山は侮り難い。まあ色々と対策や心積もりはしていたのではあるが……


京都北山・雲取北峰山頂と積雪。2022年3月5日撮影
雲取山山頂では休まず、そのまま稜線を北に進み雲取北峰(標高約915m)山頂まで移動した。ここも豊富に雪があり、未だ冬の姿そのものであった


雲取北峰山頂から見た、雪に覆われた比良山脈最高峰の武奈ヶ岳。2022年3月5日撮影
雲取北峰山頂から見た、雪を纏う比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。中央奥の鋭角の峰。標高約1214m。滋賀県西部)

難儀も鍛錬・経験
そして……


雲取北峰の風裏にて遅い昼食をとり、また元来た道を帰った。今日はワカンが効き辛い予想外の雪質に難儀したが、これも鍛錬のうち。結果、また山の奥深さを再認識する良い経験ともなった。

また、雲取山以北の山々も未だ完全な雪山景だったことも意外であった。

さて、今回も冒頭に関連し、以下を記して閉めたい。

ウクライナと自由に栄光あれ!

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2022年02月27日

雪中捜検

比良川河岸付近の山麓よりみた、山上に雪を戴く堂満岳と比良山脈の山々。2022年2月27日撮影

雪山の落とし物探し

今日も朝から雪山へ向かったが、今回は登山が目的ではなかった。

先月初めに隣県滋賀西部にある比良山脈の堂満岳(暮雪山。標高1057m)山行の帰路にストック(山杖・トレッキングポール)の一部を失くしたが、その回収に出向いたのである。

まあ、過日記した通り、恐らくは回復不能な故障があったので、回収しても使えない可能性が高かったが、放置して山のゴミにするわけにもいかず、早期の回収を試みることにした。

さて、ここ数日温暖な日が続き、今日も冬装備の無い車輌で麓まで急行できたが、平地より気温が低く、あの後また積雪が数度あった山中の様子は不明であった。

果たして、上手く回収できるや否や……。


上掲写真 比良川河岸付近の山麓よりみた比良山脈と堂満岳(中央の鋭角の峰)。今日は前回とは逆コースとなる、山頂右の正面谷から登って山脈鞍部の金糞峠に至り、そこから稜線を左に進んで山頂に至る道をゆく。即ち、前回落とし物をした下山区間を辿り、その探索を行う。


積雪ある比良山脈・正面谷駐車場上の林道。2022年2月27日撮影
前回同様、峠の凍結を警戒して朝遅めの時間に麓に着き、山に入る。この様に駐車場のすぐ上から積雪が始まるのは前回同様で、同じく途中で一部禿げた区間が現れ、それが終る辺りでアイゼンを装着して進んだ。


比良山脈・正面谷上部の青ガレ下部の雪原。2022年2月27日撮影
砂防ダム脇に付けられた林道が終ると、いよいよ見上げるような急登に。前回と雪の量は変わらず、踏み跡を辿る限りワカン(輪かんじき)が不要なのも同様であった。ただ、気温が高めのため、雪崩を警戒し、上方の異変や音に気を配りつつ進む(この日、近江西部に雪崩注意報は無し)


雪に覆われる比良山脈・金糞峠。2022年2月27日撮影
正面谷の急登を詰め、やがて金糞峠(かなくそとうげ。標高約880m)に到着。ここも、雪の量や質に変化なし。前回以降に降った雪は融け、前回同様、根雪部分が残ったのか。ただ、よく見ると若干新雪が覆っているようにも思われた


比良山脈・堂満岳山頂裏の雪の尾根や雪庇。2022年2月27日撮影
金糞峠西南の堂満岳山頂裏の尾根もこの通り。多くの雪や雪庇が健在。しかし、左右に注意しながら進むも遺失物は見つからず


雪で覆われる比良山脈・堂満岳山頂。2022年2月27日撮影
そして、間もなく山頂に到着するも、結局探し物は見つからず。雪に埋もれてしまったのか。それとも、そこそこ大きさがあり、目立つものなので、誰かが拾ったのか。麓のレスキュー小屋にでも問い合わせるか。仮に、誰かが収得し活用していても、ゴミになるより良いのだが……


吹雪に見舞われる、比良山脈・堂満岳山頂裏の雪の尾根。2022年2月27日撮影
山頂で昼食を済ませ下山を始める。本来は別路を採りたかったが、再度探すため同じ道を下ることに。ところが、山頂に着いた辺りから風が強くなり、帰路にはこの様に吹雪まで発生した。稜線付近の気温は-2度程だったが、身体を煽られるほどの風を伴ったので、忽ち手足が寒さで痺れだした。やはり、山は侮り難し


金糞峠下部、正面谷上部の青ガレ付近より見えた琵琶湖や沖島等。2022年2月27日撮影
金糞峠下部のガレ場「青ガレ」付近から見えた琵琶湖や沖島(左上)等

風と雪は収まるも

強風と吹雪の寒さに耐えつつ金糞峠から正面谷に入ると嘘の様に風と雪が静まった。その後、また雪崩を警戒しつつ麓まで下るも、結局、目当ての探し物を見つけることは出来なかった。

こうして昼食を覗く約3時間の雪中捜査は終了。仕方ない、成果はなかったが、鍛錬でもしたことにしよう。もし、小屋等への問い合わせが不調に終われば、雪解け後にでもまた再捜索したいと思う。

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2022年02月18日

山南深雪

樹々や路上共々多くの雪に覆われる比良山脈南端部の霊仙山・権現山登山口付近。2022年2月18日撮影

雪を求め、雪に阻まれる?

今日は友人と約束していた雪山日。

向かったのは京都市左京区北部に隣接する滋賀西部の比良山脈。当初は滋賀北部と福井若狭の境にある大御影山辺りを予定していたが、前日からの寒波と降雪で麓に辿り着くことすら困難に思われたため急遽変更した。

朝、京都市街から友人の車で出発するも、やはり、危惧通り市街地を抜け八瀬・大原の谷あいに入った途端に一面の雪景色となり、路上にも積雪を見る危うい状況となった。

乗せてもらった車は四駆に冬タイヤ装備なので、慎重に進めば問題なかったが、途中の峠や坂道で走行不能となった普通車やトラックによる小渋滞に遭遇し、所謂「雪中の立往生」の始まりを体験することとなった。

幸い停滞開始直後だったのでなんとか追い抜き脱出したが、こんな条件・場所での、備えを欠いた運転は、諸方危険なため止めてほしいと思った。

そんな状況のため、府県境の途中峠より更に北の標高の高い峠越えは断念し、比良山脈でも南端の、権現山辺りを目指すこととした。

なお、比良・権現山付近はこれまで多く紹介しているが、今回はいつもと異なり、比較的麓に雪の少ない東側から登ることとした。


上掲写真 麓にもかかわらず多くの雪に覆われる、比良山脈南端域の登山口付近。


多くの雪に覆われる比良山脈南端部の霊仙山・権現山登山口。2022年2月18日撮影

麓から雪深い比良南端へ

峠や坂道での雪の混乱を越え、比良南麓に達する。

栗原という集落から林道に入ったが、普段雪が無いことが多い路上に20cm程の積雪があり、白い水路を舟で進むように車で雪を分けて進み、写真の登山口で下車した。

登山口からも、まだ林道は続くが、雪が深いため最初からワカン(輪かんじき)を履いて出発。


多くの雪に覆われる比良山脈南端の権現山登山路(林道)と、その左横に残る古道。2022年2月18日撮影

途中の砂防堤辺りまでと思った林道は、意外と長くそして高所まで続く。林道とはいえ、雪が深く前夜の新雪も載っているため体力負荷が高い。

ただ、先行者が一人あったため少しはマシか。しかし、その踏み跡にはワカン等の装着を見ず、かなりの苦行を強いられている様に思われた。

写真の如く、進む林道(右)には所々山肌に深く掘られた古道(左)が併走していた。最近適当に通されたと思われた林道は、どうやらこの古道を踏襲して造られたものであることが判明した。

即ち、林道が古道と重なる区間を主に、かなりの部分の古道が破壊されたのである。地域の交通・交流史を知る上で貴重な手がかりとなるものなので、これ以上の破壊は止めてほしい。


多くの雪に覆われる比良山脈南端のズコノバン手前の権現山登山路。2022年2月18日撮影
古道を踏襲した林道は結局山頂直下の急坂始点「ズコノバン(標高約726m)」という鞍部まで続いていた。写真はその手前辺りの、道が尾根を巻き進む場所。完全な厳冬期風情で、氷点下数度の温度に風も生じて寒い


多くの雪に覆われ、吹雪さえ見える、比良山脈南部の権現山山頂。2022年2月18日撮影

ラッセル&吹雪の縦走路

ズコノバンからは高低差300m強の急登の尾根道を登り、権現山山頂(標高996m)に着いた。ここから主稜線をゆく山脈縦走路になるが、写真の通り天気が悪く、吹雪さえ観察できた。

今日の目標はこの先の稜線上の風雪退避地「小女郎ヶ池(こじょろがいけ)」だったので、アイゼン(靴底氷雪爪)やハードシェル(防風防水外套)を身に着け、とりあえず進むことに。


多量の雪と吹雪に霞む比良山脈南部・ホッケ山山頂。2022年2月18日撮影
進むのはいいが、権現山から北の稜線上には全く踏み跡がなく、正に「ラッセル(深雪作路移動)」を強いられることに。強い風雪の彼方に、権現山と小女郎ヶ池の間にあるホッケ山(標高約1050m)が見えたが、恰も北海道の山を見るが如き光景であった


いつになく巨大化した比良山脈南部・ホッケ山山頂際の雪庇。2022年2月18日撮影
ホッケ山山頂縁には名物の雪庇、しかも、ここ最近見たことが無いような巨大なものがあった。山頂へ行くにはこの際を通るので、注意して進む


比良山脈南部・ホッケ山山頂と吹雪に霞む権現山。2022年2月18日撮影
そしてホッケ山着。無雪期なら権現山から10分程で来れるのに深い雪の所為で40分もかかってしまった。風雪の彼方に見えるのは先程通過した権現山山頂(左奥)。しかし、風が強く、熱吸収の良い黒土に覆われたこの山頂には、やはり積雪は少なかった。雪庇形成との関係が興味深い。さて、同行者がこれ以上進めなくなったので、今日はここで引き返すことにした


比良山脈南部・権現山下から見えた、琵琶湖や雪の霊仙山。2022年2月18日撮影

霊仙山への寄り道下山

ホッケ山頂から元来た道を戻り、風雪を避けられる同山下の鞍部樹林にて昼食休憩をとり、下山を続ける。

終始天候が悪かったが、ズコノバン近くまで下ると、写真の様に晴れ間も見え始めた。そして同所からは元の道を下らず、右奥に聳える三角の山「霊仙山(標高750m)」を経て下山することにした。

一応、疲れ気味の友人の了解を確認したが、結構な登り返しとなりそうである。


比良山脈南部・霊仙山山頂直下の深雪の急登。2022年2月18日撮影
霊仙山はズコノバンから続く稜線上にあったが、最後はやはりこの様な急登となった。しかも標高の割に雪が深く、倒木等もあって登坂に難儀した


雪に覆われた比良山脈南部・霊仙山山頂。2022年2月18日撮影
そして霊仙山山頂着。ついでに登る程度かと思えば、意外と手強く、先月行った京都北山の地蔵杉山を想わせた。


比良山脈南部・霊仙山山頂からみた琵琶湖や沖島。2022年2月18日撮影
霊仙山山頂では一寸の雲(またはガス)の晴れ間から琵琶湖と、そこに浮く世界希少の湖沼定住島「沖島(中央大小の島。両島は低地て連繋)」も見えた。友人はもっと開けた眺望を期待したが、まあ仕方なし……


比良山脈南端部の霊仙山山頂からみた、吹雪に覆われる権現山とホッケ山。2022年2月18日撮影
比良山脈南端部の霊仙山山頂からみた、吹雪に覆われる権現山(左峰)とホッケ山(右峰)

最後はラッセル&雪の読図で

霊仙山山頂からは車を置いた登山口まで下る。ズコノバンから霊仙山までと同様、踏み跡はなく、またラッセルとなり、加えて微小な尾根を渡りゆくコース取りが難しい道となったため慎重に進んだ。

そして、読図通り、意図した位置の林道に下り、無事車まで帰れた。僅か一日の寒波再来で山や麓の様相が一変したのには驚いたが、有意義な山行・鍛錬をすることが出来たのである。

友人を始め、関係全てに感謝!

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2022年02月12日

比良雪晴

比良山脈麓の比良川河岸辺りから見た、雪を戴く堂満岳。2022年2月12日撮影

久々の全日晴天
雪と湖の佳景求め


先週末の寒波が落ち着き、晴れの日も続いて麓の雪も消えた今週末。また近場の雪山へと向かう。オミクロン・コロナの大流行に因り、人とも会えず、街なか等にも出難いからである。

ただ、途中が冬装備のない車行ゆえ、気温が低く路面凍結の恐れがある朝を避け昼前から登ることにした。山での遅出は、基本控えるべき行動だが、無理せず行けるところまで進み、短時間で済ませるつもりであった。

向かったのは隣県滋賀西部の比良山脈は堂満岳(暮雪山。標高1057m)。今日は久々に全日晴天との予報を聞いたので、山脈から突き出たその山上から、青空下の雪の連山や横たわる琵琶湖等の眺めたかったのである。


上掲写真 比良山脈麓の比良川河岸辺りから見た、雪を戴く堂満岳。寒波が来る度に、山は疎か、この辺りの山麓平地も雪に埋もれ難儀するが、今日は見ての通りの無雪・温暖の眺めで、寒さも感じられなかった。


まだほとんど雪がない堂満岳の表登山路・東稜道の標高400m以下の地点。2022年2月12日撮影
堂満岳の表登山路である東稜ルートの道。標高400m辺りまでは殆ど雪はなかった

温和な表登山路をゆく

開始は車道端付近の旧比良登山リフト乗場近くから。まばらに残雪のある土道を一旦下り、山裾の別荘街のようなところから山に入った。

途中、建屋傍で作業中の人に挨拶すると「良い天気で山上はさぞや良い眺めでは」とにこやかに声をかけられ、「確かに。ただその分、暑くなりそう」等と返す。

麓とはいえ標高250mの登山口で、誰もが温和を感じる珍しい冬日(とうじつ)といえた。そういえば、今日はまだ旧正月・松の内であった。


奥側が少し雪に埋もれる、堂満岳・東稜道の小池・ノタノホリ。2022年2月12日撮影
雪のない登山路を登り、やがて標高440m弱の場所にある山中の小池「ノタノホリ」を通過。水面が大半露出しており、雪で埋まっているのは奥側僅かな場所のみであった。春の兆しか。水生動植物の貴重な生息地であるノタノホリに古い人為痕跡があることは以前述べたが、その後の調べで、付近にあった戦国期城塞の飲用または防御施設である可能性が高まった


堂満岳・東稜道の標高530m辺りから始まる、雪の谷道。2022年2月12日撮影
ノタノホリからは山腹の植林帯を巻く道となり、やがて谷を登る雪の急斜となった。その手前にてアイゼン(靴底氷雪爪)を装着。植林帯の標高500mを過ぎた辺りから雪が深くなったが、踏み跡で固められていたため、ワカン(輪かんじき)は付けず。しかし、この場合、1s近いその重荷をザック(背嚢)から降ろせないことにもなるが……


堂満岳・東稜道の雪の尾根上から見えた山頂。2022年2月12日撮影
谷なかの急斜を登ると、やがて山頂に続く尾根上へ。ここはまだ緩やかだが、木立の背後に頂が現れ、これからの険しさと近からぬ距離を思い知る


堂満岳・東稜道の山頂直下の雪の急登。2022年2月12日撮影
緩やかな尾根から高低差230mを登り、山頂直下の急登下に至る。高さ100mの、見上げる程の斜面がはだかるが、今日の雪の状態ならピッケル(斧頭雪杖)無しでも危険なく登れそうである。ただ、見ての通りの晴天で、かなり暑い。手足がかじかまないのはよいが、雪崩を心配する


堂満岳・東稜道の積雪期の山頂下。2022年2月12日撮影

三拍子揃った好条件の山頂

山頂から人が降りてきたので、接触(相手もアイゼン装着の筈なので滑ってきたら危険)を避け、横に巻く踏み跡から側面に入るも、予想したつづらで登らず、浅いルンゼ(急斜溝)的急斜を直登していた。

一旦戻ろうかとも思ったが、面倒なのでそのまま進む。雪の状態と樹々により滑落の危険はなかったが、雪崩を恐れて早めに通過した。そして、山頂すぐ下にある写真の本道と合流し、ほどなく山頂に至ったのである。


冬晴れの堂満岳山頂からみた琵琶湖南部や比良山脈南部。2022年2月12日撮影
堂満岳山頂から、南は琵琶湖南部方面(左)と比良山脈南部(右)を見る。麓で会った婦人の予想通りの好天で、寒くなく風もないという、正に三拍子揃った好条件であった。冬季ここでこれほどの条件に恵まれることは滅多にないことだろう


冬晴れの堂満岳山頂からみた琵琶湖北部等の眺め。2022年2月12日撮影
こちらは同じく堂満岳山頂より北は琵琶湖北部等を見たもの


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く伊吹山。2022年2月12日撮影
同じく山頂から望遠撮影した湖北地方の名峰で名立たる豪雪地・伊吹山(標高1377m)


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く霊仙山。2022年2月12日撮影
こちらも同じく山頂から望遠撮影した、湖北地方は鈴鹿山脈北端部の霊仙山(同1094m)。伊吹山と共に、著名の積雪地・関ヶ原を挟む山だけあって、その雪量は遠目にも多そうであった


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く御池岳。2022年2月12日撮影
これも山頂から望遠撮影した、鈴鹿山脈中北部の御池岳(同1247m)。ここも雪が多そうだが、霊仙山と比べると少し減るように見えた


冬晴れの堂満岳山頂からみた雪を戴く御在所岳。2022年2月12日撮影
同じく山頂から望遠撮影した、鈴鹿山脈中部の御在所岳(同1212m)。こちらはさすがに前者より南方だけあって、その雪量は少なく見えた(実際はそれでもかなり有るとは思うが……)


冬晴れの堂満岳山頂裏の雪の尾根道。2022年2月12日撮影

山頂裏から谷道で下山

山頂での昼食込みの長休憩のあと、下山行程へ。時間的に問題なさそうなため、帰りは更に進んだ谷から直に出発地へと下降することにした。

山頂西裏の写真の如き尾根を進み、一路、谷への下降始点である金糞(かなくそ)峠を目指す。この区間は雪が深いことで知られるが、今日は踏み跡と雪質に助けられワカン不要で通行出来た。

但し、踏み跡以外は踏み抜くことがあり、また大きな雪庇が残存していたため注意は必要であった。


冬晴れの堂満岳山頂裏からみた、完全な雪山景と化す釈迦岳等。2022年2月12日撮影
堂満裏からは、完全な雪山景と化している比良山脈自体の様子も間近に観察出来た。右の高嶺は比良北東部の雄峰・釈迦岳(1060m)


比良山脈の雪の金糞峠と彼方の琵琶湖。2022年2月12日撮影

峠名由来と広重取材説

やがて写真の金糞峠着。標高約880mのここから琵琶湖側に向かい一気に正面谷を下り、出発地まで下降する。

因みに「金糞」の名は、昔ここに製鉄で生じる鉄滓(カナクソ)に似た岩があったことが由来との話を、地元で取材・調査した山岳案内の記述で読んだことがある。その岩は昭和期に木材搬出のため爆破されたという。

また、歌川広重が(昔は安藤広重と習ったが)江戸後期にここの景色を浮世絵「近江八景・比良暮雪(縦版)」の題材にしたとの説がある。確かに一見似ているが、麓の左湖中に小山が迫り出すなど相違も多い。


雪深い比良山脈の正面谷と麓の近江舞子や琵琶湖・沖島・湖東平野等。2022年2月12日撮影
金糞峠から麓まで続く雪深い正面谷と麓の近江舞子や琵琶湖・沖島等

無事短時終了果たすも……

金糞峠からは青ガレと呼ばれる谷なかの難所を越えつつ進む。傾斜が強く、雪も多いため滑り易かったが、雪でガレ場が埋没していたため、比較的早く通過することが出来た。

本来は落石多発地として知られる場所で、早く通過した方が良いため助かった。実は登山口手前でストック(山杖)の1本が故障し、バランスの悪い1本のみの使用で少々難儀したが、何とか遣り過せた。

そして、ひたすら雪の谷道を下り、出発地に到着。ここで故障したストックの先2段分を失くしたことに気づく。山頂で最後の修理を試みたが、それ以降の下山時に、振動で抜け落ちたとみられる。

長年の酷使により、内部のネジが劣化し、もはや使い物にならない状態だったが、山のゴミには出来ないので、近々回収に行かねばならない。

とまれ、休憩を覗き、3時間程で山行を終了させることが出来た。予定通り短時間で近場の雪山と稀少な晴天景を堪能することが出来たのである。

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2022年02月05日

立春雪行

芹生峠下(南。貴船側)の雪の峠道。2022年2月5日撮影

新年初の貴船奥

オミクロン・コロナの大流行が続き逼塞を強いられるが、運動がてら、また鍛錬がてらまた近場の雪山へ向かう。

良からぬ世情が続くが、今年は寒さのお蔭で雪だけは豊富。まあ、本来これが普通なのであろうが、寒くもなく雪もない近年の冬とは異なる、個人的幸運であった。

向かったのは貴船奥の芹生(せりょう・せりう)雲取山群(最高標高920m弱)。昨年12月19日にそこで今季初の雪歩きをしたが、その後、雪の多さで、麓の貴船にすら車輌進入が叶わぬままでいた。因って、今日は気になっていた「ホーム雪山」への本年初の再訪となった。

しかし、先月下旬の大寒夜から明朝にかけての大雪以降は市街にほぼ降雪は無く、ここ数日比較的温暖な日も続いたので、車行でかなり接近可能と思いきや、何と残雪により峠下かなり手前で進出不能となってしまった。

恐るべし、京都北山。自宅から直線僅か10数キロしかないにもかかわらず、これ程世界が変わるとは……。

写真は峠への道。府道なので一応除雪されているが、見ての通りの雪国景。傾斜もかなり急なので、もはやスタッドレスタイヤでも走行は難しいかと思われた。

事実、途中1台車が通過したが、程なく慎重に後退りしつつ下ってきた。その上方にはやはりスタックした跡があり、登坂不能となったようである。

とまれ、そんな訳で、結局また、山にとりつく彼方から、ひたすら雪の車道を歩き、山へ向かうこととなった(笑)。


雪深い京都貴船奥の芹生峠。2022年2月5日撮影

滑り易き府道・雪深い林道延々と

転倒に気を付けつつ雪と氷の急坂を登り芹生峠(標高約700m)に至ると、写真の通り更に雪が深くなった。我が京都市左京区と同右京区の境、または古の山城・丹波国の国界だが、同じ京都市内とは思えぬ光景であった。


雪に埋もれる芹生集落。2022年2月5日撮影
芹生峠からも、同じく圧雪と新雪混ざる雪道を慎重に北へ下り、やがて芹生集落(標高約620m)に。ここもまた屋根上に50cm程雪が載る状況で、そして少々吹雪いてきた。上空の寒気の所為か、気温は-5度程。まだ雲取山の麓とはいえ、標高の高さと付近を覆う雪によりかなりの寒さを感じたのであった


芹生奥の雪の林道。2022年2月5日撮影
芹生集落奥から林道を進むと、すぐに20cm以上の積雪に見舞われ歩き辛くなった。ワカン(輪かんじき)が欲しいところだが、我慢して進む。踏み跡は古いものが薄く残るのみで、ここ数日以上通行は無いように思われた


京都北山・雲取山直下の支流谷への三ノ谷からの入口を塞ぐ倒木と深雪。2022年2月5日撮影

山頂下谷での装備訓練

そして、更に雪が深くなる三ノ谷手前にてワカンを装着し、三ノ谷林道を北上して雲取山頂直下の谷下に至る。漸く、登山口到達である。ここまで延々2時間近くかかった。

更に、早速写真の様な倒木とその上の厚い雪に阻まれ、先ずはその雪をかき落とすことから始める必要もあった。


京都北山・雲取山直下の支流谷の深雪。2022年2月5日撮影
雪を分け三ノ谷横の支流谷に入ると、今度はワカンを外してアイゼン(靴底氷雪爪)に、ストック(山杖)をピッケル(斧頭雪杖)に換えた。この様に雪深い谷の急斜面を巻き進むための装備で、訓練を兼ねたのである。気温はまた1段下がって-7度程となった。時折強い風が吹きおろし、寒い


強い風で雪が舞う京都北山・雲取山の山頂。2022年2月5日撮影
強い風で雪が舞う京都北山・雲取山山頂

上空の寒気と山頂

谷を詰めるにつれ、雪と傾斜が増し、動き難くなった。鍛錬のためワカンを外し、また三ノ谷以降は雪質が新雪化したこともあり、「1歩進んで半歩滑り落ちる」といった、苦行めいた歩みの末、漸く雲取山山頂に至った。

谷なかで想像出来たように、頂は強い風があり、時折雪も吹き付けた。気温も更に-9度程まで低下。今週末に南下した寒気は上空1500m付近で-9度との情報を報道で得ていたが、正にその通りの寒さであった。


雪深い京都北山・雲取山山頂の稜線。2022年2月5日撮影
昼時を過ぎていたが、寒風に因り休息出来ないため、更に北の雲取北峰まで進むことにした。その途中の広尾根では、この通りの雪深さが見られた


京都北山・雲取北峰山頂から見た雪山景。2022年2月5日撮影
そして比較的緩い起伏を進み、間もなく行きつけの休息場で、好みの頂の雲取北峰に到達

ここで遠くまで広がる雪景色を見つつ、今日最初で最後の休息・昼食をとった。時折、吹雪が襲うが、先程よりマシで、更に頂を少し下った場所に退避して寛いだ。

しかし寒い――。

器具の試験がてら調理して温かいものを食したが、その効果は待ち時間の冷えを解消出来るものではなかった。まあ、横着して上着を出さず、中着(撥水防風)と下着の二枚のみでいたので、仕方ないともえいるが……。


天候が回復し、陽が射し始めた、京都北山・芹生集落。2022年2月5日午後撮影
天候が回復し陽が射し始めるも、朝同様の積雪を保つ芹生集落

疫期究極の活動終了!

雲取北峰からは、また元来た道を辿り、高度を下げる。下りはワカンとストックのままで装備転換せず、瞬く間に林道まで下ることが出来た。

独り身に不安を煽る吹雪の音は止み、温度も上がって、弛緩と静寂の世界に変わったが、貴船近くまでの延々たる車道歩きが残っていた。まあ、それも仕方なし。その分、他人のいない静けさが得られるか……。

そして、芹生集落まで戻ると、陽が照り始めた。ただそれは、雪を融かす程のものではなく、朝と変わらぬ路上の難儀が待っていた。

その後、峠を越え、漸く出発点に戻ったが、やはり路面状況は変わらず。午後の融解を当てにして奥へ進まなくて良かった。帰りは急な下りとなるため、更にスリップや転倒等の危険が増すからである。

結局、最初に引き返してきた車以外、今日一日、山で人と遇わなかった。正に、感染力の強いオミクロン・コロナ流行期における、究極の「非接触アクティビティ(保健活動)」といえまいか(笑)。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2022年01月28日

奧比良雪行

深い雪に覆われる蛇谷ヶ峰南西尾根。2022年1月28日撮影

蔓防の市街避け
また近郊雪中へ


大寒過ぎの寒さが続く日々ながら、雪の画像、温暖ならぬ話題が続き恐縮だが、今日また友人に誘われ山へ行った。

場所は、隣県滋賀西部の比良山脈北西部。近年、所謂「奥比良」と呼ばれる場所で(昔はそんな呼び方はしなかった筈)、その山域で最も標高の高い蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね。標高901m)であった。

隣県奥地とはいえ、我々京都左京区の住民なら、大原経由で北上すれば比較的近い場所。

存知の通り京都もオミクロン・コロナの流行により昨日から蔓防期間に逆戻り。前回同様行き場のない状況での体力づくり、鍛錬目的でもあった。

まあ、本来個人的には更に積雪や山体規模に勝る北陸の山や、山陰は大山等に小遠征したかったが、世情や諸々の事情により、お預けとなった。


上掲写真 深い雪に覆われる蛇谷ヶ峰南西尾根。雪のお蔭でルートではないこんな雪の尾根歩きも楽しめそうだが、雪庇の踏み抜き等には注意。


申し分ない雪に恵まれた朽木スキー場のゲレンデ。2022年1月28日撮影

朝、左京市街から車で北上し、大原を抜けて滋賀山間に入ってやがて旧朽木村域に入る。そこから比良山脈北西部を横断する入部谷林道という峠道を登り、写真の朽木スキー場に着いた。

ここの駐車場で車を停め、準備してゲレンデ脇から登山路にとりつく。駐車場の標高は既に440m。本来は麓近くから登りたかったが、ここ数日の好天で雪が無いことを考え、出発時から確り雪が載るここを選んだ。

登り始めに雪がないと、途中でワカン(輪かんじき)等を着脱せねばならず、面倒かつ余分な時間を費やす恐れがあったからである。

ところで、このスキー場。確か以前一旦廃業したような……。ところが今は比較的新しい施設や機材を擁していた。合併により朽木村から高島市に移管され、予算づけと共に改装復活したのであろうか。


朽木スキー場ゲレンデ脇から入る、雪の急斜の登山ルート。2022年1月28日撮影
さて、ゲレンデ脇を進み、その半ばから小さな谷に入り樹林の斜面を登る。積雪は申し分ないが、ここ暫くの高気温と踏み跡により雪が締まっていたため、急斜ながら難なく進めた。勿論、ワカン有ってこそ、ではある


小雪に霞む、比良山脈・蛇谷ヶ峰山頂北東の雪の尾根。2022年1月28日撮影
急斜を詰め尾根上に出ると、視界が悪くなってきた。というか、小雪が降り始めた。一応午前中に少し降る可能性があることを予報で知っていたので、気にせず進むが、気温がプラスの所為か、身が濡れ始めたのでハードシェル(防水上着)を着用した


小雪で視界が悪い蛇谷ヶ峰山頂と雪に埋もれる標識。2022年1月28日撮影
そして、山頂着。変わらず天候が悪く、ある筈の眺望も無し。また、少し風も出始めた。その所為で寒いのかと思えば、温度計が-5度程に。先程温度確認した尾根とは標高差は少ない筈だが、雪が寒気を連れてきたのか


小雪により殆ど視界が利かない蛇谷ヶ峰山頂。2022年1月28日撮影

荒天の頂から更に南へ

夏山と変わらぬ時間で山頂に着いたが、昼食には早く、また寒さで休息もとり難いため、更に縦走路を進んだ「滝谷ノ頭」という小頂まで行くことにした。

写真は蛇谷ヶ峰山頂付近から見た南縦走路方向。本来、方向の目安となる山脈本体は疎か、近くの地形すら判らない状態。スマートフォンアプリやGPSが無かった時代はルートロスが多発したであろう状況である。

とまれ、機器に頼らず、人に頼らず(踏み跡やテープ貼り等)、ただ磁針と地図を使い、確信を得つつ進む。これも鍛錬のうち。読図は語学と一緒で、常に行わないと鈍ってしまうのである。


蛇谷ヶ峰と滝谷ノ頭間に続く先行者の足跡ある雪の縦走路。2022年1月28日撮影
蛇谷ヶ峰山頂から変則的に支尾根を下り、主稜線の縦走路に出た。標高を下げた所為か、陽当たりに因るのか、積雪の割に雪が締まって歩き易かった。勿論、これも先行者の踏み跡及びワカンの効力が有っての話である


蛇谷ヶ峰と滝谷ノ頭間の稜線から見た、近江高島の平野と鴨川が成す白蛇のような眺め。2022年1月28日撮影

初耳・都市伝説?
蛇谷ヶ峰の新たな由来


主稜線を南下するうちに付近の視界が利き始めてきたことに気づく。いつの間にか、雪雲が去ったようである。

暫くして、友人が「白蛇が出た」と若干興奮気味に麓を撮影し始めた。それが、写真の景。確かに手前の雪原が逆さになった蛇の頭に見え、そこから上方は琵琶湖に向け蛇行する川(鴨川)がその胴体のようにも見える。

友人はこれが蛇谷ヶ峰の名の由来と聞いた旨を語ったが、個人的には初耳であった。本来同山の由来はその頂付近を源頭とする「蛇谷」とされており、その流れは蛇の頭に達する前に滝谷川という鴨川支流に合している。

もしこの由来が正しければ、蛇体を成す鴨川自体が蛇に由来する河川名とされる筈だが、聞いたことがない。確かに写真映えする光景だが、最近誰かが実しやかに語り始めた戯言・都市伝説のような気がしてならない。

近年、日本史学等で「わかり易いことには嘘がある」という戒めが発せられているが、これもその類か。

眼の前の風景に対して、どう感じ、何を言おうが自由だが、わかり易さ故に「事実化」し易いこうした「伝説」の安易な流布は、地域の文化や歴史の保全の為にも慎むべきだと思う。

特に影響力が大きな、自治体・企業の観光部署や山岳ガイド等が広めることを危惧する。

勿論「蛇谷ヶ峰に登ると蛇が見えて面白い」「夏の青蛇、冬の白蛇を観に行きたい」などと楽しむだけなら問題はない。むしろ、そこは地元の観光振興に役立ててもいいのかもしれない。

だが、そこから「これは蛇谷の神だ」とか、適当な由来を語る(騙る)などして、勝手な権威を付けしたがる輩が往々にして現れるのが、厄介といえよう(笑)。


蛇谷ヶ峰南にある雪に埋もれた滝谷ノ頭の山頂。2022年1月28日撮影
さて、縦走路を南へ進み、やがて滝谷ノ頭に到着。標高701mのなだらかな頂で、友人が標識を探すも無し。読図のみで特定したが、友人によるアプリ特定とも違いはなかった。元より地形図にないマイナーな山なので無い可能性がある。もしくは、背の低いものが雪に埋もれているのか。因みに、この山名は蛇谷ヶ峰と同じく、滝谷の源頭に当たるためとみられる


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粘り勝ちの好眺望

滝谷ノ頭は眺望がなく、風もあったので、蛇谷ヶ峰へ戻りつつ昼食場を探すが、結局天候が回復した山頂でとることとなった。

往復3km、高低差200mを経て戻ったが、見ての通り、嘘の様に眺望が回復しており、彼の「白蛇」の姿も難なく観られた。

先程テント泊装備の縦走者とすれ違ったのを最後に人と会わなかったので、著名な眺望が独占状態に。往路山頂に着いた際は何人かと遭遇したが、皆、荒天を悟り、早々に下山してしまった。

正に粘り勝ちか。少し進んで様子を見て正解であった。


蛇谷ヶ峰山頂から見た、頂部を雲に覆われる武奈ヶ岳。2022年1月28日撮影
蛇谷ヶ峰山頂から見た比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。標高1214m。中央奥)。頂部が執拗に雲(吹雪?)に覆われていたが、このあと少し顔を出した。こちらも、眺望や休息を諦めた人が多かったであろう

蛇谷ヶ峰山頂にてゆっくり昼食を摂り、その後元来た道を下山した。そして下山後は麓の温泉で冷えた体を温め、京都市街へと帰還したのである。

今日もまた良き雪景色を楽しむことが出来た。友人他、諸々に感謝!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会