2025年04月12日

裏山満開

麓からみた大文字山の山桜と新緑

裏山の春

京都市街の桜満開が宣言されて早1週間――。

風に散るものも増えてきたが、未だ花も人も多く、その華やぎは続く。見上げれば、近所の山肌にも花の色が目立つようになり、日々それが山上を指して増していくのも確認できた。

温暖な麓から山桜の開花も始まり、順次高所へと進行している――。

実は、先週からその動きに気づき、山中の桜巨樹のことを思い出していた。先日行った北山のものではなく、ごく近くの樹のことで、このサイトでも何度か紹介したことがあるもの。

先日その場所を遠望すれば、まさに色づき始めたことがわかったので、満開となったと思われた今日、軽い運動がてら観に行ってみることにした。


上掲写真 麓から見える山中の桜。但し今回の桜とは別の場所である。思えば新緑も急速に山を覆い始めていた。遂に山にも春がきたのであった。


大文字山中、鹿ヶ谷奥の満開の山桜
山に入り、誰もいない山道を進むこと暫しして目当ての山桜花覗く場所に


大文字山中、鹿ヶ谷奥の満開の山桜
目論見通り、まさしく満開であった。但し、染井吉野のように改変していない山桜なので花の場所は非常に高く、一般的な花見には適さない


大文字山の急斜に自生する山桜の巨木
山桜の幹。急斜に在りながら、樹高数十メートル、重さ数十トンの巨体を、複雑・複数の根で巧みに支える。樹齢は2、300年程か。しかし、その幹の色艶は良く、若々しくみえた。今季も元気そうで何より


大文字山山頂からみた山科盆地や京都盆地に大坂方面
誰も来ない場所で、満開の桜を長く眺める贅沢な時を過ごし、更に奥へと進む。そして、折角なので、そのまま山頂まで進み、少し休んだ。これはそこから見た山科盆地と京都盆地、そして彼方の大阪方面である


大文字山山頂からみた近くの山桜と彼方の音羽山山肌に点々と見える桜
山頂近くにも桜があり、彼方の山肌にも点々とそれが見えた。山の確かな春到来を見る思い


大文字山火床からみた京都市街と山腹の新緑
そして山頂を下り、京都市街が一望できる「送り火」の火床に。ここにも新緑の波が寄せ来る


大文字山火床横の桜
火床横にもこの通り桜が

麓から1週遅れの満開か

その後、火床から更に山を下り、無事下山した。今日は気になる裏山桜の満開が見られて良かった。また、麓の満開宣言からちょうど1週間でそれに至ることが判ったのも有意義であった。


大文字山山中で発見した中世の備前甕らしき考古遺物

考古遺物発見とその後日談

以上で、めでたしと終ると思いきや、なんと下山途中に写真の様な考古遺物を発見。常滑系の中世焼締陶(b器・stoneware)の口縁部で、その下に埋まる内容物などの存在も窺えた。恐らくは戦国期の備前甕か何かか。

帰宅後、文化財保護課に連絡すると、「遺存状態のよい貴重な発見の可能性がある」との回答をもらい、後日調査が入ることになった。

こうして、ただ山桜を観に行っただけでも歴史遺物と遭遇する油断ならぬ裏山であることに、改めて驚かされたのであった。

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2025年04月05日

開花融雪

ほぼ満開の様相を呈す、京都・銀閣寺下の疏水分線沿いの関雪桜

春めきと花、一気に

京都市街は3月下旬まで断続的に寒波に見舞われたが、遂に同月22日から20度を超える日が続くようになり一気に春めいてきた。

同27日には桜の開花宣言も出、その他遅れていた花も待ちわびたように咲き誇る百花繚乱の様相に。

梅の開花がひと月遅れ、その後を追う河津桜やハクモクレン・雪柳等が、桜と同時に一気に咲いたような感じである。

なにやら目まぐるしいというか、気分も切り替わり難いが、今朝、近所の花の様子でも見てみた。


上掲写真 銀閣寺参道下の琵琶湖疏水分線に咲く桜。所謂関雪桜で、既に多くの遊山客の姿があった。平日は殆ど外国客が占めるが、今日は週末なので国内客も混ざり大盛況である。ここは並木全体が撮りやすい人気の場所だが、長時間おかしなポーズをとって画角を占有する中国人が多く、他客の失笑を買っていた。配慮と謙譲は将来の不利益を避ける賢策だろう。


2025年4月5日午前の、銀閣寺下・疏水沿いのほぼ満開の桜と大文字山
同じく疏水分線を下流側から。背後に頭を出すのは、「大」字の火床を見せる、かの大文字山


2025年4月5日午前の、銀閣寺参道下・哲学の道のほぼ満開の桜と多くの観光客
因みに、銀閣寺参道下の様子。遊山者で溢れるが、歩行者天国が実施されている訳ではない、三叉路の只中である


奥山に春めいた陽射し届く、京都北山・雲取山麓の森と林道
朝からの人の多さに辟易気味の桜下から一転、午後からは全く人のいない場所に至った。先月まで通っていた奥貴船の山中である。前回林道さえ深く埋めていた雪は消え、奥山にも春めいた陽射しが届いていた


春の煌めきを放つ、京都北山・雲取山二ノ谷の沢
氷雪から解き放たれ、完全に露出する沢水も春の煌めきを放つ


雪解けが完了したばかりの風情をかもす、京都北山・雲取山二ノ谷の沢
奥貴船(京都北山)深部の谷なか。まさに雪解けが完了したばかりの風情で、下草もまだ雪の重みで寝たままであった


京都北山・雲取山の山桜の大木

奥山の開花確認に

雪のないここに今日来たのは、写真の樹が見たかったから。奥山の桜の大樹で、樹齢2、300年程とみられる。恐らくは寒冷地に自生するオオヤマザクラかと思われるが、以前見つけて以来、その花期を気にしていた。

去年一緒にここにきた海外の友人から先日偶然問合せがあったため思い出し、確認に来たのであった。本来は今日別の友人と湖北の雪山に行く予定だったが、それが中止となったため、替りに来ることが出来た。

ただ午後から曇る予定だったので、近所の花見を優先し後回しとなった。


京都北山・雲取山の山桜大樹の梢の冬芽
しかし、残念ながら大桜の花はまだであった。梢を見ると、いまだ冬芽しかなかったのである。やはり京都市内とはいえ、北陸的寒冷傾向がある特異な山中のため花期は遅めなのか


すっかり雪がなくなった、京都北山・雲取山山頂
大桜確認後、折角なので、標高1000m弱の山頂まで上がったが、やはり、ここにももう雪は無かった


京都北山・雲取山山頂付近からみたほとんど雪が消えた比良山脈・蓬莱山
山頂付近から更に北の比良山脈を見る。先週登ったその最高峰より南の峰だが、スキー場で知られるこの蓬莱山(標高1174m)もこの通り山頂の谷筋に僅かに雪をみる程度であった。やはり、方々春到来は確かである


雪が消えた京都北山・雲取山の急斜の登山ルート
もはや一片の氷雪もなくなった奥山の斜面を下り、麓に戻る。同じ場所で雪に足をとられたことが幻のようである

春到来ならではの早さで

それにしても、林道含め、雪がないとこんなに早く移動できることに改めて驚かされた。

そして、麓集落の知人に手土産持参での挨拶を済ませ、難なく15時過ぎには帰宅出来た。これも、無雪期入り、春到来ならでは早さであった。

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2025年03月22日

比良終雪

2025年3月下旬寒波後に一部雪が融けた比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂

北陸行に代り隣県雪見

まさかの3月下旬寒波到来から数日後の週末の今日。空いた時間を使い、隣県滋賀は比良山地の雪具合を見てみることにした。

そこは近畿中部としては多雪で知られる山域ながら、今季は何故か比較的少ない筈の京都北山より奮わない印象のため殆ど出向かなかったが、入山容易なこの時期の寒波を好機とみて覗いてみることにした。

実は、本来今日北陸の奥山に登るつもりでいたが、想定外の寒波の強さにより途中の交通困難が予想されたため断念した。

年一回の貴重な機会だったので残念だったが、元より今季は近場で存分に雪が楽しめたので、また雪を欠く年にでも行くかと気持ちを切り替えた。


上掲写真 今季初めて登頂した京都市北部東隣の比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂(標高1214m)。山頂標識付近は一見雪が無いようみえるが……。


早くも3月下旬寒波による雪が消えた比良山脈の難所・青ガレ
さて、比良の登山口までは一切雪がなく、一昨日の北山のことを幻の如く感じつつ登行開始。比良最深部・武奈ヶ岳への湖西側最短路となる正面谷を進むもやはり少なく、峠鞍部への急登始点の難所として知られるガレ場(というか中部・北陸方言での「ゴーロ」に相当か)「青ガレ」もこの通り


比良山脈・金糞峠下の雪渓
青ガレを越え、ひたに急登を進んで辿り着いた峠下の雪渓。陽当たりの所為か、降ってから日が浅いにもかかわらず、この道程の雪は急速に融けている観があった。やはり厳冬期とは異なり陽の力が強いのか。脇のルンゼ(細く急な枯谷)からの土石流跡や落石の音もしたため、注意しつつ登る


3月下旬寒波後に早くも雪た消えた比良山脈・金糞峠
程なく金糞峠(標高約880m)着。ここも標高の割に雪は無し。ひょっとして北山の同様域も急速に融けているのであろうか。少々思考の混乱を来す


春めく雪解けの金糞峠から見た、麓に広がる琵琶湖
金糞峠から見た来し側と麓に広がる琵琶湖。予想外の春めき


金糞峠裏から突然復活した深い雪原
ところが、峠がある主稜線裏にはこれまた意外の雪原が広がっていた。深く、滑りやすいので本日初めてアイゼン(靴底氷雪爪)を装着して進む


金糞峠裏の雪深い森なかの難儀な渡渉箇所
峠裏の森なかの道程には、この様に沢を渡る急な場所もあった。積雪は1m程もあり、前爪があるアイゼンでないと登り難い状態であった


比良山脈・金糞峠裏の沢からコヤマノ岳への急登へ続く大樹と雪ある斜面
沢に続く森なかの道程が終り、やがて武奈ヶ岳等がある後方山脈に続く急登となる。大樹の根元に厚く雪がある様子に先程の正面谷との違いを感じ、山の手強さを感じさせられた


比良山脈・コヤマノ岳山頂近くの雪原と足跡
延々と続く急登を進み漸く山上の雪原に至る。途中すれ違った人から踏み抜きの凄さを警告されていたが、多くの先行者で固められた踏み跡や体重の軽さからか(冬用の荷物は重いが)、ワカン(輪かんじき)を使うこともなく通過できた。ただ、ワカンより浮力が大きいスノーシュー(西洋かんじき)ごと盛大に踏み抜いた跡も見たので、人により要注意か(笑)


雪に覆われた比良山脈・コヤマノ岳山頂と彼方の琵琶湖や沖島
間もなく、武奈ヶ岳手前のコヤマノ岳着(標高1181m)。天気に恵まれ、眺望も良い


コヤマノ岳を少し下った鞍部から見えた、冠雪する比良山脈最高峰の武奈ヶ岳山頂
コヤマノ岳を少し下った鞍部から見えた武奈ヶ岳山頂。あともう少し。元より高めの気温が更に上がってきたため暑く、雪も湿りはじめて歩き辛くなってきた。実は麓から既に暑く、上着無しで登行していたが、それでも暑かった。後で知ったところによると、今日の京都市街は23度近くまで気温が上ったという。なるほど、雪の山上でも暑い筈である


コヤマノ岳を少し下った鞍部から見た、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山上の巨大な雪庇
しかし、武奈ヶ岳山上にはこの暑さにもかかわらず、盛大に成長した雪庇の姿が見えた。今日はカメラを忘れて電話で撮ったのであまり精細ではないが……


冠雪する高気温の急登を経て見えてきた、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂
武奈ヶ岳山頂への最後の急登を詰める。完全な雪山景だが気温が高い、という矛盾した状況に少々呆れつつ……


冠雪する比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂からみた3月下旬の雪山景と霞む琵琶湖等
そして、山頂着。黄砂等で若干霞んではいるが、晴れて眺望よし。ただ、さすがに昼食時は雪の冷たさや風により上着を足すこととなった


冠雪する比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂からみた3月下旬の雪山景(蛇谷ヶ峰・野坂山地方面)
同じく武奈ヶ岳山頂より北方は蛇谷ヶ峰(中央やや右)や野坂山地(中央奥)をみる。最初の写真の如く山頂標裏のこの辺りは広く雪が融けていた

今日こそ冬仕舞いか

昼食休憩後、来た道を戻る。上部に所々雪渓がある峠下の道に難儀したが、横着をせずアイゼンの脱着を繰り返し無事下山したのであった。

今日こそ、今季最後の雪山となろう。予想より雪は少なく、雪質も微妙だったが、冬仕舞いの山行を堪能することができた。自然よ、有難う!

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2025年03月20日

続北山再復雪

立木に吹雪の跡残る、3月下旬の奥貴船・雲取山の雪景

驚きの春前寒波再来

なんと、3月下旬にもかかわらず、京都市街から冠雪が見えるような寒波が再来した。

昨年冬前に発表された長期予報が訂正され、4月初旬まで平年並みかそれ以下と報じられていたが、それ以上の事態となったので少々驚かされた。

恰(あたか)も大寒頃の気候に戻ったような状況。まあ、本来は花見の頃でも雪が舞うことはあったので、一時的に昔に戻ったようなだけか。

今度こそ、今季最後の近場の雪かと思い、急遽また市街北の北山(丹波高地)を覗いてみることにした。


上掲写真 立木に吹雪の跡残る、3月下旬の京盆地北の雪景。一旦消えかけた積雪が、再度の寒波により盛大に復活していた。


京都北山・雲取山に続く灰屋川林道を覆う3月下旬のまさかの新雪
北山への車道は先週より氷雪で険悪なものとなり、苦労して峠越えを行い、なんとか林道始点に


京都北山・雲取山に続く灰屋川林道を覆う3月下旬のまさかの新雪と、その深さに苦労した自身の足跡
林道始点から歩き始めたが、最初こそ少なかった積雪も直に増えてワカン(輪かんじき)なしでは進み難くなった


京都北山・雲取山に続く灰屋川林道の橋を覆う3月下旬の多量の新雪と危険な穴
沢に架かる林道橋も、この通り雪に埋もれて端が判らない状態。水面まで通じる穴もあったので大変危険であった


京都北山・雲取山山頂直下の沢を埋める3月下旬のまさかの新雪
林道歩きを終え、本格的山道区間に入ると更に積雪が増し、また沢が埋もれるような状況となっていた。近くの集落の情報によると寒波が再来した火曜から水曜にかけての晩に一気に積ったようである。気温が低いため未だ殆ど崩落を見ないので、雪崩に用心して進む


京都北山・雲取山山頂直下の急斜に現れた3月下旬のまさかの新雪雪原
山頂下の急斜谷もこの通り真冬景に。近年の京都市内(一応ここも右京区内)としては、少々信じ難い光景であった


京都北山・雲取山山頂直下の急斜を埋める3月下旬のまさかの新雪と、自身のワカン・アイゼンの足跡
山頂へと続く急斜を進み、下部を振り返る。ワカンやアイゼン(靴底氷雪爪)を装着するも、深いところで50cmを超える新雪に喘ぎつつ登る。場所によりピッケル(手摺となる氷雪斧)が欲しいことも。まさに、春を前にした異状の雪塗れに


京都北山・雲取山山頂を覆う3月下旬のまさかの新雪
やがて標高911mの山頂着。祝日ながら、今日は先行者の足跡無し


京都北山・雲取北峰山頂を覆う3月下旬のまさかの新雪と広がる周囲の冬山景
今日も、同じく少し北方の雲取北峰山頂(標高約915m)まで進み、そこで最初で最後の休息に。完全な冬山景が広がるが、さすがに陽射しは厳冬期と異なる春の力があり、比較的寒からず


京都北山・雲取北峰山頂を覆う、まさかの3月下旬の新雪越しに見える、盛大に冠雪する武奈ヶ岳
雲取北峰山頂を覆う、まさかの3月下旬の新雪越しに見える、彼方の武奈ヶ岳(標高約1214m。滋賀西部・比良山脈最高峰)。比良山脈も盛大に積雪が復活したようである

有意義かつ貴重な山行に

休息後、自身の足跡を踏みつつ、また元来た道を下山。

前回と代り映えしない道程となったが、個人的には3月下旬の近場新雪を堪能できた有意義かつ貴重な山行となった。

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2025年03月09日

続近山終雪

京都北山(丹波高地)・雲取北峰(標高約915m)の山頂標識越しに覗く山上雪原と彼方の比良山脈・蓬莱山(左奥。標高1174m)

再度名残りの雪へ

先週末から高気温が続き、今季最後の近場雪山になるかと思われた先週土曜から一週過ぎの今日。また同じ山域に出掛けてみた。

今週末からまた寒波が来て市街から見るそこにまた雪原が現れたためである。長期予報では2月までは例年より寒く3月から一転して高気温となる筈だったが、最近、4月初旬までは寒冷気味と修正されたのであった。

そういった訳で、また「名残り惜しみ」の想いから、出掛けたのである。


上掲写真 京都北山(丹波高地)・雲取北峰(標高約915m)の山頂標識越しに覗く山上雪原と彼方の滋賀西部・比良山脈の蓬莱山(左奥。標高1174m)。


京都北山・雲取山へ続く灰屋川林道に載る残雪
前回同様、貴船奥より山に入るが、やはり峠手前から路上に雪があり、普通の装備での車行は無理であった。その後、集落奥の林道始点まで進み、そこから徒歩で奥へと進む。やはり根雪は減っており、靴だけで進めた


京都北山・雲取山へ続く灰屋川林道と積雪
ところが、途中から雪が増え、進み難くなった。標高は然程上がっていないのに不思議なものである。まあ、それでも少ない方なので、辛坊して進む。途中、珍しく下山者とすれ違った。それは何処か義務めいた感じの浮かぬ顔の男性組だったので、公務従事者の訓練か何かを想わされた


京都北山・雲取山三ノ谷ルートの積雪
林道歩きを終え本格的に山に入ると、目論見通り確りとした積雪があった。当初は不要かと想われたワカンやアイゼンを結局装着し、進む


京都北山・雲取山三ノ谷ルートの急斜雪原の雪玉
雪の谷みち(道なぞ埋まっており無いが)を進み、急斜の源頭雪原に出ると、ここ数日降った新雪による雪玉(スノーボール)が見られた。積雪量的に大丈夫だと思うが、なるべく急ぎ通過する。市街で19度まで気温が上った前回とは異なり、寒からず、暑からずの良い気候条件ではあった


京都北山・雲取山山頂と残雪
やがて雲取山山頂着(標高911m)。雪は少なめだが、陽当たりや風等の関係で元々少ない場所ではあった。先程すれ違った男性組のものとみられる足跡があったが、私とは別道程で登頂し、下ったようである


京都北山・雲取北峰山頂からみた残雪ある丹波高地や彼方の比良山脈
雲取山山頂から更に奥の北峰山頂に移動し、そこで今日最初で最後の休息をとった。確かに雪はあるが、地面の露出も多々見られる残雪期らしい眺め。果たして今季雪景はこれで見納めとなるのか……


京都北山・雲取北峰山頂の雪原に見られた雪紋
雲取北峰山頂の雪原に見られた雪紋

休息後、元来た道を下る。一瞬、別路を採ろうかとも思ったが、結局最初の道程が最も雪が多いことを知っていたため、自分の跡を踏み帰還した。

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2025年03月01日

近山終雪

京都北山・雲取山へと続く雪の急斜面に射す温暖の日射し

今季最後の近山雪?

今年も、早3月に入った。

思わず再来した2月後半の寒波も過ぎ、日々気温が上がり始める。そして、月変りの今日、遂に最高気温18度の予報が出た。

元来、長期予報では「2月までは寒く、3月からは暖かい」とあったので、その通りの進行といえた。しかし、同時に近山の雪も消えるので、今日が最後と思い、雪歩きに出掛けることにした。


上掲写真 京都北山・雲取山へと続く雪の急斜面に射す温暖の日射し。


京都北山・雲取山と芹生集落を結ぶ雪の林道に続くワカンの足跡
積雪の林道につづくワカンの足跡

今日向かったのは京都北山の雲取山。先週とは異なる奥貴船の山である。意外と手前の芹生峠までノーマルタイヤの車輌で進むことが出来たが、やはり峠向こうの北側から路上に氷雪が現れ、対策して進むこととなった。

そして、集落を越え、除雪端の林道際まで進出して、そこから徒歩で奥山へ。しかし、当初から林道の雪は深く、更にここ数日の温暖や雨の関係か重く疲労させる質だったので、すぐワカン(輪かんじき)履きとなった。


京都北山・雲取山山頂下の谷を埋める雪や雪崩
林道が終ると純粋な山道となるが、当然、雪に埋もれて道はなく、更に、珍しく沢さえ埋まる程の雪があった。積雪は60cm程か、恐らくは気温が上がった木曜までは1m程あったとみられ、これはその名残りであろう。右斜面の雪崩跡からもわかるが、危惧していた崩落は今日までにかなり進んだように思われた。ただ、今日は更に気温が上がるので注意して進んだ


温暖な日ながら、雪に覆われる京都北山・雲取山の山頂
そして雲取山山頂着(標高911m)。大した距離・高低差ではないが、今日は雪の状態の所為で大変疲れた。そして、頂には別路からの先行者や他の人の足跡もあった。皆考えることは一緒で、最後の雪を踏みに来たのか


雪に覆われる京都北山の雲取北峰
意外の疲労により珍しく山頂での休息も考えたが先行者が写真の撮り合いをしていたため、更に進むことに。これはやがて現れた雲取北峰(標高約915m)。全体の姿が見えるのは珍しく、この時季ならでは、と思われた


京都北山・雲取北峰から見た山上の雪と丹波高地や比良山脈の雪景色

市街近20度の暑さに汗
奥貴船の雪景見納めか


そして、雲取北峰着。ここも先行者の跡があったが、無人であった。写真の通り、遠望の比良山脈も含め、雪景が広がるが、気温が10度程と高いため、湯を沸かす食事はやめて軽食休憩に止め、元来た道を引き返した。

帰宅後知ったが、京都市街は結局今日20度近くまで気温が上ったという。道理で山上・雪上でも暑かった筈。お蔭で汗だくになってしまった(元来汗はかかない方ではあるが……)。

明日からも高気温に加え雨も続くため、これにて今季の奥貴船雪景は見納めとなりそうだが、さて如何(いかん)……。

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2025年02月23日

北山再復雪

京都特産・北山杉の合間に溜まる新雪と彼方の京都市街

近山の雪再び

今週火曜からまた寒波がきた。

今季は温暖化傾向のここ数年とは異なり、長めの寒波の谷が幾度も現れるのが特徴か。折角なので、また近山の様子を見に行ってみた。


上掲写真 京都特産・北山杉の合間に溜まる新雪と彼方に望む京都市街。


2月後半の寒波でスケートリンク状態となる奥鞍馬・花脊峠への道
向かったのは今月11日に視察した奥鞍馬。あのあと14度を超す高気温で市街から遠望できたその雪も一旦消えたが、火曜からの降雪で一気に復活していたのであった。よって、そこへの峠道もこの通りに。歩くだけでも転倒しそうな、正にスケートリンク状態であった


花脊峠から天狗杉に続く深い新雪についた、ワカン履き往復による溝
前回と同じく、峠に車輌を置き、稜線に向かうと、すぐに前回以上に深い新雪に阻まれる。先行者は無し、ワカン(輪かんじき)履きの自分の往復でこの様な雪の溝がついた


奥鞍馬・天狗杉山上からみた雪被る京都北山(丹波高地)の峰々
奥鞍馬・天狗杉山上からみた雪被る京都北山(丹波高地)の峰々

再び雪楽しむ幸い

今日も付近の最高点・天狗杉(山名。標高837m)までを往復するのみの短時間で下山。前回同様、時間が遅かったのと、そもそも前回とは別車輌の雪道走破試験が目的だったためである。

また、この後天候が悪化し、吹雪く恐れもあった。しかし、少しでも貴重な近山の雪をまた楽しめたのは個人的幸いであった。

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2025年02月16日

比良初試

比良山脈の主稜線上にある金糞峠(かなくそとうげ。標高約880m)からみた、登りきた急登谷と彼方の琵琶湖

今季初の比良試登

先週からの寒波が去り、雨や気温上昇が続いたため、近山の積雪は急速に衰えていると思われた。更に、明日からまた纏まった雨が降るとの予報のため、寒波の雪貯金も今日が最後となる可能性があった。

そのため今日は今季初の隣県滋賀西部の比良山脈に出掛けることにした。どうも今季は同山に雪が少ないらしく、その様子を見る為でもあった。

ただ、先日近山の積雪状況を知らせた友人から同行を頼まれたので、共に向かうことに。折しも朝から気温が高めで、しかも快晴の好日であった。


上掲写真 比良山脈の主稜線上にある金糞峠(かなくそとうげ。標高約880m)からみた、登りきた急登谷と彼方の琵琶湖。理想的冬山景。


腐り気味だが、雪のる比良山脈の難所・青ガレ
意外にも登山口駐車場手前で雪に阻まれ、その下部に駐車。友人親子の雪遊び準備に協力し、その後、急登の谷道に挑んだ。登山口から雪があったが、やはり融け気味のものであった。確りしたトレース(踏み跡)もあったので、ワカン(輪かんじき)は付けず、アイゼンのみで進む。写真は急登の開始点で、難所として知られる崩落地「青ガレ」の積雪状況


雨と温暖で衰えかける金糞峠下の積雪
稜線上の金糞峠下の積雪。上に行くほど雪は増えたが30cm程を超すことはなかった。明日の雨でかなり減ると思われたので、今日来たことに安堵


雪の急登の先に覗く比良山脈主稜線上にある金糞峠
そして、金糞峠着。短時間だが、休息なしで登るとキツい。ただ、その分鍛錬にはなった。峠で琵琶湖を眺めながら軽食休憩し、引き返す。今日は比良の雪具合をみつつ、新しい冬装備の試験を行うつもりだったので、目的は果たせた。また、幼児の雪遊び支援という側面も。そして、麓で皆とまた合流し、近くの温泉や道の駅などに寄りつつ帰路に就いた。車を出してくれた友人に感謝。有意義で楽しい一日を有難う!

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2025年02月11日

北山復雪

境内・路上共に雪に埋もれる貴船奥宮

寒波最中、近山の積雪如何

今月8日からの寒波来襲で雪が降り難い京都市街でも8cmの積雪をみたが、それなら盆地北縁の雪山も復活したであろうとの目論見で出かけてみた。

貴船口から路上にも雪が現れたため、今回初めて用意した雪対策を施し車輌にて峠道を進む。しかし、事前に関係者から聞いていた通行止解除は行われず、途中で引き返すこととなった。

写真は峠道を下り切った場所にある貴船奥宮。土の境内は疎かアスファルトの路上も全て氷雪に覆われる危険な状況であった。その駐車場にもさすがに参観客の車は無し。


雪に塗れる貴船神社本殿下
奥宮下の貴船社本殿口の鳥居。神社までの途上で引き返す車も多かったが、意外と徒歩客は多かった。珍しく、そして美しい貴船社の雪景色見たさの内外客であろうか


寒波の雪に覆われる花脊峠横の山上
急遽行先を東隣りの奥鞍馬に変え、ノーマルタイヤでは絶対に登れない氷雪の急登・急カーブの細道を進み、花脊峠に着く。そこから、ワカン(輪かんじき)履きで山に入り、山上に出た。写真の通り一時的に天気が良くなったが、風が強く、雪も舞って寒い


花脊峠横の山上に積る新雪
目論見通り、山上は雪多く、しかも新雪であった


京盆地北縁の天狗杉(山名。同837m)付近の灌木ある雪原
京盆地北縁の一峰・天狗杉(山名。同837m)山頂付近の灌木ある雪原。峠から誰の踏み跡も無し


雪に覆われる旧花脊峠の祠や大杉
天狗杉山頂から雪深い斜面を下って旧花脊峠まで下る。今日は経路変更で時間を取られ、また夕方から所用もあった為ここで引き返した。元より、今日は車輌の雪対策確認に重点を置いていたという事情もあった


天狗杉北方の平坦地上から見た、吹雪に霞む京都北山の峰々
登り返した天狗杉北方の平坦地上にて。今日は午後から天気回復との予報があったが、結局、風と小雪続く寒い一日となった。なお、北山南部に当るこの付近の積雪量は最大50cm前後とみられた


風雪で消え始める、雪上の踏み跡
?、風雪の所為か、なんと自身のかんじき跡が消え始めていた。僅か30分前に通ったばかりなのに……


京都市街からみた冠雪する天狗杉等の京盆地北縁の山々
結局山中には休息を含め2時間程滞在して帰宅。これは京都市街から今日歩いた雪山を写したもの。中央奥の最高所が天狗杉山頂で、その右二つ目の鞍部が旧花脊峠、同左二つめの鞍部が駐車地の花脊峠となる。つまり今日はこの区間を往復。短時間だったが近場の雪山を楽しめてよかった

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2025年02月01日

雲取融前

珍しく路面に氷雪のない厳冬期の花脊峠

雪消える前に

今冬は例年になく近山に雪が降り、近場の雪山を楽しめたが、暖冬的日も頻出し、根雪からの積雪増加は望めなかった。

今回もそんな繰り返しのうちで、折角積った雪がなくならない内に急ぎ山へ向かう。場所は年末年始同様、奥貴船の雲取山(標高911m)だったが、途中の峠道が通行止めだったため、一先ず東隣りの奥鞍馬を目指した。

そして、急坂と急カーブが連続する細道を進み、写真の花脊峠(はなせ峠。同759m)に到着。

路傍の温度表示はこの時期の午前としては珍しい0度。お蔭で路面にも氷雪がなく、これまた珍しく車輌にて進出することが叶った。


薄く雪積る京都北山・天狗杉山
先ずは京盆地北縁の城丹尾根を縦走し、天狗杉(山名。同837m)に到着。雪が覆うが、然程深さはなく、ワカン(輪かんじき)等は不要であった


薄く雪積る旧花脊峠
天狗杉を少し下ると旧花脊峠に。一面の雪景色だが、量は少ない


旧花脊峠から寺山へ続く雪の山上林道
旧花脊峠からは北へ続く尾根上の林道を踏み雲取山方面を目指す。少し雪が増えてきたが、それほどでもなし


雪が融けた寺山峠
途中の寺山峠(標高約807m)に至ってはこの通り、全融状況


積雪量が増え始めた寺山峠北の林道
ところが、更に北に進むとこの通り雪が増え始めた。ワカンを装着すべき量だったが、先行組の踏み跡により低減されていたため、そのまま進む。まあ、この辺りはいつも雪深い場所ではあるが……


周囲の雪が少ない状況でも豊富な雪量をみせる雲取峠
北への尾根筋はやがて西寄りの完全な山道と化し、雲取山塊の中心地・雲取峠に達した。更に雪が増え、下りではアイゼンの必要も感じたが、先行者の踏み跡を利用するに止める。根雪の全融を悟っていたので、ただ驚く


雲取峠付近の雪面に残る踏み抜きに苦労した先行者の足跡
雲取峠付近では踏み抜きに苦労した先行者の足跡が見られた。ここだけ50cm程の積雪がありそうである。そういば、先程の奥山渡りで、珍しくガイド付パーティーに遭遇するなど、今日は入山者が多かった。天候は今一だが、年初の多忙が終ったので、皆一斉に山に出てきたのであろうか


雪積る雲取北峰山頂からみた地蔵杉山等の京都北山の峰々
そして、目的地に雲取北峰山頂着。先行者が去ったあとなので、気兼ねなく休息兼昼食をとることができた


花粉が色づく地蔵杉山
今日は残念ながら北峰からの遠望は叶わず。ただ、向かいの地蔵杉山(同899m)の植林が先月より赤くなっているのに気づいた。花粉の成熟か。今年の京都府のスギ花粉量は例年の5倍以上と報じられているが、大変なことになりそうである。花粉症を脱した身ながらも、身構えざるを得なかった


雪の少ない、雲取山一ノ谷
雲取北峰で休息後、雲取峠に戻り、一ノ谷即ち灰屋川最源流部に下る。アイゼンの装着を考えたが、谷に下ってみると、やはり雪は少なく、そのまま花脊峠まで難なく帰還することが出来た。

正月の多雪期を体調不良で逃した分、多くの雪を踏みたかったが、今回は微妙な山行となった。まあ、2月中はまだ寒さが続くとの予報なので、次に期待したいと思う。

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2025年01月18日

小寒初登

北山山上の高所集落・芹生にある工房屋根に下がる氷柱

正月叶わず小寒中の初登り

伝統的正月期間「松の内」最後の小正月・1月15日も過ぎたが、初登りに出かけた。

場所は昨年末の登り納めと同じ、京都北山(京盆地北部山地・丹波高地)。寒の入りとされる二十四節気「小寒」中ながら近年暖冬傾向が強かったため、珍しく寒気続く今季は、近場での雪山行が行え有難い。

ただ、本来は雪の盛りだった正月中に行きたかったが、元日晩から体調を崩し、それが長く続いたため叶わなかった。

松の内後に一旦寒さが緩んだので積雪は減ったと思われるが、さて、如何(いかん)……。


上掲写真 北山山上の高所集落「芹生(せりう・せりょう)」にある工房屋根に下がる氷柱(つらら)。


雪かかる芹生峠
雪かかる芹生峠(標高約700m)。今回も車輌で行けるところまで峠道を進み、そこから歩いて奥山を目指した


雪に埋もれる京都・雲取山三ノ谷分岐
芹生集落を越え、雪ある林道を進む。年末より少ない感じだが、ワカン(かんじき)が無いと辛い


京都・雲取山三ノ谷最後の急斜と厚く積る新雪
雲取山山頂直下の急斜面はこの通り。やはり雪は多く、そして新雪のため進み難い


雪被る京都・雲取山山頂
雲取山山頂(標高911m)。天気が良いにもかかわらず、今日も人の痕跡はなかった


雪被る京都・雲取北峰山頂と冬の青空
今日最初で最後の休息地で引き返し地点となった雲取北峰山頂(同約915m)。ここも足跡なし


京都・雲取北峰山頂からみえた滋賀・比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳の雪景と冬の青空
雲取北峰山頂からみえた滋賀・比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(同1214m)。あちらも雪が多そうである


京都・雲取北峰山頂からみえた滋賀・比良山脈南部の蓬莱山・ホッケ山・権現山等の雪景と冬の青空
こちらも同じく北峰からみえた比良山脈南部の蓬莱山・ホッケ山・権現山等の雪景と冬の青空。素晴らしい天候と眺め。中央やや左の雪峰・蓬莱山にあるスキー場もさぞや盛り上がっていることであろう


京都雲取山北斜面に続く自分のワカン履き足跡
年末と同様の画像だが、一応帰りに踏んだ自身のワカン履き足跡を……

無理せず終了
意外の二ノ谷


今日は北峰奥の個人的未踏域に入りたかったが、時間が遅かったのと、体調が万全でないため北峰で引き返す。

帰りは二ノ谷を下ったが、陽当たりの所為か、意外に雪が少ないことに驚く。これならワカン不要と思いかけたが、これまた意外にも、灰屋川本流に下ると新雪が増え歩き難くなった。

油断禁物。これも山や自然の奥深さか。

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2024年12月25日

北山登終

木漏れ日を浴びる、京盆地北縁奥の雲取山山頂北面の積雪

本年登り納めと今季雪山初登り

年の瀬が迫ってきたが、不意に時間が取れたので、山の登り納めをすることにした。

向かったのは近場の京都北山。先日その冠雪を報告していたが、同地での今季初の雪歩きも意図したのである。


上掲写真 木漏れ日射す京盆地北縁奥の雲取山(標高911m)山頂北雪面。


雪の少ない冬の芹生峠
本来はバスで行きたかったが、昨晩帰りが遅かったので車輛で行けるところまで行き、そこから徒歩行とすることに。写真は京盆地北縁峠の一つ、芹生峠。標高700m、雪はあるが、期待した程ではなく、行く先を案じる


雪の少ない冬の芹生集落
芹生峠の車道を北に下ると芹生集落に。ここも大して雪がなく、ワカン(輪かんじき)やアイゼン等の重量装備の携行を後悔し始める


京都・雲取山三ノ谷分岐の積雪
ところが、集落奥の林道から雪が増え始め、標高700m手前辺りからかなりの量に。ただ、伐採関係者の足跡があったためワカンまでは不要であった


深雪に閉ざされる、京都・雲取山三ノ谷ルート奥の谷
しかし、林道が終り純粋な山道区間に入って人跡が絶えると忽ち深い雪に足をとられることに。しかも山頂まで続く急登区間の始まりであった


京都・雲取山三ノ谷ルート奥の谷での、ワカンをつけても沈む新雪
5mも進めば疲労が増大したので、堪らず雪上に背嚢を置き、ワカンとアイゼンの装着を行う。だが、それでもこの通り膝まで雪に沈む有様であった。完全なる新雪状態。雪崩に気をつけつつ、急斜の谷を徐々に進む


雪深い京都・雲取山三ノ谷ルート奥の谷
谷を詰めるに連れて雪は増し疲労も増大。僅かな距離だが雪山初登りから雪まみれになってしまった。京都市街は疎か途中の山間からも想像出来ない状況である。これぞ、北山の奥深さか。途中で引き返さなくてよかった


雪に埋もれる京都・雲取山山頂
やがて雲取山山頂着。意外にも先行者の足跡はなし。平日の今日と違い、日曜辺りの痕跡があるかと思っていたが、その後の降雪で埋没したのか


雪に覆われる京都・雲取山北方にある雲取北峰山頂
見晴らしがなく、どこか落ち着けない雲取山頂では休まず、更にふた登りする雲取北峰まで進み、そこを休憩・折返地とすることにした。そして、程なく辿り着いたその山頂も、この通りの雪景色であった


京都・雲取山北方にある雲取北峰山頂から見た、冠雪する比良山脈最高峰の武奈ヶ岳

日本海・太平洋気候の境

雲取北峰山頂にて今日最初で最後の休息をとる。雪面を掘り、湯を沸かして作る即席麺での昼食兼用である。別に休憩・食事共に無くてもよかったが、まあ儀礼的に。

到着当初は吹雪の所為か北方彼方の比良山脈は見え難かったが、暫くすると、写真の様にその最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。中央。標高1214m)まで見え始めた。あちらも盛大に雪が付いており期待出来そうである。

今日はこの雲取山辺りが気象の境か。晴れた南方・京都市街方面を時折眺めつつ、正に京盆地北縁が日本海気候と太平洋気候の境であり、北陸気候との境界であることを実感できた。


京都・雲取山北方にある雲取北峰山頂から見た、冠雪する比良山脈の蓬莱山やホッケ山・権現山等の南部山嶺
こちらは同じく北峰山頂から見た比良山脈南部諸峰。左から蓬莱山・ホッケ山・権現山等が続く。正に滑雪場がある蓬莱山に多大な降雪が認められたので、その活況が窺えた


雪解けの雨降る、京都・雲取山三ノ谷ルートの植林地
雪解けの雨降る雲取山南麓植林地

温暖市街にて夢の如き近山雪行振り返る

雲取北峰での休息後、来た道を返す。殆どが下り、また自身で作った踏み後があったので、素早く下山出来た。

その後、駐車地まで長い車道歩きがあったが、それでも、朝遅く出ながら十分陽がある時間に帰宅することが叶ったのである。これぞ近場の良さ。

まだ氷雪付く道具を片付けながら、温暖な市街にて、夢の如き登り納めと雪の初登りを振り返ったのであった。

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2024年11月09日

雲取奇遇

京都北山・雲取北峰山頂からみた秋晴れ飛行機雲

秋晴れの代替休日

月末の催事に向け忙しくなる頃だが、仕事を進めるための返答が来ない。また、今日は晴れで明日は曇り予報だったので、今日の作業を明日に替え、軽い鍛錬がてら、近山の紅葉具合でも視察することにした。

向かったのは京都北山。京盆地北縁奥に広がる山々で、丹波高地とも呼ばれる標高1000mに届かない場所だが、日本海気候の影響を受ける北陸的場所なので、そろそろ色づいているとみた。

果たして、その結果や如何に……。


上掲写真 京都北山・雲取山の北にある、眺望良き雲取北峰(標高約915m)山頂上の秋晴れを飛ぶ航空機と飛行機雲。


伐採作業の重機の轍が残る、京都北山・雲取山三ノ谷のゲート付近
車輌で貴船奥の芹生集落を越え、嵐山の水景で知られる大堰川(桂川)の上流・灰屋川の源流域に着く。そこから林道を辿り付近の最高峰・雲取山(標高911m)を目指すが、珍しく林業作業(伐採)が行われていた関係で重機による凹凸や泥濘ある路面状態であった。ただ、台風倒木等の障害も撤去されており、また休みの所為か作業との干渉もなく比較的早く進めた


紅葉が遅れまだ葉の青い、京都北山・雲取山三ノ谷奥の谷筋
林道が終り、純粋な山道に入る。「道」とはいえ、人通りが殆どない場所なので、獣道程度か、それすらない谷筋を進む。平成末の台風被害のあと更に荒れ、近々通行が難しくなりそうなので注意すべきルートである。標高は750mを超えている筈だが、頭上の樹々はまだ緑であった


標高850mを超え漸く現れた、京都北山・雲取山三ノ谷奥の紅葉
更に無人の谷を詰めると、漸く色づいた樹々が現れた。標高は850m辺りか


京都北山・雲取山山頂付近の紅葉や黄葉

雲取山上

そして雲取山山頂着。ここの紅葉具合は写真の通り。風の強い場所なので、既に散ったものも見受けられた。


京都北山・雲取北峰山頂付近の紅葉
時は丁度正午頃だったが、眺望もなく、3名の別路先着者がいた雲取山頂では休まず、その北にある北峰まで進む。そして、辿り着いたその山頂はこの通り。当然ここも吹きさらしなので、紅葉具合の参考にはし難いか……


京都北山の雲取北峰山頂からの見た、北方手前の地蔵杉山等の丹波高地及び彼方の比良山脈
雲取北峰山頂からの見た、北方手前の地蔵杉山(右向こうの三角の杉山。標高899m)等の丹波高地及び彼方の比良山脈(最奥の稜線)。年に何度もないような温暖で素晴らしい天気なので、疲労はないがここで軽食休息に。奥の天然林は無論、手前の立体感ある北山杉の緑が美しい


京都北山の雲取北峰山頂からの見た、京都北山やその果てに聳える比良山脈・武奈ヶ岳
上掲写真左奥を望遠拡大。先週、琵琶湖側から登行視察した比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m。中央)方面を見る。先週より赤味が進んだ気もするが、まだ足りないか……


京都北山の雲取北峰山頂からの見た、色づく、京都北山最高峰・皆子山や比良山脈・蓬莱山
こちらは、同じく上掲写真右奥を望遠拡大。比良第3位の高所・蓬莱山(右奥。標高1174m)と、その手前の北山最高峰・皆子山(みなこやま。中央奥一つ手前やや左の天然林頂。標高971m)で、武奈ヶ岳辺りと同様に見えるが、これから紅葉が進むのか、これで終るのかは判らず


京都北山・雲取山山頂から二ノ谷へ下る途中で出会った紅葉林

色づく二ノ谷道

誰もいない雲取北峰頂での昼食を終え、下山に。帰りは雲取山頂まで戻り、そこからは別路の二ノ谷道に下った。すると、山頂近くの明るい灌木の林を過ぎたあと、写真の様な美麗の紅葉林が現れた。


京都北山・雲取山山頂から二ノ谷へ下る途中で出会った紅葉林
二ノ谷道の紅葉林。結局ここが今日一番の色づきとなった。ただ、楓の枝先だけ赤く、他は黄いろかったので、まだ始まったばかりかもしれない


林道が入らず、天然林多い、稀少な京都北山・雲取山の二ノ谷の森
二ノ谷道の紅葉林を抜け、下降を続ける。途中、某大学小屋前に数多集う現役生やOBらと挨拶を交わしながら。彼らが租借しているからか、珍しく林道が無く、天然林が多い、昔の北山風情残す貴重な二ノ谷に入り、進む


両生類調査をしていた女子の掌にのせられた、京都北山・雲取山二ノ谷のヒダサンショウウオ
両生類調査女子が見せてくれた成体のヒダサンショウウオ

貴重な天然林谷での奇遇

高度が下がり、また青葉多い森と化した二ノ谷を進む。すると、前方から地を叩く派手な音が……。

見れば、谷なかの樹々の合間で明るい髪色をした小柄かつ、うら若き女子独りが、何やら工具で斜面を掘っている。道沿いのため近づくと挨拶されたので落とし物か何かかと問えば、両生類の生態調査をしているという。

なんと、珍しい……。

小屋関係の学生さんかと訊くと、京都の大学出だが小屋の学校とは無関係で、既に社会人であるとも言う。これはただの登山者より断然興味深く、為になるので、自分も在野の文科研究者だと自己紹介をして更に話す。

なんでも、ここらの両生類には2種の越冬型があり、今時分はその両方が地中に居るため調査に適しているという。また、環境が良いこの山域も調査に適うらしい。なるほど、時期的な良さと、二ノ谷の自然が役立ったか。

邪魔を詫び、後学の礼を述べ、また沢筋を進むと、後方で女子が大きな声を上げ、走り、追いかけてきた。何か忘れ物でもしたかと、こちらも急ぎ戻って沢上で出会うと、なんと彼女の手のなかに動くものが……。

「いました、いました!」と興奮気味に掌を開き見せてくれたのは、まさに地中にいた両生類であった。それは、山椒魚の一種、ヒダサンショウウオらしく、絶滅危惧種ではないが、日本固有種とのことであった。

山椒魚といえばオオサンショウウオしか知らなかったので、他種が身近にいるとは知らなかった。また彼女は、それとは異なり、この種はこれ以上大きくならないことや、外来種との交雑はないことなども教えてくれた。

その後一度別れるが、今度は私が再度戻り、思いついた希望を伝える。それは、ここが貴重な場所であることや、こうした場所の破壊を目撃したら声をあげて欲しいとのお願いであった。以前遭遇した安祥寺山破壊の実例を挙げて。彼女は国有林が公儀に破壊されたことを驚いて聞いてくれた。

その後、再度の邪魔を詫び、沢を下った。二ノ谷の入口で、彼女の仲間らしき女子らと灰屋川を挟んでの挨拶を交わしつつ……。

憂鬱払う存在に感謝

奥山での不意の出会いながら、濃密な時間が過ごせた。これも山、または人生の醍醐味か。そして、稀少な快晴と良き出会いに、いつしか気分が晴れたことに気づき、それまでの鬱々とした感情の原因に思い至った。

それは米国の元大統領の再選である。連日見聞きさせられていた口汚く屁理屈だらけの言動の主が、まさかの勝利を得たことであった。物価高に喘ぐ庶民の切なる想いの表出ともいえる結果ではあるが、どこか短絡的現世利益に世界が呑まれたような気がして、暗澹たる気分にさせられていた。

しかし、今日こんな山奥で、何の利もなく足労し、休みを潰して土まみれになりながら、小さな生き物のため、自身の志のために人知れず活動する若者たちの存在を知ることができた。それだけでも、この世は生きる価値があると思わされ、救われた気分にさせられたのである。

実は、当初こんな貴重な快晴日に、人けのない山に入ることを少々躊躇していた。しかし、予想外の出会いを得た。まさに、世の中捨てたものではないことを、馴染みの奥山にて、奇しくも実感させられたのである。

真摯で可憐な探究者たちに感謝!


秋晴れ下の、京都奥貴船の芹生集落
駐車場所に下り、その後通過した芹生集落。標高620mのここも秋晴れに包まれるが、錦秋の到来はまだ先か

北山南部の紅葉は山上近くで始まるか

最後になったが、京都北山南部の紅葉は、その最高所近くの標高800m以上の場所で始まったばかりといえそうか。

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2024年09月29日

'24奥黒部行(四分之四)

黒部五郎カールの岩と背後の水晶岳

山行最終日。先ずは登頂から

奥黒部行4日目。

山行は今日が最終日となる。昨晩は、日没後も暫く談話した女子組や他の登山者同様、20時頃に天幕内の寝床に入ったが、意外に長く寝られた。

高地の夜に身体が慣れてきたか、はたまた連日の重荷行に疲れてきたのか……。まあ、寝たように感じただけかもしれないが、起床の3時半になっても調子が良かったので、良しとしよう。

日出前の暗中、天幕内で朝食等の準備をし、4時半過ぎに天幕を片した。本来は暗中の撤収や行動を避けていたが、今日は12時間行動の予定で、中途日没の危険もあったので仕方なし。


上掲写真 珍しく(というか仕方なく)早朝登頂に挑んだ黒部五郎岳の圏谷内の岩。石灰岩のように見えるが、地質図では火成系の斑糲岩(はんれいがん)か閃緑岩(せんりょくがん)という。右背後に見えるのは奥黒部一の高峰・水晶岳(黒岳。標高2986m)。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


既に活発な人の動きがみられた、朝5時前の黒部五郎小舎
朝5時前の黒部五郎小舎。山小屋の朝は早い。その窓内には既に活発な人の動きが見え、玄関前には出発準備をする人、また既に五郎岳に向かい出発した人の照明が暗中に続いていた


朝5時を過ぎ、薄明るくなってきた黒部五郎カール手前の登山道
今朝は珍しく予定の5時、正確にはその1分前に出発出来た(笑)。これも最終日の緊張感、または時間行程的に後がない危機感の所為か。先行者と同じく頭灯を点してすぐに登坂となる道を進むが、この様に、程なく薄明るくなってきた。岩の多い道に、高山特有の遭難防止用の円印が続く(中央)


薄明の黒部五郎カール手前の登山道から見え始めた黒部五郎岳山頂
更に進むとまた明るくなり、見上げる先に山頂が見えてきた(中央)。ただ、時間・距離的にまだ遠い筈。電灯をしまい、また進む


黒部五郎小舎から続く登山道を登り現れた薄明の黒部五郎カール

圏谷と岩の殿堂へ

足下がはっきりしてきた登山道を独り無心に登る。すると、やがて山頂直下の著名な圏谷が、写真の如く現れた。


岩多い、早朝の黒部五郎カール内
そして圏谷内の横断に入る。岩だらけの、広いクレーター底をゆくが如し。しかし、空模様が少々怪しい。実は、昨晩小屋の予報で今日15時から雨が降ると知ったので、その懸念や先を急ぎたい気持ちがあった


黒部五郎カールでの日の出と雷岩
圏谷横断中、突如背後が明るくなった。雲間からの日の出である。左に見える岩は有名な雷岩か


日の出により朝日に照らされ明るくなった黒部五郎の主峰塊
日の出により、前方に聳える黒部五郎の主峰塊も朝日に照らされ忽ち明るくなった。何やら、劍(つるぎ)に似た雰囲気。同じく、岩の殿堂と呼ぶに相応しい雄々しい姿である


黒部五郎カール横断の先に現れた、圏谷縁に続く急登のつづら道
圏谷横断の先には、その縁に続く急登のつづら道が現れた(中央右の岩上から斜め左に稜線へ上る筋)。少し気が重くなるが、急に天気が良くなってきたのは幸いであった


黒部五郎岳山頂に続く枝道からみた縦走路峠の「肩」部分
黒部五郎岳山頂に続く枝道からみた縦走路峠の「肩」部分(中央)

五郎岳肩での再会と好天の山頂

予想通りキツく、そして落石も案じた圏谷縁の急斜を登りきり山頂横の肩部分(縦走路峠)に出た。標高は2760m超、夜露に濡れた天幕類が重い!

ここから山頂までは高さ70m程の緩やかな枝道登りのみなので、他の人同様、荷を置き身軽に往復することにした。そこでは私より早く出発していた女子組とも再会。挨拶し、互いに撮影協力をするなどした。

ただ、彼女らはここで満足し山頂には行かないため、暫く話したのち別れた。それも個人の好み、スタイルであろう。ここまでくれば、もはや山頂と雰囲気や景色は然程変わるまい。


黒部五郎岳山頂と笠ヶ岳等の周辺景
肩の岩陰に重荷を置き、記録用GPSが作動中の電話と撮影機材のみ持って山頂に至る。奇跡的?に天候が良くなり本当に良かった。薬師岳再失敗が最後に報われた気分である。いずれ登るつもりの「気になる山」、笠ヶ岳(右奥の鋭角峰。標高2897m)等の周辺景も申し分ないものであった


黒部五郎岳山頂から見た眼下に広がる黒部五郎カール
そして眼下には先程横断した名物的圏谷の全貌も。雲ノ平周辺に残る火口でも隕石孔でもない、その名の通り、日本では珍しい氷河浸食による地形であった


黒部五郎岳山頂の北方に見えた薬師岳やその右奥の立山連峰
また、山頂北方には山行初日に接した薬師岳(左向こうの山体)に、その右奥の立山連峰等も見えた。あたかも、初日の好天に戻った気分である


黒部五郎岳山頂の西南に見えた雲海に浮かぶ白山
更に、山頂西南には霊峰・白山も(中央奥)。雲海に浮かぶ姿だったが、これも初日同様であった


黒部五郎岳山頂の肩部分より見た赤木岳や北ノ俣岳と、そこへと続くなだらかな稜線道

長大かつ雄大な主稜線歩き

到着後すぐに先行者が去り独占状態だった黒部五郎山頂から、荷を置く肩へ下り戻る。そこにて少々行動食を摂り、また先へ進んだ。

次の目標は、薬師岳手前の主稜線上では最高所となる北ノ俣岳山頂である(写真中央最上部)。肩から見たそこへの道程は、なだらかであり、また長大かつ雄大に感じられた。


黒部五郎岳の肩から西北の主稜線を下った後に振り返り見た、五郎岳山体とその肩や山頂
黒部五郎山頂の肩から西北に続く稜線をひたに下る。稜線上のとある鞍部に達し、また登りとなって暫く、後ろを振り返ると、はや遠くなった五郎岳の肩やその隣に突き出た山頂が見えた。黒部深部も遠くになりにけり――。少々そんな感慨を覚えた


黒部五郎・北ノ俣間の稜線上から見えた黒部源流谷とその左の雲ノ平や背後のワリモ岳に鷲羽岳、右の三俣蓮華岳等の奥黒部の高地
黒部五郎・北ノ俣間の稜線上から見えた(撮影は望遠)黒部源流谷とその左の雲ノ平や背後のワリモ岳に鷲羽岳、右の三俣蓮華岳等の奥黒部の高地


黒部五郎・北ノ俣間の稜線上から見えた雲ノ平とその背後の水晶岳
同じく稜線上から見えた雲ノ平とその背後の水晶岳(中央最奥、左の峰)

続く稜線上の再会

途中、稜線上の最低鞍部・中俣乗越(なかまた・のっこし。標高2450m)を越え、標高2622mの赤木岳に至る。

その手前では、高天原で交流した夫妻組と二日ぶりに再会。彼らは私と逆方向から黒部五郎を目指したので、この区間ですれ違うことは双方承知であった。挨拶し、暫し語らう。夫氏はビールの飲みすぎで腫れた顔を、黒眼鏡を外して自虐的に見せ、和みを供してくれた。

そして、赤木岳では休息中(お菓子タイム?)の女子組に追いつき、また少し交流。私はそこで休まず、少し先の駐車場への分岐に近い北ノ俣岳山頂で昼食予定だったので、更に進んだ。今度は私が追いつかれる予定のため、お別れは暫しお預けで……。


北ノ俣岳山頂と三角点及び、背後の薬師岳
やがて北ノ俣岳山頂着。時間は10時だが、休憩する先行者が多く、また風が強く寒かったので、撮影のみし、もう少し進むことにした


北ノ俣岳山頂北にある神岡新道分岐の木道と奥黒部の山々
北ノ俣岳山頂北にある神岡新道分岐前の木道と奥黒部の山々

さらば有縁の人、そして奥黒部

そして、結局少し進んだ分岐で休むことにした。風はあったがマシで、またこれ以上進んで(下って)も結局ここに戻らねばならぬので決定した。

ハイマツ際に荷を下ろし、独り彼方の奥黒部全景を眺めつつ、今回の山行最後の簡易手作りバーガーと即席珈琲で早めの昼食を済ませた。


北ノ俣岳傍の神岡新道分岐からみた山頂が雲に呑まれる黒部五郎岳
これから奥黒部の外輪的な主稜線を逸れ、外側に下るので、黒部深部の山々は見納めとなる。よって、今一度名残りの観望を行う。先ずは今来た黒部五郎岳方面を見る。朝は天気が良かったのに、山頂ははや雲に覆われている。これから登る人は気の毒だが、やはり高山は朝登る方が良いのか


北ノ俣岳傍の神岡新道分岐からみた曇天ながら山頂が見える薬師岳
こちらは初日目指した薬師岳(中央)方面。曇天ながら山頂は見えている。この4日間の山行でこれら奥黒部の山谷をぐるりと周ることが出来た。雨にも遭わず有難い限り。午後からが心配だが、まあ後は下るだけ……

名残りの観望をし、撮影等を行っていると、女子組が現れた。このまま稜線を進み、富山・折立へ下る彼女らとはここで本当のお別れとなる。

地元の山への勧誘を受けるなどして名残りの交流となり、そして最後は、何度も接した縁の記念に、集合撮影も頼まれた。思い出の、高天原縁の水晶岳を背に。

さらば有縁の人、さらば奥黒部。またいつの日か……。


神岡新道分岐近くの頂からみた、北ノ俣岳西麓に押し寄せる厚い雲

雲迫る下山

女子組と別れ、荷をまとめて独り下山路に入る。分岐から50m程進んだ写真の下降始点からは、麓に押し寄せる厚い雲が見えた。

見えているのは寺地山等の標高2000m以上の場所のみ――。

まずい、予報に反し、寺地山から先の尾根は既に雨に降られているのではないか。長い泥道の悪化を憂い、またその手前にある転倒必至の木道濡れを恐れた。


北ノ俣岳の西面に広がる湿原帯とそこを下る神岡新道
ハイマツの中の急斜道を急ぎ下り、湿原帯の下りに入ると、進む先の寺地山後方尾根の雲が晴れてきた。助かった、どうやらまだ雨は降っていないようである。まだ油断出来ないが、少なくとも直近の木道歩きは乾燥状態で遣り過せそうである。そして、その通り木道を通過して湿原を下りきると、避難小屋分岐の傍で今日最後の休息をとった


神岡・飛越新道が通る寺地山にかかり始める怪しい雲や霧
ところが、寺地山からの尾根道に入ると、また雲が迫ってきた。予報の15時よりまだ早い時間だったが、今度こそ危ういか

背後・最後の一撃?

長く足下の悪い樹林の尾根道を進むが、往路より水気が減じて歩き易い。どうやら、あれから雨が降らず、乾燥が進んだようである。ただ、いつも滑りやすい特有の堆積岩のような石には最後まで気を遣わされた。

登り返しが多い道に疲れてきたが、雨のことや元来腰掛ける場所もないため我慢して進む。すると、後方から喧しい鈴の音と足音が接近してきた。

主稜線から下る時少し間を置き1人追ってきたが、その人物が尾根道以降走り始めたらしい。そのまま横を通過してもらおうとしたら、後ろから挨拶され、話しかけられた。30代前後の女性で、何時山に入ったのかと訊く。私が木曜(9/26)からだと言うと、「おおっ、一周」と返してきた。

彼女自身は、私と同じ起点から薬師と黒部五郎を1泊の野営で踏んできたらしい。中々の快速である。背嚢は野営装備に見えぬ小振りだったが、最新の軽量化がされているのか。

ところで、彼女の話ぶりが気になり、ずばり大陸語で出身を訊くと、まさに広西の人であった。私も訊かれたので、地元(広く日本人の意)と答えたが、こんな奥山でいきなり母語を返されたので、驚いた様子であった。

容姿的に南方民族(壮族?)のようにも見えた彼女は、身の熟し等から長く日本に住む人と思われた。その後、互いに無事を述べ合い、別れる。分岐から独行し対向者もいなかったので、野獣を警戒していたが、喧しくも軽快に走り去った彼女が露払いしてくれたようで気が楽になった。

しかし、私も少々驚かされた。外人で喧しい京都から奥山に来て漸くそれから逃れたのに最後に捕捉された気分に(笑)。コロナ以降、諸費高騰のせいか高山で外人を見なくなったが、こんなマニアックな登山に参入している人(しかも女性)がいるとは、正に背後かつ最後の一撃であった(笑)。


北ノ俣岳登山口と駐車場がある、有峰林道飛越トンネルの飛騨口

下山。麓の余韻楽しみ帰路へ

下りの筈なのにやたら登り返しが多く、いい加減怒りさえ覚える尾根道を進むこと2時間強。漸く出発地で終着地の飛越トンネル駐車場に到着した。

時間は14時45分。急いだせいか、予定より2時間以上も早く到着できた。また、結局雨にもやられず、幸いであった。ただ、休憩を省いたため、背嚢の固定帯が当る肩や腰、そして下りで圧迫される足の指から血が滲んだ。

これは今後の課題を明らかにした。今回は歩行距離60km弱、登坂累計5000m弱に達したが、猛暑での歩行鍛錬の所為か、体力的には問題なかった。それより荷の重量や装備の適合・用法に問題あることが判明した。これらは、山行の安全と楽しさのため、早急に改善せねばなるまい。

さて、来た時より車が減った駐車場で着替え等の準備をして一先ず車行で麓集落まで下る。駐車場はまだ伊吹山頂を凌ぐ高所にあり、携帯電波も届かない奥山のためである。

昨年の事故の反省から今日はどこかで充分寝て帰る予定であった。一旦電波がある集落まで行って下山連絡を済ませ、以前から気になっていた食堂で地元産獣肉料理を食す(ここもまだ標高900m程の奥山集落)。大変美味しく、かつ良心的な価格であった。ここでも、またお店の人と交流。

やはり、急いで帰らず麓の余韻を楽しむのは良いことである。山や土地へのより深い理解にも繋がるだろう。そして、飛騨山脈及びその麓集落と別れ、土産購入や入浴のため、更なる下界へと向かった。

山よ、人よ、有難う!

「'24奥黒部行」1日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」2日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」3日目の記事はこちら

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2024年09月28日

'24奥黒部行(四分之三)

高天原山荘前のテラスからみた水晶岳稜線上の二十五夜月

黒部源流経て五郎岳麓へ

奥黒部行3日目。

日本最奥温泉最寄りの高天原山荘では、寝られないとの思いに反し、意外とすぐに寝ることが出来た。前泊の車中泊を含め、数日振りにちゃんとした布団や毛布ある環境だったからか。

ただ、熟睡したのは消灯の20時から22時までの2時間のみで、そのあとは結局寝られず、外で星を観たり、布団でじっとしていたりした。

それには一晩中続いた同房者の鼾の問題もあった。皆疲れているので、お互い様のことだが、一晩中は異常。周りの迷惑になることは無論、自身も寝ていない筈なので、激しい運動である高所登山に来るのは危険である。無呼吸症候群の可能性もあるので、まずは診察を受けるべきだろう。

さて、狸寝入りを続けていても仕方ないので、早発の人らが準備を始める4時頃に布団を出て、山荘前の露台で月を眺めるなどする。今日は行程や時間に余裕があるので、朝はゆっくりすることにしていた。

外はまだ真っ暗だが、三日月と逆向きの月が出ていて少し趣があった。写真は露出の関係で満月のようになっているが……。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


高天原山荘からみた薄明の水晶岳
小屋前の卓で顔見知りとなった他客と話したりしていると、空が明るんできた。しかし雲が多い。右奥の水晶岳山頂にも不穏な雲が載っている。前夜受付と小屋本部の太郎平小屋との無線連絡を聞いていたが、今日から降雨確率が増すとの予報だったため心配となった。とまれ湯を沸かして珈琲を飲み、朝食を食した。小屋食も5時から始まっていた


高天原山荘二階客室(大部屋)
高天原山荘二階客室(大部屋)。大多数を占める小屋食の人達より早く朝食が済んだので空いた部屋での準備となった。外は明るくなったが、階段前に一晩中ランプが灯されていたのは有難かった

小屋泊と小屋の存在見直す

今回自分が泊った大部屋は満室のようだったが、二人分の区画を使えたため荷物置場等が確保でき快適であった。

コロナ禍以降の標準かもしれないが、これなら経費上昇分を含め倍額以上の値上げは腑に落ちる。また雲ノ平山荘同様、近年建替えられており、美麗な空間や生分解式水洗便所等の設備を考えると更に不満は減じた。

コロナ禍を機に、これまでの詰込みで安かろうから、質の時代へと舵をきったのであろうか。ここには野営場がないため仕方なく泊ったが、結果、小屋泊や小屋そのものの存在を見直すことが出来た。


高天原から岩苔乗越に続く樹林の道
高天原から岩苔乗越へと続く亜高山帯植生に満ちた樹林道

朝7時に高天原を出る予定を前夜6時に早めたが、結局出たのは昨日と同じ6時20分過ぎ。起床してからあれだけ時間があったのに何故そうなったのか定かでないが、それだけ去り難かったのか(笑)。

とまれ今日の目的地・黒部五郎小舎目指して進む。昨日来た道を辿り、渡渉前の分岐から岩苔乗越(いわごけ・のっこし。峠)への道を進んだ。

そこは初め通る道で、3年前に乗越上から見て以来通りたかった、沢伝いの森の道であった。


秘境景勝地「水晶池」

秘境景勝地「水晶池」

分岐から足下が湿地的な樹林を進むが、暫くすると急斜を巻きつつ登る道となった。そして、それを登りきると植生が変化し明るい樹林となったが、同時に水晶池への分岐が現れた。

地図を見ると高さで2、30m下降しなければならないが、折角なので、というか、湖沼好きなので(ただし天然のものに限る)、行くことにした。

枝道を下降して辿り着いたのは写真の水辺。水晶岳の中腹、標高約2293mにある湿地である。今月初めには水が無かったとの情報があり懸念していたが、その後の雨で回復したようであった。

噂通りの秘境景勝地。紅黄葉が進んでいれば更に良かっただろうが、まあ仕方なし。また次回の楽しみとしよう。


岩苔小谷道中盤の、豪雪で根曲がりしたダケカンバ等の低木の林
自分以外、人も鳥獣もいない静かな水晶池畔で少し休息し、また乗越への本道に戻り先へ進む。然程急ではない効率の良い巻道である。そして、周囲は、この様に唐松やシラビソ等の高木が失せたダケカンバ等の低木の林となった。それらの、根が曲がった姿に、冬の豪雪を想わされた


森林限界に達した岩苔小谷と乗越の稜線
やがて、谷上部の森林限界に達し、一気に視界が開ける。眼前には向かう乗越(のっこし。中央右奥)がある稜線も現れた。あと一息のようだが、この区間の行程中あと1/3程の距離と約300m程の登りが待っていた


岩苔小谷上部の黄葉
標高2500m近くまで上がってきたためか、谷の対岸にはこの様な黄葉が見られた。今回の山行で最もな色づき。北向きの谷なので進行が早いのか


水量豊富な岩苔小谷上部の沢
更に谷を詰めると渡渉箇所が現れた。これは最後のものだが、この前にも同様というか、より水量の多い沢があった。森林のない稜線近くにもかかわらず水が豊富なことに驚く。さすがは日本有数の水源地・黒部。因みに、この流れも下流20km程で黒部湖(黒四ダム)に入る。つまり、ここも黒部源流の一つであった


沢水が失せて傾斜が増す岩苔小谷の最上部
沢水が失せ、傾斜がきつくなると乗越付近の様子が明らかになった。変わらず背嚢の荷が重いが、あと少しの辛抱


岩苔乗越とその標識

雲ノ平付根かつ黒部源頭の地「岩苔乗越」

そして、岩苔乗越着。標高約2730mで、雲ノ平の付根に当る鞍部だが、それより高く、かの白山主峰も凌ぐ高所であった。

高天原からちょうど標準時間の3時間かかったが、途中寄った水晶池往復30分を含むので、先ずまず進行であった。

到着直前に、乗越が通例とは異なり最低鞍部になかったのを訝ったが、向こう側の黒部本流谷の道との接続関係に因ることを知った。

そして、これまで誰とも会わず。だが、岩苔小谷の道は高度差大きい長程にもかかわらず、歩きやすく、また湿原から樹林・湖沼・源頭までを含む、北アルプスの魅力を凝縮したような道程で、よかった。


岩苔乗越から見た来し方の岩苔小谷と彼方の薬師岳や右横の水晶岳
岩苔乗越から見た、来し方の岩苔小谷と彼方の薬師岳や右隣の水晶岳。高天原も今や遥か下方である


岩苔乗越から見た、黒部本流の源頭谷や三俣蓮華岳
こちらは同じく岩苔乗越から見た、これより進む先の黒部本流谷。奥に聳えるのは3年前に登った三俣蓮華岳(標高2841m)で、左斜面は同じくワリモ岳(同2888m)や鷲羽岳(同2924m)、右斜面は祖父岳(じいだけ。同2825m)や雲ノ平の端面である。黒部本流は蓮華岳下を右へ折れて雲ノ平の裾を周りつつ、やがて流れを北へ変える。なお、ここからは今日の目的地付近の黒部五郎岳(同2839m)はまだ見えない


岩苔乗越南下の黒部川本流源頭の水場

黒部本流最奥を下る

岩苔乗越で少し休んだあと、黒部本流側の谷道を下る。こちらも、下部の渡渉地点までは今回初めてゆく道程で、楽しみであった。

そして、下り始めて暫くすると「水場」と記された写真の小標が現れた。流れが生じ始めた沢への誘導で、行ってみると、確かに水が汲めるほどの流れがあった。これぞ、最奥の黒部源流水か。

この水は、ここから100km近い距離を流下して日本海は富山湾に注ぐ。


黒部本流最奥の道を下り現れた確かな沢の流れ
黒部最奥谷の道を更に下ると沢水も増え、確かな流れとなってきた。かなりの高所にもかかわらず、南向きの谷の所為か、紅・黄葉は見られず


三俣蓮華岳と雲ノ平を結ぶ道が黒部源流と交わる渡渉場
見晴らし良い谷なかをひたに下ると、やがて三俣と雲ノ平を結ぶ道の渡渉場が現れた。写真では見難いが、そこで釣りをしている男性も見えた


黒部源流碑付近から見た三俣山腹の黄葉
渡渉場近くの黒部源流碑付近から見た蓮華岳山腹の黄葉。渡渉場から先は3年前に通った道で、その際もここの黄葉に感心したが、今回はまだ早い感じであった


三俣山荘と背後の鷲羽岳

三俣・五郎間の巻道へ

標高約2400mの黒部源流碑から支流谷に進み、高さ150m程の樹林斜面を上がり、ハイマツ覆う広くなだらかな場所に出る。鷲羽岳と蓮華岳間の稜線地帯である。

そして、そこにある写真の三俣山荘に到着。標高は約2550m。ちょうど昼前のため、小屋前で昼食休憩をとるつもりであった。小屋向こうに、頂部に少し雲ある美麗な鷲羽岳が出迎えた。

高天原を暗い内に出て雲ノ平経由で五郎小舎に向かう同宿の女子組に、ここでまた会いましょうと告げられていたが、先に行ったのか、まだなのか、その姿はなかった。


三俣山荘野営場上部にある黒部五郎への巻道分岐
昼食後、三俣山荘から三俣蓮華岳方向へと進み、野営場上部にある分岐(中央の標識)から黒部五郎への巻道に入る。ここからの道も今回が初めて。昨日会った逆向きにここを通過した兄さんによると、巻道と言いながら上下が大きく、楽ではないとのことだったが、如何か。ただ、時間・行程的にはこの区間が今日最後の道程だったので比較的気楽に進んだ。あとは天幕設営まで天気がもってくれるのみ!


黒部五郎と三俣間の巻道上からみた鷲羽岳と三俣山荘
黒部五郎への巻道は分岐から登りが続く。先程居た三俣山荘が忽ち下方に、そして小さくなり、鷲羽岳の雄壮・優美な全容を目にできた。確かに乗っけから本来的な巻道ではないが、地形図をみると、険崖を避け、なるべく直線的な連絡を指向した、有難い道であった


三俣山荘・黒部五郎間の巻道ルート最高所よりみた三俣蓮華岳山頂
そして、巻道のちょうど中間で最高所の標高約2700m地点に達する。そこは、奥に見える三俣蓮華岳山頂から続く支尾根端部の広い石原となっていた。あとで画像を拡大して気づいたが、山頂に人が二人おり、こちらに手を振る姿が写っていた。気づかずに無視してしまった。申し訳ない限り


三俣山荘・黒部五郎間の巻道最高所から見た岩苔乗越の下に続く黒部最源流谷
同じく巻道最高所から見た、午前通過した岩苔乗越下に続く黒部最源流谷


三俣山荘・黒部五郎間の巻道対面に見えた雲ノ平や祖父岳
同じく巻道対面には雲ノ平(左端から中央に広がる台地)や、その地学的産みの親である祖父岳(右手前の峰)も見えた


三俣・黒部五郎間の巻道が続く山腹と稜線道との交点
黒部五郎への巻道最高所を過ぎると下りとなり、やがて山腹に続く道の果てに稜線との交点が見えた。画像では判り難いが稜線中央下に斜めに上がる道がある。巻道の終焉だが、これで今日の最終区間が終りになる訳ではなく、その後は稜線道となる。その距離はこれまでと同じ。即ち、まだ半分しか進んでいない。愈々天気が怪しくなり、吹き曝しの稜線を案じる


三俣・黒部五郎間の稜線道でガスの合間から姿を現した黒部五郎岳
稜線は始めこそ狭かったが、その後緩やかな奥黒部らしい道となった。標高2650m前後の高所を進むが、特に寒さはなし。眼の前に迫っている筈の黒部五郎岳は濃いガスのため一向に見えなかったが、稜線道後半で急にそれが晴れ、姿を見せ始めた(中央奥)


ガスが晴れ完全に姿を現した黒部五郎岳とその麓の黒部五郎小舎
そして、最後の急斜の下降に入ると、山頂直下の著名な圏谷(カール)と共に黒部五郎がはっきりとその山体を現した。また同時に、今日最終目的地で野営地である黒部五郎小舎の赤い屋根も確認できた(中央下)


野営場側からみた黒部五郎小舎

五郎岳麓での語らいと夕照

やがて、予想外に長くキツい下降路を下りきり、黒部五郎麓の五郎小舎に到達。標高は2350m。三俣山荘から2時間強の歩行で、14時過ぎの到着であった。予定より早く、また、雨に降られずに来られてよかった。

三俣山荘以上の奥地にもかかわらず、意外と賑わう小屋にて早速手続きを行い、天幕設営や身拭い・着替え等を済ませた。

先ずは即席だが珈琲を沸かして一服。その後、今回の山行最終泊のため、また、昨晩湯当たりで飲めなかったため、記念的にビールを買って飲む。

補給困難な地にもよらず何故か他の小屋より200円安い600円だったが、沢水冷やしの所為か製造から日が経っていた所為か、味は良くなかった。


黒部五郎小舎から見たテント場
黒部五郎小舎から見た野営場(中央奥)。かなり遠くに感じるが実際は近い。幅広い鞍部の端にあるため当初は風と寒さを心配したが、問題なかった。元より例年より気温が高めということもあっただろうが……

ところで、三俣山荘で会えなかった女子組もこの小屋泊予定だったが姿が見えない。少々心配したが、夕方聞き覚えのある熊鈴の音と共に急斜の森から現れ、安堵出来た。

やはり暗中の雲ノ平への登り等が大変で、時間がかかったとのこと。彼女らは小屋泊だったが(元来テン泊装備だが途中で宗旨替えしたらしい。笑)、小屋前の卓で語らうこととなった。その後、夕食で一旦解散したが、食後また合流し、就寝まで語らった。


黒部五郎小舎前に現れた素晴らしい夕焼け
曇天だったにもかかわらず、18時前には素晴らしい夕焼けも現れ、小屋泊や野営の人達を喜ばせる。特に、複雑に雲を被った薬師岳の姿が印象的であった(右奥)。撮影しつつ、持参洋酒の湯割りを飲みつつ楽しむ


残照に浮かぶ黒部五郎岳山頂
黒部五郎小舎前から見えた、残照に浮かぶ黒部五郎岳山頂(中央)

最終日の明日は、五郎岳への登頂から始め、その後長い主稜線歩きを楽しみ出発地に戻る予定であった。昨日同様、日没後も寒くない小屋前で、同じく明日下山する女子組と語らい過ごし、日を終えたのである。

「'24奥黒部行」1日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」2日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」4日目の記事はこちら

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2024年09月27日

'24奥黒部行(四分之二)

薬師峠野営場と太郎平小屋の間の縦走路から見えた薬師沢とその先の雲ノ平

迂遠の道へ

奥黒部周回行2日目。

今日は前夜野営した薬師峠のテント場から一旦黒部川上流渓谷に下って対岸の雲ノ平に登り、その北方の高天原にまた下る予定であった。

本来なら標高の高い雲ノ平に上らずに済む渓谷からの巻道を選べるが、荒れ気味との情報があり、また雲ノ平山荘の人に以前受けた便宜のお礼をせんと、敢て長く負荷高いこの迂遠路を選んだ。


上掲写真 薬師峠の野営場を出て暫くして見えた今日最初の目的地・雲ノ平(中央奥の台地)。これから手前の薬師沢に急下降して遠路その麓の黒部本流まで進み、その後急峻な台地端を登ってその上面に達する。



参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


薬師峠野営場と太郎平小屋の間の縦走路から見えた薬師岳山頂
朝6時20分に野営場を出る。予定は6時だったが、また遅くなった。少し進んで振り返ると薬師岳の雄姿が。天気は曇りだが、その山頂(右端の白峰の左後ろの頂)ははっきりと見え、穏やかそうであった。時間があれば今難なく登れたと思うが、まあ仕方なし。またの楽しみに……


太郎兵衛平から薬師沢への急下降の道
太郎平小屋の後ろにある分岐を来た道とは異なる左(東)に入り、急下降の道が始まる。なだらかな太郎兵衛平端面の下りである


薬師沢沿いの登山路に現れた鉄骨の橋
急下降を経て沢筋に降りると、このような支流沢を渡る橋が幾つも現れる。鉄骨のもののあり、木柱のものもあった


薬師沢小屋手前の細尾根の急斜下に現れた黒部本流の青い水

黒部川本流と薬師沢小屋

沢沿いの道はかなりの高所を高巻く道があるなど予想外に多様であった。

最後に広い湿地に出たかと思えば、端部から細尾根の下降となり、写真の如く、その崖下に漸く澄んだ碧水を湛えた黒部本流が見えた。


薬師沢小屋
そして、薬師沢小屋に下り着く。標高は1912m。同2350mの太郎兵衛平からの下降であった。下端に小屋がある細尾根は薬師沢と黒部本流の分岐・合流点となっていた


黒部本流に架かる、薬師沢小屋前の吊り橋
黒部本流に架かる薬師沢小屋前の吊り橋。足場が細く、乗ると揺れるので、苦手な人はここで進めなくなるかもしれない。それにしても、河水が別格的に美麗だ


薬師沢小屋から雲ノ平に続く丸石多い急登の道

溶岩台地・雲ノ平へ

さて、薬師沢小屋で約2時間の歩行の休息をとったのち、吊り橋向こうの雲ノ平への急登に挑む。黒部川対岸は即ちその台地の端部である。

慎重かつ素早く橋を渡り、非増水時の道である河原に降りて高天原への巻道である大東新道(だいとう・しんどう)の分岐から、この雲ノ平への急登を進んだ。

ここも評判の悪路で、丸く大きな溶岩が滑りやすい。天気が良くなり気温も上がったが、深い樹林のため助かった。


薬師沢小屋から雲ノ平への急斜を登り最初に現れた湿原面
恐らく今回の行程で最も傾斜角が大きく、そして長い急斜道を小休止の繰り返しで一気に登り、上部の湿地面にでた。標高は2370m超。峡谷から500m弱上ったことになる。荷物が重く疲れたため、ここで大休止。とはいえ数分。急斜前半で後ろに続いていた数組の登山者とはその後会うことはなかった。皆、非初心者風だったので、それほど負荷の高い場所といえた


遠く祖母岳左下に見え始めた雲ノ平山荘の建屋
最初の湿地面からまた深い樹林に入り、先へ進む。基本足下が湿地の緩やかな登坂が続く。地形図による予習で傾斜については知っていたが、森林も含む多様な場所であることに少々驚く。雲ノ平といえばテーブルランド(卓状地)の印象があるが、実際には浸食等によりかなり複雑な地形・地貌となっている。さて、森を抜け幾つかの湿原を過ぎるも最初の目的地は遠し。祖母岳(ばあだけ。標高2560m、右の樹林山)が見えて初めてその左下に雲ノ平山荘が確認できた。写真では見難いが。とまれ、まだ遠い(笑)


祖母岳下を過ぎ溶岩台地上に現れた雲ノ平山荘
祖母岳麓の緩い谷地や広がり始めた湿原を進み、やがて溶岩(噴石?)台地上にたつ雲ノ平山荘が現れた。今日最初の目的地である


雲ノ平山荘の玄関側
雲ノ平山荘。標高2550m、3年ぶりの訪問である。野営場から約5時間の行程であった。背嚢等を小屋前に置き、左の階段から中に入った


雲ノ平山荘玄関内部
雲ノ平山荘玄関内部。受付兼売店があり、中の姉さんに以前お世話になった人を問うと、今年は来ていないという。仕方なく、訪問の言付けを頼む。薬師岳登頂に続き、この訪問も昨年同様空振りとなった。薄謝代わりのお菓子を持参していたが、非常食にすることにした


雲ノ平山荘の瀟洒・先鋭的な食堂

箱も食事も良い雲ノ平山荘

ちょうど昼前だったので、靴を脱いで山荘の食堂に入り、昼食を摂ることにした。食料は完備していたので本来不要だったが、今回宿泊で山荘を利用できないためのお詫び的気持ちがあった。

山荘内部は玄関部以上にその造りの素晴らしさが実感できた。近年建て直したためだが、家具調度品に至るまで良材や好意匠が駆使されている。現当主氏のこだわりか。

更に特異なのは、本棚に山の本がなく工芸や建築関連の図録が並び、現代美術・陶芸の作品が置かれ、現代音楽まで流れていることであった。

まるで写真家か建築家の友人宅にいるような雰囲気。個人的に当主氏とは話が合いそうだが、他の登山者や従業員とはどうなのであろうか。


眺望素晴らしい雲ノ平山荘の食堂テラス席
食堂の外にはこの様に好眺望のテラス席もあったが、雲が厚くなり寒かったため、内席にて名物らしきジャワ風カレーを食した。下界より少々値が張るが、よく煮込まれた具沢山のその味は素晴らしかった。これなら下界でも得な価格といえた。制約多い奥山における努力と工夫の賜物か


高天原温泉分岐路からみた雲ノ平山荘と雲ノ平
小屋の雰囲気や料理の美味しさに因りつい長居となった雲ノ平での昼休みを終え今日最後の目的地の高天原へと出発する。雲ノ平山荘下の湿地にまた下り、高天原への分岐路が続く向かいの丘に登る。丘上からはこのように山荘を中心とした雲ノ平全景が見渡せた。またいつの日にか……


雲ノ平山荘から高天原温泉へと続く道上の湿原と薬師岳
山荘は見えなくなったが丘を越えても雲ノ平的湿原景は続く。少し雨が降ってきたが、なんとか高天原までもってほしい


雲ノ平から高天原へと下る樹林の細尾根の道
やがて台地縁に達し、樹林の細尾根の急下降となった。午前あれだけ登ったのに、また下がるとは勿体ないが、仕方なし


雲ノ平から高天原峠に下る途中の湿原で見たナナカマドの紅葉
急下降の途中、また広い湿原があり、そのなかで今回初めてのナナカマドの紅葉を目にした


休憩用のベンチある高天原峠
湿原を挟み前後二つの急下降を経て高天原峠に着く。二つ目の急斜は梯子場が連続するなど、なかなかなもので、登りは大変に思われた。また、足下も薬師沢小屋からの急登に似た溶岩道で、滑りやすく思われた。さて、峠からは尾根を外れて右の谷へと下る


高天原峠下の沢沿いの湿地道
高天原峠からの下り道を進むと、やがて谷沿いの水気多い湿地が続くようになる。今は木道で整備されているが、それが無い時代の通行困難がしのばれた


岩苔小谷に渡された薬師沢小屋・雲ノ平と高天原山荘を結ぶ橋
沢沿いの湿地を抜け、渡渉箇所が現れた。水量が多くともこの様な橋があるため難なく渡れるが、更なる増水時は大変であろう。高天原山荘は対岸地帯にあり、孤立しそうだからである


高天原山荘手前の開けた湿地
橋を渡って樹林を進むが、なかなか山荘は見えない。もうそろそろの筈だが……。その代わりに、この様な大きく開けた湿地が現れた。中々良い場所。山荘への道はこの縁を大きく周りつつ続く


奥黒部ランプの宿・高天原山荘

今日の宿泊地・高天原山荘

そして、湿地を過ぎて乗越し的微高地に差し掛かると、突然建屋が現れた。今日の最終目的地で宿泊地の高天原山荘である。

標高は2120m超、なんとか天気も回復し助かった。15時前だったので、出発が20分遅れ、更に雲ノ平に長居した割には予定の30分前に到着できた。


左奥に水晶岳聳える高天原山荘前のアルプス的好眺望
左奥に水晶岳聳える高天原山荘前のアルプス的好眺望


高天原山荘から高天原温泉への道

最奥温泉へ

ここは野営不可で小屋泊を予約していたため受付で手続きをし、2階大部屋の布団横に荷物を置き小屋前の露台で先着者らと談話する。

皆、大東新道等の近道で早く着き、温泉にも入ったようなので、私も遅くならないうちに入湯することにした。

温泉場は歩いて20分程先にあるため進むが、この通り、草履で行けるような状態ではなく、更には途中幾度か渡渉もあった。


温泉沢畔に温泉小屋がたつ高天原温泉
ほぼ登山道といえる樹林の道をひたに進むも温泉はなし。道を間違えたとの疑念がいよいよ強まった頃、硫黄香る広谷に達し、その畔の温泉小屋が見えた。日本最奥温泉とされる、高天原温泉に遂に到着である


高天原温泉の混浴露天風呂と沢の対岸にある男湯小屋(左奥)と女湯小屋(右奥)
高天原温泉の混浴露天風呂と沢の対岸にある男湯小屋(左奥)と女湯小屋(右奥)。銭湯でお馴染みの湯桶があるのが面白い

こんな時に限り……

温泉到着時はちょうど先客が皆出たばかりだったので、囲いのない混浴に入ることとした。ところが、服を脱いで身体を洗い始めた途端に女湯から女子二人が出てきた。

慌てて岩陰に隠れつつ洗いを済まし、湯船に入る。私は気にしないつもりだったが、うら若い向こうにとっては見苦しいだろうとの思いである。

露天の湯は洗剤なしでも髪がほぐれる程の素晴らしい質で、湯温も良かったが、女子組が中々去らなかったため、湯船から出られず、湯当たりを起こしてしまった。しかも、こんな時に限って日射しも強力になっていた。

何事も中々上手くいかぬものである。女子組が去って無人になった温泉沢で少々朦朧となりつつ着替えを済まし、小屋に戻った。


夕刻、高天原山荘前に現れた水晶岳のアーベンロート(夕照)
夕刻、高天原山荘前に現れた水晶岳のアーベンロート(夕照)

温泉から帰っても暫く気分が優れなかったが、他客との談笑で徐々に回復する。先程の女子とも明日からの行程が同じということで仲良くなった。

そして日没前に露台の卓で調理をし、夕食を済ませた。小屋食をとる人の方が多かったが、私は用意してきたことと、節約のため自炊した。気候の温暖にも助けられ快適であった。

少し前まで3000円程だった素泊まりも、今や8000円以上となり、食事をつけると更に5000円も高くなる。ただ、食後聞いたところによると、小屋の夕食は頗る美味で、総合的に満足できるものだったという。「安かろう何かろう」の以前と異なり、質が上ったのであれば何よりである。


高天原山荘の窓辺を照らすランプ
高天原山荘の窓辺を照らすランプ。この山荘は珍しく内燃発電機がなく館内の灯りをこれで賄う「ランプの宿」となっている。よって、静かで、宵以降、風情を増す

後悔抱え就寝

日没後、殆どの人が就寝したが、夜型の私が寝られる筈もなく(笑)、階下書棚前のランプ下で独り湯割りのウィスキーを飲む。

すると、1人の同宿年輩男性が合席許可を訊いてきた。ガイド付登山で訪れたというその人も寝られないらしく、ビール片手である。そして知らぬ者同士、暫し色々な話に興じることになった。

それは、ランプが消される訳ではないが、静かにする決まりの20時の消灯時間まで続き、その後、互いに床に入ることにした。

ただ一つ後悔したのが、「寝られない原因には心的なものがある」と告げられた時、とっさに「それは誰にでもある」と返したことである。

年輩者の深い事情に立入ることへの遠慮からであったが、知らぬ者へのこの場限りの吐露として聞くべきだったのではないかと悔やんだのである。

そんな思いも抱え、どうせ寝れまいと思いつつ床に入った。

「'24奥黒部行」1日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」3日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」4日目の記事はこちら

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2024年09月26日

'24奥黒部行(四分之一)

飛越新道登山口からみた朝焼けに染まる白山

飛越新道からの奥黒部行再び

朝6時前、山間遠くに北陸の霊峰・白山(標高2702m)が朝焼けに浮かぶ――。

ここは標高1450mの奥飛騨山上の駐車場。岐阜奥地と富山奥地の県境隧道手前の登山口であった。昨年に続き、今年もここから奥黒部を目指す。

昨年、まさかの荒天化により中途撤退した3泊4日の奥黒部周回山行を再実施したのである。一応、初日は晴れ予報であったが、その結果や如何。


参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


有峰林道飛越トンネルの岐阜側にある北ノ俣岳登山口
有峰林道飛越トンネルの岐阜側にある北ノ俣岳登山口。今朝は高速PAの仮眠場所を3時に出て、5時過ぎにここに着き、出発準備を整えた。本来は5時半に入山する予定だったが、夜殆ど眠れず、暗闇の山間運転にも疲れたので20分程遅れることとなった


有峰林道飛越トンネル岐阜口にある北ノ俣岳登山口に貼られた熊出没の警告
去年経験したここから始まる長時間の泥尾根道に気を重くするが、それより一番の懸念はこの熊予報。ただ、今年は昨年と違い、先行者2組がいたので、かなり気は楽になった


飛越新道の尾根道
そして亜高山帯的樹林続く尾根道に挑む。3泊4日分、計15s以上の野営装備を担いで。ただ、既にライトは要らず、これも気を楽にさせた。去年は厚い雲の所為でこの時間でもまだ暗かったためである


寺地山奥から見えた飛騨山脈主稜線の薬師岳や北ノ俣岳
またしても泥に足を取られるなどして約2時間。尾根上の寺地山に達し、その奥の標高2000m地点から、飛騨山脈、つまり北アルプスの主稜線が現れた。画像左奥の峰が薬師岳(標高2926m)、右手前が北ノ俣岳(同2661m)である。雲が晴れ、晴天となり何より


飛越新道・寺地山奥より見えた剱岳
薬師岳の向こうには以前登った剱岳(標高2999m)も現れた。実に幸先良い出会いである

北ノ俣岳下部の湿地帯と避難小屋分岐の道標
稜線下部の湿地帯で、水場がある避難小屋との分岐部。ここからいよいよ本格的な急登が始まるが、昨年視察した小屋には寄らず、そのまま進む


北ノ俣岳山腹の餓鬼田
急登を一段上がって現れた、小池散る湿地。「餓鬼田」という地名がつけられているが、恐らくは古人が深山天上のここである種の「人工」を感じ、餓えた餓鬼が作った田に違いないと感じて名づけたのかもしれない


北ノ俣岳山上に続くハイマツの急斜面
中腹の湿地が終ると、見上げるほどのハイマツの傾斜に。重荷を担ぎつつ、薄まる空気のなか、喘ぎつつ進む


北ノ俣岳山頂横からみた餓鬼田や寺地山方面の眺め

好天・絶景の山上

そして山上着。

出発からちょうど6時間、遂に北アルプスの主稜線に乗り上げた。写真の如く、眼下に先程通過した湿原やその手前の樹林の尾根が見えた。


北ノ俣岳山頂隣の標高2640m頂とその向こうに並ぶ奥黒部の山々
山上の向こうには薬師岳(左)や赤牛岳(中)、水晶岳(右)等の奥黒部の錚々たる峰々が見渡せた。去年は視界がなかったため感慨頻り。ここは北ノ俣岳山頂ではないが、その隣の標高2640mの頂で、古い石標もあった


北ノ俣岳山頂隣の標高2640m頂からみた奥黒部の山々越しの槍ヶ岳
そして、遠く槍ヶ岳(中央奥。標高3180m)も見えた


神岡新道分岐から薬師岳方面に続くなだらかな北アルプス稜線と縦走路
さて、山上で少々休息後、その裏手すぐの縦走路に合流し、先を急ぐ。目指すは中央彼方に聳える薬師岳方面。その麓の薬師峠の野営場に宿泊予定のためである。これより山脈主稜線上の縦走路を辿り、そこへ向かう


黒部五郎岳等を背にして稜線脇に綿毛を並べるチングルマ
途中路傍にて簡単な昼食をとる。その傍には、最終日に登る予定の黒部五郎岳(中央奥。標高2840m)を背にしてチングルマが綿毛を並べていた。花ではないが、これも厳しい高山での一服の慰めか


太郎兵衛平へと続く奥黒部の縦走路
北ノ俣岳から薬師岳麓まで主稜線は、稜線らしからぬなだらかな高原状となり、その上に縦走路が続いている。天気も良く、牧歌的風景。ただ、紅黄葉は見られず、周囲含め全くの夏山景であった。直近まで続いた猛暑は高所にも影響を与えたのか。涼しからぬ気温と共に、驚きを感じる


秋の晴天下の太郎平小屋
そして、13時過ぎに太郎平小屋に到着。だが、野営場の受け付けは現地との話を聞き、先へ進む


9月末というのに珍しく売店兼受付が開いている薬師峠のテント場
小屋から10分強進み、薬師峠へと下降。所謂テント場だが、昨年とは異なり、左の売店小屋に人がおり宿泊手続きや支払いが出来た。ここで来た道を聞かれ、珍しいのか道の状態等を訊かれた。相変わらずの悪路であることや、木道が雨で濡れると転倒必至であることを告げると、感謝された


薬師峠から続く、花崗岩多い薬師岳登山道

薬師岳へ

昨年とは異なり先客多い野営場にて、数少なくなった良地に天幕を張る。正午辺りに比して雲が出てきたが、それでも時折射す陽は盛夏同様の強さがあり、暑かった。

設営後、他の登山者と話し込むなどしたが、予定より早く着き、天候も問題ないため、特に休まず薬師岳登頂を目指すこととした。

野営場から続く、花崗岩の大石散る写真の如き急登をひたに進む。


P9262659.jpg

またしても!?

薬師岳といえば、去年山頂直下まで迫りながら荒天のため断念した因縁的場所だが、条件的に今年は大丈夫そうであった。

だが、なんと森林限界の稜線に出た途端、強風に晒されることとなり、慌てて防寒着を足す。すれ違う人から登頂の中止と危険を告げられる。

一先ず標高2700m付近の写真の薬師岳山荘まで行って様子を見るが、中止先行者の言う通り、山頂方面は濃いガスと強風で荒れていた。さっきまでは暑くてたまらない程だったのに、今や寒さで風邪をひきそうである。

今着ている雪山用の軟外套(ソフトシェル)に加え硬外套(ハードシェル。雨衣)を足せば突入出来なくもなかったが、前夜殆ど寝ていないにもかかわらず既に行動時間が10時間を超えていることや夕暮も接近していることから断念することにした。

恐るべし薬師岳。下山者からの情報では昼過ぎまでは頗る機嫌(天候)が良かったらしいのだが……。やはり高山は午前中に登るのが良いのかもしれない。特に山陰・大山の如く比較的日本海に近い山は。

その後、元来た道を駆け下り、野営場にて夕食や明日の準備等を行い、一日を終えたのであった。

「'24奥黒部行」2日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」3日目の記事はこちら
「'24奥黒部行」4日目の記事はこちら

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2024年04月29日

続2024春季野営会

滋賀太神山中の沢や新緑の森

早期撤収の秘訣発見?

一度は中止に傾きながら、予報好転で急遽開催した野営会2日目。

今夕16時頃から雨となる予報であったが、一先ず朝は昨夕と変わらずの薄曇りであった。

今日は雨を見据え、15時までには下山する予定で早めに行動していたが、結局14時までに下山出来た。

それには、昼食を簡易にしていたことも大きく作用した。いつもは昼頃に調理して食事し、そして片付けていたので、撤収が遅くなっていた。

朝食と昼食の間が短いことが原因だったが、今回は思い切って昼食を残りものの片付けのみとし、昼前から準備して早々に終らせたのである。

結果、急くことなく、無理に食を平らげることもなく、何事もゆったりと進めながらも早く撤収することが可能となった。これまでは、用意した昼食と残り物の処理に手間取り、苦慮していたので、良い発見となった。

費用・時間的にも一石二鳥。これからは、この方式で時短を図りたいと思った。


上掲写真 野営地・滋賀太神山中の沢や新緑の森。薄曇りの、朝の空の下にて。


薄曇りの空の下に続く太神山中の沢や森
下山時の太神山中の沢。薄曇りが続くも結局山で雨に遭うことはなかった

帰宅も爽やかに

下山後も時間が早かったため混雑に遭うことなく爽やかに帰宅することが出来た。その時間は15時過ぎ。

直前に雨に捕まったが、まあ、もはや家に帰るだけであり、ザック内で保護した道具等も濡れなかったので特に問題は無し。

とまれ、皆さん、お疲れ様でした。今回を参考に、より軽快に、そして更に有意義な野営をやりましょう!


野営会1日目はこちら

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2024年04月28日

2024春季野営会

水泡をたて岩間を流れゆく太神山中の清水

諦めた筈が……

今年も、はや黄金週間入り。

まあ自身としては、基本休めても暦通りだが、気候も良く一先ずはめでたい。今日はそんな連休前半の2日を使い、恒例の野営会を催すこととした。

実は、今回の野営は天気予報の悪さ等の事情から殆ど中止することにしていた。ところが、直前で予報が変わったため、急遽行うことに。そのため、告知も急になり、行けなかった人には申し訳ない限りとなった。


上掲写真 踊るが如く水泡をたて岩間を流れゆく山中の清水。


新緑眩しい快晴の太神山地
今日は、連休前半の三日のうち最も天候が良い日と予報されていただけあり、この通りの快晴。向かった隣県滋賀・太神山地の新緑の眩しさも一入(ひとしお)である


成長が早い太神山地の蕨
ん?今年はやけに蕨(わらび)の成長が早い


4月末ながら既に萎れていた太神山地のヤマツツジ
そしてヤマツツジの花なぞは既に萎れていた。ここ暫く続いた季節外れの暑さのせいで、今年は色々と早まったのか……


野営地にて準備した炉(竃)と、焚火による湯沸かし
とまれ、無事野営地に到着して設営し、記念すべき最初の湯を沸かす。晴天と少雨の所為で楽に火がつき有難い。そういえば条件の良い日にもかかわらず、いつもの場所は他者に取られず空いていた。というか、結局付近に野営者は来なかった。コロナ禍が明け、早くもキャンプブームが去り、関連品製造社の売上も半減したというが、その影響であろうか


竃と薪を雨や夜露から保護するために張った天幕
炉と薪を雨や夜露から保護する天幕張りも板についてきた


夕方から薄曇りとなり新緑の森も霞むように見えた太神山地の野営地付近
やがて、夕方に。空は薄曇りに変り、新緑の森も心なしか霞んで見えるようになった。明日夕方から雨予報なので、早くもそれに向かい一変したか


野営地の炉(竃)内で燃える薪
そして、夜。安全に気を遣いつつ、飲食や語らいを楽しんだ

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2024年03月10日

三月深雪

堅田辺りの列車車窓に現れた、山裾まで冠雪する比良山脈南部

意外の寒波再来

暖冬との予報通り今季の冬は観測史上2番目に暖かいとの発表が先頃気象庁からなされた。それは過去126年間の結果というので、相当なものである。

しかし、2月までは、そうした温暖の実感があったが、本来は寒さが緩む筈の3月に入ってから、結構な寒さを感じるようになった。

正確には年初から比較的温暖が続き、所々で鋭い寒さが現れるといった特異な傾向を繰り返していたが、ここにきて寒さの頻度が増したのである。

さて、前日土曜にまた低温日が現れ、ここ京都市街でも降雪が観測された。雪は積ることはなかったが、京盆地北縁の北山や叡山等には、確りした積雪の様がみられた。

冬季限定の近山雪山行も先週で最後かと思っていたが、意外にもまた機会が巡ってきた。これは是非行かねばならぬ。

とういことで、今朝また山に向かったが、昨夕まで吹雪いているのが見えた北山は麓の貴船辺りの積雪や凍結で近づくことが不能と思われたため、公共交通で随時接近可能な隣県滋賀の比良山脈に出掛けることにした。

写真は、滋賀西部・堅田(かただ)辺りの列車車窓に現れた比良山脈南部の姿。先週とは異なり、山裾まで確り雪があることが確認できた。

京都市街から直線僅か20km強。驚くべき冬山景の出現である。


比良駅からみた、雪を戴く比良山脈
薄暗い車窓外に現れた厳寒の連山に天候を案じるが、下車駅「比良」に到着すると、山脈上空に青空が見え始めた。今朝までは雪、その後は晴れ予報だったので、このまま回復しそうである


比良駅から見えた麓まで冠雪する堂満岳
比良駅で準備後、山へ向かい歩き始める。美しく、鋭い冠雪の様を見せる堂満岳(1057m)が、独り進む身を迎える。登山口まで遠いが致し方なし


比良山脈麓の別荘地奥の積雪
比良山脈麓の別荘地辺りから地面や屋根上に雪が現れる。標高はまだ高くないので、週末は麓でも結構降ったのであろう


積雪のある比良山脈イン谷口の駐車場
そして山の谷なかに入り、やがて登山口着。駐車場自体は冬タイヤ以外難しい状況だが、その手前までは普通の状態だったので少々誤算。しかし、こればかりは実見しないと判らず、何かあってからでは遅いので仕方なし


3月なので雪に塗れる、比良山脈・大山口分岐
登山口からは、すぐに雪道に。先週との違いに驚くばかり。標高約400mの大山口分岐付近もこの通りで、全くの冬山景であった。3月というのに、また1月厳冬期に戻ったような、少々信じ難い光景である


雪が覆う、比良山脈の難所・青ガレ
途中、早くもアイゼン(靴底氷雪爪)を装着し、谷なかの道を進み、やがて比良著名の難所「青ガレ」に至る。ここも先週とは異なり、確り雪が載って登りやすそうである


3月なのに雪が深い金糞峠下の谷道
雪量的にワカン(輪かんじき)が必要な程であったが、先行者の踏み跡が溝の様に続いていた為そこを辿る限りは必要なかった。下ってきた人の話では、ルート外のルンゼ(急斜溝)の中は新雪が深く、アイゼンやピッケル(斧頭雪杖)が効かず登攀を中止したという。恐るべき3月寒波である


金糞峠裏の雪原とそこに続くトレース
やがて越えた金糞峠(標高約880m)裏もこの通り。峠裏は先週も雪が多かったが、今日は一段と増していた。ただ、意外にも踏み跡が確りあり、ワカンを出す必要はなかった


比良山脈・コヤマノ岳近くのスノーモンスター
更に雪を求め先へと進む。先週同様、金糞峠裏を西北に進み、コヤマノ岳(標高1181m)を経て山脈主峰・武奈ヶ岳(同1214m)に向かうのである。途中、方々で多雪の証・スノーモンスター(樹雪塊)に遭遇。近山でのそれは実に久々であった


雪深い3月の比良・コヤマノ岳山頂
そしてコヤマノ岳山頂に至る。完全な雪山景。先週とは異なり今日はこの手前の急登を特段辛く感じなかった。やはり先週は風邪をひいていたのか


コヤマノ岳西からみた雪深い武奈ヶ岳山頂
コヤマノ岳を過ぎると、いよいよ武奈ヶ岳山頂のお出まし


コヤマノ岳北からみた、武奈ヶ岳山頂の大きな雪庇
目を凝らすと、武奈ヶ岳山頂には大きな雪庇が見られた。その高さは人の背丈程か。僅か一日二日でこんなに発達することに驚く。まあ、週末、かの山陰の雄「大山(だいせん。標高1729m)」で一気に90cm程積ったらしいので、有り得なくはないか。しかし行動中にそんなに降れば危険である


武奈ヶ岳山頂から見た、3月なのに雪景色を見せる釈迦岳等の比良山地に、麓に広がる青い琵琶湖や緑の沖島等
最後の登りを詰め、武奈ヶ岳山頂に到着。四方どこを見ても、山中は雪景色であった。そして、気温は-2、3度。雪山としては然程の寒さではないが、今日麓を覆ったらしき、春の温暖は感じられなかった


先行者が武奈ヶ岳山頂の雪庇下に掘った竪穴
遅めの昼食兼休息にしようとしたが、風があり寒いため、先行者が雪庇下に掘った竪穴を利用した。それは、深く掘られていたが、全く地面の気配がなかったので、山頂の雪深さが窺えた。恐らく1mはあるのではないか


武奈ヶ岳山頂の雪庇越しに見る雪被る丹波山地と彼方に覗く京都市街
雪上での昼食中、先程下から見上げた武奈ヶ岳山頂の雪庇を横から見る。実は画面左奥に今や春めく京都市街が見えている。20数kmしか離れていないので当たり前なのだが、改めてその差に驚く


トレースが全く無い金糞峠から堂満岳へと続く雪の稜線道
トレースが全く無い金糞峠から堂満岳へと続く雪の稜線道

延長戦(?)開始

昼食後、来た道を下り、また金糞峠に至る。後はここを下るだけだが、何か物足りない。雪は申し分なくあり、歩行距離や登坂標高的にも十分冬山山行は味わえた筈である。

しかし、終始先行者のトレース(踏み跡)を辿っていたため、雪でもがくこともなく、雪山に来た気がしなかったのである。また、先週と同じ道程も、何やら芸が無いように感じられた。

そういえば、金糞峠から脇の堂満岳(1057m)の頂を経る道に替えれば、もう少し雪を味わえるのではないか。峠を真っ直ぐ下るより遠回りとなるが、下山場所は少し比良駅に近くなり、然程無駄にはなるまい。

あと、往路出会った人が堂満岳に通じるルンゼの雪が深かったと話していたことも思い出した。

時計を見れば既に15時半。しかし、峠から堂満岳及びそれ以降も馴染みの道であり、山頂までの核心的登坂部も雪があろうが20分程しかかからない筈なので、十分明るい内に下れると判断し、その道に進んだ。

何十回も通った道なので何も考えずに進むが、すぐに違和感を感じた。いきなり道を間違えたか? 違う、乗っけからトレースがないのである。即ち、今回の雪が積もってから誰も通過していないのであった。

ここでまたルンゼの話を思い出す。堂満ルンゼは有雪期登攀訓練のメッカなので、その連中が山頂経由でここに下ってくることが多いが、今日は深雪のため誰も登頂出来なかったのではないか。

そうなると、これから先が思いやられるが、ワカンを持参しているので、一先ず山頂まで行くことにした。


トレースの無い金糞峠から堂満岳へと続く新雪の稜線ルートをツボ足でラッセルする
まさかの、3月の深い新雪に、自らの足跡のみ記して進む

金糞峠を出ていきなり雪に深く足を取られつつ進む。気温が然程上がらなかった所為か、今日の晴天では融けず、新雪のままの厄介な道が続く。

先程までのトレース路と比べると、舗装路からいきなり泥濘になったような気分である。半ば望んだ状況ながら、あまりの極端さに呆れる。


新雪深い尾根道の樹間から見えた堂満岳山頂方面

情報得て前途青信号に

深い新雪に、いきなりラッセル(開路進行)を強いられ、忽ち疲労する。これぞ、望んだ雪山行動ではあった。しかし、樹間から見えた山頂方面(画像左奥)はまだまだ遠く、そして高い。

そろそろワカンを出した方がいいか、と思いかけた時、前の灌木の間から突如人が現れた。挨拶を交わすと、何処まで行くのかを訪ねられ、時間が遅いのでは、と心配される。

私は、堂満山頂からそのまま駅に下ることやワカンがあることなどを説明し、懸念を払拭した。彼は私の逆コースを辿ってきたようで、山頂から向こうには確りとしたトレースがあることを教えてくれた。

有難い情報である。これで安心して進める。実は、この先ずっとトレースがないと、たとえワカンを履いても時間的に厳しく、引き返すことも考えていたのである。


金糞峠・堂満岳間の雪道途中に見えた琵琶湖や伊吹山等
金糞峠・堂満岳間の雪道途上に見えた琵琶湖や伊吹山(左奥。標高1377m)


堂満岳山頂からみた積雪越しの琵琶湖等々
堂満岳山頂からみた積雪越しの琵琶湖等々

懸念実感の雪塗れ(苦笑)

そして堂満岳山頂着。簡単に記したが、実は結構大変であった。

途中ルンゼからの踏み跡が一つ増えたが、幾度も現れる急登部分に難儀し、一部には手足全てを使っても登り難い箇所があった為である。

時間も倍以上かかり、正に雪塗れになった。写真の一部にボケた部分があるのは、ケースで保護したカメラさえ雪塗れになった為である。

望んだこととはいえ、やはりその極端に呆れるというか、独り苦笑さえ生じた。先程の彼の懸念は、実にこのことだったと、ここに来て実感した。

これぞ、侮れぬ雪山の奥深さかつ危うさ。良い経験・鍛錬となった。


深い雪上にトレースが続く、堂満岳山頂直下の急斜面
堂満岳山頂で水分補給してすぐに下る。先程の彼の教示通り、そこからは確りしたトレースがあり、この様な乗っけの急下降も難なくこなせた。ワカンは山頂までの辛抱と思い結局装着しなかったが、折角なので使っておけばよかったと少々後悔。今年は使用頻度が少なかったからである


標高を下げても雪深い堂満岳東稜の道
堂満岳山頂直下の急斜面を下りにくだるも、雪は減じず。陽当たりの良い東面のこの区間は雪が融けやすい筈だが、今日は、さにあらず


標高を下げても湿雪多い堂満岳東稜の道
更に下るもこの通り。ただ、少し湿雪気味と化してきた


堂満岳下の山中湿地・ノタノホリ
標高約440mの山中湿地「ノタノホリ」近くまで下ると、漸く雪が減り始めた。そこからの比較的急な下降路途中でアイゼンを外す


地面に雪残る、堂満岳登山口の別荘地の夕景
そして、車道との接点である麓の別荘地に下りきった。時間は17時半過ぎ。暗くなるまでに、あと1時間程あったが、途中の難儀を思うと、色々と考えさせられた。勿論、電灯をはじめ、様々な備えは準備している


遠くに比良駅が見える堂満岳麓の夕景
麓に下っても、今日の山旅は終らない。比良山脈麓から最寄りの比良駅まで歩き下らなければならないからである。やがて山裾を抜けるも、琵琶湖岸にあるその駅はまだ遠い(左奥)


比良駅近くの田圃中から見た、夕景の比良連峰
比良駅近くの田圃中から振り返って見た比良の山々。中央左奥が1時間半程前に通過した堂満岳山頂である。この後、30分程して暗くなった

北陸以上の欲張り山行に

比良山脈麓に広がる田圃をひたに歩いてやがて比良駅に到着。しかし、列車が行ったばかりで、次便を30分近く待つこととなった。不便だが、今日は公共交通利用なので致し方あるまい。

そして、列車に乗り、無事、京都市街に帰還したのであった。

結局今日は、歩行8時間強、移動距離16km、積算登坂1500m弱になるなど、北陸の規模ある山行以上の行程となった。少々欲張って行動し過ぎたきらいもあるが、まあ今季最後の雪山行と思われるので、良しとした。

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