2020年05月03日

連休急務

新緑の季節を迎えた、5月初旬の京都雲取山の天然林斜面

未曾有の自粛連休
警戒厚くし近山往復


4月に至って見舞われた予想外の低温気候も漸く去り、平年通りの温暖、またはそれ以上の気温を維持しつつ5月に入った。

5月初旬といえば黄金週間――。

早い人なら先月29日辺りから始まったようであるが、個人的には通常暦通りに動いているため、あまり有難みは感じない。ただ、年中で最も過ごし易い時季の一つであるため、やはり特別な時期に感じてしまう。

しかし、今年は存知の通り新型肺炎騒動とそれに連動して発令された緊急事態宣言により、その華やぎや特別感は大きく減じられることとなった。

全土に対して観光や帰省のための移動は疎か、近場の外出さえ自粛が呼びかけられたため、それまでの通勤・通学の中止や諸営業・諸行事の自粛の動きに加え、更なる閉塞感が国中に充つ観となった。市井の人間として感じたそれは、恰も地域という籠に閉じ込められたような感覚であった。

そのため恒例の春の野営会も中止せざるを得なくなった。自粛の趣旨に適う形で独り行うことも考えたが、適地が他県や遠隔地にあるためそれも難しくなった。ただ、どうしても京都市内の山に短時間行かざるを得ない用があり、今日時間が取れたので、それを以て気を宥めることとした。

山での用とは、以前から機会を窺っていた、この冬失くしたザック(背嚢)の部品を探しに行くこと。軽微なものだが再入手が叶わないもので、風雨日射で傷む恐れがあり、また現地が間もなく山蛭の巣窟となるため、どうしても今行く必要があった。

ただ、私にとっては急務であったが、客観的には不要不急の外出ともいえるため、先月の山行同様、感染対策は勿論、道中人と接しないことや、短時行ながら救難装備を完備するなどして万全の対策で臨んだのである。


上掲写真 京都市街近辺の山々に遅れること暫し、漸く新緑の季節を迎えた京都北山の天然林斜面。


京都市北部の山上集落・芹生の奥で満開を迎える5月の桜

向かったのは京盆地北縁にはだかる北山山地。その中の雲取山(911m)であった。京都市外の人には、かの貴船の奥といえば解り易いであろうか。

このサイトでもお馴染みの山上集落「芹生(せりょう・せりう)」の近くで、個人的な冬の鍛錬地夏の避暑地でもあった。

公共交通を使わず、自宅から空いた道を車輌で北上し30分強にて集落に達したが、なんと、写真の如く、まだ桜が満開であった。

標高は620m程。自宅からこれ程近いにも拘わらず、一気に北日本まで飛び至ったかのような錯覚を覚えたのである。


IMGP6943.jpg

非常時の奥地にて

芹生集落からは、その奥の未舗装路を慎重に進み、支流谷の分岐付近にて下車した。道は雲取山山体による行き止まりまで更に続くが、倒木や路盤流失のため、その辺りが車輌進入の限界地となっている。

貴船から先は対向車に遇わず、人も殆ど見なかったが、写真の如く、何とこんな奥地に家族連れがおり、車が停められていた。平時でも時折車輌を見る場所ではあるが(恐らく釣り人)、時節柄少々驚かされた。

一家は水槽のようなものを手に路上の水溜まりを探っているので、水生昆虫か何かの採取であろうか。そして車の鑑札は所謂「他府県ナンバー」。1台は隣県、もう1台は比較的遠方かつ感染が活発な地域であった。

誰もマスクを用意していないので、非常時という意識は無いのであろう。今、他府県車輌への批判的実力行使が問題化しているが、やはり目立つ存在であることは留意した方が良いように感じられた。

特に、郊外・地方では猶のこと……。


京都・雲取山の南尾根へ続く急斜の尾根

失せ物探し山へ

さて、下車地にて、素早く準備して山に入る。3月とは全く異なる温暖のため、泥濘近く等での足下を警戒しつつ……。

乗っけに挑む写真の急斜尾根は3月試みた雲取山南尾根への非正規ルート。背嚢部品を失くした場所は定かではなかったが、恐らくは道なき行程で物が引っかかる藪も多かったここの可能性が高いと判断していたのである。

そして、早くも最初の小頂を越えた岩下にて、失せ物を見つけることが出来た。早々に目論見が当たり、喜び安堵したが、引っかかるべき藪のない場所であったことは意外であった。

しかし見つかった部品は細かく切れて散乱しており再使用が叶うものではなかった。2カ月の風雨で劣化したかと思ったが、素材自体は元の強靭を保っており、獣か何かに食い千切られたような観があった。食べ物は疎か人の匂いも付き得ない外装品のため不可解を感じ、また不気味さも感じた。

こうして、探し物は早々に見つかったものの、使えない状態と化す残念な結果とったが、ゴミとならずに回収出来たことは良かった。また、気持ち的にも諦めをつけることが出来た。


誰もいない緊急事態宣言下の京都・雲取山山頂

目的果たし短時観覧

失せ物捜査の目的はすぐに果たせたが、折角なのでそのまま山頂等の様子を見ることに。どのみち平時でもまず人と会わない山でもあるので……。

ただ、今日は午後から雨予報で、既に空も曇っていたので、短時間で撤収する予定に変わりはなかった。

写真は南尾根を登り達した雲取山山頂。本日最も人と出会う可能性がある場所であったが、見ての通り、誰も居らず、通らず。


樹々の枝先に漸く新緑が芽吹く、京都・雲取山山上の自然林。2020年5月3日撮影
雲取山山頂北の天然林。雲取山山上一帯は意外にもまだ冬枯れが優勢で、樹々の枝先に漸く新緑が芽吹いたばかりの状況であった


緊急事態宣言下の京都・雲取山北峰山頂。2020年5月3日撮影
雲取山山頂から更に進んで達した、雲取山北峰山頂。曇天のため、あまり遠望はきかない。いつもはここで食事を摂ることが多いが、今日は水分補給のみで、すぐに引き返す


京都・雲取山の二ノ谷の新緑と立命館大学ワンゲル部の山小屋施設。2020年5月3日撮影

北峰から雲取山山頂に戻り、谷道では最短の復路となる二ノ谷道を下る。写真は標高約760m辺りまで下降して現れ始めた新緑の天然林。

因みに、中央の建屋は立命館大学ワンゲル部の山小屋施設。当然ながら人影は無く、短い学生生活の貴重な1年、最良の時季にこんな事態となり、実に気の毒に思われた。


京都雲取山・二ノ谷の沢辺に散る山桜の花弁
京都雲取山・二ノ谷の沢辺に散る山桜の花弁。因みに、表題画像もこの付近にて撮影


緊急事態宣言下の貴船神社奥宮の新緑と多くの参観車輌

急務果たし無事帰るも……

そして二ノ谷の終端まで下り、更に本流の灰屋川(大堰川・桂川水系)を下ること程なくして下車地に帰還した。その後は往路と同じく貴船を経て、無事京都市街の自宅へと帰ったのである。

写真は、芹生峠の車道を下り達した貴船神社奥宮(標高340m前後)。ここも新緑が鮮やかだが、何と、朝より参観車輌が増えている。満車までには至らないようであったが、それに近い状況である。

さすがにこれは不要不急の誹りは免れまい。しかもこんなに沢山。思えば、芹生の桜を撮影していた時、連休を利用して来たとみられる旧住民もしくは新住民(現住人によると近年大阪等の人間が家屋の権利を手に入れ別荘的に使用)とみられる家族連れに接近された。

大人6、7人の多勢で、誰もマスクは無し。そのまま通り過ぎてくれればまだしも、わざわざ最接近して燥ぎ(はしゃぎ)喋りながら同様に写真を撮り始めた。因みに、桜は私の位置以外の方々で撮影可能である。

どうしてこんなに無思慮の人が多いのであろう。基本的にテレビを見ない私でさえ、他媒体のニュース等でソーシャルディスタンス(人間距離)の重要性や医療現場の逼迫、新型肺炎の儘ならぬ性質について認識している。これらの人々は、皆大半の情報をテレビに頼るごく普通の人々とみられるので、私以上に事態の深刻さに触れている筈であろう。

「戸外だから大丈夫」「山だから問題ない」という話ではないことは自明の筈である。仮に外出の必要があり、また欲求があったとしても(但し近場・安全が条件)、対策は何ら難しいものではない。マスクがない(または嫌)なら他者から離れればいいだけのこと。そんな簡単なこと、僅かなことが実行出来ないのか。いやはや、この先大丈夫なのであろうか……。

うーん、折角個人的急務を果たし、山の自然も紹介出来たのに、何やら世間への懸念が増し、愚痴めいた報告となってしまった。えい、致し方あるまい、これも非常時の一端を記録するものとして掲げることにしたい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年04月19日

池岳周行

御池岳山上南東部・奥の平付近に広がるテーブルランド的広景

世情考慮しつつ再び御池岳へ

今日は今季初・今年初の山会(やまかい)開催日。場所は隣県滋賀東部に連なる鈴鹿山脈の最高峰「御池岳(おいけだけ。1247m)」であった。

御池岳での山会は去年6月にも開催していたが、荒天や準備不足で巡れなかった場所等があったため、要望により再実施することとなった。

存知の通り、新型肺炎の流行拡大が懸念され、更に感染急増都府県に出されていた緊急事態宣言が16日夜に全国へ拡大されることとなった。

本来なら京都か滋賀に対し宣言が出された際は中止するつもりだったが、京滋の状況が最初の宣言条件程悪化していなかったこと、極少人数参加で対策を徹底すること、公共交通や店等を使わず他人と接触しないこと等から、自粛対象外の散歩やジョギングに準じる行為として開催を決めた。

それでも他への影響(安易な真似や意識弛緩)を考えれば中止すべきだったかもしれないが、あまりに宣言拡大が唐突で、またこれからも起こり得るこうした事態に於ける健康維持行為の演習にしたいとの思いもあった。


上掲写真 テーブルランドの異名を持つ、御池岳山上の広景(南東部)。石灰質の痩せた土壌や岩石、そしてドリーネ(陥没孔)やウバーレ(陥没溝)等の特有地形を擁するが、意外と起伏や見通しの悪い森もあり、更に視界不良(ホワイトアウト)の発生も多く、注意が必要な場所でもある。


御池岳滋賀側登山口の駐車場から見た鞍掛トンネル入口
御池岳への登山口の一つと隣接する鞍掛トンネル滋賀側入口

鞍掛峠経てテーブルランドへ
春山何処?


朝、公共機関を使わず府県境近くの集合場所で落ち合い、滋賀の参加者提供の車輛にて出発。勿論、事前の打合せ通り、皆マスク着用で更に窓を開け飛沫と密室化を防いだ。

朝食・昼食も打合せ通り、事前に用意して途中の店等には一切寄らず、無人の公共トイレのみとした。地元に貢献しないことは心苦しいが、存知の通りの状況なので、今はただ諒解を願いたい。

そして、登山口がある鞍掛(くらかけ)峠に到着。前回は隧道を越えた三重側に車を停めて登ったが、今日は越境を憚り滋賀側の登山口に停めた。

滋賀側は登頂の時間が少し増すので元より利用者が少ないが、先着の車が数台あり、京都や名古屋のほか、九州の鑑札まで見る状況であった。

奥に登山口がある駐車場の標高は625m程。山頂はまだこの倍の標高があるが、風が強く、既に驚く寒さとなっていた。簡易計の値は実に5度。暖冬の果ての春風情を想像していたが、意外にもまだ冬であった。まあ、それに備えた用意はしてきたので不安はなかったが、他の参加者も驚いていた。


御池岳滋賀側登山口から鞍掛峠に向かい植林地内の急登を進む
各自防寒等の準備をし、登る。隧道真上にある峠まで上がるが、乗っけから植林地内の急登を進む。峠までのこの区間は山会未踏の道となる。


鞍掛隧道滋賀側登山道の途中に現れた炭焼窯廃墟とその石材
鞍掛隧道滋賀側登山道の途中に現れた炭焼窯廃墟。庶民の遺構ながら珍しく切石的な割石や大きな石が使われている。近くの沢にも多量の石材状の石があり、また大きな平坦地もあるので城塞址等の公儀廃物を転用したのか。古来より多賀大社や伊勢神宮への参詣路であり、かの豊臣秀次の軍勢が越えたとの伝承もある要衝なので可能性はあり得る。


鈴鹿山脈・鞍掛峠の標識や祠、そして御池岳へと続く稜線道
鞍掛峠の標識や祠、そして御池岳へと続く稜線道

そして間もなく鞍掛峠(標高約790m)に到着。急斜の登坂から途中で巻き道となり、横滑り的に達した。少々休息するが、更に風が強く、寒い。


鈴鹿山脈・鞍掛峠付近の尾根道から見えた員弁や伊勢湾
鞍掛峠付近の尾根道からの眺め。東方は三重員弁(いなべ)方面となるが、曇天ながら今回は僅かに伊勢湾の水面(中央右)を見ることが出来た


4月下旬ながら完全な冬枯れ風情を見せる鈴鹿山脈・御池岳付近の山肌
向かう御池岳方面の山肌は、この通り完全なる冬枯れ状態であった。まあ、麓の集落では未だ桜が盛んな状況だったので致し方あるまいか


未だ冬枯れの4月下旬の鈴鹿山脈稜線に芽吹くコバイケイソウ
足下の僅かなコバイケイソウの芽吹きのみが、未だ来ぬ春を想わせるのみ(但し毒草。笑)。この後馬酔木(あせび。これも有毒)らしき花も発見


厳しい環境に影響された植生が続く、鞍掛峠から御池岳へと続く鈴鹿山脈主稜線の道
厳しい環境に影響された植生が続く、鞍掛峠から御池岳へと続く鈴鹿山脈主稜線の道

鞍掛峠から続く尾根道を登る。御池岳から見ると支尾根だが、実は鈴鹿山脈の主稜線であり、滋賀と三重の県境ともなっている。

とまれ風が強く、枝のみの灌木が続く状況ではそれを和らぐ助けがない。巨大な近江盆地から太平洋へ抜ける気流の通り道であることを実感する。

気温は登山口と変わらないが、耳が切れそうな寒さのため皆フードや冬帽子で防御して進む。風速は10m程のため、恐らく体感温度は-5度程となっている。雪こそ無いが正に冬山の厳しさである。


鞍掛峠と御池岳を繋ぐ道上に現れる杉苔が多い広尾根

風の強さや寒さの他、天候も芳しくなかった。前回よりはマシだったが、それでも視界は不良で、いつ強雨が来てもおかしくない状態であった。

一応今日は回復基調にあるとの予報だったが……。もはや晴天への望みは無かったが、折角の再実施なので何とか雨だけは降らないことを願った。

写真は、標高1000m辺りから現れる、陽当たりが良いにもかかわらず杉苔が多い不思議な広尾根。この辺りから朝一番に登ったとみられる下山者とすれ違い始める。しかし、誰もマスクをしていない。

横流れの強風があるので危険性は少ないと思われたが、近くで挨拶を放たれるので、登坂中ながらマスクをずらせない有難迷惑な状況が連続する。

実は先程峠から三重側の登山口付近を見て驚いていた。それは、この世情にも拘わらず駐車場が一杯だったことである。恐らく滋賀側で見た中京ナンバーの車も、そこに停められず止む無く越境してきたのかと思われた。


厚い雲と強風により寒さ厳しい、4月下旬の鈴鹿山脈御池岳北縁の鈴北岳頂部

台地北縁から周回開始

そして、台地状の御池岳北縁となる鈴北岳(すずきただけ。標高1182m)に達した。テーブルランド到着である。

一本道で迷わぬ場所だったので、私独り先着して後続を待ったが、写真の通りの吹き曝しで、寒きこと限りなし……。

故に、手前にあった水無しのドリーネに入って暫し休んだ。本来は陥没の恐れもあり推奨出来ない方法だが、無用の窪地の意外な使い道となった。


鈴鹿山脈・御池岳山上に散る草原の羊のような石灰岩

後続と合流後、テーブルランドの奥へと進む。早速、写真の如き草原の羊のような石灰岩の点在に出迎えられる。んーん、雨は無いが、かなり天気が怪しい。何とか持ってくれ(笑)。


御池岳山上最大の池「元池」とそこへ続く道

台地内部では前回勘違いで見ることが叶わなかった「元池」と呼ばれる御池岳最大とみられる池に向かう。草原只中にある山頂へ向かう道との分岐部に標識があり、そこから枝道を進んで間もなく写真の池が見え始めた。


御池岳最大の池沼「元池」全景
元池全景。御池岳最大といっても、水深は浅く、その直径も20mは無いように感じられた

池探し。デジタル敗れたり!?

元池周辺もまだ春の気配は感じられなかったが、その水底には多くのイモリやオタマジャクシの生息が確認出来た。

実は見学時ここが元池であるとの確証が取れなかった。それは池辺に明確な標識がなく、また地形図にもその記載がなかったためである。

一応それを見越してスマートフォンのGPSアプリ(衛星測位地図ソフト)を稼働させていたが、何故か道と地名のみで地形が表示されない不具合が発生していた。そのため他に該当の池がないか調べる手間が生じた。

元池見学の後は、その外れにあるという「お花池」の見学も試みたが、そこに行く標識はなく、また道すらなかった。一応アプリには道と地名が示されていたが、元池の位置すらズレていたので当てにならなかった。

目星を付けて起伏ある森なかを進むも見つからず。元よりその場所自体が不明確で、地図も表示されない状況ではGPSという強力な工具も無力であった。致し方あるまい。今日は前回果たせなかった台地周回が大きな目的なので、その道筋から外れたお花池探しは諦め、台地西縁を目指した。


御池岳山上森なかで出会った「中池」らしき池沼
御池岳山上森なかで出会った池。「中池」と呼ばれるものか

台地西縁に向かい森を進むが、道は獣道程度で弱く、しかも途切れがちであった。大気も暗く霞んで見通しが悪く、進路取りに神経を遣わされる。ただ風が少ない場所のため、倒木を椅子に一旦昼食を摂ることにした。

しかし昼食後アプリの具合は更に悪化。地図が出ないことに痺れを切らし、別の地図アプリを開いた際、動かなくなってしまった。正にブラックアウト――。為に、機器の使用を止め、大型のオイルコンパスを取出し、紙の地図にて昔ながらの方法で進むこととした。

そして、方向感覚を奪う起伏の森を抜け、台地西縁に出ることが出来た。まだ森の中ではあるが、西側は深い急崖を成して落ちている。道は変わらず獣道状のものが続くか切れるかの状態だが、方角と地形のみを気にして構わず進む。西縁上の浅い斜面を、巻く形で南へと向かったのであった。

当初は簡易磁針やアプリに頼ったが、やはり横着は禁物である。こうして機器の不具合も生じ得る。また、結果的に昔のやり方の方が早く進むことが出来た。昨今、紙の地図や磁針を使う人を全くといっていいほど見なくなったが、皆機器頼りで大丈夫なのであろうか。

とはいえ、紙の地図の扱いにも知識や訓練が要る。以前要望も出ていたので、近々学ぶ機会でも設ければ有意義かもしれない。読図を学ぶことはデジタル時代にあっても、より山を知る為の助けとなるだろう。


御池岳南方の台地西縁付近の石灰岩

台地南部「奥の平」へ

台地西縁の森をコンパスと地形判断により抜けゆく。巨大な艦船状台地の中央にある、艦橋のような山頂山体の際を進む感じである。変わらず踏み跡は当てにならず、人より獣の通過の方が多いように思われた。

やがて森を抜け、曇天ながらも開けた場所が現れた。「奥の平」と呼ばれる台地南方域に達したのである。写真はその台地縁の石灰岩。見通しの悪い未知の森を経て今回の最終目的地に入れたので、安堵の思いであった。


「ボタンブチ」付近から見た曇天に霞む「天狗の鼻」の崖
御池岳西縁の崖「ボタンブチ」付近から見た曇天に霞む「天狗の鼻」の崖

台地南方に入ってからは、そのまま南端を目指し西縁沿いを南へと向かう。台地は北西から南東に傾いているのため、正確には南東へ進んだ。

途中、前回お馴染みの「天狗の鼻」や「ボタンブチ」の断崖を通過。雨こそないが、前回同様深く霞んで見通しが悪いため、怖さを感じることはなかった(但し私だけのようである。笑)。

さあ、前回はこの付近で山頂方面に引き返したので、ここから先はまた未踏の地となる。


御池岳南方西縁で遭遇した「幸助の池」とみられる池
御池岳南方西縁で遭遇した「幸助の池」とみられる池。場所か時間の所為か、あまり生き物の気配が感じられなかった


御池岳南方西縁で見た「まゆみ池」らしき池(中央)
同じく御池岳南方西縁で見た「まゆみ池」らしき池(中央)。小振りだが、比較的珍しいウバーレ由来の池かと思われた


御池岳南方西縁で見た「東池」らしき池
同じく「東池」らしき池。池の名は古くから麓に伝わるものと、近年愛好家が付けたものの2種あるらしいが、この池は後者のようである。また古い名でも名づけの池が変わっているらしく、正確なことは判らないという。この池は深いドリーネの底にあるが水深は浅い。イモリやオタマジャクシが沢山おり、また平地の池のように緑藻があったのが特徴的であった。少し高い位置に衛星的な小池があり、そちらには生き物は見られなかった


御池岳南西縁とT字尾根・御池川方面の道の出合箇所
御池岳南西縁とT字尾根・御池川方面の道の出合箇所。即ち御池岳西南の永源寺ダム上流に下降出来る場所。右下にその道が続くが一行は半信半疑。曰く「こんな崖を降りられる筈がない。獣道ではないか」。確かにその懸念通り、地図上では急崖に道が続いている。ただ危険との報告は聞かないので、何とか進めるようになっているのであろう。滋賀からの近道なので私も一度通ってみたい。「鹿が下れるなら人も通れる!」(源九郎。笑)


御池岳南端の石灰原と対面に続く、未だ冬枯れした鈴鹿山脈主稜線上の天狗岩や藤原岳

南端部での幸運

御池川分岐を過ぎ、更にもう一つの分岐付近を経て南端部に至った。結構な距離、そして意外な起伏の連続で皆疲れていたが、幸運にも俄に雲が払われ晴天と好眺望が現れた。

写真は南端部の石灰原と台地対面に続く鈴鹿山脈主稜線。中央の頂が天狗岩(標高1171m)、右端の頂は藤原岳(同1144m)である。それらの向こうには勿論海も見える。しかしここの山肌も全くの冬枯れ状態であった。


御池岳南端部から見た鈴鹿山脈主稜線と後方の養老山地
御池岳南端部から見た鈴鹿山脈主稜線と後方の養老山地。更にその奥には御嶽山やアルプス、そして白山等も見えた


厚い雲と石灰岩に覆われた御池岳山頂

事件発生

御池岳南端で眺望を楽しんだあと、最初の画像の草原や森を通りつつ今度は台地東端を北上する。空はまた雲に閉ざされ、道もまた辿り辛いものとなった。地図と磁針を用い慎重かつ大胆に進む(踏跡に惑わされない)。

そして、少々長い登坂を経て山頂に達した。その様子及び空模様は写真の通り。山頂は前回も訪れたので無駄な登りのように思われたが、山頂を含む中央山体が東寄りに位置するので致し方なかった。

まあ折角寄ったし、初登頂の参加者もいたので、少々休息することに。ところがここで事件発生。我々が到着して間もなく、山頂東下に続く三重側登山路より2人組が登ってきた。昨今流行りの半パン軽装の所謂「トレラン」組である。その内の一人が参加者に接近し撮影を頼んだのである。

参加者は気安く応じたが、マスクをしていない依頼者と近接し、しかも剥きだしのスマートフォンに触ることとなった。まさかのリスク発生。本来は私が止めるべきであったが、一瞬の事だったので防げなかった。万事注意を払っていたのに、思わず参加者を危険に曝すこととなってしまった。

この世情に於ける、しかも若くない依頼者の軽率に怒りを禁じ得ない。こんな無分別だと登山全てが禁止されかねないことが解らないのであろうか。思えば先月から近所の山で観察を続けてきたが、山に来ている人間は認識が甘すぎる者が多い。マスクの件は勿論、人間(じんかん)距離を無視したり(飛沫を吐きながら全速で隣をすれ違うトレランなどはその好例)、挙句の果ては車座になり大声放題の昼食に興じたりもしている。

街場でも甘い者がいるが、山はその割合が圧倒的に多いのではないか。これでは、本来健康的で感染の危険も少ない山行が危険な行為となってしまう。街場の様子を見て既に楽観出来なくなっていたが、郊外でのこの有様により、更に感染爆発の心配が増し、暗澹たる気分になってしまった。

同じく山に来ている身としては恥ずかしい限りだが、やはり登山は禁止すべきとの結論に至ってしまった。即刻駐車場を閉鎖して遠来の者を遮断し、散歩的に利用する地元の人間には対策の実施を警告すべきである。今ノーマスクのジョギングが問題視され始めているが、屋外行動での無責任や勘違いも正さねば情勢悪化は必至となろう。


鈴北岳から鞍掛峠へと下る尾根道

下りゆく尾根からの眺望

腹立ちと失望を抱え山頂を下る。すぐさま、かの浮かれた中年トレラン組が追尾してきたので先に行かせた。

その後また台地面を北上する。山頂から続く前回通った道筋である。途中、以前見た池の再観察や化石見学等をしつつ、台地での始点となった鈴北岳に戻った。そこからは、鞍掛峠に下る、元来た写真の尾根道を進む。


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た三重員弁の中里ダムと鈴養湖

鈴北岳から鞍掛峠への尾根道では、朝同様の曇天ながら時折視界が開けることがあり、下界や諸山の遠望が叶った。

写真は鈴鹿と養老の山に挟まれた三重員弁の地。中央に堤長が1km近くもある中里ダムにより成された「鈴養湖(れいようこ)」の水面が見える。ダム湖のすぐ後ろの森が揖斐川と員弁川の分水界となっている。


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た琵琶湖や多景島
三重側とは反対の左手(西)には琵琶湖の姿も。中央の細長い影はその無人島「多景島(たけしま)」


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た、㋃下旬ながら多くの雪纏う白山
そして北方彼方には彼の北陸の麗峰「白山(標高2702m)」も。暖冬・少雪の例外は無い筈だが未だ物凄い量の雪が見える。やはり別格の地なのか


御池岳と鞍掛峠を結ぶ鈴鹿山脈稜線から見た木曽御嶽山
こちらは日本最西端の1万尺峰「御嶽山(標高3067m)」。どこにも依らない、孤高で雄々しい姿が認められる

下山。予定はこなせたものの……

さて、尾根道をひたに進み鞍掛峠に到着後、駐車場まで下り、山行を終了した。途中残念なことも目にしたが、ルートから外れた「お花池」以外はほぼ予定通り巡ることが出来た。

そもそも緊急宣言発令後の人気山岳の様子を観ることも個人的目的の一つであった。結果残念な結論を述べることとなったが一人ひとりが感染増加の社会的影響や医療崩壊等について考えるべき時なので致し方あるまい。

とまれ、皆さんお疲れ様でした、色々とご協力有難う……。

読者各位もどうかご健勝で。前述の通り、多くの軽率者の所為で山は危険な場所となっている。もし、健康維持等の目的で山に入られる場合は、くれぐれも油断なきよう!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年03月07日

雲取検雪

京都・雲取山山中の、大木下に下がる氷柱

3月初旬、近山の雪如何

性懲りもなくまた京都北山の雲取山(標高911m)へ鍛錬に出る。既に3月初旬も過ぎつつあるが、ここ最近の低温を当てにして雪を求めて訪れた。

ただ、雨となる条件が続き、多量の積雪は望むべくもなかった。せめて季節終了前に本格的な訓練のため北国の高地に行きたかったが、存知の通りのコロナ騒動。自粛せざるを得ない状況となっていた。

仕方なく、気分を切り替え、雪にはあまり期待せず、体力的訓練に重点を置くことにしていた。


上掲写真 京都・雲取山山中の大木下の氷柱。今朝は京都市街でも1度台の低温。標高1000m近い山中では氷点下を大きく下回ったとみられる。


日陰に僅かに雪のこる3月初旬の京都・芹生峠
車行にて先ずはお馴染み芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)へ。日陰の斜面に僅かに雪を見るだけで、やはり殆どその姿はなかった


雪が失せた3月初旬の京都市北部の芹生集落
芹生峠の北裏にある芹生集落もこの通り


僅かに雪残る、京都・雲取山麓の三ノ谷分岐
三ノ谷分岐

そして集落奥の林道を進み、雲取山麓の大堰川(桂川)水系・灰屋川上流の三ノ谷分岐に到着。路上に雪はなく、少々の泥濘以外、特に困難なく到達した。

今日は、三ノ谷の林道を進む、いつものルートとは異なり、ここから直接山に取りつく。


京都・雲取山南尾根の道なきルート
雲取山南尾根の道なきルート

雲取山南尾根道

三ノ谷分岐から道なき斜面を登る。そこは雲取山山頂から続く南尾根の末端に当たり、以前から気になっていたルートであった。

地形図では最初こそ急登があるが、その後比較的早くに尾根に乗り、緩やかな稜線を経て山頂に達する最短ルートであった。


境界木らしき雲取山南尾根上の大木
境界木らしき雲取山南尾根上の大木

木の根を掴み進む急登から始まり、一旦岩峰を下り、また急登をゆく。慣れない人や荒天時は下山に使わない方が良いルートかと思われた。

効率の良いルートに思われたが、意外に人跡に乏しく、新旧含め道跡は見られなかった。


3月初旬の京都・雲取山南尾根の残雪
そして雲取山南尾根の稜線に出る。少し雪が多くなってきたが、5cm程度の積雪が不連続にあるのみ


3月初旬の京都・雲取山南尾根の残雪に沈む足と山杖
このように一部雪の深い場所もあったが、極めて限定的であった


IMGP5126.jpg
やがて山頂着。雪は無いに等しい。南尾根の道程は、最初こそ急であったが、稜線以降はなだらかなため、労少なく到着した。初め楽で最後に急登となる三ノ谷ルートの真逆である。

ただ、藪と倒木が少々難儀であった。草木茂る春以降は通行出来ないかもしれない。


京都・雲取山山頂北裏の斜面に残る疎らな残雪
いつも付近で最も雪の多い雲取山山頂北裏の斜面にも積雪が見られたが、やはり薄く、疎らなものであった


京都・雲取山北峰山頂から眺めた3月初旬の雪のない北山や比良の山々
そして雲取山北の雲取山北峰(標高約915m)に到着。やはり雪は無し。足下の負荷がないため、あっという間に到達した気分である

そういえば、北峰下で珍しく他の登山者と出会った。単独・熟練者っぽいその人も、名残りの雪を愛でていたのであろうか


京都・雲取山北峰から見えた、残雪に白む、滋賀比良山脈の武奈ヶ岳
雲取山北峰山頂から見た(北方)、滋賀西部・比良山脈の主峰「武奈ヶ岳(ぶながたけ。標高1214m)」。そこそこ雪が見えたので、今日は向こうに行った方が良かったのか(後に大して雪が無かったことが判明)

このまま時季終了か
如何せむべき


いつもの如く北峰で昼食休憩後、雲取山山頂まで戻った。

途中、物足りないので、明治中期の「点の記」に記載された山頂北を通る芹生と花脊別所集落を結ぶ古道を探索。

しかし、山頂西北にある尾根のそこも倒木と藪が多く、道の痕跡を見つけることは出来なかった。よって、途中から三ノ谷支流谷に下降して三ノ谷ルートに合し、出発点の分岐まで戻った。

今日は行き帰りに探索等を混ざたので、そこそこの運動にはなったが、このまま本格的な雪山を得ぬままシーズンが終ってしまうのであろうか。

さて、如何はせむ……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年02月15日

雲取融雪

溶け残る雪に印されたワカン(かんじき)歩行の跡(京都・雲取山山中)

またも気温上昇
先日の深雪如何?


待望の寒波到来と降雪により、先日水曜に急遽貴船奥は雲取山で行った近隣雪山鍛錬。

目論見通り良い訓練となったが、その後また気温が上り、なんと昨日は京都市街で20度を超す高温となった。夜も10度弱程までしか下がらず、また雪の存続が危ぶまれることとなった。

実は、先の寒波を受け、明日知人と滋賀県西部の比良山脈辺りに雪山登山する予定であった。しかし、高温と全日降雨の予報により中止となった。

よって、その代替として、また近山の雪の具合を視察せんと、今日また個人で雲取山へ行くこととした。今回は予め雪が少ないことを承知の上で行う、気候と雪山の関係を知る学習・鍛錬ともしたのである。


上掲写真 京都北山・芹生(せりょう)の雲取山(標高911m)麓の林道に続く謎の残雪模様。その正体はまた後ほど……。


僅か3日で多くの雪が消えた2月半ばの芹生峠
いつもの如く京都市街東部の拙宅から車行数十分で辿り着いた芹生峠(標高約700m)。先日は雪が多く、この先は車行出来ない状態であったが、この通り。橋上等に残る若干の雪さえ気をつければ、夏同様に走行出来た


僅か3日で多くの雪が消えた2月半ばの芹生集落
芹生峠北向こうの芹生集落もこの通り雪が激減。その里道も難なく車行することが出来た


若干雪が残る芹生集落から雲取山方面へと続く林道
芹生奥の林道には雪が残っていたが、作業車等の轍により地面が露出していたため、慎重な運転をすれば通行限界点付近まで車行することが出来た


大堰川(桂川)水系の灰屋川源流部にある三ノ谷分岐の積雪
大堰川水系、即ち桂川上流の灰屋川源流部にある三ノ谷分岐の積雪。結構雪が有るように見えるが、溶けかけた薄いものである

適当な場所で下車し、徒歩で進む。すぐに雲取山山頂方面への入口となる三ノ谷分岐に到着。僅か3日前は芹生峠から雪道を延々3kmも歩いて辿り着いたので、改めてその違いを実感。


雲取山山頂下へと続く三ノ谷の支流沢の入口部分
雲取山山頂へと続く三ノ谷支流沢の入口。3日前は道を塞ぐ中央の倒木上には厚さ30cm以上の雪が載っていたが、今はこの通り。なお、最初の画像はこの分岐手前で見つけた、3日前の私のワカン(かんじき)跡である


僅か3日で雪が激減した雲取山山頂下に続く三ノ谷の支流沢
三ノ谷の支流沢に入り、その雪の無さに驚く。もはや如何なる雪上装備も不要であった


僅か3日で雪が激減した京都・雲取山山頂直下の急斜面
それでも高度を上げると少しは雪が残っているかと思ったが、頂上直下の急斜面ですらこの状態


僅か3日で大量の雪が消えた2月末の京都・雲取山山頂
そして頂上も驚きのこの景色。全く雪がなく、恰も晩秋か初春の風情であった。昨年等は平地で気温が上っても山上には多くの雪が残り逆に驚かされたものであるが、今季の温暖は格別なのか……


僅か3日で雪が激減した京都・雲取山の山頂北面

雪による身体への負担もないため、山頂で休息することもなく北へと進む。写真は、通常最も雪が多い雲取山山頂北面であるが、他のハイカーの足跡が地に着く程しか残っていなかった。


僅か3日で雪が消えた2月半ばの京都・雲取山北峰の山頂
雲取山山頂から北に進み、間もなく達した雲取山北峰(標高約915m)の頂もこの通り。雪で大きく膨張していた山頂が痩せたかのように感じられた


京都・雲取山北峰山頂から見た、僅か3日で雪山風情が失せた京都北山(丹波高地)や滋賀比良(中央奥)の山々
雲取山北峰山頂より見た京都北山(丹波高地)や滋賀比良山脈(中央奥)の眺め。先日、折角戻ったそれらの雪山風情もまた失せてしまった


京都・雲取山北峰山頂より見た、2月半ばにもかかわらず雪が激減し山上地面の露出も観察された比良山脈
雲取山北峰山頂より見た比良山脈。付近名立たる多雪地であるその最高峰・武奈ヶ岳(左奥。標高1214m)や蓬莱山(右奥。1174m)も雪が減り、山頂付近での消失すら確認出来た。明日あそこで予定していた山行は雨予報で中止したが、この状態なら元より雪山ハイクが出来ないので、結果的に良い気象時機となった


京都・雲取山北峰山頂から見た、2月半ばにもかかわらず雪が消えた鈴鹿山脈
同じく雲取山北峰頂より見た滋賀県東部に連なる鈴鹿山脈(奥)。ここも雪が多い場所で知られるが、見る限り冠雪している様子は窺えない

意外の融雪
また山や自然学ぶ


雲取山北峰山頂で昼食後、雲取山頂に戻り、山頂南に下る二ノ谷の道から帰還した。

しかし、ある程度予想していたが、これほど雪が無いとは思わなかった。あれほど有った雪は一体何処へ行ったのであろう。沢にもそれほどの増水は見られなかった。

雪が融けたのは、やはり、昨日の20度以上の気温が効いたのか。山上はそれほど上がらなかったとは思うが、夜も含めて気温が高めだったので、短期間でもこの様な状態になったのかもしれない。

また山の奥深さ、自然の不可思議を学び、山を後にしたのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年02月12日

雲取深雪

芹生の里道に佇む雪を戴くカーブミラー

今季最後の機会?

先日の日曜、寒気と降雪により待望の近隣雪山鍛錬が出来ると期待して貴船奥の雲取山に出掛けたが、雪が多すぎ麓に近づくことが出来なかった。

替わりに帰路寄った比叡山で実施したが、そこそこの雪歩きが行えたものの、根本雪が少ない場所のため雪山装備を用いた鍛錬は叶わなかった。

ただ、今ならまだ雲取山にも多くの雪が残り訓練には最適である。予報では明日から気温が上り雨も降る。今年の暖冬傾向から、恐らく今日が最後の機会とみられた為、急遽予定を調整して出かけることにした。

本来は昨日が天候・積雪量共に最適であったが、都合により致し方ない。


上掲写真 貴船奥の峠を越した場所にある高位集落「芹生(せりょう)」の里道に佇む、雪を戴くカーブミラー。


周囲を雪に覆われる芹生峠と北山の青空
周囲を雪に覆われる芹生峠(標高約700m)と北山の青空

いつも通り、山際の貴船の料理街と神社を経て芹生峠に達する。道中少々雪が残っていたが、日曜と比すべくものではなく、なんとかその手前まで車行が叶った。

しかし、ここから先は積雪があり危険なため、徒歩にて雲取山を目指すことに。後方から女史が運転する1台の大型スクーターが現れたが、暫く躊躇したあと、そのまま先へ進んでしまった。

恐らくは私同様、非冬用タイヤと見えたので、少々心配に思った。


雪が載って危険な芹生峠北側の道
そう、芹生峠は裏は実にこんな感じだったのである。ノーマルタイヤにとっては、もはやスケートリンク、歩くことすら危ない(笑)


雪に埋もれる芹生集落
雪に埋もれる芹生集落。轍からすると、先の女史は何とかこの先を下っていたったようであった


積雪多い大堰川(桂川)水系・灰屋川上流の三ノ谷分岐
積雪多い大堰川(桂川)水系・灰屋川上流で、雲取山麓の三ノ谷分岐

芹生峠から雪の車道・林道を延々3km歩いて三ノ谷分岐に到着。全く雪が無く、この手前まで楽に車行出来た時との違いを感じざるを得ない。

しかし、目論見通り雪は実に豊富であった。良い鍛錬となりそうである。


芹生三ノ谷雪上でのワカン装着
三ノ谷に入って間もなくワカンを装着。山頂下の石沢を過ぎるまで我慢するつもりであったが、雪質が新雪気味で、深く進み辛いため用意した


芹生三ノ谷から山頂下の支流谷に入る道を塞ぐ倒木とその上に載る深雪
三ノ谷から山頂下の支流谷に入る道を塞ぐ倒木とその上に載る深雪。樹上の積雪は30cm以上か。雪が無かった1月18日の同所と比べて欲しい


雪に埋もれた芹生三ノ谷の支流沢ルート
雪に埋もれた支流谷のルート。ここから急登が始まるが雪が深く登り難い


雪に埋もれた芹生三ノ谷支流沢の炭焼窯遺構
石積でU字に造られた炭焼窯遺構も、雪に埋もれてこの通り


芹生三ノ谷支流沢に雪崩れる雪の急斜面
三ノ谷支流沢の急斜面では既に雪崩れたような跡も見られた。降雪が多く、かつ急だった所為か


雲取山山頂直下の急登雪原
雲取山山頂直下の急登雪原

山頂直下の最後の急登では更に歩行困難に。ピッケルの良い訓練場となったのに持参しなかったのは失敗であった。


雲取山山頂下の急斜面に生じた雪玉(スノーボール)
雲取山山頂下の急斜面に生じた雪玉(スノーボール)。大きい物で直径50cm程


雪深い京都・雲取山山頂

そして雲取山山頂(標高910m)着。そこは写真の通り見事に雪深かった。

ここにて荷を置き一旦小休止。無雪時には通過点に過ぎなくなる場所だが、雪の状態により体力や時間が大きく奪われることを再認識した。

これも、重要な鍛錬である。


雲取山山頂北から見た雲取山北峰の雪景色
雲取山山頂北から見た雲取山北峰(標高約915m)もこの通り完全な雪山景


積雪が多い雲取山山頂北でワカン履きながら深く雪に沈む足
積雪が最も多い雲取山山頂北ではワカン履きでもこんなに深く足が沈む


深く雪載る雲取山北峰の山頂から見た京都北山や比良山脈の冬景色

小休止後、雲取山山頂から更に雪深い稜線を進み、雲取山北峰に達した。頂の様子は写真の通り。漸く本来の冬の北山と再会出来た気分となった。


深い積雪を想わせる滋賀県西部比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳
滋賀県西部に連なる比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(1214m)。ここなぞは更に雪深いか……

有難い近場鍛錬
再度叶うや否や


いつも通り雲取山北峰で昼食休息をとり、その後、芹生峠までの約5kmの雪道を戻った。

ピッケルを忘れたのは残念だったが、今日は狙い通りの鍛錬が出来て良かった。身体・時間負荷は大きいものとなったが、やはり近場で鍛錬出来ることは有難い限りである。

さて、今季はまた同様が叶うや否や……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年02月09日

叡岳雪記

音羽川河畔から見た、雪を纏い、雪に煙る比叡山

寒さ厳しい日曜に

先月末から冬の寒さが戻ったような日が続いていたが、それでも昼間の気温は二桁台に達した。ところが、この週末から更に気温が下がり、昼間も一桁台となる本格的な寒さとなった。

そして、今日9日も市街でも雪が舞う厳しい気候に。朝遅い時間でも気温は1度しかなく、雪が本降りになれば積りそうな状況であった。

今日はいつもの如く近場での雪山鍛錬に出る予定だったが、道の凍結を警戒して遅くに出発せざるを得なくなった。

場所は、前回同様、京盆地北縁の北山山地(丹波高地)・雲取山。かの貴船奥の山域である。ところが、京都市街岩倉まで順調に車行出来たが、貴船谷に入ると一変して雪が増え、やがて路上を覆い、貴船社にも達せぬ内に進めなくなった。

残念。折角良い鍛錬が期待できる状況だったのに、さすがにそこから歩いて山上を往復するのは遠かったため、やむなく撤収することにした。

更に残念だったのは、美しく珍しい貴船の雪景色を撮影出来なかったこと。積雪のため路肩に退避するのも憚られたためである。こちらも絶好の機会を逃した。

時折降る雪から逃れるように戻ったが、前夜から準備した赤飯握り等のことも考え、帰路寄れる近場の比叡山に登ることとした。

叡山の麓に着くと写真の如く、雪纏う姿が見られた。普段あまり雪の載らない山であるが、今も降り続く今日ばかりは少々期待出来そうであった。

というか、時間的にも今日はここで鍛錬する他なかったのである。


つづらの崖道が続く比叡山・雲母坂の入口部分

早速準備して登る。ルートや状況的にワカン(かんじき)は雪装備に加えず、アイゼンのみ保険的に加え、持参した。

ルートは京都側から登るのに一般的な雲母越(きららごえ)。市街東北の修学院から入山する道で、古来都と山上の延暦寺を結ぶ主路であった。

写真は、登り始めに現れた、つづらの道が続く崖。上部の古い石積の向こうへと道が続く。見ての通り、この辺りにはまだ雪はない。


雲母坂城址の郭跡に通された登山道と積雪
崖道を過ぎると雪が現れ始めた。本来、道は風化花崗岩質を薬研状に深く穿った場所「雲母坂」を通るが、何故か通行止めになっており、その脇上に誘導されるようになっていた。そこは薬研底に矢や礫を浴びせかけるための中世城塞の郭跡とされているが、その遺構面が傷むことを危惧した


比叡山雲母越の登山道と厚い積雪
更に高度を上げると、この通り、道は完全に雪に埋もれた。時折晴れ、時折吹雪くという天候が終始に続く


ケーブル比叡駅付近の積雪と冬景色
そして標高700m弱のケーブル比叡駅に達するとこの通り。積雪は20cm程か。ワカンは不要だが、足の負担が増す。気温は-6度程、以降も休息適地はないため、冬季閉鎖中のケーブル駅の軒を借りて昼食を済ませた


降雪のため一時的にその姿を蘇らせた旧比叡山人工スキー場のゲレンデ
降雪のため一時的にその姿を蘇らせた旧比叡山人工スキー場のゲレンデ

ケーブル駅からは基本林道歩きとなる。スキー場跡を過ぎ、二つある山頂のうちの一つで遊園地となっている四明岳(しめいがたけ)下やドライブウェイ駐車場等を、雪を踏みつつ進む。


雪に埋もれる叡山最高峰・大比叡山頂(標高848m)
周辺の樹々共々雪に埋もれる叡山の最高峰・大比叡山頂(標高848m)

油断禁物。人気ない山中に……

そして、山頂の三角点がある大比叡山頂に到着。その後は更に東に進み、延暦寺東塔(とうとう)方面に下る。

車道以外誰とも合わない静かな山歩きを満喫していたが、突如雪道を軽装で登ってきた若者と遭遇する。しかも2人連続。身形などから外国人らしかったが、マスクはしていなかった。当然こちらも想定外の為していない。

こんな時季に地元文化に接してくれる彼らに恨みはないが、例の肺炎騒動に対する政府の対応が甘いため、少々緊張を感じざるを得なかった。


雪化粧した比叡山延暦寺東塔の伽藍
雪化粧した比叡山延暦寺東塔の伽藍

つづらの急坂を東塔の伽藍面まで下ると、なんとまた別の外人が現れ道を尋ねられた。拙いながらも日本語で話す姿勢に感心しながら、その訛り、顔立ち等から大陸客と判じてとその言語で訊くと、韓国人だと返された。

しかし、彼が返した「han guo」という語は正に大陸人の言葉であり、複雑な気にさせられた。まあ、時勢柄、正直に明かして不利益を被ることを恐れたことは理解できるが、少々残念に思われた。

気を直して、延暦寺の西塔(さいとう)の存在や場所を教える。帰りのバスを心配しつつ礼を言い先を急ぐ彼とは、私も西塔に向かったため、すぐ再会することとなった。

西塔の主要地までまだ距離があるのかと訊かれて、近くだと答え共に向かおうとしたが、彼は雪が載る長い石段に怖気づき意欲を失ってしまった。

冬の山上を全く考慮しない装備では難しかろう。お勧めの場所を見てもらえなくて残念だが、致し方あるまい。


深い雪と静けさに包まれる比叡山延暦寺西塔・浄土院
深い雪と静けさに包まれる比叡山延暦寺西塔「浄土院」

西塔の深雪

そして、私独り石段を下って先ず浄土院を訪れた。宗祖・伝教大師を祀る山内で最も神聖な場所である。私はここに来たかったため、西塔まで足を伸ばした。

雪のない時期も極めて静かな場所だが、深いそれに閉ざされた今日は更にその静けさを増しているように感じられた。いつも通り堂奥から読経が聞こえる。未だ生けるものとして大師に使える番僧の声かと思われた。


雪に包まれる比叡山延暦寺西塔・常行堂
雪に包まれる比叡山延暦寺西塔・常行堂

浄土院の後は、「にない堂」の俗称で知られる常行堂や、西塔の本堂・釈迦堂(転法輪堂)を参拝してケーブル駅方面への帰路に就いた。


西塔とケーブル駅を結ぶ林道から見えた雪積る大原集落
西塔とケーブル駅を結ぶ林道から見えた雪積る大原集落


ケーブル叡山駅横の展望所から見た寒日の京都市街と夕陽
ケーブル叡山駅横の展望所から見た寒日の京都市街と夕陽

どうか無事で

意外に距離と高低差のある雪深い道を辿り、やがてケーブル駅に着いた。山上西半分を一周した形である。

しかし、ここからは叡山登山に於ける本番的山道を下らなければならない。欲張って山上を巡ったため既に時間は17時前になっていた。

まあ、日も長くなったので、暗くなるまでには下りられるであろう。

そして順調に下ったのであるが、中間点辺りで奇妙なことに遭遇した。なんと、こんな時間から雪の山道を妙齢の女子が独り登ってきたのである。

怪しい雰囲気はなかったが、黒っぽい街歩き風の出で立ちで、なんと肌が見える切り込みのあるズボンを履くという軽装ぶりであった。

急の意外に驚き、挨拶を交わしただけで通り過ぎたが、直に日は暮れるし、山上は昼でも氷点を切っており、雪も深く腰を下ろして休む場所もない。また未だ天候も不順で、いつまた吹雪くか判らない状況であった。

一体何が目的で独り登ってきたのであろうか。謎は深まるばかりであった。せめて電灯の有無や目的を訊ねておくべきであったと後悔した。

実は、驚いたのは急に彼女が現れただけではなかった。それは、昔山上であった事件のことを、昼間ふと思い出していたからである。

故に大変心配にもなった。もし事情を知る人や本人がこの記事を読んでいたら、どうか、その後の無事を知らせてもらいたいと思う。

さて、奇遇の人への心配を他所に私自身は暗くなるまでに無事下山することが出来た。今日は雪諸々に因り意外と身心に負荷を得た山行となった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年02月02日

雲取雪見

左右の斜面にしか雪がない冬の芹生峠

初雪後早速山へ

先月31日に漸く出された京都での初雪宣言から間もない今日、鍛錬がてら山の様子を見に出かけた。

場所はお馴染み京都・貴船奥の雲取山(北峰の場合標高915m前後)。京盆地北縁山地の最高峰である。

初雪宣言と共に寒気が強まったため、道の凍結を警戒し午前遅くに車行で向かう。峠下の細く険しい道を経るが、市街から1時間足らずで麓高地に着く近さであった。

写真は、その途中通過した芹生峠(標高約700m)。初雪宣言から雪があまり降らなかったためか、例年見られる路上積雪はなかった。


2月初めながら雪が少ない芹生集落
京盆地北縁高地にある芹生集落(標高約600m)

芹生峠をそのまま車行で越え、峠裏の芹生集落に下る。ここは更に雪が少なく、例年との違いを感じざるを得ず。


京都・雲取山中の三ノ谷林道に積る雪
三ノ谷の林道に積る雪

芹生集落を過ぎて林道に入るも路上に雪がないため、そのまま車行を続け、雪がなかった前回同様、三ノ谷分岐近くまで遡行することが出来た。

そして、徒歩にて三ノ谷を進む。標高も上がってきた為、さすがに路上に雪が現れたが、特段の対策を必要としない程度のものであった。


雪はあるが少ない、2月初めの京都・雲取山の三ノ谷奥
三ノ谷から分かれた支流谷も雪はあるが少ない


2月初めながら積雪が少なめの京都・雲取山山頂直下の急登道
雲取山頂上直下の急登ではさすがに雪が多くなり、アイゼン等の入用を感じた。深いところで積雪15cmくらいか


2月初めながら雪の少ない京都・雲取山山頂と三角点標石
京都・雲取山山頂と三角点標石

そして山頂に着くとまた雪が少なくなった。風で飛ばされたように見えたが、それでも全く雪がなかった異状の前回とは違う冬山景が戻っていた。


京都・雲取山山頂北側の、例年より少ない積雪
雲取山山頂北側は、例年最も雪の深い場所であったが、それでも20cm程。それも、恐らく風で集められたもので、倒木上の積雪からすると、実際は10cmから15cmくらいとみられる


雲取北峰頂からみた丹波高地や比良山脈の雪景色
そのまま歩き通して雲取山北峰の頂を踏む。雪は少ないながらも、山上からの眺めは完全に冬景色と化していた。雪がないまま春になるのかと危惧していたので、少々安堵の気分となった


雲取山北峰からみた冠雪した山々と武奈ヶ岳
雲取山北峰からみた滋賀県西部に連なる比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。中央奥。標高1214m)。こちらには相当雪がありそうである。先週視察した比良山脈手前の京都府最高峰・皆子山(同971m)にも雪が戻っているかもしれない


2月初めながら雪の少ない雲取峠
雲取峠(中央下に標識)

未踏の一ノ谷道へ

いつもの如く、雲取山北峰で独り食事をしつつ冬風情を楽しんだあと、北に進んで雲取峠(標高約870m)に出た。以前雲取四箇峰を巡った際にも通過した、府大小屋があるなだらかな峠である。

今日はここから未踏の一ノ谷を探索しつつ三ノ谷分岐に戻ることした。


雲取峠から南の一ノ谷に下る道の入口部分
雲取峠から南の一ノ谷に下る道の入口部分


雲取峠下の急な下りを経て現れた、植林地内に続く緩やかな道
雲取峠下の急な下りを経て現れた、植林地内に続く緩やかな道


京都・雲取山一ノ谷の谷なかに現れた雲取山荘
谷なかに現れた山荘。アルミサッシや雨戸等を備えた立派なもので、「雲取山荘」との表示があったが所有者は判らず。社会人同好会等のものか


京都・雲取山の一ノ谷から寺山峠へと続く支流谷と、その傍に続く道
一ノ谷から寺山峠へと続く支流谷と、その傍に続く道

一ノ谷の中ほどでは分岐路も現れた。鞍馬奥の花脊別所(はなせべっしょ)集落と芹生集落を結ぶ寺山峠への分岐路で、花脊までバスや車を利用する多くの人が利用する雲取山の主路である。


京都・雲取山の一ノ谷にある、並木状の大木に擁護された道
一ノ谷の谷なかにある、並木状の大木に擁護された道

一ノ谷の道をそのまま下るが、谷なかの低地を這う沢を幾度も渡る湿地的な道程であった。

そんな場所にも植林が続くが、途中幾度もその大木を並木にしたような場所を抜けた。水蝕から道の破壊を防ぐ為に敢えて残したものであろうか。


京都・雲取山の一ノ谷の沢に散らばるチャートらしき岩石
一ノ谷の沢に散らばるチャートらしき岩石

一ノ谷は天然林が少ないことや庭石的な岩が見られないため、二ノ谷や三ノ谷より風情に欠けるように感じられたが、そもそも地質も異なるようであった。

二ノ谷・三ノ谷では石灰岩らしき岩が多かったが、ここでは硬い堆積岩「チャート」が多いことに気づいた。


京都・雲取山の三ノ谷分岐付近の斜面にあった桂の木らしき大木
三ノ谷分岐付近の斜面にあった桂の木らしき大木。前回紹介した樹とは異なる個体である

雪は少なし今後に期待?

そして、三ノ谷分岐に達し、山行を終了した。

雪はあるにはあったが、まだ少ないものであった。この先増えるかどうか……。出来れば遠出することなく、ここで雪中鍛錬したいのであるが、まあ様子を見るほかあるまい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年01月26日

皆子探雪

葛川平集落外れにある皆子山東尾根登山口

雪求め北山奥峰へ

厳冬期でありながら、未だ京都市街に初雪がないままの異常が続く。

先週、京都盆地北縁奥(北山山地・丹波高地)で雪を探ったが、いつもは多い山上にも全くなし。その為、今日は別所を視察することにした。

場所は先週山上からの観察で冠雪が確認出来た皆子山(標高971m)。同じ北山山地の北東にある京都府最高峰である。

先週同様、車輌にて現地に向かう。かの大原を越え滋賀県内に入り、更に北上して安曇川(あどがわ)水系上流の葛川平(かつらがわ・だいら)集落に達した。

今日も朝から気温が高く、難なく峠道を通過。そして、平集落外れにある、写真の東尾根登山口から皆子山山上を目指した。


皆子山東尾根で最初に現れる急登の道
先ずは皆子山東尾根で最初に現れる高低差300m弱の急登の道を進む。雪は全くないが、まあこの辺りについては想定内であった


雪が全くない厳冬期の皆子山東尾根南部
次に東尾根の上部に達するも、やはり雪は無し。まだ標高的に見えないだけかもしれない


皆子山東尾根から見た、厳冬期にもかかわらず全く雪がない比良山脈南部
ところが、対面に現れた比良山塊の姿に驚く。皆子より標高が高く、付近名立たる多雪地の比良山上にも全く雪が見えないのである


厳冬期にもかかわらず全く雪がない比良山脈の蓬莱山
比良山脈南部の雄峰・蓬莱山(中央。標高1172m)もこの通り。先週雲取山から見えた雪は溶けたのか。これでは山上にあるスキー場も営業出来まい。これまで数十年見てきたが、こんなことは初めてのような気がする


厳冬期にもかかわらず全く雪がない京都北山の峰床山
皆子山の更に北にある北山の著名峰・峰床山(標高969m)もこの通り


厳冬期にもかかわらず僅かしかない皆子山東尾根上の雪
東尾根上の道を進み徐々に高度を上げるが、見かけた雪はこの様に微々たるもののみ


厳冬期にもかかわらず山上に雪が見えない、比良山脈南端向こうに浮かぶ鈴鹿山脈
比良山脈南端の向こうに浮かぶ、1000m級の多雪地・鈴鹿山脈(中央奥)にも雪は見えず


厳冬期にもかかわらず全く雪がない皆子山山頂
そして、やがて到達した皆子山山頂にも全く雪がなかった。比良でさえ雪が無ければ当たり前ともいえたが、残念に思われた


皆子山からみた、厳冬期にもかかわらず冬枯れの姿のみで、全く雪がない比良山脈最高峰・武奈ヶ岳
比良山脈最高峰の武奈ヶ岳(1214m)も冬枯れのみの姿。あまりの異様ぶりに、少々恐ろしくさえ感じられた


厳冬期にもかかわらず、皆子山山頂付近に僅かしかない雪
皆子山山頂付近に僅かに残る雪


皆子山山上から見えた、唯一冠雪する三重嶽
ただ、唯一滋賀県北西の三重嶽(さんじょうだけ。標高973m)のみ冠雪が見られた。しかし、彼の山地は訓練地とするには少々遠い


皆子山山上からみた、滋賀県南部の琵琶湖や平野
皆子山山上からみた、滋賀県南部の琵琶湖や平野

残念無念、山の温暖無雪
だがこれは温暖化の証か?


皆子山上にて昼食を摂り、その後元来た道を下り京都市街へと帰還した。

さて、近場に雪がなく、雪上鍛錬の場所がないことに困らされた。このまま春となってしまうのか……。

ところで、最近こうした状況を以て温暖化増悪説を唱えることが世を席捲しているが、少々危惧を感じざるを得ない。勿論、温室効果ガスの物理特性は事実であろうし、元より自然変動に相乗する危険があるその削減をすべきなのは言うまでもない。

ただ、一つの現象で何かを言い切る安易な風潮を案じているのである。例えば、雪といえば今年は無いが、一昨年には北近畿や北陸で記録的大雪になったこともあった。

最近の豪雨や暖冬などで体感的・感情的に流されることも理解できるが、もう少し冷静になった方がいいのでないかと、雪のない山を見て改めて思った。

大雨やその反対の日照りは昔からあったのである。要は両方に備えることこそ肝要と思われる。

ただ、やはり雪上鍛錬が出来ない、雪山風情が楽しめないことは残念無念である。さて、如何(いかが)はせむ……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2020年01月18日

雲取無雪

京都・雲取山山上の樹幹に残る、風雪の名残り

大寒直前なお雪なし
京都北郊雪状視察へ


月半ばの小正月も終り1月も後半に入ったが、京都市街では未だ雪を見ず。

年中で最も寒いとされる「大寒」直前の時期ながら、日中は10度を超える日が多い異状が続く。

本来なら、ここ数年来恒例の雪山鍛錬を北方近山で行うのであるが、遠望する北山の峰々にも雪がない。いつもは、それが少ない年でも山上には驚くほどの雪があるので、一先ず、様子見がてら出かけることにした。


上掲写真 京都北山(丹波山地)山上の樹幹に残る、風雪の名残り。京都盆地北の旧国界山地最高峰・雲取山(北峰の場合標高915m前後。旧丹波国、その後京北町を経て右京区)にて撮影。


1月なのに雪が全くない芹生峠
車行にて貴船経由で先ずは芹生峠(せりょう・せりう。標高約700m)に到達。本来ならこの時期は積雪のため峠以北は通常装備では進めないが、今年はこの通りで何の障害もなし。因みに去年の状況は次の通り2019年1月13日2019年1月23日


積雪のない1月の芹生峠の道脇にわずかにあった雪
芹生峠の道脇に見つけた僅かな雪。積雪が少なかった去年と比べても明らかな異状


1月にも拘わらず雪のない芹生集落
昨年は雪のため徒歩で進んだ峠北の道を難なく車行し、やがて芹生集落に到着したが、この通り。まるで4月か11月のようである


1月にも拘わらず雪のない芹生の林道奥
芹生集落から林道を進み、倒木で阻まれる奥地まで進んだが、この通り。昨年ならワカン(かんじき)を欲する程の雪深い場所であったが、僅かに倒木上に雪が残る程度であった


1月にもかかわらず雪のない、雲取山山上への経路、三ノ谷林道のゲート
雲取山山上への経路の一つ、三ノ谷の林道ゲート。いつもはここでワカンを装着するのであるが……


京都・雲取山の山頂へと続く三ノ谷の支流分岐部に薄っすら積る雪

雲取山山上へ

雪の無い林道を歩き、漸く雲取山山頂へと続く支流谷の分岐部で、薄っすら積る雪と遭遇した。

ただ、昨年の2019年2月17日には、写真奥にある倒木上に7、80cmもの積雪があったので、異状は歴然である。


1月にもかかわらず雪のない、京都・雲取山山頂に続く支流谷
林道から外れ支流谷を進むが、やはり谷なかにも雪はなかった


僅かに雪が載る、雲取山山上へと続く支流谷最高所の炭焼窯遺構
支流谷最後の炭焼窯遺構には僅かに雪があったが、圧倒的に少ないため、石積のその姿がよく観察できた


1月にもかかわらず積雪といえるものがない、雲取山山上下の支流谷
支流谷を更に進むが、積雪といえるものはない。雪崩に警戒しながら進んだ去年との違いを強く感じる


1月にもかかわらず積雪のない、京都・雲取山山頂直下の急傾斜
そして谷に水気がなくなり最後の急傾斜地となったが、ここも積雪はなし。ただ、全体的に地面がぬかるんでおり、滑って登り難かった


1月にもかかわらず積雪がなく、三角点の標石も露出した京都・雲取山山頂
滑り易い急斜を詰めて間もなく雲取山山頂に出たが、やはりこの通り。いつもは雪に埋もれがちな三角点の標石も露出している


1月にもかかわらず積雪が少ない、京都・雲取山山頂の北面
雲取山山頂からそのまま北峰へと進んで現れた雪面。最も雪深い山頂北裏辺りだが、それでも2、3cm程の量しかない


雲取山山頂北からみた、1月にもかかわらず殆ど雪のない雲取山北峰
雲取山山頂北から見えた雲取山北峰も、殆ど雪がないように思われた


1月にもかかわらず積雪のない京都・雲取山北峰
間もなく雲取山北峰山頂に到着したが、やはり少々の雪は見れど積雪はなし


1月にもかかわらず雪景色のない雲取山北峰からの眺め
北に開けた雲取山北峰からの眺め。本来は全山雪景色の筈だが、この通り。まあ無いものを嘆いても仕方ないので、これを見つつ食事休憩をとることとした。雪はなくとも山上は風が強く寒い。簡易計の値は-1度程であった


雲取山北峰から見えた、冠雪した比良山脈の武奈ヶ岳や蓬莱山
雲取山北峰から見えた滋賀県西部に連なる比良山脈(奥)。最高峰の武奈ヶ岳(1214m。左)と南部高所の蓬莱山(1172m。右)を中心に冠雪している。彼の地も今年は雪が少ないらしいが、例年2m近く積る場所なので、まだマシなのであろうか。北山(丹波高地)側は、府県境の途中峠(大原の最上流部)から北の山上に雪が見えた


霰吹雪により曇り始めた雲取山北峰からの眺め
雲取山北峰に到着して間もなく霰(あられ)が降り始め、景色も一気に曇り始めた。風に乗り吹雪くような具合である


雲取山北峰から見た、霰吹雪に霞む北山の峰
霰吹雪に霞む北山の峰


霰吹雪の後に急に晴れコントラストが高くなった、雲取山北峰から見た北山の眺め
しかし、天候が悪化したかと思えば、突如晴れて、俄にコントラストの高い眺めともなった


雲取山主峰頂部から南に下る二ノ谷登山路
雲取山主峰頂部から南に下る二ノ谷登山路(中央)

二ノ谷探索

雪はなくとも変わらず静かで落ち着いた雰囲気の雲取山北峰での食事後、雲取山主峰に戻り往路とは異なる、二ノ谷経由の下山路を採った。

車輌を止めた三ノ谷ゲート付近に然程無駄なく帰還できるルートであったが、自身では未踏であった。そこで雪が無いことを逆手にとり、倒木等の路状を探るべく、進むことにしたのである。


1月にもかかわらず雪のない、京都・雲取山山頂直下、二ノ谷側の森
ところが、晴れてきたこともあるが、南面する二ノ谷に入ったとたん、大変な温暖となった。稜線上ではまだ風が唸っているのが聞こえるが、僅かに下がったここは別世界であった。気温も一気にプラス数度と化す


京都・雲取山の二ノ谷上部を下り、間もなく現れた谷なかの水無し滝
二ノ谷上部を下り、間もなく現れた谷なかの崖。今は殆ど水が無いが、増水時は滝と化すことが想像された。そういえば、芹生峠下の沢も雪不足のためか水が少なく、去年見られた渓流魚の豊富な姿も見ることはなかった。暖冬は沢の生態系にも影響するかもしれない


春の雪解け時のような、京都・雲取山の二ノ谷ルート
春の雪解け時のような、雲取山二ノ谷ルート


京都・雲取山二ノ谷上部を下って現れた人口建造物
二ノ谷上部を更に下ると、やがて人口建造物が現れた


京都・雲取山二ノ谷にある、立命館大学ワンダーフォーゲル部の山小屋と付属施設
それは、立命館大学ワンダーフォーゲル部の山小屋であった

上部の青く四角い小屋はトイレらしく、一般にも開放されていたが、マナーが悪いので閉鎖も検討しているとの旨が大書されていた。

試しに覗くと、いきなり土足禁止の床に付けられた泥靴の跡が見られた。これでは怒るのも仕方ない。トイレは環境に配慮したバイオ式らしく、一般家屋同様にクッションフロアが貼られた美麗の内装であった。

その横には着脱面倒な登山靴に配慮してビニール袋も備えられていたが、それらの好意を含め、一切を無視した挑戦的な汚し様であった。同じハイカーとしては情けない限り、管理諸氏への同情頻りの心情であった。


立命館雲取小屋下流の二ノ谷沿いに残る炭焼窯の遺構

立命小屋下の合流部から、いよいよ二ノ谷本流に入り、水が豊富となった沢沿いを更に下る。

その途中、写真の如き石積の炭焼窯遺構に次々と遭遇した。恐らく、三ノ谷とは異なり、林道で破壊されていないため残存しているのであろう


京都・雲取山の二ノ谷を飾る、雑木と岩が織りなす庭園風情
二ノ谷には雑木と石灰岩らしき岩が織りなす庭園的眺めが続いていた。自動車林道が大規模造成される昭和後期以前の古き良き北山風情を残す場所に感じられ、大変好ましく思われた。立命小屋はこれを知ってこの地を選んだのか。今や稀有となった京郊谷での贅沢な環境を羨ましく思った


針葉植樹の大径木の並木に守られた、京都・雲取山二ノ谷の古道
あと、二ノ谷で気になったのは、この様に針葉大径木に守られた古道である。狭いながらもまるで街道並木のようであった。このような場所が方々にあり、沢際であっても残存していたので、道の流出を防ぐ施策とも思われた。樹齢換算によると明治以前からのものと見たが、如何であろうか


京都・雲取山の二ノ谷と三ノ谷の間にある林道崩壊部分

そして、意外の北山風情溢れる二ノ谷を出て、林道ある本流ルートと合した。その後はすぐに車輌に戻らず、本流上手の一ノ谷方面にある花脊集落への峠道分岐等を視察した。

写真は二ノ谷・三ノ谷間にある林道崩壊部分。水流により路盤が流され導水管が露出している。浅薄な人智を一蹴するような光景であった。


京都・雲取山の二ノ谷・三ノ谷間の林道脇にあった桂と思われる大木
同じく二ノ谷・三ノ谷間の林道脇にあった大木。桂の木か

近場の雪山鍛錬叶わず

その後、車輌に戻り、無事市街へと帰還した。

一応装備は持参したものの、この様に今日は雪山鍛錬は叶わなかった。残念だが、これも自然のこと故、致し方あるまい。

暫く様子を見、方策を検討したいと思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年11月16日

錦秋八丁行

西日に染まる廃村八丁奥の天然林紅葉と、背後に聳える比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(1214m)

廃村八丁再び

今秋の山会開催地は、2年前にも行った京都北山奥地にある八丁(はっちょう)村跡とその周辺山地。

所謂「廃村八丁」として知られる、辺鄙と豪雪により昭和初期に廃れた奥山の村跡と、その付近に残る特有の自然林の観察が目的であった。

前回は緑濃い晩春の開催だったので、今回は紅葉が見られるという楽しみもあった。また、前回来た人への配慮等もあり、ルートを少し変えることとした。

所用との兼ね合いにより告知が遅れ以前より参加者は減ったが、日が短い秋故、少数精鋭となったことはかえって良かったかもしれない。

希望しながら日が合わず来られなかった人には申し訳ないが、ルートも多く、飽きない山域なので、また要望でも出してもらいたいと思う。


上掲写真 西日に染まる廃村八丁奥山の天然林紅葉と背後に聳える比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(1214m)。本日の帰路、品谷山東稜線より撮影。


錦秋の佐々里峠
錦秋の佐々里峠

佐々里峠の尾根南下し八丁北の稜線へ

前回は京都市左京区北部・広河原の菅原(標高約480m)という集落から西進して八丁に入ったが、今回は広河原北部の佐々里峠(ささりとうげ。同730m)に車輌を止め、そこから稜線伝いに八丁に入ることとした。標高が高く、長い林道歩きもない為、時間が短縮できるという見込みであった。

今朝は山間の温度が4度程と低く、午後も低めの予報であった。標高600m前後の八丁や山上は更に下がると思われたので上着等を着込み出発した。


佐々里峠から南へと続く尾根筋と紅葉ある天然林
佐々里峠から南へと続く尾根筋と、紅葉ある天然林

佐々里峠の脇からすぐ稜線に乗り、南へ向かう。「南下」とはいえ、標高は増加傾向なので登り道である。意外にも踏み跡の少ない侘びた風情が感じられるルートであった。

今回初めて通過したが、以前通った菅原上手のダンノ峠北の尾根道同様、天然林が広がる良き趣があった。そして所々に台杉などの巨木も現れる。近畿有数の原生林「京大演習林」から続く尾根らしい、予想通りの姿であった。


佐々里峠南側の尾根筋に現れた台杉の巨木
佐々里峠から南に続く尾根筋に現れた台杉の巨木。樹齢数百年か


佐々里峠南の尾根筋に現れた天然林紅葉と、色づく奥丹波の山々
同じく、佐々里峠南の尾根筋に現れた天然林紅葉と、色づく奥丹波の山々


ダンノ峠から品谷山に続く天然林稜線
ダンノ峠から品谷山に続く天然林稜線

やがて尾根道は一つの頂部に至り、前回通過したダンノ峠から品谷山(標高880m)に続く稜線とその上に続く道に合した。即ち、八丁と外界を区切る山稜のうち、北側のものである。

我々は前回同様、ここを西進し、品谷山西方の品谷峠から八丁村跡に下降する予定であった。前回とは季節が違うが、やはり自然の濃い、気持ちの良い稜線であった。


ダンノ峠から品谷山に続く稜線上に現れたブナの林
ダンノ峠から品谷山に続く稜線上に現れたブナの林。落葉が進み、冬枯れ風情が増している


品谷山山頂近くの稜線上にある幹が捻じれた落葉樹の大木
品谷山山頂近くの稜線上に現れた落葉樹の大木。強風の影響か、幹が捻じれている


品谷峠から南へと下降する八丁への谷道
品谷峠から南へ下降する八丁への谷道

品谷峠下り村跡へ

爽やかな佐々里分岐で休息したのち、品谷山頂を経て品谷峠(約790m)に達した。途中2度道を外したが、すぐに気づき正しい方向を得た。

これは大量の落ち葉のため踏み跡を見逃したことが原因。単純な稜線移動、また、以前来た道として地図での確認を怠ったことを反省する。

同じくこの時期にここを通る人は迷い込まないよう、注意されたい。

品谷峠からは、いよいよ八丁村跡に下るべく南の谷道(スモモ谷)を下降する。


廃村八丁へと続く品谷峠南のスモモ谷に現れた沢水
スモモ谷の下降を続けると、やがて沢水が現れた


廃村八丁へと続く品谷峠南のスモモ谷の沢淵
スモモ谷の沢淵。高所の渓流にありがちなアマゴ等のサケ科の魚ではなく、何故かコイ科のウグイらしき魚影が濃かった


品谷峠南のスモモ谷を下った先に現れた廃村八丁の中心地(右奥)と宅地(?)(左)の石積み
スモモ谷を下った先に現れた旧八丁村中心地(右奥)と宅地(? 左)の石積み

2年ぶり、紅葉の八丁

そして、スモモ谷を下りきり、石積みや里道が残る八丁へと到着した。倒木等によるスモモ谷の荒れ具合は以前と変わらず、心配していた昨年の台風21号の影響は殆どなかった。


廃村八丁の中心部と紅葉
廃村八丁の中心部と紅葉。左奥の三角小屋は昭和40年代に造られた山小屋

前回と同じく、明るく開けた旧八丁村の中心地で昼食休憩を行った。周辺は植林の針葉樹が多かったが、それでも幾らかの楓等があり、盛りの紅黄葉を楽しむことが出来た。


明るい紅葉落ち葉に埋もれる廃村八丁中心部を貫く里道や宅地跡
明るい紅葉落ち葉に埋もれる、廃村八丁中心部を貫く里道や宅地跡(石積み部分)


倒壊していた廃村八丁の八丁八幡宮

食後村跡を見学する。殆どの場所が前回と同様だったが、近くの山上の八丁八幡宮が写真の如く倒壊していた。恐らくは昨年の台風による罹災か。

明治15年の標識があり、長く村人の精神支柱であった筈。造りも簡素ながら良いものだったので、大変残念に思われた。まだ部材は腐っていないので、一先ず関係者の力でそれだけでも保護出来ないものか……。


廃村八丁の家屋跡に残る戦中のマンガン採掘者用の厠小屋
前回写真を撮りそびれた、戦中のマンガン採掘者用の厠とされる小屋。朝鮮人も従事したという事業のため、大陸風のその姿との関連が窺われた。明治期の地形図等によると、本来は廃村以前に民家があった場所とみられる。手前や背後の倒木は台風に因るものと思われた


廃村八丁から四郎五郎峠に続く支流谷の天然林と古道跡

八丁東の刑部谷から未踏の帰路へ

見学は更に八丁の南外れにある墓地にまで及び、その後中心部に戻り、東方は刑部谷(ぎょうぶだに)を進む帰路に就いた。八丁から狭い谷なかに続く古道は、やはり倒木の影響があり、方々で迂回を余儀なくされる。

更に、刑部谷の途中から支流沢に入り、前回通らなかった「四郎五郎峠」の道に進む予定が、前方に現れた手書きの注意書きに気を取られ、分岐まで100m強を戻る誤りを犯した。皆お疲れのところ申し訳ない限り。

写真は四郎五郎峠下の谷なかの平坦地。刑部谷を直進する道より、こちらの方が道幅が広く、本道のようにも思われた。なお、双方の道共々、その行先はダンノ峠、即ち広河原方面である。

この谷は然程荒れていなかったので、八丁休憩中に現れたパーティーから聞いた酷く荒れた場所は刑部谷を更に遡上した区間のことかと思われた。


四郎五郎峠へと続く急斜のつづら細道
四郎五郎峠へと続く急斜のつづら細道

やがて、道は渓流対岸の急斜をつづらで登る区間となった。道は細く、少々転落の危険さえ感じられた。道が細く、古さも感じられないので、比較的新しく付け直されたか、変更された道のように感じられた。


四郎五郎峠
四郎五郎峠

そして四郎五郎峠着。沢から100m弱を登ったか。ここで少し休み、いよいよ佐々里分岐に近い稜線まで道なき尾根筋を一気に登り返すこととなる。

ここも未知のルートだったが、佐々里分岐へ最短かつ、緩やかな登坂で戻れるため、事前の地形検討で選択していた。


四郎五郎峠から続く道なき尾根筋
四郎五郎峠から続く道なき尾根筋


四郎五郎峠から続く尾根筋上部に現れた藪
四郎五郎峠から続く尾根筋上部に現れた藪


四郎五郎峠北の稜線から見た、西日に浮かぶ八丁奥の紅葉
四郎五郎峠北の稜線から見た、西日に浮かぶ八丁奥の錦秋の山。即ち冒頭写真の広角景である

未知の行程終り安堵

四郎五郎峠から続く尾根筋の行程は1Km程に及んだ。見当通り、比較的なだらかで平易なルートだったが、その上部に至ると倒木や藪が多くなり、若干手間どることとなった。

そして、最後の藪を抜け、無事今朝通過した稜線と合した。未知の行程が終り、あとは既知の道を戻るだけとなったので、私としても安堵のひと時であった。


佐々里峠の紅葉夕景
佐々里峠の紅葉夕景

稜線で少し休んだあと、元来た道を下り佐々里峠に帰還した。時間は16時半。予定は16時までであったが、戻り道が生じたため、その分遅くなってしまった。

とまれ陽がある内に戻れて良かった。八丁周辺は距離や高低差の割に時間がかかり、その為か遭難も多い。今後も気を抜かないようにしたい。

そして、京都市街に戻り、喫茶と銭湯入浴にて身心一新して日を終えた。事情により打上げは、また後日に。皆さんお疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年10月14日

続2019秋野営会

滋賀県・湖南アルプス太神山中の野営地付近で見た、秋らしくない雨霧の様子

早くも朝から

秋の野営会2日目。

直撃こそなかったが、強大な「令和元年台風19号」の最接近により、開催を1日ずらして昨朝から山入りしたが、今日は朝から雨が降り始めた。

昨日の午後以降、天気は回復基調だったが、やはり安定はしていないようである。ただ、予報でその傾向は把握していたので大きな驚きはなかったが、当初は今夜から降ると聞いていたので、意外ではあった。

さて、起床してテントの外に出ると、テントやその外にあるもの全てが濡れており、時間が昨朝に戻ったかのように感じられた。


上掲写真 滋賀県・湖南アルプス太神山中の野営地付近で見た、秋らしくない雨霧の様子。強大台風は今頃北日本の東海上に抜けて勢力を落としている筈だが、それが連れて来た猛烈な湿気が未だ滞留しているのか。


滋賀県・湖南アルプス太神山中の野営2日目朝に意外の雨に降られて濡れそぼる山とテント
朝から降った雨の所為で、ボトボト状態となった山やテント。起床前の間髪入れぬ天候の悪化ぶりに呆れ落胆したが、これも自然のこと故、致し方あるまいと諦めた


ブルーシートや山杖(トレッキングポール)を利用して急遽「片流れ屋根式」で張り直した、竃保護用の代用タープ
ブルーシート(ブルーではないが。笑)や山杖(トレッキングポール)を利用して、急遽「片流れ屋根式」に張り直した、竃保護用の代用タープ。シート四隅にロープを通し、下方2箇所は石に、上方2箇所は立木に固定して、山杖をつっかえさせて幕下での作業性を高めている

知恵と共働により雨中後半を乗り切る

予想外に早い雨の降り出しで、朝から気分が下がる状況ではあったが、雨のない前日にテントを張れて荷物を守れ、また、前夜、竃や薪にもタープをかけて対策したので、野営会への影響は限定的となった。

特に、覆い状に張っていた代用タープを煮炊きが叶う「片流れ」の高屋根式に張り替えたことは、予定を変えることなく調理を可能としたので、大きかった。

また、それには、人の思惑に合わぬ疎らな立木を支柱としたので、長い細引き(ロープ)の予備が役に立った。

こうして、知恵と準備と皆の共働により、荒天を乗り越え、朝の珈琲から昼食まで、問題なく行うことが出来た。

そして、昼食後、雨が強くならない内に撤収作業を始めた。小降りの雨は止むことはなかったが、それでも皆慣れたもので、淡々とこなして完了させた。

あとは、「たつ鳥跡を濁さず」の譬(たとえ)通り、山上での痕跡を完全に消して下山となった。帰路も当然雨濡れで足下が悪く、しかも下りなので、転倒する人が続出したが、幸い怪我もなく無事下ることが出来た。

皆さんお疲れ様でした。初めての人には少々厳しい条件となり気の毒な思いをさせましたが、経験としてもらえれば幸いです。また、日程変更で来れなかった人は申し訳ない限り。また機会あれば一緒しましょう。

それでは、諸々に感謝!


野営会初日の様子はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年10月13日

2019秋野営会

令和元年台風19号による増水で飛石が沈んだ太神山地の沢と、裸足で渡渉した野営会参加者

強大台風接近翌日に

恒例行事、秋の野営会(やえいかい)――。

京都市及び近隣在住の私や有志が気軽に行けて、昔ながらの本格的飯盒炊爨(はんごうすいさん。薪による野外調理)のキャンプを行う催しだが、今回は強力巨大な台風19号の接近と重なり、その開催が危ぶまれた。

予報進路により近畿直撃の可能性が低いことは早くから判っていたが、影響が避け難い最接近と開催初日が重なってしまうことが確実となった。その為、直前となったが、参加者と協議し、1日ずらした今日開催となった。

幸い3連休だったため皆の予定変更が叶ったが、参加を楽しみにしていた1人が所用と被り、参加不能となった。残念無念。天候ばかりは致し方ないことだが、大変申し訳なく思われた。また何かで穴埋めしたいと思う。

さて、直撃こそしなかったが、強大台風が通過した直後に山行を実施するのは無謀かと思われるかもしれない。事実、前夜結構な量の雨が降り、今朝もまた危うい雲行きであった。

しかし然程風が強くなかったことや、降雨の程度、そして回復基調という気象予報等を勘案し開催を決めた。また、滋賀県・湖南アルプス太神(たなかみ)山地にある野営地特有の、緩やかな地形や集水面積の狭さ、古代以来の人為荒廃により洗い尽された地表等の事情も決行の加点とした。


上掲写真 山上の野営地へ向かうための最初の渡渉地点。本来なら対岸の登山道に続く飛石が川面から覗くが(以前の野営会画像参照)、案の定、増水で没している。諦めて裸足となって渡る人や、無理して渡り靴を水没させる人が出るなど、乗っけからの難儀となった。


風化花崗岩による痩せた地表を流れ下る、増水した滋賀県・湖南アルプスの沢水
風化花崗岩による痩せた地表を流れ下る、増水した湖南アルプスの沢の水(以前の野営会画像参照

目算的中

最初の渡河の難関を過ぎ、登山道を進む。つい先程まで小雨が残っていたこともあり、地面・草木の全てが濡れている。転倒の危険性が高いため、注意を促しながら登った。

道は最初の渡渉沢より小さな支流沢沿い山道だが、その沢もやはり増水しており、途中幾度もある渡渉箇所でまた靴を濡らす人が続出した。

それでも、私に限っては靴なかを濡らすことなく進めたので、増水の規模としては大したものではなかった。決行の読みは当たったのである。

実は本来なら山行は中止すべき条件であった。しかし、前述したこの山地特有の事情により助けられた。

古の建材調達由来による山の荒廃で、湖南アルプスは保水力の弱い、風化花崗岩地表が多い山域となっている。つまり雨が降っている最中は多くの水が沢に集中するが、一旦止むとその分、速やかに排出されるのである。

これが、比較的保水力の高い普通の山域だと、増水・濁流が長く続き、通行困難や危険性が高まるのであった。

事前に増水を心配する声が参加者からも寄せられていたが、この判断により開催を決めた。勿論、前夜の雨量・降り方が尋常ではない場合は、躊躇なく中止するつもりでいたのである。


滋賀県・湖南アルプスの野営地に張られた野営会参加者のテント

山上野営地にて

参加者各々、足下に悩まされるも、やがて山上の野営地着。未だ小雨でも降りそうな空模様だったため、先にテントを張ることとした。

写真は設営後の様子。先ずは一安心。これで少々の風雨が来ても問題なし。また、元は初心者だった人の設営が手早くなり、慣れてきたことも喜ばしい。


滋賀県・湖南アルプスの野営地に構築した竈での湯沸かしと薪乾燥

急ぎテントを設営したあとは、昼食を兼ねて少々休息し、その後、竃や洗い場等の設備構築を行った。言わば野営のインフラ整備である。

皆、気心の知れた面子なので、それぞれ自発的に動いて、速やかにインフラを整えることが出来た。写真は、早速竃で火を熾して湯を沸かし、その後、夕食や夜の冷えに備え、濡れた薪を乾かす様子。

全てが濡れていたため、いつもより火熾しに時間がかかったが、それでも、新聞少々を一度使っただけで就寝まで火を維持することが出来た。これも、恒例故の慣れであろう。


滋賀県・湖南アルプスの野営地で作った大陸西北名産の三泡台茶(八宝茶)

最初の飲料は大陸風味

その後、予報通り雨もなく、各々寛いだり、水晶採りに興じたりした。写真は、今季野営会最初の現地製作飲料。私が持参した材料(一部不足分を友人が補填)で作った、甘茶「三泡台(さんぽうたい)」である。

八宝茶とも呼ばれるもので、大陸西北名産の干果(棗・龍眼<桂円>・杏・葡萄・枸杞)や氷砂糖、そして南方の茶葉(春尖)を入れて湯で煎じたものであった。

底に甘味を残しつつ湯を継ぎ足し長く味わう飲料で、回族(所謂チャイニーズ・ムスリム)を中心として、チベットやモンゴル等の周辺民族にも愛されている。恐らくは酒が禁じられた回教徒の交流用に発達したものか。

私も、その昔、大陸奥深くで、その存在を知って以来好物となり、材料を備えて、こうして偶に楽しんでいる。なお、材料産地も流行地も乾燥地帯が多いので、日本ではそれと気候の似た春秋の頃に飲むのが美味しい。

今回、参加者の1人に中央アジア(西トルキスタン。旧ソ連領)出身者がいたが、故郷には無いものながら、風味が合うのか、喜んでもらえた。


滋賀県・湖南アルプスの野営地上空に昇ってきた秋の満月
野営地上空に昇ってきた秋の満月と、月光に照らされる森や砂河原

満月の秋宵に語らい、日を終える

やがて、夕方となり、手分けして食事の準備を行い、滞りなく夕食の時間を迎えることが出来た。

一品ずつ見ると簡素だが煮物や焼物等の様々な料理があり、贅沢な時を過ごせた。特に炊きたての新米白飯が美味で、薪炊爨の格別を再確認した。

その後、各自持寄りの酒類等を味わいつつ、炉端での語らいの時に。漸く雲が晴れたのか、空には野営会では久方ぶりの満月も上がってきた。そして、遠近(おちこち)に聞こえる鹿の鳴き声……。

秋宵らしい、落ち着いた雰囲気のなか、やがて、早めに寝る遠方参加の人も。そして、夜も更け、個人的小焚火を楽しむ人が火の始末したところで、皆就寝することとした。

幸い、今日は予報通り、朝以上に天候が悪化せず、また警戒していた吹き返しの風もなかった。

ただ、夜半少々霧雨があったので、昼間試験した通り、竃上にブルーシート(灰色だが)を利用したタープ(天幕)を張り、竃や薪の濡れに備えたのである。


野営会2日目の様子はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年09月20日

続槍岳独錬行

槍ヶ岳山頂穂先の、最後の梯子上から見た下方の槍ヶ岳山荘や飛騨沢。実は彼方(画像中央上)に麓の起点「新穂高温泉」も見えている

高度1万尺での目覚め

槍ヶ岳単独鍛錬行2日目――。

初日は諸々の無理が祟り、中途で体調不良に陥るという目に遭ったが、今朝は如何であろうか。

日本最高所とされるテント場(標高3070m前後)の低温と風に晒されるも一応前夜は比較的早く寝ることが叶い、それなりに休むことは出来た。


上掲写真 正にアルプス的景観。写真で見ると今更ながら凄い高度感があるが、詳細は、また後ほど……。


槍ヶ岳山荘付近から見た、東方の槍沢(上高地源流)や大天井岳(おてんしょうだけ。中央左)方面と、彼方で光る日の出前の空

今朝は5時に起床し、5時半過ぎに昇るという朝日を見る予定であった。風や寒さが残る天幕外に出ると、既に日の出前の薄明が広がっていた。

写真は、東の槍沢(上高地源流)や大天井岳(おてんしょうだけ。中央左。2922m)方面を眺めたもの。将に、地平下に迫る朝日が空を焼き始めている。


槍ヶ岳山荘のテント場から見た、日の出前の薄明に佇む大喰岳

今日最初の予定、大喰岳へ

日の出観察はテント場南方に対面する、大喰岳(おおばみだけ。標高3101m)山上にて行う予定であった。わざわざそこに移動するのは、大喰岳に遮られた穂高連峰等の南方も隈なく望めるため。

写真はテント場から見た大喰岳。既に山頂に人が見え、同様の観察を図っているようである。また、山上への道上にも灯りを点した歩行者が見えたが、こちらは早立ちの縦走者か……。

薄明に因るコントラストの低さの所為か、全てが現実感に乏しい、ミニチュア的・箱庭的に見える、一種不可思議な光景であった。


日の出前の薄明に佇む槍ヶ岳穂先
こちらは同じく薄明に佇む槍ヶ岳の穂先。大喰岳同様ライトを点した登頂者が山上に見えた


日の出前の大喰岳山頂と、そこにある積石や標識
大喰岳山頂。明治後期の記録によると、その名は、獣がこの山に餌をあさりに来るという、地元猟師の認識が由来という

直線距離約半km、途中の鞍部「飛騨乗越」との高低差も100m程なので、山杖(ストック)とカメラのみ持って大喰岳へ向かう。ところが、一先ず急坂を下るだけで、すぐ息が苦しくなった。

やはりまだ体調は回復していないようである。目覚めの麻痺に反省しつつ、無理せず慎重に進み、やがて、なだらかなその山頂に達した。


大喰岳山頂から見た、日の出前の薄明に佇む穂高連峰

噂通り、大喰の頂からは南方の穂高山塊を始め、360度の壮観が得られた。写真は日の出前の薄明に佇む穂高連峰。岳人憧れの鋭い稜線が連なる。


大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ八ヶ岳
同じく大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ八ヶ岳(最高点2899m)


大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ富士山
また同様に富士山も(3776m。中央奥)


北アルプスの大喰岳山頂から見た日の出
そして朝日が現れる。しかし残念ながら上空の雲に押さえられ、期待した各山の赤染まり(モルゲンロート)は見られなかった。これも自然の事ゆえ致し方あるまい。昨日夕陽に染まる槍ヶ岳は見れたので、良しとする


北アルプス・大喰岳山頂から見た、日の出直後の槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘及びテント場(左山上)
日の出となるも、雲により赤く染まらなかった槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘及びテント場(左山上)。画像でも山荘下の斜面にテントが見えるが、改めて凄い場所で寝たことを知る。まあ、写真で見るほど現地は急ではないが……


槍ヶ岳山荘辺りから見た、日の出後の笠ヶ岳(左手前)や白山(中央奥)
こちらは同じく日の出後の西方は笠ヶ岳(2897m。左)や白山(2702m。中央奥)。機会あればこれらの山にも行ってみたい(白山は既登)


北アルプス・大喰岳山頂からの帰りの路端で見た、「高山の小さな秋」
大喰岳山頂からの帰路に見つけた「高山の小さな秋」。そういえば、麓から山上まで、色的な秋の気配を殆ど感じなかった。通常ならもう方々で紅葉が始まっている筈。暑さの所為で遅れているのであろうか


槍の肩から見上げた槍ヶ岳頂部と、左下から右上に続く登頂路

今回山行の本題へ

モルゲンロートの観察と撮影を諦め、大喰岳の頂からテントに戻った。その後、珈琲を沸かし、朝食を摂るなどして暫し寛ぐ。

そして、7時過ぎ、必要最小限の荷物を持ち、槍ヶ岳山荘へ向かった。山荘の番台で借りた登山用硬帽(ヘルメット)を被り向かったのは槍の穂先。そう、今回の山行の本題であった。

大喰岳で無駄な体力を使ったが、逆に不調ながらも無理をしなければ動けることが判り、登頂を決断。写真にも見える、槍の肩部分の左下から右上に続く登頂路を進む。


槍ヶ岳の穂先を登る途中に見た、頂部に続く急峻な登頂ルート
槍ヶ岳の穂先を登る途中に見た、頂部に続く急峻な登頂ルート


急峻な岩場に続く、槍ヶ岳穂先の登頂ルート
この様なところを上がっていく。矢印で示されたルートは上下2筋あり、渋滞を避ける工夫が窺われた


槍ヶ岳の穂先に付けられた、山頂への最後の鉄梯子
幾つかの梯子場を経て現れた槍ヶ岳登頂路最後の長梯子。高さ10m程か。以前同山に接近する際に通過した東鎌尾根の長大な梯子の方が緊張した


槍ヶ岳山頂の鉄梯子上から見た、槍ヶ岳山荘やテント場、そしてその下方の槍沢圏谷

念願の槍ヶ岳山頂着

そして、無事槍ヶ岳山頂に着く。写真は最後の鉄梯子上から見た、穂先下と槍沢圏谷である。物凄い傾斜・高度感に思われるが、三点確保を基本として慎重に進めば特に危険を感じるような場所はなかった。

槍の肩からの時間は15分程。朝のため空いていたが、前にいたおばちゃんの進行を待ったため、実際は10分足らずで登れるように感じられた。ただ、盆や連休の混雑時には数時間待ちの列が出来ることもあるという。

なお、冒頭に掲げた写真は、正に槍ヶ岳山頂の梯子上から見た、槍ヶ岳山荘とテント場、そして、その下方に続く飛騨沢であった。実は彼方(画像中央上)に麓の起点「新穂高温泉」も見えている。

即ち、昨日悪戦苦闘した、ほぼ全ての行程を収める眺めであった。


槍ヶ岳山頂から見た、南方の大喰岳や南岳に続く穂高山塊(中央奥)
槍ヶ岳山頂から見た、南方の大喰岳や南岳に続く、穂高山塊(中央奥)


槍ヶ岳山頂北端に設置された祠
槍ヶ岳山頂北端に置かれた祠

時間の所為か、雲の所為か、槍ヶ岳山頂には私を含め3組しかおらず、祠に参拝したあと、互いに記念撮影を手伝うなどした。


槍ヶ岳山頂にある祠越しの北方彼方に見えた立山と剱岳
そして、祠越しの北方彼方に彼の立山が見えた(中央奥)。先々週そこからここを見た際の真逆の体験。一種御礼参りの心境か。因みに立山の頂部三峰のうち中央が最高峰にも拘らず右側が高く見えるのは、後ろの剱岳が被っているため。即ち、ここでは立山と剱岳が合わさった姿で見えている


飛騨沢ルートから見た、右上に聳える槍ヶ岳を頂点とする飛騨沢の景

撤収及び下山

体調不良のため一時は断念することも考えた槍ヶ岳登頂。無事それを果たした後は、急ぎテントに戻り、撤収を行った。体調のため、また風のため、手間取ったが、何とか片付け、9時前に下山を始めた。

ただ撤収時に熊鈴を落としたことに気づく。恐らく昨日不調後に無数にとった休息中に落としたと思われた。地味ながらこれは少々手痛い出来事となった。それは、その鈴が自身の手製であり、20年来の愛用品だったことによる。無着色の厚手の牛革に、大陸製の怪獣面ある真鍮鈴が2個付くものであった。

さて、下りはテント場から近い、飛騨乗越を飛騨沢に下るルート。写真は右上に聳える槍ヶ岳を頂点とする飛騨沢の景。槍ヶ岳の下(左)には昨日喘いだ千丈沢乗越に続く尾根が見える。雲も晴れ天気が良くなってきた。失くした鈴も、この景色内の何処かにあるのかもしれない。


槍ヶ岳右俣(飛騨沢)登山道にある滝谷の河原と、その背後に連なる穂高北方・南岳(3032m)の西尾根

下山は登坂の負荷がないため止まることなく歩くことが出来たが、珍しく足が痛い。それは脚全体に言えたが、特に爪先が酷かった。後で見ると、爪裏が内出血するほどであった。

同じ靴で今回以上の重荷を背負い縦走した時にも起らなかった症状。何やら初心者に戻った気分にさえなった。長年愛用の革靴が合わなくなってきたのか、それとも高度障害か何かの浮腫みによるのか……。

下山路は、やがて千丈沢乗越分岐を経て、昨日と同じ飛騨沢・右俣のルートに合した。あとは元来た道をひたに下るだけである。写真は途中通過した滝谷の河原と、その背後に連なる穂高北方の南岳(3032m)の西尾根。

実にアルプスらしい眺め。簡単には来られない場所なので味わいつつ下る。


上方に奥穂高岳(3190m)が見える、槍ヶ岳右俣(飛騨沢)登山道途中にある白出沢の河原
そして上方に奥穂高岳(3190m)が見える白出沢の河原まで下る。ここで山道は終り、あとは林道を下るだけとなるが、その距離は長く、また京都への車行も長いので、少し長めの昼食休憩をとった。ここでも、名残り惜しい高山景を堪能


新穂高温泉奥の路上から見た、北方の笠ヶ岳(2897m)方面の高地

下山。さらば高嶺たち

足の苦痛に耐え、長い林道歩きを休まず続け、やがて新穂高温泉へと下った。下山完了である。起点の「新穂高登山指導センター」への到着は、奇しくも登りと同じ14時45分頃であった。

写真は林道終点辺りから見た、北方の笠ヶ岳(2897m)方面。主峰は雲に隠れ、その手前の標高2500m辺りの高みが見えている。いやはや、方々凄いところである。さすがは日本の屋根、北アルプス。

さらば、誇り高き高嶺たち。また見(まみ)える日まで……。


平日にもかかわらず満車状態の新穂高温泉奥の有料駐車場
平日にもかかわらず満車状態の新穂高温泉奥の有料駐車場

好みの温泉に寄れぬも無事帰京

そして車に戻り、早々に新穂高を後にした。本来なら、20年振りに自身の評価が高い川辺の温泉に寄りたかったが、槍の穂先への登頂が今朝となり、結果下山が遅れたので叶わなかった。

体調のこともあり、また大変疲れていたので、慎重に運転したが、意外と休憩を多くとる必要は感じなかった。途中、濃尾平野でカーナビゲーション(スマホナビ)に長時間下道と別の高速路に誘導されて案じたが、結果的に渋滞を避けられ、標準的時間で帰京することが出来た。

こうして終った今回の槍ヶ岳山行。思わぬ不調に見舞われたが、数年来の気掛かりであった穂先登頂を無事果すことが出来た。無理をしたことへの反省も生じたが、個人的に鍛錬・研修として良い経験が得られたと思う。


「槍ヶ岳単独鍛錬行」初日の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年09月19日

槍岳独錬行

岐阜県・新穂高温泉からの槍ヶ岳登山道途中のチビ谷から見えた、靄の中から姿を現す、槍ヶ岳南の中岳とその西尾根辺りの北アルプス山上

またしても遠行?
因縁の槍ヶ岳へ


先々週の立山行の記事に続き、再度山の写真を掲げ申し訳ないが、これはまた違う場所。

菜園の事の他、日々様々な出来事があり記事の種は尽きないが、限られた時間で紹介するとなると、どうしても規模の大きな行事となってしまう。

そう、また大そうな山に出かけたのである。場所は立山と同じく北アルプス(飛騨山脈)の槍ヶ岳(3180m)。ただ、富山県にある立山より南の、岐阜・長野県境の山域となった。

槍ヶ岳は以前荒天辛苦の縦走を経て山頂直下(所謂「穂先」下。頂までの高低差100m)に至ったものの、事情により登れず仕舞いとなっていた山。

先々週、立山山上からその屹立を遠望した時、ふとそれを思い出し、時間がとり易く、また行動し易い夏装備で行ける今季最後のこの機の登頂を急遽思い立った。何やら山に呼ばれたとでも言えようか……。

また、先々週、高地での野営が中止となり、その収まりの悪さを解消したい思いもあった。一応、非公開で告知はしたが、混雑なく必ず登頂出来るよう、日時・天候を選んだので決定が直前となり、結果単独行となった。

まあ、元より、山会主宰が個人的に行う、高地登山と野営の鍛錬、または研修のようなつもりではあった。ただ、山麓までの遠路の運転や、安からぬ交通費が独力となったのは、個人的にかなりの負担となった。


上掲写真 槍ヶ岳への最短ルートとされる、岐阜県・新穂高温泉からの登山道途中の「チビ谷」から見えた、靄の中から姿を現す北アルプス山上。槍ヶ岳の南に連なる中岳(3084m)と、その西尾根辺りである。


満車状態の新穂高温泉の駐車場(平日朝6時台)
日本各地の鑑札を付けた車で満車状態の新穂高温泉の駐車場(朝6時台)。数段ある駐車スペースの一部で、実際にはこの数倍の車が犇めく

長時車行の末のまさかの状況

天気と混雑を考慮して決定した日程は、今日・明日の2日間。但し、歩行時間や距離が長いため、出発は前夜となり、麓で車中泊することになった。登山開始は今朝からとし、槍ヶ岳山頂傍にある山小屋のテント場で1泊し、明朝下山を始め、その後、帰京する予定であった。

この2日を逃すと台風の関係もあり暫く晴天が望めず、また季節が本格的に秋へ進むため防寒着等の装備が増える恐れがあった。また秋の進展に因り高山では紅葉が始まるため、黄金週間的な大混雑も予想されたのである。つまり夏山条件最後の機会、正に外せない2日間を狙っての出発であった。

さて、前夜車を借りて京都市街の自宅を20時過ぎに出発。市内はその日も熱中症に注意が要る残暑日で、自身も影響されたが、途中休みつつ、安全運転で進んだ。

そして車行5時間、途中山間の暗さに幾度か進路に悩んだが、何とか麓の新穂高温泉に着くことが出来た。あとは車内で寝て空が白むのを待つだけだったが、何と駐車場に空きがない。しかも、まさかの雨さえ降っている。

乗っけからやる気を削がれる状況であったが、幸運にも最後と思しき空隙に停めることが叶い、無事就寝態勢に移れた。わざわざ平日を狙ったにもかかわらずこの盛況ぶり。さすがは全国著名の槍・穂高山地である。

もしここが不可なら数km戻って比高200m近い高原上の駐車場に停めるしかなく、登山口までの歩行時間・距離が増すところであった(京都市内で例えると、蹴上を起点とするのに東山山上の将軍塚に駐車し、そこから蹴上までの山道を徒歩で往復するような事態)。

ただ駐車は叶ったが雨の問題があった。しかも結構降っている。自然のこと故仕方なく、進退等の判断は夜明け後と決め一先ず休むことにした。駐車場の標高が1050mもあったにも拘らず温暖だったのは幸いであった。


北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である「新穂高登山指導センター」(中央)
駐車場を出て川沿いの森なかを進むと現れる「新穂高登山指導センター」(中央)。トイレや休憩所を備える、北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である。その手前下部の空地は夜間閉鎖される有料駐車場

睡眠約1時間
雨上がりの陰鬱に出発


真っ暗な駐車場で寝ようとするも慣れぬためか寝られず。外を見れば、夜中にもかかわらず、ヘッドライトを頭に付け、はや出発する人もいた。

恐らくは、夜中から一日歩き通して日帰りを試みる人かと思われた。夜明けまでの数時間、熊等の野獣も多い暗黒の深山を独り進まねばならない。事前情報で知っていたが、正に行う人を眼前で実見し、少々驚く。

結局、寝れたのは明け方に冷えを感じ寝袋に入った1時間程のみ。外が白み始め、目覚ましも鳴ったので起きざるを得なくなった。

雨は上がっていたが、霧が深く、いつまた降ってもおかしくない陰鬱とした気色。中止にすることも考えたが、予報を見るとやはり晴。車内で簡単な朝食を摂りつつ様子を探り、一先ず先へ進むこととした。

出発時間は予定の6時より遅れた7時前。前述の逡巡等がその因である。


新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの右俣林道と霧多い右俣谷
新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの林道と霧多い右俣谷。登山指導センターから始まる槍ヶ岳への道程は、センター上手で分岐する右側の谷沿いの道を遡上する「右俣」のルートとなる


その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森
その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森。単調な砂利道を急ぎながらも、地元周辺山域との違い等を観察する


針葉樹が多い高地的植生を見せる右俣林道上部の森
そして標高が1500mに達する頃には、この様に針葉樹が多い高地的植生となった。冷涼な北海道山間や北欧の森の如き姿で、地元周辺との大きな違いを実感


新穂高温泉から続く右俣林道の終点「白出沢」の水のない河原と岩が乗り上げる堰堤

白出沢から歩き難い森の山道に

延々と続いた林道は、やがて水のない大きな支流沢に達し、そこで途切れた。写真がその場所で「白出沢(しらだしさわ)」と呼ばれる。穂高稜線が源頭の沢で、堰堤に幾つも岩が乗り、降雨時の恐ろしさが窺えた。

ここまでで槍ヶ岳までの全道程の2/5の距離を稼いだが、標高は1550m程なので、高低差的には2100mの内の1/4にも達しない500mであった。そう、ここから、高低差日本4位に相応しい、地獄の登りが始まるのである。


白出沢の対岸から始まる、石が敷かれたような細道が山腹に延々と続く、槍ヶ岳登山道

林道が終り、河原を渡ると本格的な山道となった。写真では判り難いが石が敷かれたような細道が山腹を巻くように延々と続く(中央の大木左)。

石畳程整ったものではなく、雨に濡れているため、滑り易く、神経を使う道程であった。ストック(山杖)で補助すべき条件だが、先を急ぐため、出さずに乗り切る。また、登坂角度も上がったが、構わず飛ばす。

森は天然で深く、トウヒやイチイ、サワラ(椹)等の針葉の大木が観察出来て、見応えがあった。


槍ヶ岳へと続く長い樹林の道を進んで現れた「滝谷」の広河原

長い樹林の道を注意しつつ進むと、やがて写真の如き広い河原に出た。これも穂高方面に源頭を持つ支流沢で、「滝谷」という。

開けて心地よい場所であるが、水量の多い流れを角材2本を合わせた簡易橋で渡る場所があり、注意が必要であった。

予報通り、天気が回復してきたのは良いが、逆に強力な日射に晒されるようになる。


槍ヶ岳へ続く飛騨沢沿いの広い河原にある槍平小屋のテント場
槍ヶ岳へと続く飛騨沢の広河原にある槍平小屋のテント場。なんと非山岳用のファミリーテントがある!?まあ、荒天の際は小屋に逃げられるし、ここを拠点に山頂を往復するなら問題ないか。因みに私も同品(ホームセンター購入¥2980)を持っているが、重く嵩張り小雨で盛大に漏れる(笑)

中間点「槍平小屋」

滝谷からまた樹林を進み、やがて槍平小屋に到着した。標高2000m弱の広い扇状地の林間にある小屋で、標高的にも時間的にも槍ヶ岳への中間点として登山者の拠点・休憩所となっていた。

登山開始から3時間程で到着したので、順調に進んだことが判明。小屋外のデッキに荷を置き少々休息するが、また先を急いだ。実は駐車場の混雑ぶりを見て、槍ヶ岳穂先の渋滞やテント場の満杯を心配していたのである。


槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高・西穂高間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左)」
槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高岳(3190m)・西穂高岳(2908m)間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左。3163m)」。先程近くをヘリが飛んでいたが、滑落でもあったのであろうか



不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場
不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場

登り本番で異状発生

しかし、槍平出発後暫くして異変が起こった。標高は2200mを超えた辺りか、息苦しさや暑さ、そして大きな疲労に襲われ、それまで通り進めなくなってしまった。気力はあるのだが、突如力が抜けたような不調である。

朝食も摂り、水分も切らさぬようにしていたが、京都での残暑疲れを抱えつつ不眠となったため、熱中症や高山病になったのか。後で知ったが、糖分切れのための症状とも似るという。

とまれ、それまで大して意識しなかった16kgを超す重荷や急登の道が途方もない負担と化した。これはマズい、登りはここから本場で、標準でもまだ4時間はかかる道程である。

あまりの苦痛のため道脇にヘタリこむ。幾ら深呼吸しても息が足りない。そして堪らなく暑い。無理して飛ばし過ぎたか……。嘗て三大急登の一つ信州燕(つばくろ。2763m)の合戦尾根を更なる高温と重荷で登った際もこんなことはなかった。唯一、猛暑日での比良山脈一日完走(全山縦走)中に同様に陥ったが、それ以来の事態である(比良は路上で眠り回復)。

思えば、これまで学生風の若者を含む20人程をごぼう抜きにしてきた。途中「大した速度ですな」等との掛け声も。独行だったので、知らずして無理な加速を続けていたのかもしれない。自動車は比較的安全運転で抜かれ放題だが、切符も切られぬ山では元来飛ばしてしまう質であった。

小屋まで引き返すことも考えたが、装備や天候に心配はないため様子を見ながら進むことにした。だが、大変苦しく、10m進む毎に岩上にへたり込む状況であった。そうこうする内、先に抜いた人達が現れ、恥ずかしながら事情を説明し、先へ進んでもらった。正に、兎と亀の童話状態か。


槍ヶ岳への右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線
槍ヶ岳へ続く右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線。不調で路傍の岩上にへばりつつ撮る(笑)


槍ヶ岳へ続く飛騨沢登山道の途中に現れる、標柱と救急箱が置かれた「千丈沢乗越分岐」

千丈沢乗越分岐を左へ

体温上昇を避けるため、灌木の木陰で幾度も休憩をしつつ、やがて飛騨沢源頭部の圏谷(カール)に達した。その只中には写真の如く、標柱と救急箱が置かれた分岐があった。所謂「千丈沢乗越分岐」である。

どちらの道も槍ヶ岳へ通じるが、山上小屋に近い千丈沢乗越経由の道を進むこととした。圏谷を横断し、左(北)の稜線に上るルートである。

分岐の標高は2550m。知らぬ間に灌木は無くなり、森林限界に達していた。身を隠す場所は失せたが折しも生じたガスと高地の涼に助けられる。


千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)
千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)。近くに見えるが、疲弊した身には遥かなる高み……。実は槍平小屋から槍ヶ岳までは直線距離で2.5km、歩行距離は4km程しかないが、高低差が約1200mもあるため、時間のかかる難所となっている


千丈沢乗越直下の急登の道
千丈沢乗越直下の急登の道。吐き気こそ収まったが、限界近い辛さは変わらない。正に牛歩で進む。ただ、休憩しようにも落石に襲われそうなガレ場の急斜ばかりなので、気も遣う


千丈沢乗越から見た、北方の千丈沢と奥高瀬方面

「槍の肩」への最後の急登「西鎌尾根」

漸く千丈沢乗越がある稜線「西鎌尾根」に到着。標高は2720m。写真はそこから北の千丈沢を見たもの。即ち信州安曇野の源流奥高瀬方面である。


千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘がある山上、そして飛騨乗越や大喰岳
千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘(槍ヶ岳右下)。右端の峰は穂高への縦走路がある槍ヶ岳南の大喰岳(おおばみだけ。3101m)。その左の鞍部は千丈沢乗越分岐を真っすぐ進み飛騨沢を詰めた先にある日本最高所の峠とされる飛騨乗越(約3010m)


千丈沢乗越東方の西鎌尾根から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍
西鎌尾根の前述位置から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍。岐阜側からはあまり鋭く見えず印象とは異なるが、拡大すると山頂に人が多くおり、確かに頂であることが判る。左下の小槍は「アルプス1万尺」の童謡でお馴染みの場所だが、普通に登ることは出来ず、仮に頂部に達しても踊れるような場所ではないらしい


槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部
槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部

何とか到着「槍の肩」

そして、長く辛い山上直下のつづら道を這うように進み、何とか山上は「槍の肩」に上ることが出来た。時刻は14時45分頃。随分時間がかかったが、一応標準時間以内には収まったようである。

本来はその場に倒れ込んで休みたい気分だったが、野営場の確保をせねばならぬため身を引きずるように、テント場を管理する山荘へと向かった。


夕方16時過ぎに槍ヶ岳山荘辺りから撮影した槍の穂先

槍ヶ岳山荘でも、登記の文字が躍る程の疲労困憊ぶりであったが、何とか手続きを済ませ、早い者勝ちという、野営場に向かった。

日本最高所(3070m)とされる指定テント場は、山上南端の大喰岳を望む場所にあり、利用したことのある馴染みの場所だったが、到着が遅れたため、風を避けられる良所は埋まっていた。そう、稜線に着いてから風が強く、気温低下と相俟って、かなりの寒さとなっていたのである。

仕方なく、残っていた比較的マシな場所を選び設営した。ただ、身心共に不調のままで、何度かに分けて行う。写真は仮設営後の休息を経て撮影した槍ヶ岳の穂先。16時を過ぎた頃なので、暗い写真となってしまった。到着時は快晴だったので、その時撮れば良かったが、その余力はなかった。

当然肝心の穂先登頂は叶わず、今日は無理は控え明朝決めることとした。この段階でも不調が進めば小屋に相談する心積もりであった。


槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)
槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)。下界はどこも雲海に閉ざされていた

因みにここに持ち込んだテントはちゃんとした山岳用のもの。以前は同行者の劣化したツーリング用を用いたため、風雨で大変な目にあった。


槍ヶ岳野営地から見た、西方は笠ヶ岳方面の夕陽

落日と共に山上の日を終える

体調の回復は進まなかったが、18時に水の販売が終るので、17時半頃に山荘に出向く。すると、テント泊・小屋泊の多くの人達が戸外に出ているのを見た。それは、写真の如き、日没間際の夕陽を見る人出であった。


夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先
そして現れた、夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先。正にチャンスは一瞬であった。今日の登頂は叶わなかったが、それが補われる気にさせられた


落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面
落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢(上高地上部)及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面


落日の淡色に染まる槍ヶ岳の穂先
槍の穂先も、やがてこの通りの淡色に


こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳
こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳


槍ヶ岳のテント場から見た、東方の笠ヶ岳や白山の傍に落ちる夕陽
槍ヶ岳野営地付近から見た、東方の笠ヶ岳(中央手前)や白山(2702m。中央右奥)の傍に落ちる夕陽

喫茶・夕食で漸く一息
天の川美麗なるも……


そして陽が落ちる――。風は弱まらず上着のフードを被らねば外に居られないほどの寒さであったが、テントに戻り、火を点して夕食を摂る。先に飲んだ紅茶に続き、身心に良く効き、漸く一息つけた気がした。

手持ちの防寒着全てを着て寝ようとするも、近くで学生らしき一団がはしゃいで叶わず。外を見ると天の川が出て空が美麗であったが、注意することも星空鑑賞を続けることもまだ尚早であった。

やがて、トイレのついでに星を見るも、雲が現れ、その美観は失われていた。学生の声はその後も続いていたが、やがてそれが絶えると共に、こちらも眠りに入れたのである。


「槍ヶ岳単独鍛錬行」2日目の記事はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年09月07日

神峰晴明

立山山頂の三峰の内、中央の最高峰「大汝山(おおなんじやま。3015m)」と右側(南)の雄山(3003m)の間を巻く、岩が散らばる登山路と、その傍にある尖った大岩

寝不足での立山登山開始

今日は予告した、富山の高峰・立山での登山及び野営の日。

夜中に車輌にて麓に入り、仮眠して早朝から行動することとなった。しかし、駐車場での頻繁な車輌の出入りや、同行者のいびきの問題等もあり、結局一睡も出来なかった。

富士山やチベットでは高山病になる可能性が高い危険な状況である。幸い、立山の標高ではその可能性はないと思われたが、体調的にかなり辛いものとなった。

とはいえ、決めたこと、始めたことなので、進むしかない。週末開催とはいえ、遠方であることや、新学期が始まったこともあり、引率役として人数が少なくなったのも幸いであった。


上掲写真 立山山頂の三峰の内、中央の最高峰・大汝山(おおなんじやま。3015m)と右側(南)の雄山(おやま。3003m)の間を巻く、岩が散らばる登山路と、その傍にある尖った大岩。存在感があり、かつ形も良いので名が付けられていると思うが、判明しなかった。「へそ出し」作業後の手打蕎麦の生地に似ているが、存知の人があれば、是非ご教示を……。


日の出直前の立山駅周辺。奥の線路が富山地方鉄道立山線、手前の線路が同線の引込線
日の出直前の立山駅周辺。奥の線路が富山地方鉄道立山線、手前の線路が同電鉄の引込線である。麓とはいえ、標高は500mに近い。それ故、相当な勾配に線路が敷設されていることが判る。しかし、予想に反して今朝の気温は高めで、暑くもなく涼しくもない、少々稀な朝となった


立山ケーブルの立山駅改札前で始発を待つ人々
立山ケーブルの立山駅改札前で始発を待つ人々。空いているように見えるが、階下の券売所前は暗い内から長蛇列が出来ていた。幸い我々は予約していたので、並ぶことなく始発車への乗車が叶った


立山高原バスの車窓から見た、ブナ平にある立山杉の巨木「仙洞杉」
立山高原バスの車窓から見た、ブナ平にある立山杉の巨木「仙洞杉」

ケーブルカーで標高差500m程を一気に登り、溶岩台地の上面に出る。その後は立山高原バスに乗り換え、更に上方へと向かった。始点の美女平から上ノ小平までの台地上は杉やブナが生い繁り濃密な原生林を成している。

写真はこの地方の特産とされる立山杉のなかでも一際大きな「仙洞杉」。ブナ平付近の道際にあり、車窓から観察できた。幹回り9.4m、樹高21mの巨木で、車内放送によると、その樹齢は1000年、或いは1500年という。

実は、この経路を含む「立山アルペンルート」は、昔信州側から通行したことがあるので、初見ではないが感慨深いものがあった。以前にも感じたが、一度ゆっくりこの森を散策してみたいと思った。

そこには、仙洞杉よりまだ大きな杉もあるらしい。


立山高原バスの車窓から見た、七曲付近の高原と彼方の富山平野や能登の山々
同じく立山高原バスの車窓から見た、落差日本一を誇る称名滝。立山主峰直下の水を集め、溶岩台地上から一気に350m下に落とす。鋭く巨大な台地の切れ目と共に、国内他所には在り難い、壮大な景観を見せる


立山高原バスの車窓から見た、弥陀ヶ原

称名滝を越え更にバスが高度を稼ぐと、樹々が減り、辺りの眺望が開けた。写真は、下方彼方に見える立山平野(中央奥)や能登の山々(右奥)


立山高原バスの車窓から見た、溶岩高原で高層湿地の「弥陀ヶ原」
立山高原バスの車窓から見た、溶岩高原・高層湿地「弥陀ヶ原」。通過後に上方のつづら道より撮影。車道がなかった頃の登拝者は、急登の岩場や深い森等と共に、こうした湿原の通過にも苦労したことであろう


立山高原バスの車窓から見た、天狗平付近に現れた朝日の下に四角い頭を持つ立山
やがて、朝日の下に四角い頭を持つ立山が見えてきた。場所は天狗平辺り、標高は2000mを超えている。本来なら簡単には来られぬ、ただならぬ場所である


天狗平付近を登坂する立山高原バスの車窓から見た、ソーメン滝
同じく天狗平付近を登坂する高原バスの車窓から見た、ソーメン滝。ここも、溶岩台地を断ち割ったかのような壮大な景観を見せる


天狗平付近を登坂する立山高原バスの車窓から見た剱岳
そして左手(北側)には、多くの登山者が憧れる岩峰「剱岳(2999m)」も現れた


室堂ターミナル裏手にある水場「玉殿の湧水」と背後に聳える立山

美味の天然水汲み登頂路へ

美女平駅から約50分のバス行を経て、山頂直下の室堂平に到着。ターミナルの標高は2450m。黒部ダム方面へ下るトンネル・トロリーバスの始点のため、日本最高所にある「駅」とされる。

ここのコインロッカーに野営道具を預け、身軽となって山頂を目指すこととした。本来は山頂を縦走して野営地に下るのが効率がよいが、同行者の体力と体調を考慮し、山頂往復式とした。

写真は室堂ターミナル裏手にある水場「玉殿の湧水」。日本百名水の一つでお世辞抜きに抜群の美味さを誇る。そしてその背後には立山が聳える。

丁度ここが立山登頂路の始点に当たるため、登山者は水を補給していく。我々もまた然りで、実に有難い限り。また、天気が快晴なのも有難かったが、異様なほど気温が高く、暑さでの苦労も案じられた。


立山左下(南側)の鞍部「一ノ越」へ向かう登山路の途中に返りみた室堂方面
立山の左(南)直下にある鞍部「一ノ越」へ向かう途中の登山路から返り見た室堂方面。森林限界を超えた高山特有の光景が広がる


一ノ越鞍部の手前の登山路脇に現れた「祓堂(はらいどう)」
一ノ越鞍部の手前に現れた「祓堂(はらいどう)」。山上神域と下界を区切る一種の結界表示で、嘗て登拝者はこの付近で禊(みそぎ。水浴での清め)を行い、白装束に着替えて山頂を目指したという


立山南側の尾根上の登山路から見た、一ノ越鞍部や一ノ越山荘。

そして一先ず「一ノ越」着。多くの人がするように、我々もここで小休止した。写真は登山路を少し進んだ立山南尾根から見た鞍部や一ノ越山荘。


立山南横の鞍部「一ノ越」から見えた北アルプス表銀座の秀峰「燕岳(つばくろだけ。2763m)」や「大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)」

一ノ越の標高は2705mあり、かの北陸の高峰「白山(2702m)」より高い。よって、晴天と相俟って周囲の山々が存分に見渡せた。

写真は、そこから望めた北アルプス表銀座の秀峰「燕岳(つばくろだけ。2763m)」。中央奥にある鋸刃状の峰で、即ち告知写真の対面から見たものである。右奥の高い頂は「大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)」


一ノ越から見上げた立山山頂へ続く稜線と、そこに取りつく多くの登山者
一ノ越から見上げた立山山頂への稜線と、そこに取りつく登山者。下部の建屋は一ノ越の公共トイレ(1回100円)


一ノ越から立山山頂へ続く尾根道から見えた、一ノ越に接近する富山県の赤いヘリコプター

ここからは、いよいよ岩の多い本格的な急登となるので、暑いが革手袋を着け進む。寝不足の身に強い日射の暑さがこたえたが、急登自体は一定的に進めるため苦にはならなかった。一本道で人も多く、迷うこともないため、同行者より先に、一気に山頂まで進ませてもらった。

とはいえ、途中登山者の渋滞があり、素早くとはいかなかったが……。上下の道が分けられているにもかかわらずこの状況なので、連休や盆等の混雑期はさぞや混み合うことかと思われた。

写真は、その途中、下方に現れた富山県のヘリコプター。赤いので防災ヘリかと思われたが、2度程一ノ越への接近を試みて、程なく爆音を響かせ去っていった。小屋で急病人でも発生したのであろうか。


立山山上の一等三角点付近で寛ぐ登山者

絶景雄山山上
地元民も驚く好眺望


そして三峰が並ぶ頂上稜線に到着。一ノ越との高低差は約300m、時間にして30分程であったが、渋滞がなければもっと早くに着いたと思われた。

写真は山上の一等三角点付近で登頂を喜び、寛ぐ登山者。但し、ここは立山山上の南端で、標高は2991mと、まだ本邦稀な3000mに達していない。


立山三峰の一つで、雄山神社の祠(峰本社)が立つ雄山山頂
3000mを超えるのは、三角点から少し進んだここである。即ち雄山山上であった。雄山は山上の縦走路から孤立しており、頂には祠(峰本社)が建てられ、鳥居と番所で入域が制限される聖地となっている。富士・白山と並ぶ日本三霊山の一つとして古代から尊崇されたため、当然の状況か

ただ、参拝者はほぼ登山者で占められており、時折、その行動を注意する声がスピーカーで流された。拝観料はお祓い・御札付で500円。我々も聖地到達を記念して拝観することとした。


立山雄山山頂の雄山神社「峰本社」と神職や参拝者
立山雄山山頂の雄山神社「峰本社」と神職や参拝者

参拝と祈祷は頂上が狭いため20人程毎に分けられて行われた。祈祷はお祓いを伴い、ちゃんと登山の安全を願う内容で行われ、最後には全員にお神酒も振舞われた。御札もザック(リック)に付ける鈴付と1枚物の2枚くれ、更に写真入りの入場券までもらえたので、満足度は高かった。

事前に注意されていた、危険な石段での撮影や、その他身勝手な行動などで、強く叱られる者も出たが、仕方あるまいし、むしろ昨今稀な、そうした管理側の毅然的態度に感心させられた。


立山の雄山山頂付近から見た、彼方の富士山頂(中央奥)

さて、立山山上で気になったのは、何と言ってもそこからの眺望。立山がある北アルプス北部では、ここより高い山が無いため、360度の眺望が得られた。更に、地元民や常連さんが口を揃えて絶賛する好天でもあった。

故に写真の如く、遠方遥か富士山頂まで見えた(中央奥の雲の上)。


立山の雄山山頂付近から見た、眼下の室堂平やその向こうの富山湾や能登半島
立山の雄山山頂付近から見た、眼下の室堂平と彼方の富山湾や対岸の能登


立山雄山山頂の雄山神社・峰本社にある「雄山頂上」の石碑と登拝者が持ち込んだ玉石、そして対面に聳える立山最高峰の「大汝山」
立山雄山山頂の雄山神社(峰本社)敷地端にある「雄山頂上」の石碑と登拝者が持ち込んだ玉石、そして背後に聳える立山最高峰「大汝山」

立山最高所「大汝山」へ

ところで、雄山山頂からは写真の如く隣に岩峰が見えたが、それが今日の山上最終目的地・大汝山だったので向かうことにした。


立山の雄山山頂から、その最高峰の大汝山まで続く巻道登山道
立山の雄山山頂から、その最高峰たる大汝山まで続く、稜線横の巻道登山道。中央上部に冒頭画像で紹介した尖った岩が見える


立山大汝山の山頂に集い、記念撮影に興じる登山者

そして、間もなく大汝山頂に到着。写真はそこから少し離れて撮ったもの。風化した岩峰に多くの登山者が集っている。山頂標識と共に記念撮影をしているのである。

危うい場所に思われるかもしれないが、少し足場が悪いくらいで、特に危険な場所ではなかった。


大汝山山頂から見た黒部ダム(黒部峡谷奥地)
同じく大汝山山頂から見た黒部ダム。即ち黒部峡谷である。右下の残雪は日本では数少ない現存氷河(御前沢雪渓)であろうか


大汝山山頂から見た、正に「岩の殿堂」の姿を見せる剱岳
同じく大汝山山頂から見た剱岳。正に「岩の殿堂」。いつか登ってみたい


立山の大汝山山頂から北方に見えた、白馬岳(2932m。中央奥)
こちらは大汝山山頂から北方に見えた、白馬岳(2932m。中央奥)


立山大汝山山頂から見た、奥黒部の連山向こうに屹立する槍ヶ岳(中央奥の尖った峰)
そして、剱岳と並んで人気のある北アルプスの名峰「槍ヶ岳(3180m)」も、くっきりはっきり見えた(中央奥の尖った峰)


立山大汝山山頂で頂いた、同行氏持参のクリスタルアイス入りアイスコーヒー

大汝山では昼食休憩をとったが、寝不足の影響で食欲がわかず、調理器具を使うことはなかった。代わりに、同行氏が持参して現地で焼いた本格ソーセージ等を食した。

写真は同じく同行氏が持参したクリスタルアイス入りのアイスコーヒー。上等のものらしく、大変な美味で、感謝と共にここまで重い氷や食材を運んだことに感心するが、これが、のちの予定変更の遠因となる……。


立山大汝山山頂から見えた剱岳(左奥)と富士ノ折立(右手前)
立山大汝山山頂から見えた剱岳(左奥)と富士ノ折立(右手前)

大汝山での食事後、少々昼寝しようかと思ったが、異様な暑さのため叶わなかった。特に陽射しが強烈で、京都で高まった熱中症気味の体調が(前日も無空調で仕事に挑む)、倍加された感じとなったのである。

これはマズい、期待していた1万尺上空の避暑も台なしである(実はこの日、富山は7年振りに9月の猛暑日に見舞われた)。仕方なく、ある程度休んでから元来た道を戻ることにしたが、写真の如く、北方すぐそばに富士ノ折立(2999m)の頂が見えていた。

ちょうど漢字の「山」のような形の立山三峰の左端にあたる峰で、折角なので、同行氏が雄山まで進む間に独りで行ってくることにした。


立山山上の尾根道を阻むように屹立する富士ノ折立山頂
立山山上の尾根道を阻むように屹立する富士ノ折立山頂

人気ない三峰左端の富士ノ折立

富士ノ折立には5分もかからず到着。写真では鋭く危険な峰に見えるが、左側を巻き登るルートがあり、難なく登頂出来た。

日帰りの人は殆ど雄山か大汝山で引き返し、また縦走する人も先を急ぎ下方の巻道を進むので、登る人が極めて少ない峰であった。


富士ノ折立頂部の標識
富士ノ折立頂部の標識


富士ノ折立山頂から見た、室堂を含む立山西直下の谷地全景

富士ノ折立に来て良かったことは、室堂を含む立山西直下の谷地が最も良く観察出来たこと。写真がその様子で、個人的に素晴らしく感じられた。

勿論、人が少なく静かな様も、本来の高山らしくて、悪くはない。


富士ノ折立山頂から見えた、今晩泊まる予定の雷鳥沢野営場(中央の平地)や噴気上る地獄谷(左上)
富士ノ折立山頂から見えた、今夜の宿泊地・雷鳥沢野営場(中央の平地)や噴気上る地獄谷(左上)。好天は暫く続きそうで、夜空の星やご来光が楽しみに思われた


立山室堂にある、日本最古の山小屋で重要文化財の室堂小屋
室堂への下山時に立ち寄った室堂小屋。300年近く前に立山参詣者の為に建てられたという、日本最古の山小屋で、重要文化財に指定されている。内部には小屋や立山信仰に関する展示もあった

室堂帰着、さて野営は……

富士ノ折立から雄山まで15分程で戻り下山を開始した。そして一ノ越を経て室堂ターミナルに帰着。しかし、ロッカーに預けた野営道具を回収し、荷を整理して野営場に向かおうとした時、同行氏が足の不調を訴えた。

元々不調の膝が限界に達したらしく、重荷を担いでの下降200m、歩行1時間は無理という。先に駐車場に降りて翌日まで待つとも言われたが、分散するのも良くないため、私共々最終バスで立山駅に下ることにした。

残念だが、致し方あるまい。ただ、同行氏初の3000m超の登頂は叶ったし、私も三霊峰完登が叶った(昔来た時は室堂散策止まり)。今回はこれで良しとするしかあるまい。

不調の一因には、山頂のアイスコーヒーで触れた通り、食関連の荷を持ち過ぎたことがあるが、事前に説明した上での希望だったので仕方あるまい。むしろ、苦労を承知で楽しみや我流を追求する姿勢は応援すべきことであり、これを教訓として、是非また挑戦を続けて欲しいと思う。

さて、行きと同じく、高原バスとケーブルカーで長大な溶岩台地を下り、駐車場を経て、立山を後にした。途中、石川の市営温泉に寄ったり食事をするなどして無事京都に戻ったのは、既に夜も遅い時間であった。

皆さん、お疲れ様でした。高地野営はまた機会あれば!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年06月09日

霧雨鈴鹿行

三重側から鞍掛峠へと続く、巻き道の鈴鹿山脈・御池岳登山道

入梅前に間に合うも……

今日は入梅前の山会。本来なら梅雨入り後となる可能性もある日であったが、幸い月初の雨が続かず、何とかその名目が保たれた。

しかし、今日は朝からの曇り。しかも、現地他、近畿では午後から雨予報もあった。だが、その分気温上昇が抑えられ、大きな崩れにもなりそうもなかったので、一先ず決行することとした。

元々、この時期は山に限らず天候が読み難いので、雨具や着替えの完備を参加者に事前連絡し、自身も抜かりない状態で臨んだのである。

唯一、気掛かりなのは、この山域に多いという山蛭(ヤマビル)だけか……。まあ、これも一応対策は考えていた。


上掲写真 滋賀・三重両県を隔てる、鈴鹿山脈主稜線を潜る「鞍掛(くらかけ)トンネル」の三重口から続く鞍掛峠への登山道。鞍掛峠は近世以前から近江・伊勢を結ぶ参詣路上にあったとされるが、比較的路面が狭いここが古道かどうかは不明。


鈴鹿山脈の鞍掛峠付近より見た三重県員弁(いなべ)部分の伊勢平野
鞍掛峠付近より見た三重県員弁(いなべ)部分の伊勢平野方面

三重口より古格なき峠道へ

今日は友人の車輌支援を受け、滋賀側から鈴鹿山中に入り、三重側に出た。既に他の登山者の車輌が並ぶトンネル出口の余地に駐車し、ここから準備して登山道に入る。

乗っけから植林地の急斜をつづらで登る道となり、慣れぬ人を苦しめたが、無理ないペースで進みやがて前掲の巻き道を経て鞍掛峠に到着した。

然程古くはない峠の地蔵堂前に先客の家族がおり、蛭の除去を行っている。事前の情報では確認出来なかったが、5月の高温の所為か、かの「難儀者」は既に活躍を始めていたのであった。

人が払ったものを貰ってはいけないので、峠から少し離れた場所で小休止。峠の画像がないのは、その為である(笑)。まあ、撮るほどの古格を備えた場所でもなかったが……。


鈴鹿山脈の鞍掛峠手前の稜線道
鞍掛峠手前の稜線道。峠の十字路と地蔵堂は道先の木立の中にある


鈴鹿山脈の鞍掛峠・鈴北岳間の尾根道の下部から吹き上げてくる霧

霧の広尾根をゆく

峠を後にして登坂の尾根道を進む。頂部の凹凸を避けた効率の良い巻き道もあり、その途中には数基の炭焼窯遺構も確認出来た。しかし、道は狭く、荷車に対応した一般的な古道とは異なるものに見られた。

途中霧が多くなり、写真の如く森の下部から吹き上げてくる様が観察された。天気の推移が早いのか、空の明るさも徐々に下がりゆく観があった。


鈴鹿山脈の鞍掛峠と鈴北岳間の広くなだらかな高原状尾根

尾根に沿い高度を上げると、写真の如く、木が少なく、広くなだらかな高原状の場所に。所謂、広尾根である。残念ながら霧で眺望はないが、蛭の危険性が減る明るい高燥地のため、幾分朗らかな気分となった。

しかし、こんな場所にもかかわらず杉苔が密生していることが気になった。その色も姿も大変美麗であったが、皆で首を傾げることに……。他にも、羊歯等の湿生植物が多く、晴天率の低さ等を考えさせられた。

そういば、ここは琵琶湖と太平洋両方の気流がぶつかる場所であった。果たして、それが関係しているのであろうか。そして、古来著名な蛭の多さも……。


霧深い、鈴鹿山脈・鈴北岳直下の登坂
光度は益々下がり、霧が深くなった。見上げる登坂もこの通り。身体中、持ち物中に水滴が付く


鈴鹿山脈の御池岳山塊・鈴北岳直下の石灰窪地「ドリーネ」

石灰台地・御池山塊着

そして登坂上部の急登を越え、広くなだらか頂に着いた。「鈴北岳」の標識あるここは、本日の目的地「御池岳(おいけだけ。1247m)」の広義的北辺に当たり、標高1182mの地点であった。御池岳は幅約半km、全長約3kmの舟形の台地状をしており、狭義的な山頂はその中央最高所にある。

写真は、鈴北岳の標識直下に現れた、本日初遭遇の石灰地形「ドリーネ」。石灰地盤の融解により生じた窪地で、これに水が溜まった池が点在することから「御池岳」の名も付けられたとみられる。

風が強く、霧も雨と化してきたので、雨具を着用。ただ、まだ撤収は意識しない程度の荒れ具合。


鈴鹿山脈・御池岳山塊山上の石灰岩

台地状とはいえ、山上には起伏があり、巨大な船上にいるような感覚はない。ただ、頻繁に現れる窪地や写真の如き石灰岩の露出が、御池山上に居ることを実感させる。

規模は比較にならないが、昔訪ねた日本最大のカルスト地形「秋吉台」を想い起こさせた。


ドリーネが繋がって形成された、鈴鹿山脈・御池岳のウバーレ
こちらはドリーネが繋がって形成された窪地「ウバーレ」か


滝組みの様な岩がある、鈴鹿山脈・御池岳のウバーレ
滝組みの様な岩を持つウバーレ。付近に「日本庭園」と呼ばれる場所があるらしいが、正にこれらの姿により名づけられたのか


雨で濁る鈴鹿山脈・御池岳の真ノ池

雨降る台地上に続く浅い谷道を進むと、本日の目当ての一つ、山上池が現れた。写真のそれは「真ノ池」と呼ばれるものらしく、大きくはないが、モリアオガエルらしき蛙やその卵塊・蛇等の、動物の営みが観察出来た。


鈴鹿山脈・御池岳山頂直下の植生豊な「雨の森」

雨の森経て山頂へ

真ノ池を越えた辺りから雨粒が大きくなり、手や下半身に雨具を足して完全防備となる。気温も、12、3度と低いので水濡れは禁物となった。

写真は谷道を外れ、いよいよ御池岳山頂へと向かう登坂途中の森。正に「雨の森」状態。湿度は高いが、気温が低いため比較的快適であった。

標高1200m前後の高所ながら、意外と植生が豊かなことに感心する。来る前まで、疎らな灌木くらいしかない、貧しい高原を想像していた。


雨の森なかの登坂の果てに見えた、鈴鹿山脈・御池岳の山頂標柱

時折顔を打つ大粒の雨を手でぬぐいつつ森の登坂を進むと、やがて写真の如く標柱が見えてきた。鈴鹿山脈最高所の御池岳山頂である。しかし、ここも、あくまでも、なだらかであった。

御池岳山頂は舟形台地の中央に緩く聳えるため艦橋状の場所で、眺望に優れるという。ただ、残念ながら今日は荒天の為その褒美は無し。

そういえば、カメラのレンズに雨が当たり、写真にその影が現れている。非防水なので、これ以上降らないことを願いつつ山頂での休息に入った。


鈴鹿山脈最高峰・御池岳山頂で頂いたソーセージとアスパラの炒め物やおにぎり
御池岳山頂でのひと時。Nさんがソーセージのアスパラ炒めを大量提供。また、食後のホット珈琲等も。気温が低く、雨にも当たったので有難い限り。それらの気遣いが空に通じたか、雨も一時弱まってくれたのであった


鈴鹿山脈・御池岳の断崖から突き出た天狗の鼻

台地南部の急崖

山頂での食事休憩後は、台地南部の見学へと向かった。艦橋的な、なだらかな山頂を少し下ると、「天狗の鼻」と呼ばれる写真の岩場が現れた。

雨霧で周辺状況が解らないが、台地端の急崖から突き出ており、近づくと危険な場所。本来なら琵琶湖や遠近の山々等が見渡せる絶景箇所らしいが、生憎の天候により叶わず。


鈴鹿山地・御池山塊の台地南西端と、その際に続く道
御池山塊の台地端と、その際に続く道(左端)


鈴鹿山脈・御池岳南部の崖際から「天狗の鼻」とその下の断崖を見る
少々緊張する崖際の道を進み「天狗の鼻」を振り返る。雨霧のなか、急崖から突き出ていることが良く解り、更に緊張する。雨風も強くなったきた


鈴鹿山脈・御池岳ボタンブチの遭難者慰霊用ケルン

「天狗の鼻」の次には「ボタンブチ」と呼ばれる断崖と絶景場が現れた。ここには岩の突き出しはないが、写真の如く遭難者慰霊のための石積み「ケルン」があった。

遭難のことは後で知る。当時の状況は解らないが、この下は高さ数百mの急崖となっているので、痛ましい事故が想像された。

因みに、ボタンブチの名は、ここが「猟で猪を追い込むフチ(縁)」であったことに由来するらしい。


鈴鹿山脈・御池岳の石灰岩中の化石

本来は台地南端の「奥の平」と呼ばれる場所も探索したかったが、少々危険を感じる風雨となり、また、これまで以上の見ものにも乏しく想われたため、撤収することとした。

崖際から尾根へと進路を変え、その後北上して山頂に戻り、来た道を辿った。

写真は鈴北岳手前の石灰岩中に発見した化石。左の白く円い物と、右の筋のある小判形の物である。当初巻貝や三葉虫の様な動物を想像したが、観察の結果違う物と断じた。サンゴの一種であろうか。


滋賀県多賀辺りから見た、鈴鹿山地奥に霞む鞍掛峠南・御池岳北横の主稜線

下山そして帰宅
危険な同伴者あり!?


そして、雨により状態が悪化した急斜の道を慎重に下り、無事峠下の車輌に帰着。生憎の曇り空ながら、雨が多かったのは高所のみだったらしく、車で下った山下の路面は乾いていた。

写真は麓の多賀辺りから見た鈴鹿山地。中央最奥に霞む山が鞍掛峠の南で御池岳北横の主稜線辺り。御池岳はこの南、即ち右側に台地の姿で聳える筈であるが、前山や雨雲の所為で遂に認めることは出来なかった。

帰宅後、道具類の片付けをしていると、何と、雨具のファスナー蓋奥に蛭が潜んでいることを発見。すぐに処分したが、危ないところであった。

あれほど注意していたにも拘わらず取りついていたとは、中々手強い相手である。雨具の着用順序から、恐らく高所として油断していた御池山塊上で取りつかれたとみる。同様の行程を予定する人はどうかご注意を……。

さて、今日は生憎の天候ながら、無事一通りの予定をこなすことが出来た。参加者皆さんのご協力に感謝。お疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年05月05日

続2019春野営会

滋賀県湖南アルプス太神山中での野営翌朝に作った、焚火仕立てのソーセージ・マフィン

野営2日目まさかの……
これも経験・学習!


昨日、山入りした野営会は、今日が最終日。

買い出しや設営等の労力を考えると1泊2日は効率が悪いが、まあ皆事情もあるので致し方あるまい。今回は野営初心者の講習的な集いでもあったので、そういったことを実感してもらうのも、また学びかと思われた。

前夜から朝にかけて気温が下がり寒くなったが、昨日と同じく朝から好天に恵まれ、先ずまずの出だしとなった。しかし、日帰り参加者合流後の午後から急に陽がかげり始め、やがて雨が降り始めた。

出発前まで天気の崩れはないとの予報であったが、まさかの雨に。しかも、器に水が溜まる程のまとまった量が2度に渡って降り、テントや道具類が濡れる面倒となった。そして、それを境に急激に気温が下がることともなった。所謂「寒冷前線」の通過であろう。

正に「水をさされた」かたちとなったが、まあ、これも経験である。良い時期・良い条件ばかりでは訓練にならない。

冷たい雨に長く打たれつつシートで炉を守り、雨後、遅い昼食を終える。そして撤収。雨の所為、少人数故の労力不足により分水嶺探索等の余興が出来なかったが、まあ、それは次回のお楽しみに……。

暗く滑り易い路下り撤収

しかし、下山が日没にかかり、雨で濡れた足下の悪い道を下ることとなった。だが、なれた道程ではあったので、転倒続出ながら、何とか無事下山。皆さんお疲れ様でした。

今回の反省点は、この日没下山と、参加者のライトや手袋、ポール(杖)の不備であった。特に装備の不備はそれを補助する他者の足を引っ張ることになり、結果皆を危険にする行為となるので、これを機に厳に学習してもらいたい。私も、今後安易な支援や貸し出しを行わないことに決めた。


上掲写真 焚火仕立てのソーセージ・マフィン。この日はこれと珈琲を朝食とした。簡易だが、バターの風味が効いて美味。見ての通り、この頃はまだ好天。その後、まさかの雨に見舞われるとは……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年05月04日

2019春野営会

滋賀県湖南アルプス太神山中の新緑

安堵の快晴の下、初心者講習的野営開催

天皇交代と改元により空前の10連休となった2019年の黄金週間。

世間では海外などの遠隔地や長期間の旅行等が盛んであったが、我々は平年と変わらず近場でのキャンプを行った。恒例の野営会・春の部である。

場所もこれまた変わらず隣県滋賀の太神(たなかみ)山地。直前にキャンセルが出て人数は少なかったが、今回は初心者講習的な開催となった。

連休前半はあいにくの荒天が続いたが、後半は晴天が続くことに。そして、今朝も非の打ち所のない快晴となり、暑いくらいの好天となった。

とまれ心配していたので、先ずは安堵……。


上掲写真 太神山中の新緑。いつもはヤマツツジが丁度見頃だが、今年は既に終りかけていた。例年より季節の進行がはやいのであろうか。


滋賀県湖南アルプス太神山中に開かれた炉で沢水を沸かす

いつもの如く荷を担いで山道を登り、いつもの場所で竃や炊事場を設けて準備する。写真は、開かれた炉にて早速沢水を沸かすところ。火を熾し、飲み水を作るという、山暮しの基本の始まりであった。


ご飯や汁物等の容器が並ぶ、滋賀県湖南アルプス太神山中での夜の焚火炉端
ご飯や汁物等の容器が並ぶ、夜の焚火炉端

人数が少ないため殆ど遊び時間が取れず気の毒であったが、夜には無事少々豪勢な飲食の宴を開くことが出来た。


野営会2日目は翌日の記事

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年04月06日

清明探雪

岐阜県北奥の能郷谷より見た雪残る能郷白山の一部「前山」

性懲りもなく……

4月に入り、気温も急上昇して桜もそろそろ満開に。そういえば、昨日は二十四節気の「清明(せいめい)」入りでもあった。

そんな春確実の、4月第一週末。性懲りもなく、また探雪の山行に出かけた。是非とも今季の鍛錬と装備試験の仕上げを行いたかったのである。

場所は奥美濃(岐阜県北部)の能郷山(のうごうさん)。所謂「能郷白山(権現山)」である。越前福井との県境に連なる越美山地(えつみさんち)の最高峰で、標高は1617m。かなりの遠方であったが、この時期、京都から車行・日帰りが叶う「冬山」は既にここぐらいとなっていた。

また、それらの事情とは別に、霊山を示す「白山」の名を持つ奥山として以前より興味を抱いていた、ということもあった。

一応、現地の状況を下調べしていたが、実際のところはわからない。果たして奥美濃の地に冬山登山が可能な雪峰が残っているのであろうか……。


上掲写真 木曽三川の一つ、揖斐川(いびがわ。上流部名称「根尾川」)源流域である能郷谷より能郷白山の一部(前山。標高約1510m)を見る。先月比良山脈南部に行った際、ホッケ山から見えた雪山である。神々しいその主峰はこの西奥(左)にあり、麓からは中々見ることが出来ない。


岐阜県北部・能郷白山麓の林道脇のブナの天然林

雪解けの山間に霊峰現る

朝暗い内に起きて準備するも、車を借りに行くなどしたため、結局明るくなってからの出発となった。時間節約のため高速道で滋賀県を通過し、岐阜県内では様々な下道を経て、能郷谷への山間路を北上した。

途中、すっかり雪が消えた山間奥に、独り雪を戴く能郷山を見て驚く。白く発光するが如き神々しい姿で、只ならぬ存在感を放っていたからである。それは、正に太古から人に崇められるべき霊山としての姿であった。

時間的理由によりその撮影は叶わず、麓の能郷白山神社のみに立ち寄る。加賀白山を祀る、かの白山比刀iひめ)神社と同じく、能郷山共々泰澄上人が奈良時代に開いたものという。思えば、泰澄上人縁の山は、昔登った白山と去年登った日野山(ひのさん)に続く3つ目であった。

こうして先を急いだが、結局、現地開始時間は9時前となった。林道ゲート前は、既に登山者のものと見られる多くの車が停まって静まり返っており、否応なしに遅刻の気分にさせられる。

致し方あるまい。ここからの距離も高低差もかなりある、正に1日がかりの行程なので、無理をせず、進める所まで行くことにしよう。

写真は歩いて遡上した林道脇のブナ林。根の曲がり方からすると、厳冬期はこの辺りでもかなりの積雪があるかと思われた。因みに最初の写真も林道を歩き始めた頃のもの。山自体は疎か、登り口ですら遥か先であった。


岐阜県北部・能郷白山の登山口から続く見上げるばかりの急登道
登山口から続く見上げるばかりの急登の道

退屈な舗装林道を急ぎ、急登の登山路へ

所々自然林を観察したりもしたが、やはり舗装路歩きは退屈であった。しかも長く、結構な登りでもあった。更に、上流に行く程、恰も震災に遭ったかの如く路面が波打ち始め、歩行も難儀するようになった。

とはいえ、なるべく早めに進み、何とか標準時間の1時間は費やさずに登山口に到着。朝から気温が高いこともあり、水分を補給して山道に入った。

雪が失せてかなり日が経った印象の登山路は時にロープも渡されるような急登の連続であった。ここでも気温の高さが影響して疲労させられる。


岐阜県北部・能登谷から前山の雪渓下に続く作業路
能登谷から前山雪渓下に続く廃道

全身釘打ちの聖山

急斜で浮石の多い尾根道を登ると、何と林道に出た。標高は既に1000mを越えている。

前山の尾根中腹を切り、能登谷源流の雪渓下に続くその道は、恐らく治山治水用の作業路かと思われた。谷なかを見渡せば、至る所に親の仇の如く施された堰堤の連なりがあった。

土石流や雪崩から麓の集落を守るほか、日本有数の洪水頻発地である濃尾平野の護りとして重要なのは理解出来るが、何やら全身釘打ちされた聖山の姿を見た気がして、複雑な気にさせられた。

拉げたガードレールや路面から伸びた樹々、そして麓の荒れ具合を考慮すると、ここに車輌が登り来る日は最早無さそうにも思われたが、自然の大きさと共にそれに対する人の威力たるものを改めて知らされた気もした。

事前に調べた際、北裏の峠から主峰に至るルートに比して労多い能郷谷ルートを自然多き道として勧める意見を目にしていた。しかし、谷なかを進む段階からかなり違和感を感じていた。その原因が、正にこれであった。

確かに天然林等の自然は豊富にある。

だが、これほどの奥地にもかかわらず、谷の両側は疎か、方々に切られた作業路やそれに因る山肌の崩落等々、この地全てに影響を与える人の行為と意思を、強く感じざるを得なかったのである。


岐阜県北部・能郷白山の前山下のお迎えブナ
廃道を横切り、また尾根の急登をゆくと、やがて写真に見る通りの、一本立ちの大きなブナが現れた。幹に「お迎えブナ」との札が付けられた、道標的樹木のようである。そして、この上部辺りから雪が深くなった

麓からもブナの大樹は観察できたが、梢に赤みがあることが気になっていた。今それに接して判ったのは、その色は芽吹きによるものだった、ということ。未だ厳しい山上にも、確実に春が迫っていたのである。


岐阜県北部・能登谷西の稜線
やがて尾根の急登が終り、能登谷西の稜線に出た。標高は1150m、前山に続くものであり、残雪多い雑木の尾根であった。実はこの付近にて一時的体調不良を起こし、30分弱の時間ロスが発生


岐阜県北部・能郷白山の前山とそれに続く雪の尾根筋
稜線を登ると、笹多い道となり、前山(写真右奥側)とそれに続く尾根筋が見え始めた。雪深い急斜となり、ワカン(かんじき)とアイゼン(爪底)の装着を考えたが、先達らの足跡を参考にそのまま進むこととした。但し、下りは危険なため10本爪以上のアイゼンが必要である(付けずに下る足跡もあったが……)


岐阜県北部の前山から見た能郷白山山頂
そして前山着。標高は1500m程。漸く能郷白山の姿(中央奥)が現れた


まだ冬山風情の岐阜県北部・能郷白山横の前山の雪原
まだ冬山風情の前山の雪原

能郷山登頂決行

卓状に開けた前山の雪原に荷を置き、アイゼンの装着と水分補給を行う。気温は5度弱と高めだが、辺りは完全に冬山風情。ただ、風が強く、フードを被るなどして対策した。

時間は12時を過ぎていた。本来は午前中に到着するつもりであったが、雑木帯での停滞により叶わなかった。最新情報では、能郷山山頂まではあと1時間程らしいので、登頂を決行することとした。

なお、前山の手前辺りから下山する先達らとすれ違い始めた。装備や日程の関係か、それらの一行は、単独か二人連れのみであった。


岐阜県北部・前山・能郷山間の雪庇越しに見た磯倉の山頂

前山から能郷山への道は尾根渡りとなる。一旦下り、数十mの上下を繰り返して最後に200m程上昇する。雪庇も健在で、注意しながら進む。ワカンが必要な積雪量だが、踏み跡が確りしている為それを頼って使わず。

写真は、雪庇越しに見た磯倉の山頂(1541m)。鋭角の姿が美しく、山頂直下にはトレースも。能郷山山頂の南に連なる山で、時間的余裕がある人は立ち寄るらしいが、残念ながら私にはその余裕なし。


岐阜県北部・磯倉山頂と能郷山側面
磯倉右隣には雄大な能郷山本体も。その上端にも防波堤のような雪庇の連なりが見られた


岐阜県北部・能郷白山頂上への雪の急登
前山から続く稜線の最低鞍部を過ぎ、能郷山山頂直下に至る。見上げると、かなりの急登。先達の装備を参考にストックをピッケルに転換した


残雪被る岐阜県北部の能郷白山と奥宮方向からトラバースして下る人
能郷山山頂への登りの途中、頂部から山肌をトラバース(巻き歩き)下降する人も見えた(中央左の稜線下の黒点)。あとで聞いたところ、昨年の台風で飛ばされたという能郷白山神社の奥宮を探した帰路とのこと


岐阜県北部・能郷白山山頂と標識
そして山頂着。時間は13時40分であった。雪は日射で緩んでいたためピッケルは必携ではなかったが試用出来て良かった。写真はビニールがかけられた山頂標識。この傍に一等三角点もある筈だが、完全に埋もれている


岐阜県北部・能郷白山山頂から見た荒島岳と白山
奥美濃最高峰の能郷山山頂からは周囲のあらゆる山々が見渡せた。この写真では、最も奥が白山(2702m)、その左手前が百名山の一つで越前大野の荒島岳(1523m)が収まる


岐阜県北部・能郷白山山頂から見た白山
荒島岳(左手前)と白山(中央奥)を望遠撮影にて。この他、木曽御嶽山(3067m)等も見えた


岐阜県北部・能郷白山山頂からの雪の下山路
能郷白山山頂からの下山路

風も穏やかな山頂にて暫し休み、14時に下山を始めた。日没には充分間に合うが、その後の車行も長いので、先行の人より先に進ませてもらった。


岐阜県北部・能郷集落から見た能郷白山(中央奥)と前山(右)
帰路の車道より振り返った能郷白山(中央奥)と前山(右)。太古から変わらぬこの厳粛な眺めが、いつまでも続くことを願いたい

下山。今季の鍛錬・試験終了

そして、あまり休まず歩き続けて17時前には車に戻った。やはり全区間相当の急斜で、下りとはいえ足腰が疲労した。また、最後の長い林道歩きも気分的に辛く感じられた。

とまれ、無事登頂することができ何より。雪も豊富で、装備の試験も叶った。遠路遥々訪れて良かった。これにて今季の鍛錬と試験は終了である。

ところで、この冬集中的に同様を行ったことに対し、方々から質問を受けていた。それへの答えは、自分の技能・体力の向上と、それを基にした他者への教導・救助対応の強化であった。

思えばここ10数年、初心者向けの山会の引率が多かったので、自分自身の成長が止まっていた。これを打開し、皆の為にもなるよう、一歩難易度が高い山行や装備研究等を始めたのである。また、家や街場に引き籠りがちとなる冬場の活動を模索する目的もあった。

これらは、あくまでも近場で無理せず行うためのもの。地元の良さを再発見するという各会の趣旨にも適っている。よって、今回のように時間や費用を惜しまずギリギリの行程で山を往復する余裕を欠く行動は本意ではない。あくまでも、時季を意識した個人的な訓練・学習の一環であった。

今のところ、これらの学習や試験がどんな企画に結実するかは未定だが、気長に楽しみにしてもらえれば幸いに思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年03月27日

湖北探雪山行

滋賀県西北の武奈ヶ嶽登山口から見た水の無い石田川ダムとその堰堤

湖西最後の雪山を求めて

先週まで2度続けた比良山地での雪山鍛錬も、雪解けに因り前回で終了。同山脈の最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)も気になったが、先週達した最高所とは100m強の高低差しかないので、もはや雪は少ないと断念した。

代りに、比較的身近な湖西地方最後の訓練地として福井県境にも近い湖北の山に行くこととした。ここは最高標高1000m未満ながら比良に勝る豪雪地帯の為、豊富な残雪が期待できた。果たしてその結果は……。

ただ、家から遠いので往復に時間がかかり、更に山地のため道路凍結等による通行困難が予想された。実際24日日曜に一度決行したが、途中の花折峠でまさかの吹雪に遭遇し、比良にも達せず撤収を余儀なくされていた。

因って気温・天候共に適した今日を代りとしたが、やはり山地の朝は気温が低い為、それを避け、遅い出発をせざるを得なかった。故に、現地の登山口着は10時過ぎとなった。


上掲写真 登山口傍の林道から見た石田川ダムとその堰堤。冬期という事情のためか、水はなく、方々で底が見えている。石田川は、山地一帯の雪解け水を集めて湖北今津を経て琵琶湖に注ぐ。


滋賀県西北山間の石田川ダム横の林道崖に付けられた登山口
石田川ダムから更に上流へと続く林道の崖に付けられた急な登山口

先ずは湖北武奈目指す

今日の目的地は、林道崖上部の稜線に続く峰々。先ずは赤岩山(標高740m)という峰に出て、そこから稜線を北上して武奈ヶ嶽(同865m)という峰に至る。武奈ヶ嶽以降は、時間的に可能であれば更に北方奥の三重嶽(さんじょうだけ。同973m)の登頂に挑む。

武奈ヶ嶽までなら麓から2.5km程のため時間的に問題はないが、その先の三重嶽はそこから更に5km程の奥地に在り、途中数百mの登り返し等もあるため困難が予想された。ただ、周囲の状況的にそこまで行かないとまともに雪が無いように思われた為、少々悩ましいところでもあった。

とまれ、出発。因みに、武奈ヶ嶽は比良山脈の「武奈ヶ岳」と同じ読みの別山。混同を避けるためか「湖北武奈ヶ嶽」とも呼ばれる。


滋賀県西北・赤岩山麓の登山口の炭焼窯跡
赤岩山登山口近くの炭焼窯跡

急な登山路を登ると、早速、炭焼窯と見られる石組みの遺構が現れた。登山路はハイカー用に無理やり付けられたのではなく、元は山仕事用だったとみられる。昔は谷底まで続いていて、その後ダムと林道が出来て傾斜が強くなったのかもしれない。

炭焼窯跡とみられる窪みは、その後もかなりの高所まで続いていた。


滋賀県西北・赤岩山麓の急斜の巻き道
見ての通り、山肌に雪はないが、乗っけからかなりの急斜で、落ちると危険な場所もあった。積雪の際はストックかピッケルが必携に思われた。


滋賀県西北・赤岩山登山道の地面毎直角に倒れる倒木
赤岩山登山道の倒木被害。写真を貼り間違えた訳ではなく、本当に地面ごと木が直角に倒れている

古い仕事道を利用した急な尾根の登山路を登るが、間もなく倒木の連続に行く手を阻まれるようになった。恐らくこれも昨年の台風21号の被害であろう。倒木を潜り、乗り越え、また迂回しつつ上を目指す。

これがひたすら続いて煩わしく、またコースアウトの原因ともなるので危険に感じられた。


残雪ある植林に囲まれた滋賀県西北・赤岩山山頂
植林に囲まれた残雪ある赤岩山山頂

やがて面倒な倒木の急登を登り切り、稜線上の赤岩山山頂に達した。残雪が現れたが、少なく、踏み抜きし難い圧雪のため、装備転換せずそのまま進む。


滋賀県西北・赤岩山道と高島トレイルとの合流部
赤岩山道と高島トレイルとの合流部

赤岩山から稜線を北上し、少々雪深い鞍部を越えると、道は中央分水嶺(日本海・太平洋の水系界)の縦走路「高島トレイル」と合流した。しかし、陽当たりの所為か、雪は全くない状態に。


滋賀県西北・武奈ヶ嶽南から見た赤岩山
既に春山的雰囲気の縦走路を高度を上げつつ北上。振り返ると先程通過した赤岩山が見えた。結構雪があるように見えるが、稜線は殆ど無し


雪解け進む滋賀県西北・武奈ヶ嶽山頂
武奈ヶ嶽山頂

そして武奈ヶ嶽着。麓から1時間半程か。標高が上った為さすがに雪が増えたが、それでも土の露出も多かった。

また、気温が高いため、暑さも感じた。ウールのインナーグローブ(下手袋)も全く不要である。


滋賀県西北・武奈ヶ嶽山頂から見た残雪ある三重嶽
武奈ヶ嶽山頂から北方の三重嶽(中央奥)を見る

武奈ヶ嶽山上からは北方の三重嶽が見えたが、やはりかなり遠方に感じられた。ただ、目論見通り、雪はここより多そうに感じられた。

雪上で昼食を摂りながら、暫し今後を思案する。


残雪が消えた滋賀県西北・武奈ヶ嶽北の縦走路

三重嶽へ

そして、13時過ぎに武奈ヶ嶽山頂を出発し、途中の鞍部に14時まで、三重嶽山頂に15時までに到達しなければ引き返す予定で先へ進むこととした。

北上するにつれ稜線の雪はまた消え、写真の如き灌木の道が続く。


標高約640mの滋賀県西北・武奈ヶ嶽北の縦走路鞍部
標高約640mの縦走路鞍部

武奈ヶ嶽から若干の登り降りを繰り返し、やがて標高812mの頂部から急下降が始まり、同640m程の鞍部に達した。時間は期限の14時に至らなかったため更に進むことに。

当然ながらここからまた登りが始まる。三重嶽山頂までの高度差約330m、距離約3kmを急ぐ。冬装備をほぼ完備してきたので荷が重く、そして暑い。


滋賀県西北・武奈ヶ嶽・三重嶽間鞍部の湿地
鞍部付近には高層湿地も。生では無理だが、無雪期には貴重な水場か


滋賀県西北・武奈ヶ嶽・三重嶽縦走路の細尾根
やがて両端が切れ込んだ細尾根も現れる。雪が有れば危険な箇所となる


滋賀県西北・三重嶽西手前の残雪ある広尾根
そして標高750mを越すと、雪を伴う広い稜線となった。やはりこの区域は雪が多いが、ワカンを出す程の質ではなかった。ただ、急な登りは滑ったのでチェーンスパイクの使用を考えたが、時間を惜しみ、キックステップ(蹴り込み)で乗り切る


残雪から地面がのぞく、滋賀県西北・三重嶽山頂
三重嶽山頂

広尾根を長く歩き、やがて三重嶽山頂に到着した。やはり、遠かった。時間は期限を過ぎた15時15分であったが、帰りは来た道を考えずに戻れるので、その分の時短効果を頼ることにした。

とはいえ、鞍部を登り返したあと、また未知で長い下山路を経るので、先を急ぐこととした。


三重嶽山頂に広がる残雪と遠く霞む湖西の山々
三重嶽山頂に広がる残雪と、遠く霞む湖西の山々

長躯してさすがに疲れたので、荷を置き、雪上で5分のみ休む。


滋賀県西北の武奈ヶ嶽・三重嶽縦走路鞍部から南の登り返しを見上げる
下山路手前に聳える縦走路の登り返し。この頂まで登り返さねば帰れない

日没意識し急ぎ下山

三重嶽山頂を出て雪原を下る。滑り易いが装備転換する時間を惜しみ進む。次の目標は下山分岐部に17時までに到達すること。

下山路も長く、未知の区間なので、日没の危険を考慮した時間配分であった。勿論、電灯や緊急泊の装備は持っていたが、暗くなるまでに下山することに越したことはない。

とまれ、来た道とはいえ、迷い易い雪の広尾根を注意して進み、やがて鞍部に到達。見上げた登り返しに少々気を重くしたが、致し方あるまい。


滋賀県西北・野坂山地のワサ谷上部に続くつづらの古車道
急斜の尾根に延々と続く、つづらの古車道

古道と謎の平坦地ある下山路ゆく

ひたすら広尾根の登り返しを進み、また雪ある頂に戻る。そして間もなく下山路分岐部に帰着した。時間は16時40分。急いだこともあり、設定した17時より早く着くことが出来た。

あとは下るだけなので、下山中に暗くなる危険性はかなり下がった。ただ、標識によるとここからワサ谷という石田川ダム湖畔まで3.8kmもあるので油断は禁物であった。

分岐で少し休み、やがて雪多い植林帯の尾根道を下る。雪が減り地表に現れた道はかなり確りとしたもので、歴史ある古道かと思われた。途中、作業場跡の様な平坦地も多く、急斜の道ながら至る所に人跡が感じられた。

そして、道は更に広がり、古の車道(くるまみち)の様相を呈した。間違いなく大きな資力・労力を投じて開かれた古道跡であり、やがてそれは尾根上の大きな平坦地に達した。明らかに人工的造成地であり、建屋の基壇跡のような高まりや、道の両側に設けられた土塁状の構築物もあった。

経験からすると、中世以前の山城や寺院の可能性が窺われたが、地政学的納得が得られなかった。ただ、この山域は標高の割に大変急峻で、人が通過出来る場所が極めて限られているので、間道的役割は考えられた。帰宅後、是非地元の遺跡図等の資料を確認してみたいと思った。

さて、山中の古車道は、やがてつづらの連続となり、その後、谷なかの林道に達した。林道も数度のつづらを成して下り、遂に湖畔林道に出ることが出来たのである。あとは止めていた車輌まで戻った。分岐からの時間は約1時間であった。

帰路の車行で風邪ひきかける

こうして無事暗くなる前に帰路に就くことが出来たが、上着を足すのが遅れ、汗冷え起こして風邪をひきかけたことは誤算であった。帰りの山地走行で日が暮れ、気温も下がった為である。車を用意することを面倒がり、二輪で来た所為でもあった。これも反省、学習である。

とまれ、こうして苦労して奥山に達し、目論見通り多くの雪と接したが、雪山鍛錬としては期待外れのものとなった。やはり、どこも季節は急速に進んでいる。これもまた反省・学習の業か。ただ、逆に中間期の暑さや汗の問題に対する経験や資料が得られたことは、収穫にもなった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会