2019年05月05日

続2019春野営会

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野営2日目まさかの……
これも経験・学習!


昨日、山入りした野営会は、今日が最終日。

買い出しや設営等の労力を考えると1泊2日は効率が悪いが、まあ皆事情もあるので致し方あるまい。今回は野営初心者の講習的な集いでもあったので、そういったことを実感してもらうのも、また学びかと思われた。

前夜から朝にかけて気温が下がり寒くなったが、昨日と同じく朝から好天に恵まれ、先ずまずの出だしとなった。しかし、日帰り参加者合流後の午後から急に陽がかげり始め、やがて雨が降り始めた。

出発前まで天気の崩れはないとの予報であったが、まさかの雨に。しかも、器に水が溜まる程のまとまった量が2度に渡って降り、テントや道具類が濡れる面倒となった。そして、それを境に急激に気温が下がることともなった。所謂「寒冷前線」の通過であろう。

正に「水をさされた」かたちとなったが、まあ、これも経験である。良い時期・良い条件ばかりでは訓練にならない。

冷たい雨に長く打たれつつシートで炉を守り、雨後、遅い昼食を終える。そして撤収。雨の所為、少人数故の労力不足により分水嶺探索等の余興が出来なかったが、まあ、それは次回のお楽しみに……。

暗く滑り易い路下り撤収

しかし、下山が日没にかかり、雨で濡れた足下の悪い道を下ることとなった。だが、なれた道程ではあったので、転倒続出ながら、何とか無事下山。皆さんお疲れ様でした。

今回の反省点は、この日没下山と、参加者のライトや手袋、ポール(杖)の不備であった。特に装備の不備はそれを補助する他者の足を引っ張ることになり、結果皆を危険にする行為となるので、これを機に厳に学習してもらいたい。私も、今後安易な支援や貸し出しを行わないことに決めた。


上掲写真 焚火仕立てのソーセージ・マフィン。この日はこれと珈琲を朝食とした。簡易だが、バターの風味が効いて美味。見ての通り、この頃はまだ好天。その後、まさかの雨に見舞われるとは……。

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2019年05月04日

2019春野営会

太神山中の新緑

安堵の快晴の下、初心者講習的野営開催

天皇交代と改元により空前の10連休となった2019年の黄金週間。

世間では海外などの遠隔地や長期間の旅行等が盛んであったが、我々は平年と変わらず近場でのキャンプを行った。恒例の野営会・春の部である。

場所もこれまた変わらず隣県滋賀の太神(たなかみ)山地。直前にキャンセルが出て人数は少なかったが、今回は初心者講習的な開催となった。

連休前半はあいにくの荒天が続いたが、後半は晴天が続くことに。そして、今朝も非の打ち所のない快晴となり、暑いくらいの好天となった。

とまれ心配していたので、先ずは安堵……。


上掲写真 太神山中の新緑。いつもはヤマツツジが丁度見頃だが、今年は既に終りかけていた。例年より季節の進行がはやいのであろうか。


山中に開かれた炉で沢水を沸かす

いつもの如く荷を担いで山道を登り、いつもの場所で竃や炊事場を設けて準備する。写真は、開かれた炉にて早速沢水を沸かすところ。火を熾し、飲み水を作るという、山暮しの基本の始まりであった。


ご飯や汁物等の容器が並ぶ夜の焚火炉端
ご飯や汁物等の容器が並ぶ、夜の焚火炉端

人数が少ないため殆ど遊び時間が取れず気の毒であったが、夜には無事少々豪勢な飲食の宴を開くことが出来た。


野営会2日目は翌日の記事

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2019年04月06日

清明探雪

能郷谷より見た雪残る能郷白山の一部「前山」

性懲りもなく……

4月に入り、気温も急上昇して桜もそろそろ満開に。そういえば、昨日は二十四節気の「清明(せいめい)」入りでもあった。

そんな春確実の、4月第一週末。性懲りもなく、また探雪の山行に出かけた。是非とも今季の鍛錬と装備試験の仕上げを行いたかったのである。

場所は奥美濃(岐阜県北部)の能郷山(のうごうさん)。所謂「能郷白山(権現山)」である。越前福井との県境に連なる越美山地(えつみさんち)の最高峰で、標高は1617m。かなりの遠方であったが、この時期、京都から車行・日帰りが叶う「冬山」は既にここぐらいとなっていた。

また、それらの事情とは別に、霊山を示す「白山」の名を持つ奥山として以前より興味を抱いていた、ということもあった。

一応、現地の状況を下調べしていたが、実際のところはわからない。果たして奥美濃の地に冬山登山が可能な雪峰が残っているのであろうか……。


上掲写真 木曽三川の一つ、揖斐川(いびがわ。上流部名称「根尾川」)源流域である能郷谷より能郷白山の一部(前山。標高約1510m)を見る。先月比良山脈南部に行った際、ホッケ山から見えた雪山である。神々しいその主峰はこの西奥(左)にあり、麓からは中々見ることが出来ない。


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雪解けの山間に霊峰現る

朝暗い内に起きて準備するも、車を借りに行くなどしたため、結局明るくなってからの出発となった。時間節約のため高速道で滋賀県を通過し、岐阜県内では様々な下道を経て、能郷谷への山間路を北上した。

途中、すっかり雪が消えた山間奥に、独り雪を戴く能郷山を見て驚く。白く発光するが如き神々しい姿で、只ならぬ存在感を放っていたからである。それは、正に太古から人に崇められるべき霊山としての姿であった。

時間的理由によりその撮影は叶わず、麓の能郷白山神社のみに立ち寄る。加賀白山を祀る、かの白山比刀iひめ)神社と同じく、能郷山共々泰澄上人が奈良時代に開いたものという。思えば、泰澄上人縁の山は、昔登った白山と去年登った日野山(ひのさん)に続く3つ目であった。

こうして先を急いだが、結局、現地開始時間は9時前となった。林道ゲート前は、既に登山者のものと見られる多くの車が停まって静まり返っており、否応なしに遅刻の気分にさせられる。

致し方あるまい。ここからの距離も高低差もかなりある、正に1日がかりの行程なので、無理をせず、進める所まで行くことにしよう。

写真は歩いて遡上した林道脇のブナ林。根の曲がり方からすると、厳冬期はこの辺りでもかなりの積雪があるかと思われた。因みに最初の写真も林道を歩き始めた頃のもの。山自体は疎か、登り口ですら遥か先であった。


能郷白山の登山口から続く見上げるばかりの急登道
登山口から続く見上げるばかりの急登の道

退屈な舗装林道を急ぎ、急登の登山路へ

所々自然林を観察したりもしたが、やはり舗装路歩きは退屈であった。しかも長く、結構な登りでもあった。更に、上流に行く程、恰も震災に遭ったかの如く路面が波打ち始め、歩行も難儀するようになった。

とはいえ、なるべく早めに進み、何とか標準時間の1時間は費やさずに登山口に到着。朝から気温が高いこともあり、水分を補給して山道に入った。

雪が失せてかなり日が経った印象の登山路は時にロープも渡されるような急登の連続であった。ここでも気温の高さが影響して疲労させられる。


能登谷から前山の雪渓下に続く作業路
能登谷から前山雪渓下に続く廃道

全身釘打ちの聖山

急斜で浮石の多い尾根道を登ると、何と林道に出た。標高は既に1000mを越えている。

前山の尾根中腹を切り、能登谷源流の雪渓下に続くその道は、恐らく治山治水用の作業路かと思われた。谷なかを見渡せば、至る所に親の仇の如く施された堰堤の連なりがあった。

土石流や雪崩から麓の集落を守るほか、日本有数の洪水頻発地である濃尾平野の護りとして重要なのは理解出来るが、何やら全身釘打ちされた聖山の姿を見た気がして、複雑な気にさせられた。

拉げたガードレールや路面から伸びた樹々、そして麓の荒れ具合を考慮すると、ここに車輌が登り来る日は最早無さそうにも思われたが、自然の大きさと共にそれに対する人の威力たるものを改めて知らされた気もした。

事前に調べた際、北裏の峠から主峰に至るルートに比して労多い能郷谷ルートを自然多き道として勧める意見を目にしていた。しかし、谷なかを進む段階からかなり違和感を感じていた。その原因が、正にこれであった。

確かに天然林等の自然は豊富にある。

だが、これほどの奥地にもかかわらず、谷の両側は疎か、方々に切られた作業路やそれに因る山肌の崩落等々、この地全てに影響を与える人の行為と意思を、強く感じざるを得なかったのである。


能郷白山の前山下のお迎えブナ
廃道を横切り、また尾根の急登をゆくと、やがて写真に見る通りの、一本立ちの大きなブナが現れた。幹に「お迎えブナ」との札が付けられた、道標的樹木のようである。そして、この上部辺りから雪が深くなった

麓からもブナの大樹は観察できたが、梢に赤みがあることが気になっていた。今それに接して判ったのは、その色は芽吹きによるものだった、ということ。未だ厳しい山上にも、確実に春が迫っていたのである。


能登谷西の稜線
やがて尾根の急登が終り、能登谷西の稜線に出た。標高は1150m、前山に続くものであり、残雪多い雑木の尾根であった。実はこの付近にて一時的体調不良を起こし、30分弱の時間ロスが発生


能郷白山の前山とそれに続く雪の尾根筋
稜線を登ると、笹多い道となり、前山(写真右奥側)とそれに続く尾根筋が見え始めた。雪深い急斜となり、ワカン(かんじき)とアイゼン(爪底)の装着を考えたが、先達らの足跡を参考にそのまま進むこととした。但し、下りは危険なため10本爪以上のアイゼンが必要である(付けずに下る足跡もあったが……)


前山から見た能郷白山山頂
そして前山着。標高は1500m程。漸く能郷白山の姿(中央奥)が現れた


まだ冬山風情の能郷白山横の前山の雪原
まだ冬山風情の前山の雪原

能郷山登頂決行

卓状に開けた前山の雪原に荷を置き、アイゼンの装着と水分補給を行う。気温は5度弱と高めだが、辺りは完全に冬山風情。ただ、風が強く、フードを被るなどして対策した。

時間は12時を過ぎていた。本来は午前中に到着するつもりであったが、雑木帯での停滞により叶わなかった。最新情報では、能郷山山頂まではあと1時間程らしいので、登頂を決行することとした。

なお、前山の手前辺りから下山する先達らとすれ違い始めた。装備や日程の関係か、それらの一行は、単独か二人連れのみであった。


前山・能郷山間の雪庇越しに見た磯倉の山頂

前山から能郷山への道は尾根渡りとなる。一旦下り、数十mの上下を繰り返して最後に200m程上昇する。雪庇も健在で、注意しながら進む。ワカンが必要な積雪量だが、踏み跡が確りしている為それを頼って使わず。

写真は、雪庇越しに見た磯倉の山頂(1541m)。鋭角の姿が美しく、山頂直下にはトレースも。能郷山山頂の南に連なる山で、時間的余裕がある人は立ち寄るらしいが、残念ながら私にはその余裕なし。


磯倉山頂と能郷山側面
磯倉右隣には雄大な能郷山本体も。その上端にも防波堤のような雪庇の連なりが見られた


能郷白山頂上への雪の急登
前山から続く稜線の最低鞍部を過ぎ、能郷山山頂直下に至る。見上げると、かなりの急登。先達の装備を参考にストックをピッケルに転換した


残雪の能郷白山と奥宮方向からトラバースして下る人
能郷山山頂への登りの途中、頂部から山肌をトラバース(巻き歩き)下降する人も見えた(中央左の稜線下の黒点)。あとで聞いたところ、昨年の台風で飛ばされたという能郷白山神社の奥宮を探した帰路とのこと


能郷白山山頂と標識
そして山頂着。時間は13時40分であった。雪は日射で緩んでいたためピッケルは必携ではなかったが試用出来て良かった。写真はビニールがかけられた山頂標識。この傍に一等三角点もある筈だが、完全に埋もれている


能郷白山山頂から見た荒島岳と白山
奥美濃最高峰の能郷山山頂からは周囲のあらゆる山々が見渡せた。この写真では、最も奥が白山(2702m)、その左手前が百名山の一つで越前大野の荒島岳(1523m)が収まる


能郷白山山頂から見た白山
荒島岳(左手前)と白山(中央奥)を望遠撮影にて。この他、木曽御嶽山(3067m)等も見えた


能郷白山山頂からの雪の下山路
能郷白山山頂からの下山路

風も穏やかな山頂にて暫し休み、14時に下山を始めた。日没には充分間に合うが、その後の車行も長いので、先行の人より先に進ませてもらった。


能郷から見た能郷白山(中央奥)と前山(右)
帰路の車道より振り返った能郷白山(中央奥)と前山(右)。太古から変わらぬこの厳粛な眺めが、いつまでも続くことを願いたい

下山。今季の鍛錬・試験終了

そして、あまり休まず歩き続けて17時前には車に戻った。やはり全区間相当の急斜で、下りとはいえ足腰が疲労した。また、最後の長い林道歩きも気分的に辛く感じられた。

とまれ、無事登頂することができ何より。雪も豊富で、装備の試験も叶った。遠路遥々訪れて良かった。これにて今季の鍛錬と試験は終了である。

ところで、この冬集中的に同様を行ったことに対し、方々から質問を受けていた。それへの答えは、自分の技能・体力の向上と、それを基にした他者への教導・救助対応の強化であった。

思えばここ10数年、初心者向けの山会の引率が多かったので、自分自身の成長が止まっていた。これを打開し、皆の為にもなるよう、一歩難易度が高い山行や装備研究等を始めたのである。また、家や街場に引き籠りがちとなる冬場の活動を模索する目的もあった。

これらは、あくまでも近場で無理せず行うためのもの。地元の良さを再発見するという各会の趣旨にも適っている。よって、今回のように時間や費用を惜しまずギリギリの行程で山を往復する余裕を欠く行動は本意ではない。あくまでも、時季を意識した個人的な訓練・学習の一環であった。

今のところ、これらの学習や試験がどんな企画に結実するかは未定だが、気長に楽しみにしてもらえれば幸いに思う。

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2019年03月27日

湖北探雪山行

武奈ヶ嶽登山口から見た水の無い石田川ダムとその堰堤

湖西最後の雪山を求めて

先週まで2度続けた比良山地での雪山鍛錬も、雪解けに因り前回で終了。同山脈の最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)も気になったが、先週達した最高所とは100m強の高低差しかないので、もはや雪は少ないと断念した。

代りに、比較的身近な湖西地方最後の訓練地として福井県境にも近い湖北の山に行くこととした。ここは最高標高1000m未満ながら比良に勝る豪雪地帯の為、豊富な残雪が期待できた。果たしてその結果は……。

ただ、家から遠いので往復に時間がかかり、更に山地のため道路凍結等による通行困難が予想された。実際24日日曜に一度決行したが、途中の花折峠でまさかの吹雪に遭遇し、比良にも達せず撤収を余儀なくされていた。

因って気温・天候共に適した今日を代りとしたが、やはり山地の朝は気温が低い為、それを避け、遅い出発をせざるを得なかった。故に、現地の登山口着は10時過ぎとなった。


上掲写真 登山口傍の林道から見た石田川ダムとその堰堤。冬期という事情のためか、水はなく、方々で底が見えている。石田川は、山地一帯の雪解け水を集めて湖北今津を経て琵琶湖に注ぐ。


石田川ダム横の林道崖に付けられた登山口
石田川ダムから更に上流へと続く林道の崖に付けられた急な登山口

先ずは湖北武奈目指す

今日の目的地は、林道崖上部の稜線に続く峰々。先ずは赤岩山(標高740m)という峰に出て、そこから稜線を北上して武奈ヶ嶽(同865m)という峰に至る。武奈ヶ嶽以降は、時間的に可能であれば更に北方奥の三重嶽(さんじょうだけ。同973m)の登頂に挑む。

武奈ヶ嶽までなら麓から2.5km程のため時間的に問題はないが、その先の三重嶽はそこから更に5km程の奥地に在り、途中数百mの登り返し等もあるため困難が予想された。ただ、周囲の状況的にそこまで行かないとまともに雪が無いように思われた為、少々悩ましいところでもあった。

とまれ、出発。因みに、武奈ヶ嶽は比良山脈の「武奈ヶ岳」と同じ読みの別山。混同を避けるためか「湖北武奈ヶ嶽」とも呼ばれる。


赤岩山麓の登山口の炭焼窯跡
赤岩山登山口近くの炭焼窯跡

急な登山路を登ると、早速、炭焼窯と見られる石組みの遺構が現れた。登山路はハイカー用に無理やり付けられたのではなく、元は山仕事用だったとみられる。昔は谷底まで続いていて、その後ダムと林道が出来て傾斜が強くなったのかもしれない。

炭焼窯跡とみられる窪みは、その後もかなりの高所まで続いていた。


赤岩山麓の急斜の巻き道
見ての通り、山肌に雪はないが、乗っけからかなりの急斜で、落ちると危険な場所もあった。積雪の際はストックかピッケルが必携に思われた。


赤岩山登山道の倒木被害。地面毎直角に倒れる
赤岩山登山道の倒木被害。写真を貼り間違えた訳ではなく、本当に地面ごと木が直角に倒れている

古い仕事道を利用した急な尾根の登山路を登るが、間もなく倒木の連続に行く手を阻まれるようになった。恐らくこれも昨年の台風21号の被害であろう。倒木を潜り、乗り越え、また迂回しつつ上を目指す。

これがひたすら続いて煩わしく、またコースアウトの原因ともなるので危険に感じられた。


植林に囲まれた残雪の赤岩山山頂
植林に囲まれた残雪ある赤岩山山頂

やがて面倒な倒木の急登を登り切り、稜線上の赤岩山山頂に達した。残雪が現れたが、少なく、踏み抜きし難い圧雪のため、装備転換せずそのまま進む。


赤岩山道と高島トレイルとの合流部
赤岩山道と高島トレイルとの合流部

赤岩山から稜線を北上し、少々雪深い鞍部を越えると、道は中央分水嶺(日本海・太平洋の水系界)の縦走路「高島トレイル」と合流した。しかし、陽当たりの所為か、雪は全くない状態に。


武奈ヶ嶽南から見た赤岩山
既に春山的雰囲気の縦走路を高度を上げつつ北上。振り返ると先程通過した赤岩山が見えた。結構雪があるように見えるが、稜線は殆ど無し


雪解け進む武奈ヶ嶽山頂
武奈ヶ嶽山頂

そして武奈ヶ嶽着。麓から1時間半程か。標高が上った為さすがに雪が増えたが、それでも土の露出も多かった。

また、気温が高いため、暑さも感じた。ウールのインナーグローブ(下手袋)も全く不要である。


武奈ヶ嶽山頂から見た残雪ある三重嶽
武奈ヶ嶽山頂から北方の三重嶽(中央奥)を見る

武奈ヶ嶽山上からは北方の三重嶽が見えたが、やはりかなり遠方に感じられた。ただ、目論見通り、雪はここより多そうに感じられた。

雪上で昼食を摂りながら、暫し今後を思案する。


残雪が消えた武奈ヶ嶽北の縦走路

三重嶽へ

そして、13時過ぎに武奈ヶ嶽山頂を出発し、途中の鞍部に14時まで、三重嶽山頂に15時までに到達しなければ引き返す予定で先へ進むこととした。

北上するにつれ稜線の雪はまた消え、写真の如き灌木の道が続く。


標高約640mの縦走路鞍部
標高約640mの縦走路鞍部

武奈ヶ嶽から若干の登り降りを繰り返し、やがて標高812mの頂部から急下降が始まり、同640m程の鞍部に達した。時間は期限の14時に至らなかったため更に進むことに。

当然ながらここからまた登りが始まる。三重嶽山頂までの高度差約330m、距離約3kmを急ぐ。冬装備をほぼ完備してきたので荷が重く、そして暑い。


武奈ヶ嶽・三重嶽間鞍部の湿地
鞍部付近には高層湿地も。生では無理だが、無雪期には貴重な水場か


武奈ヶ嶽・三重嶽縦走路の細尾根
やがて両端が切れ込んだ細尾根も現れる。雪が有れば危険な箇所となる


三重嶽西手前の残雪ある広尾根
そして標高750mを越すと、雪を伴う広い稜線となった。やはりこの区域は雪が多いが、ワカンを出す程の質ではなかった。ただ、急な登りは滑ったのでチェーンスパイクの使用を考えたが、時間を惜しみ、キックステップ(蹴り込み)で乗り切る


三重嶽山頂
三重嶽山頂

広尾根を長く歩き、やがて三重嶽山頂に到着した。やはり、遠かった。時間は期限を過ぎた15時15分であったが、帰りは来た道を考えずに戻れるので、その分の時短効果を頼ることにした。

とはいえ、鞍部を登り返したあと、また未知で長い下山路を経るので、先を急ぐこととした。


三重嶽山頂に広がる残雪と遠く霞む湖西の山々
三重嶽山頂に広がる残雪と、遠く霞む湖西の山々

長躯してさすがに疲れたので、荷を置き、雪上で5分のみ休む。


武奈ヶ嶽・三重嶽縦走路鞍部から南の登り返しを見上げる
下山路手前に聳える縦走路の登り返し。この頂まで登り返さねば帰れない

日没意識し急ぎ下山

三重嶽山頂を出て雪原を下る。滑り易いが装備転換する時間を惜しみ進む。次の目標は下山分岐部に17時までに到達すること。

下山路も長く、未知の区間なので、日没の危険を考慮した時間配分であった。勿論、電灯や緊急泊の装備は持っていたが、暗くなるまでに下山することに越したことはない。

とまれ、来た道とはいえ、迷い易い雪の広尾根を注意して進み、やがて鞍部に到達。見上げた登り返しに少々気を重くしたが、致し方あるまい。


ワサ谷上部に続くつづらの古車道
急斜の尾根に延々と続く、つづらの古車道

古道と謎の平坦地ある下山路ゆく

ひたすら広尾根の登り返しを進み、また雪ある頂に戻る。そして間もなく下山路分岐部に帰着した。時間は16時40分。急いだこともあり、設定した17時より早く着くことが出来た。

あとは下るだけなので、下山中に暗くなる危険性はかなり下がった。ただ、標識によるとここからワサ谷という石田川ダム湖畔まで3.8kmもあるので油断は禁物であった。

分岐で少し休み、やがて雪多い植林帯の尾根道を下る。雪が減り地表に現れた道はかなり確りとしたもので、歴史ある古道かと思われた。途中、作業場跡の様な平坦地も多く、急斜の道ながら至る所に人跡が感じられた。

そして、道は更に広がり、古の車道(くるまみち)の様相を呈した。間違いなく大きな資力・労力を投じて開かれた古道跡であり、やがてそれは尾根上の大きな平坦地に達した。明らかに人工的造成地であり、建屋の基壇跡のような高まりや、道の両側に設けられた土塁状の構築物もあった。

経験からすると、中世以前の山城や寺院の可能性が窺われたが、地政学的納得が得られなかった。ただ、この山域は標高の割に大変急峻で、人が通過出来る場所が極めて限られているので、間道的役割は考えられた。帰宅後、是非地元の遺跡図等の資料を確認してみたいと思った。

さて、山中の古車道は、やがてつづらの連続となり、その後、谷なかの林道に達した。林道も数度のつづらを成して下り、遂に湖畔林道に出ることが出来たのである。あとは止めていた車輌まで戻った。分岐からの時間は約1時間であった。

帰路の車行で風邪ひきかける

こうして無事暗くなる前に帰路に就くことが出来たが、上着を足すのが遅れ、汗冷え起こして風邪をひきかけたことは誤算であった。帰りの山地走行で日が暮れ、気温も下がった為である。車を用意することを面倒がり、二輪で来た所為でもあった。これも反省、学習である。

とまれ、こうして苦労して奥山に達し、目論見通り多くの雪と接したが、雪山鍛錬としては期待外れのものとなった。やはり、どこも季節は急速に進んでいる。これもまた反省・学習の業か。ただ、逆に中間期の暑さや汗の問題に対する経験や資料が得られたことは、収穫にもなった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年03月18日

続山地残氷

旧国道367号・花折峠道の古い石垣

比良の残雪や如何

また週末に鍛錬山行を企てたが、天候不順のため断念。代わりに今日、振替実行した。

向かったのは、前回と同じ滋賀県西部の比良山脈。標高1000mを超す峰が連なり、積雪が多い山域として知られるが、今季は雪が少なく、前回も既にかなり雪解けが進んでいた。

今日も、一応雪上での鍛錬や道具類の試験が目的であったが、果たして山の状況は如何なものであろうか。


上掲写真 途中にある登山口まで歩く旧国道367号・花折峠道で見つけた苔むした石垣。古い道路擁壁とみられる。


旧花折峠道下部に並走する更に古い旧道路盤
旧花折峠道下部に並走する更に古い旧道路盤

旧道付近にて歴史地理的発見

前回と同じく、往復10km強・高低差630m程の行程なので、午後遅くからの開始となった。準備して旧道を上ると、先程の石組みの他、崖下に並走する更に古い道路痕跡を見つけた。方々に石材の散乱が見られ、前近代的な姿があった。

現旧道はバス道等として改変されたのか。今まで古街道を踏襲したものだと思っていたが、意外であった。これも、雪が解け、枝葉や下草が少ないこの時季ならではの発見といえようか。


旧花折峠道上に残る切通しの道跡
登山道対岸尾根に切り通された道跡らしき人跡(中央奥やや左)

更に興味深いことに、旧道を離れ、登山道を登り始めた沢筋の対岸尾根に、切通しの道跡らしい人跡を見つけた。幅1間(2m弱)強の、荷車離合可能な古い「車道」であろうか。


旧花折峠道上に残る細い道跡
切通し車道上手の道跡(中央)

そして、更にその上部にも半間程の狭い道跡があった。


平・アラキ峠登山道から見た3種の花折古道
平(だいら)・アラキ峠間の登山道から見た花折古道3種。右端最下部に舗装された現旧道が見え、その上(中央)に切通し車道、更にその上(左)に細道が見える

それらの古道は同じく尾根の手前と向こうを連絡している。ひょっとして、上から順に古いもので、花折道変遷の名残りを示すものであろうか。そういえば、現旧道の更に下には現国道も同様に通る。上から順に4期で同じ道の変遷を示すものとすれば、大変珍しく、興味深いものとなろう。

登山の始めから何やら歴史地理的話題となったが、まあ、ご容赦を……。


雪解けしたアラキ峠
雪解けしたアラキ峠

さて、旧道の写真でも判る通り、今日は山腹に雪はなし。そして、更に登ったアラキ峠(標高約760m)でも写真の通り、雪は無かった。

前回以降も寒い日があり、山中では降雪もあったとみられるが、雪解けや季節の移行は確実に進んでいるようである。


雪解けした権現山山頂
権現山山頂

アラキ峠から倒木連なる急登を越えた先の権現山(標高約996m)にも雪は無し。ただ、その手前には一部残る場所もあった。


権現山から見たホッケ山と蓬莱山
権現山の北に見える比良山脈南部稜線。即ちこれから向かうホッケ山(1050m。右手前)や蓬莱山(1173m。左奥)の方向。前回も同じ場所から撮ったが、大幅に雪が減ったことが判る


ホッケ山山頂と雪庇の名残り
権現山からは稜線を北上し、一先ずホッケ山を目指す。ホッケ山周辺の雪も大幅に減っているが、意外にも、厚い雪庇はまだ残っていた


金糞岳と能郷白山東隣りの前山
ホッケ山直下からは湖北の金糞岳(標高1317m)が見え、その左後方に雪山が見えた。岐阜・福井県境にある越美山地の主峰・能郷白山(のうごうはくさん。同1617m)である。但し、主峰は手前の山肌で見えず、見えているのは東隣りの「前山(同約1510m)」部分


比良山脈稜線直下に広がる雪解けの草地と琵琶湖
比良山脈稜線直下に広がる雪解けの草地と琵琶湖

前回既に雪が無かったホッケ山山頂を経て更に北上。雪解けで大きく草地が広がった場所で鹿の大群と遭遇。大きな角を広げた雄を中心とした一群で、汽車の警笛の如き一声と共に、忽ち姿を隠した。

山の動物達にとっても待ち遠しい、雪解け、春の訪れか


雪解け進む小女郎峠
そして、間もなく小女郎峠(こじょろとうげ。約1070m)に到達。やはり雪は減っている


周囲の雪解けが進む小女郎ヶ池
小女郎峠から稜線を西に少し外れた場所にある小女郎ヶ池。水面は氷雪に埋もれたままだが、岸の一部や周囲の山には土の露出が広がっていた


周辺に土の露出広がる小女郎ヶ池北側
小女郎ヶ池北側周囲にも土の露出が広がる

小女郎ヶ池で小休止するが、氷雪に囲まれている所為か前回同様寒かった。


小女郎峠と小女郎ヶ池の間に残る深い湿雪
そして小女郎ヶ池と小女郎峠間の道も例外的に雪が多く残っていた。ただ、水分が多い湿った雪で、溶けるのも時間の問題かと思われた


小女郎峠北から見た伊吹山と御嶽山
今回も小女郎峠から引き返す予定であったが、折角なので峠北の標高1100mの高みに登ってみた。ここからは、湖北の滋賀県最高峰・伊吹山(1377m)の左背後に薄っすらと木曽御嶽山(3067m)の白い姿が見えた。以前より比良から御嶽山が見えるとは聞いていたが、初めての実見。視界明瞭とは言い難い条件だったので、意外に感じられた


雪解け進む蓬莱山山頂
小女郎峠北より蓬莱山山頂を見る。殆ど雪が無いが、頂部のリフト小屋向こうには有るようで、スキーヤーが下りゆく姿が見られた


小女郎峠北より見たホッケ山や比叡山、琵琶湖
小女郎峠北よりホッケ山方面、即ち南を見る。左奥の黒い峰は比叡山(848m)、その麓には琵琶湖南湖の湖面がある


小女郎峠北の石佛
小女郎峠北の石佛

今季比良の雪も終了か

小女郎峠北の高みで暫し周囲を眺め、そして元来た道を辿り下山した。距離は少々延びたが、雪が減った為、前回同様、3時間半程の山行であった。

特に稜線は9割以上雪がなく、最早チェーンスパイクすら不要であった。ただ雪解けの水分が多く、泥除けのゲイター(防水脚絆)や転倒防止用のストック(杖)等は必要かと思われた。

とまれ、今季比良の雪もこれで終りのようである。少々寂しい気もするが致し方あるまい。また年末、または来る年初までのお預けである。

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2019年03月09日

山池残氷

滋賀県西部の比良山脈・小女郎ヶ池付近の雪原

今週末もまた……

性懲りもなく、また雪景色の画像。

先週で今季の雪山鍛錬は終りと記したが、可能な限り装備や行動の実地試験が行いたかった。よって、本日も時間が少しとれた午後から決行した。

場所は、滋賀県西部の比良山脈。標高1000mを超す峰々が連なり、積雪も多い山域として知られる場所。一応、京都市街東部のうちからも大原経由で車行1時間前後で取りつける最寄りの山でもあった。


上掲写真 比良山脈南部の雪原。一応温暖な近畿の「低山」とされる山域だが雪は有った。点々と横切るのは獣の足跡。彼らにも待ち遠しいかと思われる雪解けまでは、今暫くの時が必要か……。


昨日の降雪残る比良西麓・平集落からの谷道
昨日の降雪残る比良西麓・平集落からの谷道

午前は諸々あり、また出ようとした時、馴染みの宅配のおっちゃんと話しこんでしまったので、なおさら出発が遅くなった。結果、14時過ぎから登ることに。

山で遅出は禁忌だが、良く知った場所で、天候調査や装備に不備はないため、行ける所まで行くこととした。

その道程は、山脈西部山裏の平(だいら。本来の読みは「たいら」)集落から同南端部稜線に出て、状況と時間を見て引き返すというもの。

実は今朝京都市街でも0度前後の気温となったので、凍結等の危険を考えると大幅に気温が上る午後の方が好都合であった(注意:厳冬期では逆に雪崩の危険がある悪条件)。

実際、登り始め早々、最近の降雪の残存も見られた。


少々雪残る比良山脈南端部・アラキ峠
標高約470mの出発地から登坂20分、足下の残雪に少々足を取られつつ主稜線直下のアラキ峠(標高約760m)に到着。意外と雪は少なかった。一度完全溶解したあと、新たに積った風情である


アラキ峠と権現山を結ぶ急登の植林尾根道
アラキ峠と権現山を結ぶ急登の植林道

アラキ峠でチェーンスパイクを付け、主稜線に至る権現山への急登を進む。尾根道ながら泥濘が多く、次いで雪道が現れる足下の悪い区間。


比良山脈南端部・権現山近くの倒木の雪原
急登が終ると今度は倒木の雪原が現れた。昨年の台風被害か。左右に大きく迂回しつつ進む


雪解けした権現山山頂と眼下の琵琶湖
そして権現山着。標高約996m、以降、北へ約20kmの区間に標高1000m前後の峰々が続く主稜線の始まりである。写真は権現山山頂。雪解け直後の泥濘地面。眼下に琵琶湖が見え始めた


権現山北方から見たホッケ山と蓬莱山
権現山北方、即ち稜線縦走路方面には更に高いホッケ山(1050m。右手前)や蓬莱山(1173m。左奥)が見え始めた


権現山眼下の琵琶湖
権現山眼下の琵琶湖。左側の広い北湖と右側の狭い南湖が見える


権現山北方の残雪
権現山からは縦走路を北上する。一旦標高を数十m下げたあと、再び高度を上げる。稜線上の小頂北側等には深い残雪も現れた


南方直下から見たホッケ山山頂と残雪及び雪庇
やがて頂部に標識が立つホッケ山が迫る。その東斜面には多量の雪と未だ恐ろしい規模の雪庇が残っていた。知ってか知らずか、雪庇際をスノーシュー(雪上歩行具)で歩いた跡があったが、慎むべき。上部から雪庇は見えないので、他の登山者が追従する恐れもある


ホッケ山から見た蓬莱山
そしてホッケ山着。北隣の蓬莱山(右側のなだらかな頂)がより近くなった。スキー場があるその山頂付近ではスキーヤーの姿も確認。しかし、スキー場裏のこちら面にはあまり雪がない


ホッケ山から見た広々とした琵琶湖
ホッケ山山上からは琵琶湖の北湖側が更に広く、そして青々と見渡せた


権現山から見た大原盆地や京盆地方面
ホッケ山から南を見ると、手前に先ほど登り過ぎた権現山、その彼方に大原盆地や更には京盆地方面が見えた


雪が戻った雲取北峰と彼方の笠形山
そしてホッケ山南西には、先週までのお馴染み、雲取北峰(標高915m?)が見えた。奥の稜線中央に在るが、頂部に雪が見えるので、昨日の降雪で復活したのであろうか。因みに、右側更に遠方に霞んで見えるのは兵庫中部にある「播磨富士」、笠形山(939m)とみられる


残雪の小女郎峠(中央の鞍部)と小女郎ヶ池
稜線とその縦走路に食い込む天険小女郎(こじょろ)峠(中央鞍部)と左奥の小女郎ヶ池

ホッケ山を過ぎ、更に稜線を上昇すると、やがて小女郎峠(約1070m)が眼下に現れた。峠向こうの稜線上手は標高1100mを超える


残雪に閉ざされる小女郎ヶ池
小女郎峠から天上の広谷を西へ逸れ、小女郎ヶ池に至る。小さく浅い池ながら、氷河期に起源をもち、更に滋賀県最高所の池沼という稀少性を有す。また、その名に感じられる通り、神話的伝説も有す神秘の水面であった。しかし、意外にもその姿は周囲の山地共々、未だ氷雪に閉ざされていた


小女郎ヶ池北側の融解池面
ただ、小女郎ヶ池北側には写真の如く、氷雪の解け始めらしき水面も

人気山域の意外の閑散
充実の鍛錬と試験終える


途中設定した今日の折り返し点は、ここ小女郎ヶ池だった為これ以上の北上を止め、休息兼遅い昼食を摂った。ここまでの総行動時間は2時間弱。

今日は麓で14度程まで気温が上る予報だったので、山上でも十分プラスの気温だったと思うが、池畔は氷雪で囲まれている所為かかなり寒く感じられた。そして誰もいない。もう四半世紀前ものことか、初めてここに辿り着いた時も独りきりで、独特の雰囲気に感じ入ったことを思い出した。

思えば、今日は途中1人しか人と遭遇しなかった。時間が遅いとはいえ、週末で好天、一応比良登山の銀座的ルートでもあったが、少々不可思議に思う。実は、人が多い比良へ来ることはあまり乗り気ではなく、雪のために来たようなものであったが、これも意外の出来事となった。

そして小女郎ヶ池を出て、元来た道をひたに戻る。途中チェーンスパイクが切れ、雪上や泥濘の下降に難儀したが、往路の約半分の時間で無事下山出来た。

今日は移動距離約9km、最大高低差630m、所要時間3時間半程となった。短時間ではあるが、個人的には冬靴の防水具合やズボンやタイツの蒸気問題についての新たな資料も得られるなど、内容の濃いものとなった。

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2019年03月02日

続雪山錬行後記

桧葉にまみれる雲取山山中の残雪

北陸山行から近場鍛錬に復帰

福井内陸部の「気になっていた山」、越前甲(えちぜんかぶと。標高1319m)登頂から1週間後の今日、近場の雪山鍛錬に復帰。場所はお馴染みの京都市街北方の雲取山。即ち前回訪れてから2週間ぶりの復帰であった。

今朝は比較的気温が高かったが、都合により出発が遅くなった。いつもの如く芹生峠(せりょうとうげ)を目指すが、路上には雪がなく、峠の北裏にあったアイスバーン的状況もなくなっていた。

お陰で、芹生集落を過ぎ、林道途中まで車行が叶い、大いに時間短縮が出来た。前回までとは大きく状況を異にする驚くべき変化であった。

あれだけ寒く雪も多かったのに、林道上はおろか山中にも殆ど雪がなく、鳥が囀り暖かな陽が射し込む、正に春の訪れとなっていた。

思えば、最も寒く感じられた2週間前の森なかで初めて鳥の声を聞き気になっていたが、この前触れだったのか。


上掲写真 桧葉にまみれる京盆地北方山地「北山(きたやま)」の残雪。雲取山(911m)への途上の林道にて撮影。


雪解けが進んだ京都・雲取山の林道と山肌
京都・雲取山の麓へと続く林道。明るく陽が射し、あれ程あった雪が殆どなくなっていた


雪が解けた雲取山三ノ谷の分岐部
前回までは雪が深まる場所であった三ノ谷分岐もこの通り


京都雲取山の三ノ谷奥地の残雪
三ノ谷の林道を遡上すると、さすがに雪が現れた。標高は750m程


京都・雲取山の主峰直下の支流谷分岐部の倒木
これは前回紹介した主峰直下へ続く支流谷分岐部にある倒木。前回は7、80cmの雪が載り通行を阻害していたのに、今はこの有様


雪解けした雲取山主峰直下の支流谷
雲取山主峰直下の支流谷の様子。ここも雪は僅か。雪が消えたことにより、沢上に続く夏道が初めて確認出来た。しかし、所々崩落しているので注意


京都・雲取山主峰直下の谷なかにあった炭焼窯跡とみられる石組遺構
支流谷最後の分岐部にあった古い石組炭焼窯遺構。積雪時から認識していたが、雪解けにより改めて確認出来た。雪崩や出水、崖崩れを避けた絶妙の場所に構築されている。これ以後は主峰まで急斜が続くので、恐らくは芹生側最後の窯とみられる。但し、最近知った調査資料によると、中世以前に遡る人跡遺構の可能性もあるので要注意


京都・雲取山三ノ谷支流傍で発見した人為的杉の並木と古道跡らしき痕跡
こちらは炭窯前の支流谷本流傍で発見した人為的杉の並木とその裏に沿う古道跡らしき痕跡。これなぞは積雪時には全く気付かなかった。この谷を詰めると主峰部を巻きながら北方は花脊大布施方面へと連絡可能なため、古い短絡路と路肩の境界木等が想定される


雪解けした雲取山三ノ谷支流谷奥の主峰直下の急斜面
支流谷を遡上して現れた主峰直下の急斜面。ここも、この通り雪は殆どなし。前回まで危惧していた雪崩も、今は昔の出来事か


雪解けした京都・雲取山の主峰頂
やがて雲取山主峰着。なんと、頂上も全く雪はなかった。何やら狐につままれた気分。そして、ここまでの時間の短さにも驚く。雪が大きな交通障害となることを改めて実感


京都・雲取山の古い三等三角点
山頂脇には頂の証である明治中期の三等三角点も。前回まで雪で埋もれて全く判らなかった


雲取山主峰北斜面の残雪
主峰頂部から稜線を北へ進み、お馴染み目的地・雲取北峰に向かう。写真はその途中遭遇した本日唯一の雪原。主峰北斜面なので残ったか


南鞍部から見上げた雪解けした雲取北峰
そして、鞍部から雲取北峰を見上げると、やはり雪はなさそうであった


雲取北峰の北東尾根からみた雪解けした周辺山地
まもなく雲取北峰の山頂に着く。いつもの北東尾根からの眺めもこの通り


雲取北峰から見た雪解け進む比良山脈南部や蓬莱山
滋賀県西部に連なる比良山脈南部の景。左端に聳える蓬莱山(1174m)にも雪解けによる大きな地面が見えた


雲取北峰から見たまだ雪深い比良山脈西北部と武奈ヶ岳
こちらは比良山脈北西部にある同山脈最高峰の武奈ヶ岳(1214m)。こちらの方はまだ雪が多そうにみえた


雲取北峰から見た滋賀県北部の三重嶽
これは本日最も遠方に見えた雪山。恐らく滋賀県北部の「三重嶽(さんじょうだけ。974m)」か。北陸に近い緯度と気象条件によるのか、まだ多くの雪がありそうである


雲取北峰の残雪に座り記念撮影
折角なので、雲取北峰山頂に一部残る雪上に座り、前回同様の足入り撮影を行う。水っぽい雪ですぐに離れたが、何やら名残惜しい気分にも


雪解け進む、雲取北峰山頂下のゲレンデ的斜面
以前山スキー(バックカントリー)の痕跡も見られた雲取北峰頂下のゲレンデ的斜面もこの通り。先日の雪原もまた、夢のまた夢か……


北東尾根から仰ぎ見た雪解け進む雲取北峰山頂
一応、前回同様、雲取北峰山頂をその北東尾根から仰ぎ見る。何やら、陽の力や諸々の色、空気感等の全てが違って見えるように感じられた

名残り惜しくも当山域での今季訓練終了

昼食を挟み北峰山上に長くいたが、やはり下界とは違う気温の低さを感じた。朝晩はまだまだ寒そうである。ただ、この地域での今季の雪上訓練は今日で仕舞いとなった。

名残り惜しいが、まあ致し方あるまい。また巡り来る次の冬を楽しみに……。

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2019年02月23日

奥越雪山行

越前大日山(越前甲)横を通る国道416号線のカーブミラー

奥越の祭と気になる山へ

今週末は福井の親類に誘われ、祭見物をすることとなったが、その前にやるべきことが生じた。

それは、昨年に続く、「これまで気になっていた」山への登山であった。今日・明日と2日間の旅程なので、どちらの日でもよかったが、祭が最終日の明日は皆で参観に出る可能性が高いため、今日実行することにした。

また、天候も朝の温暖に恵まれた今日が適していた。ただ、早朝出ても福井内陸なのでどうしても開始が遅くなり、下調べや情報収集等の準備にも多くの手間と時間が費やされた。


上掲写真 入山当初辿った国道脇に佇むミラー。雪で車は通行止めだが、「特別豪雪地帯」のため、歩く人にも注意が必要な場所であった


福井県勝山市北方に聳える大日山塊
今日入山したのは、福井県内陸部の勝山市北方に聳えるこの大日山塊。勝山旧城下町で華やかな左義長祭が開催されるなか、この山塊のうち、右側に聳える越前大日山を目指した。越前大日はその形状から「越前甲(えちぜんかぶと)」とも呼ばれる。標高は1319m

20年以上前に白山(同2702m)に登った帰り道、夕陽のなかに佇む悠然としたその姿に感銘してから、ずっと気になっていた山であった。


ガードレールが埋もれた国道416号線

前もって早めの昼食を摂り、現地の従兄に車で416号線の通行止地点まで送ってもらう。今年は例外的に雪がないらしく、難なくそこへ達したが、そこからはやはり山地。50cm程の雪が車道を覆っていた。

準備して通行止から独り国道を辿るが、やはり進み難いため早速ワカン(かんじき)を装着。写真は416号線の路面状況。まだ峠のかなり下の方ではあるが、写真の通りガードレールが埋もれている。

因みに、416号線はこの先で標高約900mの新又峠を越え石川県小松市側へと下る。


国道416号線から見上げる越前甲山頂
長い雪の車道歩きを強いられる。見上げると越前甲の頂が見えたが、まだ遥か上方であった


国道416号線から越前甲への短絡路入口部分
車道脇から山中に入る

車道を2km以上進み、やがて道を逸れ山中に入った。先行者の踏み跡があったが、事前に調べた短絡路であった


越前甲東側の岩壁と雪原
樹林帯の登りを抜けると広々とした雪原が現れた。上方に聳える岩壁は甲、即ち山頂山体の縁である。勝山市のサイトによると、越前甲はトロイデ型の火山であり、ドーム型の山頂はそのことに由来するという。そうすると、この雪原は溶岩流による溶岩台地であろうか


越前甲の絶壁
越前甲の絶壁。山頂は同様の岩壁が囲んでおり、器具なしで登頂できるルートは、ほぼ東西の縦走路に限られる。即ち左右2か所の急な痩せ尾根のみ


越前甲東部岩壁下の雪崩跡

地元の達者とみられる踏み跡を時短のため利用させてもらって進んだが、途中岩壁に向かう急登の小尾根を登り始めたことに気づき、引き返す。

尾根とはいえ脆くて深い雪を被った危険な場所で、下降するのも緊張する場所であった。崖際に巻き道でもあるのか。

比較的安全な場所に下降したあとは、目指す稜線鞍部に続くスキー滑走の跡を遡って進む。なんの目印もない非正規的な短絡路なので、状況を考慮しつつ自分で判断するしかない。

しかし、滑走跡もかなり危ない場所を横切っている。そこは、結構傾斜がある谷地の連続で、雪崩の巣窟のように感じられた。案の定、やがて写真の如く、大規模に崩落した跡も現れたので、慎重に通過した。

山肌を縦横無尽に駆ける数多の滑走跡は、昨今流行りのバックカントリーの影響か。山スキーは昔から愛好者がいるが、これでは早晩この地域でも深刻な事故が起こりそうに思われた。


980m鞍部より見上げた雪の越前甲東部稜線

やがて目指す稜線鞍部(標高約980m)に到達。歩行2時間弱、距離約3.6km、高低差約560m。初めての雪上ルートで、途中引き返し等もあったが、悪くない速度であった。

ただ、これまで陽当たりの良い斜面で暑かったのが、急に強風にさらされることとなった。一旦、鞍部下の窪地に退避し、上着やフード、グローブなどといった装備の準備と転換を図る。アイゼンもここにて装着。

ここからは写真の如く見上げる様な急登と狭い稜線歩きが待っていたが、時間的に問題ない為、風と足下の様子を見つつ頂を目指すこととした。


越前甲東部稜線の樹林なかの急斜
樹林なかの急斜の尾根を登る。風は風速15m程の強さか。マスクがズレると顔が痛くなるほどの体感温度であったが、身体が飛ばされるほどではなく、用意した装備で耐えられるものだったため、そのまま進んだ。時に深雪の細尾根を通過。寒さより危険への緊張が先立つ


越前甲東部稜線から山頂を見る
やがて樹林を抜け、写真の如き完全な雪稜となった。強風による警戒心が更に増す


越前甲東部稜線から覗く勝山市街
稜線には風下に雪が張り出して出来る危険な雪庇(せっぴ)の連続も見られた。踏み抜かないよう、また反対の斜面に落ちないよう進む。厳しい状況だが、眼下に勝山市街が見え始めた(写真右)。今頃街では晴天の下、祭が繰り広げられている筈。そんな時に自分は何をやっているのやら(笑)。しかし、低山とはいえ、この違い。やはり山、そして自然は奥深い


越前甲東部稜線から山頂への最後の登り
越前甲山頂への最後の登り。この区間にも細く急な危険個所があったが、もはや撮影出来る状況にはなかった。強風のため、バランスを崩す行為は出来なかったのである


越前甲山頂からみた主峰・大日山
そして山頂着。鞍部からの距離は約900m、高低差は約340mであった。1時間程かかったが、強風と足場不安定のため致し方あるまい。写真は山頂西方の景色。右奥に山塊の最高峰・大日山(1368m。石川県内)が見える


越前甲山頂からみた石川県小松へと続く広谷
こちらは越前甲山頂から見た北方の景。小松方面の広い谷が見える。恐らく強風はこの谷を通る日本海側からの気流によるものと思われた。即ち、ここは風の通り道とみられる


越前甲山頂からみた白山方面
こちらは東方・白山方面。白山は午前中、勝山市街からも見えたが、今は暗雲に隠されていた。残念だが致し方あるまい。しかし、風が強く、退避場所もないため、早々に引き返すことに。何より天候も怪しく、荒天による視界不良を恐れ、早く崖下へ戻ることにした


古道らしき道跡も窺えた雪の大日峠
古道らしき道跡も窺えた雪の大日峠

無事下山するも怒られる?
反省し、ひたに謝る


そして、登りより更に緊張させられた稜線の下降を経て鞍部に戻る。しかし、雪崩の巣と思われた元のルートを避け、更に東して次の鞍部・大日峠から車道へ下ることとした。

古い荷車道らしき痕跡が残る大日峠からのルートは、地形図にも記載される一般道であったが、沢筋のため、やがて辿ることが困難となった。中途半端な沢の積雪埋没で、踏み抜き・転落の危険が生じたためである。

僅か100m程先に国道のミラーが見えていたが、安全を採り再度上昇して横の尾根を越え道に出た。時間が遅いこともあり、これも少々緊張させられたが、地図で現在地を把握していたため、何とか回避することが出来た。

その後は、また延々と雪の車道を下り、出発地に帰着。ところが、下山時間を誤解した従兄が心配して方々に知らせたため、ちょっとした騒動となっていた。自分としては、陽のある内に無事下山したので問題ないとも思ったが、稜線で電話が掛けられず、また明確な下山時間を告げなかったこともあり、ひたに詫びることとなった。

心配させて実に申し訳ない。以後は連絡・通知に気をつけます。

そんな具合で一騒動もあったが、長年気になっていた山への登頂も叶い、夜も祭に集まった親戚一同で楽しい時を過ごすことが出来たのであった。

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2019年02月17日

雪山錬行後記

東尾根から雲取北峰山頂を見上げる

今週も神妙の雪山へ

最近、寒いにもかかわらず雪の写真ばかりで恐縮だが、先週に続き、今週末もまた近場での雪山鍛錬を行った。

ここのところ頻繁だが、近場・京都市内での雪の季節も長くはないので、ご容赦を。写真は、最近お馴染みの雲取北峰(標高915m?京都市右京区)の東尾根から山頂を見上げたもの。

今年は全国的に雪が少なく、また豪雪地帯でも嘗てなく雪が無いとも言われているにもかかわらず、なんと京都市街近郊、しかも低山でありながらこの多量である。

げに、自然は奥深くして面白く、そして、時に恐ろしい。

私がここに通うのは、冬山の装備や行動等の研究と以前記したが、実はこうした自然の神妙的なことへの興味もあった。


氷雪に覆われた芹生峠北側の山間路
本日の京都市街の予報気温は最低3度、最高8度で、山でも先週より暖かくなることが予想された。先週同様に車行で芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)に向かうも、峠まで上ることが出来た。しかし、峠から先はまた写真の如く、氷雪路となっていたので、徒歩で奥地を雲取山塊を目指した


雪解けが進む芹生集落
圧雪の舗装路を徒歩で進み、芹生集落(中心地標高611m)に到達。先週より雪解けが進んだ様子が観察できた


雪深い芹生奥の林道
芹生集落からは、いつもの如く里道を進み、その後林道に入った。雪は少ないと思っていたが、写真の如く、途中から深くなり、進み辛くなった


ワカンとアイゼンの装着
仕方ないので、早めにワカン(かんじき)を装着。今日は登坂・下降での試験と訓練を兼ねてアイゼン(氷雪爪)も装着した


雲取山主峰直下の倒木上の深雪
相変わらず雪深い三ノ谷の林道を進み、やがて主峰直下の支流谷分岐に。その入口にある倒木の上には写真の如く7、80cmもの積雪があった。毎回ここを踏み崩してゆくが、わずか1週間でまた障害が復活したようである。


雲取山主峰直下の谷なかの雪崩の跡
いつもの如く支流谷を遡上する。道はなく、自分が通れる場所を選びつつ進む。途中には写真の如く小規模な雪崩跡も。先週はなかったので、低山とはいえ、こうしたことにも注意が必要だと、改めて思わされた


雲取山主峰直下の最後の急登区間
雲取山主峰直下の最後の急登区間。灌木が多いが、ここも雪崩に注意が必要な場所


雲取山主峰山頂
そして、一旦主峰山頂に到達。標高911m、踏み跡は無し。今日は私だけの独占利用のようである


雲取山主峰頂部の霧氷(樹氷)
ふと辺りを見回すと、樹々が皆白化していた。それは雪の付着ではなく、気中水分の氷結、即ち霧氷(樹氷)であった


IMGP8342.jpg
霧氷を近くで観察すると、枝の一面からサッと刷毛書きしたような白氷がのびていた。風下ではなく風上方向へ発達していることを訝ったが、そういう成長をするらしい。氷点下の強風状況という厳しい環境で生じるらしく、美しく貴重なものであった。個人的に初めて見たので少々嬉しく思った(昔スキー場で見たかもしれないが、楽して遭遇したので記憶にない)


雪塗れる雲取山山塊の針葉樹。
常緑の針葉樹は雪塗れ


雲取北峰から東方の眺め
雲取山主峰で少し休んだあと、稜線を北に進み、雲取北峰の頂に達した。毎度お馴染みの昼食場である。写真は、その雪上で休みながら東方を望んだ景


雲取北峰頂上直下の雪原斜面と遠景
同じく雲取北峰よりの眺め。広い雪原斜面には、ここ最近のものと思われるスキー滑走の跡も見られた。先週とは違い、今日は小雪が降り続き、明瞭な遠望は得られず


雪深い雲取北峰の頂
少し東尾根を下り、改めて頂上を見る。冒頭掲げた写真と同様だが、意外の深雪を改めて感じた


雲取北峰頂部から見た自然林の雪景色
同じく雲取北峰頂部から見た、北方は天然林の美しい雪景色

また諸々を体感し山下る

雲取北峰での滞在は30分もなかったが、風雪の所為か意外に身体が冷えた。特に手先が辛くなり、手袋の組み合わせについての課題が生じた。

途中の雪が少なく、気温も高めであったが、山上はこれまでで最も寒さが厳しく思われた。これもまた、山の、そして自然の神妙なところである。

そのような、諸々を体感し、また山を後にした。

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2019年02月10日

続雪山錬行

積雪が始まった貴船奥宮北の路上

降雪により峠麓から雲取山目指す

今週末もまた、近場での雪山鍛錬。

先週は場所と趣向を変え、鞍馬奥の花脊峠(はなせとうげ)の古道探索等をしたが、今日はまた貴船奥の芹生(せりょう)に戻った。

毎回似たような報告が続くが、今季の課題のためご容赦を。毎度同じ場所で同じようなことを繰り返しているように見えるが、気象や足場等の条件の違いを見ながら、装備や行動の研究をしている。

さて、今週はかなり気温が高い日が多かったが、今日はこの時季らしい冷え込み。しかし、京都市街では早朝でも氷点下とはならなかった。

だが、向かう貴船は違った。神社辺りから雪が舞い始め、奥宮を越えた近くから、写真の如く路上での積雪が始まっていた。

著名観光地近くとはいえ、標高は350mを超えるため致し方あるまい。慎重に二輪を進め、走行可能な限界点まで進み徒歩行に切り替えた。

先々週は峠の少々下辺りまで進出出来たが、今日は峠から1kmの距離、標高では200m以上下から車道を歩き、遥か雲取山を目指すこととなった。


周囲全てが雪で覆われる芹生峠
雪の車道を延々と歩行登坂して辿り着いた芹生峠(標高約700m)。山も道も側壁も全て雪で覆われている


静かな雪風情に包まれる芹生集落
雪の車道行はまだ終わらない。峠からまた1.2km程歩き芹生集落に到着。今日はまた一段と静かな冬風情に包まれている


京都雲取山直下の三ノ谷支流の雪景色
そして、また集落の里道と林道を延々2.5km程歩いて雲取山主峰直下の谷に至る。厳寒に雪溶かす沢上以外は、ここもまた当然雪の世界


京都雲取山主峰直下の雪の急登
雲取山山頂直下の谷を詰め、最後の雪の急登を進む


雪積る雲取北峰山頂
そして、山頂に達し、そのまま稜線を北に進み、やがて雲取北峰(標高約915m?)に到達した


雲取北峰山頂からの北方の眺め
雲取北峰山頂からの眺め(北)

意外なる曇天での美景

雲って良い天候とは言えないが、不思議なことに遠望が叶い、近景共々、絶妙な明暗差をもつ美しい眺望が得られた。これは実に意外なことであり、これまでの認識を改めさせられた


雲取北峰山頂から見た比良山脈
雲取北峰から見た比良山脈(中央奥)。滋賀県西部に連なる山地で、南端の霊仙山(りょうぜんやま。標高750m)から最高峰の武奈ヶ岳(同1214m)までの主な峰々が見える


雲取北峰山頂からみた皆子山
こちらは京都北山の一峰、峰床山(中央奥左の緩やかな頂)。周囲に馴染む緩やかな峰だが、標高は969mあり、皆子山(同971m)に次ぐ京都府第2の高峰とされている


岩を抱える冬を耐える雲取山三ノ谷の樹木
そのまま風景を楽しみつつ雲取北峰山頂で昼食を摂り、その後下山。小雪の所為か、景色は来た時より濁り始めていた。写真は岩を抱えつつ厳しい冬を耐え忍ぶ三ノ谷の樹木


夕方に至るも雪残る芹生峠
そして、また延々と林道と車道を戻り、峠下から車行にて帰宅した。北峰からの歩行距離は約6.5km、往復13kmに及んだ。写真は芹生峠。午後も気温が低かったので、その様子は午前とあまり変わるものではなかった。

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2019年02月02日

廃路探雪

1/25000地形図での新旧花脊峠付近
1/25000地形図での新旧花脊峠付近。出典「国土地理院」。地名加筆は筆者

雪の花脊古道をゆく

今日は、いきなり地形図の掲示から。

縮尺1/25000のそれは、京都市北部の鞍馬集落奥にある花脊峠(はなせとうげ)付近のものである。先月から続けている雪山鍛錬で通う「芹生(せりょう・せりう)」と同じく、京都盆地北縁の山地にあり、その後背の丹波山地と京師を結ぶ歴史的交通路であった。

今日は雪山鍛錬を兼ね、近代以前から使われていたとされる旧花背峠を経由する古道を探索することとなった。地形図下部に記された「古道分岐」から北西に向かう谷道である。


鞍馬街道の西脇にある花背集落へと向かう古道の入口・分岐部

本来は地形図右上にある現車道の花脊峠まで二輪で行き、西稜線を徒歩で進み旧峠に出る予定だったが、車道8合目辺りで路面が凍結し始めた為、古道分岐から旧路を遡上することとなった。

写真は新峠へと続く鞍馬街道(府道38号及び国道477号)。左脇に2本の紅白棒が見えるが、そこから古道が分岐する(本来はそちらが主路だったのだが……)。


沢か道か判別不能の花脊古道
沢か道か判別不能の花脊古道

入口両脇に堅固な石垣を備えた古道は、未舗装ながら林道程の幅を有して奥へと続く。しかし、去年の台風や大雨に因るのか、倒木が多く、路面も道か川床か判らなくなる程となった。


道も沢も全てが倒木と土砂で埋め尽くされた花脊古道

そして、やがて写真の如く、道も沢も全てが倒木で埋め尽くされる状況となった。倒木を潜り、またその上に這い上がって先を目指すも、土砂崩れもあり、程なく通行不能となった。

谷の両斜面も険しくなり、雪も深いため、ワカン(かんじき)を付け、斜面の高みから周囲を見渡す。やはり抜け道はなし。先行他の足跡同様、引き返すことも考えたが、慎重に急斜面を巻きつつ上部に進んだ。


花脊古道の急斜・狭隘部を上部から振り返る急斜の隘路上部に残る緩傾斜の道跡と峠方向に広がる空さな滝を越えたようである。こんな険峻に古道が営まれていたことに少々驚き、そしてそれが途絶したことを残念に思った。

因みに、新峠が開削される以前の明治28年版『正式二万分一地形図』には、古道は同じ経路で村落間を連絡する「聯路(れんろ)」として描かれている。恐らくは1間以上の幅を有して荷車も通行可能な道であったと思われる。

なお、京都北山(きたやま。北部山地)に詳しい、戦前生まれの著述家・金久昌業(かねひさ・まさなり)氏の実見によると、以前この道上には石畳の如き設えがあったという。


急斜の隘路上部に残る緩傾斜の道跡と峠方向に広がる空
急斜の隘路上部に残る緩傾斜の道跡と峠方向に広がる空

隘路上部には、分岐部同様の幅をもつ道跡があったが、やがて植林地となり途絶していた。林地として払い下げられたのであろうか。樹々を避けつつ、沢沿いを上る。

雪は一段と深くなったように感じられる。場所により50cm以上か。


花脊古道を塞ぐ植林地上部にある改変地形
花脊古道を塞ぐ植林地の上部にある改変地形

場所により腰辺りまで雪に沈みながら林地を抜けるとまた道が復活。傾斜も更に穏やかなものとなった。付近には支道や山体を削り残した人為地形も見られた。採石場か何かであろうか。

とまれ、古の風情は失われているようであった。


通行止の看板と鎖により封鎖される花脊古道から鞍馬山への道

道は間もなく緩く広い鞍部に達し、そこで南へ伸びる林道と分岐していた。山上伝いに鞍馬山、そして鞍馬寺へと向かう道である。しかし、写真の如く通行止の看板と鎖により封鎖されていた。

注意書によると、昨年の台風21号の被害により寺へは下れないとのこと。


大杉傍の大日堂共々雪に埋もれた旧花背峠
大杉下の大日堂共々、雪に埋もれた旧花背峠

古道は、鞍馬山分岐から針葉樹の森なかを北へと続き、やがて旧花背峠に達した。標高750m、大杉傍の大日堂共々雪に埋もれて良い風情である。

積雪は40cm程か。峠の北向こうを下ると花脊集落、大日堂前の左から分岐する道は芹生へと続く。花脊には戦前既にスキー場があり、バス便により訪れる市街の人で賑わったという。

ただ、冬は積雪により峠が通行できず、先ほど歩みを始めた古道分岐の「峠下」から徒歩による山越えを強いられたという。

そこで疑問であったのが、積雪の害がない場合は新旧どちらの峠をバスが越えていたのか。車道は明治32(1899)年に開削されたことが判明しているが、それがどちらの峠かわからないのである。

この地域最古の近代地形図である明治20年代の仮製図には、古道の峠しか描かれていないが、その峠と道が車道として広げられた可能性もある。だが、あの急斜と深い谷を無事通過出来たかは疑わしい。

色々調べたが、良く判らなかった。せめて新道の確実な開通年が判れば手掛かりにはなると思うが……。どなたか史料を存知ならご一報頂きたいところである。


旧花背峠の東から続く稜線ルートの山道
旧花背峠の東から続く稜線ルートの山道。足跡は天狗杉まで往復してきたという、スノーシューハイカーのもの

新旧の峠結ぶ雪稜横断へ

さて、旧花背峠から先の道は以前通って既知だったので、峠右横の山道から稜線伝いに新道峠へと向かうこととした。

雪深い急坂を上り、一路峠への中途にある山頂「天狗杉」を目指す。


旧花背峠と新峠を結ぶ稜線近くの伐採雪原
天狗杉を目指し急斜を上ると、なだらかな稜線に出た。京都市街からも見える、広々とした伐採地が雪原を成す場所も現れる


天狗杉山頂近くの「チマキザサ」養生地
天狗杉山頂近くの「チマキザサ」養生地。チマキザサは祇園祭に欠かせない植物ながら、近年獣害により絶滅の危機に瀕している


IMGP8241.jpg
天狗杉近くの稜線北西には花脊の谷向こうに最近お馴染みの雲取北峰が見えた(中央奥の頂。推定標高915m)。その右は雲取後峰(仮称。同900m)と見られるが、左側梢辺りにある主峰(雲取山。標高911m)と前峰(仮称。推定標高900m)は奥にあるため、手前の稜線が干渉し判り辛い


雪深い天狗杉山頂
雪深い天狗杉山頂

そして天狗杉山頂着。標高は837m。市街から奥にあるため目立ち難いが、比叡山(848m)に近い高さをもつ。雪が深くて当たり前か……。


天狗杉山頂付近からの京都市街の眺め
天狗杉山頂付近からの京都市街の眺め。市街から山は近くに見えるが、山から市街はかなり離れて見える。それだけ山が高いということか。市街北部の交通結節点「出町柳(でまちやなぎ)」まで直線約14km


天狗杉東稜線の雪の少ない区間
天狗杉東稜線の雪の少ない区間

天狗杉を越え稜線を更に東へと進む。以降踏み跡はなし。この区間の今日の通行者は私のみのようであった。天狗杉からは一旦標高790m辺りの鞍部に下るが、所々雪が少なく、地面が見えている場所があった。

何故ここだけ雪が著しく少ないのか。陽当たりか風の作用に因るのか、少々興味深い。


花脊峠へと続く標高約810mピーク西側の雪深い登坂稜線
標高約810mピーク西側の雪深い登坂稜線

しかし、新峠手前の標高810m頂の登りにかかるとまた雪が深くなった。西面特有の陽当たり影響か。油断してワカンを外さなくて良かった。


雪と灌木に覆われた天狗杉東方の標高約810m頂
雪と灌木に覆われた標高約810m頂

標高約810m頂に達すると、そのなだらかな地形により稜線は曖昧となった。峠まであと僅かな距離ながら、何の案内も無いため、方位と地形を慎重に見極め進む。


雪深く、倒木も多いため進み辛い標高約810m頂東側稜線

標高約810m頂を越えてまた東稜線を下るとたちまち雪の深さが増した。今度は先程とは逆に東側が雪深い。やはり陽当たりは関係ないのか。倒木も多く、ワカンでも進み辛い状況となった。


花脊峠北側の緩やかな植林谷
花脊峠手前で稜線を逸れ、緩やかな植林谷を下る

進み辛い稜線をそのまま進み新峠真横に出ることも考えたが、あまりの荒れように、無理せず、北側の谷へ下る回り道を採ることとした。緩やかな植林谷に入る進路である。


花脊峠を北側から見る
現バス道の花脊峠(車が停車している辺り)を北側から見る

新花脊峠に達し古道探査と雪山鍛錬終える

そして植林谷を下りきり、新道である舗装路に出た。南数10mには花脊峠(759m)が見え、その温度計は「1度」であった。車道の雪はかなり溶けていたが、零下ではないものの、やはり寒い筈、雪が残る筈だと思った。

その後、ワカンやストックを片し、車道を下り、峠下まで戻って終了とした。今日は引き続き雪山鍛錬が出来たことに併せ、古道の場所や罹災状況を知ることが出来た意義深い一日となった。

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2019年01月23日

雲取巡峰

雲取山西直下の三ノ谷の倒木に生じた氷柱(つらら)

雪山鍛錬行再び
900m超支峰巡る


今日は先週末までの急ぎの案件が一段落ための代休。半ば急に生じた休みなので、前回同様、単独で雪山鍛錬を行うことにした。

向ったのも前回同様、京都市街北郊の雲取山(911m)。ただ、今回は前回触れた通り、主峰とその付近に存在する900m超の支峰を巡ることにした。


上掲写真 雲取山山頂直下の「三ノ谷」の倒木に生じた氷柱(つらら)。ここ暫く比較的温暖な気候が続いていたが、山中の厳しさが窺えた。


京都市街北部の出町柳付近の賀茂川(鴨川)から見た京都盆地北縁の山々

雲取山何処?

さて、前回は文字だけで雲取山を説明したので、今日は写真と図で少し説明したいと思う。

上の写真(2019年1月14日撮影)は、京都市街北部の出町柳(でまちやなぎ)付近の賀茂川(鴨川)から見た北縁の山々。即ち「京都北山(きたやま)」の一部であるが、雲取山もこの山中にある。手前の谷なかには著名な貴船と鞍馬があるので、その奥山と言えば解り易いであろうか。

ただ、市街から近い(出町から直線16.5km)わりに、盆地北縁の城丹尾根(旧山城・丹波国界)の後方に在るため、その姿は市街からは見えない。写真中央奥の幽かに雪を含むなだらかな峰が、雲取山南東に在り、同山にも続く標高860m超の尾根峰で、雲取山はそこから更に1.8km奥にある。

また、山中にある四方の諸集落からも奥山に当たり、姿を見ることは難しい。この姿なき存在が、京都盆地北縁山群の最高峰ながら、地元でもあまり知られていない所以であった。

因みに、写真右奥の、良く雪が見える峰が「天狗杉(837m)」と呼ばれる山で、その左鞍部(窪み)に鞍馬から花脊(はなせ)・丹波方面に抜ける旧花脊峠(750m)、右鞍部に現在の花脊峠(759m)がある。


1/25000地形図での雲取山付近
1/25000地形図での雲取山付近。出典「国土地理院」。地名加筆は筆者

次は図での説明。上の図は2万5千分の1地形図上の雲取山部分。前掲の写真に見える、京都盆地北縁中央の城丹尾根裏側に広がる地形である。芹生(せりう・せりょう)集落から続く灰屋川水系の源流部分に雲取山とその山塊があるのが判る。

今日探索する4座の900m超の頂は、主峰雲取山の南西から北西にかけて並んでいる。即ち、同じ尾根線上。前回に続き今日も芹生集落から沢筋を遡上して三ノ谷に入り、その支流谷から雲取山主峰に上る。そして最後部の頂(図上名「雲取山後峰」)から順に未踏3座を探索することとした。


凍結する芹生峠下の道

雪は減ったが……

今日の市街気温は最高12度の温暖が予想されていたが、朝が1度程だったので、道の凍結を勘案し、また少し遅出の二輪行で出かけることにした。

既に観光客が散在する貴船を超え、芹生峠(標高約700m)へと向う。山肌の雪は前回より減じていが、何故かアイスバーンの区間が増していて、写真の如く、峠に着く前での下車を余儀なくされた。


雪に覆われる芹生峠
雪に覆われる芹生峠。アイスバーン区間が増えたのは、融解した雪の再凍結に因るものか


少し積雪が減った芹生集落

そして、また延々と雪の舗装路や林道を歩き雲取山麓を目指す。導入した雪靴の調子が良く、圧雪や凍結面での雪杖(ストック)は不要であった。

写真は途中また過ぎた芹生集落の景。やはり前回に比して雪は減っている。


三ノ谷の倒木に積った多量の雪

芹生集落からは前回同様、林道に入る。当初ワカン装着は不要かと思ったが、奥地は違った。特に三ノ谷からは前回と変わらぬ積雪に感じられた。

写真は三ノ谷に入って暫くした地点にある倒木。未だ大量の雪が残っている。標高や地形、高所気温の所為か。


雲取山山頂下の深雪に沈む足

それでも、ワカン装着を引き延ばし、このまま一気に登頂することも考えた。しかし、山頂直下の支流谷の分岐辺りで、写真の如く30cm以上足が沈んで動き難くなったので、装着することとした。


雲取山山頂へと続く支流谷の深雪と急登

そして支流谷の深雪と急登を行く。ここら辺の状況も、然程変わらず。ただ、新雪直後的な前回より雪崩の危険は少なそうであった。


雲取山頂部から北へ続く尾根上の踏み跡

雲取山塊、雪の諸峰巡り

経験か雪崩への警戒減少の所為か、心身共に前回より楽に頂上に着き、すぐさま最遠の後峰へと向かった。

写真は主峰頂部から北へ続く尾根上の踏み跡。前回と異なり、今日は花脊方面から一ノ谷か二ノ谷を経て山頂を踏んだ先行者2、3のの痕跡を見た。

しかし、誰もかんじきを使用しておらず、かなり足をとられて苦労した様子が見てとれた。途中、峠道等もあるので、相当苦労したのではないか。


雲取山北峰と後峰の鞍部から見た後峰と京都府立大学山岳部の山小屋

前の図で判る通り、雲取山主峰と後峰の間には北峰があるが、一先ず最遠の場所からの踏査を優先。

主峰頂部より雪が深まる尾根筋を通り、北峰を回避(トラバース)するように続く図上の登山路から後峰直下に出た。写真は北峰と後峰の鞍部であるそこから見た後峰の姿。北山の峰らしい、なだらかな山容であった。

左下には京都府立大学山岳部所有という山小屋が見える。


雪中に灌木繁る雲取山後峰
雲取山後峰の頂部。主峰から約700mの距離にある

鞍部中心から一ノ谷へと向かう足跡と別れ、少々登坂をラッセルして後峰頂部に至る。写真がその景だが、冬枯れした灌木があるのみ。眺望もなく、足跡のない理由の一つを知らされたような気分にさせられた。


雲取山後峰から見た雲取山北峰

雲取山後峰頂部の次は、また来た道を戻り、北峰へと向かう。写真は後峰から見た南方の北峰。往路はこの山体右側を巻いてきたので、今回は直登する。


雲取山北峰頂部
雲取山北峰頂部。主峰からの距離は約400m

そして雲取山北峰着。その頂部は写真の通り。ここには「雲取山北峰」と記された札が掛けられていたが、それが正式の名か、また古くから呼ばれていた名かどうかは不明である。

北峰のピークは地形図にある通り、南北に長い舟形であるが、最も高い場所は南寄りにあった。等高線によると、その標高は主峰同様910mから920mの間にあったが、最高所の形状から、主峰より高いように感じられた。


雲取山北峰からの北方の眺め
雲取山北峰からの北方の眺め

雲取山北峰にも踏み跡はなかったが、眺望と雪山風情の良さに特筆すべきものがあった。特に北方が開けており、眼下・近傍の山谷はおろか、遠く滋賀湖西の比良山脈や京都府最高所の皆子山(971m)や峰床山(969m)が望めた。


雲取山北峰から見た峰床山(左奥)と比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m。右奥)
雲取山北峰の北方に見えた、峰床山(左奥)と比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m。右奥)


枯木のたうつ雲取山北峰頂部
枯木のたうつ雲取山北峰頂部。北峰山頂は広々とした雪原があり眺望も良いが、一旦荒れると厳しい状況となるのであろう

この様に北山屈指の眺望があり、主峰同等かそれ以上の標高や山頂規模を持つ雲取山北峰だが、あまり人気がないことを残念に感じた。

地理的には、ここが主峰でも良い筈なのに三角点が現主峰にあるのは、それが置かれた明治期はそちらの方が見通しが良かった為であろうか……。


雲取山主峰から見た南方は未踏の雪尾根

雲取山北峰探索の後は主峰南にある前峰に向かう。主峰への戻り行程となるが、今度は北峰の道なき南面を下った。途中の植林地では倒木が多かったが、何とか通過して先程通った主峰下の登山路に出た。

写真は、主峰頂部に戻り、そこから南方の未踏尾根を見た景。こちらも踏み跡がなく、ちょっとした探検気分。雪の量は主峰同様であったが、風の影響か、ムラが多く歩き辛かった。


雪中灌木が繁る雲取山前峰の頂
雲取山前峰。主峰からの距離は約200m

そして程なくして雲取山前峰の山頂に達した。写真がその景だが、後峰と同じく灌木が繁るのみで眺望はなかった。


残雪ある芹生集落端部の府道361号

予定終了

前峰を最後に全ての予定を終えたので、主峰に戻り元来た道を下山した。写真は芹生集落端部の府道361号。標高はまだ600m以上あるが、午後を大きく回った今は寒さは感じられず、路面の氷雪の融解も進んでいた。

そして、芹生峠を越え、無事二輪を回収して帰宅した。今日の山行は、山上での距離や高低差はあまりなかったが、興味深い地理的観察や雪中訓練が叶い、前回に劣らぬ有意義なものとなった。

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2019年01月13日

雪山錬行

2018年の台風21号による芹生峠の凄まじい倒木被害

適期初の冬山鍛練

今年最初の山行きは個人での訓練行。

昨年に続き、いよいよ適期を迎えた雪山での鍛練と実地研究であった。向かったのは、京都市街近郊の雲取山(911m)。京都盆地北縁に連なる北山(きたやま)山地只中にあり、市街から見て最も奥に覗く一峰である。

昨年末以降、比較的暖かい日が多く、市街に全く雪はなく、また今日も12度まで気温が上る予報が出ていたが、雲取山手前の天狗杉(山名。標高837m)等に雪が見えたので、一先ず向うこととした。

仕事の関係で早朝のバスに乗れなかったこともあり、二輪で向かう。行先は、雲取山直下の集落「芹生(せりう・せりょう)」であった。左京区を北上し、岩倉から貴船に入り、その後、峠道にさしかかる。

凍結を警戒しつつ速度を落として林間を進むと、昨年9月の台風21号による凄まじい倒木被害が現れた。写真がその様子だが、植林木の一目数千本とも想われる被害が認められ、その他にも落ちた車道の補修や路上倒木の切断跡等が随所に見られた。

そういえば、この道も台風以降長く通行止めが続いていたのであった。


両側に雪積る芹生峠

芹生峠から雪上を歩く

つづらの道を登り高度を上げると、やがて路上にも雪が現れた。そして、それを避けつつ、なんとか芹生峠に到着。

標高約700m、路肩から続く斜面には、写真の如く深さ30cm程の積雪がみられた。


芹生峠北側のアイスバーン路面

一応、何度か除雪が入ったようではあるが、写真のように峠より先は完全なアイスバーン状態となっていたので、車行を断念し、以後は歩いて雲取山を目指すこととした。


雪に閉ざされた芹生集落
芹生峠から暫く(1.5km程)車道を歩き、やがて芹生集落に到達。見ての通り、雪で閉ざされ静まり返っている。一応、京都市内ではあるが、その市街地とは全くの別世界であった


雪に埋もれる旧芹生小中学校
谷なかの芹生集落を通り、集落北西にある雲取山を目指す。旧芹生小中学校も雪に埋もれてこの通り


雲取山と旧花背峠の分岐路と芹生ロッジの建屋群
分岐路と芹生ロッジの建屋群

芹生集落外れから雪の林道を北上

道はやがて集落外れの芹生ロッジと、北(左)の雲取山・東(右)の旧花背峠へと道が分かれる地点に到達。

芹生ロッジは芹生集落保存活動の中心施設。ここでゲイター(雪除脚絆)をつけ、北の道に入った。


雪の勢龍天満宮と背後の倒木被害

分岐を過ぎると更に積雪が増す。路上でも20cmを超えるか。歌舞伎の『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』と縁のある「勢龍天満宮(せりょうてんまんぐう)」も写真の通り。

そして、神社背後の斜面には、また大量の倒木被害が見られた。初めて入る雲取山への不安は、山上の雪や氷の状態と、この倒木であった。


芹生奥の台杉(櫓杉)
勢龍天満宮上手の巨大な台杉もこの通り


芹生北の三ノ谷の分岐
三ノ谷との分岐。門の向こうが三ノ谷。主路続く右側は花脊方面へ続く

芹生と雲取山最短路の三ノ谷へ

川沿いに付けられた林道を遡上するように進み、やがて「三ノ谷」分岐に達した。三ノ谷は芹生から雲取山へ行く最短のルートである。

交通の便が良い東麓の花脊集落に近い一ノ谷や二ノ谷のルートが一般的で、情報も多かったが、雪が多いため最寄りの三ノ谷を進むことにした。


芹生三ノ谷の道を塞ぐ倒木
三ノ谷の道を塞ぐ倒木。これまで比較的道への倒木被害は少なかったが、奥に進むにつれ増え始めた


冬靴に装着したワカン
冬靴に装着したワカン

三ノ谷にも足場の良い林道が続いていたが、雪が深く歩き難くなったので、雪上で浮力を稼ぐワカン(かんじき)を装着した。

積雪は30cm程か。荷を置くにも尻を着くにも雪と接するため、何かとやり辛い。

今日の訓練山行は、昨年あまり出来なかったワカンの歩行訓練と、年末仕入れた冬靴のテストも兼ねていた。


雲取山山頂と三ノ谷を結ぶ支流谷の道なき雪上ルート
山頂へと続く支流谷の道なき雪上ルート

山頂へ直結する支流谷での格闘

やがて、三ノ谷と雲取山山頂を短絡する支流谷に入る。林道は途切れ、進路も北行から東行へと変わった。

全く道のない、または埋もれた、雪の登坂を進む。谷の右急斜下には雪崩の前兆ともされる無数雪玉(スノーボール)の落下が見られた。

先行者の踏跡は全くなし。少々緊張して進む。


雲取山山頂下の新雪質の急斜

支流谷では、雪深い谷の斜面を無理やり横切るように進んだり、雪の溶けた沢筋を進んだりして徐々に高度を稼いだ。しかし、ワカンでも深く沈む新雪(しんせつ)質の雪や、急斜でのスリップの所為で、中々進まない。

時に尾根筋に出て負担軽減と速度向上を図るが、倒木が多く結局谷筋に戻った。陽は射しているが、深い雪か標高の所為か気温も低く感じられた。

写真は、山頂方向に続く、困難な我が前途。


雪覆う雲取山の山頂
雲取山山頂

山頂は晴天なるも寒し

あまりに時間がかかるようであれば、帰りが危険になるので、中止も考えたが、なんとか到着した。

三ノ谷から頂上までは、距離にして500m程、高低差も160m程であったが、1時間近くかかってしまった。慣れの問題もあろうが、好天にもかかわらず、雪質により体力と時間が大いに費やされるという知見を得た。

実は、芹生峠から支流谷まで4km以上あったが、僅かなこの区間が大きな難所となったのである。


雪の雲取山山頂から比叡山及び京都市街方面を見る
雲取山山頂からの眺め(比叡山及び京都市街方面)

さて、雲取山山頂では雪上に荷を下ろし遅い昼食をとる予定であったが、風が強く、全てを食す気にはなれなかった。防風用の上着を取り出し、急ぎ汗冷えに備えた。

折角なので周辺を見回すも、雑木の所為で殆ど無し。僅かに、枝の向こうの叡山と京都市街の家並が確認出来たのみであった。

山上には花脊方面から登ってきたとみられる古い足跡はあったが、ここ最近の人跡は見られなかった。悪い場所ではないと思うが、交通不便で人気がないのか、少々残念な気がした。


雲取山山頂から続く雪の踏み跡
自ら固めた踏み跡を辿り下山する

短時の下りと山への惜別

麓の気温からすると山頂も零度以上かと思ったが、強風の所為で体感は氷点下に思われた。寒く、時間も遅いので、早々に撤収することにした。

深い雪と寒さ――。しかし、ここは京都市街北縁から直線10km程度の、まだ市内であった。京都の意外な広さ、奥深さに改めて感じ入った。

下りは自身で固めた踏み跡を辿る。あれほど困難だった道程は、驚くほど短時に終り、正に午後の幻と化したのであった。


樹下の雫が光る芹生北部の道)
樹下の雫が光る谷あいの道(芹生北部山間)

また延々と雪の林道を戻りゆく。山での緊張が解けた後は、いつも名残惜しさに包まれる。格闘した相手への理解と敬愛のようなものか――。

地形図によると、この山域には900mを超す峰が雲取山を含め4座ある。近々、それらもまた巡ってみたいと思った。

無事帰宅し疲れ癒すも……

そして芹生峠に戻り、無事、陽のある内に、道が凍らぬ内に帰宅することが出来た。

それにしても、新雪にもがいたため意外に全身運動が叶った。帰宅後は道具を片し、風呂に入ってその疲れを癒す。しかし話はここで終らず。なんと、深夜友人に呼び出され、新年会がてら4時過ぎまで飲むこととなった。

店で「雪山帰りだ」と言うも、友や他客共々、半信半疑の様子。新雪との格闘はおろか、山行そのものも、また幻と化したか……。

致し方あるまい。これも諸行無常、下天は夢か……。

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2018年10月14日

続2018秋野営会

沢の粘土を竈の火で焼いて作った土偶

名残惜しい1泊明けの最終日

秋の野営会2日目。

今回は1泊のみなので、今日が最終日となる。朝の火熾しは、珍しく早く起きた私が担当したが、雨は無かったものの、夜露の影響で少々難儀した。

湯を沸かし、シチューの追加野菜の下茹で等を済ませて、先に朝食を摂った。静かな山中の澄んだ空気のなかで寛げたが、今日のみなのが少々名残惜しい。

写真は、参加者らが竈の火で焼いて作った土偶作品。短時間の焼成ながら、今までになく硬く焼き締まっている。水晶採り場の粘土を利用したらしいが、その良質が左右したのか……。


湖南アルプスの稜線の奇岩向こうの湖東平野、琵琶湖、比叡山

下山は奇岩・絶景ルートで

午後1時過ぎに昼食後、少し休んでから片付けを始め、撤収した。

今回は来た道を辿らず。稜線伝いで街場まで近づき、下山することにした。山道の距離は長くなるが、当地「湖南アルプス」の名の由来でもある奇岩・絶景を楽しんでもらうことにしたのである。

写真は正にその景。稜線の奇岩と、その向こうの湖東平野と琵琶湖、そして比叡山を一望に収める。


湖南アルプスの急斜
下山といえ、途中山頂を踏むため、幾らかの登りがあった。その中には写真のような急斜や険しい場所も。ただ、命に関わるような場所はなく、初歩的な講習を兼ねることが出来た


湖南アルプスの岩床の沢
夕暮れ迫る湖南アルプスの岩床の沢

下山と共に夜の帳降りる

私以外は慣れぬ道の所為か、予想より時間がかかったが、周囲が見渡せる絶景の山頂等を経て、無事下山出来た。

そして、バス停に着く頃には夜の帳(とばり)も降りきったのである。

最後は日没の暗さで不慣れの参加者に不安を感じさせたが、まあ、これも経験のうち。忘れたヘッドライトの重みが身に染みたことであろう(笑)。

さて、その後は麓のバスや列車の乗り継ぎにも恵まれ速やかに帰還することが出来たのであった。

皆さん有難う、お疲れ様でした!

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2018年10月13日

2018秋野営会

滋賀県の湖南アルプスの澄んだ沢水

1年ぶりの開催

今日は秋の野営会初日。

京都市街から近い滋賀県南部の山地での春秋恒例のキャンプであるが、春が荒天により中止となったので、去年の秋以来の、久々の開催となった。

とはいえ今回も朝から曇りで、夜には雨予報もある条件に。しかし降るのは夜中の少々のみで翌日は晴れるということなので決行することにした。

こういう場合、薪や竈が濡れて朝の火熾しが面倒となるが、火熾し用の薪をビニール下に退避させるなどの対策で乗り切るつもりであった。


上掲写真: 野営会開催地、滋賀県南部「湖南アルプス」の澄んだ沢水。


湖南アルプスの急登の道
野営地へと続く急登の道

さて、交通機関を乗り継ぎ、野営地への山道をゆく。

今回は新人さんが1人来てくれたので、かばいながら、となった。しかし、特に難なく山上の野営地に辿り着くことが出来た。


石組みと粘土で補修された竈

今にも降りそうな空模様なるも……

そして山上について暫し休憩後、手分けして設営作業に。

最初は、洗い場等の皆で使う公共施設整備から。写真の竈は毎年使用していたものだが、一部破壊されていたため、S君が補修。そして、その段差や隙間をJさんが近くで採れた粘土を使い、仕上げ補修。中々の共作。

その後、各自のテント設営等を行い、自由時間に。新人さんは早速水晶採りに挑戦。夕方からは雨を警戒して少し早めに食事の支度を始めた。

今にも降りそうな空模様だったが、幸い降ることはなく、無事、焚火夜の語らい、そして平穏に就寝することが叶った。

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2018年04月21日

近山新緑

志賀越古道の脇の古い道標

ちょいと近場の新緑観賞へ

今朝は菜園の香菜受け渡しの為の来客があり、その後、滋賀からの友人が到着し、近隣を案内することとなった。

向かったのは、瓜生山(うりうやま)。京都市街東郊に連なる「東山連峰」の一山である。大文字山とは志賀越の古道、白川の谷を隔てた北隣の関係で、標高も低く(301m)、気軽に登れる場所であった。

今日は、そんな瓜生山で今が盛りの新緑観賞をすることとなった。午後からは、また別の誘いがあったので、本来は独りでさっと行くつもりであったが、友人の誘いもあり、同行することとなったのである。


上掲写真: 今も京と志賀(滋賀)を結ぶ志賀越古道の脇にあった古い道標。左は「見真大師御旧跡」、右は「勝軍地蔵尊」とある。見真大師とは真宗開祖・親鸞のことで、その縁の寺である一乗寺集落の「北山別院」を指すものとみられる。勝軍地蔵とは瓜生山山頂にかつて安置されていた地蔵を指す。即ち、瓜生山へと続く支道への案内。


新緑眩しい瓜生山の南登山口(清沢口)
今は病院の擁壁横となったが、瓜生山の南登山口(清沢口)。新緑が目に眩しい

先に法然院裏の大木ある自然林や哲学の道等を見学して、瓜生山に入る。登山道は、一般的な南側の病院横から入る清沢口(きよさわぐち)のルートで、長駆すれば比叡山まで達することが出来る主路的なものであった。

先ずは出迎えた新緑が目に眩しいばかり。


案内板に茶山と記された瓜生山山中の平坦地
案内板に茶山であると記された瓜生山山中の小頂部平坦地

駅名でお馴染みの「茶山」由来地?

谷道を進み、その後尾根道を辿る。尾根の頂部には平坦地が幾つも続き、道はその横下に続く。

瓜生山は戦国期に足利将軍縁の城塞と化していたこともあった為、各所にその遺構が残存している。この平坦地も恐らくは防御用の郭とみられる。

写真は、やがて達した小さな頂(いただき)上の平坦地。標高は200m弱で、ここの平坦も人為が窺われるものであった。傍らの案内板には「茶山」との説明が。17世紀初頭の慶長の頃、かの豪商茶屋四郎次郎がここに別荘を構えたことがその名の由来となった、とも記されていた。

麓に同名の私鉄駅があるため、地元には馴染み深い名称であるが、更に下方にある造形大背後の頂をそれとする説もある。


名石「白川石」の破片
名石「白川石」の破片

茶山の頂を過ぎて尾根道を外れ、谷道側へと横移動する。石切場跡や隠者白幽子(はくゆうし)・白隠禅師の旧跡を見学したのである。

瓜生山は古来名高い「白川石」の産地でもあった。和様の建築や庭園に重用される花崗岩由来の石材である。現在では採掘されていないが、山中には多くの石切場跡があり、また加工された石材・残骸等も多く見られる。


瓜生山山頂付近から見た比叡山
瓜生山山頂付近から見た比叡山

山頂には着いたが……

そして、ほどなく山頂に着いたが、どうしたことか撮った筈の写真がなくなっている。仕方ないので、代わりに山頂付近からの眺めを紹介したい。

写真は樹々の合間に聳える、お馴染み比叡山。京都市街からは見え難い、頂が2つある様が良く解る。右は四明岳(しめいがたけ)、左は大比叡の名があるが、高さは後者が前者より10m高い、848mとなっている。

因みに、瓜生山山頂も城の本丸跡とされる平坦地となっており、周囲にも多くの郭跡が残っている。


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そして、こちらは南方、大文字山(465m)。木立で見難いが……


曼殊院近くの薬草園内に通じる下山路
曼殊院近くの薬草園内に通じる下山路

崩落箇所経るマイナー路で下山

山頂からは北上して一乗寺・修学院方面に下るマイナールートを採った。自身も初めての道で、近年あまり使われていない感じがするルートであったが、地形図を頼りに進んだ。

途中、崩落箇所があり、山に慣れない友人が恐れたが、然程険しい場所でもなかったので、難なく通過。そして、無事曼殊院近くの薬草園傍に下山出来た。


一乗寺集落外れの山裾の道からみた、長閑な田園景
一乗寺集落外れの山裾の道からみた、長閑な田園景


一乗寺集落から見上げた瓜生山と茶山
一乗寺集落から見上げた瓜生山(中央奥)と茶山(右側尾根)

瓜生山尽くしの一日過ごす

山中で受けた電話により、午後の予定が夕方に変更となったため、下山後も友人とゆっくり休息をとることが出来た。その後、一乗寺にある学生時代の思い出の銭湯に寄って帰るという友人と別れ、一旦帰宅した。

夕方からの用も、また山麓一乗寺にある別の友人宅におけるものであった。そこにてまた新たに知り合った人らと遅くまで語り合ったのである。

今日は正に一日瓜生山尽くしであった(朝来た友人も山麓に縁あり)。近場ながら有意義な一日を過ごせた。皆さん、お疲れ様でした、有難う!

しかし、カメラの記憶カードに更新の必要が生じたのは少々痛い(笑)。

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2018年03月12日

南越残雪山行

日野川と日野山

今季最後?の雪山鍛錬

今日は珍しく早朝家を出て列車に乗った。今月初めの山行と同じく、雪山での鍛錬や装備試験のためである。

場所は前回の雪不足を考慮して更なる北方を目指すことに。それは、福井県嶺北(東部域)南部の日野山(ひのさん。794.4m)であった。

日野山は高さこそ低いが、秀麗な山容で知られ「越前富士」とも呼ばれる地域のランドマーク的存在。また、古来より神宿る山として越前五山の1つにも数えられ、厚く尊崇されてきた霊山でもあった。

実は、以前から親類宅への往復等で車窓から眺める度に気になっていた山。普段の行動範囲から外れる遠地ではあったが、福井平野(武生盆地)の南縁にあって交通至便なこともあり、思い切って出かけることとした。

気象予報を分析すると、真冬並みに気温が下がるのは今朝が最後に思われた。恐らくは、今季の雪山鍛錬はこれが最後となるかもしれない。そんな事情も、今日の嶺北行とその決行を後押ししたのであった。


上掲写真: この時期(融雪期)特有の翡翠の水を湛える南越地区の主要河川・日野川と背後に霞む日野山(中央奥)。陽射しも春めいてきたか。


僅かに雪が残るJR北陸線の王子保駅
日野山山麓への出発地、JR北陸線・王子保(おうしお)駅

京都市街も今朝は氷点下近くまで気温が下がる寒い朝となったが、現地も-2℃辺りの予報が出ていた。

しかし、現地で午前9時半頃から行動を始めた頃には、防寒着が不要なくらいまで気温が上昇していた。予報では12度まで上るとのことであったが、急激に上昇しているようである。

列車が着いた北陸線・王子保駅の待合にはまだストーブが付けられていたが、防寒着を一旦片付け麓へと向かった。


王子保小学校前に残る豪雪の名残り雪

王子保駅から登山口がある平吹(ひらぶき)集落までは徒歩30分以上の距離がある。その道中、駅前の街等を見るが、地面を覆う自然な姿の雪は見られなかった。2週間前見た全てが雪に覆われていた様子とは一変である。

写真は学校の駐車場脇にあった雪。除雪の際に積まれたものであろう。先月初旬の豪雪時はこの辺りも相当な積雪だった筈だが、さすがに今は名残りのこの姿である。しかし、今日の目当てである山の雪が心配になる。


日野山左肩(北側)の尾根終端部と、その隧道横に見える岩盤。
日野山左肩(北側)の尾根終端部。山も低い場所には雪が見えない。山下には日野川が流れ、山裾に道路があるが、その隧道脇に工事で削られた大きな岩盤(右端)が見えた。山の地質を知る良い標識である。近くには砕石工場もありその関連が窺われる。ただダンプカーが頻繁に往来し、路上の粉塵を舞い上げるのが頂けない。生活や観光を害するものに思われた。


日野山登山口がある中平吹集落と背後に聳える日野山
日野山登山口がある平吹の中核的な中平吹集落の家並と背後に聳える日野山。道奥に日野山信仰の主宰である日野神社がある

日野山麓の集落へは、最短距離で行けるよう集落の細路を辿るなどしたが、写真を撮るなどしたため、結局30分以上かかった。ただ、その分、速足を心掛けた筈なので、言われているより距離があるように感じられた。

王子保から日野神社までの所要時間は徒歩40分をみておいた方がいいだろう。足の遅い人や最短距離を採らない場合は更に時間がかかる場合もありそうなので、注意されたい。


雪囲いある日野神社社殿
福井藩主・越前松平家に崇敬されていた関係か、方々に葵紋が用いられた日野神社社殿。周囲にはまだ雪囲いらしきものが残っていた

山の神に幸先もらい登山開始

集落到着後、先ずはその奥にある山の神・日野神社に参拝。賽銭のお返し的に御神籤を引かせてもらうと、幸先の良い大吉が。気を良くしつつストック等の装備を準備し、神社脇にある登山口から出発した。


日野神社本殿横から続く日野山登山道と登山口の石碑
日野神社本殿横から続く日野山への登山道と登山口の石碑


近年の登山道と古い参詣路との分岐部
近年の登山道と古い参詣路との分岐。木の根元には線画の仏像が彫られた古い道標(中央下)があった

暫くは林道的な土道を進むが、すぐに雪が現れたので滑り止めのチェーンスパイクを装着することに。これは今回初試験となる装備であった。

しかし、暫くは雪があったり無かったりの繰り返し。ただ、軽アイゼンと異なり、爪が短いチェーンスパイクは、雪のない場所や岩場でも歩き易かった。

そして、暫くすると写真の如き古道との分岐が現れた。どうやら、古くからの参詣道と近年の登山道が、分かれ、重なったりしながら続いているようである。


荒れた日野山古道
古道は基本的に確りとした窪みを擁して続いていたが、倒木や崩れが多く、荒れている感じであった。近年はあまり使われていないようである


日野山古道沿いの笏谷石製の古い石佛
古道沿いには所々地蔵らしき石佛がみられた。福井名産の笏谷石(しゃくだにいし)製とみられ、参詣用の標石を兼ねたものかと思われた


残雪ある日野山室堂平

上昇するにつれ雪が多くなり、ストックとスパイクが役立つ。しかし、雪の表面が固まっていたため、ワカンまでは不要であった。

写真は、山頂までの中間点的場所にあった緩傾斜地「室堂平(むろどうだいら)」と休憩所等の建屋。


残雪ある日野山の難所「比丘尼転がし」
残雪ある日野山登山の難所「比丘尼転がし」

神社のため山を切り刻んだ林道

室堂を過ぎると傾斜が強くなった。山容的に山頂まで急傾斜が続く筈なので、そこに達したのである。ただ、陽当たりの良い斜面の為か、雪は比較的少なめであった。

ただ、頻繁に林道と交差するため、やや進路が取りづらかった。治水等のためには仕方ないのであろうが、麓の林道共々山の雰囲気を壊している。恐らく、昔はもっと神聖の気たるものが満ちていたのではなかろうか。

後で知ったが、山頂まで続く上手の林道は昭和56(1981)年の所謂「56豪雪」で倒壊した山頂の奥宮を再建するために造られたらしい。山を切り刻む林道が山を崇める神社のために用意されたとは残念至極な話である。県によるとそれが惹き起こす表土崩壊による環境影響も心配されるという。

さて、所々泥濘ある傾斜路を過ぎると、更に強い傾斜路が現れた。日野山登山の難所として知られる「比丘尼転がし」である。その名は、嘗て女人禁制を破った比丘尼が神罰によりこの坂を転げ落ちたことによるという。

ただ、底に滑りやすい岩盤ある難所ではあったが、雪があったため特に難儀することはなかった。


日野山の比丘尼転がし上部で山頂直下の雪原
比丘尼転がしを過ぎると雪が深くなり、陽射しも眩しく、一気に山頂めいてきた


日野神社山頂奥宮と残雪に埋まる鳥居
日野山山頂部にある日野神社奥宮。三角点のある山頂は上の社殿から南へ100m程行った場所にある

別格的積雪の山頂

そして、奥宮が見えてきた。なんと鳥居がまだ大半埋もれている。豪雪時は全て埋もれていたのであろうか。


日野神社奥宮
奥宮の立派な社殿。素晴らしいものだが、それと引き換えに山の正面が林道で刻まれたかと思うと、少々遣る瀬ない


日野神社奥宮の横に立てられていた雪尺
奥宮の横に立てられていた雪尺(ゆきじゃく)。積雪はなんと160cm。山頂は別格的に残雪が多いようである。


日野山からの白山と部子山の眺め
そして快晴のため、山頂部では素晴らしい眺望が得られた。右彼方の雪山が彼の霊峰白山(2702m)、左の少し手前に見える雪山が越前大野の南方に聳える部子山(へこさん。1464m)である


日野山からみた残雪被る白山連峰
石川・岐阜両県に跨る大脈・白山連峰。主峰の御前峰は中央辺り。ここは、さすがにまだ途方もない残雪がありそうである


日野山からみた残雪ある能郷白山や冠山等の越美山地
こちらは東南の景。左奥が福井・岐阜両県にまたがる越美山地の最高峰・能郷白山(のうごうはくさん。1617m)で、右側に冠山(中央の尖った峰。1256m)等が続く


日野山からみた福井平野
北方は福井平野の景。本来なら日本海も見えるらしいが、今日は残念ながら空や山の色と馴染んで判別出来なかった


北陸線車中からみた残雪をまとう日野山
残雪をまとう日野山。帰路の北陸線車中より

色々と経験得て下山・帰京

このあと山頂にある休憩所にて昼食を摂り、元来た道を戻ることに。山頂付近の雪は深いが、やはり固まっていたため、ワカンは不要であった。

ただ、体温や気温が上っていたにもかかわらず足先が冷えたので、爪先用のカイロで対策した。やはり、雪上は保温靴が必要である。これが実感出来たのも収穫。また下りでもチェーンスパイクが十分有効であることがわかった。これはアイゼンとの使い分けを考慮する上での良き経験となる。

そして、無事日野神社へ下山。登りは暑さによる疲労と雪のため2時間程かかったが、下りは1時間程であった。その後、急ぎ装備を片し、駅へと急ぐ。14時半過ぎの列車まであと30分程しかないためである。

一時は乗り過ごしも覚悟したが、5分早めに勘違いしていたため間に合う。それにより、無事、陽のある内での帰宅が叶ったのであった。

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2018年03月04日

晩冬探雪

平(だいら)から皆子山へ続く急坂の道

低山雪山鍛錬へ

今日は知人と近場の山に行く。

記事分類が「山会」(やまかい)になっているが、特に募集をした訳ではなく、自分の訓練と研究を兼ねた個人山行に近いものである。

今年辺りから、以前よりの課題である、山中での雪上行動に対応出来るようにすることにした。今日は、その為の実地訓練や必要機材の割り出し及びそれらの試験の一環として出向いた。

雪上行動、即ち雪山・冬山といえど、あくまでも近隣や2000m以下の低山への対応である。身体が「九州由来」による所為か、気質は北方系なのだが物理的に厳寒に馴染まず、道具を使い氷壁を登ること等にも興味がないため、それ以上高度で危険な登山をやるつもりはなかった。

勿論、これまでにも雪山には行ったことがあるのだが、脚に棕櫚や鎖を巻いただけで、腰まで沈みながら行けるところまで無理やり進むという乱暴なものだったので、もう少し垢抜けたものを目指した。それにより、人にも身近な冬山の楽しみ方を教えられるとの考えもあった。

今日は、登山経験自体はさほどでもないが、かんじきやそれでのラッセル(深雪行進)の経験があるという知人と共に行動することに。しかし、ここ最近暖かくなってきたので、近辺に雪が乏しい状況となってきた。よって、雪を求めて京都市北部は北山(きたやま)にある、京都府最高峰の皆子山(みなごやま。971.3m。京都市左京区)を目指すこととした。

皆子山に行くのは約3年前の春の山会で行った以来。北方の奥山なので、せめて上部には雪が多くあると思うが、果たしてどうか……。


上掲写真: 琵琶湖に注ぐ安曇川(あどがわ)上流の集落「平(だいら)」から皆子山へと続く急坂の道。


樹皮の茶色を反す樹林下の雪

朝からの高気温を進む

京都市街と平集落を直接繋ぐ出町柳からのバスが冬季運休中のため、地下鉄やJR・バスを乗継ぎ滋賀県側から向かうこととなった。大した距離でもないにもかかわらず、交通費がかなりの額になるが、致し方なし。

滋賀湖西地方の中核都市・堅田の駅と山を繋ぐバスは、多くの登山者に因り増便が出された。朝から暑いくらいの日ではあったが、皆ピッケルやかんじきを用意した冬山装備である。期待は高まるが、平での下車後は、殆どが皆子山とは谷を挟んだ対面の比良山系へと向かっていった。

我々は皆子山麓の静かな寺に着き、ストック等の装備を用意して、登り始める。登山開始後すぐに上掲画の急登を進むが、この時期・この場所としてはかなり高い気温で、暑さに因り乗っけから疲労。上着を脱ぎつつ進み、結局シャツ1枚の春山的出で立ちとなった。

ようやく急登が終り尾根筋に出ると、やがて写真の如く樹林下に雪が現れた。普段は暗い幹辺りが雪で照らされ、樹皮の明るい茶色を反していた。


皆子山東稜線ルートの尾根筋に現れた雪
尾根道のまま徐々に高度を上げると、足下にも雪が現れた。ただ、所々無い場所もあり、ムラがある感じである


皆子山から見た晩冬の武奈ヶ岳
ただ樹々が冬枯れしているので眺望は良好であった。中央の頂は、我々がいる北山(丹波高地)の東隣りに南北で連なる比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(ぶながたけ。1214m)。雪の多い所として知られるが、土が露出している部分が見えた。ここより標高の高い比良でも雪解けが進んでいるのか


皆子山山頂

かんじきで行く山頂高原地帯巡り

尾根道のまま進み、やがて山頂に到着。平の標高が高いので、高低差は500m程しかないが、距離があり、歩き応えはある。

少々休憩するが、昼食にはまだ早いので、先へ進むことにした。交通や時間の関係上、今日は同じ道を引き返す予定であったが、かんじき歩行の訓練等を兼ね、山頂から先の高原地帯を往復することにした。


装着した雪上のワカン
先日調達した登山用かんじき(ワカン)を装着。上手く考えられており、手間なく確実に装着出来た。


皆子山頂上地帯の残雪

ワカンによる歩行は予想外に快適であった。雪を踏み抜かず、良く言われるように左右の脚に干渉することもなかった。

ただ、写真の様に50cm以上の積雪を見るとはいえ、それがある場所が限られていたので、その上を渡りゆく形で進むこととなった。時には雪が切れた場所もあり、下爪を壊さないよう慎重に進むことも。


皆子山頂上高原から見た比良山脈の蓬莱山
皆子山頂上高原から見た比良山脈の蓬莱山(1173.9m)。「びわ湖バレイ」の名のスキー場で著名だが、やはり雪は少ないように見えた

奥山の迷い人?諭しつつ下山

高原地帯を1km程進んだ末端辺りで昼食を摂り、その後引き返した。

その途中、後から来た男女2人組と出会う。更に奥へ進んで北側の谷へ降りバス停に戻るとのことだったが、既にコースアウトしていることを伝える。一応地形図は持っているが、まともな磁針はなさそうで、木に付けられた古いテープを辿って進んでいるとのこと。

皆子山は山頂から奥にあまり人が入らず、夏でも読図が必要な場所であり、移動距離も長いと告げると、2人は引き返す旨を返した。その後、姿が見えなくなり心配したが、山頂に戻った際に後方に現れたので一安心。

我々も元来た尾根坂や急坂を経て下山。帰りのバスまで時間があったので、平の馴染みの店にて少々の猪肉料理とビールで待つことに。そしてバスに乗り、JRや地下鉄を乗継ぎ、無事陽のある内に帰宅した。

元気に呆れられながらも楽しく日終える

今晩は、また別の友人らとの蕎麦宴会が予定されていたので、入浴や洗濯、道具の片付け等を行ってから、また出かけた。

その会が終り、更に喫茶したあと、近所の馴染みのバーに寄り、今日山に同行した知人と再合流し、遅まきながらの打上げを行ったのである。

結構飲んだ梯子の果ての登場や、山での元気に半ば呆れられながらも、深夜まで楽しく過ごしたのであった。

今日は期待しほど雪もなく気温も高かったが、ワカン歩行や雪上での読図演習は叶った。また継続して鍛えていきたいと思う。

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2017年12月03日

紅葉近山行

大文字山山腹からみた瓜生山の紅葉

仕舞いの紅葉登山

ここのところ紅葉の話ばかりで申し訳ないが、市街のそれも遂に仕舞いを迎える頃となった。

そういえば近隣の寺社名勝の類でのその参観はしていたが、近くの山でのそれは未だ果たしていなかった。恐らくは今週辺りが最後。折しも天候にも恵まれたので、午後過ぎに仕事に区切りをつけ裏山へ上ることとした。


上掲写真: 京都市街東部(左京区)は東山連峰の一山「瓜生山(うりうやま)」の紅葉。京都近郊の山紅葉も今年最後の見頃となったか……。


鹿ケ谷霊巌寺からみた大文字山の紅葉
特別公開中の霊巌寺(れいがんじ)門前と紅葉が盛りの大文字山

「裏山」とは拙宅背後に連なる東山連峰で、その内の最寄りとなる大文字山。今日は趣向を変え、裏道的で人も少ない南側の鹿ケ谷(ししがたに)から登ることとした。

写真は、鹿ケ谷入口となる霊巌寺門跡門前。いつもは門が閉ざされて静かな佇まいだが、今日は秋の公開中とあって、参観者で賑わっていた。門前の案内氏は、頻りに今日が公開最終日であることを告げていた。

秋の観光シーズンもいよいよ仕舞いである。


鹿ケ谷の路地
鹿ケ谷の路地

古道跡?未知の路地進む

霊巌寺横を抜け、鹿ケ谷の坂道を進むと、その途中で以前から気になっていた路地が現れた。寄り道して中を進むと、狭いながらも住宅密集地となっていた。

何故この路地が気になっていたのかというと、近世の絵図等に、この辺りから北の法然院方面へ向かう山際の抜け道が描かれていたからである。

今の地図にその様は窺えないが、位置的にこの路地がそのヒントを宿している可能性があった。

失われた道は、京と近江・北国を結ぶ山道「如意越(にょいごえ)」を起点とすることを考えると、この付近にあったとされる古代寺院とも関わる、かなり古い道跡とも想定された。


鹿ケ谷の路地奥

長く真っすぐな路地であったが、写真の如く、程なくして斜面の行き止まりに。やはり道は断絶したのか……。


鹿ケ谷の路地奥に続く切通し

? 最後の建屋奥に何やら切通しが……。


鹿ケ谷の路地奥の抜け道

なんと、西北裏側に出られた。道は写真の如く左下の階段道と右の平坦路に分かれていたが、階段路が某寺の裏から別の車道に出られるのに対し、平坦路はすぐに山腹の森に呑まれ消えていた。

方角や道の付き方からすると、恐らくは平坦路が古道と整合する気がしたが、斜面の崩落等により廃滅したのであろうか。


鹿ケ谷の路地奥に接する大文字山山裾
路地奥裏に広がる大文字山斜面

道なき斜面登り大文字前山へ

山側の道は喪失していたが、見上げると大文字山に続く斜面が広がっていたのでそのまま登ることに。ここは大文字前山の角、即ち尾根筋に当る。

地形図を見ると、以前から確認したかった前山と善気山(ぜんきさん。法然院裏山)等の関係も探れそうだったので、丁度良し。


大文字山山腹の尾根に続く境界石

道のない斜面を無理やり登ったので進みにくかったが、比較的緩やかな尾根筋を選んだので、順調に高度を上げられた。

暫くすると、私有地界を示す個人等の石碑が現れた(写真中央奥)。


大文字山山腹の法然院の境界石

個人の境界石は最初のものだけで、その後は法然院の寺領を示すものが連続するようになった。ここに限らず寺の裏山で良く見かける光景である。

写真はその接写。「是従(これより)北西ハ法然院領ナリ」等と読む。


大文字山の前山「多頂山」の私製標識
大文字前山最高所にあった「多頂山」の私製標識

やがて、尾根を詰め、平坦な頂の最高所に出た。大文字前山頂部で、標高は271m。ただ、私製の標識には「多頂山(たちょうさん)」の名が……。

地名(現町名)からすると、多頂山は南側の頂か尾根の頂部に当てるべきで、中央のここは善気山になると思うのであるが……。東山三十六峰の同定は所説あって定まっていないので、致し方あるまいか。


大文字山前山から見えた大文字の火床
前山頂部の木立合間から覗く大文字火床

前山では、すぐ傍となった送り火用火床辺りからのハイカーらの声が聞こえた。


大文字火床の紅葉

大文字火床での紅葉絶景

前山頂部は火床下のテラス状の場所なので、そのまま「大」字下の階段に取りつくことが出来る。

早速、開けたそこに出て見上げると、写真の光景が……。火床縁の自然林の紅葉も最盛期。


大文字火床からみた山の紅葉と京都市街
大文字火床よりみた前山頂部の紅葉と京都市街

連なる火床台石横の階段を登りつつ振り返ると、先程居た前山や周辺の紅葉、そして眼下に広がる京都市街が見えた。

安定した晴天が続き、日射しも暖かい。正に絶好の山の紅葉日和。

最近大文字山に登りたがっていたNさん(本来は星見登山)に電話して状況を伝えると、丁度用を終えたらしく、これから来ることになった。


ハイカーで賑わう大文字火床中心部からみた山の紅葉と京都市街

Nさんが麓に来るまで暫し時間があったので、もう少し登ることにした。

写真は火床中央、即ち「大」字の交差部に集うハイカー。老若男女、または洋の東西、実に様々な人で賑わっていた。


大文字火床頂部からみた山の紅葉と京都市街

そして、「大」字頂部(起筆部)に至る。

写真の如く、隣の瓜生山が全山紅葉を纏い、際立つ美しさを見せていた。よく見れば、遠い北山やその他の山々にも同様が見られた。

自然は何とも異なもの味なものである。


大文字火床頂部から見た夕霞の京都市街
再度登った大文字火床頂部よりみた夕霞の京都市街

夕方、新手加え再度登る

大字頂部で暫し休息後、一旦下山。銀閣寺横の表登山口でNさんを迎え、再び火床頂部まで登った。

時は既に夕方。傾いた陽が先程とはまた違った趣を、見るもの全てに与えていた。


大文字火床頂部から見た夕陽
大文字火床頂部から見た、京都西山に沈まんとする太陽


大文字火床頂部から見た夕陽に染まる山の紅葉

急に出向いたにも拘わらず、Nさんは湯沸かしや珈琲・おやつの用意をしてくれていて、有難くもそれらを頂きつつ贅沢で寛いだ夕景観覧となった。

気温は急激に下がってきたが、周囲の樹々や山々の紅葉が夕陽により更に赤々と照らされ、昼間とはまた異なる美麗さを見せてくれた。


大文字火床頂部から見た日没直後の京都市街
大文字火床頂部から見た日没の景

独りのつもりが山会的に

そして日没――。

短時間ではあったが、Nさんにも山の紅葉を堪能してもらえたので、下山を始める。帰りは前山で見つけた法然院へ下る直降の道を採った。

そこは結構急な下りではあったが、距離が短いため、無事暗くなる前に下山することが出来た。また、初めて寺裏の巨木の森も見ることも出来た。

この後は、Nさん親子の食事会に誘われ、共に会食。今日は独りでの鍛錬・物見のつもりでいたが、結果的に山会的な楽しい集いとなった。

Nさんはじめ、皆さん有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年11月12日

比良紅葉山会

楊梅の滝の入口と紅葉,車道終点

中止の可能性から一先ずの入山へ

今日は恒例の秋の山会日。

しかし、病欠や日程錯誤等により人数が減ったため、中止の可能性が高くなっていた。まあ、今回は延期して単独で訓練がてら近所の山にでも向かおうかとも思ったが、途中参加の希望が入ったので、一先ず出発することとなった。

とはいえ、前夜の都合等により出発が遅くなり、結果昼過ぎの現地着に。場所は、予定通り、隣県滋賀の湖西地方は比良山脈。その北方、琵琶湖岸辺りの山域であった。

今日の主題的場所は、山中にある山脈最大かつ県内最大の落差を持つ「楊梅の滝(「やまもも」若しくは「ようばい」のたき)」と、その後背にある高層湿地的な谷。時間的にどれだけ巡れるか未定であったが、一先ず先行して登ることとした。


上掲写真: 本日の登山口の最寄り駅、JR湖西線・北小松駅から続く車道終点部を灯すが如き紅葉。著名な滝で観光地でもあるので、登山口というより、滝見の拠点として整備されている。標高は250m弱。ここまで舗装路が付けられ有難い限りだが、途中に広がる妙な施設共々、本来の雰囲気にそぐわない観も。昭和的というか箱物的というか、本物の自然を尊重し、そこから学ぶという風に、そろそろ改めるべきではなかろうか。


楊梅の滝の「雌滝」
「楊梅の滝」最下部の「雌滝」

久々の滝見

道は登山口と滝見口に分かれていたが、久々に滝も観ようと思い、滝見口から入山。向かう方角は同じなので、上方のどこかで合流出来る筈であった。

そして、登坂程なくして滝の最下部に当たる「雌滝(めだき)」に到着。落差は約15m、その名の通り、女性的な穏やかさをもつ。


楊梅の滝付近、寒風道から見えた北小松集落と琵琶湖と沖島の眺め
雌滝上の登山道から見えた琵琶湖と北小松集落

雌滝見学後、滝前の沢を渡渉し、対岸の道を上り登山道と合流。間もなく、木立の合間から琵琶湖の広がりと麓の北小松集落が見えた。

午後から天候良くなったので中々の佳景である。登山口が既に高地にあった為、瞬く間に上空に出た気分であった。因みに、麓の最下部にあたる湖面標高は約85m、最寄りの北小松駅は同100mの高さにある。


楊梅の滝(雄滝)と獅子岩
「滝見台」から見た楊梅の滝最上部の「雄滝」とその左上方の「獅子岩」

更に進むと「滝見台」なるコンクリの東屋(あずまや)立つ展望所に出た。

ここからは紅葉混じる山肌から覗く楊梅の滝最上部の「雄滝(おだき)」と、その上方の岩峰「獅子岩」が見えた。麓から見える馴染みの姿を近くで見る感覚であろうか。


獅子岩にとりつくロッククライマー
比良でのロッククライミングのメッカ的な獅子岩にとりつくクライマー達

急峻かつ眺望に優れた獅子岩は、以前から岩登りで有名な場所。良く見ると、今日も多くの登攀者の姿が見えた。


楊梅の滝の北斜面の紅葉と琵琶湖の眺め
楊梅の滝北斜面に当たる「滝山」の尾根には美麗な紅葉の様が見られた。この辺りでは、今は標高5、600mまでがその盛りかとみられた。


楊梅の滝「雄滝」
楊梅の滝「雄滝」全景

更に登ると雄滝へ向かう分岐があり、滝見の為、そこを進むと、程なくして滝下に出た。

落差約40m、ここの壺下にも急流状の滝「薬研の滝」が続いており、それと「雌滝」の三滝(ろう)併せた総称が「楊梅の滝」とされる。落差計76mの所以である。

恐らくは20年ぶりぐらいの再見だと思うが、やはり名滝だと思わされた。通常、「那智の滝」のように開けた場所以外の滝は陰気に包まれていることが多いが、ここは違って清々しさの如きがある。

全国的には認知度の低い滝であるが、知られれば必ずこの質により人気となるのではないかと思われる。幸い、交通事情も悪くない。そうしたことからも、麓の環境にも改善の余地があろうかと思われた。


涼峠近くの登山道崩落箇所
尾根を巻く古道上に現れた崩落個所

落ち葉と古跡・紅葉ある古道をゆく

久々に雄滝を見上げたあと登山道に戻り、尾根下の巻き道を進む。すると、左斜面が抉れ落ちた場所に遭遇した。抉れは、底知れぬ急斜の下まで延々と続いている。登山道となっている古道も半分が削られおり、身を落とせばタダでは済まない状況に見えた。

ただ、この光景には見覚えがあった。恐らくは20世紀末頃に崩落してから然程変わっていないのではないか。幸い崩落上部に木の根張る層が残っているので、それが進行を食い止めているのか……。

急峻であるが故に、山は頻りに姿を変えてゆく。しかし、以外と長くその不安定を保つこともある。これもまた、興味深い。


涼峠
峠らしくない、山中の要地「涼峠」

崩落地を越すと、すぐに道が広がった場所に出た。涼峠(すずみとうげ。読み方根拠不明確)である。珍しく石を刻んだ小さな碑も置かれていた。

ここは山脈主稜線の南か北へ出る際の近道を選択できる要所である。標高は約510m。最新の国土地理院地形図の記載場所とは何故かズレていた。

道の分岐ながら乗り越え箇所ではない為、一般的な峠とは異なる印象である。ひょっとして、昔左側の急斜にも道があり、崩落して無くなったのであろうか。


涼峠とヤケ山間の落ち葉道
涼峠上部の古道上に降り積もる落ち葉

涼峠からは緩い登りが続く。目立った大木はないが、雑木林をゆく、中々良い道である。


涼峠とヤケ山間の道上にあった楔跡ある石材
楔による切り出し跡が見られる石材断片

所々に石材用らしき大きな石がみられた。昔、奥山から運び出されて放棄されたものかと思われたが、やはり、加工跡のある断片がみられた。

人力か自然動力しか頼れなかった時代の、土地人らの暮しの痕跡である。それら戦前の世が遠く去りゆくなか、惜別や慈しみ等々の、様々な思いを想起させられた。


涼峠とヤケ山間の道脇に現れた水源・湿地跡
涼峠上方の古道(左)と水源湿地跡(右)

次は右隣りに浅く明るい谷地が現れた。ほんの一部だが、滝上の水源湿地である。今は乾燥して殆ど水気がないが、季節によればそれらしい姿が見られるかもしれない。

一応、帰りに更なる右側にある湿地本体を見学するつもりであったが、どうなることか……。


山の紅葉,涼峠とヤケ山間道上にて
古道上に現れた奥山の紅葉。天然林の素朴なもので、これも今日の目当て


ヤケ山山頂,ヤケ山から見えた武奈ヶ岳と釣瓶岳
ヤケ山山頂。向こうの稜線が西部山脈の主稜線で、左が比良最高峰の武奈ヶ岳(1214m)、右の尖った峰は釣瓶岳(1098m)

釈迦岳への挑戦。間に合うや否や

やがて道は急登となり、予想外の運動を強いられた。そして到着したのが、湖岸側山脈(東部)の主稜線上にある「ヤケ山」であった。標高は約700m。

到着は14時。意外にも滝見により時間を費やしてしまった。しかし、これまで休息していなかったので、遅めの昼食を兼ね小休止することとした。


ヤケ山山頂からみた畑集落と蛇谷ヶ峰
ヤケ山から見た比良西部山脈北部。右上に比良北端の高峰・蛇谷ヶ峰(901m)、左下に5年前の山会で訪れた畑集落が見える

日射しはあるが、寒気と四方開いた立地により寒かった。急登による体温上昇もすぐさま冷やされ上着を足すことに。そして15分程して出発。

予定していた標高1000m超の釈迦岳まで行くのは時間的に困難に思われたが、あまり早く戻っては合流予定の後続者が物足りなくなるのではないかとの思いもあり、あと1時間で引き返すことを決め、進むこととした。

日没が迫るなかでの前進と今季一番の寒さに少々身が引き締まる。


ヤケオ山稜線からみた比良連峰と琵琶湖南部
一気に標高を上げると縦走路は正に天上の道に。遥か南へ続く比良の峰々や叡山、琵琶湖が望めた

暫くは平坦な稜線上を進み、やがて急登の連続となった。ヤケ山から一気に高度を上げ、標高1000m前後の稜線に出る為である。

そして、休まず登り、45分程で稜線上に出た。頂には「ヤケオ山」の標識。思えば、このルート上には釈迦岳以南の山域に比して若木が多いが、その昔火事により焼けたのであろうか。似た山名はそのことを指すのか。


ヤケオ山稜線からみた釈迦岳
ヤケオ山を過ぎ、更に一峰越えて漸く見えてきた釈迦岳(奥)。急激に傾いてきた日射が眩しい

急登の連続でやはり速度が出ず、既にヤケ山から1時間後の折り返し予定に達している。即ち15時15分。しかし、この区間は比良全山の主稜線で唯一未踏だったため、下りの速度向上に期待をかけて進むことにした。


釈迦岳近くの山上からみた家棟川上流谷の紅葉と南比良集落・琵琶湖・小松沼
南小松集落を経て琵琶湖に注ぐ家棟川(やむね・やのむねがわ)上流谷の紅葉と琵琶湖。此岸平野の突き出た場所は小松沼と雄松浜。所謂、近江舞子の水泳場である

標高1000m前後の稜線付近は既に冬枯れが進み、雪を待つばかりの風情であった。下方を見ると、中腹辺りの紅葉が斜光に明るい。やはり紅葉は標高600m辺りまでが盛りのようであった。


釈迦岳山頂
平坦穏やかな風情を醸す釈迦岳山頂

夜の気迫る山上からの大返し
欲張る行程、身体にたたるか


そして最後の登りを詰め釈迦岳山頂に着いた。15時25分。標高は1060m、Y字に分岐した比良北部の東稜側最高峰である。ヤケ山からの距離は約2.5kmで高度差は約360m、登山口からは800m以上登ったこととなるか。

しかし、確り山に登るのは久々のことであり、乗っけから調子が悪かったこともあり時間がかかってしまった。故に疲労も著しいものとなった。

だが、平坦穏やかな風情の山頂にも日没の気、夜寒(よさむ)の気が満ち始めていたので、5分程の休憩にて下山を始めた。

そこからは、元来た道をひたすらに大返し。17時で暗くなる筈なので、何とかそれまでの下山を望んだのである。途中、体調を思い休みたかったが、時間が惜しくただヤケ山にて念の為の照明用意に立ち止まったのみ。

そして、別路での湿地入りも諦め、一気に登山口まで下ったのであった。釈迦岳山頂から1時間半、ちょうど17時であった。走ることはしなかったが、こうして無事明るい内に下山することが出来た。

結局後続との合流は下山後となり、暫し互いの行路等の話をして山を後にした。その間僅か20分。山も平野もすっかり暗闇に包まれたのであった。

帰宅後もまた出掛けるなどし、その後、漸く休めることに。しかし、夜半まで気分が優れぬ状況が続く。やはり今日は行程を欲張り無理をしたか……。次回の教訓としたい。とまれ、シーズン末期にしっかり1000m以上に登れたことは個人的な満足となった。

行けた人も行けなかった人も先ずはお疲れ様。今度はまた皆で挑みましょう!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会