2017年12月03日

紅葉近山行

大文字山山腹からみた瓜生山の紅葉

仕舞いの紅葉登山

ここのところ紅葉の話ばかりで申し訳ないが、市街のそれも遂に仕舞いを迎える頃となった。

そういえば近隣の寺社名勝の類でのその参観はしていたが、近くの山でのそれは未だ果たしていなかった。恐らくは今週辺りが最後。折しも天候にも恵まれたので、午後過ぎに仕事に区切りをつけ裏山へ上ることとした。


上掲写真: 京都市街東部(左京区)は東山連峰の一山「瓜生山(うりうやま)」の紅葉。京都近郊の山紅葉も今年最後の見頃となったか……。


鹿ケ谷霊巌寺からみた大文字山の紅葉
特別公開中の霊巌寺(れいがんじ)門前と紅葉が盛りの大文字山

「裏山」とは拙宅背後に連なる東山連峰で、その内の最寄りとなる大文字山。今日は趣向を変え、裏道的で人も少ない南側の鹿ケ谷(ししがたに)から登ることとした。

写真は、鹿ケ谷入口となる霊巌寺門跡門前。いつもは門が閉ざされて静かな佇まいだが、今日は秋の公開中とあって、参観者で賑わっていた。門前の案内氏は、頻りに今日が公開最終日であることを告げていた。

秋の観光シーズンもいよいよ仕舞いである。


鹿ケ谷の路地
鹿ケ谷の路地

古道跡?未知の路地進む

霊巌寺横を抜け、鹿ケ谷の坂道を進むと、その途中で以前から気になっていた路地が現れた。寄り道して中を進むと、狭いながらも住宅密集地となっていた。

何故この路地が気になっていたのかというと、近世の絵図等に、この辺りから北の法然院方面へ向かう山際の抜け道が描かれていたからである。

今の地図にその様は窺えないが、位置的にこの路地がそのヒントを宿している可能性があった。

失われた道は、京と近江・北国を結ぶ山道「如意越(にょいごえ)」を起点とすることを考えると、この付近にあったとされる古代寺院とも関わる、かなり古い道跡とも想定された。


鹿ケ谷の路地奥

長く真っすぐな路地であったが、写真の如く、程なくして斜面の行き止まりに。やはり道は断絶したのか……。


鹿ケ谷の路地奥に続く切通し

? 最後の建屋奥に何やら切通しが……。


鹿ケ谷の路地奥の抜け道

なんと、西北裏側に出られた。道は写真の如く左下の階段道と右の平坦路に分かれていたが、階段路が某寺の裏から別の車道に出られるのに対し、平坦路はすぐに山腹の森に呑まれ消えていた。

方角や道の付き方からすると、恐らくは平坦路が古道と整合する気がしたが、斜面の崩落等により廃滅したのであろうか。


鹿ケ谷の路地奥に接する大文字山山裾
路地奥裏に広がる大文字山斜面

道なき斜面登り大文字前山へ

山側の道は喪失していたが、見上げると大文字山に続く斜面が広がっていたのでそのまま登ることに。ここは大文字前山の角、即ち尾根筋に当る。

地形図を見ると、以前から確認したかった前山と善気山(ぜんきさん。法然院裏山)等の関係も探れそうだったので、丁度良し。


大文字山山腹の尾根に続く境界石

道のない斜面を無理やり登ったので進みにくかったが、比較的緩やかな尾根筋を選んだので、順調に高度を上げられた。

暫くすると、私有地界を示す個人等の石碑が現れた(写真中央奥)。


大文字山山腹の法然院の境界石

個人の境界石は最初のものだけで、その後は法然院の寺領を示すものが連続するようになった。ここに限らず寺の裏山で良く見かける光景である。

写真はその接写。「是従(これより)北西ハ法然院領ナリ」等と読む。


大文字山の前山「多頂山」の私製標識
大文字前山最高所にあった「多頂山」の私製標識

やがて、尾根を詰め、平坦な頂の最高所に出た。大文字前山頂部で、標高は271m。ただ、私製の標識には「多頂山(たちょうさん)」の名が……。

地名(現町名)からすると、多頂山は南側の頂か尾根の頂部に当てるべきで、中央のここは善気山になると思うのであるが……。東山三十六峰の同定は所説あって定まっていないので、致し方あるまいか。


大文字山前山から見えた大文字の火床
前山頂部の木立合間から覗く大文字火床

前山では、すぐ傍となった送り火用火床辺りからのハイカーらの声が聞こえた。


大文字火床の紅葉

大文字火床での紅葉絶景

前山頂部は火床下のテラス状の場所なので、そのまま「大」字下の階段に取りつくことが出来る。

早速、開けたそこに出て見上げると、写真の光景が……。火床縁の自然林の紅葉も最盛期。


大文字火床からみた山の紅葉と京都市街
大文字火床よりみた前山頂部の紅葉と京都市街

連なる火床台石横の階段を登りつつ振り返ると、先程居た前山や周辺の紅葉、そして眼下に広がる京都市街が見えた。

安定した晴天が続き、日射しも暖かい。正に絶好の山の紅葉日和。

最近大文字山に登りたがっていたNさん(本来は星見登山)に電話して状況を伝えると、丁度用を終えたらしく、これから来ることになった。


ハイカーで賑わう大文字火床中心部からみた山の紅葉と京都市街

Nさんが麓に来るまで暫し時間があったので、もう少し登ることにした。

写真は火床中央、即ち「大」字の交差部に集うハイカー。老若男女、または洋の東西、実に様々な人で賑わっていた。


大文字火床頂部からみた山の紅葉と京都市街

そして、「大」字頂部(起筆部)に至る。

写真の如く、隣の瓜生山が全山紅葉を纏い、際立つ美しさを見せていた。よく見れば、遠い北山やその他の山々にも同様が見られた。

自然は何とも異なもの味なものである。


大文字火床頂部から見た夕霞の京都市街
再度登った大文字火床頂部よりみた夕霞の京都市街

夕方、新手加え再度登る

大字頂部で暫し休息後、一旦下山。銀閣寺横の表登山口でNさんを迎え、再び火床頂部まで登った。

時は既に夕方。傾いた陽が先程とはまた違った趣を、見るもの全てに与えていた。


大文字火床頂部から見た夕陽
大文字火床頂部から見た、京都西山に沈まんとする太陽


大文字火床頂部から見た夕陽に染まる山の紅葉

急に出向いたにも拘わらず、Nさんは湯沸かしや珈琲・おやつの用意をしてくれていて、有難くもそれらを頂きつつ贅沢で寛いだ夕景観覧となった。

気温は急激に下がってきたが、周囲の樹々や山々の紅葉が夕陽により更に赤々と照らされ、昼間とはまた異なる美麗さを見せてくれた。


大文字火床頂部から見た日没直後の京都市街
大文字火床頂部から見た日没の景

独りのつもりが山会的に

そして日没――。

短時間ではあったが、Nさんにも山の紅葉を堪能してもらえたので、下山を始める。帰りは前山で見つけた法然院へ下る直降の道を採った。

そこは結構急な下りではあったが、距離が短いため、無事暗くなる前に下山することが出来た。また、初めて寺裏の巨木の森も見ることも出来た。

この後は、Nさん親子の食事会に誘われ、共に会食。今日は独りでの鍛錬・物見のつもりでいたが、結果的に山会的な楽しい集いとなった。

Nさんはじめ、皆さん有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年11月12日

比良紅葉山会

楊梅の滝の入口と紅葉,車道終点

中止の可能性から一先ずの入山へ

今日は恒例の秋の山会日。

しかし、病欠や日程錯誤等により人数が減ったため、中止の可能性が高くなっていた。まあ、今回は延期して単独で訓練がてら近所の山にでも向かおうかとも思ったが、途中参加の希望が入ったので、一先ず出発することとなった。

とはいえ、前夜の都合等により出発が遅くなり、結果昼過ぎの現地着に。場所は、予定通り、隣県滋賀の湖西地方は比良山脈。その北方、琵琶湖岸辺りの山域であった。

今日の主題的場所は、山中にある山脈最大かつ県内最大の落差を持つ「楊梅の滝(「やまもも」若しくは「ようばい」のたき)」と、その後背にある高層湿地的な谷。時間的にどれだけ巡れるか未定であったが、一先ず先行して登ることとした。


上掲写真: 本日の登山口の最寄り駅、JR湖西線・北小松駅から続く車道終点部を灯すが如き紅葉。著名な滝で観光地でもあるので、登山口というより、滝見の拠点として整備されている。標高は250m弱。ここまで舗装路が付けられ有難い限りだが、途中に広がる妙な施設共々、本来の雰囲気にそぐわない観も。昭和的というか箱物的というか、本物の自然を尊重し、そこから学ぶという風に、そろそろ改めるべきではなかろうか。


楊梅の滝の「雌滝」
「楊梅の滝」最下部の「雌滝」

久々の滝見

道は登山口と滝見口に分かれていたが、久々に滝も観ようと思い、滝見口から入山。向かう方角は同じなので、上方のどこかで合流出来る筈であった。

そして、登坂程なくして滝の最下部に当たる「雌滝(めだき)」に到着。落差は約15m、その名の通り、女性的な穏やかさをもつ。


楊梅の滝付近、寒風道から見えた北小松集落と琵琶湖と沖島の眺め
雌滝上の登山道から見えた琵琶湖と北小松集落

雌滝見学後、滝前の沢を渡渉し、対岸の道を上り登山道と合流。間もなく、木立の合間から琵琶湖の広がりと麓の北小松集落が見えた。

午後から天候良くなったので中々の佳景である。登山口が既に高地にあった為、瞬く間に上空に出た気分であった。因みに、麓の最下部にあたる湖面標高は約85m、最寄りの北小松駅は同100mの高さにある。


楊梅の滝(雄滝)と獅子岩
「滝見台」から見た楊梅の滝最上部の「雄滝」とその左上方の「獅子岩」

更に進むと「滝見台」なるコンクリの東屋(あずまや)立つ展望所に出た。

ここからは紅葉混じる山肌から覗く楊梅の滝最上部の「雄滝(おだき)」と、その上方の岩峰「獅子岩」が見えた。麓から見える馴染みの姿を近くで見る感覚であろうか。


獅子岩にとりつくロッククライマー
比良でのロッククライミングのメッカ的な獅子岩にとりつくクライマー達

急峻かつ眺望に優れた獅子岩は、以前から岩登りで有名な場所。良く見ると、今日も多くの登攀者の姿が見えた。


楊梅の滝の北斜面の紅葉と琵琶湖の眺め
楊梅の滝北斜面に当たる「滝山」の尾根には美麗な紅葉の様が見られた。この辺りでは、今は標高5、600mまでがその盛りかとみられた。


楊梅の滝「雄滝」
楊梅の滝「雄滝」全景

更に登ると雄滝へ向かう分岐があり、滝見の為、そこを進むと、程なくして滝下に出た。

落差約40m、ここの壺下にも急流状の滝「薬研の滝」が続いており、それと「雌滝」の三滝(ろう)併せた総称が「楊梅の滝」とされる。落差計76mの所以である。

恐らくは20年ぶりぐらいの再見だと思うが、やはり名滝だと思わされた。通常、「那智の滝」のように開けた場所以外の滝は陰気に包まれていることが多いが、ここは違って清々しさの如きがある。

全国的には認知度の低い滝であるが、知られれば必ずこの質により人気となるのではないかと思われる。幸い、交通事情も悪くない。そうしたことからも、麓の環境にも改善の余地があろうかと思われた。


涼峠近くの登山道崩落箇所
尾根を巻く古道上に現れた崩落個所

落ち葉と古跡・紅葉ある古道をゆく

久々に雄滝を見上げたあと登山道に戻り、尾根下の巻き道を進む。すると、左斜面が抉れ落ちた場所に遭遇した。抉れは、底知れぬ急斜の下まで延々と続いている。登山道となっている古道も半分が削られおり、身を落とせばタダでは済まない状況に見えた。

ただ、この光景には見覚えがあった。恐らくは20世紀末頃に崩落してから然程変わっていないのではないか。幸い崩落上部に木の根張る層が残っているので、それが進行を食い止めているのか……。

急峻であるが故に、山は頻りに姿を変えてゆく。しかし、以外と長くその不安定を保つこともある。これもまた、興味深い。


涼峠
峠らしくない、山中の要地「涼峠」

崩落地を越すと、すぐに道が広がった場所に出た。涼峠(すずみとうげ。読み方根拠不明確)である。珍しく石を刻んだ小さな碑も置かれていた。

ここは山脈主稜線の南か北へ出る際の近道を選択できる要所である。標高は約510m。最新の国土地理院地形図の記載場所とは何故かズレていた。

道の分岐ながら乗り越え箇所ではない為、一般的な峠とは異なる印象である。ひょっとして、昔左側の急斜にも道があり、崩落して無くなったのであろうか。


涼峠とヤケ山間の落ち葉道
涼峠上部の古道上に降り積もる落ち葉

涼峠からは緩い登りが続く。目立った大木はないが、雑木林をゆく、中々良い道である。


涼峠とヤケ山間の道上にあった楔跡ある石材
楔による切り出し跡が見られる石材断片

所々に石材用らしき大きな石がみられた。昔、奥山から運び出されて放棄されたものかと思われたが、やはり、加工跡のある断片がみられた。

人力か自然動力しか頼れなかった時代の、土地人らの暮しの痕跡である。それら戦前の世が遠く去りゆくなか、惜別や慈しみ等々の、様々な思いを想起させられた。


涼峠とヤケ山間の道脇に現れた水源・湿地跡
涼峠上方の古道(左)と水源湿地跡(右)

次は右隣りに浅く明るい谷地が現れた。ほんの一部だが、滝上の水源湿地である。今は乾燥して殆ど水気がないが、季節によればそれらしい姿が見られるかもしれない。

一応、帰りに更なる右側にある湿地本体を見学するつもりであったが、どうなることか……。


山の紅葉,涼峠とヤケ山間道上にて
古道上に現れた奥山の紅葉。天然林の素朴なもので、これも今日の目当て


ヤケ山山頂,ヤケ山から見えた武奈ヶ岳と釣瓶岳
ヤケ山山頂。向こうの稜線が西部山脈の主稜線で、左が比良最高峰の武奈ヶ岳(1214m)、右の尖った峰は釣瓶岳(1098m)

釈迦岳への挑戦。間に合うや否や

やがて道は急登となり、予想外の運動を強いられた。そして到着したのが、湖岸側山脈(東部)の主稜線上にある「ヤケ山」であった。標高は約700m。

到着は14時。意外にも滝見により時間を費やしてしまった。しかし、これまで休息していなかったので、遅めの昼食を兼ね小休止することとした。


ヤケ山山頂からみた畑集落と蛇谷ヶ峰
ヤケ山から見た比良西部山脈北部。右上に比良北端の高峰・蛇谷ヶ峰(901m)、左下に5年前の山会で訪れた畑集落が見える

日射しはあるが、寒気と四方開いた立地により寒かった。急登による体温上昇もすぐさま冷やされ上着を足すことに。そして15分程して出発。

予定していた標高1000m超の釈迦岳まで行くのは時間的に困難に思われたが、あまり早く戻っては合流予定の後続者が物足りなくなるのではないかとの思いもあり、あと1時間で引き返すことを決め、進むこととした。

日没が迫るなかでの前進と今季一番の寒さに少々身が引き締まる。


ヤケオ山稜線からみた比良連峰と琵琶湖南部
一気に標高を上げると縦走路は正に天上の道に。遥か南へ続く比良の峰々や叡山、琵琶湖が望めた

暫くは平坦な稜線上を進み、やがて急登の連続となった。ヤケ山から一気に高度を上げ、標高1000m前後の稜線に出る為である。

そして、休まず登り、45分程で稜線上に出た。頂には「ヤケオ山」の標識。思えば、このルート上には釈迦岳以南の山域に比して若木が多いが、その昔火事により焼けたのであろうか。似た山名はそのことを指すのか。


ヤケオ山稜線からみた釈迦岳
ヤケオ山を過ぎ、更に一峰越えて漸く見えてきた釈迦岳(奥)。急激に傾いてきた日射が眩しい

急登の連続でやはり速度が出ず、既にヤケ山から1時間後の折り返し予定に達している。即ち15時15分。しかし、この区間は比良全山の主稜線で唯一未踏だったため、下りの速度向上に期待をかけて進むことにした。


釈迦岳近くの山上からみた家棟川上流谷の紅葉と南比良集落・琵琶湖・小松沼
南小松集落を経て琵琶湖に注ぐ家棟川(やむね・やのむねがわ)上流谷の紅葉と琵琶湖。此岸平野の突き出た場所は小松沼と雄松浜。所謂、近江舞子の水泳場である

標高1000m前後の稜線付近は既に冬枯れが進み、雪を待つばかりの風情であった。下方を見ると、中腹辺りの紅葉が斜光に明るい。やはり紅葉は標高600m辺りまでが盛りのようであった。


釈迦岳山頂
平坦穏やかな風情を醸す釈迦岳山頂

夜の気迫る山上からの大返し
欲張る行程、身体にたたるか


そして最後の登りを詰め釈迦岳山頂に着いた。15時25分。標高は1060m、Y字に分岐した比良北部の東稜側最高峰である。ヤケ山からの距離は約2.5kmで高度差は約360m、登山口からは800m以上登ったこととなるか。

しかし、確り山に登るのは久々のことであり、乗っけから調子が悪かったこともあり時間がかかってしまった。故に疲労も著しいものとなった。

だが、平坦穏やかな風情の山頂にも日没の気、夜寒(よさむ)の気が満ち始めていたので、5分程の休憩にて下山を始めた。

そこからは、元来た道をひたすらに大返し。17時で暗くなる筈なので、何とかそれまでの下山を望んだのである。途中、体調を思い休みたかったが、時間が惜しくただヤケ山にて念の為の照明用意に立ち止まったのみ。

そして、別路での湿地入りも諦め、一気に登山口まで下ったのであった。釈迦岳山頂から1時間半、ちょうど17時であった。走ることはしなかったが、こうして無事明るい内に下山することが出来た。

結局後続との合流は下山後となり、暫し互いの行路等の話をして山を後にした。その間僅か20分。山も平野もすっかり暗闇に包まれたのであった。

帰宅後もまた出掛けるなどし、その後、漸く休めることに。しかし、夜半まで気分が優れぬ状況が続く。やはり今日は行程を欲張り無理をしたか……。次回の教訓としたい。とまれ、シーズン末期にしっかり1000m以上に登れたことは個人的な満足となった。

行けた人も行けなかった人も先ずはお疲れ様。今度はまた皆で挑みましょう!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年10月09日

2017秋野営会後記

山会「野営会,キャンプ,焚火,飯盒炊爨,澄んだ沢の花崗岩の砂底」

晴天続くも暑し

2017年の秋野営会3日目。即ち最終日である。

前日は天気の回復が確かとなったが、暑さにも見舞われた。今朝もまた少し雲があったが、間もなく昨日同様の日射と暑さに見舞われる。

その程度は昨日より強く感じられ、午後からは日向に居ることが困難な程となった。相変わらず湿度も高く、10月としては珍しいことと思われた。


上掲写真: 美麗な風化花崗岩の砂底上を流れる、太神(たなかみ)山地の沢。野営地からの撤収途上にて撮影。


山会「野営会,キャンプ,焚火,飯盒炊爨,川の粘土で子供達が作った一輪挿し等」

各々最終日楽しむ

暑さのなか、友人の子らは活発に川遊びに興じ、昼食前には名人共々、森なかへ水晶採りに出かける。他には、日頃の疲れを癒すべく、二度寝する人もいた。私も、昼前のひと時にテント内で休む。

写真は午後子供達が粘土により作った飾り物や一輪挿し。すぐ火に入れると割れてしまうための天日干しの最中である。結局、焼く時間がなかったため、その後の所在は不明となったが(持ち帰り?)……。

表面に石を貼り付ける等、常識に囚われない発想が頼もしい。


山会「野営会,キャンプ,焚火,飯盒炊爨,水晶とり」
名人に倣い再度水晶採りに挑むS君

昼食後から撤収までのひと時には、S君が水晶採りに再挑戦。午前に名人が中々良い煙水晶2個を得たからである。昨日は早々の諦め気分であったが、現物に接し、また刺激されたようである。


山会「野営会,キャンプ,焚火,飯盒炊爨,子供たちの水晶とり」
子供達もまた水晶採りに挑戦

私もその後半に覗いて助言したが、遂に満足出来る現物の採取は叶わなかった。服装等の装備を見直し、また来年挑戦するとのことである。


山会「野営会,キャンプ,焚火,飯盒炊爨,竈で焼いた粘土皿,焚火陶芸」

次回の楽しみ得、撤収

皆、各々楽しみ、やがて撤収の時間に。

各自の荷をまとめ、また手分けして竈の消火や片付け等を行なった。写真は竈を片す前に取り出した粘土皿。昨日作って干し、今朝から焼き続けていたものである。時間や温度が足りないため生焼けかと思われたが、自作が壊れた女児が持ち帰ることとなった。

次回は早めに成形・乾燥させ、完成度を上げることを皆と話した。水晶採り共々、細やかな楽しみがまた1つ増えたのである。

そして、日没前には無事下山し、市街へと帰還した。その後は友人宅で風呂を借り、印度カレー店で打上げ夕食会に(子らの希望)。最後まで楽しく過ごすことが叶い、解散したのであった。

皆さんお疲れ様でした、色々と有難う!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年10月08日

続2017秋野営会

山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイア,飯盒炊爨,靄かかる野営地」

2日目も雨天?

2017年の秋野営会2日目。

予報に反し、昨夕まで残った雨の影響は夜半に見られなくなったが、今朝起きるとまた曇天が広がっていた。谷なかの樹々に靄が立ち込め、今にも降りそうな気配である。

何やら逆戻りした心地がして、少々気も晴れない朝となった。

その後、心配しつつ朝食を摂るなどしていると、急速に晴れ間が広がり、漸く天気回復を確信出来る晴天となった。しかし、今度は晴れ過ぎて暑さに焼かれることに。

元より、高めの気温のまま日射が強くなったので、30度前後かと思われる高気温となったのである。

中々な極端ぶり。これで今晩気温が下がれば、身体に響きそうである。はてさて……。


上掲写真: 今朝7時頃の野営地の様子。見た目・体感共に湿度が高く、今にも降り出しそうな気配である。しかし、間もなく一転し、暑さに焼かれることになろうとは……。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイアー,飯盒炊爨,川の粘土で作った皿」

今朝はF君が仕事関連の用のため撤収し、入れ違いに今日から可能なS君が合流。早速F君の天幕跡地に自身のテントを設営し、無事参加を果たした。

日射による陶芸への誘い

写真は強い日射に思い立って作った粘土細工。沢岸の粘土を利用した焚火陶芸への試みである。適当に皿状のものをこしらえ、一先ず天日干し。

粘土は赤・白・青といった色味のものが採れたが、写真のものは青みある古琵琶湖層由来と思われる粘土で、彼の信楽陶土との関連も窺われた。

ここ太神(たなかみ)山の背後には信楽焼の産地・信楽高原が広がっている。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイアー,飯盒炊爨,水晶とり」
水晶採りに挑戦する参加者

久々に水晶採りに挑戦

夕方には、久々に皆で水晶とりに挑戦。まだまともな水晶を手にしたことがないS君が特に張りきる。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイア,飯盒炊爨,水晶とり」
水晶採り名人もその在り処を探す

遅くに始め、間もなく暗くなり始めた為、水晶探しは終りに。短時間だったこともあり、名人含め、殆ど成果なしの結果に終った。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイア,飯盒炊爨,キャンプファイアーの小炉」

個人的キャンプファイヤー?

夕食前の明るいうちにS君が写真の炉を作る。昨年と同じく、個人的な焚火をしたいとのこと。延焼防止の為の囲いや窪み等の施工を提案し、実施してもらうこととなった。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイア,飯盒炊爨,小炉でのキャンプファイア」
点火されたS君のキャンプファイヤー。石組み式で中々趣がある


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイアー,飯盒炊爨,東空から上がる月」

温暖で快適な夜過ごす

そしてまた東の空から大きな月が昇ってきた。

今日は昨日に比して雲がなく、その姿は明瞭であった。結局、気温も心配していたほど下がらず。また快適な夜が過ごせたのであった。

しかし、1つだけ懸念が……。

それは今朝帰ったF君が、帰路交通トラブルに見舞われことである。気になって、夜電話が出来る場所まで移動して問い合わせた結果、判明した。幸い実害は少ないとのことであったが、残念なことに思われた。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年10月07日

2017秋野営会

山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,少し増水した沢を渡る」

今年は連休での開催

今日は秋の野営会初日。

毎年10月に行う恒例行事だが、ここ数年は運動会等の事情を考慮して敢えて連休以外で開催していた。しかし、今年は連休の方が都合が良いとの意見が多かった為、その初日の開始となったのである。

場所は、いつもの滋賀湖南アルプスの太神山(たなかみやま)。参加者の行事等の関係で午後からの山入りとなったが、雨のあがりも遅れたため丁度良いタイミングとなった。


上掲写真: 雨で少々増水した川を慎重に渡り始める野営会一行。朝には止む筈だった雨は意外にも午後遅くまで続き、地面や草木を濡らしていた。渡渉に限らず、慎重な行動が必要に。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,登山道横の岩肌に作られたスズメバチの巣」
野営地までの途上の大岩側面にあったスズメバチの巣。長さ50cm程で、登山道から5m程の場所にあった。確か春に通過した際は無かったような……。とまれ、これも慎重にやり過ごし、事無きを得る。



山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,少し増水した沢の滝」
同じく野営地までの途上にある滝二筋。少々水量が多いか。前夜は結構降ったが、今日は小雨の所為か、心配する程の増水には遭わず。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,野営地での設営準備」

そして、無事野営地に着き、準備する。日没まで時間が無い為、急ぎ天幕や竈等を構築した。

もう雨の心配はなさそうだが、写真の如く、完全な回復までにはまだ時間がかかりそうである。燃料となる薪や柴は全て濡れていたが、物を見極め、工夫した為、火おこしに難は無かった。久々に参加したF君が感心すること頻り。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,東空の雲間から出る満月翌日の月」

満月に近い月光の下、日を終える

準備が整い、夕食を始める頃にはすっかり暗闇に。しかし、やがて東の空から写真の如く、大きな月が上がってきた。まだ雲は多いが、確実に晴れ始めているようである。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,月夜の焚火」
頭上にあがり、光度を増す月

月は天空へ上るにつれその明るさを増す。野営には有難い存在である。少々欠けているが、昨日未明が満月だったため、まだそれに近い大きさを擁していた。


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,焚火明かりと月光に輝く川」
仄かに灯る焚火明かりと、月光に照らされる川


山会「野営会,キャンプ,焚火,キャンプファイヤー,飯盒炊爨,晴れてきた西の夜空」
就寝前の西空。雲はほぼ無くなったか

焚火を竈から傍の炉に替え、寛ぎ過ごす。所謂キャンプファイヤーの小さなもの。

やがて、子供等の一部の人は就寝し、我々その他は暫し語らい楽しんでから、野営初日を終えたのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年06月04日

北山八丁行

山会「京都北山廃村八丁行,ダンノ峠の古木と標識」

奥北山の八丁集落址へ

「北山(きたやま)」は、旧山城国北部と同丹波国東部に広がる山地で、現在の京都府北中部に当たり、地理学的には丹波高地とも呼ばれる。

京都盆地の北に接するため、古くから木材や薪炭の供給地として、また山陰や若狭等の西国や北国への海道通る場所等として、京都市街と深い関りを有してきた。そして、近代明治以降は身近な登山や余暇活動の場所としても親しまれてきた。

今日は、そんな京都人にとっての馴染みの北山の深部へと向かった。場所は京都市左京区北端と同右京区東北端の山域。区界・旧市町界が走る辺境で、標高800m前後の稜線に囲まれた地帯であった。

そして、目指す先には、その辺鄙故に廃れた「八丁(はっちょう)」の集落址が潜んでいた。所謂「廃村八丁」である。今日は以前より気になっていたものの、奥山故に行く機会がなかった八丁探訪を目的に、梅雨入り前の奥北山の自然に親しむこととなった。


上掲写真: 廃村八丁がある京都市右京区(旧京北町)と左京区広河原境のダンノ峠の枯木(こぼく)。北山歩きの先達である森本次男氏や金久昌業氏ら戦前・戦中世代の著作にある、嘗ての「北山らしさ」を匂わせる光景である。昔の面影、そして往時と同じ静かな北山風情を味わえ、先ずはそれだけでも感慨深いものがあった。


山会「京都北山廃村八丁行,広河原菅原集落の元茅葺の古民家と仏谷川」
広河原菅原集落と仏谷川。大堰川、即ち遥々嵐山へと流れる桂川の最上流部である

京都市北端広河原から歩行開始

当初は出町柳からバスで行く予定だったが、車の提供があったので、2台で分乗してゆくこととなった。

京都市街から北へ進み、岩倉・鞍馬と山間へ入り、やがて盆地縁の峠を越える。そこからは丹波高地の谷あいの集落を数珠つなぎに北上し、やがて広河原の菅原集落に到着した。

標高約470m。途中つづらの細道を上り標高760mの花脊峠を越えるも、1時間程で着いた。バスの半分程の時間か。


山会「京都北山廃村八丁行,仏谷の道を進みダンノ峠へと向かう」
菅原集落から西へ続く仏谷川沿いの道を北上する山会一行

そして、土地の人に駐車出来る場所を聞き、八丁方面から流れる仏谷を少し入ったそこに車を停めて準備し、谷道を遡上しつつ西方へと向かう。時間は10時前。

天気は望み通りの快晴予報で、太平洋と日本海の気象中間地として乱れがちな現地の天候も申し分なかった。気温は涼しいというか、少し肌寒く、山行には丁度良いものであった。


山会「京都北山廃村八丁行,ダンノ峠への道」
仏谷上流の急登の尾根道をゆく

舗装と土の道を進むこと1q程で沢の分岐と出合う。その真んなか対岸から始まる尾根に乗り、そこから続く道を登る。距離は1Km弱、高低差210m程だが、ノッケからいきなりなので、一部の参加者からは弱音も聞かれた。


山会「京都北山廃村八丁行,ダンノ峠での休息」

初心者等に配慮して、なるべく休憩を多くして対処し、約1時間でダンノ峠に到着した。標高は約760m。前述の通り、北山らしい静けさと昔の風情が残る良い場所である。

ここにて、少し長めの休息をとった。


山会「京都北山廃村八丁行,ダンノ峠に接続される古道」
八丁方面からダンノ峠に接続する古道跡

仏谷から上がる尾根道は比較的新しいルートらしく、峠との接続に古さは感じられなかった。その反面、峠の向こう側、即ち東の八丁側は、荷車や橇の通行も考慮されたような古道風情が残っていた。

因みに仏谷側は、明治中期の地形図によると、尾根ではなく谷に道があり、それが前近代からの峠道とみられる。近年水害等で荒れたのか。


山会「京都北山廃村八丁行,品谷山への尾根道への登り」
ダンノ峠から登る北回りの尾根道

品谷山経由の北回り尾根道をゆく

峠での休憩後、八丁方面には下らず、南北の尾根筋を北行する。八丁と接続する谷道は帰り道として道を変えたのである。八丁の谷地の北を巻く尾根の古道を踏み、品谷山(880m)を経て北から八丁に入る道程であった。


山会「京都北山廃村八丁行,ダンノ峠北方尾根筋の台杉」
北回り尾根に早速現れた台杉の巨樹


山会「京都北山廃村八丁行,品谷山尾根道の佐々里峠分岐」
佐々里峠分岐の頂(863m)と標識

方々で巨樹をみる天然林の尾根道を進み、やがて進路は西へ傾く。ダンノ峠から1km弱程進み、山上の三叉路に出た。佐々里峠から続く道との分岐点である。

佐々里方面も豊な天然林が続き、噂通りの良さを見せていた。佐々里峠向こうの、秘境で名高い芦生(あしう)演習林の森に劣らぬ風情である。


山会「京都北山廃村八丁行,佐々里峠分岐南から見えた比良最高峰・武奈ヶ岳」

分岐から進路は暫く西南となり、その後西となった。その西南行にて写真の如き秀峰をみる。最奥中央の尖った黄緑の山体である。それは、その方角から滋賀湖西に聳える比良山脈の主峰武奈ヶ岳(1214m)とみられた。


山会「京都北山廃村八丁行,品谷山尾根のブナ・カエデ・ホオ等の巨木」

変わらず天然林が続く。尾根上一帯がそれであることは北山では珍しい。大概、境界の尾根筋辺りだけで、あとは植林地が多いからである。

樹種はブナ・カエデ・ホオ等の樹皮の白いものが多い。冷温帯樹林の典型か。そして、写真の如くそれらの大木も幾度か現れた。


山会「京都北山廃村八丁行,品谷山尾根の白い石」
品谷山への尾根古道上に散り続く白石

近畿的高地樹林らしい天然林の他、もう一つのこのルートの特徴は、白い岩石が多いことである。それは大小様々あり、樹下を明るくして道の清々しさを、なお一層のものとさせていた。硬質の石灰岩か。


山会「京都北山廃村八丁行,品谷峠からスモモ谷を下る」
一部荒廃したスモモ谷の古道を下る山会一行

やがて、眺望のない品田山に到着し、少し休んでまた西行し、品田峠(標高約790m)の名がある鞍部から、八丁の北に接するスモモ谷へと下った。

道は植林地等に続く明瞭な古道であったが、沢に水が現れてから崩落や倒木による荒れがみられた。それらを迂回し、また踏み越えて進む。

なお、沢には多くの魚影が見られた。アブラハヤのようである。期待したヤマメではなかったが、標高が高く、豪雪地である厳しいこの環境で、平地に劣らぬ繁栄をみせていることに驚かされた。


山会「京都北山廃村八丁行,スモモ谷の炭焼窯跡」
石積みで造られた炭焼窯跡

また、谷を下るにつれ、炭焼窯跡が出現。その数は多く、周辺や山上の天然林を使った嘗ての山仕事を想像させられた。


山会「京都北山廃村八丁行,スモモ谷終点付近に見えてきた廃村八丁の建物跡の石垣」
スモモ谷が八丁川に出合う手前に現れた建屋基壇や敷地跡

八丁廃村探索

そして谷を下りきると、写真の如き人家跡が現れた。廃村八丁への入域である。手前の石垣は土蔵か小屋跡か。野面積ながら確かなものであった。

時間は13時45分。かなりかかってしまった。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落の中心地の耕地・民家跡の広場と三角形の山小屋」
八丁川沿いに開けた旧八丁集落中心地

スモモ谷から八丁川沿いに入ると、奥山らしからぬ平地が開けていた。この辺りが八丁の中心地とみられ、6戸の内、4戸の家があったとみられる。

写真の右手には道跡、左には耕地や家の敷地跡があり、奥には後年築の三角トタン構造による山小屋があった。

山小屋は元企業山岳部の小屋といい、現在は「村長」を名乗る個人管理者が無雪期に常駐しているとの噂であったが、人影は見られなかった。昭和40年代から存在するらしい小屋は厳しい環境に良く保たれていたが、トタンには錆がまわってきており、近い将来での崩壊を想わせた。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落中心地の民家敷地?の石垣」
道跡に接する建屋敷地の石組み

後年の補作かもしれないが、野面積と打込接(はぎ)が併用されている。スモモ谷でも大小数多く見られたが、この山域は森林資源は勿論、石材にも恵まれるという、意外の豊かさを有する地であることを知らされた。

因みに、この敷地の左川際に、嘗て名を馳せた壁に絵のある土蔵があったとみられる。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落の神社尾根突端(学校橋前)の地蔵祠」

とまれ、北の尾根回りをして漸く八丁に辿り着いたので、土蔵跡近くの河原にて昼食休憩することとした。

噂通りの滞在適地。人が定住したことが納得出来るような、穏やかで温暖な地であった。ただ、標高は600mに達している。そして、少し日陰にいるだけで寒さが感じられた。冬の厳しさとその長さによる苦難も偲ばれた。

食後、慣れぬ長歩きで疲れ気味の参加者に荷を見てもらい、希望者による集落散策を行う。写真は中心平地下流口(西)の道脇にあった祠。素朴な石室(いしむろ)が2基あり、一方のみ古い石仏の安置がみられた。

当初安置が無い方は、形のない山の神等かと思ったが、昭和後期までにここを訪れた先達らの記録には2体あることが記されている。平成に入る前後に、どこかへ持ち去られてしまったのであろうか。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落を貫く整備された道跡」

祠は川に下ってきた尾根の端部にあり、道はそれを切り通す様にして西へと続く。写真の如く整備された美麗の道が半間(1m弱)程の幅で弓削(ゆげ。周山)方面へと伸びており、小石による舗装の可能性も窺われた。

尾根のすぐ裏側は分教場と教員住居があった場所で、確かに道の両端にそれぞれ小さな平坦地と基壇の石組みがみられた。気になったのは、それらや道の為に尾根の岩盤がかなり削られていたことである。重機の無い時代、それが持ち込めない時代にそうした施工がされていることに驚く。

公の記録では分教場の設置は明治33(1900)年といい、大正13(1924)年まで存続したという。但し、廃校後の昭和初年にも教員らしき夫婦が教えていたとの証言がある。

因みに、戦後暫く残存していた教員住居は茅葺の古民家で、学校が出来る前の地形図にも掲載されている(もしくは前身建屋?)。古くは外来士族が営む寺子屋があったとの伝承があるので、それとの関連も窺われよう。

また、分教場の建屋は戦中の昭和17年に仏谷に移されたとの証言がある。


山会「京都北山廃村八丁行,八丁神社の参道と壊れた鳥居と倒れた石碑」

学校地区から美麗の道を少々進むと、横の斜面を逆方に上る石段と出会った。見れば、その途中には2本の丸太が門柱状にあり、更にその上には石碑が放置されていた。

記録や証言に云う、神社跡である。木柱は鳥居で、上部の横木が崩落しており、石碑は石段、即ち参道脇に立てられていた明治期の山林所有公認を記念したものであった。


山会「京都北山廃村八丁行,尾根上に見えた八丁神社の祠」
参道中段より見上げた社

参道を上がり、踊り場的な中段に達すると社(やしろ)が見えてきた。中段の平坦地には倒れた手水鉢や建屋跡があり、廃滅の観を強く漂わせていた。


山会「京都北山廃村八丁行,八丁神社内陣の祠」

参道を登りきると社が小さな社殿であることが判った。本殿とみられるそこは、石仏尾根の上方に位置していた。

写真の如く、社は元来外陣に囲まれていたと思われるが、今はそれも朽ち、直に外気に晒されている。傍に立て掛けられた板には「明治十五年」の文字。錆て最早復活の望めない鈴も転がっていた。

屋根に樹脂板の養生もあったが、内陣の崩壊も時間の問題であろう。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落西方の民家敷地跡に残る石垣暗渠」
最西端の敷地跡とみられる出入口付近にあった石組み暗渠

道に戻り、西へ行く。途中屋根の無い小さな小屋がある敷地跡と出会う。小屋は分厚い壁や独特の屋根勾配を持つ、少々特異なもの。

証言では、戦中マンガン採掘用の火薬庫が隣にあり、その厠であったという。採掘には朝鮮人も従事したらしく、何処かで見たような大陸風の小屋は彼らの手によるものかもしれない。

因みに敷地跡の石積みは中心地等と同一のもの。明治等の地形図にも、ここに建屋が記されることから、元は民家があった場所とみられる。火薬庫があったという大きな敷地が母屋、厠側が蔵や倉庫跡か。そして、それらの前は耕地跡と思われた。

母屋・蔵・倉庫・耕地――。この1セットを基準に考えると、各戸の場所や建屋を復元出来るかもしれない。

厠廃墟の敷地から川を渡り、また大きく明るい平坦地に出る。古図等によると最西端の住居址があったとみられる場所である。

そこへの入口には石組みの堤とその下に開けられた暗渠跡があった。写真では解り難いが、手前の溝から続く石組み下に川辺に通じる大きな穴が開いている。灌漑用かとも思われたが、水面からかなり上部にあり、不明である。ひょっとして、川を堰き止めて通水させていたのか……。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落西方の民家敷地跡の戦後の小屋跡」
西端住居址の小屋廃墟と残骸

中心地に次ぐ広さをもつ西端住居址には、写真の如き廃墟の小屋と建屋の残骸が散乱していた。情報によれば戦後造られた林業小屋や山小屋の跡らしい。

とまれ、ここも古くから建屋があった記録があり、その石積みも残ることから、住居址であることは確実と思われた。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落西方の枯死巨木と祭祀場跡?」
巨樹のたもとの祭祀場的遺構

西端住居址から道は南東に寄り始め、写真の如き枯死巨木とその下の石垣と遭遇。石垣下には空間があり、門柱状の石の設えもあることから、何かの祭祀跡のように思われた。

また、その隣には建屋用の石積みも見られ、全面には広い耕地跡もあることから、住居址である可能性が窺われた。しかし、古図や証言等に、ここに家があったことが窺えないため、不明である。

ただ、先ほどの「1セットの基準」からすると、その可能性も捨てきれないと思われた。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落西方の墓地」
廃村八丁の墓地

そして、最後に墓地が現れた。中心地からの距離は500m程か。廃村以前の戦前の墓碑のみが10m程の石段上に幾つか並ぶ。砂岩製のそれらには傾くものもあり、放置され荒廃した観が強かった。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落西端の八丁川と卒塔婆峠道の分岐」
集落址南端である八丁川と卒塔婆峠の沢との出合い

墓地を過ぎると沢の出合いとなり、古道以外の人跡は絶えた。八丁の最南端である。ここから先は、支流に沿って東行する古道が卒塔婆峠に至り、そこを越え下ると桂川水系小塩(おしお)集落へ出る。

時間の関係もありこれにて八丁散策を終える。色々と興味深い地であった。

18世紀初頭から山番として5戸が住み始め、最終的に6戸となり20世紀前半の昭和初期に廃滅した八丁。小さな集落だが200年以上ここで暮しを営んできた。きっと様々な歴史があり、そして暮しの知恵を育んだに違いない。

そんな里人の足跡と叡智を探しに、また再訪させてもらいたいと思う。

なお、八丁については様々な情報があるが、「廃村八丁の土蔵の歴史」というサイトが大変参考になるので紹介しておきたい。基本となる公的史料を始め、個人のネットサイトまでのあらゆる情報を収集した労作である。


山会「京都北山廃村八丁行,旧八丁集落東端から刑部谷の道をゆく」
八丁川沿いの古道を東行する帰路に就く

八丁離れ帰路へ

元来た道を戻り、中心地で休む仲間と合流して、八丁を後にした。時間は既に15時半過ぎ。

八丁川を遡上するように東行する古道をゆく。ダンノ峠へと続く「刑部谷(ぎょうぶだに)」と呼ばれる谷なかの道で、明治期の地形図等でも八丁と広河原を最短で結ぶ主路であることが記されている。

穏やかな谷の遡上で、清々しく気分も良い。


山会「京都北山廃村八丁行,刑部谷の褶曲岩肌」
刑部谷の褶曲岩盤

ただ、途中から主路は一旦別の谷に入って「四郎五郎峠」という急坂の峠を越す。故に初心者に配慮して刑部谷をそのまま遡上する別路を採った。

しかし、道はあるものの渡渉が多く、水量や下草が多くなる時期の通行は困難になるルートかと思われた。


山会「京都北山廃村八丁行,刑部谷の滝」
刑部谷の滝

そして滝と出会う。北山らしい穏やかな滝だが、周囲が崖となる為、巻き道を探さなくてはならない。


山会「京都北山廃村八丁行,刑部谷の滝横の壊れた桟道」
朽ちかけの「巻き道」桟道

滝の巻き道は踏み跡の延長にすぐ見つかったが、少々崖を攀じ登るものであった。しかし、ロープや桟道が備えがあったので、特段難儀することはなかった。

ただ、桟道が朽ちかけていたので、今後の通行には注意が必要である。また初心者からは「最大の難所」との感想も聞かれた。


山会「京都北山廃村八丁行,刑部谷の壊れた桟道を慎重に通過」
滝横の巻き道を慎重に通過


山会「京都北山廃村八丁行,刑部滝」
深い森なかに忽然と立ちはだかる刑部滝

最大の難所

しかし、最大の難所はそこではなかった。滝上に出ると、更に越え難い大滝と急崖が待ち構えていたのである。所謂「刑部滝」である。

一応、事前調査で巻き道があることは確認していたが、判り難い。右手の尾根に踏み跡とロープがあったが、実質土崖であり、一般向けとは言い難いものであった。


山会「京都北山廃村八丁行,刑部滝横の危険な崖道」
刑部谷右手(東)の土崖路。ロープ下の人の頭上1m程の所に下で待つ人が頭より小さく見えている。それだけ急で高いが、これでもまだ中途である

脇の奈良谷にも踏み跡が続いていたので、それを辿って巻き道を探すも見当たらず。仕方なく、偵察を兼ね山会主将と2人で土崖を登ってみることにしたが、やはり難路であった。

高低差は50m程。途中ロープの無い場所もあり、木の根、岩角を踏み掴んで進むしかなかった。慣れた者なら、慎重に行けば大丈夫であろうが、初心者等では途中で動けなくなる可能性もあった。

これはマズい。無理をさせても危ないし、かといって、また道を戻り四郎五郎峠を回るのも大変そうである。


山会「京都北山廃村八丁行,奈良谷から刑部滝を巻く道を登る」
奈良谷からの巻き道。これも急だが、滝横の道よりマシであった

一か八か、土崖の頂部の尾根を進んでみた。すると、脇から上がる踏み跡があった。一部にロープの補助もあるそこを下ると、奈良谷の道に比較的楽に下降出来た。やはり奈良谷からの一般路があったのである。当初見つけられなかったのは、崩落等により入り口が不明瞭だった為であった。

急ぎ皆の待つ土崖下へ向かうと、既に皆そこを登りかけていたので、呼び止めて奈良谷側に誘導した。それでも、その急崖を訝しむ人もいたが、慎重に登ってもらい、無事通過が叶ったのである。


山会「京都北山廃村八丁行,広谷「段」の中央に聳える樅の枯死巨木」

高層湿地経てダンノ峠から下山

滝の巻き道である痩せ尾根の道を進むと、間もなくまた刑部谷に下降した。滝の上部であるそこは、滝下とは異なる広く明るい別界であった。

埋もれた堰止湖の跡等であろうか。今は乾燥しているが、普段は高層湿地状とも思われた広谷であった。それは暫く続いたが、その中心の最も広い場所に、象徴的な朽木の大木があった。先達らの記録によると樅の大樹らしく、幹の直径は1.5m程あり、千年級の樹齢を想わせた。

この心地よい場所は近隣から「段」と呼ばれていたらしく、ダンノ峠(段の峠?)の由来ともなっているという。ただ、京都辺りの一般的な地名づけでは、「段野(高層原野の意)」である可能性も窺われた。

標高は700mを超えるが、その名や地貌から、寺や集落等の人跡があったことも想像される。そもそも、著名人物から採られたとみられる刑部や四郎五郎という名がこの奥山にあることも曰くありげであり、興味深い。

ただ、何故か朽木向こうに唐突的に建つ現代的な大学建屋はいただけない。研究の為らしいが、もう少し配慮が必要なのではなかろうか。


山会「京都北山廃村八丁行,ダンノ峠からの尾根道と仏谷川の出合い」
ダンノ峠からの尾根新道を下った仏谷との出合い箇所

そして八丁川の源流をつめ、ダンノ峠と最後の下りを経て仏谷に下った。時間は18時前。難所で時間をとられたが、日没までに下ることが出来た。


山会「京都北山廃村八丁行,広河原菅原集落への帰還」
仏谷川に沿って民家が点在する菅原集落を下る

奥北山と八丁に感嘆し再訪約す

やがて駐車場に戻り、荷を解いて18時半には菅原を出発。元来た車道を市街へと戻る。帰りの車行も暗くなる前に無事峠越えをすることが出来た。まあ、日没が遅い春なればこそ、の条件ではある。

そして、帰宅を急ぐ人以外の参加者と市街の銭湯で疲れを落とし、その後近所の蕎麦店で打上げ夕食会に。

今日は、一同奥北山の自然に感嘆すること頻り。また、未踏の地・八丁の良さも確認された。再度の訪問を約しながらの、打上げひと時であった。

皆さん、お疲れ様でした。有難う!

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2017年05月05日

2017春野営会後記

山会「太神山キャンプ,野営,始末の悪いキャンパー,マナーの悪いハイカー,田上里の堰堤,天神川下流の淵」

野営会3日目・最終日

5月5日子供の日。同3日から続いた野営会の最終日である。

本来の予報では、今日は明日の荒天を前にした曇天となる予定であったが、今朝も青空広がる良い天候となった。どうやら、接近する気圧の谷の勢いが落ちたようである。

最近の野営会は中途撤収が続いていたため、久しく存分に楽しむことが出来た。それは、初日に早く現地入りしたことや、今までの経験が活きて手際等が良くなったことにも影響されたかと思われた。

最近の例のように、悪化する天候を気にして急ぎ下山する必要もなく、最後のひと時をゆっくり楽しむこととした。


上掲写真: 残りの個人食材(晩酌用)を利用して作った、朝食用の焼肉バーガーやステーキ。レタスは昨日の差入れを使用。在庫整理の為、朝から豪勢な食事となったが、まあ、これも野営の醍醐味。


山会「太神山キャンプ,野営,始末の悪いキャンパー,マナーの悪いハイカー,田上里の堰堤,天神川下流の淵」

立つ鳥跡を濁さず

水晶探しや読書等で、皆思いおもいに山中を過ごす。

そして、昼食も残り食材・非常食等を使った豪勢なものとなった。昨晩のカレーの残りに、鯛等を入れた具沢山の赤だし味噌汁等である。また、少なくなった白飯の補完に、北アフリカの主食「クスクス」も登場した。

食後は一休みして、徐々に片付け態勢に入る。そして15時くらいには写真の通り、全ての片付けを完了した。

立つ鳥跡を濁さず――。

よくマナー啓発等で使われる言葉だが、我々も常にそれ以上を心掛けたい。今回はまた色々と残念なことを目撃したが、そうした行為をした人も、是非、後々の結果を想像して行いを改めてもらいたいと思う。


山会「太神山キャンプ,野営,始末の悪いキャンパー,マナーの悪いハイカー,田上里の堰堤,天神川下流の淵」
バス停近くの堰堤を帰路見る

砂防工事やバーベキュー客急増の所為か、20年以上前の際立った美麗さは失われたが、水青く、小魚遊ぶ様は健在。我々は、この環境と、そこでの楽しみや学びを次代に引き渡さなければならない。

下山。帰宅後再集合し打上げ

さて、歩みの遅い子供組から下山を開始し、16時過ぎには全員が無事登山口まで下った。その後は、徒歩組・車輌組と別れ、一旦帰宅して銭湯や自宅での入浴後、夜再び京都市内に集合して細やかな打上げ夕食会を行った。

皆さん有難う、お疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年05月04日

続2017春野営会

山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」

野営会2日目

昨日は意外と雲が多く、夜は特にその傾向が強かったが、徐々に晴れ始め、就寝前には澄んだ夜空となった。

そして、今朝。空も空気も完璧な清澄の快晴が現れる。昨夜8度まで下がった気温も、テント内では朝6時頃から暑さを感じる程となった。

朝5時から起きている人もいたが、個人的には7時に起床。爽やかな春温暖の朝であった。起きてすぐ、大幅に服を減じることも珍しい。


上掲写真: 爽やかな春風に細波(さざなみ)をたてる山中砂原上の水面。


山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」
昨日の作られた堰堤は、朝日輝く広い水面を擁していた

堰堤の目的

一晩かけて沢水が貯まったようである。傍らには、早速補修に勤しむ人も(笑)。


山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」
そして水着の子供らが駆け回る

堰堤は子供プールであった。一応、登山者の通行に支障がないよう、渡渉箇所には飛び石の橋も設置。

まだ朝で水も冷たいが、子らは、お構いなしに、はしゃぎ楽しむ。


山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」

危険で情けない有様

朝、昨日仲間が注意したという集団が撤収したというので、念のため跡を確認する。以前も焚火の火を消さずに立ち去った野営者がいた為である。

最近まとまった雨がなく、乾燥注意報も出ている為、風で火の粉が森にでも入ったら大変なことになりかねない。昨日最初に火を熾した時も、ライター一発で火が点くという状況であった。

写真は野営者の焚火跡。調理はストーブ(携帯ガスコンロ)を使っていたらしく、キャンプファイアー用途と思われた。砂がかけられているので、まだマシだが、水で完全に消火した痕跡は全くなかった。盛った砂が飛ぶ程の風が吹くこともある。水での完全消火は鉄則である。

雑な割に砂の量が多く、怪しく感じられたので、少し払ってみると、何と、食事で出たとみられる缶詰等のゴミが埋められていた。50年前の第一次レジャーブームへの退化か。仲間によると、この野営者は中年以上年齢だったという。

情けない限り。以前火をそのままにした団体(多分大学のゼミ的な集い)も、年長の引率者らしきが幾人もいたにも拘わらず、その有様であった。更に、その団体の前身的なグループは、夜中打ち上げ花火さえ始めた為、止めさせたこともある。

しかし、今回の集団は、更に倒木や枯れ木を使わず、立ち木を切って薪にしていることも判明。この辺りの樹は砂防用に植えられた治山・治水に重要なもの。犯罪的行為であった。

我々の野営地近くにも、別のハイカー集団によるとみられる使用済み便所紙の見苦しい散乱放置が10か所以上もみられた。こんなことをしていたら、ハイカーや野営者は締め出されてしまうだろう。

自ら首を締め、楽しみや学びの機会を失わないよう、気をつけてもらいたものである。


山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」

友人来訪と差入れ

さて、昼食前には仕事で参加できない友人が来訪。このあと仕事とのことだったが、わざわざ山を登り、顔を出してくれた。差入れの自家製野菜共々、有難い限り。

そして、今日の夕食はカレーとなった。キャンプの定番で、ありきたりと言われそうだが、やはり美味い。写真は既に具が大半なくなった状態のものだが、ご諒解を(笑)。

今朝から、1人体調不良者が出ていたが、ゆっくり休んだのが功を奏したのか、夕方には無事回復して共の食事が可能となった。一先ず、安堵。


山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」

そして、また夜が来た。小さな焚火と共に、また月夜を眺めつつ、それぞれ寛ぐ。


山会「太神山野営,キャンプ,沢水の子供プール,砂上の水面,月夜の砂原と水面」
月光に光る川面

今日の就寝は12時前。その他子供以外の人も比較的遅くまで起きていた。気温はまたしても下がり、10度となったのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年05月03日

2017春野営会

山会「太神山,アルプス登山口,昭和な看板,水田中の苗代,滝,ヤマツツジ,焚火炉,竈,山の土木作業,堰堤,夜の野営地,月明りのテント」

失態犯すも予定通り入山

先月末から始まった黄金週間の後半開始日である今日、5月3日。野営会初日として、朝から隣県は滋賀南部の太神山地に入った。

今朝は忘れた上着を取りに戻り、列車に乗り遅れるという失態を犯したが、なんとか山麓行のバスには間にあう。とかく朝は、完全な業務以外では気が緩みがちとなるので、反省して教訓としたい。

とまれ、駅まで走るなどして朝から、そして山へ行く前から一汗かくこととなったが、予定通りの麓入りが叶った。天候は予報通り素晴らしく、絶好の野営日和である。


上掲写真: 野営地となる滋賀南部の、山麓の停留所近くの標識。足元を春の花にも飾られる。これより林道化する道路についての注意喚起。手描きによる昭和な感じがいい。


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バス停近くの路端にて、山道に備えて荷物整理や準備体操を行う。山麓の停留とはいえ、ここから数kmの林道を30分以上延々と歩かねばならない。

写真は、準備地傍らの水田。今時珍しい手植え用か、田の中で苗代が用意されている。そういえば、はや田植えの季節であることを知る。普段街なかに住んでいると、意外と気づかないことである。


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登山道途中の滝。沢沿いの道はその横を高巻きして上流へと続く

バス停から林道を歩き、登山口に到着して小休止。そしていよいよ登山道を進む。その始まりから岩場横の急登を行くが、長時間ではないので、気を軽くして進む。


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山上の野営地着

そして、野営地に到着。ちょうど見ごろのヤマツツジがお出迎えである。気は軽いと言ったが、やはり荷は重いので、先ずは持参の茶などで一服。


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休憩後、早速野営準備に。天幕を張り、水場や台所を整備し竈を作った。写真は、前回埋めた炉を掘り出し、再整備する途中の景。埋めないでいると、破壊や汚染の恐れがある為である。

ここは他の野営者や飯盒炊爨組も利用しているが、ゴミを炉に残したりすることが多いからである。


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諸々の準備が完了し遅めの昼食を摂っていると、後発の仲間が上がってきた。

共に薪集め等の公共作業を行ったあと、夕食準備までの自由時間に。すると、写真如く何やら土木作業に勤しむ人が……。


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どうやら堰堤を作り、水を貯めているようである。その訳は、また明日……


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夕方から準備した夕食を済ませたあとは、焚火を囲んでの寛ぎ時間。随分と日が長くなったが、いつしか暗くなり、野営初日の夜となった。

初日とあって、諸々の疲れにより早々に寝る人もでた。


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野営地の夜

暗くなると、空には半月が現れ、その存在を誇る。生憎の曇りだったが、月の反射もあり、意外と明るい夜となった。


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月光に照らされる天幕(テント)

季節の過渡期。夜は8度以下に

昼は半袖でも十分な気候だったが、さすがに夜は下がってきた。然程標高の高い場所ではないのであるが……。

順次脱いだ衣を戻し、焚火で暖をとる。今日は昼から風が強かったので、山火事への細心の注意を払いながら、であった。

途中、近くで野営していた集団を仲間が注意。持ち込んだ音楽機材の音と、火柱上がる大きな裸火を焚いていた為である。

結局、先発組の一員として12時ぐらいまで起きていたのち、就寝。なんと気温はテント内で8度に。はや初夏到来のような一日であったが、まだその過渡期であることを思い知らされた。

そういえば八重桜は疎か、とうに散っている筈の山桜の花も観られたのであるから……。

とまれ、野営会初日は無事終了。万障繰り合せての参加の皆さん、一先ずお疲れ様でした。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2017年04月23日

愛宕西登

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今回の愛宕は西裏から

今日は春の山会(やまかい)日。いつもなら3月終りか梅雨前となるので、臨時的な開催であった。行先は、参加者の要望に応えて、京都市西方は愛宕山(924m)。

個人的にも、山会でも、お馴染みの場所だったので、今回は少し趣向を変えて、西方ルートを試すこととした。しかし、今日は折よく朝から素晴らしい天気。正に絶好の山日和である。


上掲写真: 愛宕山西方ルートの起点となる水尾(みずお)集落にて。昔、親から聞いた「村の小学校」的な学校前の桜下より愛宕稜線を見る。山並み中央の樹々の凹凸がわかるところが、稜線参道の神木並木。


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険路越え愛宕裏へ

愛宕山の西ルートは幾つかあるが、最も一般的で、京都市街からも近いのが「水尾道」であった。古より丹波亀山(亀岡)方面からの参道であったが、市街からは山向こうとなるので我々には馴染みが薄く、意外にも今回が初踏査となった。

西方ルートのなかでは京都市街から近いものとはいえ、水尾への道は府下名立たる険しさを誇る。写真は水尾への途上の車窓景。左は保津峡の奈落、右は愛宕山塊の絶壁であった。

今日は人数の関係から、2組に分かれて四輪分乗で向かうこととした。


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愛宕裏の集落・水尾

市街から約1時間にて愛宕山塊西南部にある水尾集落(中心部標高約250m)に到着した。

平地少ない谷あいの小集落だが、清和天皇縁の里で、柚の産地としても高名な場所であった。


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地区が運営する駐車場に車を停め、登山口へと向かう。

途中、主道の際に古い道標を見つけた。写真がそれで、愛宕山への案内柱であった。側面の紀年には「享和二年」の文字。200年以上前のものである。


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水尾の学校前の桜を楽しむ参加者

愛宕山への道は集落の中心路ともなっていた。途中には懐かしい風情の小学校もあり、校門やその傍には美麗な枝垂桜も。山間で標高も高いので、市街より季節の進みが遅いようである。

時を逆巻きしてまた桜花を得た思い――。少々得した気分に。


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間もなくして家並が途切れ、登山口が現れた。写真はそこから登り始める山会一行。著名路とあって道は良く、結構な登坂ながらも足の負担等は少ないものであった。


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水尾別れの三叉路

登坂1時間強にて「水尾別れ」に到着。水尾道と愛宕表参道との合流点である。それまで殆ど他人を見なかったが、ここからは所謂「銀座」状態で、実に多くの人と会した。


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水尾別れで暫し休息してから、表参道登坂を開始。写真の如く、参道の神木として残された大木の並木をひたに進む。


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愛宕山上での昼食休憩

そして、山上着。駐車場を出て2時間強くらいであろうか。初心者や小さな子供がいたわりには、先ずまずのペースであった。

とまれ、山頂直下の神宮寺跡平坦地にて、昼食休憩をとることとした。


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昼食休憩地より見えた下界の景。中央の池は嵯峨野・広沢池


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ゆっくり昼食や珈琲を楽しんだ後、山頂の愛宕社に参詣する。写真は山頂社殿への階段。京都市街から愛宕山を観察すると、なだらかな稜線上に突き出た頭のような山容が見られるが、その山頂突き出しへの登路がこの階段であった。


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愛宕山頂上にある愛宕社本殿内

石段を登り、やがて社殿に。皆で参拝したり、お札を買ったりする。今日の下界気温は25度の夏日予想であったが、社殿の温度計は7度しかなかった。


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参拝後、再度石段を下り、山頂北方へと進んだ。木立の間から京都市街や周辺の山の景色が広がる。写真は市街東方、比叡山方面の眺め。


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こちらは北東方向、京都北山と滋賀比良山方面。比良山には残雪も見えた


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途中、砥石場に立ち寄る。以前にも立ち寄ったことがあるが、今回は砥石の質の再確認。

やはり、原石はあるが、噂通り良いものはなく、掘り尽された観があった。


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山上にある愛宕スキー場跡

砥石場から更に進んで旧愛宕スキー場に。戦前開発されて戦中廃された幻のスキー場跡である。

標高900m弱、灰色の灌木枝が広がるばかりの、未だ冬山風情であった。


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下山途上に見えた、蛇行する桂川

さて、行きつ止まりつしながら思いおもいに山上を楽しんだが、時刻は早16時に。

今日はこれにてお仕舞い――。為に、スキー場から折り返し、下山行程をとることとなった。


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水尾登山口傍の新堰堤

水尾道お試し成功!

元来た道を辿り、17時半に無事水尾集落に帰着した。

今回の水尾道は、目論見通り良いルートであった。登山口の標高が高めということもあるが、それ以上に道が良く、登坂も一定している為、歩き易かった。表参道の急登石段は初心者や足腰の弱い人には辛いので、その代替路としても使えそうである。

まあ、一先ずお試しは成功。

さて、その後市街に戻り、露天風呂がある銭湯にて入浴後、打ち上げ食事会に。仕事で来れなかった友人も合流し、楽しい締めくくりを過ごすことが出来た。

皆さん有難う!お疲れ様でした。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2016年11月05日

秋好日山会

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2度の中止経て武奈ヶ岳へ

今年の秋の山会は、隣県滋賀西部の比良山塊へ。

去年、その前と、雨で中止になった比良の最高峰「武奈ヶ岳(1214m)」への登頂を目指す。以前企てたのは山塊北部の集落から長い北稜を経て向かうものだったが、今回は渓谷沿いの短縮した行路であった。

短縮した分、傾斜度も強くなるが、まあ致し方あるまい。それより、自身が未だ未踏の名滝群「八ツ淵の滝」を通過出来ることが楽しみであった。

11月最初の週末。今日辺りから気候は一段と冷える、とのことだったが、どうなることやら……。


上掲写真: 武奈ヶ岳直下の北稜上にある細川越(標高約1000m)から見た比良奥地の紅葉。夏の暑さの所為か、色づく前に散った葉も多いかと思われた。


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バスの下車地で、比良山脈北部の入山口の一つ、ガリバー青少年旅行村(滋賀県高島市)

レクリエーション施設抜けて登山口へ

朝は列車にて湖西入り。近江高島からはバスで渓谷の入口となる山麓に移動して、体操等の準備後、登山開始。


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「死亡事故多発」の警告が記された、八ツ淵の滝案内図

レクリエーション施設・ガリバー村を抜けて登山口に至る。案内表示はあるも、施設の周遊ルートと混在し、また脇道が多く、意外と判じ難い。地形図では縮尺的に粗いが、一応ここまで掲載されたものを持参した方がスムースかと思われた。

因みに、ガリバーの入場施設に係員がいたが、以前知人が払わされたという1人400円の通行料(入村料)なるものは求められなかった。

時期の所為か、はたまた駐車料金のみの請求に変更されたのか。


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危険な滝道を避けて谷上を巻きつつ続く登山道

今回は、健脚行路ながら初心者が参加しており、危険とされる滝道は避け、一般道を進むこととした。

結果、滝の大半は見られなくなるが、車道にも近く、それのみの見学も容易な為、またの楽しみとすることにしたのであった。


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登坂の途中現れた崩落地。ここ数年の豪雨によるものか


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大擂鉢から名滝地帯をあとに

暫くすると、道は平坦となり、下部で並流していた沢と同じ高さとなった。渡渉点である。


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岩に鎖が渡される大擂鉢(左上隅の淵)下の渡渉場

渡渉点は、多くの岩が沢に干渉する場所で、一角にはそれらにより小滝と深い淵が形成されていた。八ツ淵の滝の1つ、「大擂鉢(おおすりばち)」である。

特段危険という訳ではないが、岩が大きく、水量もある為、既設の鎖等を頼りつつ、慎重に渡渉した。


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大擂鉢横の支流谷。静かな奥山風情に清冽な水が流れ下る良き場所であった

大擂鉢を渡渉せず、上の小擂鉢等を越えて沢を遡上するルートもあったが、これも初心者向けでない為、断念。

渡渉後は、存在感ある小滝も見れた風情ある支流谷を遡上し、その後、谷上の巻き道に出た。


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標高700mを超えた辺りから現れ始めたブナの林

進むにつれ標高が上がり、何時しか谷の巻き道はブナの天然林に入った。その黄葉と、秋の梢の軽さが行路を明るく、暖かくした。

今朝は前日等より気温が下がるとの予報が出ていたが、幸い温暖であった。天候も快晴で雲一つなく、絶好の山日和となった。


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山中に現れた巨大な台杉

やがて、小さく浅い水無谷の奥に巨大な台杉が現れた。幹回り数mか、近くには同様で相生の姿を見せる2本もあり、さながら聖地めいた雰囲気も感じられた。

付近を旧志賀郡と高島郡の境界が通る為、境界木の役割があったのか。また、水源か何かを祀る祠でもあった場所なであろうか。


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静かで温和な広谷

魅力的な広谷から北稜の急斜を詰め山頂へ

そして緩い尾根を越え、浅く広い谷に下降。

広谷である。それは、名の通り、武奈ヶ岳と釣瓶岳(1098m)に挟まれた高地上に、高層湿地に近い緩傾斜で存在する。

ここで進路協議。

沢を渡った尾根向こうに「イブルキのコバ」という古道分岐があり、そこを通る主路を採れば武奈ヶ岳へ早く着くが、広谷遡上の道は未踏で興味を感じたからである。

相談の結果は、皆一致で広谷ルートに。天然林と清冽な沢が続く、静かで温和な広谷が、誰の目にも魅力的だった為である。


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期待通りの、広谷の牧歌的な道をゆく。沢も水量が豊富で魚影も濃い、素晴らしいものであった。

そして1km以上に及ぶ緩やかな遡上の果てに、武奈ヶ岳北稜に繋がる山脈主稜線に出た。細川越と呼ばれる地点で、ここからは目標の山頂まで高低差約200m、距離にして約800mの登りが待ち構えていた。

写真は、北稜上から見えた比良最高峰の姿。近いようでまだ遠く、そして高い。


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北稜上では、先ほど通過した広谷(画像中程緑樹の帯辺り)や、その奥の釣瓶岳(同中央の頂)が見えた

地図上では今まで経た傾斜と変わらぬ筈であるが、何故かキツく感じられた。疲労が溜まってきたのか。

しかし、そんな中でも辺りを見回すと、晴天に映える素晴らしい紅葉が広がっていた。標高1000mを超えるこの地帯の紅葉は今が盛りではないか。


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武奈ヶ岳山頂から北東方面を見る。雲の線上から頭を出すのは滋賀最高峰の伊吹山(1377m)か

武奈ヶ岳山頂から八雲ヶ原へ

そして13時前に山頂着。広谷への遠回りや多めの休憩をとったため3時間以上かかったが、まあ仕方あるまい。


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武奈ヶ岳山上から見る比良の紅葉。中央の頂は比良山脈第3位のコヤマノ岳(1181m)

後続も順次到着して昼食に。時期と天候の所為か、山頂には多くの登山者がおり、同じく昼食等に興じ、賑わっていた。



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秋色を纏う高層湿地・八雲ヶ原

沢水を沸かして暖かい飲み物も味わった休息後、一行は下山の行程へ。進路を東へ採り、湖西方面を目指す。

写真は、その途上通過した八雲ヶ原。標高約915mの八雲ヶ原は、氷期より続く高層湿地で、希少植物の自生地として国定公園に於ける特別保護区域に指定されている。

その池中にある板橋を通過したのであるが、以前来た時より傷んでおり、危険な状態であった。貴重な湿地観察の場、交通路なので、何とか補修してもらえないのであろうか。


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北比良峠、ロープウェイ山上駅跡広場から琵琶湖方面の眺め

北比良峠で休み最後の下降へ

八雲ヶ原からは風化花崗岩の砂礫が続く、歩き難い坂道を上がって山脈南主稜線に出た。

北比良峠とも呼ばれる場所で、以前ロープウェイの山上駅があった場所である。湖西側眺めが良く、広場のような休憩適地の為、最後の下りに備えて少々休息。


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麓の「大山口」まで続く通称「ダケ道」の痩せ尾根道。まだ麓には遠い高地上である

さて、北比良峠は武奈ヶ岳から随分下った場所のように思われるが、実はまだ標高970mもあった。

ここから麓の林道までは標高差約600mを下降、駅までなら同900m近くも下らなければならない。初心者には辛い急斜が続くが、ここは最後のひと踏ん張り。


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林道との出合い地点、登山路の終点である「大山口」の木橋

無事日没までに下山
山の料理店で打上げ


途中、幾度か休憩をとりつつ、延々と続くつづらの下りを進む。近年整備されたらしく、以前程荒れた場所、危険な場所はなかった。

そして、麓の沢と、そこに沿う林道に出ることが出来た。少々休憩後、林道を下り、更に麓の出合いで旧リフト乗場があった「イン谷口」に到着。

残念ながら、そこから駅へ向かう登山バスは30分前に終了していたが、広谷ルートを選んだ時に覚悟していたので、気にせず。

それより、暗くなる前に無事山道を抜けられて良かった。


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駅までの麓歩きの途上、湖西道路傍から見えた叡山方面の夕焼け。中央左端の水面は琵琶湖

駅までの道程で暗くなり、道や方角が判じ難い別荘地の林を進んだが、大きな間違いもなく、40分程の歩行で比良駅に着くことが出来た。

そして、タイミング良く列車が現れ、京都市街へ帰着。そのあとは銭湯で疲れを落とし、近くの信州料理屋(山小屋風で渓流魚の丸焼き等あり!)にて打上げを行ったのである。

皆さん、お疲れ様でした、色々有難う!

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2016年10月16日

続2016秋野営会

山会「野営,キャンプ,飯盒炊爨,テント泊,湖南,竈,沢の粘土で炉を補修」

荒天予報により今夕で総員退去

秋の野営会2日目。

朝少し遅めに起きて、沢水での洗面をし、火を熾して珈琲等で朝食を摂った。

今日も昨日に続く快晴であったが、天候予報が前倒しで悪くなっており、夜から荒天が予想されたので、今夕での総員退去を決定した。

1泊だと慌ただしくなりがちで、少しでも山暮しを味わう為の2泊計画だったが、こればかりは仕方ない。うーん、残念。

先月からそうであるが、今秋は中々天気が安定しない。

滑らかに帰京

午後、遅めの昼食を済ませた後、撤収の準備を始めた。そして、最後にゴミや火の始末等を確認し、17時前に下山を開始。無事、照明が不要なうちに山道を脱したのであった。

折しも、林道手前で雨も降り始め、それが強くなる前にバスに乗ることも出来た。その後も列車の繋ぎもよく、滑らかに帰京することが叶った。

帰京後は、家の方向が同じであったS君を近所の銭湯に案内して復路の疲れを流したのであった。

1日打切りの無念はあったが、こうして無事会を終えることが出来た。しかし、昨夕合流する予定の参加者が来ない、ということがあった。一応、参加を表明していたので、食材等を用意していたが、無駄な資源と労力を費やすこととなった。

今後は来れない可能性が生じた場合は必ず事前連絡を入れてもらいたい。対策として、以後は買出しまでに再連絡を入れない場合は不参加の扱いとすることを決めた。

とまれ皆さんお疲れさまでした、ご協力有難う!


上掲写真: 朝食後行った炉(竈)の補修の様子。高温に曝されて欠けたりした石を、沢の粘土(右下に少し見える黄色と緑の土)にて繕ったのである。

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2016年10月15日

2016秋野営会

山会「野営,キャンプ,飯盒炊爨,テント泊,湖南,砂防堰堤,滝,虹,落水,テント,竈,炉,蛙の冬眠,秋の夕空,山中の満月,沢水に映る月光,月明り,焚火,キャンプファイアー」

秋好日の野営開催

今朝は6時過ぎに起床。その後、7時過ぎに友人が訪れ、荷物の分担を依頼する。

今日は秋の野営会開催日。つまり、出発前の待合せと準備を行ったのである。そして、列車に乗り、滋賀県内の駅で他の友人とも合流した。

天気は快晴。気温の上昇に危惧するが、もはや真夏日とはなるまいという安心感はあった。

正に、秋好日の開催である。


上掲写真: 野営会の恒例開催地、湖南アルプス山中の砂防新堤を下る沢水と飛沫の虹。これまで何度も通過している場所だが、こんな表情があることに初めて気づいた。季節・天候・時間等々……、この世は色々奥深い。


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野営地までの山道を進む野営会一行

いつも通り、鉄道から郊外行きのバスに乗り換え、山辺に到着。そして、ひたすら林道を進み、途中から山道に入る。

いつもながら、食材等の荷物が多い、この登り往路が一苦労。


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野営地の炉(竈)作りの際に石の下から現れた蛙ちゃん。はや冬眠開始の山蛙か

夏日気候の山上野営地

今回は初参加となったS君がいたので、少しゆっくりめの登路となったが、小休止を入れながら、難なく現地着した。

少し休んで、早速、炉や水場の整備等々の準備を行う。まだ、午前中だったので、当然昼食も白飯を炊くところからすることとなった。


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準備が整った野営地炉際の風景


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同じく、設営が終ったテントサイト


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山中の砂原で午後の陽射し反す沢水の流れ

予想通り、午後からは山上ながら夏日の陽気となった。半ズボン・裸足で沢に浸かると心地よい程に。陽射しも強力で、また日焼けしそうである。


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夕方の野営地の空。雲の姿はやはり秋そのもの

夕刻から日没へ。気温急降下

しかし、陽が傾くと途端に気温が下がり始めた。

先ほどより3度、5度と、その変化を皆自覚出来る程の変わり様であった。一枚ずつ上着を足し、対処する。いつものことだが、今回は特に急激な気がした。


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沢の源辺りから忽然と現れた満月

満月の宵、寛ぎの時

そして日没。

秋のそれは急激な宵闇を呼ぶが、今回はまた様子が違った。ちょうど満月の日と重なり、それが早々に上ってきたからである。

林間より顔を出した満月は、一際大きく、強烈な光を放つ。森も砂原も照らされ、沢筋もその光の帯となった。一同、その奇遇と美麗さに、ただ感心。


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シチューや焼物等々の夕食を楽しんだ後は、寛ぎの時間に。

気温も息が白くなる程となったので、焼酎のお湯割り等を飲みながらであった。初参加のS君は、写真の如く自ら小さな炉を作り、専用の暖炉、キャンプファイアーを始めた。

こうして、時に語らい、時に夫々物思う野営地の夜を過ごした。諸々の始末をつけ、就寝したのは12時頃のことであろうか……。


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静かに月光が降り注ぐ野営地の夜

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2016年05月29日

晴山雨谷行

山会「京都北山,焼杉山,古知谷,阿弥陀寺,大原,小出石,天ヶ森,ナッチョ,寂光院」

大原西部山地縦走行

今日は梅雨入り前の山会。

今回は常連外国籍女史の要望が契機となったが、この時期・この名目での開催は半ば恒例化している。

目的地は、京都東北郊外の大原の西部山地。大原の里西北の古知谷(こちだに)から入山し、焼杉山(717.4m)や翠黛山(すいたいさん。577m)・金毘羅山(572.5m)を縦走して古来著名な江文神社に下り、大原の里に戻るというもの。


上掲写真: 入山前に参観した古知谷の阿弥陀寺の石段と石標。下部の字が見えないが、恐らくは「葷辛・酒肉(入る)を禁ず」等と読む筈。修行の妨げとなる、韮や生姜等の臭い物・刺激物、そして酒や肉を寺に入れるなとの意。


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石段上に見えてきた阿弥陀寺の建物

梅雨前のこの時期はいつも天気が芳しくないが、今日は見事な晴天。湿度もなく、夕方から雨との予報が信じられない程であった。

今朝は、集合がバス組と車組に分かれ、更にバス組の一部が遅刻した為、3組に分かれての時差集合となった。私は車組案内の為、それに同乗して現地入りとなった。

今回は偶々後続バス乗車や車輌支援が可能だったが、遅刻は時間通りに来た人に迷惑をかけ、山中での予定も狂わせて危険な為、自分も含め、改めて気をつけたいと思った。


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阿弥陀寺の瑞雲閣

叡山の無動寺等に見られる1段式の高石垣ではなく、3段式の石垣上に造られている。近世の穴太積等ではない慶長以前の古式、前身施設の踏襲か。


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阿弥陀寺の玄関と前庭

意外の好印象、阿弥陀寺

予定より遅くなったが、なんとか皆合流出来き、折角なので谷奥の阿弥陀寺を参観することにした。

寺は古知谷を600m程登った場所にある。元浄土宗の古刹で、慶長14(1609)年に念佛行者の弾誓(たんぜい)が開いたという。

大原から3km程離れている為、私を含め皆来ることがなかったので良い機会となった。北陸道(小浜・敦賀街道)に面する寺門辺りは薄暗い感じがして正直良い印象がなかったが、本堂辺りは明るく開けており、意外の好印象であった。

皆で受付から入場し、即身佛となった弾誓上人の石廟や重要文化財の阿弥陀佛等の寺宝等を見学した。各堂内は近年の改装が多かったが、どこも端正な雰囲気で、これまた好印象であった。


山会「京都北山,焼杉山,古知谷,阿弥陀寺,大原,小出石,天ヶ森,ナッチョ,寂光院」
古知谷口近くの阿弥陀寺参道脇にある焼杉山登山口

再度谷下り登山路へ

拝観を終え山を目指すも、寺裏から上がる予定ルートが崩落で通行不能の為、再度谷を下り、谷の入口近くの登山口から山入りを開始した。


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登山道は比較的早く稜線に取りついた。焼杉山の東支尾根で、写真は尾根筋に現れた鉄塔である。

画像中央、山あいの集落が著名観光地でもある大原。古知谷からはかなり距離があることがわかる。


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ひたすら尾根道を進む。天気がいい為、かなりの暑さを感じる。写真は京都北山、即ち丹波高地らしい古生層岩が露出する光景。去年の皆子山と同様か。


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広く伐採された鉄塔用地からのぞく天ヶ森(812.5m 画像中央の稜線の高み)

焼杉山東主尾根に

尾根に達しても結構な登りが続き、漸く焼杉山の東主尾根に到着。そこには、また鉄塔があった。伐採されて木陰が無いので暑い。

天ヶ森は地元大原等でナッチョとも呼ばれる山。変わった名は、年貢に関する「納所」からきている等の説がある。

目立つ山なので、少し近いとは思いつつ、京都府最高峰の皆子山と皆に案内してしまった。勘違い。皆子山は、画像右のピーク600mの木立に阻まれた方向であった。


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こちらは鞍馬北奥の花背峠横のピーク(850m)上に立つ鉄塔


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焼杉山東主尾根の急登に取りつく山会一行

主尾根に出てからは難儀は想定していなかったが、意外にもピーク毎の登坂が急であった。場所により、木の根を掴みながらの前進に。


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焼杉山山頂と古い三等三角点

焼杉山頂での昼食

子供の足が遅かったこともあるが、意外な難儀に見積もりが外れ、13時過ぎでの焼杉山着となった。

後続がまだ到着していないが、先着参加者らと先に昼食の準備等を始める。やがて殿(しんがり)も到着し、皆で昼食休憩に。

山頂は木立で然程展望はないが、意外と広く、休憩適地であった。


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焼杉山頂からのぞく大原集落

ちょうど、三千院辺りか。


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焼杉西尾根に続く人為路

1時間程の休憩後、また尾根を西へ進む。頂を越したので、基本的に下りである。

やがて、写真のような道筋が現れた。人為的に起伏を少なくした「作り道」である。両側には、これまた人工的な平坦地があった。木材や炭等の搬出の為の設えか、または古寺や城跡の遺構か。

詳しくは判らないが、これ以降は東尾根とは異なる人為道が続く。


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尾根筋をわざわざV字に切って通された道

叡山の雲母越(きららごえ)等でも見られる造りである。牛馬・荷車を通す為の車道の設え、または侵入者の迎撃用か。


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寂光院谷奥の峠

天候と時間により中途下山へ

休憩を挟みながら、歩き易い作り道を下り、やがて四辻らしきところへ出た。

大原寂光院谷の源頭で、翠黛山の北尾根の始まり、天ヶ岳(788m)・百井集落方面への分岐であった。

ここで時間は早15時に。あれほど良かった天候も、予報通り雲厚く、怪しくなってきた。

時間的にこれ以上進むことも難しいので、協議の結果、東の寂光院谷へ下山することとした。残念だが、南に続く翠黛山と金毘羅山は、また今度である。


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寂光院谷奥峠西側の古道

細道ながら、大原と百井・花背集落、即ち丹波・美山方面を結ぶ要路であった。


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寂光院谷への道

下り始めた寂光院谷への道は、つづらの「車道」跡であった。路肩には積石の擁壁を備え、舗装の跡も窺われた。比良などで見る古い急斜車道と似ているが、並木がなく、石の積み方等に違いがみられた。

恐らくは、焼杉山西尾根の道とも浅からぬ関連があるかと思われた。


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降りだした雨に煙る大原の里

雨本格化の前に無事下山

谷へは30分程で下降できた。途中より降り始めた雨は、いよいよ本格化してきたが、もはや山道は脱したので、難はなかったのである。

寂光院前を過ぎ、暫し盆地の畔を歩き「里の駅」へ。そこで休憩となったが、一部の人が期待したソフトクリームは16時で提供停止しており、叶わなかった。

その後、最寄の温泉に入り、市内に戻って打上げとなったのである。人数が多かったので中々店に入れず手間取ったが、なんとか無事に終了することが出来た。

今回は、待合せや時間、子供の扱い等で課題が出たが、会の主旨や安全等に照らし、次回から改善していきたいと思うので、ご協力をお願いしたい。

それでは、皆さんお疲れ様でした……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2016年05月03日

続2016春野営会

山会「太神,田上,湖南アルプス,アルプス登山口,野営,キャンプ,飯盒炊爨,炉,竃,新緑の山,トンテキ,ごった煮,どじょう鮨,熟れ鮨,淡水魚寿司,鮒鮨,ふなずし」

まさか、未明の大風

野営会初日の昨晩、夜の飲食と語らいを楽しんで就寝したが、夜中から大風が吹き始めた。

就寝前も若干風があったが、予想外の出来事で、樹々のざわめきが大きく、眠り難い。何か、荒れた波涛を思わせるもので、落ち着かないというか、本能的に危険すら感じさせるものであった。

一応、炉は鎮火を見届け、石で風を遮断していたが、とにかく山全体が乾燥しており心配なので、確認に出た。

野営地は高所にあるが四囲を稜線で囲まれている。その為、稜線辺りの樹々が最も騒いでいた。ただ、後には風は低く吹き降ろし始め、テントをも揺らし始めたのである。

新機材のテストとはいえ、昨夜抜かりなく張り綱を施して良かった――。

大荒れ予報により撤収決定

そんな状態で朝を迎える。皆睡眠不足となったことは同じであった。そして、朝になっても風は強く、時折危険を感じさせるほどのものも襲来した。

雨は今晩まで降らないとのことだが、これでは火が使えない。今後どうするか……。電波が届く場所まで移動して最新の予報を確認する。

結果は、大風注意報が出ており、それが長時続き、更に暴風雨の注意も出されていた。よって、協議の結果、本日夕方までに撤収することとしたのである。

残念だが、致し方あるまい。

朝食は火を使わない非常用のパンを食す提案が出たが、炉を組み換え、慎重に小火を起こして最小限の炊事を行うこととした。

これにより、暖かい飲み物と食材の最低限の整理が出来たのであった。


上掲写真: 動きは捉えられなかったが、不穏な雰囲気漂う稜線の樹々。


山会「太神,田上,湖南アルプス,アルプス登山口,野営,キャンプ,飯盒炊爨,炉,竃,新緑の山,トンテキ,ごった煮,どじょう鮨,熟れ鮨,淡水魚寿司,鮒鮨,ふなずし」
白飯と色々煮とトンテキ。食材整理のため豪華な朝食に

中途参加&撤収手伝いさん合流

炉は森側片方を塞ぎ、最小限の火で調理を行う。傍に砂山と水を備えて、である。

その後の観察で、これ以上の風の悪化は見られなかった為、撤収までゆっくり過ごすこととした。そして、午後遅くに再度の食材整理を兼ねた食事をとって撤収準備を開始。

途中、中途参加兼撤収手伝いの人が合流し、片しつつ語らう。彼の情報でも、今晩は大雨が降り危険という。


山会「太神,田上,湖南アルプス,アルプス登山口,野営,キャンプ,飯盒炊爨,炉,竃,新緑の山,トンテキ,ごった煮,どじょう鮨,熟れ鮨,淡水魚寿司,鮒鮨,ふなずし」
中途参加氏の差入れ「鰌鮨(どじょうずし)」。湖国名物「鮒鮨」同様の珍味

早まった雨をすんでに避け下山

野営地を撤収し、下山すると同時に雨も降り始めた。予報が早まったようである。とまれ、セーフ。

登山口からは有難くも中途参加氏の車両に乗せてもらって駅まで。バスとは違い、素早い帰京が叶ったのであった。

因みに、列車を待つホームに東海道線を通らない筈の北陸方面からの特急が通過。どうやら、湖西線が風で不通となり、迂回しているようであった。

とまれ、皆さんお疲れ様、今回は残念となったが、また次回!

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2016年05月02日

2016春野営会

山会「太神,田上,湖南アルプス,アルプス登山口,野営,キャンプ,飯盒炊爨,炉,竃,新緑の山,田上里,天神川」

清々しい朝、野営へ

今春の連休も恒例の野営会の地へ。

少々準備が大変だが、有意義に過ごす為、朝早めに出発。今日は一応黄金週間中とはいえ平日だったので、駅や列車は比較的普段通りに混んでいた。

大きな荷物で少々恐縮。

ニュースでは「10連休開始!」などと盛り上げているが、そんな人はきっと一握りなのであろう。

自営の我々も平日休んだところで、ただの自腹ぎりで、浮かれようはないが、こうして良き季に野に出られることは、有難い限り。


上掲写真: 野営会登山口最寄のバス停付近。「バス停」というより「降車場」という表現が良く合う、田圃果ての辺鄙であった。晴天清々しい様も良い。


山会「太神,田上,湖南アルプス,アルプス登山口,野営,キャンプ,飯盒炊爨,炉,竃,新緑の山,田上里,天神川」
あまり良い写真ではないが、新緑の湖南アルプス山中

いつも通り、荷を担いで先ずは林道を歩き、その後、山道を進んだ。往路は食材等で重い為大変なのだが、今年は小型軽量のテントを新調したので、随分とマシであった。

他の参加者も荷造りに工夫しているので、以前よりかは楽になっているとのこと。


山会「太神,田上,湖南アルプス,アルプス登山口,野営,キャンプ,飯盒炊爨,炉,竃,新緑の山,田上里,天神川」
切り出した薪と特製の炉、そして炊事の道具類

一先ずは好天。ただ明日は……

野営地に到着してもまだ午前なので、ゆっくり設営し、昼食等の支度を行う。近場で、慣れた場所を使う利点である。

天候は頗る良く、陽射しも強力で暑いくらいに。半袖・半ズボン状態で過ごす。このまま3日間続けばいいのであるが、実は明晩は雨予報であった。

しかし、前回雨で難儀したテントも新調し、皆の装備にも問題はなかったので、やり過ごすつもりでいた。

たかが2泊3日とはいえ、準備を含め、忙しい大人には中々行い難い行事の為である。

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2016年04月18日

続新古巡察

山会「京都東山,如意寺,大慈院遺構平坦面,如意ヶ嶽城土塁,木戸,大慈院,西方院横の水源,大慈院の礎石,大慈院横の平坦面,西方院遺構平坦面,如意越古道,鹿ケ谷急斜面の謎の石垣」

「如意寺遺構破壊疑惑」再調査

先月の3月26日に、如意ヶ嶽(大文字山)山中に新設された林道と、それの遺跡や自然への影響を調べる調査山会を行った。

その際、遺構の破壊らしき様子を確認したが、市の文化財保護課への問合せでは、担当者が工事前後に立ち会ったが影響はなかったという。その為、山会として再度の現地調査を行うことにしていた。

皆仕事等で忙しかったので、何とか日を合わせて、今日、午前中早くに撤収することで実施することとなった。

果たして、山中に眠り続ける800年の遺構は残っているのか……。


上掲写真: 市街のすぐそばにありながら、豊かな自然と貴重な遺構が数多眠る如意ヶ嶽山中を進む。前方の木立奥に何やら明るい場所が現れた……。


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朝早くから山中へ。明るい場所とは……

朝早くに集合して、すぐに出発。幸い皆麓近くの在住なので、難なく集まることが出来、そして山中へ。

急斜だが、なれた道を登り、標高450m近くの峠を越えて稜線から新道に入った。そこから下降して辿り着いたのが、最初の画像の場所で、明るい場所とは上の画像の平坦地であった。

如意寺(にょいでら)大慈院跡。鎌倉右大将家、即ち鎌倉将軍、源頼朝寄進と伝わる寺坊跡であった。遺構は残っていたのである。

以前来た時は稜線からもっと近い印象があった為の錯誤であった。

一先ず、安堵……。


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東西に並ぶ大慈院跡の礎石

最初に調査した時は真冬ながら下草が密生して地表面が確認し辛かったが、今回は何故か草がなかった。

埋文研か何かの再調査でも入ったのか、はたまた鹿の食害か……。


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同じく礎石

誰かが手で土を払い除けたとみられる跡があった。これら、露出していた礎石の間隔は凡そ2.5mで、堂口の為か前面に一部2.7m以上の場所もあった。

この周囲に、少し小さめの縁側礎石が巡る筈だが、確認出来なかった。


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大慈院西横の謎の平坦面

遺構の無事は確認出来たが、折角見やすくなっているので、周囲も観察することにした。

写真は、大慈院の平坦面から続く西側の平坦面。尾根を削った突出型で、上下2段あり、その総面積は大慈院平坦地を凌ぐ。

絵図や寺の記録にない謎の平坦地で、埋文研は戦国時代の如意ヶ嶽城関連の郭等も想定している。

私は面続きであることから、如意寺関連の遺構を想定している。


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大慈院遺構下の西方院推定地の平坦地

ここも、初めに訪れた時より格段と見やすくなっていた。場所は大慈院直下で、絵図によると石段で接続されていた。

鎌倉時代作製の境内絵図によると、全山で唯一瓦葺の寺坊があった場所である。その特殊性から、古代、平安初期以前に存在したという、前身寺院「檜尾古寺(ひのおのふるてら)」との関連が指摘されている。


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西方院推定地裏(東)で発見した水源

訝っていた水源を発見

ところで、以前からこの大慈院の立地に疑問があった。それは水場から遠いことである。本堂や深禅院等の主要施設は全て近くに豊富な水場を擁しているが、ここのみなかったことを訝っていたのである。

しかし、下草がなくなった今日、その疑問への答えが出た。それが写真の水源である。元々大慈院・西方院の東横は浅い谷地形であった。しかし、そこには水がなかったが、実は西方院裏から湧いていたのである。

西方院は、この谷で最も高所にある水源の傍に造られていたのである。このことも、何か暗示的で興味深い。


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東山の稜線で、戦国期の如意ヶ嶽城関連遺構ともみられる峠より、直下に造られた新道をみる(中央木立の下)

800年の遺構と自然をそのまま次代へ

一同安堵し、帰路に就く。

少なく見積もって800年前から存在した平坦地と遺構は無事だったのである。また文化財保護課に結果を連絡しておかなければならない。

しかし、城跡と寺跡の間を切る様に道が通されたことに留意しなければならない。水や風の流れが変わり、今後何かしらの影響を与えることも考えられるからである。

もうこれ以上我々の時代に余計な造作をせず、これまでの状況をそのまま次代に渡したいものである。もう、十分に壊してきたではないか……。

何か、多くの人にその稀少性を知ってもらえることが出来る様な、例えば「ヒストリカル・ハイキング」の場のような山域として、利用しつつ強固に保存できないものであろうか。


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鹿ケ谷の急斜面に発見した石垣

情報求む。謎の石段

ところで、行きしなに、鹿ケ谷対岸の急斜面に古い石垣を発見した。写真のものがそれで、同様のものが何段にも続いていた。

あまりに急で、土地も取れない場所なので、もしかすると土留めか植栽用かもしれない。何かご存知の方がおられたら、ご教示頂ければ幸いである。


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石垣のあった急斜面。かなり上方にも造られている

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2016年03月26日

新古巡察

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調査山会&初歩講習終了

今朝も冷え込みが厳しく、山会への影響を危惧したが、比較的早くに気温が上がり、杞憂に。

勿論、先日の春日ほど気温は上がらなかったが、手先・耳先がかじかむ程ではなかった。今回は初歩講習を兼ねたので、小中学生も参加したが、彼らなぞは暑いと騒ぐくらいであった(笑)。

さて、調査山会。

予定通り、山地内遺構と新設道路との現況を実見し、無事終了した。その詳細は以下の通り。


上掲写真:中世の山城、如意ヶ嶽城(大文字城)の登城路でもある、東山縦走路で遭遇した謎の土壇。最近まで古(いにしえ)から変わらぬ道と森が続いて筈。一体何物なのであろうか。


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若王子境内の辛夷(コブシ)の花。ここらでは珍しいか

若王子より山科越へ

今日は開催地が近くの為、朝遅めに集合し、出発。

目指す防災路は東山連峰の向こう側、即ち東面にあるので、峠越えすることに。最も低い鞍部である北山科越えの古道を目指すが、最寄の南禅寺が観光客で混んでいるので、北方の若王子から入山し、山中を南下してそこへと向かった。


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入山前の準備体操を終え、入山口へ進む山会参加者


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若王子山中にある墓地。新島襄と八重の墓もある

家の狭間の入山口からはすぐに登坂となり、斜面にとりつく。やがて斜面が落ち着き平坦地続く林に出た。その中に同志社や市営墓地が現れる。


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恐らくは古跡と見られる人工地形が続く、平坦な山中の古道をゆく


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間もなく写真の如く、巨岩が多い場所に出た。

南禅寺奥之院である。

一帯には不動明王を祀る滝行場などがあり、普段は少し陰鬱の気が漂う場所なのであるが、天気と冬枯れの明るさの所為か、その感じはなかった。

ここから、進路を東へ採り、山科越えの古道を進む。


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新しく造られた堰堤

以前の大雨を契機としたものだろう。当時は行場辺りも水流の被害があった。しかし、もう少し目立たないものでもいいのではないかと思う。

谷は短く、その集水域は極めて小さい。まして、歴史的寺院の境内、古道の跡なのである。


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山肌の苔より水が滴る、奥の院最奥の聖地

山科越えの古道を進むと、山肌から水が滴る水場を通過。南禅寺谷の水源の一つで、水に関る諸神の石碑・石塔が祀られていた。


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「七福思案処」。左の登路は東山縦走路で大文字山、右の降路は山科への道

峠より『今昔』の道ゆく

やがて緩坂の道は、なだらかな峠に達した。標高約180m、通称「七福思案処」と呼ばれる場所である。

比較的標高が低く、交通効率もいい為、日ノ岡の東海道が開かれる以前の古代は、こちらが主道であったとする説もある。

ところで、この「七福思案処」。何故こんな名があるのかわからない。最近付けられたものだと思うが、もし根拠と共に存知の人がおられたら、ご教示願いたい。


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峠で休息し、東は山科方面へ進む。さほど急ではない下降と登坂を繰返し、やがて切通しの峠に至った。

毘沙門堂西奥の谷で、安祥寺川源頭の一つ。ここも今日の調査・確認地点。地形図に確りとした道路が描かれていたので、林道が付けられ峠風情が破壊されたと危惧していたのである。

しかし、実態は写真の通り。以前のままであった。勿論、切通しも人為に違いないが、いつ頃から施されたのかは不明。私はその要所性から、かなり古いものではないかと思っている。

『今昔物語』に、在原業平(825-880)が気安く都と北山科を往復する描写がある。そこまで古くはないと思うが、そのころから往来があった可能性は高いとみている。

ここを東へ下った支流谷には、平安古刹の上安祥寺跡や、地元で「業平谷」と呼ばれる場所も存在する。


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御陵奥山から見る山科盆地眺望。地元の人間しかこない休息適地で穴場的場所

古道峠の健在に安堵し、峠横の尾根筋を南へ進み、見晴しの良い山上にて昼食休憩に。

山科盆地北縁の鏡山山地上で、かの天智天皇陵の奥山に当る。


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防火道から新道分岐探索

昼食後、尾根筋を戻り、切通し北の尾根筋を登る。ほとんど人の通らない場所であるが、樹々も冬枯れしているので、難はなし。

やがて縦走路の支尾根に達し、その裏の林道に下降する。写真のものがそれで、戦後比較的早くに出来たもの。


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古い林道を辿り、近年出来た「防火管理道」なる車道に入った。

今回の主目的は、大文字山上の遺構群付近に出来た新道と、それの遺構・自然への影響を探るというもの。新道はこの防火道から延長されたとみて、このルートを選んで踏査することとなった。

写真は防火道の途中にあった貯水槽と案内板。説明によると、山の背後にある南禅寺や銀閣寺などの貴重文化財を山火事から守る為に敷設されたとある。

こころがけは悪くはないが、こんな水槽2か所で1km以上も離れた山裏の仏閣をどうやって守るのであろうか。そして、その為に数kmに渡って山が削られ、膨大な自然環境と動植物が犠牲になったが、それとの釣合いはどう見ているのか。

確かに山火事は起こり得るもので、危険である。しかし、乾燥した海外のように広大・長期化した例を聞いたことがない。

ここは山中といえども平安京と大津宮に挟まれた歴史的後背地である。多くの重要遺構があり、未調査・未発見のものも多い。また、都市近くに息づく貴重な自然資源でもある。

どんな名目でも、これ以上、負荷の高い方法による変更は止めるべきである。


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藪をかき分け、道なき尾根筋を進む

結局、防火管理道と新道の接点は発見できず、如意ヶ嶽北の池ノ谷方面の林道との接続を疑う結果となった。

地形図を検討し、最寄の尾根から直接新道へ向かうよう、急遽予定を変更した。

取り付いた尾根筋に道はなく、暫し藪漕ぎの登坂を強いられる。ちょっと驚いたかもしれないが、年少者らにはいい経験となるだろう。

しかし、間もなく主道と合流し、そのまま山上を目指す。踏みゆくは、上安祥寺遺跡段ノ谷の西尾根である。


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上安祥寺西経塚遺跡

尾根道に現る古代や中世

そして、頂に到着し、一休み。一見、何の変哲もない雑木林だが、実は古代末の平安遺構。上安祥寺に関連したとみられる、経塚の跡地である。

経塚は平安末の末法思想流行に影響されて各地で行われた経巻埋納の施設。石塚の中に豪華な金属容器に入れられた経巻等が埋納され、現存するものは国宝級の文化財となっている。

上安祥寺のものは、寺の背後に横並びする3箇所の頂それぞれにあり、ここはその西端のものであった。遺構は3箇所とも古い時代の盗掘に遭っており、遺物はないという。若干小高くなっており、大小の石が露出して辛うじて古跡であることが窺える。

上安祥寺は古い土地思想との関連を想わせる、非常にシンメトリカルな造営がなされている。寺の後背に灯火の如く並ぶ、この頂・経塚もまた然り。

何か、我々や後代に残された、深い謎のようにも思われる。


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尾根道上に施された、如意ヶ嶽(大文字山)城最南の防御施設と思われる堀切跡

その後、尾根道を更に北上して東山縦走路に出た。尾根を切るが如くに施された堀切遺構等を越え、大文字山を目指す。


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東山稜線を越えて延長されていた新車道

800年の遺構破壊?新道調査

そして、遭遇したのが、はじめに掲げた画像の場所である。

尾根が大きく削られ車道が横断していたのである。山上近くに新道が来ていたのは知っていたが、尾根まで越えているとは思わなかった。

ここは東山の稜線で、山中では主路的な道である。また、先程紹介した通り、貴重な中世の城跡でもある。何の権利、どんな目的だが知らないが、酷いことになったものである。

また写真の如く、かなりの幅をとって開削されている、環境は言うまでもなく、上下に展開する遺構などへの影響は大丈夫なのか。


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新道を辿って、懸念していた如意寺遺構へ向かう。

あまりの地貌変化で見つけ難かったが、それと思しき地に到着した。どうやら破壊されているのではないか。

写真がその場所であるが、以前見学した如意寺大慈院跡かと思われた。大慈院は鎌倉時代の絵図にも描かれたもので、彼の鎌倉将軍源頼朝寄進のものとされる。

源氏武家政権と、如意寺が属した天台寺門派との関連が窺える貴重な遺構である。


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その近くに車両の行き違いを意図したような道の広がりがあったが、ちょうどこの辺りに一番広い遺構面があったような気がする。

新道は大慈院を含め、周辺遺構平坦面を根こそぎ利用して通されたのか。


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近江へ向かう如意越古道(左上)の直下に通された新道。古道からみる穏やかな谷風情は格別であったが、それも今は昔。残念!

予想以上の破壊に無念を感じざるを得なかったが、今一度、関係機関に確認をとろうと思った。

そして、後ほど市の文化財保護課に問い合せてみた。答えは、新道は防火道ではなく単なる林道とのこと。建設前に林野庁等関係部署と協議し、遺構を外すように了解をとり、竣工後の実検でもその通りであったという。

こちらが遺構破壊の可能性について語ると、再度確認に行くとの回答を得た。しかし、それには気になる一言が付け加えらえた。

「正規の手続きを踏んでいるので、仮に破壊されていも破壊とは扱われません」。



たとえ手違いでも破壊は破壊であろう。800年もそこにあって、今後も守るつもりだったものが一瞬で消されるのは、そんな軽いことなのか。つまりは誰も責任を取らないというのか。それなら、何でもやりたい放題になろう。

担当の人が悪い訳ではないが、組織としての聞き苦しい見解に憤りを禁じ得ない。しかし、一応、保存の確認はしているとのことなので、こちらの勘違いも考えなければならない。

ということで、近々もう一度精査することにした。


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遺構辿り、色々考えつつ下山

夕方も近づいてきたので、踏査を終え、旧如意寺境内を辿るように下山した。

途中、その熊野三所推定遺構を襲った土石流の痕跡が、漸く整理されているのを見た。倒木等は撤去せずにまとめられ、植樹による固定化を図っているようである。

まあ、運び出せる場所でもなく、仕方あるまい。この辺りは戦国期の城塞関連による改変が指摘されているが、少なくとも450年程地貌は変わらなかった筈である。

だとすると、100年に1度とも言えない雨で流されたのは、植林等の環境改変が影響したともいえまいか。まあ、あくまでも推測だが、新道のこともあり、色々と考えさせられる。


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下山した鹿ケ谷よりみた西山の夕日

そして、急坂を下りゆき、市街麓の鹿ケ谷に下山した。
まあ、再確認という課題は出来たが、一先ずは予定をこなすことは出来た。

皆さんお疲れ様でした……。


2016年4月18日追記: 再調査の結果はこちらの「続新古巡察」のページへ。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2015年11月21日

北摂観秋行

紀行「神峯山寺,本山寺,ポンポン山,善峰寺,山の紅葉」

山会中止のおさまりを

今日、紅葉がまだ残るとみられる近郊の低山に軽く登ることとなった。

今月14日の秋の紅葉登山が雨で中止になったので、その代りがてら、またおさまりをつける為でもあった。ちょうど予定が合ったので、中止時に参加予定であった山会初心者1人を引率してである。

向かったのはポンポン山(加茂勢山。標高678.7m)。京阪府境にある京都西山山系の最高峰である。羽柴と明智の決戦地として名高い、かの天王山の奥と言えば、他所人にも解り易いであろうか。


上掲写真: 北摂の山岳古刹「本山寺(ほんざんじ)」の豪壮な石垣。この下左側に道が続き、本堂への石段に接続する。山城としての機能も考慮されたか。事実、山崎の戦いに関連して高山右近が攻撃し、炎上したという。左前の神木も立派である。


紀行「神峯山寺,本山寺,ポンポン山,善峰寺,山の紅葉」
神峯山寺と同じく毘沙門信仰で知られる本山寺前の森。光射す幽玄の様が、奈良朝開基と伝わる古寺の雰囲気を高める

高槻から古寺巡り頂へ

朝、大阪北東の高槻まで行き、そこからバスにて山地麓へ向かう。

麓の「原」集落から山に入り、修験道場で毘沙門天信仰で知られる神峯山寺(かぶさんじ)へ到着。折角なので境内を参観し、それから長い林道行を経て奥山の山岳寺である本山寺に着いた。

神峯山寺からの林道の登坂は緩いものであったが、本山寺手前辺り、即ち1キロ手前の同寺駐車場辺りからは、急となった。同行者が遅れはじめるも、逸れ(はぐれ)ようのない舗装一本道なので、無理に歩速を合わせず先に進んで待った。

本山寺は、参道や寺自体がルートと重なる為、境内を見学しつつ通過。随分以前に神峯山寺と共に逆ルートで来たことがあったが、その時とは異なり、紅葉期が終盤の為か、人が少なく落ち着いた雰囲気であった。

本山寺の参道最奥にある本堂を過ぎ、その裏手より寺を後にする。そこからは純然たる山道と化すが、同時に古道の趣も有する。

恐らくは、古より修行の道、都への間道として役割を果たしていたのであろう。途中の山中では、それを裏付けるかのように、遺構面と見られる平坦地が幾つも見られた。


紀行「神峯山寺,本山寺,ポンポン山,善峰寺,山の紅葉」
少々くすんではいるが、未だその彩りを保つ善峰寺対面の紅黄葉

ポンポン山から京都へ
今年の山終る


やがて、大勢のハイカーで賑わうポンポン山に到着。我々も眼下一杯に広がる京阪の眺望に臨みつつ、昼食を摂った。

その後、京都側の高地集落「外畑(とのはた)」へと下り、更に九十九(つづら)の車道を経てバス停がある善峰寺門前まで下ったのであった。

寺からのバスは本数が少ない為、1時間近く待つ予定であったが、紅葉期を考慮してか、臨時便が来て早めに出発することが出来た。そして、阪急線の駅に着き、無事解散となったのであった。

今年は意外と(本来は普通かもしれないが)紅葉期が早く過ぎ、期待したほど観られなかったが、まあ、良く歩いて山行きのおさまりはつけることはできた。

これにて今年の山はお仕舞い。
めでたし!

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2015年11月14日

雨中巡館

山会「円満院の庭,三井寺(園城寺),滋賀県大津市雨天代替博物館巡り」

山会雨天中止
代替企画、博物館巡りへ


折角の山会開催日ではあったが、残念ながら荒天の為、中止。

雨量は然程でもなかったが、雷や強風予報さえあった為、やむなく判断した。まあ、致し方あるまい。安全第一である。

さて、山行は中止となったが、一部の人は集まれることとなったので、時間を遅らせて急遽別企画を行うこととなった。それは、予定の山と同じ滋賀県内にあった博物館を巡るというもの。

折しも今日・明日は多くの文化施設が無料開放される「関西文化の日」という期間。折角なので、荒天でも影響の少ない屋内施設巡りを始めたのであった。

巡ったのは、琵琶湖博物館と円満院・大津絵美術館、そして大津市歴史博物館の3館。滋賀・琵琶湖の自然や歴史、そして地元発祥の伝統美術や文物を存分に堪能したのである。

最後は、山会の如く、皆で雄琴の温泉施設に。山会ほどではないが、それでも各展示を見歩いた疲れをゆるりと流し、温泉内の食堂にて打上げ夕食会を行い、日を終えたのであった。

代替企画とはいえ、中々中身が濃い一日。
皆さん、お疲れ様でした!


上掲写真: 室町期・相阿弥作と伝わる円満院の庭。紅葉登山は果たせなかったが、庭の美麗な黄葉は眺めることが出来た。古寺の軒より眺める雨の様も、また悪しからず。寺は古刹三井寺(園城寺)の支院で、重要文化財の堂宇や名勝の庭、寺宝等と共に、大津絵コレクションも観賞できるというお得な場所。無論ここも今日は無料であった。

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