2026年05月05日

続2026春季野営会

野営地で夜半上ってきた大きな月とその光を反す沢水

はじまりは立夏の月

令和8年度・春季野営会2日目。

とはいえ、画像は夜だが、日付が変わった後なので間違いには非ず。結局、前夜また遅くまで飲み語らい、寝るのが午前様となったのである。

就寝前、独り河原にいると、梢の雲間から大きな月が上ってきたことに気づく。3日前が満月だったので、その名残りの月であろう。

沢水が反す僅かな光も床しく、また感慨深い。誰かに教えようかとも思ったが、もう皆寝ていたため、止めた。

遠くで鹿の、高く長い声が聞こえる。気温数度のため正に寒月の趣だが、秋の頃とは違い、身を圧するような気色はなかった。

そういえば、今日5日は二十四節気の「立夏」であった。やはり気温は下がっても、もはや後戻り出来ぬ初夏に入った為であろう。


野営地の梢の雲間から夜半上ってきた大きな月
野営地奥の梢の雲間から夜半上ってきた大きな月


朝の陽射しに煌めく沢水
そして、明けて今度は朝の陽射しに煌めく沢水。気温も急上昇して午前中に20度を超え、昨日以上の暑さとなった


天幕で陽射しを避けつつ行う、焚火炉での昼食の準備

良き寛ぎ

少し遅めの起床後は、また珈琲や卵マフィン等を飲食し、そして昼は昨日の汁物の残りや豚ステーキ等を摂って撤収作業に入った。

その後、陽のある内に下山して無事帰宅。今回は特段催事めいたことはしなかったが、その分ゆるりと寛げたと思う。こんな野営があっても良い。

皆さん、お疲れさまでした!

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2026年05月04日

2026春季野営会

隣県滋賀南部山中の、増水して勢いを増した小瀧

雨後の開催

5月の連休中に行われる恒例の春季野営会。

今年は、祝日「みどりの日」の4日と、同「こどもの日」の5日の両日開催となった。前夜から朝まで纏まった雨が続き現地のことが案じられたが、その後は晴天予報だったので、予定通り決行することとなった。

朝、左京組として京都市街を出発し、現地近くの食料品店で滋賀組と合流して食材を仕入れ山に入った。なお、今回は前回(秋季野営)参加した大阪組は家庭の事情により来られず。

さて、山では、やはり沢が増水しており、方々で渡渉に気を遣った。それに慣れぬ参加者の怪我等を心配したが、何とか皆無事野営地まで上がってきてくれた。


上掲写真 恒例の野営地がある隣県滋賀南部山中の小瀧。増水のため普段より勢いがあったが、雨が盛大に降っていた明け方には更なる威勢を有していたかもしれない。


前夜の雨で増水し使い勝手が上った野営地の沢水
野営地付近の沢水。いつもより随分多いが、開催に支障をきたす程ではなく、むしろ豊富に水が使えるので利点となった。渇水で沢が干上がり水に困った昨年秋の野営に比して一目瞭然の好条件ともいえた


掘りだした、前夜の雨で湿る野営地の炉(竃)
日射と乾燥した春の気による乾燥中の常設炉

火熾し懸念

増水よりも雨の影響で一番心配されたのが、焚火燃料となる薪と炉の状態及び、それらによる火熾し難であった。

果たして、いつもの炉を掘り出すと、やはり大量の水分で黒く湿っていたが、天候回復の陽射しと乾燥した春の気により、忽ち乾き始め、意外と難なく火を熾すことができた。


突如野営地に接近する黒雲と降り出した雨

またしても

無事火熾しも叶い、各部の設営も済んで寛いでいたところ、急に黒雲が現れ、そして冷たい風が吹き始めた。

まさかの雨到来である。

先程まであれほど天気が良く、また予報でも降らない筈だったが(しかもここは都市近郊の低山)、やはり山は侮れぬことをまたしても思わされた。

家を出る直前の予報で近畿北部のみ午後から降水確率50%以上に変っていたことを一寸気掛かりに感じたが、その関連か。

とまれ前回(2日目)同様の驚きに見舞われた。なお、湯沸中の炉や先に集めた薪は天幕下にあるので問題無し。端折らず準備しておいて良かった。


野営地で突如降り出し、焚火と薪用の天幕を叩く雨
焚火と薪用の覆い天幕を叩く雨。直ぐに止むかと思えば、結局かなりの量で1時間程続いた。そして暑い程だった気温も一気に10度程下がり、肌寒いくらいになったが、これは予報通りで想定済。やはり急に寒気が入るとタダ(天候変化無し)では済まないということか


野営地の炉で、濡れた薪を乾かしつつ湯を沸かす
炉上にて湯を沸かしつつ前夜の雨で濡れた薪も乾かす

雨後、早めに夕食の準備を始め、日没と共に食事開始。例年同様、焼物と汁物・白飯等を用意し、様々な味を楽しんだ。

特に友人が先日自分で採取し、下ごしらえしたという筍が美味であった。

その後は火で暖をとりながら飲み語らい時間に。

気温は8度程まで下がっていたが、風もなく地面も冷えていなかった為か、思った程の寒さは感じなかった。

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2026年04月18日

早参観桜

庭園の石組み沢のように見える、京都北山山中の天然渓流

一週早い奥山観桜

何処かの名勝庭園の整然とした石組みから流れ伝うが如き写真の沢――。

しかしこれは人工ならぬ山中の天然渓流であった。正に自然の美・妙といえるが、庭園的に見えるのは近年深刻な鹿の下草食害の所為ともいえた。

場所は京盆地北縁外に広がる「京都北山」山中。旧丹波国に由来する丹波高地の名でも知られる、最高所1000mに満たないなだらかな山地だが、その気候は寒冷・多雪で、北陸的ともいえた。

京都市街では既に桜の花期は過ぎたが、今日はそこに比して約一月も遅い、北山の桜を観に出掛けた。

実は、そこの花期は例年4月下旬頃なのだが、今年は裏山の山桜観察から、一週程早いとみて前倒し実行した。


京都北山山中の斜面に立つ、満開の山桜大樹
先ず目指したのは、この大樹。斜面に立つ壮木で、樹齢は200年程か。丁度、花が咲いているようだが、さて如何に


京都北山山中に立つ山桜大樹の満開の花
近づいて見ると、やはり満開であった。正に目論見通り、早めに来てよかった。生憎の曇天は残念だが仕方なし


京都北山山上直下の雪で
折角なので山上にも向かう。その直下にはこの様に雪で倒された草原が広がっていた。また、方々の枝先から新芽が出ていたが、まだ冬が終った直後の様子でもあった。さすがは京都市内別格の多雪・冷涼地


京都北山山上から見えた、残雪が全融していた比良山脈・蓬莱山
山上では丁度昼時だったので食事をし、周囲を観察。樹間に見えた比良山脈南部の高峰・蓬莱山(1174m)も本来まだ残雪が見える筈だが、この通り雪は見えず、こちらも季節推移が早いように思われた


京都北山山中で密かに花を咲かす山桜
少し雨が降り始めた山上を下り、次の桜へ。こちらも花が咲いているようだが、どの程度か……


京都北山山中で密かに満開の花を咲かす山桜
道を外れ、足下の悪い斜面を伝い樹の対面へ出ると、この通り満開であった。岩上という厳しい環境に自生する桜の生命力に感心し、暫し観賞する


京都北山山中の林道脇で密かに花を咲かす山桜
その後林道に下り、その途中にある桜も観察。あまり花が無さそうに見えるが実際はほぼ満開であった。これも岩上に自生しているので、それこそ栄養の関係で花が少ないのか


京都北山地区集落の茅葺民家越しに、盛りの花をみせる「遅咲きの桜」
そして麓の里を経て帰路へ。麓の桜は一部は散り始めていたが、この様に盛りの樹もあった。今日は短時間の花見山行ながら目論見通り盛況の花が見られてよかった。また来年も楽しみにしたい

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2026年03月14日

北山求雪

京都市街北部の陸橋上から見えた、3月中旬の冠雪

雪山再行企画

3月も半ばとなったが、日曜辺りからまた雪を伴う寒波が来たこともあり、山へ行くこととなった。

今回は自ら希望するも故障で先月8日の雪山に来られなかった初心者のための再行的山行で、友人が企画したものに誘われ同行する形であった。

朝7時過ぎに集い、また友人の車で山へと向かう。行先は近場の京都北山。それは、京盆地北縁向こうの山地・丹波高地で、最も近場の雪山。恐らく、そこでの雪は今季最後かと思われたことも選定の理由となった。

長居する寒波の影響で今朝も2度程の寒さだったが、写真の如く一旦京都市街を北上する車窓から北山の冠雪が見えたので一同驚きの声を上げた。

10日火曜に一度冠雪したが、すぐに融けたので、昨夜か今朝一気に降ったようである。折しも今日は雪山目当てなので雪が増えることは喜ばしい。さて、現地の状況や如何(いかん)。


上掲写真 京都北山へと京都市街を北上し、麓の岩倉地区へ抜ける陸橋上から見えた京都北山の冠雪。ちょうどこれから越す花脊峠(はなせ峠。同759m)がその右肩にある天狗杉(山名。中央奥の最高所。標高837m)辺り。まだ吹雪いているように見えたが、如何(いか)に。


路肩に僅かに雪が残る花脊八桝町の車道
降雪に対する最初の驚きとは別に、意外と峠を含め山間路に雪は無かった。勿論、峠では車道以外の場所に10cm以上の積雪もあったが、それ以外では、この通り北山深部でも火曜以前の雪が路端に残る程度であった。やはり3月の陽は強く、一旦陽が射すと厳冬期より早く融雪するのか


八桝集落外れから続く八桝川沿いのちしょろ林道
車を停めて準備。風が強く、まばらな冷雨もあり寒い。気温は氷点以上だが、体感的に真冬であった。ただ、出発して山内を進むもこの通り雪は無し。標高400m超の場所だが、この先もあまり雪の気配は感じられない


京都北山のちしょろ林道奥にある金剛童子谷歩道の木橋

雪を求め山上へ

暫く林道を歩き、やがてこのような立派な木橋が現れた。出発地付近にある市の施設が整備したものか。ただ、上部の床板が腐食していたため通行に注意した(補強板があるもこれも劣化気味)。

橋の傍にはその昔、堰を造って材木を下流に送る「流し」場だったとの説明板があった。個人的には沢の内外に古く大きなコンクリの残骸が散乱していたことが気になったが、それに関連したものかは解らなかった。


山仕事道のように植林地に続く京都北山の金剛童子谷歩道の道
木橋を渡ると斜面を上る純粋な山道に。ただ、古道というより、このように植林地に続く山仕事道のような感じであった


金剛童子谷歩道の標高600m超の場所で現れた新雪
北山では変哲ない植林地斜面をつづらでひたすら登るが、標高600mを過ぎて漸く雪が現れた。但し、薄く積った新雪状で、潜り止めや滑り止めの道具を出す必要もなし


チセロ山山頂下の林道の積雪
その後、山上に出ると、この様に古い林道上にまとまった雪が現れた。積雪10cm程で、雪山の雰囲気は出たが、ワカン(輪かんじき)を履く程のものでもなかった


京都北山・チセロ山山頂へ続く新雪被る斜面道
暫く山上の林道を進み、やがてまた完全な山道の斜面に。雪はあるも、この通り、大したことなし


京都北山・チセロ山山頂手前の稜線道よりみた冠雪する武奈ヶ岳

山上稜線にて

林道上手の山道斜面は短く、程なくして見晴らしの良い稜線に出た。

早速、お馴染み滋賀西部比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(写真中央。標高1214m)も現れた。やはり今週補給されたのか、結構な雪を纏っている。


京都北山・チセロ山山頂手前の稜線道よりみた、比良に比して雪が少ない北山側の峰床山
こちらは北山の一峰で、京都府第2位の高峰・峰床山(同970m)。山上にも雪が少ないので、どうも北山には今回寒波の雪は少ないのかと思われた


京都北山・チセロ山山頂手前の稜線道に現れた東屋と薄い積雪
稜線道を進むと、何やら東屋(あずまや。中央右上)が。これも麓施設が整備したものらしく、付近は「こもれびの森」と名付けられていた


京都北山・チセロ山山頂手前のこもれびの森休憩所からみた北山南部の眺め
休憩所という東屋裏には、この様に北山南部の好眺望があった


京都北山・チセロ山山頂手前のこもれびの森休憩所から望遠撮影した冠雪する雲取山群
こもれびの森休憩所からの眺望にはこのサイトお馴染みの雲取山(同900m超)の冠雪する姿があった。中央の白い部分が私の定番休息地で北山屈指の眺望を誇る雲取北峰の雪原である。雪山目当てなら、今日はこちらを目指した方が良かったかもしれないが、自身の企画ではないので仕方なし


京都北山・チセロ山山頂手前のこもれびの森休憩所と山頂間に続く稜線道と大樹や新雪

目的地山頂

ちょうど昼時となったので、休憩所で昼食を、との話も出たが、風が強く寒かったため一先ず山頂まで進む。雪は写真の如く有ったり無かったり。


薄い雪積る、3月中旬の京都北山・チセロ山山頂
そして程なくして山頂着。山名は「チセロ山」、標高は871mの北山中東部の一峰で、個人的に未踏の山であった。但し今日最も高い場所となったが、雪は薄っすらあるのみで、残念ながら雪山とは言えない状況であった


京都北山・チセロ山山頂のケルン越しに見えた、冠雪する比良山脈の蓬莱山
チセロ山山頂のケルン越しに見えた比良山脈南部の高峰・蓬莱山(同1174m)。頂部にスキー場がある山で、やはり北山より雪山らしい状況か


京都北山・チセロ山から三本杉への下り道の途中に現れた雪と急斜の下り

下山のまさか

今日はチセロ山が目的地ということで、あとは下山となったが、その前に休憩所裏の風が少なく、陽当たりの良い場所で昼食休憩をとった。

その後、来た道とは別の一本北の谷筋である峰定寺(ぶじょうじ)方面に下りることになったが、写真の如く、なんとここで雪が深くなり、また急斜の下りなので難儀することとなった。

北向きの尾根筋の所為かと思われたが、足下が危ういため私はチェーンアイゼン(靴底鉄鎖爪)、その他は急遽ワカンやスノーシュー(西洋かんじき)を着用することとなった。やはり山は油断禁物である。


京都北山・チセロ山から三本杉への下り道の途中に現れた台杉等の巨木

雪の急斜は二所程あり、いきなり慣れないワカンを履かされた初心者女士が足を痛めたが何とか進む。私は先頭に回り進路取りを行う。

新雪なので私のチェーンアイゼンも雪玉が盛大に生じて失敗。対応できる10本爪アイゼンも持参していたが、面倒なので出さなかった。

チェーンではなく6本爪軽アイゼンにすべきだったか。現場の状況は来ないと判らず、しかし荷物も増やせないので悩ましい問題であった。

ただ、道筋には写真の如く台杉等の巨木が数多現れ興味深かった。峰定寺の寺領か何かで大樹が守られているのか。


京都北山・花脊の三本杉奥の谷筋の崩落跡

やがて巨木の尾根道に雪は失せ皆対策具を外す。往路と異なり下部まで執拗に雪が残る道であった。足を痛めた女士が心配だが進む他なし。

谷に下降する最後の急斜道では根返りした倒木で道が途絶していたため、補佐しつつ巻いて通過。降りた谷筋はこの様に方々で崩落を見る場所だったので、地盤が脆いのかもしれない。

雪を含め、これも山の油断ならぬ事といえた。


京都北山山中にある、樹高日本一の花脊三本杉

ご不満あるも終了

そして程なく麓へ下る林道端に達し写真の大杉を仰ぎ見ることとなった。

所謂「花脊の三本杉」と呼ばれるもので、江戸中期の名所図会にも紹介された霊木である。根が合した3本の大樹からなり、樹齢は1200年程とされ、平安期創建の峰定寺の神木ともいう。

近年その中の1本が62m超の高さであることが判明し、樹高日本一にもなったため全国にも知られるようになった。ともかく、その見事な姿に感心。

友人が遠回りのこの帰路を選んだのは、これを観るためであった。私も以前から気になりながら見たことがなかったので幸いであった。

ただ、初心者女士は、負傷のみならず夕方からの業務遅延も濃厚となった為、少々おかんむりであった。

大杉参観後は林道を下り、その後現れた峰定寺前の車道を延々と下り、車輌まで戻った。結局、断続的な小雨は止まず、寒いままであった。

その後また山間路を辿り、峠を越えて京都市街に帰還。雪山希望の女士が本来のそれを確り味わえなかったことを憐れみ「また次回と」言うと、企画者の友人を睨(め)ねつつ「次は貴方の企画で」と返された(笑)。

まあ、色々お気の毒さまもあったが、なんとか終れて皆さんお疲れ様!

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2026年02月21日

立会終雪

温暖日が続きながら、路傍に雪が残る旧花折峠道北口

今季の雪納め?

ここ京都市街を含む近畿にも2月初旬に大寒波が襲来したが、その翌週から気温が16度以上となる意外の温暖が続く。

今日も同様で、明日などは更に高い18度超の気温が予報されていた。この先も同様で、報道番組の予報士も「もう冬日は来ない」と断言する始末。

よって、今季の近場雪山ももう終りかと名残惜しくなり、先週に続き近山に登り納めに出掛けた。

つまり、今日もまた冬山の記事となるが、気象やその実態の記録という目的もあるため、何卒ご容赦を……。


上掲写真 京都市街から比較的早く行くことができる多雪の山・比良山脈の南部登山口の一つ旧花折(はなおれ)峠道北口。今日も朝からプラス気温で往路全く雪はなかったが、標高480m前後のこの辺りには、方々でその残存がみられた。


旧花折峠道北口近くからみた比良山腹の残雪
今は林道となり車の往来が絶えた旧国道を独り進むと、上方山腹に雪原が見えた。先々週までに幾度か来た寒波の残雪とみられるが、さすがその厚みは薄かった


旧花折峠道の日陰路上に潜む残雪下の凍結箇所
ところが、日陰のアスファルト路上には思わぬ凍結箇所が潜んでいた。雪下の水分が再凍結したか。転倒の危険が高い状態だったので、慎重に進む


道上に若干雪残る、葛川平からアラキ峠までの比良山脈登山道
舗装旧道を離れ山道に入ると、このように雪が残る場所もあったが、ない場所もあり、アイゼン(靴底氷雪爪)を履く時機を得ぬまま高度を上げた


雪が殆どない比良山脈南部のアラキ峠
やがてアラキ峠(標高766m)という鞍部に到着。殆ど雪はないが、まあ、ここは風か陽当たりの所為か、元々それが少ない場所……


雪が殆どない比良山脈南部・アラキ峠上の植林帯の道
ただ、峠から山上に続く急登の植林帯道も、この様に雪は無し。いつもは下が無くてもこの辺りからアイゼンを装着するのであるが、まだ不要か


残雪とその下に硬く危険な氷結がある、比良山脈南部・アラキ峠上の植林帯の道
しかし樹林帯上部では雪が現れた。大した量ではないが、その底が固く氷結して滑り易い箇所もあったので慎重に進む。ストック(山杖)の石突で衝いても割れないような意外の強さの氷で、知らずに乗ると危険であった


比良山脈・権現山山頂直下に広がる腐り気味の雪による明るい雪原
やがて急登を上りきり山上近くに出ると、明るい雪原が現れた。それでも、雪は圧縮劣化というか、腐り気味だったためアイゼンはおろか、ワカン(輪かんじき)も不要な状態であった。夏用重登山靴のまま進む


残雪ある比良山脈権現山山頂から見た、黄砂で霞む琵琶湖等の下界
そして山上着。権現山(標高996m)という山脈主稜線の最南的頂である。ここも陽当たりの所為か雪は少なく、地面の露出が多々見られた。眼下の琵琶湖の眺めが変わらず良いが、黄砂の所為か眺望全体が朧ろであった


残雪ある比良山脈・権現山山頂北に見えるホッケ山と背後の蓬莱山
今日は深入りせず、少し雪を踏んで帰るつもりだったが、雪不足で収まりがつかず、もう少し進むことにした。権現山東北東に見えるこのホッケ山(中央。標高1050m)まで、である。その左肩に覗く蓬莱山(同1174m)は遠いが、手前のそこなら20分程で行けるためである。また、その途中に続く比良主稜線の雪具合や景色も楽しめるかとの思いもあった


比良山脈・権現山とホッケ山間の鞍部にある融けかけの残雪と雪庇
権現山では休まずそのまま稜線道を進む。途中、雪が多く残る鞍部的場所では雪庇の残存も見られた(中央上)。全く寒くなく、暑いくらいの陽気となってきたので、この残存もあと僅かの命かと想われた


その南下稜線から見た、残雪まとう比良山脈南部・ホッケ山
程なくしてホッケ山への登坂となり、権現山からは見えなかったホッケ山東面が見えた。ここだけ見ると中々の雪山景である


ホッケ山南下からみた、多量の残雪まとうホッケ山山頂とその東面に発達した巨大な雪庇
同じくホッケ山への登坂下からみた、多量の残雪まとうホッケ山山頂とその東面に発達した巨大な雪庇


盛大な雪庇の残存に比して地面が露出するホッケ山山頂とその標識に左下に見る権現山
そして、ホッケ山山頂着。傍にある雪庇の凄さとは裏腹に、頂部はこの通りの地面露出。左向こうに見えるのは先程通過した権現山である


比良山脈・ホッケ山山頂の雪庇越しにみた雪山景及び下界の琵琶湖等
ホッケ山山頂からの眺望も変わらず良く、雪庇越しのこの眺めなぞも確かな雪山景といえた。やはりここまで来てよかった。ただ、風はなく、気温も温暖で、もはや冬山とは言い難い気象条件であった。折角なので、ここにて麺昼食を摂った


比良山脈・ホッケ山山頂からみた残雪まとう蓬莱山
ホッケ山山頂から見た北方の蓬莱山(中央やや右の高み)方面。ここより一段標高が高いそこも方々に地面が出ているが、山上のスキー場は営業しているようであった


比良山脈・ホッケ山山頂から望遠撮影した、残雪まとう蓬莱山山頂とスキー場施設等
同じくホッケ山山頂から望遠撮影した、残雪まとう蓬莱山山頂とスキー場施設等

終雪立ち会い

ホッケ山での昼食後、元来た道を辿り下山する。途中行きと同じく、滑り易い泥濘や氷結箇所を通過したが、結局なにも着けずに無事下山出来た。

本来ならチェーンアイゼン(鉄鎖爪)を付けるべき状況だが、アイゼンしか持参しなかったので仕方なし。

今日は雪や氷があるのに暑いという矛盾した条件の、3時間程の山歩きだったが、来てよかった。

やはり今季はもう雪歩きは無理かもしれず、その最後の雪終いに立ち会えた気がした。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2026年02月15日

温暖多雪

雪が融けていた登山口下の車道向こうに覗く、雪を纏う比良山脈の峰

寒波・大雪一週後の近山

先週に続き、また雪山へ。

今回はより近場で、独りで行う個人鍛錬のようなものであった。

先週の寒波と大雪で近山の雪もかなり補給された筈だが、一昨日からまた気温が上り、今日は京都市街で18度超えの予報が出ていたので、融ける前に確り雪を踏みたいと思った。

朝車輌にて向かったのは隣県滋賀西部の比良山脈。その東麓から、気が済む場所まで行くことにした。何やら無計画な感じだが、雪が目的で、その状態が解らないため致し方なし。


上掲写真 すっかり雪が融けていた登山口下の車道向こうに覗く、雪を纏う比良山脈の峰。


残雪は少しだが車が多い比良山脈の登山口駐車場
意外にも登山口駐車場手前に残雪があり、用意した車輌が雪装備ではなかったため少し下まで下る(鉄鎖はあったが短距離のため使わず)。どこの空地も一杯だったが、ちょうど帰る人に声をかけられ、停めることが出来た。用意して上の駐車場を過ぎると、意外と場内の雪は少なかったが、この様に車自体は多かった。最近いつも車が多いことを怪訝に思う。山で見る人との数が合わないためである


確りと雪がある、比良山暮雪山駐車場上の林道
駐車場から林道を少し登ると、ご覧の通り、確り雪が現れた。標高400m超付近か。但し、連日多くの登山者で踏み固められているため、踏み跡を辿る限りは足をとられることはない


金糞峠へと向かう川筋から見た、雪がつき山上に続く堂満ルンゼ
間もなく林道横に冬季登攀の訓練地として名高い「堂満ルンゼ(堂満岳山上へ続く急斜溝)」が行く筋も現れた。確り雪は付いているが、ここ数日の高気温の為その状態は微妙である。丁度ルンゼの一つから大人数のパーティーが降りてきたので話を訊くと、やはり上部は融解して滝のようになっているという。そのため中断し下山してきたとのこと。今日はこのあと更に気温が上る予報なので、雪崩や落石の危険からも賢明な判断か


確り雪が載る比良山の難所・青ガレ

青ガレ上から峠

やがて川沿いの林道と歩道が終り、沢向こうに青ガレの難所が現れた。

かの寛文震災(1662年)によるものか、青味ある大石が急斜に連なる崩落地で、登山道はその中に続く(写真左端)。ただ、確り雪があるので、個人的には無雪期より登り降りし易かった。

アイゼン(靴底氷雪爪)は早めに装着していたので、そのまま登る。ただ、これから峠までは雪崩・落石の危険もあるので、抜かりなく……。


比良山脈・青ガレ上の堰堤下に見えた凍る流水
青ガレ上の登山道上から見えた堰堤下の氷。氷瀑のように流水がそのまま凍ったものと思われた。朝からプラス気温で登坂も暑いくらいだったが、やはり山中は別世界のようである


比良山脈・金糞峠下の緩み雪
青ガレ上の沢沿いの道を進み、峠に近づく。雪は確りあるが、気温上昇と陽当たりのためか、麓より緩み気味となった


雪のある比良山脈・金糞峠から見えた曖昧模糊の琵琶湖

峠から第二位の高所へ

そして金糞峠(かなくそ・とうげ。標高877m)着。

銃照準器からの眺めの如く、切れ目向こうに琵琶湖が見えたが、水蒸気か黄砂のためか、終始曖昧模糊であった。


金糞峠向こうの深雪・低温の森
暑さと冬装備の重さから峠で休息するつもりだったが、中高年の団体が広く占拠して食事中にもかかわらず不潔不快な話に興じていたため通過。昨今外人のマナーが問題になっているが、日本人年配者でもこの通りなので、未来暗澹たる有様である。気を取り直して峠向こうに下ると、この通りの深雪地帯に。積雪は1m程か、気温も一気に低くなり、簡易計は零度を差した。標高が高い日陰の谷なかなので、他所とは事情が違うようである。ただ、道は変わらず踏み固められているため、難無し


雪のある、比良山脈・コヤマノ岳下の大径針葉樹の森
峠裏の沢筋の道を進み、やがて尾根の登坂に入る。台杉等の大径針葉樹の森で、雪の急坂が延々と続く。ただ、ここも踏み跡付近の雪は固く、ワカン(輪かんじき)を出す程でもなし


比良山脈・コヤマノ岳直下の、冠雪する天然林
長い急登を詰め、明るい天然林ある山上へ。ここも、気温と陽当たりの所為か、標高の割に雪が緩い


比良山脈・コヤマノ岳山頂から見た雪山景と彼方の琵琶湖等
程なくしてコヤマノ岳(標高1181m)着。比良山脈第二位の高所である。完全な雪山景だが気温は高く、雪質も微妙である。さすがに暑く疲れたので、ここにて小休止を入れることに。時折陽が射してきた


比良山脈・コヤマノ岳下から見えた冠雪する武奈ヶ岳山頂

最高所へ

金糞峠で左折して堂満岳(標高1057m)に登頂することも考えたが、標高的に雪が少ないと想われた為ここまで登ってきたので、この際、山脈主峰で最高峰の武奈ヶ岳(標高1214m)まで登ることにした。

コヤマノ岳の向こう下で見えた写真の山容も、この通り、確り雪がありそうである。


比良山脈・コヤマノ岳下から見えた雪の武奈ヶ岳山頂とそこに集う登山者
少し双耳峰的な趣ある武奈ヶ岳山頂の右側が山頂だが、この通り、そこには多くの人が見えた。丁度昼時の為か


比良山脈・コヤマノ岳下から見えた雪の武奈ヶ岳山頂左峰とそこを登る登山者の列
左側にはこれから山頂に立つべく雪坂を登る登山者の列も


比良山脈・コヤマノ岳下から見えた武奈ヶ岳山頂の巨大な雪庇
また、左右の頂部の間には巨大な雪庇の姿も。先週・先々週等の寒波で育ったものとみられる


武奈ヶ岳山頂への雪の稜線
そして、私自身も程なくその山上へ。卓越風が当る山頂西面は東面の巨大な雪庇形成に反し地面が露出していた


積雪期の比良山脈・武奈ヶ岳山頂と標識

最高峰は晴れのち……

比良山脈最高点・武奈ヶ岳山頂着。駐車地から丁度3時間の行程であった。折よく晴れ間も増えてきた。


武奈ヶ岳山頂から見た釈迦岳等の雪山景
武奈ヶ岳山頂からの眺め。完全な雪山景。空は晴れてきたが、正面の釈迦岳右に見える琵琶湖と沖島等は変わらず曖昧模糊であった


冬の武奈ヶ岳山頂から見た、西方の丹波高地(京都北山)方面
こちらも武奈ヶ岳山頂からの眺めだが、西方は丹波高地(京都北山)方面。足下の地面が露出しているので、それ程冬山的に見えないが


比良山脈・武奈ヶ岳山頂からみた雪庇や彼方の蓬莱山等の雪景色
しかし、程なくまた雲が多くなってきた。これは山頂横の雪庇と彼方の蓬莱山(標高1174m)等の眺め

温暖ながらも多雪の山下る

さて、山頂の雪上で麺食を食したあと、元来た道を辿り、2時間弱で下山して無事帰宅した。

今日は終始温暖で、ワカンを履いてラッセル(深雪開路)するようなことはなかったが、確りした積雪と雪景色を体感出来てよかった。

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2026年02月08日

湖西荒雪

強力寒波の吹雪により忽ち雪に塗れる滋賀マキノ山中の雑木の幹

最下段に追記あり(「続きを読む」をクリックで表示)

警報級予報での山行

既に数日前から荒天・大雪の予報が出ていたが、誘われていたため朝から山へ向かう。

身内からも、こんな日の山行を反対されたが、装備・対策を万全にし、危険少ない場所に無理せず行ける処まで、と説得し出掛けた。

確かに、自分独りなら中止必至の状況だったが、初心者及びそれに近い集いだったこともあり、先導・引率者的に出向くことにした。

果たして、その結果や如何(いかん)。


上掲写真 強まる風雪に、忽ち霊芝共々雪に塗れる山の雑木。


先週の寒波の多量の雪が残る、大寒波到来日朝のマキノスキー場や背後の雪山

まさかの寒波危険地へ

京都市街東部から車行ひたに北上して着いたのは、隣県滋賀北西のマキノという地。

江若国界即ち福井・滋賀県境という、今寒波で最も危うい場所の一つであった。何故ならば、山の後背が日本海・若狭湾となっており、最近話題の寒波源JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)が直撃する場所だったからである。

行き先は友人に任せていたが、まさかここを選ぶとは思わなかった。正に、知らぬが佛の怖いもの知らずか(笑)。まあ、今朝はどこも降雪は無く、すんなり現地入り出来た、という事情もあった。

予報では未明から京都市街でも降雪の筈だったが、それが外れたのである。まあ、それでも山のことなので、また寒波到来日なので油断は禁物。

さて、先週の寒波の影響で田や山に雪はあれど路上にはない滋賀北部に入り、先ずはとある山麓集落の登山口を目指したが、途中から道が雪で埋もれていたため断念。やはり除雪の役割は偉大である。

仕方なく、写真のスキー場に移動し、眼前に見える当初目標とした山を別路から目指すこととした。


寒波到来日朝のマキノスキー場から見た、只ならぬ雰囲気で霞む大谷山山頂付近の野坂山地稜線
スキー場背後の連山を拡大。所謂、野坂山地及び高島トレイルと呼ばれる場所。中央の白い稜線付近が、本日目指す大谷山(814 m)であった。うーん、いつもなら特段難なき山と思われたが、今日は完全な雪山風情で、しかも見るからに只ならぬ雰囲気で霞んでいる


大谷山への出発直後にマキノスキー場のゲレンデで遭った地吹雪

出発早々の天候変化

山を見た直後から経験的・直感的に危うさを感じていたが、登山届を投函し、一先ず行けるところまで行く方針で出発した。

ところが、出発直後のゲレンデ歩きの段階で、写真の様な地吹雪に早々見舞われる。鼻がもげそうな寒さと強風で、急ぎ厠棟の風裏に逃れ、目出帽を装着した。

それがない同行者は顔が真っ赤になっているが、手拭でも巻いて対策してもらう外なし。


大谷山への出発後にマキノスキー場のゲレンデで降り始めた雪

先ずはゲレンデの上部まで進み、その後の林間に入って写真正面の小山の左肩を進み、頂部後方に続く主稜線への急登へ向かうが、この通り、雪も強まってきた。

私は装備的・体力的に問題ないが、準初心者的な同行者が更に過酷な稜線に出ることは、この時点でほぼ不可能だと判断。とにかく、本人が納得、または断念するまで見守ることにした。

因みに、今日の提案者たる雪山初心者は故障に因り直前に不参加になっていた。これはある意味双方に幸いになったのかもしれない。


寒波の雪と怪しい雪煙に覆われる、マキノスキー場から寒風・大谷山へと続く登山道

林間に入り、強まる登坂を進むと、風こそマシになったが、気温が一段下がったように感じられた。

同行者の歩みが遅かったので、まだそれ程高度は上げていなかったが、簡易計では-5度に達していた。

やはり、昨日の予報が遅れ、今まさに寒波に呑まれ始めていると実感。怪しい雪煙で周囲の眺望が全くない灌木の林を進む。

足下には先週の寒波等による積雪が数十cmあったが、その後の温暖で緩み、それを人が踏み固めていた為ワカン(輪かんじき)は要らず、アイゼン(氷雪靴爪)のみで歩けた。

なお、林間に入った直後に、連続して二人の先行者が下ってきたのと出会う。話しかけられた内容では、やはり荒天で登頂を断念したとのこと。

我々も、あとどれくらいで切り上げるか、という感じとなったか。


寒波による雪が降りしきる、マキノスキー場から寒風・大谷山への山道

限界点に

雪の登坂と降雪に難儀する同行者を先導し、新雪で消えつつあるルートを踏み示して進む。進んでは待ち、場合により戻って道を外したり異常がないかを確認しつつ。

そして、途中、本人の限界を訊き、主稜線下の小頂までで引き返すことに。やがて、写真のそこに着いたが、更に降雪が強くなっていた。

気温は-7度程まで下がっている。まだ標高600m弱なので、同900m近い稜線では-10度超える可能性が高いだろう。

吹き曝しの稜線は平時でも風が強いので、今日なぞの体感温度はかなりのものになりそうである。そうなると、自分の今日の装備でもギリギリの状況となる。やはり、これで撤収が正解のようである。

少々名残り惜しいが、今日は致し方なし。


マキノスキー場上部と前山を結ぶ峠からみた、大谷山方面の雪の稜線

遅い昼食と美しい眺望

さて、小頂から下山を始め、その途中、休憩適地を探す。

昼を大きく回っていた為だが、さすがに時間がかかり過ぎ。同行者には準備時間の短縮を含め、体力や対処技術・知識の向上を願いたいと思う。

そして、結局小山からゲレンデに下りる峠裏が、最も風を避けられる為そこにて遅い昼食休息をとった。丁度雪が止んでくれたのは幸いであった。

写真は、雪が止み、漸く視界が開け始めた主稜線方面の眺め。中央奥に主稜線の雪原が覗く。


マキノスキー場上部と前山を結ぶ峠からみた、風で雪が舞い上がる大谷山方面の稜線
休憩地峠から見た大谷山方面の主稜線には幾つもの雪煙が見えた。やはり荒れているようである。いや、先程までそれも見えない程だったので、これでも小康状態とみるべきだろう


マキノスキー場上部と前山を結ぶ峠から見えた、美しい麓の雪景色
休憩地峠の麓側も、何時の間にか眺望が開け、美しい麓の雪景色が覗いていた


マキノスキー場上部と前山を結ぶ峠から見えた、メタセコイア並木の雪景色
昨今人気のマキノのメタセコイア並木(中央)もこの通り。朝そこを通った際、結構人がいたが、この雪景色が目当てだったのかもしれない


マキノスキー場上部と前山を結ぶ登山道から見えた、湖岸の雪景色と荒れる琵琶湖
昼食を終えゲレンデへの下りを進む。途中この様に琵琶湖方面も見え始めた。湖岸も一気に雪が載ったようである。因みに、写真では判らないが、肉眼では湖面が波立っている荒れた様が見えた


マキノスキー場上部と前山を結ぶ道に新たに積って足跡を消す雪
つい先程通った許かりの我々の足跡さえ、帰路このように雪に消されていた。短時間で足された雪量は10cm以上か。ルート取りが出来ない者、これに適する勘が働かないものは、たとえ低山でも雪山に入ってはいけない


マキノスキー場から見た、寒波でまた荒れ始めた大谷山方面の山上
眺望が開けたことで同行者は「雪も終りでは」と語ったが、私はそれを否定し「今日は繰り返すのでは」と答えた。それは空の重さや琵琶湖に吹き込む雪の状態等から、ここのみ一時的に止んでいると判断したからである。そして、案の定、ゲレンデに下降する頃に、また山上が荒れ始めた


マキノスキー場の雪原に立つマキノ高原の地図標識と再び荒れ始めた背後の野坂山地
再び荒れる山を背にする山行終点のマキノスキー場

山より危うし?

やがて無事下山出来たが、同乗してきた車輌には10cm程雪が積もっていた。一先ず雪を払い、ワイパーを立てスキー場の温泉に入った。

珍しく水筒やストック(山杖)のベルトが凍る程の寒さだったので、温泉での寛ぎは有難かったが、その後、難儀に遭遇する。

それは、帰路の車行で天候が荒れ始めたことである。恰も北海道の地吹雪のような雪風に先ずは曝され驚く。また、自動車道に入っても前が見えない程の吹雪に困惑。

前照灯を強くしても乱反射して見え辛くなるばかりか、分離帯や路肩さえ曖昧となった。そしてワイパーに雪が詰まり、何度も下車して除去。

同乗の車輌は冬タイヤ装備の四駆車だったが、このまま降り続くと道自体が通行止めになりそうであった。当初は往路と同じく大原経由の山間路で帰る予定だったが、危険なため大津市街を経る経路に変更。

しかし、それでも雪は止まず、京都市街に入ってからも積雪は続いた。

そして、最後は京盆地手前の峠でパトカーに道を塞がれUターン、後で知ったところ、上下両車線で同時多重事故が起きたらしく、完全通行止めとなった、とのこと。

仕方なく、遠回りし、そして何とか帰宅することが出来た。

こうして、山より帰路の車行が最も危険なものとなった。あと少し帰りが遅ければ帰京出来なかったかもしれない。やはり寒波の外出は危うい。

それを含め、今日は様々な経験を積むことが出来た。困難な運転に無事耐えてくれた同行者にも感謝。お疲れ様でした。

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2026年02月02日

奥鞍査雪

奥鞍馬・花脊峠上の山上から見た雪原向こうの京都市街

近山の雪如何

先月下旬からこの時期らしい寒さが続く。

とはいえ、京都市街東部にあるうち辺りでは、冷えても僅かに氷点を下回るくらいが最たるところ。

しかし、近くとはいえ、山上は違う。今日は平日ながら、昼前後の隙間時間にその様子を見てみることにした。


上掲写真 京都市街北郊の山上にて。北山杉並ぶ雪原の向こうに無雪の市街が覗く。雪と市街の際辺りに、出町柳の高野川合流点から続く賀茂川の川筋が僅かに見えるが、判るや否や……。


雪ある奥鞍馬・花脊峠下から見えた、雪の無い京都市街
雪ある奥鞍馬の峠下から見えた、雪の無い京都市街

目指すは自宅最寄りの奥鞍馬。北方十数kmにある京盆地北縁稜線である。

鞍馬寺門前は勿論、そこから登る峠道にも雪はなかったが、さすがに標高700m辺りから路上に残雪が現れたため、車輌を置き徒歩で峠まで登った。

輪鎖(チェーン)も持参していたが、高低差あと50m程だったため面倒を回避。

ここ一週程、雪は無く天気も良かった筈だが、さすがは京都で最も北陸(気候)に近い場所。改めて驚かされた。


花脊峠上の雪深い場所

程なく辿り着いた峠の温度表示は0度(画像がブレたため不掲載)。この時期はいつも氷点下の筈なので比較的暖かい。

そして峠の傍から林間の山道を登る。とはいえ、雪に埋もれて道はなく、また直近の足跡も無かったので、ただ雪を踏み分けて進む。

写真は山上に出る手前の様子。陽当たりに乏しい最も雪が多い場所で、今日は40cm程のそれに足を取られつつ進んだ。

一応ワカン(輪かんじき)等の装備は完備していたが短時間の視察・雪歩きのため今日は出さず。


花脊峠から天狗杉までの稜線上の雪のない場所
その後、山上というか稜線に出ると、陽当たりや風の所為か雪が減り、このように地面が露出した場所も現れた。まあ、ここでは良くあることであり、毎度のこと。恐らくは風の通り道であることが原因だと思われる


雪に覆われる奥鞍馬・天狗杉山の山頂

左京代表する雪山頂

やがてまた登坂に入り、それを越えてまた一段高所に上がると山頂の天狗杉(標高837m)に達した。

写真の通り、その三角点は雪に埋もれ、また足跡も無し。積雪は30cm程か。これにも「さすがは左京市街から見える雪山の代表」と感心。


奥鞍馬・天狗杉山頂近くの京都市街を眺められる雪上の休憩地
そして天狗杉山頂で折り返し、頂近くの眺めの良い場所で昼食を摂った。昨年から山裏の花脊集落でも熊目撃が多いので、倒木が周りを囲む要害的場所に入って、である。これなら不意に背後を取られることもあるまい


奥鞍馬・天狗杉山頂近くで見た京都・大阪市街の眺め越しの降雪
一時天気が良くなり陽が射していたが、また悪化して遂には雪が舞い始めた。写真にも写っている筈だが、判るだろうか。今日の京都市街の最高気温は9度弱。写真奥に写る大阪の街を含め、雪など有り得ない条件だが、山上ではまさかの降雪となった。これも奥深い限り


奥鞍馬・天狗杉山頂近くから見えた花脊集落の雪景色

麓と山上の関連知る

昼食後、そのまま来た道を戻り下山。途中見えた山裏の花脊集落は写真の通り。

標高600m前後に茅葺民家が点在する高所集落だが、出発地と同じ左京区ながら、別世界の雪景色が見られた。これも奥深い限り。

その後、車輌に戻り、程なく帰宅。2時間に満たない気晴らし的雪歩きだったが、麓からみた雪景と山上の様子との関連を知れた良い機会となった。

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2026年01月18日

三境尋雪

滋賀最西部・生杉集落の地名木札杉林や茅葺民家

今季初の雪山へ

1月も半ばが過ぎ、はや厳冬期の「大寒」直前となった今日。漸く今季初の雪山へゆくこととなった。

この冬は雪の降り始めが遅かったことや、熊への警戒から未だ出動を果たせていなかった。しかし、友人から雪歩き目的の誘いがあったので、今日向かうことになったのである。

場所は、京都府東北部と滋賀県最西部、そして福井県東南部に跨る三国岳(標高775m)。かの秘境・芦生(あしゅう)原生林に接する京都北山(丹波高地)最奥の地である。

以前、下見で麓まで車行したことがあるが、歩くのは初めて。よって楽しみにしていたが、ここ数日季節外れの温暖が続いていたので、肝心の雪は期待し難い状況であった。

朝待ち合せた友人とも「今日は普通のハイキングで終るか」と、半ば諦め気味で話していが、果たして結果や如何に。


上掲写真 三国岳の登り口となる、滋賀最西部集落・生杉(おいすぎ)の地名板と背後の杉林や茅葺民家。


季節外れの温暖な冬の日にもかかわらず車道以外雪に埋もれる滋賀・生杉集落

諦めが驚きに!?

出発地の京都市街東部から、ひたに北上して大原を過ぎ、琵琶湖水系の葛川(かつらがわ。安曇川)谷に入る。

そして進路を西寄りに変えて京都市最北の地・久多集落手前から滋賀最西部の山間を北上し登山口の生杉に至った。その様子は写真の通り。

車道以外は雪に埋もれる驚くべき光景が広がっていた。恰(あたか)も突如東北の山村にでも到達した気分である。

途中、多雪地の比良山脈も見えたが、殆ど雪を見ず、完全に諦めていたので、その感慨も一入(ひとしお)であった。

まあ、京都より北で、標高も高い場所ではあったが、近場ながら、まだまだ予想外の景色や状況が存在するものである。


滋賀朽木・生杉の外れ除雪が途絶え通行不能となった地蔵峠・芦生演習林への道
さて、集落を抜け、更に道を進むも、この様に雪で行き止まりとなった。本来は府県境に向け未だまだ道は続くが、除雪はここまでのようである。同乗してきた友人の車は冬用の護謨輪(タイヤ)を履いていたが、さすがに除雪がなければ進めない。空気の如く意識せずにいた社会基盤の恩恵を不意に感じる。まあ登山口まではもう遠くないので、緊急車等の邪魔にならないように駐車して入山の準備を始めた


除雪終了点から雪に覆われて続く芦生演習林・地蔵峠への車道
暫くは車道歩きとなるが、この様にしっかり雪があるため、温暖日としては珍しく最初からワカン(輪かんじき)履きで出発


生杉・芦生演習林間の車道脇に現れた三国岳の登山口と木製の登山届箱
途中、友人が外手袋を忘れ、引き返す事もあったが、程なく登山口に到着。車道脇に地元の針葉樹らしき木材を使用した立派な入山届箱もあった


生杉から芦生演習林に続く道端に現れた三国岳登山口の標柱と入山届箱
登山口標柱の場所から車道を離れ沢筋の林間を進む。雪の量が増し、足をとられることも多くなる。当初ワカンなぞ不要かと思い、置いてくることも考えたが、結果、持ってきて助かった。やはり、山は油断禁物である


谷の斜面を巻き進む若丹江・三国岳への雪道
林間の道では途中まで昨日辺りの先行者の足跡があったが、やがて消えた。そもそも入山者の少ない、雪に覆われた場所なので道は自分で探る他なし。やがて谷が狭まり、この様な斜面を巻く進路を採ったが、所々崩れた夏道の跡らしく、急な場所や進み難い場所も少なくなかった


滝が集まる急な渓谷を高巻きする、生杉からナベクボ(クチクボ)峠への登山道
やがて、周囲に滝が見える急な渓谷を高巻きする。先程から道が険しくなったのは、沢沿いに通行出来ないここを遣り過すためだったとみられた。対岸にはブナ等の天然林も現れた


ナベクボ(クチクボ)峠の下に続く雪に覆われた古道らしき道跡
険路を越えると、緩やかで幅の広い道に。峠に接する古道跡か


雪の少ないナベクボ(クチクボ)峠

江若国界踏み山頂へ

そして、ナベクボ(クチクボ)峠(標高約620m)着。旧江若国界、即ち近江・滋賀と若狭・福井の県境尾根である。写真は福井側からそこを撮影。

風が抜け寒い場所だったが、なぜか雪は少なかった。風か、晴れた日の陽当たりの所為であろうか。


ナベクボ(クチクボ)峠から三国岳へと続く雪の稜線道
そして、峠からは、その南に続くこの稜線坂を登り、その頂部にある三国岳を目指す


ナベクボ(クチクボ)峠から三国岳へと続く雪の稜線道
稜線坂はやがて天然林となり、雪の量も増えた。峠下では見なかった、下りのスノーシュー(西洋かんじき)足跡が一人分続く


ナベクボ(クチクボ)峠から三国岳へと続く雪の稜線道
雪の急登を進み、偽頂を二つ越え、漸く山頂が見えた(中央奥の雑木山)


雪に覆われる江若丹国界の山・三国岳の北面
稜線から外れる山頂の小峰に右から回り込み、その斜面に取りつく。すぐそこに頂が見えているが、意外の急斜のため、つづらで登る


雪に覆われる江若丹国界の山・三国岳山頂

「秘境」の隅・三国岳

程なく山頂着。江若に加え、南の丹波を加えた正に三国国界の頂である。但し旧国界を踏襲したとみられる府県境は、一つ手前の偽頂にある。

丹波(京都)側は近畿の秘境・芦生原生林の東北隅となる。正に秘境の奥で、山頂には演習林事務所の入山規制の看板が掲げられていた。

この先の西南方向は演習林深部に下ることが出来るが、事前許可を得ない者は入ることが禁じられているのである。


江若丹国界の山・三国岳山頂と百里ヶ岳方面の眺め
江若丹・三国岳の山頂から見えた周辺景。中央奥の峰は同じく旧江若国界にたつ百里ヶ岳(標高931m)か。三国岳山頂は樹々の為あまり眺望は良くなかったが、風も無く明るい場所だったので昼休憩には良い場所となった


江若丹国界の山・三国岳山頂からみた、雪に覆われる生杉集落やその耕地
こちらは山頂の樹間から見えた、雪に覆われる生杉集落やその耕地。奥地でありながら、かなりの平地をもつ豊かな土地であることが窺えた


雪上にスノーシュー跡が続く、江若丹・三国岳南東尾根

原生林経る下山路

三国岳山頂での昼食後、下山路に就く。山頂から近道的に偽頂側に下り、旧丹江国界(京都・滋賀府県境)の尾根に乗る。

雪深いが晴れて穏やかな尾根筋にはスノーシューの跡が続く。先程足跡を見た独行者は、我々とは逆に、こちら側から上がってきたようである。


江若丹・三国岳南東尾根から見えた、比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳
そして、山頂より開けた尾根筋からは、比良山脈の最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)も見えた。往路その下を通るも姿を見ることは出来ないが、意外に山上はそこそこ積雪しているようである


雪残る生杉ブナ原生林の中腹部

やがて、国界尾根から滋賀側の支尾根に入り、その側面を下る。急な下りで雪も少なく難儀するが、写真の如くブナ等の大樹多い、見応えある天然林となった。

所謂「生杉ブナ原生林」と呼ばれる場所で、県の自然公園となっている貴重な森。急斜で、遠回りともなるが、これが目当てで経由したのである。

因みに、スノーシュー跡はそのまま支尾根に続いていたので、緩傾斜かつ里からの近道を採ったとみられた。非正規的道だが特に難はなさそうか。


生杉ブナ原生林内から見えた、雪に埋もれる芦生演習林への車道
下り難い、しかし正規の登山・散策路でもある原生林道を下降すると、やがて雪に埋もれる車道や厠等の公園建屋が見えてきた。よく見ると、車道には斜面から盛大に流れた雪崩跡も(中央)。先週末の寒波来襲時に相当降ったとみられる。もし先週来ていたら、雪が多すぎて山歩きは疎か集落にさえ来られなかったかもしれない


所々雪が剥げた、生杉ブナ原生林下から集落へと続く車道
原生林口の車道に下ると、後は駐車地点までひたすら車道を下るのみ。森下は温暖で、車道にも雪の禿げた場所があったため、友人は早速ワカンを外すが、進むにつれまた雪が増えたので、改めて付け直した


雪に埋もれる生杉集落奥の沢沿い林地内にあった熊檻らしきもの
雪に埋もれる沢沿いの林内にあった熊檻らしきもの(中央)

山行終了
確りした雪歩きに感謝


そして、雪を踏みながら車道を進むこと1時間強。無事駐車地点に到達した。最後はU字の車道を渡渉で短絡したが、そこに熊檻(罠)らしきものの設置がみられた。

奥山なので以前から熊の多い場所ではあるが、改めてそれへの警戒を意識(一応、毎回事前の出没情報調査や鈴等で対策)。

その後、集落を離れ、朽木の温泉に寄って帰京したのである。季節の為か、時間の所為か、生杉の地産店が閉っていたのは残念だが、まあ、また今度……。

今日は短距離ながら予想外に確りと今季初の雪歩きが出来てよかった。友人に感謝。お疲れ様でした!

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2025年12月14日

若丹捜茸

雨に濡れた美山町田歌集落に佇む、美山の名物的な茅葺民家

京都北山最奥へ

今朝は珍しく早起きし、まだ暗い内に出先から帰宅。そして、7時過ぎに友人が迎えに現れ、その車輌に同乗して一路北へと向かった。

行先は京都北山・丹波高地最奥の地、美山。現京都府と福井県の府県境で、旧丹波と若狭の国界に当る山域であった。今日は友人に誘われ、珍しくそこを歩くこととなったのである。

若丹国界の稜線は、かの近畿最後の秘境・芦生(あしゅう)演習林に隣接する山域で、個人的な未踏地であった。

以前より行きたいと思っていたが、交通不便のため叶わず、今回友人の茸探しに同行する形で、初めて入山することとなったのである。

生憎朝まで雨が残る天候であったが、その後あがるとの予報を頼りに、約2時間の車行を始めた。果たして無事入山は叶うや否や。


上掲写真 美山町田歌(たうた)集落に佇む、今や美山の名物的な茅葺民家。雨は止んだが、周囲の山や耕地共々濡れそぼり、初冬らしからぬ量感ある姿を見せていた。


雨に溶けた佐々里峠北の路上積雪

さて、出発後、市街を抜け、京盆地北の貴船口・鞍馬を経て城丹尾根の峠を越える。

それは盆地北縁の稜線で、その後その北裏の花脊(はなせ)や広河原地区の各山間集落を抜け、美山との境にある佐々里峠(標高735m)に至った。

途中雪はなかったが、写真の如く、この峠の北裏には路面に少し雪が現れ、車輌が滑った跡も見られた。幸い同乗車の護謨輪(タイヤ)は既に冬用に変えているらしく、難なく通行。

未明の雨でかなり融けたようだが、油断ならぬ場所であった。因みに、明日15日から春の任意日まで、豪雪地のこの峠は通行止めとなるので、正にギリギリの通り抜けであった。

京都市街東部から芦生方面に行くにはこの道程が一番の近道なので助かった。ここが閉鎖されると、遥々右京区方面から回り込まなければならない(但しそこの方が道が良いので条件により時間差は少なくなる)。


落葉散る雨上がりの五波峠
落葉散る雨上がりの五波峠。右端の路端に峠名を記した石碑がある

五波峠より境界尾根歩く

佐々里峠を下り、同名集落を過ぎて由良川(ゆらがわ)畔の芦生に入る。

これまでは大阪湾、即ち太平洋に下る大堰川(桂川)水系だったが日本海水系へと変わり、奥地に来たことを実感。

そして、美山町に入り、田歌集落から峠道を進み、写真の五波峠(ごなみとうげ)に達した。稜線とは見え難いなだらかな場所だが、下る向こう側はもう旧若狭国名田庄(なたしょう)、即ち福井県嶺南地区であった。


五波峠から八ヶ峰まで稜線道から見えた雨で溶けつつある冠雪の跡

五波峠で下車して稜線道を歩く。気温は6度程、写真の如く北斜面等には薄っすら雪も残っていた。情報では、先週既に冠雪していたらしいので、その名残りか。

標高600mの峠から、その西方にある八ヶ峰(はちがみね)という同800mの山頂を目指す。距離は3km程、高低差も小さいので穏やかな登行である。

ただ、天気が怪しく、今にも降り出しそうな空模様であった。一応雨装備は完備していたが、気温が低いので降り出すと少々辛い条件となる。

また一面の濡れ落葉を進むので滑り易く、足下が悪いのも難点であった。


朽ちた倒木のなかで育つヒラタケ

不毛の冬枯れにて

足下に気をつけながら山道を進むと茸(きのこ)に詳しい友人が早速可食のものを見つけた。ただ、それは小さく数も僅かであった。

既に雪が降ったこともあり、見渡せば山中は完全な冬枯れ状態。個人的には不毛の様に見えたが、その後、友人が朽ちかけた倒木の中から、写真の平茸(ヒラタケ)を発見した。


朽ちた倒木裏で大量に育っていた大型のヒラタケ
そして倒木を裏返すと、なんと子供の掌程もある大型の平茸が大量に。表面には先行者に採られた跡もあったが、その後育ったものや、見つからなかった場所のものが数多く見られた


五波峠から八ヶ峰の間で見つけた木耳の仲間
友人曰く、これは木耳(きくらげ)の仲間だという


五波峠から八ヶ峰の間の登山道上で見つけたクリタケ
これは栗茸(くりたけ)とのこと。人為的に置かれた登山道の階(きざはし)の木材に生えたもの。よく踏まれずに残ったものである


天候回復し陽が入り始めた、五波峠から八ヶ峰間の天然林や残雪

経験者も違う偽頂を越え

1時間程進むと空が晴れてきた。一気に森も明るくなったが、写真の通り冬枯れの様子は変わらず。


八ヶ峰手前の峰へ続く間の尾根の急登
栗茸があった坂の次にまた少々急な登坂が現れ、その頂に達す。すると、この道の経験者たる友人が「やれ、到着」との声を発したので、すぐさま否定し、先へ進む。そこは八ヶ峰南東手前の一頂であり、所謂「偽頂(偽ピーク)」だった為である。まあ、偽頂は皆間違え易いので仕方なし


八ヶ峰山頂手前の登坂と山頂の松樹
正解の頂は、次の登坂後のここである。頂部の松の木が目印で、先に遠方から観察し、図上で特定していた


松の木が植わり見晴らし良い八ヶ峰山頂

八ヶ峰山頂

そして、登坂を上りきり、八ヶ峰山頂に着いた。積雪多い北地の高所に松が植わる珍しい峰である。

眺望も良く、ほぼ全周が見渡せた。流石は美山五山で、関西百名山(毎度記すがこういう区分けに興味は無いが……)の一つ。


八ヶ峰山頂標識と頂からの眺め
八ヶ峰山頂標識と頂からの眺め。丁度山頂手前から空も晴れて何より


八ヶ峰山頂から見えた高浜方面の青葉山や原発電力線鉄塔
八ヶ峰山頂からは日本海・若狭湾方面も見えた。これは北西方向の高浜方面。中央に舞鶴と高浜に跨る名峰・青葉山(あおばさん・若狭富士。標高693m)が双耳峰の姿を見せていた。その左手前に続く紅白の鉄塔は写真右奥の小浜湾・大飯原発からの電力線支柱と見られた


京都北山山中の温泉施設
京都北山山中の温泉施設

森なかでの昼食と帰路の寄り道

丁度昼時となったので、陽が差し見晴らしも良い八ヶ峰頂で昼食にしたかったが、風が強く寒いため、偽頂方面に下った森なかで休むことにした。

食後は来た道を戻り、五波峠まで帰還。午後からまた曇天となったが、結局懸念された雨に遭うこともなく無事下山出来た。

その後、帰路回り道をして美山の道の駅に寄り、次いで友人が知る山中の温泉施設に寄って入浴した。冷えた身体には有り難い限り。

そして、また京北の道の駅に寄ったりしつつ京盆地に帰還したのである。

お疲れ様、茸知識含め、色々と有難う!

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2025年11月23日

音羽懐古

秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝

紅葉の牛尾・音羽山へ

今日はまた先月に続き小山会(しょう・やまかい)へ。

今回もまた参加者の希望を容れて行ったが、場所は京都市東部の音羽山に行くこととなった。

それは、先月行った逢坂山の南隣にある京滋府県境の山で、標高は600m弱。少々体力度が上る山だったが、初心者である希望者の意見を訊きながら、先月同様、逢坂峠傍の大谷駅に集合して登ることとなった。

数多有る登山道の中でこの道程を選んだ理由は、山頂までの距離と高低差が少ないこと。その分、急登になるので、警告はしたが、ゆっくり進むということで一先ず行ってみることにした。


上掲写真 秋晴れに映える、音羽山山頂付近の趣ある枯れ枝。


旧東海道であり、現国道1号線上の逢坂峠付近に渡される東海自然歩道の陸橋
今日も同行者の仕事の都合で午前遅くの集合となり、大谷駅を出発。その前に同行者が前夜の問題で足止めとなり心配したが、程なくして進むことが叶った。そして、旧東海道址で現国道1号の道上に架けられた、この東海自然歩道の陸橋を渡り、登山道に入った


逢坂峠付近の音羽山登山道・東海自然歩道
逢坂峠近くに続く林間の音羽山登山道(東海自然歩道)

急登そしてなだらかな牛の背道

陸橋を渡った国道擁壁上からすぐに山道となり、進む。

音羽山といえば、京都市東部に住む人々には「牛尾山(うしおざん)」と呼ばれ親しまれる山。個人的にも懐かしく、随分久しい再訪となった。


逢坂峠から音羽山山頂へ続く東海自然歩道の石段急斜
音羽山への登山路は東海自然歩道を兼ねているので、手摺や石・木の段がよく整備されているが、その内傾斜が増してきた。そう、「牛尾(牛形)」の山容なので、なだらかな山上に比し、縁は傾斜がきついのである


逢坂峠から音羽山山頂へ続く東海自然歩道のなだらかな落ち葉道
道はその後更につづらの急登となったが、同行者は一度の休息だけで登りきることが出来た。以前他の人を何度か引率した経験から、この区間は慣れない人にかなり高負荷の場所だと思っていたが、それ程でもなかったか。まあ、気象条件等の差もあるかもしれない。急登の次は写真の如く落ち葉のなかを進むなだらかな、正に牛の背の道と化す


落ち葉に埋もれる音羽山路傍休憩地
山中の尾根筋としては珍しい、便所のある音羽山路傍休憩地。主路から200m程外れた場所にあるが、同行者が見たいということで寄る。標高532m、記憶では眺望はなく、トイレ以外に寄る価値に乏しい場所と先に断っておいたが、結局今もその通りであった


音羽山山頂からみた、高圧線越しの如意ケ嶽や叡山・比良山に琵琶湖等の眺め
音羽山山頂より見えた高圧線越しの北方景

音羽(牛尾)頂

そして山頂着。標高は593m、大谷駅は同161mなので430m程登ったことになる。同行者の体力具合からすると意外に難なく着けた。

山頂には鉄塔があるので高圧線越しとなるが、北は如意ケ嶽(大文字山。写真中央左下)や叡山(同中央)・比良山脈(同中央右上)に琵琶湖(同中央右下)等が良く見渡せた。

難点は人が多かったことで、昼時の所為もあるが、禁じられている筈のマウンテンバイク集団が場所をとっていたこともあり落ち着けなかった。


音羽山山頂から伊吹山地越しに見えた雪を戴く白山
音羽山山頂から目を凝らすと、なんと彼方の雪山も見えた(中央奥)。滋賀北奥に続く伊吹山地から顔を出すそれは、北陸の名峰・白山(2702m)であった。ここより数十km北の比良山地でも中々見えないのに、ここで見えるのは珍しく、個人的に初めてであった


音羽山山頂からみた瀬田・石山市街と瀬田川等
少し場所を変えると滋賀南部の市街地も。中央左から右へと水の帯が通るが、それは琵琶湖唯一の流出河川・瀬田川で、それを渡る鉄道や高速道の橋も見える。昔も今も交通要衝たる瀬田・石山の眺めである


音羽山山頂から醍醐方面に続く明るい黄葉の尾根道
山頂での昼食込みの長休み後、先へ進む。当初は滋賀の膳所側(大津)に下る案もあったが、駅まで遠いことや東斜面に因り午後は暗くなることから、西の山科側へ下ることとなった。ただ、それは少々山中を遠回りする、牛尾観音なる山寺経由の道であった。暫くはその分岐がある南方は醍醐方面へと続く明るい黄葉の尾根道をゆく


牛尾山法厳寺の土壇下に聳えたつ天狗杉と崩れある法面

懐かしき山寺

やがて尾根の分岐に達し、そこから支尾根を下り牛尾観音の境内に入った。その手前では寺の土壇下にある名物巨樹・天狗杉が出迎えた(写真中央)。

樹齢800年という、これにも久方ぶりの再会。法面の石積等に崩れがあり、樹勢も弱まったように見えたので心配する。


牛尾山法厳寺(牛尾観音)の本堂
牛尾観音、正式名は牛尾山法厳寺の本堂。標高約360mの山腹にある。近世の再建とみられるが、奈良期創建の由緒ある山寺。以前はかなり傷んでいたが、少し持ち直したようで安堵


牛尾観音・牛尾山法厳寺の本堂裏手にある名水「金生水」
本堂を参拝後、裏手の湧水「金生水(読み方不明。寺院内なので呉音の「こんしょうすい」か)」にも寄る。あまり知られていないが隠れた名水で個人的好みの水。同じく山上の谷を埋めて整地された同様の寺地にある、彼の上醍醐の名水「醍醐水」に勝るとも劣らないもの


牛尾山法厳寺(牛尾観音)の本堂左裏の便所や物置・歴代住持墓と樹々の黄・紅葉
こちらは本堂左裏の景。鮮やかな黄葉・紅葉の下、物置や歴代住持の墓所が続く。本来は倍くらい地面幅があったが近年の大雨で崩落したという

昔日を想い、過ぎた時を知る

話しかけられた寺の人と色んな話をするうちに、以前ここで知り合った住職のことを訊く。すると、既に亡くなられたため息子さんで継承者の現住職を紹介してもらった。

庫裏前で護摩木作りをしていた現住職さんに挨拶し、先代住職との関わり等を語った。先代さんが亡くなられたのは残念だが、こうして継承者やその仲間の人達により寺が守られていることは何よりに思えた。

暫し昔のことを思い出す。山上からの下山時に独り立ち寄った際、誰もいないと思っていた境内から、不意に「あんた、さっきお賽銭入れたやろ。若いのに偉い」と先代翁に話しかけられ、お茶を頂き長話したこと等々。

寺の再興や人々との関わりに志を抱いていた先代翁と交流を深めんと、その後も暫し訪ねたが、留守が多く、そのうち私も左京に越してしまったので疎遠となってしまった。

図らずも、過ぎ去った長い時間(とき)を思い知らされる。また改めて先代翁の墓参に来たいと思った。


大雨被害から修復された、牛尾山法厳寺(牛尾観音)の黒門(冠木門)と石段
現住職やお仲間に挨拶し、そして勧められ鐘撞きを行い、寺をあとにした。気づかずに車道を下ったが、本来の参道はこの黒門の段であった。ここも大雨で被害を受けたらしく、冠木門共々近年再整備されたようである


音羽川の傍にある「笹音の細滝」

音羽川渓谷の名所

小時からの馴染の地ながら昔とは様子が変わった山中の広河原「桜馬場」を過ぎ、音羽川(山科川)沿いに続く舗装路を下る。連休の所為か所々にバーベキュー客も。

そして路傍には草が払われ銘板が掲げられた写真の如き滝が方々に現れた。岩筋を流下するような目立たぬ見所を紹介するものか。


音羽川傍の「笹音の細滝」下の鹿威しや水車
「笹音の細滝」と記された上掲の滝下には、この様に可動する鹿威しや水車も作られていた。草刈りなども含め結構な労力である。これも、寺や地域を盛り上げようとした先代翁の志の結実か


音羽川本流にある音羽の滝
こちらは音羽川本流にある古来有名な「音羽滝」。思えば音羽川の渓谷は小時遠足で通った時等とは随分違う印象に。まあ、当時は未舗装の林道で、上流に焼却灰処分場もなく、水も頗る美麗だったので、仕方あるまいか


しずく谷不動尊の石室と湧水
これも古来有名なしずく谷の水。石段奥の積石室(むろ)に不動尊が祀られており、その下の方々から水が出ている。水源は音羽川南岸の行者ヶ森(山名。標高440m)。昔から水を汲みに来る人が多かったが、手前に樹脂管が設けられ汲み易くなっていた


音羽山の十字刻印石
これはかなり山麓近くまで下った処で見た十字刻印石。画像では見難いが、右端上に「十」が彫られている。付近の遺物の関係から桃山期に伏見や淀・大坂に運ばれた城石関連とみられる。ひょっとして耶蘇大名・高山右近由来か。とまれ、これも近くに銘板があったため気づくことが出来た


音羽川の沢なかにある地元有名な蛙岩
更に下った集落縁の渓谷内で見たこれは、地元で古来有名な蛙岩。蛙に似た沢なかの大岩だが、豪雨の奔流で手脚部分が削られたのか、昔より類似度合が減じたように思われた


山科小山集落からみた夕陽に燃える紅葉の音羽山

下山。再訪の機会に感謝

そして下山。下り出た麓の小山(こやま)集落からは、写真の如く夕陽を照り返す紅葉の音羽山が見えた。

その後市街を最寄駅に向かい移動。名神高速のインターがある関係で迂回を余儀なくされ漸く着いたが、同行者が駅での小打上を提案したので売店がある始発駅まで移動。そこで無事の完了を祝い、解散したのであった。

お疲れ様。懐かしい山への再訪の機会を有難う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年11月04日

紅黄燦然

比良山脈最高峰・武奈ヶ岳の登山道の一つ「西南稜道」の登り口がある山脈西麓の坊村集落の美麗な白壁蔵

恒例の近山紅葉視察へ

今日は連休明けの初日だが時間がとれたので、隣県滋賀西部の比良山地の紅葉具合を視察。場所はその最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)。

本来は昨日早朝行くつもりだったが、雨のため断念していた。毎年この時期に見に行くので恒例的といえたが、果たして猛暑及び夏延長の今年の紅葉具合や如何(いかん)。


上掲写真 比良山脈最高峰・武奈ヶ岳の登山道の一つ「西南稜道」の登り口がある山脈西麓の坊村(ぼうむら)集落。近くに在る古刹・葛川明王院(かつらがわ・みょうおういん)に因む名だが、現代では登山口の他、名料亭があることでも著名。最近補修されたのか、蔵等の居住いが良い。集落自体が引き締まる感じがして、伝統継承の意志が感じられた。


武奈ヶ岳・西南稜登山口近くの地主神社と始まったばかりの黄葉
武奈ヶ岳西南稜登山口近くの地主神社。戦国前期の社殿を残す貴重かつ清浄な社だが、黄葉具合はこの通り。標高300mを超す場所だが、始まったばかりのように感じられた


武奈ヶ岳西南稜ルートの始まり辺りの山腹で見た京都北山の紅葉
地主神社前を過ぎ、朱色欄干ある橋を渡り明王院前を通って山の登坂に入る。紅葉が始まっていない、または始まったばかりなのは明王院も同様であった。針葉樹林の急斜を進むと、この様に向かいの丹波高地(京都北山)が見えた。曇天で解り辛いが、あちらは紅葉しているようである


武奈ヶ岳・西南稜ルート、夏道ルート上の紅・黄葉
更に登って雑木林ある稜線に出ると、間もなくこの様な紅・黄葉が現れた。そして、少々陽が出てきた


武奈ヶ岳・西南稜ルート途中にある浅い谷なかの黄葉
奥山の静かな緩谷に差し掛かると、この様な黄葉景が。例年見所となる場所である。ただ、日射が続かず、撮影には少々苦労。この辺りまで上空に回転翼機(ヘリ)の音が頻りに聞こえていた。前にすれ違った人の話では稜線上に怪我人がいるらしい。無事収容できたのか


御殿山から見た武奈ヶ岳山頂と周辺の紅葉
浅い谷を越えまた雑木ある稜線道をゆく。やがて御殿山(標高1097m)に到着。武奈ヶ岳山頂に対面するような場所にある頂で、展望所・休憩所となっている。ここで漸く武奈ヶ岳山頂(中央奥)の姿が見えるが、また曇ってしまい、その色づきもくすんで見えた


わさび峠から武奈ヶ岳山頂へと続く尾根上の灌木の紅葉
御殿山を下り、わさび峠という鞍部からまた登り返すように稜線の道をゆく。もはや高木はなく、森林限界的景観が続く。途中にはこの様に灌木の紅葉が現れたが、やはり空模様の為その彩度は減じられていた


武奈ヶ岳西南稜ルートの最終版で見えた武奈ヶ岳山頂とその標識等

失敗の山頂?

そして山頂の標識が見えた。途中何組も下山者とすれ違ったが山頂には誰もいなかった。実は今日は昼前から登り始めたので、殿(しんがり)となったか。

朝気温が低かったのと熊の活動時間を避けた為だが、久々の晴天予報日だったので結構人がいるかと思ったが、やはり連休明けの平日がそれを減じたか。まあ、それでも昼過ぎ、その内誰か上ってくるかもしれない。


武奈ヶ岳山頂から見た紅葉するコヤマノ岳
山頂でも空は雲ったままであった。よって、見える紅葉もこの通りのくすみ気味。コヤマノ岳(標高1181m)の様子だが、本来はもっと美麗な筈。来る途中に予報との違いを感じ、一時は引き返すことも考えたが、途中で晴れたため最後まで登ったのは、失敗だったか


武奈ヶ岳山頂から見た、晴れた丹波高地
こちらは西方の丹波高地。何故か向こうは晴れており、ここのみ曇っていた。しかも風が強く寒い。簡易計気温7度程で風速10m程と思われたので、体感氷点下か。当初不要かと思われた厚めの上着を持ってきてよかった


武奈ヶ岳山頂からみた北方は蛇谷ヶ峰や広谷、そして彼方の安曇川平野や琵琶湖北部
同じく武奈ヶ岳山頂から見た北方は北琵琶湖方面。手前の広谷等も紅葉しているが、やはり映えるものではなかった。山頂下の窪みで風を避けつつ昼食を摂ったが、とにかく寒い。チャックを閉めフードを被り耐える。本来は穏やかな秋の陽を浴びつつ観賞昼食するつもりだったが、これも誤算。また、往路上着を脱ぐために足を止めたのみで休憩しなかったのに2時間もかかったことに落胆させられた。猛暑で鍛錬が出来ず身体が鈍ったか


陽が射して山の紅葉が輝く、比良山脈・武奈ヶ岳山頂付近からみた、口の深谷や蓬莱山方面

ところが……

あまりの寒さにより、食後の余韻もなく早々に下山開始。ところが、山頂を離れて程なくして空が晴れ始めた。時は13時半頃。

眼前の紅葉景は俄然輝き始め、写真のような黄金景と化した。やはり陽が入るとこんな違うのか、と改めて実感。

そして、不思議なことに猛暑の有る無しにかかわらず、ここの紅葉は、この連休付近が凡その見頃であることが確認できた。


武奈ヶ岳山頂付近からみた、口の深谷の紅葉
上の写真を望遠拡大。口の深谷と呼ばれる谷で、色づく天然林が実に美麗


武奈ヶ岳山頂付近からみた、山頂西斜面の紅葉林
これは山頂西斜面、即ち丹波高地側。その鮮やかさに改めて気づく


武奈ヶ岳山頂付近から見た紅葉するコヤマノ岳
先程観察したコヤマノ岳もこの通り、彩度・赤味が増す


武奈ヶ岳山頂付近からみた西南稜ルートの紅葉
下る尾根筋もこの通り


武奈ヶ岳山頂付近からみた西南稜ルートの美麗な黄葉・紅葉
往路この中を通った筈だが、こんなに美麗だとは気付かなかった。正に光のお蔭か

ひと時の幸運に感じ入る

結局誰も来なかった山頂付近に現れた紅葉景にみとれること暫しして下山の歩みを進める。ただ、陽光はこの時のみで、程なくしてまた厚い雲に阻まれ、二度と現れることはなかった。

一時は落胆していたが、結局運が良かった。前日までの雨の影響で足下が悪かったにもかかわらず無事下山できたことも含め、これも、登る前に参拝した思古淵さん(しこぶち。地主社祭神)の加護なのか……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年10月19日

逢坂小会

逢坂山山中に聳え立つ高圧線鉄塔

私的小山会開催

今日は午後から小山会(しょう・やまかい)の日。

友人の要望により実施する近所の低山行で、最近体力低下が著しいという本人曰く再生訓練的なものであり、軽山会とも呼べるものであった。

そんな私的な性質もあり、極少人数に声をかけたのみでの実行。場所は京滋境界辺りに位置する逢坂山。百人一首・蝉丸等の歌で知られる関所・峠傍の一峰である。


上掲写真 逢坂山山中に聳え立つ高圧線鉄塔。古来からの交通の要衝らしく、付近には近畿北部と南部を結ぶ電力線も複数通過している。なお、今日はカメラを忘れたため非力な電話機能により撮影を代替。因って色や焦点に問題ある画像も見られるが、何卒ご諒解を。


山科・近江盆地を繋ぐ地峡的交通要衝にある京阪大谷駅
正午に峠近くの京阪大谷駅に集合。京津線という支線で、元は路面電車が走ったが、現在では途中の京都市地下鉄との共用区間の関係で長い編成の車輌が走っている。地名が示す通り大谷は京都市東郊の山科盆地から近江盆地に抜ける地峡的な場所。山間の狭小地にこの複線の他、国道1号線・旧東海道・名神高速道路が併走している。正に現代に続く交通の要衝である


大谷駅下側の国道1号線と京阪京津線
前の写真では判り辛いが、線路の南(画像左)に交通量の多い国道1号線が2車線で併走している。旧東海道は北(画像右)にあるのだが、その道は下部で京阪線により途切れるため一旦踏切を渡り国道沿いを下る。これは、少し下方から山に入るため。駅前にある名物料理屋の鰻の香りを抜けて


逢坂峠西下の大谷の歩道上に展示される前近代の敷石軌道・車石
国道1号線の歩道脇にはこの様に「車石」の展示があった。江戸期に三条から大津までの東海道に敷かれた荷車用の敷石である。石の真ん中にあるU字型の深い溝が車輪の軌道となる。当時日本の大動脈であり陸送が集中したこの区間の輸送を援ける為の先進的設備。史料によるとこの区間は湖西の木戸石(比良産)が用いられた筈


京阪京津線の踏切と名神高速道路の下を潜る道
暫し国道沿いを下り、また踏切を渡り、今度は名神高速路の下を潜る


大谷下の名神高速道路と逢坂山に挟まれた未舗装路
高速の下を潜るとこの様な未舗装の側道めいたものが。付近には野生の茶樹があり、鉄道や車道等の近代施設が押し寄せる前の茶園の跡を思わせた


逢坂山山中に続く鉄塔保守路

乗っけの変更

本来は側道奥にある谷から逢坂山山頂に直接登る最短路を辿るつもりだったが、以前とは異なり、柵で塞がれていたため横の尾根から山頂へ続く稜線に上ることにした。

鉄塔の保守路らしい、落ち葉に埋もれた写真の道跡をゆく。そして、粘土質で滑りやすいそこを辿り、60m程の上部にある鉄塔下に出たが、そこから稜線までの道がなく、茨の藪となっていたため中止して下り、別路をゆくことにした。

稜線まであと300m程だったので私独りなら強行出来たが、既に足下の悪い登坂に参っていた友人には過酷なので取りやめた。また、前方の様子見の際に二頭の小さからぬ鹿と遭遇したことも判断に影響した。

殆ど人が入らず、かつ木の実等の餌が豊富な場所での熊との遭遇も考えたのである。乗っけから道程変更となったが、安全のため仕方なし。


名神高速道路裏の逢坂山山麓の谷なかにある大谷の墓地
また大谷駅に戻りそこから別路を採ることにしたが、折角なので途中の脇道も視察。これは先程と同じく高速裏の谷中で、大谷集落の墓地があった。そして付近にはまた野生化した茶樹が。嘗ての東海道沿い民家裏の畑地と接していたとみられる。貴重な原風景残る場所か


旧東海道本線逢坂山隧道西口跡と記念石碑

大谷に点在する近代・前近代の跡

大谷駅に戻り北に進む。遠回りにはなるが、友人の要望を容れ傾斜角の小さい道程を採ったためである。

途中、路傍に写真の如き石碑が。旧東海道本線逢坂山隧道西口跡である。名神建設により埋められた隧道口上部の石材が石碑下に見えていた。

この辺りの東海道本線は明治11年から建設が始まったが、隧道西側の跡地は大半が名神道と重なっているため、付近の前近代的景観は既にその頃大きく改変されたことになる。


陸軍射撃場跡地の大谷乗馬場
大谷駅北に伸びる隠れ里のような山間宅地を北上し、その北辺に達すると、この様なグランドが現れた。大谷乗馬場で、話には聞いていたが、初めて接した。細長い住宅地共々、元は明治初期に開かれた歩兵第9連隊の射撃場跡で、戦後乗馬場となった特異な場所。ちょうど一組が一頭の馬の傍にいる横を過ぎ、道奥へ進んだ


前近代的景観の痕跡残る大谷乗馬場裏側
乗馬場横の道は登坂となり山へと続く。古い官舎風の乗馬場建屋の後方にはこの様に小屋や段畑跡ある景観が現れた。恐らくは射撃場以前の前近代的原風景を残すものかと思われた


路傍に茶樹ある大谷乗馬場北の山道
乗馬場横の道は未舗装となり、やがて山道と化した。路傍にはまた野生化した茶樹が見られた


逢坂山山頂と大谷・大津への十字路峠

静かで興味深い尾根道

程なくして峠に到着。逢坂山山頂に続く尾根道と大津市街へと下る道等の十字路である。

市街近くで、しかも日曜にもかかわらず誰も居らず(結局この日山中ですれ違ったのはこの先で会った一組二人のみ)。


大津・大谷から逢坂山山頂へと続く山道
十字路峠から山頂への登り道を進む。古くからの間道風情のある確りした山道であった。現れる様々な雑木や茸の様子も興味深い


逢坂山山頂南の尾根上から見えた山科盆地
山頂への尾根道は一旦西へ向かい、その後北上するので、西側の樹間には京都側の山科盆地が見える場所も現れた。天気が良くないが、降らないだけマシなので、良しとした


逢坂山山頂近くの登山路と雑木林
方向を北に変え逢坂山山頂へ続く尾根道。傾斜の緩い雑木林となっている


逢坂山山頂の三角点

意外の山頂

そして山頂着。

昔縦走で通過したことがあるが、その時と同じく、三角点があるだけの、なだらかで見晴らしのない頂であった。


木が切られ丸太ベンチ等が置かれて整備された逢坂山山頂近くの展望所
ところが、近くに意外の明るい場所があった


逢坂山山頂近くの展望所からの琵琶湖や市街・山々等の好眺望
そこに立ち寄ると、琵琶湖は疎か近江盆地を一望できるような好眺望が開けていた。付近の樹々が伐採され、展望所として整備されたようである。ご丁寧に丸太の長椅子まであったので暫し休憩させてもらうことにした


大津城攻めの砲台跡とみられる逢坂山山腹の平坦地

推定戦国攻城台場

山頂の展望所で友人と景色を論じ合うなどして長く滞在し、その後、元来た道を下る。

写真の雑木林は登りの際に気になっていた道脇の大きな平坦頂。十字路峠の傍にあり、古い人為跡が疑われた。場所的に関ヶ原前哨戦の大津攻めに用いられた大筒の台場ではないかと、思われた。


大津城攻城用の砲台跡とみられる逢坂山山腹の平坦地北の急傾斜と兜大明神境内
平坦地の北を覗くとこの様に急段となっており、平坦地の要害性が窺われた。なお下の施設は兜大明神という神社で、周囲はその境内となっている


大谷から関寺・上栄町に続く逢坂山山中の山道

例の野獣出没?

推定西軍砲台跡を見学後、大谷には戻らず大津市街に下ることを決め、十字路峠からそこへの道を進む。

既にかなり市街寄りの筈だが、写真の通りまだ山中風情。


大津市街に近い逢坂山山裾に設置されていた熊檻
市街への急斜の道を下ると、途中の平場でこの様な物を目撃。なんと、熊檻である。自治体が設置したようで、遠隔監視しており、また危険なため接近禁止の旨が記されていた。山会前に公開出没図を調べ付近の未出没を確認していたが、状況が変わったのであろうか


逢坂山・関寺の裏手と鯉泳ぐ池

謎の古関有力地・関寺

その後、山腹を巻く細い舗装路に下り、それを横断して石段の小径を下ると池に鯉泳ぐこの様な場所が。

古代著名の関門で、未だその場所が不明な逢坂関の最有力候補地とされる関寺(長安寺)である。未だ来たことがなかったので、是非見学したく思い、下山路をここに採った。


関寺境内より見えた大津市街
関寺境内より見えた大津市街。この様に、寺は逢坂山山裾の急斜上に在る


美麗に整備された関寺境内と本堂
綺麗に整備された関寺境内を下方へと抜けゆく


傾斜地にある関寺境内とその下部に佇む牛塔
関寺境内から市街に下り切る手前にはこの様な巨大な石塔も。牛塔(ぎゅうとう)と呼ばれる鎌倉期の石造宝塔で、高さ3.3mもあり、重要文化財に指定されている。まだまだ知らない宝物が近くにあるものである


関寺参道横から続く京阪・上栄町駅へ小道
関寺参道横から続く京阪京津線・上栄町駅へ小道

いきなり終着・急解散するも充実山行に

関寺の最後の石段を下ると、往路に利用した京阪線の踏切に出、最終目的地の上栄町駅も見えた。山からいきなり寺に入り、そして終着の駅に着くとは、中々珍しい立地・道程である。

そして、その駅にて解散となった。駅到着後すぐに列車が来たので最後は少々慌ただしくなったが、短時間ながら中々中身の濃い山行となったのは何より。

皆さん、お疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年10月12日

続2025秋季野営会

予報された雨が降らなかった太神山地の朝の野営地とテント

まさかの……

秋季野営会2日目。即ち最終日の朝来る。

昨夕の雨予報が外れたのに続き、今朝の雨予報も外れた。これで、温暖で曇りのまま都合良く日を終えられそうになった。

そういえば、結局今朝まで上着が必要ない異例の温暖となった。寒さもなく、昼の強力な日射も無いとなると、正に野外活動には好都合で、良い撤収日となることが予想されたのである。


上掲写真 予報された雨が降らなかった朝の野営地と参加者の天幕。


太神山地の野営地上の、曇り予報の空に現れた青空
再度、炉(竃)の火を熾して先ずは珈琲を飲み、その後麺麭等の朝食に。空には青空さえ見えてきたが、どうか、このまま暑くならずに終われますよう……


太神山地の野営地で、炉と薪を雨や夜露から保護すべく張った天幕上に付く雨粒
炉と薪を雨や夜露から保護すべく張った天幕上に付く無数の雨粒

雨来る

ところが、その後空模様は予報に反して重くなり遂には雨が降り始めた。それは段々と強くなり、土砂降りとなって野営地を襲ったのである。

全く予報外の出来事で、しかも長く続くこととなった。山中なのである程度の波乱は覚悟していたが、市街地に近い低標高地故に極端に外れることは無いと思っていたため、まさに「まさか」の事態となった。

南海を通過する筈の台風が進路を変えたのか。幸い風は無く、炉や薪も天幕で保護していたので煮炊きは続けられたが、暫く天幕下から出られない事態となった。


雨に因り復活した、太神山地の野営地奥の水源下の水流
その後、雨は午後遅くまで続き、昼食の片付けを始められた15時頃に漸く止んだ。これは雨に因り復活した水源の泉下の水流。強雨の所為か、一気に20m程の流れが出来ており、その後も伸び続けていた。ただ、元の沢水を復活させる程の力はなさそうで、如何に今夏の雨が少なかったということを改めて知らされた


日暮れにより暗くなる太神山地の沢筋
そして撤収。雨等の所為で片付けに時間がかかり、進む山間は薄暗くなっていたが、なんとか照明をつける前に下山することが出来た。お疲れ様、ご協力有難う!

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2025年10月11日

2025秋季野営会

清冽な沢水を見せるが、いつもより水量が少ない太神山地の沢

いつもの場所に異状?

今日は恒例の秋の野営会実施日。

10月の異動等で中核参加者が来れなくなり、少人数となったが、希望者がいる限り開催する趣旨のため決行した。

場所は、いつもの滋賀南部・太神山地。朝、麓で食材等を買出した後、野営地まで山を登るが、その途上、異状に気づく。それは、沢の水が少ないことである。

長期猛暑による近海の海水温上昇で台風が近づけず、また梅雨も早く明けたことに因るのか。まあ、これまでも水が少ないことはあったので、この時点では特に気にせずにいた。


上掲写真 清冽な水を見せるが、いつもより量が少ない太神山地の沢。


全く水が無くなっていた太神山地の沢筋
水流が消えた砂上の沢跡

そして、山上にある野営地に達すると意外の光景に驚かされた。いつもは2筋以上ある砂上の水流が全く無いのである。これでは水が使えず、野営が出来ない。

とりあえず荷を置き、代替とすべく露天井を掘ってみるが全く出ず。いつもなら中洲のような高い場所でもすぐに水が湧くのであるが、今回は沢筋の低地を掘っても叶わなかった。

仕方なく上流奥地を探せば、そう遠くない堰堤下に僅かな湧水を見つけたので、それに頼って野営することにしたが、面倒は免れなくなった。

こんなことは、ここを見てきた数十年で初めてのことであったが、今は仕方なし。そして、その割には上空の空模様も少々怪し気であった。


野営地の竃での焚火湯沸かしと準備完了の祝杯のビールとカップ
夕方に少し雨が降る予報だったため、先に天幕を張り、その後、竃等の施設を整えた。そして、それら全てが完了したところで、個人的恒例の炉開きの一杯(祝杯)を行った。本来は周囲の人にもお裾分けするのであるが、偶々撮影時に傍に人がいないため、一先ず独りにて……


太神山地の野営地に現れた夕焼雲
炉辺で長らく語らったあと夕刻に。急ぎ夕食等の準備を行う


森なかの古い堰堤下の泉

野営会「命の泉」

陽が傾いてからの紹介となったが、写真は今回の「命の泉」たる、森なかの古い堰堤下の泉。落ち葉等の沈殿はあるが、湧水なので水質は良い。

野菜等の洗い場はこの下流側に溝を掘って水を導く形で設けた。離れているが故の面倒はあったが、一先ず水場問題を解決出来た有難き場所・存在となった。


太神山地の野営地上空に現れた美麗な夕焼け空
更に日暮れが進むと、この様な美麗な夕焼け空が現れた。夕方降る筈の雨は幸い無かったが、後の事象を暗示するものとなったことには、この時は気づけなかった


太神山地の野営での夜の焚火調理
そして夜に。焚火調理をしつつ夕食を摂り、また語らう。夜が更けても上着不要の気温だったことも特筆すべき事象となった

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2025年07月27日

奥飛騨避暑(下)

乗鞍岳山麓の平湯キャンプ場の森に現れた、森の湿気を映す幻想的な朝の木漏れ日

名残り惜しき避暑地

奥飛騨避暑3日目、即ち最終日――。

今日は京都へ帰還する日だが、早く帰ってもまた猛暑気温に辟易させられるだけなので、なるべく涼むべく、昼前まで野営地で寛ぐことにした。


上掲写真 乗鞍岳山麓の野営地に現れた、森の湿気を映す幻想的な朝の木漏れ日。


乗鞍山麓にある平湯キャンプ場の天然林内にある野営地と天幕等
乗鞍山麓の天然林内にある野営地と天幕等

野営地でのゆったりとした朝食を終え、その後、昨日の豪雨で汚れた道具等の仮洗い等を行う。日曜とあってか、新しく来る人は少なく、同様に撤収する家族連れ等が目についた。

一通り片付けを終えたあと、野営地を散策。自然の森や地形を利用した中々興味深い造りである。そして広大であった。何より、この森の涼しさは他の野営場には無いように思われた。

豪雨の害もあったが、結果的にここに拠点を置いて正解であった。実はオートキャンプは初めてで、そもそもあまり乗り気ではなかったが、この場所や運営皆さんのお蔭で非常な満足を得ることが出来た。

有難う、またいつか!


奥飛騨山里の名店ジビエカレー定食の夏限定版

奥飛騨最後の寄り道

昼前に野営場を後にし、温泉街中央の土産屋に寄ったあと奥飛騨最後の寄り道へ。それは、また別の峠を越えた奥地にある一軒の食堂であった。

そこは去年秋の奥黒部山行の帰りに寄った良店。今回どうしてもそこで昼食を摂りたかったため、大きく北へ遠回りして寄ったのである。

結果、去年と同じ、写真のジビエカレー定食を頂くことが出来た。しかも、この時期限定の当地名産のトマトやトウモロコシの冷汁付きの特別版。肉種も去年と変り、カレーが熊肉、汁が猪肉であった。勿論、付け合わせの野菜も当地産の手作り。

正に地産地消の鑑的料理。同行者もその味と良心的価格に感心すること頻り。食後話したお店の人も我々の遠路寄道に驚き、そして喜んでくれた。


奥飛騨・山之村の峠道傍に湧く美味しい岩清水
奥飛騨の峠道傍に湧く、美味しい岩清水。帰路用に汲んでいく

名店での食後、去年同様、道中食の手作りパンを買い込み帰途へ。幾つもの峠を越えて高速路に辿り着き、車行を続ける。そして、滋賀県内での事故渋滞で日が暮れたものの、無事帰京で来た。

最後のさいごで

ところが、最後のさいごで失敗。車を置いた先からの深夜の帰路、自転車で転倒し軽からぬ負傷してしまった。原因は旅行の疲労等ではなく、単純に運転錯誤と経験・技量不足。

長い下りでバランスを崩した際に片ブレーキをかけたため後輪がロックして路傍の板に衝突し、地面に投げ出されたのである。殆ど減速出来ずに突っ込み暫く起き上がれなかったので、骨折等の大けがを負ったと断じた。

それでも救急車を呼ばず何とか帰宅し、その晩は家で休むことにした。登山でもよく下山が核心というが、旅行も正にその通りで油断禁物。怪我の具合や今後の生活等を案じつつ明朝の病院行きを待つことにした。

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2025年07月26日

奥飛騨避暑(中)

平湯キャンプ場内の大ねずこへの道標と説明板

避暑地近場巡り

奥飛騨避暑2日目。

乗鞍岳麓の野営地は夜半気温が10度台まで下がったようで、久々に寒さを感じながら朝を迎えることとなった。まあ、京都の熱帯夜よりマシで、こいねがった状況であった。

今日は拠点をここに置いたまま、信州側の名湯や奥飛騨北部等を覗くつもりだったが、温泉は昨晩入った近くの湯で十分満足し、また涼しい森なかでゆったりと朝を過ごしたかったため近場巡りに変更した。

よって、先ずは昼前に近くの名木探訪を行った。写真はそこへの登り口となる場所で、説明板があった。


平湯大ねずこへの登坂道が続く天然林
名木への道。山の斜面に樺等が生育する天然林が続く。近畿では珍しい涼やかな森。まあ、つまり今日も朝から軽登山となった。基本的に歩きが苦手な同行者から苦言が漏れる(笑)


平湯大ねずこ
山道を登ること30分程、地元で必見とされる名木に到着。樹齢一千年という大ねずこ(黒檜)で、明らかに周囲の樹々とは異なる迫力があった


迫力ある平湯大ねずこの接写
見ればみるほど迫力ある大ねずこ。周囲は屋久杉のように保護柵や木道があり、樹に配慮しつつ観察出来るように整備されていた


突然の強雨に煙る平湯大滝

今日も午後から急変、しかし麓が……

大ねずこの次はこれまた近く大滝へ。ねずこの登り口近くから歩いてゆくことも出来たが、同行者が足の不調を訴えたため午後から車で向かうことにした。

写真は駐車場近くからみえた滝。昨日行った乗鞍山上から流れ来る水を集めた落差64mの名瀑である。残念ながら到着寸前に強雨が降ってきたため青空のない姿となった。


降りしきる雨粒写る平湯大滝の望遠画像
大滝を望遠撮影。雨粒も写っているが、これでも小康時に撮った。当初は歩いて行きたかったが、結果、土砂降りに濡れず、正解となった

この後、近くの温泉街中心部に行き、土産店の視察等をしたが、その際更なる豪雨が来襲。結果、野営地に戻ると、激しい降雨による泥跳ね等のため、屋根下の物を含め、様々なものが濡れ汚れるといった事態に。

その為、遅い昼食後に方々の水洗いや管理棟洗濯場での洗濯等に追われた。特に薪や新聞が湿気ってしまったのは痛かったが、今は仕方なし。

その後、また夕食の買出しに行き、早めに温泉に入り夕食の準備を開始。ただ、焚火場地面も豪雨に見舞われ、森の湿気も凄かったため焚火が出来ず、結局ガス調理に切り替え、地元料理の朴葉味噌等を味わった。

今日も昨日と同じ予報だったので同様の天候かと思っていたが、意外にも今日は麓が酷かった。まあ、これも山中のことゆえ致し方なく、それでも涼しいことの方が有難かった(夜間見た国道気温は17度!)。

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2025年07月25日

奥飛騨避暑(上)

乗鞍スカイライン路上からみた槍穂高山塊の威容

猛暑を逃れ

何処かの高原道路の先にはだかる峩々(がが)たる山塊。普段は猛暑続く京都市街に在る身だが、一体ここは何処であろうか……。

実は、そこは標高2600m程の高所。森林限界を超えた高山地帯で、前に聳える只ならぬ山群は、彼の有名な北アルプス・槍穂高 山塊(最高所標高3190m)であった。

今朝から乗鞍岳山上を目指したが、その帰路のバス車内からの撮影。道路は一般車輌通行禁止の乗鞍スカイラインである。それは、普通車が登れる車道としては日本で最も標高の高い路線でもあった。


乗鞍スカイラインのバスへの乗換地で、自家用車駐車地となるほおのき平スキー場及びその駐車場
乗鞍山上への往復バスの乗換地で、自家用車駐車地となる中腹のスキー場及び駐車場。この駐車場の一角に登山バスの発着場と関連施設がある

避暑行初日の登山

さて、今日の乗鞍行は連日のあまりの暑さに計画した週末利用の奥飛騨避暑の一環。

本来は北アルプスでの野営登山を含む予定だったが、暑さと同行初心者を考慮し、登山は初心者向け高山の乗鞍日帰りにすることとした。あとは麓のオートキャンプ場に2泊して周辺の温泉や高地を巡る予定であった。

避暑といっても、有料道の割引や車中泊・オートキャンプを組み合わせた節約型。前夜京都を出て、途中の高地で車中泊し、良い場所の確保のため朝一に野営場に入って設営を済ませてから、ここにやってきた。

ただ、途中の紛らわしい案内板に因り旧道峠を越えることとなり時間と燃料を無駄にした。このことが、後の予定にも影響する。


乗鞍スカイラインのバス車窓よりみえた亜高山帯的植生
登山バス乗場で山上までの往復券を買い山上に出発。それは予約が要らず、30分程おきに出発していたので便利であった。バスは一旦国道に下り、その後旧道を進み、峠からスカイラインへと入った。駐車場の標高が既に1230m程の高所だったので、車窓からの景色はすぐに亜高山帯的植生ある涼し気なものとなった。駐車場は意外に暑かったが山上は如何に


乗鞍スカイラインのバス車窓に現れた笠ヶ岳
慣れぬ車中泊の影響か、少し眠くなったが頑張って車窓を観察。つづらの登りで高度を上げる車窓からは、北アルプスの名峰・笠ヶ岳(標高2897m)が現れた。実は当初、キツさで知られるその直登路からそこに上り、肩のテント場に野営する予定であった。こんなに暑いのにまだ残雪が見える


乗鞍スカイラインのバス車窓に現れた槍穂高山塊
そして、槍穂高の威容も。左端の小さな尖りが槍ヶ岳(標高3180m)、中央右の高所が奥穂高岳(同3190m)である


乗鞍スカイラインのバス車窓からみた猛暑日続く高山市街と残雪目立つ白山
今朝通過した高山(たかやま)市街や、その背後彼方の白山(標高2702m)も。標高650mで京都より涼しい筈の高山も最近猛暑日が続いているらしく、今日もその予報であった。正に異常気象か。それにしても、槍穂より標高の低い白山の方が残雪が多いことに驚く。冬に多雪だった影響か


バス車窓からみた、乗鞍スカイラインと森林限界手前の沿道の低木林
バスは更に高度を上げる。周囲は針葉樹の高木が減り、低木の林となりつつあった。通行が許されているためか、時折自転車が現れることに驚く。崖際のカーブ等でバスと対面するので少々危険を感じた


バス車窓からみた、乗鞍スカイラインと山上の森林限界の緑地
そして山上のなだらかな緑地が見えてきた。もはやハイマツか草しか生育出来ない森林限界に達したようである


バス車窓からみた、乗鞍スカイラインと森林限界上のつづらの登坂と山腹の溶岩
森林限界に達したとはいえ、まだつづらの登りは終わらない。そして、山肌の荒々しい溶岩の姿が車窓に接近


バス車窓からみた、乗鞍スカイライン沿いの山上景と残雪
山上の草地に上がると、少ないながら、残雪も現れた


乗鞍スカイライン畳平バスターミナル
そして終点のバスターミナル着。所要時間は50分程。東麓、即ち信州側からの道との合流点で、日本最高所の停留所であった


乗鞍岳畳平の看板とその下の草地に続く剣ヶ峰登山道

剣ヶ峰へ

バスターミナルの休憩室で身支度を整え、いよいよ乗鞍山頂へと向かう。

一旦ターミナル下の窪地に下り、そこに続く登山道をゆくのである。看板に記された出発地標高は2702m。白山山頂と同じ高さながら残雪は僅かであった。

それにしても天気が良い。今日は午後から雨予報だったので明日に替えることも考えたが、似た天候のため決行。今のところ正解か。


乗鞍岳畳平下のお花畑
ターミナル下の窪地にある「お花畑」。登山道横の分岐路が湿地上で輪を成して高山植物を観察出来るようになっているが、路傍の咲き具合とあまり変わらなく見えたので、寄らずに先を急ぐことにした


窪地縁の登坂から振り返ってみたお花畑と残雪、そして背後の乗鞍畳平バスターミナルと噴火口
窪地縁の登坂から振り返ってみたお花畑と残雪、そして背後のバスターミナル。ターミナルが大きな噴火口の傍にあることに驚かされる


残雪と池水の色具合が美しい乗鞍山上の「不消ヶ池」
窪地縁の登坂を終えると、夏でも雪が消えず、残雪と池水の色具合が美しいことで知られる「不消ヶ池」が現れた。正に氷河湖的な鮮やかな色合いだが、実際、乗鞍唯一の氷河由来地形という。但しその土手は天然のモレーンではなく、人工的積まれ、整形されたものに見えた。現在、山上施設の水源となっている為か。それ故、接近は禁止されている


乗鞍岳山上の路傍に咲くイワツメクサ
路傍にはこの時期らしいこの様な花々が。高山植物のイワツメクサである


乗鞍岳山上の路傍に咲くコマクサ
こちらは、著名な高山植物の女王・コマクサ。厳しい不毛の高山地表に逞しく繁茂する様に改めて感心させられる


肩の小屋への未舗装路から見えた乗鞍岳主峰・剣ヶ峰
不消ヶ池横上の道は奥の山小屋や観測施設の為の未舗装車道となっており、山頂への道程もそれを辿る。そして摩利支天という支峰の山腹を巻くように進むと、やがて乗鞍主峰・剣ヶ峰(右奥。標高3026m)が現れた


肩の小屋への未舗装路から見えた乗鞍岳主峰・剣ヶ峰山頂と頂上の祠
剣ヶ峰山頂を望遠撮影。本邦3000m超山岳に相応しい、厳然たる姿。頂上には祠の姿も確認できた


乗鞍大雪渓とそこでの夏山スキーに興じる人々
山腹下方の大きな雪渓、所謂「乗鞍大雪渓」に何やら人がいると思えば、スノーボード等のスキー客であった。東北の山等での夏スキーは聞いたことがあるが、中部地方では聞いたこと無し。というか、そもそも初めての実見であった。しかし、陽射しが強く、半袖でも平気な陽気だったので、雪質については案じられた


乗鞍岳・剣ヶ峰口と、背後に聳える朝日岳・蚕玉岳・剣ヶ峰
宿泊可能な最後の山小屋「肩の小屋」前で車道と別れ、山道に戻る。そこは、山頂までの急登の始点でもあり、「剣ヶ峰口」との標柱が立っていた


乗鞍岳剣ヶ峰の急登道を行く多くの登山者と頭上を行き交う救難ヘリ
乗鞍岳・剣ヶ峰への急登道を行く多くの登山者と頭上を行き交う救難ヘリ

大小の石により足下の良くない登坂を進む。同行初心者を待ちつつである。天気が良いのは有難いが暑いくらいの登山道を、老若男女の登山者が数多行き交う。さすがは3000m級登山の入門地かつ百名山の一つ。

ただ、その所為かマナーは悪く、登り優先等の基本ルールの無知は疎か、グループが横一列で下り突っ込んでくることも珍しくない状況であった。

そうした登山路の上空に救難ヘリが何度も現れたが、訓練かと思っていたその活動はのちに遭難者の収容だったと知る。この様に、高山では容易く思われる場所でも命の危険が潜んでいる。皆、心してもらいたい。


雷雲が接近する乗鞍剣ヶ峰と直下の蚕玉岳
休みやすみ急登を進む同行者を見守りつつ進んでいると突如山上に雲が沸き起こり、雷鳴が聞こえだした。そして剣ヶ峰直下の稜線小頂のこの蚕玉岳(こだまだけ)に着いた辺りから雨もパラつき始めた。まずい、これでは山頂に着くまでに中止撤退に追い込まれてしまう。故に単身急いで山頂まで行くことにした


雷雨襲来直前に乗鞍頂上小屋
間もなく頂上小屋到着。飲料による休憩と記念品販売を目的とした小屋らしいが、こうした天候変化の時には心強い存在。本来はゆっくり中を覗かせてもらいたかったが、今は先を急いだ


乗鞍岳最高峰・剣ヶ峰山頂と乗鞍本宮の祠
やがて、剣ヶ峰山頂着。頂上小屋から50m程の高さを登ったところである。立派な祠に先ずは参拝。幸い先程の雷雲は逸れたようで、少し青空も見えてきたので、遅れていた同行者初心者の登頂を待つことにした


剣ヶ峰直下にある権現池と遭難者収容活動中の救難ヘリ
剣ヶ峰直下にある権現池。山頂下は巨大な噴火口跡で、山頂や稜線はその外縁であることがよく観察できた。因みに、権現池は国内火山湖としては御嶽山(標高3067m)の二ノ池に次ぐ高所にあるという


乗鞍・剣ヶ峰山頂の祠裏から見た、登り来た登山道や稜線続きにある小頂・朝日岳
乗鞍・剣ヶ峰山頂の祠裏から見た、登り来た登山道や稜線続きにある小頂・朝日岳(中央左上。標高2975m)。まだ天気は怪しいが、祠や小屋等の退避場もあったので、同行者の到着後、共に山上で軽食を摂った


霰(あられ)混じりの雨が降る乗鞍・剣ヶ峰山頂
霰(あられ)混じりの雨が降る乗鞍・剣ヶ峰山頂

予報早まる

ところが、食後また急に天気が悪くなり本降りの雨が始まった。予報では15時頃からだったので大丈夫かと思ったが、早まったようである。

おかしな道路標識惑わされず1本前のバスに乗れれば、晴天の山頂を踏め、今頃安全な剣ヶ峰口まで下がっていたのに、と後悔するも仕方なし。

一先ず祠の庇下に数組の登山者と共に退避。体感温度も急激に下がり、雨衣を着つつ濡れと寒さの対策を実施。そして雷鳴。雨も強く、落雷の危険もあったので、暫し祠に閉じ込められることとなった。

退避者の中には雨具がなく、しかも観光姿で身を濡らした若者がおり、寒さで震えていた。気の毒だが山の脅威を知る貴重な経験になったと思う。


雷雨に濡れた乗鞍剣ヶ峰からの下り道
雷雨に濡れた乗鞍剣ヶ峰からの下り道

結局1時間程の足止めの後、小康を得たので足下に気をつけつつ下山することにした。本降りの雨と雷鳴の所為か、あれほどいた登山者の姿は殆ど見えなくなっていた。

ただ、また観光姿のずぶ濡れで登ってくる若者がおり、案じられた。登りは身体が熱くなっているので耐えられるだろうが、山頂以降は急に冷えるので危険な為である。

確か先程の晴天時でも気温自体は12,3度の筈なので、更に気温低下が進んだ可能性もあった。そうなると、平地の冬同等の過酷さとなる。


肩の小屋から振り返りみた雲に呑まれる乗鞍・剣ヶ峰
やがて剣ヶ峰口まで下降し、高山歩行に慣れない同行者共々、肩の小屋で休憩させてもらった。振り返ればまた雲に呑まれる剣ヶ峰が見える。今日はもう晴天は望めなさそうである


雨霧に霞む乗鞍・鶴ヶ池と恵比寿岳火口や畳平バスターミナル

既に盛り過ぎる?

帰りはお花畑の窪地は通らず、その隣にあるこの鶴ヶ池の縁を通る道程からバスターミナルに戻った。


乗鞍岳・鶴ヶ池周辺に咲くイワギキョウ
鶴ヶ池付近の路傍で名残りの高山植物観察を行う。これはイワギキョウ


乗鞍岳・鶴ヶ池周辺に咲くウサギギク
これはウサギギク。この他チングルマ等もあったが割愛

改めて最後によく観察してみると、どの花もどこか元気がない。コマクサやイワギキョウは萎れ気味で、このウサギギクも花弁が欠けている。

そもそも高山植物の盛期の筈なのに期待した程の数がないように感じられた。ひょっとして、早くに気温が上ったため、既に盛りを過ぎたのか。その裏付けか、チングルマは既に花が無く、全て綿毛になっていた。


登りより迫力ある、乗鞍スカイラインのバス車窓からの眺め
登りより迫力ある、乗鞍スカイラインの下りバスからの眺め。正に天空路で、少々怖い

バスターミナルに帰着後は雨具を片付け下山バスに乗車。小雨だが雨は降り続いていたので、野営地の天幕等を心配する。そして、登りより迫力ある車窓景を眺めつつ麓まで下った。


奥飛騨の野営地での夕食準備(炊飯と湯沸かし)
奥飛騨の野営地での夕食準備(炊飯と湯沸かし)

避暑初日は成功に

麓のターミナルで車に乗り換え野営地に。そこには意外と雨の痕跡はなく、不都合はなかった。麓の予報も同じく午後から雨であったが、山上のみ強く、長かったようである。

その後、最寄りのスーパーまで買出しに行き、夜は野営地近くの名湯で往路及び山の疲れを癒し、焚火による飯盒炊爨夕食を実施。地元名産の飛騨牛等がお値打ちかつ美味であった。

そして夜分は寒いくらいの気候となった。元より昼でも涼しい高所・林間ではあったが、今日も猛暑・熱帯夜の京都とは比べ物にならない快適さ。

山上での急変等もあったが、一先ず避暑初日は無事予定をこなせ、涼も得られて、成功裡に終えられたのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年06月21日

志賀古跡行

滋賀県大津市南西部にある大津宮遺跡と志賀宮址碑

初見未踏の城址・古寺址へ

今日は朝から隣県滋賀へ。

大津市西部のそこは京都・左京区と背中合わせの場所で交通の便も良い。

琵琶湖南西岸で「西大津」とも呼ばれるそこで、今日は未だ訪れたことがなかった戦国城址や古代廃寺等の山岳遺跡を友人共々巡ることとなった。

なお、記事分類は「紀行」とも言えたが、山歩きが主体となったので「山会(やまかい)」とした。


上掲写真 山に取りつく道すがら立ち寄った古代・大津宮跡(668-672年頃)。「志賀宮址碑」と記された古い顕彰碑文があった。この遺跡はこのあと巡る場所とも関連する。


大津宮遺跡の遺跡公園
大津宮遺跡は国史跡で重要遺構のためか、主要な建屋跡等はこの様に遺跡公園化されていた


大津宮遺跡案内板の宮の中枢復原図
大津宮遺址の案内板より。下部に見える内裏南門の右端が上掲の志賀宮址碑辺りなので、その写真左下に見える旧道が宮の主路・正中線を継承していることがわかる。但し、現道路は起伏を無視し緩傾斜となるように掘り落されているので、宮道やそこの遺構は破壊されている。後代主路となった湖岸の西近江路は古代琵琶湖の水面下にあったため、8世紀・律令期頃に通された、現奈良街道・小関越から続く古北陸道であった可能性がある。そう考えると、破壊痕跡とはいえ、要注意の存在といえる


白砂清冽な流れをもつ柳川

戦国城址「宇佐山」へ

大津宮の主路跡旧道は、やがて写真の柳川対岸から近江神宮の神苑を東に下り巻くが、我々は川沿いの宇佐八幡の参道を西に上る。今日最初の目標・宇佐山城址を目指すためである。

柳川は山上に城跡をもつ宇佐山の南を限るため、その外堀的役割が想像された。しかし市街地近くながら白砂清冽なその流れに少々驚く。朝から暑い日だったので、尚更清涼に感じられた。


宇佐山登山口でもある宇佐八幡宮の入口
そして程なく宇佐八幡宮の入口に至る。それは宇佐山登山口でもあった


宇佐八幡宮下の平坦地にある金殿井
森なかに続く整備された登坂を進むと泉水ある祠が現れた。金殿井と呼ばれる由緒あるものだが、付近は人為的平坦地が広がるため、往時における、平時駐屯地・生活空間のように思われた


小規模ながら清浄な気をもつ滋賀・宇佐八幡宮
金殿井からまた斜面の参道を登ると、やがて宇佐八幡宮本殿に。規模は然程ないが、清浄の気ある立派な御社であった


宇佐八幡宮裏の登山路途上の樹間に覗く宇佐山城址の本丸石垣
宇佐宮裏からは、いよいよ本格的登山路となり、急斜面上方に忽然として古い石積が現れた。ついに城址遺構の出現か


宇佐山城址の本丸石垣
そして石積まで登りきると、崩壊している場所もあるが、正しく歴史的古垣であることが確認できた。


宇佐山城址に貼られる縄張図
石積付近にはこの様な城址の図解(縄張図)も貼られていた


宇佐山城址・本丸跡にたつ通信施設
石積上は残念ながらこの様な通信施設がたっていた。石積を破壊している訳ではないが、微妙な状況で、土圧等による今後の遺構破壊も案じられた


敷石か石段用の石材が散る宇佐山城・本丸跡南の鞍部
敷石か石段用の石材が散る宇佐山城・本丸跡南の鞍部。侵入遮断設備である虎口の内部的場所にみえた


宇佐山城三ノ丸跡と西大津市街及び琵琶湖の眺望
そしてまた本丸口に戻り、その右(北)にある三ノ丸跡に行く。高さは本丸跡と変わらないように見えたが、山麓方面の好眺望があった


宇佐山城・三ノ丸跡から見えた大津市街と琵琶湖岸を塞ぐ高層マンション群
三ノ丸跡から見えた大津市街と琵琶湖南岸。夏の花火大会ではさぞや良い眺めだろうと語り合うも、同時に湖岸を塞ぐ高層マンションの害を感じた


本丸跡より広い宇佐山城・三ノ丸跡平坦地
本丸より広い三ノ丸跡平坦地。ちょうど展望ある場所に丸太椅子の設えもあったので暫し休息することに。空は曇り始めたが、強烈な暑さで飲水量も増す


宇佐山城北曲輪(郭・出城)へ下る急な尾根道
宇佐山城三ノ丸から北曲輪(郭・出城)へ下る急な尾根道

宇佐山城三ノ丸で休息後、北曲輪へ向かうが、意外の急峻・脆弱路であった。見学路とは言い難い状態だが、来訪者への配慮か虎ロープの設置はあった。ここで友人が難儀。風化花崗岩の所謂「真砂土」地表故、滑り易い為である。これは、往時城塞の防御機能として有効だったと思われた


宇佐山城北曲輪下の補助曲輪跡らしき小平坦地
そして北曲輪着。三ノ丸程整備されておらず、尾根上の林そのものであったが、頂部の平坦地や、この通りその下部の補助曲輪等も確認出来た

初期織豊系城塞・宇佐山城

宇佐山城は戦国末期、織田信長配下の森可成(もりよしなり)が京江(京滋)を結ぶ志賀越道を叡山や浅井・朝倉等の反信長勢から守護するために1570年頃建造したとされる。

同年、征西中の信長の留守を衝いて反信長勢の大軍に攻められるも、その維持に成功し、その後破却されたという。即ち、初期織豊系城郭の残骸が往時のまま残る貴重な遺跡であった。

織豊系城郭は、この後、湖岸の坂本・安土城の如く、大規模な水堀を持つ、平城・平山城が主流の時代となる。


宇佐山城北曲輪先の道なき下降ルート
宇佐山城北曲輪跡からは全く道が無くなったため、予定通り、尾根傍の斜面から志賀越道への自由下降を始める。しかし、ここも急峻・脆弱斜面のため、友人を気遣い、なるべく降り易いルートを選定しつつ下った



一先ず何とか沢筋まで下ると、目論見通り廃材で出来た板橋を発見。ここで街道側への渡渉が叶ったが、その後ろで撮影していた友人が行方不明になるという事件が起きた。幸い暫くして電話連絡が通じ合流出来たが、奥山なら危険なところであった。地理不明な人は絶対勝手に進まないように


茶樹の先に伸びる新茶葉「一芯二葉」。宇佐山城北の廃茶園にて
茶樹の先に伸びる新茶葉「一芯二葉(中央右)」

宇佐山城の北堀の役割をもったと思われる沢近くでは放置茶園を発見。実は今回裏山の野生茶で気になっていた関連茶樹の調査も目論んでいた。

ただ、ここは明らかに近年放棄された茶園跡なので古代茶との関連は薄いと思われた。しかし、他でも茶園跡がみられたので、茶生育に適した場所であることが確認出来たことは収穫であった。


志賀越道から崇福寺への近道古道を進む途上の真砂崖上に現れた鹿

古代廃寺・崇福寺跡へ

宇佐山北麓から現代の志賀越道に出て、そこから次の目的地・崇福寺跡への近道峠へと進むが、道の荒廃と危険性、そして同行者の気力・装備的問題により、一旦市街まで下ることとなった。

写真は当初の近道途上で出会った野性鹿(中央)。宇佐山対面のこの山域も風化花崗岩質の脆い地質となっており、近道峠への道も正にこのような崖際を進むこととなっていたので、中止したのである。

私独りの偵察では進むことは可能に見えたが、落ちれば危険な場所があったため決断した。主な判断点は友人の靴底劣化。予想以上の擦り減りで全く踏ん張りが効かないためであった。

時間はいつの間にか正午頃に。宇佐山下降で予想外に時間をとられたため予定を押してしまった。中断した古道上に木陰があり、琵琶湖も眺められたため、車道に戻る前に一先ずここで昼食休息をとることとした。

市街は猛暑に近い暑さと思われ、ここも日射しが強かったが、涼風があり、かなりマシに感じられた。


志賀越古道沿いの農家と、後方の現役茶園やソーラーパネルに覆われた廃茶園
休息後、車道を下り、途中から古道に入って市街へと下る。これは、その途上の志賀越古道沿いの農家と、後方の現役茶園や発電板に覆われた廃茶園。この付近には貴重な前近代的風情が残っていた


崇福寺跡麓の旧見世集落
市街際の車道まで下り、山裾を北上。そして崇福寺麓の見世(現滋賀里)集落に至った。扇状地上にある長閑な場所である


滋賀里の古仏跡「見世行者堂」
見世集落の道の分岐にはこの様な古跡も。傍に「見世行者堂」と記されている。花崗岩で造られた岩室に石佛収まる姿は、大文字山麓の類似施設との関連を窺わせる。双方花崗岩山地で、志賀越(山中越)道で繋がる故の文化的近似か。共に清浄で清々しいな雰囲気


崇福寺跡麓の林間に石室を露出する百穴古墳の古墳
寺跡への坂道を更に進むと、周囲は林間となり、その中にこの様な石室の露出が数多ある場所が現れた。6世紀後半・古墳時代後期の古墳群で「百穴古墳」と呼ばれるものである。持ち送り積みの天井や玩具的副葬品の存在から渡来系集団のものの可能性が指摘されている


崇福寺跡麓の林間に佇む志賀の大仏

志賀の大仏と志賀越北路

林間の道を更に進むと、この様な小さな佛堂に大きな石佛を収めた「志賀の大仏」が現れた。素朴な石佛の姿は中世・鎌倉期の作とされ、土地のものらしき花崗岩で造られている。

崇福寺とは直接関係ないと思われるが、実は志賀越道はこの先で見世に下るこの道と宇佐山北に下る道に分岐するため、ここは近江側出入口の一つとなる要所であった。

京都側の出入口にも大きな石佛があるので、双方、道祖神的な役割・結界的役割があったのかもしれない。


志賀の大仏の後ろ姿と志賀越分岐見世(北)側の道
志賀の大仏と志賀越分岐見世(北)側の道。後方・山手から見たものだが、自然石を利用した大仏の様子がよく解る


崇福寺下の未舗装路
崇福寺への道は志賀の大仏から未舗装となり、幾つかに分岐して山に続く。志賀越道からは外れたが、よくある林道とは異なる趣あり


崇福寺遺跡の斜面中腹にある平坦地
そして未舗装路から山道の登坂に入る。斜面方々に古跡らしい平坦地が現れる


崇福寺南尾根遺跡の大平坦地と礎石・基壇跡

古代廃寺・梵釈寺及び崇福寺古跡

そして登坂を上りきると、写真のような大平坦地が現れた。国指定史跡・崇福寺跡への到達である。

先ずは古代の大規模な土木工事に感心すること頻り。


崇福寺遺址平坦地に残る礎石や金堂基壇跡に立つ「崇福寺舊(旧)址」碑
崇福寺遺址平坦地に残る礎石や金堂基壇跡に立つ「崇福寺舊(旧)址」碑。遺跡中最も広い平坦地ながら、実はここは崇福寺跡ではなく、平安初期に造られた隣接寺院・梵釈寺跡との説が有力という。その根拠は、三つある尾根上の遺構のうち、この南尾根のみ崇福寺創建時の白鳳期遺物が出ないためである。確かに、平安以降の山岳寺院の発達を考えると、ここが一番規模が大きいことは、それらの状況と符合する


崇福寺南尾根遺跡に残る、中央に突起を持つ大きな古代の礎石
崇福寺南尾根遺跡に残る大きな礎石。中央に突起をもつ古代のもので、大変丁寧に造られているのが判る。しかし、数多ある礎石のなかで、何故か金堂跡東隅の2点しかない。後代に持ちさられたのか


崇福寺遺跡・中央尾根上の小金堂跡と塔跡
休息を兼ねて暫し南尾根遺跡を見学後、一旦谷に下り、中尾根の遺構面に上る。南尾根より古い、即ち真の崇福寺跡とされる場所である。ここにも基壇跡があり、礎石が並んでいた。手前が小金堂、奥が塔跡らしい


崇福寺遺跡中尾根の塔基壇跡に並ぶ礎石
塔跡基壇上面。狭い場所に大きな礎石が犇めく。建屋重量や真砂地質への対策か。なお、右奥にある4つの礎石の中心が心柱が立つ塔心礎の場所で、戦前の調査で有名な国宝舎利容器一式が出土した。心礎は地下式という


崇福寺遺跡中尾根の塔基壇跡周辺に散る古代瓦
塔基壇周辺には無数の焼物片が散乱していた。塔の瓦と見られ、布目が残る古式であった。崇福寺創建同期の白鳳瓦の出土は少ないため、殆どが奈良・平安期のものとみられるが、市街近くでこれほど大量の古代瓦が残存するのは珍しく思われた


崇福寺遺跡中尾根から金仙滝に下る道
中尾根遺構見学後、最後の北尾根遺構に向かう。同じく、一旦谷に下りまた上るが、暑さと長時歩行で疲労が限界に達した友人はここで待つこととなった。よって、独りで下る


崇福寺遺跡付近の谷なかにある霊窟と金仙滝
谷底の道に下ると「金仙滝」の標識と共に、この様な滝と岩窟が現れた。それを友人に知らせると、見たい場所だったらしく、ここを最後と、踏ん張って降りてきた。この人為めいた謎の岩窟は天智天皇の霊夢により発見されたとの伝承があり、その縁によりここに崇福寺が建てられたという。一応中を覗いてみたが何もなく、通常の聖地とは異なる様に意外を感じた


崇福寺遺跡北尾根の弥勒堂基壇跡と巨大礎石

謎めく密教以前の山岳寺院

金仙滝に友人を置き、その裏から北尾根遺構に上る。何とでもない登りで、あっという間の到着であった。その遺構面にはまた基壇跡と巨大な礎石の整列があった。

弥勒堂跡とされるもので、その向こう側などにも別の建屋跡があるらしい。ただ弥勒堂の規模、寺の中心施設の割に土地が狭小だと感じられた。

解説板の平面図には基壇の一部が後方斜面からの土砂で埋まっている様子が描かれているため、土地の埋没や崩落が想定された。それでも、不安定な山中に1300年以上前の遺構が残ることの凄みを感じさせられる。

崇福寺は668年に建設が始まり、その3年後もしくは10年以上後に完成したとされる。建設の動機は諸説あり定かではないが、密教流行以前に難儀な山地施工されたことや、至近に梵釈寺が造られたことなど、謎が多い。

一方、僅か5年で廃れた大津宮と異なり、その後も隆盛を誇り、平安期中はここで機能したとされる。


崇福寺北尾根遺構横の大規模崩落跡
崇福寺北尾根遺構見学後、谷なかの道を下る。本来はこの道を遡上し、標高400m超の壺笠山に登って反信長方城址を見学後、麓に下る予定だったが、時間が押したことと友人の不調により断念した。まあ、近場なので、またいずれ……。これは谷道に現れた近年の大規模崩落跡。やはり真砂地質が最近の豪雨に耐えられなかったのか。因みにこの中腹左は北尾根遺構の真横のため、関連する平坦地にも影響があったと思われた。近年増々激しくなる異常気象に古代遺構存続の危機を感じる


崇福寺麓の滋賀里地区より見えた琵琶湖南湖と対岸
崇福寺遺跡麓の滋賀里地区とその向こうに覗く琵琶湖南湖やその東岸

意外の清浄地。古跡集中の鍵か

崇福寺跡の山林麓に下ると、滋賀里の市街地を通りつつ今朝の出発地・大津京駅まで進んだ。

途中、白鳳時代の遺構で国史跡に指定されている南滋賀廃寺跡も視認。偶然進んだ道は何と戦前近江神宮創建で分断された大津宮中心路であった。

後で調べたところ、明治初期の村絵図に正に「北陸道」「脇往還」の文字があり、やはり古代官道との関連が深まった。

そして、近江神宮境内を横切り、大津宮中心路を南下して大津京駅に帰還し、友人の車輌にて無事帰京した。

身近な場所ながら初めて巡った志賀の地。古代滋賀郡の発祥的場所らしい様々な発見があった。特に山地と麓が白砂清浄の地で、清冽な沢水に恵まれた地であったことは意外であった。

それは、この北にある古大社・日吉山王社(ひえいさんのうしゃ)を凌ぐ程に感じられた。信長とその反対勢力による城塞址はともかく、その特別な雰囲気は、数多の古墳や寺院、大津宮等の古跡がここに集中する謎を解く鍵のように思われたのである。

今日は猛暑直近の暑さに苛まれたが(但し山中は涼しく、随分助けられた)、有意義な探訪となり何より。協力してくれた友人に感謝したい。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2025年05月05日

山而蜘蛛

新緑や花が鮮やかな春山への道

またしても山、そして……

昨日野営会を終えたばかりだったが、今朝また山に行くこととなった。それは、初心者の知人に以前から頼まれていた裏山への同行であった。

野営道具の片付けがあったため遅くなったが、一先ず出発。


上掲写真 新緑や花が鮮やかな春山へと続く道。

注意!下段に小動物画像あり。

この時期らしい爽やかな、京都東山山中の森なかの滝
山中の滝。この時期らしい、乾燥した爽やかな森をゆく。初心者に合わせ、ゆるりと進んで先に頂を踏んでから、更に奥にも縦走し、下山した。


夜分、突如居間に現れた絶滅危惧動物・ヒトエグモ
夜分、突如居間に現れた謎の動体

不意の出現に奥深さ感じる

下山後は野営会の片付けをまた再開しつつ山中で採取した野生茶の新芽処理も行った。即ち、手揉み新茶作りである。

ところが、その途中、畳上に動くものが……。

最初はうちによくいるアシダカグモの子かと思ったが、何か違う。身体が異様に平たく、足が長いのである。

平たいといえば、昔大陸の砂漠でたかられた踏んでも死なないマダニを思い出し、一気に警戒し早急な退治を思ったが、やはり蜘蛛的な個体のため一先ず止めた(蜘蛛は害虫駆除の同盟者として普段から保護している)。

因って、一先ず気を落ち着かせ調べてみると、なんど、京都府のレッドデータブックに記載されている絶滅危惧種のヒトエグモという蜘蛛であることが判明した。

しかも、京都市東部(正に此処)を中心として生息する貴重種ともあった。なんでも、古い家や大木などに巣くうらしく、捕獲例が極めて少ないという。

退治しなくてよかった。うちの環境でどう生き永らえてきたか解らないが、変哲ない郊外町家の価値が増したように感じられた。

なお、山に住むという報告はないので、当初想像した茶葉に紛れてやってきた可能性はないと思われた。

とまれ、塵取りに移動してもらい、またの再会を期待して庭口近くに放した。たとえ見慣れた家のなかと雖も、油断していると色々なものと遭遇するものである。

出来上がったばかりの新茶を味わいつつ世の奥深さを感じたのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会