2019年10月14日

続2019秋野営会

滋賀県・湖南アルプス太神山中の野営地付近で見た、秋らしくない雨霧の様子

早くも朝から

秋の野営会2日目。

直撃こそなかったが、強大な「令和元年台風19号」の最接近により、開催を1日ずらして昨朝から山入りしたが、今日は朝から雨が降り始めた。

昨日の午後以降、天気は回復基調だったが、やはり安定はしていないようである。ただ、予報でその傾向は把握していたので大きな驚きはなかったが、当初は今夜から降ると聞いていたので、意外ではあった。

さて、起床してテントの外に出ると、テントやその外にあるもの全てが濡れており、時間が昨朝に戻ったかのように感じられた。


上掲写真 滋賀県・湖南アルプス太神山中の野営地付近で見た、秋らしくない雨霧の様子。強大台風は今頃北日本の東海上に抜けて勢力を落としている筈だが、それが連れて来た猛烈な湿気が未だ滞留しているのか。


滋賀県・湖南アルプス太神山中の野営2日目朝に意外の雨に降られて濡れそぼる山とテント
朝から降った雨の所為で、ボトボト状態となった山やテント。起床前の間髪入れぬ天候の悪化ぶりに呆れ落胆したが、これも自然のこと故、致し方あるまいと諦めた


ブルーシートや山杖(トレッキングポール)を利用して急遽「片流れ屋根式」で張り直した、竃保護用の代用タープ
ブルーシート(ブルーではないが。笑)や山杖(トレッキングポール)を利用して、急遽「片流れ屋根式」に張り直した、竃保護用の代用タープ。シート四隅にロープを通し、下方2箇所は石に、上方2箇所は立木に固定して、山杖をつっかえさせて幕下での作業性を高めている

知恵と共働により雨中後半を乗り切る

予想外に早い雨の降り出しで、朝から気分が下がる状況ではあったが、雨のない前日にテントを張れて荷物を守れ、また、前夜、竃や薪にもタープをかけて対策したので、野営会への影響は限定的となった。

特に、覆い状に張っていた代用タープを煮炊きが叶う「片流れ」の高屋根式に張り替えたことは、予定を変えることなく調理を可能としたので、大きかった。

また、それには、人の思惑に合わぬ疎らな立木を支柱としたので、長い細引き(ロープ)の予備が役に立った。

こうして、知恵と準備と皆の共働により、荒天を乗り越え、朝の珈琲から昼食まで、問題なく行うことが出来た。

そして、昼食後、雨が強くならない内に撤収作業を始めた。小降りの雨は止むことはなかったが、それでも皆慣れたもので、淡々とこなして完了させた。

あとは、「たつ鳥跡を濁さず」の譬(たとえ)通り、山上での痕跡を完全に消して下山となった。帰路も当然雨濡れで足下が悪く、しかも下りなので、転倒する人が続出したが、幸い怪我もなく無事下ることが出来た。

皆さんお疲れ様でした。初めての人には少々厳しい条件となり気の毒な思いをさせましたが、経験としてもらえれば幸いです。また、日程変更で来れなかった人は申し訳ない限り。また機会あれば一緒しましょう。

それでは、諸々に感謝!


野営会初日の様子はこちら

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2019年10月13日

2019秋野営会

令和元年台風19号による増水で飛石が沈んだ太神山地の沢と、裸足で渡渉した野営会参加者

強大台風接近翌日に

恒例行事、秋の野営会(やえいかい)――。

京都市及び近隣在住の私や有志が気軽に行けて、昔ながらの本格的飯盒炊爨(はんごうすいさん。薪による野外調理)のキャンプを行う催しだが、今回は強力巨大な台風19号の接近と重なり、その開催が危ぶまれた。

予報進路により近畿直撃の可能性が低いことは早くから判っていたが、影響が避け難い最接近と開催初日が重なってしまうことが確実となった。その為、直前となったが、参加者と協議し、1日ずらした今日開催となった。

幸い3連休だったため皆の予定変更が叶ったが、参加を楽しみにしていた1人が所用と被り、参加不能となった。残念無念。天候ばかりは致し方ないことだが、大変申し訳なく思われた。また何かで穴埋めしたいと思う。

さて、直撃こそしなかったが、強大台風が通過した直後に山行を実施するのは無謀かと思われるかもしれない。事実、前夜結構な量の雨が降り、今朝もまた危うい雲行きであった。

しかし然程風が強くなかったことや、降雨の程度、そして回復基調という気象予報等を勘案し開催を決めた。また、滋賀県・湖南アルプス太神(たなかみ)山地にある野営地特有の、緩やかな地形や集水面積の狭さ、古代以来の人為荒廃により洗い尽された地表等の事情も決行の加点とした。


上掲写真 山上の野営地へ向かうための最初の渡渉地点。本来なら対岸の登山道に続く飛石が川面から覗くが(以前の野営会画像参照)、案の定、増水で没している。諦めて裸足となって渡る人や、無理して渡り靴を水没させる人が出るなど、乗っけからの難儀となった。


風化花崗岩による痩せた地表を流れ下る、増水した滋賀県・湖南アルプスの沢水
風化花崗岩による痩せた地表を流れ下る、増水した湖南アルプスの沢の水(以前の野営会画像参照

目算的中

最初の渡河の難関を過ぎ、登山道を進む。つい先程まで小雨が残っていたこともあり、地面・草木の全てが濡れている。転倒の危険性が高いため、注意を促しながら登った。

道は最初の渡渉沢より小さな支流沢沿い山道だが、その沢もやはり増水しており、途中幾度もある渡渉箇所でまた靴を濡らす人が続出した。

それでも、私に限っては靴なかを濡らすことなく進めたので、増水の規模としては大したものではなかった。決行の読みは当たったのである。

実は本来なら山行は中止すべき条件であった。しかし、前述したこの山地特有の事情により助けられた。

古の建材調達由来による山の荒廃で、湖南アルプスは保水力の弱い、風化花崗岩地表が多い山域となっている。つまり雨が降っている最中は多くの水が沢に集中するが、一旦止むとその分、速やかに排出されるのである。

これが、比較的保水力の高い普通の山域だと、増水・濁流が長く続き、通行困難や危険性が高まるのであった。

事前に増水を心配する声が参加者からも寄せられていたが、この判断により開催を決めた。勿論、前夜の雨量・降り方が尋常ではない場合は、躊躇なく中止するつもりでいたのである。


滋賀県・湖南アルプスの野営地に張られた野営会参加者のテント

山上野営地にて

参加者各々、足下に悩まされるも、やがて山上の野営地着。未だ小雨でも降りそうな空模様だったため、先にテントを張ることとした。

写真は設営後の様子。先ずは一安心。これで少々の風雨が来ても問題なし。また、元は初心者だった人の設営が手早くなり、慣れてきたことも喜ばしい。


滋賀県・湖南アルプスの野営地に構築した竈での湯沸かしと薪乾燥

急ぎテントを設営したあとは、昼食を兼ねて少々休息し、その後、竃や洗い場等の設備構築を行った。言わば野営のインフラ整備である。

皆、気心の知れた面子なので、それぞれ自発的に動いて、速やかにインフラを整えることが出来た。写真は、早速竃で火を熾して湯を沸かし、その後、夕食や夜の冷えに備え、濡れた薪を乾かす様子。

全てが濡れていたため、いつもより火熾しに時間がかかったが、それでも、新聞少々を一度使っただけで就寝まで火を維持することが出来た。これも、恒例故の慣れであろう。


滋賀県・湖南アルプスの野営地で作った大陸西北名産の三泡台茶(八宝茶)

最初の飲料は大陸風味

その後、予報通り雨もなく、各々寛いだり、水晶採りに興じたりした。写真は、今季野営会最初の現地製作飲料。私が持参した材料(一部不足分を友人が補填)で作った、甘茶「三泡台(さんぽうたい)」である。

八宝茶とも呼ばれるもので、大陸西北名産の干果(棗・龍眼<桂円>・杏・葡萄・枸杞)や氷砂糖、そして南方の茶葉(春尖)を入れて湯で煎じたものであった。

底に甘味を残しつつ湯を継ぎ足し長く味わう飲料で、回族(所謂チャイニーズ・ムスリム)を中心として、チベットやモンゴル等の周辺民族にも愛されている。恐らくは酒が禁じられた回教徒の交流用に発達したものか。

私も、その昔、大陸奥深くで、その存在を知って以来好物となり、材料を備えて、こうして偶に楽しんでいる。なお、材料産地も流行地も乾燥地帯が多いので、日本ではそれと気候の似た春秋の頃に飲むのが美味しい。

今回、参加者の1人に中央アジア(西トルキスタン。旧ソ連領)出身者がいたが、故郷には無いものながら、風味が合うのか、喜んでもらえた。


滋賀県・湖南アルプスの野営地上空に昇ってきた秋の満月
野営地上空に昇ってきた秋の満月と、月光に照らされる森や砂河原

満月の秋宵に語らい、日を終える

やがて、夕方となり、手分けして食事の準備を行い、滞りなく夕食の時間を迎えることが出来た。

一品ずつ見ると簡素だが煮物や焼物等の様々な料理があり、贅沢な時を過ごせた。特に炊きたての新米白飯が美味で、薪炊爨の格別を再確認した。

その後、各自持寄りの酒類等を味わいつつ、炉端での語らいの時に。漸く雲が晴れたのか、空には野営会では久方ぶりの満月も上がってきた。そして、遠近(おちこち)に聞こえる鹿の鳴き声……。

秋宵らしい、落ち着いた雰囲気のなか、やがて、早めに寝る遠方参加の人も。そして、夜も更け、個人的小焚火を楽しむ人が火の始末したところで、皆就寝することとした。

幸い、今日は予報通り、朝以上に天候が悪化せず、また警戒していた吹き返しの風もなかった。

ただ、夜半少々霧雨があったので、昼間試験した通り、竃上にブルーシート(灰色だが)を利用したタープ(天幕)を張り、竃や薪の濡れに備えたのである。


野営会2日目の様子はこちら

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2019年09月20日

続槍岳独錬行

槍ヶ岳山頂穂先の、最後の梯子上から見た下方の槍ヶ岳山荘や飛騨沢。実は彼方(画像中央上)に麓の起点「新穂高温泉」も見えている

高度1万尺での目覚め

槍ヶ岳単独鍛錬行2日目――。

初日は諸々の無理が祟り、中途で体調不良に陥るという目に遭ったが、今朝は如何であろうか。

日本最高所とされるテント場(標高3070m前後)の低温と風に晒されるも一応前夜は比較的早く寝ることが叶い、それなりに休むことは出来た。


上掲写真 正にアルプス的景観。写真で見ると今更ながら凄い高度感があるが、詳細は、また後ほど……。


槍ヶ岳山荘付近から見た、東方の槍沢(上高地源流)や大天井岳(おてんしょうだけ。中央左)方面と、彼方で光る日の出前の空

今朝は5時に起床し、5時半過ぎに昇るという朝日を見る予定であった。風や寒さが残る天幕外に出ると、既に日の出前の薄明が広がっていた。

写真は、東の槍沢(上高地源流)や大天井岳(おてんしょうだけ。中央左。2922m)方面を眺めたもの。将に、地平下に迫る朝日が空を焼き始めている。


槍ヶ岳山荘のテント場から見た、日の出前の薄明に佇む大喰岳

今日最初の予定、大喰岳へ

日の出観察はテント場南方に対面する、大喰岳(おおばみだけ。標高3101m)山上にて行う予定であった。わざわざそこに移動するのは、大喰岳に遮られた穂高連峰等の南方も隈なく望めるため。

写真はテント場から見た大喰岳。既に山頂に人が見え、同様の観察を図っているようである。また、山上への道上にも灯りを点した歩行者が見えたが、こちらは早立ちの縦走者か……。

薄明に因るコントラストの低さの所為か、全てが現実感に乏しい、ミニチュア的・箱庭的に見える、一種不可思議な光景であった。


日の出前の薄明に佇む槍ヶ岳穂先
こちらは同じく薄明に佇む槍ヶ岳の穂先。大喰岳同様ライトを点した登頂者が山上に見えた


日の出前の大喰岳山頂と、そこにある積石や標識
大喰岳山頂。明治後期の記録によると、その名は、獣がこの山に餌をあさりに来るという、地元猟師の認識が由来という

直線距離約半km、途中の鞍部「飛騨乗越」との高低差も100m程なので、山杖(ストック)とカメラのみ持って大喰岳へ向かう。ところが、一先ず急坂を下るだけで、すぐ息が苦しくなった。

やはりまだ体調は回復していないようである。目覚めの麻痺に反省しつつ、無理せず慎重に進み、やがて、なだらかなその山頂に達した。


大喰岳山頂から見た、日の出前の薄明に佇む穂高連峰

噂通り、大喰の頂からは南方の穂高山塊を始め、360度の壮観が得られた。写真は日の出前の薄明に佇む穂高連峰。岳人憧れの鋭い稜線が連なる。


大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ八ヶ岳
同じく大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ八ヶ岳(最高点2899m)


大喰岳山頂から見た、日の出前の雲海に浮かぶ富士山
また同様に富士山も(3776m。中央奥)


北アルプスの大喰岳山頂から見た日の出
そして朝日が現れる。しかし残念ながら上空の雲に押さえられ、期待した各山の赤染まり(モルゲンロート)は見られなかった。これも自然の事ゆえ致し方あるまい。昨日夕陽に染まる槍ヶ岳は見れたので、良しとする


北アルプス・大喰岳山頂から見た、日の出直後の槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘及びテント場(左山上)
日の出となるも、雲により赤く染まらなかった槍ヶ岳と槍ヶ岳山荘及びテント場(左山上)。画像でも山荘下の斜面にテントが見えるが、改めて凄い場所で寝たことを知る。まあ、写真で見るほど現地は急ではないが……


槍ヶ岳山荘辺りから見た、日の出後の笠ヶ岳(左手前)や白山(中央奥)
こちらは同じく日の出後の西方は笠ヶ岳(2897m。左)や白山(2702m。中央奥)。機会あればこれらの山にも行ってみたい(白山は既登)


北アルプス・大喰岳山頂からの帰りの路端で見た、「高山の小さな秋」
大喰岳山頂からの帰路に見つけた「高山の小さな秋」。そういえば、麓から山上まで、色的な秋の気配を殆ど感じなかった。通常ならもう方々で紅葉が始まっている筈。暑さの所為で遅れているのであろうか


槍の肩から見上げた槍ヶ岳頂部と、左下から右上に続く登頂路

今回山行の本題へ

モルゲンロートの観察と撮影を諦め、大喰岳の頂からテントに戻った。その後、珈琲を沸かし、朝食を摂るなどして暫し寛ぐ。

そして、7時過ぎ、必要最小限の荷物を持ち、槍ヶ岳山荘へ向かった。山荘の番台で借りた登山用硬帽(ヘルメット)を被り向かったのは槍の穂先。そう、今回の山行の本題であった。

大喰岳で無駄な体力を使ったが、逆に不調ながらも無理をしなければ動けることが判り、登頂を決断。写真にも見える、槍の肩部分の左下から右上に続く登頂路を進む。


槍ヶ岳の穂先を登る途中に見た、頂部に続く急峻な登頂ルート
槍ヶ岳の穂先を登る途中に見た、頂部に続く急峻な登頂ルート


急峻な岩場に続く、槍ヶ岳穂先の登頂ルート
この様なところを上がっていく。矢印で示されたルートは上下2筋あり、渋滞を避ける工夫が窺われた


槍ヶ岳の穂先に付けられた、山頂への最後の鉄梯子
幾つかの梯子場を経て現れた槍ヶ岳登頂路最後の長梯子。高さ10m程か。以前同山に接近する際に通過した東鎌尾根の長大な梯子の方が緊張した


槍ヶ岳山頂の鉄梯子上から見た、槍ヶ岳山荘やテント場、そしてその下方の槍沢圏谷

念願の槍ヶ岳山頂着

そして、無事槍ヶ岳山頂に着く。写真は最後の鉄梯子上から見た、穂先下と槍沢圏谷である。物凄い傾斜・高度感に思われるが、三点確保を基本として慎重に進めば特に危険を感じるような場所はなかった。

槍の肩からの時間は15分程。朝のため空いていたが、前にいたおばちゃんの進行を待ったため、実際は10分足らずで登れるように感じられた。ただ、盆や連休の混雑時には数時間待ちの列が出来ることもあるという。

なお、冒頭に掲げた写真は、正に槍ヶ岳山頂の梯子上から見た、槍ヶ岳山荘とテント場、そして、その下方に続く飛騨沢であった。実は彼方(画像中央上)に麓の起点「新穂高温泉」も見えている。

即ち、昨日悪戦苦闘した、ほぼ全ての行程を収める眺めであった。


槍ヶ岳山頂から見た、南方の大喰岳や南岳に続く穂高山塊(中央奥)
槍ヶ岳山頂から見た、南方の大喰岳や南岳に続く、穂高山塊(中央奥)


槍ヶ岳山頂北端に設置された祠
槍ヶ岳山頂北端に置かれた祠

時間の所為か、雲の所為か、槍ヶ岳山頂には私を含め3組しかおらず、祠に参拝したあと、互いに記念撮影を手伝うなどした。


槍ヶ岳山頂にある祠越しの北方彼方に見えた立山と剱岳
そして、祠越しの北方彼方に彼の立山が見えた(中央奥)。先々週そこからここを見た際の真逆の体験。一種御礼参りの心境か。因みに立山の頂部三峰のうち中央が最高峰にも拘らず右側が高く見えるのは、後ろの剱岳が被っているため。即ち、ここでは立山と剱岳が合わさった姿で見えている


飛騨沢ルートから見た、右上に聳える槍ヶ岳を頂点とする飛騨沢の景

撤収及び下山

体調不良のため一時は断念することも考えた槍ヶ岳登頂。無事それを果たした後は、急ぎテントに戻り、撤収を行った。体調のため、また風のため、手間取ったが、何とか片付け、9時前に下山を始めた。

ただ撤収時に熊鈴を落としたことに気づく。恐らく昨日不調後に無数にとった休息中に落としたと思われた。地味ながらこれは少々手痛い出来事となった。それは、その鈴が自身の手製であり、20年来の愛用品だったことによる。無着色の厚手の牛革に、大陸製の怪獣面ある真鍮鈴が2個付くものであった。

さて、下りはテント場から近い、飛騨乗越を飛騨沢に下るルート。写真は右上に聳える槍ヶ岳を頂点とする飛騨沢の景。槍ヶ岳の下(左)には昨日喘いだ千丈沢乗越に続く尾根が見える。雲も晴れ天気が良くなってきた。失くした鈴も、この景色内の何処かにあるのかもしれない。


槍ヶ岳右俣(飛騨沢)登山道にある滝谷の河原と、その背後に連なる穂高北方・南岳(3032m)の西尾根

下山は登坂の負荷がないため止まることなく歩くことが出来たが、珍しく足が痛い。それは脚全体に言えたが、特に爪先が酷かった。後で見ると、爪裏が内出血するほどであった。

同じ靴で今回以上の重荷を背負い縦走した時にも起らなかった症状。何やら初心者に戻った気分にさえなった。長年愛用の革靴が合わなくなってきたのか、それとも高度障害か何かの浮腫みによるのか……。

下山路は、やがて千丈沢乗越分岐を経て、昨日と同じ飛騨沢・右俣のルートに合した。あとは元来た道をひたに下るだけである。写真は途中通過した滝谷の河原と、その背後に連なる穂高北方の南岳(3032m)の西尾根。

実にアルプスらしい眺め。簡単には来られない場所なので味わいつつ下る。


上方に奥穂高岳(3190m)が見える、槍ヶ岳右俣(飛騨沢)登山道途中にある白出沢の河原
そして上方に奥穂高岳(3190m)が見える白出沢の河原まで下る。ここで山道は終り、あとは林道を下るだけとなるが、その距離は長く、また京都への車行も長いので、少し長めの昼食休憩をとった。ここでも、名残り惜しい高山景を堪能


新穂高温泉奥の路上から見た、北方の笠ヶ岳(2897m)方面の高地

下山。さらば高嶺たち

足の苦痛に耐え、長い林道歩きを休まず続け、やがて新穂高温泉へと下った。下山完了である。起点の「新穂高登山指導センター」への到着は、奇しくも登りと同じ14時45分頃であった。

写真は林道終点辺りから見た、北方の笠ヶ岳(2897m)方面。主峰は雲に隠れ、その手前の標高2500m辺りの高みが見えている。いやはや、方々凄いところである。さすがは日本の屋根、北アルプス。

さらば、誇り高き高嶺たち。また見(まみ)える日まで……。


平日にもかかわらず満車状態の新穂高温泉奥の有料駐車場
平日にもかかわらず満車状態の新穂高温泉奥の有料駐車場

好みの温泉に寄れぬも無事帰京

そして車に戻り、早々に新穂高を後にした。本来なら、20年振りに自身の評価が高い川辺の温泉に寄りたかったが、槍の穂先への登頂が今朝となり、結果下山が遅れたので叶わなかった。

体調のこともあり、また大変疲れていたので、慎重に運転したが、意外と休憩を多くとる必要は感じなかった。途中、濃尾平野でカーナビゲーション(スマホナビ)に長時間下道と別の高速路に誘導されて案じたが、結果的に渋滞を避けられ、標準的時間で帰京することが出来た。

こうして終った今回の槍ヶ岳山行。思わぬ不調に見舞われたが、数年来の気掛かりであった穂先登頂を無事果すことが出来た。無理をしたことへの反省も生じたが、個人的に鍛錬・研修として良い経験が得られたと思う。


「槍ヶ岳単独鍛錬行」初日の記事はこちら

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2019年09月19日

槍岳独錬行

岐阜県・新穂高温泉からの槍ヶ岳登山道途中のチビ谷から見えた、靄の中から姿を現す、槍ヶ岳南の中岳とその西尾根辺りの北アルプス山上

またしても遠行?
因縁の槍ヶ岳へ


先々週の立山行の記事に続き、再度山の写真を掲げ申し訳ないが、これはまた違う場所。

菜園の事の他、日々様々な出来事があり記事の種は尽きないが、限られた時間で紹介するとなると、どうしても規模の大きな行事となってしまう。

そう、また大そうな山に出かけたのである。場所は立山と同じく北アルプス(飛騨山脈)の槍ヶ岳(3180m)。ただ、富山県にある立山より南の、岐阜・長野県境の山域となった。

槍ヶ岳は以前荒天辛苦の縦走を経て山頂直下(所謂「穂先」下。頂までの高低差100m)に至ったものの、事情により登れず仕舞いとなっていた山。

先々週、立山山上からその屹立を遠望した時、ふとそれを思い出し、時間がとり易く、また行動し易い夏装備で行ける今季最後のこの機の登頂を急遽思い立った。何やら山に呼ばれたとでも言えようか……。

また、先々週、高地での野営が中止となり、その収まりの悪さを解消したい思いもあった。一応、非公開で告知はしたが、混雑なく必ず登頂出来るよう、日時・天候を選んだので決定が直前となり、結果単独行となった。

まあ、元より、山会主宰が個人的に行う、高地登山と野営の鍛錬、または研修のようなつもりではあった。ただ、山麓までの遠路の運転や、安からぬ交通費が独力となったのは、個人的にかなりの負担となった。


上掲写真 槍ヶ岳への最短ルートとされる、岐阜県・新穂高温泉からの登山道途中の「チビ谷」から見えた、靄の中から姿を現す北アルプス山上。槍ヶ岳の南に連なる中岳(3084m)と、その西尾根辺りである。


満車状態の新穂高温泉の駐車場(平日朝6時台)
日本各地の鑑札を付けた車で満車状態の新穂高温泉の駐車場(朝6時台)。数段ある駐車スペースの一部で、実際にはこの数倍の車が犇めく

長時車行の末のまさかの状況

天気と混雑を考慮して決定した日程は、今日・明日の2日間。但し、歩行時間や距離が長いため、出発は前夜となり、麓で車中泊することになった。登山開始は今朝からとし、槍ヶ岳山頂傍にある山小屋のテント場で1泊し、明朝下山を始め、その後、帰京する予定であった。

この2日を逃すと台風の関係もあり暫く晴天が望めず、また季節が本格的に秋へ進むため防寒着等の装備が増える恐れがあった。また秋の進展に因り高山では紅葉が始まるため、黄金週間的な大混雑も予想されたのである。つまり夏山条件最後の機会、正に外せない2日間を狙っての出発であった。

さて、前夜車を借りて京都市街の自宅を20時過ぎに出発。市内はその日も熱中症に注意が要る残暑日で、自身も影響されたが、途中休みつつ、安全運転で進んだ。

そして車行5時間、途中山間の暗さに幾度か進路に悩んだが、何とか麓の新穂高温泉に着くことが出来た。あとは車内で寝て空が白むのを待つだけだったが、何と駐車場に空きがない。しかも、まさかの雨さえ降っている。

乗っけからやる気を削がれる状況であったが、幸運にも最後と思しき空隙に停めることが叶い、無事就寝態勢に移れた。わざわざ平日を狙ったにもかかわらずこの盛況ぶり。さすがは全国著名の槍・穂高山地である。

もしここが不可なら数km戻って比高200m近い高原上の駐車場に停めるしかなく、登山口までの歩行時間・距離が増すところであった(京都市内で例えると、蹴上を起点とするのに東山山上の将軍塚に駐車し、そこから蹴上までの山道を徒歩で往復するような事態)。

ただ駐車は叶ったが雨の問題があった。しかも結構降っている。自然のこと故仕方なく、進退等の判断は夜明け後と決め一先ず休むことにした。駐車場の標高が1050mもあったにも拘らず温暖だったのは幸いであった。


北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である「新穂高登山指導センター」(中央)
駐車場を出て川沿いの森なかを進むと現れる「新穂高登山指導センター」(中央)。トイレや休憩所を備える、北アルプス登山の拠点であり、今回の山行起点である。その手前下部の空地は夜間閉鎖される有料駐車場

睡眠約1時間
雨上がりの陰鬱に出発


真っ暗な駐車場で寝ようとするも慣れぬためか寝られず。外を見れば、夜中にもかかわらず、ヘッドライトを頭に付け、はや出発する人もいた。

恐らくは、夜中から一日歩き通して日帰りを試みる人かと思われた。夜明けまでの数時間、熊等の野獣も多い暗黒の深山を独り進まねばならない。事前情報で知っていたが、正に行う人を眼前で実見し、少々驚く。

結局、寝れたのは明け方に冷えを感じ寝袋に入った1時間程のみ。外が白み始め、目覚ましも鳴ったので起きざるを得なくなった。

雨は上がっていたが、霧が深く、いつまた降ってもおかしくない陰鬱とした気色。中止にすることも考えたが、予報を見るとやはり晴。車内で簡単な朝食を摂りつつ様子を探り、一先ず先へ進むこととした。

出発時間は予定の6時より遅れた7時前。前述の逡巡等がその因である。


新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの右俣林道と霧多い右俣谷
新穂高登山指導センターの奥にある一般道終点から続く、川沿いの林道と霧多い右俣谷。登山指導センターから始まる槍ヶ岳への道程は、センター上手で分岐する右側の谷沿いの道を遡上する「右俣」のルートとなる


その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森
その標高の高さにもかかわらず、意外に濃密な植生を見せる右俣林道沿いの森。単調な砂利道を急ぎながらも、地元周辺山域との違い等を観察する


針葉樹が多い高地的植生を見せる右俣林道上部の森
そして標高が1500mに達する頃には、この様に針葉樹が多い高地的植生となった。冷涼な北海道山間や北欧の森の如き姿で、地元周辺との大きな違いを実感


新穂高温泉から続く右俣林道の終点「白出沢」の水のない河原と岩が乗り上げる堰堤

白出沢から歩き難い森の山道に

延々と続いた林道は、やがて水のない大きな支流沢に達し、そこで途切れた。写真がその場所で「白出沢(しらだしさわ)」と呼ばれる。穂高稜線が源頭の沢で、堰堤に幾つも岩が乗り、降雨時の恐ろしさが窺えた。

ここまでで槍ヶ岳までの全道程の2/5の距離を稼いだが、標高は1550m程なので、高低差的には2100mの内の1/4にも達しない500mであった。そう、ここから、高低差日本4位に相応しい、地獄の登りが始まるのである。


白出沢の対岸から始まる、石が敷かれたような細道が山腹に延々と続く、槍ヶ岳登山道

林道が終り、河原を渡ると本格的な山道となった。写真では判り難いが石が敷かれたような細道が山腹を巻くように延々と続く(中央の大木左)。

石畳程整ったものではなく、雨に濡れているため、滑り易く、神経を使う道程であった。ストック(山杖)で補助すべき条件だが、先を急ぐため、出さずに乗り切る。また、登坂角度も上がったが、構わず飛ばす。

森は天然で深く、トウヒやイチイ、サワラ(椹)等の針葉の大木が観察出来て、見応えがあった。


槍ヶ岳へと続く長い樹林の道を進んで現れた「滝谷」の広河原

長い樹林の道を注意しつつ進むと、やがて写真の如き広い河原に出た。これも穂高方面に源頭を持つ支流沢で、「滝谷」という。

開けて心地よい場所であるが、水量の多い流れを角材2本を合わせた簡易橋で渡る場所があり、注意が必要であった。

予報通り、天気が回復してきたのは良いが、逆に強力な日射に晒されるようになる。


槍ヶ岳へ続く飛騨沢沿いの広い河原にある槍平小屋のテント場
槍ヶ岳へと続く飛騨沢の広河原にある槍平小屋のテント場。なんと非山岳用のファミリーテントがある!?まあ、荒天の際は小屋に逃げられるし、ここを拠点に山頂を往復するなら問題ないか。因みに私も同品(ホームセンター購入¥2980)を持っているが、重く嵩張り小雨で盛大に漏れる(笑)

中間点「槍平小屋」

滝谷からまた樹林を進み、やがて槍平小屋に到着した。標高2000m弱の広い扇状地の林間にある小屋で、標高的にも時間的にも槍ヶ岳への中間点として登山者の拠点・休憩所となっていた。

登山開始から3時間程で到着したので、順調に進んだことが判明。小屋外のデッキに荷を置き少々休息するが、また先を急いだ。実は駐車場の混雑ぶりを見て、槍ヶ岳穂先の渋滞やテント場の満杯を心配していたのである。


槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高・西穂高間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左)」
槍平小屋付近の槍ヶ岳登山道から見た、日本屈指の難ルート、奥穂高岳(3190m)・西穂高岳(2908m)間の険しい稜線とその象徴的存在「ジャンダルム岩稜(中央左。3163m)」。先程近くをヘリが飛んでいたが、滑落でもあったのであろうか



不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場
不毛の石礫谷の底に美味の清水が伝う、槍ヶ岳右俣登山路の最終水場

登り本番で異状発生

しかし、槍平出発後暫くして異変が起こった。標高は2200mを超えた辺りか、息苦しさや暑さ、そして大きな疲労に襲われ、それまで通り進めなくなってしまった。気力はあるのだが、突如力が抜けたような不調である。

朝食も摂り、水分も切らさぬようにしていたが、京都での残暑疲れを抱えつつ不眠となったため、熱中症や高山病になったのか。後で知ったが、糖分切れのための症状とも似るという。

とまれ、それまで大して意識しなかった16kgを超す重荷や急登の道が途方もない負担と化した。これはマズい、登りはここから本場で、標準でもまだ4時間はかかる道程である。

あまりの苦痛のため道脇にヘタリこむ。幾ら深呼吸しても息が足りない。そして堪らなく暑い。無理して飛ばし過ぎたか……。嘗て三大急登の一つ信州燕(つばくろ。2763m)の合戦尾根を更なる高温と重荷で登った際もこんなことはなかった。唯一、猛暑日での比良山脈一日完走(全山縦走)中に同様に陥ったが、それ以来の事態である(比良は路上で眠り回復)。

思えば、これまで学生風の若者を含む20人程をごぼう抜きにしてきた。途中「大した速度ですな」等との掛け声も。独行だったので、知らずして無理な加速を続けていたのかもしれない。自動車は比較的安全運転で抜かれ放題だが、切符も切られぬ山では元来飛ばしてしまう質であった。

小屋まで引き返すことも考えたが、装備や天候に心配はないため様子を見ながら進むことにした。だが、大変苦しく、10m進む毎に岩上にへたり込む状況であった。そうこうする内、先に抜いた人達が現れ、恥ずかしながら事情を説明し、先へ進んでもらった。正に、兎と亀の童話状態か。


槍ヶ岳への右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線
槍ヶ岳へ続く右俣登山道の標高2300m辺りから見えた、奥穂高から西穂高岳付近の稜線。不調で路傍の岩上にへばりつつ撮る(笑)


槍ヶ岳へ続く飛騨沢登山道の途中に現れる、標柱と救急箱が置かれた「千丈沢乗越分岐」

千丈沢乗越分岐を左へ

体温上昇を避けるため、灌木の木陰で幾度も休憩をしつつ、やがて飛騨沢源頭部の圏谷(カール)に達した。その只中には写真の如く、標柱と救急箱が置かれた分岐があった。所謂「千丈沢乗越分岐」である。

どちらの道も槍ヶ岳へ通じるが、山上小屋に近い千丈沢乗越経由の道を進むこととした。圏谷を横断し、左(北)の稜線に上るルートである。

分岐の標高は2550m。知らぬ間に灌木は無くなり、森林限界に達していた。身を隠す場所は失せたが折しも生じたガスと高地の涼に助けられる。


千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)
千丈沢乗越分岐から見た飛騨沢圏谷と、奥に聳える槍ヶ岳(左)及び槍ヶ岳山荘(中央)。近くに見えるが、疲弊した身には遥かなる高み……。実は槍平小屋から槍ヶ岳までは直線距離で2.5km、歩行距離は4km程しかないが、高低差が約1200mもあるため、時間のかかる難所となっている


千丈沢乗越直下の急登の道
千丈沢乗越直下の急登の道。吐き気こそ収まったが、限界近い辛さは変わらない。正に牛歩で進む。ただ、休憩しようにも落石に襲われそうなガレ場の急斜ばかりなので、気も遣う


千丈沢乗越から見た、北方の千丈沢と奥高瀬方面

「槍の肩」への最後の急登「西鎌尾根」

漸く千丈沢乗越がある稜線「西鎌尾根」に到着。標高は2720m。写真はそこから北の千丈沢を見たもの。即ち信州安曇野の源流奥高瀬方面である。


千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘がある山上、そして飛騨乗越や大喰岳
千丈沢乗越から西鎌尾根を少し登って見た、槍ヶ岳(左端右峰)と槍ヶ岳山荘(槍ヶ岳右下)。右端の峰は穂高への縦走路がある槍ヶ岳南の大喰岳(おおばみだけ。3101m)。その左の鞍部は千丈沢乗越分岐を真っすぐ進み飛騨沢を詰めた先にある日本最高所の峠とされる飛騨乗越(約3010m)


千丈沢乗越東方の西鎌尾根から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍
西鎌尾根の前述位置から望遠撮影した大槍(槍ヶ岳山頂)と小槍。岐阜側からはあまり鋭く見えず印象とは異なるが、拡大すると山頂に人が多くおり、確かに頂であることが判る。左下の小槍は「アルプス1万尺」の童謡でお馴染みの場所だが、普通に登ることは出来ず、仮に頂部に達しても踊れるような場所ではないらしい


槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部
槍ヶ岳山頂(左端)と槍ヶ岳山荘(右端)の間に接する西鎌尾根道の端部

何とか到着「槍の肩」

そして、長く辛い山上直下のつづら道を這うように進み、何とか山上は「槍の肩」に上ることが出来た。時刻は14時45分頃。随分時間がかかったが、一応標準時間以内には収まったようである。

本来はその場に倒れ込んで休みたい気分だったが、野営場の確保をせねばならぬため身を引きずるように、テント場を管理する山荘へと向かった。


夕方16時過ぎに槍ヶ岳山荘辺りから撮影した槍の穂先

槍ヶ岳山荘でも、登記の文字が躍る程の疲労困憊ぶりであったが、何とか手続きを済ませ、早い者勝ちという、野営場に向かった。

日本最高所(3070m)とされる指定テント場は、山上南端の大喰岳を望む場所にあり、利用したことのある馴染みの場所だったが、到着が遅れたため、風を避けられる良所は埋まっていた。そう、稜線に着いてから風が強く、気温低下と相俟って、かなりの寒さとなっていたのである。

仕方なく、残っていた比較的マシな場所を選び設営した。ただ、身心共に不調のままで、何度かに分けて行う。写真は仮設営後の休息を経て撮影した槍ヶ岳の穂先。16時を過ぎた頃なので、暗い写真となってしまった。到着時は快晴だったので、その時撮れば良かったが、その余力はなかった。

当然肝心の穂先登頂は叶わず、今日は無理は控え明朝決めることとした。この段階でも不調が進めば小屋に相談する心積もりであった。


槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)
槍ヶ岳野営地から見た西方の夕景。左端の峰は笠ヶ岳(2897m)。下界はどこも雲海に閉ざされていた

因みにここに持ち込んだテントはちゃんとした山岳用のもの。以前は同行者の劣化したツーリング用を用いたため、風雨で大変な目にあった。


槍ヶ岳野営地から見た、西方は笠ヶ岳方面の夕陽

落日と共に山上の日を終える

体調の回復は進まなかったが、18時に水の販売が終るので、17時半頃に山荘に出向く。すると、テント泊・小屋泊の多くの人達が戸外に出ているのを見た。それは、写真の如き、日没間際の夕陽を見る人出であった。


夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先
そして現れた、夕陽に照らされる槍ヶ岳の穂先。正にチャンスは一瞬であった。今日の登頂は叶わなかったが、それが補われる気にさせられた


落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面
落日により淡色に暮れなずむ、東方は槍沢(上高地上部)及び大天井岳(おてんしょうだけ。中央右の峰)方面


落日の淡色に染まる槍ヶ岳の穂先
槍の穂先も、やがてこの通りの淡色に


こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳
こちらも落日に淡く染まる、南方のテント場及び大喰岳


槍ヶ岳のテント場から見た、東方の笠ヶ岳や白山の傍に落ちる夕陽
槍ヶ岳野営地付近から見た、東方の笠ヶ岳(中央手前)や白山(2702m。中央右奥)の傍に落ちる夕陽

喫茶・夕食で漸く一息
天の川美麗なるも……


そして陽が落ちる――。風は弱まらず上着のフードを被らねば外に居られないほどの寒さであったが、テントに戻り、火を点して夕食を摂る。先に飲んだ紅茶に続き、身心に良く効き、漸く一息つけた気がした。

手持ちの防寒着全てを着て寝ようとするも、近くで学生らしき一団がはしゃいで叶わず。外を見ると天の川が出て空が美麗であったが、注意することも星空鑑賞を続けることもまだ尚早であった。

やがて、トイレのついでに星を見るも、雲が現れ、その美観は失われていた。学生の声はその後も続いていたが、やがてそれが絶えると共に、こちらも眠りに入れたのである。


「槍ヶ岳単独鍛錬行」2日目の記事はこちら

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2019年09月07日

神峰晴明

立山山頂の三峰の内、中央の最高峰「大汝山(おおなんじやま。3015m)」と右側(南)の雄山(3003m)の間を巻く、岩が散らばる登山路と、その傍にある尖った大岩

寝不足での立山登山開始

今日は予告した、富山の高峰・立山での登山及び野営の日。

夜中に車輌にて麓に入り、仮眠して早朝から行動することとなった。しかし、駐車場での頻繁な車輌の出入りや、同行者のいびきの問題等もあり、結局一睡も出来なかった。

富士山やチベットでは高山病になる可能性が高い危険な状況である。幸い、立山の標高ではその可能性はないと思われたが、体調的にかなり辛いものとなった。

とはいえ、決めたこと、始めたことなので、進むしかない。週末開催とはいえ、遠方であることや、新学期が始まったこともあり、引率役として人数が少なくなったのも幸いであった。


上掲写真 立山山頂の三峰の内、中央の最高峰・大汝山(おおなんじやま。3015m)と右側(南)の雄山(おやま。3003m)の間を巻く、岩が散らばる登山路と、その傍にある尖った大岩。存在感があり、かつ形も良いので名が付けられていると思うが、判明しなかった。「へそ出し」作業後の手打蕎麦の生地に似ているが、存知の人があれば、是非ご教示を……。


日の出直前の立山駅周辺。奥の線路が富山地方鉄道立山線、手前の線路が同線の引込線
日の出直前の立山駅周辺。奥の線路が富山地方鉄道立山線、手前の線路が同電鉄の引込線である。麓とはいえ、標高は500mに近い。それ故、相当な勾配に線路が敷設されていることが判る。しかし、予想に反して今朝の気温は高めで、暑くもなく涼しくもない、少々稀な朝となった


立山ケーブルの立山駅改札前で始発を待つ人々
立山ケーブルの立山駅改札前で始発を待つ人々。空いているように見えるが、階下の券売所前は暗い内から長蛇列が出来ていた。幸い我々は予約していたので、並ぶことなく始発車への乗車が叶った


立山高原バスの車窓から見た、ブナ平にある立山杉の巨木「仙洞杉」
立山高原バスの車窓から見た、ブナ平にある立山杉の巨木「仙洞杉」

ケーブルカーで標高差500m程を一気に登り、溶岩台地の上面に出る。その後は立山高原バスに乗り換え、更に上方へと向かった。始点の美女平から上ノ小平までの台地上は杉やブナが生い繁り濃密な原生林を成している。

写真はこの地方の特産とされる立山杉のなかでも一際大きな「仙洞杉」。ブナ平付近の道際にあり、車窓から観察できた。幹回り9.4m、樹高21mの巨木で、車内放送によると、その樹齢は1000年、或いは1500年という。

実は、この経路を含む「立山アルペンルート」は、昔信州側から通行したことがあるので、初見ではないが感慨深いものがあった。以前にも感じたが、一度ゆっくりこの森を散策してみたいと思った。

そこには、仙洞杉よりまだ大きな杉もあるらしい。


立山高原バスの車窓から見た、七曲付近の高原と彼方の富山平野や能登の山々
同じく立山高原バスの車窓から見た、落差日本一を誇る称名滝。立山主峰直下の水を集め、溶岩台地上から一気に350m下に落とす。鋭く巨大な台地の切れ目と共に、国内他所には在り難い、壮大な景観を見せる


立山高原バスの車窓から見た、弥陀ヶ原

称名滝を越え更にバスが高度を稼ぐと、樹々が減り、辺りの眺望が開けた。写真は、下方彼方に見える立山平野(中央奥)や能登の山々(右奥)


立山高原バスの車窓から見た、溶岩高原で高層湿地の「弥陀ヶ原」
立山高原バスの車窓から見た、溶岩高原・高層湿地「弥陀ヶ原」。通過後に上方のつづら道より撮影。車道がなかった頃の登拝者は、急登の岩場や深い森等と共に、こうした湿原の通過にも苦労したことであろう


立山高原バスの車窓から見た、天狗平付近に現れた朝日の下に四角い頭を持つ立山
やがて、朝日の下に四角い頭を持つ立山が見えてきた。場所は天狗平辺り、標高は2000mを超えている。本来なら簡単には来られぬ、ただならぬ場所である


天狗平付近を登坂する立山高原バスの車窓から見た、ソーメン滝
同じく天狗平付近を登坂する高原バスの車窓から見た、ソーメン滝。ここも、溶岩台地を断ち割ったかのような壮大な景観を見せる


天狗平付近を登坂する立山高原バスの車窓から見た剱岳
そして左手(北側)には、多くの登山者が憧れる岩峰「剱岳(2999m)」も現れた


室堂ターミナル裏手にある水場「玉殿の湧水」と背後に聳える立山

美味の天然水汲み登頂路へ

美女平駅から約50分のバス行を経て、山頂直下の室堂平に到着。ターミナルの標高は2450m。黒部ダム方面へ下るトンネル・トロリーバスの始点のため、日本最高所にある「駅」とされる。

ここのコインロッカーに野営道具を預け、身軽となって山頂を目指すこととした。本来は山頂を縦走して野営地に下るのが効率がよいが、同行者の体力と体調を考慮し、山頂往復式とした。

写真は室堂ターミナル裏手にある水場「玉殿の湧水」。日本百名水の一つでお世辞抜きに抜群の美味さを誇る。そしてその背後には立山が聳える。

丁度ここが立山登頂路の始点に当たるため、登山者は水を補給していく。我々もまた然りで、実に有難い限り。また、天気が快晴なのも有難かったが、異様なほど気温が高く、暑さでの苦労も案じられた。


立山左下(南側)の鞍部「一ノ越」へ向かう登山路の途中に返りみた室堂方面
立山の左(南)直下にある鞍部「一ノ越」へ向かう途中の登山路から返り見た室堂方面。森林限界を超えた高山特有の光景が広がる


一ノ越鞍部の手前の登山路脇に現れた「祓堂(はらいどう)」
一ノ越鞍部の手前に現れた「祓堂(はらいどう)」。山上神域と下界を区切る一種の結界表示で、嘗て登拝者はこの付近で禊(みそぎ。水浴での清め)を行い、白装束に着替えて山頂を目指したという


立山南側の尾根上の登山路から見た、一ノ越鞍部や一ノ越山荘。

そして一先ず「一ノ越」着。多くの人がするように、我々もここで小休止した。写真は登山路を少し進んだ立山南尾根から見た鞍部や一ノ越山荘。


立山南横の鞍部「一ノ越」から見えた北アルプス表銀座の秀峰「燕岳(つばくろだけ。2763m)」や「大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)」

一ノ越の標高は2705mあり、かの北陸の高峰「白山(2702m)」より高い。よって、晴天と相俟って周囲の山々が存分に見渡せた。

写真は、そこから望めた北アルプス表銀座の秀峰「燕岳(つばくろだけ。2763m)」。中央奥にある鋸刃状の峰で、即ち告知写真の対面から見たものである。右奥の高い頂は「大天井岳(おてんしょうだけ。2922m)」


一ノ越から見上げた立山山頂へ続く稜線と、そこに取りつく多くの登山者
一ノ越から見上げた立山山頂への稜線と、そこに取りつく登山者。下部の建屋は一ノ越の公共トイレ(1回100円)


一ノ越から立山山頂へ続く尾根道から見えた、一ノ越に接近する富山県の赤いヘリコプター

ここからは、いよいよ岩の多い本格的な急登となるので、暑いが革手袋を着け進む。寝不足の身に強い日射の暑さがこたえたが、急登自体は一定的に進めるため苦にはならなかった。一本道で人も多く、迷うこともないため、同行者より先に、一気に山頂まで進ませてもらった。

とはいえ、途中登山者の渋滞があり、素早くとはいかなかったが……。上下の道が分けられているにもかかわらずこの状況なので、連休や盆等の混雑期はさぞや混み合うことかと思われた。

写真は、その途中、下方に現れた富山県のヘリコプター。赤いので防災ヘリかと思われたが、2度程一ノ越への接近を試みて、程なく爆音を響かせ去っていった。小屋で急病人でも発生したのであろうか。


立山山上の一等三角点付近で寛ぐ登山者

絶景雄山山上
地元民も驚く好眺望


そして三峰が並ぶ頂上稜線に到着。一ノ越との高低差は約300m、時間にして30分程であったが、渋滞がなければもっと早くに着いたと思われた。

写真は山上の一等三角点付近で登頂を喜び、寛ぐ登山者。但し、ここは立山山上の南端で、標高は2991mと、まだ本邦稀な3000mに達していない。


立山三峰の一つで、雄山神社の祠(峰本社)が立つ雄山山頂
3000mを超えるのは、三角点から少し進んだここである。即ち雄山山上であった。雄山は山上の縦走路から孤立しており、頂には祠(峰本社)が建てられ、鳥居と番所で入域が制限される聖地となっている。富士・白山と並ぶ日本三霊山の一つとして古代から尊崇されたため、当然の状況か

ただ、参拝者はほぼ登山者で占められており、時折、その行動を注意する声がスピーカーで流された。拝観料はお祓い・御札付で500円。我々も聖地到達を記念して拝観することとした。


立山雄山山頂の雄山神社「峰本社」と神職や参拝者
立山雄山山頂の雄山神社「峰本社」と神職や参拝者

参拝と祈祷は頂上が狭いため20人程毎に分けられて行われた。祈祷はお祓いを伴い、ちゃんと登山の安全を願う内容で行われ、最後には全員にお神酒も振舞われた。御札もザック(リック)に付ける鈴付と1枚物の2枚くれ、更に写真入りの入場券までもらえたので、満足度は高かった。

事前に注意されていた、危険な石段での撮影や、その他身勝手な行動などで、強く叱られる者も出たが、仕方あるまいし、むしろ昨今稀な、そうした管理側の毅然的態度に感心させられた。


立山の雄山山頂付近から見た、彼方の富士山頂(中央奥)

さて、立山山上で気になったのは、何と言ってもそこからの眺望。立山がある北アルプス北部では、ここより高い山が無いため、360度の眺望が得られた。更に、地元民や常連さんが口を揃えて絶賛する好天でもあった。

故に写真の如く、遠方遥か富士山頂まで見えた(中央奥の雲の上)。


立山の雄山山頂付近から見た、眼下の室堂平やその向こうの富山湾や能登半島
立山の雄山山頂付近から見た、眼下の室堂平と彼方の富山湾や対岸の能登


立山雄山山頂の雄山神社・峰本社にある「雄山頂上」の石碑と登拝者が持ち込んだ玉石、そして対面に聳える立山最高峰の「大汝山」
立山雄山山頂の雄山神社(峰本社)敷地端にある「雄山頂上」の石碑と登拝者が持ち込んだ玉石、そして背後に聳える立山最高峰「大汝山」

立山最高所「大汝山」へ

ところで、雄山山頂からは写真の如く隣に岩峰が見えたが、それが今日の山上最終目的地・大汝山だったので向かうことにした。


立山の雄山山頂から、その最高峰の大汝山まで続く巻道登山道
立山の雄山山頂から、その最高峰たる大汝山まで続く、稜線横の巻道登山道。中央上部に冒頭画像で紹介した尖った岩が見える


立山大汝山の山頂に集い、記念撮影に興じる登山者

そして、間もなく大汝山頂に到着。写真はそこから少し離れて撮ったもの。風化した岩峰に多くの登山者が集っている。山頂標識と共に記念撮影をしているのである。

危うい場所に思われるかもしれないが、少し足場が悪いくらいで、特に危険な場所ではなかった。


大汝山山頂から見た黒部ダム(黒部峡谷奥地)
同じく大汝山山頂から見た黒部ダム。即ち黒部峡谷である。右下の残雪は日本では数少ない現存氷河(御前沢雪渓)であろうか


大汝山山頂から見た、正に「岩の殿堂」の姿を見せる剱岳
同じく大汝山山頂から見た剱岳。正に「岩の殿堂」。いつか登ってみたい


立山の大汝山山頂から北方に見えた、白馬岳(2932m。中央奥)
こちらは大汝山山頂から北方に見えた、白馬岳(2932m。中央奥)


立山大汝山山頂から見た、奥黒部の連山向こうに屹立する槍ヶ岳(中央奥の尖った峰)
そして、剱岳と並んで人気のある北アルプスの名峰「槍ヶ岳(3180m)」も、くっきりはっきり見えた(中央奥の尖った峰)


立山大汝山山頂で頂いた、同行氏持参のクリスタルアイス入りアイスコーヒー

大汝山では昼食休憩をとったが、寝不足の影響で食欲がわかず、調理器具を使うことはなかった。代わりに、同行氏が持参して現地で焼いた本格ソーセージ等を食した。

写真は同じく同行氏が持参したクリスタルアイス入りのアイスコーヒー。上等のものらしく、大変な美味で、感謝と共にここまで重い氷や食材を運んだことに感心するが、これが、のちの予定変更の遠因となる……。


立山大汝山山頂から見えた剱岳(左奥)と富士ノ折立(右手前)
立山大汝山山頂から見えた剱岳(左奥)と富士ノ折立(右手前)

大汝山での食事後、少々昼寝しようかと思ったが、異様な暑さのため叶わなかった。特に陽射しが強烈で、京都で高まった熱中症気味の体調が(前日も無空調で仕事に挑む)、倍加された感じとなったのである。

これはマズい、期待していた1万尺上空の避暑も台なしである(実はこの日、富山は7年振りに9月の猛暑日に見舞われた)。仕方なく、ある程度休んでから元来た道を戻ることにしたが、写真の如く、北方すぐそばに富士ノ折立(2999m)の頂が見えていた。

ちょうど漢字の「山」のような形の立山三峰の左端にあたる峰で、折角なので、同行氏が雄山まで進む間に独りで行ってくることにした。


立山山上の尾根道を阻むように屹立する富士ノ折立山頂
立山山上の尾根道を阻むように屹立する富士ノ折立山頂

人気ない三峰左端の富士ノ折立

富士ノ折立には5分もかからず到着。写真では鋭く危険な峰に見えるが、左側を巻き登るルートがあり、難なく登頂出来た。

日帰りの人は殆ど雄山か大汝山で引き返し、また縦走する人も先を急ぎ下方の巻道を進むので、登る人が極めて少ない峰であった。


富士ノ折立頂部の標識
富士ノ折立頂部の標識


富士ノ折立山頂から見た、室堂を含む立山西直下の谷地全景

富士ノ折立に来て良かったことは、室堂を含む立山西直下の谷地が最も良く観察出来たこと。写真がその様子で、個人的に素晴らしく感じられた。

勿論、人が少なく静かな様も、本来の高山らしくて、悪くはない。


富士ノ折立山頂から見えた、今晩泊まる予定の雷鳥沢野営場(中央の平地)や噴気上る地獄谷(左上)
富士ノ折立山頂から見えた、今夜の宿泊地・雷鳥沢野営場(中央の平地)や噴気上る地獄谷(左上)。好天は暫く続きそうで、夜空の星やご来光が楽しみに思われた


立山室堂にある、日本最古の山小屋で重要文化財の室堂小屋
室堂への下山時に立ち寄った室堂小屋。300年近く前に立山参詣者の為に建てられたという、日本最古の山小屋で、重要文化財に指定されている。内部には小屋や立山信仰に関する展示もあった

室堂帰着、さて野営は……

富士ノ折立から雄山まで15分程で戻り下山を開始した。そして一ノ越を経て室堂ターミナルに帰着。しかし、ロッカーに預けた野営道具を回収し、荷を整理して野営場に向かおうとした時、同行氏が足の不調を訴えた。

元々不調の膝が限界に達したらしく、重荷を担いでの下降200m、歩行1時間は無理という。先に駐車場に降りて翌日まで待つとも言われたが、分散するのも良くないため、私共々最終バスで立山駅に下ることにした。

残念だが、致し方あるまい。ただ、同行氏初の3000m超の登頂は叶ったし、私も三霊峰完登が叶った(昔来た時は室堂散策止まり)。今回はこれで良しとするしかあるまい。

不調の一因には、山頂のアイスコーヒーで触れた通り、食関連の荷を持ち過ぎたことがあるが、事前に説明した上での希望だったので仕方あるまい。むしろ、苦労を承知で楽しみや我流を追求する姿勢は応援すべきことであり、これを教訓として、是非また挑戦を続けて欲しいと思う。

さて、行きと同じく、高原バスとケーブルカーで長大な溶岩台地を下り、駐車場を経て、立山を後にした。途中、石川の市営温泉に寄ったり食事をするなどして無事京都に戻ったのは、既に夜も遅い時間であった。

皆さん、お疲れ様でした。高地野営はまた機会あれば!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年06月09日

霧雨鈴鹿行

三重側から鞍掛峠へと続く、巻き道の鈴鹿山脈・御池岳登山道

入梅前に間に合うも……

今日は入梅前の山会。本来なら梅雨入り後となる可能性もある日であったが、幸い月初の雨が続かず、何とかその名目が保たれた。

しかし、今日は朝からの曇り。しかも、現地他、近畿では午後から雨予報もあった。だが、その分気温上昇が抑えられ、大きな崩れにもなりそうもなかったので、一先ず決行することとした。

元々、この時期は山に限らず天候が読み難いので、雨具や着替えの完備を参加者に事前連絡し、自身も抜かりない状態で臨んだのである。

唯一、気掛かりなのは、この山域に多いという山蛭(ヤマビル)だけか……。まあ、これも一応対策は考えていた。


上掲写真 滋賀・三重両県を隔てる、鈴鹿山脈主稜線を潜る「鞍掛(くらかけ)トンネル」の三重口から続く鞍掛峠への登山道。鞍掛峠は近世以前から近江・伊勢を結ぶ参詣路上にあったとされるが、比較的路面が狭いここが古道かどうかは不明。


鈴鹿山脈の鞍掛峠付近より見た三重県員弁(いなべ)部分の伊勢平野
鞍掛峠付近より見た三重県員弁(いなべ)部分の伊勢平野方面

三重口より古格なき峠道へ

今日は友人の車輌支援を受け、滋賀側から鈴鹿山中に入り、三重側に出た。既に他の登山者の車輌が並ぶトンネル出口の余地に駐車し、ここから準備して登山道に入る。

乗っけから植林地の急斜をつづらで登る道となり、慣れぬ人を苦しめたが、無理ないペースで進みやがて前掲の巻き道を経て鞍掛峠に到着した。

然程古くはない峠の地蔵堂前に先客の家族がおり、蛭の除去を行っている。事前の情報では確認出来なかったが、5月の高温の所為か、かの「難儀者」は既に活躍を始めていたのであった。

人が払ったものを貰ってはいけないので、峠から少し離れた場所で小休止。峠の画像がないのは、その為である(笑)。まあ、撮るほどの古格を備えた場所でもなかったが……。


鈴鹿山脈の鞍掛峠手前の稜線道
鞍掛峠手前の稜線道。峠の十字路と地蔵堂は道先の木立の中にある


鈴鹿山脈の鞍掛峠・鈴北岳間の尾根道の下部から吹き上げてくる霧

霧の広尾根をゆく

峠を後にして登坂の尾根道を進む。頂部の凹凸を避けた効率の良い巻き道もあり、その途中には数基の炭焼窯遺構も確認出来た。しかし、道は狭く、荷車に対応した一般的な古道とは異なるものに見られた。

途中霧が多くなり、写真の如く森の下部から吹き上げてくる様が観察された。天気の推移が早いのか、空の明るさも徐々に下がりゆく観があった。


鈴鹿山脈の鞍掛峠と鈴北岳間の広くなだらかな高原状尾根

尾根に沿い高度を上げると、写真の如く、木が少なく、広くなだらかな高原状の場所に。所謂、広尾根である。残念ながら霧で眺望はないが、蛭の危険性が減る明るい高燥地のため、幾分朗らかな気分となった。

しかし、こんな場所にもかかわらず杉苔が密生していることが気になった。その色も姿も大変美麗であったが、皆で首を傾げることに……。他にも、羊歯等の湿生植物が多く、晴天率の低さ等を考えさせられた。

そういば、ここは琵琶湖と太平洋両方の気流がぶつかる場所であった。果たして、それが関係しているのであろうか。そして、古来著名な蛭の多さも……。


霧深い、鈴鹿山脈・鈴北岳直下の登坂
光度は益々下がり、霧が深くなった。見上げる登坂もこの通り。身体中、持ち物中に水滴が付く


鈴鹿山脈の御池岳山塊・鈴北岳直下の石灰窪地「ドリーネ」

石灰台地・御池山塊着

そして登坂上部の急登を越え、広くなだらか頂に着いた。「鈴北岳」の標識あるここは、本日の目的地「御池岳(おいけだけ。1247m)」の広義的北辺に当たり、標高1182mの地点であった。御池岳は幅約半km、全長約3kmの舟形の台地状をしており、狭義的な山頂はその中央最高所にある。

写真は、鈴北岳の標識直下に現れた、本日初遭遇の石灰地形「ドリーネ」。石灰地盤の融解により生じた窪地で、これに水が溜まった池が点在することから「御池岳」の名も付けられたとみられる。

風が強く、霧も雨と化してきたので、雨具を着用。ただ、まだ撤収は意識しない程度の荒れ具合。


鈴鹿山脈・御池岳山塊山上の石灰岩

台地状とはいえ、山上には起伏があり、巨大な船上にいるような感覚はない。ただ、頻繁に現れる窪地や写真の如き石灰岩の露出が、御池山上に居ることを実感させる。

規模は比較にならないが、昔訪ねた日本最大のカルスト地形「秋吉台」を想い起こさせた。


ドリーネが繋がって形成された、鈴鹿山脈・御池岳のウバーレ
こちらはドリーネが繋がって形成された窪地「ウバーレ」か


滝組みの様な岩がある、鈴鹿山脈・御池岳のウバーレ
滝組みの様な岩を持つウバーレ。付近に「日本庭園」と呼ばれる場所があるらしいが、正にこれらの姿により名づけられたのか


雨で濁る鈴鹿山脈・御池岳の真ノ池

雨降る台地上に続く浅い谷道を進むと、本日の目当ての一つ、山上池が現れた。写真のそれは「真ノ池」と呼ばれるものらしく、大きくはないが、モリアオガエルらしき蛙やその卵塊・蛇等の、動物の営みが観察出来た。


鈴鹿山脈・御池岳山頂直下の植生豊な「雨の森」

雨の森経て山頂へ

真ノ池を越えた辺りから雨粒が大きくなり、手や下半身に雨具を足して完全防備となる。気温も、12、3度と低いので水濡れは禁物となった。

写真は谷道を外れ、いよいよ御池岳山頂へと向かう登坂途中の森。正に「雨の森」状態。湿度は高いが、気温が低いため比較的快適であった。

標高1200m前後の高所ながら、意外と植生が豊かなことに感心する。来る前まで、疎らな灌木くらいしかない、貧しい高原を想像していた。


雨の森なかの登坂の果てに見えた、鈴鹿山脈・御池岳の山頂標柱

時折顔を打つ大粒の雨を手でぬぐいつつ森の登坂を進むと、やがて写真の如く標柱が見えてきた。鈴鹿山脈最高所の御池岳山頂である。しかし、ここも、あくまでも、なだらかであった。

御池岳山頂は舟形台地の中央に緩く聳えるため艦橋状の場所で、眺望に優れるという。ただ、残念ながら今日は荒天の為その褒美は無し。

そういえば、カメラのレンズに雨が当たり、写真にその影が現れている。非防水なので、これ以上降らないことを願いつつ山頂での休息に入った。


鈴鹿山脈最高峰・御池岳山頂で頂いたソーセージとアスパラの炒め物やおにぎり
御池岳山頂でのひと時。Nさんがソーセージのアスパラ炒めを大量提供。また、食後のホット珈琲等も。気温が低く、雨にも当たったので有難い限り。それらの気遣いが空に通じたか、雨も一時弱まってくれたのであった


鈴鹿山脈・御池岳の断崖から突き出た天狗の鼻

台地南部の急崖

山頂での食事休憩後は、台地南部の見学へと向かった。艦橋的な、なだらかな山頂を少し下ると、「天狗の鼻」と呼ばれる写真の岩場が現れた。

雨霧で周辺状況が解らないが、台地端の急崖から突き出ており、近づくと危険な場所。本来なら琵琶湖や遠近の山々等が見渡せる絶景箇所らしいが、生憎の天候により叶わず。


鈴鹿山地・御池山塊の台地南西端と、その際に続く道
御池山塊の台地端と、その際に続く道(左端)


鈴鹿山脈・御池岳南部の崖際から「天狗の鼻」とその下の断崖を見る
少々緊張する崖際の道を進み「天狗の鼻」を振り返る。雨霧のなか、急崖から突き出ていることが良く解り、更に緊張する。雨風も強くなったきた


鈴鹿山脈・御池岳ボタンブチの遭難者慰霊用ケルン

「天狗の鼻」の次には「ボタンブチ」と呼ばれる断崖と絶景場が現れた。ここには岩の突き出しはないが、写真の如く遭難者慰霊のための石積み「ケルン」があった。

遭難のことは後で知る。当時の状況は解らないが、この下は高さ数百mの急崖となっているので、痛ましい事故が想像された。

因みに、ボタンブチの名は、ここが「猟で猪を追い込むフチ(縁)」であったことに由来するらしい。


鈴鹿山脈・御池岳の石灰岩中の化石

本来は台地南端の「奥の平」と呼ばれる場所も探索したかったが、少々危険を感じる風雨となり、また、これまで以上の見ものにも乏しく想われたため、撤収することとした。

崖際から尾根へと進路を変え、その後北上して山頂に戻り、来た道を辿った。

写真は鈴北岳手前の石灰岩中に発見した化石。左の白く円い物と、右の筋のある小判形の物である。当初巻貝や三葉虫の様な動物を想像したが、観察の結果違う物と断じた。サンゴの一種であろうか。


滋賀県多賀辺りから見た、鈴鹿山地奥に霞む鞍掛峠南・御池岳北横の主稜線

下山そして帰宅
危険な同伴者あり!?


そして、雨により状態が悪化した急斜の道を慎重に下り、無事峠下の車輌に帰着。生憎の曇り空ながら、雨が多かったのは高所のみだったらしく、車で下った山下の路面は乾いていた。

写真は麓の多賀辺りから見た鈴鹿山地。中央最奥に霞む山が鞍掛峠の南で御池岳北横の主稜線辺り。御池岳はこの南、即ち右側に台地の姿で聳える筈であるが、前山や雨雲の所為で遂に認めることは出来なかった。

帰宅後、道具類の片付けをしていると、何と、雨具のファスナー蓋奥に蛭が潜んでいることを発見。すぐに処分したが、危ないところであった。

あれほど注意していたにも拘わらず取りついていたとは、中々手強い相手である。雨具の着用順序から、恐らく高所として油断していた御池山塊上で取りつかれたとみる。同様の行程を予定する人はどうかご注意を……。

さて、今日は生憎の天候ながら、無事一通りの予定をこなすことが出来た。参加者皆さんのご協力に感謝。お疲れ様でした!

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2019年05月05日

続2019春野営会

滋賀県湖南アルプス太神山中での野営翌朝に作った、焚火仕立てのソーセージ・マフィン

野営2日目まさかの……
これも経験・学習!


昨日、山入りした野営会は、今日が最終日。

買い出しや設営等の労力を考えると1泊2日は効率が悪いが、まあ皆事情もあるので致し方あるまい。今回は野営初心者の講習的な集いでもあったので、そういったことを実感してもらうのも、また学びかと思われた。

前夜から朝にかけて気温が下がり寒くなったが、昨日と同じく朝から好天に恵まれ、先ずまずの出だしとなった。しかし、日帰り参加者合流後の午後から急に陽がかげり始め、やがて雨が降り始めた。

出発前まで天気の崩れはないとの予報であったが、まさかの雨に。しかも、器に水が溜まる程のまとまった量が2度に渡って降り、テントや道具類が濡れる面倒となった。そして、それを境に急激に気温が下がることともなった。所謂「寒冷前線」の通過であろう。

正に「水をさされた」かたちとなったが、まあ、これも経験である。良い時期・良い条件ばかりでは訓練にならない。

冷たい雨に長く打たれつつシートで炉を守り、雨後、遅い昼食を終える。そして撤収。雨の所為、少人数故の労力不足により分水嶺探索等の余興が出来なかったが、まあ、それは次回のお楽しみに……。

暗く滑り易い路下り撤収

しかし、下山が日没にかかり、雨で濡れた足下の悪い道を下ることとなった。だが、なれた道程ではあったので、転倒続出ながら、何とか無事下山。皆さんお疲れ様でした。

今回の反省点は、この日没下山と、参加者のライトや手袋、ポール(杖)の不備であった。特に装備の不備はそれを補助する他者の足を引っ張ることになり、結果皆を危険にする行為となるので、これを機に厳に学習してもらいたい。私も、今後安易な支援や貸し出しを行わないことに決めた。


上掲写真 焚火仕立てのソーセージ・マフィン。この日はこれと珈琲を朝食とした。簡易だが、バターの風味が効いて美味。見ての通り、この頃はまだ好天。その後、まさかの雨に見舞われるとは……。

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2019年05月04日

2019春野営会

滋賀県湖南アルプス太神山中の新緑

安堵の快晴の下、初心者講習的野営開催

天皇交代と改元により空前の10連休となった2019年の黄金週間。

世間では海外などの遠隔地や長期間の旅行等が盛んであったが、我々は平年と変わらず近場でのキャンプを行った。恒例の野営会・春の部である。

場所もこれまた変わらず隣県滋賀の太神(たなかみ)山地。直前にキャンセルが出て人数は少なかったが、今回は初心者講習的な開催となった。

連休前半はあいにくの荒天が続いたが、後半は晴天が続くことに。そして、今朝も非の打ち所のない快晴となり、暑いくらいの好天となった。

とまれ心配していたので、先ずは安堵……。


上掲写真 太神山中の新緑。いつもはヤマツツジが丁度見頃だが、今年は既に終りかけていた。例年より季節の進行がはやいのであろうか。


滋賀県湖南アルプス太神山中に開かれた炉で沢水を沸かす

いつもの如く荷を担いで山道を登り、いつもの場所で竃や炊事場を設けて準備する。写真は、開かれた炉にて早速沢水を沸かすところ。火を熾し、飲み水を作るという、山暮しの基本の始まりであった。


ご飯や汁物等の容器が並ぶ、滋賀県湖南アルプス太神山中での夜の焚火炉端
ご飯や汁物等の容器が並ぶ、夜の焚火炉端

人数が少ないため殆ど遊び時間が取れず気の毒であったが、夜には無事少々豪勢な飲食の宴を開くことが出来た。


野営会2日目は翌日の記事

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2019年04月06日

清明探雪

岐阜県北奥の能郷谷より見た雪残る能郷白山の一部「前山」

性懲りもなく……

4月に入り、気温も急上昇して桜もそろそろ満開に。そういえば、昨日は二十四節気の「清明(せいめい)」入りでもあった。

そんな春確実の、4月第一週末。性懲りもなく、また探雪の山行に出かけた。是非とも今季の鍛錬と装備試験の仕上げを行いたかったのである。

場所は奥美濃(岐阜県北部)の能郷山(のうごうさん)。所謂「能郷白山(権現山)」である。越前福井との県境に連なる越美山地(えつみさんち)の最高峰で、標高は1617m。かなりの遠方であったが、この時期、京都から車行・日帰りが叶う「冬山」は既にここぐらいとなっていた。

また、それらの事情とは別に、霊山を示す「白山」の名を持つ奥山として以前より興味を抱いていた、ということもあった。

一応、現地の状況を下調べしていたが、実際のところはわからない。果たして奥美濃の地に冬山登山が可能な雪峰が残っているのであろうか……。


上掲写真 木曽三川の一つ、揖斐川(いびがわ。上流部名称「根尾川」)源流域である能郷谷より能郷白山の一部(前山。標高約1510m)を見る。先月比良山脈南部に行った際、ホッケ山から見えた雪山である。神々しいその主峰はこの西奥(左)にあり、麓からは中々見ることが出来ない。


岐阜県北部・能郷白山麓の林道脇のブナの天然林

雪解けの山間に霊峰現る

朝暗い内に起きて準備するも、車を借りに行くなどしたため、結局明るくなってからの出発となった。時間節約のため高速道で滋賀県を通過し、岐阜県内では様々な下道を経て、能郷谷への山間路を北上した。

途中、すっかり雪が消えた山間奥に、独り雪を戴く能郷山を見て驚く。白く発光するが如き神々しい姿で、只ならぬ存在感を放っていたからである。それは、正に太古から人に崇められるべき霊山としての姿であった。

時間的理由によりその撮影は叶わず、麓の能郷白山神社のみに立ち寄る。加賀白山を祀る、かの白山比刀iひめ)神社と同じく、能郷山共々泰澄上人が奈良時代に開いたものという。思えば、泰澄上人縁の山は、昔登った白山と去年登った日野山(ひのさん)に続く3つ目であった。

こうして先を急いだが、結局、現地開始時間は9時前となった。林道ゲート前は、既に登山者のものと見られる多くの車が停まって静まり返っており、否応なしに遅刻の気分にさせられる。

致し方あるまい。ここからの距離も高低差もかなりある、正に1日がかりの行程なので、無理をせず、進める所まで行くことにしよう。

写真は歩いて遡上した林道脇のブナ林。根の曲がり方からすると、厳冬期はこの辺りでもかなりの積雪があるかと思われた。因みに最初の写真も林道を歩き始めた頃のもの。山自体は疎か、登り口ですら遥か先であった。


岐阜県北部・能郷白山の登山口から続く見上げるばかりの急登道
登山口から続く見上げるばかりの急登の道

退屈な舗装林道を急ぎ、急登の登山路へ

所々自然林を観察したりもしたが、やはり舗装路歩きは退屈であった。しかも長く、結構な登りでもあった。更に、上流に行く程、恰も震災に遭ったかの如く路面が波打ち始め、歩行も難儀するようになった。

とはいえ、なるべく早めに進み、何とか標準時間の1時間は費やさずに登山口に到着。朝から気温が高いこともあり、水分を補給して山道に入った。

雪が失せてかなり日が経った印象の登山路は時にロープも渡されるような急登の連続であった。ここでも気温の高さが影響して疲労させられる。


岐阜県北部・能登谷から前山の雪渓下に続く作業路
能登谷から前山雪渓下に続く廃道

全身釘打ちの聖山

急斜で浮石の多い尾根道を登ると、何と林道に出た。標高は既に1000mを越えている。

前山の尾根中腹を切り、能登谷源流の雪渓下に続くその道は、恐らく治山治水用の作業路かと思われた。谷なかを見渡せば、至る所に親の仇の如く施された堰堤の連なりがあった。

土石流や雪崩から麓の集落を守るほか、日本有数の洪水頻発地である濃尾平野の護りとして重要なのは理解出来るが、何やら全身釘打ちされた聖山の姿を見た気がして、複雑な気にさせられた。

拉げたガードレールや路面から伸びた樹々、そして麓の荒れ具合を考慮すると、ここに車輌が登り来る日は最早無さそうにも思われたが、自然の大きさと共にそれに対する人の威力たるものを改めて知らされた気もした。

事前に調べた際、北裏の峠から主峰に至るルートに比して労多い能郷谷ルートを自然多き道として勧める意見を目にしていた。しかし、谷なかを進む段階からかなり違和感を感じていた。その原因が、正にこれであった。

確かに天然林等の自然は豊富にある。

だが、これほどの奥地にもかかわらず、谷の両側は疎か、方々に切られた作業路やそれに因る山肌の崩落等々、この地全てに影響を与える人の行為と意思を、強く感じざるを得なかったのである。


岐阜県北部・能郷白山の前山下のお迎えブナ
廃道を横切り、また尾根の急登をゆくと、やがて写真に見る通りの、一本立ちの大きなブナが現れた。幹に「お迎えブナ」との札が付けられた、道標的樹木のようである。そして、この上部辺りから雪が深くなった

麓からもブナの大樹は観察できたが、梢に赤みがあることが気になっていた。今それに接して判ったのは、その色は芽吹きによるものだった、ということ。未だ厳しい山上にも、確実に春が迫っていたのである。


岐阜県北部・能登谷西の稜線
やがて尾根の急登が終り、能登谷西の稜線に出た。標高は1150m、前山に続くものであり、残雪多い雑木の尾根であった。実はこの付近にて一時的体調不良を起こし、30分弱の時間ロスが発生


岐阜県北部・能郷白山の前山とそれに続く雪の尾根筋
稜線を登ると、笹多い道となり、前山(写真右奥側)とそれに続く尾根筋が見え始めた。雪深い急斜となり、ワカン(かんじき)とアイゼン(爪底)の装着を考えたが、先達らの足跡を参考にそのまま進むこととした。但し、下りは危険なため10本爪以上のアイゼンが必要である(付けずに下る足跡もあったが……)


岐阜県北部の前山から見た能郷白山山頂
そして前山着。標高は1500m程。漸く能郷白山の姿(中央奥)が現れた


まだ冬山風情の岐阜県北部・能郷白山横の前山の雪原
まだ冬山風情の前山の雪原

能郷山登頂決行

卓状に開けた前山の雪原に荷を置き、アイゼンの装着と水分補給を行う。気温は5度弱と高めだが、辺りは完全に冬山風情。ただ、風が強く、フードを被るなどして対策した。

時間は12時を過ぎていた。本来は午前中に到着するつもりであったが、雑木帯での停滞により叶わなかった。最新情報では、能郷山山頂まではあと1時間程らしいので、登頂を決行することとした。

なお、前山の手前辺りから下山する先達らとすれ違い始めた。装備や日程の関係か、それらの一行は、単独か二人連れのみであった。


岐阜県北部・前山・能郷山間の雪庇越しに見た磯倉の山頂

前山から能郷山への道は尾根渡りとなる。一旦下り、数十mの上下を繰り返して最後に200m程上昇する。雪庇も健在で、注意しながら進む。ワカンが必要な積雪量だが、踏み跡が確りしている為それを頼って使わず。

写真は、雪庇越しに見た磯倉の山頂(1541m)。鋭角の姿が美しく、山頂直下にはトレースも。能郷山山頂の南に連なる山で、時間的余裕がある人は立ち寄るらしいが、残念ながら私にはその余裕なし。


岐阜県北部・磯倉山頂と能郷山側面
磯倉右隣には雄大な能郷山本体も。その上端にも防波堤のような雪庇の連なりが見られた


岐阜県北部・能郷白山頂上への雪の急登
前山から続く稜線の最低鞍部を過ぎ、能郷山山頂直下に至る。見上げると、かなりの急登。先達の装備を参考にストックをピッケルに転換した


残雪被る岐阜県北部の能郷白山と奥宮方向からトラバースして下る人
能郷山山頂への登りの途中、頂部から山肌をトラバース(巻き歩き)下降する人も見えた(中央左の稜線下の黒点)。あとで聞いたところ、昨年の台風で飛ばされたという能郷白山神社の奥宮を探した帰路とのこと


岐阜県北部・能郷白山山頂と標識
そして山頂着。時間は13時40分であった。雪は日射で緩んでいたためピッケルは必携ではなかったが試用出来て良かった。写真はビニールがかけられた山頂標識。この傍に一等三角点もある筈だが、完全に埋もれている


岐阜県北部・能郷白山山頂から見た荒島岳と白山
奥美濃最高峰の能郷山山頂からは周囲のあらゆる山々が見渡せた。この写真では、最も奥が白山(2702m)、その左手前が百名山の一つで越前大野の荒島岳(1523m)が収まる


岐阜県北部・能郷白山山頂から見た白山
荒島岳(左手前)と白山(中央奥)を望遠撮影にて。この他、木曽御嶽山(3067m)等も見えた


岐阜県北部・能郷白山山頂からの雪の下山路
能郷白山山頂からの下山路

風も穏やかな山頂にて暫し休み、14時に下山を始めた。日没には充分間に合うが、その後の車行も長いので、先行の人より先に進ませてもらった。


岐阜県北部・能郷集落から見た能郷白山(中央奥)と前山(右)
帰路の車道より振り返った能郷白山(中央奥)と前山(右)。太古から変わらぬこの厳粛な眺めが、いつまでも続くことを願いたい

下山。今季の鍛錬・試験終了

そして、あまり休まず歩き続けて17時前には車に戻った。やはり全区間相当の急斜で、下りとはいえ足腰が疲労した。また、最後の長い林道歩きも気分的に辛く感じられた。

とまれ、無事登頂することができ何より。雪も豊富で、装備の試験も叶った。遠路遥々訪れて良かった。これにて今季の鍛錬と試験は終了である。

ところで、この冬集中的に同様を行ったことに対し、方々から質問を受けていた。それへの答えは、自分の技能・体力の向上と、それを基にした他者への教導・救助対応の強化であった。

思えばここ10数年、初心者向けの山会の引率が多かったので、自分自身の成長が止まっていた。これを打開し、皆の為にもなるよう、一歩難易度が高い山行や装備研究等を始めたのである。また、家や街場に引き籠りがちとなる冬場の活動を模索する目的もあった。

これらは、あくまでも近場で無理せず行うためのもの。地元の良さを再発見するという各会の趣旨にも適っている。よって、今回のように時間や費用を惜しまずギリギリの行程で山を往復する余裕を欠く行動は本意ではない。あくまでも、時季を意識した個人的な訓練・学習の一環であった。

今のところ、これらの学習や試験がどんな企画に結実するかは未定だが、気長に楽しみにしてもらえれば幸いに思う。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年03月27日

湖北探雪山行

滋賀県西北の武奈ヶ嶽登山口から見た水の無い石田川ダムとその堰堤

湖西最後の雪山を求めて

先週まで2度続けた比良山地での雪山鍛錬も、雪解けに因り前回で終了。同山脈の最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)も気になったが、先週達した最高所とは100m強の高低差しかないので、もはや雪は少ないと断念した。

代りに、比較的身近な湖西地方最後の訓練地として福井県境にも近い湖北の山に行くこととした。ここは最高標高1000m未満ながら比良に勝る豪雪地帯の為、豊富な残雪が期待できた。果たしてその結果は……。

ただ、家から遠いので往復に時間がかかり、更に山地のため道路凍結等による通行困難が予想された。実際24日日曜に一度決行したが、途中の花折峠でまさかの吹雪に遭遇し、比良にも達せず撤収を余儀なくされていた。

因って気温・天候共に適した今日を代りとしたが、やはり山地の朝は気温が低い為、それを避け、遅い出発をせざるを得なかった。故に、現地の登山口着は10時過ぎとなった。


上掲写真 登山口傍の林道から見た石田川ダムとその堰堤。冬期という事情のためか、水はなく、方々で底が見えている。石田川は、山地一帯の雪解け水を集めて湖北今津を経て琵琶湖に注ぐ。


滋賀県西北山間の石田川ダム横の林道崖に付けられた登山口
石田川ダムから更に上流へと続く林道の崖に付けられた急な登山口

先ずは湖北武奈目指す

今日の目的地は、林道崖上部の稜線に続く峰々。先ずは赤岩山(標高740m)という峰に出て、そこから稜線を北上して武奈ヶ嶽(同865m)という峰に至る。武奈ヶ嶽以降は、時間的に可能であれば更に北方奥の三重嶽(さんじょうだけ。同973m)の登頂に挑む。

武奈ヶ嶽までなら麓から2.5km程のため時間的に問題はないが、その先の三重嶽はそこから更に5km程の奥地に在り、途中数百mの登り返し等もあるため困難が予想された。ただ、周囲の状況的にそこまで行かないとまともに雪が無いように思われた為、少々悩ましいところでもあった。

とまれ、出発。因みに、武奈ヶ嶽は比良山脈の「武奈ヶ岳」と同じ読みの別山。混同を避けるためか「湖北武奈ヶ嶽」とも呼ばれる。


滋賀県西北・赤岩山麓の登山口の炭焼窯跡
赤岩山登山口近くの炭焼窯跡

急な登山路を登ると、早速、炭焼窯と見られる石組みの遺構が現れた。登山路はハイカー用に無理やり付けられたのではなく、元は山仕事用だったとみられる。昔は谷底まで続いていて、その後ダムと林道が出来て傾斜が強くなったのかもしれない。

炭焼窯跡とみられる窪みは、その後もかなりの高所まで続いていた。


滋賀県西北・赤岩山麓の急斜の巻き道
見ての通り、山肌に雪はないが、乗っけからかなりの急斜で、落ちると危険な場所もあった。積雪の際はストックかピッケルが必携に思われた。


滋賀県西北・赤岩山登山道の地面毎直角に倒れる倒木
赤岩山登山道の倒木被害。写真を貼り間違えた訳ではなく、本当に地面ごと木が直角に倒れている

古い仕事道を利用した急な尾根の登山路を登るが、間もなく倒木の連続に行く手を阻まれるようになった。恐らくこれも昨年の台風21号の被害であろう。倒木を潜り、乗り越え、また迂回しつつ上を目指す。

これがひたすら続いて煩わしく、またコースアウトの原因ともなるので危険に感じられた。


残雪ある植林に囲まれた滋賀県西北・赤岩山山頂
植林に囲まれた残雪ある赤岩山山頂

やがて面倒な倒木の急登を登り切り、稜線上の赤岩山山頂に達した。残雪が現れたが、少なく、踏み抜きし難い圧雪のため、装備転換せずそのまま進む。


滋賀県西北・赤岩山道と高島トレイルとの合流部
赤岩山道と高島トレイルとの合流部

赤岩山から稜線を北上し、少々雪深い鞍部を越えると、道は中央分水嶺(日本海・太平洋の水系界)の縦走路「高島トレイル」と合流した。しかし、陽当たりの所為か、雪は全くない状態に。


滋賀県西北・武奈ヶ嶽南から見た赤岩山
既に春山的雰囲気の縦走路を高度を上げつつ北上。振り返ると先程通過した赤岩山が見えた。結構雪があるように見えるが、稜線は殆ど無し


雪解け進む滋賀県西北・武奈ヶ嶽山頂
武奈ヶ嶽山頂

そして武奈ヶ嶽着。麓から1時間半程か。標高が上った為さすがに雪が増えたが、それでも土の露出も多かった。

また、気温が高いため、暑さも感じた。ウールのインナーグローブ(下手袋)も全く不要である。


滋賀県西北・武奈ヶ嶽山頂から見た残雪ある三重嶽
武奈ヶ嶽山頂から北方の三重嶽(中央奥)を見る

武奈ヶ嶽山上からは北方の三重嶽が見えたが、やはりかなり遠方に感じられた。ただ、目論見通り、雪はここより多そうに感じられた。

雪上で昼食を摂りながら、暫し今後を思案する。


残雪が消えた滋賀県西北・武奈ヶ嶽北の縦走路

三重嶽へ

そして、13時過ぎに武奈ヶ嶽山頂を出発し、途中の鞍部に14時まで、三重嶽山頂に15時までに到達しなければ引き返す予定で先へ進むこととした。

北上するにつれ稜線の雪はまた消え、写真の如き灌木の道が続く。


標高約640mの滋賀県西北・武奈ヶ嶽北の縦走路鞍部
標高約640mの縦走路鞍部

武奈ヶ嶽から若干の登り降りを繰り返し、やがて標高812mの頂部から急下降が始まり、同640m程の鞍部に達した。時間は期限の14時に至らなかったため更に進むことに。

当然ながらここからまた登りが始まる。三重嶽山頂までの高度差約330m、距離約3kmを急ぐ。冬装備をほぼ完備してきたので荷が重く、そして暑い。


滋賀県西北・武奈ヶ嶽・三重嶽間鞍部の湿地
鞍部付近には高層湿地も。生では無理だが、無雪期には貴重な水場か


滋賀県西北・武奈ヶ嶽・三重嶽縦走路の細尾根
やがて両端が切れ込んだ細尾根も現れる。雪が有れば危険な箇所となる


滋賀県西北・三重嶽西手前の残雪ある広尾根
そして標高750mを越すと、雪を伴う広い稜線となった。やはりこの区域は雪が多いが、ワカンを出す程の質ではなかった。ただ、急な登りは滑ったのでチェーンスパイクの使用を考えたが、時間を惜しみ、キックステップ(蹴り込み)で乗り切る


残雪から地面がのぞく、滋賀県西北・三重嶽山頂
三重嶽山頂

広尾根を長く歩き、やがて三重嶽山頂に到着した。やはり、遠かった。時間は期限を過ぎた15時15分であったが、帰りは来た道を考えずに戻れるので、その分の時短効果を頼ることにした。

とはいえ、鞍部を登り返したあと、また未知で長い下山路を経るので、先を急ぐこととした。


三重嶽山頂に広がる残雪と遠く霞む湖西の山々
三重嶽山頂に広がる残雪と、遠く霞む湖西の山々

長躯してさすがに疲れたので、荷を置き、雪上で5分のみ休む。


滋賀県西北の武奈ヶ嶽・三重嶽縦走路鞍部から南の登り返しを見上げる
下山路手前に聳える縦走路の登り返し。この頂まで登り返さねば帰れない

日没意識し急ぎ下山

三重嶽山頂を出て雪原を下る。滑り易いが装備転換する時間を惜しみ進む。次の目標は下山分岐部に17時までに到達すること。

下山路も長く、未知の区間なので、日没の危険を考慮した時間配分であった。勿論、電灯や緊急泊の装備は持っていたが、暗くなるまでに下山することに越したことはない。

とまれ、来た道とはいえ、迷い易い雪の広尾根を注意して進み、やがて鞍部に到達。見上げた登り返しに少々気を重くしたが、致し方あるまい。


滋賀県西北・野坂山地のワサ谷上部に続くつづらの古車道
急斜の尾根に延々と続く、つづらの古車道

古道と謎の平坦地ある下山路ゆく

ひたすら広尾根の登り返しを進み、また雪ある頂に戻る。そして間もなく下山路分岐部に帰着した。時間は16時40分。急いだこともあり、設定した17時より早く着くことが出来た。

あとは下るだけなので、下山中に暗くなる危険性はかなり下がった。ただ、標識によるとここからワサ谷という石田川ダム湖畔まで3.8kmもあるので油断は禁物であった。

分岐で少し休み、やがて雪多い植林帯の尾根道を下る。雪が減り地表に現れた道はかなり確りとしたもので、歴史ある古道かと思われた。途中、作業場跡の様な平坦地も多く、急斜の道ながら至る所に人跡が感じられた。

そして、道は更に広がり、古の車道(くるまみち)の様相を呈した。間違いなく大きな資力・労力を投じて開かれた古道跡であり、やがてそれは尾根上の大きな平坦地に達した。明らかに人工的造成地であり、建屋の基壇跡のような高まりや、道の両側に設けられた土塁状の構築物もあった。

経験からすると、中世以前の山城や寺院の可能性が窺われたが、地政学的納得が得られなかった。ただ、この山域は標高の割に大変急峻で、人が通過出来る場所が極めて限られているので、間道的役割は考えられた。帰宅後、是非地元の遺跡図等の資料を確認してみたいと思った。

さて、山中の古車道は、やがてつづらの連続となり、その後、谷なかの林道に達した。林道も数度のつづらを成して下り、遂に湖畔林道に出ることが出来たのである。あとは止めていた車輌まで戻った。分岐からの時間は約1時間であった。

帰路の車行で風邪ひきかける

こうして無事暗くなる前に帰路に就くことが出来たが、上着を足すのが遅れ、汗冷え起こして風邪をひきかけたことは誤算であった。帰りの山地走行で日が暮れ、気温も下がった為である。車を用意することを面倒がり、二輪で来た所為でもあった。これも反省、学習である。

とまれ、こうして苦労して奥山に達し、目論見通り多くの雪と接したが、雪山鍛錬としては期待外れのものとなった。やはり、どこも季節は急速に進んでいる。これもまた反省・学習の業か。ただ、逆に中間期の暑さや汗の問題に対する経験や資料が得られたことは、収穫にもなった。

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2019年03月18日

続山地残氷

滋賀県比良山中に残る旧国道367号・花折峠道の古い石垣

比良の残雪や如何

また週末に鍛錬山行を企てたが、天候不順のため断念。代わりに今日、振替実行した。

向かったのは、前回と同じ滋賀県西部の比良山脈。標高1000mを超す峰が連なり、積雪が多い山域として知られるが、今季は雪が少なく、前回も既にかなり雪解けが進んでいた。

今日も、一応雪上での鍛錬や道具類の試験が目的であったが、果たして山の状況は如何なものであろうか。


上掲写真 途中にある登山口まで歩く旧国道367号・花折峠道で見つけた苔むした石垣。古い道路擁壁とみられる。


滋賀県比良山中の旧花折峠道下部に並走する更に古い旧道路盤
旧花折峠道下部に並走する更に古い旧道路盤

旧道付近にて歴史地理的発見

前回と同じく、往復10km強・高低差630m程の行程なので、午後遅くからの開始となった。準備して旧道を上ると、先程の石組みの他、崖下に並走する更に古い道路痕跡を見つけた。方々に石材の散乱が見られ、前近代的な姿があった。

現旧道はバス道等として改変されたのか。今まで古街道を踏襲したものだと思っていたが、意外であった。これも、雪が解け、枝葉や下草が少ないこの時季ならではの発見といえようか。


滋賀県比良山中の旧花折峠道上に残る切通しの道跡
登山道対岸尾根に切り通された道跡らしき人跡(中央奥やや左)

更に興味深いことに、旧道を離れ、登山道を登り始めた沢筋の対岸尾根に、切通しの道跡らしい人跡を見つけた。幅1間(2m弱)強の、荷車離合可能な古い「車道」であろうか。


滋賀県比良山中の旧花折峠道上に残る細い道跡
切通し車道上手の道跡(中央)

そして、更にその上部にも半間程の狭い道跡があった。


滋賀県比良山中の平集落・アラキ峠間の登山道から見た3種の花折古道
平(だいら)・アラキ峠間の登山道から見た花折古道3種。右端最下部に舗装された現旧道が見え、その上(中央)に切通し車道、更にその上(左)に細道が見える

それらの古道は同じく尾根の手前と向こうを連絡している。ひょっとして、上から順に古いもので、花折道変遷の名残りを示すものであろうか。そういえば、現旧道の更に下には現国道も同様に通る。上から順に4期で同じ道の変遷を示すものとすれば、大変珍しく、興味深いものとなろう。

登山の始めから何やら歴史地理的話題となったが、まあ、ご容赦を……。


雪解けした、滋賀県比良山中のアラキ峠
雪解けしたアラキ峠

さて、旧道の写真でも判る通り、今日は山腹に雪はなし。そして、更に登ったアラキ峠(標高約760m)でも写真の通り、雪は無かった。

前回以降も寒い日があり、山中では降雪もあったとみられるが、雪解けや季節の移行は確実に進んでいるようである。


雪解けした滋賀県比良山脈南部の権現山山頂
権現山山頂

アラキ峠から倒木連なる急登を越えた先の権現山(標高約996m)にも雪は無し。ただ、その手前には一部残る場所もあった。


滋賀県比良山脈南部の権現山から見たホッケ山と蓬莱山
権現山の北に見える比良山脈南部稜線。即ちこれから向かうホッケ山(1050m。右手前)や蓬莱山(1173m。左奥)の方向。前回も同じ場所から撮ったが、大幅に雪が減ったことが判る


滋賀県比良山脈南部のホッケ山山頂と雪庇の名残り
権現山からは稜線を北上し、一先ずホッケ山を目指す。ホッケ山周辺の雪も大幅に減っているが、意外にも、厚い雪庇はまだ残っていた


滋賀県比良山脈南山上から見た、県北の金糞岳と岐阜奥の能郷白山支峰「前山」
ホッケ山直下からは湖北の金糞岳(標高1317m)が見え、その左後方に雪山が見えた。岐阜・福井県境にある越美山地の主峰・能郷白山(のうごうはくさん。同1617m)である。但し、主峰は手前の山肌で見えず、見えているのは東隣りの「前山(同約1510m)」部分


滋賀県・比良山脈稜線直下に広がる雪解けの草地と琵琶湖
比良山脈稜線直下に広がる雪解けの草地と琵琶湖

前回既に雪が無かったホッケ山山頂を経て更に北上。雪解けで大きく草地が広がった場所で鹿の大群と遭遇。大きな角を広げた雄を中心とした一群で、汽車の警笛の如き一声と共に、忽ち姿を隠した。

山の動物達にとっても待ち遠しい、雪解け、春の訪れか


雪解け進む滋賀県比良山脈南山上の小女郎峠
そして、間もなく小女郎峠(こじょろとうげ。約1070m)に到達。やはり雪は減っている


周囲の雪解けが進む、滋賀県比良山脈南山上の小女郎ヶ池
小女郎峠から稜線を西に少し外れた場所にある小女郎ヶ池。水面は氷雪に埋もれたままだが、岸の一部や周囲の山には土の露出が広がっていた


周辺に土の露出広がる、滋賀県比良山脈南山上の小女郎ヶ池北側
小女郎ヶ池北側周囲にも土の露出が広がる

小女郎ヶ池で小休止するが、氷雪に囲まれている所為か前回同様寒かった。


滋賀県比良山脈南山上の小女郎峠と小女郎ヶ池の間に残る深い湿雪
そして小女郎ヶ池と小女郎峠間の道も例外的に雪が多く残っていた。ただ、水分が多い湿った雪で、溶けるのも時間の問題かと思われた


滋賀県比良山脈南山上の小女郎峠から見た、伊吹山と御嶽山
今回も小女郎峠から引き返す予定であったが、折角なので峠北の標高1100mの高みに登ってみた。ここからは、湖北の滋賀県最高峰・伊吹山(1377m)の左背後に薄っすらと木曽御嶽山(3067m)の白い姿が見えた。以前より比良から御嶽山が見えるとは聞いていたが、初めての実見。視界明瞭とは言い難い条件だったので、意外に感じられた


雪解け進む、滋賀県比良山脈の蓬莱山山頂
小女郎峠北より蓬莱山山頂を見る。殆ど雪が無いが、頂部のリフト小屋向こうには有るようで、スキーヤーが下りゆく姿が見られた


滋賀県比良山脈南山上の小女郎峠から見たホッケ山や比叡山、琵琶湖
小女郎峠北よりホッケ山方面、即ち南を見る。左奥の黒い峰は比叡山(848m)、その麓には琵琶湖南湖の湖面がある


滋賀県比良山脈南山上の小女郎峠北にある石佛
小女郎峠北の石佛

今季比良の雪も終了か

小女郎峠北の高みで暫し周囲を眺め、そして元来た道を辿り下山した。距離は少々延びたが、雪が減った為、前回同様、3時間半程の山行であった。

特に稜線は9割以上雪がなく、最早チェーンスパイクすら不要であった。ただ雪解けの水分が多く、泥除けのゲイター(防水脚絆)や転倒防止用のストック(杖)等は必要かと思われた。

とまれ、今季比良の雪もこれで終りのようである。少々寂しい気もするが致し方あるまい。また年末、または来る年初までのお預けである。

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2019年03月09日

山池残氷

滋賀県西部の比良山脈・小女郎ヶ池付近の雪原

今週末もまた……

性懲りもなく、また雪景色の画像。

先週で今季の雪山鍛錬は終りと記したが、可能な限り装備や行動の実地試験が行いたかった。よって、本日も時間が少しとれた午後から決行した。

場所は、滋賀県西部の比良山脈。標高1000mを超す峰々が連なり、積雪も多い山域として知られる場所。一応、京都市街東部のうちからも大原経由で車行1時間前後で取りつける最寄りの山でもあった。


上掲写真 比良山脈南部の雪原。一応温暖な近畿の「低山」とされる山域だが雪は有った。点々と横切るのは獣の足跡。彼らにも待ち遠しいかと思われる雪解けまでは、今暫くの時が必要か……。


昨日の降雪残る、滋賀県比良山脈南西麓・平集落からの谷道
昨日の降雪残る比良西麓・平集落からの谷道

午前は諸々あり、また出ようとした時、馴染みの宅配のおっちゃんと話しこんでしまったので、なおさら出発が遅くなった。結果、14時過ぎから登ることに。

山で遅出は禁忌だが、良く知った場所で、天候調査や装備に不備はないため、行ける所まで行くこととした。

その道程は、山脈西部山裏の平(だいら。本来の読みは「たいら」)集落から同南端部稜線に出て、状況と時間を見て引き返すというもの。

実は今朝京都市街でも0度前後の気温となったので、凍結等の危険を考えると大幅に気温が上る午後の方が好都合であった(注意:厳冬期では逆に雪崩の危険がある悪条件)。

実際、登り始め早々、最近の降雪の残存も見られた。


少々雪残る滋賀県比良山脈南端部・アラキ峠
標高約470mの出発地から登坂20分、足下の残雪に少々足を取られつつ主稜線直下のアラキ峠(標高約760m)に到着。意外と雪は少なかった。一度完全溶解したあと、新たに積った風情である


滋賀県比良山脈南部のアラキ峠と権現山を結ぶ急登の植林尾根道
アラキ峠と権現山を結ぶ急登の植林道

アラキ峠でチェーンスパイクを付け、主稜線に至る権現山への急登を進む。尾根道ながら泥濘が多く、次いで雪道が現れる足下の悪い区間。


滋賀県比良山脈南端部・権現山近くの倒木の雪原
急登が終ると今度は倒木の雪原が現れた。昨年の台風被害か。左右に大きく迂回しつつ進む


雪解けした滋賀県比良山脈南部の権現山山頂と眼下の琵琶湖
そして権現山着。標高約996m、以降、北へ約20kmの区間に標高1000m前後の峰々が続く主稜線の始まりである。写真は権現山山頂。雪解け直後の泥濘地面。眼下に琵琶湖が見え始めた


滋賀県比良山脈南部の権現山北方から見たホッケ山と蓬莱山
権現山北方、即ち稜線縦走路方面には更に高いホッケ山(1050m。右手前)や蓬莱山(1173m。左奥)が見え始めた


滋賀県比良山脈南部の権現山眼下の琵琶湖
権現山眼下の琵琶湖。左側の広い北湖と右側の狭い南湖が見える


滋賀県比良山脈南部の権現山北方の残雪
権現山からは縦走路を北上する。一旦標高を数十m下げたあと、再び高度を上げる。稜線上の小頂北側等には深い残雪も現れた


南方直下から見た滋賀県比良山脈南部のホッケ山山頂と残雪及び雪庇
やがて頂部に標識が立つホッケ山が迫る。その東斜面には多量の雪と未だ恐ろしい規模の雪庇が残っていた。知ってか知らずか、雪庇際をスノーシュー(雪上歩行具)で歩いた跡があったが、慎むべき。上部から雪庇は見えないので、他の登山者が追従する恐れもある


滋賀県比良山脈南部のホッケ山から見た蓬莱山
そしてホッケ山着。北隣の蓬莱山(右側のなだらかな頂)がより近くなった。スキー場があるその山頂付近ではスキーヤーの姿も確認。しかし、スキー場裏のこちら面にはあまり雪がない


滋賀県比良山脈南部のホッケ山から見た広々とした琵琶湖
ホッケ山山上からは琵琶湖の北湖側が更に広く、そして青々と見渡せた


滋賀県比良山脈南部の権現山から見た大原盆地や京盆地方面
ホッケ山から南を見ると、手前に先ほど登り過ぎた権現山、その彼方に大原盆地や更には京盆地方面が見えた


滋賀県比良山脈南部山上からみた、雪が戻った京都・雲取北峰と彼方の笠形山(兵庫中部)
そしてホッケ山南西には、先週までのお馴染み、雲取北峰(標高915m?)が見えた。奥の稜線中央に在るが、頂部に雪が見えるので、昨日の降雪で復活したのであろうか。因みに、右側更に遠方に霞んで見えるのは兵庫中部にある「播磨富士」、笠形山(939m)とみられる


滋賀県比良山脈南部にある、雪残る小女郎峠(中央の鞍部)と小女郎ヶ池
稜線とその縦走路に食い込む天険小女郎(こじょろ)峠(中央鞍部)と左奥の小女郎ヶ池

ホッケ山を過ぎ、更に稜線を上昇すると、やがて小女郎峠(約1070m)が眼下に現れた。峠向こうの稜線上手は標高1100mを超える


残雪に閉ざされる、滋賀県比良山脈南部山上の小女郎ヶ池
小女郎峠から天上の広谷を西へ逸れ、小女郎ヶ池に至る。小さく浅い池ながら、氷河期に起源をもち、更に滋賀県最高所の池沼という稀少性を有す。また、その名に感じられる通り、神話的伝説も有す神秘の水面であった。しかし、意外にもその姿は周囲の山地共々、未だ氷雪に閉ざされていた


滋賀県比良山脈南部山上にある小女郎ヶ池北側の融解池面
ただ、小女郎ヶ池北側には写真の如く、氷雪の解け始めらしき水面も

人気山域の意外の閑散
充実の鍛錬と試験終える


途中設定した今日の折り返し点は、ここ小女郎ヶ池だった為これ以上の北上を止め、休息兼遅い昼食を摂った。ここまでの総行動時間は2時間弱。

今日は麓で14度程まで気温が上る予報だったので、山上でも十分プラスの気温だったと思うが、池畔は氷雪で囲まれている所為かかなり寒く感じられた。そして誰もいない。もう四半世紀前ものことか、初めてここに辿り着いた時も独りきりで、独特の雰囲気に感じ入ったことを思い出した。

思えば、今日は途中1人しか人と遭遇しなかった。時間が遅いとはいえ、週末で好天、一応比良登山の銀座的ルートでもあったが、少々不可思議に思う。実は、人が多い比良へ来ることはあまり乗り気ではなく、雪のために来たようなものであったが、これも意外の出来事となった。

そして小女郎ヶ池を出て、元来た道をひたに戻る。途中チェーンスパイクが切れ、雪上や泥濘の下降に難儀したが、往路の約半分の時間で無事下山出来た。

今日は移動距離約9km、最大高低差630m、所要時間3時間半程となった。短時間ではあるが、個人的には冬靴の防水具合やズボンやタイツの蒸気問題についての新たな資料も得られるなど、内容の濃いものとなった。

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2019年03月02日

続雪山錬行後記

桧葉にまみれる、京都・雲取山山中の残雪

北陸山行から近場鍛錬に復帰

福井内陸部の「気になっていた山」、越前甲(えちぜんかぶと。標高1319m)登頂から1週間後の今日、近場の雪山鍛錬に復帰。場所はお馴染みの京都市街北方の雲取山。即ち前回訪れてから2週間ぶりの復帰であった。

今朝は比較的気温が高かったが、都合により出発が遅くなった。いつもの如く芹生峠(せりょうとうげ)を目指すが、路上には雪がなく、峠の北裏にあったアイスバーン的状況もなくなっていた。

お陰で、芹生集落を過ぎ、林道途中まで車行が叶い、大いに時間短縮が出来た。前回までとは大きく状況を異にする驚くべき変化であった。

あれだけ寒く雪も多かったのに、林道上はおろか山中にも殆ど雪がなく、鳥が囀り暖かな陽が射し込む、正に春の訪れとなっていた。

思えば、最も寒く感じられた2週間前の森なかで初めて鳥の声を聞き気になっていたが、この前触れだったのか。


上掲写真 桧葉にまみれる京盆地北方山地「北山(きたやま)」の残雪。雲取山(911m)への途上の林道にて撮影。


雪解けが進んだ京都・雲取山の林道と山肌
京都・雲取山の麓へと続く林道。明るく陽が射し、あれ程あった雪が殆どなくなっていた


雪が解けた、京都・雲取山三ノ谷の分岐部
前回までは雪が深まる場所であった三ノ谷分岐もこの通り


京都・雲取山の三ノ谷奥地の残雪
三ノ谷の林道を遡上すると、さすがに雪が現れた。標高は750m程


京都・雲取山の主峰直下の支流谷分岐部の倒木
これは前回紹介した主峰直下へ続く支流谷分岐部にある倒木。前回は7、80cmの雪が載り通行を阻害していたのに、今はこの有様


雪解けした、京都・雲取山主峰直下の支流谷
雲取山主峰直下の支流谷の様子。ここも雪は僅か。雪が消えたことにより、沢上に続く夏道が初めて確認出来た。しかし、所々崩落しているので注意


京都・雲取山主峰直下の谷なかにあった炭焼窯跡とみられる石組遺構
支流谷最後の分岐部にあった古い石組炭焼窯遺構。積雪時から認識していたが、雪解けにより改めて確認出来た。雪崩や出水、崖崩れを避けた絶妙の場所に構築されている。これ以後は主峰まで急斜が続くので、恐らくは芹生側最後の窯とみられる。但し、最近知った調査資料によると、中世以前に遡る人跡遺構の可能性もあるので要注意


京都・雲取山三ノ谷支流傍で発見した人為的杉の並木と古道跡らしき痕跡
こちらは炭窯前の支流谷本流傍で発見した人為的杉の並木とその裏に沿う古道跡らしき痕跡。これなぞは積雪時には全く気付かなかった。この谷を詰めると主峰部を巻きながら北方は花脊大布施方面へと連絡可能なため、古い短絡路と路肩の境界木等が想定される


雪解けした、京都・雲取山三ノ谷支流谷奥の主峰直下の急斜面
支流谷を遡上して現れた主峰直下の急斜面。ここも、この通り雪は殆どなし。前回まで危惧していた雪崩も、今は昔の出来事か


雪解けした京都・雲取山の主峰頂
やがて雲取山主峰着。なんと、頂上も全く雪はなかった。何やら狐につままれた気分。そして、ここまでの時間の短さにも驚く。雪が大きな交通障害となることを改めて実感


京都・雲取山の古い三等三角点
山頂脇には頂の証である明治中期の三等三角点も。前回まで雪で埋もれて全く判らなかった


京都・雲取山主峰北斜面の残雪
主峰頂部から稜線を北へ進み、お馴染み目的地・雲取北峰に向かう。写真はその途中遭遇した本日唯一の雪原。主峰北斜面なので残ったか


南鞍部から見上げた雪解けした京都・雲取北峰
そして、鞍部から雲取北峰を見上げると、やはり雪はなさそうであった


京都・雲取北峰の北東尾根からみた雪解けした周辺山地
まもなく雲取北峰の山頂に着く。いつもの北東尾根からの眺めもこの通り


京都・雲取北峰から見た雪解け進む比良山脈南部や蓬莱山
滋賀県西部に連なる比良山脈南部の景。左端に聳える蓬莱山(1174m)にも雪解けによる大きな地面が見えた


京都・雲取北峰から見たまだ雪深い比良山脈西北部と武奈ヶ岳
こちらは比良山脈北西部にある同山脈最高峰の武奈ヶ岳(1214m)。こちらの方はまだ雪が多そうにみえた


京都・雲取北峰から見た滋賀県北部の三重嶽
これは本日最も遠方に見えた雪山。恐らく滋賀県北部の「三重嶽(さんじょうだけ。974m)」か。北陸に近い緯度と気象条件によるのか、まだ多くの雪がありそうである


京都・雲取北峰の残雪に座り記念撮影
折角なので、雲取北峰山頂に一部残る雪上に座り、前回同様の足入り撮影を行う。水っぽい雪ですぐに離れたが、何やら名残惜しい気分にも


雪解け進む、京都・雲取北峰山頂下のゲレンデ的斜面
以前山スキー(バックカントリー)の痕跡も見られた雲取北峰頂下のゲレンデ的斜面もこの通り。先日の雪原もまた、夢のまた夢か……


北東尾根から仰ぎ見た雪解け進む、京都・雲取北峰山頂
一応、前回同様、雲取北峰山頂をその北東尾根から仰ぎ見る。何やら、陽の力や諸々の色、空気感等の全てが違って見えるように感じられた

名残り惜しくも当山域での今季訓練終了

昼食を挟み北峰山上に長くいたが、やはり下界とは違う気温の低さを感じた。朝晩はまだまだ寒そうである。ただ、この地域での今季の雪上訓練は今日で仕舞いとなった。

名残り惜しいが、まあ致し方あるまい。また巡り来る次の冬を楽しみに……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2019年02月23日

奥越雪山行

越前大日山(越前甲)横を通る国道416号線のカーブミラー

奥越の祭と気になる山へ

今週末は福井の親類に誘われ、祭見物をすることとなったが、その前にやるべきことが生じた。

それは、昨年に続く、「これまで気になっていた」山への登山であった。今日・明日と2日間の旅程なので、どちらの日でもよかったが、祭が最終日の明日は皆で参観に出る可能性が高いため、今日実行することにした。

また、天候も朝の温暖に恵まれた今日が適していた。ただ、早朝出ても福井内陸なのでどうしても開始が遅くなり、下調べや情報収集等の準備にも多くの手間と時間が費やされた。


上掲写真 入山当初辿った国道脇に佇むミラー。雪で車は通行止めだが、「特別豪雪地帯」のため、歩く人にも注意が必要な場所であった


福井県勝山市北方に聳える大日山塊
今日入山したのは、福井県内陸部の勝山市北方に聳えるこの大日山塊。勝山旧城下町で華やかな左義長祭が開催されるなか、この山塊のうち、右側に聳える越前大日山を目指した。越前大日はその形状から「越前甲(えちぜんかぶと)」とも呼ばれる。標高は1319m

20年以上前に白山(同2702m)に登った帰り道、夕陽のなかに佇む悠然としたその姿に感銘してから、ずっと気になっていた山であった。


ガードレールが埋もれた国道416号線

前もって早めの昼食を摂り、現地の従兄に車で416号線の通行止地点まで送ってもらう。今年は例外的に雪がないらしく、難なくそこへ達したが、そこからはやはり山地。50cm程の雪が車道を覆っていた。

準備して通行止から独り国道を辿るが、やはり進み難いため早速ワカン(かんじき)を装着。写真は416号線の路面状況。まだ峠のかなり下の方ではあるが、写真の通りガードレールが埋もれている。

因みに、416号線はこの先で標高約900mの新又峠を越え石川県小松市側へと下る。


国道416号線から見上げる越前甲山頂
長い雪の車道歩きを強いられる。見上げると越前甲の頂が見えたが、まだ遥か上方であった


国道416号線から越前甲への短絡路入口部分
車道脇から山中に入る

車道を2km以上進み、やがて道を逸れ山中に入った。先行者の踏み跡があったが、事前に調べた短絡路であった


越前甲東側の岩壁と雪原
樹林帯の登りを抜けると広々とした雪原が現れた。上方に聳える岩壁は甲、即ち山頂山体の縁である。勝山市のサイトによると、越前甲はトロイデ型の火山であり、ドーム型の山頂はそのことに由来するという。そうすると、この雪原は溶岩流による溶岩台地であろうか


越前甲の絶壁
越前甲の絶壁。山頂は同様の岩壁が囲んでおり、器具なしで登頂できるルートは、ほぼ東西の縦走路に限られる。即ち左右2か所の急な痩せ尾根のみ


越前甲東部岩壁下の雪崩跡

地元の達者とみられる踏み跡を時短のため利用させてもらって進んだが、途中岩壁に向かう急登の小尾根を登り始めたことに気づき、引き返す。

尾根とはいえ脆くて深い雪を被った危険な場所で、下降するのも緊張する場所であった。崖際に巻き道でもあるのか。

比較的安全な場所に下降したあとは、目指す稜線鞍部に続くスキー滑走の跡を遡って進む。なんの目印もない非正規的な短絡路なので、状況を考慮しつつ自分で判断するしかない。

しかし、滑走跡もかなり危ない場所を横切っている。そこは、結構傾斜がある谷地の連続で、雪崩の巣窟のように感じられた。案の定、やがて写真の如く、大規模に崩落した跡も現れたので、慎重に通過した。

山肌を縦横無尽に駆ける数多の滑走跡は、昨今流行りのバックカントリーの影響か。山スキーは昔から愛好者がいるが、これでは早晩この地域でも深刻な事故が起こりそうに思われた。


980m鞍部より見上げた雪の越前甲東部稜線

やがて目指す稜線鞍部(標高約980m)に到達。歩行2時間弱、距離約3.6km、高低差約560m。初めての雪上ルートで、途中引き返し等もあったが、悪くない速度であった。

ただ、これまで陽当たりの良い斜面で暑かったのが、急に強風にさらされることとなった。一旦、鞍部下の窪地に退避し、上着やフード、グローブなどといった装備の準備と転換を図る。アイゼンもここにて装着。

ここからは写真の如く見上げる様な急登と狭い稜線歩きが待っていたが、時間的に問題ない為、風と足下の様子を見つつ頂を目指すこととした。


越前甲東部稜線の樹林なかの急斜
樹林なかの急斜の尾根を登る。風は風速15m程の強さか。マスクがズレると顔が痛くなるほどの体感温度であったが、身体が飛ばされるほどではなく、用意した装備で耐えられるものだったため、そのまま進んだ。時に深雪の細尾根を通過。寒さより危険への緊張が先立つ


越前甲東部稜線から山頂を見る
やがて樹林を抜け、写真の如き完全な雪稜となった。強風による警戒心が更に増す


越前甲東部稜線から覗く勝山市街
稜線には風下に雪が張り出して出来る危険な雪庇(せっぴ)の連続も見られた。踏み抜かないよう、また反対の斜面に落ちないよう進む。厳しい状況だが、眼下に勝山市街が見え始めた(写真右)。今頃街では晴天の下、祭が繰り広げられている筈。そんな時に自分は何をやっているのやら(笑)。しかし、低山とはいえ、この違い。やはり山、そして自然は奥深い


越前甲東部稜線から山頂への最後の登り
越前甲山頂への最後の登り。この区間にも細く急な危険個所があったが、もはや撮影出来る状況にはなかった。強風のため、バランスを崩す行為は出来なかったのである


越前甲山頂からみた主峰・大日山
そして山頂着。鞍部からの距離は約900m、高低差は約340mであった。1時間程かかったが、強風と足場不安定のため致し方あるまい。写真は山頂西方の景色。右奥に山塊の最高峰・大日山(1368m。石川県内)が見える


越前甲山頂からみた石川県小松へと続く広谷
こちらは越前甲山頂から見た北方の景。小松方面の広い谷が見える。恐らく強風はこの谷を通る日本海側からの気流によるものと思われた。即ち、ここは風の通り道とみられる


越前甲山頂からみた白山方面
こちらは東方・白山方面。白山は午前中、勝山市街からも見えたが、今は暗雲に隠されていた。残念だが致し方あるまい。しかし、風が強く、退避場所もないため、早々に引き返すことに。何より天候も怪しく、荒天による視界不良を恐れ、早く崖下へ戻ることにした


古道らしき道跡も窺えた雪の大日峠
古道らしき道跡も窺えた雪の大日峠

無事下山するも怒られる?
反省し、ひたに謝る


そして、登りより更に緊張させられた稜線の下降を経て鞍部に戻る。しかし、雪崩の巣と思われた元のルートを避け、更に東して次の鞍部・大日峠から車道へ下ることとした。

古い荷車道らしき痕跡が残る大日峠からのルートは、地形図にも記載される一般道であったが、沢筋のため、やがて辿ることが困難となった。中途半端な沢の積雪埋没で、踏み抜き・転落の危険が生じたためである。

僅か100m程先に国道のミラーが見えていたが、安全を採り再度上昇して横の尾根を越え道に出た。時間が遅いこともあり、これも少々緊張させられたが、地図で現在地を把握していたため、何とか回避することが出来た。

その後は、また延々と雪の車道を下り、出発地に帰着。ところが、下山時間を誤解した従兄が心配して方々に知らせたため、ちょっとした騒動となっていた。自分としては、陽のある内に無事下山したので問題ないとも思ったが、稜線で電話が掛けられず、また明確な下山時間を告げなかったこともあり、ひたに詫びることとなった。

心配させて実に申し訳ない。以後は連絡・通知に気をつけます。

そんな具合で一騒動もあったが、長年気になっていた山への登頂も叶い、夜も祭に集まった親戚一同で楽しい時を過ごすことが出来たのであった。

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2019年02月17日

雪山錬行後記

東尾根から見上げた、雪に覆われる京都市北部の雲取北峰山頂

今週も神妙の雪山へ

最近、寒いにもかかわらず雪の写真ばかりで恐縮だが、先週に続き、今週末もまた近場での雪山鍛錬を行った。

ここのところ頻繁だが、近場・京都市内での雪の季節も長くはないので、ご容赦を。写真は、最近お馴染みの雲取北峰(標高915m?京都市右京区)の東尾根から山頂を見上げたもの。

今年は全国的に雪が少なく、また豪雪地帯でも嘗てなく雪が無いとも言われているにもかかわらず、なんと京都市街近郊、しかも低山でありながらこの多量である。

げに、自然は奥深くして面白く、そして、時に恐ろしい。

私がここに通うのは、冬山の装備や行動等の研究と以前記したが、実はこうした自然の神妙的なことへの興味もあった。


氷雪に覆われた、京都盆地北縁山中の芹生峠北側の車道
本日の京都市街の予報気温は最低3度、最高8度で、山でも先週より暖かくなることが予想された。先週同様に車行で芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)に向かうも、峠まで上ることが出来た。しかし、峠から先はまた写真の如く、氷雪路となっていたので、徒歩で奥地を雲取山塊を目指した


雪解けが進む、京都盆地北縁山上の芹生集落
圧雪の舗装路を徒歩で進み、芹生集落(中心地標高611m)に到達。先週より雪解けが進んだ様子が観察できた


京都盆地北縁山中にある、雪深い芹生奥の林道
芹生集落からは、いつもの如く里道を進み、その後林道に入った。雪は少ないと思っていたが、写真の如く、途中から深くなり、進み辛くなった


京都市北部の山上集落「芹生」奥地の雪上での、ワカンとアイゼンの装着
仕方ないので、早めにワカン(かんじき)を装着。今日は登坂・下降での試験と訓練を兼ねてアイゼン(氷雪爪)も装着した


京都・雲取山主峰直下の倒木上の深雪
相変わらず雪深い三ノ谷の林道を進み、やがて主峰直下の支流谷分岐に。その入口にある倒木の上には写真の如く7、80cmもの積雪があった。毎回ここを踏み崩してゆくが、わずか1週間でまた障害が復活したようである。


京都・雲取山主峰直下の谷なかの雪崩の跡
いつもの如く支流谷を遡上する。道はなく、自分が通れる場所を選びつつ進む。途中には写真の如く小規模な雪崩跡も。先週はなかったので、低山とはいえ、こうしたことにも注意が必要だと、改めて思わされた


灌木の雪原と化す、京都・雲取山主峰直下の最後の急登区間
雲取山主峰直下の最後の急登区間。灌木が多いが、ここも雪崩に注意が必要な場所


雪上に踏み跡のない、京都・雲取山主峰山頂
そして、一旦主峰山頂に到達。標高911m、踏み跡は無し。今日は私だけの独占利用のようである


京都・雲取山主峰頂部の霧氷(樹氷)
ふと辺りを見回すと、樹々が皆白化していた。それは雪の付着ではなく、気中水分の氷結、即ち霧氷(樹氷)であった


京都・雲取山主峰頂部の霧氷(樹氷)
霧氷を近くで観察すると、枝の一面からサッと刷毛書きしたような白氷がのびていた。風下ではなく風上方向へ発達していることを訝ったが、そういう成長をするらしい。氷点下の強風状況という厳しい環境で生じるらしく、美しく貴重なものであった。個人的に初めて見たので少々嬉しく思った(昔スキー場で見たかもしれないが、楽して遭遇したので記憶にない)


雪に塗れる京都・雲取山山塊の針葉樹。
常緑の針葉樹は雪塗れ


京都・雲取北峰山頂から見た、東方山地の雪景色
雲取山主峰で少し休んだあと、稜線を北に進み、雲取北峰の頂に達した。毎度お馴染みの昼食場である。写真は、その雪上で休みながら東方を望んだ景


京都・雲取北峰頂上直下の雪原斜面と遠景
同じく雲取北峰よりの眺め。広い雪原斜面には、ここ最近のものと思われるスキー滑走の跡も見られた。先週とは違い、今日は小雪が降り続き、明瞭な遠望は得られず


雪深い、京都・雲取北峰の頂
少し東尾根を下り、改めて頂上を見る。冒頭掲げた写真と同様だが、意外の深雪を改めて感じた


京都・雲取北峰頂部から見た自然林の雪景色
同じく雲取北峰頂部から見た、北方は天然林の美しい雪景色

また諸々を体感し山下る

雲取北峰での滞在は30分もなかったが、風雪の所為か意外に身体が冷えた。特に手先が辛くなり、手袋の組み合わせについての課題が生じた。

途中の雪が少なく、気温も高めであったが、山上はこれまでで最も寒さが厳しく思われた。これもまた、山の、そして自然の神妙なところである。

そのような、諸々を体感し、また山を後にした。

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2019年02月10日

続雪山錬行

積雪が始まった、京都・貴船神社奥宮山手の路上

降雪により峠麓から雲取山目指す

今週末もまた、近場での雪山鍛錬。

先週は場所と趣向を変え、鞍馬奥の花脊峠(はなせとうげ)の古道探索等をしたが、今日はまた貴船奥の芹生(せりょう)に戻った。

毎回似たような報告が続くが、今季の課題のためご容赦を。毎度同じ場所で同じようなことを繰り返しているように見えるが、気象や足場等の条件の違いを見ながら、装備や行動の研究をしている。

さて、今週はかなり気温が高い日が多かったが、今日はこの時季らしい冷え込み。しかし、京都市街では早朝でも氷点下とはならなかった。

だが、向かう貴船は違った。神社辺りから雪が舞い始め、奥宮を越えた近くから、写真の如く路上での積雪が始まっていた。

著名観光地近くとはいえ、標高は350mを超えるため致し方あるまい。慎重に二輪を進め、走行可能な限界点まで進み徒歩行に切り替えた。

先々週は峠の少々下辺りまで進出出来たが、今日は峠から1kmの距離、標高では200m以上下から車道を歩き、遥か雲取山を目指すこととなった。


周囲全てが雪で覆われる、京都盆地北縁山中にある芹生峠
雪の車道を延々と歩行登坂して辿り着いた芹生峠(標高約700m)。山も道も側壁も全て雪で覆われている


静かな雪風情に包まれる、京都市街北部の山上集落「芹生」
雪の車道行はまだ終わらない。峠からまた1.2km程歩き芹生集落に到着。今日はまた一段と静かな冬風情に包まれている


京都・雲取山直下の三ノ谷支流の雪景色
そして、また集落の里道と林道を延々2.5km程歩いて雲取山主峰直下の谷に至る。厳寒に雪溶かす沢上以外は、ここもまた当然雪の世界


京都・雲取山主峰直下の雪の急登
雲取山山頂直下の谷を詰め、最後の雪の急登を進む


雪積る、京都市街北部にある雲取北峰山頂
そして、山頂に達し、そのまま稜線を北に進み、やがて雲取北峰(標高約915m?)に到達した


京都市街北部にある雲取北峰山頂からの北方の眺め
雲取北峰山頂からの眺め(北)

意外なる曇天での美景

雲って良い天候とは言えないが、不思議なことに遠望が叶い、近景共々、絶妙な明暗差をもつ美しい眺望が得られた。これは実に意外なことであり、これまでの認識を改めさせられた


京都市街北部にある雲取北峰山頂から見た比良山脈
雲取北峰から見た比良山脈(中央奥)。滋賀県西部に連なる山地で、南端の霊仙山(りょうぜんやま。標高750m)から最高峰の武奈ヶ岳(同1214m)までの主な峰々が見える


京都市街北部にある雲取北峰山頂からみた皆子山
こちらは京都北山の一峰、峰床山(中央奥左の緩やかな頂)。周囲に馴染む緩やかな峰だが、標高は969mあり、皆子山(同971m)に次ぐ京都府第2の高峰とされている


岩を抱え冬を耐える、京都・雲取山三ノ谷の樹木
そのまま風景を楽しみつつ雲取北峰山頂で昼食を摂り、その後下山。小雪の所為か、景色は来た時より濁り始めていた。写真は岩を抱えつつ厳しい冬を耐え忍ぶ三ノ谷の樹木


夕方に至るも雪が多く残る、京都盆地北縁山中の芹生峠
そして、また延々と林道と車道を戻り、峠下から車行にて帰宅した。北峰からの歩行距離は約6.5km、往復13kmに及んだ。写真は芹生峠。午後も気温が低かったので、その様子は午前とあまり変わるものではなかった。

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2019年02月02日

廃路探雪

1/25000地形図における京都市街北部の新旧花脊峠付近
1/25000地形図での新旧花脊峠付近。出典「国土地理院」。地名加筆は筆者

雪の花脊古道をゆく

今日は、いきなり地形図の掲示から。

縮尺1/25000のそれは、京都市北部の鞍馬集落奥にある花脊峠(はなせとうげ)付近のものである。先月から続けている雪山鍛錬で通う「芹生(せりょう・せりう)」と同じく、京都盆地北縁の山地にあり、その後背の丹波山地と京師を結ぶ歴史的交通路であった。

今日は雪山鍛錬を兼ね、近代以前から使われていたとされる旧花背峠を経由する古道を探索することとなった。地形図下部に記された「古道分岐」から北西に向かう谷道である。


京都市街北部山中の鞍馬街道西脇にある花背集落へと向かう古道の入口・分岐部

本来は地形図右上にある現車道の花脊峠まで二輪で行き、西稜線を徒歩で進み旧峠に出る予定だったが、車道8合目辺りで路面が凍結し始めた為、古道分岐から旧路を遡上することとなった。

写真は新峠へと続く鞍馬街道(府道38号及び国道477号)。左脇に2本の紅白棒が見えるが、そこから古道が分岐する(本来はそちらが主路だったのだが……)。


沢か道か判別不能の、京都市街北部山中の花脊古道
沢か道か判別不能の花脊古道

入口両脇に堅固な石垣を備えた古道は、未舗装ながら林道程の幅を有して奥へと続く。しかし、去年の台風や大雨に因るのか、倒木が多く、路面も道か川床か判らなくなる程となった。


道も沢も全てが倒木と土砂で埋め尽くされた、京都市街北部山中の花脊古道

そして、やがて写真の如く、道も沢も全てが倒木で埋め尽くされる状況となった。倒木を潜り、またその上に這い上がって先を目指すも、土砂崩れもあり、程なく通行不能となった。

谷の両斜面も険しくなり、雪も深いため、ワカン(かんじき)を付け、斜面の高みから周囲を見渡す。やはり抜け道はなし。先行他の足跡同様、引き返すことも考えたが、慎重に急斜面を巻きつつ上部に進んだ。


京都市街北部山中の花脊古道の急斜・狭隘部を上部から振り返る急斜の隘路上部に残る緩傾斜の道跡と峠方向に広がる空さな滝を越えたようである。こんな険峻に古道が営まれていたことに少々驚き、そしてそれが途絶したことを残念に思った。

因みに、新峠が開削される以前の明治28年版『正式二万分一地形図』には、古道は同じ経路で村落間を連絡する「聯路(れんろ)」として描かれている。恐らくは1間以上の幅を有して荷車も通行可能な道であったと思われる。

なお、京都北山(きたやま。北部山地)に詳しい、戦前生まれの著述家・金久昌業(かねひさ・まさなり)氏の実見によると、以前この道上には石畳の如き設えがあったという。


急斜の隘路上部に残る緩傾斜の道跡と京都市街北部の旧花脊峠方向に広がる空
急斜の隘路上部に残る緩傾斜の道跡と峠方向に広がる空

隘路上部には、分岐部同様の幅をもつ道跡があったが、やがて植林地となり途絶していた。林地として払い下げられたのであろうか。樹々を避けつつ、沢沿いを上る。

雪は一段と深くなったように感じられる。場所により50cm以上か。


京都市街北部山中の花脊古道を塞ぐ植林地上部にある改変地形
花脊古道を塞ぐ植林地の上部にある改変地形

場所により腰辺りまで雪に沈みながら林地を抜けるとまた道が復活。傾斜も更に穏やかなものとなった。付近には支道や山体を削り残した人為地形も見られた。採石場か何かであろうか。

とまれ、古の風情は失われているようであった。


通行止の看板と鎖により封鎖される、京都市街北部の花脊古道(旧道)から鞍馬山への道

道は間もなく緩く広い鞍部に達し、そこで南へ伸びる林道と分岐していた。山上伝いに鞍馬山、そして鞍馬寺へと向かう道である。しかし、写真の如く通行止の看板と鎖により封鎖されていた。

注意書によると、昨年の台風21号の被害により寺へは下れないとのこと。


大杉傍の大日堂共々雪に埋もれた、京都市街北部山中の旧花背峠
大杉下の大日堂共々、雪に埋もれた旧花背峠

古道は、鞍馬山分岐から針葉樹の森なかを北へと続き、やがて旧花背峠に達した。標高750m、大杉傍の大日堂共々雪に埋もれて良い風情である。

積雪は40cm程か。峠の北向こうを下ると花脊集落、大日堂前の左から分岐する道は芹生へと続く。花脊には戦前既にスキー場があり、バス便により訪れる市街の人で賑わったという。

ただ、冬は積雪により峠が通行できず、先ほど歩みを始めた古道分岐の「峠下」から徒歩による山越えを強いられたという。

そこで疑問であったのが、積雪の害がない場合は新旧どちらの峠をバスが越えていたのか。車道は明治32(1899)年に開削されたことが判明しているが、それがどちらの峠かわからないのである。

この地域最古の近代地形図である明治20年代の仮製図には、古道の峠しか描かれていないが、その峠と道が車道として広げられた可能性もある。だが、あの急斜と深い谷を無事通過出来たかは疑わしい。

色々調べたが、良く判らなかった。せめて新道の確実な開通年が判れば手掛かりにはなると思うが……。どなたか史料を存知ならご一報頂きたいところである。


京都市街北部山中にある旧花背峠の東から続く稜線ルートの山道とスノーシューの跡
旧花背峠の東から続く稜線ルートの山道。足跡は天狗杉まで往復してきたという、スノーシューハイカーのもの

新旧の峠結ぶ雪稜横断へ

さて、旧花背峠から先の道は以前通って既知だったので、峠右横の山道から稜線伝いに新道峠へと向かうこととした。

雪深い急坂を上り、一路峠への中途にある山頂「天狗杉」を目指す。


京都市街北部山中の旧花背峠と新峠を結ぶ稜線近くの伐採雪原
天狗杉を目指し急斜を上ると、なだらかな稜線に出た。京都市街からも見える、広々とした伐採地が雪原を成す場所も現れる


京都市街北部山地の天狗杉山頂近くの「チマキザサ」養生地
天狗杉山頂近くの「チマキザサ」養生地。チマキザサは祇園祭に欠かせない植物ながら、近年獣害により絶滅の危機に瀕している


京都市街北部山中の天狗杉近くの稜線から見た、花脊集落の谷と背後に聳える雲取北峰
天狗杉近くの稜線北西には花脊の谷向こうに最近お馴染みの雲取北峰が見えた(中央奥の頂。推定標高915m)。その右は雲取後峰(仮称。同900m)と見られるが、左側梢辺りにある主峰(雲取山。標高911m)と前峰(仮称。推定標高900m)は奥にあるため、手前の稜線が干渉し判り辛い


京都盆地北縁山地にある、雪深い天狗杉山頂
雪深い天狗杉山頂

そして天狗杉山頂着。標高は837m。市街から奥にあるため目立ち難いが、比叡山(848m)に近い高さをもつ。雪が深くて当たり前か……。


天狗杉山頂付近からの京都市街の眺め
天狗杉山頂付近からの京都市街の眺め。市街から山は近くに見えるが、山から市街はかなり離れて見える。それだけ山が高いということか。市街北部の交通結節点「出町柳(でまちやなぎ)」まで直線約14km


京都盆地北縁山地にある天狗杉東稜線の雪の少ない区間
天狗杉東稜線の雪の少ない区間

天狗杉を越え稜線を更に東へと進む。以降踏み跡はなし。この区間の今日の通行者は私のみのようであった。天狗杉からは一旦標高790m辺りの鞍部に下るが、所々雪が少なく、地面が見えている場所があった。

何故ここだけ雪が著しく少ないのか。陽当たりか風の作用に因るのか、少々興味深い。


京都盆地北縁山地にある、花脊峠に続く標高約810mピーク西側の雪深い登坂稜線
標高約810mピーク西側の雪深い登坂稜線

しかし、新峠手前の標高810m頂の登りにかかるとまた雪が深くなった。西面特有の陽当たり影響か。油断してワカンを外さなくて良かった。


雪と灌木に覆われた、京都盆地北縁山地の天狗杉(山名)東方の標高約810mピーク
雪と灌木に覆われた標高約810m頂

標高約810m頂に達すると、そのなだらかな地形により稜線は曖昧となった。峠まであと僅かな距離ながら、何の案内も無いため、方位と地形を慎重に見極め進む。


雪深く、倒木も多いため進み辛い、京都盆地北縁山地の標高約810m頂東側稜線

標高約810m頂を越えてまた東稜線を下るとたちまち雪の深さが増した。今度は先程とは逆に東側が雪深い。やはり陽当たりは関係ないのか。倒木も多く、ワカンでも進み辛い状況となった。


京都盆地北縁山地にある、花脊峠北側の緩やかな植林谷
花脊峠手前で稜線を逸れ、緩やかな植林谷を下る

進み辛い稜線をそのまま進み新峠真横に出ることも考えたが、あまりの荒れように、無理せず、北側の谷へ下る回り道を採ることとした。緩やかな植林谷に入る進路である。


京都盆地北縁山地にある、花脊峠を北側から見る
現バス道の花脊峠(車が停車している辺り)を北側から見る

新花脊峠に達し古道探査と雪山鍛錬終える

そして植林谷を下りきり、新道である舗装路に出た。南数10mには花脊峠(759m)が見え、その温度計は「1度」であった。車道の雪はかなり溶けていたが、零下ではないものの、やはり寒い筈、雪が残る筈だと思った。

その後、ワカンやストックを片し、車道を下り、峠下まで戻って終了とした。今日は引き続き雪山鍛錬が出来たことに併せ、古道の場所や罹災状況を知ることが出来た意義深い一日となった。

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2019年01月23日

雲取巡峰

京都市街北部の山上集落「芹生」北奥の、雲取山西直下の三ノ谷の倒木に生じた氷柱(つらら)

雪山鍛錬行再び
900m超支峰巡る


今日は先週末までの急ぎの案件が一段落ための代休。半ば急に生じた休みなので、前回同様、単独で雪山鍛錬を行うことにした。

向ったのも前回同様、京都市街北郊の雲取山(911m)。ただ、今回は前回触れた通り、主峰とその付近に存在する900m超の支峰を巡ることにした。


上掲写真 雲取山山頂直下の「三ノ谷」の倒木に生じた氷柱(つらら)。ここ暫く比較的温暖な気候が続いていたが、山中の厳しさが窺えた。


京都市街北部の出町柳付近の賀茂川(鴨川)から見た京都盆地北縁の山々

雲取山何処?

さて、前回は文字だけで雲取山を説明したので、今日は写真と図で少し説明したいと思う。

上の写真(2019年1月14日撮影)は、京都市街北部の出町柳(でまちやなぎ)付近の賀茂川(鴨川)から見た北縁の山々。即ち「京都北山(きたやま)」の一部であるが、雲取山もこの山中にある。手前の谷なかには著名な貴船と鞍馬があるので、その奥山と言えば解り易いであろうか。

ただ、市街から近い(出町から直線16.5km)わりに、盆地北縁の城丹尾根(旧山城・丹波国界)の後方に在るため、その姿は市街からは見えない。写真中央奥の幽かに雪を含むなだらかな峰が、雲取山南東に在り、同山にも続く標高860m超の尾根峰で、雲取山はそこから更に1.8km奥にある。

また、山中にある四方の諸集落からも奥山に当たり、姿を見ることは難しい。この姿なき存在が、京都盆地北縁山群の最高峰ながら、地元でもあまり知られていない所以であった。

因みに、写真右奥の、良く雪が見える峰が「天狗杉(837m)」と呼ばれる山で、その左鞍部(窪み)に鞍馬から花脊(はなせ)・丹波方面に抜ける旧花脊峠(750m)、右鞍部に現在の花脊峠(759m)がある。


1/25000地形図での京都・雲取山付近
1/25000地形図での雲取山付近。出典「国土地理院」。地名加筆は筆者

次は図での説明。上の図は2万5千分の1地形図上の雲取山部分。前掲の写真に見える、京都盆地北縁中央の城丹尾根裏側に広がる地形である。芹生(せりう・せりょう)集落から続く灰屋川水系の源流部分に雲取山とその山塊があるのが判る。

今日探索する4座の900m超の頂は、主峰雲取山の南西から北西にかけて並んでいる。即ち、同じ尾根線上。前回に続き今日も芹生集落から沢筋を遡上して三ノ谷に入り、その支流谷から雲取山主峰に上る。そして最後部の頂(図上名「雲取山後峰」)から順に未踏3座を探索することとした。


凍結する京都市街北部山間の芹生峠南下の道

雪は減ったが……

今日の市街気温は最高12度の温暖が予想されていたが、朝が1度程だったので、道の凍結を勘案し、また少し遅出の二輪行で出かけることにした。

既に観光客が散在する貴船を超え、芹生峠(標高約700m)へと向う。山肌の雪は前回より減じていが、何故かアイスバーンの区間が増していて、写真の如く、峠に着く前での下車を余儀なくされた。


雪に覆われる、京都市街北部山中の芹生峠
雪に覆われる芹生峠。アイスバーン区間が増えたのは、融解した雪の再凍結に因るものか


10日前に比べ積雪が減った、京都市街北部の山上集落「芹生」

そして、また延々と雪の舗装路や林道を歩き雲取山麓を目指す。導入した雪靴の調子が良く、圧雪や凍結面での雪杖(ストック)は不要であった。

写真は途中また過ぎた芹生集落の景。やはり前回に比して雪は減っている。


京都市街北部の山上集落「芹生」北の、三ノ谷の倒木に積った多量の雪

芹生集落からは前回同様、林道に入る。当初ワカン装着は不要かと思ったが、奥地は違った。特に三ノ谷からは前回と変わらぬ積雪に感じられた。

写真は三ノ谷に入って暫くした地点にある倒木。未だ大量の雪が残っている。標高や地形、高所気温の所為か。


京都・雲取山山頂下の深雪に沈む足

それでも、ワカン装着を引き延ばし、このまま一気に登頂することも考えた。しかし、山頂直下の支流谷の分岐辺りで、写真の如く30cm以上足が沈んで動き難くなったので、装着することとした。


京都・雲取山山頂へと続く支流谷の深雪と急登

そして支流谷の深雪と急登を行く。ここら辺の状況も、然程変わらず。ただ、新雪直後的な前回より雪崩の危険は少なそうであった。


京都・雲取山頂部から北へ続く尾根上の踏み跡

雲取山塊、雪の諸峰巡り

経験か雪崩への警戒減少の所為か、心身共に前回より楽に頂上に着き、すぐさま最遠の後峰へと向かった。

写真は主峰頂部から北へ続く尾根上の踏み跡。前回と異なり、今日は花脊方面から一ノ谷か二ノ谷を経て山頂を踏んだ先行者2、3のの痕跡を見た。

しかし、誰もかんじきを使用しておらず、かなり足をとられて苦労した様子が見てとれた。途中、峠道等もあるので、相当苦労したのではないか。


京都・雲取山北峰と後峰の鞍部から見た、後峰と京都府立大学山岳部の山小屋

前の図で判る通り、雲取山主峰と後峰の間には北峰があるが、一先ず最遠の場所からの踏査を優先。

主峰頂部より雪が深まる尾根筋を通り、北峰を回避(トラバース)するように続く図上の登山路から後峰直下に出た。写真は北峰と後峰の鞍部であるそこから見た後峰の姿。北山の峰らしい、なだらかな山容であった。

左下には京都府立大学山岳部所有という山小屋が見える。


雪中に灌木繁る、京都・雲取山後峰
雲取山後峰の頂部。主峰から約700mの距離にある

鞍部中心から一ノ谷へと向かう足跡と別れ、少々登坂をラッセルして後峰頂部に至る。写真がその景だが、冬枯れした灌木があるのみ。眺望もなく、足跡のない理由の一つを知らされたような気分にさせられた。


雲取山後峰から見た、京都・雲取山北峰

雲取山後峰頂部の次は、また来た道を戻り、北峰へと向かう。写真は後峰から見た南方の北峰。往路はこの山体右側を巻いてきたので、今回は直登する。


京都・雲取山北峰頂部
雲取山北峰頂部。主峰からの距離は約400m

そして雲取山北峰着。その頂部は写真の通り。ここには「雲取山北峰」と記された札が掛けられていたが、それが正式の名か、また古くから呼ばれていた名かどうかは不明である。

北峰のピークは地形図にある通り、南北に長い舟形であるが、最も高い場所は南寄りにあった。等高線によると、その標高は主峰同様910mから920mの間にあったが、最高所の形状から、主峰より高いように感じられた。


京都・雲取山北峰からの北方の眺め
雲取山北峰からの北方の眺め

雲取山北峰にも踏み跡はなかったが、眺望と雪山風情の良さに特筆すべきものがあった。特に北方が開けており、眼下・近傍の山谷はおろか、遠く滋賀湖西の比良山脈や京都府最高所の皆子山(971m)や峰床山(969m)が望めた。


京都・雲取山北峰から見た峰床山(左奥)と比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m。右奥)
雲取山北峰の北方に見えた、峰床山(左奥)と比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m。右奥)


枯木のたうつ、京都・雲取山北峰頂部
枯木のたうつ雲取山北峰頂部。北峰山頂は広々とした雪原があり眺望も良いが、一旦荒れると厳しい状況となるのであろう

この様に北山屈指の眺望があり、主峰同等かそれ以上の標高や山頂規模を持つ雲取山北峰だが、あまり人気がないことを残念に感じた。

地理的には、ここが主峰でも良い筈なのに三角点が現主峰にあるのは、それが置かれた明治期はそちらの方が見通しが良かった為であろうか……。


京都・雲取山主峰から見た、南方の未踏の雪尾根

雲取山北峰探索の後は主峰南にある前峰に向かう。主峰への戻り行程となるが、今度は北峰の道なき南面を下った。途中の植林地では倒木が多かったが、何とか通過して先程通った主峰下の登山路に出た。

写真は、主峰頂部に戻り、そこから南方の未踏尾根を見た景。こちらも踏み跡がなく、ちょっとした探検気分。雪の量は主峰同様であったが、風の影響か、ムラが多く歩き辛かった。


雪中灌木が繁る、京都・雲取山前峰の頂
雲取山前峰。主峰からの距離は約200m

そして程なくして雲取山前峰の山頂に達した。写真がその景だが、後峰と同じく灌木が繁るのみで眺望はなかった。


残雪ある、京都市街北部・芹生集落に接する府道361号線

予定終了

前峰を最後に全ての予定を終えたので、主峰に戻り元来た道を下山した。写真は芹生集落端部の府道361号。標高はまだ600m以上あるが、午後を大きく回った今は寒さは感じられず、路面の氷雪の融解も進んでいた。

そして、芹生峠を越え、無事二輪を回収して帰宅した。今日の山行は、山上での距離や高低差はあまりなかったが、興味深い地理的観察や雪中訓練が叶い、前回に劣らぬ有意義なものとなった。

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2019年01月13日

雪山錬行

平成30年台風21号による、京都市北部・芹生峠の凄まじい倒木被害

適期初の冬山鍛練

今年最初の山行きは個人での訓練行。

昨年に続き、いよいよ適期を迎えた雪山での鍛練と実地研究であった。向かったのは、京都市街近郊の雲取山(911m)。京都盆地北縁に連なる北山(きたやま)山地只中にあり、市街から見て最も奥に覗く一峰である。

昨年末以降、比較的暖かい日が多く、市街に全く雪はなく、また今日も12度まで気温が上る予報が出ていたが、雲取山手前の天狗杉(山名。標高837m)等に雪が見えたので、一先ず向うこととした。

仕事の関係で早朝のバスに乗れなかったこともあり、二輪で向かう。行先は、雲取山直下の集落「芹生(せりう・せりょう)」であった。左京区を北上し、岩倉から貴船に入り、その後、峠道にさしかかる。

凍結を警戒しつつ速度を落として林間を進むと、昨年9月の台風21号による凄まじい倒木被害が現れた。写真がその様子だが、植林木の一目数千本とも想われる被害が認められ、その他にも落ちた車道の補修や路上倒木の切断跡等が随所に見られた。

そういえば、この道も台風以降長く通行止めが続いていたのであった。


両斜面に雪積る、京都市街北部山中の芹生峠

芹生峠から雪上を歩く

つづらの道を登り高度を上げると、やがて路上にも雪が現れた。そして、それを避けつつ、なんとか芹生峠に到着。

標高約700m、路肩から続く斜面には、写真の如く深さ30cm程の積雪がみられた。


京都市街北部山中の芹生峠北側のアイスバーン路面

一応、何度か除雪が入ったようではあるが、写真のように峠より先は完全なアイスバーン状態となっていたので、車行を断念し、以後は歩いて雲取山を目指すこととした。


雪に閉ざされた、京都市街北部の山上集落「芹生」
芹生峠から暫く(1.5km程)車道を歩き、やがて芹生集落に到達。見ての通り、雪で閉ざされ静まり返っている。一応、京都市内ではあるが、その市街地とは全くの別世界であった


京都市街北部の山上集落「芹生」の、雪に埋もれる旧芹生小中学校
谷なかの芹生集落を通り、集落北西にある雲取山を目指す。旧芹生小中学校も雪に埋もれてこの通り


京都市街北部の雲取山と旧花背峠の分岐路と芹生ロッジの建屋群
分岐路と芹生ロッジの建屋群

芹生集落外れから雪の林道を北上

道はやがて集落外れの芹生ロッジと、北(左)の雲取山・東(右)の旧花背峠へと道が分かれる地点に到達。

芹生ロッジは芹生集落保存活動の中心施設。ここでゲイター(雪除脚絆)をつけ、北の道に入った。


京都市街北部の山上集落「芹生」奥の、勢龍天満宮付近の積雪と平成30年台風21号による倒木被害

分岐を過ぎると更に積雪が増す。路上でも20cmを超えるか。歌舞伎の『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』と縁のある「勢龍天満宮(せりょうてんまんぐう)」も写真の通り。

そして、神社背後の斜面には、また大量の倒木被害が見られた。初めて入る雲取山への不安は、山上の雪や氷の状態と、この倒木であった。


京都市街北部の山上集落「芹生」奥の台杉(櫓杉)の巨木と積雪
勢龍天満宮上手の巨大な台杉もこの通り


雪で覆われる、京都市街北部の山上集落「芹生」北の三ノ谷分岐
三ノ谷との分岐。門の向こうが三ノ谷。主路続く右側は花脊方面へ続く

芹生と雲取山最短路の三ノ谷へ

川沿いに付けられた林道を遡上するように進み、やがて「三ノ谷」分岐に達した。三ノ谷は芹生から雲取山へ行く最短のルートである。

交通の便が良い東麓の花脊集落に近い一ノ谷や二ノ谷のルートが一般的で、情報も多かったが、雪が多いため最寄りの三ノ谷を進むことにした。


京都市街北部の山上集落「芹生」北の、三ノ谷の道を塞ぐ倒木と雪
三ノ谷の道を塞ぐ倒木。これまで比較的道への倒木被害は少なかったが、奥に進むにつれ増え始めた


京都市街北部の山上集落「芹生」北の三ノ谷で冬靴に装着したワカン
冬靴に装着したワカン

三ノ谷にも足場の良い林道が続いていたが、雪が深く歩き難くなったので、雪上で浮力を稼ぐワカン(かんじき)を装着した。

積雪は30cm程か。荷を置くにも尻を着くにも雪と接するため、何かとやり辛い。

今日の訓練山行は、昨年あまり出来なかったワカンの歩行訓練と、年末仕入れた冬靴のテストも兼ねていた。


京都市街北部の芹生集落北にある、雲取山山頂と三ノ谷を結ぶ支流谷の道なき雪上ルート
山頂へと続く支流谷の道なき雪上ルート

山頂へ直結する支流谷での格闘

やがて、三ノ谷と雲取山山頂を短絡する支流谷に入る。林道は途切れ、進路も北行から東行へと変わった。

全く道のない、または埋もれた、雪の登坂を進む。谷の右急斜下には雪崩の前兆ともされる無数雪玉(スノーボール)の落下が見られた。

先行者の踏跡は全くなし。少々緊張して進む。


京都市街北部の芹生集落北奥の、雲取山山頂下の新雪質の急斜

支流谷では、雪深い谷の斜面を無理やり横切るように進んだり、雪の溶けた沢筋を進んだりして徐々に高度を稼いだ。しかし、ワカンでも深く沈む新雪(しんせつ)質の雪や、急斜でのスリップの所為で、中々進まない。

時に尾根筋に出て負担軽減と速度向上を図るが、倒木が多く結局谷筋に戻った。陽は射しているが、深い雪か標高の所為か気温も低く感じられた。

写真は、山頂方向に続く、困難な我が前途。


京都北山山系(丹波高地)にある、雪覆う雲取山の山頂
雲取山山頂

山頂は晴天なるも寒し

あまりに時間がかかるようであれば、帰りが危険になるので、中止も考えたが、なんとか到着した。

三ノ谷から頂上までは、距離にして500m程、高低差も160m程であったが、1時間近くかかってしまった。慣れの問題もあろうが、好天にもかかわらず、雪質により体力と時間が大いに費やされるという知見を得た。

実は、芹生峠から支流谷まで4km以上あったが、僅かなこの区間が大きな難所となったのである。


雪の雲取山山頂から比叡山及び京都市街方面を見る
雲取山山頂からの眺め(比叡山及び京都市街方面)

さて、雲取山山頂では雪上に荷を下ろし遅い昼食をとる予定であったが、風が強く、全てを食す気にはなれなかった。防風用の上着を取り出し、急ぎ汗冷えに備えた。

折角なので周辺を見回すも、雑木の所為で殆ど無し。僅かに、枝の向こうの叡山と京都市街の家並が確認出来たのみであった。

山上には花脊方面から登ってきたとみられる古い足跡はあったが、ここ最近の人跡は見られなかった。悪い場所ではないと思うが、交通不便で人気がないのか、少々残念な気がした。


京都北山山系(丹波高地)の雲取山山頂から続く雪の踏み跡
自ら固めた踏み跡を辿り下山する

短時の下りと山への惜別

麓の気温からすると山頂も零度以上かと思ったが、強風の所為で体感は氷点下に思われた。寒く、時間も遅いので、早々に撤収することにした。

深い雪と寒さ――。しかし、ここは京都市街北縁から直線10km程度の、まだ市内であった。京都の意外な広さ、奥深さに改めて感じ入った。

下りは自身で固めた踏み跡を辿る。あれほど困難だった道程は、驚くほど短時に終り、正に午後の幻と化したのであった。


樹下の雫が光る、京都市街北部の山上集落「芹生」北奥の雪道
樹下の雫が光る谷あいの道(芹生北部山間)

また延々と雪の林道を戻りゆく。山での緊張が解けた後は、いつも名残惜しさに包まれる。格闘した相手への理解と敬愛のようなものか――。

地形図によると、この山域には900mを超す峰が雲取山を含め4座ある。近々、それらもまた巡ってみたいと思った。

無事帰宅し疲れ癒すも……

そして芹生峠に戻り、無事、陽のある内に、道が凍らぬ内に帰宅することが出来た。

それにしても、新雪にもがいたため意外に全身運動が叶った。帰宅後は道具を片し、風呂に入ってその疲れを癒す。しかし話はここで終らず。なんと、深夜友人に呼び出され、新年会がてら4時過ぎまで飲むこととなった。

店で「雪山帰りだ」と言うも、友や他客共々、半信半疑の様子。新雪との格闘はおろか、山行そのものも、また幻と化したか……。

致し方あるまい。これも諸行無常、下天は夢か……。

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2018年10月14日

続2018秋野営会

滋賀県・湖南アルプス太神山中の沢の粘土を、野営地の竈の火で焼いて作った土偶

名残惜しい1泊明けの最終日

秋の野営会2日目。

今回は1泊のみなので、今日が最終日となる。朝の火熾しは、珍しく早く起きた私が担当したが、雨は無かったものの、夜露の影響で少々難儀した。

湯を沸かし、シチューの追加野菜の下茹で等を済ませて、先に朝食を摂った。静かな山中の澄んだ空気のなかで寛げたが、今日のみなのが少々名残惜しい。

写真は、参加者らが竈の火で焼いて作った土偶作品。短時間の焼成ながら、今までになく硬く焼き締まっている。水晶採り場の粘土を利用したらしいが、その良質が左右したのか……。


滋賀県・湖南アルプス太神山中稜線から見えた、奇岩向こうの湖東平野、琵琶湖、比叡山

下山は奇岩・絶景ルートで

午後1時過ぎに昼食後、少し休んでから片付けを始め、撤収した。

今回は来た道を辿らず。稜線伝いで街場まで近づき、下山することにした。山道の距離は長くなるが、当地「湖南アルプス」の名の由来でもある奇岩・絶景を楽しんでもらうことにしたのである。

写真は正にその景。稜線の奇岩と、その向こうの湖東平野と琵琶湖、そして比叡山を一望に収める。


滋賀県・湖南アルプス太神山中の急斜
下山といえ、途中山頂を踏むため、幾らかの登りがあった。その中には写真のような急斜や険しい場所も。ただ、命に関わるような場所はなく、初歩的な講習を兼ねることが出来た


滋賀県・湖南アルプス太神山中の岩床の沢
夕暮れ迫る湖南アルプスの岩床の沢

下山と共に夜の帳降りる

私以外は慣れぬ道の所為か、予想より時間がかかったが、周囲が見渡せる絶景の山頂等を経て、無事下山出来た。

そして、バス停に着く頃には夜の帳(とばり)も降りきったのである。

最後は日没の暗さで不慣れの参加者に不安を感じさせたが、まあ、これも経験のうち。忘れたヘッドライトの重みが身に染みたことであろう(笑)。

さて、その後は麓のバスや列車の乗り継ぎにも恵まれ速やかに帰還することが出来たのであった。

皆さん有難う、お疲れ様でした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会