2024年03月10日

三月深雪

堅田辺りの列車車窓に現れた、山裾まで冠雪する比良山脈南部

意外の寒波再来

暖冬との予報通り今季の冬は観測史上2番目に暖かいとの発表が先頃気象庁からなされた。それは過去126年間の結果というので、相当なものである。

しかし、2月までは、そうした温暖の実感があったが、本来は寒さが緩む筈の3月に入ってから、結構な寒さを感じるようになった。

正確には年初から比較的温暖が続き、所々で鋭い寒さが現れるといった特異な傾向を繰り返していたが、ここにきて寒さの頻度が増したのである。

さて、前日土曜にまた低温日が現れ、ここ京都市街でも降雪が観測された。雪は積ることはなかったが、京盆地北縁の北山や叡山等には、確りした積雪の様がみられた。

冬季限定の近山雪山行も先週で最後かと思っていたが、意外にもまた機会が巡ってきた。これは是非行かねばならぬ。

とういことで、今朝また山に向かったが、昨夕まで吹雪いているのが見えた北山は麓の貴船辺りの積雪や凍結で近づくことが不能と思われたため、公共交通で随時接近可能な隣県滋賀の比良山脈に出掛けることにした。

写真は、滋賀西部・堅田(かただ)辺りの列車車窓に現れた比良山脈南部の姿。先週とは異なり、山裾まで確り雪があることが確認できた。

京都市街から直線僅か20km強。驚くべき冬山景の出現である。


比良駅からみた、雪を戴く比良山脈
薄暗い車窓外に現れた厳寒の連山に天候を案じるが、下車駅「比良」に到着すると、山脈上空に青空が見え始めた。今朝までは雪、その後は晴れ予報だったので、このまま回復しそうである


比良駅から見えた麓まで冠雪する堂満岳
比良駅で準備後、山へ向かい歩き始める。美しく、鋭い冠雪の様を見せる堂満岳(1057m)が、独り進む身を迎える。登山口まで遠いが致し方なし


比良山脈麓の別荘地奥の積雪
比良山脈麓の別荘地辺りから地面や屋根上に雪が現れる。標高はまだ高くないので、週末は麓でも結構降ったのであろう


積雪のある比良山脈イン谷口の駐車場
そして山の谷なかに入り、やがて登山口着。駐車場自体は冬タイヤ以外難しい状況だが、その手前までは普通の状態だったので少々誤算。しかし、こればかりは実見しないと判らず、何かあってからでは遅いので仕方なし


3月なので雪に塗れる、比良山脈・大山口分岐
登山口からは、すぐに雪道に。先週との違いに驚くばかり。標高約400mの大山口分岐付近もこの通りで、全くの冬山景であった。3月というのに、また1月厳冬期に戻ったような、少々信じ難い光景である


雪が覆う、比良山脈の難所・青ガレ
途中、早くもアイゼン(靴底氷雪爪)を装着し、谷なかの道を進み、やがて比良著名の難所「青ガレ」に至る。ここも先週とは異なり、確り雪が載って登りやすそうである


3月なのに雪が深い金糞峠下の谷道
雪量的にワカン(輪かんじき)が必要な程であったが、先行者の踏み跡が溝の様に続いていた為そこを辿る限りは必要なかった。下ってきた人の話では、ルート外のルンゼ(急斜溝)の中は新雪が深く、アイゼンやピッケル(斧頭雪杖)が効かず登攀を中止したという。恐るべき3月寒波である


金糞峠裏の雪原とそこに続くトレース
やがて越えた金糞峠(標高約880m)裏もこの通り。峠裏は先週も雪が多かったが、今日は一段と増していた。ただ、意外にも踏み跡が確りあり、ワカンを出す必要はなかった


比良山脈・コヤマノ岳近くのスノーモンスター
更に雪を求め先へと進む。先週同様、金糞峠裏を西北に進み、コヤマノ岳(標高1181m)を経て山脈主峰・武奈ヶ岳(同1214m)に向かうのである。途中、方々で多雪の証・スノーモンスター(樹雪塊)に遭遇。近山でのそれは実に久々であった


雪深い3月の比良・コヤマノ岳山頂
そしてコヤマノ岳山頂に至る。完全な雪山景。先週とは異なり今日はこの手前の急登を特段辛く感じなかった。やはり先週は風邪をひいていたのか


コヤマノ岳西からみた雪深い武奈ヶ岳山頂
コヤマノ岳を過ぎると、いよいよ武奈ヶ岳山頂のお出まし


コヤマノ岳北からみた、武奈ヶ岳山頂の大きな雪庇
目を凝らすと、武奈ヶ岳山頂には大きな雪庇が見られた。その高さは人の背丈程か。僅か一日二日でこんなに発達することに驚く。まあ、週末、かの山陰の雄「大山(だいせん。標高1729m)」で一気に90cm程積ったらしいので、有り得なくはないか。しかし行動中にそんなに降れば危険である


武奈ヶ岳山頂から見た、3月なのに雪景色を見せる釈迦岳等の比良山地に、麓に広がる青い琵琶湖や緑の沖島等
最後の登りを詰め、武奈ヶ岳山頂に到着。四方どこを見ても、山中は雪景色であった。そして、気温は-2、3度。雪山としては然程の寒さではないが、今日麓を覆ったらしき、春の温暖は感じられなかった


先行者が武奈ヶ岳山頂の雪庇下に掘った竪穴
遅めの昼食兼休息にしようとしたが、風があり寒いため、先行者が雪庇下に掘った竪穴を利用した。それは、深く掘られていたが、全く地面の気配がなかったので、山頂の雪深さが窺えた。恐らく1mはあるのではないか


武奈ヶ岳山頂の雪庇越しに見る雪被る丹波山地と彼方に覗く京都市街
雪上での昼食中、先程下から見上げた武奈ヶ岳山頂の雪庇を横から見る。実は画面左奥に今や春めく京都市街が見えている。20数kmしか離れていないので当たり前なのだが、改めてその差に驚く


トレースが全く無い金糞峠から堂満岳へと続く雪の稜線道
トレースが全く無い金糞峠から堂満岳へと続く雪の稜線道

延長戦(?)開始

昼食後、来た道を下り、また金糞峠に至る。後はここを下るだけだが、何か物足りない。雪は申し分なくあり、歩行距離や登坂標高的にも十分冬山山行は味わえた筈である。

しかし、終始先行者のトレース(踏み跡)を辿っていたため、雪でもがくこともなく、雪山に来た気がしなかったのである。また、先週と同じ道程も、何やら芸が無いように感じられた。

そういえば、金糞峠から脇の堂満岳(1057m)の頂を経る道に替えれば、もう少し雪を味わえるのではないか。峠を真っ直ぐ下るより遠回りとなるが、下山場所は少し比良駅に近くなり、然程無駄にはなるまい。

あと、往路出会った人が堂満岳に通じるルンゼの雪が深かったと話していたことも思い出した。

時計を見れば既に15時半。しかし、峠から堂満岳及びそれ以降も馴染みの道であり、山頂までの核心的登坂部も雪があろうが20分程しかかからない筈なので、十分明るい内に下れると判断し、その道に進んだ。

何十回も通った道なので何も考えずに進むが、すぐに違和感を感じた。いきなり道を間違えたか? 違う、乗っけからトレースがないのである。即ち、今回の雪が積もってから誰も通過していないのであった。

ここでまたルンゼの話を思い出す。堂満ルンゼは有雪期登攀訓練のメッカなので、その連中が山頂経由でここに下ってくることが多いが、今日は深雪のため誰も登頂出来なかったのではないか。

そうなると、これから先が思いやられるが、ワカンを持参しているので、一先ず山頂まで行くことにした。


トレースの無い金糞峠から堂満岳へと続く新雪の稜線ルートをツボ足でラッセルする
まさかの、3月の深い新雪に、自らの足跡のみ記して進む

金糞峠を出ていきなり雪に深く足を取られつつ進む。気温が然程上がらなかった所為か、今日の晴天では融けず、新雪のままの厄介な道が続く。

先程までのトレース路と比べると、舗装路からいきなり泥濘になったような気分である。半ば望んだ状況ながら、あまりの極端さに呆れる。


新雪深い尾根道の樹間から見えた堂満岳山頂方面

情報得て前途青信号に

深い新雪に、いきなりラッセル(開路進行)を強いられ、忽ち疲労する。これぞ、望んだ雪山行動ではあった。しかし、樹間から見えた山頂方面(画像左奥)はまだまだ遠く、そして高い。

そろそろワカンを出した方がいいか、と思いかけた時、前の灌木の間から突如人が現れた。挨拶を交わすと、何処まで行くのかを訪ねられ、時間が遅いのでは、と心配される。

私は、堂満山頂からそのまま駅に下ることやワカンがあることなどを説明し、懸念を払拭した。彼は私の逆コースを辿ってきたようで、山頂から向こうには確りとしたトレースがあることを教えてくれた。

有難い情報である。これで安心して進める。実は、この先ずっとトレースがないと、たとえワカンを履いても時間的に厳しく、引き返すことも考えていたのである。


金糞峠・堂満岳間の雪道途中に見えた琵琶湖や伊吹山等
金糞峠・堂満岳間の雪道途上に見えた琵琶湖や伊吹山(左奥。標高1377m)


堂満岳山頂からみた積雪越しの琵琶湖等々
堂満岳山頂からみた積雪越しの琵琶湖等々

懸念実感の雪塗れ(苦笑)

そして堂満岳山頂着。簡単に記したが、実は結構大変であった。

途中ルンゼからの踏み跡が一つ増えたが、幾度も現れる急登部分に難儀し、一部には手足全てを使っても登り難い箇所があった為である。

時間も倍以上かかり、正に雪塗れになった。写真の一部にボケた部分があるのは、ケースで保護したカメラさえ雪塗れになった為である。

望んだこととはいえ、やはりその極端に呆れるというか、独り苦笑さえ生じた。先程の彼の懸念は、実にこのことだったと、ここに来て実感した。

これぞ、侮れぬ雪山の奥深さかつ危うさ。良い経験・鍛錬となった。


深い雪上にトレースが続く、堂満岳山頂直下の急斜面
堂満岳山頂で水分補給してすぐに下る。先程の彼の教示通り、そこからは確りしたトレースがあり、この様な乗っけの急下降も難なくこなせた。ワカンは山頂までの辛抱と思い結局装着しなかったが、折角なので使っておけばよかったと少々後悔。今年は使用頻度が少なかったからである


標高を下げても雪深い堂満岳東稜の道
堂満岳山頂直下の急斜面を下りにくだるも、雪は減じず。陽当たりの良い東面のこの区間は雪が融けやすい筈だが、今日は、さにあらず


標高を下げても湿雪多い堂満岳東稜の道
更に下るもこの通り。ただ、少し湿雪気味と化してきた


堂満岳下の山中湿地・ノタノホリ
標高約440mの山中湿地「ノタノホリ」近くまで下ると、漸く雪が減り始めた。そこからの比較的急な下降路途中でアイゼンを外す


地面に雪残る、堂満岳登山口の別荘地の夕景
そして、車道との接点である麓の別荘地に下りきった。時間は17時半過ぎ。暗くなるまでに、あと1時間程あったが、途中の難儀を思うと、色々と考えさせられた。勿論、電灯をはじめ、様々な備えは準備している


遠くに比良駅が見える堂満岳麓の夕景
麓に下っても、今日の山旅は終らない。比良山脈麓から最寄りの比良駅まで歩き下らなければならないからである。やがて山裾を抜けるも、琵琶湖岸にあるその駅はまだ遠い(左奥)


比良駅近くの田圃中から見た、夕景の比良連峰
比良駅近くの田圃中から振り返って見た比良の山々。中央左奥が1時間半程前に通過した堂満岳山頂である。この後、30分程して暗くなった

北陸以上の欲張り山行に

比良山脈麓に広がる田圃をひたに歩いてやがて比良駅に到着。しかし、列車が行ったばかりで、次便を30分近く待つこととなった。不便だが、今日は公共交通利用なので致し方あるまい。

そして、列車に乗り、無事、京都市街に帰還したのであった。

結局今日は、歩行8時間強、移動距離16km、積算登坂1500m弱になるなど、北陸の規模ある山行以上の行程となった。少々欲張って行動し過ぎたきらいもあるが、まあ今季最後の雪山行と思われるので、良しとした。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2024年03月03日

上巳暮雪

比良山脈・コヤマノ岳付近の、夕陽を反す林間の雪や樹氷

寒波再来と奥越行代替に

今日の冒頭写真は、雪積る山上林間とその枝先に生じる樹氷。

夕方撮ったものだが、本来この時期なら、山上であっても、その時間は昼の日射しで消えている筈。しかし、確り残っていた。即ち、昼間の気温が低かったのである。

今日は京都市街で12度を超す気温となったが、標高1200m近い山上では、その恩恵は少なかった。


雪が溶けた比良山脈・イン谷口の駐車場

今日は今季最後の雪山探訪として、朝から隣県滋賀に向かった。場所は月初と同じく、同県西部で、京都市街北東郊外に接する比良山脈。

その訳は、先週寒波が来て同山にまた雪が積もったらしいことや、先月の連休中に予定していた奥越登山を中止した不満等に因った。

しかし、元より雪が少ないことに因る期待の低さや、往路の峠凍結等を警戒して、登山口に着いたのは昼前であった。

そして登り始めたのは昼過ぎ。さっと登り、さっと雪上を歩き帰るつもりだったが、冬山に慣れない人は決してこんな横着を真似ないように……。

とまれ、写真の如く、麓の駐車場にほぼ雪は無し。張り切って朝早く来なくて良かった、と、ある意味安堵も(笑)。


残雪ある金糞峠への登山道
登山道を進み、暫くして雪が現れたが、アイゼン(靴底氷雪爪)装着する程でもなし


残雪が溶けた比良山脈東斜面の難所「青ガレ」
比良山脈・湖西側(東斜面)の著名難所「青ガレ」も殆ど雪無し。ここは雪で岩が隠された方が通過しやすいので、ある意味迷惑(笑)


比良山脈・金糞峠直下の谷なかの少ない残雪
そして、標高を上げると、谷なかの道にも少しは雪が増えたが、雪山と呼べるものではなかった


残雪少ない金糞峠から見えた晴空下の青い琵琶湖
やがて比良主稜線にある峠の一つ、金糞峠(かなくそ・とうげ)に到着。峠の切れ込みから晴空下の青い琵琶湖も見えたが、雪が目的なので、心弾まず。ここで引き返すことさえ考える


比良山脈・金糞峠西直下の意外な量の残雪
金糞峠にて少し休憩し、先程先行者が降りた峠裏を覗いてみると、なんと、そこから先には結構な雪があった。気を取り直し、もう少し先の、標高の高い山上を視察することにした


意外と雪深い、比良山脈・コヤマノ岳山頂
金糞峠向こうの雪深い谷なかを進み、その後尾根に上り、只管高度を上げ、比良第2位の高所・コヤマノ岳(1181m)に至る。330m程の高度差は前回は何ともなく一気に登れたが、今回は息が足らず、苦しかった。何やら右肺の一部に穴でも開いているような感じ。ワクチンの副反応で苦しんだ奥黒部行同様の症状である。まさか、コロナにでもなったか……


コヤマノ岳から見た冠雪する釈迦岳や、その彼方の琵琶湖等々
雪山越しに琵琶湖等が見える眺め良きコヤマノ岳頂にて遅い昼食を摂ることに。時間も遅く、ある程度雪を楽しめたので、ここで引き返すことを考えたが、心配して声掛けしたマレー華人の若い男女に触発され(峠下で抜いたが昼食中追いつかれた)、というか、やはり少し心配して、この先に近くにある山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m)まで進むことにした


コヤマノ岳近くから見えた雪の武奈ヶ岳山頂
昼食休憩後、コヤマノ岳を後にすると、すぐに武奈ヶ岳頂の姿が現れた。その山上には、先程会ったマレー華人二人の姿も


冠雪する武奈ヶ岳山頂と山名標識
途中、下ってきたマレー組と挨拶を交わし、やがて武奈ヶ岳山頂着。時間は3時半。本日最後の訪問者となったのか、誰もおらず、また、来なかった


武奈ヶ岳山頂からみたコヤマノ岳や蓬莱山等の雪景色
登山口側の山脈東面では想像し難かったが、武奈ヶ岳山頂から見る比良の深部や高所は、全くの冬山景であった。途中で止めなくてよかった。来た甲斐があった


雪が降る3月初めの金糞峠下の谷
まさかの雪降る金糞峠下の谷道

嬉しい交流と降雪の下山

武奈ヶ岳山頂では休憩せず、少し眺め、そして撮影してすぐに来た道を戻る。コヤマノ岳山頂下で早くもマレー組に追いつき(漢語で速い!と驚かれる。笑)、暫く共に話しつつ下った。

それによると、彼らは京都の大学に留学してる学生だという。登山歴は少ないらしく、雪山も初めてだが、東南アジアでは得られない経験に感動すること頻り。

また、普段から日本の色んな場所や山に行っているらしく、四季のある日本の素晴らしさを堪能しているとのこと。我々の身近な地域の自然と、その奥深さを理解してくれて、こちらも大変嬉しかった。

実に素晴らしい若者たち。これからも貴重な経験を重ねて、有意義な滞在生活を送ってほしいと切に願い、金糞峠から先を急がせてもらった。

独りで降る峠下の谷みちに、意外の雪が降る。やはり、まだ寒かったのだ。標高を下げると、やがてそれは冷たい雨と化したが、今季最後かもしれない雪の余韻に浸りつつ下山したのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2024年02月17日

北山感冬行

京都北山・雲取北峰山頂から見た赤い杉覆う地蔵杉山

気温急上昇と雨のあと

今週初めの月曜(振替休日)朝に、ここ京都市街でも降雪が記録されたが、その翌日から一転して20度近い季節外れの暖かな日々が訪れた。

また、そのさなかには、二日に渡り、まとまった雨も降ったので、先週まで楽しめた近場の雪は、かなり減じたかと思われた。しかし、同じく16度超えの予報となった今日、またしても近山に出掛けることとなった。

それは、先月の積雪写真を見て是非自分も連れて行ってほしい、と話していた海外の友人が来京したためであった。

先月同様の雪景は難しいが、山頂付近なら少しは見られるのではないか、との思いから、午前遅い時間ながら、一先ず向かうことにしたのである。

果たして、その結果や如何(いかん)……。


上掲写真 冬の寒さに因り赤く変色しつつ花粉を蓄える杉覆う奥山の一峰。一応、京都市内。


京都北山・雲取山登山道へ続く、芹生・灰屋川奥の林道
さて、友と向かったのは、奥貴船・雲取山。京盆地北縁に広がる丹波高地、所謂「京都北山(きたやま)」であった。状況的には更に北方で標高の高い比良山脈等に出掛けた方が雪があるように思われたが、京都の雪が見たい、という友人の希望で決定。しかし、この通り、途中の車道峠は疎か、林道の奥深くまで進んでも殆ど雪がない状況であった。まあ、車輌による奥地への進出が叶い、労力と時間を大いに節減出来たが……


先週の温暖や雨で積雪が疎らと化した、京都北山・雲取山三ノ谷登山口
車輌進入が禁じられる手前まで進み、そこからは登山準備をして徒歩にて林道を進む。ある程度想像はしていたが、この時期に、こんな奥まで車輌で入れるとは驚きであった。そして、間もなく雲取山山頂への登山口に到着。いつもは雪深い場所だが、今回はこの様に疎らな状態となっていた


先週の温暖や雨でほぼ積雪が失せた、京都北山・雲取山三ノ谷道・山頂直下
その後、進む谷なかも雪がなく、ほぼ夏道通りに進めた。そして、山頂直下の急斜もこの通り。いつもは雪崩警戒の威圧を受ける場所だが、4月下旬と見紛うばかりの状況であった


先週の温暖や雨で積雪が失せた、京都北山・雲取山山頂
雪のかわりに落ち葉や泥に難儀しつつ急斜を進み、やがて雲取山山頂(標高911m)に到着。なんと、ここも全く雪がない


先週の温暖や雨で積雪が失せたが、例外的に雪原残る、京都北山・雲取山山頂北面
折角なので、休憩地への移動を兼ねて雲取山頂から同北峰へと向かう。勿論、山に慣れない友人の体調等と相談して。結果的にこの延長が吉に。途中の山頂北面に、この様に少し雪原が残っていたからである。さすがは付近で最も雪深い場所。いつもの2月からすると微量だが、雪無き地から来た友人には感慨深いように見えた。撮影を楽しみつつ、滑らぬように通過


先週の温暖や雨で積雪が失せた、京都北山・雲取北峰山頂
そして、雲取北峰(標高約915m)着。ここも、この時期は雲取山頂より雪が多い場所であるが、今日は全く無し


京都北山・雲取北峰山頂からみた、先週の温暖や雨で積雪が失せた丹波高地や比良の山々
雲取北峰からの眺め。北方面だが、周囲の山々にも雪は無い


京都北山・雲取北峰山頂からみた、季節外れの温暖に負けずに冠雪する武奈ヶ岳等の比良山脈北部
但し、比良山脈北部には冠雪の様が見えた。即ち、先週登った山脈最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m。中央左の峰)付近である


京都北山・雲取山二ノ谷ルート上の、季節外れの温暖や雨で積雪が消えた天然林
雲取北峰で湯を沸かして即席麺等を食べつつ休息し、その後、雲取山頂から二ノ谷を下る。少しバス道に近く、傾斜がマシな一般ルートで、谷なか全域に残る豊富な天然林、即ち、古の北山風情が見処の推奨路であった


京都北山・雲取山二ノ谷の冬枯れした天然林。雪は無いが依然厳しさ残る奥山風情か
京都北山・雲取山二ノ谷の冬枯れした天然林。雪は無いが依然2月の厳しさ残る奥山風情か

微妙なるも北山風情体感か

二ノ谷の天然林を眺めつつ山を下り、やがて出発地に帰還。その後は少し芹生集落を見学してもらうなどして京都市街に帰着した。

微妙な状況だったが、友人には何とか近場の雪や北山風情を味わってもらい、何より。

お疲れさまでした!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2024年02月10日

武岳初春

比良山脈主峰・武奈ヶ岳山頂から見た、樹氷まとうコヤマノ岳の雪景

今季最後?の近隣雪山へ

昨年の冬入りする前から暖冬予報があり、そして、温暖な正月を迎えるなど、その予報は現実化した。

しかし、先月からやはり寒波が来たりして、それなりの寒さもあった。まあ、総じて暖冬傾向ということであり、まさにその通りにはなっている。

今週前半にまた寒波が来て近山の積雪を期待したが、首都圏とは異なり、こちら西日本は寒いだけの雨に終った。

雪となるのは低温だけでなく、湿度等も関係するらしいので複雑である。ただ、山間は少し降ったらしいので、今季最後かと思い、期待せず、鍛錬がてら出掛けることとした。


上掲写真 最初から「期待しない」と記しておきながら、いきなり結果を見せるようになったが、某近山山上から見えた予想外の雪景。厳寒の、東北は白神山地等ではないので悪しからず。正午過ぎながら、樹氷まとう素晴らしい眺めであった。やはり、山は意外の地であることを再確認した。


武奈ヶ岳登山口でもある、葛川明王院前の朱塗橋

めでたい日に

さて、今朝到着したのは、境内前にめでたい朱塗欄干がある葛川明王院(かつらがわ・みょうおういん)。隣県滋賀西部山間の著名古刹である。

今日はこの境内奥から始まる登山道を経て、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳(1214m)を目指す。先週、山脈南部で雪が少なかったので、より北方で、標高が高く、それが多そうな場所を狙ったのであった。

昨晩から気温が低く、夏タイヤ車輌しか用意できないので路面凍結を警戒したが、寒波後暫く経って雪も消え、乾燥していたので問題はなく到着。

ただ、午後から雨や雪の予報があったので警戒は継続。なるべく早めに撤収することにした。

そういえば、めでたいといえば、今日は旧元日。即ち旧正月入りである。表題の「初春」とは、それを表したもの。春節好!(中華圏向け。笑)


葛川明王院奥から始まる、雪のない武奈ヶ岳登山道
標高315m程である明王院奥の武奈ヶ岳登山口も、この様に全く雪は無し。そして、泥で滑りやすい急登道が延々と続く。往路、大原から比良山脈南端が見えたが、先週に増して雪が減っており、もはや雪山の体を成さない様だったので、更に期待は下がる(笑)。しかし、その割に登山者は多い。三連休中最も天候がマシな日で、同じく最後の雪山と思っているからか


武奈ヶ岳西南稜ルートの標高600mを過ぎた辺りで現れた雪
急登を冬山装備の重荷で進む。このルートや今日の条件ではもっと減らしてよいのであるが、難易度の高い奥山等へ行く鍛錬として辛坊。それでも、途中、何組も抜き、先へ進ませてもらう。そして、標高600mを超えた辺りから、この様に薄っすら雪が現れた


武奈ヶ岳西南稜ルートの標高700m手前辺りの雪原
更に進むと、道を含む全てが雪で覆われ始めたため、アイゼン(靴底氷雪爪)を装着。標高は700m手前


武奈ヶ岳西南稜ルートの標高840mを過ぎた尾根筋で更に増えた雪
標高840mを超えた尾根筋に出れば、更に積雪が増えた。急な変化に少々驚く。登山者の多くがアイゼンではなく簡易なチェーンスパイクを装備していたので、制動が効きにくいのではなかろうか、と案じる


武奈ヶ岳西南稜ルートの尾根筋の樹間から見えた周辺の山々の雪景
樹間からは周囲の山々が見え始めたが、見通しは今一つ。ただ、周辺にも意外と雪があることが確認できた


雪に埋もれる比良山脈・西南稜ルート上の御殿山
そして、途中の経由山頂・御殿山着(標高1097m)。好眺望地として知られるが、生憎見えず。しかし、雪量はもはや確かなものとなった。ただ、多くの登山者の踏み跡があり、雪質も固めだったので、ワカン(輪かんじき)を履く必要は無し(つまり背中で重荷と化したままに。笑)


雲や霧のため、武奈ヶ岳山頂の眺望が得られない雪上の西南稜ルート
御殿山から一旦急な下りを経てまた稜線上をゆくが、本来はここで武奈ヶ岳山頂の雄姿が見られる筈。しかし、残念ながら今回は無し。やはり今日は午後から荒天予報なので、望めないのか。まあ、予想外に雪が多く、気分的収穫は多大だったので、それで良しとした


雲や霧が晴れ、武奈ヶ岳山頂の雪景が得られた西南稜ルート
と、思いきや、突然雲や霧が晴れて山頂が姿を現した。うむ、やはり予想外の素晴らしい雪山景である


氷点下の気温に標識も凍る、雪上の武奈ヶ岳山頂
そして、山頂着。丁度正午頃だったが、標識が凍っている。今日は昼から気温が上がる筈だが、実感はなし。簡易計は氷点下2、3度を指していた。まあ、これも冬らしさを味わえたので一切文句は無し


武奈ヶ岳山頂から見た、コヤマノ岳や蓬莱山等々の素晴らしい比良山脈雪景
武奈ヶ岳山頂から見たコヤマノ岳(中央やや左。標高1181m)や蓬莱山(右奥。標高1173m)等々の山脈雪景。これも、予想外の素晴らしさ。山頂にいた多くの登山者も、口々にこの好眺望・好条件を褒める。なお、表題写真はコヤマノ岳を望遠撮影したものであった


武奈ヶ岳山頂から見た、蓬莱山と山上のびわ湖バレイスキー場の雪景
蓬莱山を望遠撮影。その山上はスキー場となっているが、積雪50cm以上あるこの条件では、スキー客も問題なく滑りを楽しめそうで何よりである

奥深い逆転体験

山頂で今日初めての休息と軽食をとったあと、13時半過ぎに麓へ帰着。

先週に続き、今日もまた4時間に満たない短い山行であったが、予想外の雪景や雪歩きを楽しめて良かった。

正に逆転的体験か。また、怪しい天候だったが、結局雨にも雪にも遭わなかった。やはり、近場とはいえ山や自然は奥深い。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2024年02月03日

節分晴雪

比良山脈南部のホッケ山山頂からみた、雪原や樹氷越しの大原盆地や京都市街

大寒期最後の節分に

年中で最も寒いとされる二十四節気「大寒」の時期ながら、今週の京都市街は最高気温が10度を超える日が続く。中には13度超える日すら現れた。

昨年末から同様だが、寒い時は寒いがそれが続かず、安定しない感じである。やはり予報通りの暖冬の影響、もしくは暖冬そのものの現象なのか。

そして迎えた「立春」前の節分の今日。先週に続き、また近山に出掛けた。この時期ならではの雪景を求めて。

本来は北陸辺りで本格的に登りたいところだが、彼の地も時間と費用をかける程の状況ではないようであった。


上掲写真 某山上から見た、雪原や樹氷越しの大原盆地や彼方に広がる京都市街。この日の市街予想最高気温は10度程。快晴の空の下、厳冬と春が混在するが如き眺めとなった。


集落入口の旧道が未だ雪に埋もれる葛川平集落
今日の近山は隣県滋賀西部に連なる比良山脈。その中でも京都から近い南部に登ることに。途中、車輌で大原を走行中にその山容が見えたが、山上は中々の雪に覆われていて期待が高まった。また、心配した山間や峠の凍結や積雪もなく良い条件に。しかし、登山口の葛川平(かつらがわ・だいら)集落内には、この様に雪で道が塞がれる異界ぶりも窺えた。標高は480m程で、道路気温も道中最も低い2度だったので仕方あるまいか


意外と少ない、葛川平集落側の比良山登山口付近の積雪
しかし、山中に入ると意外と雪が少ない。感覚的に、3月初旬の残雪期のような感じである


節分日ながら、ほとんど雪のない比良山脈南部のアラキ峠
比良主稜線直下のアラキ峠(標高約760m)では、この通り。元々風のため雪が少ない場所ではあるが、今日は積雪0cmといえる状況であった


節分にもかかわらず、雪の少ない、比良山脈のアラキ峠と権現山間の林内
アラキ峠から主稜線に続く急登の林間も雪が少ない。峠でアイゼン(靴底氷雪爪)を装着したが、ワカン(輪かんじき)は装着しなかった


節分時期ながら、積雪が少なめの比良山脈・権現山山頂
そして、比良山脈主稜線というか、山頂の一つである権現山(標高996m)に到着。見ての通り、ここも所々地面が見える程の雪の少なさであった。ワカンを含む冬山用の重荷の割に麓から1時間程で来られたが、雪が多ければもっとかかったであろう


節分時期の快晴時に比良山脈・権現山山頂から見えた琵琶湖南湖や草津・大津方面の滋賀県南部の眺め
ただ、珍しく天気は快晴で、眺望は秀逸であった。これは、東南に見えた琵琶湖南湖や大津等の、滋賀南部の眺め


比良山脈権現山山頂付近から見えた、冠雪する伊吹山と背後の御嶽山
これは北東方面に見えた滋賀県最高峰の伊吹山(標高1377m)。世界著名の豪雪山地だが、今日はここも少なく見える。先日麓の関ヶ原で記録的降雪があったが、意外と山には降らなかったのか。複雑なものである。背後に薄く見えるのは日本最西端の1万尺(3000m)峰・御嶽山(同3067m)


権現山北東方面に見えた、琵琶湖の彼方に薄く冠雪を連ねる中央アルプス
こちらも権現山東北方面に見えた、琵琶湖北湖彼方に薄く冠雪を連ねる中央アルプス。最高峰・木曽駒ヶ岳(標高2956m)が代表する高山帯である


比良山脈・権現山北方に見える、冠雪する比良主稜線とホッケ山
雪が少ないとはいえ、一応平均15cm程で山上を覆っていて、その照り返しは強烈であった。サングラスを忘れたため、眼の損傷を恐れ、中断も考えたが、荒天用のゴーグルがあったので、それを用いて先へ進むことにした。一先ず目指すは、稜線上の次の峰・ホッケ山(左奥。標高約1050m)


周囲の雪の少なさに反し、比良山脈・ホッケ山山頂直下に連なる盛大な雪庇
ホッケ山下に接近すると、山頂直下の名物的雪庇が見えた。周囲の積雪量の割に盛大に発達しており、これまた逆の意外であった。常に風が強いホッケ山山頂特有の事情に因るのか


比良山脈・ホッケ山山頂の北に見えた、冠雪する蓬莱山やスキー場等
そして、間もなくホッケ山着。黒土の輻射と風の所為か、そこにはやはり雪は無かった。北方の蓬莱山(右奥の峰。標高1174m)は比較的雪が多く見え、その山頂から向こう側に続くスキー場営業の様子が窺えた


ホッケ山山頂から山腹の雪原越しに見えた琵琶湖北湖や沖島、鈴鹿山脈等の眺め
ホッケ山山頂から山腹の雪原越しに見えた、琵琶湖北湖や沖島に鈴鹿山脈等の眺め。雪の少なさは残念だったが、得難い眺めは見られた


比良山脈南部のホッケ山山頂から雪原越しに見えた、琵琶湖南湖や比叡山等
同じくホッケ山頂(いただき)から雪原越しに見えた、琵琶湖南湖(左上)や比叡山(中央左上。標高848m)等

短時ながらも良い機会に

ホッケ山から更に北へ進み、小女郎ヶ池で昼食をとりたかったが、このあと節分関連の用と約束があったので、ここにて引き返すことにした。

少々物足りない気もするが、雪も少なく質も悪いので、特に未練は無し。

そして帰路の権現山で昼食をとり、麓に下り帰宅した。僅か3時間程の山行だったが今季初の比良とその雪を踏む良い運動・機会となったのである。

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2024年01月27日

大寒初登

京都北山・雲取山山中の林道脇に整理された倒木上の積雪

好機来る

新年1月前半を占める正月も終り、はや、その下旬となった。

今日は朝から山へ向かう。とはいえ、夕方から主催の小新年会があったので、早く帰れる近山であった。

漸くの初登りで、今季初の雪山行である。月初8日の初雪の際は用があり行けず、その後、また気温が上昇して近山では雪は全融の状況であった。

初登りは雪山と決めているため、仕方なかったが、最寒期たる「大寒(期)」に至り、また寒波が来るという、好機が再来したのである。


上掲写真 山中の林道脇に置かれた倒木上の積雪。その厚さ20cm以上か。


京都・奥貴船の北山山中に続く、雪ある芹生峠への車道や台風倒木等々
さて、向かった近山は、京盆地北縁を画する「北山」山中の雲取山(最高所標高約915m)。このサイトで度々取り上げる個人的馴染みの山域である。車輌にて行ける所まで進出し、その後は歩いて登山口まで向かった。気温-2度程、車道は一応除雪されているが、夏タイヤでの走行は不能で、周辺の斜面や台風倒木上にも相当の積雪が見られた


傾斜の緩い北側に引き返した車の轍が残る雪の芹生峠
雪を踏みつつ転倒に注意して車道を歩き登り、やがて芹生峠(標高約700m)に至る。冬タイヤながら、北向こうから来た車輌が、南は貴船側の急坂下降を恐れ、引き返した跡がみられた


轍も足跡もない雪に閉ざされた、京都北山山中の集落・芹生
芹生峠を越え、また足下に気をつけつつ北上を続ける。実際は下り道だが、かの大堰川(桂川)支流の灰屋川の谷まで下ると芹生集落が現れた。積雪は15cm程か


京都芹生集落奥に続く、雪に埋もれる林道。勢龍天満宮付近にて
芹生集落からは、車の轍は疎か、人の足跡もない車道を進み、やがて灰屋川上流へと続く林道に達した。どうやら、今日の1番乗りとなったか


京都芹生奥の林道で新雪に沈む足
しかし、1番乗りということは、踏み跡を利用できないので、ラッセル(雪上開路行動)が必要となる。つまり、足の負担が格段に増すのである。しかも、全て新雪のため、積雪量の割に足が沈み、更に体力をとられた


雪深い、京都北山・灰屋川上流の三ノ谷分岐
先行者のない雪の林道を延々と進み、やがて三ノ谷分岐に到達。いつも通り、この辺りから一段と積雪が増す


雪上でのワカンとアイゼンの装着。京都雲取山三ノ谷分岐にて
ここでワカン(アルミ輪かんじき)とアイゼン(靴底氷雪爪)を装着。これも、いつも通り。ただ、新雪の今日はここへ来るまでに結構汗をかく程の負荷を得た。そして、昨今問題となっている熊害対策に鈴も装着


雪に埋もれる、京都雲取山三ノ谷奥にある山頂登山口
三ノ谷分岐から灰屋川支流の三ノ谷に入り、また延々と雪の林道を進む。そして、山頂直下谷との分岐、即ち雲取山登山口に到達。ここからまた一段と雪量が増す


雪に埋もれた京都雲取山直下谷
標識も道もない雪の谷筋を進む。沢の中に雪はないが、左斜面に取りつき、そこを登る。傾斜が強く、時に沢にずり落ちそうになるので、ピッケル(斧頭雪杖)が欲しい場所であるが、ストック(山杖)で我慢


雪と倒木が埋める、京都・雲取山三ノ谷奥の山頂直下谷
直下谷はそれ自体結構急だが、やがて現れた沢の源頭から上は更に傾斜が増す。約1年ぶりにそれを見上げるが、進む先の谷なかに倒木が増えていた。周囲の台風倒木が移動してきたのか。途中の障害物となったが、その分、雪崩に対する障害とも見え、いつもここで生じる緊張は和らいだ


新雪に覆われ更に難度を増す、京都雲取山三ノ谷ルート最後の急登
源頭上部谷の倒木を跨いだり潜ったりしつつ雪の急斜を進み、山頂下の最後の急登に挑む。写真では解り辛いが、正に一歩進んで半歩ずり下がるような場所であった。積雪は50cmを超えているか。深く沈んでも底は見えない。斜度的に他の登頂ルートより格段に辛いが、良い鍛錬にはなる


人も踏み跡もない雪の京都・雲取山山頂
そして、雲取山山頂着。人はおらず、意外にも踏み跡も一切なかった。ここでも一番乗りか


凍てつく京都・雲取山山頂の標識等々
凍てつく京都・雲取山山頂の標識等々。気温は、先程と変わらず-2度。この時期としては高い方であった


凍てつく京都・雲取山山頂の冬枯れの枝
冬枯れの枝先も凍る


雪に覆われた京都北山の雲取北峰山頂
貴船奥宮先の車輌進出地点から約3時間かかり山頂に着いたが、休まず更に北へと向かう。深雪のなか、2度登り返して20分程で到達したのは、黄色い山名板がある雲取北峰であった。いつもの展望・休憩地である。意外にも、ここも踏み跡すらなく、一番乗りであった


京都北山・雲取北峰山頂から見た、向かいの地蔵杉山等の美しい雪景色
この山域屈指の好眺望を誇る雲取北峰で、山中最初で最後の休息と昼食をとる。生憎、雪舞う天候のため比良山脈等々の遠望は得られなかったが、向かいの地蔵杉山等の美しい雪景色が見られた


京都雲取山山頂下の雪の急斜
さて、食事休憩が終れば、帰路に。帰りは二ノ谷等の別路を採りたかったが、夕方からの用を考え、来た道を下る。深雪のなか北峰まで行けたので十分満足であった。喘ぎつつ登った雪の急坂を、別路・別人の如く駆け下り、瞬く間に林道へと下ったのである


京都北山・灰屋川上流林道に落ちる、雪崩の一種のスノーボールやデブリ
灰屋川上流林道に落ちる、雪崩の一種、スノーボールやデブリ。左の急斜上からのもので、往路では見なかった。気温が高い日ではなく、陽射しも無かったが、油断禁物である

良き冬日に感謝

また延々と林道や車道(府道)を歩いて進出点まで戻り、陽がある内に京都市街の自宅に帰還した。

その後は、道具の片付けやら新年会用の買物や準備を行い、無事参加者を迎えることが出来、夜半まで楽しんだのである。

初登りと新年会が叶った良い冬日(とうじつ)や皆に感謝!

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2023年11月03日

紅葉試履

比良山脈主稜線上にある北比良峠から見えた、ススキ越しの琵琶湖や近江舞子水泳場・小松沼等

新靴慣らしに秋山へ

今日は朝から隣県滋賀に出掛ける。

先月、9月末の高山行で浸水するようになった登山靴の替えを新調したが、滋賀西部の比良山脈で、その慣らしや試験をするためであった。

勿論この時期恒例の、山の紅葉具合の観察も兼ねて。例年なら標高1000m超の比良山上は紅葉が終り冬枯れとなる頃だが、今年は猛暑で、しかも今日ですらまだ暑かったので、良い秋景が観られると思ったのである。

新調の靴は高山用の重登山靴。保温材入りの雪山対応ではないので「ライトアルパイン」と分類される場合もあるが、厳冬期以外用としては最も重厚な部類の革靴である。

それは、15s以上の野営装備を担ぎ、1日当り歩行10時間以上、登行高度2000m以上、山中移動15km以上、そして岩稜帯通過という、高所登山・縦走に耐えられ、足を保護できるものであった。

まあ、普段よく行く畿内の山には無用の長物ともいえるが、更新を機に導入することにした。これまでの靴も本場イタリア系のしっかりした革靴だったが、重登山仕様には満たぬ柔さ有るものだったので、高山の長大な下りで小指を傷めたり、岩場・ガレ場での安定等の問題を抱えていた。

また、その靴が昨今の円安・物価高により倍くらいの値になったことも影響した。しかし、その他も靴も軒並み高騰しており、一時は早期の更新を諦めかけたが、偶々良い靴が格安で手に入れられたので、思い切って購入したのである。

入手したからには、早期に慣れる・慣らす必要がある。重厚な登山靴こそ、また高負荷の条件で使う靴だからこそ、その必要があり、今日の出動の動機ともなった。

手入れや修繕を繰り返し10年大事に履いた旧靴は、機を見て靴底を張り替え、近山用にでも使おうかと思う(浸水は他の補修である程度対処可)。


上掲写真 比良山脈主稜線上にある北比良峠(標高970m)から見えた、ススキ越しの琵琶湖や近江舞子水泳場・小松沼(内湖。中央上)等。なお、今日表題の「試履」は、「しり」もしくは「しくつ」と読む。「試し履き」と「履(くつ。靴と同意)試し」の両方の意を持たせたのである。


比良山脈・武奈ヶ岳等の登山口「イン谷口」付近に駐車する登山者の車列
朝9時半くらいに麓に着いたが、サングラスを探したりしたため、結局10時前の開始となった。登山口の谷なかには、この様に既に多くの登山者の車輌があり、停め場を探して再度麓に下る車も次々現れた。さすがは紅葉期の比良。人気山域らしい状況である


早朝の霧が晴れ始めた、比良山・正面谷上方

敢て直登、正面谷・コヤマノ岳ルートへ

今回は靴や足の具合次第なので、行ける処まで行くことにしたが、一応最奥の山脈最高峰・武奈ヶ岳(標高1214m)往復を目標にした。

その道程は一般的なものではなく、敢えて登坂が強く足下の悪い「正面谷」と「コヤマノ岳」を直登するものにした。

今朝は滋賀に入った途端深い霧に閉ざされ見晴らしを危惧したが、写真の如く、山上方面は急速に晴れ始めたようである。


比良・正面谷上部の青ガレ脇の紅葉
正面谷沿いの登山路を上がると、やがて急なガレ場で知られる「青ガレ」に達する(標高650m前後)。青みある大石が散乱する斜面で、通行注意箇所だが、脇には、樹々の紅黄葉がみられた


比良・正面谷上部で金糞峠下の谷なかの紅葉
青ガレを更に進むと、紅葉に覆われた水無谷に達した。稜線まであと少し


紅葉あるも霧で琵琶湖が見えない比良山・金糞峠
大小の石や砂で足下の悪い水無谷を詰めると、やがて稜線上の鞍部・金糞峠(かなくそとうげ。標高約880m)に達した。本来ならこの切れ目の先に琵琶湖が見えるのだが、まだ霧があって叶わなかった


金糞峠裏の紅葉の源流谷

金糞峠裏から未踏ルートへ

金糞峠で今日最初の補水休息を行い、峠裏の谷を緩やかに下りつつ進む。山脈の東を流れる安曇川の源流域の一つで、大きな台杉が多い鬱蒼とした森だが、今日は黄葉のお蔭で明るめであった。


比良・金糞峠裏のヨキトウゲ谷の古道の分岐点「コバ」跡平坦地
金糞峠裏の谷なかには、こんな平坦地も現れた。古道の分岐点で、材木や石材等の牛馬運搬に利用された「コバ」と呼ばれる造成地か。台杉共々、山と人との古くからの関わりが知れる遺構である


比良・金糞峠とコヤマノ岳・武奈ヶ岳を結ぶ、尾根上の近道急登
金糞峠裏の谷なかでは、途中支流谷を遡上する道を進み、やがて谷横の尾根に乗る急登を採った。負荷が高く、靴擦れの発生も自覚したが、これまで通ったことのない道だったので、楽しみつつ進む


比良・金糞峠とコヤマノ岳・武奈ヶ岳を結ぶ、尾根道上部の落葉したブナ林

意外の冬枯れとオーバーユース(?)崩落地

急登の尾根道をひたに進むと、やがて写真の如き明るい樹林に到達。樹皮が白いので、ブナ林と思われたが、なんと既に落葉していた。そのため、樹間の向こうに、先程越した山脈主稜線が見えた。


比良山脈第2位の高所・コヤマノ岳の標識と落葉したブナ
冬枯れのブナ覆うなだらかな稜線を進むと、間もなくコヤマノ岳(標高1181m)の標識に遭遇。実際の最高点は少し先だが、一応比良第2位の高所


コヤマノ岳近くの落葉したブナ林越しに見えた、比良山脈最高峰・武奈ヶ岳山頂
コヤマノ岳の近くからは本日の目標地・武奈ヶ岳が見えてきた(山頂は右端)。そして、山上に多くの人がいるのも見えた


PB037192.jpg
結構な高所・奥地に達したが前進を止める不具合は生じなかったので、そのまま進む。武奈ヶ岳山頂近くでは崩落した山肌が現れ驚く。多くの登山者通行の影響で脆くなり、大雨等を機に崩れたのか。土嚢による対策はあったが効いていないので早急な処置が必要に思われた。思えばここを通過するのは久々(7年ぶり?)。まさか元の道が消える程荒れているとは……


秋晴れの武奈ヶ岳山頂

眺望に難有?好天の武奈山頂

そして山頂着。時は丁度正午、出発から2時間強であった。硬く重い新靴を履いた割に遅れは無し。一先ず登りの試験結果は上々か。

写真は人が少ない時を見計らったが、本来は百人を超えるような混雑ぶりであった。


武奈ヶ岳山頂から見た北側は広谷の紅葉
武奈ヶ岳山頂から北は高島・今津方向を観る。手前の高所緩傾斜谷「広谷(標高1000m前後)」の紅黄葉が美麗だが、やはり、冬枯れも多い


武奈ヶ岳山頂からみた、北の広谷の紅葉
広谷の紅葉を望遠撮影。尾根に囲まれている分、温暖なのか、紅葉が良く残っている


武奈ヶ岳山頂から見た、紅葉するコヤマノ岳等
同じく武奈ヶ岳山頂から見た、南はコヤマノ岳方面。先程通過してきた稜線である。冬枯れ広がるブナ林の具合から、結局今年の比良の紅葉に暑さの影響は見られず、平年並みかと思われた。先月一旦冷えた際、一気に進んだのか。そしてまだ霧の影響が残っているのか、琵琶湖は殆ど見えない


武奈ヶ岳山頂から見た、晴天ながら霞む丹波山地の紅葉
こちらも同じく武奈ヶ岳山頂から見た東方は丹波山地。京都北部の山塊で、1000m弱までの山々が連なる。こちらも、微妙な紅葉具合。元より、霧の影響か、ぼんやりして精彩に欠ける。天気が良くなったのに残念


武奈ヶ岳山頂から八雲ヶ原へ下る谷道の紅葉

帰路は八雲ヶ原・ダケ道経由

武奈ヶ岳山頂にて40分程撮影や食事に費やしたのち、帰路へ。復路は少々迂遠となるが「ダケ道」と呼ばれる一般的ルートを辿ることにした。

その途上のコヤマノ岳東の谷あい等では、この様に紅黄葉が見られたが、盛りは過ぎた感じであった。


旧比良スキー場ゲレンデ跡の美麗な紅黄葉
コヤマノ岳東の、標高920m程の場所にある旧比良スキー場ゲレンデ跡に下ると、陽当たりや温度条件の所為か、美麗な紅葉が現れた


八雲ヶ原湿地の旧比良スキー場跡に原状回復された池沼
旧比良スキー場ゲレンデ跡下に続く八雲ヶ原湿原。スキー場施設があった場所だが、撤去後法律に基づき二つの池が原状回復された。意外だったのは、池畔にテント泊のグループが多かったこと。それは、老若男女様々な人で構成され、以前にはなかった状況であった。コロナ禍を機に生じたキャンプブームの所為か。または11月とは思えぬ高気温・連休の所為か……


崩壊して通行不能となった八雲ヶ原の木道
こちらは、二つの池の西隣にある、スキー場閉業以前からあった池沼。昔の山会では通れた木道(板橋)が崩壊し、通行不能と化していた。山中通路の一つ、近道だったのに、残念


旧ロープウェイ山上駅跡の北比良峠とテント
平坦な八雲ヶ原の池沼帯を抜け、荒れた林道状の登坂を1km弱進むと、花崗岩砂で白々と開けた場所・北比良峠(標高約970m)に達した。金糞峠東北に位置する比良主稜線上の鞍部だが、かつて索道駅があった関係からか、整地され峠らしい姿はない。そもそも、本来の峠は北側の鞍部ではなかろうか。そして、ここにも幾つかのテントが張られており、その初見に驚かされた。八雲ヶ原共々、皆便所はどうしているのか。人数が多いだけに少々案じる。表題写真の場所だが、結局霧は晴れず、琵琶湖は見え難し


北比良峠西北に見えた紅葉のコヤマノ岳や武奈ヶ岳
北比良峠にて後方は西北を眺めると、正面に午前通過したコヤマノ岳(山嶺中央)や、昼休息した武奈ヶ岳(同右奥)が見えた。これらは、主稜線裏の奥山なので、これから東麓に下ると見ることが出来なくなる。再見!


北比良峠近くのダケ道から見た釈迦岳山腹の紅葉

「ダケ道」にて

北比良峠にて靴紐を調整し、再出発。主稜線東斜面に下るため暫く支尾根上の道をゆくと、対面は釈迦岳(標高1060m)の美麗な紅葉が見えた。そこは、比良の紅葉名所の一つである。

まだ時間が早いため、これら好眺望が得られる場所場所では飲食休憩する人の姿が見られた。


比良山脈・ダケ道山上の紅黄葉
同じく北比良峠と麓を結ぶ「ダケ道」にて。まだ標高が900m超の場所だが、どうやら今比良では同700mからこの辺りまでが紅葉盛期のようである


比良山脈・ダケ道山上のイタヤカエデの紅葉
イタヤカエデらしき楓葉も鮮紅の鮮やかさ


比良山脈・ダケ道山上の冬枯れの痩せ尾根
しかし、吹き曝しの痩せ尾根では既に冬枯れ


11月なのに夏山同様の緑を見せる、比良山脈・ダケ道下部の谷道。
そして標高を下げると、この通り。あたかも、夏山同様の緑景であり、また、気温も高い

下山。靴のことより……

やがて、つづらの古道に乗って沢まで下り、元の正面谷に帰着した。今日の試験山行の終了である。時は14時半前、総計約4時間半の行動となった。

結果は、右足踵(かかと)に盛大な靴擦れが出来たが、懸念していた下山時の小指衝突は起こらなかった。

靴擦れは紐の結び等で何とかなりそうであり、また、靴が足に馴染むことで軽減される筈なので、一先ず成功・問題なしと言えた。

それより、とにかく暑かった。11月に入ったというのに、こんな暑い紅葉登山は初めてではないか。ちゃんと冬が来るのであろうか。靴のことより、そっちの方が心配になったのであった(笑)。

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2023年10月07日

近山始秋

大文字山火床から見たススキ越しの京都市街

待望の……

いつまでも続くかに思われた猛暑の夏も、漸く一段落に。

30度超えの真夏日が先月9月末を最後に終り、熱帯夜や高湿の気も途絶えた。多分に漏れず、自身も連日の暑さで大変な思いをしていたので、まさに一安堵であった。

ただ、そのあまりの急変ぶりに、身心共に戸惑いもあった。とまれ、10月に入ると同時に、ここ京都市街にも秋が来た。とにかく、良かった。

写真は、大文字山火床から見た京都市街地北部(中央右の緑地は京都御苑、右奥の山は嵐山)。所謂「五山送り火」で焚かれる「大」字の頂部だが、折よくススキが風に揺れていた。

それら草花にとっても、待ちにまった秋到来か……。


大文字山火床の台石と眼下に広がる京都市街北部
同じく大文字山火床より。火で「大」字を表現する際に必要な焚火場「火床」の台石が見える。即ち、これらが大字の線上に並ぶ。しかしまだ夏が終ったばかりなので、ススキ以外、中腹や麓の森に秋の気配は見られない


大文字山山頂から見た、山科盆地や京都盆地に彼方の大阪中心部
こちらは火床の前に立ち寄った大文字山山頂から見た、山科盆地(左)や京都盆地(右)及び彼方の大阪方面。今日は用の前に少々身体を動かさんと思い、輪を書くようなルートで大文字山頂(標高465m)を往復した。まあ、暑さが去り、漸く近山に登れるようになった、ということもあった


大文字山山頂の立木に括られた温度計
山頂の立木に括られた温度計の表示は17度。暑くも寒くもない、野外活動には快適な陽気である。そのためか、山頂を初め、山中至る所で多くの人の姿があった。


大文字山山頂から見えた大阪中心部の高層ビル群
ただ、先月末から天候が安定せず、今日も雲が多かった。しかし、光線の関係か、こういう条件の方が意外と展望がきく。中央奥に浮かぶのは、ここから約45km離れた大阪中心部の高層ビル群である

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2023年09月27日

'23奥黒部行(下)

太郎兵衛平の木道上に現れた雷鳥

縦走中止。雨中の下山へ

京都市街から車行6時間、登山口から重荷を負い9時間近く歩いて昨日辿り着いた奥黒部の雄峰・薬師岳(標高2926m)傍の野営場。

しかし、当初の好天予報が覆り、予定日のほぼ全日が雨となったため無念にも山行を中止することとなった。1日くらいなら遣り過せる準備はあったが、3泊4日の殆どが雨中となると、さすがに厳しい。

また、靴や手套の防水性に不具合が出たのも困難要因に。第一、目的の秘湯入湯や紅・黄葉鑑賞も難しい状況では無理して続ける意味もなかった。


上掲写真 帰路の太郎兵衛平の木道上に現れた雷鳥。既に冬毛への変化が生じている。珍しく、愛らしい姿で、羨望されるべき遭遇であるが、高山縦走者にとっては荒天の前触れとして警戒される。私も昔北アルプス・表銀座縦走初日に遭遇して喜んだが、その後荒天と化し散々な目に遭った(笑)。まあ、今回は既に荒れている最中かつ下山中だから構わないが……。


参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


本降りの雨に煙る薬師峠のテント場
本降りの雨に煙る薬師峠のテント場

良く寝るも、辛い撤収の朝

昨晩撤収を決めたが、山奥の稜線上(薬師峠)なのですぐには叶わない。

天候の更なる悪化への懸念もあり、最も近い登山口の富山・折立へ下ることも考えたが、そこから駐車場へのバスはなく、徒歩も距離がありすぎるため、結局1泊して元の稜線と尾根道を戻ることにした。

風雨のなか森林限界を進むのは、帰路とはいえ、あまり気分が良くない。ましてや、片靴や両手袋が濡れたままであった。

前夜は薬師岳山頂近くで緊急的に食べた非常食のもう一欠片を食したのみで寝てしまった。その後、23時頃に一旦目覚め、漸く本来予定していた夕食を摂った。その後は、また就寝。

失望と疲れの所為か、または一晩中降り続いた雨の所為か、どちらの時間も良く寝られた。色んなものが濡れて不快であったが、然程風が無く、新しからぬ天幕がそれ以上の雨を防いでくれたのは幸いであった。

そして、6時過ぎに起床した際は雨が止んでいたが、食事や片付けをしているうちにまた本降りとなり、天幕撤収時は至極面倒なこととなった。

屋根がないために濡れたままの収納となり、重量も増したのである。それでも、気温が10度程と高めなだけ、まだマシであった。

とまれ、雨衣で身を固め、長時歩行の覚悟を決めて帰路に就くほかなし。


荒天の太郎兵衛平の木道上にたむろする、冬毛に変わりかけの雷鳥
テント場からすぐの急登を上り、太郎兵衛平の木道上を進むと雷鳥集団が出迎えた。こちらの気に反し、皆ご機嫌・活発そうである。しかし、全く道をあけてくれないので、木道の脇を進むしかなかった(保護すべき植生は無し)。最初の画像で見るように、向こうに首を向けながら、実は私を見ていたのだが……。雷鳥も敗退・撤収者の足下を見ていたのか(笑)


強風雨とガスで荒れる北ノ俣岳(上ノ岳)山頂

やはり厳しい山頂

思った通り、帰路は前日に増して眺望なし。全く何をしに来たのかさえ見出し難い気分であった。あえて言えば、ズブ濡れの歩荷訓練か。

せめてもと、駐車場へと続く尾根道との分岐点である「神岡新道分岐」近くにあった北ノ俣岳(上ノ岳。2662m)の山頂を踏むことにした。

テント場を7時半に出て約2時間でその山頂に達したが、危惧通りの荒れぶり。写真ではガスのみで穏やかに見えるが、風速は15m程と思われ、10度以下の気温と相俟って、居辛い場所であった。

やはり、昨日の薬師岳同様、同じ稜線上とはいえ、周囲から突き出た山頂は別世界の危険があった。


北ノ俣避難小屋の中から見た雨の周辺景
北ノ俣避難小屋(標高約2040m)の中から見た雨の周辺景

まさかの巨大獣糞

北ノ俣岳から急ぎ退避したものの、標高が近い分岐付近も風雨が強かったため、ハイマツ急斜の下降路を一心に下った。

途中、昨日はなかった巨大な獣糞を路上に発見。大きさは人の3倍以上、量は10倍以上というものであった。初見だが、これはもはや、熊のものとしか考え難い。しかも新しいので、まだ近くにいるのではないか……。

こんな荒天で、逃げ場のないハイマツ密生の一本道で襲われればひとたまりもない。斯様の高所にまで現れることを含め、本州熊の危険について認識を新たにしたのである。

転倒率100%の荒れ木道

その後、急斜下の湿地や木道で転倒が頻発。左右の山杖を使い、慎重に進んだにもかかわらず、である。特に濡れた木道は酷く、全く回避できなかった。通行者が少ないため、ヌメリが多いのか。

ちなみに私は若年時よりあまり転んだことがなく、比較的足さばきには自信がある。

とまれ、2度目の木道転倒で手首を痛めてしまった。当初は骨折したとさえ思ったが、幸い捻挫くらいで済んだように感じられた。登山口までまだ遠いので、ここで重症を得ればヘリ救助になりかねない事態となる。

山頂の荒天やそこからの急下降、そして転倒等で疲れ、丁度時間も昼前だったので、昨日確認した湿地脇の避難小屋で休息することに。

すると、小屋の扉が開いており、先客がいた。挨拶すると、私同様、飛越トンネルから奥黒部縦走を企てるも、想定外の荒天で中止・下山する登山者であった。

そして、なんと彼は足を負傷していた。訊けば、私と同じく木道で滑ったらしい。なんとか歩けるらしいその患部は服の上からでも腫れているように見え、骨折に近い重症が感じられた。安からぬ防水衣も破れたらしい。

彼は避難小屋で暫く様子を見てから帰るという。私が麓での救助要請代理を提案すると、ここでも電話が繋がるので不要という。その後、小屋で昼食を食しつつ色々と話し、互いの無事を述べ合って別れた。

今日この道の通行者は、恐らく彼と私のみらしいとのこと。こんな負傷率100%の危険木道は一刻も早く改修して欲しいものである。

新道敬遠の隠れた理由痛感?

長居した小屋を12時過ぎに出て長大な尾根道を進む。基本下りなのだが、登り返しも多く、疲労する。ましてや雨中なので、辛いこと限りなし。更に、名高い泥濘道が水を得て悪路性を増す。

慎重に進むも、ここでも何度も転倒することとなった。先に負傷した手首もまた傷める始末。慎重に進まざるを得ず、全く速度が出せなかった。

泥は雨衣で防げたが、この滑り易さが、この道が敬遠される隠れた理由ではないか――。

昨日気にはなったが、気づかなかった難儀を、奇しくも荒天の帰路に思い知ることになった。また、昨日は無かった新しい熊糞らしきものをここでも見たので、その危険も一因かもしない。

散々なるも高負荷鍛錬に

そして、雨と泥のため休憩することもままならず、半ば怒りつつ長い尾根道を進み、15時半に漸く登山口に下った。

その後はまた車行による帰路に。まだ明るいのにまた車道に猪がいて驚かされた。それらが夜行性との思い込みは山でも慎むべきだと教えられる。

高速の休憩所等で仮眠したりしつつ進み、22時前に京都市街に入ったが到着直前に油断して小さな事故に。最後に3時間休憩なしで運転したのが災いしたか。幸い人身に関する事態ではなかったが、色々と反省させられた。

ということで、今季の高山行は予定をこなせず散々な目にあって終った(手首は治療不要の軽症診断)。しかし、意外にも、歩行距離33km、累積登坂2650m、消費熱量4500kcalという、剱早月往復甲斐駒黒戸往復という、本朝名立たる高負荷山行を凌ぐ行動となった。

正に、雨中の歩荷鍛錬だったのか(苦笑)。


「'23奥黒部行」1日目の記事はこちら

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2023年09月26日

'23奥黒部行(上)

大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」傍の登山口から続く奥黒部への尾根道に現れた立枯樹と厚い曇天

恒例の高山行

今日は近年恒例化している秋の高山独錬初日。

9月下旬だというのに、まだまだ暑いが、10月に入ると山小屋が閉ったり急に寒くなったりするので、この辺りで実施することとした。

前夜京都市街から車で6時間かけて到着したのは、岐阜県北部で、富山県境に近い山奥。そこにある登山口の駐車場で車中泊して今朝出発となった。

向かったのは、2年前に別の登山口から巡った奥黒部。かの立山深部・黒部川の源流部で、日本最後の秘境と呼ばれる北アルプスの高山地帯である。

今回は前回巡れなかった、その西部の薬師岳(標高2926m)や高天原(たかまがはら)・黒部五郎岳(標高2839m)を周回する予定であった。


上掲写真 岐阜奥飛騨と越中富山の深部山地を結ぶ大規模林道・高山大山線(林道東谷線)の県境隧道・飛越トンネル傍の登山口から続く奥黒部への道上に現れた枯樹。登山開始早々の夜明け空を覆う重い雲が気になる。


参考地形図(国土地理院提供)。縮小・拡大可。


大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」の岐阜神岡側口や、その傍の登山口駐車場
登山口と駐車場がある飛越トンネルの岐阜側口。向こう口は有峰有料道路(林道東谷線)として富山山間に続くが、何故かこちら側は無料。ここは岐阜の深部として知られる神岡の奥地で、標高も1450m程もあるが、名の通り特別な林道らしく、2車線幅で夜も危険を感じることはなかった。ただ、途中路上に大きな猪を2頭も見て(車のライトを浴びても逃げず)、野獣の危険は感じた


まだ暗い早朝の、大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」岐阜口登山口やトイレ等
厚い曇天のため、想定外に暗い、早朝の飛越新道登山口

入山は自分のみ!?

そして、ある程度時間が有ったにもかかわらず結局一睡も出来ずに出発の朝を迎える。

標高が高いにもかかわらず、気温が15度程もあり、車内が暑かったことにも因るが、休むことは出来たので、まあ、よいか……。


ライトをつけても暗く、不気味な、大規模林道・高山大山線の県境隧道「飛越トンネル」岐阜神岡口傍の登山口
出発時の登山口の暗さ。ライトはあるが獣のことを考えると気分良からず。しかも、広い駐車場に自車以外2台しか車がなく(恐らく無人)、明け方山に入るのは私だけだと判明した。予定では5時出発だったが、この暗さの為に逡巡し、結局15分遅れで出ることに(笑)。想定外の厚い雲の所為か


飛越トンネル横の登山口急登上から見た未明の登山口駐車場や奥飛騨の山々
熊鈴を鳴らしながら、また、時折手を叩いて音を発しながら、早速始まる未明の急登をゆく。暫くして振り返ると、この様に駐車場と周囲の山々が見えた。雲が厚いが、予報では好天が続く筈なので、山間のこと、一時のことかと思い、先を急ぐ……


曇天の明け方、飛越新道の尾根筋から見えた、彼方の薬師岳
やがて主尾根に上り、トンネル上の鞍部を通ってそのまま尾根道を東上すると、少し明るくなってきた。ただ空の重さは決定的となった。そして、遠くに只ならぬ姿の高山が見え始めた(中央奥)


曇天の明け方、飛越新道の尾根筋から見えた、彼方の薬師岳
その高山は今回の目的地の一つ、薬師岳であった。これは望遠撮影によるもの。今日はこの山腹鞍部にあるテント場にて野営し、明朝山頂まで往復する予定であった。しかし、遥か彼方の遠さである。3泊4日分の野営道具・水食料が肩・背中に重い。うーん、見なかったことにしよう(笑)


飛越新道上の泥濘と埋められた丸太

噂の泥道具合は?

そして、間もなく明るくなってきた。

「飛越新道(一部を除き「神岡新道」とも)」呼ばれる登山路は、尾根上にありながら泥濘で悪名高かったが、この様に丸太が埋められるなどの対策が随所で見られ、思った程の難儀はなかった。

ただ、今年は暑さと少雨の影響で偶然状態が良かっただけかもしれない。何れにせよ、登山口の標高の高さや駐車至便の割に人がいない。泥濘のほか、著名山頂や山小屋までの長い距離により敬遠されているのか。

もしくは、まだ何か理由が隠されているのか……。


飛越新道上に現れた高層湿地や大白檜曽等が卓越する樹林
長い尾根道には時折、このような広場が現れる。高層湿地の名残りらしく、「鏡池平」なる小池がある場所もあった。植生は登山口から既に標高が高く、緯度も高いので、大白檜曽(オオシラビソ)等の針葉樹が卓越する、近畿では見難い、北方的・亜高山的なものが続く


飛越新道上の寺地山の山頂標識と三角点
尾根上の道は一段急登を上がると似た様な標高が長く続き、中々高度が稼げぬものだったが、出発2時間強、距離は5km強を歩き、漸く標高2000mの大台に到達。この、寺地山(てらちやま。標高1996m)の三角点と山頂標識を過ぎた辺りである。しかし、何故すぐ傍の標高2000m超地点に三角点と山頂が設定されていないのかは謎であった


9月末にもかかわらず夏山のような寺地山南斜面の眺め
寺地山付近から南の岐阜・飛騨側斜面を覗くと、全く黄葉していない様子が見られた。北陸傍の山奥の、この標高地点での、この時期の眺めとしては異常に感じられた。まるで夏山風情である。やはり、ここにも猛暑の影響が及んでいるのか……


飛越新道の「草地」辺りから見た、奥黒部・北ノ俣岳山腹

長き尾根道終了と避難小屋

寺地山から60m強下ってまた登るという、これまたあまり高度が稼げない尾根道を進むこと45分程で、奥黒部の主稜線直下で、それを見上げる場所に出た。

重い雲は相変わらずで、更にガスまで出てきた。直前の予報ではこの2日間の好天は間違いない筈だが、これからこの急登を上り、いよいよ森林限界を超える高所に入るため、少々気掛かりとなった。


傾きながらも修繕されて利用可能な状態だった北ノ俣避難小屋
主稜線下近くにはこの避難小屋があったので、休息がてら見に行った。途中の木道は崩壊気味だったが、小屋は傾きながらも修繕されており、利用可能な状態であった。また、情報通りその前には水量豊富な水場もあった。気温は高めだったが、曇天のため水の追加補給は不要であった。しかし、非常時や帰りのことを考え、小屋と水場の状況が知りたかった。主稜線上は南北どちらに行くにも補給や退避が困難なため、良い確認となった


北ノ俣岳直下の高層湿地(通称「ガキの田」か?)と、木道で続く飛越新道(神岡新道)
避難小屋から本道に戻り、主稜線への登坂に入る。少し進んで振り返ると、池沼ある高原景が目に入った(通称「ガキの田」か?)。ここはちょうど立山で言うと、室堂のような場所。晴れていれば、または盛夏ならば、さぞや良い眺めであったろう


北ノ俣岳直下の急斜に続く、表土を流出させた荒れて歩きにくい飛越新道(神岡新道)

主稜線急登での難

人の通行が少ないためか、壊れた木道が多い荒れた登山道を登りゆく。木道がなくなる急斜では、この様な土道となったが、水が走って表土が流出し、底に大きな石ある道となり歩き難くなった。

それどころか、時折微かに降っていた雨が強くなってきた。最初は軽量傘を出して様子を見るが、風共々強くなってきたので、上の雨衣をはおり、背嚢に防水幕をかけた。

天気は全国的に安定している筈なので、これで遣り過せるかと思いきや、風雨が増々強くなったので、結局、上下雨衣や防水手套を着用する完全装備となった。急斜登坂中で、気温も高めのため、暑く、疲労が増す。


北ノ俣岳直下のハイマツとクマザサ密生地の急斜に続く荒天化の飛越新道(神岡新道)
奥黒部主稜線への急斜の道はやがてハイマツとクマザサの密生に続く細道と化した。先程の人災的荒廃路とは異なり、ここは植物に道が飲まれかけており、左右から圧迫を受け歩き難い。これも通行者僅少の所為か。最近流行りの薄い2層式雨衣を使う場合は要注意かもしれない。しかし、登るにつれ天候や視界が悪化し気が重い。予報を信じ、一時の事と思い、進む


北ノ俣岳山頂近くの稜線上にある飛越新道(神岡新道)への下降地点の標柱やケルン

奥黒部外周着

そして、主稜線着。登山口から6時間強で到達。4日分の装備を担ぎ、雨支度に翻弄された割りに遅延は無し。風雨も小康化し一先ず安堵するが、眺望は全くなく、天候回復の兆しも見えない。

ここの標高は2630m強。奥黒部外周西部の山上なので、周囲の名立たる山峰や雲ノ平等の黒部源流高地が俯瞰出来る筈だが、残念だが全く見えず。


北ノ俣岳山頂近くの飛越新道(神岡新道)分岐の北に続く、太郎平・薬師岳方面への稜線道
飛越・神岡新道と主稜線の接点背後を通る稜線道に合流し、一路北を目指す。高山の稜線とは思えない、なだらかな地面に続く道程で、途中昼食を摂るも、やはり眺望は無し。10度以上あった、高気温のみが救いか


北ノ俣岳と薬師岳を結ぶ稜線道から見えた奥黒部の黄葉
主稜線北上中(標高的には下り)、ガスの合間から黒部源流方面の斜面が見えたが、黄葉が始まっていることが確認出来た。高山に囲まれた冷涼地のため、他より早いのか


雨天のガスの合間に見えた、太郎山南の高原と有峰湖
主稜線を進むも、なだらかさは変わらず。そして雨は降ったり止んだりで雨装備も外せず。やがて現れた、太郎山(標高2373m)に続くこの高原に感心するも、想定外の天候を恨むばかり。帰路は通らないので残念無念である。因みに左端には富山の人造湖・有峰湖が見え、水不足の為か、かなり水面が低く見えた。この為にも雨は必要なのだが、何もこんな時に……


太郎山上からガス越しに見えた太郎平小屋

山小屋で知る一大事

そして、丘陵状の、これまたなだらかな太郎山を越えると、太郎平小屋が見えた。今日の野営地管理所である。到着は出発から8時間強の13時半で、予定通り。

ここで、手続きをするが、驚きの事実が判明。なんと、小屋内の天気掲示が今日から連日雨予報に。特に明日・明後日が本降りで、雨が弱まるのは山行最終日の明々後日のみであった。

綿密に天候計画を立ててきたのに、一変の事態、まさに一大事である。


太郎平小屋から北東へ続く稜線道を進み見えてきた薬師峠のテント場
期待を砕かれ、気を重くして野営場に向かう。煩わしい雨装備をまとって。テント場は太郎平小屋から20分程稜線を進んだ薬師峠内にあった。写真中央やや下に見えるハゲた場所で、薬師岳への登り口にあたる。小屋より30m程低い場所にあるので、そこへと下降した


生憎の荒天ながら黄葉が素晴らしい薬師峠のテント場
標高2300m弱の場所にある野営地に着き天幕を設営。幸い雨は止んでいたが、天候悪化を考え、場所を熟考した。結果、水が流れる場所より風当りの強い場所に。どちらかしか選べなかった為だが、慎重な綱張りやペグ(掛け釘)への石載せ等で対策した。天候悪化のためか、先住者は数張のみ。ただ、ガスの合間から見えた黄葉の素晴らしさに少々慰められた


薬師峠のテント場から続く薬師岳への急登の登山路

薬師岳へ

天幕設営後、不覚にも眠ってしまう。9時間近い歩行自体は意外と負荷は感じなかったが、やはり雨の所為で疲れが増したようである。

そして1時間程して目覚め、まだ雨が降っていないことに気づく。思えば、明日から本降りのため明朝未明の薬師岳登頂は困難に思われた。

ならば、今日登っておくべきではないか――。幸い雨はなく、日没までに山頂に立てる可能性があった。

よって、予定を変更し、急遽非常用荷物をまとめ登頂を開始した。テント場横からすぐ始まる写真の如き川跡に続く急登の登山路をひたに登る。


荒天の薬師平
200m近く高度を上げると、この様な平原が現れる。「薬師平」と呼ばれる場所で、高層湿地となっている


ガスで霞む、薬師岳山頂へと続く尾根と標識
薬師平を過ぎてからまた急登が始まり、荒れた尾根筋に出る。森林限界を超えた高所らしい地貌だが、着ていた雨衣が暑くなり、上下共々脱いだ


天霧のなかから見えてきた薬師岳山荘
更に進むと、山頂直下にある最後の山小屋・薬師岳山荘が現れた。標高は2700m弱。テント場から約1時間で着いたが、ここに至り風雨が強くなってきた。山頂まであと少しなので、もう少しもって欲しい


薬師岳山荘前のベンチから見た荒天で霞む薬師岳山頂方面
薬師岳山荘前のベンチから見た、風雨で霞む薬師岳山頂方面

風雨のアタック

そろそろ夕食が始まりそうな気配が窓から見えた薬師岳山荘前で、また雨衣を着込み山頂を目指す。時間は16時半、暗くなるまであと1時間以上あるので、このペースならそれまでに登頂出来る筈。すれ違った人もなく、時間的・天候的に恐らく私が今日最後の登頂者となるだろう。

しかし、あろうことか、進むにつれ風雨は増すばかりで、遂には風速15m程の強風雨と化した。逃げ場のない稜線高所で、先程まで暑かった身体も一気に冷える。しかも、防水靴の片方と同手套の両方が故障浸水していたため、一層の悪条件となった。

それでも構わず登坂を続けるが、急に力が抜けてきた。そういえば、正午頃に軽い昼食を済ませて以来、何も食べていない。寒さと相俟って、熱量不足に陥ったか。

風雨に背を向け、寝そべるようにして一服し、非常食の一部を口にする。すると、忽ち効果が現れ、行動可能となった。しかし、風雨は更に強まり、ガスによる視界不良も著しくなった。

標高2870m超、山頂までの高低差は50m程まで接近したが、距離はまだ600m程あった。時折、手前の偽頂後方に聳える山頂の黒い影が見える。

たとえ視界が失われても現在地や地理を把握しており、また念のためGPS地図も稼働させているので道を外すことはないが、偽頂から上の細尾根で風が強まると退路を断たれる恐れがあった。また日没も近い。下山に備えライトを用意していたが、暗闇かつガスの濃い暴風雨中の行動は厳しい。

何より、どこか気味が悪い。進むにつれ阻まれ、まるで山が拒み、怒っているようである。

残念ながら、ここにて登頂を断念――。急ぎ下ることにした。どのみちこの状況では証拠写真を撮ることすら難しく、視界の件と相俟って、快い価値ある体験とはなるまい。

悔しくも……

さて、下りの逃げ足は速く、1時間程でテント場に戻った。最後はライトで足下を確認しつつ。そこも雨が本降りとなっていたが、山上とは別世界の穏やかさ。やはり山は奥深い。そして久々に山の怖さを感じさせられた。

盛大に濡れた装備を天幕内で拭いたりして明日に備える。装備浸水のこともあり、もはや連日の行動は難しく、眺望や温泉の楽しみも得難いため、山行継続を断念し、明日下山することを決める。

車行6時間、重荷負う歩行9時間も費やし(高速・燃料代も多大)ここまで来たので悔しい限りだが、天候を変えることは出来ぬため致し方なし。


「'23奥黒部行」2日目の記事はこちら

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2023年06月25日

余呉賤嶽行

JR北陸本線・余呉駅から見た、広がる水田彼方の余呉湖や賤ケ岳等の山々

春過ぎて夏開催に

4月中旬に予定しながら、私の長患いや天候の所為で延期につぐ延期となっていた春の山会(やまかい)が、今日漸く開催されることとなった。

もはや「春」ではなく「夏」の山会と言ってもよい時期となったが、ともかく、朝自転車や列車を乗り継ぎ、京都隣県の滋賀北部に向かう。

やがて辿り着いたそこは、日本最大の淡水湖・琵琶湖北岸付近で、北陸・越前にも接する、「湖北」と呼ばれる地域であった。

今回は、そこにて、戦国末期かの豊太閤秀吉が天下掌握の基礎を固めた決戦地・賤ケ岳と、その周辺の琵琶湖北岸や孤立湖・余呉湖等の、史跡・自然・地理・民俗等を探索する、自然・人文企画的な複合山会に臨んだ。


上掲写真 京都市街からJR快速で約1時間半で着く、近畿東北縁の長閑な余呉駅から見た、水田彼方の余呉湖や、それを囲い、裏面の琵琶湖とを隔てる、賤ケ岳(中央奥。その右隣りの鞍部は飯浦の切通し)等の山々。著名合戦の舞台であり、民俗学・地理学的も興味深い場所である。



余呉湖・賤ケ岳周辺地形図。拡大及び移動可能。記事の内容に合わせてご参照あれ。元の大きさに戻すにはリロード(再読込やF5キー押下)を。なお、賤ヶ岳合戦の布陣状況等は、こちらや各紹介サイトの図を参照あれ


江土集落を流れる江土川(高田川)

今日は、集合場所の余呉駅から余呉湖東岸の山地に入り、その稜線を南行しつつ賤ケ岳合戦の主戦場を見学して賤ケ岳山頂に達し、その後、琵琶湖岸に下り、山梨子(やまなし)と飯浦(はんのうら)という湖岸集落を見て後者北の切通し古道を越えて余呉湖岸に入り、その東岸や水利施設等を観察しつつ北行し、余呉駅に戻る予定であった。

但しそれは参加者の体力具合に依るものとした。もし賤ケ岳までの登坂で不調が出れば、行ける者だけで琵琶湖岸を巡り、切通し鞍部か賤ケ岳山頂で合流後に余呉湖岸に下るつもりだった。まあ登り高低差が300m弱の初心者的道程なので大丈夫とは思うが、暑さが気にかかるところではあった。

賤ケ岳擁す余呉湖東岸山地へ

とまれ、早速余呉駅から登山口の江土(えど)集落に移動する。曇りの予報に反して青空が見え、午前遅い時間もあって気温も高めであった。

写真は江土集落を流れる江土川(高田川)。元は流入・流出河川が無かった閉塞湖の余呉湖と東岸山地の東を流れる余呉川を結ぶために近世初期に開削された水路で、別所に近代的で大がかりな送排水施設が出来るまでは、この川一つで、湖と余呉川双方の増水に対応していたという。


江土集落裏の山の端付けられた賤ケ岳登山口の案内板と尾根筋に続く小道
江土集落では意外と家屋が密集して登山口が判り辛かったが、集落裏の山の端に付けられた案内板に助けられ無事進むことが出来た。もし案内板が無ければ、民家の裏に入り込むような道なので、心理的に進み難い(笑)


江土集落から岩崎山砦跡の間にある鞍部に施された盛土道
集落裏の登山口からは尾根上に続く山道をゆく。とはいえ、この様に良く整備された道で、傾斜も緩く歩き易かった。何より、意外と人工・天然の森が深く、日陰が続いたのは有難い。道は軽トラ1台が通過出来そうな規模で、古い牛馬道の名残りかと思われた。ひょっとすると、この奥に続く秀吉方砦への軍道の名残りか。写真の箇所は鞍部を盛土して平坦にしているが、本来は堀切や木橋等の遮断施設があったのかもしれない


賤ケ岳北の尾根道に現れた岩崎山砦への分岐
江土から続く稜線上に現れた岩崎山砦への分岐と案内板

秀吉方・高山右近撤退の「岩崎山砦」

そして、道を進むと間もなく道脇に岩崎山砦跡を示す案内板が現れた。かの高槻5万石のキリシタン大名・高山右近が担当した城塞遺構である。


岩崎山砦跡に掲示される余呉町観光協会による縄張図
岩崎山砦跡には、この様な地元観光協会の解説入り砦「縄張図」が掲示されていた。さすがは全国著名の合戦地なので、説明に力を入れているのか


賤ケ岳合戦の舞台の一つ、岩崎山砦主郭跡
縄張図に従い支尾根上にある岩崎山砦中央の主郭部を訪ねる。標高209mの岩崎山頂にあるそこは、この通り林と化していたが、人造平坦地であることや、低いながらも土塁跡を確認出来た。砦の全幅は200m程で、郭の密集具合から、北の柴田方陣地及び北国街道への備えが窺えた。それ故に、緒戦での背後からの急襲に因る、右近隊の撤退と砦陥落を早めたとみられる


大岩山砦主郭への分岐

秀吉方・中川清秀奮戦敗死の「大岩山砦」

岩崎山砦見学後は、また主尾根の道に戻って緩やかな登坂を南行し、1km程で大岩山砦跡に続く分岐が出現。主尾根の道に併走・合流する写真左の林道横の登坂がその主郭への道である(南から来し方の北を見たもの)。


大岩山山頂に広がる大岩山砦主郭跡
林道横の登坂を上がるとすぐに大きな平坦地が現れた。標高約280mの大岩山山頂に築かれた大岩山砦の主郭部である。守将は、右近と同じ摂津衆で茨木5万石の大名・中川清秀


大岩山砦跡に掲示される観光協会による砦の縄張図
現地の縄張図は主郭付近しか描かれていないが、地形分析から、恐らくは岩崎山砦同様、両翼を持つ「山」字形の要害であったと思われる。その守備方向は東で、北国街道の東向こうの山地にあった坂口砦や田上山砦等と共に街道やそれが通る谷地の敵を挟撃・牽制する「縦深防御」の意図が窺えた。しかし、それ故に、岩崎山同様、緒戦で背後を衝かれ、中川清秀討死の危急を招く


大岩山砦主郭跡にある中川清秀墓所
大岩山砦主郭広場にある中川清秀公墓所。左奥には同氏の名跡を継いだ豊後岡藩藩主の名が記された江戸期の石碑もあった


大岩山砦南横の尾根脇の窪地にある首洗池
大岩山砦主郭見学後、主尾根の道に戻ると、尾根横直下の窪地に「首洗池」なるものが現れた。中川清秀の首を洗った場所との説明があったが、恐らくは後づけで、水に乏しい尾根筋に於ける貴重な水源とみられた


大岩山砦南の尾根上にある猿が馬場と記念碑

豊公陣跡?「猿が馬場」

首洗池の次は尾根道上に古い記念碑が立つ写真の「猿が馬場」が現れた。大岩山と岩崎山の両砦陥落を知り急行した秀吉が反撃の陣を置いたとの説明があったが、広からぬ小頂上にあり、柴田勢が占拠した大岩山にあまりに近い危険な立地のため誤伝が疑われた。

地形図の検討や当時の戦況を勘案すると、秀吉方というより、桃山期の軍学者・小瀬甫庵著『太閤記』記載の、賤ケ岳砦の抑え(同砦からの救援遮断)として置かれ、撤退時に殿(しんがり)を務めた佐久間側の安井左近大夫と原彦次郎の陣跡に相応しいと思われた。


大岩山から賤ケ岳へと続く尾根筋の古道と大木の森
疑惑の猿が馬場を過ぎ、更に南へと進む。道は重機等の近代人為が見られない純粋な古道と化してなだらかに続く。人工林と天然林が交互に続くが、意外と大径木が多く、樹種も豊富で豊かな森に思われた


賤ケ岳砦東に続く長大な平坦尾根

決戦指揮所立地・賤ケ岳山頂

その後、高低差80m程を登る急坂を経て、写真の如き平坦な尾根にでた。それは、標高点349から西に続く箇所で、幅が広く賤ケ岳山頂直下まで500m以上に渡り続いていた。

秀吉布陣の猿が馬場とは、ここのことではないか。ここなら逆反撃に強い高所にあり、大軍の待機も可能である。また人為的な整地の可能性も窺え、しかも、直下の急坂下に山城特有の堀切跡も確認していた。恐らくは、賤ケ岳砦の東郭で、武者溜りだったのではなかろうか。

実際『甫庵太閤記』にも、佐久間隊が大岩山麓で発見された際に中川・高山隊6千が賤ケ岳砦の「要害」から急ぎ下ってきたという記述があり、軍団の宿営地だった可能性がある。


賤ケ岳山頂東直下の急坂の森
長大な平坦尾根の次は、賤ケ岳山頂直下の急坂が現れた。この坂下にも砦防御用らしき堀切跡が残っていたが、途中の郭や道跡は不明瞭であった


賤ケ岳山頂に広がる賤ケ岳砦主郭跡広場
そして、高低差50m程の急登を終え、賤ケ岳山頂に到着。標高421mで、江土の尾根端から約4kmかけて300m弱登ってきたことになる。山頂は賤ケ岳砦の主郭跡を利用した広場となっており、土塁跡らしきものも確認できた(写真左右端)。写真は減ったあとのものだが、人の多さに驚く。大河ドラマ等の影響か(笑)


賤ケ岳山頂からみた山本山や琵琶湖・竹生島等の眺め
賤ケ岳砦跡の特筆すべき点は、その眺望の良さにあった。これは南方の眺めだが、ほぼ琵琶湖全域を観察することができる。湖北という辺境に在りながら、北陸・東海・上方への出入りを監視できる意外の要衝だったのである。砦急襲の反撃に際し秀吉は迷わずここに上ってきたというが、元よりここを決戦指揮所の一つに想定していたのかもしれない


賤ケ岳山頂からみた、余呉湖やその周辺の柴田・羽柴両軍の砦跡の眺め
同じく賤ケ岳山頂から見た北方は余呉湖等の眺め。こちらも、岩崎・大岩の両砦がある余呉湖東岸尾根は疎か、秀吉が「総構(そうがまえ)」と呼んだ、余呉湖北尾根やその東対面山地上の砦群を含む、二段の防御線が観察できた。秀吉は決戦に先立ち北尾根と東対面山地間の谷地を防塁(土居堀?)で塞ぎ、そこを通る北国街道諸共柴田軍の侵入路を遮断していたが、その場所も見えた。即ち、山稜と防塁で「前方防御」を施し、その後方谷地内で更に「縦深防御」を用意していたのである。そんな近代戦を先取りするような壮大かつ抜かりない展開を実見し、改めて感心させられた


賤ケ岳山頂からみた、余呉湖北西の行市山や玄番尾城等
賤ケ岳山頂から見えるのは秀吉方の陣跡だけでなく、柴田方の主要陣跡も見えた。それは余呉湖北西にあるが、副将の佐久間盛政がいた行市山(ぎょういちやま。標高659m。写真中央)や、その右谷奥の総大将・柴田勝家本陣の内中尾山(玄番尾城。標高約460m)等である。正に決戦指揮所に相応しい眺望ある立地。しかし敵も同じくこちらを監視していたであろう

天下人の壮大な智略と技みる

先に長浜を押さえ江北(湖北)を掌握した上方勢の秀吉に対し、北陸勢の勝家が3万以上とされる大軍でここに押し出してきたが、隙の無い防御で封じられ、膠着状態となってしまう。それを打破すべく、秀吉本隊が美濃に出陣した隙を狙い、佐久間盛政が山裏から大岩山・岩崎山を奇襲したのが、賤ケ岳合戦の発端である。

前線後方にあり未成だった砦を奇襲陥落させ、上方本陣の木之本を見下ろす要所・賤ケ岳まで一気に危うくした優れた軍略だったが、50km以上の距離を5時間で帰還するという想定外の秀吉主力の反撃で壊滅し、支援作戦中の柴田本隊諸共、全軍潰走の急展開を招いた。

結果、僅か4日後に北陸方本城の北ノ庄(現福井市)が陥落し、勝家は滅亡することとなったのである。

それにしても、谷地を防塁で塞ぎ山稜共々長大な防衛線と成し、大軍を恙なく高速移動させるという、秀吉の壮大な軍略には感心させられるばかり。恐らくは、それまでの戦いのなかで、誰も真似し難い、迅速かつ大規模な土木普請や兵員展開の術を磨き、体得していたのであろう。

そうした体制を備えた上方勢をここで破ることは同数以上の兵員を以てしても至難に思われる。既に北陸勢がここに止められた時点で勝敗は決していたのかもしれない。迂回路となる湖西や敦賀が湖上・海上諸共、秀吉方の丹羽長秀らに抑えられていた北陸勢は、後方の山越えで補給せざるを得ず、豪雪で交通が途絶するため在陣を続けることも不可能であった。

つまり、遠からず奇襲突破を試みるしかなく、秀吉はその機会を待っていたのかもしれない。

そういえば、合戦は440年前のちょうど今頃生じた(西暦換算6月10日)。そんな機会に、初めて現地を実見し、天下人の非凡な智略や技、そして、歴史の奇しき変転を実感したのであった。


賤ケ岳山頂とリフト乗場を結ぶ道と木立の合間から見える琵琶湖や竹生島
賤ケ岳山頂にて華麗なる豊太閤の軍略を体感したのち、昼食を摂り、南方の尾根に続く道を下る。山頂他、樹々が少ない場所が続いたが、折よく曇り空となったので直射の暑さは避けることが出来た、


賤ケ岳リフトの山上駅
賤ケ岳砦の主郭たる山頂南直下の急坂下ではリフト乗場が現れた。人が多かった理由の一つであろう。ただ、ここから山頂までは未だかなりの登坂があるので、足の悪い高齢者等が難儀する姿も見られた。麓から直に山頂に着くような誤解もあり油断しがちだろうが、水等の備えは忘れずに……


賤ケ岳リフトの山上駅南の尾根道(中部北陸自然歩道)
リフト乗場から先は人の往来が激減するためか、尾根上の道は、急に元の古道・山道風情と化した。ただ、環境省の「中部北陸自然歩道」の一部のため、草刈り等の整備が行き届いた、歩きやすい道である


賤ケ岳山頂南の鞍部にある賤ケ岳砦の堀切跡を利用した古道峠
そして、賤ケ岳山頂から750m程尾根道を下ると、この様な鞍部に達した。賤ケ岳東南麓の大音(おおと)集落と琵琶湖岸の山梨子集落を結ぶ古道峠だが、人為的に掘り込まれていることが判る。恐らくは賤ケ岳砦南端の堀切を利用した通路であろう。尾根伝いでの砦接近を阻む防御遺構である


賤ケ岳南の鞍部から山梨子へと続く古道

謎多き湖岸の古集落・山梨子へ

堀切鞍部からは古道を伝い、湖岸の山梨子集落へと向かうが、付近の森なかには写真の如く、古の荷車道らしき確かな通路が続いていた。


大音越近くの古道脇にあった首切地蔵とその解説
これは峠直下の古道脇あった「首切地蔵」とその解説板。石仏の首が折れており、その昔盗賊が切ったとの伝説をもつという。話の真偽はともかく、中世以前の作とみられる古い石像が在ることも、古くからの通路である証か。因みに、地蔵前から北へ向かう別の古道もあった(20世紀初頭の古地形図にみえる、北西の飯浦集落に下る巻道か)


無数のつづら折れを繰り返しつつ急斜面を下る、湖北・山梨子への古道
古道は、この様に無数のつづら折れを繰り返しつつ急斜面を下る。これも、牛馬や荷車通行のために傾斜を減ずる古道特有の工夫とみられた


山梨子集落上手にある賤ケ岳隧道
折り返しを無数に繰り返し斜面を下ると車道が現れた。高低差100m以上の急下降だったが、車道にこの様な古い隧道口が現れ少々驚く。国鉄北陸線の旧路かと思ったが、こんな場所にあった記憶はない。ただ、通行がない車道用としては立派過ぎ、わかったのは煉瓦の使用と状態から、その様式末期の大正頃のものだろうということであった。あとで調べると、やはり大正末起工・昭和初年竣工の車道トンネルで、戦後この下横に新道トンネルが出来たため廃れた、湖西・敦賀方面への元幹線路であった。即ち、ここは古道峠を含め、三代に渡る通路が現役で残る稀少な場所であった


大音越・大音峠を下り現れた山梨子集落と琵琶湖
隧道から下はつづらの道が廃れ始めたので代替らしき舗装路をゆく。そして高度差50m程下降すると山梨子集落の裏手に至り、その家屋と共に琵琶湖の水面などが見えた。ただ、湖岸へはここから更に20m程の高さを下る


琵琶湖北岸の孤立集落「山梨子」全容

漸く湖岸に下り、山梨子集落全容を観察すると、昔訪れた同じく江北の湖岸集落「菅浦」とよく似た雰囲気であることを知る。湖岸側家屋が立派な石組み基壇を有していることなどである。また、屋根下の梁端部が妻壁から突き出ているなどの建築的類似もみられた。

戸数は菅浦より少なく、殆ど耕地もない極めて小規模な集落であることを意外に思う。今は車道で結ばれているが、菅浦同様、20世紀前期までは山越えか舟でしか行くことが出来ない孤立村落だったので、集団結束や自給自足が不可欠とみていたためである。漁業や運輸を業としていたのか。

また、背後が急傾斜地のため、長く集落を維持出来たことに感心する。集落後部には伝統的な石積に替えて平成初頭製のコンクリ擁壁が聳えており、崩落の危険と、それへの警戒が窺えたからである。

因みに、賤ヶ岳合戦の際は事前に秀吉の弟で留守居大将の羽柴秀長が船団で上陸した記録があるらしく、佐久間隊奇襲時に賤ケ岳砦を救援した丹羽長秀が上陸した場所にも推定されている。

峠越えはあるが、秀吉本陣があった木之本及び各砦への補給拠点や、北国街道最寄り湖津としての役割があったのだろうか。


琵琶湖北岸の山梨子集落からみた奥琵琶湖の水面や竹生島等
山梨子集落の湖岸からは奥琵琶湖の水面や秀吉ら戦国大名も尊崇した信仰の島・竹生島(ちくぶしま)が望めた。しかし、本来静かで風光明媚な地ながら、水質は良からずコンクリ塊で固められた湖岸も趣を欠き残念に思われた。地方創生には、先ずその地が地元を始め、内外の人に愛されることも重要である。これからの時代は、その為の改善が必要かと思われた


琵琶湖北岸の山梨子集落南端に残る前近代の水位計「広屋の大石(へび石)」
歩いてもすぐ端に至る山梨子集落の南端には、この様な「広屋の大石(または「へび石」)」があった。教育委員会の解説板によると、18世紀半ば以降の地元旧家の日記に、この石がどれくらい水面から出ていた事が記されているという。即ち、前近代の琵琶湖の水位計たるものであり、他の湖岸集落に例を見ない貴重な存在という。この石により、今は湖岸路の上手にある集落石積まで湖水が達していたことが判った

山梨子の湖岸で斜面下降の疲れや暑さを癒し、次なる湖岸集落・飯浦に進まんと湖岸を北上する。途中、民家を改装した店らしき建屋から出てきた、大陸出身とみられる男性に屋内での休憩を勧められるが、終点の余呉駅までまだ距離があるので挨拶のみで進んだ。

最近開いた店らしく、コロナ禍で止まった投資再開を想うも、我々すら知らぬこの様な僻地にまで進出することに少々呆れる。願わくば、土地家屋の安さではなく、場所の魅力・可能性を買ってもらっていますよう……。


琵琶湖北岸の飯浦集落近くにある余呉湖補給揚水機場

意外・立派な古跡残る飯浦

山梨子集落の北から、隧道と同時期に開削されたとみられる山際の湖岸旧道を通り、やがて新道に合流した。交通量が多い割に歩道がないので歩き辛いが、仕方なし。

そうするうちに、新道と湖岸の合間に、写真の如きコンクリ造の施設が現れた。門柱には「余呉湖補給揚水機場」とある。地下トンネルで琵琶湖の水を水面標高が50m程高い山裏の余呉湖に送るポンプ施設であった。建屋と道の間に径1mもない黒い配管も見える。なお、建屋手前の丈低い三角の覆い屋は、のちに増設された第二補給揚水機場とのこと。

余呉湖は元来の天然湖沼ながら、現在では地下及び地上の送排水施設によりダム化されている。この施設はその一部で、農業用水等の高需要期に琵琶湖の水を余呉湖に送っているという。

今回賤ヶ岳から一旦山を下りたのは、湖岸集落への歴史・地理・文化的興味のほか、これら余呉湖の水利施設が見たかったことも理由であった。


賤ヶ岳西麓に広がる湖岸集落・飯浦
揚水機場を過ぎると程なく飯浦集落に到着。余呉湖南西山裏に当り、賤ヶ岳西麓でもあるここは、山梨子とは異なり、狭からぬ山懐に広がり、戸数も多かった。伝統的家屋も多く見られたが、幅広い新道により(集落付近から歩道出現)、湖岸と分断されていたのは残念に思われた


琵琶湖北岸の飯浦集落の外れから余呉湖南岸方向の峠に続く石塁を備えた幅広古道

飯浦では集落南端辺りを通り、余呉湖岸へ抜ける山越古道に入る。

村外れでは、工事による道路途絶で通行困難になるも、近くの婦人らが脚立まで用意し助言してくれたお蔭で傍の石垣を乗り越え迂回することが出来た。通りすがりの他所者への親切に感謝!快き人情と共に、未知の地元言葉も聞き感心する。地理的・文化的に北陸の影響が強いのか。

山中の古道は、写真の如き姿で峠まで続いたが、それは、意外にも、谷側に古い石塁を備えた立派な牛馬・荷車道であった。湖西等の山中でもよく見る造りの古道だが、ここのそれは荷車2台が行き交える程の幅を有するという特色を備えていた。

ここは余呉方面への通路ではあるが、間道的立地なので、これ程の規模を有すことは謎であった。もはや村落の自主施工とは思えず、公儀の関与さえ窺われた。ひょっとして賤ヶ岳城への物資運搬の主路などだったのか。


P6255038.jpg
また古道沿いには石積で築かれた無数の平坦地があった。写真中央で左に折れる古道向こうに開(はだか)る土壇などである。棚田跡かと思われたが、その数や規模、造りの良さに驚かされた。それは峠近くまで続いた。一部は戦国期の飯浦の詰の城や賤ケ岳の支城であった可能性も考えられた


飯浦側(南)からみた、稜線鞍部が鋭く切られた「飯浦の切通し」
稜線鞍部が鋭く切られた「飯浦の切通し」。南は飯浦側からみる

飯浦の切通
合戦山場定説地への疑問


古道・耕地跡共々立派だが、双方荒れ気味で、獣の白骨も数多散乱する陰鬱な森をつづらで登り、やがて稜線が鋭く切れた峠に到着した。

所謂「飯浦の切通し」で、湖岸から約200mの高低差を登り返したことになる。峠道の左側上部には山梨子の峠と同じく、古い石仏があり、石灯籠も添えられていた。古くからの峠道に違いないが、右側稜線が賤ヶ岳山上に接することから、同時にその砦の堀切だったとみられる。

実は、この場所は賤ヶ岳合戦の山場となったことが定説化している。

即ち、秀吉本隊出現による佐久間隊撤収の最終殿(しんがり)を務めた柴田勝政(盛政弟)隊が、ここで秀吉の鉄砲・弓衆の斉射を受けて崩れ、「七本槍」ら若手親衛軍の突撃と追撃により佐久間本隊共々壊滅し、北陸勢全軍の敗北端緒になったとされるからである。

しかし、ここを実見して瞬時に疑問が生じた。それは、この峠一帯が急峻な為である。『甫庵太閤記』によると、柴田勝政は3千の兵を率い、賤ケ岳砦の抑えとして、その「堀切」付近で南面して控えていたという(合戦同年に記された『天正記』には場所記載なし)。だが、ここの切通し南の余呉側もかなりの急斜面で、多勢の布陣は難しく、防御もし難い。

そう考えて地形図を見ると、ここからの稜線続きで砦主郭から250m程手前に緩傾斜の適地があることが判った。しかも、そこは左右から尾根が集まりその内一つには余呉湖南岸に下る山道も描かれていた。

主郭直下のそこは、恐らく砦西直下の重要な堀切があった筈である。そこを抑えずにこの「切通」に居れば、湖岸から回り込まれるため、砦の抑えにも、南岸を通行したとされる佐久間本隊の殿にもならない。

しかし、そうなると主郭との近さが気になるが、『甫庵太閤記』には丹羽長秀が湖上で賤ケ岳山上での数多の発砲音や幟旗の存在を知り砦の危機を悟ったと記されているので矛盾はない(岩崎・大岩山は山裏なので誤認する可能性はない)。

また、このあと城将の桑山重晴が一旦退却を始めるので、かなり圧迫されていた可能性も高く、存命者等からの聞き書きによる『川角太閤記』にも、秀吉が「七本槍」らを220m程先に突撃させて首を取らせたとの記述があり、勝政隊と砦の近接が窺える。

その、「真の堀切」部分を是非実見したいと思ったが、今回は予定になく、時間的・参加者との関係上からも叶わなかった。機会あれば、是非また再訪して確認してみたい。ひょっとすると、勝政隊が築いた攻守逆向きの野戦防塁跡等が残存しているかもしれない。

新説?
賤ヶ岳合戦は幻の柴田側決戦行動か


ここで、これまでの見聞や諸史料の分析により、一つの考えが浮かんだ。

それは、佐久間盛政隊の目的が砦討滅ではなく賤ケ岳を含めた全山を攻略し、一気に上方防御線後方の木之本に下り、羽柴秀長本隊らを、谷地内で勝家隊と挟撃するつもりだったのではないか、ということである。

これなら、総構(前方防御線)西の有利な高所に前田利家隊も進出していたので、併せて三方から一気に羽柴方を殲滅することが出来る。秀吉留守時の兵数はほぼ互角だったので(『天正記』等には柴田側の方が多勢とする記述もあり)、成功の可能性はあり、むしろこの手しか勝ち目があるように思えない。

その為に、盛政隊が1万5、6千(勝政隊含むと2万弱か)という過大な兵力を後方山地に向けたのではないか。つまり、盛政隊は別働隊ではなく、秀長隊1万5千に対抗し得る北陸勢最大の決戦本隊だったということである。

しかし、中川隊奮戦による損耗・遅延と丹羽勢の賤ケ岳加勢によりその計画は崩れた。そうなれば、秀吉の帰還前に一刻も早く元の陣所に撤収しなければならない。甫庵太閤記にある、勝家から盛政への数多の撤収催促も、決戦中止と危険退避の指示で、盛政が諦めずにいた為かもしれない。

私は当初から太閤記のこの大岩・岩崎山両砦攻略後の撤収指示記述に疑問を抱いていた。わざわざ大軍を発して後方の小城を一つ二つ落として戻るという行為に作戦意義を見出すことが出来なかったからである。

しかし賤ケ岳全山攻略失敗後も、まだ佐久間隊退避と北陸勢壊滅回避の可能性はあった。だが、不幸にも大雨による揖斐川増水で秀吉が予定の岐阜まで進出出来ず、素早い「大返し」が可能になった。

秀吉はこの幸運と、すんでの危機を承知しており、それ故、この見事な作戦を立案し、実行した佐久間盛政を許し、配下に加えようとしたのかもしれない(後日生け捕られたが拒否して刑死)。


意外に深く豊かな飯浦切通北の森
意外に深く豊かな飯浦切通北の森

余呉湖へ
一見天然、中身は……


さて、飯浦から2度目の休息を切通の峠でとったあと、北は余呉湖側へと下降する。古道は続くが、その造りは変じ、よくある荷車1輌分の幅に狭まった。やはり、飯浦から峠までの道は賤ヶ岳城との関連があるのか。

道脇の森は意外と深く、様々な樹種の高木が斜面を覆っていた。しかし、森が豊かな割に水の気配がないことにも気づく。近畿辺りの低山なら、峠下の谷筋を下ると程なくして沢音を聞くが、ここではかなり下降しないと耳にしなかった。それは、先程の飯浦側でも同様であった。

冬の豪雪を含め、この辺りは比較的降水量が多い地域の筈。地質図では余呉湖周囲の山域は中・古生層の堆積岩質らしいが、何か透水や滞水等の性質に特異性があるのだろうか。


南岸からみた余呉湖
一見古代から変わらぬ姿に見える余呉湖。南岸より北は余呉駅方向をみる

切通北の古道を下ると、やがてまた森なかに耕地跡が現れた。飯浦側同様の結構な規模である。

そして、そのまま山裾へ下り出ると、湖岸道路と余呉湖が現れた。森と道の狭間には国民宿舎跡の広い空地があったが、終戦直後に米軍が撮影した最古級の空撮写真には、ここを含め山側に続く棚田が捉えられていた。

それは、湖岸各所と同様で、恐らくは湖岸北部等にある集落の出作地かと思われた。しかし、飯浦側の山中に棚田は写っておらず、古い時代での廃滅が窺われた。なお、現在ある湖岸道路は写っていなかった。戦国期以前同様、まだ舟が利用されていたのであろうか。

湖岸からは、一見古代から変わらぬ姿に見える余呉湖が広がっていた。だが、耕地は全て消え、湖岸も石で固められ、古の風情や天然の水辺は見られなかった。あたかも、公園か人造湖の雰囲気である。湖岸路を通す際に埋め立て等の改変を受けたのか。

残念無念。これでは、古の佐久間隊や七本槍らの足跡も判らず、当時を想うことは困難であった。また、水質も良からず、湖北の山辺にひそむ、神秘の湖たる印象も損なわれた。


余呉湖の水を余呉川・琵琶湖へ送る「川並放水路ゲート施設」

余呉湖岸を観察しつつ湖岸路を辿り、東岸の大岩・岩崎両山の麓を経て、余呉駅へと向かう。

途中、大岩山の西麓で、かつて攻城前の佐久間隊が、馬を湖水で冷やしていた城兵を切ったとされる「尾の呂が浜」を通る。しかし、やはりそこは「浜跡」と呼ぶべき公園的場所と化していた。

その後は写真の「川並放水路ゲート施設」が現れる。こちらは飯浦傍の施設とは逆に、余呉湖の水を東麓の余呉川に送るものであった。余呉川は琵琶湖に注ぐので、琵琶湖への放水路ともいえる。即ち、余呉湖をダムとして運用するための主要施設の一つであった。

ただ、長大な地下トンネルを擁しながら、小規模な施設であることを意外に思う。


余呉湖北の余呉川導水路上にある「導水路下流高田川ゲート施設」とその後ろの「江土閘門ゲート施設」

余呉駅帰還で予定終了
良き湖水・湖岸戻りますよう


小さからぬ余呉湖岸を長歩きして漸く北岸に達する。その北にはまた人工河川・余呉川導水路があり、写真の施設が現れた。

余呉川上流の水の流入及び余呉湖水の流出を調整する「導水路下流高田川ゲート施設」で、その後ろには、朝みた江土川への流出入を調整する「江土閘門ゲート施設」もあった。

この様に徹底して湖水が管理されている様子を観察出来たが、水質をなんとかして欲しいと思う。せめて足を浸けたくなるようにしなくては人々の愛着は得られまい。浄化を図る深層曝気(ばっき)装置も導入されているようだが、効果は限定的であろう。

元は沢水が流入するのみの閉鎖湖だったのなら、北海道の火山湖同様、その透明度は極めて良好だったのではないか。そんな清澄な湖水が、湖岸の自然と共に、羽衣伝説もあるこの地に戻ってくることを切に願う。

さて、余呉湖北岸を離れると程なくして余呉駅に到着した。これにて今日の予定は無事終了に。初心者向けの道程ながら、この暑さのなか累積登坂は600m、距離は12kmを超えたので、そこそこの負荷となった。

今日は山も歩いたが麓歩きも多く、また歴史やその他の観察・考察も多くなった。因って内容的には「調査・研究」の記事種(カテゴリ)ともいえるが、サイトの機構的に複数の選択が出来ない。その為、また後で、必要な人が探しやすいような方法を考えたいと思う。

とまれ参加者の皆さん、お疲れ様でした。暑いなかでの漸くの開催に対する理解と協力に感謝!

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年05月05日

続2023春野営会

湖南アルプス山中から見た堂山山頂

雲多き2日目

2023年春野営会2日目(野営会初日はこちら)。

予報通り、朝から曇天の空となったが、今日中の雨を呼ぶものではなかったので、憂慮せず1日を始められた。

今日は朝食後に希望者及びそこが初めての人のために、近くの堂山(標高383m)登山を行う予定でいた。写真中央に見える三つの峰の、一番奥側にある山頂までを往復するのである。

久々に私が引率し、留守は昼食用のピザ作りに勤しむ人に任せることになった。


野営2日目の朝食のソーセージマフィンとドリップコーヒー
因みに、今日の朝食はこれまた久々のソーセージマフィンとドリップ珈琲(ソーセージが隠れているが)。調理は私が担当したが、色んな調味料の提供を受け、簡素・即席ながら、まずまずの朝食にすることが出来た


鎧ダムと堂山との間の鞍部やそこを結ぶ登山道

「湖南アルプス」の特徴凝縮する堂山へ

ゆっくり朝食を摂ったあと、有志と共に堂山へ向かう。写真のような、湖南アルプス特有の、風化花崗岩帯の痩せた林のなかを縫うように進む。砂が載った急斜も多いため、足下に気をつけるように告げつつ……。


湖南アルプス特有の堂山山頂近くの奇岩と背後の湖東平野や琵琶湖に比叡山
これも湖南アルプス特有で、その名の由来にもなった奇岩の連続。勿論、ここも岩を避けつつ、登りつつ通過する。背後に細長い琵琶湖南湖や比叡山も見えてきた


湖南アルプス・堂山山頂近くに立てられた、新名神工事関連の通行止看板
そんな奇岩尾根上にはこんな看板が現れた。古くから麓の里に通じていた脇道の一つを遮断する警告のようで、今回初めて目にした


堂山と山腹を切るように続く新名神高速道路の施工現場
看板の原因はこれである。即ち、山腹を切る新名神高速道路の大工事であった。麓の各集落から自在に堂山を往復出来たのも今は昔。環境や景観破壊と相俟って残念でならない


堂山山頂近くにある岩間下りの難所
奇岩の稜線を進み、幾つかの頂(偽ピーク)を越えて、岩間を下るこんな難所が現れた


堂山山頂近くにある岩場登りの難所
そして、岩下りの次はこんな岩登りの難所も。ロープや石・木の根を掴みつつ進む。落ちて死ぬような場所ではないが、初心者には負担が大きいため、声をかけつつ慎重に進んでもらう


湖南アルプス・堂山山頂からみた田上盆地や琵琶湖に比叡山
岩の下りと登りに因る二つの難所を越えると、遂に堂山山頂に着いた。山頂の巨岩に乗ると、周囲全てが見渡せる


堂山と山腹を切るように続く新名神高速道路の施工現場
先程と同じく堂山山腹を切って大阪方面へと続く新名神高速の施工現場。工費節減のためか、隧道を用いず開路式で道を通している。これではふるさとの景観が台無しである。生まれ育った土地に対する愛着を減じさせないことも、子育てや人づくり、そして地域延いては国の未来への重要な投資ではないのか。何やら昭和より酷いことになってきた気がする。国家・公には百年大計をお願いしたいと切に思った次第である

美麗に整え撤収

さて、山頂でゆっくり休んでもらったのち、野営地に戻る。時間はちょうど昼で、ピザが出来始めた頃だったので、それを頂く。

火加減に難があったが、なんとか食べられたというか、味自体はまずまずであった。また研究を深めてもらい、次回の更なる向上に期待したい。

その後、残りの食材を皆で食して撤収作業に入る。ゴミ・忘れ物・消火等々、抜かりなく行い、来た時以上に美麗に整え、野営地を後にした。

そして、下山後は麓の温泉施設寄ってから帰宅――。

皆さんお疲れ様でした。荷物の詰込や運搬に不安があった人も見られたが、皆のために色々なものを用意してくれ、結果いつも以上に楽しませてもらったり、意外な工夫等も見せてもらった。

良い集いとなったこと、してもらったことに感謝!


野営会初日はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年05月04日

2023春野営会

2023年5月連休中の湖南アルプスの新緑や清冽な花崗岩沢

まさかの実施

今日は恒例の春の野営会開催日。

実は、先月半ばから長く体調不良見舞われ、予定日の天候予報も悪かったため、実施困難の確率が高く、結果、決定・告知が直前となった。

なんとか先月中に体調が回復し、天気予報もまさかの好転が生じ晴れて実施となったが、案内遅れで機会を逃した人には申し訳ない限り。

ともかく、色々とあったが、一先ずは好天の野営日和を迎えられたのであった。


上掲写真 野営会開催地、滋賀南部・湖南アルプスの新緑の山肌や清冽な花崗岩沢。


野営会の天幕設営地
野営会の天幕設営地

またの恥知らず

今回もコロナ以降の傾向が続き、参加人数は少なかったが、久々に初参加・初心者も迎えることが出来た。

心配は、昨今入山者が増えたので、構築した炉(竃)がある場所が取られていないか、ということだったが、これも大丈夫であった。麓には車が多く、駐車場所に少々苦労したが、意外と山中の人は少なかったのである。

ただ先行者のゴミが目についた。これもコロナ以降の特徴。炉は掘り返されて使われ、消火こそされていたが、アルミホイル等のゴミが突っ込まれていた。また以前と同じく、すぐ近くの樹下に便所紙の山が幾つも……。

山へ上る途中に、野営装備らしき大荷物の下山女子2人とすれ違ったが、果たしてどうか。経験上、男より女の方が、森の浅い場所、即ち通路や居場所近くで用を足す傾向をみてきたが、まあ、断定は出来ない。

しかし、こんな近くで用足し跡を露出させて恥ずかしくないのか。更に、すぐにでも風で散乱し、炊事場や寝床に吹き寄せるような状況である。

ともかく、何度でもいう。ゴミを片付けられない者、他者や環境に配慮が出来ない俄者や愚者は二度と山に来るな。


野営会での炉の設営
さて、気を取り直し、手分けして炉の設営や薪集めを行い、野営地を整えた。今回は炉の露除けの覆いを高めに設定


炭熾し容器を炉にしたアヒージョ調理
夕方までの空き時間には、自前の鍋や食材でスペイン料理「アヒージョ」を作る人も

間食等で設営後を楽しむ

アヒージョはオリーブオイルで食材を揚げる間食的な料理だが、私もお裾分けを貰う。美味い。手軽で、良いアイデアである。

下の台は別の参加者が持参した炭熾し用の容器だが、私の発案で火炉として利用。松葉や小枝等の少ない燃料で安定した火力が出る、意外と効率的な裏技となった。


石組炉での焚火による夜の飯盒炊爨
そして、夕方からは夕食時間に。幸い気温が然程下がらなかったこともあり、いつにも増して快適な食事や語らいが出来た


野営地の焚火上に昇る満月に近い月
遅い時間には、頭上に大きな月も。満月ではないが、その直前に近い大きさか。月の明るさに影響されたのか、鹿の鳴き声が山中にこだまする。その後、夜勤でお疲れの一人を除き、遅くまで飲み語らったのであった


野営会2日目はこちら

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年04月15日

信楽別働山行

飯道神社駐車場にある鳥居と神社参道石段登り口(飯道山登山口)

雨天中止の筈が別動隊出動!

今日は本来、春の山会の日であったが、生憎の雨天により中止・延期となった。

しかし、折角休みをとったので収まりがつかないらしい一部参加者から別の低山行を提案されたので、非正規・別働的に同行することにした。場所は、比較的少雨量が予報されていたという、滋賀南部は信楽高原北にある「飯道山(はんどうさん。標高664m)」。

最近は基本雨天は出動しないことにしていたが、信楽北部山地はこれまで未踏であり、同乗車行で中途の面倒もなかったので、急遽中止後決定した。勿論、無理せず、可能なところまで進む、という心積もりではいた。

写真は車行で信楽高原を縦断し辿り着いた、飯道(いいみち)神社参道石段下。それは、山上の神社奥にある飯道山への登山口でもあった。


飯道神社へと続く急登の花崗岩参道と雨に濡れそぼる熊笹

神社・寺跡・城跡経て飯道山頂へ

雨が止む筈の時間に合わせるよう故意に遅らせて来たが、残念ながら確りとした降雨があった。その為、久々に行動開始前から雨装備完備で登り始めた。

そぼ濡れる熊笹の急登参道を進むが、準備万端なため問題なし。加えて、足下が滑りやすい泥等ではなく、花崗岩質というのも幸いした。


飯道神社社殿地直下に現れた、古い石積と岩に囲まれた回廊的施設跡
森なかに続くつづらの急登参道を行くと、やがてこのような石垣や岩で囲まれた回廊的場所に出た。飯道神社の社殿地に着いたのである。駐車場が既に標高約400mだったため、高低差は200m程という足慣らし的登坂であった。回廊の石垣は前近代的な古いもので、出入り制御を兼ねた施設跡かと想われた


雨霧にけむる飯道神社本殿
回廊的石段を登りきり、飯道神社本殿前に出た。雨が降り続くが仕方なし


朱等の極彩や黒漆塗で装飾される飯道神社本殿内部
飯道神社は史料上、1100年程前に存在が確認される古社で、江戸初期再建のこの本殿は重要文化財に指定されている。内外の朱等の彩色や重厚な黒漆塗は桃山様式ともされ、昭和後期に解体修理されたらしい


雨で眺望のない、飯道神社本堂裏の行場「東のぞき」
飯道神社本殿裏手の行場「東のぞき」。本来は琵琶湖等が遠望できる眺望地らしいが、雨天に因り、この通り。好天なら良い休憩地か?


飯道神社社殿地となりの旧飯道寺跡地
飯道神社参拝・見学後は社殿地の際まで戻り、更に奥山へ続く道を進む。これは社殿地傍にあった旧飯道寺(はんどうじ)境内跡。林内に立派な古い石垣が多く残り嘗ての繁栄を伝えていた。飯道寺は飯道社を管掌した神宮寺で、修験道の一大拠点だったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈で廃されたという。現在、高原麓に名を継承した天台寺院があるが、山上には、かの高野山中興・木食応其(おうご)の墓があるので元は真言系だったか


飯道神社近くの林道際に現れた、飯道寺城のものとみられる堀切や古道跡
大規模に残る寺院跡を、道の左右に眺めつつ進むと、このような古い時代に断ち切られた尾根や古道も出現。それは、このあと飯道山山頂手前にも現れた。中世の城塞址に違いあるまい。後で知ったところ、やはり飯道寺城という城塞があったようである。『信長公記(しんちょうこうき)』にも、織田信長父子一行が安土から乱後の伊賀視察へ向かう途中、飯道寺に宿泊した記述があるが、寺と連動した大規模な山城であったことが窺える


風雨で熊笹騒めく、飯道神社と飯道山山頂と繋ぐ尾根道
麓へと下がり始めた林道状の進路から外れ、飯道山山頂へと続く尾根道を進む。折しも風雨が強くなり、足下の熊笹も激しく騒めく


雨で眺望のない飯道山山頂
尾根道を進むこと暫しして、飯道山山頂に到着。見ての通り、ここも眺望はなし。ちょうど昼時で風雨も弱まったため、昼食休憩を検討するが、同行者が小雨を避けられる場所を希望。しかし、この先適地はなく、天候も計り難いため、ここにて摂ることにした


飯道山山頂から続く鹿深奥駈道

鹿深奥駈道へ

昼食後、飯道山山頂から尾根道を北に下り、稜線を北西方向に進む進路を採った。地質や植生の所為か、山の雰囲気が変わる。

飯道山から先は、所謂「鹿深奥駈道」(鹿深は「かふか」。甲賀の古称)と呼ばれる修験みちで、古くからの行場でもあった。


鹿深奥駈道の古い峠「オシゲジゾウ」
稜線上ながら樹々により眺望のない道を上下左右しつつ進み、一つの鞍部・峠に達した。近くに提げられた古い札によると「オシゲジゾウ」の峠名が。古い林道により拡幅されていると思われたが、峠部分は(中央)更に古い造りに見えたので、それ以前の牛馬古道跡の可能性もあった。地理的には、次のアセボ峠同様、信楽高原と湖東平野を結ぶ要所である


鹿深奥駈道の一峰「白草山」山頂
オシゲジゾウ峠からまた尾根筋を登り、今日の目的地の一つ「白草山(標高約613m)」に到着。しかし、ここも展望はなし


鹿深奥駈道・白草山付近の急斜の登山道
白草山を過ぎた頃から道が険しくなり、修験の道らしい急斜の道が増す。同行者に初心者がおり、雨で足下も悪いので慎重に進んだ


鹿深奥駈道・白草山付近の急斜の樹間から見えた琵琶湖南湖や湖東平野
この頃雨が止み、急斜の樹間からは、遠く琵琶湖南部や湖東平野の姿が今日初めて認められた


鹿深奥駈道を府道が横切る場所「アセボ峠」
そして急斜を下り、次の峠「アセボ峠」に至る。標高は約470m、信楽と麓を結ぶ現代の要路で、交通量も多いので注意して渡る。なお、ここは安土から伊賀への近道に当るので、信長軍団も、ここか、先程のオシゲジゾウを経て飯道入りを果たしたのかもしれない


アセボ峠西山中の植林帯に続く鹿深奥駈道
アセボ峠からは、生い茂る笹を分けて再度山に取りつき、更に奥駈道を西行する。最初は見晴らしのよい湖南アルプス同様の花崗岩帯を進んだが、やがて深い植林地となった


鹿深奥駈道の一峰、ほうそ山山頂直下の巨石ある天然林
鹿深奥駈道の一峰「ほうそ山(標高548m)」の山頂直下部分。天然林に覆われた巨岩が数多ある、古風で趣ある山域であった


鹿深奥駈道の一峰「ののへら」「大納言」付近の植林帯の尾根筋
ほうそ山からまた鞍部に下り、再び植林帯の尾根筋を登り進む。山林作業用か、鞍部を含む周辺は奥山ながら重機に因り過剰な林道づけが行われており、自然・歴史遺産の破壊が懸念された


鹿深奥駈道の一峰「宮町」または「ののへら」
やがて目的山頂の一つ、宮町三角点山(標高583m)に到着。そこに三角点があることからの仮名らしいが、地元では「ののへら」という山名で呼ばれているとのこと


熊笹が盛大に繁茂する、鹿深奥駈道の一峰「大納言」へと続く尾根道

終点「大納言」いづこ?

「ののへら」からは、その近くにある、いよいよ本日最後の目的山頂「大納言(標高596m)」を目指す。

だが、写真の通り途中で熊笹が盛大に繁茂して通行困難に。そういえば、この山域は今時珍しく熊笹が多いが、食害犯の鹿が少ないのであろうか。


鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂横にある電波塔施設
構わず笹尾根を進むと、なんと電波施設に阻まれてしまった。確かに、地図にも山頂に電波塔が記されているが、削平されてしまったのか


鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂横にある電波塔施設へと続く、その保守用車道
大納言山頂を探すべく、一旦笹薮を戻り、並行する電波塔の保守車道に下り、そこから再度施設付近への接近を試みた


鉄塔裏の尾根の高まりにある、鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂
しかし、辿り着いた電波塔入口は鉄柵で閉鎖されており、そのなかにも山頂らしきものは無かった。だが、良く観察すると、保守路終点の藪奥から再び現れた尾根筋の鉄塔裏に、電波塔より高い場所を発見した


鹿深奥駈道の一峰「大納言」山頂にさげられた標識
鉄塔裏に上ってみると、やはり大納言山頂の標識があった。高度計的も間違い無し。スマートフォンのアプリ地図さえ間違えた場所を指していたので混乱したが、諦めなくてよかった

一筆書き山行終了

最終目的地に達したので、あとは下山。施設保守路をそのままアセボ峠下の県道まで下り、その後県道を下り、また途中から飯道神社駐車場まで上り、今日の山行を終了したのである。

最後の車道歩きが全行程の半分近くに達するなど、長歩きになったが、元来た道を帰らず出発的に戻れるという貴重な一筆書き山行となった。

結局雨は降ったり止んだりの繰り返し。ただ、大した雨量でなかったことには助けられた。初心者の人が無事歩き通せたことも。皆さんお疲れ様!

この後、知人お勧めの麓の温泉施設に寄ってから帰京したのであった。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年02月25日

雲取終雪

京都奥貴船にある旧芹生小中学校の校舎屋根に載る雪と氷柱

今季最後の近場雪?

今日は月初以来の、近場の雪山行また鍛錬行の今季第二弾を行う。

前回のあと、一旦暖かくなり、また寒冷化するという日々を繰り返し、また降雪と寒冷の機会がきた。

しかし、今日は昨日山上でもまとまった雨が降ったあと、という悪条件に。ただ、近山での雪山行は、今後の予報から、今回が今季最後になると想われたので決行することとした(低温は明日まで続くが荒天で除外)。


上掲写真 所謂「奥貴船」にある京都北山・芹生集落の旧芹生小中学校の校舎屋根に載る雪とそこから下がる氷柱(つらら)。下山中の午後に里道から望遠撮影。平地市街が温暖化しても、高所・山間はまだまだ寒い。


薄く雪残る京都北山奥貴船にある芹生峠
昨日の5度以上という程ではなかったが、今朝の京都市街の最低気温も2度程という比較的高めであった。これだと、麓までは凍結を恐れずに車行出来る。その予想通り、貴船も安全に通過でき、京盆地北縁の芹生峠(せりょうとうげ。標高約700m)の距離約0.6km、高低差約85m下まで進出できた。その後、徒歩にて車道に薄く雪残る、この芹生峠を通過


前日の雨で車道の雪が溶けた2月末の芹生集落
そして芹生峠を北に下り、芹生集落に達する。昨日の雨の所為か、道上の雪は溶けていたので、厳冬期のように滑ることもなく歩き易かった


芹生集落外れの林道上に続くノートレースの雪
しかし、基本除雪が一切されない集落外れの林道に入った途端、深さ30cm程の積雪となった。まだ道上とはいえ、誰かが通行した踏み跡(トレース)もないため、終始足を取られて歩き難いが、そのまま進む


雪に覆われる京都・雲取山三ノ谷分岐
ノートレースの雪道に足を取られつつ、淀川水系・桂川(大堰川)上流の灰屋川源流部・三ノ谷分岐に到達。花脊(はなせ)大布施(おおふせ)と同別所集落方面との分岐地ながら、相変わらず踏み跡を見ず。これより先は更に雪が増すため、ここにてワカン(輪かんじき。雪上歩行器)装着


雪に覆われる京都・雲取山と三ノ谷の分岐部

馴染みの山上へ

ワカン履きで三ノ谷沿いの林道を遡上し、やがて写真の雲取山頂へと続く谷との分岐に。ここからは道なき急斜となるためアイゼン(靴底氷雪爪)も装着。

そう、今日は久々に、馴染みのマイナールートで雲取山を目指す。


雲取山三ノ谷ルート上の雪崩跡(デブリ痕跡)
狭い谷に入り、斜面を巻くように進む。勿論、踏み跡はなく、自分で進路を選びつつ、踏み跡を刻んでゆく。対面の斜面にはこのような、雪崩跡も多くみられたので、進路の状態や上方の異変に気をつけつつ進んだ


雪に覆われる、京都・雲取山三ノ谷ルート最後の有水分岐
やがて水がある谷としては最後の分岐に至る。厳冬期よりマシだが普通に寒い。長く雪を保持する谷や標高の高さに因り、冷蔵庫化しているのか


雪に覆われる、京都・雲取山三ノ谷ルート最後の急斜
最後の分岐前同様の狭い谷の斜面を進み、雲取山山頂直下の急斜面に到達。手掛りとして一部ピッケル(斧頭雪杖)が欲しい場所ではあるが、無くても大事には至らない条件のため、そのまま登る


雪に覆われる、京都・雲取山山頂

油断ならぬ山上の寒さ

そして、雲取山(標高911m)山頂着。

ここはバス道から続く別路があるため比較的人と会いやすいが、今日は写真の通り、人影はおろか、踏み跡さえ無し。


雪に覆われる、京都・雲取北峰山頂と手前の地蔵杉山等
折角なので、更に足をのばし、北方は雲取北峰山頂(標高約915m)まで進出した。時折舞っていた小雪が、本降り的になってきた


京都・雲取北峰から見た、地蔵杉山越しに見えた雪の皆子山や比良山脈
今日随一の眺望地・雲取北峰に来たが、生憎の天候により、手前の地蔵杉山等以外の見通しは悪かった。ただ、この様に一瞬背後が見えることがあり、皆子山(左奥。標高971m)や比良山脈(右奥。最高標高1214m)の雪景が望めた


雪に覆われる京都・雲取北峰山頂で生じる地吹雪の雪

雲取北峰にて今日唯一の休憩兼昼食をとる。雪を一尺程掘りこみ、座る場所と湯沸かし場を作り、即席麺を食した。ただ、途中風が強くなり、写真のように地吹雪的風雪に見舞われることに。

場所の選定を誤ったと思ったが、我慢して過ごす。ただ、やはり寒い。湯を出したあとのポットの水分も忽ち凍りついた。

今日は市街でも8度弱の低気温であったが、ここでは更に-4度という低さであった。久々に指がかじかむ。近くの低山、または厳冬期を過ぎたとはいえ、油断禁物との思いを新たにする。


昨日の雨の所為か、沢が露出した谷斜面に続く自身の踏み跡を辿る、京都・雲取山三ノ谷ルートの下山路
昨日の雨の所為か、沢が露出した谷斜面に続く自身の踏み跡を辿る下山路

自身の踏み跡辿り下山
近山の雪は今季最後か


昼食後は、また雲取山頂を経て、元来た道を戻る。帰りは下りで、更に自分の踏み跡が続いているので歩き易かった。ただ、その後の林道及び峠道の歩行は、延々として遠し。

結局、前回のバス行より早く帰れたが、それでも車道歩きが長かった為、帰宅は夕方となったのである。


京都奥貴船・芹生集落の奥にて、午後の陽射しを反射する樹間の小雪
午後の日射しを反射する樹間の小雪。寒いが、春の兆しとも感じられた。やはり、この辺りでまとまった雪を踏むのも今季最後となりそうか……

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山会

2023年02月05日

北山初雪行

立春翌朝の出町柳駅バス乗場に現れた、京都北郊山地へ向かう、京都バスの広河原行車輌

珍しきバス便での北山行

今日は珍しく朝早くバスに乗り、出町柳駅へと向かう。

それは、京都市街東部、賀茂川沿いの私鉄線ターミナルであった。ただ、そこから列車には乗らず、違うバスに乗り換え、市街北郊へと向かった。

向かったのは、鞍馬奥の花脊集落。一応出町柳や拙宅等とも同じ左京区内であるが、京盆地北辺裏の高所にあった。

今日は、そこから周辺の山を巡る今季初の冬山行を実施することとなった。例年なら既に前年末から始め、1月が盛期となるが、今年は年末年始に傷病者支援等があり、立春過ぎの今日となった。


上掲写真 立春翌朝の出町柳駅バス乗場に現れた、京都北郊山地へと向かう、京都バス・広河原行車輌。


鞍馬石の上に雪積る、京都北郊・鞍馬集落

驚くべき違い

バスは阪神地区とも結ばれる出町柳がある京都市街北部と京都北山(丹波高地)を結ぶ著名便で、紅葉時期等は混雑するが、今朝は出発10分前でも誰もおらず、一番乗りになった。

それでも、その後、人が集まり、少なからぬ乗客を乗せて出発した。そして、途中地下鉄駅等を経由しつつ更に客を乗せ、そこそこの乗車率で北郊山間に入った。

写真は、かの鞍馬での車窓景。赤茶けた名産の鞍馬石に雪が載っており、なんと小雪も降っている。市街は今朝昨日より暖かかったが、それでもこの違いであった。因みに雪は既に鞍馬下手の貴船口手前から降っていた。


京都バス広河原行の車窓からみた、京都北郊花脊峠下の雪深い山林
鞍馬から更に進み、峠道を登り始めると、完全な雪景となった。雪があるのは知っていたが、近隣市街との違いの大きさに改めて驚かされた


氷雪に覆われる京都奥鞍馬の花脊峠
そして、京盆地北縁高所に開く花脊(はなせ)峠に着いた。標高約760m、氷雪に覆われる、これまた信じ難い光景。路肩の気温表示は-2度だったが、昨日は麓でもそれくらいだったので、更なる厳寒だったと想像された


雪に覆われる花脊別所集落。花脊高原前停留付近にて

峠裏の雪域に

バスは花脊峠を越え、慎重に花脊別所集落に下る。路上は除雪されているが圧雪や凍結が多い為である。

そして、茅葺の形状を残す古民家が点在する集落内を下り、間もなく旧花脊スキー場最寄りの花脊高原前停留にて停車。私は、ここにて降車した。

私以外の数人の登山客は全員峠で下車していたので、私1人の下車に。細雪降る薄暗い深雪の集落に独り降りる私に、雪道対策と思われる年輩補助乗員が「えっ独り?大丈夫?帰りの便に乗る?」と不安げに声を掛ける。

非常装備を含め準備は万端のため一瞬面倒を感じたが、この状況、または職責上仕方ないと思い、「慣れているので問題なく、帰りの便も遅いので(18時以降に1本のみ)、自力で鞍馬駅まで戻る」と説明して別れた。

まあ、色々と事故も多いので、謙虚に疑念に答え、気遣いに感謝すべきであろう。

それにしても、集落下部とはいえ、写真の通りの深雪景。標高約570mのこの辺りで、積雪50cm前後か。先週、集落下部で積雪1mを記録したらしいが、未だそれを彷彿とさせる光景、正に雪国景であった。


雪に覆われる花脊別所集落奥の林道
雪が舞うバス停脇で準備し、西方の山塊へと向かう。暫くはこの様に雪積る林道を進み、その後、山道に入った。ほぼ埋もれるも人の踏み跡が続いていたため、ワカン(輪かんじき)は着けずに進めた。そして、早朝か昨日のものと思われる先行者の足跡も一つ……


雪に覆われる京都北山・花脊の寺山峠
そして、時間にして40分、高低差250mを登り、稜線の寺山峠(標高807m)に出た。雪は多いが麓とは然程違いは感じられなかった。陽当たりが良いので溶けやすいのか


京都北山・花脊の寺山峠から北に続く雪に埋もれた林道と古い踏み跡

花脊別所西稜線を北へ

寺山峠からは稜線直下に沿う林道を通り北を目指すことにしたが、写真の通り、埋もれた古い踏み跡のみで、近日の人跡はなかった。

それどころか、南方は花脊峠方面からの人跡もなかった。先行の足跡も峠で絶えたので、引き返したようである。

花脊峠からの登山者が先に通過しているかと思ったが、未着か別路を採ったか。私は鞍馬駅までの帰路の長歩きを考え、極力北に進出せんと、登りを厭わず高原前停留で降りたが……。


雪に覆われる京都北山・花脊の寺山峠付近で輪かんじき(ワカン)を装着
まあ、構わず峠から北を目指し歩き始めたが、ほぼ踏み跡のない新雪路で歩き辛くなったので、ワカンを装着して進む


京都北山・地蔵杉山近く山上で雪にまみれる林道や樹々
峠から1km程進んだところで要注意箇所を通過。中央に林道が通っているのだが、半ば埋もれて判り辛くなっている。恐らくは雪崩の所為と思われる。特に雪が多いここは斜面傾斜が大きく、樹々疎らな悪条件となっていた。実際、デブリ(崩雪堆積)も目撃し、昨年も危険を感じた場所であった。慎重に、そして素早く通過。気温が低い午前なので大丈夫だろうが、多量の積雪があった直後や雪が緩む午後は通らない方がよい場所であろう


京都北山・地蔵杉山近くの斜面に続く半ば埋もれた古い踏み跡
要注意箇所を過ぎると林道が途絶し道なき道を進むことに。向かうべき稜線上に進む、埋もれた踏み跡が続くが、ワカンを履き、読図で場所や進路も把握しているので、有っても無くても特に影響せず


京都北山・地蔵杉山裏辺りの、多量の雪が付着した北山杉
林道を離れ旧来の尾根筋に乗って進むが、やはり雪が多い。特産の北山杉も、このように多くの雪が付着する姿と化していた。ひょっとして、先週の大雪直後は「スノーモンスター」の如き姿だったのかもしれない


京都北山・ハタカリ峠近くのノートレースの雪深い稜線

奥山を旋回し山域最高所巡る

地蔵杉山(標高899m)の裏を過ぎて稜線を進む。去年登り、眺望も無かったため今回は同山に登らず。そして、北から西、更に南に向くよう、奥山の稜線を旋回する。

本日の最北端かつ奥山なので雪が多い。大雪から一週間以上経ったとは信じ難い状況であった。気象条件も厳しいのか、写真の通りトレース(踏み跡)も消え失せた。この山域に入る人はご注意を……。


雪まみれの雲取後峰から樹林越しに見えた雲取北峰
南へ向き始めれば樹林の彼方に今日の目的地の一つ、雲取北峰(標高約915m)が見えてきた


深雪・ノートレースの京都北山・雲取峠
その後、深雪の稜線を下り、雲取峠(標高約870m)に到達。意外にもトレースが全くない、完全な平滑雪原状態であった


京都北山・雲取峠付近で新雪に沈むワカン履
雪は更に深く、新雪的雪質も高まったように感じられた。ワカンを履いても、この通り平気で30cm以上沈むことも、しばしば……


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人けのない雲取峠を通過し、隣の雲取北峰に上る。やがて、灌木の果てになだらかな山頂が見えたが、またしても、トレースは見られなかった


京都北山・雲取北峰山頂からみた地蔵杉山等の山々の雪景色
雲取北峰山頂から見た、北山杉の植林が美麗な地蔵杉山(中央)等の京都北山の峰々。つまり、先程この山頂裏辺りを右から左へ移動しつつ、ここまで周り込んできたのであった


京都北山・雲取山付近で見た、狸か狐の足跡らしき雪上痕
雲取北峰付近の雪上ではこの様な足跡も目撃。イヌ科らしき様から、狸か狐のものであろうか。一見不毛に見える雪山でも、この様な野獣痕跡は少なくない。加えて、雌鹿や雌雄の雉等の、鳥獣自体も目撃した


珍しく、雪面にトレースのない京都北山・雲取山山頂
これまた人けのない雲取北峰で昼食後、南西に連なる雲取山主峰(標高911m)にも寄る。この山域の最高所を巡るためである。しかし、その山頂もこのようにノートレースの無人雪域となっていた。これは大変珍しい。まだ正午頃だったので単なる一番乗りなだけか。それとも雪の多さで麓に近寄り難いための閑散か……。実は、私自身、本来は昨朝貴船経由の車行予定だったが、路面の凍結等で貴船より先に進めず断念していたのである


急に晴天となった京都北山・雲取峠の雪原
午後から眩いばかりの雪原に急変した雲取峠

別路の谷と尾根筋経る帰路へ

雲取山を覗いたあとは、谷への下降路を採るため、自分のトレースを踏み、また雲取峠まで戻った。すると、先程までの降雪天気が嘘の様に失せ、眩いばかりの雪景と化した。

あと、先程は無かったトレースが一筋、自分のトレースに交差しており、別人が現れたことを知る。近くの大学小屋の入口に人が見えたので、関係者が様子を見にきたのであろうか。


京都北山・雲取峠下の谷沿い雪面の急下降
雲取峠からは、この様な谷沿いの急斜を下り、また寺山峠を目指す。今日の最終進出地は北周りでの雲取山。即ち、これより帰路で、寺山峠には谷なかの近道をゆく。午後を過ぎ、更に晴れてきたので、みるみる雪が緩み始めるのを感じる。別人のトレースを足下に見つつ、気をつけて進む


雪にまみれる、京都北山・雲取峠下の灰屋川源流谷と正体不明の山小屋
雲取峠下の桂川水系・灰屋川の源流谷もこの通りの多雪ぶり。右上小屋の正体は不明だが、どこかの大学山岳部の関係か……


晴れて雰囲気が一変した雪の寺山峠
灰屋川源流谷を下り、その支谷からまた少々登って再度寺谷峠に着く。明るい陽射しに包まれ、今朝とは別の場所、別時期のように感じられた。そういえば、谷なかの分岐にて初めて人とすれ違ったが、沢の渡渉に迷っていたようであった。私が下流を渡ったのを見て近づき挨拶したが、比較的若めの男女二人組で軽装かつ慣れない雰囲気。しかも時間は13時前。恐らくは雲取山に向かっているとみえたが、大丈夫であろうか。バス停近くにも警察による遭難多発の注意喚起が掲示されていたことが気になった


京都北山・寺山峠の南へ続く古いトレースのある雪の林道
さて、寺山峠からは往路の斜面を下らず、尾根沿いの林道を南へと進む。南彼方の鞍馬駅に向かうためである。ところが、見ての通りその道上には埋もれた古いトレースしかなかった。雲取峠に続く別人のそれは寺山峠下の花脊集落からのものと思われた。結局南の花脊峠方面からは誰も来ず、今日は私独りでラッセル(深雪作路移動)となりそうである


京都北山・寺山峠と旧花脊峠間を結ぶ林道上からみた、丹波高地越しに連なる雪の比良山脈と蓬莱山
陽射しと午後の気温上昇をうけて急激に雪が重くなり、少々進み難い。しかし、晴れ渡った尾根近くの路上からは今朝見られなかった遠望が叶った。写真は東北方面に見えた丹波高地越しに連なる雪の比良山脈。滋賀県西部に連なる連峰で、中央にはその南部を代表する蓬莱山(中央奥。標高1174m)が見えた。彼の地もかなり雪が有りそうである


トレースの無い、京都北山・寺山峠と旧花脊峠間を結ぶ雪の林道、
林道を進むと、やがて古いトレースすら消失。林道というより、単なる雪尾根の如き風情。日向は重い融雪、日陰は深く沈む新雪という、両極端な高負荷歩行が続く


雪積る京都北山・寺山山頂と私製標識
寺山峠から1km強進んで寺山(標高862m)に到達。林道脇の林間にこの山頂があるが折角なので寄る。付近は広い平坦地となっているので、地元の寺跡伝承と関連があるのかもしれない。そういえば寺山峠と寺山の間に標識の無い廃れた峠があるが、寺山峠の名はそこが適地のような気がする。それが花脊西隣の芹生集落と花脊別所集落を結ぶ最短路上にあり、かつ寺山のすぐ北にあるからである。誤伝等に因り名づけが混乱しているのか


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寺山からまた1km強進み旧花脊峠に近づいてきたところで、漸く路上にトレースが現れた。最近流行りの浮力の大きいスノーシューのもので、同峠から来てここで引き返したらしい。スノーシューハイクか機材の試用か


京都北山・寺山尾根から見えた雪の比良山脈・武奈ヶ岳
今度は比良山脈主峰・武奈ヶ岳(中央奥。標高1214m)が見えてきた。こちらも、さぞや雪深いであろう


京都北山・寺山尾根からみた雪山風情の天狗杉
そして新旧の花脊峠を隔てる天狗杉(山名、中央奥。標高837m)も現れ、程なくして旧花脊峠に到着した。今朝バスで越えた京盆地北縁に戻ってきたのである。ただ、何故か付近に改造四駆車が数多集合して、写真を撮れる状況にはなかった。こんな雪深い旧道に何の用で集まったのか。各車エンジンをかけっぱなしで下車し、煙草を吹かして、たむろするなど雰囲気も悪い。そして、何故か私が旧道を下方へ進むと、大きな車音を立てついてきた。怪訝に思ったが、途中の柵に阻まれ、やがて引き返していった


旧花脊峠下の旧道跡地から見上げた天狗杉南面雪原

旧路での近道やめ登り返す

旧花脊峠からは鞍馬尾根伝いに貴船口駅まで山中を南下したかったが、近年鞍馬寺が通行を禁じたので旧道を下り最短路で国道へ出ようした。だが途中から荒れており、また、緩んだ雪の急下降を避け峠に引き返した。

以前倒木に苦労しつつ下から通過したことがある谷筋だが、近況がわからないということもあった。三分の一程下降したが「急がば回れ」ということにした。

写真は旧峠への登り返しの途中に見上げた天狗杉南面。京都市街、特に左京市街から望める北山縁の伐採雪原である。


雪ある旧花脊峠と異様な四駆車軍団の轍
廃滅旧道を登り返し、再度辿り着いた旧花脊峠(奥の祠辺り。標高750m強)。先程の四駆車軍団は深い轍のみを残し、全車去っていた


京都北山・天狗杉山頂と雪上から覗く三角点
登り返した旧花脊峠からは、避けたかった天狗杉への高さ100m弱の登坂と新峠までの縦走を行うことに。写真は仕方なく登り着いた天狗杉山頂


旧花脊峠ち花脊峠を結ぶ天狗杉の縦走路上の雪面に続く登山者のトレース
天狗杉山頂から続く縦走路。京都北山山中の著名交通路なので、さすがに幾つもトレースが着いており、比較的歩き易かった


京都北山・天狗杉付近から見えた京都市街及び大阪・奈良方面や金剛山
天狗杉縦走路から見えた京都市街及び大阪・奈良方面。中央奥に阪奈境界の名峰・金剛山(標高1125m)が見える


京都北山・天狗杉付近から見えた、冠雪する鈴鹿山脈最高峰の御池岳
更に今回は東方に鈴鹿山脈の最高峰・御池岳(標高1247m。中央奥)が見えた。天候の所為かこれまで何度も通った場所だが、初めての目撃。とまれ、彼の山も多くの雪を戴いている


京都北山・天狗杉付近から見えた、冠雪する鈴鹿山脈の雨乞岳付近や湖東平野及び琵琶湖
こちらも天狗杉縦走路から見えた東南は鈴鹿山脈・雨乞岳(標高1237m。中央右奥)や湖東平野に琵琶湖(左下水面)。鈴鹿南部も雪が多いか


雪の山中を貫く国道477号線がある京都北山・花脊峠

延々たる最後の国道下り

そして、間もなく天狗杉の縦走路から国道貫く花脊峠に下降。

ここにてワカン等の山中装備を解除。峠の電光板には気温1度の文字が浮かんでいた。時は15時半前、今朝バスで通過した時より3度の上昇。


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峠からは車道を延々と下る。唯一の帰路便バスが18時半前まで来ないため仕方なし。駅がある鞍馬までは下りだが、6km以上あるため大変である。速足で進むが何時まで経っても山間から出られない。これを短縮するために先程旧道を試みたが残念であった。そして、時折樹々の上から大量の雪が落ち驚かされる。注意して進み、漸く斜陽さす鞍馬の里に入った


冬の鞍馬寺門前
ご存じ鞍馬寺門前も通過。急いだ甲斐があってか、結局、距離6.2km、高低差526mを1時間で歩けた。鞍馬からの便も、折よく出発10分を切るバスがあったので、それに乗ることができたのである


京都市街北部・国際会館駅前ターミナルに停車する鞍馬からのバスと夕暮空に立つ天狗杉山とその南面雪原
京都市街北部のバスターミナル「国際会館駅前」に停車する鞍馬発着のバスと、夕暮空に立つ天狗杉山とその南面雪原(中央奥)

天狗杉見上げ帰宅

鞍馬からバスにて京都市街北部は岩倉地区にある国際会館駅前に移動し、そこから別のバスに乗り換え無事帰宅した。

今日は、全山中行程の約5分の2が国道歩きとなる一風変わった山行となったが、一先ずは今季初の雪山に親しむことが出来てよかった。

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2023年01月10日

車窓探雪

新幹線車窓からみた多量の雪に覆われる伊吹山

超特急車窓の雪峰探し

正月休み及び連休明け早々ながら、珍しく新幹線に乗る機会を得た。

その車窓から景色を観ていたが、気になるのは、やはり山。しかも時節柄雪山で、つい遠望してまで、その存在を探してしまう。

そう、今季はまだ雪山に入っていない、ということもあった。昨年12月はまだ近隣の山に雪が少なく、また今日のように遠方への所用のため年初も行けずじまいだったのである。

富士山や、僅かに覗く南アルプスの雪峰に次いで、確かな冠雪の姿を見せたのは、写真の伊吹山(標高1377m)であった。

さすがは、安定確実の豪雪山地。滋賀・岐阜県境の市街地近くにありながら、3000m超の上記2山に劣らぬ雪を戴いている。そういえば、昨年3月に個人的初登頂を果たしたばかりの山であった。


新幹線車窓からみた冠雪する湖北西部の赤坂山
こちらは、同じく新幹線車窓よりみた滋賀県北西・野坂山地(高島トレイル)の雪山、赤坂山(同824m)。北陸福井との県境にある為ここも降雪が多く、麓にはスキー場もある。ここも、昨年初めに雪歩きを楽しんだ


新幹線車窓からみた冠雪する滋賀西部・比良山脈中核部の堂満岳や武奈ヶ岳等
続いて見えたのはこのサイトでもお馴染みの滋賀西部・比良山脈の雪峰群。山脈中核部分で、中央左に尖った堂満岳(標高1057m)、同右に最高峰の武奈ヶ岳(同1214m)が見える。ここも、非高山ながら、安定の雪量。なお、雪の堂満岳には、昨年2月に2度出かけている


新幹線車窓よりみた、京都市街の果てに薄っすら雪を被って聳える比叡山
こちらは、比良山脈南に聳える比叡山(標高848m)だが、京盆地に入ってからの姿。あまり雪が載らない山だが、今日は珍しく薄っすら冠雪している。どうやら朝方に、市内共々少々降雪したようである。雪の叡山といえば、2020年2月の厳寒時に登った時のことが思い出される


新幹線車窓よりみた、京都北山の天狗杉や杉峠等の奥鞍馬の雪峰
こちらは、個人的鍛錬場として馴染みの、我が左京区の京都北山(城丹尾根・丹波高地)の天狗杉や杉峠等の山。いわば「奥鞍馬」に相当する場所で、多量の積雪が確認できる。かなり期待出来そうである。ここも去年1月の多雪時に行った、天狗杉・寺山・地蔵杉山等への山行が懐かしい


京都市バス車窓よりみた、寒々しい冬曇り下の三条大橋や賀茂川(鴨川)
こちらは新幹線ではなく、下車後に乗った市バス車内より。かの三条大橋と賀茂川(鴨川)の景である。市中に雪はないが、この時期らしい空模様で、寒々しく、また実際に厳しい寒さとなっていた

さて、間もなく帰宅。新年もまた隙をみて雪峰を歩きたいと思う。

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2022年11月27日

近山晩秋

観光客の頭上に楓紅葉の落葉が降りかかる、京都・真如堂境内

晩秋の京都市街東部

京都市街東部の左京区南部辺りでは、今週半ばを頂点に紅葉時季が終りに向かい始めたことを感じるようになった。

名所・真如堂(真正極楽寺)でも、盛りの美麗さはあるが、同時に写真の如く、参観者の頭上に楓紅葉の落葉が降りかかる晩秋の姿が見てとれた。

来週は、いよいよ年末12月。秋が終り冬が始まる。今日は近隣の名残りの紅葉を楽しみつつ、同様に美麗な近山も散策してみた。


総門を潜り現れた真如堂の諸堂と、境内を彩る鮮やかな紅葉
正門たる総門を潜り、現れた真如堂の諸堂と境内を彩る鮮やかな紅葉。いつもより人が多いが、観光バスが入れない丘上のここは穴場的名所である


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こちらも真如堂。書院と本堂(右)を繋ぐ回廊前後で鮮やかな色を放つ楓紅葉


神楽岡墓地から見た天然林紅葉が鮮やかな瓜生山と双耳峰姿の比叡山

紅葉美麗な瓜生山へ

市街東部の紅葉名所・永観堂(萎れ始め)や真如堂を観たあと、近山に向かう。

それは、真如堂がある丘(中山?)の南部から見た写真の瓜生山(うりゅうやま。標高301m)であった。美麗な天然林紅葉ある手前の山の中央がその頂で、背後の陰になった峰は比叡山である。

叡山はここからみると真の姿である双耳峰であることが判る。即ち左が四明岳(標高838m)、右が大比叡(標高848m)の二頂構造。瓜生山は、古来その二つの峰の裏にある延暦寺や東麓の近江滋賀への通路でもあった。


京都市左京区別当町のバプテスト病院の擁壁下の瓜生山登山口
真如堂の丘を下り、瓜生山の麓へ。ここが代表的な登山口だが、開発が際まで迫り味気ない。登山道は中央の車道ではなく、左の病院擁壁下に続く沢に沿っている。必要な施設だが、もう少し遣りようはなかったのであろうか。瓜生山も、大文字山と劣らぬ歴史遺産に彩られた山域なのに


北白川別当町の瓜生山登山口奥の沢と落ち葉や白川石の散乱
擁壁の奥はいきなりこの様な山中となる。少し進み、登山口側を振り返った景。右下には京の銘石・白川石の産地らしい、加工石材の散乱も見える


瓜生山の尾根道に残る瓜生山城の郭跡と、落ち葉ある明るい秋山の雰囲気
沢の途中にある大山祇神社を過ぎ、尾根道を進む。頂部が広く削平されているが、実はこれは戦国時代の山城の郭(くるわ。防御陣地)跡。山頂に武家の守護神的存在・将軍地蔵を祀った瓜生山は、嘗て足利将軍の拠点にもなった付近屈指の城郭であった。そんな歴史を秘めつつ、落ち葉散る明るい秋山の風情も良し


瓜生山の尾根道に残る瓜生山城の郭跡と、黄葉ある明るい秋山の雰囲気
緩やかな尾根道から急登に入り、更に進む。麓の町名由来となったとされる小頂・茶山を過ぎ、山頂までの中段的尾根に出ると、また人為痕跡がある郭跡が現れた。黄葉が近くに迫り、更に秋の風情が濃くなる


落ち葉散る瓜生山山頂平坦地と幸龍権現の祠
そして最後の急登を上り、瓜生山山頂着。広い平坦地になっているが、これも人為とされ、瓜生山城(将軍地蔵山城)の本丸跡とされる。奥の祠は、別の登山口にある狸谷不動尊の奥の院である幸龍大権現、その裏には今は麓で祀られる将軍地蔵が収められていた石室(いしむろ)がある


瓜生山山頂からみた、南方は東山連峰の紅葉と大文字山
瓜生山山頂からみた、南方は東山連峰の紅葉と大文字山(奥の峰)


瓜生山山頂北の尾根上から見た比叡山とそこに続く山肌の紅葉
時間的・距離的に大した疲労はなかったが、折角なので、山頂で暫く寛いだあと、別路で下山する。城跡を濃厚に窺わせる地貌を辿りつつ、尾根上から見えた、比叡山とそこに続く山肌の紅葉。この、瓜生山山頂北の道は比叡山への古道とも重なる


明るい紅葉の秋風情に包まれる、比叡山への古道及び戦国城塞の軍道、瓜生山山頂北の尾根道
比叡山への古道で、戦国城塞の軍道でもある、瓜生山山頂北の尾根道にも、こんな良き秋風情があった


瓜生山山頂北から続く谷道の紅葉ある秋風情

近場侮り難し

間もなく瓜生山山頂北の尾根道を逸れて下降し、谷道を進む。写真で見るように、誰にも遇わないここにも静かな秋風情があった。そして、また元来た登山口へと下ったのである。

僅か1時間くらいの、軽く汗かく程度の山行だったが、意外と秋の風情が豊かで、印象深いものとなった。今季色々行ったなかでは、最も良かったかもしれないとすら思わされた。

やはり、近場も侮り難し――。

そんな思いに改めてさせられた、晩秋の京都近山行であった。

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2022年11月12日

比良紅葉検行後記

比良山脈・蓬莱山山頂スキー場の芝生と木道彼方の琵琶湖

比良南部での秋探索

芝生彼方の水面に続く滑走路の如き木道――。

ここは滋賀県西部・比良山脈の一峰、蓬莱山(ほうらいさん。標高1173.9m)山頂。雪のないスキー場から琵琶湖方面を見た眺めである。

今日は先週に続き山鍛錬を兼ね同山脈の紅葉具合を観にきた。ただ、前回や前々回は紅葉の進みが早く既に盛りだったため、その南部を訪ねた。


比良山脈・権現山山頂近くの唐松らしき樹々の見事な黄葉
車輌でさっと山脈西麓の平(だいら)集落に向かい、そこからすぐに入山し、ひたすら急登を上り50分程で権現山(標高996m)に接近。山頂手前では、この様に唐松が見事な黄葉を見せていた(樹種同定は推測。自生西限を超えている筈だが、人為的に植えられたのか)


比良山脈・権現山山頂からみた、霞んだ南の景色
比良主稜線最南部といえる(これ以南は標高が急降下)権現山山頂からの南の眺め。左手前の峰が今年2月に雪と倒木で難儀した霊仙山(標高750m)、左奥が琵琶湖南湖、中央奥の峰が比叡山(同848m)、その右の谷が大原・八瀬方面で、その彼方に来し方の京都市街がある。前回等と異なり、空は晴れているが、かなり霞んでいる。明日天気が崩れる影響か


比良山脈南部・権現山から北はホッケ山や蓬莱山に続く稜線路
権現山からそのまま稜線路北へ進む。ホッケ山(標高約1050m。中央奥)や蓬莱山山頂(右奥)が現れるが、その間の樹林は既に冬枯れしていた


比良山脈南部のホッケ山・小女郎峠間で見た中腹の紅葉や眼下の琵琶湖.jpg
一旦下り、また登り返してホッケ山を越える。眼下には近くなった琵琶湖湖岸が現れた。紅葉の盛りは、もはや中腹辺りまで下がったようである


比良山脈南部の小女郎峠から蓬莱山に続く、熊笹のなかに続く天上の稜線路
北上を続け、稜線上の十字路・小女郎峠(標高1076m)に接近。左下の峠から右奥の蓬莱山までの熊笹の原に続く、天上の道を進む


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そして、今日の折り返し点の、比良南部の最高峰・蓬莱山山頂に到着。麓からの時間は1時間50分弱であった。居並ぶ石仏の彼方に、来し方の縦走路や叡山、琵琶湖が見えるが、相変わらず空は霞んだまま……


比良山脈蓬莱山山頂からみた武奈ヶ岳・堂満岳方面の冬枯れが進んだ山上の天然林
蓬莱山山頂で今日初めての休息に。軽食を摂りながら北方を眺めると、この様に山上の天然林の広がりが。前々回登った武奈ヶ岳(中央やや左奥)や前回登った堂満岳(右奥)等がある比良山脈中部の山上景であった。明るく軽やかな眺めだが、やはり冬枯れが進行していた


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昼食後、暫し山頂の四方を眺めて、下山開始。元来た道をひたに進んだが、折角なので、小女郎峠奥の小女郎ヶ池に立ち寄った。標高1050mを超えるここも、既に晩秋の雰囲気であった

静かに進む山の冬支度

そして、蓬莱山山頂から1時間20分程で下山し、京都市街へ帰着した。

厳冬期・積雪期となる12月末まであと一月強。

今日は京都市街の気温が20度を超え、山上も先週より暑く感じられたが、比良山上では静かに冬支度が進んでいるようであった。

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2022年11月06日

続比良紅葉検行

滋賀湖西に連なる比良山脈の秀峰・堂満岳と山上及びその周辺の紅葉

比良紅葉検分東面編

日曜午前、今日も前夜就寝が遅かったため遅れたが、先週同様、京都市街隣県の滋賀西部は比良山脈へ。

今回は前回の西麓とは違い東麓から。即ち琵琶湖側から登った。目的は西面より陽当たりが良く紅葉の美麗が期待出来た東面の確認や鍛錬、そして年初の積雪期に堂満岳で失くしたストック(山杖)先端の探索であった。


上掲写真 滋賀湖西に連なる比良山脈の秀峰・堂満岳(標高1057m。中央)と、色づく山上及びその周辺の紅葉。


滋賀県西部・比良山脈の金糞峠下の谷なかでみた美麗な紅黄葉

車輌を標高300m超の公園付近に置き、金糞峠(かなくそとうげ)までの急な谷道を進む。今日は、年初にストックの先を落としたことが確実な堂満岳(標高1057m)までの道を往復する予定であった。

比良著名な落石地「青ガレ」を急ぎ通過し、やがて谷なかのガレ場で写真の紅黄葉と出会った。樹々の色づきは麓の公園から見られたが、やはり山上のブナ等のそれは格別であった。


滋賀県西部・比良山脈の堂満岳後方尾根からみた釈迦岳周辺の見事な紅黄葉
やがて金糞峠峠を通過し堂満岳裏の尾根登坂路へ。その樹間から、北方は釈迦岳(標高1060m)周辺の、この見事な紅葉が見えた。やはり目論見通り、今日が盛りだったようである。空も快晴で、言うことなし


滋賀県西部・比良山脈堂満岳の秋快晴下の山頂
そして堂満岳山頂着。出発してから撮影以外止まらず、約1時間半で到着。久々に見た無雪期の堂満山頂は、2月の積雪時より山頂が狭く感じられた


滋賀県西部・比良山脈堂満岳山頂からみた山脈の紅葉と琵琶湖北湖
軽食を食しながら暫し山頂からの眺めを堪能。これは北東は琵琶湖北湖側


滋賀県西部・比良山脈堂満岳山頂からみた琵琶湖北湖対岸の伊吹山とその左奥に見える御嶽山
こちらは同じく北東は北湖対岸の伊吹山(標高1377m)の望遠撮影。その左奥に薄っすらと本邦最西端の3000m峰・御嶽山(標高3067m)が見える


滋賀県西部・比良山脈堂満岳山頂からみた琵琶湖南湖や琵琶湖大橋
こちらは南西は琵琶湖南湖側。左の橋梁は湖のくびれ部分で東西両岸を繋ぐ琵琶湖大橋


滋賀県西部・比良山脈麓の琵琶湖岸「松ノ浦」の浜
比良山脈麓・琵琶湖岸の白砂の浜(志賀松ノ浦)

計4度捜索の結果

あまりに天気が良く、風もない温暖だったので山頂で昼寝でもして帰りたかったが、色々やることもあり、結局滞在20分強で撤収。その後また来た道を下り、1時間弱で下山した。

肝心のストック先端は見つからず。2月末に同じ道程を捜索したが、これで2往復・計4回確認したにもかかわらず発見できなかった。山のゴミと化すのは心苦しい限りだが、これにて諸方お許し頂き、捜索終了としたい。

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