2008年05月04日

江東鯰会U

逍遥雑記「鯰会U,江東,湖東,麦畑,水田,内湖,水路,繖山,観音寺山」

今年も、人々の期待を裏切ることなく清爽の日が供された黄金週間。去年に続き鯰会が開かれることとなった。私の主催と言う訳でなく、参加の予定はなかったが、新座(しんざ)の人の為の連絡係として参加することとなった。いわば「つなぎ粉」である。


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今回は前回来られなかった人や、新たに興味を持った知人らも加わった為、賑やかな集いとなった。幼児を含めたその数は18人。拠点となる知人宅での待機者を含めると実に20人の大所帯となった。広々とした田圃の中、青々とした爽空の下で大人も子供も皆一緒に休日を楽しむ。

何かと忙しい時代、忙しい世代の知己たちが、多く集えて共に楽しめるのは、めでたい限り。


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鯰の捕獲法も前回と同じく網への追込み。子供より大人が水に入って懸命に獲物を追う様が面白い。因みに、私は今回それを行うつもりはなく、その用意もしなかったため水には入らなかった。あくまでも「つなぎ粉」、水につかれば役に立たなくなるのである。


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主線水路にて置き仕掛け調査や、魚影探索を行う参加者と、彼方まで広がる「麦畑」。驚くべきことに今年は水田が著しく減って麦畑が増大している。早くも、小麦高騰の世界潮流を見越した転作が行われたのであろうか。


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水田減少のせいか、鯰の姿が見えない。子供らが行う「ざりがに」や「おたまじゃくし」等の小物獲りは好調のようだが……。


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鯰は獲れないが、蛇は早々2匹目をみた。さすがは沖縄原生林「ヤンバル」帰りのK君(笑)。


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転作のせいか、日が悪かったのか、2時間程挑んだが結局捕獲は果たせなかった。唯一、置き仕掛けの1つに掛かっていたが、去年と同じく針が外れて逃げられてしまったのである。一同やむなく拠点宅へと引き返したが、そこには主宰氏が念のため用意していた鯰の姿があった。なんでも、この様な事態を想定して1週間程前に捕獲しておいたものだという。体長は40センチ程か。


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という訳で、あわれにもその鯰が犠牲となることとなった。今回は、1週間の飼育を経て臭みが抜けたのではないかとの推察のもと、ぶつ切りの炭焼にされた。結果は知る由もない。つなぎ粉の私は、皆に供する手打ち蕎麦作りに勤しんでいたからである。

去年の参加者で、今回中心になって焼さ作業をしていたH氏に聞くと、強い臭いが去年の味を髣髴させた為、食せなかったという。やはり、つなぎ粉として蕎麦つなぎに徹したのは正解だったようである。まあ、K君を始めとする新座の人には満更悪いものではなかったようであるが……。

ともかく、去年の様な捕獲の面白さはなかったが、皆が集えた楽しいイベントとなった。犠牲になられた鯰様には、その冥福を祈るばかりである。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯰会

2007年04月30日

江東鯰会

逍遥雑記「江東鯰会」

今年も皆が心待ちにした黄金週間がやってきた。休禄を賜る組織人ではなく、やらねばならぬ仕事もある私にとっては全くの無関係行事ではあるが、やはりこの期の気候には秀絶なものがある。そんなことで、「1日ぐらいは」と、友人らと野に出ることにした。

訪れたのは滋賀江東である。実は、予てから田植のこの期に溯上してくる鯰を捕獲して食そうという、仲間らとの計画があった。それを、この日実行することとなったのである。先ずは拠点となる仲間宅に集まり、学休の子供達共々、フィールドに出ることにした。

上掲写真は、仲間宅がある江東の古い集落景である。後方に控えるのは、かの近江冨士、「三上山」。


逍遥雑記「江東鯰会」

車で小1時間ばかり。着いたフィールドがここである。一面に田圃広がる、乾坤共に豪なる様は、かの大陸ではなく、正しく馴染みの滋賀近江の内である。実に清々しい、今や希少な景である。


逍遥雑記「江東鯰会」

まだ田植期の今に青々(せいせい)たる身を揺らす草々があるを見れば、麦であった。そういえば、江東の麦は国産最高質麦粉の材として珍重されていることを聞いたことがある。

降水に乏しい乾燥地帯に豊余と安定を齎した麦。世界最古の文明を生み育てた母なる食物でもある。その偉大な姿は、数多(あまた)の粘土板や帝宮の壁にも印された。しかし、それは果てなき諍いを招いた文明の原罪的存在でもあった。「人間なんぞ、古から何も変わらない―」。そんなことをいつも教示してくれる姿である。


逍遥雑記「江東鯰会」

田圃に命の水注す用水路。広景の内に主線・支線が縦横に走る。今日の作戦場は、琵琶湖と直接繋がるこの主線水路である。田植の影響で水濁るこの水路に先ずは鯰が上ってくるらしい。


逍遥雑記「江東鯰会」

先ずは水路内に手製の網を仕掛ける。泥底に棒を挿して施すのである。こうして、水路の一所を遮断し、離れた場所からそこに向かって魚を追い込んでゆく。皆で水に入り、水を掻きながらである。そして最後に網ですくい上げる。


逍遥雑記「江東鯰会」

漁獲は3匹。仲間が朝仕掛けた置針にも1匹かかっていたが、取込みの際、逃げられた。最大のものは、実に体長60センチを超えている(水槽長辺がちょうど60センチ)。


逍遥雑記「江東鯰会」

気の毒にも遷化されて、変化(へんげ)した鯰様である。調理は、別業に在りながら本職を凌ぐ腕を持つ仲間が担当した。川魚であることを考慮した香草使用のムニエルであったが、残念ながら少々臭みが残った。この後、拠点宅の奥方がカレー粉を使用した空揚げを成したが、そちらの方が若干結果が良好であった。やはり、昔から行われている調理法の方がよいのであろうか。この辺りは今後の研究課題であろう。

ところで、調理したのは結局小物2匹のみで、子持ちの大物は後日放すことにした。食が足りていたのと、子供達が助命を願ったこと、そして放った銛を弾いて既に助かっていたことと、その堂とした姿に躊躇させられたからである。正に、鯰にも「徳」有りといったところであろうか。


逍遥雑記「江東鯰会」

拠点宅の庭にて同時に行われた炭火焼。中央に見えるのは、仲間差入れの上質羊肉である。存知の通り、本日の大義は「鯰会」であったが、結局のところ、これが一番の美味であった。鯰様共々合掌である。
posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯰会