2024年12月16日

大雪北陸行(其三)

今庄付近の降雪と積雪

大雪(たいせつ)紀行第三日

2年ぶりの福井行三日目。

今日は帰還日なので、昼頃、従姉や伯母に駅まで送ってもらい、帰路に就くこことなった。

昨朝のように雪こそないが、同様に結構な雨が降っていたので、車で送ってもらい濡れずに済んだのは幸いであった。

ただ、列車で通過した途中の豪雪地・今庄(いまじょう)辺りでは写真の如く、降雪と積雪が見られた。

これも場合によれば大雪となり帰路を絶たれる恐れがあったので、幸いといえた。


湖西線列車車窓からみた塩津浜や琵琶湖に山本山等
しかし、敦賀で列車を乗り換え滋賀に入ると、いきなり天候が変わり晴れ空となったことには驚かされた。これは車窓から見た滋賀北端駅・塩津付近から見た琵琶湖北辺や山本山(中央)等。往路とは反対に、帰路は南方が好天のようである


湖西線車窓からみた、冠雪する比良山脈
往路降雪に煙っていた滋賀西部の比良山脈もこの通り。本来の、この時期らしく、山上には多くの積雪がありそうである。滑雪場等の冬季施設も一安堵といったところか


12月中旬過ぎなるも未だ紅葉美麗な永観堂
そして、帰り着いた京都市街東部ではまだ紅葉が……。ただ、山腹の自然林紅葉はこの3日で急に衰えたように感じられた。よって、今回の小旅行は、公私共々、秋と冬を画するような、印象深いものとなった

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2024年12月15日

大雪北陸行(其二)

福井平野にある親類宅の庭に降り積もる雪

大雪(たいせつ)紀行第二日

2年ぶりの福井行二日目。

今朝は、昨日山にしか見られなかった降雪が平地でも見られた。その量自体は大したことはなかったが、北陸の冬らしい、寒さある朝となった。


上掲写真 福井平野にある親類宅の庭に降り積もる雪。


山や畑に雪残る、松岡付近の福井平野
雪や霙(みぞれ)、雨などが落ち着いた午後から近所に買い物などに出かけたが、歩道にも雪があるなどして足元が悪い


冷たい冬の雨に佇む黒龍酒造本店

更に2度目の外出では、途中から強く冷たい風雨となり、身体は疎か、靴の中まで濡れてしまった。傘をさしていたにもかかわらず、である。

しかも、寒さに対する警戒を怠り比較的薄着で来たため、辛い状況となった。そして、目当ての写真の酒蔵も閉まっていた。以前は日曜でも販売口が開いていたが、変わってしまったようである。

仕方なく、身を縮ませ、遠路親類宅に帰還した。但し、同じ蔵の酒は近くの物産館で買うことは叶った。

帰還後の夕方は、ストーブ前で衣服を乾かしてもらいつつ、蛸焼宴会等の歓待を受け、楽しく過ごせた。

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2024年12月14日

大雪北陸行(其一)

湖西線車窓かみた、紅葉残る麓近くまで雪が降り積もる比良山脈裾野

昨年よりの計画、漸く

今日、京都市街では朝から冷たい雨が降る。

今季初の最高気温10度切りの予報だったので、初雪を期待したが、湿度の所為か、そうとはならなかった。

ただ、午前に乗った列車車窓からは、写真のように麓近くまで雪が降り積もる様が見られた。場所は隣県滋賀西部の比良山脈裾野。天気が悪く空も暗いが、まだ残る紅葉の美麗さとの対比が美しい。


気比神宮の大鳥居と華人観光客
氣比神宮大鳥居と華人観光客

列車に乗ったのは親類がいる福井に行くため。高齢の伯母の機嫌伺いをせんと昨年から図っていたが果たせず、漸く行くことが叶ったからである。

先ずは福井の玄関都市・敦賀まで行くも乗換待ちが長かったため切符の特約を利用して途中下車し、有名な氣比宮(けひぐう)に参ることとした。

なお、表題の「大雪」は二十四節気によるこの時期の節気名で、「たいせつ」と読む。


氣比神宮本殿
氣比神宮本殿。敦賀も時折冷たい雨が降る気候だったので、人は少なめだったが、何故か華人(台湾人?)観光客が多かった。団体旅行客か。溢れるインバウンド客から逃れてきたのに、少々複雑な気分に


活気残る敦賀の駅前商店街と路上駐車場
空襲で一度壊滅した氣比宮に見どころが少なかったこともあり、時間的余裕を得て、少し遠回りして商店街沿いに駅に戻った。原発の恩恵か、裏日本の地方都市としては、シャッター店が少なく、活気があったが、大通りの両端が駐車場化していることが気になった


晴れ空に薄雪をまとう日野山
敦賀発・福井行の列車に乗り、長大な隧道と山岳を抜けて同県嶺北地方に出ると、意外にも青空が現れた。車窓に現れた日野山(ひのさん。標高794m)の姿もこの通りで、今日は南方の滋賀や近畿の方が寒冷に思われた


福井・敦賀間を走る北陸新幹線車輛
今回は距離や効率の関係で乗らなかったが、今年開業したばかりの福井・敦賀間の北陸新幹線も見ることが出来た。そして、福井に到着後は私鉄線に乗り換え、日があるうちに無事親類宅に到着することができたのである

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2024年09月21日

'24奥貴船避暑

京都・芹生集落奥の灰屋川畔に佇む樹齢数百年とみられる伏条台杉(芦生杉)

続く猛暑・熱帯夜
季節外的避暑敢行


9月も下旬というのに猛暑・熱帯夜が収まらない。

昨年も暑かったが、今年はそれ以上に思われ、実際、統計的にも最も暑い夏となりつつあった。昨日も、ほぼ37度まで上昇。恐るべき状況である。

そんななか、遅ればせながら恒例の奥貴船避暑泊を敢行。例年は、下界の暑さ故に避暑の値打ちある8月後半に行っていたが、今年は同行者等の都合がつかず、このように季節外れ的実施となった。

しかし、今日も京都市街は35度近い暑さ予報で、夜も熱帯夜とのことだったので、避暑の価値は十分に保たれそうであった。


上掲写真 京都貴船奥の芹生(せりう・せりょう)集落を貫く灰屋川(大堰川・桂川水系)畔に佇む樹齢数百年とみられる伏条台杉(芦生杉)。中世林業の名残りともされ、京都北山(きたやま)らしい存在。


京都北山・芹生集落の元茅葺古民家
涼を求める内外の遊山客で混む貴船を抜け、恒例の避暑泊地・芹生に至る。高所のため気温は低めだが、打ち続いた暑さや湿度の所為か、未だ夏の空気・感触を感じた


京都・芹生集落脇の灰屋川沿いに咲く秋海棠の花
芹生の至る所で見られた、可憐な秋海棠(シュウカイドウ)の花


京都北山に咲くトリカブトの花
こちらは鳥兜(トリカブト)。一株だけ目撃した稀少なもの。毒草として名高いが、花の姿自体は独特で、趣がある

曇り、高気温ながらも避暑満喫

さて、到着した芹生は曇りがちだったが、居やすい気温のため恒例の川遊びなどをして避暑を満喫。そして、夜になっても、いつにない高気温だったが、下界とは異なり、空調要らずの快適さを享受できたのであった。

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2024年05月20日

道東周忌行(其四)

大雪山越えの東部拠点たる白滝付近から見えた雪を戴く天狗岳

道東からの帰路

道東周忌行最終日。

今日は朝から移動で、帰京するだけである。また長時間の移動となるが、海外並みの遠さなので仕方なし。先ずは陸路で札幌を目指す。


上掲写真 大雪山越えの東部拠点たる白滝付近から見えた雪を戴く天狗岳(標高1553m)。去年より10日強早い姿だが、その時より雪が少なそうである。義父さんが言っていたように、今年は暖冬だったからか。


比布パーキングエリアから見た冠雪する5月末の大雪山主要部
やがて大雪山を越えて西麓の旭川付近に下る。所謂「道央」地区である。これは山麓から見た大雪山主要部。右端の鋭角峰が、主峰であり北海道最高峰である旭岳(標高2290m)。こちらも、去年より雪が少ないか


空港バス車内よりみた、予報に反し雨のない関空構内
空港バス車内よりみた、予報に反し雨のない関空構内

最後の周忌、お許しを

そして、札幌から空港に移動し、また飛行機に乗り関空に帰着。本来近畿は雨予報であったが、急に変ったらしく、悪くない天気であった。

しかし、その後、約3時間の陸路移動のあとの帰宅直前に雨に降られた。まあ、ギリギリ間に合ったともいえる。

とにかく、早めに実施した周忌行はこうして終った。まだ一周忌だが、親族の高齢化等のため、これが最後となるらしい。

これも、本来は皆が集い、祭祀がある時に行きたかったが、仕方なし。義母さん、どうかお許しを……。

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2024年05月19日

道東周忌行(其三)

若々しい野菜苗同様に緑眩しい道東の山

道東行予備日にて

今日は北海道の義母さんの周忌行の予備日。

特に予定変更等がなかったので一日空いたが、「折角なので」ということで、親族が近くの名所に連れて行ってくれた。


上掲写真 若々しい野菜苗同様に緑眩しい道東の山肌。


多くの人で賑わう花盛りの上湧別チューリップ園のチューリップや風車
最初に連れていかれたのは、このチューリップ園。道東らしい広い敷地に色とりどりのチューリップが植えられている。しかも、満開状態


丁寧に育てられる上湧別チューリップ園のチューリップ
チューリップ園では丁寧にチューリップが育てられている様子が見てとれた。大変な労力、まさに力作。「うちの花だけじゃなく、有名なこっちも観ていって!」と亡き義母さんが言ってるような気にさせられた


上湧別チューリップ園の施設
チューリップ園の施設。右の建屋は立派なコンサートホールでもある。園内では野外ライブなども行われており、沢山の人で賑わっていた


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チューリップ園の次は、私の希望で義母さんの実家近辺に連れて行ってもらう。それは、義父家とは違う地区だが、そう遠くない場所にあった。写真は、その実家最寄りの駅跡と停車状態で展示されるSLや客車。恐らくは義母さんも使ったであろう思い出の施設で、今は記念施設となっている


計呂地駅跡の廃線上に現れたキタキツネ
廃線上に現れた北海道名物・キタキツネ。暫くこちらを観察しつつ、湖畔方面へ走り去った


旧計呂地駅の網走方面に残る錆びた鉄路
かつて、遠く網走までを結んでいた廃駅の鉄路。しっかりと役割を果たし、今は静かに眠る。もう列車が通ることはないが、それが築いた「道」はこれからも続く。まるでお義母さんみたいだ。共々感謝、有難う!

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2024年05月18日

道東周忌行(其二)

居並ぶ墓石の向こうで、道東の大地相手に作業を続けるトラクター。

道東行の目的

昨朝、家を出て結局夜到着した道東は、親類がいる場所。今回はその法事(宗旨的にこう記すのはおかしいが)の為に訪問したのであった。

実は昨年見舞った義母さんが、残念ながらその後亡くなり、今夏その一周忌が予定されていた。しかし、都合により早めに墓参させてもらうことにしたのである。


上掲写真 居並ぶ墓石の向こうで、道東の大地相手に作業を続けるトラクター。


道東の義父宅にあった義母さんが大切にしていた色々なお花たち
道東の義父宅にあった、義母さんが大切にしていた色々なお花たち。今年も綺麗に花を咲かせたが、それを育てた彼女はもういない

葬儀欠席の後悔

今日は一先ず墓参に向かい、その後義父さん宅にお邪魔して祭壇に挨拶後、ご馳走を頂きながらの思い出話となった。

昨年は葬儀に出られなくて申し訳ない限り。これまでは生きている内の面会を重視したが、今回の後悔によりその考えが変わった。

故人は無論、自分にとっても周囲の人にとっても、見送りも重要、と自覚したのである。


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そして夕方。義父家を後にして宿泊家に戻る。送迎の車の車窓からは、牧草地広がる道東らしい景色が黄昏に染まるのが見えた。昼は京都より暑いほどだったが、急速に冷え始める。実に印象深く、色々と考えさせられた

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2024年05月17日

道東周忌行(其一)

海上という立地のため無辺の広さに感じられる関西空港第二ターミナルの駐機場や滑走路

久々の搭乗なるも

今朝は珍しくラッシュ時のバスに乗り京都駅へ行く。

そこから更に専用バスに乗換え到着したのは、写真の広場。広大な舗装面が広がるのは、駐機場や滑走路がある飛行場であった。

場所は大阪湾上の関西空港。その特殊な立地により、無辺の広さにも感じられた。

久々の航空搭乗。天気は良いが、旅行気分にはなれない。


上空に低い雲が広がり浮かぶ新千歳空港の駐機場
そして、搭乗約2時間にて次の飛行場に到着。一気に空模様が変化したのもその筈、関空から北北東へ約1100km離れた北海道は新千歳空港であった


道央自動車道から見た、微妙な天候下の夕景に続く北海道米の水田
新千歳からは札幌に移動して更に陸路で道東へ。大雪山越えの数百kmの道程である。車窓からは、平野や山麓の方々での降雨が見える少々不思議な夕景の下、最近増々盛んと化す北海道米の水田が続いていた

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2023年12月10日

湖岸慰撫

琵琶湖の水平線を背に、水辺にて危うい均衡を保ち立つキャンプストーブとマキネッタ(エスプレッソコーヒーメーカー)

野外飲み第2弾?

写真は、水平線を背に、水辺にて危うい均衡を保ち立つキャンプストーブとマキネッタ(エスプレッソ珈琲メーカー)。

何やら意図の解らない写真・行為に見えるが、これも先日賀茂川で行った本格珈琲を屋外で飲む、という試みの一つ。

カフェ兼ギャラリー経営の友人が選定し、プレゼントしてくれた珈琲豆や電動ミル(珈琲碾臼)持参での実施であった。

場所は隣県滋賀の琵琶湖岸。今日は来日中のその友人と会える最終日のため、車を用意し、昼からとっておきの場所へ連れ出したのである。

それには「自身や社会等々の問題のため気晴らしに来た」という彼を励ます目的も秘めていた。


人の少ない、お気に入りの琵琶湖岸
我々しか人のいない秘密の湖岸にて。今年は秋雨・台風不足の所為で例年より湖岸が広いが、川からの砂供給が足りないのか、石が多めであった


琵琶湖岸にて無事抽出されたクレマ入りのエスプレッソコーヒー
無事抽出されたエスプレッソ珈琲。油分を多く含む、「クレマ」という泡が多いのが、美味しいエスプレッソの証


光あふれる琵琶湖岸にて撮影に興じる外国人友人
快晴ながら、季節外れの黄砂で霞みある眺めとなったが、心地よい陽気に恵まれ、光溢れる湖岸で撮影に興じるなどして、友人も楽しんでくれた

元気になあれ

途中、珈琲カップを忘れ、携帯シリコンカップで交代に飲み合う等の失敗もあったが、無事清澄な湖岸を体験してもらい、京都市街に帰還した。

その後もリサイクル店での掘り出し物探索や食事等して共に楽しみ、日没後、宿近くまで送って別れた。ささやかな郊外行だったが、少しでも元気の足しになってくれたら幸いである。

色々と大変ななか、美味しい珈琲を有難う!

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2023年12月09日

甲麓扶助行

多くの人で賑わう週末土曜の神戸三宮・中華街(南京町)中心部

兵庫六甲山麓へ

今日は朝から家を出て兵庫へ。

依頼された出張めいた用があり、六甲山麓で、かつ海辺の街でもある芦屋へ出向いた。

芦屋といえば、関西一、いや日本有数の高級住宅街。平生、自分とは全く無関係な土地なのだが(笑)、そんな街にある、とある事業所にて、これまた商談めいたものの立ち会いをすることとなった。

一先ずの昼食後に始まった商談は意外な長さとなったが、何とか手打ちとなった。ただ、こちら側の交渉者が慣れていない為に、相手の許容上限が見えていたにもかかわらず、自ら値を下げてしまうということが生じた。

これなら、最初から私が仕事として交渉を依頼されていれば、相場日当の最大15倍程の利益喪失を免れたかもしれない。仕方ないことだが、自分としても、資源の有効な使い道や時機の見極め等を考えさせられた。

非効率改善を!
新隣人の為にも


基本、今回の件とは関係ないが、何やら日本社会の効率の悪さも思い出す。そういえば、知っている人も多いと思うが、今年日本はドイツにGDP(国内総生産)で抜かれそうだという。

人口が日本の約2/3で、残業や休日出勤もほとんどしないというドイツに抜かれることに、日本社会の非効率ぶりの深刻さを見る思いである。

日本の非効率さについては、社会人になってからずっと考えさせられていた。いや、社会もそれに気づいて改革を志向していた筈である。しかし、結局大した改善も出来ずに今を迎えたというのが実情であろう。

このままでは危ない。改めるべきことを放置すれば、更なる未来の障害・禍となろう。

実は、今日の同行者は、帰化人を含めた外国由来の人々であった。彼らは日本を愛し、その未来に期待して、進んで地域に馴染もうと日々努力を重ねている。そんな彼らのために、私も今回この手弁当めいた出張を行ったのであった(国というより、地域の仲間・隣人としての扶助意識)。

今後我々の強力な味方・理解者となる彼らの、日本への信頼や未来への希望を裏切らないためにも、有効かつ即効性ある社会変革が必要であろう。もはや待ったなし、の状態であるのは誰の目にも明白である。


上掲写真 多くの人で賑わう週末土曜の神戸三宮(さんのみや)中華街(南京町)中心部。商談後、三宮に移動した際、立ち寄った。中華街は日本に於ける外人定着の成功見本、象徴のような存在である。今日は、外人観光客で賑わう京都とは異なり、日本人が主体だったが、平成初期から変わらぬ、その様子・浮かれようには、安堵と共に危機感も感じた。


三宮駅(JR表記「三ノ宮」)付近の夜景
三宮駅(JR表記「三ノ宮」)付近の夜景

海外出身者に定着?
昭和・平成式夜宴


三宮に移動し、珍しい羊料理等を馳走してもらいつつ、皆で一献となった。忘年会時期のためか、三宮中心地は夜になっても凄い人出であった。

そして、料理屋とジャズバー、クラブ(ラウンジ?)の計3軒を梯子して撤収することとなった。これも昭和・平成的な旧態変わらぬ過ごし方だが、既に海外出身の人にも馴染みとなり、愛されているのであろう。

まあ、この辺りは意図的な変革ではなく、時の流れ、趣向変化に任せるべきか……。

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2023年08月27日

奥貴船避暑

奥貴船・芹生の避暑地近くの山上に立ち並ぶ北山杉

朝も北地凌ぐ近場の涼

恒例の避暑泊で昨日昼から滞在した奥貴船の山上――。

今日も下界では猛烈な暑さと熱帯夜が予想されていたが、ここでの朝の最低気温はなんと18度であった。

提供された冬布団を確り被らないと風邪をひくような涼しさ。まさに目論見通りの、快適な避暑泊を過ごせたのである。

昨日に続き重ねて言うが、それは、朝晩酷暑の京都市街の自宅から僅か10数kmしか離れていない場所でのことであった。ちなみに、昨日例に挙げた北海道・札幌でも今朝の最低気温は26.4度という、熱帯夜であった。

近場なのに実に有難い限り。ただ、涼しい山上とはいえ、著名避暑地の如く標高1000m前後に達するような高地ではないことも特異的であった。

世の中、そして自然はまだまだ奥深い……。


上掲写真 避暑泊地近くの山上に立ち並ぶ北山杉。同杉の産地・旧丹波国南東に位置する、奥貴船らしい眺めである。


「佛返りの地蔵尊」への参道となっている府道沿いの擁壁の切れ目
例年手作りの郷土料理が並ぶ美味しい宿の朝食を食べたあとは、以前から勧められていた地蔵尊の参拝に向かう。そして、山の舗装路を歩いて辿り着いたのが、道際の巨大なこの擁壁であった。意外にも、この擁壁切れ目の階段が地蔵尊への入口となっていた


府道際の擁壁裏の崩落斜面の合間にあった佛返りの地蔵尊の祠
大小の落石が寄せ溜まる危険な擁壁裏には更に階段があり、この様な祠があった。地蔵尊の祭祀施設のようである。それは、安定した岩盤裏にあったが、両側は軟弱な崩落急斜地という特異な立地となっていた


祠内で地元の人々に手厚く祀られる「佛返りの地蔵尊」

伝説的地蔵にまつわる大発見?

そして、階段を上がり祠内を覗くと、写真の如く「佛返りの地蔵尊」が手厚く祀られていた。それは、高さ1尺程の石像で、笏を持つ神仏習合様とされる珍しい姿であった。

造形的巧みさは見出し難いが、洛東の銘石「白川石」製とみられ、都から運ばれた可能性が窺われた。何より、小像とはいえ地元の伝説に彩られた存在で、様々な難病に利益があるとされ、広く尊崇されているらしい。

実は、私も、何気に訪れたこの地蔵にまつわる大きな発見をしてしまった。詳細はまだ明かせないが、ひょっとすると、この地域の歴史に新たな頁を加えることになるかもしれない。


清冽で冷たい奥貴船・芹生の渓流
貴船川より更に清冽な奥貴船の沢水。氷水の如く冷たく、昨日に続き今日午後もその水に身を浸し、身中籠る猛暑の暑気を払った(水着持参。笑)

帰路へ
願わくば後も涼しく……


その後も座敷で寛いだり、宿の人と話し込んだりして避暑地の涼を楽しむ。そして、夕方、鞍馬経由で帰宅したのであった。

下界はまた暑かったが、貴船の混雑を避けつつ、一番暑い時間もかわせたので、都合よく避暑泊を締めくくることが出来た。

あとは、このまま気候が冷涼化くれることを願うばかりだが、それはまだ叶わぬ願いか……(苦笑)。


奥貴船避暑行初日の記事はこちら

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2023年08月26日

貴船暑鬧

貴船川の渓流とその水面に設けられた納涼床

盆過ぎ後も猛暑続く

予報通りなのだが、盆過ぎてもここ京都市街の猛暑が終らない。

朝から暑く、午後からは外出困難な猛烈な暑さとなり、その後深夜に至るまで30度を切らないような日々が先月初旬から続く。

市街でも比較的涼しいとされる山手に住んではいるが、もはや空調機器を常時使わないと危険極まりない暑さであった。

そして、今日も猛暑日予報。

いや、明日も明後日も明々後日もその次も、猛暑の連続が予報されていた。まさにうんざり、気が遠くなるような有様であった。いい加減少しはマシになって欲しい。

ただ、今日から2日間、恒例の近場避暑に出掛けるので、その効果・価値というか、有難みは増すこととなった。

目指すは奥貴船。午後からの行動は暑すぎ、また途中の貴船が観光客で混むので、それらを避けるべく、朝出発することにした。


上掲写真 避暑地への途上に経る貴船川の渓流とその水面に設けられた納涼床。ご存じ著名の観光地で、近年は外人観光客にも人気となっている。


朝から観光客が多い8月最終週末の貴船神社門前
折角なので久々に貴船に寄ってみたが、その中心地・貴船神社前は御覧の通りの人出であった。まだ朝10時過ぎだが、繁忙期最後の週末だからか。また、今月上旬の大陸団体客解禁の影響か、彼の地の人も多く見られた


午前中から長蛇の列と化していた、貴船の流しそうめんに並ぶ車道際の人々
最近流行りの流しそうめん店には長蛇の列も。高級和食主体の貴船に於いて手頃な値段で食事が出来るため人気なのであろう。ただ、車道沿いで交通量も多いので、店員による交通整理が行われていた


貴船神社本宮辺りの混雑に比して閑散とする午前の貴船神社奥宮境内
反面、流しそうめんから然程遠くない貴船神社奥宮は、その駐車場の繁盛に比して閑散としており、意外であった。車の多さは、下の駐車場混雑の影響で、人は午後から混むのか。それにしても、涼しさが売りの貴船でさえ暑かった。標高300m以上の深い谷地のここも、猛暑には勝てないのか


奥貴船・芹生を流れる灰屋川の渓流
上下の貴船社を参拝・参観後、避暑泊の地・奥貴船に到着。その沢の様子などみると、明るく陽が射して暑そうだが、目論見通り、空調要らずの涼しさであった。貴船より標高が高く、乾燥しているからか

北地に勝る近場に感心

ここでは珍しく午後の最高気温が30度を超えたようだが、それでも快適であった。ちなみに、ここから1000km北の北海道・札幌は今日35.6度の猛暑日で熱帯夜だったという。

そんな状況にもかかわらず、自宅から僅か10数km北のここはこの快適さ。山上のためフェーン現象が起こらないからであろうか。とまれ、近場の魅力を改めて実感することとなった。

今日は数十日ぶりに空調なしで寝られそうである。


奥貴船避暑行2日目の記事はこちら

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2023年08月18日

呉業務行(其参)

広島県呉市両城の、「両城の200階段」が丘上へと続く急峻な階段住宅

今年も呉名物?堪能

広島出張3日目。

即ち最終日であったが、本来は15日からの4日間であったことは以前既述の通り。今日も作業合間の見聞を紹介したい。

今日の昼食も昨日と同じ趣向で、呉郊外の著名ラーメン店に連れて行ってもらった。昨日のうどん店と同じく暫し待たされたが、人気を得る質であることが理解出来た。そしてまた、お店の人の対応が素晴らしい。

忙しい人気店にもかかわらず、店主を始め、全ての従業者が、しっかり目をあわせて退店を見送ってくれるのである。料理の良さと相俟って、良い印象を与えてもらった。

流石はB級グルメの聖地(ここに「B級」は合わないかもしれないが……)呉の一店である。

さて、食後は呉市街に進み、友人がまだ入ったことがない変わった宅地を見学することとなった。急峻な斜面やその丘上まで家が犇めく住宅密集地で、呉空襲を免れた戦前築の古家が残る地域であった。

両城という地名に存在するそれは「階段住宅」との呼ばれていた。実は昨年その一部を友人の案内で訪れたことがあり、このサイトでも紹介した

今回はその時の隣の丘を少々探索予定であったが、友人が間違えて昨年同じ丘を登ってしまい、頂部で気づいて引き返した。そして改めて向かったのが写真の丘・階段住宅であった。


両城の200階段の登り口と呉市の説明板
友人が来たかった場所はここ。「両城の200階段」と呼ばれる、階段住宅を貫き、丘上に続く長い階段がある宅地であった。ここは、その登り口で、海保隊員をモデルにした映画で使われ観光地化しているため、その傍(左)には呉市による説明板もあった


広島県呉市両城の、「両城の200階段」の見上げる程の急斜・急段
「両城の200階段」は、登り口こそ狭い民家裏の石段状であったが、間もなく見上げる程のこんな急斜となった。その高度感に友人は恐れを感じるが、高山に慣れた私は特に問題なし


広島県呉市両城の、「両城の200階段」の途中から下を見た急段や呉市街に、階段住宅基壇の急な石積み
「両城の200階段」の途中から下を見ると、急段と共に麓の呉市街が見えた。通路両脇に切り立つ、階段住宅基壇の、石積みの高さ・急さにも注目


城塞のような両城の階段住宅の丘
そして、丘上に上ると、昨年巡った両城のもう一つの丘の全貌が窺えた。あちらの階段は「両城の100階段」と呼ばれているという。後背山地との間に鞍部がある(左)その様は、どこか城塞のようである

未知の城址?

そういえば「両城」という変わった地名は、主にこちらとあちらの二つの丘で構成されている。ひょっとして、両方の丘にかつて城があり、その名が残ったものではなかろうか。

あとで調べると、こちら側の丘の隣の尾根先端に「有崎城」という城址があった。交通の要所を押さえたというその城に近く、それより高さがあり防御力があるこちらは詰の城だったのではないか。

広島県の遺跡地図に記載がないが、史料に残らず、戦前の宅地開発で早くに破壊された未知の遺構かもしれない。郭跡の平坦地が多くある城址なら、宅地開発にも役立った筈である。


両城の丘上から見た呉港とONEの世界最大級のコンテナ船
両城の200階段上部からは、呉の象徴「呉港」も見えた。中央の赤い船は建造中の世界最大級のコンテナ船らしい


呉港の奥に停泊する海上自衛隊艦艇
呉港奥には何艘もの軍船も。昨日海峡で見たものと同様の、海上自衛隊艦艇で、軍港のまち・呉らしい眺めであった

予定熟し出張終了
間一髪の混乱回避


城址なら本丸があった場所と思われる、丘上の両城中学から、つづらの谷道を下り、麓に。

その後、また友人宅に帰り作業を再開。変わらずの暑さのなか夕方までそれを行い、そのまま細君の夕食を馳走になり、帰京することとなった。

新幹線の発車時間が迫ってきたので、帰りは呉線ではなく、広島駅まで友人の車で送ってもらう。そして、また新幹線とバスを乗り継ぎ22時過ぎに無事帰宅することが出来た。

あとで知ったが、初日に乗車したあと新幹線が大雨で止まり、その後も昨晩まで混乱が続いたらしいので、ちょうど避けられて幸いであった。

今回はとにかく暑かったが、予定以上の作業が出来、また有意義な余暇見聞も得ることが出来た。

色々と気遣ってもらった友人には感謝。最後まで有難う!


「呉業務行」1日目(其壱)の記事はこちら
「呉業務行」2日目(其弐)の記事はこちら

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2023年08月17日

呉業務行(其弐)

呉市街にあるメロン色をしたメロンパン屋社屋や同色の配送車

2日目はメロンから?

広島出張2日目。

昨日は35度前後の高気温のなかでの作業で、少々熱中症気味に。しかし、どこへ行っても、何をしても暑い。そもそも、京都で先月初めから猛暑連続の害を受けていたので、キツい初日となった。

ただ、昨晩は友人の気遣いによる馳走や空調部屋の提供により、良く休むことが出来た。今日も涼しいうちから活動せんとしたが、先ずは腹ごしらえと、呉市街にあるパン屋に連れて行ってもらう。

生憎の曇天空に代り、鮮やかな青色を見せる写真の店で、地元人気の老舗であった。店名はズバリ「メロンパン」。店の名物の名を冠したらしく、店の色もメロンを意識したようであった。

昭和初期創業のこの店の売りは、昔ながらのビニル包装やメロンパン・あんぱん等であったが、実際は多種多彩なパンを数多く製造しており、見た目の素朴さとは裏腹に、その味も良いものであった。

個人的に、本来こうした昔風を売りにした店には賞味経験上、幻滅しており興味が無かったが、ここは例外であった。正に店内の貼紙に記された「外見より中身」の言葉が相応しい質を備えた店であった。

機会あれば、その他色んなパンを試してみたいものである。


呉と江田島の海峡をゆく海上自衛隊の練習艦と護衛艦

メロンパン店で名物のメロンパンやあんぱん、惣菜パンを買いこみ、友人宅で朝食後、作業を開始。そして、昼の休憩時は、また近くの著名うどん店に連れて行ってもらった。

写真は、その待ち時間に現れた、対岸は江田島との海峡をゆく海上自衛隊の練習艦や護衛艦。かつての軍港を想わせる、呉らしい眺めであった。


広島県ロッククライミング発祥の地とされる、呉北郊にある烏帽子岩山
そして昼食の帰路には宅地裏の岩山を視察。然程登山に本気ではない友人も気になっていた山らしく、低山ながらも登り甲斐があるとの評判を有すとのこと。また、広島のロッククライミング発祥の名山でもあるらしい。その登山口まで行き、機会あれば次回一緒の登頂を誘われたのであった


広島県ロッククライミング発祥地とされる、呉北郊の烏帽子岩山の名称由来になったとされる尖った烏帽子岩
その岩山の名は烏帽子岩山。標高は410mで、その左肩にある尖った岩「烏帽子岩(中央)」が山名の由来という

雲っても暑い!

さて、友人宅に戻ってからはまた作業を続ける。

今日は曇天で昨日より気温はマシであったが、湿度が凄く、これまた難儀な暑さを感じることとなった。まあ、仕方なし!


「呉業務行」1日目(其壱)の記事はこちら
「呉業務行」3日目(其参)の記事はこちら

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2023年08月16日

呉業務行(其壱)

広島駅呉線ホームに現れた広行の折り返し列車

盆最終日、広島へ

台風の近畿直撃翌日の今日8月16日。

珍しく明け方に起床し、始発のバスに乗り京都駅へ向かう。昨日台風により延期となった、広島への出張に出かけるためである。

昨日新幹線が運休したための代替だが、幸い鉄道施設への被害が無かったため、列車は始発から定刻通りであった。ただ、終日運休の影響か、早朝からバスや駅・列車内には内外の旅行客が多かった。

そう、今日8月16日は、お盆最終日。年中で最も人が動く時期の一つであり、旅行者への影響は多大だったのである。

盆最終日といえば、京都市街では著名な送り盆行事「五山送り火」が行われる日であった。今年は遠出のため見られないが、まあ、これもコロナ禍制限全廃の恩恵と思うべきか……。

さて、6時台の新幹線に乗車し、8時半過ぎに広島に到着する。昨年は丸一日かけて車で移動した程の遠方を、僅か1時間40分という速さで着いたことに改めて感心。旅費さえあれば実に便利な世である。

ただ、こうした基幹交通が一旦途絶えるとその影響も多大である。昨日の運休では、正にそうしたことを改めて感じさせられた。

広島駅からは、滞在先の呉に向かうための呉線の列車を待つ。京都は雨が降りそうな曇天だったが、こちらは晴れて暑かった。大変な暑さからはまだ逃げられそうになさそうである。

そして10分程待って呉方面に向かう写真の折り返し列車が到着。それは、ローカル線的印象がない都市間交通と呼ぶべき洗練された姿であった。


広島発、広行き列車車窓から見えた広島湾に浮かぶ島嶼と夏雲
そんな呉行き(正確には同市内の「広」行き)列車で広島を発ったが、暫くは都市景が続くも、やがてこの様な海岸景となった。広島市街外れの、瀬戸内は広島湾岸に達したのである。湾内の島嶼と共に、夏雲浮かぶ清涼な眺めだが、既に厳しい暑さであることは既述の通り。ただ、普段海を見ぬ身からすると新鮮で清々しい眺めであった


広島県呉線の天応駅近くでみた現役の呉線トンネル(左)と開業当初の明治隧道(右)
呉郊外方々で見られた呉線のトンネル(左)と開業当初の明治隧道(右)の一つ。元は呉軍港への戦時輸送増強の為に複線化用として造られた新隧道が、戦後新規格の電化トンネルとして採用・付替えされた名残りという

広島湾岸滞在開始!

空いた車内で湾岸の眺めを楽しみつつ、やがて呉郊外の駅で下車した。長閑な駅前を少し歩くと、今回の業務依頼者である友人が子息と共に迎えにきてくれた。色々と有難い限り。

例外的だが、今回はその友人の招聘をうけて、18日まで彼の新居の古家改装のアドバイスや手伝いを行う予定であった。

勿論、諸経費を含めた、ちゃんとしたお代を頂く業務として。暑さが大変そうではあったが、色々と楽しみな3日間が始った。


「呉業務行」2日目(其弐)の記事はこちら
「呉業務行」3日目(其参)の記事はこちら

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2023年06月01日

慰問急行後記

遠軽奥の山間の空に現れた曇天と晴天の境目

名残りの北地

親類の見舞いのため、急遽実施した北海道行3日目。

昨日、病院にて見舞いを済ませ、本日帰京することとなった。

不幸中の幸いで、意識が戻った本人と言葉を交わすことも叶ったが、重病であり、予断許さぬ状況であることには変わりなかったため、後ろ引かれる思いであった。

朝、滞在家を出て親類の車にて、また札幌行バスの始発地まで送ってもらう。並行して列車便もあったが、何故かバスの方が所要時間が短く、運賃も安いため、復路も同様を選んだ。

写真は、バス発車後、酪農農家が点在する山間の車窓に現れた奇妙な雲。朝、道東地方は昨日とは変わり曇り空だったので、曇天と晴天の境目か。


白滝付近のバス車窓から見えた、新緑向こうのニセイチャロマップ岳付近らしき北大雪の雪稜
北海道中央高地越えのバス車窓から見えた、新緑向こうに覗く北大雪(大雪山北部山地)の雪稜。ニセイチャロマップ岳(標高1760m)付近か

帰路も素晴らしき景だが……

雲の境を過ぎると、中央高地越えの山間深くに入ったにもかかわらず、光に満ちた景色となった。

昨晩は暗くて気付かなかった新緑の森も広がり、共々眩さを放つ。更に、時折、それと空の狭間で白光する北大雪の雪稜も現れた。

今日も道東らしい、素晴らしき景色に感じ入るが、やはり、親類のこともあり、心底楽しめなかった。


6月ながら未だ雪を戴く旭岳等の大雪山塊
中央高地を越え旭川近くに達すると、かの大雪山も現れた。右端辺りが、その最高峰の旭岳(2291m)だが、雪を戴く姿を見たのは初めてであった


豊平川下流から見える札幌市街
そして、また北海道米の水田連なる平地を南下して豊平川下流より始まる札幌市街に入った。終点の札幌駅には無事定刻着。4時間弱の車行であった


新千歳発関空行の離陸後、機窓に現れた羊蹄山と尻別岳
新千歳空港離陸後、暫くして機窓に現れた羊蹄山(中央奥。後方羊蹄山。標高1898m)と尻別岳(羊蹄山左手前。同1107m)。名残りの北地である

病晴れますように

札幌駅からは、すぐに列車で空港に移動。時間的余裕はあったが、事故等により遠隔地で孤立しないためであった。そして、また飛行機にて大阪に戻り、空港バスや市バスを乗り継ぎ、夜、無事帰宅した。

病床の親類には、今朝の雲の如く、病が晴れることを願うばかりである。

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2023年05月31日

続慰問急行

乾いた晴天の下に広がる、道東の街外れの牧草地

良き空・景なるも……

親類の見舞いのため、急遽実施した北海道行2日目。

昨日は到着が遅かったため、今日病院に案内してもらうこととなった。時間調整のため、少し郊外に寄りつつ親類の車で病院がある街まで向かう。

車窓からは、道東・オホーツク沿岸らしい、広々とした景色が広がる。そして、梅雨の無い、北地らしい透明感あふれる晴天が、ともすれば平板になりがちな、それらに立体感を与える。

まさに、この上ない景色――。

この時期に当地を訪れるのは初めてだったので、本来なら実に感慨深い眺めだったが、やはり見舞いという事情により楽しむことは出来なかった。

この景色のなかで長年朗らかに暮らし、そして、ここをこよなく愛した人が、今命の危機を迎えている……。

それを想う心は、唯々重く、表し難いものであった。


上掲写真 梅雨のない道東の乾いた晴天の下に広がる、街外れの牧草地。


P5314349.jpg
同じく広々とした道東郊外の牧草地や畑。梅雨入りしないとはいえ、西南彼方の台風による前線の影響か、比較的雲も多かった

どうか何卒

やがて病院に着き、早速病室の親類を見舞う。厳しい状況ながら、数日前に意識が戻っており、少なからず言葉を交わすことが出来たのは不幸中の幸いであった。

その後、日没まで皆で病床を囲みつつ寄り添い、滞在家に引き上げたのである。こんな状況になって慌てて訪れた不精を、何卒お許しあれ。そして、どうかこの状況が好転しますように……。

唯々、請い、願うばかりの、北地での一日であった。

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2023年05月30日

慰問急行

降り出した雨に濡れる飛行機の窓と関西空港駐機場

久々かつ急遽彼の地へ

朝、京都市街の家を出て、バスを乗り継ぎ大阪南部の関西空港へ。

生憎の雨予報だったが、幸い家を出る時は止んでいたので、持参の傘を出さずに飛行機に乗ることが出来た。

そういえば、昨日近畿の梅雨入りが報じられたばかり。5月に梅雨入りするのは10年ぶりで、平年より8日、昨年より16日も早い雨期入りとなった。

南西諸島が1週程遅かったので、こちらも同じ傾向かと思ったが、意外な旅路となった。


上掲写真 降り出した雨に濡れる飛行機の窓と関西空港の駐機場。離陸待ちの機内にて。


札幌時計台とその玄関口
さて、関空から飛行機で一気に飛んだのは、北地・北海道の札幌であった。とはいえ、飛行場から札幌までも距離があるので、降機後に列車で移動。時間調整と夕食買出しのため駅近くの名所・時計台にも寄ったが、急遽北地に飛んだのは旅行が目的ではなかった。実は、道東の親類が今月初めに入院し、その後容態が悪化したための緊急の見舞いが目的であった


高速バスの車窓よりみた道央道と道央の山野
慰問の旅は札幌で終りではなく、更に遠方へ向かう必要があった。そのため、札幌駅からバスに乗り、高速路を延々と北行する


高速バスの車窓よりみた道央道沿いの夕陽と水田
夕方乗ったそのバスは数百Kmを数時間かけて移動するため、買い込んだ食事を摂るなどして車中を過ごす。本来なら久方ぶりの北地の眺めを楽しむところだが、軽からぬ事情の為その気にはなれなかった。そして今時分らしい遅い日没が車窓に現れる。それは北地に広がる意外な水田景を映しつつ、やがて宵闇と換っていった。結局バスの終点から親類の迎えでオホーツク沿岸の目的地に着いたのは家を出て13時間後の夜遅くのことであった

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2023年02月21日

続雨水訪駿

久能山麓の土産店街から見上げた山上と東照宮の建屋群

静岡名所行2日目

雪氷が雨水に変じるとされる二十四節気の「雨水」。

そんな春の予兆日を過ぎた頃に似合う温暖の地、東海静岡行の2日目。今日もまた、駿河湾沿いの名所を探訪することとなった。

その場所は久能山(くのうざん)。沿岸平野と海岸の合間に広がる稀有な独立丘陵の一部で、以前から個人的に見学したかった場所のため、知人が連れて行ってくれたのである。

写真は、駐車場がある麓の土産店街から久能山を見上げたもの。山上に在るのは、かの東照権現(徳川家康の神号)を祀り、また、その墓所の一つとされる久能山東照宮。

見ての通り、山自体の標高は高くはないが、これから徒歩で山上を目指すこととなった。


静岡の久能山東照宮麓近くの参道からみた快晴の空と駿河湾の海
17度近くまで気温が上がった昨日とは異なり、朝寒かった今日の空気は冷たく、2月らしい気候に。しかし、見ての通りの快晴のため、屋外活動に難はなかった。変わった石敷き(石畳?)の参道を進み、東照宮へと向かわんとして振り返ると、鳥居越しに春のような空と海が……


久能梅園の見頃の梅花と麓の石垣苺のビニールハウス、そして駿河湾の海
参道脇には東照宮付属の「久能梅園」があったので立ち寄る。前日の地元報道の通り、海を臨むそれは、花の見頃を迎えていた。園下に並ぶビニールハウスは名産の「石垣苺」の栽培用。こちらも、ちょうど盛りとあって、麓にて関連商品共々、多々売られていた


久能山東照宮参道の石垣と石段
梅園上の参道は、このような石垣沿いの石段道となった。それは、山肌に沿い、ジグザグ状に続く。所謂スイッチバック的に社殿地までの急斜を登るのである。かなり無理があるその施工に驚くが、やはり石垣や石畳の補修の多さにも、その特異性、維持の困難が窺われた。石垣は幕府関連特有の二条城等に似た丁寧かつ権威的な施工も見られたが、何故か近世式の高石垣を用いず、前代技法の多段式で施工されていた


久能山東照宮参道の一ノ門裏から見えた、額縁様に覗く青い駿河湾の海
ジグザグの石段を右左往しつつ標高差100m程を登り、城門様の社殿地門「一ノ門」を潜る。正に城郭施設「桝形虎口」的なその裏側からは、青く輝く海原が額縁画の如く見えた


久能山東照宮本殿下の展望所からみた久能山・日本平丘陵南端の崩落山体と駿河湾
門からは傾斜が緩くなるも、また登りの石段が暫し続く。そして本殿下の展望所からは久能山の実態が知れる眺めが現れた。それは、海に向かい複雑な崩落地形を成す丘陵南端の姿でもあった

久能山の姿

背後にある日本平を含め、久能山がある有度丘陵(うど・きゅうりょう)は、元は安部川等が運んだ土砂堆積物が隆起し、その後、風波に浸食されて形成されたらしいので、脆い地質という。

ジグザグ参道の非高石垣や数多の石段補修はそうした地質と関係するのではなかろうか。しかし、よくもこんな難所に霊廟を置いたものである。

久能山東照宮は元は戦国期の城塞を改変したものらしく、海岸沿いの久能街道を押さえる要所として、元来不可欠な施設だったので、有事の軍事転用を見据え、無理にでも維持されたのかもしれない。


石段上に聳える久能山東照宮の楼門
その後有料エリアに入り、本殿へと向かう。元山城そして山中でもあるので、登りの石段が続く。華やかに加飾された楼門も、また石段上にあった


煌びやかな久能山東照宮の本殿「御社殿」
そして幾つかの石段を登り、本殿(御社殿)に到着。徳川家康死没翌年の元和3(1617)年に建てられたという国宝建築。規模は小さいが、日光同様の煌びやかな加飾建築であった。塀等も含め、周辺施設共々、新築の如く刷新されている。最近、全社的な大規模修繕が行われたのか


久能山東照宮の最上部にある徳川家康墓所とされる神廟
本殿後方の石段を更に登ると、徳川家康の当初の墓所と伝わる「神廟」に到着。久能山山上に当る場所で、境内最上部となる

家康は遺言によりここに葬られたとされるが、その決定や東照宮造営には、かの天台僧・慈眼大師天海が関わっていたとの説もあった。

土地にまつわる貴賤思想・力学のようなものに通じた天海が、日光等と共に、ここを幕府永続の聖地としたとの説である。

私が以前から久能山に来たかったのは、それへの興味もあったが、実際訪れると、意外に穏やかな場所のように感じられた。

静岡の温暖に思う

石造宝塔が立つ神廟見学後、元来た道を辿り東照宮をあとにした。その後、静岡市街中心部にある駿府城に移動し、少々見学して外出を終えた。

これにて2日間の静岡名所見学は終了。真冬ながら、両日とも当地らしい温暖で良き日和であった。以前から気になっていたが、同じ静岡県内でも、あれら静岡市内沿岸部は寒波が来ず、殆ど雪を見ないという。

これだけ温暖な地は山陽・東海の幹線沿いでは他に無いのではなかろうか。そう考えると、徳川家康が晩年駿府に隠居した理由がこの気候にあるように思われた。

幼少から12年も駿府で人質生活を送った家康は、当地の気候特色をよく知っていた筈だからである。

東海道沿いの要地でありながら、寒くないここで、朝廷や西国大名等に睨みをきかせつつ、老いの養生をしていたのか……。今回は、そんな考えも思い及ばされた、東海静岡行となった。

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2023年02月20日

雨水訪駿

三保の松原の浜から見た、夕陽を浴びる雪の富士山

馴染みなき地の名所へ

2月も下旬に入った20日の今日。海越しに富士山が見える地を訪れた。

二十四節気の「雨水」を過ぎた今らしい温暖のそこは、東海・静岡の名勝「三保の松原」であった。

これまでの人生で馴染み無いここに突如現れたのは、年末から続けていた知人支援の関係。無事難局の峠を越えたので、今回は逆に当地の名所を案内してもらうこととなったのである。


東海大学海洋科学博物館エントランス
三保の松原の前に連れて行ってもらったのは、この博物館。松原がある砂嘴というか半島の先端部分にある東海大学運営の「海洋科学博物館」で、所謂水族館であった。これはエントランス部分なのだが、屋根上にある施設名の幅広字体を含め、何か懐かしいというか見覚えある雰囲気である


東海大海洋科学博物館の海洋水槽
東海大海洋科学博物館の目玉的展示である「海洋水槽」。その大きさは幅10m四方・高さ6mで、アクリル張りでは日本最大という規模といい、約50種1000体以上の生物を飼育とのこと。水槽右上に写っているが、かの鮫も遊泳している。弱小の魚等とどうやって共生させているのであろうか


東海大海洋科学博物館の津波実験水槽での人口津波実演
こちらは個人的に気になった津波実験装置。屋外に設置されたもので、毎時人口津波を発生させて街の浸水や波の河川遡行等を実体的に見せる。写真は第一波のあと再び港湾に波が入るところ。昭和期に造られたものとしては先進的だが、もっと危機啓発を広めるものとして、後の被害軽減につながったなら、と複雑な気にもさせられた

実は水族館を含む一帯の施設は3月で廃止されるという。知人は、そのこともあり、急ぎ私を連れてきたが、こうした有益な施設は更に進化させて活用して欲しいと思った


東海大自然史博物館の山田守建築

古式建築の正体

海洋水槽や津波実験の他、多くの興味深い水族展示等を見たあと海洋博物館をあとにし、隣にある、写真の自然史博物館を訪れた。ここであることに気づく。この博物館建屋は何処かで見たものではないか。というか、日本では珍しい、古のゼツェション様式ではないか。

ここで一瞬日本の建築史を考えた。そうだ、日本モダニズム建築の旗手・山田守氏の作品に違いない。入場時に受付の女子に訊けば、正しく氏の設計との返答があった。ただ、前身施設の開館が1970年とのことなので60年代に没した氏の活動期と合わない。

また晩年に設計を済ませていたとしても、アーティストたる建築家が若年期の作風を再用するのかという疑問も生じた。真相はともあれ、受付女子によると3月の閉館と共に壊されるとのことなので、更なる衝撃を受けた。

惜しまれつつ戦後解体消失した氏の大正期の傑作「東京中央電信局」を想わせる建築なので、何とか残してほしい。きけば、同じ山田建築の水族館(入口での既視感の原因!)も惜しむ声に押され、暫く日を減らして継続することになったらしいが、ここも解体だけは避けてほしいと思った。


山田守建築のドーム天井の下に恐竜の大型骨格標本等が展示される、東海大自然史博物館上階
さて、自然史博物館の内部はこの様な具合に。主に恐竜等の古生物を紹介する施設となっていたが、上階の山田建築のドーム天井が大型骨格標本等の展示に良く合っていた


三保の松原の浜と松並木

雄々しくも残念?な並木

東海大の両博物館見学の後は、半島の先端から付け根側に戻り、いよいよ三保の松原を訪れた。

波が高い太平洋に面しているだけあり、去年行った天橋立より、土砂の盛り上がりが高く、雄々しく感じられた。昔削られ、海中に堆積した、西方は久能山の土砂が運ばれ形成されたらしいが、それでも、よく高波に削られないものだと感心した。


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三保の松原は松並木の樹勢が強く、大径木が多いのも橋立とは異なる点であった。環境的には厳しいが、土の厚み等で養分が得やすいのか。また、管理養生が行き届いている為か

ただ、少々残念なのが、周辺の市街化が進み、それとの境界が曖昧なところであった。海側から見るとそれらしく見えるが、陸側から見ると他の防風林と変わらない……という具合である。

知人によると、近年地元では「残念名所」と呼ばれているらしいが(笑)、そう言われるのも仕方ないようにも感じられた。まあ、それでも古代から知られた天下の名勝なので、今後も存続し、良くなってほしいと思った。

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