2026年09月14日

代替越前行(下)

越前新保駅に接近するえち鉄列車

訃報あり、急遽去る

恒例の秋の高山行が秋雨停滞により中止となり、その代替として行った福井の親類訪問。

二晩の歓待を過ごし、今日午後に帰る予定だったが、昨日本家の伯父の急逝が伝えられたため急遽朝発つこととなった。

場合により、京都帰着後すぐに九州への弔問に出掛ける為である。故に、今朝親類宅近所で買うつもりだった土産等は買えず終いとなり、少々慌ただしく動くこととなった。


上掲写真 福井平野只中の小駅に接近する、帰途利用の私鉄列車。


滋賀県西部・琵琶湖岸を走る湖西線車窓より見えた比良山脈を覆う厚い雲
滋賀県西部・琵琶湖岸を走る湖西線車窓より見えた比良山脈を覆う厚い雲

遣る瀬なさ残るも

冒頭の写真でも判る通り、結局福井での天気の崩れは限定的で、帰途滋賀まで南下して漸く降雨の跡を見る程度であった。

「これなら山に行けたのではないか」との考えがまた過ったが、今は弔問の事も。故に、結果的に行かなくてよかった、との思いに落ち着いた。

さて、昼過ぎ京都に帰着すると、共に弔問に向かおうと思っていた身内と連絡が取れず。先に出発した可能性もあり、追うことも考えたが、列車を調べると、なんと途中の区間が豪雨で不通となっていた。

本家の従兄弟に連絡すると、身内からの出発連絡はなく、到着もしていないとのこと。そして、今晩が通夜、明朝が葬儀とのことを伝えられたため、もはやいずれにも間に合わないことを悟り、出発を断念した。

ということで、急ぎ帰ったが肝心のことに間に合わず、山行中止の事と併せて貴重な長休みを無駄にしたような、遣る瀬ない気にさせられた。

しかし、自分の訪問を待っていた高齢の伯母は大変喜んでくれたし、夜伯父の為に記した自作弔電も間に合ったので、良しとすることとした。

本家への弔問は、また近々改めてさせてもらおう。

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2026年09月12日

代替越前行(上)

福井平野南部を走る旧北陸本線列車(現ハピラインふくい)の先頭車両窓から見えた、福井駅へ続く複線鉄路

今年の高山行は……

忙しい中、なんとか昨日から6日程の休暇がとれたので、恒例の1万尺高山行に行くつもりだったが、台風接近による秋雨停滞で止む無く中止に。

今年は北アルプスの核心部「槍・穂高」での野営縦走を行うつもりでギリギリまで待ったが、荒天が避けられず、危険個所も多いため断念した。

昨年の笠ヶ岳野営登山中止に続く2年連続の不発。まあ、天気ばかりは致し方なく、これも身の為、世の為であろう。

替りに、度々誘いを受けながら1年以上顔を出していなかった福井の伯母宅に、今日から行くことにした。


上掲写真 福井平野南部を走る旧北陸本線列車(現ハピラインふくい)の先頭車両窓から見えた、福井駅へ続く複線鉄路。


雨予報にもかかわらず陽射しも見えた滋賀湖西・琵琶湖上空の空と湖西線線路
ちょうど家を正午頃に出、列車を乗り継ぎ一路北上。出発地の京都市内は雲が多いが雨の気配はなく、隣県滋賀・琵琶湖上空もこの通り陽射しさえあった。猛暑の暑さはないが、予想32度程と、確りと残暑は続く


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やがて、眺める列車車窓に、滋賀県最高峰・伊吹山(写真中央。標高1377m)が見えたが、ここも山頂に少し雲が着くほどの穏やかさ。北部程荒天になる予報だったので、山行中止への後悔を感じ始めたが、「1万尺(標高3000m前後)の高地はきっと大荒れの筈」と心に言い聞かせる


雨予報に反し強力な残暑の陽射しを受ける福井平野と九頭竜川
そして、到着した北地・福井も更に意外のこの晴れ様。駅からの長い歩き道に強い残暑の陽を浴び疲労する。ただの荷と化す傘の存在が恨めしい


雨予報が外れた日に現れた福井平野の真紅の夕照
さて、高齢の伯母には喜びと共に迎えられ、その日は同居の従姉ら共々、久々に旧交を温めた。そして、夕方の買出し時に更なる意外として現れた、美麗な真紅の夕焼けにも恵まれたのである

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2026年08月23日

'26北山避暑(下)

京都北山の高所集落にある楓にとまるミンミンゼミ

晩夏の高所にて

京都北山での近場避暑泊2日目。

昨晩は窓を開けたまま寝て丁度よかったが、朝方寒くなり厚手の布団を掛けた。

恐らく前夜は22度くらいで、その後20度以下となったか。以前より上ってきているとはいえ、やはり貴重な涼しさ。

麓の京都市街は最低でも30度近かった筈であろう。


上掲写真 京都北山の高所集落にある楓にとまるミンミンゼミ。盛夏の陽気下ながら、晩夏を感じさせる姿。

京都北山の高所集落にある沢なかで溌剌と晩夏を過ごす小魚の群
足下の沢には小魚の群も。北山で名高いアマゴではなく、アブラハヤの類か。こちらも、冷えた沢水のなか、溌剌と晩夏を過ごす様子


京都北山の高所集落にある民宿の、美味しく豪華な手作り山菜朝食
今朝の食事はこれまた恒例の山菜料理。実は昨晩も鶏すきのほか、沢山の小鉢料理が供されていたが、これは朝の献立。今年も様々な美味をゆっくり沢山味わえ、有難い限り


京都北山の高所集落を流れる冷たく美麗な沢水
午後になり気温が上ってきたので、とはいえ今日の市街の最高気温38.3度には比較にならないが、また少々沢に浸かる。先日行った滋賀の芹川よりマシだが、それでも上半身なら1分も浸けられない冷たさであった


京都北山の高所集落の上空に現れた只ならぬ入道雲
ところが、水浴びを済ませて暫くすると、上空に只ならぬ入道雲が湧き始めた。それは昨日のものとは異なり、雷鳴を伴っていた


京都北山の高所集落の北山杉に降りかかる突然の夏の強雨
そして、それらの異変は間もなく天気の急変をもたらした。それは一時窓を閉めなければならない程の強い降雨と化したのである

雨の隙衝き

午後2時過ぎから降り始めた雨は、結局その後1時間以上続き、同4時過ぎまで宿で待たせてもらった。その間、また女将さんと諸々語らいながら。

そして、雨の隙を衝き、急ぎ山を下ったのである。京都市街でも雷鳴がなり、雨が降り始めていたが、その影響を受けずに帰宅することが出来た。

厚い雨雲の所為で、ちょうど猛暑の気温も和らいでいたのも幸い。女将さんをはじめ、諸々に感謝!


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2026年08月22日

'26北山避暑(上)

京都北山の山中集落に咲く木槿の花

猛暑再来を避く

盆明けとなったが、今年も恒例の近場避暑泊に。

京盆地北縁・北山山地の高所集落にある民宿でのささやかな休暇である。

盆後半に逆方向から列島を襲った台風とそれに伴う雨により一時的に気温が下がったが、盆明け暫くしてまた猛暑日の連続となった。

今日も、京都市街は37.4度という猛烈な暑さに。よって、今回の避暑行でその状況が避けられ、行動自体の価値も高いものとなった。

日の巡り、機会に感謝。


上掲写真 京都北山の山中集落に咲く木槿(むくげ)の花。如何にも外来的なその外見により好みの花ではないが、未だ百日紅が咲かぬ冷涼の地では貴重な彩り。


冷涼の気が満ち、また清冽な水流れる京都北山山中の谷筋
冷涼の気が満ち、また清冽な水流れる北山山中の谷筋。近場ながら、今回も感心の涼しさ。いつもは午後到着するのだが、今回も昨年同様、昼前に到着した。郊外にまで押し寄せる外人客による混雑を防ぐ交通規制が麓で行われていたためである。そうした喧噪が嘘のような正に隠れ里であった


京都北山山中の集落上空に現れた盛夏の入道雲
付近を散策し、そのあと少し沢に身を浸けるくらいでゆるりと過ごす。陽があると暑さを感じるが、空調は不要な稀有な気候。時折入道雲が現れたが結局降ることはなかった。昨日は盛大な夕立があったらしいが……


京都北山地区の地場産野菜や地鶏肉を使った鶏すき具材
そして夜は、恒例の貴重な薪沸かし風呂と地鶏すきやき晩餐に。空調なしで鍋料理が食せるのが、何よりの涼しさの証拠で、贅沢さでもあった

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2026年08月11日

湖東避暑

滋賀霊仙山中の河内風穴内の照明と尖塔状の岩

「山の日」の避暑

先週の盆入りから週明け火曜祝日の今日。友人と日帰避暑行に出掛けた。

場所は友人提案の隣県滋賀北東山中にある洞穴。寒いくらいの涼しさがあるそこに接し、その付近の渓流にて憩う、という企画であった。


上掲写真 友人に案内され初参観した洞穴と、その内部の照明等。洞穴中央に立つ尖塔状の岩が印象的。


車窓より見えてきた、河内風穴がある滋賀県北東の鈴鹿山脈霊仙山

滋賀在住の友人と同県内の駅で待合せて合流後、車にて一路滋賀北東へ。

「いつもより通行量が多い」と友がいう高速路を経て、写真の如く、洞窟がある山の麓に至る。

そういば、今日は祝日「山の日」。連日の暑さに因り元来山へ登るつもりは無かったが、奇しくも山中入りとなった。

なお、本来はこの盆前半に数日休みがとれたので、昨年同様、信州及び飛騨方面へ野営避暑に行きたかったが、同行者の都合に因り中止となった。


河内風穴前の橋上から見た芹川と右岸の満車駐車場

意外の盛況「河内風穴」

田圃なかの道から山中に入り、下流の彦根城の外壕河川でもある芹川に沿って進むと、やがて古民家が数軒ある風穴最寄りの小集落に至った。

だが、実はその手前の寺院前で警備員に止められ駐車待ちとなった。意外にも訪問者で混んでいるため、約20分の空き待ちとなったのである。

やがて、言われた通りの時間を車中で過ごし、無事駐車(有料)を果たす。そして徒歩で芹川を渡った際の一写が上の写真。風穴の券売所前に続く右岸の駐車場も満車状態であった。

以前の長閑さを知る友人も驚いていたが、皆この猛暑で涼を求めに来たのか。駐車係の人によると、3年程前から急に訪問客が増えたという。


河内風穴へ続く芹川支流と遊歩道
券売所で受付けを済ませ、芹川の支流谷に続く遊歩道を進む。水の清冽さが増したような気がし、気温も2、3度下がったように感じられた


河内風穴の入口部分とアーチ状の防護柵
アスレチック施設のような空中回廊ある階段で急斜を登り、やがて風穴の入口に至る


河内風穴の入口
隧道状に設けられた落石防護柵の奥にはこのように洞窟口が。風穴の入口で、身体を屈める必要のある狭さであった。早速入ろうとするも、中の見学者も多いのか、次々を出で来るそれを暫し待たなければならなかった


河内風穴に入って最初の空間
漸く洞穴内に入るとこのような感じに。十分立てる高さだが少し狭いか?


入口側から見た河内風穴内の大空間
と思いきや、次の穴を潜ると、この様な大空間が現れた。なるほど、これなら見る価値はある。気温も森なかの25度程から15度程まで一気に下がって、上着がないと寒いくらいに


奥側から見た河内風穴内の大空間
こちらは大空間の底を進み、入口方向を振り返って見た光景。これまで見学した秋芳洞等の石灰岩洞穴と決定的に異なるのは鍾乳石がないこと。この洞内は水気が少なく、それが形成されないのか


河内風穴内にある、支洞への梯子と封鎖処置
風穴内には、この様な支洞も。登って見学できるようだが、今日は人が多いとのことで封鎖されていた


河内風穴内の最後の参観区画から見えた小洞
大空間の端を登った後には小空間があり、その向こうには、この様な最後の小洞があった。実は、河内風穴は国内有数の長さがあり、この先も延々と続いているらしいが、我々一般参観者が入れるのはここまでであった


河内風穴下流部にある芹川の河原

芹谷避暑

河内風穴での見学と涼みが終り、近くの河原へ。ここで友人手作りの美味な昼食弁当を頂き、川遊び的に更に涼むことに。

洞窟から流れる来る所為もあるのか、あまりの水の冷たさに腰まで浸かることが限界であった。

そして、風穴帰りか、道奥にある霊仙山帰りか、家族連れ等の多くの人々が、入れ替わり立ち替わり現れた。


細く険しい杉・五僧・保月廃村への道
美麗・清涼な河原にて十分涼んだあと一路付近の山道へ入る。以前から気になっていた山上集落を見学するためであった。ただ、友人が道を間違えたため、この通り、大変狭く、険しいつづらの登坂に。そして、友人がそれを恐れたため、間違えに気づく前にに引き返すこととなった


滋賀県北東の山上集落・桃原の入口部分の平屋家屋

山上隠里「桃原」へ

険路を下り、一旦元の谷道に戻ったあと、私が地形図を確認して改めて正しい道をゆく。然程険しくない登坂を進み、程なくして到着したのが、この桃原(もばら)集落であった。

先程の難路は住人が絶えた廃村(杉・五僧・保月集落)へ向かう道だったため改修されていなかったと思われた。個人的には、そこにも興味があったが、今日は時間もなく、仕方なし。

写真は桃原集落入口部分の平屋家屋。公民館的な建屋か、側壁には乗合タクシーの時刻表が貼られていた。


滋賀県北東の山上集落・桃原の
タクシー乗場から見えた、生活感がある上手の古民家。友人によると、ここはまだ廃村にはなっていないという。確かに、道や家等の方々に生気が感じられた


滋賀・桃原集落の入口に近い場所にある、よく手入れされ現役住居的姿の古民家
集落の入口に近いこちらの古民家も、よく手入れされていて、現役家屋の姿。生活のお邪魔にならないよう、静かに集落歩きを始めた


滋賀・桃原集落のよく手入れされ現役住居的姿の古民家
集落内を通る一本道を徒歩で上がり、集落を見学。こちらの民家もまだ現役の様子。蔵を含め立派な建造物である


滋賀・桃原集落にある古格あるも傷んだ無住古民家
この様に古格ある立派な古民家も。19世紀以前の建造とみられ、格式ある塀も付属するが、残念ながら無住のようで、方々に傷みがみられた


滋賀・桃原集落にある傷んだ無住古民家
更に道を進むとまた古式の民家が。しかし、これも荒れていた


滋賀・桃原集落の奥にあった、傷んだ無住古民家と生気ある現役民家
やがて車道の終端に至るとまた生気ある民家(右下)が現れたが、同じく荒れた家(左)も現れた


滋賀・桃原集落中心にある永法寺
一本道を車道端で引き返し、中途にあった路地に入り、その奥の寺を見学。永法寺と墨書されたこちらはよく手入れされ、現役の様子。集落の手前で西向きの墓地を見たが、やはり真宗寺院であった


霊仙山特有の石灰岩の石垣ある、桃原永法寺の鐘楼
桃原永法寺・本堂前にある鐘楼。石垣が、この地特有の石灰岩を用いているのが興味深い


滋賀・桃原集落の日吉神社の参道
そして最後は入口手前にある神社へ。それは道から少し下った所にあった


桃原集落の氏神・日吉神社本殿
桃原集落の氏神・日吉神社本殿。石段上に祀られた立派な社である


滋賀・桃原日吉社境内にあった古い宝篋印塔
桃原日吉社境内にあった古い石塔。貴人墓である中世以前の宝篋印塔とみられ、桃原の歴史が感じられた

山眺め帰路へ

そして、神社参観を最後に桃原をあとにした。

地形図にみる山上のなだらかな地貌と、それを表した「原」の名に反し、道一本の傾斜集落で意外に思ったが、林業転換や耕作放棄に因る森林化が原因かもしれない。

また、意外と立派な家屋が多く、古のその生業等も気になった。機会あればまた色々と調べてみたいと思った。


セブンイレブン多賀大社前店駐車場から見えた芹谷とその向こうに顔を出す霊仙山
山を下ったあとは、麓のコンビニに寄り、非酒飲料にて、休息がてらの小打上げに。先程まで居た芹谷向こうに顔を出す霊仙山(標高1083m)を眺めつつ暫し語らい、帰路に就いたのである。友人による良き機会に感謝!

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2026年03月30日

金銀参観

濃厚な黄砂の空に輝く金閣の鳳凰

満開日の名所巡り

温暖な春の気が連れてきた黄砂の空に輝く金の鳳凰――。

何処かで見たようなそれは、はたして造り良き祭屋台か神輿の飾りか……。


広大な鏡湖池や境内に囲まれる鹿苑寺舎利殿金閣と池に映る「逆さ金閣」
広大な鏡湖池や境内に囲まれる鹿苑寺舎利殿金閣と池に映る「逆さ金閣」

その答えは、写真奥の御馴染の建築であった。ご存じ鹿苑寺金閣である。

京都在住者としては、その観光王道性故、少々気恥ずかしい場所だが、今日は来京した親族の希望により仕方なく案内することとなった。

小時以来、実に数十年ぶりか。現地の状況によれば外で待つことも考えたが、意外に感心することとなった。

それは、手前の鏡湖池(きょうこち)を含めた寺地の広大さ、造作の豪快さに因る。

さすがは室町幕府最盛期の遺構、改めてその威勢を感じさせられた。また、細部に至るまでの造園管理の凄みも思い知らされたのであった。

そして、その規模に比して入場料も良心的――。

世界的には4倍にしてもまだ安価な程だったので、是非手間や費用がかさむ外人との差を設け、若者が何度も体験できる場所にして欲しいと思った。

境内の広さで吸収されたが、花もないのに参観者が多かった。勿論、大半が外人で、中に見覚えのある帽子と言葉を発する一団がおり声をかければ、正に昔行った中亜の国の人だったりと、意外の交流も生じた。


黄砂に曇る空の下、大文字山火床を背に満開の花を見せる疏水分線沿いの関雪桜
金閣の次は、その南にある一条通の馴染の食堂で食事をし、近くの北野天満宮を参拝。その後、上七軒の茶屋街を見学し、東郊の大文字山麓に。そこに続く疏水分線沿いの桜はこの通り満開で、また外人主体の多くの観光客が犇めいていた。後で知ったが、本日京都市街の満開が発表される。丁度開花宣言から一週。連日の高気温により想定外の早さでの盛りとなった


金閣に比して繊細狭隘な庭園内に佇む銀閣と苑池に映る「逆さ銀閣」
金閣に比し繊細狭隘な庭に佇む慈照寺観音殿銀閣と池に映る「逆さ銀閣」

金・銀の違い感ず

桜並木を抜け、これまた観光客犇めく門前土産街を経て慈照寺に入る。

お目当ては、写真の銀閣。金銀両寺を訪ねるのは親族の希望で、今日最後の目的地であった。

こちらは、個人的に十数年ぶりの参観。方々に繊細な造作が尽くされた境内を改めて観察し、金閣側との違いや進化を感じさせられた。

ただ、親族が希望した御朱印の列に数多白人種外人がおり、意思不通等で時間がかかったことに驚く。

極めて日本的な宗教習慣・嗜好に、多神教を嫌う彼ら何故大挙参入しているのか。理由は謎だが、これも早急に列と料金を分けるべきだと思った。


知る人ぞ知る名建築喫茶「ゴスペル」。懐古かつ長閑な雰囲気で美味の珈琲が楽しめる
知る人ぞ知る名建築喫茶。懐古かつ長閑な雰囲気で美味の珈琲が楽しめる

方々混雑するも

銀閣参観後、近くの名建築喫茶に案内し、暫し休息。

そこは外人がほぼいない穏やかな「聖地」だったが、国内客が多く、注文が届くのに時間がかかった。

そして、喫茶休憩後、親類の滞在先にバスと列車にて戻った。

しかし、バスはまた外人で満員(往路や途中も同様)、列車は通勤客で混んでいた。やはり前者は外人料金を設けるなどの早急な対策を講じるべきだと改めて感じさせられた。月曜からこれでは住民の生活に支障を来す。

とまれ今日は方々で人が多く疲れる場面も多かったが、満開の花にも恵まれ、親類が望む場所を案内することが出来て良かった。お疲れ様でした!

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2026年03月13日

寒日北行

強風で湖西線が通れず遠回りかつ30分遅れで終点の敦賀駅に到着した特急サンダーバード号

風と寒さの列車行

今日は珍しく朝から仕事で北陸入り。とはいえ、その入口である福井中部辺りまでであるが……。

それは昨日急に決まった予定で、京都駅での混雑を見越して先買い可能な特急券は前日用意し、現地でしか買えない乗車券は比較的空いた売場を選んだが、やはり外人で混んでおり、すんなりとはいかなかった。

まあ、それも見越して早めに駅に着いたのであるが、困ったのは、乗る列車が通る湖西線が強風のため通れず、琵琶湖東岸を通る遠回りの経路に変更されていたことである。

その後の待ち合せ等の関係もあり、先を案じたが、一先ず予定の特急に乗り、目的地へ向かうこととなった。


上掲写真 今朝京都から乗車し、北陸の玄関口である終点・敦賀駅に到着した特急サンダーバード号。


3月の戻り寒さで結構下部まで雪が補給された比良山脈南部の蓬莱山等
今週からまた寒くなったが、今日も最高気温10度に届かない予報が出る寒い朝となった。明日は誘われて今季最後?の近場雪山に行くので、湖西線が沿う比良山脈等の雪具合を車窓から見るつもりだったが、迂回の所為で対岸からの観察に。比良山脈南部はこの通りで、一見スキー場がある蓬莱山山頂(中央やや右の高所。標高1174m)等の山脈上部のみ冠雪しているのかと思えば、結構下まで雪が覆っているのを確認できた。今週の寒さで少しずつ雪が補給されたのか


3月の戻り寒さのなかでも殆ど雪がない珍しい伊吹山
こちらは滋賀・岐阜県境にある伊吹山(同1377m)。本邦名立たる豪雪山かつ滋賀県最高峰ながら殆ど雪が無い姿に驚かされる。ここ数年同様に思われるが、何か気流の関係か。但し、この北奥にある奥伊吹は雪が多かったようである


湖北平野からみた、冠雪する3月の横山岳
湖東を臨時北上する列車は、やがて湖北の北陸本線に入る。遅延を気にしつつ車窓観察も続けると、伊吹に並ぶ湖北の高所・金糞岳(同1317m)を経て、この横山岳(同1132m)が見えてきた。雪山好きに知られる多雪地のこちらは、さすがにまだ雪が多そうである


中部・関西方面からの特急と北陸新幹線を繋ぐための敦賀駅の新しい構内施設

意外の敦賀

そして意外と雪のない県境の山岳を抜け、日本海の港湾都市・敦賀に到着。結局遅れは30分となったが、まだ何とかなりそうか。

中部・関西方面からの特急と北陸新幹線を繋ぐための新しい駅構内に少々戸惑いながら終着駅を後にした。


敦賀駅跨線橋より見た冠雪する野坂岳
敦賀で車に乗り換え人と落ち合う予定だったので、駅を出る。敦賀市街も風が強く身を切る寒さだったが、意外と雪の気配は無し。あったのは、敦賀南郊に聳えるこの野坂岳(同913m)のみであった


敦賀赤レンガ倉庫と花をそえるキハ28気動車
車で一旦滋賀北部に戻って関係者と落ち合い、また敦賀に戻り昼食を摂る。列車遅延のため少々慌ただしい食事となったが、仕方なし。これは食事場所近くの敦賀赤レンガ倉庫。時代は異なるが、嘗て非電化区間の花形急行車輌だったキハ58気動車(現物は同系のキハ28)が花をそえていた


福井平野南郊の雪のない田園景

福井「嶺北」地方へ

昼食後、海岸沿いの山岳路を車行。所謂、福井県を「嶺南」と「嶺北」地方に分ける難所山地である。

そこは、元より豪雪地で、更に気温も低かったため降雪を警戒していたが、少し霰が降っただけで助かった。そして福井平野南郊にあるこの取材現場に到着。


見渡す限りの田園景向こうに雪を纏って覗く、福井三大雪山の一つで五霊山の一つともされる・部子山
取材現場付近の見渡す限りの田園景向こうには福井三大雪山の一つで五霊山の一つともされる・部子山(へこさん。同1464m)の威容が窺えた。さすが、こればかりは、まだ完全な雪山状態であった


夕陽に輝く春近い敦賀湾
夕陽に輝く、春近き敦賀湾

北地の春も遠からじ

福井平野南郊での取材活動後、また関係者と別れ敦賀に戻る。

途中断崖上の国道からは夕陽に照らされた美しい敦賀湾の姿が見えた。北地の春も、あともう少しか……。

その後、無事全ての予定をこなせたので、取れなかった休憩等をこなし、また列車にて帰京した。

結局湖西線は終日不通のままで、今朝同様、湖東経由の遠回りとはなったが……。

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2025年12月11日

帝跡再訪

奈良盆地南部のとある池畔でみた、名残りの紅葉とその水面(みなも)映し

再び奈良へ

先週、仕事の関係で奈良に行ったが、図らずも今日また行くこととなった。場所も、同じく奈良盆地南部の同じ場所。

ただ、今日は前回に比して現地での滞在が長くなるため、先にその近くで昼食休憩をとってから現地入りすることとなった。


上掲写真 奈良盆地南部のとある池畔でみた、名残りの紅葉とその水面(みなも)映し。


畝傍御陵前駅と同じ大和棟造ながら規模が大きい橿原神宮前駅駅舎
畝傍御陵前駅と同じ大和棟造ながら規模大きい橿原神宮前駅駅舎

初の橿原宮参観

朝、京都から向かったのは、前回の畝傍御陵(うねびごりょう)前駅とは異なり、その次駅の橿原神宮(かしはらじんぐう)前駅。京都市街と接続する近鉄線列車の終着駅である。

しかし、その駅もまた、御陵前駅同様の「大和棟(やまとむね)」風の急斜屋根をもつ駅舎であった。但し、終着及び大阪・吉野方面への分岐駅の為か、または橿原神宮最寄駅の為か、その規模は大きかった。


駅前通向こうに畝傍山の側面(南面)が覗く、橿原神宮前駅中央口付近
そして駅前通から畝傍山が覗くのも前回同様だったが、正面の鋭角的山容ではなく、後方(左)がなだらかに下がる側面の姿であった。今日は昼休みを利用してこの駅前通向こうの畝傍山麓にある橿原神宮を参観することにしていたのである


橿原神宮第一鳥居前の広々とした空間
付近に住宅しかない御陵前駅と異なり、神宮前駅付近には参拝や地元の客用と思われる食堂や茶店があったが、平日の為か都合よい店の営業はなかった。その為そのまま神宮へと進み、写真の第一鳥居を潜り境内に入った。ここも初代帝を祀るに相応しい規模。誰もが明治神宮同等の特別感を覚えそうだが、見ての通りの閑散。ただ、周辺の土産店や広い駐車場等の存在を見れば、初詣等の参拝期での賑わいも想像出来た


橿原神宮境内で畝傍山南麓に広がる深田池の水面
先ずは境内にある深田池に向かい、その池畔の休憩所で池を眺めつつ携行食による昼食を行う。正午過ぎながら気温が低く、陽射しもなかったので施設の存在は有難い。食後、池を半周し中程の橋を渡って対岸の社殿方面と戻った。表題写真はその時の撮影。畝傍山南麓に水を湛える広大な水面は飛鳥時代築造という古代灌漑池跡でもある。今は野鳥の楽園でもあるらしく、実際に聞きなれない鳥の声が聞こえた


深田池から見た橿原神宮南神門と神職の列
さて、池脇の石段を上ると南神門が見えた。池に行く前にも通った場所だが、改めてここの手水舎で清めを行い、神門を潜った。なお、右上の空に浮く矩形の影はご神威等ではなく、手水舎の屋根材である


橿原神宮の外拝殿と来年令和8年度の巨大絵馬札
神門を潜るとまた広場があり立派な外拝殿(げはいでん)が現れた。一般参拝者用の参拝施設である。右端には既に来年午(うま)年に対応した令和八年用の巨大絵馬が置かれていた。うーん、否応なしに年の瀬を想わずにはいられない


橿原神宮外拝殿よりみた内拝殿とその上から覗く本殿の千木・鰹木

京人の低認知度と復活妄想

そして外拝殿に上がり、写真正面奥の内拝殿(ないはいでん)越しの本殿に参拝。撮影は社務所の許可を頂き行った。

流石は広大かつ厳かな場所。内拝殿上から千木(ちぎ。棟上交叉材)と鰹木(かつおぎ。同水平材)が覗く本殿は幕末建造の宮殿施設らしく、明治23(1890)年に橿原宮が創建された際に京都御所から移されたという。

以上、これにて橿原神宮初参拝を果たす。先週、偶々気づいた出先の神武陵を機に興味を得た神宮を、奇縁あって訪れることが出来た。

こういう機会がないとほぼ訪れない場所だったので良い体験となった。元来、橿原神宮の名は列車の行先に含まれるので近鉄線で奈良に行く京都人は必ず耳目にするが、実際行ったことがある人が少ない社といえた。

私も全くその通りで、社寺に興味はあっても奈良特有の古代遺構の範疇から外れるので興味がなく、誰を祀っているのかも知らなかった。

勿論、戦前育ちなら、遠足に最適の立地・性質を有す場所なので、多くの京人(きょうびと)も小時から半ば強制的にでも連れられ、知っていたかもしれない。

まあ、今は政教分離・観光優先の時代なのでこの有様だが、先週の神武陵の現況と合わせて色々考えさせられた。

ただ、ひょっとして近い将来ここがまた当初の役割を取り戻す日が訪れ、その為に神宮が完璧な姿を保持して待っているのではないか、という妄想も、ふと浮かんだ。

とまれ良い場所である。広大かつ風光明媚で施設も整っている。また、自然観察・散策にも向いており、背後の畝傍山への登山口すらあった。

是非またゆっくり巡りたいと思い、人にも勧められる場所だと感じた。


橿原神宮神苑外れに密かに佇む空母瑞鶴之碑
橿原宮神苑外れの苑地内に佇む「瑞鶴之碑」。碑文台座にその艦影が掲示されている

秘められた慰霊碑
終らぬ昭和と戦後


橿原宮参拝後、北神門を出て仕事場方向へ移動する。暫くは深い神苑の森が続き、畝傍山への登山口等も現れた。

そして、北参道から外れ、現場への短絡小径を進むと、やがて明るい苑地に出た。若桜友苑(わかざくらゆうえん)と名づけられたそこには、幾つかの戦没者慰霊碑があった。

中でも異彩を放っていたのが、写真の「瑞鶴之碑」。旧日本海軍の航空母艦の一つ、瑞鶴(ずいかく)とその戦没者を顕彰・慰霊する施設であった。

瑞鶴といえば、旧日本海軍の主力空母の一つで、かの真珠湾作戦に参加したのちに幾つもの激戦を生き抜いた為、幸運艦とも呼ばれていた艦。

しかし、昭和19(1944)年秋のレイテ湾突入戦の囮となり、米軍機の集中攻撃を受け、奮戦空しく遂に海没し、その命運は尽きた。

そして、事後の救助が困難だったこともあり、多くの死者を出し、正に碑文傍の大きな銅板にその膨大な名が刻まれることとなったのである。

ただ、悼むのみ――。

実は、事前に橿原宮参拝の予定を組む際に、偶然図上でその珍しい存在を発見して気になり、寄るつもりでいた。それは、私自身、同じ比島方面で親族をなくしていることも関係した。

参道から外れ、知る人ぞ知る存在と化している施設の姿に、先週の神武陵の如く、戦後の極端な世相を感じさせられた。

嘗て、この様な施設への憐憫・敬慕を示す人に対し、右翼や国粋主義者と誹謗した多くの声を思い出す。この場所がこのまま日陰の存在である限り、昭和も戦後も終らない思いに、改めてさせられたのであった。

そして、施設での黙祷後、また深い森を抜け市街地の仕事場へ戻った。今日も僅か1時間足らずの休息見聞となったが、実に感慨深きものとなった。

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2025年12月05日

帝陵無人

畝傍御陵前駅の駅前からみえた建屋上に覗く畝傍山

神話・万葉の地「畝傍」へ

駅前の建屋群から頭を覗かせる紅葉の小山――。

写真の通り、小山ながら何処か無視できないその姿は、奈良盆地南部にある畝傍山(うねびやま。標高198.8m)であった。

所謂「大和三山(やまとさんざん)」のひとつで、記紀神話や万葉集を始め、古来多くの伝説や歌に記された歴史的名山である。


大和棟風の屋根をもつ近鉄橿原線・畝傍御陵前駅の駅舎

普段縁のないそこに今朝来たのは仕事の関係による。それは、その現場が写真の畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)最寄りの為であった。

奈良・大和地方特有の「大和棟」風の急斜屋根をもつ駅舎の向かいに上掲写真の駅前通りがあり、畝傍山が覗く。

やはり、駅自体が山を意識して造られていることは確実であった。それは一体如何なる理由であろうか。


御陵敷地内にある宮内庁書陵部事務所
御陵敷地内にある宮内庁書陵部事務所

初代帝陵初参拝

畝傍御陵前駅付近での仕事を済ませ帰路につく。しかし丁度昼時だったので、昼休みがてら駅と畝傍山に関する施設に寄ることにした。

それは、畝傍山麓にあり、仕事場近くにあった神武天皇陵。神武帝といえば我が国の初代天皇で、建国神話上の英雄。

伝説的人物とはいえ、日本人や国にとって重要な存在であるその人の陵墓がここにあることを、恥ずかしながら今日初めて知った。

記紀の記述によると神武帝は畝傍山麓で即位し、そしてその東北に葬られたという。つまり、御陵前駅はその伝説に基づいて後世整備された陵墓の参詣駅だったのである。


神武陵境内にある宮内庁書陵部事務所玄関
神武陵境内にある宮内庁書陵部事務所玄関。陵墓管理棟とみられ、重要陵墓に相応しい伝統的かつ品位ある建築。裏口的な道の途上にあったが、職員らしき人に「ここからでも参拝可能」との話を聞き陵前に進む


広大な前庭や敷地をもつ神武天皇陵
事務棟を過ぎると広大な前庭をもつ神武陵が現れた。表参道は鳥居の対面に続くので、ちょうど横から入った形である


神武天皇陵正面と神明鳥居等

初代帝陵で見た落差

そして、正面にて参拝。陵墓特有の神明鳥居向こうの環濠内の森なかにあるらしい方形土壇墓は元はミサンザイ古墳と呼ばれ、記紀の記述や小字(こあざ)地名等に依り幕末に治定されたという。

ただ、他の史料から、古代から神武陵はこの辺りにあったらしく、それはミサンザイの北に隣接する古い土壇「塚山(現第二代・綏靖天皇陵)」や畝傍山中の塚ではないかと推測されている。

ミサンザイや塚山が本格的に整備されたのは近代明治以降のこと。隣接する神武帝を祀る橿原神宮(かしはらじんぐう)の創建に合わせ、国民国家の象徴・国家神道の要所として拡張されたようである。

それにしても、私以外全く人がいない。周辺の緑地を含め、明治神宮の如き広大荘厳なその規模との落差を感じ得ない。

神武陵を訪れたことにより、駅が造られたことを含む戦前までの当地の隆盛が想像出来たが、逆に戦後の急変も思い知らされた。

国民から忘れられた初代国王墓の姿は、兎角極端に走った観のある日本の戦前・戦後を象徴するようにも思われたのである。


人が全くいない神武天皇陵表参道と神苑
人のいない神武陵表参道

所思深き休息終え帰京

神武陵参拝を終え表参道から境内を抜ける。参道両脇には正に神宮内苑の如き厳かで深い森が続いていたが、やはりそこにも全く人が居なかった。

嘗ての戦前の日の如く、また京師の昨今の観光地の如く、再びここが隆盛を得る日は来るのであろうか。そんなことを考えつつ陵地を出た。

その後、近くに食事の場がないため、念のため持参した軽食を公園で食し、また畝傍御陵前駅から帰京した。

僅か30分足らずの休息見聞であったが、その思う処は深いものとなった。

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2025年11月03日

北山如何

京都北山の高所集落の道際の苔上に載る黄葉落ち葉

秋の近隣高地へ

三連休最終日(自身は全休に非ず)の月曜祝日の今日。

京盆地北の北山(きたやま。丹波高地)にある知人宅を訪ねた。頼まれ物の受け渡しがあり、そのついでに彼の地の紅葉具合等を視察するつもりであった。

朝から生憎の雨で、それが止む昼過ぎまで足止めとなったが、なんとか出発。予報では山際辺りで再度雨雲に捉まる予定だったが、幸い外れて無事山越えが叶い、現地入り出来た。


上掲写真 京都北山にある高所集落の道際の苔上に載る黄葉落ち葉。


京都北山の黄葉と北山杉、そしてその奥の茅葺(鋼板被覆)古民家
京都北山の黄葉と北山杉、そしてその奥の茅葺(鋼板被覆)古民家


夏より水量が増えていた京都北山・灰屋川源流の沢
秋雨の所為か、夏より水量が増えていた京都北山の沢

多分に漏れぬ警告受く

知人のところでは届け物を渡し、暫し話し込む。最近、北山の山中や集落で熊の目撃が続いているため、注意を促された。

うーん、恒例の秋の北山入りや冬の雪山入りは控えた方がよいか……。

貴船等の山麓での出没も報道されていたので、覚悟していたが、改めて今年の異常振りを思わされた。

また、紅葉の具合を訊くと、まだとのこと。個人的な観察では貴船・鞍馬は未だだが、付近を含めた標高600m以上の場所はそれが始まっているように見えた。


芹生峠北の伐採施工現場

破壊的現場如何

知人との語らい後、集落を後にする。手作りの郷土食をお土産に頂き――。

本来はもう少し奥地も視察したかったが帰路へ。天候が安定しないため致し方なし。その途中、以前目撃して関係機関に通報した伐採現場を視察。

先程の知人との話にも出て、私の対応と教示に感謝され、状況が改善された旨を聞いたが、現状を確認したかった。

写真は到着したその現場。聞いていたように、新たに谷の反対側への施工が始まっていた。


芹生峠北の不適切施工現場の指導修復跡?
これは以前遭遇した側の伐採現場。確かに伐採木やその枝葉が片付けられ、沢の埋没も取り除かれ濁水も出ていない。ただ、改変された地形の原状回復は甘く思われた。山裾の切り跡には土の被覆も見られたが、不自然な状態で、風雨ですぐ流出するように見られたのである


芹生峠北の伐採作業で切り刻まれた尾根

すんなりいかぬ山施工

また、谷の反対側の新たな施工現場も、写真の如く尾根を切り刻んでおり、破壊的施工と視認せざるを得ない状況であった。

よって後日一先ず再通報することにした。もし問題あれば是正を依頼し、問題ないとの回答なら、認識を改めてもらうよう要請するつもりである。

危惧していた通り、中々すんなりとは、いかないものである。

さて、山を下り、市街に至って帰宅。その後また雨が降り始めたので、丁度その隙に帰れたのは一先ず幸いであった。

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2025年09月30日

改登探勝(下)

平湯の野営場の樹間から覗く笠ヶ岳

秋の奥飛騨行最終日

北アルプス登山中止による代替飛騨観光3日目。

即ち最終日で、今日午前から帰途に就く予定であった。本来登山を実施していれば予備日となる日である。

昨晩泊った野営場は夜半から気温が下がり、最低8度程を記録した。暖房器具が必要な程の気温で、小屋泊ながら少なからぬ寒さを覚えた。

本来泊る予定だった高山稜線上の野営場なら氷点下の寒さだったかもしれない。昼はまだ夏の暑さだったので、その極端に少々驚かされた。

また、昨晩再び雨が降ったが、未明頃に満天の星が見えるようになっていたことにも、極端を感じさせられた。そして今朝、写真の如く、野営場の樹間から雲のない高地の峰が現れた。

本来登る筈だった北アルプスの名峰・笠ヶ岳(標高2898m)である。最終日にして漸くのお目見えであった。


奥飛騨温泉郷の平湯野営場より望遠撮影した、晴空に聳える笠ヶ岳
奥飛騨温泉・平湯より見た笠ヶ岳(望遠撮影)。雲一つない素晴らしい姿だが、まだ夏山的に感じられた。本来ならあの右肩に野営し、昨朝右稜線を縦走していた筈で残念だが、今は仕方なし。またの機会、楽しみとしょう


野営場での焚火調理準備
今朝も折角なので焚火での調理を行う。前夜、石とシートで炉台を覆い、雨対策したお蔭で、比較的早く点火することが出来た


平湯で焚火調理したソーセージやスクランブルエッグ、スープ等の朝食
焚火で調理した今朝の食事は、山之村の牧場の腸詰や炒り卵等を挟んだパンや夕食の残りのスープ等であった。今回は登山が中止となったお蔭で、この様な野営的食事と宿の食事の両方を楽しむことが出来た


天候が回復した平湯野営場の朝の森
山上も麓も天気良し。昨日の曇天や雨が嘘のようである。そして、気温もみるみる上昇し、また半袖半ズボンに着替えての出立となった


奥飛騨からの帰路の車窓に現れた伊吹山
奥飛騨からの帰路の車窓に現れた伊吹山(標高1377m)。麓の不破関(関ヶ原)と共に古来近畿の玄関を為し、自身にとっての、その象徴的存在

高山市街経て帰京

そして、途中、高山市街での買物等の寄り道を経て、車行にて帰京したのであった。

まあ今回は山には行けなかったが、これも悪しからず。お疲れさんでした!

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2025年09月29日

改登探勝(中)

鍋平よりみた雨上がりの靄に煙る錫杖岳

やはり雨の奥飛騨2日目

北アルプス登山中止による代替飛騨観光2日目。

前夜予報に反して雨はなかったが、日が変わった深夜から結構な雨音を寝耳に聞いた。

そして、空が明るみ始めた早朝もそれは続き、6時過ぎに寝覚めの温泉に入った際の露天風呂でも身に当った。風は少なく感じられたが、麓の谷なかなので山上のことは解からない。

まあ、野営登山には完全に不向きな状況であることには変わりないため、中止の判断を肯定できた。


上掲写真 笠ヶ岳隣の錫杖岳(標高2168m)の朝の様子。雨が上がった10時過ぎに蒲田川対岸の鍋平(なべだいら)より望遠撮影したものだが、山上の荒天を感じさせた。


朴葉味噌や温泉卵が付く栃尾温泉の宿の朝食
朝風呂で目を覚ました後は、宿ならではの早めの朝食を摂る。夕食に比して一見質素に見えたが、温泉卵や朴葉味噌等も付き、何れも美味で、満足させて頂いた。勿論、またお櫃のご飯付


前夜の雨で増水する新穂高温泉付近の蒲田川

登山口・新穂高視察

朝食後は今晩の宿である野営場に電話して野営を小屋泊に替えてもらう。濡れた地面や今後の雨の面倒、また同行者の寒さへの不安の為であった。

そして宿を出て、次回のために車道奥の登山口辺りを視察。所謂、新穂高温泉で、何度か来た場所ではあったが駐車場等の施設状況を実見した。写真はそこを流れる蒲田川。やはり前夜の雨で増水している。


雨で増水した、新穂高温泉左俣の奔流
更に笠ヶ岳登山口に通じる左俣の沢を見れば、この通りの恐ろしい様となっていた。落ちたら一溜りもない水音轟く奔流状態。登山を決行しても、こんな主流を渡渉することはないが、他の渡渉場の難儀が窺えた


奥飛騨・中尾温泉奥にあった地熱発電所

鍋平・中尾温泉初視察

続いて新穂高傍にある鍋平を視察。蒲田川東岸上にある比高200-300m程の高原で、麓の新穂高で駐車地が確保できない場合の代替地として知られるが「幸い」来たことがなかった。

つまり、そこに駐車して笠ヶ岳や槍ヶ岳を目指すと、一旦徒歩で新穂高まで下り、帰りにまた登り返す必要があるため避けてきたのである。

今日は高原上にある西穂高方面へのロープウェイ駅周辺共々視察したが、駅入口に強風に因る運転見合わせの注記があった。やはり山上は風が強いのである。これで完全に今回の山行中止を肯定することが叶い、諦めをつけられた。

その後、鍋平南の中尾温泉も視察。写真はその奥で、焼岳登山口近くにあった地熱発電所。中尾温泉では方々で熱水の流出を見たので、共に名立たる活火山麓であることを感じさせられた。


遊歩道終点よりみた雄大な平湯大滝の姿

今晩の宿所・平湯へ

中尾の高原を下り、麓で食材の買出しをして今晩の宿泊地・平湯に向かった。新穂高下の街から車で15分程の近さで、奥飛騨温泉郷の中核的場所であった。

先ずは予約した小屋に入り、泊りの準備を整えたあと、一休み。受付の人の好意により随分早めに入室出来たので助かった。

その後、写真の平湯大滝を見に行く。7月にも行ったが、その時は大雨で近づけなかったための再挑戦。国道から歩いて行ける稀有なその雄姿を改めて体感した。


平湯の公共温泉・平湯の湯の女風呂と男風呂
平湯の公共露天風呂「平湯の湯」の女風呂(左)と男風呂(右)

大滝の次は平湯の公共温泉を視察。現代的温泉街と化している平湯の原初的姿が残る場所である。時間が早いので入湯しなかったが、次回入りたくなるような良い温泉・施設であった。


平湯民俗館兼休憩所である合掌造古民家・旧高桑家
平湯公共温泉の傍にあった休憩所兼民俗資料館。サービスは自販機のみの無人施設だが、完璧に整備・整頓されている驚くべき施設であった。見ての通り、富山の合掌造古民家を移築したもので、建物自体も価値があった


平湯民俗館内部の囲炉裏
平湯民俗館の内部。屋内各所が湯上り等の休憩所として惜しみなく開放されている。どこも美麗かつ、建築史・民俗学的にも為になるという稀有で素晴らしい施設であった


平湯民俗館2階の合掌造屋根裏と古民具展示
そして平湯民俗館は屋根裏にも上れ、そこには古民具が展示されていた。白川郷古民家同様の稀有な内部を温泉街傍で無料で見られることに感謝


屋根に苔が付き水はけが悪くなった平湯民俗館の旧豊坂家住宅
同じ平湯民俗館の施設ながら残念だったのがこの古民家。神岡近くから移築された旧豊坂家で、築300年程という貴重な建築だが、屋根に傷みの原因となる苔が付いたままで、土足禁止の内部も土砂だらけで入ることが出来なかった。正に当地に近い奥飛騨の建築だけに、非常に残念に感じられた


床が土砂で汚れて入室できない、平湯民俗館・旧豊坂家住宅内部
平湯民俗館・旧豊坂家住宅内部。玄関より覗いて撮影。古式の民家構造を伝える非常に貴重な史料だが、残念ながら床が汚れていて入れない。恐らくは不届き者か、日本語が読めず靴を脱ぐ習慣のない外人が最初に入って汚れ、その後土足で入らざるを得なくなった参観者(これも不届き者)により更に床が汚れたとみられる。なんとか改善を!


中部山岳国立公園奥飛驒ビジターセンター
公共温泉及び平湯民俗館からの帰り、バスターミナル傍にこの様な新しく洒落た建屋を発見。それは「中部山岳国立公園奥飛驒ビジターセンター」と記された建屋で、周辺の乗鞍や槍・穂高連峰や奥飛騨温泉郷等の自然や文化・観光の情報を提供する公共施設であった


中部山岳国立公園奥飛驒ビジターセンター内部
奥飛驒ビジターセンターの内部。北アルプスの地質や鉱物等の解説・展示等があるほか、バス待ち等用の休憩室もあった。良い施設だが、あまり知られていないのか、バスターミナルに比して人が少なかった


雲に覆われ笠ヶ岳が見えない、奥飛騨ビジターセンター前広場
ビジターセンター前の広場から見たバスターミナル方向。センター内の説明によると、この正面上空に今回登る筈だった笠ヶ岳の象徴的で美しい姿が見えるとのことだが、今日は雲に覆われこの通り


平湯で借りたロフト付の小屋
徒歩による平湯見学を終え小屋に戻る。2階(ロフト)付、水場・便所付の、テントに比して格段に快適な施設だったが、宿よりかなり安く、助かるものであった。ともかく、天候を心配せずに済むのは有難かった


火持ちの良い広葉樹薪の焚火による飯盒炊爨
火持ちの良い広葉樹薪の焚火による飯盒炊爨

早めの調理で野営的夕食叶う

そして、夕方から調理を始め、早めに夕食を済ませた。小屋の露台で使えるガス器具もあったが、折角なので外での焚火調理で。

食したのは、7月同様、飯盒炊爨と飛騨牛等のご当地食材の組み合せ料理であった。小屋泊ながら、これで野営的醍醐味も味わえた。

食後は近くの温泉施設へ。7月にも行き、気に入った施設だが、変らず良い湯で素晴らしい露天風呂であった。ところが、なんとその帰り頃から、まとまった雨が降ってきた。早めに調理して助かったのである。

小屋に戻ってからは、昨日買った日本酒等を味わいつつ暫し語らい、その後、就寝した。

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2025年09月28日

改登探勝(上)

飛騨古川の白壁土蔵街と鯉泳ぐ瀬戸川
岐阜県北部山間の街・飛騨古川の白壁土蔵街と鯉泳ぐ水路「瀬戸川」

登山改め飛騨観光

テレビドラマやコーマシャルなどで有りがちな表題写真で恐縮だが、今朝、飛騨古川を訪れた。

今年7月末に続く飛騨行。その際「年に一回は」と、ここ数年決めていた一万尺(標高3000m前後)登山に適う、乗鞍剣ヶ峰(標高3026m)にも登頂したが、大半をバスで上る初級的道程だったため、満足感に乏しかった。

その為、以前から気になり、何時か登るつもりでいた北アルプスの名峰・笠ヶ岳(同2898m)に登らんと1泊2日の山行を計画。温泉目的の同行者の支援を受け今日早朝から登るつもりで前夜飛騨入りしたが、今晩からの悪天候が決定的となったため中止の判断をした。

今昼までは好天予報だったが、今晩から本降りとなり明日夕方まで続くことがほぼ確定。雨だけなら影響は下山時だけだが、風速が15m以上との予報もあり、標高2750mの吹き曝しでの天幕野営の困難と危険も考慮した。

残念無念。しかし、これも身の為・人の為で、致し方なし。

よって、今朝、今晩同行者が泊る予定の温泉宿に電話して同宿の許可をもらい、午後の入館まで近くを観光することにした。その最初に、古川の街を訪れたのである。実に数十年ぶりで感慨深い。


飛騨古川旧市街のメインストリート「壱之町」に並ぶ造酒屋や町家
飛騨古川旧市街のメインストリート「壱之町」に並ぶ造酒屋や町家。何れも積雪に備えた当地ならではの造り

古川旧市街

街歩きはお馴染み白壁土蔵街から始め、方々を巡る。写真を撮ったり、酒蔵で今晩用の冷酒を買ったり。

街は昔より垢ぬけたというか、古街保存が進んだ様子。人気に胡坐をかいて街並み崩壊を起こしている京都も見習うべきと改めて思わされた。


飛騨古川の壱之町と大横丁通の角にあった瀟洒かつユニークな洋館町家
古川の壱之町と大横丁通の角にあった洋館町家。声をかけられた向かいの案内所の人の話によると、元写真館等の建屋で、当地著名な料理旅館の創建とのこと。中々瀟洒で特色ある存在。そして、その残存に感心。一時京都に住んでいたという案内所の人と暫し話したが、今は人が少ないこの街でも時期により外人観光客が多く、一部のマナーの悪さが目につくらしい


神岡城(東町城)の模擬天守等の施設

夢のあと神岡と郷土館

古川旧市街を一巡し、その後、その東方奥の神岡の街に移動。奥黒部に行く際いつも通っていたが、観光目的で訪れるのは初めて。

正に奥飛騨の名に相応しい地区だが、鉱業が盛んな時代は古川や高山より発展し栄えたという。古川の案内所の人が語った子供時代のその眩しさが印象的であった。

今は閉山し鉄道も無くなったとはいえ、地区の中核であることには変わりなし。特に近年はノーベル賞関連施設により観光地としての側面も持つ。

今回我々は写真の神岡城を見学。戦国期の遺構上に戦後施設を建てたものだが、鉱山資料館と公開古民家等がセットになっており見応えがある。


神岡城天守屋上より眺めた神岡の街
地区(高原郷)の歴史資料館(郷土館)ともなっている神岡城天守屋上より眺めた神岡の街。高原川が貫流する山間の街であることがよくわかる。そして、その中は案内所の人の証言通り多くの商店・飲食店跡があった。天守等の施設は史料的裏付けのない所謂「模擬建築」だが、街のシンボルとしての存在に感心させられた。昭和中期にこれを企図した先人の慧眼や、実行した鉱業所の理解、そして維持改修に尽力する今の関係者各位に敬服。掘割等の縄張もほぼ古図通りであるらしいことにも好感をもった


神岡城前に建つ旧松葉家住宅
神岡城天守の門前に建つ。旧松葉家住宅。明治元年築の古民家で、近隣から移築された保存建築(県指定文化財)。地区の標準的な造りをもつ民家で、改装されておらず、随所に当地の特色がみられるという


旧松葉家住宅内部1階部分
旧松葉家住宅内部。1階部分で、板間を切り欠いた狭い玄関土間があるなどの特徴があった


旧松葉家住宅1階奥角部屋の客間
旧松葉家住宅1階奥角部屋の客間


旧松葉家住宅2階
旧松葉家住宅2階。中央は1階の吹き抜け部分となっているため、その周囲を巡る回廊状の部屋となっている。元蚕部屋らしく、今は古民具が展示されている


縄がらみが美麗で迫力ある旧松葉家住宅3階
旧松葉家住宅3階は、この通り白川郷の合掌造同様の屋上風情。梁や柱を留める「縄がらみ」工法の迫力や美麗さに感心。ここには比較的大型の古民具が展示されていた


山之村の観光牧場から見えた、里山越しの飛騨山脈(北アルプス)の高峰

奥黒部西麓・山之村

神岡の次は更に東の山之村へ。奥黒部西麓に当る地区で、正に飛騨の最果てとなる。標高は900m弱の高地であった。

写真は、そこの観光牧場から見えた里山越しの飛騨山脈(北アルプス)高峰。去年と一昨年に接近・通過した北ノ俣岳(中央最奥左の峰。別名上ノ岳。標高2662m)や赤木岳(同右の峰。標高2622m)である。

雲が多めだが、14時過ぎのこの段階では主稜線はまだ晴れているようであった。


山之村のジビエ食堂の限定・鮎飯定食
山之村に寄ったのはこの昼食が目的。7月や去年も寄った食堂で、今回は限定の鮎飯定食を注文。地元産尽くしの逸品で、カレーや汁も確り熊や猪肉入りの特製ジビエ仕立てであった。美味かつ良心価格で有難い限り。土日限定の店なので、本来登山決行なら寄ることが出来なかった。これも縁か


山之村縁の峠近くの2本の湧水
山之村では先に昼食を摂ってから名産のトウモロコシを買うため牧場に寄ったが、既に売り切れたあとであった。まあ日曜で人も多かったのか、仕方なし。その後、宿へ向かうため来た時とは異なる峠道にて山之村を出た。そのなだらかさ、道の良さに往路の過酷さを改めて実感。途中、7月と同じく峠近くの路脇で湧水を汲む。山肌から出る水を導く2本の樋があるが、何故か左の水が甘いということが今回判明したためそちら側を頂いた


高原川を遡上する道沿いに見えた焼岳

奥飛騨温泉郷へ

山之村の高地を下り高原川沿いを遡る。前方谷奥には写真の様に北アルプスの活火山・焼岳(標高2455m)が見え隠れする。

時は15時過ぎだが、既に山頂に雲が付いている。予報以上に天候悪化が早まったか。

焼岳は長野・上高地側から見るのとは違い岐阜側の姿だが、山頂下の山肌から噴煙が上がっているのが見えた。間もなく到着する奥飛騨温泉郷の源的山である。


栃尾温泉近くの蒲田川の澄んだ水
程なく笠ヶ岳麓の宿に入り、一先ず温泉に入り休んだ。今晩からの雨の所為か、客は少なく、浴場・露天風呂も独占状態であった。その後、折角なので付近を散策。写真はその際寄った蒲田川。高原川の上流部分で、笠ヶ岳の他、槍・穂高等の名立たる高山の水を集める川である。低気圧接近の所為か、古川や神岡より高所ながら程よい気候。熊注意の掲示があったので慎重に行動した


奥飛騨温泉民宿の美味しく豪華な夕食

意外かつ嬉しい接待で日終える

そして宿に戻り夕食に。宿で夕食とは久しぶりの体験。

民宿を名乗る今時珍しい良心価格の宿だったが、実際は古いながらも旅館に近い設備で、古民家を利用した食堂で写真のような地場料理尽くしの豪華かつ美味なる食事が頂けた。

意外かつ嬉しい接待に感謝。そして、これまた久々のお櫃ご飯にも感銘。その後、部屋で古川で買った冷酒等を楽しみ、一日を終えたのである。


代替奥飛騨観光の各日一覧はこちら。

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2025年09月07日

夕方避暑

京都市街西部の避暑地の川と河原に寝そべる水着の若者

9月ながら酷暑続く

9月に入ってもとんでもない暑さが続く。

ほぼ熱帯夜を伴うそれは、あたかも8月初旬の盛夏頃に戻ったように想わされ、または永遠にそれが続くようにさえ感じさせられた。

6月下旬からずっとこの調子。最初こそ「災害級の暑さに用心!」などと報道されていたが、延々と続くので何時しか言われなくなった程であった。

今日は昼過ぎまで出掛けていたが、あまりの暑さに収まりがつかず、午後遅くから近場の水辺に涼みに行った。写真はその場所。

ちょうど京都市街西部に用があった関係の最寄り地で、普段あまり行かない地。写真をよく見ると、水着で河原に寝そべる若者の姿が見える。

考えることは皆同じか。


京都市街西部の避暑地の川
堰堤等のお蔭で少し泳ぐことも出来る近場避暑地の川

近場避暑地とその保全に感謝

基本、京都人しか来ないこの水辺に久々に来たが、当初は外人で混みあっているのではないかと危惧していた。しかし、実際は邦人の親子連ればかりで杞憂に終る。

ただ、着いたのが夕方近くだったので、根本人が少なかっただけかもしれない。

以前、あまりの暑さに観光客が貴船等の涼しい場所に殺到しているというニュースを知ったが、自分ならこんな時期での京都旅行自体を止めるのだが。不思議な傾向である。

さて、昔よく来た馴染の水場で水浴等して涼む。山間ながら標高が低い場所であまり期待していなかったが、意外と奥地の貴船同様の涼しさがあった。川筋を下る山風の所為か。

そして、僅か1時間程の滞在だったが、十分涼むことができ、また気持ちの収まりをつけることが出来た。思い立って行ける超近場的避暑地の存在や、以前と変わらぬ自然・環境に感謝。

どうか、これからも過剰来訪(オーバーツーリズム)の悪しき影響を受けず、美しい姿のままでありますように。

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2025年08月24日

'25北山避暑(下)

京都北山の山上集落の清冽な沢水

避暑成功、ゆるりと涼む

恒例の京都北山避暑2日目。

既述の通り、細やかな近場避暑泊で、今日には帰る予定であった。ただ、通常的営業ではない懇意の宿なので、例年の如く、午後遅くまでゆっくりさせてもらうつもりであった。

どうせ早く京都市街に帰っても猛暑の過酷が待っているのみ。それ故、通常より長く山上の涼しさに居させてもらえるのは有難い限りで、この上ない贅沢でもあった。


上掲写真 京都北山の山上集落の清冽な沢水。所謂「低山」のみの近畿の山中なので氷河や万年雪が有る訳ではないが、冷たいこと、この上なし。


身を浸した京都北山の山上集落の清水
昨日に続き、また身を浸した京都北山・山上集落の清水

今日は意外にも朝から結構な雨が降り、しかも、それが2度あったが、その後は晴れたり曇ったりの繰り返しであった。

贅沢な地場物尽くしの朝食後は、そうした状況を屋内で遣り過しつつ、宿一家と集落に関する貴重な史資料を見せてもらうなどして過ごした。

そして、天気が回復してからは、昨日同様、沢にて水浴。空調不要の気候とはいえ、やはり暑さはあり、また日々身体に蓄積した暑熱の如きものもあったため、爽快であった。


京都北山の山上集落の沢岸に自生するクリンソウ
沢岸に自生するクリンソウ。毒草ではあるが、鹿が食す場合があるため、減っている地域があるとのこと


京都北山の山上集落上空に現れた雷雲とその頂部から射す後光
午後遅く現れた3回目の雷雲と、その頂部から射す後光。今にも強雨を落としそうな雰囲気であったが、結局外れて帰路の無事を得た

午後も昼寝等してゆるりと過ごしたが15時過ぎに出立することに。しかし精算後も女将さんと話が弾み、結局16時過ぎに退出することになった。

麓の暑さが気になるが、出立つが遅く出来たのでそれが軽減出来そうなことは有難かった。避暑は成功、今年もゆっくりさせてもらい、感謝!


京都北山芹生峠北の山上保安林で行われる、地形を改変するような酷い伐採施工

破壊的施工視察し帰宅

帰路、往路目にした山中の酷い伐採現場を視察。写真の如く、山肌を切り刻み、地形を改変するとんでもない施工であった。

ここは淀川の源流域で、重要流域保安林という特別に注意すべき森。たとえ民有地であっても勝手なことが許されない公共性の高い場所であった。

これでは次の大雨で土石流が発生し、下の集落を襲いかねない。更に道際の沢も埋められ水が溜まって危険な状況である。そもそも、ここは渓流魚の密か、かつ豊かな繁殖地であったが、それも壊滅状態にされていた。

怒り心頭――。

実は、その濁水が宿下流まで達していたため、集落の人々も心配していたという。その為、監督官庁に通報せんと、帰路その有様を撮影するつもりであった。以前接した遺跡破壊に限らず色んなことが起こるものである。

呆れた施工現場を撮影後、山を下る。京都市街には別の雷雲が接近し怪しい気配があったが、何とかそれに捕捉されず無事帰宅することが出来た。

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2025年08月23日

'25北山避暑(上)

京都北山の山間集落に咲く白い百日紅(サルスベリ)

恒例の近場避暑
今年は道規制有


今日は恒例の北山避暑。

馴染の山間民宿にて1泊するという細やかなものだが、毎年楽しみにし、また受け入れ先の女将さんの励みにもなるという個人的重要催事であった。

今年は、麓の道が11時から閉鎖されるとの情報を事前に宿から得たため早めに出掛けた。いつもは昼過ぎに宿入りしていたが、麓がインバウンド(訪日客)等の過剰来訪に耐えられなくなったとみえ、仕方なく思った。

その状況には、特に近年の暑さが影響しているようであった。即ち、京都の暑さに参った訪日客が周辺の納涼地に集中し始めていることも関係しているかと思われた。

その情報源は配信ニュースだが、そもそも東アジア一ともされる猛暑の日本に態々来ること自体を疑わざるを得ない状況といえた。旅行業界にどう煽動されているのか知らないが、こんな状況で闇雲に来るのはいい加減止めてもらいたい。

このままでは「おもてなし」どころか、観光拒否運動で有名な、西班牙の観光都市バルセロナのようになってしまいそうである。


上掲写真 京都北山の山上集落に咲く白い百日紅(サルスベリ)。赤の花も悪くないが、最近の猛暑では、やはり白が涼し気で良い。


京都北山地区の古民家屋根。元茅葺の鋭い傾斜は冬の多雪を想わせる
京都北山地区の古民家屋根。元茅葺の鋭い傾斜は冬の多雪を想わせる

やはり涼しい山上にて

さて、早めに家を出て、11時前に麓を通過し無事山上の宿に到着。事前に相談していたので、例年より早めに入らせてもらった。

本来当地では少ない湿度こそ多かったが、やはり今日も猛暑予報で既に朝から途方もなく暑かった京都市街と比べれば、空調は疎か扇風機すら不要の涼気があった。


京都北山地区の谷川
同じく京都北山地区の谷川。今朝九州を横断し終えた台風の所為か曇っていたが散策には好都合だったので宿で話題となった石仏見学等に出掛けた


京都北山の路面に流れ出た湧水を飲むミヤマカラスアゲハ
散策中の車道上で遭遇したミヤマカラスアゲハ。路面を流れる湧水を飲んでいたと思われた。珍しい蝶ではないが美しい姿であることに変わりなし


車道下の未知遺跡とみられる大きな平坦地
車道下の大きな平坦地。川岸にあるが明らかな人為地形で恐らく前近代の集落か寺跡かと思われた。そうならば自治体が把握せぬ未知遺跡となる。勿論耕地の可能性もあるが、それを否定する有力な物証と伝説があった

恒例?の水浴に風呂・夕食で日を終える

散策後、宿に戻り、川での水浴を行う。いつものことだが、水が冷たすぎて極短時間しか入れなかった。本来は深みで少し泳ぎたかったが叶わず。まあ、これも恒例行事的な行いなので、一先ず水浴出来れば良し。

夕方の入浴では、先月負った怪我にも効く薪沸かしの風呂に長めに入らせてもらうなどした。

そして、地場産・手作りの夕食に。途中、女将さんとも語らいながら、その美味を楽しませてもらいつつ、山上での一日を終えたのであった。

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2025年07月13日

近郊避暑

安曇川上流の流れとその河岸集落

連日の猛暑うけ

京都市街では先月末からずっと猛暑日が続く。梅雨が早く明けた分の全てが猛暑日に割り当てられたかのようである。

以前の長期予報では去年程暑くはならない、とされていたのに、一体どいうことであろうか。既に去年を超えるようなこんな有様では人の健康は無論、農林畜産漁業や資源などの方々に影響が出ざるを得まい。

そんな昨今の暑さもあり、今日は友人と近場に涼みに出た。目的は琵琶湖か川での鮎獲りだったが、私自身は避暑の心積もりが大きかった。

ところが、当日、いつもは漁労主体の友人も、今季の不漁を理由に、早々諦めて避暑・水遊びの心積もりであることを明かした。

よって、今日は私が良く知る、京都東部から近い、大原奥や琵琶湖水系・安曇川上流に行くことにした。


上掲写真 安曇川上流の流れとその河岸集落。標高が高く、冬は雪深い場所だが、今日は夏らしい陽射しと空気に包まれていた。京都左京区に源流をもつ安曇川(あどがわ)は、丹波高地(京都北山)と比良山脈(滋賀西部)狭間のこの山間を北流し、琵琶湖北西部に注ぐ。


安曇川上流の流れと森
友人の車で当初大原奥の渓流を目指したが先客がいたのでやめ、更に北の安曇川上流への峠越えを行う。そして、その河岸で下車し徒歩で更なる上流を目指した。辿り着いたのは人家の絶えたこのような地。完全な山地風情となったので、熊等の獣に注意しつつ場所を定めた


安曇川上流の流れと簡易屋根のある河岸の寛ぎ場
川原に僅かな砂地を見つけて寛ぎ場を設営。場所柄、然程暑くはなかったが、陽射しは強力だったので、写真如き簡易的日除けを設けたりした


夏空下にはだかる緑濃き夏の比良山
夏空下にはだかる緑濃き夏山(比良山地)

有難い近場の避暑地

そして、夕方まで安曇川上流で寛いだが、結果正解であった。前の浅い淵で泳いだりしたが、大変水が冷たく、また山間の風も冷涼で、寒さすら感じる程の滞在となったためである。

遠くに行かずともこのような場所に恵まれているのも京滋の良いところ。これからも適宜利用させてもらい、酷暑を乗り越えたいと思った。

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2025年07月07日

曇日北陸行(後)

えちぜん鉄道松岡駅駅舎とホームに現れた勝山発・福井行の列車

暑さマシな福井から猛暑の京へ

先日5日からの福井の伯母訪問旅の最終日。本来は昨日までの2日間の予定だったが、諸事勘案して予備日の今日昼過ぎまで滞在することにした。

高齢の伯母の慰撫のつもりが、結局伯母や従姉らに歓待されて世話になりっぱなしの3日間であった。暑さも京都より随分マシで終り幸いであった。

ただ訪問前日までは近畿・西日本と変わらぬ猛暑日が続いていたという。

さて、マシとはいえ、十分暑いなか、歩きやバスで最寄り駅へ。文化財級の古屋ながら空調の効いた涼しい駅舎で直前まで待ったあとに現れた写真の私鉄列車に乗る。

これより、鉄道を乗り継ぐ帰路旅の始まりとなった。


ハピラインふくい線の敦賀行列車からみた日野山
敦賀へ向かう旧北陸線車窓からみた、越前五岳の一つ、日野山(標高794m)。信仰の山らしい一際目立つ秀峰で、以前登拝したこともある山であった


湖西線車窓からみた近江塩津の田圃と琵琶湖
今日も福井は雲が多く、その南部に行くほど空が重くなり、雨が降りそうな気色となったが、県境の山を越えると、往路とは異なる快晴の奥琵琶湖を見ること出来た。ただ、これは近畿の気温上昇を示唆するものでもあり、結局、自宅までの徒歩で38度近い猛暑気温に遭うこととなった。まあ、一先ず無事帰ることが出来たので良しとしよう(苦笑)

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2025年07月05日

曇日北陸行(前)

曇天で琵琶湖も霞む夏の午前の湖西線車窓

暑日曇天の小旅行

京都市街では早くも先月末から猛暑日が続く。そして週末の今日も36度超えの猛暑日予定であった。

そんななか、朝より北陸は福井に向かう。高齢の伯母との交流のためである。京都では既に朝から暑かったが、100km以上北の北陸なら少しはマシではないか、との期待もあったが、果たして如何(いかん)。

朝の京都市街東部は雲があって日射が無い分、幾分暑さはマシだったが、北行の列車が過ぎる隣県滋賀も写真の通り、朧の暑さとなっていた。

琵琶湖が霞んで見え難いため見た目の涼しさは減じたが、少しでも行路の気温が抑えられれば幸いに思った。


九頭竜川の流れとその中に並ぶ鮎釣人
そして、列車を乗り継ぎ福井の目的地近くに着くと、やはり曇り空となっていた。どうやらこの曇天は広範に影響しているようである。ただ、目論見通り、北地らしい涼しさを感じられた。正確に記すと、暑いが、京都より随分マシに感じられたのである。恐らく30度前後の気温ではなかろうか。河川なかに見えた鮎釣人の姿も涼し気。しかし、本流只中の深みにいる人も見え、その安全を案じた


福井平野奥に広がる田畑と、曇天により隠された山間彼方の経ヶ岳
本来はこの田畑奥の山間向こうに、以前から冬季登山したかった経ヶ岳(標高1625m)の雄姿が見えるのだが、生憎の曇り空でこの通り。そして、親類宅に着く直前に、予報通り雨が降り始めた。ただ、結局それは続かず、曇天のまま一日が終ったのである

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2024年12月16日

大雪北陸行(其三)

今庄付近の降雪と積雪

大雪(たいせつ)紀行第三日

2年ぶりの福井行三日目。

今日は帰還日なので、昼頃、従姉や伯母に駅まで送ってもらい、帰路に就くこことなった。

昨朝のように雪こそないが、同様に結構な雨が降っていたので、車で送ってもらい濡れずに済んだのは幸いであった。

ただ、列車で通過した途中の豪雪地・今庄(いまじょう)辺りでは写真の如く、降雪と積雪が見られた。

これも場合によれば大雪となり帰路を絶たれる恐れがあったので、幸いといえた。


湖西線列車車窓からみた塩津浜や琵琶湖に山本山等
しかし、敦賀で列車を乗り換え滋賀に入ると、いきなり天候が変わり晴れ空となったことには驚かされた。これは車窓から見た滋賀北端駅・塩津付近から見た琵琶湖北辺や山本山(中央)等。往路とは反対に、帰路は南方が好天のようである


湖西線車窓からみた、冠雪する比良山脈
往路降雪に煙っていた滋賀西部の比良山脈もこの通り。本来の、この時期らしく、山上には多くの積雪がありそうである。滑雪場等の冬季施設も一安堵といったところか


12月中旬過ぎなるも未だ紅葉美麗な永観堂
そして、帰り着いた京都市街東部ではまだ紅葉が……。ただ、山腹の自然林紅葉はこの3日で急に衰えたように感じられた。よって、今回の小旅行は、公私共々、秋と冬を画するような、印象深いものとなった

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