2019年12月30日
令和元年終会
課題や残念あるも今年も無事終了
今年も残すところあと2日となったが、今晩年終会を行った。所謂「忘年会」である。
私が自宅で主催したこともあり、一応今年1年の間に行った様々な会の為のものとして開いた。少々仰々しく言うならば、酒食で交流しながら、諸々の集いの「回顧と展望」を行う総会的な集まりである。
ともかく、準備や片付けの手伝いの他、様々な差入れもあり、今回も色々と助けられ、そして楽しませてもらった。
また、「回顧と展望」という名目的には、京都人もあまり知らない、市西山間の秘境「外畑(とのはた。西京区)」での平会(ひらかい。平地巡りの集い)開催の要望も出るなど、中身あるものとなった。
ただ、先日紹介した近隣山地の遺跡地区破壊の報告では、同音異義語を取り上げ無理やり大笑いを誘おうとするような残念なこともあった。
決して冗談がダメだとは言わないが、もはや社会の中核的年齢でもあるので、軽く見られないよう、話の軽重を吟味して発言出来るようになってもらいたいということである。少々厳しい意見に思われるかもしれないが、これも親心とされたし。
また、手伝ってはもらったが、やはり片付けがいつものように深夜に達し、翌日に影響が出る事態となったことも課題となった。これは、結局私が時間の差配を行うしかないか……。
そして、その片付けにも関連するが、欲張って料理の品目や量を増し、結果たくさん余ったり、会費が上昇したということも生じた(勿論外食よりかは安く収まったが)。これは昨今問題の「フードロス」にも関わることなので、対策を考えたいと思った。
以上、細かいことも述べたが、総じて大きな問題もなく無事楽しんで終えることは出来た。ただ、年の瀬なので、どうしても「反省」的気分となることは、容赦願いたいと思う。
とまれ皆さん、どうも有難う、今年もお疲れ様でした……。
上掲写真 差入れ及び手伝い調理による、ブロッコリーとエンドウ豆の塩茹で。特にブロッコリーは友人が自宅庭で育てたもので、新鮮で美味。
2017年12月28日
年終所感
歳末催事終われども……
本日行われた山会・平会・湖会等々の年終会(忘年会)は、食事班が仕事で予想以上に遅れるという事態となったが、何とか終えることが出来た。
有難くも、多くの手間をかけて用意してもらった料理も美味しく頂け、一先ずは喜ばしい限り――。
しかし、今年はいつもより締まりあるものというか、諸々の会に相応しい集いとすることを目指したが、結果的に叶わなくなった。事前にその旨を伝えていたのだが、いつでもどこでも出来る、ただのおしゃべりが大半を占め、肝心の話、建設的な話が殆ど出来なくなったのである。
これでは、わざわざうちで主催する意味がなく、また別に集まったり、話したりするような二度手間が生じることともなった。
実は、忘年会に限らず、その傾向は以前からあり、一部の参加者の無配慮により場が荒れ、それに怒った別の参加者が以後の参加を拒否する事態とも化していた。
そんなこともあり、事前に警告したのであるが、結局、人の話を遮ってまで内容のない話が重ねられることとなった。決して取り留めの無い話や仕事の愚痴を禁止したい訳ではないが、その為の一席一会ではない。
まさか、警告に記した「趣旨を弁えるように」との一文が読めなかったのか。皆、高機能携帯を使っている昨今では、その言い訳はもはや昔のことで、通用しまい。
お互いいい歳なので、もう少し配慮をして欲しい。こう書かれて気分が悪くなる人もいるかもしれないが、こちらは既に何度も面子を潰され、気分を害していることを認識して欲しいと思う。溜まったストレスや場に関係ない自説の類は、自分が主催する場で存分に発散してもらいたい。
以前から、私や他の為にならないので、無配慮の者とは関係を切るようにとの忠告を何度も受けていたのであるが、穏便に済ます為、また長年の誼(よしみ)を護る為に敢えて不問にしていたということもあった。
しかし、こう裏目に出てばかりでは、さすがに最早これまで、である。
これまでの多くの類例・経緯もあり、正直大変憤りを感じている。前回の平会でも記したが、来る新年からは、最低限の配慮や、反省・謝罪の出来ない人々に対しては相応の態度で臨むつもりである。
以上、年終会所感並びに今後の人事について……。
恐々謹言
上掲写真: 翌日以降の忙しい最中に用意した新年飾り。簡易・独自的なものではあるが……。
2017年06月11日
試行茶会
古家における茶の可能性探る
今日はうちで試験茶会を行った。
去年の春に続き2回目で、今年春の野点を含めれば3回目ではあるが、今日は茶懐石と濃茶点前(こいちゃてまえ)が含まれる本式的なものであった。
稽古等で濃茶点前には接したことはあるが、懐石等を含めた一式に接するのは初めて。よって、お点前さんの練習を兼ねて一先ず体験し、普段生活する町家・古家におけるその実施と可能性を探ることにしたのである。
ただ、今回は前週に山会があったことや道具類の準備不足等の為、声かけが直前となり、ごく少人数での開催となった。
上掲写真: 京町家造りの古家の、「店の間」の帯戸に貼られた禅語「喫茶去(きっさこ)」。「お茶でもどうぞ」の意。床の間がない部屋の為、このように仮に掲げてみた。
3間続く町家造りの拙宅の、最初の部屋「店の間」を待合、「居間」を茶室として部屋の準備を整えた。座卓や椅子等の調度品は片付けるか隠すなどする。普段から極力物を置かない和式生活を送ることが肝要に思われた。
先ずは酒食から
待合に客が入れば「白湯(さゆ)」が出され、茶会が始まる。茶室への入室を促され、床の間の軸等を鑑賞するが、今日は省略。
本来なら茶室には奥庭経由で入ってもらうので、3間の横を玄関から水場経由で庭まで抜けられる「通り庭」が使えれば最良か。残念ながら、うちのそこは、後付けされた風呂場で閉じられていた。
茶室に着座すると亭主が膳(本来は折敷)に飯碗・汁椀・向付(むこうづけ)の料理を載せて現れ、写真の如く客前に置く。
飯碗と汁椀の食事を頂いたあと。有り合わせの器類だが、ご容赦を
「飯」と「汁」を交互に頂き、各碗を空ける。そして亭主より盃に酒を貰い、それを飲みつつ「向付」の刺身等を頂く。
本来屠蘇器に似た「燗鍋(かんなべ)」に入れられるという酒は末客に預けられ、客同士随意注ぎ合う。
その後、飯と汁の御替わりが供される。
汁とは別に供される煮物
飯と汁の御替わりが終ると「煮物」が供され、二献目の酒を貰い、共に味わう。
次に魚等の「焼物」が供される。焼物の次は、一品の「預鉢(あずかりばち)」と、その後に酒の肴として「強肴(しいざかな)」が出される場合があるが、どれに何が出されたかは失念。
そして、徳利と石盃(せきはい。陶磁器盃)が出され、酒を亭主に注がれるか、客同士で注ぎ合うかする。そして飯の御替わりである飯器(御櫃)がまた回ってくる。
酒も飯も少量かと思っていたら、結構出てくることがここにきて判明。
この後、器の「拝見」と亭主の水屋での食事(「相伴(しょうばん)」)となるが、割愛。そして、「小吸物(こすいもの)」という清めの意があるという汁を頂く。
八寸の代わりに使われた丸皿と取肴
そして神聖かつ重要とされる、山海の幸が置かれた「八寸(はっすん)」が出される。本来は八寸角の板盆が使われるという。
先ず、亭主より三献目の酒を貰い、「海のもの」を小吸物の蓋に入れてもらい賞味する。その後、亭主と客が一つの盃で酒を注ぎ合う「千鳥の盃(ちどりのさかずき)」を行い、「山のもの」を同様に貰い賞味する。
気軽に受けていると、意外な酒量となることに気が付く。茶会たることを忘れてしまう程に(笑)。そして、最後にまた亭主と正客の酒の注ぎ合いとなる。
結構食べて飲んだので、これで終りかと思えば、次は飯のお焦げが少々入れられた白湯の「湯斗(ゆとう)」が出され、少し飯を残しておいた飯碗と汁椀に入れ、「香の物」と一緒に頂く。即ち茶漬けであり、禅寺等で行われる碗の清めでもあった。
その後、懐紙にて全ての器・箸を清める。そして、最後に折敷の縁から箸を落として音を鳴らし、食事の終りを告げる。
亭主手作りの主菓子
酒食終って茶事に
酒食が終ると、器等の片付けが行われ、次に「主菓子(おもがし)」または「縁高(ふちだか)」と言われる菓子が出されて頂く。
いよいよ茶事の始まりである。今日の主菓子は亭主手作りの品。利休好みの菓子の外皮を卵使用でアレンジしたらしい。
客同士が回し飲みする濃茶点前の開始
そして、亭主の点前が始まる。本式・主要たる「濃茶点前」である。
なお、本来は季節的に夏用の「風炉点前(ふろてまえ)」となるが、今回は準備の関係で「炉点前(ろてまえ)」とすることにした。茶碗も、お点前さん新入手の冬用「筒茶碗」。
炉は前回同様、炉縁(ろぶち)と電熱器による仮想・見立てによるもの。極限まで丈が低い機器と自作専用杓置を設置したので、難なく行えた。
小生自作の日向夏ピールによる干菓子
続いて一人一碗で飲む薄茶点前に
濃茶の回し飲み後は、道具の「拝見」を割愛して終了し、「薄茶点前」となる。
最初に「干菓子(ひがし)」が出され、その後、客毎に点ててもらった薄茶を頂く。
干菓子は当方自作で、乾燥させ過ぎたため使いたくなかったが、時間がないことと「極力あるものを出し合う」という趣旨により、仕方なく使用。
薄茶の受け渡し
薄茶終りで全もてなし終了
そして、薄茶が終るとまた道具類の「拝見」があるが、割愛し、茶席および全もてなしが終了する。
時間にすると4時間程か。色々割愛したので本来はもう少しかかるかと思われる。個々は簡素ながら、様々な食事を器共々様々に楽しむという、時間を使ったもてなし。正に究極のサーヴィス(フルコース接待)か。
お点前さん以外は初体験であったが、皆興味深く楽しめた。これは面白い。料理も難しいもの、高価なものは無いので、意外と気軽に出来そうである。今回はお点前さんの準備に甘えたが、持ち寄り等でも面白いかもしれない。
問題点としては、長時間の正座であろうか。正座に強い私でも結構足にきた。本来なら途中で庭に出て足をのばす機会があるらしいので、そうしたことも考慮すべきかと思われた。
町家・古家の価値再認識
安易な改変・破壊やめよう
とまれ、普段の交流にも使えそうなことがわかった。場所としては、町家型の所謂「鰻の寝床」式の間取りで、庭に面した居間(客間)と待合用の1室があり、共に畳敷きであれば問題ないか。
出来れば、居室を通らず庭に出られ、そこに床几等の腰掛けが置ければ、より本式となる。
そう考えると、やはり畳に床の間や庭、そして町家・古家の価値を思わされる。それらには思う以上の価値や機能性が秘められており、伊達に日本伝統的都市住居1300年の殿(しんがり)を務めている訳ではなかった。
メンテの手間や椅子暮し等の為にフローリングにしたり、庭を潰して部屋を広げたりする等の安易な改変は極力やめるべきである。大金を使って工事をするより、現在では意外と簡易に対処可能であることも多い。
業者の甘言に乗らず、広い心で考える。畳部屋や庭を失うと、元に戻すことは難しい。
少々話が逸れたが、中々良い経験だった。更に用意を整え、是非また行いたいと思う。皆さんにも、町家・古家に限らず畳部屋があり、お点前が可能か若しくはそれが可能な人が身近にいれば、是非お勧めしたいと思う。
2017年04月16日
観桜茶会
社家庭での花見&野点会
日曜の今日。東京在住の友人2人の上洛に合わせて、軽い花見と野点茶会を行う予定があった。
本来なら、桜もそろそろ終りの時期であるが、今年は開花が遅れた為、何とか体裁が整いそうである。
場所は、友の1人が京都に借りている市街北寄りの上賀茂の家。旧上賀茂神社神職住居である「社家(しゃけ)」の庭内にある元茶室の家で、花見はその屋外樹下で行う恒例的なものであった。
昨日と変わり、朝から好天に恵まれたので、早めにその風情に浸りたかったが(無論久方振りの友らとの語らいも)、ここ数日所用で時間を費やしたこともあり、13時過ぎまで仕事を進めることとなった。
その後、宴席用の買出しに行き、そのついでに前日知らされていた友人の出張骨董店に顔を出した。店を覗かせてもらうのは初めてだったが、素晴らしい品揃えで、小品を少々購入し、またお土産を貰った。その友人とも久しぶりだったので、お茶を頂き、骨董その他諸々の話を楽しんだ。
しかし花見が……。
我に返ってその場を辞し、一旦帰宅後、荷を持ち替え自転車にて上賀茂へと急ぐ。結局、着いたのは15時。まあ、野点人が15時半着予定だったので、遅刻ではないのだが……。
上掲写真: 桜の花弁に満ちた庭上にて、美味しい薄茶を点てる野点人。多忙にも拘わらず、わざわざの着物姿で登場。有難う!
花見・野点開催地の社家庭と枝垂桜
頃良い枝垂の花と共に
開始時間は決めていなかったが、集まりが遅かったので先着組は上賀茂神社へ散策に。よって、それに合流し、暫し参観を。時季の所為か、楼門等が修理中にも拘わらず、普段より多めの参拝者で賑わっていた。
その後、神社前で友人の知人らと合流し、皆で会場へ戻る。間もなく野点人も到着し、16時過ぎに宴席が開始された。
懸念された桜は、一般的な染井吉野(ソメイヨシノ)が既に散っていたが、写真の如く、枝垂桜が丁度良い具合であった。一先ず、有難い。これも、少しでも長く花を楽しむための古人の知恵、設えなのであろうか。
手際よく野点をこなす野点人(茶道歴10年以上)
茶会の導入は私の発案だが、今回の協力はコンロと鉄瓶の火力支援のみ(笑)。まあ、これも去年行った実験茶会の一環であった。
次の予定の為、薄茶賞味で花見仕舞いをする写真家氏ら
その後も友人親子が来てくれたりしたが、やがて次の用事のため帰る人達も。神社前で合流した写真家氏とその催事関係者氏らで、折角なので最後に薄茶でしめてもらった。
全市的な写真催事「京都国際写真祭(KYOTOGRAPHIE)」の参加者で、このあと打上げ的なものがあるとのこと。お疲れ様でした。
偶然適った友の差入れ茶菓子
最後は屋内で茶や菓子を
人が抜けたあと、暫し語らい、やがて日没に。暗くなる前に屋内に撤収し、片付けをしつつ、濃茶・薄茶を頂くことになった。
ここの借主の友人も今晩東京へ帰らねばならぬので、列車の時間を気にしつつ、手分けして片付け、また最後の茶や語らいを楽しんだ。
写真はその際食べた和菓子。昨日もう一人の東京の友人が市内で偶然求めたものであった。これからの季節らしい小豆菓子で、見た目もよく、実に美味であった。茶の心得が無いにも拘わらず、絶妙の差し入れである。
これは好物になるかもしれない。また自分でも買いに行こうかと思う。でかしたY一郎!(野点人持参の独自の手作り菓子も大変な美味であった)
これからの時季らしい、水もの風茶菓子「かも川」
心配するも無事終了
そして、予定時間丁度の20時前で片付けを終え、全員で退室。その後、帰る方向も近いので、皆で駅まで向かい、そこで東京組と別れて解散した。
当初、日時違いや連絡不良もあり心配したが、無事終えることが出来た。また、遅くからの開始となったが、内容濃い催しとすることも叶った。
ただ、連絡が遅れ、希望していたのに来られない人が出たことは申し訳ない限り。次の教訓とします。
それでは、皆さんお疲れ様でした……。
2017年04月13日
渠畔夜宴
趣向変え疏水端で恒例小宴
今夜は近所の岡崎公園で小宴を催すことに。
何年も前から、市内勤務の友人と、その退社後に細やかに行っていた恒例的花見。場所は賀茂川等が多かったが、今年は趣向を変え疏水縁の夜桜を借景、また肴とすることにした。
夜の気温も漸く上がり、そろそろ屋外宴に適した気候に。意外と前日の風雨に耐えて桜花が残存していたことも後押しとなった。
とまれ、ちょうどライトアップが行われていた美術館裏の並木下に陣取り小宴開始。川辺の如く騒がしくもなく、また明かりもあって具合良い。初めて場所・試みであったが、立地・雰囲気共に申し分ないものとなった。
写真は、集合直後の18:30過ぎの現地景。最近随分と陽が高くなり、まだ夕焼けの明るさが残っていた。夕照とライトを反す桜花、そして夕空映す疎水の水面(みなも)が、得難く美しい。
同じく集合直後の現地景
滔々たる疏水水面を流れる花弁も一興。2基の光源は堰堤下に設けられた照明装置。
同上を別の角度にて
疏水に張り出す、花の豪奢と水面景。
宴席端の宵闇に咲き誇る桜花
絢爛の花色のなか過ごす
やがて辺りは宵闇に包まれ、照らされた桜花が絢爛の光幕と化す。先日のトランプ米統領によるミサイルショックを含め、様々なことを語りつつ、花色に照らされた夜宴を過ごす。
一応、公園的芝生場ではあったが、花見の例(ためし)が無いのか、途中、警備担当氏より長時間の占有は避けられたしとの注意も受けた。
やがて照明も落ち、暫しして片づけてお開きとなった。
暖かくなったとはいえ、やはり夜は冷える。そんなことも語り合いながら、最寄りの駅まで付きあい、そして解散となったのである。
2016年09月25日
秋暑講演
戻りの暑中、熱き講義に
雨天・曇天が続いたこともあるが、最近すっかり下がっていた気温。しかし、今日は朝から上昇し、街ゆく人も薄着に戻って、季節が逆戻りした観となった。
そんな今朝。以前の住地、左京区吉田にて小講演を行った。知己の市議さんの、事務所建屋の文化スペースを会場とする、罹災転居以来4年ぶりの開催。
講演というより内容的には講義で、古図を使って吉田と隣接する岡崎の歴史を語るというもの。平たく言うと歴史地理学講義。4年前の続編としたが、今回は資料の絵図等をカラーにして見やすくし、岡崎に偏りがちだった収録範囲も吉田全域まで広げた。
内容的には、前回と同じく図の年代毎に各期の歴史を述べつつ、院政期に吉田から岡崎にかけて整備されたとみられる白河街区に、岡崎公園にあった鵺塚(ぬえづか)・秘塚(ひめづか)や京大の吉田寮食堂や合唱団洋館等の破壊問題等に新しく言及した。
本来はもう少し展示資料も工夫したかったのだが、急遽代役として頼まれた関係上、準備が叶わなかった。まあ、致し方あるまいか。次回の課題としたい。
それでも、急な登板にもかかわらず、地元の人達の熱心な聴講を得られた。また、古参の人からは貴重な証言等も得られて、こちらも学習させて頂いた。
結果、戻りの暑さを案じるも、今回も前回同様の熱い講義とすることが出来た。
お客さんや関係者の皆さんに感謝!
追: 吉田経房(藤原経房。平安末〜鎌倉初期の貴族で吉田に邸を構え、著名な一級史料「吉記(きっき)」を記す。吉田社宮司、卜部吉田家とは別系)のことを話すのを忘れていた。まあ、また機会あれば……。
上掲写真: 講演用の教卓や白板等々。壁面左の図は、原寸大の大正11(1923)年測図の初版都市計画図「吉田」で、隣は最新の都市計画図。本来は、初版図の範囲や縮尺に合わせて、最新図を合成改変して比較展示したかったが、図書館の複写係が指定範囲を間違えたため部分展示となった(図書館はその日を以て暫く移転休業)。初版図の汚れは罹災の痕跡。ご容赦を……。
2016年04月30日
卯月初釜
実験茶会開催
4月最終日の今日、初釜茶会を行う。
場所は拙宅。「初釜」というと、一般的には正月最初の茶会をいうのだが、今回は初開催の意で用いた。「今頃初釜?」と思われた御仁には、平にご容赦頂きたい。
とまれ、本来の初釜らしい、もう少し寒い時期での開催を目論んでいたのだが、中々都合がつかず、今日漸くの開催に。
気づけば、炉点前(畳下の炉を使う冬点前)の期限である立夏前日(5月4日)直前に。いやはや、恥ずかしくも滑り込みセーフとなったのであった。
さて、茶会といっても専用の設えがある訳でもなく、あくまでも簡易なもの。告知が遅れ、参加者が少なかったので、開き直って実験の場を兼ねることともした。
上掲写真: 仮の茶室とした居間の床の間飾り。「寧」の題の下、近代歌人土岐善麿(とき・ぜんまろ)の歌が書かれる。お点前さんの親類による書。香炉は京焼、花器は古い備前、お供えは京焼鉢に日向夏。
着物姿で茶を点てるお点前さんと、それを受ける正客役の人
命名「置縁点前」成功
拙宅には炉が切られていないので、畳上に炉縁(ろぶち)を置き、その中の電熱コンロに茶釜をかける方式とした。
丈の低い箱火鉢様の「置炉」の導入も考えたが、杓(しゃく)の扱いが高くなり、点前も見えないので、熟考の上、決定。ただ、それでも杓が高いので、木片による杓置を製作配置した。
結果として、特に不便を感じない設備に。実験成功である。これなら、色々な畳部屋に対応できるのであろう。茶釜の丈が低ければ、更にやりやすいかと思われた。
一応、「置縁点前(おきぶちてまえ)」とでも名付けるか……。
留意点は、コンロを極力丈の低いものとすること。但し径が小さいものは座りが悪くなり危険である。因みに、IHコンロは冷却音の為茶事には不向きで、小型カセットコンロはその中心と炉縁の中心が合わず、また小さな茶釜しか置けない。
春慶塗の盆と干菓子(お点前さん好み)
課題あるも楽しむ
さて、炉の設えは成功したが、準備や進行等に課題も。
今回は最も簡易な薄茶のみの接待としたが、それでも結構な準備が必要となり、また茶事を知らない客の誘導や待合の問題も露わとなった。
本来の主旨というか将来的な希望は、茶事の完璧さを目指すのではなく、交流の場であり、色んなことの発見の場としての自宅茶会の開催であった。
しかし、最低限の型は維持しなければ、茶事とする意味もなくなってしまうので、そこは工夫が要るところ。まあ、無理なく、有意義な形となるよう、今後も研究したいと思う。
とまれ、気候も良く、茶や菓子も味わい、楽しめた。お点前さん、半東(はんとう。手伝い)さん、そしてお客さん、有難う、お疲れ様でした!
2015年08月19日
山涼炭会
自然の中での炭火会開催
今日は平日だが、以前より休日として予定を空けておいた。
目的は、涼しい山地・河原での炭火会。平たく言えばバーベキューである。発案は私ではなかったが、場所の選定等を主導することとなったので、本人催事の扱いで報告したい。
多くの人にとって夏の風物詩的なバーベキュー。自身では、暑日に火を使う行為が理解し難く避けていたが、涼しい場所での開催を条件に参画することにした。
そもそも、最初は出来合いのバーベキュー場での開催が計画されていたが、折角、山会主宰の私が関るので、自然の中での開催とさせてもらったのである。
上掲写真: 京都市北部の山中・渓流際にて準備される炭火会。比較的標高が高く、奥山に接していることもあり、気温は25度以下。因みに今日の市街の天気は30度。まさに「出かけて良かった」の開催であった。
山仕事用?のトイレを拝借して準備した、炭火会簡易トイレ
自然の中での催事で問題となるのがトイレの事。今回は特に妙齢女子陣が多かったので、気を遣ったが、幸い近くに簡易なそれを発見し、借用させてもらうこととした。
少し荒れていた足場などを直し、Yちゃん持参の幕を張って完成。山中のどこかに穴を掘って成す野性式も考えていたので、立派(?)なものが用意出来た。
食べ、寛ぎ、そして涼む
さて、炭火を起こして順次食事に。ひたすらライターで炭をあぶってガス欠を起こすような男子に苦笑しながらも、解る者、出来る者で主導しつつ、諸事整える。
写真はGちゃん(男)が用意して、現地で完成させたスモーク料理。いつもながら上手で美味い。
食後は珈琲を入れたり、ギターを弾いたりして寛ぐ
若干曇り気味ではあったが、暑さもなく丁度良い感じ。ずっと30度超えの猛暑で、熱帯夜を過ごしてきた一同には、一息つける涼みとなった。
上流に集落がない沢の水も清冽で、空気も美味い。
清流に浸かり喜ぶ男子
中には、沢の淵に浸かり、更に自然と一体化する男子も現れる。横からは、普段の激務への反動を指摘する声も(笑)。
主宰家で疲れ寝そべる参加男子(運転手。笑)
徹底・完璧な後始末にて撤収
そして、各々存分に自然を満喫し、夕方撤収することに。
徹底した火の始末や清掃、そして完璧な原状回復に努めて現場を後にした。その後は主宰の内の一人の家にお邪魔して暫し歓談して日を終えたのである。
皆さんお疲れさま。少々強引に野性的企画としたが、また色々と違った経験が出来たのではなかろうか。個人的には良く涼めて癒された。
お世話様でした!
2015年04月12日
上賀茂花宴
社家庭の宴
桜花満開も過ぎて早久しの4月12日。
遅くなったが、仲間内での花見をすることとなった。場所は上賀茂。上賀茂神社神職の屋敷が立ち並ぶ、旧社家町(しゃけまち)にある、屋敷庭の一つを借りて開催することになった。
とは言っても、私が頼み込んだ訳ではなく、敷地内の離れに住む友人の好意・協力によるものであった。
冷涼な上賀茂。花は見頃
花見には遅くなったとはいえ、ここは洛北上賀茂。市街中心より少々冷涼な土地柄であり、遅咲きの枝垂桜が主体であったので、花は見頃であった。
折しも、近くの植物園横の賀茂河岸の枝垂桜花も盛りとなっており、それに合わせた催事も開かれ、実に華やいだ日和でもあった。
上掲写真: 旧社家庭の池の取水口に渦巻く、鮮やかな花弁の群り。他の社家と同じく、ここも上賀茂社より流れ来る明神川より取水している。ただ、敷地前後に川がなく、庭内を流れるのは独特か。
座敷より花を愛でてもよかったのだが、折角なので樹下に宴席を設える。大人数ではない、細やかな集いであったことも、場所の風情に適い、また良かった
庭内を流れる明神川の石橋を行きつ戻りつして、花と庭の春を楽しむ
生憎の曇天ではあったが、花を愛でるのと仲間との懇親に難とはならなかった。日没後は座敷に移動してまた歓談。場所を変え、人を代えて、長らく楽しんだのであった。
2012年07月22日
熱朝講演
不調乗り越え講演開催
今日は朝9時から、拙宅近所にてささやかな講演・講義を行う。
場所は「吉田之森」というギャラリー兼文化会館。以前、そこにて古代長城関連の展示イベントを開催させてもらった縁で懇意となった、主宰の鈴木悦子さんの依頼による出演であった。
朝7時に起床し、準備して会場入り。元々朝は苦手な方だが、今日は更にと気分が優れない。実は、前夜一睡も出来ないという「事故」があった。7時に「起床」しただけで、覚醒した訳ではなかったのである。
原因は、恐らく前夕飲んだ喫茶店の珈琲。特段珈琲に弱い訳ではないが、以前から偶に、こういった物(豆?)由来の不調はあった。
こうして体調(顔色も?)不良での出演となったが、現地での掲示や配布資料の準備を何とかこなし、開催時間に間に合わせられた。見れば、会場は満席状態。朝から楽しみに来てくれた人たちの為にも、気を入れて進める他あるまい。
上掲画像: 講演会場に集まり配布の資料に目を通す地元吉田地区の方々と、壁に貼られた今回の主要史料「京都市都市計劃基本図(1923〈大正11〉年測図)」。3000分の1という大縮尺で地域の細部を捉えた史上最初のもの(本頁の写真はN.O氏とY.S氏撮影、筆者加工)。
講演風景。解説中の私(中央)と参加者の皆さん。実に熱心で有難い限り
「吉田・岡崎古図がたり」
今回は「吉田・岡崎古図がたり」と銘打って開催。吉田神社と京大で知られる学術地区「吉田」と、平安神宮や美術館等で知られる文化地区「岡崎」の成り立ちを、古図を使って解説するというもの。
古図(絵図)の無い時代は遺跡地図、それ以降は時代毎の古図を見ながら両地区の変遷を辿る。最後は大正期の都市計画図を使い、独自発見・考察した、地元変形街路の謎解き等にも言及。
鈴木さんの夫君で、会館2階に事務所を構える京都市議会の重鎮鈴木マサホ市議(中央)には、はじめの挨拶と私の紹介を行って頂いた。但し、左京区北部山間での行事参加があった為、残念ながら間もなく退出。公人なので日祝関係なく忙しいようである。因みに、氏は吉田社家(神職)の後裔で、地元の歴史語りには欠かせない人でもあった
盛況・成功終了!
会場には、その他の地元の重鎮方々の姿も見られ、活発な質問や情報提供を行ってもらえた。そんなこともあり、体調の所為で話のまとまりが損なわれていた割には、一応成功の内に講演を終らせることが出来たのであった。何より、その盛況ぶりに、主宰の鈴木さんが喜んでくれたのは、最もの幸いであった。
講演のあとは鈴木さんたち手作りの朝粥のセットを頂きながら、皆さんとまた地元の歴史談義。そして、その後閉会となっても、暫し様々な人たちとそれが続いたのであった。依然朦朧とした気分は残っていたが、私としても、良い意味での「熱い」午前を過ごせたのは幸いであった。
参加者及び関係者の皆さん、お疲れ様でした。有難うございます……。
2012年01月22日
忘年新年会
半端な冬の一日に蕎麦?
小正月や成人式、況しては節分でもない今日1月22日。日曜であることぐらいしか特に冠すことのない半端な冬の一日(いちじつ)であったが、少々特別なことを行う。その名も「忘年新年会」。
元は、単に山会だの何だのを企画する「みんちり(民俗地理倶楽部)」がらみの新年会であったが、どうせなら趣向を凝らそう、との思いつきから、年末頂いた蕎麦粉を皆で打って食べてもらうことにした。
その為に、態々設定したのが今日という日。実は明日23日は旧暦元旦。つまり、何もないと思われたこの日は、本来の大晦日であり、新暦元旦以降、蕎麦を食す企画には最適の日であった。
しかし、そうなると新年会の名目のみでは違和が生じる。そこで、旧暦年末と新暦新年が合さる今日に相応しい忘年新年会となったのであった。
上掲写真: 自ら伸し、そして切り揃えた蕎麦を湯掻く上海漢人のIさん。手打ち蕎麦初体験の、快活でしかも気遣いにも長けた留学生。本来、旧正月を迎えるこの晩に今尚それを重視する漢人の足労を得ることは難しい。Iさんは都合により偶然参加が可能となった。正に貴重な画像か(笑)。
湯掻き作業中のIさんの手前で、蕎麦を伸すAさん。Aさんも手打ち蕎麦初体験。これまで行った蕎麦打ちの話に興味を持ち、みんちり未体験ながら自ら志願してきたという人であった
慎重に、そして真剣に蕎麦を切るIさん
専門の道具は殆どないが、皆それぞれ真剣に、そして楽しく取り組む。
1人仕上げる毎に卓上にその数を増してゆく完成蕎麦と、種物用食品
本日の最優秀賞、Aさん作の蕎麦
皆の完成を待ったため少し乾いてしまったが、初めてとは思えない出来である。さすがは料理得意の人。
それぞれ自作を賞味
新年会、旧元日前夜祭として楽しむ
さて、参加全員の蕎麦完成を見た後、皆でそれぞれ自作を賞味する。材料や下拵えの良さにも助けられ、私のような下手から上手な人まで、共にその味わいを楽しめたのであった。
因みに、今回は「返し(かえし。蕎麦つゆ)」も鰹節等を使用して手作りした。基本作業はAさんに担当してもらったが、最後に行う醤油つゆと出し汁の混合を私が誤った為、塩辛さが立つようになってしまった。誠に申し訳ない限りである。大いに反省し、次回への戒めとしたい。
蕎麦の後は、蕎麦湯や差入れの日本酒等を頂きながら、その他の食品をつまみに歓談。少し変わった趣の新年会として、そして気象的・体感的に春の始まりともいえる旧元日の前夜祭として、楽しく過ごしたのであった。
2011年12月18日
炭火年終会
野趣求めて炭火忘年会
テーブル上の、網の上に置かれたピザひとつ。良く見りゃ、下には火も見える――。
京都市街東部は左京区岡崎の某所。「山会」や「峠会」など、今年1年の「みんちり(民俗地理会)」企画の年終会が、18日開かれた。平たく言うところの忘年会である(笑)。例年、同区吉田で開かれていたそれが、そこに変更されたのは、その会場に「七輪(しちりん)」と、それに対応した「卓袱台(ちゃぶだい)」が備えられていた為。
今年は、野営会同様に野趣を求めて屋内での炭火会を催すことにしたのである。卓袱台中央にあった円い板を外して七輪を置くと、ピタリと収まる。双方共、元はその為に用意されたものではなく、初めての試みであった為、一同驚く。恐らく、その隆盛期たる昭和初期以前に規格化されていたようである。
その安全性も中々なもので、天板からぶら下がる形となる七輪の中ほどは触れない程の高温となるが、天板と接する首部や、底部は冷えたままであった。良く考えられたものだと、一同また感心。
とまれ、その七輪をコンロに、そして暖房熱源とする宴席を開始。メインの鍋料理から手作りピザに切替えつつ、今年1年の様々を語りあったのであった。
「七輪対応型」卓袱台の中央にセットされた七輪と宴席の様子
危険?CO警報鳴り響く
火勢が強かった当初は、CO計(一酸化炭素警報機)の警報が鳴り響き、息苦しくなる危険もあったが、何とかやり過ごす(笑)。気密性に劣る古い木造住宅の会場であったが、結局換気せざるを得ず、暖房器具としての有効性は、思ったより得られなかった。まあ、初めての試みだったので、知識や経験で改善できるのかもしれないが……。そういえば、宴席終盤を捉えた上の画像でも、まだ靄がかかっているような……。
欠点を先に書いたが、僅かな燃料で長時間高火力が得られるなどの利点も多い。料理も、いつにも増して美味しく感じられたのであった。
こうして、炭火と共に、そして参加メンバーと共に「みんちり」年終会の師走一夜は更けていったのである。
皆さん、1年間お疲れ様でした。来年も宜しく……。
2010年01月23日
依然在玉壷
墓所落成と納骨の式行わる
暖かささえ感じる陽射しを見た昨日までとは違い、重みある曇天と冬らしい寒さに覆われた今朝。京都市街にて、私が祭主となる神事が行われた。それは、私の墓所完成に伴って行われた納骨式であった。
私は地方から京都に来た両親を持つ為、本家とは別に墓を用意せねばならない分家2世に相当する。為に、この度、墓を建立することとなったのである。本来は母が亡くなった十数年前にそれを行うべきであったが、個人的都合や他の問題に因り、長らく叶わずにいた。それ故、今日は母と弟の納骨問題を含めたその懸案の一段落が、漸く実現するという記念すべき日でもあった。
先日、弟の遺骨を引き取りに宮崎まで行ったのも、正にこの為だったのである。
上掲写真: 神職主導による神式で執り行われる納骨式。本来、宗家は真言の檀徒であるが、当地での菩提寺を設定していなことと、神道思想への馴染、そして神職関係との縁により、神式を採用させて頂くこととなった。但し、適宜読経や焼香も可能な様に、融通性と設備は確保してある。(I氏撮影)
今日は生憎の曇り空だが、墓所は市中にありながら京都市街を一望出来るという貴重なところ。以前、散歩の際に見かけて以来、気になっていた場所で、地元知人の紹介を経て、晴れて小画を得ることとなった。(I氏撮影)
神道特有の八足(はっそく)台と、その上に飾られた大幣(おおぬさ。祓串)や供物。供物は、酒・塩・水に、米・野菜・果実等々、実に様々なものが揃えられていた。これらは、式の終了後「御下がり」として頂くこととなる。(I氏撮影)
式終了。生来の願望に変わりなし
そして、式の終了後、近くの料理旅館で食事となった。元皇族別邸を利用した、豪奢かつ風雅な建屋と庭を有した名店である。初めての利用であったが、素晴らしい料理を堪能出来た。ここも、地元知人の紹介であった。重ねて感謝したい。
こうして、長年の懸案ごとが無事終ったのである。だが、それが成されたことに因って始まる新たな問題もあったので、正直喜ぶばかりとはなれなかった。
ところで、墓でも建てて私も神妙になったのでは、と御考えの貴方。心配は無用である。墓が出来ようが何しようが、「畳の上で死にたくない」といった生来の願望に変わりはない。これも、「一片の氷心(依然)玉壺に在り」である(笑)。
2009年05月31日
「胡羌鬲絶東京展」盛況閉幕!
感激至極!予想外の盛況
5月31日を以て共催イベント「胡羌鬲絶東京展」が無事終了しました。関係者並びにご来場の方には、厚く御礼申し上げる次第です。
正直、これほど多くの方にご来場頂けるとは、関係者共々思っておりませんでした。また、同様に多くの方に内容を評価して頂き、かつ楽しんで頂いたことも幸いでした。色々と至らぬところもあったかと思いますが、ご理解頂き有難うございました。また機会あれば、宜しくお願い致します!(次回企画もご期待下さい)
上掲写真: 日暮里駅裏の高台上にある天王寺の佛像と、背後に聳える駅前高層マンション。少し見ない間に、また凄いものが出来ている。しかも更に建造中。変わらない街「谷中」から覗く、変わりゆく東京の姿。とまれ、多くのご支援・ご声援に対する合掌の気持ちを……。
2009年05月26日
「胡羌鬲絶」東京展開幕!
好天下、下町情緒あふれる谷中にて
本日より共催イベント、「胡羌鬲絶(こきょうかくぜつ)」の東京展が開幕しました。外出に適した好天下、下町情緒あふれる谷中にての開催です。付近の散策ついで等に是非お立ち寄り下さい。会期は5月31日(日)までです。古代長城やアジア史等に関する質問なども歓迎する双方向展示となっています。どうぞ、この機会をお見逃しなく……。
上掲写真: 「胡羌鬲絶東京展」の会場、古美術上田への路地入口に設けられた案内板。この、表路から少々隠れているというアプローチも珍しくて面白い。まるで、未だ知らぬ知人宅を尋ねゆくような感覚。とまれ、観覧の人はこの案内板を目印に……。
「胡羌鬲絶展」会場風景。店主上田氏が、古い町家を自ら改装して開業したという「古美術上田」。普段は当然「店内」となる会場内には、氏が選別収集した古美術品も飾られる。この家、この店、この美術品に触れるだけでも価値がある。そして、珍しい古代史企画展と、その解説・質疑応答まで付いている。まさに、逃せば後悔一生ものといえよう(笑)
2009年04月21日
満員御礼!「恒河少年展」終了
4月21日をもってプロデュース写真展「恒河少年展」(於Space Alternative Gallery)が無事終了しました。会期中、予想を超える多くの方々にご観覧を頂き、そして、同じく多くのねぎらいや激励のお言葉も頂けました。作家高潔(Gao J.)君共々、ご来場並びにご協力頂いた皆様に厚く御礼申し上げる次第です。
残念乍らご来場叶わなかった皆様には、以下に開催時の様子をまとめましたのでご覧下さい。
回顧!「恒河少年展」
新緑の風吹き抜ける東山・東一条交差点付近の会場入口に立てられた案内板。左の柱には個展タイトル板も貼られる
会場へ続くエントランス階段部。どこぞで見た関係者達が、スペース・オルタナティブS氏愛車の格好いい自転車に、個展そっちのけで心奪われているが……(笑)
階段下、扉前壁面に於ける案内掲示
高君がこだわる、デジタルではない銀塩フィルム撮影に呼応すべくデザインされた、フィルム姿のタイトル板と説明板。素材もメイン作品群と同じく、光沢感あふれる樹脂素材を使用
主展示室内に展示されたメイン作品群
作品下に付された、特殊フォントを用いたキャプション(小生作)。チベット、ヤルツァンポ川付近で撮影された作品のもの
一つひとつが印象深く、「丁寧な完成度」とでも言うべき独特の静謐さを漂わす高潔作品。そういえば、来場者一人当りの鑑賞時間も長かったように思われた
日曜日であった4月19日午後、会場にて急遽行われた中国茶接待の模様。高君の学友で、茶の原産地雲南省出身の茶人Dさんの手による、貴重茶葉を用いた贅沢な催しである。日曜故か、偶々居合わせ、その美味・珍味と出会えた幸運な来場者も多かった
雅やかな所作で茶を用意するDさん。平生では中々ひょうきんな一面も持つ、ユニークで愛らしい人である
満員御礼企画!はこちら
2009年04月16日
春季イベント「恒河少年展」開催!
プロデュース写真展スタート
16日、プロデュース写真展「恒河少年(こうがしょうねん)」展が無事スタート。平日ながら多くの観覧者に恵まれた。実に有難い限り。作家、高潔君共々、実に喜びひとしおの初日となった。会期は、来週21日火曜まで。興味ある方は、是非ご観覧を……。
遠近から素晴らしい草花飾りのプレゼントも届いた。こちらも有難い限り
2008年10月25日
佛下夜奏
「吉田AP」緊急出動、その結果は……
突如、我がライブユニット「吉田エアプレイン」が出動することとなった。とはいっても、都合上、私1人だけの演奏である。
場所は京都市街西郊の右京区常盤にある西方寺という寺院。夜ここの本堂で札幌在住の馬頭琴奏者嵯峨治彦氏の演奏会が開かれたが、そのオープニングゲストとして出演したのである。蒙古の伝統楽器馬頭琴のライブに何故私が、と思われるかもしれないが、蒙古に近い内陸アジアを扱った「胡羌鬲絶展」での演奏ぶりに関連を見出した人から依頼を受けたという訳があった。
しかし、その依頼があったのは3日前。殆ど準備出来ない為、当初は断ることも考えたが、依頼の人には色々と世話になっていた為、受けることとなった。だが、やはり結果は散々なものとなってしまった。元より電気ギターでの弾き語りという奇異なスタイルで驚かせたであろう多くの観客や、前座を汚すこととなった主演の嵯峨氏には、この場を借りて重ねてお詫びしたい。
「外人」馬頭琴奏者、嵯峨氏の名演
さて、そんな私の拙劣ぶりはさておき、主演の嵯峨氏の演奏は期待以上に素晴らしいものがあった。馬頭琴や、それと同時に歌われるホーミー(喉歌)の上手さは勿論、表現者としての存在感とパワー(但し、彼らしい静謐な)に満ちたものだったからである。日本古来の楽器ならいざ知らず、馬頭琴やホーミーにとって氏はあくまで近年門戸を開いた「外人」の筈である。そんな条件下に於いてこれほどの表現力を発揮出来るのは誠に稀有なことと言えよう。
正に感服至極、バックステージで氏から直接CDを譲って頂いたということからも、その感服ぶりがお察し頂けよう。氏は北海道に限らず全国で活躍されているので、今回見逃した人も、また近くで演奏会が行われる機会があれば、是非参加されることをお勧めしたい。
やはり感謝
以上の様に、自分の拙劣さに頭を打つ結果となったが、素晴らしい演奏と奏者に出会えた夜ともなった。やはりここは感謝しなくてはならないところだろう。何より、普通の人は入れない佛殿内陣は阿弥陀佛足下という特別な場所で演奏させてもらうという貴重な機会も得た。実は寺社という特別な雰囲気を持つ場所で演奏するということは、かつて音楽を志していた時の願望であった。それが十数年ぶりの今日、奇しくも叶ったのである。
打上げの宴席中、かつて共にその夢を語った友のことが浮かぶ。志半ばで病に倒れた美しい人である。実に感慨深い限り……。スタッフ並びに西方寺の皆さん、どうも有難う。
上掲写真:佛殿内陣に於ける愛器一式。かつての志への供養の様にも……。
2008年08月03日
夏季イベント補足
先日は夏季イベントへのご参加、並びにご協力有難うございました。期間中(7月20日)行われた「会期中イベントU」、“吉田エアプレイン・ライブ”に関する詳細補足を記します。
演奏
「吉田エアプレイン」
歌&エレクトリック・ギター : Seiran
エレクトリック・ベース他 : Hayashi deka
スレイベル(神楽鈴)&独鈷鈴 : Yukie komachi
制作
作詞・作曲 : Seiran
編曲 : 吉田エアプレイン
音響・照明他 : art ehoh
演目
1. 理 ― kotowari ―
インストルメンタル(歌なし)
2. 神泉
歌い出し: 生きては再び出られぬ砂の海、寄せては返す砂丘の向こう。何人(なんびと)の目にも晒されず、冷えた、翡翠の溶けた水を静かに湛える。……
3. 予兆 (きざし。副題「四季の歌」)
歌い出し: ―秋は千里(ちさと)の空に実り波打つ黄金(こがね)の季節。光る波頭の群れのさざめく彼方、夕日の祝詞(のりと)―。……
4. 白拍子 (鈴木文化会館「吉田之森」特別追加曲)
歌い出し: 錦の扉そっと閉じれば、すべて瓦礫の彼方砕け飛ぶ。うだる雑踏、祭囃子に、遠い御伽話を思い出す。……
5. 弥生行
歌い出し: 春霞む始まりの朝に、遥かなる空に向け旅立とう。―微温(ぬる)む風は野辺を渡り花を撫づ、樹々の匂いたて……―。……
なお、終演後お問合わせ頂きました、「予兆」の第2番サビで歌われていた都市名は、「テノチティトラン」です。メヒコ、即ち現在のメキシコシティーの16世紀(アステカ期)以前の古名です。少々表記と異なる発音となりましたことをお詫び致します。
演奏
「吉田エアプレイン」
歌&エレクトリック・ギター : Seiran
エレクトリック・ベース他 : Hayashi deka
スレイベル(神楽鈴)&独鈷鈴 : Yukie komachi
制作
作詞・作曲 : Seiran
編曲 : 吉田エアプレイン
音響・照明他 : art ehoh
演目
1. 理 ― kotowari ―
インストルメンタル(歌なし)
2. 神泉
歌い出し: 生きては再び出られぬ砂の海、寄せては返す砂丘の向こう。何人(なんびと)の目にも晒されず、冷えた、翡翠の溶けた水を静かに湛える。……
3. 予兆 (きざし。副題「四季の歌」)
歌い出し: ―秋は千里(ちさと)の空に実り波打つ黄金(こがね)の季節。光る波頭の群れのさざめく彼方、夕日の祝詞(のりと)―。……
4. 白拍子 (鈴木文化会館「吉田之森」特別追加曲)
歌い出し: 錦の扉そっと閉じれば、すべて瓦礫の彼方砕け飛ぶ。うだる雑踏、祭囃子に、遠い御伽話を思い出す。……
5. 弥生行
歌い出し: 春霞む始まりの朝に、遥かなる空に向け旅立とう。―微温(ぬる)む風は野辺を渡り花を撫づ、樹々の匂いたて……―。……
なお、終演後お問合わせ頂きました、「予兆」の第2番サビで歌われていた都市名は、「テノチティトラン」です。メヒコ、即ち現在のメキシコシティーの16世紀(アステカ期)以前の古名です。少々表記と異なる発音となりましたことをお詫び致します。
2008年07月30日
夏季イベント閉幕!
本日、7月30日をもって夏季共催イベント「胡羌鬲絶U展」(於カルチャーガーデン「吉田之森」)が無事終了しました。ご来場並びに、ご協力各位には厚く御礼申し上げます。
残念乍らご来場叶わなかった皆様には、以下に開催時の様子をまとめましたのでご覧下さい。
回顧!「胡羌鬲絶U展」
吉田神社旧社家町の宅地に出現した、「胡羌鬲絶U展案内板」
カルチャーガーデン「吉田之森」全景。壁面に描かれた緑や足回りの植栽は、「森林化計画」(途上)によるもの
1階正面エントランス部。奥の引戸は展示室入口。上部に掲げられた題字は、アートボランティアグループ「art ehoh」の代表、T氏の手によるもの
エントランス内に設けれらた記帳台。論文掲載雑誌や原版付図付特製単行論文の販売並びに、東洋史関連書籍出版社刊本等の紹介コーナーも併置
展示室内景。左奥よりセクションT(入口)側を撮る。参考展示の布類(画像左上の「胡服」と右の「西域絹絣」)は、今回は「art ehoh」のプロデュースにより、糸吊りを用いて「動き」を表出
パーティション(仕切板)を利用した「セクションY」、即ち疏勒河論文紹介コーナー冒頭部。前回(春季)の来場者の意見を容れ、「論及位置・範囲図」を新設
テーブル上に設けられた新セクション、「セクションZ 論文その後」コーナー。「新遺構発見への期待」と題して、WEB公開衛星画像にて確認された新遺構候補を紹介
残念乍らご来場叶わなかった皆様には、以下に開催時の様子をまとめましたのでご覧下さい。
回顧!「胡羌鬲絶U展」
吉田神社旧社家町の宅地に出現した、「胡羌鬲絶U展案内板」
カルチャーガーデン「吉田之森」全景。壁面に描かれた緑や足回りの植栽は、「森林化計画」(途上)によるもの
1階正面エントランス部。奥の引戸は展示室入口。上部に掲げられた題字は、アートボランティアグループ「art ehoh」の代表、T氏の手によるもの
エントランス内に設けれらた記帳台。論文掲載雑誌や原版付図付特製単行論文の販売並びに、東洋史関連書籍出版社刊本等の紹介コーナーも併置
展示室内景。左奥よりセクションT(入口)側を撮る。参考展示の布類(画像左上の「胡服」と右の「西域絹絣」)は、今回は「art ehoh」のプロデュースにより、糸吊りを用いて「動き」を表出
パーティション(仕切板)を利用した「セクションY」、即ち疏勒河論文紹介コーナー冒頭部。前回(春季)の来場者の意見を容れ、「論及位置・範囲図」を新設
テーブル上に設けられた新セクション、「セクションZ 論文その後」コーナー。「新遺構発見への期待」と題して、WEB公開衛星画像にて確認された新遺構候補を紹介